![]() この団体の異様さは冒頭の情景からも明らかだ。まず不特定多数に向けられた極端に攻撃的な挑発(「ハネる」というらしい)、そしてそれを行うのがいわゆる「右翼」然とした構成員ではなく、スーツ姿の会社員やOLといった「どこにでもいるような人々」であることだ。インターネットという補助線を引けば、これらの理由を推測することは可能だ。著者の安田によれば、このような街宣はそれ自体を目的とするというよりも、その模様を動画としてインターネット上にアップロードするために実施される。こういった動画に惹かれて街宣活動に繰り出すのが職業右翼ではなく、彼らのアジテーションに共感した「どこにでもいるような人々」であるという訳だ。人が人に憎悪をぶつける映像を見ても不愉快に感じるだけであろうし、彼らを間接的にも応援するつもりはないから、私は今までそのようなサイトにアクセスしたことはない。しかし在日コリアンに対して憎悪を増幅する回路がインターネットという前提を介して成立したことはたやすく理解できる。 この会のリーダーは桜井誠という。サスペンダーに蝶ネクタイという奇妙な出で立ちで街宣の先頭に立つ写真が掲載されているが、外見のみならず演説や存在感においても確かにカリスマ的な人物であるらしい。2007年に500名の会員によって設立された在特会は派手な行動とそれをインターネットで公開する独特の手法によって急成長し、今述べた通り、4年間で1万人という規模に膨れ上がる。動画サイトにアップされた桜井の画像には時に数万回というアクセスがあったという。この過程で在特会は次々に派手なパフォーマンスを繰り広げる。不法滞在のため娘を残して両親のみがフィリピンに強制送還を迫られ、入国管理局の非人道的な姿勢が批判された事件に対して、在特会は2009年4月に当局の処置を擁護する「カルデロン一家追放デモ」を行い、当事者の娘がいる中学校の前で一家追放のシュプレヒコールを上げた。インターネットの掲示板にはこのような処分を当然とみなす書き込みが大半を占めたという。同じ年の12月、在特会は京都市にある京都朝鮮第一初級学校に対して激烈なデモを敢行する。この学校には運動場がないため、隣接する児童公園を朝礼や運動会で使用したことが「不法占拠」にあたるとして授業中の学校の前で在日コリアンを追放せよと街宣を繰り返したのだ。あるいは2010年4月には募金を朝鮮学校に送ったとして、徳島県教職員組合の前で街宣行為を行い、最後には事務所内に乱入する騒ぎを引き起こした。後の二つの事件はそれぞれ「京都事件」「徳島事件」と呼ばれ、逮捕者を出すにいたった。これに対して在特会は時に記者会見を開いて自らの正当性を主張した。 本書ではリーダー桜井の閲歴をはじめ、在特会の活動が丹念に検証される。独特の主張とスタイル、それに伴う運動の高まり、最初は新しい形の保守運動として注目された彼らがあまりのエキセントリックさに旧来の右派陣営から次第に疎んじられる経緯も多くの関係者へのインタビューから浮かび上がる。私が読んだ限りでも在特会の主張には独善的な内容が多いように感じられる。彼らがいう在日コリアンの「特権」、すなわち永住権、通名の使用、生活保護の受給、税制での優遇措置が果たして「特権」と呼ぶに値するかについて今は措く。また桜井をはじめ、個々の会員たちの主張の当否についてコメントすることも控えよう。私自身はいずれも愚劣な主張だと考えるが、たとえ「愚劣」であろうとも自らの信念を主張する自由は誰にでもある。あるいは街宣後の打ち上げで入った居酒屋の中国人店員に南京大虐殺の有無を問い、挙句の果てには店長を吊るし上げ、その顛末を得意げに自分たちのブログに書き込むという振る舞いについても当事者が責任をもてばよい。本書の中に在特会から攻撃された朝鮮学校のOBが彼らの印象を聞かれて「あの人たちだって、楽しくてしかたがないって人生を送っているわけじゃないんやろ。そりゃあ腹も立つけど、なんだか痛々しくて、少なくとも幸せそうには見えないなあ」と述懐する記述がある。この集団に対する私の感想もそれに近い。 むしろ私が関心をもったのは在特会の背後、つまりかかる驕慢な行為を繰り返す彼らの背後にそれを承認する一定の数の人々が存在することである。安田がこのドキュメントの中で繰り返し指摘するのは、街宣活動の場ではここに書き写すこともためらわれるような下品で差別的な言辞で在日コリアンを罵る会員たちが一対一で面談するならば、ごく普通の常識をもった若者であり、家庭人であり、会社員であることだ。街宣車で押しかけるいわゆる強面の「右翼」とは全く異なった人々が活動の主体を務めることと、彼らの活動がインターネットにおいて一定の支持を集めていることはおそらく深い関係がある。私の考えでは、桜井たちの主張や行動は一種の触媒であり、これまで同質性とゆるやかな連帯によって結びついてきた日本の社会(このような社会が望ましいかどうかは別の問題である)を根底から変化させた。在特会の登場は一つの兆候であろう。今、日本には一種の無力感と閉塞感が瀰漫している。それはバブル崩壊後の時代の空気であったが、大震災と原子力災害以後、それはもはや耐え難い絶望感にいたっている。このような状況において排外主義が台頭することを私たちは歴史から学んだ。原子力発電をめぐる迷走から理解されるとおり、まともな政治の存在しない国で弱者を叩いて喝采を浴びる小ヒットラーが跋扈し始めたというのが今日の私たちをめぐる状況ではないか。いつの頃からだろう、この国は弱者への寛容を失ってしまった。遠くはイラクで人質になった日本人ボランティアたちへの常軌を逸したバッシング、近くは不正受給を受けていた生活保護世帯に対する国会議員たちの鬼の首でもとったかのような攻撃。そこに共通するのは、批判する側が「三分の理」をもつことであり、批判される側が弱者である点だ。この点は在特会の活動と一致している。彼らの活動も彼らなりの大義名分を有しており、本音としてのコリアン憎し中国人憎しといったむき出しのレイシズムをかろうじて糊塗している。そして「京都事件」の発端が示す通り、インターネットの匿名性は漠然としたレイシズムを共有する不特定多数の人々をたやすく媒介する。朝鮮学校が児童公園を「不法占拠」しているという一本のメールからかくも激しい攻撃が引き起こされたのであり、不寛容な社会と通報装置、密告装置としてのインターネットはよく親和しているのだ。既にこのブログでも論じたとおり、一方で東浩紀はインターネットに民主主義の未来を見出し、グーグルの技術者たちは理想の未来社会を投影する。しかし私はそこに底知れぬ悪意の広がり、ネガティヴな社会的無意識の反映を認める。安田が報告するとおり、ごく普通の人々が街頭で弱者を罵倒することをためらわない異常な心理とは現実の社会を前にした無力感と仮想現実の中での全能感のギャップとして理解することができないだろうか。 本書の中では在特会の街宣活動の情景がしばしば描かれる。例えば2011年8月14日の「フジテレビ抗議街宣」に集ったのはベビーカーに子供を乗せた母親や子供を連れた夫婦、カップルや会社員といった人々だったという。彼らは思い思いのプラカードを持参し、シュプレヒコールを上げ、デモの終点では「おつかれ」と互いを労い、感涙する女性もいたという。このような光景を私たちは最近どこかで見かけなかったか。いうまでもなく毎週金曜日に首相官邸前で繰り広げられている反原発集会である。もちろん私は両者を同一視するつもりはないし、実際、在特会は反原発集会にカウンターデモを仕掛けて、参加者に罵声を浴びせているらしい。しかしながら私は両者のメンタリティーがきわめて近い点に興味をもつ。ごく普通の人々が散歩にも出かけるかのように気軽に参加し、しかも警察の誘導に率先して従い、一つの儀式のように示威行為を繰り返す。私は単純にこれら二つをインターネットの光と闇とはとらえない。そもそもインターネットは単なる技術にすぎない。いや、そうだろうか。単なる技術にすぎないインターネットはそれを使用する人々の内面にも影響を与えるのではないか。本書の「ネットと愛国」というタイトルは暗示的である。在特会と反原発集会という正反対でありながらともに私たちがかつて経験したことのない二つの運動は単に組織や動員の方法といったレヴェルではなく、インターネットという全く新しいソーシャル・メディアによって可視化された集合的無意識の表象ではないか。メディアと私たちの集合的無意識の関係についてはこれまでフリードリヒ・キットラーやジョナサン・クレーリーが説得的な議論を提起してきた。東浩紀の『一般意志2.0』もこの問題に関する優れた分析であったが、インターネットと集合的無意識の関係については今後さらに多様な側面から検証されるべき問題であろう。それによって安田のいう「在特会の『闇』」にも新たな光を当てることができるのではなかろうか。
by gravity97
| 2012-10-04 20:54
| ノンフィクション
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