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Living Well Is the Best Revenge

「モネ それからの100年」

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 横浜美術館に「モネ それからの100年」を訪ねる。英文タイトルはさらに直截に「Monet’s Legacy」。何をもって100年の起点としたかは定かでないが、印象派を代表するモネの画業が後代の画家たちにいかに継承されたかというテーマはタイトルから既に明らかだ。一人の画家や運動がその後の美術、ことに現代美術にどのような影響を与えたかという問題は批評家にとっても学芸員にとっても興味が尽きない。実は今回の展覧会には10年ほど前に先例がある。2007年に国立新美術館で開かれた「大回顧展 モネ」がそれであり、その際にはオルセーから借り出された作品を中心にモネの画業を紹介する一方で、奇しくも「モネの遺産 モネと20世紀」と題された最後のセクションにおいて今回と同様に日本も含めた20世紀以降の作家の作品が紹介されていた。展覧会を見た折には少々強引な印象を受けたが、ルイス、ロスコからリヒター、日本であれば松本陽子や堂本尚郎といった作家のラインナップは今回の展示と重複があり、私は一種の既視感とともに今回の展示をめぐった。
 10年の時を隔てて類似した展覧会が企画されたことはモネの絵画の多産性を物語っている。そして私がモネの絵画の現代性を強く印象づけられた記憶はさらに10年ほどさかのぼる。1999年に私はニューヨーク近代美術館からテート・ギャラリーへ巡回したジャクソン・ポロックの回顧展をロンドンでも見た。その際におそらくは意図的に時期を重ねて、ロイヤル・アカデミーで「20世紀のモネ」という展覧会が開かれていた。知られているとおり、20世紀に入るとモネは目を患って作品の制作に呻吟する。晩年に制作された作品は多くが横長の大作で時に描かれた対象が不分明になるほど強い絵具の物質感を宿していた。しかしながらそれらの作品はテートで見たポロックに完全に拮抗していた。モネとポロックの類似性といえば、ウィリアム・ルービンが「ジャクソン・ポロックと近代的伝統」の中で論じた極端に横長の巨大なフォーマットに言及されることが多い。しかし私は二人の画家の回顧展を見て、ともに画面の圧倒的な不透明さこそが共通している点を理解した。これはポロックについても意外な発見であったが、多く陽光のあふれる風景画で知られ、それゆえ澄明な印象のあったモネの晩年の変容、そして画面に持続する緊張と強度は大きな衝撃であり、この画家に対して漠然と抱いていた牧歌的な印象を一新させた。
「モネ それからの100年」_b0138838_20555524.jpg 少し視点を変えることにしよう。同様の影響関係を主題とした展覧会として数年前に日本各地を巡回した「日本におけるキュビスム」がある。「ピカソ・インパクト」というサブタイトルが示唆するとおり、この展覧会のみどころは1950年代の日本においてピカソが日本人作家たちによってどのように受容されたかという問題をジャンル横断的に示した点にあった。この展覧会と比較する時、モネ受容とピカソ受容の差異は明らかだ。日本画から工芸に及ぶピカソの影響は直ちに理解される。なぜならそれらはピカソの絵画にあまりにも似ているからだ。ピカソの影響は顕在的で直示的である。形式的にあまりに独自であるがゆえに、ピカソのキュビスムは一種の拘束衣として機能した。拘束衣は比喩ではない。例えば今回の展覧会、そして「大回顧展 モネ」にも出品されたヴィレム・デ・クーニングは最初キュビスム風のモノクローム絵画を制作していたが、絵画表面の硬直を打破するためにアクションを導入した。キュビスムのファセット構造はその堅牢さのゆえにモダニズム絵画の表面を閉ざしていく。(この点はファセットの論理的帰結であるグリッド構造に関してロザリンド・クラウスが論じた点である)これに対してモネのインパクトは潜在的で共示的とはいえないか。例えば今も挙げたロスコ、ルイスとリヒター、世代も作風も異なる三人の「抽象絵画」は一見するならばモネと全く似ていない。しかしある程度モダニズム絵画に通じた者であれば、彼らの一見ばらばらな絵画にモネとの類縁性を見出すことは難しくない。このような関係線の発見こそがこの展覧会の醍醐味であることはいうまでもなかろう。
 二つの展覧会に戻る。2007年の「大回顧展 モネ」においてはオルセーを中心に国内外から集められた97点のモネの絵画を紹介した後に、その影響下にある26点のモネ以降の作品が展示されていた。私の記憶では展示も二部構成であったと思う。これに対して今回の展覧会では四つのセクションのいずれにもモネと後代の作家の作品が併置されていた。四つのセクションとは「新しい絵画へ―立ちあがる色彩と筆触」「形なきものへの眼差し―光、大気、水」「モネへのオマージュ―さまざまな『引用』のかたち」「フレームを超えて―拡張するイメージと空間」である。オルセーの全面的な協力のもとに「大回顧展」と銘打った2007年の展覧会に比べるならば、国内に所蔵されているモネの作品を丹念に集めて構成された今回の展示は華やかさには欠けるが、日本の美術館のコレクションの充実を確認する意味でも意義深く、安易な海外美術館のコレクション展を批判してきた私としては十分に評価できる内容である。いちいち確認はしていないが、おそらく国内に所蔵されながら、今回の展示で初めて目にしたモネの絵画も多かったことと思う。さて、今引用したセクションのタイトルはモネの絵画が秘めたいくつもの可能性を暗示している。例えば色彩や筆触、光や「アンフォルム」、あるいは空間的拡張。この点において私は「モネへのオマージュ」と題されたセクションはない方がよかったのではなかろうか。睡蓮、あるいは時にあからさまにモネの名をタイトルに掲げた作品はあまりにもモネに寄りかかっており、多くオマージュというより引用の域を出ていない。むしろ個々の作家がモネの絵画のいかなる可能性を自らの作品に取り込んだかという点が問われるべきと考えるからだ。
 最初のセクションの色彩と筆触という主題は理解しやすい。必ずしもモネに限定されないが、印象派の革新とは視覚混合という光学原理を取り入れることによって色彩を筆触へと分割した点に求められる。混色されない色彩は澄明であり、印象派以前の暗くマットな画面とは全く異なった視覚を可能にした。言い換えるならばモネにおいて色彩と筆触は分かちがたく、このセクションに分類された作家たちは両方の問題と深く関わっている。例えば中西夏之の一連の絵画も光、あるいは筆触といった観点から検証することが可能であり、多用される緑や紫という特殊な色彩も印象派を参照する時、決して不自然ではない。岡崎乾二郎のディプティクも筆触という点においてはモネと共通する。ただし岡崎の絵画を連作形式の可能性まで射程に入れた試みとみなすかは微妙だ。モネと岡崎の関係を必然とみるか牽強付会とみるか意見は分かれるかもしれないが、隣接によって強引に関係を作り出すことこそが展覧会の本質だと考える私としては、このような冒険に共感する。筆触が色彩を離れて自立する時、自発的なストロークが発生する。一見するならばモネの画面とは大きく異なるが、デ・クーニングとジョアン・ミッチェルはこのような問題意識に基づいて召喚されたのであろう。あるいは堂本尚郎のアンフォルメル期の作品もこのセクションに配されて場を得ている。堂本に関しては水平性という点において晩年の一連のステイニング絵画とモネの共通性が語られることが多かったが、本展においては「モネへのオマージュ」のセクションで展示された《連鎖反応―クロード・モネに捧げる》以上に本質的なモネとの照応を示しているように感じられた。今回の展覧会の展示の工夫の一つとして堂本をはじめとする何人かの作家については、異なったセクションに別々の作品が配置されていることを指摘できるだろう。これはそれぞれの作家の問題意識の広がりと、それらが同じモネという一人の先達によって触発されたものであることを暗示している。
 この展覧会の最初のセクションと二番目のセクションで紹介されたモネ以外の作品群はアクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティング、抽象表現主義の二つの趨勢にほぼ対応している。前者においては筆触の問題が、後者においては不定形な色彩の広がりが主題化されていることを考えるならば、かかる分類は妥当であり、別の言い方を用いるならば、モネの絵画は抽象表現主義の二つの類型のいずれにも大きな示唆を与えたといえよう。キュビスムとの比較はこの点でも意味をもつ。抽象表現主義にとってキュビスムが(シュルレアリスムと同様に)直面する克服すべき課題として、限定的、閉鎖的な意味を持ったのに対して、モネの絵画は離れた地点に見出される可能性であり、多様的、開放的な意味をもった。もっともモネにおいて両者が矛盾なく連続することは、稠密に描き込まれた断崖と海の風景と霧の中にかすむチャリング・クロス橋がさほど時を置かずして制作されていることからも明らかであろう。今回、モネの作品はほぼクロノロジカルに展示されているが、これはそれぞれのセクションの主題がこの順に深められたことを意味しない。生涯にわたって画家は繰り返しこれらのテーマを試行したと考えるべきであろう。
 「フレームを超えて」と題された最後のセクションにおいてはサブタイトルが示す通り、絵画を空間へと拡張させようとする画家の意図が確認される。このセクションに展示された作品の大半が睡蓮を主題としていることは興味深い。先にも触れたが、それまでの絵画のモティーフが立木や断崖、あるいは積藁や大聖堂と多く垂直的な構造を秘めていたのに対して、池に浮かぶ睡蓮は水平的な構造を宿している。ここにおいて画面は壁面よりも床面と親和し、実際に小野耕石は床に置かれたフロア・ピースを出品している。今回の展示を見て私は睡蓮を描く際の視点の位置、そして対象との距離についてあらためて考えてみたいと感じた。出品された作品だけを見ても、比較的高い位置から水面を見下ろした構図から近接して低い位置から睡蓮を描いた作例まで多くのヴァリエーションがある。縦構図と横構図の区別も水平性の問題と深く関わる。縦であれば視点は高くなり睡蓮との距離は広がるからだ。一方、先に述べたとおり、現在オランジュリーに収められている大作や晩年の抽象的な睡蓮を含めて明らかに最初から横向きの拡張を意図された一連の絵画が存在する。モネと画面のフォーマットの問題はさらに多くの作品を参照しながら検証する必要があるだろう。この問題に関しては出品作中、児玉靖枝の絵画がことに興味深く感じられた。児玉も一連のモティーフに基づいて具象と抽象の中間とも呼ぶべき絵画の制作を続けており、今年の春、ギャラリーMEMで見た「深韻」という個展の充実に私は感銘を受けた。今回発表された「深韻―水の系譜」は霧のかかった雑木林の視界、ホワイトアウトを主題としている。視覚の喪失、物質的な表面の中に垂直と水平が交錯する画面はとりわけ晩年のモネを強く連想させる。水平な水面が垂直化されるモネの絵画と本来垂直的な森林の風景が水平化される児玉の作品は双生児のようではないか。晩年のモネが睡蓮の大壁画によって展示室を満たす構想を抱いていたことはよく知られており、「フレームを超えて」というタイトルは明らかにそれを反映させている。しかしここで私たちが留意すべきは、モネはあくまでもこの課題を絵画において実現しようとしたことである。再び2007年の「モネ 大回顧展」と比較するならば、2007年の展覧会において「モネの遺産」のセクションはダン・フレイヴィンを例外として、基本的に絵画によって構成されていた。これに対して、今回の展覧会には多くの映像作品が含められていた。この点はモネの絵画の二つの主題と関わっているだろう。一つは反射や反映というモティーフであり、ことに水面の鏡像の表現と深く関わる。反射や反映は写真においても好まれた主題であるからから水面や蒸気を主題としたエドワード・スタイケンやアルフレッド・スティーグリッツらの写真が本展に含められる意味はたやすく理解できる。とりわけ水面の睡蓮を撮影した鈴木理策の作品は(実際には異なるが)本展のためのコミッションワークであるかのようだ。水野勝規と鈴木はヴィデオ作品も出品している。モネとの対比としてはわかりやすいが、私は今回の展覧会に映像作品を導入したことにいささか懐疑的だ。なぜなら既に写真術が成立していた時代にあえて絵画というメディウムを用いた点にこそ画家の問題意識が認められるからだ。この問題は端的にもう一つの主題、絵画の時間性という問題に連なる。モネが連作という形式を介して絵画に時間性を導入しようとしたことはよく知られている。絵画と時間という重大な問題についてここで詳しく立ち入る余裕はないが、もしモネがこの展覧会を見たならば写真やヴィデオによる時間性の導入をあまりに安易と感じるはずだ。ジャンルの横断という問題もこれに重ねることができよう。最初に述べたとおり、ピカソのキュビスムは、戦後の日本において日本画、彫刻から工芸に及ぶ広い領域にわたって受容された。ピカソ自身も彫刻やオブジェ、パピエ・コレといった様々なジャンルに分類される作品を残している。これに対して、モネは生涯を通して絵画へと集中した。しかしこの時、ピカソが様々のジャンルに多くのエピゴーネンしか生み出さなかったのに対して、モネの末裔として例えばロスコや中西、あるいは児玉のごとく一見それぞれに大きく異なりながらも、画家の教えをさらに徹底した優れた表現が成立ことには深い意味があるように感じられた。
「モネ それからの100年」_b0138838_2057757.jpg 今回は展覧会に合わせて新作も制作されたらしいが、私が感心したのは福田美蘭の二枚の絵画である。《睡蓮の池》と題されつつも、描かれているのは水面の情景ではない。高層階にあるレストランの室内、輝くシャンパングラスが置かれたテーブル、窓の外の夜景、そして窓ガラスに映り込んだ室内の情景、乱反射する光によって実像と虚像のあわいはあいまいとなり、画面は何重もの光に満たされている。ここではモネが追求した主題の一つ、反射や反映が戸外の自然ではなく、豪奢なレストランの室内へと場を移して表現されている。モネを含む印象派の絵画が富裕層に必須のアイテム、アイコン美術品の一つとして消費されている現実を鑑みるに、高層ビルの最上階に位置する高級レストランの幻惑的なイメージもまた特権的な階級によってのみ享受される視覚であり、実はこの作品は内容においても一種の批評性を宿している。さらに写真撮影が間に合わなかったのだろうか、カタログには図版が掲載されていないが、同じ情景を明け方に描いたと思しきもう一点の作品も出品されていた。宴の前と宴の後、両者の対照が積藁連作にみられた異時同図のヴァリエーションであることはいうまでもない。もう一点の作品を加えることによって、福田はあえて自然光ではなく人工の光のもとで、モネが追求した時間性という主題にも応答している。福田の技倆の洗練についてはあらためて論じる必要もなかろう。
 「日本におけるキュビスム」においてピカソの影響は顕在的かつ直示的であるから、「ピカソの遺産」をたどることは、それが時に不毛に思えたとしても困難ではない。これに対して潜在的かつ共示的な「モネの遺産」はその輪郭を見定めることが難しく、画家の衣鉢を継ぐ作家の選択は時に恣意的に感じられるかもしれない。しかしあえてかかる選択を行うことがキューレーションであり、何より選ばれた作家たちにとって励ましとなるだろう。日本で現存の、それも若い世代の作家たちが多く展覧会に含まれたことは大きな意味があり、それは美術館に求められる当然の役割であるはずだ。
by gravity97 | 2018-09-11 20:59 | 展覧会 | Comments(0)