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筧菜奈子『ジャクソン・ポロック研究』

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 若手による興味深い研究が刊行された。京都大学へ提出された博士学位論文であるとのこと。博士学位論文にしてはやや短く、出版助成を受けた研究書にしてはやや高額な気もするが、意地悪な突っ込みはやめておこう。論点を限定したことによって問題がクリアに浮かび上がり、価格も充実した内容に見合っているということだろう。

 著者の問題意識は「その作品における形象と装飾性」という副題に明らかである。ジャクソン・ポロックの絵画、とりわけポーリング絵画を形象と装飾という二つの主題に沿って分析することが最初に述べられ、分量的にもほぼ等しい続く二章においてそれぞれの問題が順番に論じられる。私はかなり専門的にポロックを研究したから、本書を研究史の中に位置づけることができる。二つの主題のうち、前者はポロック研究にとっておなじみのテーマであり、多くの先行研究がある。これに対して後者は比較的論及されることの少なかった主題といえよう。日本においてポロックの研究史は決して厚くはない。比較的早い時期に藤枝晃雄の画期的なモノグラフが発表され、いくつかの画集や展覧会が開かれているにもかかわらず、作家の生涯やら派手なアクションが重視されがちで、作品を対象とした形式的な分析はさほど多くない。近年の注目すべき論攷のうち、『ART TRACE PRESS』に発表された論考についてはこのブログでも論じたことがあり、著者は欧米も含めて先行研究に広く目を配っているから、それらについては本書巻末の参考文献を参照していただくのがよかろう。ポロックについて論じるにあたり、形象と装飾という二つのテーマに沿ってあくまでも形式的にポロックの絵画を分析する点にまずは本書の意義を認めることができよう。

 ポロックのポーリング絵画における形象性を検討するにあたって最初に筧が注目するのはその描画の過程を記録した写真とフィルムである。さいわいにも作家のアクションは多くの写真と映像によって今日に伝えられている。しかし今述べたとおり、筧は行為ではなく写真や映像の中に記録された画面に注目する。すなわちいずれも1950年に撮影されたハンス・ネイムスによる《One: Number31.1950》の制作過程、そしてポール・ファルケンベルクがガラス越しに撮影した《Number 29. 1950》における画面の生成であり、これらの過程を分析するにあたっては1998年のニューヨーク近代美術館における回顧展に際して、カタログ中でペペ・カーメルが論じたフォトショップによる解析が全面的に援用されている。筧/カーメルの結論は、ポロックが最初に多く人体を連想させる形象を描き、そのうえにポーリングを施すことによってそれらを消していったというものである。私はカーメルの論文を読んだ際にそこで論じられるフォトショップによる解析をおおいに怪しく感じた。それはきわめて恣意的であり、例えばマイケル・フリードの分析のごとき客観性からほど遠い。筧もこのような恣意性を批判しつつも、ポーリング絵画が秘めるこのような構造自体は認めている。私が違和感を覚えるのはこのような議論の妥当性ではない。それによってポロックの絵画に対していかなる積極的な認識の転換がもたらされるかという点だ。確かにポロックが最初に形象を描いたうえでポーリングによって、それらを隠したかもしれない。しかしそれによって何が結論されるというのか。1998年にニューヨークでポロックの回顧展を見た折、会場の一角にニューヨーク近代美術館所蔵の《五尋の深み》が展示された一角が設えられ、展覧会にあたってこの作品をX線解析した結果、やはりポーリングの下に男性像のイメージが発見され、性器の部分には象るかのように鍵が埋められていたという「発見」が華々しく紹介されていたことを思い出す。この時に刊行されたカタログにカーメルの論文が収録されていたから、この展覧会には展示とカタログを通してポロック絵画の形象性を強調しようとする意図が感じられるが、会場で思わず私は苦笑してしまった。かつてロバート・モリスはポロックのポーリング絵画の特質として最終的なイメージからそれがいかに描かれたかということが理解できることを挙げた。確かにポーリングの重層をたどってその生成の過程を想像することはポロックの絵画しかありえない楽しみかもしれない。しかしポーリングの網の目の下に形象が隠されていたとしても、それは最終的に隠された訳であり、私はそこに形象が存在したことよりも結果的にそれらが隠蔽されたことこそがポロックの絵画の本質と深く関わっていると思う。ただし私はこの論文を批判している訳ではない。問題の設定にはあまり新味がないが、続いて興味深い問題が提起されるからだ。第一部の第二章で検討されるのは1934年から46年というポーリング絵画の成立に深く関与する時期に残されたいわゆる精神分析ドローイングである。ポロックがユング派の精神分析医の求めに応じて治療という目的で制作した一連の素描についてはかつて日本でも展覧会が開催され、よく知られている。これまで人物像や線の密集、あるいは象徴的形態の出現といった点において注目されてきたこれら一連のドローイングに対して筧はそれが絵文字に似ているという興味深い指摘を行う。抽象表現主義とピクトグラムの関係自体は新しい論点ではない。抽象表現主義、とりわけその生成期に周縁視(peripheral vision)と呼ばれる特殊な視覚が共有されていた点、それが原始岩面画と関係し、当時ニューヨーク近代美術館ではヨーロッパに由来しない美術の可能性を探るためにしばしば原始美術、民族美術の展覧会が開かれていたという事実も今日よく知られている。しかし筧が注目するのは原始美術一般ではなく、そのピクトグラム的特質である。この点については既に沢山遼も指摘しているが、文字的な特質、すなわちサイズが比較的均等なイメージが全面を覆う構造は直ちにオールオーバー構造を想起させる。これまでこのような構造は1946年の《熱の中の目》といった油彩画においてポーリング技法に先んじて成立したとみなされてきたが、すでにこの時期のドローイングにおいてその萌芽が認められる訳である。筧はこの構造と先に論じたオールオーバー・ポーリング絵画の初層の構造との近似を指摘する。これまでミロやモンドリアンといったモダニズムと親近性のある作家と関連して論じられてきたオールオーバー構造に対して、本書においては精神分析、あるいは岩面画といった必ずしもモダニズムの問題群となじまない角度からの分析がなされる。そして続く第三章でさらに新しい主題が追加される。日本の書芸術である。これは興味深く、かつリスキーな主題である。戦後の前衛書と抽象表現主義の関係についてはこれまでいくつかの研究が残されているが、説得的な議論は乏しい。これにあたって筧は戦術的な迂回を行う。すなわち後年のブラックペインティングにおける形象性という問題を経由させるのである。この際に参照されるは1950年に制作された一連の絵画、例えば《レッド・ペインティング》である。タイトルのとおり赤が用いられているにせよ、文字を連想させる一連の作品は強く前衛書を連想させる。確か同じ作品はアレクサンドラ・モンローがグッゲンハイム美術館で企画し、モダニズム美術への東洋の影響を紹介した問題を含んだ展覧会「第三の目」においても展示されていたと記憶する。筧は書の絵画に対する影響についての検証がこれまで不十分であった理由をクレメント・グリーンバーグの批評などを引きながら当時の地政学的状況と関連させて論じ、ブラックペインティングと書の関係を暗示するが、私の考えではいささか強引な解釈であり、長谷川三郎を墨人会のメンバーとするなど事実関係での誤りもある。知られているとおり、ポロックにおける形象性という問題は直ちに線の自立という問題と関わる。すなわちフリードはポロック絵画の独自性を西欧絵画史上初めて、線が輪郭や境界づけという機能から解放された点に求めた。ポロック絵画になんらかの形象性を求める立場はこれと対立し、ことに後期のポーリング絵画をめぐって両者は拮抗した。私は次のように考える。筧が説くとおり、初層のポーリングにおいてなんらかの形象が出現することは大いにありうる。しかし先にも述べたとおり、ポロックの独自性はその上にポーリングを重ねることによってこのような形象性を意図的に否定したことに求められるべきであり、形象の有無は重要ではない。しかし本論文は興味深い論点を提示してもいる。つまりポロックの形象が文字性と関わるとするならば、それは文字という多く類像性を欠いた線描の連なりと関わっているはずだ。文字とは一つの単位であり、いくつも連ねられて初めて意味を成立させる。私がここで注目するのは単位の反復という問題だ。つまりポロックにおいて形象が存在するとすれば、それは何かに似ているというアイコニックなレヴェルにおいて検討されるべきではなく、それが反復的に使用されるという書字的な特質において注目すべきではないか。直ちにいくつかの問題が生まれるだろう。筧も論じるとおり、ポロックの早すぎた晩年においては極端に横長のフォーマットを用いた作品が多く残されている。筧は「こうした作品からは、ポロックがドリッピングの網の目から何らかの具象的な形象を見出そうとしていた様子が見て取れるだろう。すなわちポロックは、横長のキャンバスに線描を反復するという制作方法から、再び具象的な形象を露わにする端緒をつかんだと考えられるのである」と結語する。しかし私の考えではここで目を向けるべきは具体的な形象ではなく、それが横長の画面に反復される点ではないだろうか。そしてむしろ反復を可能にするフォーマットとして極端に横長の画面が導入されたと考えるべきではないか。これまで反復はポロック、そしてポロックの絵画の対極と考えられてきた。筧も引くロザリンド・クラウスの論文(これについては最近訳出され、このブログでも論じた)において、ポロックが自らの作風を反復しないという伝説に苦しめられたことが述べられている。あるいは一見同じ動作の反復とみなされがちなアクションの中にそのような弛緩とは対極にあるリズムを認めた作家自身の発言を想起してもよかろう。しかしその基底にあたかも文字を書くかのように単位の反復があったとすればどうか。おそらくポロックはこのような反復性を隠蔽するために制作を続けたはずだ。これゆえ、ポーリングの錯綜が形象のうえに導入されたと考えてはどうか。繰り返すが、私が重要と考えるのは形象の有無ではない。なぜ形象が上書きされて隠蔽されるかという点であり、反復という視点を得ることによってこの問いに対しても一つの解答が与えられる気がする。さらに私なりの推測を広げよう。ポーリングの線は最初形象の反復性を覆い隠すために導入された。しかし後期のポーリング絵画においてはポーリングの栓自体が反復を示すという矛盾が発生した。典型的な作品は1952年の《ブルー・ポールズ》だ。典型的なポーリング絵画の上に何かを押し付けて8本の青い柱を刻んだこの作品についてかつて藤枝は色彩の多用のゆえに失敗作と断じた。私はこの作品がポロックの凋落を示す理由はむしろ作家がそれまで抑圧してきた画面の反復構造を臆面もなく展開している点に求められるのではないかと考える。この意味で私はポロックのポーリング絵画を等し並みに扱うのではなく、ポーリングの反復性に注目して区別し、内部に隠された構造(形象)ではなく、モリスがいう最後の画面からもうかがえる構造(反復)によってその展開を検証することができるのではないかと考える。

 続く装飾の問題についても本書はいくつかの興味深い論点を提起する。筧はまずモダニズム美術全般にみられる装飾を忌避する傾向、逆にポロックが影響を受けたピカソやマティスにみられる装飾的傾向や師であったベントンの影響を丁寧に確認したうえで、ポロックのポーリング絵画がしばしば批判されたその装飾性の由来として、サイズとともに今指摘した線描の反復性を挙げている。今述べた議論に引きつけるならば、装飾とは壁紙にみられるパターンの反復によって特徴づけられる。ポロックが作品を壁紙と評されることを嫌ったことはよく知られているが、この時、装飾性の問題も反復という議論の射程に収めることができるのではないか。次いで筧は装飾という問題と関して、ポロックの絵画が建築の装飾として構想された可能性を検討する。その早い例はペギー・グッゲンハイムに依頼されて制作され、現在アイオワ美術館に所蔵されている《壁画》であろう。この作品は前ポーリング期の作品であるが、知られているとおり、そこには右から左へ向かって行進するいくつものトーテム状の人体が「反復」されている。さらに後年、ポロックはトニー・スミスとともに教会建築に関わったことがあり、実現されなかったこの計画についても装飾との関係が問われる。実際にポーリング絵画が「壁画的」に用いられた例は存在する。それはセシル・ビートンが撮影し、『ヴォーグ』誌のグラビアに使用されたモデルの写真である。この写真についてはかつてT,J.クラークが詳細に論じた前例もあるが、筧は写真が示す環境的な広がりからこの問題をハプニングの創始者アラン・カプロウへと接続させる。カプロウがその主著の中でポロックのアクションと自身の「ヤード」というハプニングの写真を見開きで紹介したことはよく知られている。ポーリング絵画の内部にいるポロックに対して、カプロウはハプニングの素材とされた無数のタイヤの中にいる。カプロウの写真においてもタイヤが反復されている点には筧も注意を促しているが、私たちはここにも反復という主題が繰り返されていることを知る。つまり形象と装飾という主題をめぐって書き継がれたこの論文はポロックの絵画における反復という問題を介して、いわば裏側から透かし見ることができるような気がするのだ。最後のステラに関する章はいささかとってつけた印象がある。確かにステラのエキゾチック・バード前後の作品は画面の錯綜という点においてポロックのポーリング絵画との類比を許すし、1986年に刊行された有名な講義録「ワーキング・スペース」を通してポロックの絵画の「装飾性」へと論及することは不可能ではないだろう。しかし唐突で強引や印象は免れえない。これまで論じられた文脈、特に晩年のブラックペインティングの重要性を強調する立場からして、もしここで比較されるべき作家があるとすれば、私はステラではなくモーリス・ルイスではないかと考える。第一にルイスやノーランドのステイニング絵画はポロックのブラックペインティングへの色彩による応答ととらえることができる。さらにいえば彼らのステイニング絵画はポロックが苦闘した形象性、より正確には具象性あるいは類像性の出現を回避する試みであったと考えることができるかもしれない。モノクロームのステイニングは画面に地と像の関係をたやすく形成するために形象を暗示しやすい。しかし色彩の重層といくつかのパターンに分類される独特の形状は具体的な事物を連想させることがない。第二に彼らの絵画の巨大さはまさに壁画的な装飾と紙一重である。作品のサイズという問題はこれまでに十分に論じられたことがないが、ポスト・ペインタリー・アブストラクションにおいて抽象表現主義をしのぐ巨大な画面が使用された意味は今後問われてよいだろう。第三に筧も論じるとおり、グリーンバーグが装飾性を厳しく批判したという事情を勘案するに、彼が高く評価したルイスの絵画がなぜ装飾ではないかということを問うことは積極的な意味をもつだろうからだ。さらにレヴェルの異なった問題であることを承知で記すが、ポロックが自らの絵画を反復することを厳しく戒めたのに対して、ルイスの画業は生涯にほぼ三つのパターンを繰り返し描くことに費やされた。ここでも反復という問題が露出するのである。

 以上、レヴューというよりも本書で提起される問題に触発された私なりの見解を粗描した。きわめて粗雑な議論であることは承知しているが、優れた研究の常として、そこから作品に対していくつもの補助線を引くことができる。私自身もポロックの絵画に対していくつかの新しい発見があり、久しぶりに知的な刺激に満ちた読書体験であった

by gravity97 | 2019-05-28 07:35 | 現代美術 | Comments(0)