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Living Well Is the Best Revenge

五木寛之『戒厳令の夜』

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 このブログを書くことを通してしばしば眠っていた記憶がよみがえる。前回取り上げた『ショック・ドクトリン』に関連して、私はアメリカの後押しによってチリの民主政権を破壊した1973911日の軍事クーデターとその背景、さらにそれと関連する小説や映画について論じた。私は同じ事件に関して日本人によって描かれた小説を読んだ覚えがあり、しばらく記憶をたどるうちに思い出した。五木寛之の『戒厳令の夜』だ。コロナ禍によって出張がキャンセルされた休日、久しぶりに再読する。

 奥付を確認するならば、私がこの小説を最初に読んだのは30年ほど前のはずだ。内容についての記憶は全くないが、鮮烈な冒頭、というかエピグラフは今も記憶に焼きついていた。

その年、四人のパブロが死んだ


 いきなり小説の核心に触れるフレーズだ。「四人のパブロ」とは誰か。三人は実在の人物、一人はこの小説のために仮構された人物である。パブロ・ピカソ、パブロ・カザルス、パブロ・ネルーダ、そして架空の画家パブロ・ロペス。このうちピカソを除いた三人は実際に物語の中に登場する。「その年」とはいつか。文庫版の冒頭に四人の肖像写真(ロペスのみイメージは空白)と生没年が記されているから、この年が1973年であることはたやすく理解されよう。ロペスはともかく、三人のパブロが同じ年に物故したことは歴史的事実であり、五木がこれを知った時、小説の構想が生まれたことに疑いの余地はない。カテゴリーからも理解されるとおり、物語自体はエンターテインメントの類型を逸脱することのない荒唐無稽で通俗的な内容であるが、現実との絶妙な距離を保ちながら20世紀の歴史の暗部を次々に抉り出していく点に圧倒的な魅力がある。注目すべきはその重層性だ。場所としては東京と九州、パリ、さらにサンチャゴ、時代としてヒトラーとフランコ、ピノチェットという三人の独裁的な政治化の治下、さらには占領下の日本というやはり暴力的な時代を通して、政治に翻弄される人々の姿が浮かび上がる。愚かな歴史が反復されること、しかも場所を違えて反復されることへの作者の諦念が行間から浮かび上がるかのようだ。

 語られる出来事の明確な日付は記されていないが、唯一、朝日新聞の朝刊の見出しを列挙するかたちで具体的な日時が特定される箇所がある。197368日という日付だ。この日に特定の意味がある訳ではないが、再読にあたって私はそれが911日以前であることを知り、物語の来たるべきクライマックスないしカタストロフを漠然と予感した。この箇所は物語の中盤に配されているから、ここで語られる物語はおそらく1972年から73年にかけての冬(冒頭近くに主人公である江間が博多で灰色のコートを着た中年の女性から若い娘を紹介される描写がある)に始まり、73911日に一つの結末を迎える。つまりこの小説は一年にも満たない時間の間の物語であるが、関係者の証言や記憶を介して、読者は現在と過去を自由に往還する。今回もかなり内容に踏み込んで論じる点をお断りしておく。

 主人公の江間は大学と大学院で美術史学を学び、現在は映画雑誌の編集部に勤務している。江間は優秀な学生であったが、学生運動の渦中、たまたま参加したデモの中で巻き添え的に逮捕されて大学を中退した過去をもつ。志半ばに大学を離れ、鬱屈した毎日を追っていた江間は偶然に訪れた博多の酒場で驚くべき絵画を目にする。既視感に誘われて入った店の壁に掛けられていた絵画はほとんどの作品が失われたはずのスペインの幻の画家パブロ・ロペスの作品であったのだ。なぜここにロペスの作品があるのか。江間はかつて添乗員としてともにスペインを訪れた際に知己を得た博多在住の富裕な右翼浪人、鳴海老人にそれを伝え、江間と鳴海は別々にこの画家と日本の関係を探り始める。江間は大学の恩師である秋沢を訪ね、ロペスについて教えを乞うが、ロペスの名を聞いただけで秋沢は不可解な激昂を示し、江間に向かって茶碗を投げつける。鳴海の求めに応じて、江間は雑誌編集部を辞してロペス探索を始める決意を固めるが、その直後、秋沢が自殺したという知らせが届く。江間は恩師の死の謎を解くために、かつて秋沢が江間と縁づかせようと考えていた愛娘の冴子と接触し、秘密を解く鍵となる日記の存在を知る。しかし残された日記には欠落した部分があった。かくして江間と冴子はロペスの作品をめぐる迷宮の中に踏み込んでいく。鳴海の調査によって博多の酒場にロペスを持ち込んだのが、かつて炭鉱の労働争議で中心的な役割を担った康美というゲイの男であることが判明する。江間らは康美とともにかつて多くの絵画が隠匿されていた廃鉱を訪ねるが、すでにそれらは何者かによって持ち去られていた。一方、冴子のもとには秋沢が自殺の直前に冴子宛に投函した手紙が届き、それによって秋山の日記の欠落部が発見される。そこにはロペスの絵画の行方の手掛かりとなる秋沢の忌まわしい過去が記されていた。

 以上では私のこの小説の上巻のおよそ三分の二にあたる内容を記述した。先にも述べたとおり、終始神の視点で語られるわかりやすい内容の小説であるが、このような簡単な要約からも読者の興味を削ぐことがないようにいくつも巧妙な仕掛けがめぐらされたサスペンスフルな内容であることが理解されよう。今も触れたとおり、視点を現代に固定しながらも、秋沢の遺書や日記、いくつもの新聞記事といった異なったテクストを作中に配して、時間的秩序や現実との距離がシャッフルされている。説話論のレヴェルではどうか。例えば依頼と代行、権力の移譲、二重化と双子。これらは蓮實重彦が1989年に上梓したきわめて鋭利な形式的批評『小説から遠く離れて』において、大江健三郎や中上健次、村上春樹らの小説において「偶然にも」共有されていることを検証した「説話論的な構造」の代表的な例である。私がこの批評の意義を今日においても確信できる理由は、まさに私たちが読み終えたこの通俗的な小説においてもこれらの構造が複雑に稼働していることが理解されるからである。江間は鳴海老人の依頼によってロペスの絵画の探索を始める。あるいはアジェンデ政権の意志を受けてロペスの絵画の奪還という任務を代行するバルデス夫人。権力の移譲という構造は本書においてあからさまに現実的な主題として露出する。すなわち二つの民主的な政権を倒して政権を簒奪したフランコとピノチェットであり、パブロたちはこれに抗う。今、「二つ」という言葉を挙げたが、時を隔ててあたかも双子のように二重化される二人の独裁者と同様に、私たちはこの物語の中に何組もの双子、ペアを認めることができる。鳴海老人に対してはやはり筑豊に住む政商原島雄一郎、秋沢に対しては学問上のライヴァルであり冴子の出生の秘密とも関わる水田、江間の妻であった佐江子に対しては同じ読みをもつ冴子、ゲイの康美に対しては鳴海老人の腹心の部下黒崎、バルデス夫人に対してはロペスの作品を守って虐殺されたイサベル。

 このような双数の一つとして江間と冴子のペアが存在することは明らかであるが、二人は単なるヒーローとヒロインではなく、次第にもう一つの双系を象徴していることが明らかとなる。それは海の民と山の民であり、日本に古来より存在しながら、定住することなく各地を行き来した「サンカ」と呼ばれた人々への憧憬はこの物語の奥行きをさらに深めている。物語の中盤で江間と冴子は鳴海老人の指示に従って福岡の三潴郡に住まう外道先生、三潴の県主と呼ばれる水沼隠志のもとへと派遣される。女装した異形の老人、水沼は二人に国家にまつろわぬ意志があるかを問う。水沼によればかつて日本には非定住、非農耕、非入籍を貫く民が存在し、彼らは海の民と山の民の双系を形成していた。これらのまつろわぬ民は歴史の中で平定されて天皇制国家への帰順を強制され、さらに日本が近代化される過程、正確には明治期の戸籍の確立によって、闇の中に追われたが、実は現代にいたるまでサンカとしてその系譜は脈々と生き続けているという。宮本常一らの学説も引かれるこのような主張には正史への批判、歴史のオルターナティヴという発想があるだろう。私はかかる史観と深く関わる小説が大江健三郎の『同時代ゲーム』であることを直ちに理解した。この小説の主たる舞台が九州である点も示唆的だ。福岡とは山の民の系列と水の民の系列が交わる場所でもあるという。したがって水沼の導きによって達成される江間と冴子の最初の性交はこの小説の一つのクライマックスであるとともに儀式的な象徴性をも帯びている。そしてこれらの追われゆく民がヨーロッパのジプシーたちに重ねられる時、私たちは同じ暴力がときにナチズム、時にスターリニズムという形をとって離れた土地でやはり非定住、非農耕、非入籍のまつろわぬ人々を絶滅させようとした歴史に思いをめぐらす。ここでも歴史は繰り返されるのだ。

「戒厳令の夜」とは暗喩に富んだタイトルである。具体的にはクーデターの二年後に現地サンチャゴを取材して、緊急車両でさえ深夜には低速で室内灯を点灯し窓を開け放って走行するという軍政下の現実を知った五木の経験に負っているかもしれないが、20世紀において私たちはほかにもいくつもの「戒厳令の夜」を体験してきた。そこではむき出しの暴力がまつろわぬ者の上に振り下ろされた。そしてそれは今なお終わっていないし、本書の中には執筆当時、なお戒厳令が発令されている国名が列挙されている一節があったと記憶する。かかる暴力への抵抗として五木は芸術、この小説であれば絵画を対置する。四人のパブロのうちの一人、ピカソが《ゲルニカ》を描いてフランコに対する断固とした拒否を示したことはよく知られている。あるいはカザルスはフランコを支持する国では終生演奏をすることがなかった。逆にノーベル賞文学者であるネルーダがピノチェットのクーデター後、軍によって家や蔵書を破壊され、持病の治療の機会を与えられずに実質的には虐殺された(実際に毒殺された疑いがある)という事実も逆向きに両者の関係を物語っている。小説の中でバルデス夫人はロペスの絵画を展示する美術館を開設することによって、チリの人民を再び民主化の中に結集させようというアジェンデの秘密の指示を携えて来日したことが明らかになる。物語の終盤、ロペスの絵画の真贋をめぐるあまりにけれんみのある展開については賛否があろうが、四(三)人の偉大な芸術家の死をアジェンデ民主政権へのレクイエムとする作家の思いは今日においてもなお痛切である。そして私たちは芸術こそが自由の源泉であるという当たり前の事実をあらためて思い知る。

なお、文庫の印象的な装丁は今年、東京都現代美術館で回顧展が準備されている石岡瑛子が手がけている。


by gravity97 | 2020-06-19 08:18 | エンターテインメント | Comments(0)