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Living Well Is the Best Revenge

藤原辰史『トラクターの世界史』_b0138838_21054432.jpg 「トラクターの世界史」というタイトルに惹かれて以前買い求めていた新書を通読する。といっても私はトラクターについては全く無知だ。まずは広辞苑でその意味を確認してみた。「①トレーラーや道路機械、農業機械などを牽引する原動力車。ゴムタイヤ式とキャタピラー式がある。牽引車。」都市部で育った私がこの言葉から受ける印象はいわゆる耕運機であったが、耕運機とは実はトラクターの一類型、歩行型のそれを指すことを私は本書を読んで初めて知った。本書を読むならばこの無骨な内燃機関も自動車や鉄道、航空機といった技術と同様にその発明以来、人類の歴史と決定的に関わってきたことが了解される。それどころかそれは単に技術史や農業史のみならず、戦争と平和、飢餓と生産といった人間の営みの根幹に関わり、自然と人間、農業と工業を媒介する決定的な機械であった。

 最初に藤原はトラクターを次のように定義する。


トラクターは車輪か履帯のついた、内燃機関の力で物を牽引したり、別の農作業の動力源になったりする、乗車型、歩行型、または無人型の機械である。


このうち、重要なのは最後の「機械である」という文言だ。当たり前だと思われるかもしれないが、トラクターは最初、馬や牛といった家畜の代用品として用いられた。最初に藤原がトラクターと家畜の違いを四つに分けて説明していることは示唆的だ。すなわち疲れないが故障する。飼料を与える必要はないが、燃料を補給する必要がある。排出物は排気ガスだけなので肥料をもたらすことはない。重さゆえに土壌を圧縮する。乗ることはできるが、危険が多く健康に害を及ぼす。いずれも家畜との比喩として語られ、とりわけその草創期においてトラクターという機械をしばしば家畜へと喩えることによって農民たちの精神的衝撃は和らげられたという。産業革命時にラッダイト運動が発生したことはよく知られているが、トラクターは家畜の代用と理解されることによって打ち壊しを免れたということか。

 最初はトラクターの成立と改良が論じられる。技術史的な記述が続くのでこの個所はあまり面白くない。蒸気機関を内燃機関に変えることによってトラクターは20世紀初頭のアメリカで産声を上げた。発明者はアイオワに移住したドイツ移民の息子、ジョン・フローリッチ。最初は内燃機関を用いた井戸掘削機を開発していたフローリッチは同じ技術を用いて1892年に前後両方に進めるトラクターの試作に成功する。フローリッチのトラクターは数々の改良を加えられ、普及を続ける。そして自動車王ヘンリー・フォードが自動車生産の技術をトラクターにも応用することによってトラクターの大量生産に成功する。「フォードソン」と呼ばれる二輪トラクターは圧倒的なシェアを誇ることとなった。この点は最初のトラクターが自動車メーカーの主導で生産されたことを暗示し、藤原の分類によれば乗車型のモデルとして成立したことを示している。しかし農機具についての技術知の乏しさゆえに事故も多く、開発にあたって自動車メーカーと農機具メーカーはパワー・テイクオフ、ゴムタイヤ、あるいは三点リンクといった技術開発に鎬を削った。技術革新によって第一次大戦前後、アメリカではトラクター産業が巨大な市場を獲得する。この過程で藤原が注目するのはアメリカの農民たちがトラクターに向ける憧憬と憎悪である。それがしばしばトラクターの前身として使役された家畜たちへの愛着と関わっていた点が当時の漫画や小説によって証明される。家畜は糞便として肥料を供給するが、トラクターは燃料を消費する。有機肥料に代わって導入されたのが化学肥料であり、結果として土壌の団粒構造が失われ、ダストボウルと呼ばれる砂塵の嵐を引き起こした。藤原によれば30年代にダストボウルは農地のみならず大都市をも襲い、昼でも夜のように暗くなったという。この表現から私はクリストファー・ノーランの「インターステラー」を連想したが、あながち突飛な連想でもなかろう。過去、現在、未来。この現象の普遍性は現在でもアフリカや中央アジアで同様の土壌侵食、砂漠化が進行していることからも明らかであろう。この状況を反映した小説が零細農たちの苦難に満ちた移動を描いたスタインベックの「怒りの葡萄」だ。1939年に発表されたこの小説を読み返すならば、そこでトラクターが豊かな大地を収奪する悪魔のごとき機械として描かれ、外科手術や強姦といったエキセントリックな比喩とともに表現されていることがわかる。

 続いて藤原は革命直後のロシア、ソヴィエト連邦へと目を向ける。大恐慌の影響をうけなかったソヴィエトは大恐慌後も着々とトラクターを輸入し、それどころか社会主義のシンボルとしてトラクターをとらえる。アメリカの資本主義の象徴とも呼ぶべき存在が社会主義によっても称えられる点にトラクターという技術の特異さが認められよう。スタインベックが一種の悪魔としてトラクターを描いたのに対して、エイゼンシュテインは「全線」というフィルムの中でソヴィエトの未来を保証する機械としてトラクターを扱う。社会主義にとって農業の集団化、機械化というテーマはきわめて重要であったが、トラクターはこの夢を実現する重要なファクターになりえた。スターリンは農業の工業化、過剰労働人口の都市への集中、農民の絶対的な統制の手段としてコルホーズとソフホーズという集団農業化を進める。この過程で興味深い逸話が残されている。舞台は今や戦火の下にあるウクライナ。当時、ウクライナはソヴィエト内でも多くのトラクターを有していたが、それはアメリカユダヤ人合同分配委員会という組織によってもたらされたというのだ。ロシア革命後、ソヴィエト内のユダヤ人は迫害され、ポグロムによって激減していた。これに対してソヴィエト外部よりユダヤ人たちに支援の手が延ばされ、迫害されたユダヤ人たちが入植したクリミア半島に大量のトラクターが投入されたという。ソヴィエト、ユダヤ、アメリカといったプレーヤーたちの交錯は興味深いが、この事業の中心となったモスクワ生まれのユダヤ人ジョゼフ・ローゼンにかかる決断を下した背景としては1922年の夏のウクライナ訪問があったという。そこでローゼンはウクライナの黒土地帯の疲弊に衝撃を受けたのであるが、同じ状況はこのブログでレヴューした映画「赤い闇」の中で描かれていた。一方でトラクターの導入は富農(クラーク)絶滅というスターリンの政策に適合していたことも理解されよう。これもまたこのブログでレヴューしたティモシー・スナイダーの「ブラッド・ランド」については本書でも言及されているが、ヒトラーとスターリンのもと、この地で多くの餓死者が発生したことを想起するならば、これまで私がこのブログで論じた多くの問題とトラクターは実は密接に関わっていたことが理解されるだろう。さらに後の章で触れられる点であるが、トラクターは大量の石油を必要とするため、石油を調達する目的でその対価としての食糧を可能な集団から削り取ることが求められ、その一つの帰結がナチスドイツによるユダヤ人問題の「最終解決」、つまり絶滅政策であったという。トラクターのために一つの民族に死が宣告されたとすれば恐るべき話である。ソヴィエトに戻ろう。スターリン治下で全面的に普及が進んだトラクターであるが、実は農民たちからは忌み嫌われていたという。コルホーズはトラクターを買うことを強制され、そのための金を拠出することを求められた。言い換えるならばトラクターの購入が共産党への忠誠の誓いであり、それを渋る者たちは富農(クラーク)とみなされ迫害を受けるという転倒がみられたという。トラクターが嫌われた理由を藤原は四つにわたって説明している。まず異常に故障が多く、修理が効かない。このためソヴィエトでは牛馬がトラクターと併用される状況が続いた。二番目の理由が面白い。トラクターは黙示録に記された反キリストが乗る鉄の車とみなされ、土壌に毒をまき散らすとみなされたというのだ。深耕による水分の喪失、排気ガスによる健康被害など実際の被害もこの見解に信憑性を付与していた。そしてトラクターが単なる農業機械を超えた一種のトーテムとしての意味をもつにいたったこと、さらには中央権力の象徴とみなされるにいたったこともソヴィエトにおけるトラクター普及を阻害する要因となった。

 スターリンと徹底的な殲滅戦、独ソ戦を戦ったドイツの事情はどうであったか。トラクターの開発が1930年代前半という大戦に向かってなだれ込む時期であったことは興味深いが、これには理由がある。端的にトラクターと戦車は構造が共通しているのだ。ナチスドイツはフォルクスワーゲンと並ぶフォルクストラクターの開発を進める。塹壕戦であったため戦線が膠着し多くの死者が出た第一次大戦の教訓から各国は塹壕を突破できる戦車の開発に着手したが、牽引の有無にかかわらず、キャタピラーを装着した内燃機関としての戦車は構造においてトラクターと変わるところがない。藤原は1939年に制作されたソヴィエトのミュージカル映画においてトラクターの運転手が歌う歌がもはやトラクターではなく戦車を主題にしている点を指摘している。現在、ロシアによるウクライナ侵略をめぐって現在、欧米の自由主義圏からの戦車の供与が問題となっている。このように歴史をたどってきた私たちには、それが20世紀以来のトラクター問題の最新局面であることが理解できるだろう。

 以上が本書の第3章までで論じられた話題である。「冷戦時代の飛躍と限界」と題された第4章では大戦後の世界各国におけるトラクター問題が論じられる。すなわちアメリカにおけるトラクター市場の巨大化と飽和、冷戦下における東ヨーロッパと中国におけるトラクターの伸長、続いてイタリア、ガーナ、イランといった共通点のない国におけるトラクター事情が語られ、興味深いエピソードが続く。このあたりも読みどころであるから、直接本書にあたっていただくことにして、最後の第5章において日本におけるトラクターの歴史が語られる。ここにも栄光と挫折、失敗と成功に彩られた興味深い歴史が存在する。一言で言うならば、トラクター後進国として出発した日本は今や農地面積当たりの台数が世界一位というトラクター先進国へと発展した。最初に輸入に頼っていた頃は、例に漏れずアメリカ製の乗車型トラクターが導入されたが、水田の多い日本では改良なしでは用いることができなかった。一方で革命こそなかったが、ソヴィエト式の集団農業の夢想の中でもトラクターは重要な位置を占めた。日本で最初にトラクターを手掛けたのは小松製作所であったが、開発は難航し、小松はブルドーザーなどの特殊自動車の製作へとシフトする。そもそも水田が多く単位面積の狭い日本にはトラクターは向いていなかった。しかし一つの転機が訪れる。いうまでもなく満州開拓である。日本の植民地として中国東北部を開発するうえで農業機械化は一つの夢であり、藤原はこの象徴的な場面を伊丹万作が監督を務めた「新しき土」のラストシーンに認めている。小松製作所は満州へのトラクター輸出を見越して、工場を拡大するが、戦況の悪化はトラクターの増産を許さず、今述べたとおり、会社もトラクターから撤退していく。一方、日本で独自の進化を遂げたのが歩行型のトラクター、私たちが耕運機の名で知る一連の発動機だ。藤原は様々な歩行型トラクターの開発を開発者の列伝風に紹介する。トラクターの開発は新発明の歴史だ。日本という特殊な地域にトラクターをフィットさせるためには数多くの改良が必要であり、多くの開発者が事業化していく。本書は最後に日本における乗車型のトラクターの開発に触れるが、ここでは個人名に代わって、クボタ、ヤンマー、イセキといった私たちも馴染んだ会社名が登場する。トラクターの宣伝に島倉千代子や小林旭が用いられたというエピソードは少なくとも昭和期において、トラクターが国民的な認知を受けていたことを傍証するだろう。終章において藤原はトラクターが農民を労働から解放したか、トラクターと政治はいかに関わったか、トラクターの開発と利用のコストは農業の発展に見合うものであったか、そしてトラクターは今後どのような展開を遂げるかという四つの問いを挙げて短く答える。その答えは必ずしも明るくはないが、本書を通読するならばその理由もまた明らかであろう。

 さて、藤原はトラクターを三つの類型に分けたが、一つのタイプについてはほとんど言及がない。無人型のトラクターだ。一番最後の「トラクターがロボットになる日」という箇所で短く触れられるに留まっている。言及がない理由も明らかだ。自動操縦されるトラクターはまだ開発の歴史が浅いためである。乗車型、歩行型、いずれのモデルでも事故が多いことはしばしば語られ、トラクターにとって大きな欠陥となっているから、無人型トラクターは画期的な発明となる可能性がある。しかし私は不気味な暗合を感じざるをえない。先にトラクターが構造的に戦車と同一である点に触れた。トラクターとは実にアンヴィバレンツな機械である。社会主義と資本主義のいずれでも重用され、自然と人工、農業と工業のはざまに成立する。そしてそれは生産の機械としての半身と破壊の機械としての半身をもつ。現在、ドローンに端的にみられるとおり、兵器は無人化され、AIによって制御される。私はその未来に機械同士が闘争するフィリップ・ディックの「変種第二号」、あるいはキャメロンの「ターミネーター」のごとき世界を予感する。穀物の実った大地を収穫するトラクター、しかしその上にも脇にも人はいない。スティーヴン・キングやリチャード・マティスンを読み過ぎたせいであろうか、機械の発達の一つの帰結としてのニューロティックな恐怖とともに私は本書を読み終えた。


# by gravity97 | 2023-02-06 21:06 | 思想・社会 | Comments(0)

青木 理『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件』_b0138838_20444302.jpg 事実は小説より奇なりというが、朝刊に目を通していた私は一つの記事に目を止めた。連続不審死事件の主犯として死刑判決を受けていた女が広島刑務所で食べ物を喉に詰まらせて死んだという記事である。女の名前は上田美由紀、この不審死事件には記憶があり、あらためて事件と裁判についてのルポルタージュを図書館から借り出して読む。実に不気味な報告であった。私は一篇のホラー小説を読むかのようにこの救いのない記録を読み終えた。

 事件は2009年の秋に発覚した。そして著者の青木も冒頭で論じるとおり、きわめて類似した二つの事件がほぼ同じ時期に発生していた。いずれも30代なかばの女性の回りで次々に関係者が不審な死を遂げ、殺された疑いが強いという。一つの事件は首都圏で発生し、木嶋佳苗という容疑者はブランド品に身を包み、贅沢三昧な暮らしの陰で周辺の多くの男たちが自殺を遂げていた。一方、鳥取の場末のスナックで働いていた上田美由紀の周辺でも多くの男たちが不審死を遂げていたが、こちらには一片の華やかさも認められない。二つの事件の共通性は話題を呼んだが、青木は鳥取の事件に関心をもち、雑誌から取材の依頼を受けて現地に乗り込む。「誘蛾灯」というタイトルが暗示するとおり、一体何が男たちを肥満した年増女のもとへと走らせたのか。世間の耳目を集める事件は往々にして時代の宿痾とも呼ぶべき問題を浮かび上がらせる。本書が照らし出すのは都市部と地方の圧倒的な格差であり、コロナ以前にすでに明らかになっていた絶望的な貧困層の存在であり、徹底的に劣化した司法の姿である。もはやそれらはホラー小説の域に達している。

 事件は鳥取市の今や人気(ひとけ)のない歓楽街にあるビッグというカラオケスナックの周辺で発生した。ビッグという名が示すとおり、60歳を超えたいずれも巨躯のママとチーママの下品なサービスを売り物にする店だ。上田美由紀自身も事件当時は30代であったとはいえ、肥満体形で容姿端麗といった言葉からは程遠い。カラオケスナックといった言葉が昭和を感じさせるさびれた店を青木は訪ねる。美由紀が関与したとみなされる「殺人事件」は二件であるが、それとは別に四件もの不審な死者がこのカラオケスナックの常連の中から発生していたのである。最初の事件はことに不気味だ。死者は読売新聞の支局記者である。青木の調査によればこの記者は速記者として読売新聞に入社し、地方局を転々としたが、県政記者としてはそれなりに優秀な記者だったらしく、署名入りで全国版に掲載されるような記事も書いており、支局でも支局長、デスクに次ぐ三番手の記者であったという。しかもすでに結婚しており、二人の息子もいた。しかしこのスナックで美由紀に出会うや、瞬く間に溺れ、妻と息子たちを捨てて美由紀と暮らし始めた。勤務の状況も様変わりして、連絡がとれなくなったり仕事をさぼることが常態となる。みごとなまでの転落の構図である。仮にも日本を代表する新聞社の記者が家族を捨てて、場末のスナックで知り合った素性の知れない女のもとに走ることがありうるだろうか。しかもその過程でこの記者は再三にわたって美由紀から金を要求され、同僚や県庁の職員、果ては副知事にまで借金を申し込んでいたというのだ。挙句の果てに記者は「自殺」を遂げるが、その死に様たるや段ボール箱に入ったまま、もしくはかぶった状態でJRの特急にはねられて轢死するという無残きわまりないものであった。しかもその箱にはサインペンで美由紀への思いが綴られていたという。その当日、美由紀自身が同居していた記者が喧嘩して家を飛び出したと家出人届を警察に提出しており、支局にも遺書と読めなくもない書き置きがあったため、警察は記者の死を自殺と断定し、司法解剖すら行わなかった。箱に入ったままの轢死という異常な死に方に事件性を感じなかったとはにわかには信じがたい判断だ、本書を通読して痛感するのは警察や司法という私たちの生活の規矩と関わる部署が地方において著しく弛緩している印象だ。二人目の死者はやはりビッグに通う警備員。警備員は給料を美由紀からむしり取られていた形跡があり、最後は夜勤明けに鳥取砂丘の海水浴場で溺死している。青木の取材を読むならばこの警備員は軽い知的障害があったようであり、美由紀から虐待に近い扱いを受けていたらしい。泳げなかった彼がなぜ海で貝を採っていたのかも謎であるが、元々美由紀をビッグに誘い、本人も一時ビッグに勤務していたのが警備員の母親であった点は奇怪な因縁だ。母親への鬼気迫るインタビューについては後述する。

 不審死の連続に警察も関心を抱いたのであろうか、鳥取県警の刑事が情報収集にビッグを訪れる。しかしよもやこの刑事は自分が三人目の犠牲者となろうとは考えていなかっただろう。新聞記者に警察官、このような職業に就くにあたっては社会性や世間的な常識が必要とされ、それなりの審査もあるはずだ。しかしこの警察官も最初の記者同様にたちまち美由紀に入れ揚げて、多くの金を貢いだ挙句、山林で首を吊って自死を遂げる。スポーツマンで妻子もある刑事があっというまに生活を荒廃させて無残な死にいたる。女の周辺でほとんど同じ事件が反復された訳である。これに対しても県警は適切な対応をとることをせず、それどころか刑事が縊死した場所を最初は山林ではなく署内であると誤った発表を行っている。発見当時、死体があった山林には雪が積もっており、ほかに足跡がなかったことが自殺の根拠であるが、果たして事件性はなかったのか。県警になんらかの隠蔽の意図があったのかは今となってはわからない。そして美由紀の周辺ではすぐに第四の死が発生する、今回の死者はやはり美由紀と交際していたトラック運転手。死因はやはり溺死であった。全裸という遺体の状態に疑念を抱いた県警が解剖したところ、体内から睡眠導入剤が検出され、事件性が発覚したのだ。そして運転手が多額の現金を美由紀に渡していたことも明らかとなった。さすがに不審死が連続したことを知り、警察は美由紀の身辺調査に着手したが、それを嘲笑うかのように五人目の死者が発生する。今回の犠牲者はやはりビッグに通い、美由紀に多数の家電製品を売りつけた家電商である。代金後払いでテレビや洗濯機といった家電製品を手に入れた美由紀がそれをリサイクルショップなどに売り払い、取り込み詐欺を行っていたことが推測される。代金支払いを求められた美由紀には殺人の動機があり、鳥取市郊外の細い川で溺死体として発見された家電商の体内からも睡眠導入剤が検出された。鳥取県警は運転手と家電商、四番目と五番目の死に犯罪性を認め、最初は詐欺と住宅侵入窃盗の容疑で美由紀を逮捕し、後に二件の殺人容疑の立件に踏み切る。しかし実はこれ以外にももう一件、不審死が存在する。美由紀は鳥取市郊外に位置するビッグのママが所有するアパートで暮らしていたが、やはりママ所有のアパートの一室に入居していた一人暮らしの男も突然死を遂げた。この男もビッグの常連であり、それどころか美由紀と親しく、死んだ夜も美由紀と一緒にいたことが確認されている。この男には持病があり、病院で死亡が確認されたが、死の直前に美由紀が何かの薬を飲ませたという報道も一部でなされたという。

 かなり錯綜した事件であるため、あらためて時系列を確認するならば、以上六件の不審死が、2004513日の記者の轢死から20091027日の男の「病死」までの6年間の間に発生している。鳥取県警が上田を逮捕して捜査に乗り出したが同じ09年の112日、これ以降の裁判の経緯を最初にまとめておくならば、鳥取地方裁判所で裁判員裁判として公判が始まったのが、2012925日、そして124日に地方裁判所は二件の殺人を認定して死刑判決を下した。美由紀側は即日控訴したが2014320日、広島高等裁判所松江支部は控訴を棄却して原判決を維持した。弁護側は再び控訴するが、最高裁判所は2017727日に上告を棄却し、823日に死刑判決が確定する。それから6年、刑は執行されないまま、最初に記したとおり、今年2023114日に美由紀は収容されていた広島刑務所で食べ物を喉に詰まらせて急死したのである。青木が最初に鳥取の地を踏んだのは201022日であるから、青木は最初の死刑判決の直後から取材を開始、美由紀が勤務したカラオケスナック、ビッグに通いながら関係者へのインタビューや現場での調査を繰り返し、3年後の2013年、死刑判決後に本書を公刊したことになる。

 事件関係者への取材、そして美由紀と付き合いながら「殺されなかった」男たち、美由紀と同棲し、弁護側から「真犯人」と名指しされた男らにインタビューを重ねることによってこの異様な事件の全景がおぼろげに浮かび上がる。しかしなおも多くの謎が残されている。なんといっても不思議なのは6人もの男たちが5人の子持ちの見栄えもしない女に惹かれて破滅していった理由である。美由紀に常習的な虚言癖があることは多くの証言から明らかであり、青木自身も接見する中で確認している。しかしその虚言たるや、電話の中にしか存在しない「アケミ」なる妹を作り出し、金を無心し、偽りの妊娠の処理を迫る児戯のごときそれであり、記者や刑事といった男たちが真に受けるはずはなかろう。あるいは本書の中で美由紀が刑事に宛てたラブレターのごとき手紙が公開されているが、その文面たるやとてもまともな神経では読めないような内容であり、青木のいう「嘘つきだけど可愛い女」といった言葉では理解することができない。男たちとはいずれもそれなりの仕事や家庭をもちながら、転がり落ちるように破滅していく。その過程の同一性は不気味というしかなく、もはや超自然的な力の介在さえ疑いたくなる。

 先にホラー映画と記したが、青木が二番目の不審死、警備員の母親のもとにインタビューに訪れたエピソードが記されている。鳥取市内の長屋風の木造アパートは信じがたいゴミ屋敷であり、靴を脱いで入るのがためらわれるほどの汚さで饐えた匂いが充満していた。母親は暗闇の中でこたつに入ってテレビを眺め、その身体を数匹のゴキブリが這い回っていた。カーペンターの映画あたりに出て来そうな情景ではないか。本書の主題の一つは今日の地方都市の惨状であることも間違いない。最初に触れた通り、事件が発覚した当時、首都近辺を舞台に木嶋佳苗の周りに同様の不審死事件が連続し、両者は対比的にとらえられていたが、華やかな毒婦といった趣のある木嶋に対して、美由紀のみじめさは明らかであり、それは都市と地方の対照を示すかのようであった。青木自身、鳥取を訪れるのは初めてであったが、この地を「東京から都道府県中人口、世帯数最少県の(松江の文化圏に属する米子に比しても)とりわけ鳥取県東部は空路も日に四便、陸路であれば5時間以上かかる本州の一部にありながら陸の孤島という表現がぴったりくるほどの僻地として長く放置されてきた」と記している。私はこの表現にはたまたま東京圏に居住する青木の傲りが無意識に表出されていると感じたが、それについては措く。郊外の全国チェーンの大型量販店、ショッピングモールが威容を誇る一方で中心市街地がゴーストタウンと化す光景は現在の日本ではいたるところで認められるし、「選択と集中」を標榜する者たちにとって、地方は衰退しても構わないだろう。先日も若手の社会学者が豪雪地帯について、いつまでこのような地域に居住するか考えるべき時期にいたっていると発言したばかりだ。本書はこのような衰退と劣化が警察や司法といった国内であれば同じ基準で享受されるべき問題にも広がっていることも示唆している。美由紀の近辺での度重なる不審死を見逃し、事件性を疑わず、ついには県警の刑事までが不審死を遂げた鳥取県警の体たらくについてはひとまず措くとしても、私が興味深かったのはヴェテランの司法記者である青木が指摘する裁判員裁判、そして事件と関わる検察、弁護双方の問題点である。この事件は裁判員裁判として問われた。裁判の詳細については直接本書にあたっていただくことにして、公判の途中から黙秘に転じた美由紀に対して裁判員から黙秘を権利と認めず「無実なら黙秘はだめだ」とか「(犯行を)やっていないなら、やっていない根拠を語ってほしかった」といった黙秘権に関する無知による発言が相次ぎ、それを無批判に報道するメディアに対しても青木は「暗澹たる気持ちになった」と記している。さらに検察は美由紀と同棲し、弁護側から「真犯人」と名指しされた男を逆に重要証人として美由紀の犯行を暴こうとしたが、もとより状況証拠しかない状態で立件した事件であるからその立証は砂上の楼閣のごときものであり、一方、男を真犯人と決めつけた弁護側の立証もお粗末きわまりなく法廷内の失笑を買ったことを青木は伝えたうえで「検察もヘボなら、弁護側もヘボ」と切って捨てる。かかる劣化が地方都市であるから発生したか否かについては直ちに判断できないが、このような杜撰な議論の果てに一人の女に死刑が宣告された訳である。

 この奇怪な事件について未解明の謎はあまりにも多い。そもそも立件された二件を含めて、先に述べた男たちの死に美由紀が本当に関与したか否か、今にいたるまで何も確証はない。全てが状況証拠であり、青木も論じるとおり検察側の論告も実は砂上の楼閣に等しい。青木は美由紀が男たちを溺死させたと思われる場所を検分していずれも美由紀一人の力で睡眠導入剤によって意識が混濁した男たちを溺れさせるのは困難と判断する。おそらく弁護側はこのような検分作業を行っていない。それでは共犯者が存在したのか。同棲していた男の一人を真犯人と決めつけた弁護側はこの点について何も立証しておらず、謎は残されたままだ。青木は拘置所で美由紀本人と面会するが、さすがの青木も彼女の印象を書きあぐねている。そもそも男たちからむしりとった多額の金を何に使ったのだろうか。出廷の際のゴージャスな服装が話題となった木嶋佳苗に比べて、美由紀は初めから最後までみすぼらしい。青木は事件の背景に今日の地方を蝕む圧倒的な格差と絶望的な貧困を認める。確かにビッグに入り浸る客の多くは生活保護を受給しており、逆に彼らの生活保護目当てで生活をともにするホステスもいる。一種地獄のような光景ではあるが、果たしてこれは地方特有であろうか。青木は初めて訪れた鳥取という地の貧しさによほど驚いたらしく、ラーメンやカレールーの消費量、小型車の普及率などを持ち出して、土地の貧しさをあげつらう。確かに都市部の生活しか知らないジャーナリストにとって裏日本の「僻地」の衰退と頽廃はショッキングであったかもしれない。しかし私は政府によって「選択と集中」が進められる今日、かかる貧困化は都市をも深く冒しているように思えてならない。それはシャッター商店街やさびれた歓楽街によって可視化されないためにさらに深刻ではないだろうか。貧困が食い物にする貧困、都市の生活の中にはさらに巧みにいくつもの「誘蛾灯」が仕組まれているはずだ。

 スティーヴン・キングに「クラウチ・エンド」という短編がある。アメリカから休暇旅行でロンドンを訪れた弁護士夫婦がクラウチ・エンドなる地区でタクシーに置き去りにされ、この世のものとも思えぬ不気味な出来事を続けざまに体験する。そのうちに夫が影の中に失踪してしまい、妻は派出所に駆け込む。派出所の年上の警官は若い警官にこの地区ではこのような事件が時々発生することを告げ、この場所が異界に通じていることをほのめかすが、その言葉を証明するように今度は若い警官も失踪を遂げるという内容だ。私が本書を読んで直ちに連想したのはこの不気味な小説であった。地方都市の場末のスナックに待ち受ける肥満し、子持ちの年増ホステスはまるで異界の入口のようではないか。それなりの職や家庭をもった男たちが次々に異界に呑み込まれては無残な死を遂げた。そして今年の初めに報道されたホステス自身の奇怪な死は、彼女を招き入れることによってあたかも異界が自らの口を閉ざしたかのようだ。


# by gravity97 | 2023-01-26 20:46 | ノンフィクション | Comments(0)

菅 章『ネオ・ダダの逆説』_b0138838_13115703.jpg
 日本の戦後美術において未だ十分に検証されていないグループや運動は数多いが、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズはその筆頭とも呼ぶべき存在だ。確かに当事者による二つの回顧、すなわち篠原有司男の『前衛への道』、そして赤瀬川原平による『いまやアクションあるのみ』は存在するが。前者は篠原の破天荒な自伝の一時期を画す挿話として、後者は読売アンデパンダン展というこれまたとんでもない展覧会の記録の中の一つのエピソードとしてこの集団について触れるにとどまり、集団としての検証はなされていない。美術館レヴェルの展覧会としてもこのグループに焦点を当てた試みとしては1993年、福岡市美術館における「ネオ・ダダの写真」そして1998年、大分アートプラザにおける「ネオ・ダダ JAPAN 1958-1998」の二つしか存在しない。こちらも前者においては写真と銘打たれていることから理解されるとおり、作品ではなく展示やアクション、デモンストレーションを記録した写真を中心とした展示でありそれなりに興味深いが、活動の全幅を理解するうえでは限界がある。後者は今日にいたるまでこの集団を正面から扱ったほとんど唯一の展覧会であり、著者の菅はこの企画に関わった後、現在、大分市美術館で館長を務めている。なぜ大分の美術館がこの集団の検証/顕彰に努めるかは本書を読めば明らかだ。この集団の活動に決定的に関与した二人の人物が大分出身なのだ。一人は中心的な作家の一人、吉村益信、そしてもう一人は吉村のために彼らの活動の場、「革命芸術家のためのホワイトハウス」を設計し、先日物故した建築家、磯崎新である。本書のプロローグの冒頭にも「新宿ホワイトハウスから始まった日本の現代美術」という言葉がある。二部構成の本書は第Ⅰ部「ネオ・ダダ盛衰史」において今触れた展覧会カタログに収録された論文を改編してこの集団に関する総論とし、第Ⅱ部「ネオ・ダダイスト列伝」は各論としてやはり多く展覧会のカタログテクストとして発表された吉村益信、風倉匠、赤瀬川原平、磯崎新の作家論が収められている。とりわけ吉村と風倉という比較的資料が少ない作家に関しては著者との濃密な関係を通して、多くの新知見を得ることができた。なお菅も冒頭で注記するとおり、美術史的に言えばネオ・ダダとはアメリカでポップ・アートへと道を開いたジャスパー・ジョーンズとロバート・ラウシェンバーグの二人を指す限定的な用語であるが、正式名称であるネオ・ダダイズム・オルガナイザーズは長過ぎることもあり、このレヴューでも本書に倣って60年代の日本で活動した一群の作家たちを同じネオ・ダダという呼称で名指しすることにする点を最初にお断りしておく。

菅 章『ネオ・ダダの逆説』_b0138838_13120397.jpg 大分アートプラザにおける展示を私は未見であるが、菅によればこの展覧会は磯崎の提案によって始まったらしい。しかし直ちに二つの困難が浮かび上がったはずだ。まずよく知られているとおり、ネオ・ダダの活動当時の作品は今日ほとんど残されていない。第二に作家たちの多くは今、ニューヨークに在住しているため、展覧会を準備するためにはニューヨークに赴く必要がある。まさにこれらの点にこそネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの特質が認められる訳であり、菅は国内に残された作品を根気よく調査するとともにニューヨークで作家たちと面会して展覧会の準備を続けたのであろう。本書の行間からはこのような苦労を通して明らかとなった作家たちの肉声や思いがけないエピソードが浮かび上がる。

 美術運動を記述にするにあたってはその前夜から語り始めるのが定石である。ネオ・ダダ前夜を論じるにあたって、菅はその系譜をいくつかの大学と地域に分類する。すなわち大分―武蔵野美術大学ライン、東京芸術大学ライン、名古屋ライン、お茶の水美術学院ライン、フォルム洋画研究所ライン、そして同調しながらもグループに属さなかった工藤哲巳と三木富雄である。むろんこれらの基準にしたがって截然と分類できる訳ではないが、出身学校によって分類する手法は峯村敏明がもの派を分析する際に用いたそれを連想させる。(「『モノ』派とは何であったか」『モノ派』鎌倉画廊 1986年)この点は彼らが師弟関係、あるいは団体展のヒエラルキーという日本の美術界を支配してきた構造と無縁であることを示している。大学によって区別されるとしても、それは作家がその大学に属していたことを意味するだけであり、大学での師弟関係は認められない。それにしても本書を読んで大分とこの集団の関係の深さにあらためて思い至る。吉村について論じた章の中で吉村が大分県立第一高等学校の自治会会長を務め、先代の会長が赤瀬川隼彦(赤瀬川原平の兄)、さらにその前の会長が磯崎であったという記述がある。東京で活動した集団の中核が地方の一都市の出身者で占められた例を私はほかに知らない。ネオ・ダダの成立と解消をどの時点にみるかは難しい問題であるが、一つのメルクマールとしては吉村の依頼を受けて、磯崎が設計したアトリエ、いわゆる「革命芸術家のホワイトハウス」が完成した57年晩秋をその出発点とみなすことができよう。実はこのアトリエは磯崎の処女設計でもあるが、実際には簡単な下図に基づいて吉村が大工に作らせ、後に増築までしているから磯崎自身、自分が設計したという認識がなかったという。吉村の実家は西日本屈指の薬品会社であったとのことで、親分肌の吉村はホワイトハウスに酒や食べ物を欠かさなかった。したがって多くの貧しい若い作家たちがそこを訪れては乱痴気騒ぎを繰り返したのがネオ・ダダの起源であり、この意味で菅がホワイトハウスを本家のダダにおけるキャバレー・ヴォルテールに準えることは意味があるだろう。日本の戦後美術史においてここに比較しうる場としては具体美術協会におけるグタイ・ピナコテカ、もの派における田村画廊などが挙げられるかもしれない。しかしそれらが公的な場所であり、基本的に作品の発表の場として構想されていたのに対して、ホワイトハウスは私的な空間であり、祝祭的なイヴェントが挙行される場所であった。それゆえ吉村の結婚という私的な理由によって閉鎖されることとなったのだ。私は日本の戦後美術を論じるにあたって場という問題は興味深い視点を導き出すのではないかと感じている。なぜなら欧米と異なり、美術館と親和することがなかった日本の戦後美術はいずれも美術館以外の場所を舞台に展開されてきたからだ。近年、グタイ・ピナコテカについては大阪中之島美術館に収蔵された資料に基づいて訪問者を特定する研究が発表されたが、同様の調査はホワイトハウスについてもなされるべきであろう。菅も批評家からダンサー、芸能界からファッション界のスターたちがこの場所に入り浸ったことを説明したうえで、ウォーホルのファクトリーと関連させて論じている。

 ネオ・ダダの展覧会は1960年に三回にわたって開催されている。これについては先に挙げた『いまやアクションあるのみ』の中でも詳しく論じられており、作品についてもかなり具体的な記述がある。このたび本書を通読して興味深く感じる点があった。一つはグループの名を冠した展覧会がわずか3回をもって終了している点だ。むろん何をもってネオ・ダダとみなすかは意見が分かれるところであるが、この展覧会を彼らの活動の中核とみなすならばわずかに6か月、3回の発表をもって活動が終了している。そして本書では短く言及されるにとどまっているが、ことに第1回展の出品者には今日ほとんど名前の知られることのない作家が過激な発表を行っている。例えば甲州街道にケント紙を敷いて車に轢かせるに任せた石橋別人の作品はジョン・ケージとラウシェンバーグのタイヤ絵画の先例といってよい。かくも過激な作品の作者が社会主義レアリズムへと転向したことに確か赤瀬川も不審の念を表明していたと記憶する。逆に本書を読んでもはっきりしなかったことの一つは、「ネオ・ダダの写真」という展覧会さえ可能となるほどに、当時、彼らの周辺に多くの写真家が存在し、彼らのアクションやイヴェントを記録していた理由だ。黒田雷児も記していたとおり、当時は週刊誌というメディアが隆盛しつつあり、ネオ・ダダのスキャンダリズムは格好の取材対象であったが、それとは別に多くの高名な写真家が彼らに帯同し、みごとなドキュメントを多数残している理由を私は知りたい。さらに彼らの特質とも呼ぶべき、作品を残さないという発想がどこからもたらされたかという点についても私は興味がある。この点は多数の写真が残された彼らのアクション/イヴェントの詳細な分析と合わせて今後も検討されるべき課題の一つであろう。ネオ・ダダ展は短い期間しか続かなかったが、彼らにはほかにも多くの発表の場があった。その代表的な場は読売アンデパンダン展であり、ネオ・ダダの作家たちとこの展覧会は深い関係にある。菅はいわゆる反芸術と関連させながら、この問題に一瞥を与えるが、本書がネオ・ダダを主題としているために反芸術も含め多くの前衛運動の母胎とも呼ぶべき読売アンデパンダン展についての記述は比較的淡白だ。

 グループとしてのネオ・ダダはまもなく解体するが、その理由もまた異例であった。すなわち61年の荒川を最初の例として多くの作家たちが渡米し、活動の場をニューヨークへと移したのである。62年に平岡弘子と吉村益信、63年に升沢金平、64年に豊島壮六と田辺三太郎、そして69年には篠原有司男までがニューヨークへと移り、そこに居ついて活動を続けることとなる。私はこの点にも深い関心がある。確かに当時、現代美術の中心がパリではなくニューヨークであるという認識は広く共有されていたであろう。しかしなぜ、この集団からはかくも多くの作家たちがニューヨークに渡り、しかも一時的な活動ではなく生活の拠点自体を移すこととなったのか。先に渡米した作家の助けやグラントの取得といった理由はあったかもしれない。しかし今日から見てもあたかも集団としてニューヨークへ引っ越したかのように作家たちはニューヨークへと向かった。当然ながら移住したからといって彼らが認められるはずはない。吉村のようにある程度成功を収めた作家もいれば、ニューヨーク吉兆の板前となった升沢のごとく制作を離れて新たな生活を始めた者もいる。60年前後に日本では勇名を馳せた作家たちもニューヨークではとりどりに苦労をする。「渡米する作家たち」という章は彼の地での作家たちの生きざまが詳述されて本書の読みどころの一つであり、疑いなくこの部分には調査の成果が反映されている。ネオ・ダダに属しながらも(作品は残っていないから)名前のみ知られ、消息不明であった作家たちについてその後の活動が語られる。一方で日本に残された作家たちは時代とどのように向き合ったか。続いて二つの話題が語られる。ポップ・アートと千円札裁判である。ポップ・アートに関してはニューヨークへの出発が遅れた篠原有司男が重要な役割を果たす。篠原は逆に来日したラウシェンバーグら、元祖ネオ・ダダからイミテーション・アートの許可をとりつけ、一連のスキャンダラスな作品を発表する。篠原の作品が秘めた剽窃やパロディを超えた批評的な意味についてはグローバリズムが喧伝される今日、にわかに注目されている点であり、皮肉にもニューヨーク出発までの時差が、ネオ・ダダの中心にいた篠原に新しい表現、和製ポップの可能性と直面させたといえるかもしれない。60年代中盤、ネオ・ダダと関連して焦点化されるべきもう一つの話題は赤瀬川の千円札裁判である。この問題を論じるにあたっては、赤瀬川が中西夏之、高松次郎らと結成したハイレッド・センターの活動が密接に関わっている。本書ではこの集団の活動についても短くまとめられているが、中西と高松はネオ・ダダと深く関わることはなかった。本書ではあくまでも赤瀬川を中心にこの裁判が検証され、裁判を経過することによって赤瀬川の作家としての強靭さ、さらに創造活動そのものが次のフェイズに達したことが説得的に検証されている。
 勇躍してニューヨークに渡ったネオ・ダダの面々であるが、皮肉にもその先鞭をつけた吉村はグリーンカードの手続きミスによって強制送還に近いかたちで日本帰国を余儀なくされた。吉村を待っていたのは60年代末期、大阪万国博に向かう前衛芸術の一種の翼賛状況であった。本書を読んで興味深く感じた点の一つが吉村をはじめ、ネオ・ダダに関わった面々がむしろ積極的に万博に参加している点である。万博に関しては一方で具体美術協会のごとく進んでプロジェクトに参加した集団とゼロ次元をはじめとする反博作家とが拮抗していたから、「革命芸術家」を標榜するネオ・ダダはむしろカウンター側ではなかったかと漠然と思い込んでいたが、吉村は逆に「貫通」という会社を作って作家たちに仕事を与え、田中信太郎や吉野辰海らも参加し、三木富雄にいたっては10メートルに及ぶ巨大な「耳」を制作したという。このような状況を認めるならば磯崎新や横尾忠則らもそれぞれの立場で参与した万博が革命芸術家たちの類例なき翼賛事業であったことがたやすく理解される。続いて菅は荒川修作、田中信太郎、三木富雄、工藤哲巳らを個別に取り上げ、当時の状況を確認していく。本書の第Ⅱ部では四名の作家しか取り上げられないから、この部分は作家たち短い列伝と呼んでよかろう。ニューヨークで地歩を築く作家、寡黙で禁欲的な作風へ劇的な転回をみせた作家、「耳」というモティーフにとり憑かれ早世した作家、そしてネオ・ダダ周辺でただ一人パリへと向かった作家、いずれも今後も研究されるべき重要な作家であり、展覧会レヴェルでは荒川と工藤を除いて十分な検証がなされたとは言い難い。

 「日常性の見直し」と題された章以降も作家を定めてネオ・ダダ時代から今日にいたる短い列伝風の記述が続く。取り上げられる作家は風倉匠、赤瀬川原平、篠原有司男、吉野辰海であり、かかるやや変則的な記述というか章立ては、このテクストの原型とも呼ぶべき「ネオ・ダダ JAPAN 1958-1998」に菅が総論と各論、さらに作家解説を寄せていることに由来しているだろう。先にも述べたとおり、今まで名前を挙げた作家のうち吉村、風倉、赤瀬川については第Ⅱ部でもう一度詳しい評伝が重ねられるから、重複する部分がある。ネオ・ダダの作家たちは1960年前後のごく短い時期に、ホワイトハウスで、ネオ・ダダ展で、あるいは読売アンデパンダン展で互いを認知して活動を共にしたが、その後の活動、活動した場所、作風の展開はばらばらであり個々に確認するしかない。この意味で彼らの活動は吉原治良という指導者のもとで集団としてある程度のまとまりをもちえた具体美術協会とも、運動やグループとしての限定はないが、作品の方向性においてある程度の統一感が認められるもの派とも異なったまことに異例の集団であったことが理解される。それではネオ・ダダの作家たちに共通性はないか。管は「ネオ・ダダの遺伝子」という言葉を提起し、それがい一種の遺産としてそれ以降の作家たちにも継承されている点を論じる。この点を明快に示した言葉として私が共感したのはインタビューに答える赤瀬川の次の言葉である。


一尾の大きな魚を三枚におろした時の最初の太刀さばき、これがネオ・ダダがやったことだったのではないか。これをしなかったら次に行けないという感じだった。


赤瀬川らしい見事な比喩である。一つの決定的な行為をなすことによって、次の世代、次代の表現に出発点を与える。菅も指摘するとおり、これは一つの世代論であると同時に、一人の作家の中にも同様の可能性を開いた。中には升沢のように制作を止めた者もおれば、赤瀬川のように小説やパロディ・ジャーナリズム、あるいは路上観察へと移行した者もいる。いずれにとってもネオ・ダダの経験は一回的でかつ決定的であった。ネオ・ダダという体験の決定性について、菅は「1924年以後、ダダはもう存在しなかったが、ダダイストは生きていた」というハンス・リヒターの言葉をエピグラフに掲げているが、私はもう一人、シュルレアリスムについて論じたモーリス・ブランショの言葉を連想した。「シュルレアリスムは消滅したのだろうか。それはつまりここやあそこにあるのではなく、いたるところにあるということだ。それは亡霊であり、光まばゆい強迫となったのだ」菅も論じる通り、ネオ・ダダ以後の日本の現代美術にその遺伝子を継いだ光まばゆい強迫を見出すことはさほど困難ではない。半世紀の時を隔てて、なおも存命で活動を繰り広げる作家の傍らで再評価の進む作家たちもいる。最初に「ネオ・ダダの遺伝子」を検証した国立国際美術館における「芸術と日常 反芸術/汎芸術」からすでに四半世紀近くが経過した。本書はこれまで検証が困難であった運動と作家たちに再び光を当てた論攷として、また学芸員としての仕事の集大成として貴重な研究であり、今後続けられるべき研究の礎となるだろう。


# by gravity97 | 2023-01-21 13:13 | 現代美術 | Comments(0)

ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』_b0138838_21362183.jpg
 今年最初の一冊は以前から読みたいと念じながらずっと手つかずであったロシア文学、ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』。この小説は先ほど確認しただけでも、岩波文庫、河出書房新社版の世界文学全集の一冊、さらにはロシア文学専門の出版社などから現在も複数の翻訳が出版されている。私が読んだヴァージョンはさらに古く、1976年発行の集英社版世界の文学の中の一冊。この小説と共にザミャーチンのディストピア小説「われら」が収録されており、このカップリングも興味深い。私の悪い癖で本題に入る前に作品をめぐる形式的な側面を詳細に記述するならば、本作品は1929年より執筆が始められたが完成後も発表されることなく、1940年の作家の死後、未亡人のもとに残されていた。この小説の公開が可能となったのはスターリンが没した後、フルシチョフのスターリン批判を経て、1954年のソヴェト作家同盟第二回大会でヴェニヤミン・カヴェーリンがブルガーコフの復権を強く要求したことに始まる。未亡人が未発表のまま残されていた原稿をカヴェーリンに渡した後、作家が晩年に没頭していた作品が正式に公刊されたのは1966年というから、作家の死後なんと26年が経過した後であったという。発表されるや本書が大きな話題を呼んで広く受け容れられたことはこれほど多くの邦訳が存在することからも理解できよう。したがって私たちは表現を自由に発表することができない社会を前提として本書を読まなければならない。

 読み始めるならば、百年前に発表されたにもかかわらず、一筋縄ではいかない内容であることが理解できる。しかし読みにくい訳ではない。それどころか読者は最初から物語に引き込まれるはずだ。今回は内容に深く立ち入りながら論じる。冒頭の場面は次のように始まる。時代は本書が執筆された1930年代と思しき「ある春の日の異常なまでに暑い夕暮れどき、モスクワのパトリアルシェ池のほとり」を二人の男が歩いていた。二人とも文学者であり、そのうちの一人、ミハイル・ベルリオーズは「マソリスト」という作家協会の幹部で文芸綜合誌の編集長という大立者であった。二人は公園で出会った外国人らしき奇妙な男と会話を交わすうちに無神論をめぐる議論に巻き込まれ、果てに男はベルリオーズが首を刎ねられて死ぬという不吉な予言をする。「マソリスト」の会議に向かおうとするベルリオーズに対して、男は「アーンヌシカが向日葵油を買い、こぼしてしまったために会議は開かれない」と意味の分からない言葉をつぶやく。物語が進むについて次第に明らかになるが、二人が会話した男は実は悪魔であり、ベルリオーズに関する予言はまもなく現実のものとなる。したがってこの小説は荒唐無稽な幻想譚としてまず私たちの前に姿を現す。ベルリオーズに同行していた詩人のイワン・ニコラエヴィッチ・ポヌイリョフ、通称ペズドームナイは男を逮捕しようと奮闘するが逆に幻惑されてモスクワ川に転落し、グリボエードフと呼ばれる作家会館の食堂に乗り込んで騒ぎを起こした挙句、精神病院に担ぎ込まれる。ただし物語は決して単線状には進まない。今述べた騒々しいエピソードの間にペズドームナイの幻視というかたちでローマ総督ポンティウス・ピラトをめぐる物語が挿入されるのだ。ピラトという固有名詞から直ちに明らかであろう。そこで語られるのは本書においてはナザレのヨシュアと呼ばれるイエス・キリストの最期、磔刑をめぐるエピソードなのである。物語の中に別の物語を挿入させる手法はモダニズム的であり、本書は形式において油断のならない深みを帯びている。次いで悪魔とその一行はヴァラエティ劇場の関係者のもとに現れ、劇場で繰り広げる一大スキャンダルの準備を始める。自らをヴォランドと名乗った悪魔は秘書そして巨大な黒猫を伴って劇場を訪れ、「ヴォランド教授 黒魔術 完全な種明かしつき」という出し物の予告を行う。そのような契約に覚えがなく不審に感じた劇場の関係者は次々に謎の失踪を遂げる。ヴォランドたちはトランプ手品で観衆を煙に巻き、司会者の首を切り取り、偽札をばらまくなど狼藉三昧を働き、劇場を大混乱に陥れる。次々に繰り出される騒々しいエピソードの本質は一言でいうならばスラプスティックだ。劇場や食堂、あるいは外国人専用店、物語の随所、モスクワのいたるところで悪魔たちの一行は馬鹿げた騒ぎを繰り返し、混乱と破壊を後に煙のように消え失せる。ヴォランドに従うのは、巨大な黒猫にも変身するベゲモート、秘書役のコロヴィヨフ、びっこでやぶにらみのアザゼッロ、裸の魔女ヘルラといった面々である。モスクワを舞台に繰り広げられる馬鹿騒ぎはそれはそれで面白いのだが、読み進めるうちに読者に疑問が芽生えるだろう。すなわちタイトルとされる「巨匠とマルガリータ」とは一体何を意味するのか、そもそも巨匠とは誰か。彼が登場するのは物語の三分の一ほどが進んだ時点である。すなわち精神病院に収容された詩人ペズドームナイは病室のバルコニーの上に一人の男がいることを発見する。男はペズドームナイがパトリアルシェ池畔で出会った男が悪魔であること看破し、自らを巨匠であると自己紹介したうえで身の上話を始める。巨匠は古代ユダヤを舞台にした長編小説を脱稿したばかりであった。さらに巨匠は10万ルーブルの宝くじを当て、運命の女性マルガリータと出会う。しかし彼の運命は暗転する。原稿を渡された編集長は文芸誌に掲載することをせず、小説は闇に葬られてしまった。さらにその内容について評論家たちの激しい攻撃が続き、巨匠は自らの手で原稿のコピーを燃やしてしまう。マルガリータは失意の彼を慰撫する。

ヴォランドたちがヴァラエティ劇場で引き起こした騒ぎの噂でもちきりの町で、マルガリータはアザゼッロから深夜の舞踏会への招待を受ける。アザゼッロはマルガリータに魔法のクリームを渡し、クリームを体に塗り込むことによってマルガリータは魔女へと変成を遂げ、箒に乗って夜の街の空へと飛び出していく。同じクリームを塗りこんだ女中のナターシャも彼女の従者として豚となったペズドーナムイに跨って空を飛ぶ。あたかもシャガールかゴヤの絵画のようなイメージを介して本書のクライマックスも呼ぶべき舞踏会が始まる。マルガリータは深夜の舞踏会で女王然としてふるまい、ヴォランドたちを喜ばせる。もちろん悪魔が主催する舞踏会であるから死者や犯罪者、刑死人が招かれ、不気味さと滑稽さが入り乱れた騒然とした内容である。(斬首されたはずのベルリオーズも登場する)マルガリータは舞踏会で精神病院にいたはずの巨匠と再会し、ヴォランドはひとたび燃やされた巨匠の原稿を復活させる。今、復活という言葉を用いたが、ここで原稿の復活がイエス・キリストの復活と重ねられていることは明らかだ。そしてマルガリータが原稿を読むことによってふたたびテクスト内に別のテクスト、すなわち古代ユダヤのポンティウス・ピラトの物語が導入される。ピラトとはイエス、この小説ではヨシュアが磔刑に処せられた際のエルサレムのローマ総督であり、ペズドームナイが幻視した光景に続いて、キリストと彼とともに処刑された罪人たち、あるいはキリストに同行し、その死を記録したレビのマタイ、そしてキリストを売ったカリオテのユダらの運命が多くピラトの側から語られる。レビのマタイが、新約聖書のマタイ伝の執筆者であることは想像できるが、巨匠が執筆した原稿と聖書の内容の異同については今のところ私は確認できていない。

物語は再びモスクワへと立ち戻る。ヴァラエティ劇場の大騒ぎと深夜の舞踏会、ヴォランドたちがたくらんだカタストロフの現場には直ちに司直が犯罪の証拠を求めて乗り込むこととなり、関係者への厳しい尋問が続く。しかし彼らの返答は要領を得ず、ついには舞踏会が開かれたと思しきサドーワヤ街のアパートが突如炎に包まれて焼け落ちる。コロヴィヨフとベゲモートは悪さをやめない。二人はスモレンスク街にある外国人専用店、さらには作家会館の食堂に闖入しては魔法を使って騒動を引き起こすが、後者では彼らの正体を見破った支配人の機転によって危うく銃撃されそうになる。炎上する街を見下ろすヴォランドとアサゼッロのもとを「あの人」から遣わされたレビのマタイが訪れる。テクスト間の干渉というというモダニズム文学でおなじみの手法だ。果たしてマルガリータは魔女となったのか、この問いは明確に答えられることがない。マルガリータは再び巨匠と出会い、物語の最後で二人はアザゼッロを導き手として新しい旅へと旅立っていく。

思わず最後まで小説の梗概を記してしまったが、この小説を読む楽しみは粗筋を知ったとしても削がれることはないだろう。直ちにいくつもの問いが生まれる。最初の、最も大きな問いはこの小説を構成する二つのテクストの関係だ。いうまでもなく一つは悪魔たち、そして巨匠とマルガリータをめぐって現代のモスクワで生起する幻想的な物語であり、もう一つはキリストの磔刑をめぐるリアルな語りだ。最初は詩人の幻視として唐突に挿入されるピラトの苦悩は、実は巨匠の書いた小説であったことが判明する。最初に述べたこの小説の発表をめぐる社会的状況を念頭に置く時、本書の予言的な意味が明らかとなろう。巨匠が書いたピラトの物語が一度焼かれながらもヴォランドの手によって蘇ったように、この小説自体が長く遺族の手元に置かれた後、作家の死後に復活したのである。解説に記されたブルガーコフの短い評伝によれば、ブルガーコフは一時期、小説をもとに書き下ろされた戯曲が芸術座で上演されて好評を呼ぶなど認められた時期もあったが、長く反動作家の烙印を押されて作品の発表もできなかったという。作家はマヤコフスキーやトゥイニャーノフ同様に政治と芸術の間の厳しい緊張の中を生きなければならなかった世代に属している。ブルガーコフはいくつかの戯曲を書いているし、この小説でも劇場が舞台の一つとなっているところから、演劇との関係を認めることも可能であろう。さらに私はこの小説で視覚的な描写が多用されている点に気づいた。視覚性、スペクタクルとは映画と深く関わる問題である。あるいは場面の切り替えによって物語が構成されている点、最後に近い場面でヴォランドとアザゼッロが建物の屋上からモスクワ市街を鳥瞰する描写などに映画の視点との類縁性を認めることができるのではなかろうか。エイゼンシュタインが名高いモンタージュ理論を発表したのはほぼ同じ時期であったはずだ。このように考えるならば、登場人物のその後が延々と語られる本書のエピローグは映画のエンドロールにしばしばみられる手法のようではないか。

さて、ブルガーコフが現実のソヴィエト体制、いうまでもなくスターリンが支配していた時代に対してどのような立場にあったかはよくわからない。共産主義独裁体制において芸術作品に関してそこに秘められた裏の意味がしばしば詮索されたことは、スターリン治下の芸術家たちの運命を通して、さらに最新の例としては驚くべき『三体』の第三部で知ることができる。むろんこの小説にそのような批判的な意味、寓意性を求めることは不可能ではない。全てを焼き尽くして破滅に向かって進んでいくヴォランドたちの所業に共産主義の命運を認めることさえ可能であろう。あるいは小説の端々に共産主義体制の非人間性を暗示する言葉が書きつけられている。多くの組合や組織で構成員たちが相互監視をしている状況が暗示される一方で、人より書類が優先される状況についても登場人物が言葉を残している。そしていうまでもなく宗教が否定された社会において、キリスト教のクライマックスとも呼ぶべきキリストの磔刑を主題に据えることは一定の抵抗の意味をもつかもしれない。しかし全体に現実離れした不穏で奇怪なエピソードが連続して炸裂する印象のある本書は正面から共産党や体制を批判する内容とは考えがたい。もちろん作家が周到な体制批判を本書に込めた可能性は否定できないが、時代こそ違えているが、ラーゲリの凄惨な現実を描いた「収容所群島」やスターリン体制の非人間性を描いた「人生と運命」といったストレートな禁書とは全く異なったテイストをもつこの寓話を当局が恐れた理由、私はそれを作家の想像力に求めたい。考えてもみるがよい、1920年代、共産党の治下にあるモスクワに悪魔が手下を引き連れて現れ、乱暴狼藉を繰り返し、深夜に魔女たちと舞踏会を繰り広げる。このような発想をなしうる力、かかる祝祭性を規律と計画をモットーとする共産主義が忌み嫌うことは容易に予想することができる。バフチンであればカーニバル的想像力と呼ぶであろうブルガーコフの小説はこの意味においてラブレーからドストエフスキーにいたる系譜の中にある。このような想像力は本質的に体制に与しない。一人の人間の想像力は時に強大な独裁国家さえも圧倒するのだ。よしんばそれがつかのま時のピラトたちに圧殺されたとしても、ヨシュアのごとく短い時を経て復活することはまさにこの書物が証明しているではないか。


# by gravity97 | 2023-01-15 21:42 | 海外文学 | Comments(0)

ジェフリー・ディーヴァー『真夜中の密室』_b0138838_17261558.jpg
 ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムものについてレヴューするのは8年ぶり、3回目となる。このシリーズもこれで15作、前作の『カッティング・エッジ』から3年ぶりの新作という。ディーヴァーに関してはこのところ、コルター・ショウという別の主人公による三部作が続けて訳されたこともあって久しぶりにライムの活躍に接した印象がある。私はいずれのシリーズもほぼ翻訳が刊行されたタイミングで読み継いできたが、コルター・ショウ三部作はあまり好みではないし、『カッティング・エッジ』にいたる近年のライムものも比較的印象が薄い。ディーヴァーは熟練のストーリーテラーであるから、いずれの小説も読んでいる間は十分に楽しめるが、初めて読んだ頃のぞくぞくする感じを味わうことはまれになったように感じていたのだ。

 しかし本作はマンネリ気味であったライム・シリーズにおいては久々の佳作というか、ディーヴァーの筆達者ぶりが過不足なく生かされた作品であり、初めてリンカーン・ライムに出会う読者にとっても楽しめる小説である。かつて凄腕の科学捜査官であったが、事故のために四肢麻痺となった究極の安楽椅子探偵とも呼ぶべきライムとそのチームについて、全く知識がなくても十分に楽しめることは私が保証する。それにしてもシリーズ最初の『ボーン・コレクター』から四半世紀、ライムをめぐる状況は大きく変わったことをあらためて感じる。なんといってもライムのパートナーであり、赤毛の美人捜査官アメリア・サックスがこの小説では遂にライムの妻としてクレジットされる。彼女がライムから妻と名指しされるのはこの作品が初めてではないだろうか。ライム自身も手術とリハビリを経て、右腕の自由を少しずつ回復しており、この小説の中では18年もののウィスキー、グレンモーレンジィのボトルをカウンターから取り出し、ボトルの栓を抜いてグラスに注いで味わうという離れ業を演じている。以前の作品でマンハッタンのタウンハウスから外出して捜査に赴いたこともあったとはいえ、かつては自らの不能のゆえに自殺さえ夢想したライム(このエピソードは本書の中でも触れられている)はもはやそのような念慮を抱くことはない。ヴェテラン警官のロン・セリットー、若く優秀なロナルド・プラスキー巡査、練達の科学調査官メル・クーパー、介護士のトム・レストンといった面々が脇を固める布陣はいつも通りであり、久しぶりに見知った世界に帰ってきたような印象を受けるのは私だけではないはずだ。

 ライム・シリーズでは毎回常軌を逸した犯罪者が登場する。今回の相手はロックスミス(解錠師)を名乗って、ニューヨークに出没する怪人である。ロックスミスは多く独身の女性の施錠された部屋に入り込み、眠っている女性の傍らで室内の品物の位置を変え、室内で飲食して自分が侵入した痕跡は残すものの女性に危害を加えることはない。もちろん被害を受けた女性たちは恐怖に怯えて転居を余儀なくされる訳であるが、ロックスミスは密室への侵入に成功しながら、なぜ女性たちに指一本触れることなく立ち去るのか。この謎も最後に解明されるが、この小説に限らずディーヴァーの小説に残酷な描写は少なく、この意味でも安心して知り合いに勧めることができる。本小説はいつになく複雑な構成をとり、ロックスミス事件へ並行してライムは二つの事件を手掛けている。一つはヴィクトール・ブリヤックなるウクライナ出身でニューヨークの暗黒街に君臨する大物を殺人罪で訴えた訴訟、そして高級住宅地に住まうアレコス・グレゴリオスなる裕福な実業家がホームレスに襲われ刺殺された事件である。一見無関係な三つの事件が次第に結びついていくであろうことはライムの愛読者ならずとも予想することができるが、いつにも増してツイストに次ぐツイスト、読者は最後まで飽きることがない。とりわけバイプレーヤーと思われていた人物の文字通りの変わり身に読者が驚愕することは間違いない。ロックスミスの犯行とライム・チームの捜査の進展が交互に描かれるのはこのシリーズの定石であるが、「ぼく」という一人称で語られるロックスミスが、捜査線上に浮かび上がるどの人物と最終的に同定されるか、ライムお得意の微細な証拠物質を分析しつつ追いつ追われつのストーリーが展開される。

 次々に新たな偏執的な犯罪者が登場するから、巻を追うごとに犯罪者の異常さが増すという、いわば敵役のインフレーションが発生することはこの種のシリーズの難点であることを前回も指摘した。今回登場するロックスミスも犯行における慎重さと完璧さにおいてはかつてのウォッチメーカーに匹敵し、ライム自身も両者の共通性を強く意識する。一方で様々な裏世界の情報を収集しては、それを犯罪者たちに売りさばくブリヤックも自身の手を汚すことがない点においては難敵である。冒頭でライムがブリヤックに嫌疑のかかった殺人事件で検察側の証人として出廷し、意外にも弁護人に論破される場面が描かれる。ディーヴァーらしく、実はこのエピソードも一つの伏線なのであるが、逆恨みしたブリヤックは以心伝心とも呼ぶべき巧妙さで手下にライム殺害を命じる。ライムの敵は彼らだけではない。市長選にからむ政治的な暗闘に巻き込まれたライムはブリヤックの公判における不手際を理由としてニューヨーク市警との契約を解除され、万が一事件に関わるようであれば逮捕することさえほのめかされる。サックスら(興味深いことに、訳者もあとがきで指摘するとおり、本書から多くの登場人物はファーストネームではなくファミリーネームで表記される)、チーム・ライムの面々はライムの罷免を画策する市警の上層部を出し抜いて、証拠物件を密かにライムのラボに届ける。

 ディーヴァーは今日のアメリカ社会の病弊を物語の背景に描き込むのがうまい。ドローン攻撃、カルト集団、ハッカーたち、いくつも裏テーマが多くの作品に準備されていたことを思い出す。本書においてはトランプ以来、アメリカ社会に蔓延する陰謀論がこのようなテーマである。インターネットを通じて根拠のない陰謀論を拡散させ、社会を混乱させようとする匿名のブロガー。本書においてもウェルムを名乗るブロガーがロックスミスの暗躍を含めて、すべて〈暗黒政府(ヒドゥン)〉の謀略だとする主張を垂れ流し、それに影響された者たちが暴動を起こす。ここにはトランプに使嗾された暴徒たちが議会を襲撃したという未曽有の事件が反映されているだろう。もちろん匿名のアジテーター、ウェルムもストーリーと深く関わる。ただし2021年に原著が発表されたこの小説の中では新型コロナ感染症が猛威をふるっていることはないようだ。登場人物たちはマスクなしで濃厚に接触を続けている。陰謀論がアップ・トゥー・デイトなテーマであるとするならば、本書にはもう一つ普遍的な話題が物語の背景にある。これも訳者が指摘するとおり、父と子の葛藤だ。このテーマは先に触れた最近の連作、コルター・ショウ・シリーズ三部作も通底しているが、本小説の中でも父子関係の不全感が時に犯罪や登場人物の屈折した行動の動機となっている点は興味深い。今や夫婦となったとはいえ、ライムとアメリアの関係はかつて一種の親子関係に擬せられていたし(これも前に述べたが、二人の関係からはもう一人の異形の父、ハンニバル・レクターとクラリス捜査官が連想される)、チーム・ライム、とりわけ若い捜査官たちにとってライムは父的な存在であるからだ。

 それにしてもライム・シリーズを中心としてキャサリン・ダンスやパーカー・キンケイドといった登場人物のスピンオフ作品、さらには多くのスタンドアローン作品(例えば「オクトーバー・リスト」は事件の契機と逆向きにストーリーが進む、この作家ならではの超絶的な作品であった)にいたるディーヴァーの旺盛な筆力には畏れ入る。ライム・シリーズの新作も予告されていると聞く。おそらく一貫して翻訳を手がけている池田真紀子の読みやすく、小気味よい文体もディーヴァーの人気に一役買っているだろう。今年の短い正月休みに楽しむうえで量的にも手頃な本書のレヴューをもって本年のブログの締めくくりとしたい。


# by gravity97 | 2022-12-23 17:27 | エンターテインメント | Comments(0)