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Living Well Is the Best Revenge

「ウィレム・デ・クーニング展」

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 ブリヂストン美術館で「ウィレム・デ・クーニング展」が開催されている。デ・クーニングはポロックと並び称される抽象表現主義の巨匠であるが、印象派や近代日本画の上品なコレクションで知られるこの美術館で、ある意味で相当に悪趣味のデ・クーニングの展覧会が開催されるとはやや意外に思われる。現代美術を直接の対象とした展覧会は、以前このブログでも応接したアンフォルメルに関する展覧会以来であろうが、50年代から60年代にかけてブリヂストン美術館が現代美術とも深く関与したことを想起し、デ・クーニング自身もこの美術館を訪れた記録があると知ってようやく得心する。
 今回の展示の中心となるのはコロラド州、アスペンのパワーズ・コレクションに収められた作品群である。ジョンとキミコ、パワーズ夫妻によって収集された現代美術コレクションのクオリティーの高さはよく知られており、近年、国立新美術館でパワーズ・コレクションによる大がかりなポップ・アートの展覧会が開催されたことは記憶に新しい。このコレクションはポップ・アートとミニマル・アートの優品によって知られているから、デ・クーニングの作品がこれほど収められていたとは驚きである。サインとともにパワーズ夫妻への献辞が付された作品も散見され、作家とコレクターの親密な関係は明らかである。このほかに国内の美術館に所蔵されているデ・クーニングをほとんど借用して総数にして35点、二室を用いた展示は決して大規模ではないが、結果的に60年代のデ・クーニングに焦点がしぼられ、見応えがあるとともに、多くの問題に思いをめぐらす興味深い内容となっている。
 デ・クーニングに関しては1983年にホイットニー美術館ほかで、2011年にニューヨーク近代美術館で大規模な回顧展が開催されている。私はいずれも未見であるが、手元にあるカタログを参照する限りでは、今回の展覧会で展示された作品はいずれの展示にも出品されておらず、この意味においても貴重な機会といえよう。パワーズ夫妻は自分たちの邸宅に作品を展示していたとのことであり、このため比較的小品が多いが、作品の質は高い。50年代前半に制作された二点のドローイングを含め、ほとんど全ての作品において「女」が主題とされている点は興味深い。おそらくこの点は作品が集中的に収集された時期と関連しており、かかる選択にコレクターの趣味がどの程度反映されているかは微妙な問題であるが、これらの絵画を自宅の壁に掛けるにあたっては相当の神経が必要ではないか。これから論じる問題とも関わっているが、展示された作品は個人の住宅のリヴィングルームを飾るにはあまりにも生々しく感じられるのだ。この点はこれらの「女」たちを50年代に制作された「女」たちと比べると理解しやすい。最初キュビスムの影響を濃厚にとどめた独特の抽象絵画を携えて登場したデ・クーニングは1952年に現在ニューヨーク近代美術館に収蔵されている有名な《女Ⅰ》を発表して、大きなセンセーションを引き起こした。50年代前半には「女」と題された作品が多く制作され、「マリリン・モンロー」という固有名を与えられた「女」さえ存在する。この後、50年代後半に作家は再び抽象へと回帰し、激しいストロークが刻まれ、多く風景のコノテーションを有する絵画を制作した。絵画を生の方法(way of living)と断じるデ・クーニングにとって、具象/抽象という区別は大きな意味をもたず、このような転回はさほど重要ではない。むしろ50年代の「女」たちと60年代の「女」たちの区別こそ注目に値する。50年代の「女」たちはなおも女性像としての結構を有していた。具体的には目や口(しばしばむき出しの歯として表現される)、乳房や手足が凶暴なストロークとともに描きこまれ、たとえ彼女たちが「醜悪の使徒」であろうとも、女性が描かれていることは理解できる。これに対してやはり激しいストロークで描かれた60年代の「女」たちは風景の中に溶け込んだかのようだ。この時期の作品において50年代に時を追って探求された二つの主題、女性像と風景のイメージが統合されたと考えることは不可能ではない。実際にいくつかの作品には《風景の中の女》あるいは《水の中の女》といったタイトルが付されている。風景と女性、あるいは水面と女性といったモティーフからは古今の名画の系譜がたどれる。「私の絵画は多くが他者の絵画から来る」と説くデ・クーニングがヴェネツィア派からフランドル絵画にいたる様々な絵画からインスピレーションを得たことは明らかだ。インタビューの中ではキミコ・パワーズが「絵画同様に完成することのない」アトリエのために準備されたドアのフォーマットをデ・クーニングが気に入って、しばしばそのサイズで作品を制作したという興味深い証言を残している。確かに出品された作品はかなり縦長のフォーマットが多く、直立する人物を描くには好都合であるから、支持体のフォーマットがなんらかのかたちでイメージを規定した可能性はある。今回の出品作が制作される直前、1960年に《Door to the River》といった抽象表現による傑作が残されていることも考慮するならば、デ・クーニングとドアという問題は一つの研究の主題となりうるかもしれないが、ひとまずは措く。
 このレヴューにおいて私が注目するのは風景の中に溶解するがごとき60年代の女たちにおいて、女性性の象徴のごとく反復される一つの記号が確認できることである。それは唇のイメージだ。今回出品された多様な女性像において唯一共通するのは赤く塗られた唇であり、時に《歌う女》のごとく口を開き、木炭画や版画においては唯一の色彩が与えられた場として画面の焦点をかたちづくっている。唇に関しては50年代の「女」たちとは興味深い対照が認められる。先にも触れたとおり、50年代の「女」において、女たちの口がむき出しの歯として描かれることは《女Ⅰ》に典型的にみられるとおりだ。女たちは多くの場合、英語であればgrinと表現されるであろう、にやにや笑いを浮かべている。しかし60年代の女たちは歯が描かれることがない。今、私はニューヨーク近代美術館の分厚いカタログを参照してみたが、このような対比は今回の出品作のみならず二つの時期に描かれた「女」たちにほぼあてはまる。かかる変化は何を意味するのか。ひとまず私は二つの仮説を提起しておこう。一つは歯ではなく唇を描くことによって接触性が強く喚起される点だ。私たちにもっとも身近な唇のイメージはキスマークであり、リップスティックを塗った唇を何かに押し当てることによって得られるイメージであり、かかるインデクス的なイメージは物理的な接触を前提としている。デ・クーニングは実際に妻エレーヌの唇を押し当てて描いたいくつかのドローイングを残しており、あたかもイヴ・クラインの「人体測定」のフェティシズム版であるかのようだ。実際、唇というモティーフはデ・クーニングにおいてフェティシズムの問題とも絡めて検証可能かもしれないが、これについても今後検証されるべき課題として指摘するに留める。これに対して歯は接触的ではない。なぜならば、人は歯をみせた状態で唇のイメージを転写することができないからだ。デ・クーニングの初期の抽象絵画にも歯のような形状がしばしば認められる。明らかにピカソとキュビスムを経由するこれらの形態は60年代には一掃される。そしてこの問題とも関わる点であるが、唇のイメージが喚起する二番目の意味とは端的に女性器である。歯の生えた性器、ヴァギナ・デンタタとは精神分析の領域で提起された概念であり、シュルレアリスムあるいはポロックの精神分析ドローイングなどに頻出するイメージである。デ・クーニングの場合、女たちが歯を失うことによって、唇は性器というダブル・ミーニングを得たのである。人体において女性器ほど触覚的な器官は存在しないだろう。したがってこの点も60年代のデ・クーニングの女性像が本質において触覚的であることを暗示している。
 さらにここでは十分に検討する余裕がないが、絵画の触覚性に関連して指摘すべきは、この時期、デ・クーニングが多くのコラージュの実験を重ねていることである。私も会場で作品を実見して驚いたのであるが、《サッグ・ハーバー》という作品にはマスキングテープが貼りつけられたままであり、《リーグ》という作品ではイメージの基底に新聞紙が貼られ、絵具の間に垣間見える LEAGUE という文字が作品タイトルの由来となっている。実際にコラージュはこの作家が多用した技法であり、初期作品以来、多くの作品に認められるコラージュの重要性について既に多くの研究者が指摘している。ここで初期の抽象絵画においてキュビスム、それもピカソの分析的キュビスムの影響が濃厚であった点を想起しよう。ウィリアム・ルービンはポロックの絵画の展開を総合的キュビスムから分析的キュビスムへの遡行として位置づけたが、デ・クーニングにおいては分析的キュビスムから総合的キュビスムという展開が反復されている。ただしデ・クーニングの場合、今述べたとおりコラージュ技法の導入は比較的早い時期から認められ、総合的キュビスムにおける現実との接点の回復という意味は認められない。異素材は時に激しいアクションを受け止める抵抗として、時にイメージを物理的に切断する手法として導入されており、いずれの場合もイメージは視覚ではなく触覚、端的に手と結びついている。
手や触覚と結びついたイメージ。私たちは60年代の「女」たちを「手によって塗りたくられたイメージ」と表現することができるかもしれない。それは50年代の「女」たちがなおも視覚的な再現性を留保していたことと対照的である。ここで視覚と触覚を対比させていることは意図的であり、この問題は例えばアクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティングの対比といった抽象表現主義全体に応用することも可能であろう。しかし私はむしろデ・クーニングの女たちをもう一つの人間のイメージと比較したいのである。「ウィレム・デ・クーニング展」_b0138838_20221828.jpgフォートリエの「人質」だ。それはたまたまブリヂストン美術館を訪ねた翌日、大阪でフォートリエ展に足を運んだことにも由来しているかもしれない。抽象表現に関心を示さなかったフォートリエと抽象と具象を往還するデ・クーニングが資質において大いに異なることはいうまでもない。しかしながら私は戦後美術の二人の巨匠が人間をともに「塗りたくられた絵具の痕跡」として表現した点に関心をもつ。(ちなみにフォートリエも技法に強い関心をもっており、さらに二人が制作した彫刻を通してもこの問題は検証可能かもしれない)そこには人間観の決定的な変質が兆しているのではないだろうか。正確に述べるならば人間をもはや「塗りたくられた絵具の痕跡」としてしか表現しえなくなった状況とはいかなるものであるか。第二次大戦中、レジスタンスたちが銃殺される情景から着想されたという「人質」であればこの点は理解しやすい。しかし60年代にデ・クーニングが描いた女性像がかくも触覚的、物質的な印象を与えたのはなぜであろうか。私はこれらの絵画から「肉」を強く連想した。暖色を中心にした色彩、輪郭のはっきりしない形状、そして何よりも唇/性器の存在感がこのような印象に大いに与っている。最初に私はこれらの絵画を自宅に飾ることへの異和感を指摘したが、それがこのような印象と関わっていることはいうまでもない。絵画と視覚という問題はフォーマリズムに連なる論者を得て戦後美術における重要な主題系をかたちづくった。これに対して絵画と触覚という問題は今日にいたるまで十分に究明されていない。触覚の絵画の系譜は50年代の広義のアンフォルメル、あるいは具体美術協会の絵画を経て、ミニマル・ペインティング、そしてニューペイティングまでの広がりを有している。これらの絵画は体系的に記述されたことがないし、記述の方法も確立されていないが、例えば「アンフォルム」といった作業仮説を得て、近年、再び注目を浴びていることは知られているとおりだ。この系譜の中でもデ・クーニングの異質さは際立っている。今まで論じたとおり、60年代のデ・クーニングは「女」の「肉」というきわめて特異なモティーフによってこの系譜に応接する。私は当時男性誌に掲載されていたピンナップ・ヌード、あるいはリップスティックの広告といったマス・イメージと関連させて社会学的な視点からこの問題を考察することが可能であろうと考える。そこには当然ジェンダーや階級性の問題が持ち込まれるだろう。かくのごとく、この展覧会に並べられたデ・クーニングの絵画が指し示す問題の射程は広く、きわめて今日的である。しかしながらあまりにも多くの問題が未解明のまま残されているのだ。
by gravity97 | 2014-11-09 20:30 | 展覧会 | Comments(0)