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「今こそGUTAI  県美の具体コレクション」

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 今年がとんでもない「悪い年」であったことはこのブログを振り返っても直ちに判明する。全体に更新のペースが落ちたのは本務の多忙さ以上に、社会の逼塞状態が影響しているように感じる。中でも大幅に減ったのは展覧会関係のレヴューだ。昨年の今頃、千葉市美術館で開催された「目」の展示についての記事をアップしたことを記憶しているが、先日まで同じ美術館で開かれていた宮島達男展を見ることはかなわず、今年はなんとただ一度、東京都現代美術館における「ドローイングの可能性」に関する記事を書いただけで終わっている。もちろん都市部で開催される展覧会を見る機会が大幅に減ったとはいえ、東京国立近代美術館におけるピーター・ドイグの個展や森美術館で開かれた「スターズ」、さらには横浜トリエンナーレなど、それなりに興味深い展示をいくつか見てはいるので、端的にレヴューを書く気力が萎えてしまっていたのだ。もちろん見る側以上の苦境は展覧会を企画する側にあったはずであるから、まずはそれらの展覧会を実現した関係者に感謝を述べておきたい。

 今年最後に訪れた「今こそGUTAI」もこのような状況と深く関わっている。「今こそ」という言葉がなんとも意味深であるが、パンフレットの「ごあいさつ」にもある通り、この展覧会は本来2018年にフランス、アヴェロン県に所在するスーラージュ美術館で開催された兵庫県立美術館のコレクションによる「具体 絵画の空間と時間」へのいわば返礼として、スーラージュ美術館のコレクションを借り受けてこの秋に開催される予定であった「スーラージュと森田子龍」が延期されたために苦肉の策として企画された展示である。作家やクーリエ不在のもとに、関係者と連絡を取り合いながら実現された海外の作家展もいくつかあったとはいえ、一つの美術館から多くの作品を借用する展覧会はクーリエが同行できず、もしくは現地での長期検疫を必要とされる場合に実現が困難であることは十分に理解される。今年、海外から作品を借用する展覧会が困難となった理由は、原子力災害の場合とは異なり、作品ではなく同行するクーリエ、人員の問題であったことは意外に知られていない。予定されていた展覧会が来年実現されることを願いながら年末に今年二回目となる展覧会レヴューを書き留めておく。

 「県美の具体コレクション」というサブタイトルが示す通り、この展覧会は兵庫県立美術館が収蔵する具体美術協会(以下、具体)のコレクションを中心に若干の借用作品を加えて構成されている。借用された作品が重要である点については後で触れる。展覧会は四部によって構成され、それぞれのタイトルを示すならば、「最初期の収集 郷土ゆかりの美術として」「女性作家のめざましい活躍」「現代美術―山村徳太郎氏と近美の並走」「多角的な理解に向けて 県美のGUTAIコレクション」である。具体についてはこの美術館が日本最大、いや世界最大のコレクションを擁しているということは周知の事実であるから、コレクション展であったとしても作品には事欠かない。どのように見せるか。テーマの設定こそが重要な問題となる。これまでこの集団を紹介する展覧会は何度か開催されているが、多くが通史的な内容、しかも多くはその全幅ではなく、絵画が量産された1960年代前半くらいまでを主たる対象として紹介していた。この集団が再び注目される契機となった海外での展覧会においてもほとんどの場合、50年代の活動に焦点が当てられた。これに対して、2012年に国立新美術館で開かれた「具体―ニッポンの前衛 18年の軌跡」はタイトルが示すとおり、解散までの活動の全幅を展覧し、さらに2013年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館における「具体 素晴らしき遊び場」においても展示の共同キューレーターであるミン・ティアンポの研究に基づいて、グローバリズムという新たな観点を導入することによって、それまでのアクション、絵画、多様性という三期分類に代えて、グタイピナコテカ以前と以後というディコトミーを採用しつつ、一応活動の全期間が取り上げられていた。これらの展覧会とミンの研究についてはいずれもこのブログで応接しているから、関心のある方はお読みいただきたい。一方でクロノロジーによらない方法としてはアンフォルメル、アクション、あるいは重力や痕跡といったテマティックな展覧会において重要なセクションとしてこの集団が扱われてきたことも知られているとおりである。これに対して、今回の展覧会は少々折衷的な視点が導入されている。つまり一方でグループの活動の歴史ならぬ美術館の作品収集の歴史というクロノロジカルな軸を設定しつつ、その一方で女性作家の活躍というテーマが設定されているのだ。しかしどの部分に力点が置かれているかは自ずから明らかだ。パンフレットの中に掲出されたフロアマップを参照するならば、四部構成のうち「女性作家のめざましい活躍」のセクションに全体の半分以上の面積が費やされている。

 具体に女性のメンバーが多い点はこれまでも指摘されてきた。具体は結社や運動ではなく、年長のリーダー吉原治良のもとに教えを乞うて集まった若い作家たちが吉原とともに創設した集団であるから、この時期に成立した集団としては例外的に師弟関係を基盤としていた。吉原が作品を評価するうえでは男女の区別などなかった。したがって女性作家が活動するうえでジェンダーというバイアスは成立しない。それどころか、吉原が田中敦子の作品に対して一種の嫉妬を示したということは関係者の証言を通して明らかになっており、師である吉原にとって男女を問わず弟子たちの作品は時に脅威となりえたのだ。以前、このブログで中嶋泉の『アンチ・アクション』について論じたが、この中で中嶋が「戦前の父」とやや揶揄的に評した瀧口修造、阿部展也、吉原治良のうち、吉原は他の二人とは異なった立場にあったことはここで強調しておいてよいだろう。今回の展示では田中のほかに初期からの会員として、山崎つる子、白髪富士子、そして60年代から加わった女性作家として名坂有子、森内敬子、管野聖子、堀尾昭子の合わせて7人が取り上げられている。展覧会を一見して了解されるのは前三者の「絵画」の圧倒的な強度である。このうち田中と山崎については、すでに美術館で個展が開催されており、具体に関する展覧会の常連であったことを考慮しても、既に作品のクオリティーについては十分に認められていたと考えてよかろう。とりわけ上に掲出した今回の展覧会パンフレットに用いられた作品を含めて田中敦子の作品、比較的展示される機会の稀なドローイングの全貌を確認することだけが目的であっても、今回の展覧会には足を運ぶ価値がある。山崎つる子に関してもこの機会に作品をまとめて見るならば、独特の浮遊感、メタリックな配色は具体において異例であり、しかも強い。吉原がなぜこのような絵画を受け入れたかを含めて、今後検証されるべき問題を提起するように感じた。そして白髪富士子だ。白髪一雄のパートナーとしてある時期より制作を中断したため、彼女の作品は作品数自体が少なく、再制作のオブジェを含めて兵庫県立美術館は2点しか収蔵していなかったように記憶する。このため今回の展示は個人蔵の4点の作品が借用されて出品されている。今回の展示にコレクション以外で出品された作品はこの4点だけである。これはグッドジョブだ。彼女の作品の多様性を示したことによって、展覧会の奥行き、テーマの必然性が格段に深められている。和紙に顔料を重ねた物質感の強い作品と和紙そのものの物質性を強調した作品についてはこれまでにも類例を見たことがあるが、縦長の紙にストライプ状に顔料を塗った作品について私は初見であった。(白髪富士子の個展は数年前に尼崎総合文化センターで開かれているからその時に出品された可能性がある)私はかくも突出した質の作品が専門的な美術教育を受けたことのない一人の女性によってやすやすと制作されたことに信じられない思いがするのだ。ここに出品する女性作家のうち、白髪のみが比較的早い時期に制作を中断したことはジェンダーという観点から検討されてよいが、それについてはひとまず措き、私がこれら三人の女性作家においてひときわ興味深く感じたのは布や紙に対する独特の関心である。ここには出品されていないが、田中が野外展に出品したピンクの人絹地、山崎の赤いビニール、そして白髪の和紙に対する一種のオブセッションは彼女らの「女性性」といかに関わっているだろうか。この問題には先に触れた中嶋泉の研究の中でも詳細に論じられていた点であるが、私はあらためてこれらの物質が絵画と強い親和性を結んでいる点に注目したい。アンチ・アクションは中嶋が一連の女性作家に与えた卓抜なキーワードであるが、三人の女性作家もまたアクションではなく行為を受け止める素材に着目することによって、同じ時期の男性作家に匹敵する絵画を創造しえたのではないだろうか。さらに付言するならば彼女らの作品に共通する特質として、性的な暗示が一切存在しない点も興味深い。もっとも具体自体にセクシュアリティーへの関心はほとんどうかがえないが、この点は草間彌生や久保田成子といった日本人女性作家、あるいはエヴァ・ヘスやルイーズ・ブルジョアといった戦後美術を代表する女性作家たちと比べた時、特徴的な点である。さらにいえば、同じセクションで紹介される、名坂、森内、堀尾、菅野という女性作家に欠けているのはこのような物質へのオブセッションであり、この点が初期と後期、具体の女性作家たちの作品の質の格差に反映されている。そしてこのような格差はこの展覧会の最後のセクションに出品されている60年代以降の作家たちの作品にも明らかである。むろん個々の作品としては優れており、興味深い作例も多い。しかしそこには初期具体において男性女性を問わず共有されていた行為と物質性の探求をとおして絵画を強化しようとする意識がほとんど認められない。むろん同じ集団であるから、美術館として作品を収集する必然性はあろうし、それによって作品が散逸することがなかったのは喜ばしい。しかしこれらの作品が具体という同じカテゴリーに分類されることの違和感は今回の会場でも強く感じられた。

 今私はこの展覧会の二番目と四番目のセクションについて論じた。最初と三番目のセクションは近美、すなわち「兵庫県立近代美術館」時代の収集の歴史である点においてつながっている。しかし最初のセクションはわずか3点の作品しか展示されていない。リーダーの吉原と白髪、元永という代表的な作家の作品であるとはいえ、実はこれらの作品は具体や現代美術のコレクションではなく、「郷土ゆかりの美術」として収集されていたのである。しかも白髪を除く2点は具体がまだ活動していた時期に収集されている。彼らは具体の作家としてではなく、兵庫県にゆかりのある作家として機械的に収蔵されている。このセクションは点数こそ少ないが、具体の認知と積極的な収集がずっと後年になされたことを示してきわめて批評的である。さらに問題提起的な点としては、リーダー吉原の作品はこの展覧会にこのセクションに展示された1965年の《黒地に赤い円》しか出品されていない。今確認したとおり、60年代に入ると具体の初発の問題意識は薄れていく。なるほど《黒地に赤い円》は吉原の代表作であり、さらには欧米の東洋趣味に適合しているがゆえに日本の戦後美術を象徴する作品ともみなされてきた。しかしハードエッジで行為性を欠いたこの作品は具体を代表する一点ではありえないだろう。過去の展覧会、例えば国立新美術館での回顧展では吉原の絵画が一つのセクションとして大きく取り上げられていたのに対して、今回の展示において吉原はあくまでも具体の一人のメンバーにすぎない。過去にはロスアンジェルスから東京に巡回した「アウト・オブ・アクション」において具体が大きく取り上げられながらも、吉原を含めなかったという前例はあるが、このように吉原を相対化する姿勢は一つの見識であろう。

第三部では1980年代中盤に収集された具体の中核を占める一連の作品が紹介され、展示の見どころをかたちづくっている。知られているとおり、これらの作品の大半は具体の大コレクター、山村徳太郎氏によって収集され、コレクションの全体像は昨年、同じ美術館で開催された「山村コレクション展」で紹介された。しかしタイトルに並走とあるとおり、同時期に兵庫県立近代美術館も作家から直接に作品を購入するだけでなく、海外からも具体の優品を買い戻していた。山村コレクションに収められている具体の作品がトリノから買い戻された経緯についてはかなり詳しく事実関係が確認されているのに対し、アメリカからの買い戻しについてはこれまでその詳細が明らかではなかった。今回、会場で配布されていたパンフレットに掲載されているテクストによれば、元永の作品はニューヨークのマーサ・ジャクソン・ギャラリー旧蔵であったという。これらの購入についてはおそらく当時、池袋の西武百貨店のコンテンポラリー・アート・ギャラリーが連続して企画した具体関係の作家の個展が関わっていたと考えられるが、具体の作品が展覧会を開いたこともあるニューヨークでどのように遇されていたのかについては、今後の研究の進展を期待したい。先に展示の中に吉原が一点しか含まれず、それもいわゆる円の絵画であることに触れた。私はこのセクションにやはり吉原のアンフォルメル期の作品を加えてほしかったと考える。なぜならそれによってこの集団、さらには50年代絵画の一つの特性が明瞭に認められるからだ。このセクションの作品が制作された1960年前後に吉原もまた物質性を強調し、時にストロークが刻まれた多くの絵画を制作し、この美術館に所蔵されている。なるべく多くの作家の作品を展示し、展示効果という意味においてもこの時期の吉原の作品は展示されなかったのであろうが、明らかにこの時期の吉原の絵画はサイズにおいても質においても、弟子たちの作品に劣っている。それゆえ吉原が苦しんだことが想像されるし、実際に多くの証言が残されている。リーダーである吉原もまた同じ問題、すなわち絵画における行為と物質性の探求に取り組んでいたことが理解されるならば、このような発見はこの集団の創造の本質を知るうえで意味があるように感じられるからだ。

 今年最後に訪れた展覧会に展示されていたのは見慣れた作品ばかりだった。とはいえ優れた作品の常として、見るたびに新しい発見や理解が生まれる。展覧会の延期が原因であったとはいえ、元永の《タピエ氏》や鳥の子紙に描かれた白髪のフット・ペインティング、あるいはこれほど多くの田中のドローイングを一堂に見る機会は今後ほとんどないだろう。多くの人に足を運んでいただきたい展示だ。会期は来年の27日まで。


by gravity97 | 2020-12-31 10:17 | 展覧会 | Comments(0)