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奥泉光『雪の階』

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 「シューマンの指」 「グランド・ミステリー」「東京自叙伝」に続いて奥泉光の小説について論じるのは四回目となる。「日本文学」といった大それたカテゴリーを開設しながら、作家選択の偏向は目を覆うばかりとはいえ、2016年から2017年にかけて『中央公論』に連載された後、加筆修正を加えて今年初めに上梓されたこの小説もまた傑作であり、読了するや私は直ちにレヴューすることを決めた。
 江戸時代から語り起こされた「東京自叙伝」を別にすれば、奥泉の長編は比較的近い過去、具体的には太平洋戦争期もしくは現在を舞台とした作品が多かったが、「雪の階」はそれより少し前、昭和11年の2・26事件前夜を背景としている。私が記憶する限り、物語の中に特定の年記はなく、また作中で具体的に言及される数々の事件が現実に出来したかについてはにわかには判断できないが、昭和初期の風情を濃厚に織り込みながら物語は次第に2月26日に向かって進み、最後の章においては事件の発生とその帰趨が語られる。ただし本書は2・26事件をクライマックスとした歴史小説ではない。強いていえばありえざる2・26、あるいはもう一つの2・26を語る一種の実験であり、私は奇しくも同じ事件を扱った恩田陸の『ねじの回転』というSFを読んだ記憶がある。しかし本書は恩田の小説とは比較にならない格調と重厚さを帯び、さらに奥泉の小説になじんだ読者であればおなじみの物語の形式をとっている。すなわち物語は「シューマンの指」や「グランド・ミステリー」同様に一つのミステリーとして提示されている。物語の冒頭に近い箇所に一つの謎が提示され、読み進むにつれ、曲折を経てその謎が解明される。しかしながらもちろん単純な犯人探しやトリックの種明かしではない。謎が解明されるにつれて登場人物はむしろの謎の中心へと引き込まれ、現実と幻想の境界がおぼろげとなっていく。これもまた奥泉の小説には特有の構造だ。そしてそれは個人的な幻視というより、一つの国家、一つの民族の命運に関する幻視なのである。今回もかなり内容に立ち入って論じるため、先入主なき状態でこの小説を楽しみたい読者には直ちに本書を手に取ることをお勧めする。
 今、幻視という言葉を挙げた。この小説は次のようなパッセージから始まる。

 夕暮れの、一面が濃紫に染まった空の下、焔に炙られ焼け焦げたものか、それとも何かの疾病なのか、どれも一様に黒変した、ひょろ長い灌木とも棒杭ともつかぬものの点在する荒野を一人彷徨い歩きながら、寒草疎らに散るこの冷たい地面の下には、獣や鳥や虫の死骸が折り重なり堆積して居るのだと考えた維佐子は、ふいに湧き起こって耳に溢れた音響に夢から現へと引き戻され、すると突然の驟雨のごとき響きは人々の拍手であり、高さのない舞台では演奏を終えたピアニストが椅子から立ち上がるところだった。

 なんとも不吉な幕開けであり、一体いかなる導入かと感じられもしようが、実はこの冒頭部からして周到な伏線であることは本書を読み終えた時、了解される。私はこの冒頭からかつて愛読した、やはり戦前期を舞台にした別の小説の劈頭を連想した。

 草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ雪嵐が荒涼として吹き過ぎる。はるか高い丘の辺りは雲にかくれた黒い日に焦げ、暗く輝く大地のところどころに黒い漏斗形の穴がぽつりぽつりと開いている。

 いうまでもない。野間宏の「暗い絵」の冒頭である。読み進めるならば、この描写は心象ではなく、ブリューゲルの絵画についての描写であることが理解される。そして「雪の階」の主人公である笹宮維佐子も小説の中で唐突にヒエロニムス・ボッシュの名を口にするから、ネーデルランドの画家という共通項を通じて二つの小説は通じ合わない訳でもない。引用した最後の一文が暗示するとおり、「雪の階」は侯爵邸におけるサロン演奏会の場面から始まる。これに対して、野間の大作「青年の環」の冒頭がやはりオーケストラの演奏後の会堂の描写で始まることはさすがに偶然の一致であろう。今述べたとおり、「雪の階」の主人公は笹宮維佐子という女子学習院高等科に通う20歳の女子学生である。維佐子の父、笹宮惟重侯爵は当時の日本を揺るがせていた天皇機関説を弾劾する論客として自らを売り出し、軍部の黒幕として政界で暗躍することを画策しているが、野望とは裏腹の愚かしい小物ぶりは物語が進行するにつれて明らかとなり、ついには自らが主筆を務める『皇道日本』なる怪しげな新聞をめぐるスキャンダルによって失脚する。しかしながら華族に名を連ねる名家である笹宮家の日常をめぐる記述は当時の上流社会の息吹を伝えて精彩に富む。
 冒頭に戻ろう。維佐子が訪れたサロンで演じられたのはカルトシュタインなる容貌魁偉なドイツ人ピアニストによる演奏会であり、カルトシュタインは人を介して維佐子に封蝋された手紙を渡す。カルトシュタインは維佐子の母方の叔父にあたり、発狂してベルリンに出奔したとされる白雉博允と親交があり、白雉から維佐子のことを聞かされていたという。丁寧に書き込まれた描写から当時の華族の生活、そして数学と碁を愛好し、エラリー・クイーンやヴァン・ダインを原書で読み、人とはあまり交わらぬ維佐子のやや奇矯な性状が浮かび上がる。維佐子の家族関係はやや複雑で母の瀧子は惟重の後妻にあたる。維佐子の実母である崇子は白雉の妹にあたり、維佐子の兄、惟秀も崇子の子、弟の惟浩は異母弟にあたる。このような血縁関係ももちろん内容と深く関わっている。冒頭に近い章に、邸内の温室の中で新たに取り寄せられた食虫植物、ハエトリソウの葉の間に、嬉々として昆虫を投げ入れる維佐子の描写がある。最初は楚々とした印象の維佐子が物語の中で一種怪物的な存在に変貌していく過程は本書の読みどころのひとつであり、自身の蜜で昆虫を呼び寄せては取り込んで消化してしまう食虫植物が端的に維佐子のメタファーであることも読み進めるうちにおのずから明らかとなる。演奏会には約束していた維佐子の親友、宇田川寿子が現れず、数日後、維佐子は欠席を詫びる寿子からの葉書を受け取る。葉書にはなぜか仙台の消印が押されていた。訝る維佐子のもとへ衝撃的な知らせが届く。寿子が旧知の陸軍士官とともに富士の樹海で絶命しているのが発見されたのだ。果たして寿子は陸軍士官と情死を遂げたのであろうか。かくして第一章の末尾においてまず一つの謎が提示される。
 謎があるところには探偵が登場する。第二章から登場する探偵ならぬ女探偵はかつて「おあいてさん」と呼ばれ、維佐子の子守役を務め、今は「東洋映像研究所」で写真家の助手として働く牧村千代子である。自分より三つ年上で数少ない友人である千代子に対して、維佐子は寿子から届いた葉書を示し、仙台と富士の樹海という場所の齟齬を語る。千代子は旧知の新聞記者、蔵原誠治とともに寿子の足取りを追って東北本線に乗り込み沿線で聞き込みを始める。二人の調査によって、寿子と久慈という陸軍中尉が最初に向かったのは仙台ではなく日光ではなかったかという疑いが浮かぶ。重い主題を扱っているにもかかわらず、全編に漂うユーモアもまた奥泉の小説の持ち味だ。千代子と蔵原の珍道中にも微笑を誘う多くのエピソードが書き込まれ、二人の間に次第に恋心が芽生えることもたやすく了解される。死体となって発見された寿子は妊娠していた。寿子が日光近辺を訪れたとするならば、それは病院を訪れて妊娠の判定およびその「処置」を仰ぐためではなかったか。このような推理に基づいて千代子と蔵原は沿線の病院をめぐり、この過程で紅玉院という謎めいた尼寺を知る。一方、維佐子も日光へと向かう。カルトシュタインの誘いを受けて、日独文化交流協会の関係者や新聞記者たちとともに日光への小旅行に同行することになったためである。日光の夜の中で様々な物語が交錯する。ナチズムと日本の国体をめぐる男たちの熱い議論、男女の一夜の逢い引き、そして翌朝、喘息と心不全のために絶命したカルトシュタインの遺骸が発見される。二番目の死である。そしてその夜半、維佐子の兄、宇都宮の陸軍聯隊に赴任しているはずの惟秀がカルトシュタインのいた離れ家を訪問したという真偽不明の証言が残される。
 第三章以降も様々な物語が繰り広げられる。素行の悪さゆえに学習院を放校寸前に追い込まれた維佐子の腹違いの弟、惟浩とその女友達が遭遇した事件、軽井沢での維佐子の見合い。見合いの当夜、見合いの相手そして維佐子と交渉をもった男たちがホテルのカフェに集う様子はさながら一つの小喜劇だ。分身(ダブル)や男色、オカルティズム。奥泉の小説やミステリーでおなじみの主題が次々に物語の中に投入される。何人かの登場人物が突如姿を消し、あるいは事故を装って殺される。ソビエトへ亡命する者やドイツの間諜組織への内通が疑われる者。正体不明の「組織」あるいはスパイの暗躍が噂され、第二次大戦前夜の騒然とした世情を背景に物語はゼロ時間、昭和11年2月26日の雪の朝へと向かって収斂していく。千代子と蔵原らの調査により、事件の核心に紅玉院とその周辺の人物が関与している疑いが強まり、維佐子は自らこの尼寺に向かい、意外な人物と出会うことになる。この小説はミステリーの体裁をとっているから、ここでそれらの詳細については述べない。確かに終盤で宇田川寿子の「情死」をめぐる真相は一応明かされる。一応と述べたのはその真実性については物語の中でも留保がつけられているからであるが、実はこの小説は終盤で一種の転調を遂げる。すなわち私たちが主人公の友人の死をめぐるミステリーとして読み進めていた物語はある時点よりもう一つの謎、主人公たる笹宮維佐子とは何者であるかという謎の探索へと転じるのである。日光で維佐子の写真を撮ろうとした千代子は、生身の維佐子には表情の魅力があふれているにもかかわらず、カメラのファインダー越しに覗いた維佐子が「どんな感情も表出することなく風景の中に突出し、意思なく海中を浮遊する水母のごとく空中に浮かんでいた」ことを発見し、「驚怪の極み」と感じる。あるいは同じ千代子の口を通して語られる幼時の神隠しのエピソード、物語の中に配されたこれらの奇妙なエピソードは奥泉らしい周到な伏線であり、次第にその意味が明らかとなる。読み終える時、本書には主人公をめぐる別の謎が秘められていたことを読者は知ることとなるはずだ。
 最後に例によってこの小説の形式に目を向けておきたい。この小説は三人称で語られ、語り手は全能の話者として安定している。しかし別のレヴェルの話者が登場する箇所が二つ存在する。一つは第五章の冒頭に掲げられた登場人物の一人から維佐子に宛てられた手紙であり、この手紙は寿子の死をめぐる謎に関する「最初の」謎解きという意味をもつ。もう一つは説話論的には必ずしも判然とはしないが、随所に挿入される維佐子の幻視に関わる部分である。最初に示した冒頭部もそれにあたる。確かにそこには幻視したのは維佐子であるという記述があるが、幻視とは当事者のみによってしか確認しえないから、かかるヴィジョンは維佐子によって占有されていると考えてよかろう。最初に述べたとおり、維佐子の幻視は個人的なそれではなく、国家や民族と深く関わっており、端的に日本人の滅亡と再生と関わるヴィジョンなのである。同様の幻視は「神器 軍艦『橿原』殺人事件」そして「東京自叙伝」の中でも語られていたと記憶するが、日本という国家と民族の存在が欧米列強との競争との中で危機に瀕し、しかもこのような危機感が人々に強く共有されていた昭和維新前夜という舞台を得ることによって、維佐子の幻視の必然性と切迫性はかつてなく高められている。しかし本書の中で笹宮侯爵が、青年将校たちが、憑かれたように叫ぶ日本国、あるいは日本民族とは果たして実定的に存在するのか。私は本書の文体こそがそれを批判していると考える。私は奥泉のよい読者ではないが、主な小説は通読している。それらと比べても本書は時代および当時の華族の生活の考証において実に入念であり、相当の準備とともに執筆されたことが理解される。それに見合うかのように文体も重厚で日本語の語彙については相当の自信をもつ私でさえ初めて出会う漢語がずいぶんあった。その一方で明らかに意図的に多用されているのは外国に起源をもつ言葉に対するルビである。もちろん昭和初期の上流階級の生活には多くの欧米由来の品が入ってきたはずであるから、このような表記には一定の必然性がある。しかし明らかに通常であれば片仮名で表記されるような言葉、例えばバッグ、ショール、シャンデリアといった外来語が手鞄、肩掛、装飾灯といった普通は用いない漢語のルビとして当てられている点は明らかに意図的であり、それはやはり例えば尊崇、素志、遭逢といった通常では用いられない特殊な漢語の読みにルビがふられていることに対応している。つまり日本語で執筆されたこの小説文体の形式において日本語が漢語と欧米の外来語のハイブリッドとして成立しているという事実を露わにしているのだ。純粋性と雑種性の対立は本書の隠された主題の一つである。登場人物の一人が主張する貴種の純粋性、それは直ちに神人思想につながるのであるが、その不可能性、すなわち日本という国家、民族、言語が本来的に雑種であるという認識が文字通り語りの形式を通して明らかにされる。小説という枠組の中で、語られる内容と語る形式を乖離させ、それによってメタレヴェルにおける語りの可能性を探求すること、このような一種の超絶技巧を堪能することが奥泉の小説を読む際のいつもながらの醍醐味なのである。

by gravity97 | 2018-06-18 22:47 | 日本文学 | Comments(0)

桐野夏生『夜の谷を行く』

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 独特のひりひりした感覚が苦手なためであろう、桐野夏生の小説はこれまであまり読まなかった。それでも本書を手に取ったのはいうまでもなく主題に興味をもったからだ。本書では連合赤軍事件、とりわけ山岳ベースでのリンチ殺人という重い主題が扱われている。

 しかし桐野はこの主題を正面から扱うことはない。ここで導入されるのは事後の視点だ。事件が発生した半世紀前ではなく、現在を生きる事件のサヴァイヴァーの姿が描かれる。主人公の西田啓子はかつて京浜安保共闘の一員として凄惨なリンチ殺人に立ち会い、裁判を経て刑務所で服役し、釈放された後はひっそりと暮らしている。以前は小さな学習塾を開いていたが、それを閉めた後、スポーツジムと図書館に通う以外、社会とのつながりを絶ち、一見静穏な日々を送っている。事件の関係者は実名が記されているが、主人公に具体的なモデルがいるかどうか私は判断できない。しかし63歳という年齢が明記されている以上、啓子が生きる現在が私たちの現在とほぼ同期している点は直ちに理解される。物語は風呂上がりの発泡酒を唯一の楽しみとする啓子のささやかな日常を点描することから始まる。しかしその日常に再び半世紀前の事件が影を落とし始める。まず連合赤軍事件の指導者の一人であり、死刑が確定していた永田洋子が病死したことを新聞が伝える。次いで当時の関係者の一人、熊谷千代治から事件について調べている古市というフリーライターとの接触を求める連絡が入る。さらに事件当時、事実婚の関係にあった久間伸郎からも電話がかかる。久間も活動家であったが拘置所に収監されていたため、山岳ベースには啓子が一人で参加することになったのであった。山岳ベースでの惨劇をめぐって、あるいは公判における証人申請をめぐって啓子と久間は非対称な関係にある。熊谷から久間の生活が逼迫していると聞かされていた啓子は数十年ぶりに久間と会うことを決意する。

 この小説は現実に起きた事件に基づいているため、いたるところで現実と接点を取り結ぶ。例えば、今、永田洋子の名をインターネットで検索するならば彼女が死亡した日付が201125日であることが直ちに判明する。熊谷が語るとおり、「大事件のマニアであれば関係者の動静を、住所や電話番号から日常にいたるまでこっそり探ることが可能な時代」の到来も本書の隠れた主題かもしれないが、それはさておき、この日付を目にするならば、私たちは現実においてその一月後に何が起きるかを知っている。啓子は三月の第二週、金曜日に新宿で久間と待ち合わせ、かつての夫のホームレスすれすれの窮状に驚く。二人は中村屋のカレーライスでささやかに再会を記念する。そしてその場で二人は東日本大震災に遭遇する。続いて描かれる震災後の東京の混乱、余震と原子力災害、計画停電が相次ぐ不安な日々を私は本書を読んで久しぶりに思い出した。震災の当日、おそらく帰る家もないだろう久間を啓子は一晩だけという約束で自宅に泊める。震災も久間も啓子の日常には決定的な影響を与えることなく、震災後の不安な日々はじりじりと過ぎていく。

 連合赤軍事件の後、当事者たちが家族から義絶され、あるいは家族が時に自殺したことを私たちは事実として知っている。啓子もまた服役中に父を肝硬変で亡くし、母もまもなく亡くなっている。しかし妹の和子、和子の娘で姪にあたる佳絵の二人は啓子となおも行き来がある。ただし和子は事件のために離婚を余儀なくされ、佳絵は啓子の事件のことを知らない。和子も必ずしも啓子を許した訳ではない。二人の関係は時にざらつき、実際に物語の中で二人は決裂に近い諍いさえ何度も経験する。妊娠した佳絵の結婚が決まり、結婚式をサイパンで挙式する計画が立てられるが、啓子の参加をめぐって啓子は自身の過去を佳絵に告白する。告白を聞いた佳絵がその場でスマートフォンを手に事件を検索しながら啓子を問い詰める場面はなんとも当世風だ。震災が発生したこともあり、結局サイパンでの挙式は見送られる。式への出席をめぐる騒動の中で啓子と和子親娘の関係は悪化し、啓子と和子は深刻な言葉の応酬さえするが、関係を絶つにはいたらず、佳絵から誕生した娘の写真がメイルで送られてくるというエピソードが終盤に挿入される。

 社会との接触を断っていた啓子であったが、和子たちとの諍いによる寂しさのためであろうか、長い自制を破って事件の関係者と会うことを決意する。熊谷から紹介された古市というライターと接触した啓子は、山岳ベースから自分と一緒に脱走した君塚佐紀子の近況を古市に尋ね、彼女が結婚して苗字を変え、夫や子どもたちと三浦半島で農園を経営していることを知る。古市を介して再会の許しを得た啓子は一人で君塚のもとへ向かう。仲間同士でのリンチ殺人が続けられていた山岳ベースからの逃走は裏切りであり、この意味においても啓子と君塚は死者たちに負い目を感じている。ほぼ40年ぶりの再会はこの小説の一つのクライマックスであり、二人は当時を回想しつつ自分たちの半生を振り返る

 啓子の中で事件は風化せず、過去は啓子を苛む。佳絵の結婚写真を届けに来た和子との間の言葉の行き違いに始まった刺々しいやり取りの中で啓子は父親の死が事件を苦にしての自殺同然の病死であったことを初めて知る。君塚と同様に古市を介して連絡を取ろうとした当時のもう一人の関係者、金村邦子は啓子との面会を拒絶し、古市に自らの思いを記した手記を託すが、その中には思いもかけなかった啓子に対する激しい反感が記されていた。物語の最後で古市は啓子を事件が起きた迦葉山ベースへの再訪へと誘い、啓子は古市の車で時の経過とともに変わり果てたかつての山岳ベースの跡へと向かう。一番最後の場面で一つの秘密が明かされるが、ここでは記さないでおく。

 私としては珍しく、この小説のあらすじをかなり詳細に記した。ただし最後の場面も含めて、小説全体に隠された一つの秘密についてはあえて触れていないし、ほかにも多様なエピソードが散りばめられているから、このブログを読んだとしても小説自体は十分に楽しめることと思う。最初に事後の視点と述べたが、これは厳密には正しくない。視点は2011年という現在に置かれているが、啓子の回想や悪夢、金村の手記といったかたちをとって随所で「あの事件」が再来する。このうち金村の手記は金村にインタビューした古市が書き起こした手紙というかたちで啓子のもとに届けられるから説話論的にはかなり複雑な構造をとる。実際に古市は啓子との対話の中で、インタビューの内容の一部をあえて省略して手紙に書き起こしたことを告白している。一方で啓子の悪夢または回想として語られる山岳ベースでのリンチ、あるいはベースからの脱走未遂の顛末などについては三人称が用いられながらも明らかに啓子を主体とした語りが用いられている。実はこの小説の語りの構造はかなり入り組んでいる。例えばいずれも本書全体を通底し、象徴的な意味をもつ「蜘蛛」をめぐるエピソードと関わる第一章と第二章の冒頭を抜き出してみる。

夕食に使った食器や鍋を洗い終わった西田啓子は、ふと気配を感じて目を上げた。

小さなシミのように台所の壁に貼り付いていた蜘蛛は、いつの間にか消えた。

前者の冒頭で啓子が感じた気配とは台所の壁を這う蜘蛛のそれであるから、この二つの文章は一種の韻を踏んでいる。しかし前者においては西田啓子という名が記されることによって、この語りが全能の話者の視点からなされていることが明示されているのに対して、後者において「いつの間にか消えた」蜘蛛を意識した語り手は西田啓子であり、ここでは語りのレヴェルが混同されている。これを作家の方法論的な意識の欠如と批判することはたやすいが、桐野が意図しているかどうかはともかく、私はかかる形式は物語の内容とも深く関わっているように感じる。この小説は2014年から2016年にかけて『文藝春秋』に連載された。したがって舞台を東日本大震災が発生した年に設定することの必然性はその直前に永田洋子が病死したこと以外にはない。確かに永田死刑囚の病死はこの物語を起動する契機たりえたかもしれない。しかし私はこの選択は意図的であるように感じる。つまりこの小説では一つの社会を震撼させる事件を三人称としてとらえるか、一人称としてとらえるかの間の揺れが主題とされているのではなかろうか。そもそも何が一人称と三人称を分かつのか。東日本大震災のことを考えてみよう。2011311日に日本の多くの地域に住む人々が激しい揺れを感じたであろうから、この意味で震災に対して当事者の位置を占める者は多い。しかし実際に東北で被災し命を落とした者、家族を失った者、あるいは原子力災害によって被曝し故郷を追われた者、彼らにとって震災とは決定的に一人称の物語であるのに対して、私たちの多くにとって震災からは物語の中で啓子と久間が味わった程度の当事者性しか感受しえない、三人称の事件であったのではないか。私たちは常に一人称と三人称のはざまで揺れる。日本に住む多くの者がなんらかのかたちで当事者性の一端を占めた東日本大震災を物語の背景に配置することによって、連合赤軍事件における一人称性があらためて問われる。半世紀に近い時間が経過し、最高責任者の一人は監獄で自死し、そしてもう一人が病死した後でも、啓子は、君塚は、金村は一人称によって事件を引き受けなければならないのだろうか。試みに連合赤軍事件を主題とした優れた文学的成果、大江健三郎の「洪水はわが魂に及び」と桐山襲の「スターバト・マーテル」を参照してみよう。長編と中編という差異はあるがいずれも三人称の語りである。革命という夢に一定のシンパシーを重ねたこれらの小説と、そのまま突き放したがごとき桐野の小説はずいぶん印象を違えるし、私は啓子らとほぼ同じ世代に属する桐野が連合赤軍事件に対してどのような思いを抱いているかも興味深いが、それはひとまず措く。私は桐野があえて三人称と一人称の揺れの中で物語を語ることに一つの意味を認めたい。つまり登場人物に対し、すでに終えられた事件を当事者として引き受けさせようという作家の強い思いである。革命の理想に燃えた若い男女がなぜかくも凄惨なリンチ殺人によって自滅したのか。大江にせよ桐山にせよ、結局わからなかったのだと私は思う。核シェルターに潜む父親、あるいは山荘で彼らによって人質に囚われた女性を主人公の位置に置くことによって当事者の内面に踏み込むことを慎重に回避して成立したのが彼らの小説だ。しかし桐野は事後という迂路を介しつつも当事者の内面に踏み込む。これからの記述は私が先に私がこの小説のあらすじを紹介するにあたって、あえて回避したいくつかの問題と関わっているため、いささか歯切れが悪く感じられるかもしれないが、まず熊谷、久間、古市の三人を例外として本書に登場する主要な人物がほとんど全て女性であることに留意していただきたい。勇敢にも桐野は、大江や桐山でさえ他者の語りとして投げ出した連合赤軍事件の本質に一つの解釈を与える。果たして事件の背景に桐野が見立てるような問題は存在したのか。小説の中で提起される可能性については、事件の判決の中では一切触れられていないはずだ。しかしながら事件の主因を永田洋子のパーソナリティーに押し付けた中野武男裁判長による判決の不当性は桐野ならずとも声をあげるだろう。「女性特有のヒステリー」をことさらに事挙げする司法の名を借りた男性原理に対して、桐野が提示するのは連合赤軍事件の本質を女性原理、母性原理に求める発想だ。この発想の当否について私は判断できないし、小説の中で明かされるような事実が実際に山岳ベースで起きていたかについても答えることはできない。しかし桐野が本書で語る連合赤軍事件の「もう一つの真実」はそれなりに衝撃的であり、フェミニズムの視点からの事件への批評と呼ぶこともできるだろう。

 桐野は最初ミステリーの分野で注目された作家であり、この小説の中にもみごとに一つの謎が仕込まれている。その謎は登場人物相互の発言の矛盾として次第に明らかになり、最後の場面で解明されるから、本書を一つのミステリーとして読むことは不可能ではない。逆にミステリーという結構を与えるために結末が用意されたともいえよう。しかしこの結末については意見が分かれるはずだ。私はこの部分はなくてもよかったと思う。一人の女性が若くして革命の名を借りた暴力の中に身を置き、その後の半生を一つの秘密を抱えて生きる。それはすでに一つの卓絶したドラマであるからだ。


by gravity97 | 2018-05-11 22:17 | 日本文学 | Comments(0)

石牟礼道子『苦海浄土』(再掲)

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 石牟礼道子の訃報に接し、『苦海浄土』のレヴューを再掲する。この記事は2011年3月11日、奇しくも東日本大震災が発生した日にアップされた。今や私たちは、私企業の傲慢が招いた、豊かな自然と幸福な共同体、そして人間の尊厳に対する同様の凌辱として、東京電力による原子力災害を重ねることができる。果たしてこの犯罪も将来において文学的に総括されるだろうか・

 ほぼ半世紀前に発表された本書を初めて通読する。それはきわめて辛い体験であり、私は何度となく頁を閉じたいという思いに駆られた。
 水俣病といっても、今日では特別措置法や未認定患者をめぐる訴訟問題が時折話題となるくらいで忘れ去られつつあるが、かつては日本の公害問題の象徴として耳目を集めた公害病である。新日本窒素肥料株式会社(チッソ)が無処理のまま水俣湾に垂れ流した工場排水中の有機水銀が魚介類の中に蓄積され、食物連鎖の結果、水俣湾周辺の漁民を中心に水銀中毒による神経障害が発生し、多くの者が死に至った。さらに胎盤を通じて胎児の段階で水銀中毒となり、生まれつきの障害に侵される胎児性水俣病という悲劇を生んだ。水俣病という言葉から私は例えばユージン・スミスの有名な写真を連想するし、かつてこの問題を扱った吉田司の『下下戦記』を読んで感銘を受けたことも覚えている。しかしスミスの写真があくまでも水俣病をめぐる一つの情景を切り取ったものであり、『下下戦記』がいわば水俣病のその後をグロテスク・リアリズムという手法で描いた内容であったのに対して、本書からは水俣病を共に生き、告発する著者のひたむきな熱情が感じられた。
 水俣病は昭和30年代にいわゆる高度経済成長を突き進む日本の暗部を象徴している。私は本書を読んで、人間の尊厳という言葉に思いをめぐらした。水俣病が悲惨であるのはそれが人間から尊厳を奪い去るからである。数年前まで一家の大黒柱として、熟練した漁師として、地域のリーダーとして周囲から尊敬されていた人物が、口から涎を垂らし、言葉も思うにまかせず、全身を痙攣させて、ゆっくりと悶死していく。あるいは生まれつき言葉も話せず、意志を表示することさえできず、排泄すら自由にならぬ胎児性水俣病の患者たち。何の罪もない人々がおおよそ人間の想像できる最悪の地獄を味わうこととなったのだ。チッソが垂れ流した有機水銀は患者の身体だけでなく、家族や地域社会を破壊し、蝕んでいく。そもそも魚が、貝が汚染されているとするならば漁業を生業とする人々にとって生活の糧を奪われることに等しい。本書の中には詳しい言及はなかったがかつて『下下戦記』を読んだ際に、わずかな日当のために出漁した漁師たちが、港まで持ち帰りながらも汚染されているため市場に出荷できない魚をタンクの中に廃棄する寒々とした光景の描写に慄然としたことを覚えている。しかし当然の対価である漁業補償そして水俣病に対する補償に対しても、一般市民たちからは怠業あるいは詐病ではないかという白い目が向けられる。無責任な風説の広まりと病気に対するいわれなき差別は人間性の暗部をのぞきこむ思いがする。チッソという企業は単に患者の健康のみならず地域という共同体、人々の人間性までも回復不能なまでに破壊したのである。本文中に胎児性水俣病の患者を前にしたカネミ油症患者の青年が「神さま、罪のない人をなぜこんなにしたのですか。どうして救ってあげないのですか」とつぶやく描写がある。あるいは死後、病理解剖された胎児性水俣病の少年の耳から頭蓋にかけて残された縫合の跡とそこににじむ血の色。この本を読むことの辛さが理解していただけよう。
 それにも関わらず、私が本書を閉じることがなかったのは、『苦海浄土』が高い文学性を有しているからである。単に被害の実態を報告し、チッソを告発するだけのルポルタージュであれば、あまりの悲惨さにおそらく私は最後まで読み通すことができなかっただろう。しかし本書は水俣病を告発すると同時に、それによって失われた豊かな自然、自然との共生の記録であり、それによっても失われることのない人間性の記録でもある。例えば胎児性水俣病の患者である江津野杢太郎という少年について語るにあたって、筆者は練達の漁師である祖父の口を借りる。江津野家は祖父と祖母、やはり水俣病患者であるその息子、そして杢太郎少年を含む三人の孫の六人家族である。(杢太郎少年の母は出奔した)水俣病によって壊された家庭にあって、焼酎を晩酌に祖父は少年に語りかける。「杢よい、」と少年を呼びながら、老人は不知火の海の上がいかに豊かであるかを説く。「あねさん東京の人間な、ぐらしか(かわいそうな)暮らしばしとるげななばい。(中略)それにくらべりゃ、わしども漁師は、天下さまの暮らしじゃあござっせんか」池澤夏樹も指摘するとおり、水俣病の犠牲となった数百人の漁民に対置されるべきは、チッソが象徴する高度経済成長の恩恵にあずかった全ての人々、とりわけ都会に居住する者であったはずだ。これに対して身体の自由も奪われた孫の前で、老人が自分たちの暮らしの方が人間的であると淡々と言い放つ様に私は深い感動を覚えた。それにしても本書の語りを貫く水俣のダイアレクト(方言)のなんと豊かで勁いことか。この作品の魅力は多くを独自の語りによっている。『苦海浄土』は漁民たちと同じ言葉を操り、「あねさん」と呼ばれるまでに彼らの生活に入り込んだ石牟礼でなくては著しえなかった惨禍の記録であろう。
 むろんこの惨禍は人によってもたらされた。第一部の巻末に昭和34年にチッソによって提示された患者との間の「紛争調停案契約書」が掲載されている。水俣病が工場排水を原因とするものであることが判明しても新たな保証金を求めないことを条項に含んだこの契約書の内容たるや、死者に対して年30万円、発病した成人に対して年10万円という冗談のような見舞金を支払うことによって事態を隠蔽しようとする、人権意識のかけらもない内容である。あるいは本書の中には交渉の場で患者たちに傲岸な態度で接する厚生政務次官橋本龍太郎に関する短い記述がある。産業の発展のためには貧しい漁民たちの健康や命などとるに足らないとする「強者」のメンタリティは行間からも明らかである。しかし弾劾や告発は本書の目的ではない。本書が優れた文学作品である理由は怒りや苦しみの吐露ではなく、ゆえなくしてこれほどの業苦を味わいながらも、漁師たち、母たち、そして患者たちが水俣の豊かな自然の中で人間としての誇りを捨てることがなかったことを、彼ら自身の語りを通して、おおらかなダイアレクトによって記録しているからである。職業作家でもルポライターでもない一人の主婦がかくも言葉を巧みに用いて一つの悲劇を文学として結晶させたことに私は驚く。
 今日、未認定患者の問題は残るにせよ、水俣病問題は一応の決着をみており、この海域の漁獲についても安全宣言が出されているという。しかし私は暗鬱な感慨を抱かずにはおれない。水俣病が終わったのは発生から半世紀が経過して、劇症の患者はもちろん、多くの患者が死に絶えたからではないだろうか。死者は言葉をもたない。今日、私たちがかかる不条理な悲劇、高度成長の暗黒面をかろうじて知ることができるのは、ただ石牟礼という才能による『苦海浄土』という傑出した記録が存在するという理由によっているのではないだろうか。彼女がいなければ私たちは一企業によるこの未曽有の犯罪について知ることさえなかったのではないか。『苦海浄土』は人を慰安する文学の対極に位置する。しかし現実に拮抗するただ唯一の営みとしても文学は存在しうることをこの作品は雄弁に語っている。
 本書は2004年に藤原書店から刊行された石牟礼の全集の第二巻と第三巻を底本としたうえで、池澤夏樹が個人編集した河出書房新社の世界文学全集の中の一巻として刊行された。今月刊行されるコンラッドの『ロード・ジム』によって完結するこの全集を通読した訳ではないが、私はこの全集の編成を評価している。三島でもなく大江でもなく、日本の作家としてただ一人、石牟礼を「世界文学」に登記したことによっても、この全集の批評性は明らかだ。『苦海浄土』は『ブリキの太鼓』や『存在の耐えられない軽さ』と比してもなんら遜色はない。語りえぬ死者に代わって水俣病を語り継ぐ本書は、この全集に収められたことによって、あらためて多くの新しい読者を得たことと思う。

by gravity97 | 2018-02-10 19:42 | 日本文学 | Comments(0)

村上春樹 川上未映子 『みみずくは黄昏に飛びたつ』

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 帯に記された「ただのインタビューではあらない」という惹句に思わず笑う。『騎士団長殺し』を多くの読者が読み終えた時期という刊行のタイミングはあざといが、川上未映子をインタビュアーとした村上春樹のインタビューは抜群に面白い。既にこのブログでも松家仁之による「考える人」誌上のロング・インタビュー、そして村上自身による「職業としての小説家」という二つの関連する記事やエッセイを取り上げているが、今回も先日刊行された「騎士団長殺し」の創作秘話を含めたこのインタビューについて論じておきたい。

 本書は四章で構成され、いずれも川上から村上へのインタビューというかたちをとっているが、最初の一章のみ2015年に柴田元幸が自ら編集する「MONKEY」誌のために依頼されたものであり、残り三章は「騎士団長殺し」を脱稿後、おそらく最初の読者の一人としてゲラを読んだ川上によって今年の一月から二月にかけて集中的になされたインタビューの記録だ。したがって後の三章においては「騎士団長殺し」についてしばしば言及されるが、川上の関心は個々の作品以上に小説家としての村上にあるから、四つの章は続けて採録されたといっても異和感がないほどなめらかに連続している。「考える人」のインタビューが小説家というより編集者によるそれであったのに対し、かつて村上の朗読会にも参加し、作家である川上による問いかけは同業者としての鋭さ、共感やユーモラスな感覚があって、読んでいてなかなか楽しい。

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 「騎士団長殺し」についてはすでに新聞等で多くの書評、文芸誌で多くの研究が発表されているが、私が読んだ限り特に感心する批評はなかった。おそらくその理由はほとんどの批評がこの長編の内容的な側面ばかりに注目するからであろう。この作品に限らず、村上の作品は精神分析的な読解を受け入れやすい。「騎士団長殺し」にもユング的な元型や穴=井戸といったモティーフ、あるいはフロイト的なファミリーロマンスの反映を確認することは私でさえ可能だ。川上のインタビューからはかかる事後的な確認ではなく、小説が今駆動しているというドライブ感をうかがうことができるように感じる。例えば村上は第二章の冒頭で「騎士団長殺し」という長編が生まれた契機について次のように説く。

「騎士団長殺し」っていう言葉が突然頭に浮かんだんです。ある日ふと。「『騎士団長殺し』というタイトルの小説を書かなくちゃ」と。なんでそんなこと思ったのか全然思い出せないんだけど、そういうのって突然浮かぶんです。どこか見えないところで雲が生まれるみたいに。

 このコメントは実に興味深い。村上と比べるのはおこがましいことを十分に承知しているが、私も展覧会を構想するにあたってしばしばタイトルから入る。そして村上によればさらに二つの要素が「騎士団長殺し」を書き始める際には導き手となったという。一つは物語の中で言及される上田秋成の「二世の縁」という先行するテクスト、もう一つは以前から書き留めておいた「その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた」で始まる小説の冒頭の文章である。それぞれレヴェルの異なる三つの要素から長編が成立する様子を村上は「三人の友達がどこかで偶然一堂に会する、みたいな感じ」と表現している。さらにそこにいたるまでに数年の時間が必要であり、長編小説はほとんど待つ作業であるとまで言い切る。私の場合も数年の間隔を空けてタイトルが到来すると展覧会の内容はかなり具体的に決まる。冒頭の一文にあたるのは具体的な作品であろうし、「二世の縁」にあたるのは先行する展覧会であろうか、かなり強引な対比であるが、村上の創作の秘密と自分の仕事の共通点に思い当たったことは私としては嬉しい驚きであった。

先行する第一章では人称の問題が語られる。周知のごとく「騎士団長殺し」では「私」という一人称が使用される。一人称と三人称の相違についての説明も興味深い。村上によれば「海辺のカフカ」では可能な一人称と三人称の併用は「1Q84」のごとき込み入った内容の小説においては不可能であったという。さらに人称の選択は作家にとって一つの縛りであり、逆にこのような縛りから自由が広がるという。一人称でも「僕」と「私」では印象が大きく異なる。今回、村上の長編において初めて「私」という人称が導入されたことは、村上の加齢によるところが大きいという。同様に三人称の場合、名前の選択も意味をもつ。「1Q84」においては「青豆」という主人公の名前が「突然頭に浮かんだ」ことによって話が進み出したという言葉がある。「騎士団長殺し」ではいうまでもなく「免色」という固有名がそれにあたるだろう。「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を連想させるこの名前は、一種得体の知れない紳士の名前に実にふさわしい。私は人称や固有名詞といった形式的な側面からさらに村上の小説は分析されるべきだと考えるが、そのような研究は少ない。おそらく村上の物語が形式より内容、語られる物語をさらに深読みしたいという誘惑を誘い込むからであろう。実際に川上も「壁抜け」や「井戸」「地下室」といった村上的な主題性へすぐさま話題を転じ、プライベートな「二階」から日本の私小説が扱う「地下一階」、そして村上が主題とする地下の世界である「地下二階」までを図示した自筆のイラストさえも準備してインタビューに臨んでいる。「騎士団長殺し」では「顔なが」が住まう世界が地下二階に相当することは直ちに理解されるが、こういった解釈は「職業としての小説家」の中で河合隼雄などを引きながら何度も論じられた点であるから、私にはさほど面白くなかった。

 私は本書を読んで村上が小説を執筆するにあたってかなりシステマティックな手法を用いていることをあらためて思い知った。どんな日であって毎日午前中に10枚きっかり原稿を執筆するという創作の作法は「考える人」のインタビューにおいてすでに公言されていたが、「騎士団長殺し」に充てられた時間も確かにこのペースを反映しているという。さらに一度書いた原稿に推敲を重ね、第五稿の段階でUSBの状態で出版社の担当者に渡し、プリントアウトした第六稿がゲラとなるというきわめて具体的な説明も興味深かった。再び自分に引きつけてしまうが、最近私は翻訳の仕事に携わっている。私の場合も訳文に何度か推敲を重ね、基本的に第五稿を最終稿として提出している。五回を一つのサイクルとした理由や短編中編における推敲の数についても尋ねてみたい気がする。このような厳密さの一方で、村上によれば登場人物の挙措について作家はあらかじめ予想できないという。「ねじまき鳥クロニクル」と関連して村上は「僕の中から出てきたバットなんだから、これはもう、何かしら小説的な必然性を帯びてくれるだろうという信念がある」と述べる。精神分析的な文脈としても読み取られかねないコメントであり、ここにはシステムに支えられたオートマティズムとも呼ぶべき村上の小説技法の特色が凝縮されている気がする。この点は村上の小説が無意識と結びついていることを暗示しており、(心ならずもフロイト的な用語を用いてしまうが)小説の中に漂うアンキャニーな雰囲気の遠因を成しているだろう。無意識と対立するのはおそらくリアリズムだ。村上は「ノルウェイの森」について、「最初から最後まで、リアリズム文体でリアリズムの話を書くという個人的実験をやったわけです。で、『ああ、大丈夫、これでもう書ける』と思ったから、あとがすごくやりやすくなった。リアリズムの文章でリアリズムの長編を一冊書けたら、それもベストセラーが書けたら、もう怖いものなしです(笑)」と語り、「ねじまき鳥クロニクル」については「ある程度の精度を持つリアリズム文体の上に、物語の『ぶっ飛び性』を重ねると、ものすごく面白い効果が出るんだということが、そこであらためてわかったんです」と述べている。この二つの発言は村上の長編の見取り図としてわかりやすい。確かに村上の小説の中で「ノルウェイの森」の異質さは際立っているし、「ねじまき鳥クロニクル」以降の長編はリアリズムと幻想の絶妙な調和として成り立っており、「騎士団長殺し」もその例外ではない。「騎士団長殺し」について少し触れるならば、すでに多くの論者が指摘する通り、この長編はこれまでの村上の小説に用いられたモティーフのショーケースといった趣があり、安心して楽しめる。おそらく村上の小説を読んだことのない読者にとっては格好の導入であろうが、それを一種のマンネリズムととらえることもできよう。ここではこれ以上この長編について論じることは控えるが、「騎士団長殺し」を読んだ後、本書を読むならば作家と作品についての興味がさらに増すことは断言できよう。

 最初に述べたとおり、作家である川上がインタビュアーであるため、創作の機微に関わるエピソードや突っ込んだ質問もある。「騎士団長殺し」の第一部は「顕れるイデア篇」と題されているが、かかるタイトルにもかかわらず、村上がプラトンのイデア論について全く知らず、川上からイデアについての講釈を受ける箇所には思わず笑ってしまった。村上が過去に発表した作品についてほとんど思い入れがない点には川上ならずとも驚く。引用されていた文章がなかなか上手いと思って確認すると昔書いた自分の文章だったという回想にはさすがに川上も唖然として「村上さんって、いっそ物語が通過して出ていくための器官みたいな感じがしますよね」と答えているが、このコメントも先に述べた「システムに支えられたオートマティズム」という理解の傍らに置く時、含蓄に富む。さらに作家であり女性である川上でなければ問うことができない質問として「女性が性的な役割を担わされ過ぎていないか」というセクションの受け答えは興味深い。「物語とか、男性とか井戸とか、そういったものに対しては、ものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。女の人は、女の人自体として存在できない。(中略)いつも女性は男性である主人公の犠牲のようになってしまう傾向がある」という指摘は鋭い。フェミニズム批評においては川上が論じた問題はさらに精緻に分析することが可能であろうし、おそらく村上の小説におけるセックスに関わる描写は読者の反応を二分する。実際私も男女を問わず、性的な主題の扱いゆえに村上の小説を嫌う知人を何人か知っている。女性作家の面と向かっては答えにくい質問であるためか、村上の答えは珍しく歯切れが悪い。「よくわからないけれど」とか「たまたまのことじゃないかな」といった言いよどんだ返事がなされている。しかし川上も二の矢三の矢を継ぐことなく、いささか村上に遠慮した感じがある。私はフェミニズム的な読解が正義であるとも感じないので、必ずしも川上が代弁したような読みに与することはないが、このような会話の流れで「眠り」という、村上において女性が語り手となる最初の作品、私が愛好するまことにアンキャニーな短編が論及された点は嬉しかった。この作品は初めて「ニューヨーカー」に掲載された作品であり、村上を女性作家であると信じる人達からのファンレターに困惑したというエピソードも興味深い。

 まとまりのないレヴューとなり、論じ足りない点も多々あるが、本書は村上を愛読する読者にとっては絶好の入門といえよう。最後に私が本書を読んで一番心に残った言葉を記しておくことにする。「どうして読者がついてきてくれるかわかりますか」と逆に川上に問いかけた後、村上は次のように答える。「僕が小説を書き、読者がそれを読んでくれる。それが今のところ、信用取引として成り立っているからです。これまで僕が40年近く小説を書いてきて、決して読者を悪いようにはしなかったから」次のようにも言い換えている。「なんか変てこなものだけど、この人が悪いものじゃないと言うからには悪いものじゃないだろうと引き受ける、これが僕の言う信用取引な訳です」表現に関わる者、特に言葉の真の意味において前衛的な表現に関わる者にとってこの指摘は重みがある。文学のみならず美術、音楽そして批評、広い意味の作品は受容者が存在して初めて意味をもつ。このブログを始めて今年で9年になる。いくつかの理由によって私はこのブログを匿名で続けており、コメント等にも原則として返事することはないから、書き手である私は具体的な姿を欠いているにもかかわらず、毎日200人前後の読み手がサイトを訪れてくれることに私は励まされて更新を続けている。200人が多いか少ないかはわからないし、村上同様に私も読者の数自体にはほとんど関心がない。それなりの文化的リテラシーが必要なこれらのテクストを書くことと、読んでもらうことは文字り私とあなたの間の信用取引なのだ。願わくば今後もこのような信用に足るクオリティーを備えた批評的言説を書き継いでいきたいものである。

なお、御覧のとおりフォントのポイントがぐちゃぐちゃのきわめて見苦しい表記となっている。何度も記すとおりこれは先般のブログのフォーマットの強制的な変更以来のトラブルであり、責任は全面的にエキサイトの側にある。利用者として早急な改善を重ねて要求する。


by gravity97 | 2017-05-13 21:12 | 日本文学 | Comments(0)

中上健次 ふたたび、熊野へ

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 集英社のクオータリー、『kotoba』は時折、作家の特集を組む。以前も開高健の特集を興味深く読んだ記憶があるが、最新号では生誕70周年ということで中上健次が特集されている。このブログでも以前、17回忌の折りに『ユリイカ』で組まれた特集について論じたことがある。同じ作家の、それも作品ではなく雑誌による特集を二度にわたって評することはこのブログとしても異例ではあるが、中上はそれにふさわしい作家であろう。
 7年前の『ユリイカ』の特集がどちらかといえば作品主義で、それゆえ文学を主たる対象としていたのとは対照的に、今回の特集は中上という作家を中心に据えて、むしろジャンルを超えてこの作家を開いていく印象がある。それは時を経てこの作家が遺した作品の可能性が豊かな結実を生んだことを暗示しているかもしれない。いずれの文章もテーマを定めて比較的短いため、読みやすい。そして柄谷行人や浅田彰、あるいは渡部直巳といった中上特集の常連がほとんど寄稿していない点もこの特集の特徴だ。前回の『ユリイカ』の特集の中で渡部が熊野大学の運営を若手に譲ることを言明していたが、現実に中上の作品を批評する顔ぶれも世代交代している感触がある。実際に今回の特集においては奥泉光といとうせいこうの対談、中上と映画について論じた四方田犬彦のテクストを除いて(偶然ではあるが、この三名はこのブログで何度か論じた私のお気に入りの作家や批評家である)、執筆陣に既視感はない。それどころか、都はるみ、大澤真幸、町田康といった書き手は中上との関係が時に当然、時に不思議に感じられながらも新鮮である。中上は92年に没しているので、今回の特集は中上を実際に知る執筆者と中上以後に活動を始めた執筆者が混在している印象を与える。
 最初に中上の長女、中上紀の解説を付した略年譜が掲載されている。かなり簡略化され、多くの図版が付されているため、逆に長女の目を通した作家の生涯が手に取るように理解できる。あらためて通読し、作家の生涯の短さと活動の広がりを知る。中上は1992年に没した。私が最初に中上の小説、文春文庫版の『岬』を読んだのは1982年頃であったと記憶するから、私は10年ほど作家を意識しながら時代を共有した訳であるが、それにしても短すぎる。しかも初読で中上を理解することは難しい。おそらく中上の小説、特に初期作品を読んだ者であれば同じ感想を抱くであろうが、中上の初期の小説はなんともいえない晦渋さを秘めている。その後も折に触れて私は中上の小説を読んだが、今確認したところ、私が『地の果て、至上の時』を読んだのは新潮文庫に収録されたタイミング、1993年のはずだ。あらためて書庫に降りて私が所持する文庫本の奥付を確認するならば、私が『19歳の地図』から『奇蹟』、『讃歌』から『日輪の翼』にいたる代表作のほとんどを集中的に読み継いだのは1990年代前半という短い期間、つまり中上の死の前後であったことがわかる。今述べたとおり、私は必ずしも中上のよい読者ではなく、作家と同伴しているという意識もなかったから、文庫化された小説ばかりを読んだという事情はあろうが、このブログのBOOKSHELFの0013を参照していただけばわかるとおり、私は中上の小説をほとんど文庫本で読んでいる。これらに加えて、未完という理由で単行本として発表される可能性が低かった小説を集めた集英社版の全集の12巻と13巻を通読することによって私はひとまず中上の小説世界を概観することができたと感じていた。確か柄谷行人が中上の訃報に接した際、書店の店頭に中上の本がほとんど並んでいないという事態に愕然として全集の刊行を決意したと記していた記憶があるが、現実には少なくとも中上の没後、しばらく経過した時点においては代表作が手軽に入手可能な状況があった。しかし20年が経過して再び状況は変わったようである。先般私は池澤夏樹編集の「日本文学全集」の中上の巻に「鳳仙花」が収められているのを目にした。この作品も名作であるから、それ自体は特に不審に感じなかったが、今回の特集に付された主要作品ガイドによればこの長編は二度にわたって文庫化されながらも長年絶版が続いていたということだ。今回、全集の中に収められた理由はこのような不在を補正する意味があったかもしれない。確かに今、アマゾンで検索しても入手可能な中上の小説はそれほど多くない。新たにインスクリプト版の「中上健次集」が刊行されつつあるとはいえ、戦後日本を代表する作家の作品を手に入れるのが容易ではないという事態を出版界は危機感をもって認識すべきであろう。
 やや話が逸れた。生涯の短さに続いて活動の広がりについて触れよう。広がりとはいくつかの含意をもつ。一つは空間的な広がりである。中上は1979年に一年間の予定でロサンゼルスに転居し、その後もソウル、あるいはアイオワ大学(以前このブログで触れた水村美苗の「日本語が亡びるとき」で言及されたワークショップだ)、パリ、ニューヨーク、ハワイといった場所を訪れ、時には長期にわたって滞在している。特集の中では例えば島田雅彦がニューヨークにおける中上、荒木経惟がソウルにおける中上の行状について報告しており、それなりに興味深い。これらのエピソードは作家が本質的にコスモポリタンであることをうかがわせるが、これらの体験、特に欧米での生活体験がほとんど小説に反映されていない点も興味深い。中上の小説では時に東南アジアやラテンアメリカが扱われることはあっても私の記憶する限り欧米の都市が舞台とされたことはない。そして東南アジアやラテンアメリカも常に路地とのつながりにおいて主題化されているのだ。作家が夭逝したことを考慮するにせよ、この点は中上にとって路地の呪縛がいかに強かったかを暗示しているだろうし、さらに言えば路地が解体された後、その遍在性に想到し、「異族」のごとき未完の小説が生みだされるうえで、これらの土地での体験は意味をもったのではないだろうか。もう一つの広がりはジャンルを超えた広がりだ。水谷豊、都はるみ、荒木経惟、菊池成孔、寄稿者を任意に挙げることによっても単に文学を超えた中上の活動の広がりは明らかであろう。そして映画や演劇、歌謡からジャズにいたる異なったジャンルを作家が全力で侵犯していく様子は寄せられた多くのテクスト、そして実に生き生きとした中上の表情を記録した多くの写真からも明らかであろう。私は中上を基本的にモダニストであると感じる。彼の文学的素養は明らかにモダニズムに根ざしており、もし彼に圧倒的な影響を与えた作家を一人挙げろと問われるならば疑いなくフォークナーであろうし、彼が第一次戦後派を全否定した理由もこの点に求めることができるかもしれない。それにも関わらず、中上が絶えずジャンルの越境を試みていたことに私たちは留意すべきであろう。
 ジャンルの越境という点で興味深いのは来年の夏以降、上演が予定されているやなぎみわによる「日輪の翼」のトレーラー公演である。私は彼女が中上のこの作品に強い関心をもっており、将来なんらかのかたちで上演したいという希望をかなり早い時期に本人の口から聞いていた。この作品の上演にあたってやなぎは正攻法と呼ぶべきか、オバたちが乗り込むトレーラーを台湾から買い付けることから始めた。夏芙蓉が描かれた巨大なトレーナーの威容に私もこのブログで論じた二つの機会、すなわち森村泰昌がディレクターを務めた昨年の横浜トリエンナーレ、そして今年春に京都で開かれた京都国際現代芸術祭PARASOPHIAの会場で接した。やなぎと中上のコラボレーションは実に興味深い。グランドマザーズに代表されるとおり、やなぎの作品が多く女性原理を主題としていたのに対し、中上の小説におけるマッチョな男性原理とオリュウノオバあるいはトレーラーの中のオバたちが体現する女性原理の関係は複雑だ。舞台自体が場所をもたず、移動するという発想は路地の遍在性と関わっているだろうか。やなぎがこの特集に寄せたテクストの次のような末尾は来年夏より日本各地で公演されるという、やなぎ版「日輪の翼」への期待をいやがうえにも高める。

 
 オバたちの御詠歌と、路地の若者たちが歌う「ソドムの福音」がせめぎ合い、重機と男女のアクロバットが、けばけばしいネオンに輝く、美しく凶々しい「一瞬」。空にかかった虹をつかもうとするような見世物の浅ましさと哀しさは、究極までいかなければ崇高さに結びつかない。絶え間ない飛翔と落下。中上作品に肉薄できるのは唯一その方法しかないだろう。

 知られているとおり、中上は46歳の若さで他界した。収められたテクストの中である者はラテンアメリカを旅する中上を夢想し、ある者は国会議事堂前で怒鳴っている中上を想像する。生前に一本だけ中上が撮影した映像について論じる者がおれば、書かれることのなかった二つ目の戯曲に思いを向ける者もいる。1986年、40歳の時に熊野で撮影されたという表紙のポートレートがよい。最初に述べたとおり本特集は作家の生誕70年を機に編まれた。しかし私は70歳の中上を想像することができない。早世した作家の姿に思わず「千年の愉楽」に登場する「中本の一統」の若衆たちを重ねてしまうのは私だけではないはずだ。果たして中上も彼らのようにいつか転生して、また私たちの前に姿を現してくれるのだろうか。このような「奇蹟」があながちありえないとも感じられるほどに彼の小説は私たちを今も鼓舞してくれる。

by gravity97 | 2015-12-19 12:13 | 日本文学 | Comments(0)

村上春樹『職業としての小説家』

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 村上春樹の新著が刊行された。「職業としての小説家」というタイトルが示すとおり、小説家としての自分をテーマにしたエッセーをまとめたもので、柴田元幸が主宰する文芸誌『Monkey』に連載された6篇と書き下ろしの5編、さらに河合隼雄についての講演原稿と合わせて12編の文章を束ねている。連載といっても依頼を受けて書いた文章ではなく、特に発表の予定もなく書き溜めておいた文章をこの機会にコンパイルしたといった事情らしい。最後の章のみ河合隼雄を追悼して実際に京都大学で聴衆の前で講演した内容であるという。発表分と未発表分をどのように区別したかはわからないが、テーマは統一されてよく練られており、とても読みやすい。村上のあとがきによれば最初は通常の文体で書いていたが、やや生硬な印象を受けたため、人々を前にして語りかける文体で全体を統一したところ、すらすらと書けたとのことだ。具体的には「小さなホールで、だいたい30人から40人くらいの人が僕の前に座っていると仮定し、その人たちにできるだけ親密な口調で語りかけるという設定で書き直した」とあり、確かに全体にインティメイトな雰囲気のあるエッセーとなっている。
 私は比較的熱心な村上の読者であり、前にも述べたが、地下鉄サリン事件を扱った一連のノンフィクションを除いてほぼ全ての作品に目を通していると思う。村上がいわゆる文壇と距離を置き、公の場にあまり登場しないことはよく知られているが、実際には多くのエッセー、あるいは紀行的エッセーで自らの身辺について語り、あるいはこのブログでも取り上げた『考える人』におけるロング・インタビューでも作家の日常をかなり具体的に説明しているから、本書を読んで新しい発見はさほど多くない。しかしインタビューで引き出された言葉ではなく、作家自らが信念をもって語る小説、そして小説家についてコメントはそれなりに興味深い。まず最終章を除いて、それぞれの章のテーマを示しておく。第一章では導入として「小説家とはどのような人間であるか」というやや抽象度の高いテーマが論じられる。続いて第二章ではデビュー当時の事情が回想される。第三章で村上は文学賞というやや生々しい話題を論じる。思うに毎年ノーベル文学賞の発表が近づくと(もうじきだ)身辺が騒がしくなることに嫌気を感じて、この機会に文学賞についての思いを表明したのではないだろうか。第四章からは小説の書き方に関連する話題が続く。第四章では「オリジナリティー」についての見解が提起される、第五章は「さて、何を書けばいいのか?」というタイトルが内容を示している。第六章は自らを「長編小説作家」とみなす村上がどのように長編小説を執筆するかを具体的に説いて興味深い。第七章では「職業としての小説家」つまり、人が一生の生業として小説を書き続けるためにはどのような条件が必要かについて論じられる。第八章で村上はやや話題を転じて、学校という組織から自分が全く恩恵を受けたことがないと言明する。本書では珍しく社会的な発言がなされる個所である。続く第九章では再び小説において登場人物をどのように造形するかという問題が論じられる。第十章もタイトルが内容を語る。「誰のために書くか」、小説家と読者というテーマだ。そして「海外へ出ていく、新しいフロンティア」と題された第十一章においては、欧米の出版界に自らの作品をいかに紹介していったか、おそらく日本では村上以外に論じることが困難な戦略が具体的に語られる。
 最初に述べたとおり、講演を想定した語りは柔らかく、わかりやすい。本書においては村上がどのようにして小説家になったか、どのような小説家を目指しているかという通時的、個人史についての記述と、村上にとって小説とはどのようなものであるかという共時的、小説論について記述が絶妙に融け合っている。ただし村上の作品を含めて具体的な小説への言及はほとんどない。おそらくそれは本書の重心が小説よりも小説家に置かれていることに起因しているだろう。当然ながらここでは小説家の一つのモデルとして村上自身について語られる訳であるが、本人も述べるとおり、それはかなり異色のモデルかもしれない。作家は毎日、早起きしてコーヒーを飲んだ後、午前中に原稿用紙を10枚分書き、午後は1時間ほどジョギングするというルーティンを30年以上繰り返しているのだ。この点については以前、ロング・インタビューの中でも述べられていた。重要な点は気分が乗らない日でも必ず決まった枚数の原稿を書き、決まった時間、身体を動かすということだ。このような小説家の日常は日々ルーティンワークをこなす労働者のそれに近く、破天荒で破滅型の文士像の対極にある。しかし自分のような作家像が必ずしも特殊でないことを村上はカフカそして初めて名前を聞くアンソニー・トロロープといった作家の生活を引きながら論じる。確かに私も大江健三郎の「泳ぐ男」を読んで初めてフィットネス・クラブに通う小説家というイメージを得たし、中上健次も最初、羽田空港での労役の傍らに初期作品を執筆したのではなかったか。おそらく作家にとって小説を書くことは生活のスタイルの確立と深く関わっている。この点はフォーマリズムと構造主義を学んだ私の認識とも一致する。私たちは自由にテクストを書くことはできない。私たちが書くテクストは既にそれを取り巻く外形的な条件によって規定されているのだ。それは時に一日に書き上げるべき原稿用紙の枚数であり、時に原稿を執筆する環境であり(本書にあるとおり、村上は新しい長編を書き始めるにあたってしばしば自らを国外に流謫したという事実を想起されたい)、時にメイルとラインのいずれによってガールフレンドにメッセージを送るかといった問題と関わっている。内容は形式によってもたらされる。村上にとって生活の外形、つまりストイックかつ単調なルーティンワークとしての日常を確立することが実は小説の主題と深く関わっている点については後でもう一度立ち返ることとしよう。
 本書においては村上が小説を書くことを決意した「啓示」が初めて明かされる。先にも触れたロング・インタビューを読み返すと次のような一節がある。「だから大学を出て店を初めて、借金を抱えて、日々あくせく働いていただけなんだけれど、29歳のある日突然、『あ、書けるかな』と思ったんです。何の根拠もなくただそう思った」インタビューの中で詳細が明かされなかったことも無理はない。それは次のような体験であった。1978年の春、神宮球場におけるヤクルト・スワローズ対広島カープのデイゲームを観戦中に「僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。『そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない』と。その時の感覚を、僕はまだはっきり覚えています。それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした」先発ピッチャーや先頭打者の打席についてのなんとも散文的な記述とエピファニーの到来という劇的なエピソードの対比は微笑を誘う。小説を書くことを決意した村上は試合後、その足で紀伊国屋に赴いて万年筆と原稿用紙を求め、キッチン・テーブルに向かって「風の歌を聴け」を書き始める。続けて語られるデビュー作執筆時のエピソードも興味深い。小説を書き始めたもののうまく書けないことを感じた村上は自分の書いた文章を一回英語に翻訳し、それをもう一度日本語に置き直すことによって自分の文体をつかんだというのである。高校時代から英語のペーパーバックを読み続け、後に多くの翻訳を手掛ける村上であればさもありなんと考えることは正しくない。このエピソードが示唆するのは母語に対する異和感から小説家は自分の文体を築くという教えだ。村上も言及するアゴタ・クリストフのほかにもジョイスやラシュディといった作家を想起するならばこの問題はさらに深めることができようが、それは別の機会に譲る。
 村上も書くとおり、小説を書くこと、小説家としてデヴューすることはさほど難しくない。しかし時の淘汰を経て、小説を書き続けることはきわめて困難である。村上が30年以上も小説を書き続けることができた理由は何か。オリジナリティーについて論じた章における次のようなコメントがヒントになるだろう。

 それでは、何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのが一つの基準になるだろうと思います。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違った者、不調和なものがあるということになりそうです。

 村上はものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もなく、もし楽しくないのなら、そもそも小説を書く意味はないとまで断言する。私もこれらの言葉に深く共感する。私は小説家ではないが、自分の生に対して同様の信念を抱いているからだ。例えばこのブログである。このブログを開設して早くも7年が経過し、300本以上のレヴューを書き継いだ。最初、私は日々読み続ける本や毎週のように通う展覧会について、未来の自分へのメモランダムとしてレヴューの執筆を始めた。それにあたって私はいくつかのルールを定めた。まず読書にしても展覧会にしても、楽しい経験のみに言葉を与えること、一定の頻度で新しい記事をアップすること(今日にいたるまで10日に1本、1月に3本という目標をほぼ守ってきたと思う)、そしてどんなに仕事が忙しくてもレヴューを書き続けることである。震災と原子力災害以後、最初のルールを守ることが難しくなってきたことは熱心な読者には理解していただけようし、実際には対象に対して否定的なニュアンスとともに言及した記事もいくつか存在する。しかし私もまたこのブログを書くことを苦痛に感じたことは一度もない。人生においては楽しいことのみを経験するという私の処世の方針の一つを体現するのがこれらのテクストであるからだ。私はこれらのテクストの大半を休日に書き上げる。その週に読んだ本や訪れた展覧会について一週間かけて深く思考し、週末に思考に言葉を与える作業は私にとって好ましい一つの知的なサイクルを形作っている。村上と比べることはおこがましいが、それは午前中に決められた枚数の原稿を書き、午後は決められた時間、ジョギングや水泳を楽しむことと似ている。私が長くこのブログを書き続けることができている理由は村上同様、比較的に早い時期にこのような執筆のスタイルを確立したことに求められるだろう。
 話題が逸れた。村上に戻ることにしよう。スタイル、あるいはシステムを確立することの重要さを村上は何度も繰り返す。とりわけ「時間を見方をつける―長編小説を書くこと」と題された第六章では長編小説というフルマラソンをいかに走り抜けるかについて初稿、推敲、助言といった様々なレヴェルに即してきわめて具体的にその過程が開陳される。作家の創造の機微に触れる章であるが、ここでも何を書くかといったことは全く問題とされない。いかに一つの小説を完成に向けて誘導するかという点のみが仔細に論じられる。スタイルの構築という点ではいわゆる文壇との関係も同様であろう。村上の文壇に対する強い拒否感は私の愛好する「とんがり焼きの盛衰」というシュールなショートショートからも明らかであるが、文壇と関係を断ちつつ小説家としての成功を収めるために村上は周到な準備を進めた。それは文芸誌の求めに応じて小説を執筆するのではなく、書き上げた小説を必要に応じて発表するというシステムの整備だ。もちろんこのような贅沢な立場がベストセラー作家としての成功のうえに成り立っていることはいうまでもない。しかしそれは結果であって、初めから村上は文壇や文芸誌といった制度とは無関係に自分の作品を発表することが可能なシステムの構築をめざしていた。村上も述懐するとおり、それが実現したことは幸運の賜物であったかもしれない。しかしそれが村上の強い意志によって可能となったこともまた明らかである。文壇という狭い世界の中に群れず、生活の中に執筆とジョギング、あるいは水泳を同じ重要性とともに組み込むこと、ここからに浮かび上がるのは破滅型文士の対極にある健康的な作家の姿だ。なぜ小説家は健康でなければならないか。村上は次のように説明する。

小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところまで降りて行かなくてはなりません。(中略)作家はその地下の暗闇の中から自分に必要なものを―つまり小説にとって必要な養分です―見つけ、それを手に意識の上部領域に戻ってきます。そしてそれを文章という、かたちと意味を持つもの転換していきます。その暗闇の中には、ときに危険なものごと満ちています。(中略)そのような深い闇の力に対抗するには、そして様々な危険と日常的に向き合うためには、どうしてもフィジカルな強さが必要になります。

この一節はきわめて説得的だ。これまで私は村上の小説について何度か評したことがあるが、その際には表面的な印象とは逆に村上の小説において人間の内面に潜む暗黒について語られていることを繰り返し指摘した。この引用においては作家自らがそのような暗黒こそが小説の主題であること明言している。村上の作品を読み継いだ者であればかかる認識を理解することはたやすい。具体的にはとりわけ「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」といった小説においてこのような暗黒が主題化されているといってよかろう。暗黒を見つめる者は暗黒の中に呑み込まれてしまうというのは誰の言葉であっただろうか。村上は自らのフィジカルな側面を強化することによってかかる暗黒に対抗する。このように考えるならば、本書の最後に一見唐突に河合隼雄への追悼が収められている理由もたやすく了解されよう。心理療法家の河合に対して、村上がシンパシーをもつことは当然であり、次の発言は今引いた言葉の再話にほかならない。「物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。(中略)僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアントと向き合うことによって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。河合先生と僕とはたぶんそのことを『臨床的に』理解しあっていた―そういう気がするんです」村上の小説の核心を突く言葉であり、私は同様の主題が必ずしも純文学の分野に限らず、私の好きな多くの作家にも共有されていることに思いをめぐらす。それにしても中編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』から2年、短編集『女のいない男たち』から1年が経過した。これまで短編、中編、長編は綿密なサイクルのもとに執筆されてきたから、おそらく今、村上は『1Q84』以来、久々の長編小説を一日10枚のペースで執筆しているはずだ。発表はいつになるのだろうか。いずれにせよ私はまた人生に楽しい経験を一つ加えることができそうだ。

by gravity97 | 2015-09-28 13:26 | 日本文学 | Comments(1)

井上光晴『明日』

b0138838_2063242.jpg 数年前より、私は8月がめぐり来るたびに第二次世界大戦と関わる小説を読むようにしている。奇しくも戦後70周年を迎える今年、私が選んだのは1982年に発表された井上光晴の「明日」である。確か黒木和雄によって映画化されたのではなかっただろうか。この中編を私は初めて雑誌に発表された折に読んだ記憶がある。現在は集英社文庫に入っているが、私の記憶が正しければ「すばる」ではなく「使者」という文芸誌に掲載されていたと思う。初読して大きな感銘を受けたが、単行本としては所持しておらず、文庫も1986年に初版が出た後、しばらく絶版であった。先日買い求めた文庫は2012年の第7刷と奥付にある。久しぶりに再読してあらためてこの小説が文学史に残る名作であることを確認する。
 私はこの作品を70回目の長崎原爆忌の日に再読した。サブタイトルとして「1945年8月8日・長崎」とあるから前日に読むべきであったかもしれない。もっとも私は発表当時からこのサブタイトルに異和感があった。かかるサブタイトルとともに「明日」が特定される時、「明日」の意味はあまりにも限定されるからだ。後で論じるとおり、発表時ならばともかく、今日、ここでいう「明日」の意味はもはやフィクションの域を超えている。しかし逆に井上がこの小説を執筆した時点においてはこの小説がかくも切迫感をもつとは感じられなかったかもしれない。一億総中流と呼ばれ、放射能汚染や戦争参加などありえないと誰もが信じていた時代、戦後の日本において最良の時代、パクス・ジャポニカに発表された作品であるからだ。
 タイトルとサブタイトルを読むならば、この小説の内容はほぼ把握されるといってよい。ここに描かれているのは第二次大戦末期、1945年8月8日の長崎の情景であり、「明日」とは長崎に原爆が投下された8月9日のことだ。つまりカタストロフを「明日」に控えた大戦末期の長崎の一日が語られる。詳しくは述べられていないが、作者は本書の執筆にあたってかなりの調査を行った模様だ。あとがきで井上は次のように記している。「一章から零章に至るまで、ストーリイのための虚飾は用いなかった。1945年8月8日、長崎における結婚式は実際に行われており、『無学党』の市役所課長や主任等四人が、物価統制令違反、収賄容疑で逮捕され、浦上刑務支所に収監されていたことも、作り話ではない」ここに記された「長崎における結婚式」がこの物語の焦点だ。この日、三菱製鋼所の行員中川庄治と長崎医大の大学病院に勤める看護婦ヤエの祝言と披露宴が催され、媒酌人を含めて13人が列席する。いうまでもなく戦況は悪化しており、物資が不足する中で精一杯整えられた酒肴には華やかさではなく、弁明がつきまとう。続く章では列席者が次々に焦点化されて、必ずしも8月8日という一日に収斂することのないそれぞれのエピソードが明かされる。例えばヤエの同僚、福永亜矢は三菱長崎造船所の工員、高谷藤雄の子供を身籠っていたが、長崎から呉に派遣された高谷からは何の連絡もなく、懊悩を重ねていた。新婦の叔母、堂崎ハルの夫、彰男は市役所内での権力闘争の結果、冤罪によって収監され、公判を控えている。新郎の義父、銅内弥助は教会を通じて知り合った山口由信のもとに食糧の無心のために出かけるが、精神を冒されて療養所に入院した山口の娘に対しては直ちに家族が引き取ることが命じられていた。路面電車の運転手を務める水本広は彼が目をかけていた石井市松という後輩が逐電したという知らせを受ける。石井は戦死した海軍士官の未亡人と関係を持ち、それを理由に特高から尋問を受けていた。そしてヤエと庄治はぎこちない初夜を迎える。
 井上の作品になじんだ者であれば、読み慣れた長崎の方言を駆使していくつもの物語が重ねられる。それは市井の人物の日常の記録だ。もちろん戦争の末期という時代背景が彼らの上に重い影を落としているが、彼らの生活と私たちの生活に本質的な差異はない。一つの宴席に招かれた人々をとおしてオムニバス形式で時代を点綴する井上の叙述はみごとだ。以前、このブログで集英社版の「戦争×文学」中の一巻、『ヒロシマ、ナガサキ』について論じたことがあるが、例えば原民喜や林京子の作品が原爆投下直後の広島の惨状を描いて衝撃的であるのに対して、「明日」はいわばクライマックスを欠いている。先日、四方田犬彦の『テロルと映画』について論じた際に、テロリスムが映像を媒介としたスペクタクルの形式をとることについて触れた。原爆投下がテロリスムの極限であることは明らかだが、四方田はテロリスムの表象においてスペクタクルを用いなかった稀有の例としてハニ・アブ・アサドの「パラダイス・ナウ」を挙げる。このフィルムにおいてテルアヴィヴに自爆攻撃に向かった二人の青年の帰趨を描くことなく、画面はホワイトアウトする。今回再読して、私は原子爆弾の炸裂を描かずしてその非人間性を描いた小説、スペクタクルによらずテロリスムの表象に成功した例として、この小説も類例のない試みであることが理解できた。先日、私は広島市現代美術館を訪れ、被爆70周年を記念する三部作の展覧会の第一部、「ライフ=ワーク」を見た。この展覧会、さらに同時に開催されていた「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というコレクション展もきわめて充実しており、機会があればレヴューしたいと考えるが、やはりこれらの展示に加えられた作品からも(被爆をスペクタクルととらえることの問題性を理解したうえであえて言うが)、私は原子爆弾による被害をスペクタクルとして表象する方向と、スペクタクルの廃絶として表象する二つの方向が存在することを理解した。むろんいずれかが優れているという意味ではない。私は被爆という惨劇が表象されるにあたってスペクタクルの強化と無化という正反対のヴェクトルが作用していることに関心を抱いたのだ。おそらくこの問題には映画、美術、文学といったメディウムの差異も大きく関与しているだろう。果たして原爆投下は映像を通して表象できるのだろうか。なぜなら爆心地にカメラを置いたとするならば、カメラは原子爆弾が炸裂した瞬間に消滅してしまうからだ。この事実から私が思い浮かべるのは、ジャン・フランソワ・リオタールがホロコーストを評した際に用いた「あまりにも激烈であったため、すべての測定機械を破壊してしまった地震」という比喩だ。この問題は原子爆弾投下と絶滅収容所という二つの表象の臨界を比較する際にも有効な視点を提起するのではないだろうか。いずれも基本的に証人の絶滅をその本質とする蛮行であるからだ。このブログの読者であれば、私がこの問題について様々なジャンル、様々な表現を超えて繰り返し問うてきたことを理解いただけるだろう。奇しくもほぼ同時期に見た展覧会もまた表象の可能性と不可能性をめぐって様々な示唆を与えてくれたことを記しておきたい。
 「明日」に戻ろう。第1章から第9章まで、読者は様々な登場人物に焦点化しながら、そして時に断片的に挿入された当時の手記をとおして(この記録によって、私たちは登場人物たちが8月8日の夜に見た血のように赤い月は決して作者によるフィクションではないことを確認することができる)、その前日の長崎の日常をめぐる。しかし第0章として最後に付された章はやや叙述の手法が異なる。「朝のおだやかな光のみなぎる部屋で、母は縫い上げたばかりの産着を畳む」という一文で始まるこの章は、先に触れた水本広の妻が「ツルちゃんの赤ん坊、生まれたかもしれんね。もう」とただ一度言及した臨月の妊婦、ツル子の内的独白によって語られる。井上であるからプルーストではなくフォークナーに範を仰ぐであろうツル子の語りは冒頭で語られる情景が示す8月8日の早朝に始まり、回想と現実の会話、過去と現在を往還しながら、彼女が産気づき、無事男の子を出産する8月9日の早朝、4時17分までおよそ一日の意識の流れを追う。戦時中のぎすぎすとした人間関係がややもすれば前景化されるほかの章と違い、わが子の誕生を見つめるこの章の語りは柔らかく美しい。この章、そしてこの小説は次のような一文とともに終えられる。「8月9日、4時17分。私の子供がここにいる。ここに、私の横に、形あるものとしているということが信じられない。髪の毛、二つの耳、小さな目鼻とよく動く口を持ったこの子。私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている。/ ゆるやかな大気の動き。夜は終り、新しい夏の一日がいま幕を上げようとして、雀たちの囀りを促す」ツル子の疎開した地区に対して「原爆の爆風と熱線は、谷間を通路として、この地をまともに襲った」とのことであるから、新しい生命と産褥の床にある母を苛酷な運命が待ち受けていたことは想像に難くない。井上も本書の刊行後、多くの読者から手紙で問われた母子の安否について、「作者に答えられる言葉はない。(中略)私はただかすかな奇跡を祈るのみだ」とい答えている。通常であれば希望に満ちたコノテーションをもつ「明日」という言葉はこの小説においてはあまりにも重い。
 私たちはこの物語がもはや寓話ですらないことを知っている。井上光晴は1992年に没しているが、彼の没後に発生した二つの震災、95年の阪神大震災と2011年の東日本大震災をとおして、私たちは地震という自然災害によって一つの都市、一つの地域が一瞬にして壊滅する姿を目撃した。さらに福島の原子力災害によって私たちは一夜を境に故郷から人々が永遠に追われるというチェルノブイリ以外ほとんど類例のない惨事、しかも人為的な惨事がこの国では文字通り「明日」にでも起こりうることを思い知った。作家自身によるあとがきには、先に引用した母子の安否についてのコメントに続いて次の一文がある。「九州西域の原子力発電所を主題にした小説を書き進めている途中、チェルノブイリ原発の事件が伝えられて、私のペンは全く動かなくなった」ここで触れられている「九州西域の原子力発電所を主題にした小説」が先にこのブログでも論じた「西海原子力発電所」であることはいうまでもない。「地の群れ」における被爆者差別の問題とともに始まった井上の作品群が「明日」そして「西海原子力発電所」にいたるまで、被爆と原子力発電所、端的に核問題と関わっていたことは明らかだ。(さらに一連の炭鉱を主題とした作品を加えるならば、そこにエネルギーという井上の小説に一貫する主題性が認められることはすでに論じた)現在、戦後最悪の政権のもとで戦争の準備が着々と進められていることは周知のとおりだ。しかしさすがに今後、熱核兵器が戦争というかたちで使用されることはありえないだろうと思う。この一方で今日、鹿児島の川内原子力発電所が再稼働した。新しい規制基準の下で初めての再稼働であるから、今後同様の手続きを経てほかの原子力発電所が再稼働する可能性は高い。ほぼ二年にわたり、原子力発電が一基も稼働せずとも私たちが暑い夏を乗り切ったという事実にもかかわらず、かかる愚行がなされた訳だ。私は今後、原子爆弾ではなく、原子力発電所の事故、もしくはテロによって日本の広い地域が居住不可能となる可能性は高いと考える。その際、人はまさに今日こそがその前夜であったことを知るだろう。井上は核問題とテロに関連させて、本書のあとがきを次のように結ぶ。「うたがいもなく、“今”この現在、人間の立っている場所がそこには明示されている」およそ30年前に記された文章であるが、予言的といってよいリアリティーを秘めた一文だ。今、私たちが立っているのが、まさに「明日」の前夜であることを、二つの原爆忌と敗戦記念日にはさまれた2015年8月11日という日付とともにここに書き留めておきたい。

by gravity97 | 2015-08-11 20:14 | 日本文学 | Comments(0)

いとうせいこう『想像ラジオ』

b0138838_209341.jpg 東日本大震災から4年目の3月11日を前にして、いとうせいこうの「想像ラジオ」を読む。2013年に発表されたこの小説については発表当時から賛否があったと聞く。確かに軽妙な文体の背後に、書くことをめぐる深い問題が提起されており、評価は分かれるかもしれない。私が感心したのは、東日本大震災という未曾有の災害に対して、いとうが正面から対峙していることだ。これはなかなか出来ることではない。本書から連想される類書の一つは村上春樹の「神の子供たちはみな踊る」であろう。村上は自身の生地である阪神間を襲った95年の阪神大震災に触発されてこの連作集を執筆した。しかしいずれの短編においても震災そのものが描かれることはない。例えば冒頭の「UFOが釧路に降りる」は妻に失踪された男が受けた奇妙な依頼をめぐる物語であるが、そこでは妻が失踪の直前、阪神大震災の被害を報じるTVを終日見ていたという記述があるばかりで、具体的に震災に触れる記述はない。ほかの短編においても震災は微妙な残響を残しているものの、直接の主題として描かれることはない。村上ほどの書き手であっても阪神大震災を小説の主題とすることがいかに困難であったかうかがえよう。かかる困難は表象の不可能性という問題と関わっている。このブログの中でも既に多様な作品に即して論じた点であるが、ある人々が体験した大きな災厄について、果たして他者はその代理として表現に関わることが出来るかという問題だ。現在、クロード・ランズマンの「ショア―」が東京で上演されていると聞くが、実際に生存者がいなかった可能性さえ大いにあったユダヤ人絶滅収容所の体験を一体誰がいかに表象しうるか。5時間に及ぶランズマンのフィルムはこの問題についての真剣な応答であった。ランズマンはスティーヴン・スピルバーグの「シンドラーのリスト」を繰り返し批判する。それはスピルバーグが絶滅収容所という本来的に表象不可能な事件を誰にとっても了解可能なメロドラマに転化しているからであり、表現しえないというこの事件の本質を隠蔽してしまうからである。表象しえないものの表象に対して、ランズマンのフィルムはぎりぎり可能な閾を探求している。この問題については最近も深く考える機会があったので、次回のブログで触れるつもりであるが、地下鉄サリン事件に際しては当事者へのインタビューさえ行った村上が、この連作短編集の中であえて直接に阪神大震災に触れなかった点はかかる困難と関わっているだろう。大きな災害を体験した者、端的に述べるならば死者に代わってなにごとかを語るということは傲慢ではないか。東日本大震災を言語によって表象しようと試みる者にとって、かかる問いは最初の躓きの石であるはずだ。以下、このブログでは本書の内容に深く踏み込んで論じる。白紙の状態で小説に臨みたい方はまず書店に向かうことをお勧めする。(単行本の書影を掲げているが、本書はごく最近文庫化されたから、今であれば書店での入手も容易なはずだ)
 いとうは問いの立て方を変えることによって、このアポリアを巧みにかわす。すなわち死者の代わりに語ることは可能かという問いを、死者と言葉を交わすことは可能かという問いに置き換えるのである。この小説の冒頭部を引く。

こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
 (中略)
でもまあ、まるで時間軸がないのもしゃべりにくいんで、一応こちらの時間で言いますと、こんばんは、ただ今草木も眠る深夜二時四十六分です。いやあ、寒い。凍えるほど寒い。

 この引用だけでもこの小説についていくつかの示唆が与えられる。この箇所において語りは書き言葉ではなく、話し言葉によってなされ、語り手は非時間とも呼ぶべき一種の幽冥の場に存在している。そして2時46分という特定の意味をもつ時刻、具体的には東日本大震災が発生した時刻が記されているのだ。今、思わず幽冥という言葉を用いてしまったが、物語を読み進めるうえで次第に語り手についての情報が与えられる。語り手はDJアークを名乗るラジオ・パーソナリティ。海沿いの町に育ち、結婚して中二の息子をもつ38歳の男性だ。DJアークは高い杉の木に引っかかって、そこからラジオ放送を行っている。彼がパーソナリティを務める「想像ラジオ」という番組は異なったいくつもの時間に向かって届けられ、同じ時間に別の曲をオン・エアすることさえ可能だ。DJアークは時折音楽を流しながら際限のないおしゃべりを続け、しばしばラジオのリスナーから届いたメールや手紙を読み上げる。現実と非現実が混交する語りの中で私たちは両者の境界を探る。第一章の最後でDJアークの同級生を名乗る「箪笥屋のアタシ」という女性はDJアーク、本名芥川冬助が津波によって高い木に向かって流されていくのを目撃したとメールで伝える。これによって私たちは語り手、DJアークが既にこの世にいないことをおぼろげに理解する。
第二章では話者が交代する。語り手は作家のS。この章は震災のボランティアの帰りに福島から東京に向かうバンの車中におけるSの内的独白として語られる。最初にその一月ほど前、航空性中耳炎のためにSの耳が聞こえなくなり、耳の手術を受けたというエピソードが回想される。このエピソードにトマス・ピンチョンの「V」における登場人物の鼻の手術の描写の反映をうかがうことは強引であろうか。いずれにせよ耳の手術というモティーフはこの小説の本質と関わっている。なぜなら聞こえる/聞こえないというディコトミーはこの小説に一貫するライトモティーフであるからだ。内的独白の常としてSの語りはめまぐるしく話題を変える。癌による父の死を看取った経験。バンに同乗しているカメラマンとともに東南アジアを取材した際のエピソード。広島平和公園でのシャーマンたちとの集会、被災地に跋扈する自称霊能者たち。とりとめのない語りの中に死というモティーフが散りばめられていること、そして時折、広島における被爆や東京大空襲といった戦災の記憶が喚起される点には留意する必要がある。この章の最後で同乗者の一人はカーラジオが切られているにもかかわらず、頭の中にDJの語りと音楽が響いてくると述べる。聞こえてくるのはカルロス・ジョピンのボサノバ、[三月の水]だ。この曲は第一章の終りでDJアークがオン・エアした楽曲であり、ここに至ってこの章の冒頭に置かれた「その声が私には聴こえない」という謎めいた一文がDJアークの放送を指していることが理解される。
 第三章は再びDJアークの語りによって構成されている。DJアークは海や津波を連想させる曲を次々にオン・エアしつつ、放送を続ける。この放送は双方向であり、逆にリスナーからも電話やメールを介して情報がもたらされる。DJアークは時に廃墟となった建物に残された会社員、衰弱しつつ横たわる老夫婦からのメッセージを伝え、一方で自身の過去を回想する。多くの人が想像ラジオに耳を傾けているが、想像ラジオが聞こえない人もいるらしい。DJアークは自分の妻にこの放送が届かぬことを不審に感じ、やがてそれは妻が別の側、すなわち生の領域にいるためであると悟る。先に述べたとおり、この小説においては聞こえる/聞こえないという区別が決定的に重要であり、ここから「死者の声」というモティーフが導かれる。これについては後述しよう。第四章は男女の対話によって構成されている。「結局、いまだに僕にはなにひとつ聴こえないんだよ」という冒頭の言葉が暗示するとおり、話者の一人は第二章の語り手、作家Sである。Sには美里という妻がいるが、ここにおける対話の相手は妻ではなくSの恋人であろう。会話の履歴を消す消さないといった言葉がこの点を暗示する。Sの恋人は自分が見た夢について語る。それは杉の木の上に男があおむけに横たわり、その傍らに白黒の鳥に身を代えた自分が位置しているというものだ。男がDJアークであることは明らかである。そして対話の終盤、Sの口をとおして、彼女が震災の前、「秋の天気のひどくいい日」に事故死したことが語られる。二人はともに再会を願って会話を終える。ここでは死者と生者は互いの声を聞き、対話が成立している。最後の第五章は再びDJアークによって語られる。この章では彼が「多数同時中継システム」という手法によってDJアークの語りに対する反応が次々に寄せられる。このような形式から今日誰もが連想するのは例えばブログやフェイスブックの記事に寄せられるコメントであろう。DJアークは自らの初恋や息子の草助の思い出を語る。一方、缶詰工場で働く21歳の女性リスナーから、彼女の平凡な一日を語る比較的長いメッセージが届き、震災以前、東北の地で営まれていた安穏とした生活に私たちは思いを馳せる。物語の最後でDJアークはリスナーたちに励まされて、向こう側の妻と息子の声を聞こうとする。彼らの声を聞くことによって傍らの白黒の鳥、ハクセキレイもはばたきを始め、中空に飛び立つ。それは放送の終了を意味する。自分の後にも次々に新しいDJが出現することを予感しつつDJアークは最後の曲としてSからのリクエスト、ボブ・マーリーの[リデンプション・ソング]をオン・エアする。redemptionが贖い、あるいは救済という意味であることを付け加えることはもはや蛇足であろう。
 以上のように分析するならば、本書が相当に考え抜かれた小説であることが理解される。例えばDJアークというニックネームが芥川という本名からとられていることは明らかであるが、そこにark 箱舟の意味を見落とす者はいないだろう。小説の中でも言及されているとおり、ここでいう箱舟の物語は旧約聖書というよりギルガメシュ神話であろう。この神話の中にも世界を覆い尽くす洪水の物語があり、杉の木、あるいはDJアークの父や兄が語る杉の木に巻き付いた蛇、そしてなによりも最後に鳥が空に飛び立って洪水が引いたことを知るエピソードが認められる。あるいは今述べたとおり、五章から構成されたこの小説は奇数章をDJアーク、偶数章を小説家Sが語り手ないし対話者を務めるかなり図式的な構造をとる。ここで注目すべきはこの小説において話者は常に誰かに語りかけている点である。それは時には固有名をもつ個人であり、時には放送を聞く不特定のリスナーであるが、言葉は必ず誰かのもとに届けられる。この意味において主人公がラジオ・パーソナリティ、あるいはDJという仕事に就いていることは必然的である。このうち、DJアークは死者の側、作家Sは生者の側にいることが暗示されているが、DJアークの放送をSのバンに同乗している青年が聞き取り、あるいはSのリクエストがDJアークによって取り上げられることによって両者の交流の可能性が暗示される。声を上げる、聞き届けることがこの小説の主題であり、最初に述べたとおり、ここでは死者の代わりに語ることではなく、死者と言葉を交わすことが表現されている。
 なぜ、死者と言葉を交わさねばならないか。第四章の対話の中でその理由が明確に語られる。「他の数多くの災害の折も、僕らは死者と手を携えて前に進んできたんじゃないだろうか? しかし、いつからかこの国は死者を抱きしめていることが出来なくなった。それはなぜか?」「なぜか?」「声を聴かなくなったんだと思う」「…」「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者とともに」この会話自体が震災の前に事故死した恋人、すなわち死者との間で交わされていることに留意しよう。ここでは本書の主題が提示されている。先にも述べたとおり、死者の声というモティーフだ。このモティーフ自体は文学にとって決してなじみのないものではない。しかしそれが切実なものとして感じられるのは、多くの人々が死んだ出来事の直後であろう。今引用した対話の冒頭、「他の数多くの災害」の前には東京大空襲、広島、長崎への原爆投下という事件が具体的に記されており、これらについて登場人物の語りの中でも触れられていることは先にも述べた。二つの震災以前にも私たちは多くの人々の死を体験した。それはいうまでもなく第二次世界大戦であり、その直接の影響のもとに創作活動を開始した野間宏や大岡昇平、あるいは埴谷雄高といった第一次戦後派の作家たちの作品は死者の声で満ちていた。このブログでも何度か取り上げた集英社の「コレクション 戦争と文学」の中にも「死者たちの語り」と題された巻があり、そこに収められたいくつもの作品、あるいは同じ全集に収録された多くの作品には死者が戦争について語るという趣向が認められる。戦時にあって死者の語りは特異な出来事ではなかったのだ。戦時と平時。戦後の日本は奇跡的というか単なる偶然として大きな自然災害を受けることがなかった。少なくとも1959年の伊勢湾台風と95年の阪神大震災の間に死者が5000人を超える自然災害は存在せず、平和憲法に守られた日本人は戦地に赴くこともなかった。日本の復興、経済成長がこの間に成し遂げられたことの意味を私たちはもう一度考えてみるべきであろう。しかし注意深く耳をすませば、この時期にあっても私たちは死者の声を聞くことができたはずだ。たとえば石牟礼道子は「苦海浄土」の中で水俣病の犠牲者たちの声を聞き、桐山襲は一連の小説で未完の革命に殉じた若者たちの声を聞いたのではなかったか。おそらく死者の声に耳を傾けることは作家にとって必要な資質の一つである。死者の声による文学、「想像ラジオ」も間違いなくこの系譜に連なり、一つの豊かな結実として私たちの前にある。
 ひるがえって今、私たちに東日本大震災の死者たちの声が聞こえるだろうか。彼らのひそやかな声を「復興」という大きな声が押し潰し、さらに「東京オリンピック」の轟音が私たちの耳を聾している。私はかくも人々が疲弊している時代に、札束で築かれたような大都市で「オリンピック」を開催することの意味が全く理解できない。杉の木を下から見上げながら父親はDJアークがいる場所には放射能が降り注いで何十年も人が入れないかもしれないと告げる。実際にこの国にはそのような場所が存在するし、さらに現在の政権のもとでは死者の声ならぬ軍靴の音さえ聞こえてくるようではないか。最後の場面からは redemption、救済が感じられ、2013年という発表の時点において本書は一種の鎮魂の書と読むことができたかもしれない。しかしそのわずか二年後、奈落に向かって転げ落ちていくこの国で、「強者」がわめき散らす騒音の前に「想像ラジオ」の鎮魂の声はもはや完全にかき消されている。

by gravity97 | 2015-03-08 20:15 | 日本文学 | Comments(0)

大江健三郎『大江健三郎自選短編』

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 大江健三郎の自選短編集が岩波文庫から刊行された。短編集といえども800頁を超える大冊で1957年の処女作「奇妙な仕事」から1992年の「マルゴ公妃のかくしつきスカート」まで23編の短編が収められ、半世紀以上にわたる活動の全貌をほぼ通覧することができる。収録にあたっては全ての作品に加筆修正が施されており、帯に記された「大江短編の最終定本」という言葉に誇張はない。これらの短編は「初期短編」「中期短編」「後期短編」の三部に分類されている。後でも述べるとおり、大江の短編は時期的に偏りがあり、三部構成も分量としてそれぞれおよそ300頁、400頁、100頁とばらつきがある。以前、「晩年様式集」をレヴューした際にも記したが、私は大学以来、時に若干のタイムラグを置きながらも大江の小説を比較的熱心に読み継いできた。なぜか今世紀初めに発表されたスウード・カップル三部作「取り替え子」「憂い顔の童子」「さよなら私の本よ!」を三冊揃って読み落としたことを除けば、大半の小説に目をとおしている。したがってここに収録された短編についてもその多くをすでに新潮文庫、もしくは初出の単行本ですでに読んでいる。正確を期すならば、この短編集に収録されている作品のうち、私が未読であったのは「中期短編」中の連作短編集『静かな生活』に収められた二編、そして「後期短編」としてまとめられた四編のみであった。これまで時を隔てて読み継いできた大江の小説を、短編を連ねて読み返す作業は自分の読書体験を一度巻き戻して早送りするかのようで楽しかった。
 例によってテクスト・クリティークから始めよう。表紙の写真からもうかがえるとおり、今回、本書を刊行するにあたって大江は当初のテクストにかなり徹底的に手を加えている。大江の言葉を借りるならば、「私にとって読み直すことは部分的にであれ書き直すこと」なのだ。実際、大江はあとがきのなかで事実上の処女作「奇妙な仕事」を東京大学新聞に発表した直後、初めて活字になったテクストを繰り返し読んで、直ちに書き直すことを願ったと記している。表紙に掲げられた写真は「空の怪物アグイー」の一部であり、この写真と新潮文庫版を対照するならば写真に示された訂正を経て、本書に収録された最終定本の「空の怪物アグイー」が完成されたことが理解される。写真からうかがえる限りでもかなり徹底的な推敲がなされている。ただしその多くは文彩もしくは時間の経過を理由とした修正であるようだ。先日、『現代思想』の「大学崩壊」という特集を読んでいると、この短編集の冒頭の「奇妙な仕事」において、初出時には東大生である「僕」に対置されていた「女子学生」と「私大生」のうち、「私大生」が「院生」と修正されていることにやや批判的な記述を目にしたが、これは今日的な視点を得て初めて可能な批判であろう。これらの小説の大半を読んだ20年以上前の記憶がもはやおぼろげであることを勘案したとしても、井伏鱒二の「山椒魚」の場合のような内容に関わる修正は加えられていないはずだ。
 収録された23編の短編がいずれも大江の代表作であることに疑いの余地はないが、大江自身は選択の基準を明らかにしていない。あとがきの中に「残すものより除外するものが思っていたより多くなりました」という一文が残されているのみである。先に触れた初期、中期、後期の比率はおそらくはそれぞれの時期に大江が執筆した短編の量に比例しているであろう。小説的完成度とは別に大江は基本的に長編作家であり、代表作が例えば「個人的な経験」、「同時代ゲーム」、「燃えあがる緑の木」のいずれであるかについては議論があろうが、長編であることに疑いの余地はない。そしてあらためて本書を通読して、私は大江が短編を執筆した時期にかなりむらがあることを知った。収録された短編の初出一覧を確認するならば「初期短編」の最後の「空の怪物アグイー」が発表されたのは1964年1月、「中期短編」の最初の「頭のいい『雨の木』」が1980年1月であるから、初期と中期の間に16年もの間隔があるのだ。大江の作品を確認するならばこの間に「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「同時代ゲーム」といった傑作長編が次々に発表されているから、かかる不在は理解できないこともない。しかしこの間にも本書には収録されていないが、私にとっては大江の短編集として強い印象のある「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(私にとってもっとも鮮烈なイーヨーのイメージが刻まれた作品だ)と「見るまえに跳べ」も上梓されており、大江がどのような意識に基づいてここに収録された作品を選んだのか、もう少し説明がほしい気がする。「中期短編」に収められた短編はいずれも独立した短編ではなく、短編連作集から数編が選ばれている。具体的に述べるならば「『雨の木』(レイン・ツリー)を聴く女たち」から3編、「新しい人よ眼ざめよ」から4編、「静かな生活」から2編、そして「河馬に噛まれる」から2編である。同じ時期に発表された「いかに木を殺すか」から本書に収録された短編がない理由は、それが純然たる短編集で連作短編の形式をとっていないためであろうか。「後期短編」としてはややまとまりのない4編が選ばれている。存命中であるにもかかわらず、「後期」と名指すあたりはいかにも「晩年様式集」の著者らしい。ただし「中期」と「後期」の間にはさほど積極的な区別はないだろう。発表順としては先であっても「後期」の範疇に収められている作品もある。
 久しぶりに読み返して、まず初期の短編のみずみずしさに感銘を受けた。初期の作品がサルトルと実存主義の強い影響を受けていることは明らかだ。多くの作品が一種の不条理な状況に追い込まれた人物を描き、出口なしの閉塞が語られる。冒頭の「奇妙な仕事」と「死者の奢り」は犬の屠殺と死体が保存された水槽の保守といういずれもなんとも陰惨なアルバイトに応募した「僕」を主人公としている。平野謙によって同工異曲と評されたらしいこれら二つの短編は吠え続ける実験用の野犬と水槽に浮かぶ死体といういずれも鮮烈なイメージを核としている。肛門に胡瓜を挿入した縊死体、妹の恥毛が写ったカラースライド、あるいは降雨を葉むらに貯める樹木、大江のいくつかの作品はきわめて明確で限定的なイメージから出発しているが、かかる特質は最初期の二編にすでに明らかといえよう。「他人の足」と「人間の羊」は実存的状況への他者の介入を主題としている。実存に他者が介入することは可能か。かかる問題に性的な主題を絡めるのが初期の大江の短編の特質であり、粘液的な文体もこれらの主題に対して効果的に使用されている。この意味においても「セブンティーン」は初期の大江の一つの頂点を画しているだろう。性と政治、鬱屈した青年の内部の葛藤が発表当時の社会的緊張感の中に浮かび上がる。この短編集に、発表直後に右翼の攻撃を受け、今日にいたるまで大江のどの作品集にも収められていない「セブンティーン第二部 政治少年死す」が収録されていない点は残念である。浅沼委員長刺殺事件を扱って当時においてはスキャンダルであっただろうが、もはや当時ほどの衝撃があるとは思えず、何より「セブンティーン」の末尾における主人公の昂ぶりは続編を読むことによって、より明瞭に理解できると考えるからだ。芥川賞受賞作の「飼育」、そして「不意の唖」は初期の傑作中編「芽むしり仔撃ち」と通底する。地名こそ特定されていないが、おそらくは四国の山間部、これ以後の大江の小説で決定的な意味をもつトポスを舞台としている。私はこの二作、そして「人間の羊」がアメリカによる日本の占領という一つの時代を舞台としている点に関心をもった。第一次戦後派の作家たちが大戦を顕在的/潜在的な主題とした多くの作品を発表したのに対して、占領下の日本を扱った文学は比較的少ない。他国による占領というかつて日本が経験したことのない時代は、「遅れてきた青年」である大江によって服従と反抗、閉塞や性的倒錯といった主題へと転換された。この時期は大江が自分たちの「時代の精神」と呼ぶ「不戦と民主主義の憲法」が与えられた時代でもあるが、この一方、江藤淳が明らかにしたとおり、占領政策としての検閲が進められたことも記憶されるべきであろう。そして「初期短編」の最後に収められた「空の怪物アグイー」は大江自身も自らの作品の主題としてきた一種の実存的な危機に直面したことを暗示している。頭に障害をもつ長男、光の誕生である。この個人的なエピソードは直接には「個人的な体験」という傑作に反映されるのみならず、これ以後の大江の小説にほぼ一貫する主題系列をかたちづくる。
 初期の中編が一人称で語られながらも、必ずしも主人公は作家自身に同定されなかったのに対し、中期以降、大江は(光の妹を語り手とした「静かな生活」といった例外は存在するにせよ)自らの実体験を濃厚に反映し、作家自身を語り手とした擬似的な私小説を書き継いでいった。先にも述べたとおり、ここでしばしば連作短編という形式が用いられたことは興味深い。注目すべきはそれらの連作を統一するモティーフだ。例えば最初に収録された「『雨の木』を聴く女たち」連作においては、タイトルに示された「雨の木」、夜中の驟雨を茂みに溜めて翌日の昼頃まで水を滴らせる樹木のイメージが一種の通奏低音として短編集を束ねている。そして多くの場合、先行する文学作品がその傍らに置かれる。「『雨の木』を聴く女たち」ではマルカム・ラウリー、「新しい人よ眼ざめよ」においてはタイトルどおり、ウィリアム・ブレイク。この後、ダンテやサイードがこのリストに加わることを私たちは知っている。障害をもった息子の成長に先人の言葉を重ね、自らの生活を文学的に総括するという大江の基本的な執筆姿勢はこの時期以降、形成されていく。短編の連作という形式は日常の断片を異化して作品化するにあたって有効であったかもしれない。大江の長編に時に浅間山荘事件やオウム真理教事件といった社会的事件の反映をうかがうことができるのに対して、ここに収録された中期の短編では「河馬に噛まれる」に連合赤軍事件の残響が認められることを例外として、大江の日常、とりわけ光との交流の描写が中心となっている。国際会議や取材旅行を理由としてしばしば外国が舞台とされている点も当時の大江の生活を反映しているだろう。さらに大江をめぐる知的なサークルの存在もこれらの短編に大きな影を投げかけている。多く頭文字、時に名前を変えて言及される芸術家や学者たちが、例えば作曲家の武満徹であり、文化人類学者の山口昌男であり、哲学者の中村雄二郎であることは大江の読者であれば誰でも了解されよう。岩波系、あるいは「へるめす」系とでも呼ぶべきこれらの「文化人」たちが今や多く鬼籍に入り、世界樹やトリックスター、中心と周縁、あるいは文化記号論といった80年代文化のキーワードもいささか古びた印象がある。しかし明らかに大江は彼らとの交流から多くを学び、自らの作品の中に生かした。私は例えば山口や中村の80年代の仕事が今日どの程度の普遍性をもちうるかという点には少々懐疑的であるし、実際、近年彼らの仕事について言及される機会は著しく減っているように感じもするが、彼らの仕事に触発されて執筆された大江のこれらの作品の重要性は今後も決して減じることはないであろう。
 ダンテ、アウグスティヌス、ラヴレーから渡辺一夫まで大江が古今東西の師匠(パトロン)たちを自らの作品に招き入れ、傑出した小説群として結実させたことは明らかであり、この自選短編集を読むならば、その経緯がていねいに説明されるかのようだ。先に「晩年様式集」についてレヴューした際、この小説の巻末に記された一つの詩句に、私は大江が小説に託した希望をうかがった。それは次のようなものであった。「私のなかで/ 母親の言葉が、/ はじめて 謎でなくなる。/ 小さなものらに、老人は答えたい、/ 私は生き直すことができない。しかし/ 私らは生き直すことができる。」この短編集の最後に収められた「火をめぐらす鳥」という短編の最後には伊東静雄の次の詩が何度か引かれる。「〈私の魂〉といふことは言へない/その証拠を私は君に語ろう」私は大江が「最後の小説」として執筆した「晩年様式集」の最後に引かれた詩句と「最終定本」として加筆修正したこの短編集の「最後の短編」に引用された詩句の共通性に関心を抱く。果たしてこれらが大江の「最後の長編小説」と「短編小説の最終形」となるのであろうか。おそらく大江自身もよもや80歳を過ぎてから「不戦と民主主義の憲法」が否定され、震災と原子力災害以後の「侮辱の中に生きる」ことになるとは思わなかっただろう。今や私たちはかかる異常事態の中にいる。賞の是非はともかく、「ノーベル賞作家」として国際的にも大きな発言力をもつ大江がかかる不条理、出口なしの実存的状況に対して新作によって応えることを望むのは私だけではないはずだ。

by gravity97 | 2014-10-20 10:06 | 日本文学 | Comments(0)

奥泉光『東京自叙伝』

b0138838_2135565.jpg 先日、レヴューしたポール・オースターもその例であるが、数年にわたってこのブログを続けているとどうしても好みの作家、何度も取り上げる作家が出てくる。オースター同様、奥泉光も新刊を中心に取り上げること、これで三回目となった。本書も奥泉らしい奇想と巧妙な語りが一体となった秀作である。
 「私の記憶と云うのは大変に古くまで遡るのですが、その大半は切れ切れの断片にすぎず、だから纏った人生の記憶の始まりと云う事になると、弘化二年、西暦で云えば一八四五年、この年の正月二十四日、青山権田原三筋町から火が出て、一帯を焼いた火事がありました。これが最初の記憶だ」人を食ったような一文から本書は始まる。全六章から成る本書の第一章は「柿崎幸緒」という人名らしきタイトルが付され、ほかの章も人の名を冠しているから、おそらく柿崎とはこの章の語り手と推察される。そして実際に章ごとに語り手は変わるが、通常の小説における視点の交代とは様相を違える。火事とともに記憶を語り始めた柿崎はまもなく安政の大地震に遭遇し、次のような感慨を得る。「一個の確信が私に出し抜けに押し寄せた。即ち、私が地震に遭うのは今回が初めてではないとの確信だ」火事と地震の記憶が繰り返し刻印された語り手、本書のタイトルを参照するならば、それが何の暗喩であるかは明白だ。本書の語り手は東京という土地のゲニウス・ロキ(地霊)なのである。そして読み進めば明らかとなるとおり、この語り手はしばしば人以外のかたちをとる。ミミズやカゲロウといったエフェメラルな生き物、そしてとりわけ好むのは鼠である。奥泉の小説、例えば『神器 軍艦「橿原」殺人事件』の読者であれば、奥泉の小説の中で鼠に与えられた特権的な位置に馴染んでいるから、さほど驚くこともないだろう。火事や空襲、襲撃などで語り手が危機に陥るや何処からともなく大量の鼠が発生し、語り手を導く。この小説における語り手は、江戸末期に武士の養子となる孤児「柿崎幸緒」から東日本大震災発生時の福島第一原子力発電所の作業員「郷原聖士」まで6人の人物に、小説中で用いられる言葉を使えば「凝集」、私の好む言葉では焦点化しつつ、一世紀半にわたる東京の変貌を語る。レオボルド・ブルームのダブリン、フランツ・ビーバーコップのベルリン、私たちは一つの都市を文学によって表象するいくつかの先例を思い浮かべることができる。それらの小説においては主人公たちの彷徨を介して、都市が空間的に立ち現れるのに対して、本書の特異さは複数の語り手を得て、空間のみならず時間的にも都市像が形成されていく点であろう。東京の地霊という本書のテーマからは荒俣宏の『帝都物語』が直ちに連想される。実際に明治から現代へといたる時間的な広がり、実在の人物を点在させる手法、平将門や震災といったモティーフは両者に共通している。しかし荒俣の小説がウェルメイドな伝奇小説であって、あくまでも伝統的な小説の結構を保っているのに対し、奥泉は小説の形式にも様々の企みをこらす。例えば各章を無数のパートに分割し、それぞれの冒頭に短いレジュメを書きつける手法だ。章の冒頭にその章の梗概を記す手法はさほど珍しくない。例えば今挙げたアルフレート・デーブリーンの『ベルリン・アレクサンダー広場』がその例だ。しかし章の梗概は通常であれば冒頭に書き込まれるのに対して、本書では梗概というより短いキーワードが太い活字とともにきわめて頻繁に地の文章に介入する。キーワードと本文を併置する書式から私が連想したのは小説ではなく歴史の教科書である。b0138838_21354597.jpg縦書きと横書きの差異こそあるが、私が昔学んだ歴史の教科書はその時代のトピックを太ゴシックで短く示したうえで詳細を地の文で解説するという形式がとられていた。両者の相似は本書が一種の歴史記述であることを念頭に置くならば不思議はないが、この部分がなくてもテクストをつなぐことは可能であるから、このような表記はある意図のもとになされている。つまり読者は、次の章の成り行きをあらかじめ目にしたうえで物語を読み進めるのだ。説話論的に述べるならば、本書は先説法の集積によって形成されている。かかる時制は興味深い。ここでは未来を予告しつつ現在が記述される。このような手法がはらむ意味については後で論じるとして、読者の意識を中断する仕掛けは無数のキーワード表記だけではない。この小説は主に口語調の敬体で語られるが、時折奇妙な表記に出会う。ソンナ、コンナ、スッカリ、マアといった副詞や連体詞がなぜか片仮名で表記されるのだ。「この頃はソンナ酒好きでもなかったがマア付き合った」といった調子だ。読み進むうちに慣れてくるとはいえ、このような表記はかなり異様である。レジュメとぎくしゃくした片仮名表記によって物語はたえず中断され、私たちは読書に集中することができない。このような揺らぎは語り手にも共有されている。先にも述べたとおり、本書は主として6人の語り手によって順番に語られるが、それぞれの語り手は必ずしも自らの位置を把握していない。一例を挙げるならば第二章の「榊春彦」に焦点化する前、つまり第二章の最初の部分で「私」は猫、カゲロウ、浅蜊、そして鼠へと次々に焦点化し、しかもそれらの記憶は曖昧である。関東大震災の到来を機に「私」は榊春彦として語りを始めるが、その後も榊の意識の中には様々な生き物の記憶が混在する。語り手の意識のぶれ、一貫した意識の流れをたえず阻害する夾雑物は、小説の形式を介しても暗示され、読み手にも経験されるのである。
 いつもながら形式に拘泥してしまった。内容に戻ろう。先に述べたとおり、本書では江戸末期から現代にいたるまで六人の話者がまるでリレーをするかのように、東京という土地をめぐる物語を語る。「柿崎幸緒」は江戸から明治、幕府の武士から新政府の官員へと変わり身の早い男だ。「榊春彦」は軍隊との関係が強い。陸軍幼年学校から士官学校、陸軍のエリートコースを歩み、英国留学から関東軍、ノモンハン事件に立会い、敗戦にいたるまでの日本陸軍の栄光と転落を体現している。第三章の「曽根大吾」は戦後の裏面史であろうか。曽根は東京大空襲のあたりから記憶を獲得し、闇市で頭角を現し、ヤクザたちとの闘争を繰り返して勢力を拡大し、ヒロポンから取り込み詐欺、不動産売買に手を広げ、裏の世界の顔役となるが、最後は軍の隠匿物資をめぐる暗闘に引き込まれ、車ごと焼き殺される。第四章の「友成光宏」は混乱から繁栄への戦後史の分身だ。京都大学を卒業して商社に勤務し、サンフランシスコ講和条約絡みのアジア賠償、労働争議といった騒然たる世情を背景に勢力を拡大し、保守党政権と密接な関係を築く。一方で皇太子成婚、浅沼委員長刺殺から東京オリンピック、さらにはビートルズ来日といった戦後日本のメルクマールとなった事件とも関わっていたことを自慢する。友成に関してもう一つ特筆すべきは、テレビ放送と原子力発電の日本への浸透を画策した点である。物語の中で友成は「読買新聞」の正刀杉次郎、いうまでもなく読売の正力松太郎とともに戦後日本の核アレルギーを払拭すべく策動するのであるが、実は友成は長崎で被爆も体験している。安保闘争あたりで語り手は友成から離脱し、第五章の「戸部みどり」で初めて女性の視点をとる。時代は昭和から平成へ、バブルの狂熱が東京を包む。八百屋お七の生まれ変わりでもあり、放火現場で自分に覚醒した戸部は都立大学の法学部を卒業し、法律事務所に勤務する一方で、夜な夜な都心のディスコに足を運んではバブルに沸き立つ東京を満喫する。戸部は地下鉄サリン事件や山一證券廃業といった事件にも関わり、彼女自身がバブルの絶頂から崩壊へという時代の病理を正確に再現するかのごとき転落を続ける。最後に登場する「郷原聖士」は先にも述べたとおり、東日本大震災の際に福島第一原子力発電所で自らに覚醒する。この章は比較的短く、原発事故の顛末の後、派遣労働、ネットカフェ、通り魔事件といった比較的最近の出来事が郷原を通して語られる。
 今、ごく簡単に要約したが、このような内容を知ったとしても本書を読む楽しみが損なわれることはない。六人の人物の物語は相互に複雑に入り組み、このあたりはいつもながら奥泉の語りの真骨頂といってよいだろう。そして東京をめぐるおよそ一世紀半の物語も虚実入り乱れたまま物語の中に嵌入し、現実と創作の境界は不明確となっていく。本書の語りの独自性は複数の話者にあるが、興味深いことにこれらの話者は必ずしも相互に排他的ではない。それが典型的に示されるのは第三章の最後の場面だ。曽根は軍の隠匿物資の隠し場所を知るために、ある男を脅してほしいと依頼される。その男とは榊春彦、いうまでもなく第二章の語り手である。友成は自分に会って自分を脅すことを求められるのだ。まことにフィリップ・K・ディックの「スキャナー・ダークリー」的な状況というべきであろう。「榊晴彦はかつて私だった人間にすぎない。いまは全然私ではない。したがって榊は赤の他人である。とコウ箱根へ来る道すがら、私は自分に言い聞かせてきたのですが、実際会ってどうだったかと云えば、これがヤッパリどうにも薄気味悪い」しかしかかる説話論的矛盾を奥泉はあっさりと解決する。つまり語り手が同時に存在する場合は章のタイトルを与えられた話者が優位に立つのである。第三章の終わりで曽根は榊を撃ち殺すが、同時に乗っていた車が炎上する。それを目撃していたのが第四章の語り手、友成であるから、この場面では殺す私と殺される私、そしてそれを目撃する私、三人の「私」が共存している訳だ。動物から人間までさまざまのかたちをとる「私」というトリックがこのような状況を可能にしている。ちなみにかつて「私」であった者の固有名を羅列してみよう。ビートルズ来日時のジョン・レノン、三億円事件の実行犯、三島由紀夫、数々の通り魔事件の犯人。ほとんど錯乱的な内容であるが、実は物語の初めでは一人の人物の中に比較的固く「凝集」ないし焦点化されていた「私」は物語の進行につれて、つまり時代が下るにつれて拡散し遍在することとなる、戸部みどりに至っては超満員のディスコに蝟集する若者たちが全て「私」であるという「原生動物的快楽」を味わいさえするのである。とめどなく増殖、拡散する「私」というテーマは星野智幸の「俺俺」を連想させないでもない。
 さて、交代する語り手というテーマは文学史において一つの主題系列をかたちづくる。それは転生という主題だ。私はこの系譜を形成するいくつかの作品を連想する。例えば三島由紀夫の「豊饒の海」五部作であり、なによりも中上健次の「千年の愉楽」である。中上の小説においては紀州の「路地」を舞台に高貴で不吉な血の宿命で結ばれた若者たちが、淫蕩と悪行の果てに次々に夭逝していく様が描かれ、彼らの短い生涯を見届けるのがオリュウノオバと呼ばれる産婆である。(このような構造が「百年の孤独」の登場人物とウルスラの関係と相似であることはいうまでもない)この時、興味深い問題が浮かび上がる。つまり転生という主題はしばしば反復という問題と結びつくのだ。「千年の愉楽」では半蔵、文彦、オリエントの康といった別々の名前をもつ美貌の青年たちが憑かれたかのように無残な死を繰り返す。この傑作を読み終えた時、私たちはこの反復が実に豊穣であることを知る。中上の死後、熊野大学にも出講した経験のある奥泉が本書を執筆するにあたってこの小説を意識しなかったと考えることは難しい。本稿を書き進めるにあたって「千年の愉楽」をぱらぱらと参照した私は「ラプラタ綺譚」の冒頭に書きつけられた次のテクストに引き寄せられた。

 オリュウノオバは或る時こうも考えた。自分の一等好きな時季は春よりも生きとし生ける物、力のありったけを出して開ききり伸び切った夏、その夏よりも物の限度を知り、衰えが音もなしに量を増し幾つもの管が目づまりし色あせ、緑色なら銀色に、紅い花なら鉄色に変わりはじめる秋、その秋よりも枯れ切った冬、その冬よりも芽ぶく春。オリュウノオバは時季ごとに裏山で鳴く鳥の声に耳を澄まし、自分が単に一人のオリュウではなく、無限に無数に移り変る時季そのものだと思っていた

 引用の最後の部分など「東京自叙伝」を予示するかのようではないか。さらにこのパッセージは奥泉の小説の本質と関わる重大な問題を提起している。前段で言及されるのはいうまでもなく四季の循環である。「東京自叙伝」が歴史、つまり時間を主題としていることは明らかだ。ところで古代ギリシャ人は時間をクロノスの時間とカイロスの時間に区別していた。クロノスが線的に流れる時間であるのに対して、カイロスとは循環する時間であり、端的な例は四季である。中上の引用は「千年の愉楽」における時間がクロノスではなくカイロスのそれ、回帰し、循環する時間であることを暗示している。ひるがえって「東京自叙伝」の場合はどうか。確かにここで語られるのは1845年から2011年まで一世紀半にわたるクロノスの時間、帝都東京のクロニクルである。しかし実はそれは本質においてカイロスの時間、反復される時間ではなかったか。かかる反復を保証する出来事は何か。いうまでもなく震災と火事だ。原子力災害を一種の火災と考えるならば、私たちはこの土地でこれらの二つの災いが幾度となく反復され、2011年3月には凶々しく同期さえしたことを知っている。壊滅の予感。その日以来、私も仕事で東京に行くたびに語り手たちと同様に興奮と緊張を味わう。なぜなら今や、いつ次の大震災が襲うかもしれず、一方で日々放射能によって汚染されているこの都市はもはや一種の死相を呈しているからだ。その一方、このメトロポリスは6年後のオリンピックに向けて、日本中の富を収奪して異様な虚飾をまといつつもある。確かに今日、かくもエキセントリックな都市は世界でもほかに例がないだろう。未来を予告しながら現在を記述する本書の叙述は、東京という都市の繁栄が常に壊滅を前提に築かれていることを暗示しているかのようだ。「マアどちらにせよ、近い将来、東京は壊滅してしまうのだから―と申しますか、すでに壊滅しつつあるわけですから、あれこれ考えても仕方がありません」本書は富士山爆発の幻視とともに幕を閉じる。しかしこのような壊滅もまた東京の転生の一つの相に過ぎないと考えるならば、本書はこの異例の都市にふさわしいまことに特異な「自叙伝」といえよう。

by gravity97 | 2014-07-10 21:37 | 日本文学 | Comments(0)