Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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ローラン・ビネ『HHhH』

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 先日から國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』を読んでいる。最近、若手によって発表されたこのドゥルーズ論についても機会があればこのブログで応接したいが、最初に國分はドゥルーズの哲学について「自由間接話法的ヴィジョン」という興味深いテーマを提起する。周知のごとくドゥルーズはヒュームやベルグソン、あるいはプルーストやカフカといった哲学者や文学者のテクストに寄り添いながら、自身の哲学を開陳したとみなされてきた。しかし國分は異なった見方をする。

 もし哲学研究が、対象となる哲学者の思想を書き写すこと、まとめ直すことであるならば、それはその哲学者が述べたことをもう一度述べているにすぎない。そして、先に述べたとおり、対象となる哲学者の思想とは別の思想をその哲学者の名を借りて語っているのであれば、それは哲学研究ではない。ならば哲学研究は何をするべきか? 哲学者に思考を強いた何らかの問い、その哲学者本人にすら明晰に意識されていないその問いを描き出すこと、時にはその哲学者本人が意識して概念化したわけではない「概念」すら用いて、時にはその対象を論じるには避けて通れないと思われているトピックを飛び越えることすら厭わず、その問いを描き出すこと―ドゥルーズは、それこそが哲学研究の使命であると考え、そしてそれを実践した。

 最初から長い引用になったが、2009年に発表されたこの奇妙なタイトルの小説を読み始めるや、私は自然に國分のいう「自由間接話法的ヴィジョン」という概念を連想した。もちろんこの若いフランス人によって書かれた書物は「小説」であって哲学研究ではないし、ここで扱われるのは歴史であって、哲学者の思想ではない。しかし対象との距離に関してきわめて意識的な点において私は國分の論じるドゥルーズとローラン・ビネという作家に共通点を認めるのである。ドゥルーズが『失われた時を求めて』を解読する過程でそこに作者さえ意識しなかった「シーニュの生産」という機能を織り込んだように、ビネはナチスへの抵抗を自らが検証する過程そのものを物語の中に組み込んでいくのだ。もう少しわかりやすく述べるならば、この小説の独自性はまさに「話法」にある。一般的に歴史的事実について記述するには二つの方法がある。一つは自分が体験した事実として歴史を語るいわゆる直接話法だ。例えば大岡昇平が『野火』においてフィリピン戦線について書く時、作者である大岡の分身である「私」の物語が語られる。これに対してソルジェニーツィンの『収容所群島』の場合も語る主体こそ「私」であるが、ソルジェニーツィンの場合は様々な歴史的資料を渉猟し、史実の積み重ねによって、ラーゲリという暴虐をいわば第三者的に明らかにしていく。この小説における語りは間接話法といってよい。歴史をめぐる物語は全てこの二つの語りのいずれかに立つ。しかし本当にそうであろうか。歴史について「私」が語る物語が常に真実であることを保証するのは何か。同様に「客観的事実」として提示される物語の真実性は何によって担保されるのか。本書の語り手はこの二つの問いの間を揺れながら歴史へと接近する。
 本書の冒頭近くでビネは次のように記している。「ミラン・クンデラは『笑いと忘却の書』のなかで、登場人物に名前をつけなければならないことが少し恥ずかしいとほのめかしている。とはいえ、彼の小説作品にはトマーシュとかタミナだとかテレーザだとか名づけられた登場人物があふれ、そんな恥の意識などはほとんど感じさせないし、そこにははっきりと自覚された直感がある」クンデラは小説の中で架空の人物に名前を与えることの不思議さを語る。これに対して本書の登場人物は確固たる固有名をもつ。タイトルのHHhHとはドイツ語で「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」という文章の頭文字。ヒムラーとはナチス・ドイツで内務大臣、警察長官などを務めたハインリヒ・ヒムラーのことであり、ハイドリヒとはヒムラーの片腕としてゲシュタポの長官を努め、ユダヤ人問題の「最終解決」すなわち絶滅収容所での大量虐殺を発案し、実行したラインハルト・ハイドリヒを指す。「金髪の野獣」と呼ばれ、ホロコーストの首謀者として恐れられたハイドリヒに仕掛けられた暗殺計画が本書の主題であることは冒頭の20頁ほどを読めば明らかとなる。しかし作者はこの事件を語るにあたって、例えば暗殺者の一人称といった直接話法を採用することなく、一方、歴史的事実を三人称で記述する歴史書のごとき間接話法も用いない。作者は自らハイドリヒが登場するいくつもの映画をDVDで確認したことを報告し、事件の模様が展示された博物館を訪れる。このような記述を通して読者はおぼろげにハイドリヒ暗殺計画の輪郭を知る。暗殺はパラシュートで降下したチェコ人によって試みられたらしい。この暗殺計画は「類人猿作戦」と呼ばれていたらしい。計画を遂行する過程で何らかの不手際が発生したらしい。この暗殺計画に対する報復としてリディツェという村の村民全員が虐殺されたらしい。しかし作者は暗殺の成否そのものについては慎重に断言を避ける。(訳者あとがきではこの点が明言されているから、なるべくあとがきを読まずに本書にとりかかることをお勧めする)
 本書は長短合わせて257の章によって構成されている。ある章でハイドリヒの生い立ちや少年時代のエピソードについて語った後、次の章で作者は友人に自分が今書いている本(もちろん本書のことだ)の感想を求める。このため読者もハイドリヒの物語に没入できず、現実と歴史の間、一人称と三人称の間に宙吊りとなる。読み進める過程で読者は先ほど挙げたクンデラのほかにもロバート・ラドラムやタランティーノの『キル・ビル』といった固有名に出会う。第二次世界大戦前後を扱った物語の中で唐突にまことに現代的な名前に出会う時、私たちは違和感を覚えざるをえない。しかしこのような居心地の悪さの中でこそ、私たちは真に歴史に向かい合うことができるのではないだろうか。つまり一つの歴史的事実について私たちは常に現在から、事後的にしか立ち会えない。あたかも暗殺計画が実行された場に立ち会ったように書くこと、自分たちとは無関係の新聞記事のように事実を記すこと、いずれの方法も歴史に対して誠実ではない。私たちは語られる出来事に対して、自分が現在に位置していることを自覚したうえで過去を語るべきではないか。このような作者の意識は物語の終盤で驚くべき手法によって物語の内容へと転化される。それについて述べることはここでは控えよう。
 私の悪い癖で、本書の形式的側面、語りの問題についてくどくどと述べたが、時折歴史的文書や関係者の日記などを交えながら、断章形式でめまぐるしく推移する物語はサスペンスルフルで読み出したら止まらない。先に述べたとおり、話者はしばしば現在に立ち戻るため最初はとまどうが、読み進めるうちに次第に慣れる。ハイドリヒが生まれた1904年から暗殺事件のあった1942年まで、つまりナチス・ドイツが台頭し、実権を掌握していく重苦しい時代の詳細が多くハイドリヒが関わった具体的な事件を積み重ねて描かれる。突撃隊のレームを粛清したいわゆる「長いナイフの夜」、ハイドリヒの工作によるスターリンの赤軍大粛清、オーストリアの併合、「水晶の夜」と呼ばれる反ユダヤ人暴動、そしてユダヤ人問題の最終解決をめざした絶滅収容所の建設。本書において物語は一方でハイドリヒ暗殺が試みられた1942年5月、プラハというクライマックスに向けてぎりぎりと締めつけられていく。一方で20世紀前半、ヨーロッパで吹き荒れた様々な暴力や裏切りが壮大なタペストリーのようにあらわとなる。ヒトラーやヒムラー、ルドルフ・ヘス、そしてアイヒマン、ジェノサイドという人類史上まれにみる戦争犯罪に手を染めた者たちをめぐって、ナチス・ドイツという組織、政治権力が暴力装置と化して文字通り人々を圧殺していく過程がダイナミックに描出される。本書を読んで私は虚言や食言、差別や扇動といったナチスの指導者の「手口」が、現在の首相や大阪市長に共有されていることをあらためて認識した。本書が一方で暗殺計画に向かう求心性、他方で第二次世界大戦に向かう暴力装置のメカニズムを俯瞰する遠心性を秘めているとするならば、それは先に触れたとおり、現在と過去、二つの時点に軸足を置いた語りに由来しているだろう。
 本書の帯には何人かの文学者や研究者が賛辞を寄せいている。『アメリカン・サイコ』のブレット・イーストン・エリスとバルガス・リョサの賛辞を確認した時点で直ちに私は本書の購入を決めたが、エリスはともかくリョサのコメントは興味深い。なぜならリョサもまた暗殺をめぐるきわめて錯綜した傑作を発表しているからだ。このブログでも触れた『チボの狂宴』である。『チボの狂宴』は2000年に発表され、本書は2009年に出版されているから、リョサが本書の影響を受けたことはありえない。しかし両者は多くの共通点を有す。つまり大統領や政府高官の暗殺というテーマが設定され、物語がその一点に向かって収斂する点、そして暗殺というクライマックス以後の関係者に対する無残な弾圧が一つの主題をかたちづくっている点である。あとがきによればリョサは本書について「フィクションの傑作というよりは、偉大な書物と呼びたい」と絶賛した後で、次のように評しているという。「この平明で曇りのないスタイルは、こけおどしのたぐいを避け、あくまでも自然な語りの背後に留まろうとしているようにみえる。こうして読者は一種、陶酔状態の中で、いつしか語られている事実の時空に運ばれ、ハイドリヒの乗るオープンカーを待ちかまえている二人の若者の熱い内部に文字どおり滑りこんでいく」『チボの狂宴』は20ヵ国語以上に翻訳されているというから、おそらくフランス語にも翻訳されているであろう。私は逆にビネがリョサを読んだことは大いにありうると思う。ハイドリヒの暗殺を図って待ち伏せする二人の男という設定は、『チボの狂宴』の最初、独裁者トゥルヒーリョを斃すために車の中で待ち伏せする男たちとそっくりではないか。私はむしろこの相似に関心を抱く。ブログの中でも論じたが、リョサの小説では三人の話者が順番に語りを務めることによってトゥルヒーリョ暗殺をめぐる物語に奥行きが与えられる。このあたりの小説的技巧の巧みさはリョサならではであるが、リョサは歴史を物語ることになんら疑念を抱いていない。ヴァレリー風に言えばリョサは「公爵夫人は5時に外出した」と記すことにためらいを感じないのだ。しかし登場人物の命名にさえ自覚的なビネにとって、歴史を語ることは決して自明ではない。ビネはリョサのように、三人の話者に語りの全権を委譲することなく、自らも語りの中に介入しつつ物語にかたちを与える。いや、そのように語ることによってしかビネは歴史を語ることのリアリティーを感じることができないのだ。この差異は小説の手管に長けたノーベル賞作家とナイーヴな若手作家の相違であろうか。小説という言葉に信頼を寄せ、見事な物語へと転じる才能、そして言葉を語る自分を意識し、言葉と自分との関係を物語として提示する才能。おそらく全ての優れた小説はこれら二つの立場の中間にあり、私はいずれの小説も大いに楽しんだ。

by gravity97 | 2013-09-25 09:13 | 海外文学 | Comments(0)

手嶋龍一『宰相のインテリジェンス』

 筆者の手嶋龍一はかつてのNHKワシントン支局の支局長。2001年の同時多発テロに際してはワシントンからTVに出ずっぱりで次々と的確な情報を伝え、強い印象を残した。その後、作家に転じ、ワシントンにおける独自のコネクションを生かして、インテリジェンスに関するノンフィクションや小説を著している。私もそのいくつかを読んだ覚えがある。佐藤優との対談『インテリジェンス 武器なき戦争』はとりわけ興味深かった。
 本書はかつて2011年に『ブラック・スワン降臨』というタイトルで刊行された。文庫化にあたって改題し、全面的な改訂を施したという。「ブラック・スワン」とはありえない事態が現実化することの謂。同時多発テロ、東日本大震災、原子力災害。確かにいずれもこのわずか10年ほどの間に降臨したブラック・スワンたちだ。そして今や私たちはいつ再びブラック・スワンが舞い降りるかもしれない時代を生きている。
 内容はあまりまとまりがない。第1章ではパキスタンでビン・ラディン暗殺のミッションが遂行された際にオバマ大統領がいかにして情報の保秘に成功したか論じられる。パキスタン政府内に内通者がいる状況ではあらかじめパキスタンに通告することはできない。ブラック・ホークという特殊なヘリコプターを用いて海軍の特殊部隊が極秘に潜入し、ビン・ラディンを殺害して帰投する。一つの国家の主権を無視した危険なミッションについて私はこのブログで触れた映画「ゼロ・ダーク・サーティー」でその詳細を知ったが、確かにこのミッションは作戦を関係者にいかに秘匿するかという点こそが作戦の成否に関わっていた。続く第2章ではビン・ラディンの行方をつきとめるため、アメリカの国内法が及ばないキューバからの租借地に建設されたグアンタナモ海軍基地で捕虜たちに虐待を加えながら、情報を集めていった模様が語られる。これもまた「ゼロ・ダーク・サーティー」で活写されたとおりだ。軍の協力がなければグアンタナモへの取材もありえないから、手嶋と海軍の関係はスリリングである。かくして得られた情報に基づいて実行されたビン・ラディン殺害がインテリジェンス管理の成功例とするならば第3章で扱われるのはその失敗例。つまり事前の多くの情報を得ながらも、当局が同時多発テロを防ぐことができなかった顚末が語られる。このあたりの記述は手嶋がブッシュ、オバマ政権内部に何人ものディープ・スロートを擁していることをうかがわせる。この問題に関してははこのブログで触れたローレンス・ライトの『倒壊する巨塔』にも詳しい記述があったことを覚えている。第4章は同時多発テロ当日、ワシントン支局長であった手嶋がいかに采配をふるかったかの記録。手嶋は11日間にわたって昼夜連続の中継を担ったという。第5章もインテリジェンス管理の失敗例が語られる。テロへの報復としてブッシュはイラク戦争に突き進んだが、よく知られているとおり、開戦の根拠とされた大量破壊兵器は遂にイラクで発見されることがなかった。手嶋によればそれは「カーブボール」と呼ばれる情報源からもたらされた偽の情報であったという。しかも同様の誤った情報は無数に存在していた。情報をインテリジェンスという意味のあるそれに変えるためには分析、解析する担当者の手腕が問われることは当然といえば当然だ。ここで明かされる秘話も興味深い。小泉首相当時、イラクの核兵器開発に関する資料を持ち込んだイラク人が赤坂プリンスホテルにVIP待遇で長期滞在したという。小泉政権が官房機密費を用いてこれを遇したが、実際にはそのような資料は存在せず、最終的に逐電した男は詐欺師であったという。もしそのような資料が存在したならば、小泉政権としては窮地に追い込まれていたブッシュ政権に対してなにがしかの貸しを作ることができたが、逆に資料が偽物であれば大きなスキャンダルになっていたはずだ。このエピソードは日本もかかるインテリジェンスをめぐる戦場の最前線であることを示唆している。6章と7章では民主党政権下で悪化した日米関係、そして中東での作戦行動のために東アジアでのアメリカのプレゼンスの弱体化、そしてこれに代わる中国とロシアの台頭が論じられる。かかる困難な状況をもたらした当事者として手嶋は日本の政治家のみならず、アメリカの政権担当者に対してもきわめて辛辣な批判を投げかける。ここで提起された状況が今日さらに深刻化していることは明らかだ。そして最後の章で手嶋は東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故をめぐって菅政権の対応の稚拙さ、そして対照的なアメリカの危機管理の手際よさについて論じる。
 先に述べたとおり、今やいつ次の大地震が発生するかもしれず、かたや福島第1原子力発電所の事故は収束の見通しさえ立っていない。さらに愚かな政権のために隣国との緊張もかつてなく高まっている。ブラック・スワンが何羽も頭上を舞っているような状況の中で本書を読むことはそれなりの切実さを伴う。それにしてもインテリジェンスとは奥深い世界だ。無数にあふれる情報の中から、意味のある情報を選び、情報の真偽を見定め、必要な相手に伝えることができて初めて情報はインテリジェンスへと転じる。このあたりの機微について私は手嶋と佐藤優の著作から多くを学んだ。手嶋は本書の中で「インテリジェンスの世界に完璧な情報など存在しない」とまことに身も蓋もない言明を行っている。確かにそうかもしれない。本書でも触れられているとおり、アメリカという大国が地球の裏側まで派兵し、多くの犠牲とともに敢行した戦争に全く根拠がなかったといった話はにわかには信じ難い。ブッシュとネオ・コンが偽の情報と知りつつあえて開戦したという疑惑は残るにせよ、イラク戦争がアメリカのインテリジェンス収集の歴史に大きな汚点を残したたことに疑いの余地はない。現在、オバマ政権がシリアに軍事介入しようとしているが、多くの同盟国が協調の姿勢を示さないことはインテリジェンスの扱いを誤った際の禍根の深さを暗示しているだろう。
 本書を読んで私があらためて強く意識したのは、インテリジェンスとは内容の真偽もさることながら、その扱い、誰に知らせて誰に知らせないかという点こそが重要であることだ。ビン・ラディン暗殺は確かに標的の所在についてのインテリジェンスを得たことから始まった。しかし一方でこのミッションはインテリジェンスを秘匿し、関係国はもちろん大統領の身辺にさえその進行を隠し通したことによって初めて可能となったのだ。本書の冒頭にこのエピソードを配置した手嶋の意図は明らかである。
 さて、この原稿を書いている途中で2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定された。国民が疲弊し、放射能に汚染され、隣国へのヘイトスピーチが公然と唱えられる国でオリンピックを開催するとは、私にはブラックユーモアとしか思えない。そしてこれによってこの国は効率とか収益とかいった経済的価値に代えて国際社会に対して誇りうる新しい価値を提示する最後の機会を失ったことも確かであろう。それにしてもオリンピック招致に関するマスコミの翼賛的報道はどうだ。そしてインターネット上にはオリンピック招致を寿がぬものは非国民だといったコメントが次々にアップされている。
 ブエノスアイレスでのスピーチで私たちの「宰相」は事故を起こした原子力発電所が完全にコントロールされ、汚染水もブロックされていると主張した。公衆の前で平然と嘘をつくことができるのも確かに政治家の一つの資質であろうからそれ自体には驚かない。しかしこの発言によって事故を完全にコントロールし、汚染水をブロックすることはこの政権にとって死活的に重要な案件となった。もちろん素人の私が見てもそのようなことができるはずはない。今後、この政権は原子力災害に関するインテリジェンスをどのように扱うことになるだろうか。東京電力から提供される情報がでたらめであることは今後も変わらないだろうから、これに関してはインテリジェンス以前の問題だ。おそらくこの政権は原子力災害に関するインテリジェンスの秘匿に狂奔することとなろう。私たちはオリンピック招致の代償としてこれから原子力災害の帰趨についてクリティカルな情報を何も知らされることのない7年間を送ることになるはずだ。本書の中でも最後の「著者ノート」に安倍についての言及がある。小泉政権時の官房副長官としてインテリジェンスをめぐる外交の苛烈に触れた安倍がインテリジb0138838_22183142.jpgェンスを集約する日本版NSC(国家安全保障会議)の設立を画策していることは報道されているとおりだ。この機関がかかるインテリジェンス統制の走狗となることもまず間違いないだろう。

by gravity97 | 2013-09-12 22:25 | ノンフィクション | Comments(0)

四方田犬彦『ひと皿の記憶』

b0138838_1941861.jpg 四方田犬彦は私のお気に入りの書き手であり、このブログで取り上げるのは確か三回目となる。これまでは比較的硬めの評論を取り上げたが、今回は食をテーマにした軽めのエッセイだ。もっとも四方田と食というのは決して意外な組み合わせではない。あとがきによれば四方田は80年代末に『食卓の上の小さな混沌』という料理エッセイを発表したことがあるらしいし(私は未読)、『芸術新潮』誌上で歴史上有名な文学者や芸術家の遺したレシピに基づいて料理を作るという写真付きのエッセイを連載していたことも記憶に新しい。食をテーマとしたエッセイといってもレストランガイドや食べ歩きといった内容ではない。端的に食材と場所についてのエッセイだ。40篇ほどの文庫書き下ろしのエッセイが収められているが、例えば「奥能勢の鮎」「タスマニアの牡蠣」といった風に、そのほとんどで地名と食材が結びつけられている。全体で4つの章によって構成されているが、分類の基準もわかりやすい。1章は主として四方田の幼時の体験を中心に日本国内で四方田が食した食材について土地と関連させて語られる。2章は四方田が最初に留学した韓国、そして中国で味わった料理や食材について、3章では主として東南アジア、そしてモロッコ、テルアヴィヴといったエスニック(この言葉を四方田は嫌う)料理と食材、4章ではイタリアを中心にヨーロッパの食をめぐる話題が語られる。端的に土地によって分類されている訳だ。
 あとがきの中に食とは記憶であるという言葉がある。プルーストの長編の冒頭を想起するまでもなく、これは普遍的な真理であり、四方田が幼時に通った能勢の川魚料理店の思い出とともに本書が語り出されることは十分に理解される。食をめぐる幼時の記憶が次々に開陳された後、筆者の記憶は大学院在籍中に留学した韓国で食べた料理の記憶へと転じる。いささか奇妙ではないか。幼時の、それも多くの場合、祖父母と味わった料理や食材について語った後、エッセイの主題は初留学以後転々とした世界各地の食をめぐる話題へと移る。つまり本書には普通であれば人が最も懐かしい食の記憶として心に留めるはずの家庭における食事、わかりやすくいえば「おふくろの味」への記述が欠けているのである。おそらくそれは四方田が家庭的に不幸な青少年時代を送ったことと関係しているであろう。これまで漠然とうかがえたこのような事情、父親との不和、冷え切った家庭について四方田は一昨年刊行した『再会と別離』の中で石井睦美との往復書簡というかたちで初めて明らかにしている。
 食とは記憶である。しかし同時に食は場所とも深く結びつく。記憶が時間と関わるとするならば、場所とは空間と関わっている。四方田は血縁的記憶、集団的記憶としての食というテーマから早々と立ち去り、彼が訪れた多くの国や地域の場所の記憶としての食というテーマへと向かう。海外での生活、それも韓国からイタリア、タンジェからテルアヴィヴにいたる実にさまざまの土地を一時的に旅したのではなく、とどまって生活した四方田ならではの蘊蓄が次々に語られる。留学や大学での講義、あるいは文化使節として現地に長く滞在し、自ら料理を作った経験が反映されていることは間違いないが、それにしても食材やレシピについての四方田の博識は驚くばかりであるし、料理を作る際の四方田の水際だった手さばきはどうだ。私の聞いたこともないような野菜や香辛料、調理法や味付けの方法が次々に説明され、時に四方田自身によって実に魅力的な料理へと調理されていく。信州に野生する茸、ボローニャの怪しげな魚屋の棚で見つけた鱲子(からすみ)、横浜の中華街から取り寄せた鼈(すっぽん)。多く癖のある食材を四方田が楽しげに捌いていく様子は本書の読みどころの一つである。未知の食という点において、私は2章と3章、とりわけバンコクやサイゴンといった東南アジアとモロッコを中心としたイスラム圏にまつわる「ひと皿の記憶」を記した3章が印象的であった。それは端的に私がそれらの地を旅したことがないためであろう。イサーンのガイヤーン、サイゴンのゴイクォン、ジャカルタのサテ、料理の名前を挙げただけでなんともいえないエキゾチシズムをかき立てられるではないか。いずれも決して高級な料理ではない。四方田はあとがきに次のように記す。「わたしはもとより有名なレストラン廻りにもグルメ・ジャーナリズムにもまったく関心のない人間である。(中略)できることなら外食などせずに、自分で朝昼晩と台所に立っているほうが望ましいと考えている。理由は簡単で、見知らぬ場所で見知らぬ創作料理とやらにいくらつきあわされてみても、それがいっこうに私の記憶に訴えてこないからだ。わたしはそうして口にした料理のことを、ただちに忘れ去ってしまうだろう」本書に関して私が大いに共感できる点は、筆者が高級レストランや美食に関心がなく、市井の人々との交流の中で食の愉しみを見つけようとする姿勢だ。私もまた海外に行くと、大層なレストランや高級クラブでなく、小さなバルやカウンターしかないパブで地元の人たちに混じってビールやワインを飲むことを好む。私が一人で旅行することが多いという理由もあるが、その土地の雑踏の中でその土地の料理や酒を飲むことがなんともいえず楽しいのだ。私の記憶の中ではローマで仕事の一端として臨んだ会食の高級料理より、バルセロナの場末のバルで二度と会うことのない相手とたどたどしい英語でくだらない会話を交わしながら共にした料理の方がはるかに鮮烈に脳裏に刻まれている。食の記憶とは「何を」食べたかというよりもむしろ「誰と」食べたかと深く関わっているのだ。私の乏しい体験からしても、かような交流が最も自然に感じられたのは店に入るや直ちに話しかけられて一人で食べることがありえないアジアの屋台であった。本書の半分を費やして四方田が東アジアにおける「ひと皿の記憶」について論じていることは当然といえよう。
 食にまつわる記憶であるから当然、楽しい記憶が多い。その中で唯一「私が口にしたもっとも貧しい食事」と形容されているのが、四方田が国際映画祭に招かれて訪問したピョンヤンで監視人の目をかいくぐって工場労働者に混じって街角の食堂で食べた朝食である。薄い四枚の餅、唐辛子のほとんど使われていないキムチ、肉一切れが浮いただけのスープ。確かに貧しい食事だ。しかしその場に居合わせた人々は四方田を食券さえ持たない貧しい旅行者とみなして、無料で一人分の料理を都合してくれたのだ。四方田は彼らの行為が食事とは居合わせた者全員でなされるべきであるという共食の思想に基づいていたと結論づけるとともに、それが豪華な料理にあふれた東京やソウルではもはや理解不能な思想であろうと述べる。ピョンヤン、正確には北朝鮮が人にとって苛酷な土地であろうことに疑う余地はない。四方田は2004年にも二組の苛酷な土地を訪れている。すなわちイスラエルとパレスチナ、セルビアとコソヴォといういずれも相互に憎悪をぶつけあう土地だ。このうち、イスラエルに関しては本書の中でも「テルアヴィヴのファラフェル」という章で触れられている。四方田は紀行文の名手でもあるが、これらの地の滞在記は既に『見ることの塩』というまことに苛烈な紀行としてまとめられており、これらの本の中には食に関する言及がほとんどない。それはタイトルからして悦楽的なもう一つの紀行『モロッコ流謫』におけるクスクスや屋台についての記述と好対照を示している。おそらく食についての記憶とは幸福を担保にしているのだ。
 同じ理由によるのであろうが、私は料理や会食の場面を描いた小説を好む。かつてクリスマスがめぐって来るたびに、ディケンズの『クリスマスキャロル』を読み返したのは、その中に記述されるクリスマス・ディナーを確認するためであり、ギュンター・グラスを読む時、私はそこに散りばめられた料理のレシピを楽しむ。村上龍にはその名も『料理小説集』という短編集があり、村上春樹はいくつもの小説の中で長々とパスタのレシピについて述べる。開高健の一連の小説やエッセイ、古くは谷崎潤一郎や池波正太郎の作品、最近では玉村豊男や辻静雄のエッセイにいたるまで、食をめぐる記述は常にゆるやかな幸福感をまとっていたように感じられる。私にとって本書もまたこれらの系譜に連なる「新しい天体」であった。

by gravity97 | 2013-09-06 19:42 | エピキュリズム | Comments(0)