紀田順一郎『蔵書一代』



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 今年を締めくくる最後の読書は愛書家の私にはこたえられない一冊であった。帯に「蔵書一代、人また一代、かくてみな共に死すべし」となんとも恐ろしいエピグラムがある。著者の紀田順一郎について私は幻想文学の研究者であり、古書や書誌学にも造詣の深い書き手として知っていた。蔵書一代、本書は本を所有することのデーモンに憑かれた愛書家の体験と回想として実に興味深いエピソードに満ちている。

 冒頭で私たちはいきなり紀田が書斎12畳、書庫10畳半に収めていた蔵書3万冊を手放すショッキングなシーンに立ち会う。しかし読み進めていくうちに紀田が大量の蔵書を古書店に売却する経験はこれが最初ではなく、これまでにも幾度となく同様の体験を重ねてきたことが理解される。そしてさらに読み進めるならば、この出来事には前史がある。紀田は阪神大震災を契機に、自然災害の少ない岡山、吉備高原のニューシティ―に広い書斎を備えた新居を設け、多摩の自宅に保管していた蔵書を移し、しばらくの間、初めて過ごす岡山での田舎生活を楽しんだ。しかしリーマンショックに始まる不況、とりわけ紀田が身を置く出版業界の不景気と自らとパートナーの老いと病気、あるいは親の介護の問題などのために、岡山と多摩の往復生活をついに断念して、都内の手狭なマンションへの引っ越しを余儀なくされ、必然的に大量の蔵書の処分に直面したのである。蔵書をまとめて手放すことは私にとって文字通り片腕をもぎとられるような思いであるから、紀田の思いは想像すらできない。私は紀田と同様に地方に移ったことによって広く天井の高い書斎と書庫の中に身を置くことが可能となり、膨大な蔵書の保管に関しては今のところストレスがない。しかしもはや老境に向かう今、本書を読んで、大量の蔵書とはまことに愉しく、かつ厄介な遺産であることをあらためて感じた。

 内容に従って所感を記すことにしよう。「永訣の朝」と題された序章においては、今述べた、蔵書3万冊との永訣が語られる。3万冊の蔵書とはどのくらいの分量であろうか。少し先に飛ぶが、第2章の冒頭に記されているところによれば井上ひさしが生前より山形県に段階的に寄贈した蔵書が14万冊、谷沢永一の関西大学への寄贈は13万冊、山口昌男の蔵書は膨大すぎるため、その総数は本人にも不明、渡部昇一は77歳で借り入れた銀行ローンによって15万冊を収める書庫を建設したという。渡部については思想的に共感するところは毫末もないが蔵書への思いはかろうじて理解できる。立花隆の地下一階、地上三階の書庫ビル(確か猫ビルと呼ばれていた)に35千冊を収めていたとのことであるから、おそらく私の書斎と書庫に収められた本は美術書が多いことを勘案するに1万冊から2万冊の間であろう。「文化的変容と個人蔵書の受難」と題された第1章は一方で図書をめぐる一般的な状況と今も触れた紀田の個人的な事情を関連させていくつも興味深い話題が論じられている。例えば岡山で蔵書を書架に配架することによって記憶が空間化されたという次の感慨は、先に私がこのブログで松原隆一郎と堀部安嗣の『書庫を建てる』について論じた際に述べた所感と同一である。「蔵書に関していえば、自分の蔵書を一部ではあるが、はじめて整然と並べ、一定の距離において、遠近法のような感覚で眺めることができたのも、予想以上の喜びだった。自分が何を読んできたかということ、その時代背景ということや、今それらの本の前にいる自分の立ち位置といった、重要なことがらである」あるいは紆余曲折を経て移設された岡山の書庫で図書の配架にあたって、アルバイト女性たちが書棚ごとに図書を配置することには気を遣いながらも巻数順の配架について全く斟酌しなかったために結局は紀田が再配架することになったといったエピソードはバックナンバーを順番に配架するためにはどんなに時間をかけても惜しくない私としては我が意を得た思いであった。さらにこの章において蔵書が散逸されることに対する恐れを主題とした二つの小説、一つは私にとって未知の作家である由紀しげ子が敗戦後まもなく発表した芥川賞受賞作「本の話」、そしてもう一つはかつて愛読したドストエフスキーの「貧しき人々」からの引用にも深く共感した。

 序章と第一章で自らの蔵書の来歴と始末について語った後、第二章以降は蔵書についてさまざまの蘊蓄が語られて楽しい。「日本人の蔵書思考」と題された第二章においては冒頭で先に触れた井上ひさし以下の現代の蔵書家について瞥見した後、この問題と深く関わる図書館へと話題が転じる。私も大学と大学院の頃には大学図書館のヘビーユーザーであったが、大学の場合、使用したり検索したりする資料はある程度限定されているし、司書とも顔見知りとなるからそれなりの使い勝手があったが、大学に籍を置いていない状況では使いづらく、現在通っている図書館では一般利用者としての本の借用しか行っていない。紀田は「図書館や物書きには使いづらいとうのが、半世紀にわたって図書館を利用し続けた私の個人的感想である」と結んでいる。図書館の問題についてはこのブログでも何かの機会に論じてみたい。紀田は日本において図書館の原点が実は個人蔵書であったことを奈良時代に遡って検証した後、今日知られた蔵書家や愛書家は日本においては明治中期から大正期に誕生したと論じる。これには日本では書物の入手手段が筆写に限られ、印刷業の発達が遅れたという事情が関係しているという。ここで私が興味深く読んだのは、紀田そして鴎外の居宅を訪ねた荷風の経験として述べられる、蔵書家の一つの類型である。すなわち1960年代に紀田が訪ねた未知の蔵書家と鴎外の場合、ほとんど蔵書が見当たらず紀田や荷風は当惑する。しかし実は蔵書家と鴎外は本を隠していたのであり、蔵書家の場合は紹介者もなく訪れた紀田に対して本の借用を頼まれることを嫌い(紀田も記すとおり「貸した本は返ってこないものと相場が決まっている」)、鴎外の場合は書斎の理想として「明窓浄机」を目指していたからであるという。紀田によれば雑然と大量の書籍が積み上げられた環境と、明るい窓と清潔な机、すなわち学問をするのに適した環境という両極のあいだで、日本の蔵書家の理想は揺れ動いてきたという。来客があれば書斎と書庫を自慢するのを常とする私にとって「明窓浄机」という境地は理解しがたいが、それもまた書斎の一つのイデアルタイプかもしれない。大正期には出版業の隆盛と読者層の拡大に伴っていわゆる円本ブームが発生し、大衆蔵書家が生まれる。このような状況に村山知義や杉浦非水といった私もよく知っている美術家やデザイナーが関わっていたという記述も興味深い。

 続く第四章は「蔵書を守った人」と題され、蔵書を保存することの困難が説かれる。まず19世紀の書誌学者ウィリアム・ブレイズが分類した「書物の敵」10種について論じられる。火や水、埃や紙魚から無知と子ども、召使いにいたる「書物の敵」は今日でも十分に通用する。しかしなんといっても蔵書の大敵は天災と戦災であろう。紀田は第二次大戦中に東京市が市立図書館の蔵書を疎開させた事例について言及している。戦時中に大量の図書を移送することの困難は誰でもたやすく予想できよう。前章でもゲオルグ・グロスの画集を購入したために役人に難癖をつけられ、なんとも人を食った受け答えで対応したエピソードが紹介されている秋岡梧郎という日比谷図書館の管理課長らが中心になって、東京帝大の付属図書館長、中田邦造らとともにこの事業は遂行された。結果として40万冊の書籍が戦火を免れたが、その大半が1949年のキティ台風によって損傷、廃棄されたとは紀田も述べるとおり「九死に一生を得て復員した兵士が、母国の地を踏んだ途端、無念にも病に斃れたという思い」であろう。かかる損傷は戦争がなければありえなかった。まことに秋岡が記すとおり、「戦禍から文化や貴重な文献を守るということは、図書館員だけがいくら一生懸命やっていても、また図書館がどんなに力を入れても結局はだめで、文化財を完全に戦禍から守るためには戦争はやめる以外にはないでしょうか」図書館の蔵書を守った人々と並んで詳細に論じられるのは個人レヴェルで自らの蔵書を守った江戸川乱歩である。乱歩は25千冊におよぶ蔵書を土蔵に収納していた。紀田は乱歩の蔵書の成立過程を四期に分けて説明している。乱歩が蔵書を守ることができたのは、空襲に焼け残ったといった幸運も作用しているが、戦時中は蔵書を疎開させたこともあるらしいし、蔵書を守るということが艱難辛苦であったことが暗示される。土蔵というハードウエアが温湿度や空気環境といった点で書庫に最適であることも興味深い。これらの蔵書は乱歩の長男が立教大学に勤務した関係上、現在は立教大学の関係施設に収蔵されているとのことであるが、これほどの量の蔵書が散逸することなく保存される例はほとんどありえず、紀田はこの書の最後を次のように締めくくっている。

なにより乱歩の蔵書は創作に劣らない「業績」である。作家の全体像を窺うには蔵書に如くものなし。その蔵書を守るという事は文化を守ることであり、蔵書の第一の意義がここにあるということが実感されよう。

 「蔵書維持の困難性」と題された最後の章ではタイトルのとおり蔵書を維持することの困難と日本における出版と読者層との関係が論じられる。今触れた乱歩の蔵書の処理はきわめて幸運な例外であり、「一括性を備えた蔵書は公共性を帯びるいともまもなく古書市場で奪い合いとなり、無残に解体せざるをない」。紀田は蔵書という資料群が散逸し、学問の公共化への意志が十分に育たなかったことに日本の蔵書思想の限界があるとみなす。日本の出版界の通史を論じた部分は蔵書というテーマとは直接関係しないが、忘れがたい記述がある。1952年に角川書店が「昭和文学全集」の刊行を始めた際、内容見本には次のような投書が掲載されていたという。「無学な貧農の主婦が本を読んでいけないいわれはありませぬ。多忙な農事の暇を見つけて、一生かかっても昭和文学全集、一巻ずつ読んで行きたいと存じます。就きましては貧農の身とて、お恥ずかしいことで御座いますが、購買にも現金の持ち合わせがありませぬ。それでお米を御送り致して本にかえて頂く訳には参らぬものでしょうか」米が配給制度であったという時代背景があるにせよ、私は紀田と同様に「一生かかっても昭和文学全集、一巻ずつ読んで行きたいと存じます」という言葉にうたれた。かつて書籍はこれほどの渇望とともに必要とされていたのだ。今でも私も彼女の思いを十分に理解することができる。しかし今日、大学生でさえほとんど書籍を求めないと聞くにつけて、教養といった言葉が死語になりつつある時代を私たちは生きているという思いを強くした。本書では最後に「蔵書の死蔵を避けるために」という小見出しとともに、蔵書と関わるいくつかの新しい取り組みが紹介されている。すなわち「一箱古本市」やシェア・ライブラリー、書斎の開放、蔵書館といった取り組みである。いずれも興味深い試みであるが、いずれもなお多くの問題が残されているように感じた。

ちょうど昨日のニュースだったと思う。書籍と雑誌、今年の出版部数が最盛時の半分に落ち込み、昨年を下回ったという報道に接した。電子書籍が普及し、読みたい本をいつでもデータとして呼び出し、アマゾンを通せば現実の書籍さえもワン・クリックで入手できるという時代にあって、蔵書をもつという幸福はもはや時代遅れなのであろうか。大晦日の午後、書斎のPCに向かいながら四囲の壁を埋め尽くす蔵書を眺め、しばし沈思した。


# by gravity97 | 2017-12-31 16:10 | エピキュリズム | Comments(0)

フィリップ・K・ディック『ヴァルカンの鉄槌』

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 フィリップ・K・ディックは今なおカルト的な人気を誇るSF作家であり、かくいう私もディック・フリークであることは、これまでこのブログの端々にディックの名が引かれたことで理解していただけよう。この人気を証明するかのようにディックのSFは殆どすべて邦訳されている。
そしてこのたび「最後の本邦初訳SF長編」と銘打って訳出されたのが本書「ヴァルカンの鉄槌」だ。ディックの著作については創元推理文庫の「ザップ・ガン」の巻末に一覧リストが掲載されている。それによるとディックは未発表作品も含めて生涯に51冊のSF長編を刊行している。リストを確認したところ、私は4冊を除いてすべての長編を読んでいるはずだ。しかも私はサンリオSF文庫に収録されているディックの作品をほぼすべて所有しており、その中にはたとえば『シミュラクラ』のごとく長く入手が困難な傑作も含まれている。(ただしこの稀覯書はつい最近ハヤカワ文庫で再刊された)したがって私はディックについては傑作から駄作まで相当の読書の厚みをもっていると自負している。一方でディックの根強い人気を勘案するにせよ、50冊に及ぶ著書の中で最後に翻訳されたということであれば、本書が相当な駄作であろうことは容易に想像がつく。通読してみると、確かに御都合主義の場面転換やストーリーの無意味な混乱など、いかにもやっつけ仕事じみた欠点も多いが、逆にそれらを含めて実にディックらしい小説であり、私は十分に楽しんだ。このブログでディックの小説を直接に取り上げるのは今回が最初で最後となろうが、まことにそれにふさわしい怪作といえよう。

 全体主義が支配するディストピア社会はディックにとっておなじみの舞台だ。物語の背景は文庫の裏表紙に次のように簡潔にまとめられている。「20年以上続いた核戦争が終結したのち、人類は世界連邦政府を樹立し、重要事項の決定をコンピュータ〈ヴァルカン3号〉に委ねた。極秘とされるその設置場所を知っているのは統括弁務官デイルただ一人。だがこうした体制に反対するフィールズ大師は、〈癒しの道〉教団を率いて政府組織に叛旗を翻した」すでにこの要約の中にディックおなじみのテーマがいくつも連ねられている。核戦争後の世界、人間と機械の闘争、全体主義と宗教の抗争。小説の中で語られる歴史によれば核戦争は1992年に終結し、翌年に世界連邦が樹立されたとのことであるから私たちはディックが空想した未来以後を生きている。世界連邦という言葉には本書が執筆された1960年には一種の理想が投影されているかもしれないが、物語が始まるや統括弁務官のデイル、北部アメリカ担当弁務官ウィアリム・バリス、南部アメリカ担当弁務官トーブマンらの暗闘が描かれ、きわめて個人的な葛藤を介して大状況、世界の命運を賭けた物語が語られる点も多くのディックの小説と共通している。本書では基本的に三つの勢力の対立が描かれる。世界連邦、世界連邦の決定を司る巨大コンピュータ〈ヴァルカン3号〉、そして〈癒しの道〉教団である。三者の拮抗が物語を構成する作品はディックには多い。冷戦という状況を反映して、多くが自由主義陣営と共産主義陣営の対立に第三者が絡むことによって物語の推力が与えられる。この小説においても弁務官たちは自分たちの政策決定に関わるコンピュータを信頼していないし、フィールズ大師に率いられた教団は明確に機械による支配に対抗し、〈ヴァルカン3号〉の破壊という、一種のラッダイト運動を組織する。しかしこの教団もいかにも怪しい。ディックの小説において読者は登場する人物のいずれにも感情移入できない場合が多い。さらに読み進めるうちに〈ヴァルカン3号〉にはその前身とも呼ぶべき〈ヴァルカン2号〉が存在し、両者の関係も緊張をはらんでいることが明らかとなる。このように関係項が多すぎて相互の関係が複雑きわまりないため、小説家がそれを破綻なくまとめることができず、物語がぐちゃぐちゃになってしまうというのが、ディックの失敗作のパターンであるが、『ヴァルカンの鉄槌』もその典型といえるだろう。デイルは洗脳的な教育が着実に実施されていることを確認するため、学校を視察するが、そこで反抗的な態度をとる少女がフィールズの娘であることを知り、直ちに彼女を管理下に置く。物語の最初の部分を要約しただけで、いかに御都合主義に物語が展開するか理解されよう、しかし逆にこのような適当さこそがディックの真骨頂だから、ディック・フリークたる私には何の違和感もない。一つだけネタバレを記すならば、フィールズの娘を担任する教師アグネス・パーカーは「細長い棒状の体に二つのレンズが付いた金属製の野球バットほどの機械」に襲撃されて殺される。このあたりも何の必然性も感じられない、相当に訳のわからない展開であるが、この奇妙なガジェットこそが巨大コンピュータ、ヴァルカン3号が操るヴァルカンズ・ハンマー、「ヴァルカンの鉄槌」なのであり、解説にあるとおり、「『そのまんまやないかいっ』とツッコミたくなることうけあい」である。ヴァルカンの鉄槌に象徴される奇怪なガジェットもディックの小説におなじみだ。「シミュラクラ」であったか「最後から二番目の真実」であったか、要人を暗殺し、任務を終了した後は変態して室内の家具に完全に同化するという自動機械が登場し、あまりの偏執狂的な発想に私はぶっとんでしまったが(しかしよく考えるならば、完全なる偽装、つまり私が人間かそれとも機械か、私の審級では区別がつかないというニューロティックな妄想はディックの作品の本質でもある)本書にも多くの奇怪なガジェットが登場する。

 さらに興味深いのはヴァルカン3号とヴァルカン2号の関係である。小説の中で1975年に作られたという表記のあるヴァルカン2号は単なる3号のプロトタイプではない。3号が稼働を初めて以来、沈黙を続ける2号は実は3号に対して強い敵意をもっていたことが次第に明らかになる。今、私は沈黙とか敵意といった通常であれば機械に対して用いられることのない言葉を用いた。両者の関係は物語の根幹に関わるため深入りした説明は避けるが、ディックの小説において機械と人間を区別することは困難である。それどころか人間と機械を隔てる一線がどこにあるのかという問題こそディックが執拗に追究したテーマであり、さらに同じ目的のために製造された機械同士が互いに反目しあうという物語は直ちに短編の傑作「変種第2号」を連想させる。弁務官同士の権力闘争に始まる物語は次第に世界連邦と「癒しの道」教団の闘争、さらにはヴァルカン2号の破壊、「ヴァルカンの鉄槌」を用いた要人の暗殺と拡大し、ロボットやビーム銃、核手榴弾といった、いかにも安っぽいSF的ガジェットを駆使しての大乱戦にいたる。確かにこのあたりはもし最初に本書で初めてディックに触れた読者であれば思わず引いてしまう安易さにあふれている。しかし別の観点から考えるならば、ここに描き出されるのは、人間同士、人間と機械、そして機械同士、お互いに誰も信じることができないという袋小路の状況であり、本書が執筆された時代、冷戦下における相互不信と相互監視を象徴しているかもしれない。当時、アメリカの社会に流布していた隣人が共産主義者ではないかという疑心暗鬼は「お父さんみたいなもの」「まだ人間じゃない」といった短編のタイトルが暗示するとおり、ディックの手にかかれば、人間と人間ではないものの区別の不可能性という主題へと展開される。とりわけディックが終生にわたって拘泥したマン・マシーンのモティーフは「電気蟻」「贋者」、あるいは先に言及した「変種第二号」といった傑作短編においてことにサスペンスフルに開示され、私たちを戦慄させた。同じ主題がディックの傑作を下敷きにした「ブレードランナー」においても変奏されている点についてはこのブログでも論じたとおりである。

それにしてもディックの描く未来世界の閉塞感は普通ではない。本書においても日常が監視され、体制が市民を睥睨する核戦争後の世界が不気味なリアリティーとともに描き出されている。ディックの短編集を編集したジョン・ブラナーは次のように記している。「ディックがみごとに描いてみせる種類の世界に、私は住みたくない。できればわれわれがそこに住んでいないことを信じたいというのが、私の願い―痛切な願いである。もし、もっと大勢の人がディックの作品を読めば、私がああいう世界に住まなくてすむ可能性が、それだけ強くなるのではなかろうか」このコメントはディックの生前、1976年に書かれているが、それから半世紀近く経った現在、私たちはこの言葉にどのような感慨を抱くであろうか。少なくとも本書が発表された当時においては具体的なイメージに乏しい「ヴァルカンの鉄槌」の描写は今日において、中東で使用されているドローン兵器に恐ろしいほど似ている。真空管や変圧器によって組み立てられた巨大コンピュータ、ヴァルカン3号こそ存在しないが、よりスマートで精巧な機能をもった電子機器が個人を生体認証し、すべての通信を司る世界を私たちは生きている。冷戦そして共産主義国家こそ終結したが、私たちは異なる体制、異なる世界観を直ちに悪と断定して、その殲滅を口にしてはばからない愚かな大統領や首相を戴き、世界は他者への憎悪に染まっている。ブラナーが40年前に指摘したとおり、ディックが描き出す悪夢のごとき世界は一方で相変わらず荒唐無稽でありつつ、一方で不気味なほど現実を予示しているように感じるのは私だけだろうか


# by gravity97 | 2017-12-22 21:06 | エンターテインメント | Comments(0)

カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

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 今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を読む。イシグロについてはすでに二冊の小説をこのブログでレヴューした。ノーベル賞受賞の報が届いた日、このブログへのアクセスが600件以上あったのには驚いたが、通常でもイシグロの小説のレヴューは私のブログのアクセス・ランキングの上位に位置しており、この作家の根強い人気をうかがわせる。『忘れられた巨人』は2015年に発表され、同じ年に日本でも翻訳が刊行された。イシグロは寡作の作家であり、長編としては『わたしを離さないで』以来、10年ぶりの小説であった。以前のブログを確認していただければわかるとおり、私は2011年に『日の名残り』で初めてイシグロの小説に触れて以来、折りにふれてイシグロの小説を読んできたから、『忘れられた巨人』が刊行された時点で既に『浮世の画家』以外、邦訳のある長編と短編をほぼ通読していた。ノーベル賞受賞後というタイミングで読んだことに特に意味はない。私はイシグロの小説をすべて文庫で所持しているので、この小説についても文庫化される時機を待っていた訳である。読み終えていつもながらの深い感銘を受ける。この小説も疑いなくイシグロの代表作の一点となるだろう。

 寡作であるだけでなく、小説によって作風が大きく異なることもイシグロの特徴である。

家族をめぐるシリアスなドラマである『遠い山なみの光』、カフカを連想させる不条理小説『充たされざる者』、次第に明らかになるSF的設定に戦慄する『わたしを離さないで』。今までレヴューしていない三つの長編だけでもこれほどの幅がある。新作がどのような内容となるかおおいに期待されたゆえんである。といっても原著が刊行されてからすでに2年が経過しており、ノーベル賞とは無関係にこの小説の内容についての風評は耳に入っていた。意表を突いて、新作はファンタジーであるという。いったいイシグロがどのようなファンタジーを執筆するのか。読み終えて私の期待が裏切られることはなかった。裏表紙のシノプシスおよび解説に記されている程度に内容に触れつつ論じることとする。

 舞台は67世紀のブリテン島。鬼や悪い妖精が闊歩しているという情景から、私たちは単なる過去ではなく、ファンタジーの世界に踏み込んでいく。これから読む人のために少し整理しておくならば、ブリテン島とはいうまでもなく今のイギリスのことであるが、この時期、二つの勢力がそこで抗争していた。一方は以前よりこの地に居住していたブリトン人であり、もう一方は大陸からこの島へ侵攻を試みるサクソン人である。物語には随所にアーサー王への言及がある。私はこのブログを執筆するために少し調べてみたが、本書をよりよく理解するうえではあらかじめアーサー王の位置を確認しておいた方がよいだろう。すなわちアーサー王とはブリトン人の王であり、円卓の騎士とともにサクソン人の侵攻を撃破してイギリス全土、そしてノルウェーからガリアにまたがる巨大な王国を築いたとされる。本編の主人公はアクセルとベアトリスという年老いた仲のよい夫婦。彼らはいにしえのブリテンで穴居人のような暮らしを送っていた。彼らが村落の中で必ずしも幸せに遇されていなかったことは、住まいの中で蝋燭の使用を禁じられる冒頭のエピソードからも明らかだ。この事件を機に二人は息子のことを「思い出し」、平原や山地を突っ切って、息子が暮らす村へ旅立つことを決意する。ここから物語はよく知られた一つの類型として稼働する。ロードノヴェルである。東に向かって村を旅立ったアクセルとベアトリスはサクソン人の村、要塞のような修道院といった様々な場所を遍歴し、道中で何人かの同行者を得る。ファンタジーとロードノヴェルは相性がよい。同様の類型は「指輪物語」や「オズの魔法使い」を想起すればたやすく理解されよう。しかしイシグロの小説は次第に単純なファンタジーとは次元の異なった深みを宿していく。老夫婦がブリトン人であることにあらためて注意を喚起したうえで、もう少しだけストーリーを追うことにしよう。彼らは最初にサクソン人の村を訪れる。先に述べたとおり、ブリテン島にもともと居住していたブリトン人と侵略者としてのサクソン人は本来であれば敵対関係にある。実際に直前に「悪鬼」の襲撃にあって倉皇とした状態にあるサクソン人の村で二人は歓待されたとは言い難い。しかし彼らは村の長老に手厚く保護され、ベアトリスはサクソン人の薬子(くすし)から修道院に行き、ジョナスという修道士の助言を仰ぐように忠告を受ける。このようなエピソードから少なくともこの時代、ブリトン人とサクソン人は干戈を交える状況にはなく、平和裡に共存していたことが暗示される。物語を読み進むにつれて、このような設定の重要性は明らかとなるだろう。この村で二人はさらに二人の同行者を得る。サクソン人の騎士であるウィスタン、そしてエドウィンという少年である。二人が村に滞在中、悪鬼にさらわれたエドウィンを見知らぬ旅人であった騎士ウィスタンが救い出し、やむを得ぬ事情で四人は一緒にサクソン人の村を立ち去ることとなる。しかし彼らの道中は決して安穏としたものではない。見知らぬ兵士に会えば、即座に敵味方を判断してどのようにやり過ごすかを思案せねばならない。修道院も内部で修道士同士が隠然たる抗争を繰り返しており、修道士たちの力関係は彼らのうえにも微妙な影を落とす。老夫婦と騎士と少年、奇妙な縁で結ばれた四人は協力しあいながら、苦難に満ちた旅路を続ける。一方で彼らが生きる世界には奇妙な現象が発生していることが明らかになる。老齢にあるアクセルとベアトリスのみならず、人々の記憶がなぜかあいまいとなって、同じ体験の記憶が異なり、現実と夢の境界が混濁するのだ。その原因は比較的早い段階で示唆される。クエリグという竜が吐き出す霧のために人々の記憶は失われるのだ。セント・ジョージとドラゴン、騎士と竜が登場するのであれば両者の対決が物語のクライマックスとなることはたやすく想像されようし、実際にそのような予想は的中するのであるが、結果として訪れるのは予定調和的なハッピーエンドではない。

 カズオ・イシグロの物語が記憶と関わるということはしばしば論じられてきたし、本書について評した多くのレヴューでもこの点が指摘されている。読書の楽しみを残すためにここでは詳しく語らないが、この小説は記憶の喪失あるいは混濁の物語であると同時に、記憶の回復の物語でもある。そもそもアクセルとベアトリスの道行きの理由が、ある日、自分たちの息子のことを「思い出した」ことであったことを想起しよう。そして記憶を回復する中でアクセルとウィスタン、そしてガウェインというもう一人の騎士の意外な関係がおぼろげに浮かび上がる。この小説を読みながら、私は「わたしを離さないで」と本書のテーマ的な近似性に気がついた。映画や舞台としても上演されイシグロの小説の中でも「日の名残り」と並んでよく知られたこの小説は、寄宿舎風の施設で暮らすクローンの若者たちの物語である。彼らは自分たちの身体を他者に提供するために生を与えられ、短く残酷な青春を送っている。ところで私たちのアイデンティティーの核心、他者と決して共有できない本質とはなんであろうか。私は身体と記憶ではないかと思う。私は他者の痛みを共感することができないし、他者の記憶を共有することもできない。現在、続編が公開されているフィリップ・K・ディック/リドリー・スコットの「ブレードランナー」においてレプリカントと呼ばれる人造人間たちは自分たちの幼少期の写真に執着する。なぜなら(他者から移植されたにせよ)自らの記憶、つまり自分がレプリカントではなく人間であることを物質的に保証する手段は写真のみであるからだ。自身の記憶をめぐる真正性の問題はやはりディックの短編を原作としたポール・バーホーベンの怪作「トータル・リコール」の主題であった点も想起されよう。「わたしを離さないで」と「忘れられた巨人」は身体と記憶という本来的に人が自らのアイデンティティーの核心とすべき根拠が失われている状況を描いている点で一致するのだ。このことと関係するのであろうか、私はいずれの小説も鋭い痛みの感覚が貫いているように感じる。「わたしを離さないで」においては他者にとって必要とされる身体の部位を切除される文字通りの痛覚であるが、「忘れられた巨人」の場合は私たちの記憶を覆うかさぶたが次々に剥がされていく痛みとでも言おうか、ひりひりするような感覚が物語の進行とは無関係に私を苛んだ。「わたしを離さないで」における傷と「忘れられた巨人」における記憶は対応している。この問題はさらに深めることができるかもしれない。イシグロの小説に関してはしばしば「信頼のおけない語り手」という主題が論じられてきた。「忘れられた巨人」においては神の視点が採用され、それぞれの章によって焦点化される人物が異なる。三人称で語られながらも、彼らの記憶のあいまいさは語り手としての信頼を大きく殺ぐ。この小説がロードノヴェルという現在進行形の体裁をとった理由の一つはこの点にあるかもしれない。つまり私たちは、眼前で繰り広げられる登場人物たちの道行きについてはその事実性を認定することができる。しかし彼らの来歴や回想、過去に関わる部分に関しては正当性が保証されない。むしろ過去に関わる真実は物語をとおして次第に浮かび上がるのだ。

 「忘れられた巨人」の場合、記憶のあいまいさは個人的な問題に留まらない。そしてこの点が小説にさらなる深みを与えている。最初に述べたとおり、記憶の奇妙な欠落、歪みを体験するのはアクセルたちだけではない。彼らが暮らした村に住むブリトン人も彼らが通過した村のサクソン人も、さらに勇壮な騎士たるウィスタンやガウェインさえ部分的に記憶を失っている。この世界では個人の記憶のみならず集団的記憶も失われているのだ。物語の中では竜の吐き出す霧が記憶の不全の原因であることが示唆される。したがって竜を殺そうとする騎士と竜を守る騎士の闘いは記憶をめぐる闘争でもある。記憶は失われたままであるべきか、それとも取り戻されるべきか。そしていずれが人々にとって幸福であるのか。この問題に答えることは難しい。先にも触れたとおり、ブリトン人であるアクセルとベアトリスがサクソン人の村にも逗留しえたことはかつて民族間に存在した憎悪の記憶が薄れていることを暗示している。そしてかかる問題はもはやファンタジーの領域に留まらない。たとえば従軍慰安婦問題だ。かかる蛮行が存在した以上、このような事実を否定する立場を歴史修正主義と呼んで批判することはたやすい。しかし同時に私たちはこのような事実は悲惨な経験を負った女性たちがトラウマとも呼ぶべき個人的な記憶を開封することによって初めて光をあてられたことに自覚的であるべきではなかろうか。封印されていた記憶の回復はしばしば痛みを伴う。この小説の原題はThe Buried Giant 、埋められた巨人である。「忘れられた巨人」と意訳された理由は、これまで述べた本書の主題、記憶と忘却を考慮する時、容易に理解されるが、小説の終盤で「埋められた巨人」への言及がある。ウィスタンはアクセルに次のように語る。

「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出しました。遠からず立ち上がるでしょう。そのとき、二つの民族の間に結ばれていた友好の絆など、娘らが小さな花の茎で作る結び目ほどの強さもありません。男たちは夜間に隣人の家を焼き、夜明けに木から子供を吊るすでしょう。川は、何日も流れ下って膨らんだ死体とその悪臭であふれます。わが軍は進軍を続け、怒りと復讐への渇きによって勢力を拡大しつづけます。あなた方ブリトン人にとっては、火の玉が転がってくるようなものです。逃げるか、さもなくば死です。国が一つ一つ、新しいサクソンの国になります。あなた方ブリトン人の時代の痕跡など、せいぜい山々を勝手にうろつきまわる羊の群れの一つ二つくらいしか残りません」

 この言葉は記憶が暴力の抑止であると同時に暴力への衝動としても機能することを暗示している。ブリトン人とサクソン人の対立は今日も正確に繰り返されている。イシグロ自身、本書を構想する契機の一つがボスニア・ヘルツェゴビナで、ルワンダで繰り広げられた民族浄化という凄惨な内戦であることを語っているが、それは決して過去の問題ではない。現在の日本でも在日コリアンに対するヘイト・スピーチが吹き荒れ、書店の店頭には見るに堪えない他民族へのヘイト本が平置きされている。奇しくもこのブログをアップする今日、私は朝刊でイシグロのノーベル賞受賞演説を読んだが、昨日の同じ紙面にはアメリカの社会病質者の大統領が今後中東の民族間抗争の決定的な火種となる決定を下したことが報じられていた。そしていつもながら私たちの政府はそれらの不正義を意図的に拱手している。

 物語に戻ろう。この小説は神話や民族といった大きな主題とアクセルとベアトリスの旅路という個人的な主題の間を往還する。先にも触れたとおり、この小説では三人称と神の視点が採用されているが、最後の章のみ「おれ」という人称が導入される。「おれ」とは人を島に渡すことを生業とする船頭であり、もしかすると「おれ」は老夫婦が旅路の最初に出会った船頭と同一人物かもしれない。一人称が導入されることによって、初めて二人の姿は具体的な人格をもった視点から描写される。果たして巨人の再生によってアクセルとベアトリスの関係にも変化が生じたのであろうか。そもそもこの船頭もまた「信頼のおけない語り手」ではないのか。結末についてはあえてここでは記さないことにする。おそらくそれを見届けることこそが、二人と長い道行を共にした読者の務めであるからだ。


# by gravity97 | 2017-12-09 10:08 | 海外文学 | Comments(0)

「福岡道雄 つくらない彫刻家」

 

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 国立国際美術館で開催中の「福岡道雄 つくらない彫刻家」を訪れる。Michio FukuokaA Sculptor Who No Longer Sculpts という英文タイトルは秀逸だ。なんともとらえどころのない作家の代表作を網羅した充実した展示であった。このような展示が国立美術館で開催されたことは画期的であるが、国立館こそこのような展示を企画すべきであるようにも思う。いずれにせよ必見の展覧会といえよう。

 私は長く関西で生活したから福岡の新作の発表に何度も立ち会った。それどころか企画した小さな展覧会に出品を依頼したことさえある。80年代以降、関西の現代美術に関わった者であれば、この小柄で無口な作家の醸し出す独特の存在感を誰でも知っているだろう。それにも関わらずこれまでその仕事を紹介するまとまった展示がなかったことは、おそらく作品の本質と深く関わっている。近年、私が福岡の作品をまとめて見た機会は、このブログでもレヴューした2014年の森村泰昌をディレクターに迎えての横浜トリエンナーレであったが、その機会にまとめて展示されたピンク・バルーンはおそらく関東圏の観客にとってほとんどなじみのない作品であったのではなかろうか。私でさえ初期の作品、70年代の具象的要素の強い作品を今回初めて実見した。福岡はエッセーの名手としても知られており、今回カタログに再録にされた文章も詩的な喚起力に満ちた内容が多い。しかし残念ながら私はそれらをまとめて読んだことがない。作家についての予備知識があまりない状態で以下のレヴューを記していることをあらかじめお断りしておく。

 展示はクロノロジカルに構成されているから作品の流れを追うことはさほど難しくない。展示は1950年代中盤の「SAND」と呼ばれる連作からスタートする。私は初めて見た。タイトルのとおり、海辺で砂の中に手を突っ込んでできた空隙に石膏を流しこむ手法によっていわばオートマティックに制作された作品群である。石膏は原型ではなく、最終的な素材として使用され、当然ながら残っている作品は少ない。作品の印象としては不定形のジャンク彫刻である。廃物ないし何かの動物の死体を連想させる形状は同時代のデヴィッド・スミスや毛利武士郎の一連の作品、そして60年代に読売アンデパンダン展周辺で量産されたジャンク・アートを彷彿とさせないでもない。福岡は大阪市立美術研究所で今村輝久や保田龍門に師事したとのことであるが、当時の関西においてはこれらが異物とみなされたことも容易に想像がつく。すでにこの時点で福岡に通常の「彫刻」を制作する意志がなかったことは明らかだ。私はこのようなラディカリズムが何に由来するかという点におおいに興味がある。時期的には同じ関西で具体美術協会が活動を世界へと広げていた時期に当たる。福岡が彼らをどのように見ていたかも尋ねてみたいところだ。いずれにせよ、活動の当初から作家が一種の「彫刻ならざる彫刻」を志向していたことは明らかである。展覧会企画者はそれを「反」彫刻と呼ぶ。後年の作品を想起するならば、わからないでもないが、私の印象はやや異なる。「反」と「つくらない」の間の距離といおうか、少なくとも作家は「反」であることを自らの作品の推力にしたようには感じられないのだ。続いて1960年代初頭、一連の棒状の作品が制作される。廃品を棒に巻いて溶かしたポリエチレンで固めた作品だ。福岡自身は次のように語っている。「彫刻の台座を拒否し、中心のない、あるいは無数に中心がある彫刻、そういうものを作りたかった。(中略)日常の生活の中に彫刻するという習慣を組み込むこと。毎日、大きな袋を肩からぶらさげて、道端に落ちているものを手当たり次第に拾い集めて、翌日それらを棒にくっつけることが僕に与えられた仕事であり、日課であった」興味深いことに今引用した短いパッセージの中に当時、そして来たるべき美術の理念のいくつかが明確に示されている。例えば冒頭の台座なき彫刻という概念から60年代のミニマル・アートを連想することはたやすいし、中心の喪失あるいは複数の中心という言葉からはオールオーバーあるいはノン・リレーショナルという構造が想起されよう。同様に手あたり次第の集積からはラウシェンバーグのコンバイン・ペインティングが、仕事あるいは日課としての制作という態度からはタスクとしての制作として、やはりミニマリズムやコンセプチュアル・アートも連想されよう。ポリエチレンを使用する際のガスの影響で健康を害した福岡は続いてよく知られたピンク・バルーンを制作する。カタログの表紙にもその図版が使用されている。今回の展示をめぐって私はこれら二つの作品、すなわち直立する棒状の作品とピンク・バルーンが形状においてエヴァ・ヘスの作品ときわめて近しいことに驚いた。もちろん時期的には福岡の方が早いし、両者を結ぶ現実的な関係はありえない。しかし有機的な形状、重力への関心、可塑的な素材の使用といった点で両者は共通し、いかにして彫刻を否定するかという問題意識において表現が一致したことがうかがえる。しかし福岡の関心は単に彫刻を相対化することにとどまらない。展示の中で私は初めて気づいたのだが、福岡は中原佑介が1963年に内科画廊で企画した「不在の部屋」に立体ではなく素描を出品している。「僕の素描はいつも白い紙に、何も描かれていないに等しい。点のような小さな丸とか、描きたいのか、描きたくないのか、わからないような弱々しい線が描かれているだけのデッサンなのである」これらのドローイングはほどなくして「何もすることがない」という言葉が延々と繰り返される一連の作品に発展し、同じモティーフはしばらく後になって、「彫刻」の中に回帰する。その直前、1970年前後に福岡は蛾や髑髏といった具体的な指示対象をもつ作品を多くFRPで制作している。ただしこの時期の作品は展示の中でもやや強度に欠ける。何よりもそれらのモティーフが選ばれた必然性が判然としないのだ。私は福岡の作品の本質は一種の徹底性にあると思う。これらの作品にそこまでの徹底性は認められない。

 続く一連の「風景彫刻」で福岡は新しい境地に達する。それは多く作者の小さな像を含む風景をFRPで写しとった奇妙な彫刻だ。例えば1976年に《石を投げる》という作品が制作されているが、カタログには実際に池に向かって石を投げる作者の写真も収録されており、「風景彫刻」に水際をかたどった作品が多いのはおそらく作家が好んだ鮒釣りの情景に由来することが推測される。私は福岡における行為と作品との関係が気になる。後述する文字を刻んだ「彫刻」も含めて福岡の作品には多く徒労とも感じられる作家の行為が濃厚に刻まれている場合が多い。カタログには60年代後半のフィルム作品として梅田から難波までチョークで道に線を引く作家の姿が収められている。回顧展であるならばウォルター・デ・マリアを連想させるこのような作品について、もう少し詳細な説明がほしかったと思うが、それはともかくなぜ「風景画」はあっても「風景彫刻」はありえないのか。私は縮尺の問題ではないかと考える。絵画にとって描かれた対象と描かれたイメージの関係はサイズにおいて非関与的である。対象を縮小したとしても時に拡大したとしても、肖像であろうが風景であろうが同一のものとして認知される。しかし彫刻においてサイズは関与的な要素であり、同寸大として制作されることによって作品はモデルとの関係を固める場合が多い。この時、「風景彫刻」はありえないだろう。風景と同じ縮尺で作品を制作することは、ボルヘスが「学問の厳密さ」という短編の中で言及した同寸大の地図製作の寓話を想起するまでもなくナンセンスである。しかし福岡はそこに自らの身体を挿入することによって作品と風景のサイズを調停する。逆にそこに人の姿がかたどられるから、私たちは水面の波や土地の起伏が彫刻としてかたどられていることをかろうじて知るのである。縮尺としての身体という発想は興味深い。阪神大震災の直前に福岡は自分の身長と同じ内のりの木箱を作品として発表する。この直方体の木箱は床置きされ、カタログに収められた写真にはその中に収まる作家の姿も写っていることから推測されるとおり、端的に棺の暗喩である。同様の作品をロバート・モリスも制作しているが、モリスの身長に合わせて内のりが定められた《Box for Standing》は直立して設置されるため、死や棺といったコノテーションを免れている。垂直と水平という主題も福岡の仕事を論じる際に一つの補助線となろう。初期の棒状の作品、そしてピンク・バルーンは明らかに垂直のベクトルを有していた。これに対して一連の波の彫刻は水平性を原理としている。そしてやがて水面の風景からは作家の姿が消え、波のみが残される。ここで注意すべきは、私たちがFRPの表面に刻まれた起伏を波と認識するのは、かつてそこに釣りをする人物が一緒にかたどられていたからである。1980年前後に制作された人の姿を欠いた波の彫刻はその存在感において、展示の中でも、そして福岡の仕事においても一つの頂点をかたちづくっているが、作家はこれらのミニマリズムにも通じる作品を最終的な目標にしていた訳ではない。なぜなら時を置かずして作品の中に作家の姿が戻ってくるからだ。石を投げ、穴を掘り、地面に「反」という字を描く作家の姿は象徴的である。作家は常になんらかの作業をしている。先に「日常の生活の中に彫刻するという習慣を組み込むこと」という作家の言葉を引いた。ここで彫刻ではなく、彫刻するという動詞が用いられていることに注意しよう。福岡にとって彫刻とは制作の結果ではなくて作業なのだ。水面の波をかたどった彫刻を想起するならば、かかる行為はしばしば単純な行為の繰り返しを伴うはずだ。そもそも私たちの日常そのものが繰り返しではないか。同じ発想からは例えばアンディ・ウォーホルは一連の作品を制作した。寡黙な作品であるにもかかわらず、福岡の作品の含意はかくのごとく深い。

 カタログを参照するならば2000年頃から福岡は黒いFRPの板の上に電動彫刻刀で同じ言葉を延々と繰り返す一連の仕事を始める。この原型とも呼ぶべき作品が1960年代の中盤にすでに制作されていたことについては触れた。「何もすることがない」「何をしても仕様がない」「何をしていいのかわからない」「僕達は本当に怯えなくてよいのでしょうか」なんとも答えようのない、しばしば問いかけの文章が小さな字でびっしりと書き込まれたFRPの巨大なタブレットを前に私たちは大きな戸惑いを覚える。数字を延々とカンヴァスに描き込むローマン・オパルカの作品が直ちに連想されようが、オパルカにみられた規則性、あるいは合理性はここには認められない。ここでも縮尺としての身体が介在する。文字の大きさ、単純な繰り返しという構造から私たちが連想するのは学校で課せられる書き取りの宿題だ。行為の無意味さ、そしてそもそも書き取りという訓練から私はスタンリー・キューブリックの「シャイニング」の中で狂気に冒されたジャック・ニコルソンが延々とタイプを続けた「All Work and No Play Makes Jack a dull boy」のフレーズを連想した。その一方、黒い平面の上に言葉が一つのユニットとして同じ間隔で限りなく連ねられる様子からは一つの情景が連想されないだろうか。いうまでもなく打ち寄せる波であり、波の連作と文字を刻んだ彫刻は形式的に類似している。ここでも水平と垂直という対比を導入するならば興味深い問題が発生する。波の水平に対して、文字は垂直の状態で私たちに供せられる。ここにフロイト/クラウス的な自然と文化の対比を認めるのは強引すぎるだろうか。私がなおも結論に達していないのはこれらの文字の連なりを絵画として認識することの可否である。私は垂直に設置されたこれらの連作は絵画として相当の強度を有しているように直感的に感じた。しかしこの認識は絵画の条件へと遡及する問題であり、ここで安易に結論を出すべきではなかろう。これらを絵画でとみなしうるか、私は今も考え続けている。

 私の迷いを一蹴するかのように今世紀に入っても福岡は問題作の発表を続ける。この作家にとって具象とか抽象とかいった区別が意味をもたないことはすでに自明であったとはいえ、人を食ったような三つの主題にもとづいた作品が発表された。すなわち「腐ったきんたま」「蚯蚓(みみず)」そして「つぶ」だ。いずれも不定形の形状の彫刻であり、私は一連の抽象的な作品で一つの作風を確立した作家がこの期に及んできわめて具象的、それも相当に下品なコノテーションを帯びた作品を発表したことにこの作家らしい感銘を覚えた。今、不定形と述べたが「きんたま」や「蚯蚓」はまさにバタイユ的なアンフォルムの概念を差し示していることも忘れるべきではない。2000年以後、カタログの略歴には次の二つの項目しか記されていない。すなわち、「2005年 つくらない彫刻家を宣言。以後、制作を断つ」「2012年 二週間だけ制作を再開。〈つぶ〉が生まれる」200512月、福岡は信濃橋画廊で「福岡道雄 腐ったきんたま」を開き、この折に「今回の個展を最後の発表とする」ことを宣言し、以後は「つくらない彫刻家」となることを言明したという。「つくらない彫刻家」から誰もが連想するのはマルセル・デュシャンであろうし、人によっては晩年の瀧口修造かもしれない。福岡は「最後の彫刻」となった「つぶ」について、「僕の彫刻は、はからずもといおうか、ついにといおうか、『つぶ』になった」と記している。味読すべき一文であり、私は極小の「彫刻」から今年東京とロンドンでみたジャコメッティをかすかに連想した。

 いつもにも増してとりとめのないレヴューとなり、それでも書き足りないことは多い。おそらくそれは福岡の作品の本質に由来するだろうからあえて結論めいたことは書かない。冒頭に記したとおり、まことにとらえどころのない驚嘆すべき彫刻家の仕事を作家の存命中にこれほどの規模で概観しえたことは私たちにとっても、そしておそらくは遠からず彫刻することを再開するであろう作家にとっても得難い機会であったといえよう。


# by gravity97 | 2017-11-24 16:23 | 展覧会 | Comments(0)

小松左京『果しなき流れの果に』

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 ハルキ文庫に収録された小松左京の「果しなき流れの果に」を読む。小松左京の読書体験については微妙な問題がある。小松左京と星新一、そして筒井康隆は私が最初に読んだ大人向きの小説であった。小学校高学年の頃だ。例えば私は「日本沈没」を発売と同時に読んだ記憶がある。日本SFの最初の黄金期といってよいだろう。実際に書庫で確認するならば、私は当時ハヤカワ文庫と新潮文庫に収められていた小松左京の小説をほとんど所有しているから、疑いなくそれらの小説を通読していたはずだ。当時文庫化されていなかった「復活の日」を単行本で読んだことについては明確な記憶があるし、亡き祖父が生頼範義によるカバーに使用されている彫刻がミケランジェロの《奴隷》であると教えてくれたことさえ覚えている。しかし蔵書のラインナップには奇妙な欠落がある。初期の代表作のうち「果しなき流れの果に」と「継ぐのは誰か?」の二冊が見当たらない。私はいずれもハヤカワ文庫に収められていたことを記憶しており、裏表紙に記されたこれらの小説のシノプシスもおぼろげに浮かぶから、おそらく一度は買い求めていたのではないかと思う。しかしこの二冊については通読した明確な記憶がない。数年前に私はやはり現在ハルキ文庫に収録されている「継ぐのは誰か?」を通読し、そして今回「果しなき流れの果に」を読み返した。ハルキ文庫版の解説の冒頭に大原まり子が記すとおり、この小説が1965年という時点で執筆されていたことにあらためて驚く。それから半世紀が経った。しかし本書は今日においても全く古びていない。(ちなみに大原の解説はこの小説がハルキ文庫に収録された1997年、執筆から32年後に書かれているが、それから20年経った今でさえ私は同じ感慨を抱く)私の知る限り、現在も発表当時の新鮮さが衰えないもう一つの稀有の作品はスタンリー・キューブリックの1968年のフィルム「2001年宇宙の旅」である。キューブリックの描いた宇宙旅行は今日においても新鮮であり、「ゼロ・グラビティ」から「エイリアン・コヴェナント」まで、宇宙旅行のイメージはいまだにそのイメージの圏域に留められている。熱心なSFの読み手ではない私でさえ「果てしなき流れの果に」の影響を受けたと思しきSFを列挙することはたやすい。このようなとんでもないSFが半世紀前に日本語で書かれたことを私たちは誇りに思ってよいのではないだろうか。

 これから読む読者の興趣を殺がない程度に内容に立ち入ることにしよう。プロローグには蘇鉄が密生する森林の中、剣竜とティラノザウルスが死闘を繰り広げる太古の地球の情景が描かれる。今挙げた「2001年宇宙の旅」の冒頭を想起させないでもない始原の光景を一瞬点描した後、物語は本書が執筆された時代と同じ、1960年代の関西へと舞台を移す。N大学理論物理研究所の助手、野々村は上司の大泉教授に呼び出され、史学を講ずる番匠谷といういわくありげな教授と引き合わせられる。番匠谷は中生代白亜紀の地層の中から出土したという「砂時計」を示すが、その砂時計は上から下に永遠に砂の落ち続ける、ありえない砂時計であった。このような魅力的な冒頭からは直ちにいくつかのSFが連想される。例えば本書の10年ほど後に発表されたイギリスのバリントン・J・ベイリーの「時間衝突」。本書と同様、波乱万丈の時間SFである「時間衝突」も主人公の考古学者のもとに「時間が経つにつれて新しくなる遺跡」の写真が届けられることから始まる。考えてみるならば、常識的に説明不可能な何かが発見されることによって起動するSFは数多い。例えばジェイムス・P・ホーガンの「星を継ぐ者」は月面で宇宙服を来た人類の遺骸が発見されたことから始まる。(余談となるが、私はこの設定と半村良の「産霊山秘録」中の「月面髑髏人」とのあまりの類似に驚くが、偶然としか考えられない)あるいは「過去に通じる通路」の発見とともに始まるスティーヴン・キングの「22/11/63」はどうだ。もちろん「果しなき流れの果に」がこれらの作品に直接の影響を与えたとは考えられないが、そうであってもなんら不思議がないほどの本格SFとしての風格を本書は宿している。このような小説が1960年代に発表されたことはやはり一つの奇跡と呼んで差し支えないだろう。

 さらに驚くべきことには、本書は当時のSFが主題化したいくつものトピックを軽々と重ね合わせている。本書は二部に分かれ、二つのエピローグをもつ。前半は今述べたとおり、砂が永遠に落下し続ける砂時計の発見をめぐる現代、執筆時と同じ20世紀中盤の物語であるが、後半にいたるや時代はそれから100年以上経過し、登場人物は軌道エレベーターで宇宙空間へと上昇していく。このレヴューを執筆するにあたって「軌道エレベーター」をウィキペディアで調べてみたが、おそらくこの小説は、今日ではウィキペディアで検索可能な程度に知られたこのような装置に言及された最初の例ではないだろうか。軌道エレベーターという発想から私は直ちにこのブログで論じた村上龍の「歌うクジラ」の終盤の場面を連想したが、SFの領域でかかる装置が導入された最初はアーサー・C・クラークが1979年に発表した「楽園の泉」であるという。散りばめられた未来的なガジェットばかりではない。第二部を読み始めると、私たちはこの小説が未来における二つの勢力の葛藤を主題としていることを理解する。かかる勢力は人間の理解をはるかに凌駕した存在であり、おそらくは未来人である。人類を超えた存在という主題からはやはりこのブログで論じたクラークの「地球幼年期の終わり」がたやすく連想されよう。21世紀の地球は大きな災厄に見舞われようとしていた。太陽の異常活動によって放射線が地上に降り注ぎ、生物が死滅する破局が近づいていたのだ。世界連邦の指導のもとに多くの人類はシェルターに避難し、一握りの優秀な人々はさらに遠く火星に逃れようとしていた。いうまでもなくこのような設定は破滅SFのそれだ。小松は1972年に生物兵器による人類の死滅と再生を描いた破滅SFの傑作「復活の日」を発表している。人類を超越した存在、世界の破滅、これらの主題は黄金時代のアメリカSFが好んだ主題である。この小説からは日本という場で先行するアメリカのSFの設定に新たな観点から挑戦しようという野心がうかがえる。そして最初に述べた通り、この小説はクラークやジョン・ウィンダムと比べても決して遜色がない。それどころかここには小松自身がこれ以後の小説の中で深めていく主題がいわば原石のままで贅沢に散りばめられている印象だ。あらためて驚いたのであるが、この小説の中にはヤップという民族が登場する。21世紀の半ば、思いもかけぬ大地震と地質変動で祖国が海底に沈み、それ以後漂泊の民族となった彼らは「君が代」を斉唱しつつ見知らぬ星系に旅立っていく。ヤップ、つまり日本人の運命はベストセラーとなった「日本沈没」の構想を正確に予告している。あるいは人を超えた存在についての執拗な問いかけは「継ぐのは誰か?」に始まり、多くの短編、そして遺作となった「虚無回廊」においても繰り返される。作家は処女作を超えることができないとしばしば言われる。「果しなき流れの果に」は小松にとって長編の処女作であるが、確かにこの作品にはそれ以後の小松の作品のエッセンスがぎっしりと詰め込まれている。

 本書を特徴づけるのは語り急ぐかのような場面転換の激しさである。白亜紀の恐竜の戦いに始まり、現代の大阪、そして未来の地球。未来人によって別の時間相の地球に拉致された科学者たちは石槍を手にした原始人たちによって直ちに惨殺される。もし小学校高学年の私が本書を通読できなかったとしたら、それはおそらくかかる荒唐無稽さに小学生でさえついていくことができなかったからではないかと今になって思う。確かに荒唐無稽であるが、このような小説の類型に対しては、今日ではワイドスクリーン・バロックという名が与えられている。やはりウィキペディアを参照するならば、ワイドスクリーン・バロックとはブライアン・オールディスによって提唱されたSFの一類型であり、「時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄」な小説のことであるという。この定義自体は1980年に発表されているが、その15年前に発表された「果てしなき流れの果に」への完璧な注釈といえるのではないだろうか。白亜紀から未来世界という広大な時間の広がり、冥王星の衛星ケルベルスから鯨座タウにいたる広大な宇宙の広がり、私は何よりもかかる広漠とした時間と空間を対象に物語を紡ごうとした作家の野心の気宇壮大に感銘を受ける。それはアメリカSFの黄金時代の残照を受け、日本のSF作家たちが新しい野望に燃える、いわば日本SFの青春において唯一可能であった志であったかもしれない。本書において小松はやや語り急いでいる印象がある。後続する小説の中で、作家は本書で提起された問題をあらためて様々な角度から深めていくが、博覧強記をもって知られる小松でさえ、さすがにこの時点でこれほどのテーマに見合った表現を与えることは困難であっただろう。本書の終盤で物語は著しく抽象化される。(もしかするとそれもかつて本書を読み通せなかった理由かもしれない)このあたりの心境を今回のハルキ文庫に付された初版のあとがきの中で小松は次のように述懐している。「書けば書くほど、どうにもならないほど気が滅入り、(連載の)四、五回ごろには、連載を放棄しようかとさえ思うようになりました」「(苦しみ抜いて脱稿した直後に)そのままベッドの上にぶったおれて、美しく開けて行く夏の朝を呆然とながめているうちに、いつかもう一度、この主題について書こう、今度はもっと慎重に、もっと十分に準備して、体力や気力も充実させて、今度こそ、何一つ書きもらすことなく書いてやろう、という気が起こってきました。―その時はじめて、本当に、SFというものが全身でぶつかって行ってもいいほど、やりがいのある仕事かもしれない、という気がしてきました」しかし本書は放棄されかけた小説、準備の足りない小説ではない。それどころか小松の代表作に数えられるべき傑作である。未読の読者のために言い添えるならば、作家が苦しみぬいたにも関わらず、本書の読後感、とりわけエピローグは美しく、私たちの胸をうつ。大原まり子も解説に書いているとおり、小松の短編にはきわめて抒情的で私的な印象を残す作品がいくつか存在する。本書はその最初のきらめきであるかのようだ。

 私が本書を再読しようとしたきっかけは書店の店頭でハヤカワ文庫から最近発行された「日本SF傑作選2 小松左京」を目にしたからである。この傑作選はすでに筒井康隆の巻も刊行され(編者によれば、初巻としては当初星新一を予定していたが、今も多くの作品の版権を新潮社が保持しているために実現できなかったらしい)今後も隔月で刊行されるということである。小松については「地には平和を」や「物体O」といったいくつかの短編とともに長編「継ぐのは誰か?」が収録されている。このシリーズには続くラインナップとして平井和正や半村良も予定されており、70年代の日本のSFの充実を知るうえで格好のアンソロジーとなるだろう。小松の小説も一時入手が困難であったが、幸いにも現在では代表作はほぼハルキ文庫に網羅されている。この傑作選の刊行を機に日本のSFの最初の黄金期に再び光が当てられることを望みたい。


# by gravity97 | 2017-11-11 09:57 | エンターテインメント | Comments(0)