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Living Well Is the Best Revenge

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# by gravity97 | 2010-09-28 21:29 | BOOKSHELF | Comments(0)

 昨年刊行され、野間文芸賞を受賞した『神器―軍艦「橿原」殺人事件』はいささか冗長に感じられた。奥泉光の小説はあまり長くない方がよい。書き下ろしで発表された本作品は全編に張り詰める緊張感と随所に張り巡らされた小説的技巧という点で『神器』よりはるかに奥泉の本領が発揮されている。
 多くの奥泉の小説と同様、本編も一篇のミステリーという性格を宿している。中盤で一つの殺人事件が語られ、物語はその犯人探しと読めないこともない。しかしながら奥泉の小説が一筋縄で終わるはずはなく、最終的には一種のメタ・ミステリーとして物語は閉じられる。ミステリーである以上、内容に深く立ち入ることは控えなければならないが、冒頭で開陳される魅惑的な謎そのものが本書のテーマと深く関わっている。それは物語の語り手、里橋優のもとへ留学中の旧友、鹿内堅一郎から送られてきた一通の手紙であり、鹿内がシューマンの生地、ツヴィッカウを訪れた際に偶然にも二人の共通の友人であるピアニスト、永嶺修人の演奏会に立ち会ったことが記されていた。しかし永嶺はかつてなんらかの事故もしくは事件によって指を切断したのではなかったか。果たして一度指を切断した者がピアニストとして聴衆の前に立つことは可能か。当然ながらここで読み手の関心は永嶺が指を切断することとなった事情に向けられる。しかしこの経緯については物語の終盤まで明かされることがなく、読者は宙吊りにされたまま物語の中に置き去りにされる。このあたりの語りの巧みさは奥泉らしい。
 さて、タイトルからも明らかなとおり、この小説は音楽を主題としている。かつてエドワード・サイードは今日の文学的知識人が古典音楽についての常識的知識をもちあわせていないことを批判した。音楽といえばロックと現代音楽にしか関心のない私にとってまことに耳の痛い指摘である。楽曲や演奏に関する学殖に満ちたこの小説は古典音楽に素養のある者であればさらに楽しむことができようが、私のごとき音楽に無知な者に対しても物語として圧倒的な魅力を備えている。音楽を主題とした小説として私は例えば平野啓一郎の『葬送』を連想する。ドラクロアとショパンを主人公としたこの芸術家小説も絵画や楽曲を言語によって表象しようとする力技であったが、『シューマンの指』ではさらに深く「音楽」の本質が言語の俎上に上げられている印象がある。
 本書の大半は里橋が残した手記という体裁をとっている。正確には里橋と鹿内、長嶺らがシューマンに倣って結成した「ダヴィッド同盟」という結社の中で交わされた6冊の交換日記の最後の巻に記された内容である。したがってここに書かれた内容の真偽は書き手である里橋に帰せられる。クリスティーの『アクロイド殺人事件』を持ち出すまでもなく、奥泉ほどの書き手がミステリーを書くにあたって一人称の話者を選ぶ場合、なんらかのたくらみがめぐらされていることは容易に予想されるだろう。
 里橋はかつて音楽大学でピアノを学んだが、大学を中退し音楽も放擲し、医者として働いている。音楽との決別は長嶺の事件と関連しているであろうが、その詳細は語られない。物語は回想と現在の間でゆるやかな振幅をもちながら展開する。音楽大学受験を志していた里橋は自身の高校に入学した天才的な美少年ピアニスト、永嶺修人と知り合い、年下の永嶺を導師として音楽の神秘に触れる。シューマンを跪拝する長嶺は里橋や鹿内らとともに「ダヴィッド同盟」なる結社を結成する。先に述べたとおり、私は知識がないため読み過ごすしかないが、シューマンをめぐるペダンティックな議論はこの小説の一つの山場を形成している。高名なコンクールで入賞し、天才ピアニストと呼ばれる永嶺の演奏を里橋は生涯に三度だけ聴く。それらはいずれも本小説にとって決定的な事件と関わっている。最初の機会は先に触れた殺人事件が起きた夜であり、里橋はそれを「幻想曲の夜」と呼ぶ。永嶺が演奏したのはシューマンの《幻想曲ハ長調》。二度目は武蔵野市民ホールにおいて永嶺の師匠が企画したジュニア・コンサートの場であり、永嶺が弾いたのはシューマンの《ピアノソナタ第三番ヘ短調》。そして最後は「ダヴィッド同盟」に加わった里橋、永嶺共通の知人の別荘におけるシューマンの《天使の主題による変奏曲》の演奏であった。おそらくこのような選曲についてもシューマンの音楽に通暁していればなんらかの意味を読み取ることができるかもしれない。未読の読者も多かろうから、暗示的な指摘にとどめるが、三度の演奏は直ちに殺人や狂気、身体の毀損といった凶々しいイメージと結びつき、長嶺に関わった人間はほとんど例外なく悲惨な死を遂げ、あるいは失踪する。シューマンの音楽はあたかもこの不吉な物語の通奏低音のようである。語り手あるいは長嶺の口を通して語られるシューマンの生涯そのものも暗い影を刻印されている。シューマン自身も切断こそしていないが、過度の練習もしくは病気のために若くして指が麻痺したためピアニストとして生計を立てることを断念している。さらに本書の中では明確に言及されていないが、伝記的事実をひもとくならば、シューマンは晩年におそらくは梅毒が原因と思われる狂気の発作に襲われている。この時、シューマンと登場人物は二重化される。別の言葉で言えば登場人物はシューマンの分身なのである。
 鹿内堅一郎からの手紙とともに幕開けした『シューマンの指』は、終盤で「幻想曲の夜」の殺人をめぐるいくつもの推理が重ねられた後、やはり登場人物の一人から一人に宛てられた短い手紙とともに終幕する。この小説は書き手の異なった三つのテクストから成り立っており、つまり物語の本編たる里橋優の手記は二つの短い手紙の間に挟みこまれている。きわめて緻密に考え抜かれた構成である。ひとたび手記を読み終え、物語の一応の決着を見届けた後、最後に添えられた手紙を読んで読者は驚愕するに違いない。この手紙によって里橋の手記の意味は一変するのだ。このようなどんでん返しは小説でしかありえず、本作品は奥泉らしい説話の超絶技巧である。種明かしにならない程度にほのめかすならば、先にも述べたとおり、この小説は無数の分身をめぐる物語である。(シューマンの批評に登場する『ダヴィッド同盟』も分身の集合体であることを明らかに奥泉は意識している)小説と音楽、超絶技巧という点で奥泉をシューマンの分身になぞらえることはさすがに過褒であろうか。
奥泉光『シューマンの指』_b0138838_2057986.jpg
# by gravity97 | 2010-09-18 20:57 | 日本文学 | Comments(0)

 先般、三菱一号館美術館で開かれた「マネとモダン・パリ」展にエミール・ゾラの肖像が出品されていたことは記憶に新しい。偶然の一致であろうか、先日、ゾラの美術論集をまとめた翻訳が「ゾラ・コレクション」の中の一巻として刊行された。表紙にはもちろんマネによるゾラの肖像が掲載されている。
 ゾラがマネの擁護者であることは知っていたが、ここに収められたテクストを読んで、あらためて美術批評家ゾラの見識の高さに驚く。当時のサロンに対する批評に関してはシャルル・ボードレールの一連の批評が名高いが、ゾラの批評はそれと比べても遜色がない。むしろこれまでこれらのテクストが日本語となっていないことに不審の念を抱くが、「ルーゴン・マッカール叢書」の作家、自然主義文学の第一人者との名声があまりにも高かったため、美術批評家としての仕事が軽んじられていたということであろうか。クールベからセザンヌにいたる多様な画家が論じられるが、私のみるところ、これらの批評の一つの中心をなすのは一連のマネに関する論考であり、同時に一連のアカデミズム批判である。ゾラの美術批評に一貫する攻撃的でポレミックなトーンはドレフュス事件に「私は告発する」という一文をもって応接した作家にまことにふさわしい。
 収められた批評の多くがサロン評というかたちをとっていることは、個々の作家批評、作品批評という形式がいまだに確立されていなかったことを示しているだろう。ここに描写される当時のサロンの状況は一種の社会批評としても興味深い。初日には7000人から8000人の「名士」たちが押し合いへし合い会場に参集して「パリからアメリカまであると思うほどの距離」に並べられた無数の絵画を見る。サロンが一つの文化産業として機能していたことをうかがわせるこのような記述は今日では信じ難い。サロン評の特質として、有名無名、多くの作家についての言及がなされ、その中には今日存在さえ忘れられた作家もいる。サロンに出品する無数の作家から美術史に名を残す作家を区別することは容易ではない。ましてやサロンに落選し、酷評を受けているマネとその作品の支持を表明することはそれなりに勇気と自信がいるだろう。ゾラがいかにマネを高く評価したかについては、ゾラが残した多くの美術批評のうち、作家論もしくは作品論の大半がマネと関連しているという一事によっても明らかであろう。本書にはゾラが残した主要な美術批評が網羅されているとのことであるが、同じレアリスムを標榜するクールベについての言及が多いことはともかく、幼なじみのセザンヌについての批評が少ないことは意外であった。晩年にゾラの小説のモデルをめぐって両者の関係が悪化したことと関係があるのかもしれない。
 本書では1865年から96年にいたるゾラの多様な批評が編者によって的確に分類されてほぼクロノロジカルに配列されている。例えば1867年の「エドゥアール・マネ 伝記批評研究」と1884年の「エドゥアール・マネの作品展・序文」を読み比べると18年の経過の中でマネの作品がいかに広く受容されるようになったかが理解される。マネを印象派の代表作家の一人として美術史に組み込むために、様々の戦略が行使されたことは近年、稲賀繁美が『絵画の黄昏』という大著の中で明らかにした点であるが、稲賀の研究の中でゾラはどのような役割を与えられていただろうか。ともかく書きぶりに一種の余裕さえ感じられる後者に比べて、評価の定まらない時期に執筆された前者の方が批評としては鋭い。そして同じ年に執筆された「エドゥアール・マネ 伝記批評研究」と「シャン=ド=マルスにおけるわが国の画家たち」の対照はこの批評集の中でも一つのクライマックスをかたちづくっている。というのもセーヌ川左岸のシャン=ド=マルスとはパリ万国博覧会の美術展が開催された場所であるが、ゾラによれば当然展示されるべきマネの絵画はそこから排除されたのだ。その代わりにそこに展示され、大衆の賞賛を浴びたメソニエ、カバネル、ジェローム、テオドール・ルソーの四人「巨匠」をゾラはこっぴどく批判する。美術の中に一組の対立を組織し、一方を賞賛し、一方を徹底的に批判するという構図が、奇しくもこれらのエッセーが発表されたちょうど100年後に発表されたマイケル・フリードの「芸術と客体性」と同一である点は興味深い。
 『エヴェヌマン』誌上におけるマネへの評価とアカデミズム批判が一部読者の強い反発を招き、遂には同誌上における美術批評の連載が中止されたという逸話が物語るとおり、ゾラの批判は辛辣である。例えばメソニエに対しては次のような調子だ。「愛好家とブルジョア夫婦の賞賛の声によって私はこの画家を正しく判断するに至ったのである。この画家はすべての人々を悦ばせるという稀有の才能を有しているのだ。特にこう言ってよければ、絵画を愛したことなどない人々を悦ばせる才能を持っているのである」続いてゾラはカバネルとジェロームも一刀両断に切り捨てる。仕上げの完成度を競い、主題や描写で大衆に媚びる絵画を否定するゾラの物言いは明快だ。ゾラの批判は一種のマニエリスムと化した当時のアカデミーに向けられている。精巧な技術によって絵画の表面を均一にし、あたかも物質的表面が存在しないようにふるまうこと。いわば映像としての絵画。この時、絵画の成否にはその主題が大きく与ることとなる。批判された「巨匠」たちのうち、とりわけカバネルとジェローム(この二人およびルソーの作品は今日でもオルセー等で比較的見ることがたやすい)が扱う主題の大仰さ、あるいはオリエンタリズムへの傾斜などを想起すると、ゾラの批判が絵画のどのような傾向を対象としていたかはたやすく理解されよう。これに対して、あえて絵画の表面に綻びや物質性を露呈させるマネをゾラは評価する。このようなマネの異質性は先の展覧会と関連させてこのブログでも論じた点であるが、ゾラはマネの革新性を《オランピア》と関連させて次のような言葉できわめて的確に指摘する。「タブローの中に哲学的な意味を探した人々がいた。もっとみだらな他の人々は、そこに猥褻な意図を見出して悪い気はしなかっただろう。さあ、彼らにはっきり言ってください、親愛なる巨匠(マネのこと)よ、あなたは彼らが思っているようなものでは全くなく、あなたにとってタブローは分析のための単純な口実なのだと。あなたは裸の女性が必要だったので、最初に出会ったオランピアを選んだ。あなたには明るくて光に満ちた色斑が必要だったので、花束を置いた。あなたには黒い色斑が必要だったので、片隅に黒人女と猫を据えた。それらすべては何を意味するのか。あなたはそれをほとんど知らないし、私もまた知らない。しかしあなたは画家の、それも偉大な画家の作品を作り上げること、つまり光と影の真実、物と生き物の現実を特別な言葉で精力的に翻訳することに見事に成功したことを、私は知っている」主題性を否定し、絵画の自立性を説くこのテクストは明らかにモダニズムの扉を開くものである。かかる先鋭的な姿勢と比較的穏健なゾラの文学的立場がいかに折衷されるかは今後検討されてもよい課題であろう。そしてモダニズムをめぐっては当然ボードレールの批評との比較がなされるべきであろう。多くのサロン評を執筆したこと、あるいは作品のみならず「公衆」についても深く論じる点など、両者の共通点はともに文学者であったことにとどまらない。この機会に私は久しぶりにボードレールの美術批評を読み返してみたい誘惑に駆られた。
 訳者解説によるとゾラの美術批評は明治期に久米桂三郎によってマネ論が部分的に翻訳されて以来エミール・ゾラ『美術論集』_b0138838_2182265.jpg、100年以上も翻訳の機会がなかったとのことである。ひとまずはゾラの知られざる面に光を当て、当時の批評的地政図に新たな視野を開く本書の刊行を喜びたい。
# by gravity97 | 2010-09-05 21:08 | 近代美術 | Comments(0)

一番はじめの出来事

 博士課程に在籍していた時に就職が決まり、最初の勤務先へは電車で一時間余りをかけて通うことになった。ちょうど今の季節であった。Jという駅まで電車は鮨詰めで身動きもできない状態であったが、路線を乗り換えると比較的空いており、途中から座って本を読むことができた。仕事を始めた直後、通勤の車中で読んだ小説を私は今でも順番に挙げることができる。ジョン・ガードナーの『オクトーバー・ライト』、村上龍の『愛と幻想のファシズム』、村上春樹の『ノルウェーの森』だ。いずれも発売直後に買い求めた。書庫で確認してみるとこれら三つの小説は二カ月に満たない間に初版が刊行されている。まったくの偶然ではあるが、いずれの小説も不安や緊張を主題としていた。大学の研究室から現実の社会へ。新しい生活を始めた私は強い切実さとともにこれらの小説を読み継いだ。表紙を手に取ると、不安と期待がないまぜとなった夏の終わりがよみがえる。
# by gravity97 | 2010-09-02 19:52 | ONCE IN A LIFETIME | Comments(0)

 
フランツ・カフカ「カフカ・セレクション」_b0138838_19594689.jpg
 
 このところ、仕事の合間、あるいは恐るべき『メイスン&ディクスン』を読み疲れた時など、ちくま文庫で全三巻にまとめられた「カフカ・セレクション」を少しずつ読み進めることが日課になっている。私はカフカの作品については大半を読んだつもりでいたが、今回、この選集に出会ったことによってカフカの小説に対する印象が大きく変わった。もとよりカフカの文学について論じることは私の手に余るが、この選集を読んで感じたいくつかの所感を書き留めておくことにする。
 周知のごとく、カフカには『城』『審判』『失踪者』という三つの長編があるが、この選集の中にはこれ以外の中篇、短編さらには未完の草稿、断片がほぼ網羅されているという。カフカの短編についてはこれまでも様々な機会に紹介されてきたから、ことさらに珍しい作品や重要な作品が紹介されている訳ではない。それぞれの巻に対しては「時空/認知」、「運動/拘束」、「異形/寓意」という三つのテーマが編者の平野嘉彦によって設定されている。いずれもすぐれてカフカ的な主題であることがただちに了解されよう。収録される作品の選定は平野によってなされ、巻ごとに平野を含めた三人の訳者によって新たに訳し下ろされている。この選集のユニークさは端的に作品の配列に求められる。いずれの巻においても作品は短いテクストから長いテクストへ、長さを唯一の基準として機械的に配列されているのだ。この結果いずれの巻も断章のごとき短いテクストで始まり、巻末近くに「ある戦いの記」「流刑地にて」「変身」といったよく知られた中篇が配置されている。
  このような異例の配列によって、文学研究において重視される二つの前提が無効化される。一つは作品相互の時間的な関係だ。本選集においてカフカの小説はまずテーマごとに分類され、次いで長さを基準に配置されることによって二重の意味で時間的な脈絡を失う。私たちは一人の小説家が時間の経過の中、自らの体験に基づいて世界観や文学観を深め、さらに深遠なテーマに挑むという発想になじんでいる。みずみずしい処女作『貧しき人々』で文壇にデビューし、シベリア流刑といった過酷な体験の末、最晩年に『カラマーゾフの兄弟』という傑作を遺したドストエフスキーはこのような作家―作品モデルの理想であり、このような作家主義的、歴史主義的な発想は19世紀文学とその批評には適応していた。これに対して作品を短い順に並べるという機械的な配列は作家の成長や作品の深化といった理解を拒絶する。そしてもう一つは「作品」そのものの成立と関わる。周知のとおり、カフカが残した原稿には断章や未定稿が多く、何をもって一篇の作品とするかは議論が分かれるところである。私はカフカの専門家ではないので収録された作品の成否については何も述べる立場にないが、1頁に満たない断章あるいは箴言風のパッセージから、比較的知られた中篇まで、長さに応じて滑らかに配置された時、私たちは中篇と短編、さらにいえば作品と非作品との間に線引きをすることがほとんど不可能であることに気づく。つまり作品研究において前提とされる「作品」の輪郭がきわめて不確定なのである。
 しかしかかる特殊な構成によって、逆にカフカの生前に刊行された短編集をそのまま通読していても得ることのできなかった多くの発見がもたらされ、彼の小説の特質が明らかになるように思われる。最初に述べたとおり、本選集には断章に近い多くの文章が掲載されている。タイトルが与えられている場合はタイトルが、与えられていない場合は冒頭の文章を〔 〕内に引用することによってそれぞれのテクストは区別されている。しかしそれぞれの巻の最初に収められた短いテクストと巻末に位置する中篇の間に本質的な差異は果して認められるだろうか。この点は小説の成立と関わるきわめて微妙な問題である。確かにいくつかの短いテクストはより長いテクストと関連を結ぶ場合があるから、習作もしくは下書きといった意味をもつかもしれない。実際に私はこの中に収められた比較的長いテクストの中に、『変身』のプロトタイプとも呼ぶべきイメージが挿入されていることに気づいた。しかしおそらくカフカのテクストの本質はこのような予定調和的な理解の対極にある。第一巻のあとがきで平野はカフカがノートに書きつけた「庭仕事、見通しのなさ」という謎めいた一句について論じているが、確かに明晰さと不合理がそのまま結びついたようなこの一句はカフカの全ての作品につながる奇妙な味わいがある。短いテクストから長いテクストへという配列はこの点できわめて示唆的だ。つまり読み進めるにしたがってある漠然としたテーマをめぐって繰り返されるカフカの思考のエッセンスのごときものが浮かび上がってくるのだ。それは名指すことがきわめて困難であり、まさにカフカの文章の魅力にほかならない。しかもかかるエッセンスは場合によっては短い文章にくっきりと示されることもあるのだ。別の言い方をするならば、カフカの小説は始まり、中盤、終わりという物語的な結構を欠いている。つまりどこから入ってもそれなりに面白く読める。(この点でザムザの変身と死という起点と終点をもつ『変身』はむしろ例外的な小説であるかもしれない)カフカの小説はいわば反物語なのであるが、同じ立場を標榜するヌーヴォー・ロマンを読み進めることがほとんど苦痛に近い体験であるのに比べて、カフカは読むことが楽しい。細部がきわめて精彩に富むのだ。
フランツ・カフカ「カフカ・セレクション」_b0138838_200167.jpg いさかさ飛躍するようであるが、カフカの小説を現代美術に特有の一つの構造と比較することはできないだろうか。伝統的な美術作品においては部分と全体が調和的な関係を結んでいる。部分が一つでも欠けると、全体は損なわれ、全体に手を加えると部分との関係が損なわれる。古典的な絵画はこのような揺るがせなさを誇示し、同様の特質をアルベルティは建築について語っていた。これに対してノン・リレーショナルと呼ばれるジャクソン・ポロックの絵画、ドナルド・ジャッドの立体の構造はこのような調和を欠いている。極言するならば、それらはどこで分割されても、さらに部分が付け加えられたとしても基本的な作品構造は変わらない。カフカの場合も断章であろうと中篇であろうと、物語の強度はさほど変わらない。この点は長短とは無関係に作品が同様の構造を保持している点を示唆しているのではなかろうか。このような構造をもつ小説を私はほとんど知らない。カフカの小説の魅力とは全体に還元されない部分の魅力であり、断片や断章、未完のテクストがかくも心を惹きつける理由もこれによって説明ができよう。『城』のごとき長編に関しても、このような観点からの分析があってよいかもしれない。
# by gravity97 | 2010-08-26 20:13 | 海外文学 | Comments(0)