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Living Well Is the Best Revenge

STEVE REICH [WTC 9/11]

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 スティーヴ・ライヒがワールド・トレード・センターへのテロ攻撃に取材した新作を発表したことを知り、早速聴いてみる。[WTC 9/11]というきわめて直裁なタイトルとともにCDのジャケットは青空を背景にした黒煙、画面の端にWTCとおぼしきリジッドなラインが写り込んでおり、これもまた生々しい。演奏はこれまでもたびたびライヒの楽曲を手がけたクロノス・カルテット。
2011年2月に録音されているから、同時多発テロ10周年を機に委嘱された曲かと思ったが、ライヒ自身によるライナーノートを読んでみるともう少し個人的な事情から発想された曲らしい。ライヒは2009年にあらかじめ録音された音声を用いた新作をクロノス・カルテットに求められ、当初、音声中の母音ないし子音を引き延ばす手法で作曲できないか考えていたらしい。ライヒ自身が述べるとおり、録音された音声を用いた実験は最初期の作品、例えば「カム・アウト」や「イッツ・ゴナ・レイン」においても明らかであり、決して新奇ではない。問題は音声の内容だ。ライヒは次のように記す。「(音声について思いをめぐらして)数ヶ月後、私ははっきりと思い出した。25年間にわたって私たちはワールド・トレード・センターから4ブロックの場所に住んでいたのだ。(中略)私たち一家にとって9・11はメディアの中のイヴェントではなかった」ライヒは慎重に三つの音源を選ぶ。最初はNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)に残された記録音声、二番目はFDNY(ニューヨーク市消防局)によって録音された音声、そしてロウアー・マンハッタンにいた友人たちへのインタビューである。いずれも切迫感に満ちている。例えばNORADとFDNYの記録音声から選ばれた言葉は次のようなものだ。「ボストン発LA行きの旅客機が南に向かっている。進路が違う。進路が違う。パイロットと連絡がとれない」「旅客機がワールド・トレードに激突した。使用可能な、使用可能な全ての救急車を」
弦楽というより警告音を連想させる鋭いリフレインに続いてこれらの言葉が明瞭に発せられる。この作品をやはり録音された音声を用いて制作された初期作品「カム・アウト」と比較してみよう。ハーレムにおける暴動で警官に暴行された青年の言葉を素材としたこの作品はlet some of the bruise blood come out to show them つまり「傷口から流れ出る血を奴らに見せた」というフレーズを含む言葉を何度か繰り返した後、さらに come out to show themという一節を執拗に反復し、テープレコーダーのループのずれによって転調していく過程を提示したものである。ここにおいても暴力というテーマが扱われていることに私は驚くが、少なくとも「カム・アウト」においては「ずれ」による音声の転調という形式そのものが作品の主題とされており、同じフレーズが繰り返され、次第に不明瞭になるにつれて言葉自体の意味は中性化される。これに対して、「WTC 9/11」では音声はほとんど転調されることがなく、むしろヴァイオリンやチェロの緊迫した音色が効果音として重ねられていく印象だ。もっとも近年のライヒになじんだ者にとってこの新作は決して異質ではない。歴史的事件を扱っている点でいえば2002年の「スリー・テイルズ」は20世紀においてライヒが重大と考える三つの事件、すなわちヒンデンブルグ号爆発事件、ビキニの核実験、クローン羊ドリーの誕生を扱っていた。しかし「WTC 9/11」の場合、楽曲の構造は比較的単純で言葉の使用はあまりに直接的に感じられる。
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1988年に発表された「ディファレント・トレインズ」を「カム・アウト」と「WTC 9/11」の間に置くことによってこの点を整理することができるかもしれない。クロノス・カルテットが演奏し、三部構成という点でも「WTC 9/11」と共通点をもつ「ディファレント・トレインズ」においてはタイトルが暗示するとおり、鉄道による三つの旅が主題とされている。このうち「アメリカ 大戦前」と題された最初のパートは大陸横断鉄道で頻繁に旅行したライヒの幼時体験が反映されている。音声のサンプリングという手法はここでも使用され、 例えばfrom New York to Los Angels 、「ニューヨークからロサンジェルスへ」という言葉が繰り返される。父と離婚した母のもとを訪れる旅行が「エキサイティングでロマンティック」であったのに対して「ヨーロッパ 大戦中」と題された二番目のパートは重い含意をもつ。ヨーロッパの鉄道は大戦中、ユダヤ人を絶滅収容所に送る主要な輸送機関でもあった。いうまでもなくここにはユダヤ人としての出自をもつライヒの思いが反映されており、ディファレント・トレインズとは同じ時代にもしヨーロッパで生活していたらライヒ自身が収容された可能性のある「別の列車」のことでもある。ここにも興味深い一致が見出せる。つまり「WTC 9/11」と「ディファレント・トレインズ」はともに(前者においては潜在的な主題であるが)大量輸送機関と大量死という二つの主題と深く関わっている。前者ではボストンとLA、後者ではニューヨークとLAという出発地と目的地がともに音声としてサンプリングされている点も共通している。「ディファレント・トレインズ」においてはクロノス・カルテットという練達の演奏家たちを得て、興味深い実験がなされている。サンプリングされた音声から高低をとりだし、それを弦楽器の音程に置き換える試みだ。ライヒにおいて人の声と楽器は常に交換可能であるが、そのヴァリエーションであると同時に、言葉を抽象化する手法といえるかもしれない。ただし「ディファレント・トレインズ」においてメッセージはさほど明確ではない。今述べたようなライヒの個人的体験、戦時下でポーランドに敷設された鉄道が担った役割といった予備知識を背景として初めて断片化された言葉は意味を与えられる。先に私は初期の実験的な作品についても触れた。初期作品でいわば音響的素材として使用された come out to show them あるいは it’s gonna rain といった言葉は意味をもつといえば意味をもつが、「ディファレント・トレインズ」ほど意味の負荷を負っていない。初期作品においては任意、「ディファレント・トレインズ」においては暗示的であった言葉は「WTC 9/11」においてはあまりにも明示的である。ライヒのこのような変貌をどのようにとらえるべきか、私は正直言ってまだ判断がつきかねている。
私は[砂漠の音楽]以降、ほぼリアルタイムでライヒの新作を聴いてきた。私自身はミニマリズムの手法を確立した時期、70年前後から70年代の作品が一番好きであるが、それ以降の作品も決して悪くないし、ライヒの変貌はそれこそ「ゆるやかに移り変わるブロセス」であり、「WTC 9/11」においても録音された音源との合奏、声と楽器の対比、反復と変容といった主題は初期から一貫している。しかしそれにしてもここまで来てしまったかというのが私の感想だ。形式の探求として始まった(このように断言するには留保が必要かもしれないが)ライヒの楽曲がかくも重い主題を正面から取り上げることは予想できたようでもあり、意外でもある。ライヒ自身も1993年にパートナーのベリル・コロットとオペラ「ザ・ケイヴ」を制作しているが、ライヒ同様ミニマル・ミュージックの代表的作曲家であるフィリップ・グラスもまた近年オペラや映画音楽といったスペクタクルへと接近していることを考えるならば、形式から主題への転換はミニマル・ミュージックの本質とどこかで関わっているかもしれない。
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ところで、今回、この作品を注文するためにライヒというキーワードで検索したところ、Kuniko Kato (加藤訓子)というパーカッショニストによって演じられた[kuniko plays reich]なるアルバムが最近リリースされたことを知り、こちらも聴いてみた。ブリュッセルで「シティ・ライフ」を演奏した際にライヒ自身から「この小さな女の子の演奏はとても力強い」と言葉をかけられたというが、確かにすばらしい。ライヒがパット・メセニーのために作曲した「エレクトリック・カウンターポイント」をなんと打楽器によって再演し、名曲「6台のマリンバ」を多重録音によって一人で演奏している。合わせて聴いていただきたい。
なお、ライヒは今年12月に来日するらしい。この際にはイギリスのパーカッショニストたちによって「ドラミング」全曲の演奏が予定されている。
by gravity97 | 2012-05-12 21:23 | 現代音楽 | Comments(0)