人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

Living Well Is the Best Revenge

「抽象の力」

「抽象の力」_b0138838_14270746.jpg
 豊田市美術館で開催されている「抽象の力」を訪れる。美術家の岡崎乾二郎によって監修され、豊田市美術館のコレクションを中心にした展示であるとはいえ、きわめてラディカルで問題提起的な展覧会だ。ゲスト・キューレーターを招いたコレクション展自体は近年さほど珍しくないが、美術界きっての理論家でもある岡崎を招いて企画されたこの展示は私たちが慣れ親しんだ近代美術に関する定見を一新する。さらに出品された作品もいわゆるコレクション展の域をはるかに超えている。確かに豊田市美術館は優れたコレクションで知られているとはいえ、他館から借用された作品のレヴェルもきわめて高い。たとえば東京国立近代美術館所蔵の村山知義の《コンストルクチオン》が出品されていることを知って私は驚愕した。このフラジャイルな作品は私の理解では村山の回顧展以外、門外不出であったはずだ。後述する通り、展示の中でこの作品が占める位置を考える時、いかにして出品が可能となったかという点も興味深いが、単に名品を揃えたということ以上に、通常の美術展とは全く異なる作品の選択に驚く。

 私がこの展覧会に足を運ばなければならないと考えた理由はフライヤーに記された挑発的な一文にある。カタログにもそのまま収録されている。長くなるが、この展覧会の核心でもあるため、引用する。

 キュビスム以降の芸術の展開の核心にあったのは唯物論である。/ すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力であった。/ だが第二次大戦後、こうした抽象芸術の確信は歪曲され忘却される。その原因の一つは(アメリカ抽象表現主義が示したような)抽象を単なる視覚的追究とみなす誤読、もう一つは(岡本太郎が唱えたような)抽象をデザイン的な意匠とみなす偏見。三つめは(具体グループが代表するような)具体という用語の誤用である。これらの謬見が戦前の抽象芸術の展開への正当な理解を阻害してきた。ゆえにまた、この世界動向と正確に連動していた戦前の日本の芸術家たちの活動も無理解に晒されてきたのである。

 後から述べるとおり、若干の異論もあるものの、私はここで開陳された言明に深く同意する。しかし同時にこのような見解は抽象美術に関する相当に特異な理解である。今少しこのテクストにこだわるならば、ここでは「世界動向と正確に連動していた戦前の日本の芸術家たちの活動」の理解を阻害した要因として三つの集団や作家が名指しされている。すなわち抽象表現主義、岡本太郎、具体美術協会であり、当然これらの作品は展覧会には出品されていない。(正確には具体美術協会のリーダー吉原治良と重要なメンバーの一人である田中敦子の作品は出品されている。しかしそれも従来の「抽象表現」の理解からは程遠い)私は展覧会とは選択と排除の力学であると考えるから、むしろこれらの集団や作家が排除されたことに関心をもつ。それは一つには豊田市美術館のコレクションに含まれていなかったことに起因するかもしれないが、先述のとおりこの展覧会では他館からの借用もなされている訳であるから、私は逆にコレクションにおける作品の不在を奇貨として岡崎がこの展示を構想したのではないかとさえ勘繰ってしまう。それではフォーマリズムの判断や意匠性を欠いた「唯物論としての抽象芸術」とはいかなる表現であろうか。具体的に展示をめぐることにしよう。

 展示は四室から成る。一番広い最初の部屋にヨーゼフ・ボイス、イミ・クネーベル、田中敦子の大作や高松次郎の「単体」と「点」シリーズなどが配置されている。この美術館のコレクションとしてはいずれも見慣れた作品であるが、これらの作品が「抽象の力」という展覧会の冒頭に置かれたことには奇異の念を感じないだろうか。確かにこれらは「具象絵画」や「具象彫刻」ではないが、抽象という表現で括ることができるだろうか。私たちはこの展覧会において抽象が具象の対立概念ではなく、いわば審級を違えたレヴェルで把握されていることを知る。それらは多く端的に「モノ」として存在しており、岡崎が唯物論と呼んだ存在の在り方を暗示している。同時にこのような展示はこの展覧会が抽象表現を通時的、系統樹的に概観する美術史的配慮とは全く無縁であることも示唆しているだろう。歴史性を断ち切られた会場には奇妙な道具が展示されていた。それはフレーベル、モンテッソーリらの教育玩具である。色彩豊かで形態もヴァリエーションに富んだこれらの玩具は実際に幼児教育で使用され、会場には日本やドイツで子どもたちがこれらの玩具と戯れている様子を記録した写真も展示されている。もちろんそれらの色や形状から同じ室内に展示された作品との共通点を見出すことは可能だ。しかしおそらくここで求められているのはそのような共通性の確認ではない。玩具を私たちは手に取って、いわば五感を動員して操る。ここでは抽象という営みが本質においてそのような共感覚を本質としていることが暗示されているのではなかろうか。それは端的に抽象表現を視覚性に還元することへの批判であり、先ほどの三つの批判のうち、最初のものに相当する。確かにボイスのフェルトや高松のコンクリートはむしろ触覚性に訴求し視覚的な明瞭性に欠ける。今述べたとおり玩具とは視覚よりも身体と関わる。私たちは抽象絵画を鑑賞する際に一定の距離をとって正対することを常としてきた。これに関して、今回、作品のキャプションは壁面のきわめて低い位置に掲出されており、私たちは身を屈めることなしにそれらを読むことはできない。このような配置に抽象表現を再び視覚から身体に関わる営みとして奪回しようという岡崎の明確な意図をうかがうことができるのではないだろうか。

 続く第二室では美術と文学の関係が問われる。岡崎は夏目漱石の「草枕」とキュビスム絵画の類似性という思いがけない論点を提出した後、漱石の影響を受けた画家としてとりわけ熊谷守一を評価する。しかしこの展覧会に出品されたのは《裸婦》と題された豊田市美術館所蔵の小品、そして参考出品として《轢死》という陰惨な主題を描いた作品の赤外線写真などである。岡崎はこれらの主題をキュビスムが時に用いた裸婦の主題へと関連させ、さらにブラックやデュシャンの作品と接続させる。カタログにおいて岡崎は「あらかじめ統一された対象が実体としてあるのではない。ばらばらに入ってくる感覚刺激=感情の断片が、それを感受した人の脳の中で知的に作り出す構成が対象である。この落差(プロセス)が絵画の力を作り出す」と論じている。さらに岡崎によれば、キュビスムが抽象表現へ道を開いたとする私たちの認識は正しくない。「むしろキュビスムも抽象も表象システム=見えるかたちで何かを表現、代表するという仕組みへの疑義を共有し、その同じ土台から分岐して派生したと見るべきだろう」日本におけるキュビスムを代表する画家が萬鐵五郎であるならば、抽象の鼻祖は恩地孝四郎である。さらに展示では必ずしも判然としなかったが、実は恩地は幼児教育とも深く関わり、先に触れたフレーベルの教育玩具とも縁があるという。キュビスムと抽象表現を区別する発想、そして抽象表現の起源に教育玩具を見出す発想は斬新である。この時、抽象とは表現の一つのモードではなく、いわば現実に向かい合う一つの姿勢とみなされるのではないだろうか。

 明るい外光に満たされた第三室で私たちはまたもや意外な作品に出会う。それは作品というよりは正確にはドナルド・ジャッドが設計した一連の家具であり、20世紀初めに制作された扇風機やトーマス・リートフェルトの椅子であり、岸田日出刀らによって編まれた「現代建築大観」である。美術というよりデザイン、建築といったジャンルと結びついたこれらの品やイメージがなぜこの展覧会に含められたのかを理解することはさほど困難ではない。抽象はモードではなく事物をとおして実現されるのであるから、岡崎のいう「抽象の力」はジャッドのいうスペシフィック・オブジェクトと結びつく。「ジャッドは新しい事物が与える明確さ、強さはいったい何からもたらされるのか、つっこんだ分析をしなかったが、それが事物と人との身体的かつ機能的な応答に結びついていることは明らかだった」この時、抽象という概念に対してより適切な言葉が浮かび上がる。それは具体性(concreteness)である。この展覧会に「現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」というサブタイトルが付されていることはこの点を暗示する。冒頭の文章にあったとおり、この展覧会の目的は日本の抽象美術が潜在的に有していた可能性の復権であったが、この点を考慮するならばこのセクションでは戦前にあって日本の建築もまた構成主義建築あるいはモダニズム建築などと呼ばれる国際様式に比肩していたことが暗示されているといえよう。建築という参照項を得て、展示は村山知義の一連の作品に新しい光を当てる。私も村山がかつて「マヴォ理髪店」の外装を担当したという事実は知っていた。(おそらくカタログに掲載された「山の手美容院」と同一であろう)なるほど多くの開口部を有するその立面は当時の建築の立面図との類比を許し、村山が舞台装置を担当した「朝から夜まで」とも共通する。岡崎の発想の卓抜さはこのような構造を「ちょうど電話の交換台のように世界中のどこかに通じているインターフェースであるかのようだ」と喝破する点にある。この時、最初に触れた《コンストルクチオン》がこの展覧会にとって枢要な位置を占めることが理解されよう。カタログでは当時の電話の交換台の写真に並べて掲載された作品の図版は、「視覚ではなく触覚的な接触によって感受され、視覚的な造形であるよりも身体を触発し、具体的に作動させる装置」としての村山の作品の意味を正確に反映している。さらにいえば、展示においても通常の高さではなく、「電話の交換台」のごとく人が座った姿勢で操作可能な位置に設置されていることもこのような理解を補強するものであることはいうまでもない。このような展示の技巧も見逃してはならない。ここでは主知的、観念的な造形とは全く異なった抽象表現の可能性が試されている。あるいは展示の中では必ずしも十分に触れられていないが、村山を経由する時、まさに身体の表現としてのダンスという問題が浮上する。この点はこのブログで論じたやなぎみわによる一連の演劇と深く関わっており、さらに私は数年前にニューヨーク近代美術館において「TOKYO 1955-1970 A NewAvant-Garde」と同時期に開催されていた、その名も「抽象の発明」という展覧会の中で上映されていたメアリー・ウィグマンの「抽象ダンス」を連想した。(これらの展示についてもかつてこのブログで論じている)この点からも抽象がダダや表現主義といった特定の運動と結びつけられることなく、それらを背後から律する態度であったという岡崎の主張にはおおいに共感できる。かくのごとく様々に思考を広げることが優れた展覧会の醍醐味であることは今さらいうまでもなかろう。

 最後の第四室はいくつかのセクションに分かれている。今述べた村山に続いて、斎藤義重、長谷川三郎、吉原治良、そして瑛九といった日本の抽象絵画の先駆者たちの1930年代の絵画が展示されている。とりわけ長谷川三郎と瑛九の抽象表現をめぐる岡崎の犀利な分析についてはカタログ(すでに完売したと聞くが、その内容は美術館のHPからアクセスできるはずだ)を参照していただくことにして、ここでは吉原治良に関して若干のコメントを添えておきたい。後に具体美術協会のリーダーとなる吉原が戦前より海外の美術雑誌を介して同時代の先端的な表現に接し、とりわけイギリスの前衛運動に深い関心を寄せていたことはかねてより論じられてきた。岡崎もベン・ニコルソンやバーバラ・ヘップワースの絵画と吉原の抽象表現の類似性について触れている。それ以上に私が興味をもったのは彼らの作品と同じ部屋に「NIPPON」や「FRONT」といった日本の国策プロパガンダ誌が展示されていたことである。岡崎はそこに掲載されたイメージやグラフィックデザインと抽象表現の親近性を暗示しているが、この点は以前私も確認したことがある。吉原の場合、航空機からの視覚が、独自の抽象表現の着想源となったのではないかと考えられるのだ。このような視覚は大戦期の航空機の発達と深い関係があり、航空機を介した未見の視覚は今引いたプロパンガンダ誌にしばしば掲載されていた。同様の関係を岡崎は恩地孝四郎の「飛行官能」について指摘し、会場には私が以前より関心をもっていた長谷川三郎の一連の写真作品も展示されていた。再現性を本質とするはずの写真が抽象表現の成立と深い関係をもつという指摘は示唆的だ。ここから連想されるのはベンヤミンが論じた視覚的無意識であり、「視覚における無意識的なものはカメラによって私たちに知られる。それは衝動における無意識的なものが精神分析によって初めて私たちに知られるのと同様である」ここからは抽象絵画と精神分析の成立がほとんど同期しているという事実にも関係線を引くことができるかもしれないが、さすがにこのレヴューで扱うべき範囲を超えている。ここでは写真のリテラリズムによって、逆に岡崎が「写実の欠如」と呼ぶ視覚対象からの解放が促されたのではないかという点を指摘しておこう。この点を理解したうえで、私たちはこの展覧会でも最もラディカルな最後のセクションに足を踏み入れるのがよかろう。そこで私たちを待つのは岸田劉生の《鯰坊主》という奇怪な肖像である。岡崎によれば岸田の芸術の根本は写実、レアリズムであるが、その土台は視覚ではなく触覚性として現出される物質感にあるという。岸田のいう「無形なもの」がバタイユのアンフォルムといかに関わるか、さらにこの感覚がフロイトのいう「不気味なもの」とどう結びつくかといった問題もこのレヴューの範囲を超えているが、このような感覚を超現実と呼ぶ時、この展覧会にダリが含められていることに驚く必要はない。さらにベーコンとフォンタナという共に豊田市美術館に所蔵されているが一見して全く異なった作品がこの展覧会に召喚された理由も想像がつく。最後のセクションには通常の理解では抽象という範疇に収めることが困難な作品が多数展示されているが、単なる様式を超えて物質性や触覚性、視覚的逸脱の系譜をめぐってきた私たちはもはや大きな違和感なくそれらの作品を受け取ることができるはずだ。

 ゾフィー・トイベル=アルプや坂田一男といった何人かの重要な出品作家について全く論及できなかったが、ひとまず以上で私はこの展覧会の内容を概観した。既に述べたような展示における工夫を知るうえでもこの展覧会は展示とテクストの両面から検証されるべきであり、可能であればあと一週間ほどの会期中に是非豊田を訪れてほしい。

この展覧会は多くの問題を誘発するが、最後に私も一点のみ論点を提起しておきたい。それは冒頭の文章で日本における抽象についての正当な理解を阻害した一つの要因と名指しされている具体美術協会についてである。私の理解では具体美術協会こそ岡崎が抽象表現の核心とみなした唯物論に深く関わった動向であるからだ。これまで十分に論じられたことのない問題であるが、初期の具体美術協会の活動は独特の物質感に根ざしている。最初に引いたテクストの中に「物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたものだった」という表現があるが、この箇所はあたかも「具体美術宣言」を念頭において草されたかのようだ。「具体美術においては人間と精神とが対立したまま、握手している。物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない」という宣言中のよく知られた一文と岡崎のテクストは同一の事態を論じているのではないだろうか。あるいは具体の活動の初期に認められる多くのオブジェが一種の共感覚を主題としていることを想起してもよい。踏んで体感する作品、触覚性を強く刺激するゴムや水を用いた作品、そしていうまでもなく泥やパネルと激突するアクション、唯物論と呼ぶかどうかは別にして、これらの特質はこの集団の物質との特異な関わりを雄弁に語っている。さらに岡崎がフレーベルやモンテッソーリの教育玩具に関心を示したように、具体美術協会の作家たちも児童画と深く関わっている。これらの点がニューヨークにおける具体展においてはことに強調され、彼らの活動は「素晴らしい遊び場」としてモダニズム美術の正系から放逐されていたことについては以前このブログで論じた。私も具体美術協会の絵画が、具象に対する抽象という意味での抽象絵画とは審級を違えていることを以前より感じていた。この時、まさに彼らの「絵画」こそがこの展覧会にふさわしいものではなかったかという気がするのだ。

 展覧会は611日まで。詳細は未定らしいが、終了後に関連して共同討議も開かれると聞いている。この展覧会を契機として様々なレヴェルで絵画をめぐる議論がさらに深められることであろう。そして来場者でごった返す東山魁夷展の傍らで、さりげなくかくも意義のある展覧会が開かれたことに美術館の矜持を見る思いがした。


by gravity97 | 2017-06-05 14:28 | 展覧会 | Comments(0)