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Living Well Is the Best Revenge

ジェフリー・ディーヴァー『12番目のカード』

ジェフリー・ディーヴァー『12番目のカード』_b0138838_20414490.jpg ジェフリー・ディーヴァーといえば当代きってのストーリーテラー。とりわけ人気の高いリンカーン・ライムを主人公にした連作長編中、なぜかこの作品を読み落としていたことに最近気づいた。
 ニューヨーク市警科学捜査部部長であったライムは捜査中の事故で全身不随の身となるが一命をとりとめる。この運命をライム自身がいかに受け入れるかという点も連作の隠れた主題となっている。科学捜査に関しては天才的な頭脳をもつライムはニューヨーク市警の顧問として次々に難事件を解決する。ミッドタウンのタウンハウスに住み、車椅子から一歩も動くことなく、明晰な思考と推理によって犯人を追い詰めるライムが安楽椅子探偵の究極の姿であることはいうまでもない。『ボーン・コレクター』でライムが登場した時は、ライムという特異な主人公をごく自然に活躍させる人物造形の巧みさと緻密な科学捜査をプロットに生かす構成力に圧倒された。ディーヴァーにはほかにも特殊な分野で犯罪捜査に関わる主人公が登場する一連の作品があり、あまりにも特殊な状況に置かれたライムが再登場することはあるまいと考えていたが、予想に反して以後もほぼ隔年のペースでライムが登場する新作が発表され、ほかの小説の主人公たちもライムのチームに加わることさえある。しかもこのシリーズは作品の水準が高く、読んで失望することがない。
 ディーヴァーの作品はよくも悪くもけれんみが過剰というか、読者を飽きさせることのない意外な展開が特徴だ。『コフィン・ダンサー』や(リンカーン・ライムものではないが)『悪魔の涙』で思いもつかない人物が犯人の位置にすべりこんだ時の驚きは優れたミステリーを読む醍醐味の一つといえよう。しかしこのようなひねりもディーヴァーの場合、あざとさと紙一重であって、時に不自然な印象を与える。とりわけ短編ではこの点が顕著で、奇しくもTwisted というタイトルを与えられた短編集(日本語タイトルは「クリスマス・プレゼント」)に収録された短編のいくつかは、まずひねりありき、何が何でもひねらなければならぬという前提でストーリーが着想されたようなぎこちなさを感じた。日本では逢坂剛のミステリーなどにみられるが、言ってみれば「最も意外な人物が犯人で、登場人物が実は全て関係者」といった構成であるから、逆に最も犯人らしくない人物を犯人として、登場人物が全員関係者としたらどうなるかという逆算でストーリーの骨格が見えてくるという転倒である。短編にくらべてさすがに練られているが、ディーヴァーの場合、長編でも時にプロット先行の強引な印象を与える場合がある。
 さて、2005年に発表された本作品は「リンカーン・ライム」シリーズとしては第6作にあたり、発表順としては『魔術師』と『ウォッチメイカー』の間に位置する。いずれも年間ミステリーベスト10の高位にランクされた作品である。車椅子から一歩も動けないライムに代わって捜査を進めるのはチーム・ライムと呼ぶべきおなじみの面々。このシリーズの副主人公であるニューヨーク市警の殺人課刑事アメリア・サックス(余談だが、私は以前からサックスとトマス・ハリスの一連の作品に登場するクラリス・スターリングの相似性が気になっている。ニューヨーク市警とFBIという男性社会の抑圧の中で活躍する点、少女時代のトラウマ、とりわけエレクトラ・コンプレックスがいずれも異形の父、前者にあってはライム、後者にあってはレクター博士に向けられる点である)、やはり腕利きの刑事ロン・セリットー、鑑識課員メル・クーパー、FBIのフレッド・デルロイといった顔ぶれはシリーズを読みついだ者にとっては旧知の存在であるが、ディーヴァーは人物の造形に秀でているからどの作品から読み始めてもすぐ彼らになじむことは私が請け負う。これらの常連のほかにも毎回魅力的な人物が登場するが、本作品では冒頭から不気味な殺し屋につけ狙われるアフリカ系アメリカ人少女ジェニーヴァ・セトルの描写がすばらしい。読者は誰でも彼女に感情移入してしまうだろう。内容的にはシリーズの中でも水準作であろうが、水準作ということは読み出したら最後、やめることができないことを意味する。私も何の気なしに頁を開くや、二日間で読み切ってしまった。例によってツイストに次ぐツイスト。ただし私くらい読み慣れると、ひとたび結末が提示されても、まだまだ終わるはずはない、残りの頁数からみてあと数回どんでん返しがあるはずと逆に予想がついてしまう。
 このシリーズは一作を除いてライムが住むニューヨークを舞台としており、都市論的な読みも不可能ではない。特に今回はマンハッタン北端のハーレムを扱い、この点で私は興味深く読むことができた。ハーレムといえば治安の悪さというイメージが先行するが、実際にはアフリカ系アメリカ人の連綿たる文化的伝統が息づく街であり、1920年代にはハーレム・ルネッサンスとして花開いたことはよく知られている。このあたりの事情は以前、このブログで紹介した高祖岩三郎の『ニューヨーク烈伝』に詳しい。『12番目のカード』においては殺し屋から逃れる少女ジェニーヴァと彼女が図書館のマイクロフィッシュで読む、彼女の祖先である解放奴隷チャールズ・シングルトンの逃亡が二重化され、ニューヨークという町の歴史性が物語の中に巧みに反映されている。最後にこの二つの物語を結びつけるあたりは先に述べた強引さが鼻につくが、ジェニーヴァをめぐる描写の細部にもハーレムで生きるアフリカ系アメリカ人の辛さと強さが歴史的な深みをもって浮かび上がり、物語に奥行きを与えている。
 「リンカーン・ライム」シリーズは毎年秋に新しい翻訳が刊行されるような気がする。これを年末に発表される年間ミステリーベスト10の集計直前の絶妙なタイミングと考えるのは穿ち過ぎか。偶然であるが、この書評を書き始めた日、朝刊でディーヴァーの新作の広告を目にした。今回の主役はライムではなく、昨年翻訳が刊行された『ウォッチメイカー』にチーム・ライムの一員として登場した尋問官キャサリン・ダンスらしい。私は『ウォッチメイカー』にはあまり感心しなかったが、この作品に初めて登場し、人物の挙動から彼(女)の言明の真偽を見抜くダンスの活躍には強い印象を受けた。近いうちに私もこの新作を読むことになろうが、ヨクナパトーファ・サーガならぬリンカーン・ライム・サーガの世界はさらに広がりつつあるようだ。
by gravity97 | 2008-10-16 20:42 | エンターテインメント | Comments(0)