優雅な生活が最高の復讐である


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ホセ・ドノソ『隣りの庭』

b0138838_2254722.jpg このところ、ホセ・ドノソの小説が再び注目を浴びている。先般、水声社から『境界なき土地』が刊行され、同じ出版社から『夜のみだらな鳥』の復刊が予定されているらしい。さらにずいぶん以前より翻訳が進んでいると聞いていた長編『別荘』も近く刊行されると聞く。ドノソというと『夜のみだらな鳥』のイメージが強烈すぎるためか、ラテン・アメリカ文学において最重要の作家の一人でもあるにもかかわらず、これまで十分に紹介されてきたとは言い難い。私も大学の頃に「集英社版世界の文学」の一巻として刊行された『夜のみだらな鳥』を読み、グロテスクなイメージの横溢に幻惑されたことを覚えているが、それ以来ドノソの小説から遠ざかっていた。これを機に再びドノソの再評価が進むと見越して、しばらく前に求めていた『隣りの庭』という長編を読む。この作家、やはりただものではない。
 このブログとしては異例であるが、最初に作者の閲歴についてやや詳しく述べておく。それというのも作家の個人史がこの小説と深く関わっているからだ。ドノソは1924年にチリ、サンティアゴのブルジョアの家庭に生まれた。青少年時にドノソは英語による教育で知られた学校に通い、同級生には外交官である父と共に当時サンティアゴに移住していたカルロス・フェンテスがいたという。20歳を過ぎるとドノソは首都を去り、数年間にわたりパタゴニアからアルゼンチンを放浪する。チリに戻った後は英文学を学び、プリンストン大学からの奨学金を得て、アメリカでも生活を送った。この後、50年代にはチリの大学に職を得て英語を教える一方で小説の創作を始めたが、ブエノスアイレスをはじめとする南米各地に長期滞在を繰り返し、67年にはヨーロッパに渡り、ポルトガルを経てスペインに落ち着くこととなる。この時期、69年にスペインで発表した『夜のみだらな鳥』はチリの名門の一族の呪われた宿命をグロテスクでオブセッションに満ちた文体で描いた悪夢のような小説として衝撃を与えた。この後、ドノソはチリへの帰国を予定していたが、73年、ピノチェットのクーデターが発生し、帰国を断念し、スペインに留まる。アメリカに後押しされたピノチェットの軍事政権のもとで政治家のみならず数多くの文化人、知識人も拷問、殺害され、多数の亡命者が出たことは知られているとおりだ。78年に発表された『別荘』と81年に発表された本書はチリの知識人にとってはトラウマとも呼ぶべきこの事件を、前者においては暗示的に、後者においては明示的に主題化している。実はドノソは80年にチリに一時帰国したらしいが、祖国の状況に失望し、すぐにスペインに戻ったということである。本書が執筆された時期がこの直後であることは興味深い。今ウィキペディア等を参照したところ、ドノソは96年にチリで没している。したがって最晩年を祖国で送ったと考えられるが、どの時点でチリに戻ったかについては今私の手元にある資料ではわからない。
 ラテン・アメリカの文学については以前より不審に感じていたことがある。いわゆるラテン・アメリカ文学といわれる作品の中には確かに蜃気楼の町マコンドの年代記や、密林の中の「緑の家」と呼ばれる娼家を舞台にした物語など、ラテン・アメリカのエキゾチシズムを漂わせた作品が多い。しかしその一方で多くの作品がヨーロッパを舞台にしているのだ。例えばコルタサルの『石蹴り遊び』は「ラ・マーガと会えるだろうか? たいていぼくが出かけてセーヌ通りを行き、コンティ河岸に出るアーチをくぐれば、すぐにも、川面に漂う灰色にくすんだオリーブ色の光の中に彼女の姿が見分けられたものだ」という印象的な一節で始まり、あるいは本書と同じ選集に収められたフェンテスの不気味な傑作『遠い家族』もパリを舞台にしている。何という小説であっただろうか、マルケスにもシャルル・ド・ゴール空港でのトランジットをテーマにした短編があったことを記憶しているし、リョサは『悪い娘の悪戯』でパリ、ロンドン、マドリッドそして東京を遍歴するファム・ファタルを描いた。『隣りの庭』もまた主たる舞台はスペイン、バルセロナとマドリッドである。先に述べたとおりドノソは実際にスペインで長く暮らしたから、それ自体は驚くに値しないかもしれない。しかしラテン・アメリカの作家たちがヨーロッパと深い関係を結んでいる点には留意する必要があるだろう。これは一つには彼らが給費留学生や外交官として、あるいは父親の仕事に帯同してヨーロッパに長く滞在したことに起因しているだろう。さらにボルヘスに典型的にみられるとおり、ラテン・アメリカのブルジョアは子弟にヨーロッパで教育を受けさせる場合が多く、後にラテン・アメリカ文学の主流をなす作家たちは世代や国籍を超えて旧世界そして旧世界の文学と親和している。アングロ・アメリカではなくヨーロッパとの関係の深さは興味深い。
 『隣りの庭』に戻ろう。この小説は明らかに作家自身を投影したフリオ・メンデスという小説家を主人公とする。フリオの経歴はドノソを連想させ、ピノチェットによるクーデター、反革命を逃れてバルセロナで小説を執筆している。妻のグロリアとの関係は危機をはらんでおり、彼らの息子のパト(パトリック)は両親のもとを逃れ、モロッコのマラケシュにいるらしい。物語はフリオが友人のパンチョ・サルバティエラから夏の間、マドリッドのパンチョの邸宅を管理する仕事を依頼されることから始まる。この小説は物語的な起伏には乏しい。フリオとグロリアはバルセロナで彼らの友人の息子でパトの知り合いであると称するビジューという青年と出会い、ビジューは次々にトラブルを引き起こす。パンチョの依頼を受けた二人は一つの夏をマドリッドで過ごし、彼らの周囲では様々の事件が突発する。フリオは作品を書き上げるが、ラテン・アメリカの作家のスペインでの発表に絶対的な権限をもつバルセロナのヌリア・モンクルスなる女性編集者の支持を受けることができず、グロリアは故意か事故か判然としない自殺騒ぎを引き起こす。チリで母が没したという知らせが入るが、フリオは帰国せず、のみならず遺産である父母の邸宅の処理をめぐって祖国にいる兄との間に確執を引き起こす。マドリッドに現れたビジューはパンチョの屋敷にあった絵画を持ち逃げする。フリオとグロリアはパトとの再会を期してモロッコに向かうが、異郷の街は彼らに悪夢のごとき体験を強いる。『隣りの庭』ではドノソらしい喚起的で粘着的な文体をとおしてこれらのエピソードが並行して継起する。文中にしばしば直接導入される英語やフランス語は今述べたラテン・アメリカ文学のコスモポリタニズムを反映し、小説の中に散りばめられたカヴァフィスからエリオットにいたる引用は作家の文学的素養の深さを物語っている。『夜のみだらな鳥』や『別荘』と異なり、この小説は現実との間に強い接点をもっている。例えばフリオは何人かの作家に対する羨望の念を隠さないが、そこでは実際に小説の中に登場するエクアドルのマルセロ・チリボーガなる架空の作家を除いて、マルケス、リョサ、フェンテスら「ラテン・アメリカ文学のブーム」をかたちづくった実在する作家たちの名前が挙げられる。さらに小説中にはフリオとグロリアがウィリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』を読むという記述がある。スタイロンの小説は1979年に発表されており、本書が1981年に発表されたことを考えるならば、物語の背景とされた時期を具体的に特定することができる。したがってこの小説は現実と地続きであり、この意味において私は本書がチリの反革命を明示的に主題化していると述べた。解説によればヌリア・モンクルスなるバルセロナの女性編集者にも実在のモデルがおり、現実にこの小説の翻訳権もこの女性を介して取得されたという。
 さて、ここで私たちは小説のタイトルに注目しなければならない。「隣りの庭」とは暗示的なタイトルである。小説の中でそれが何を意味するかは明白だ。それはフリオが夏の間、管理を任されたマドリッドのパンチョ・サルバティエラの屋敷に隣接するプールのある大邸宅の庭であり、フリオはそこで客や男たちと戯れるピネル・デ・ブレイ伯爵夫人の姿を窃視する。しかし「隣りの庭」とはもう一つの含意をもつ。それはヨーロッパから見たチリ、亡命者にとっての祖国である。解説によればドノソ自身、訳者に対して「あれはピノチェットのクーデターの時のチリや当時起きたことを、対岸から眺めながら想像して書いたものです」と本書の意図を語ったという。しかし実際に体験においてドノソとフリオの間には微妙なずれがある。すなわち先に述べたとおり、ドノソは実際にはクーデターを体験していない。民主的に成立したアジェンデ政権が暴力によって打倒される情景は広く世界に報道されたから、ドノソはスペインでその一部始終を見届けたはずだ。アジェンデが大統領官邸でクーデター軍に果敢に応戦し、有名なラジオ演説の後に絶命したエピソードはこのブログで紹介したアジェンデの姪、イザベル・アジェンデの『精霊たちの家』の中で文学的に総括されている。一方、フリオについてはチリでピノチェットのクーデターを経験し、この後、当局によって6日間にわたって監禁され、大学の職を失ったというエピソードが語られる。小説中では何度も「9月11日」という日付が繰り返されるが、それは同時多発テロではなく、ピノチェットによるクーデターが起きた日付である。この事件の後、フリオは母や兄をチリに残してバルセロナに渡る。しかしバルセロナで彼らが交流するチリ人たちはパスポートにLを付されて帰国が許されないのに対して、フリオは自由意志で帰国が可能であり、それゆえ母の危篤が伝えられるや逡巡するのである。バルセロナの亡命チリ人たちが反軍事政権という点において結束しているのに対して、故国に家族を残すフリオの立場は微妙である。そもそもチリの民衆はアジェンデにどのような態度をとっていたのか。フリオは次のように語る。「母は9月11日を忘れた。母はピノチェットの名を頭からぬぐい去った。そして二つのイデオロギーを互いに隔てる日付と境界線を消し去るあの新しい狂気の助けを借りて、母はアジェンデの過ちをどこまでも延長した。おかげで、この新たな死者たちも飢餓もすべてアジェンデの罪となった」フリオの母は祖国への絶望を表明し、国外へと脱出するフリオに理解を示しつつ次のように語る。「出ておゆき、あなたたちにはそれができるんだから。議会のない国が何の役に立つの?私はここにとどまるしかないわ。外国で何ができるの?この年でどうやって生きていけるというの、私の家の外で、私の庭の外で」かくのごとく「隣りの庭」とは多義的な意味をもつ。この時、フリオの心情はごく自然に祖国を外から眺める「亡命者」ドノソのそれに重ねられるだろう。
 さて、私たちは「亡命者の文学」という系譜をたどることができるだろうか。おそらく定義することも困難な系譜であろうが、私が直ちに思い浮かべるのは例えばジョセフ・コンラッド、ミラン・クンデラ、ウラジミール・ナボコフといった作家たちだ。世代も作風も異なるが、中欧出身の作家が多いことは興味深い。中欧とラテン・アメリカは政治的に不安定な地域である点で共通し、さらに体制こそ異なるがいずれの地域も独裁的な政権の統治、もしくは干渉を受けた点で共通する。一方、コンラッドやナボコフが母語とは異なる言語を用いて作品を執筆しなければならなかったのに対して、ラテン・アメリカの作家たちは多く母語であるスペイン語を使用し、このため比較的早くからヨーロッパやアメリカに受け入れられ、ドノソがいう「ラテン・アメリカ文学のブーム」が到来した。ちなみにラテン・アメリカ文学を欧米に紹介するうえで重要な役割を果たしたのが、この小説でも言及されるバルセロナのセイクス・バラルという出版社であり、同社が設立したブレーべ図書賞という文学賞はしばしばラテン・アメリカの作家たちに与えられたため、スペイン国内でスキャンダルを引き起こし、この結果、受賞を逸した小説が『夜のみだらな鳥』であったという。
 本書は内容的にも「隣りの庭」を眺めるごとく、スペインから故国の現実を見据え、しかもこの作家が得意とする寓意的な手法によらない点で興味深い作品であり、完成度はきわめて高い。そして最後に付け加えておかねばならないのは、この小説は内容のみならず形式においても実に独特の説話論的技巧がこらされている点だ。直接読んでいただくのがよいから、詳細については触れないが、最後の章、いわばエピローグにあたる部分に驚くべき仕掛けがなされている。かかる自己言及的、メタ物語的な技巧はドノソが小説の方法に関しても自覚的であることを暗示している。神話的な深みをもった物語、寓意と暗喩に富んだ絢爛たる物語を紡ぐ作家が小説の形式、方法論にもきわめて先鋭な意識を持つ点で思わず私は中上健次を連想した。ドノソはなお未訳の作品が多い。『夜のみだらな鳥』を再読するには覚悟が必要だ。私としてはこれもまた傑作の呼び声高い『別荘』の刊行をひとまず待つこととしよう。
by gravity97 | 2014-01-23 22:57 | 海外文学 | Comments(0)

BILBAO, 2000.10.21

 クーリエの仕事でマドリッドに出張した折に、展示スケジュールの関係で途中に一日自由な時間があることがわかった。このような場合、私は近郊の街に小旅行して作品やら建築を見て回ることにしている。ちょうどビルバオにフランク・ゲーリーの建築によるグッゲンハイム美術館が建設されて話題となってから間もない頃であった。小旅行というには移動距離が長いが、飛行機を用いれば、マドリッドから日帰りで往復できる。空港から美術館まではタクシーで移動できる距離であることを事前にリサーチしておいた。私にとってビルバオとはかねてよりベルリン、ブタペストと並び、Bを頭文字としてヨーロッパで訪れたい都市のうちの一つでもあった。マドリッドでの仕事の合間を縫ってビルバオ往復のフライトを予約する。
 朝、ホテルにタクシーを呼び、8時半にバラハス空港に入る。ビルバオへのフライトは50人乗りくらいの小さなプロペラ機であった。一時間足らずの飛行でビルバオに到着する。この街はバスク地方の中心都市であり、空港も国際空港としての機能をもつ。ロンドンからも空路の便利がよいという話を後で聞いた。マドリッド同様、天気は雨模様。市街に入ると直ちにグッゲンハイム、ビルバオがその威容を現した。もっとも既に当時から美術館というより、巨大な観光施設という印象が強く、駐車場には無数の観光バスが並び、美術関係者よりもむしろ観光客によって賑わっていた。現代美術になじみのない来館者たちは狐につままれた気分を味わったかもしれない。b0138838_20124623.jpg
巨大な吹き抜けの空間の一階と三階を用いて開かれていたのは「Changing Perceptions」と題されたパンザ・コレクションの展覧会であり、ミニマル・アートとコンセプチュアル・アートの歴史的名作の数々が展示されていたのだから。もっとも吹き抜けに設置されたリチャード・セラのコミッションワーク《スネーク》をはじめ、建築的スケールを擁した作品は実際に内部に入り込むことができるし、10人ごとにまとまって入場することを求められるロバート・モリスのラビリンスは文字通り迷路として体験することができるから、堅苦しい理論を知らずとも作品を楽しむことは十分に可能であっただろう。
 会場にはドナルド・ジャッド、カール・アンドレ、そしてモリスらの大作が並ぶ一方、ブルース・ナウマンやジョセフ・コススの作品も展示され、美術館サイズの、しかも先鋭的な作品が多く収められてコレクターの見識を暗示していた。中でも私が圧倒的な感銘を受けたのはセラの《ストライク》(1969-71)であった。むろん私はそれまでに幾度となくセラの大作を見る機会があった。それまではただ存在感に圧倒される印象であったが、私はこの時初めてそれがきわめて入念に構想された知的な作品であることを理解した。
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 作品の形状はきわめてシンプルである。高さが2.5メートル、厚みが4センチほどの鉄板が部屋の一角に向かって45度の角度で押しつけられるように設置してある。多くのセラの作品同様、見る者はまずむき出しの鉄板の圧倒的なスケールと重量を意識するだろう。工業用素材の使用、素材の直接的な提示という点ではミニマル・アートと共通する。鉄板の制作自体は工場に発注されていることも明らかだ。このような理由で私はそれまでセラとミニマル・アートを同一視していた。先に述べたとおり、パンザ・コレクションはミニマル・アートとコンセプチュアル・アートの名品を多く収蔵していることで知られているから、この意味でもビルバオでセラに出会ったことに大きな驚きはなかった。実際の同じ会場にはセラの初期の代表的な作品、《ベルト》も展示されていた。9本のゴムのベルトを壁から垂らし、時にポロックのグッゲンハイム邸壁画との類似が指摘される有名な作品も、モリスやナウマンに同様の可塑的な素材を使用した作例があることを想起するならばさほど異和感はない。しかし《ストライク》を前に、私は奇妙な困惑、不全感を強く感じた。このような異和が何に由来するか、作品の周囲をめぐるうちに次第にその理由が理解されてきた。私たちは作品を前にして、無意識のうちに自分が立つべき位置を定める。絵画であれば設置された壁面に正対して作品との距離を調整し、立体であれば作品の全貌が一望可能で、作品がなるべく安定したゲシュタルトをかたちづくる場所を捜す。ミニマル・アートも例外ではない。それどころかモリスは一度観者の知覚のうちにゲシュタルトが確立されると作品についての情報が尽きてしまう「ユニタリーな形態」を高く評価し、彼自身も円筒形やドーナツ形を用いた作品を発表している。しかし《ストライク》はこのようなゲシュタルトを拒絶するのだ。見上げるような2.5メートルの高さに突き出た鉄板を前にして私たちは作品の表と裏のいずれかしか見ることができない。唯一両面を視野に収めうるのは作品のエッジに正対する視覚であるが、この位置に立つならば、作品は一つの直線としてむしろ不可視となる。言い換えるならばこの作品は徹底的に視覚による把捉を拒絶するべく実現されている。極端に横長の作品の形状と、側面から見た際の垂直の線条から私はたやすくバーネット・ニューマンの絵画を連想するし、セラとニューマンの関係はきわめて重要な問題を提起するが、ここではこれ以上敷衍しない。《ストライク》は視覚による享受を徹底的に拒絶する。この作品の全体を一望することは構造的に不可能なのだ。そしてその理由は実は作品ではなく私たちの身体に求められる。私たちは通常直立して作品に対し、高さにして1メートルから2メートルの間、水平に並んだ二つの目を通して対象を知覚する。《ストライク》のサイズと配置はこのような条件を正確に反映し、知覚の不可能性を主題としている。このような姿勢はミニマル・アートの作家たちと正反対であるように私は感じる。ミニマル・アートの作家たちは視覚を常に安定したものととらえ、純粋に視覚的な存在としての作品を追求した。美術作品を純粋に視覚的な存在とみなす発想がモダニズム/フォーマリズムにも認められることはいうまでもない。ミニマル・アートとモダニズム美術の錯綜した関係はこのような観点からも分析することが可能であろう。確かに《ストライク》に対しても一望視的な視点、中立的な視点を設定することは不可能ではない。それは作品をはるか上方から鳥瞰する視点だ。実際、セラが1972年の「ドクメンタⅤ」で発表した《サーキット》は部屋の四つの隅に向かって《ストライク》状に鉄板を差し入れた作品であり、今日私たちは四つの鉄板を上方から撮影した写真によってこの作品を確認することができる。(このようなポジション以外にこの作品の全景を一枚の写真の中に収めることは不可能である)しかしおそらくこのイメージは作品の本質と大きくかけ離れている。セラの作品は見る者が作品の中に自分の身体を挿入することによって体験されるべきであり、かかる超越的、特権的な視座とは無縁であるからだ。(なお「鳥瞰」という視点は印象派以後の美術史に対して、いくつもの興味深い問題を提起する。この点については既にカーク・ヴァーネドゥーが論じていたように記憶するし、ロザリンド・クラウスもポロックのアクション・ペインティングにこの観点から論及している)《ストライク》は観者の身体という問題を経由することによって、作品の享受体験の抽象性を否定する。私たちはグッゲンハイム、ビルバオという具体的な場において、自らの身体を介して作品を体験する。逆にそれによってしか作品を知覚しえないのである。セラの《ストライク》を前にして、私は初めてモダニズム美術とは全く別の美術の在り方を知った。私の考えではミニマル・アートとセラの間の断絶は、ミニマル・アートとアンソニー・カロの間の断絶よりはるかに重大である。そして人間を中心としない作品、視覚に還元されないない作品はほぼ同じ時期、例えばロバート・スミッソンやウォルター・デ・マリアによっても探求されている。おそらく1970年前後に現代美術は大きな転回を経験した。しかし錯綜した美術の状況はこのような転回の重要性を覆い隠し、かかる転回の意味は今日もなお十分には検証されていないのではないだろうか。
 もちろんこのような思考が作品の前で直ちに浮かんだ訳ではない。私は驚くべき美術館を訪れ、素晴らしい展覧会を見た興奮とともに美術館を後にした。しかしそこで見た多くの作品の中でも真に画期的な作品は《ストライク》であることを、すでにこの時点で私は確信とともに感得していた。正午をはるかに過ぎ、雨は上がっていた。私は美術館からさほど離れていない区画の古びたバルに立ち寄り、何杯かの白ワインとともにメルルーサ(たら)のバスク風煮込みを注文した。優れた作品を見た後、知的な興奮の余韻の中で味わうワインと料理はいつになく美味に感じられた。
 美術作品をとおして私はこのようなセンセーションを何度味わってきたことであろうか。このカテゴリでは私がこれまでに体験した芸術的官能について書き留めることとする
by gravity97 | 2014-01-16 20:23 | SENSATION | Comments(0)

チャールズ・ディケンズ『荒涼館』

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 年末年始に比較的長い休日をとることができた。かねてから読みたいと思っていたディケンズの『荒涼館』を通読する。19世紀の長い小説を久しぶりに読んだためか、最初こそとまどったが、第2巻あたりでペースをつかむと面白いことこのうえない。一気呵成に一週間足らずのうちに通読した。ディケンズの小説は中学校の頃に『二都物語』を読み、毎年季節になると『クリスマス・キャロル』を読み返すことはあったが、これほどしっかり読む体験は初めてだ。この小説への関心は実は村上春樹に由来する。村上の短編集『東京奇譚集』の冒頭の短編「偶然の旅人」は私のお気に入りの短編の一つであるが、この小説の中で「荒涼館」は重要な小道具として扱われている。しかしなにぶんにも全4巻の大長編であるから片手間に読むことは難しい。例年より長く、珍しく抱えた原稿のない今回の休暇はよい機会となった。
 中学校や高校の頃は19世紀の小説、いわゆる大文字の「長編小説」を数多く読んだので、『荒涼館』は決して私にとって初めての読書体験ではなかった。しかしそれ以降主として20世紀文学に親しんできた私にとってこの小説は懐かしくはあるが、異質の小説のように感じられた。その理由は簡単だ。ディケンズにとって小説という枠組は自明であり、物語を語ることになんら抵抗はない。しかしプルーストとジョイス以降、私たちは小説という形式をあらためて問い、なぜ一つの物語が小説という形式をとって語られなければならないかという点を常に意識しながら小説を読むことを強いられるからだ。モダニストとして私は後者の立場に立つが、読書という営みに関してどちらの認識が幸せであるかという点について判断することは難しい。
 『荒涼館』はディケンズの代表作として、まさに19世紀の大長編小説たる風格を備えている。ロンドンとイギリス東部のリンカンシャー州を主たる舞台として、エスタ・サマソンなる女性の半生の物語であり、登場人物も数多い。途中でいかなる人物かわからなくなって前の頁を繰って確認することもしばしばであったが、このような経験は私にとってトルストイ以来ではなかっただろうか。それにしてもディケンズの小説技法の巧さには舌を巻く。物語のいたるところに周到な伏線や謎めいた手がかりが散りばめられ、次々に驚くべき秘密が明らかになっていく。今必要があって、冒頭に近い箇所を読み返してみたが、なるほど初読の際には読み飛ばしたいくつもの細部が実は深い意味をもっていたことがあらためて理解された。再読するならば本書がこのような発見に満ちていることに疑いの余地はない。本書はまずもって19世紀のイギリスを描いた社会小説であるが、一種の推理小説として読むことも不可能ではない。実際に物語中で語られる一人の登場人物の怪死事件とその真相の解明は、みごとな本格推理である。多くの人物が秘密を抱え、それが明らかになった際の驚きもディケンズならではであろう。『荒涼館』は全部で67の比較的短い章によって構成されており、それぞれの章ごとに謎が深められていくから、長編であっても読みやすい。本書がどのような形式で発表されたかはわからないが、スティーヴン・キングが『グリーン・マイル』を月ごとの分冊形式で発表した際にディケンズに範を仰いだと述べていたことも想起されよう。
 カヴァーの裏に記されたあらすじをたどる程度、つまりこれから読む読者の興を殺がぬ範囲で内容に触れる。この小説は最初がややとっつきにくい。すなわち「大法官裁判所」と題された第一章においては霧雨に烟る暗鬱なロンドンの情景が描かれ、大法官裁判所なる法廷で「ジャーンディス対ジャーンディス事件」なる裁判が進行中であることが明らかとなる。この裁判はこの小説全体の背景となるのであるが、後述するとおりその真相は明らかにされず、実はこの章には主要人物は一人も登場していない。続いて「上流社会」と題された第二章において主要な登場人物の一人であるレスタ・デッドロック卿とその奥方の生活が粗描される。この二つの章は神の視点、すなわち三人称を用いて記述される。これに対して第三章は先に名を挙げたえエスタ・サマソンという女性の一人称で語られる。第三章以降、この小説は神の視点とエスタの一人称が交互に繰り返されるという独自の語りによって展開する。養母のもとで不幸な幼年時代を送っていたエスタは養母の死後、後見人のジャーンディスの支援によって寄宿学校で教育を受け、その後、同じくジャーンディスが後見人を務めるリチャード、アイダという二人の子供達とともにジャーンディスが住む邸宅、通称「荒涼館」で生活を送ることになる。名前から推測されるとおり、ジャーンディスそして三人の子供たちはなお係争中の「ジャーンディス対ジャーンディス事件」の当事者である。エスタ、リチャード、アイダはすぐに互いに打ち解け、彼らの後見人であるジャーンディスおじさんも実に親切な人物である。全く非のうちどころのない人物たちが物語の要衝を占める点に私はやや奇異の感じを受けるのであるが、おそらくこの小説が書かれた時代にはこのような設定もさほど違和感を覚えることがなかったのであろう。このほかにも小説の中には善意の塊のごとき人物が何人か登場し、時に彼らの間で誤解が生じることはあるにせよ、基本的な人物造形は変わることがない。一方でこの小説には一度読んだら忘れることのできない奇矯な人物たちも登場する。例えば自分の妻にとって自分が三人目の夫であることを公言し、のみならず前二人の夫がいかに優れた人物であったかをことあるごとに吹聴する医師、老いた妻を絶えず罵倒する老人、自分の家庭や子供たちを全く顧みることなくアフリカに関する慈善事業に邁進する女性、ディケンズの小説の魅力はこれらのバイ・プレイヤーたちが生き生きと物語に介入する点にも負っているだろう。あるいは今日からみるならば荒唐無稽と感じられるエピソード、例えば登場人物の一人は自然発火によって焼死する。これは人が強い酒を長期にわたって飲み続けると血液中のアルコールが高まり、ついには自然発火して死にいたるという当時の俗説を反映しており、ディケンズ自身も巻末に収録された「単行本への序文」の中で言及している。無数の挿話を織り込みながらもメインストーリーは孤児エスタの成長の軌跡であり、エスタの出生の秘密が次第に明らかになっていく過程である。第二章で言及され、その後もしばしばその動静について言及されるデッドロック卿夫妻がこの問題に深く関わっていることは予想されるのであるが、ディケンズは様々なエピソード、様々な小道具を介して実に巧妙に両者を結びつけていく。このあたりが本書の読みどころといえよう。小説のほぼ半分、文庫本でいえば第二巻の終わりのあたりで読者は両者の関係をほぼ理解するのであるが、物語は後半に入るや、たたみかけるよう数々の事件が出来し、読者はまさに巻措く能わざるといった感じで事件の推移を見守ることとなるのだ。この意味でもキングがディケンズに私淑することは当然であろう。多くの驚きを経過して結末もまた感動的である。ディケンズはエスタのみならず、多くの登場人物についてもその行く末を丁寧に書き込む。結果として多くの登場人物が複雑に絡み合って一つの時代の壮大なパノラマがかたちづくられたような読後感が残る。
 ここでは本書を読んで私が関心を抱いたテーマを二つ指摘しておきたい。ひとつは貧困というテーマである。「荒涼館」は一方ではデッドロック卿をはじめとするエスタブリッシュされた階級、そしてエスタらのようにそのような階級への参入が予想される人々の物語であるが、同時に当時の貧民階級へも周到な目配りがなされている。注目すべきは両者が必ずしも分かたれていない点だ。先にも触れた慈善家ミセス・ジュビリーがブルジョアに属すか否かは必ずしも判然としないが、彼女はアフリカへの慈善事業に執着し、エスタたちも幾度となく貧民街に足を運んで多くの登場人物と交流する。エスタは物語の途中で病名こそ明示されないが、「病後は美しさが損なわれた」という表現から天然痘と推定される大病を患うが、荒涼館にこの病気を持ち込んだのは彼女と交流のあった貧民層の少年であった。貧しい人々、あるいは孤児への暖かい眼差しは多くのディケンズの小説にも共通するが、私は貧困というテーマが同じ時代に多くのヨーロッパの小説に共有されていたことを想起する。フランスであれば『レ・ミゼラブル』(私はバルザックをあまり読んでいないのだ)、ロシアであればドストエフスキーの小説、いずれも貧困という主題が隠されたテーマであることは明らかだ。むろん20世紀にも貧困は存在する。しかし私はいくつかの例外を除いて、貧困が主題とされた小説を挙げることはかなり困難に感じられる。これはおそらく先にも述べたとおり、20世紀においてはテーマよりも小説の形式が重視されるようになったことと関係があるかもしれないし、例えば疎外、大量死、絶滅収容所といったさらに重い主題が浮かび上がった時代と関わっているかもしれない。そして指摘すべきはディケンズの時代において小説は貧困、階級差といった社会的な問題を告発するきわめて効果的な手段であったことである。文学を含めた人文科学が社会的な問題との関係を希薄化しつつある今日、主題としての貧困の意味はなお検証されてよいだろう。
 もう一つのテーマとは裁判あるいは審判という問題だ。以前から感じていたのであるが、西欧には裁判をめぐる文学というジャンルが明らかに存在する。例えば『カラマーゾフの兄弟』を挙げてみよう。この傑作は複雑な縁で結ばれた一族と父殺しをめぐる物語であるが、後半部においては法廷を舞台とした審問が延々と描かれる。あるいはトルストイでもデュマでもよい、19世紀に発表された長編小説をランダムに想起するならば、国籍を問わず裁判というテーマが重要な意味をもつことが理解されよう。この点を日本の近代文学と比較する問題は興味深いがひとまず措く。ディケンズの場合もほかにも裁判とかかわる小説は存在するが、ことに裁判所の記述に始まり、「リンカン法曹学院」や「大法官府横丁」が主たる舞台となる『荒涼館』においてこの印象は強い。しかし同時にこの小説において裁判のテーマはきわめてあいまいである。なぜなら多くの登場人物が関与する「ジャーンディス対ジャーンディス事件」という審問の内実が全く明らかにされないからだ。それが遺産相続をめぐるきわめて錯綜した裁判であり、ジャーンディスとエスタ、エイダ、リチャードが訴訟における立場を必ずしも共有していないことは読み進めるうちにおぼろげに理解される。しかし肝心の裁判については既に冒頭で次のような説明がある。「ジャーンディス対ジャーンディス事件はいつまでもだらだら長引いている。時が経つにつれて、このこけおどしの訴訟はすっかりこみっていしまったので、もう誰にもさっぱりわけがわからなくなってしまった。しかも一番わからなくて困っているのはほかでもない、訴訟の当事者たちである」誰にも理解できない裁判システム、おそらくここから誰もが連想するのはカフカの一連の小説であろう。審判制や官僚制が肥大し、誰もがその全貌を把握できなくなる不条理な状況をカフカは『審判』や『城』で描いた。『荒涼館』の中にはその日に判決が言い渡されることを信じて裁判所に日参するフライトという一種の狂女が登場する。フライトは裁判所について「吸い寄せるのですよ。人々を吸い寄せるのです。人々から平静を吸い取ってしまうのです。正気を吸い取ってしまう。いい顔色を。いい性質を。夜になると私の安らかな眠りすら吸い取ってしまうような気さえしました。あの冷たい、きらきら光る悪魔めが」とエスタに語り、当時弁護士をめざしていたリチャードも裁判所に吸い寄せられようとしていると警告する。なにものをも拒み、時に被告を犬のように殺すカフカの「城」や「審判」がここで予示されているとみなすのはさすがに強引すぎようか。
 強引ついでにもう一つの連想を。私は本書を読みながら直ちに同じイギリスで今世紀に発表された小説を想起した。『荒涼館』の中心人物は語り手であるエスタ、そして親友のアイダ、そしてアイダと結ばれることになるリチャードの三人である。三人を軸に語られる小説は比較的珍しいのではないかと考えるが、私たちは全く同じ関係をカズオ・イシグロが2005年に発表した『わたしを離さないで』におけるキャシー、ルース、トミーの三人にも認めることができる。両者はそれぞれ「荒涼館」、「ヘールシャム」と呼ばれる閉鎖された空間を物語の主要な舞台としている点においても共通し、さらにいずれも出生の秘密とも呼ぶべき問題が小説の根幹を成している点でも一致する。「荒涼館」で暗示される階級差が極限化された世界がカズオ・イシグロの小説であると考えるのは飛躍のしすぎか。そういえばカズオ・イシグロも村上春樹のお気に入りの作家であった。
by gravity97 | 2014-01-04 11:13 | 海外文学 | Comments(0)