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イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』

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 このブログのカテゴリの中に新着図書の書架を紹介するNEW ARRIVAL という項目がある。そこに長い間放置されていた、つまり未読のままであったチリの作家、イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』を先日ついに読了した。といっても長編であるとはいえ、なぜ読まなかったのか不思議だ。車中で過ごす時間の長い出張に携えたところ、あまりの面白さにたちどころに読み終えてしまった。
 著者のアジェンデは名前から推測できるとおり、チリに社会主義政権を樹立した後、右派勢力によるクーデターによって暗殺された(自殺説もある)サルバドール・アジェンデの姪にあたる。後述するとおり、この小説の後半では社会主義政権の成立とクーデター、引き続く恐怖政治が語られる。本書を読んだ後で当時の状況を調べてみたところ、事実をかなり忠実に再現した描写があることもわかった。しかし小説の中で大統領、詩人あるいは軍人と名指しされる人物にアジェンデ、パブロ・ネルーダ、ピノチェットといった固有名は与えられることなく、物語は事実の再現をはるかに超えた深みを帯びている。実際に後述するとおり、物語が現実と急速に接近するのは終盤の数章であり、全体としては神話と現実が地つながりとなったマジック・レアリズムの傑作といえよう。
 語られるのはクラーラ、ブランカ、アルバという三代にわたる母と娘、孫娘の物語である。物語の経糸をなす母系に対して、クラーラの姉ローサの許婚者であり、ローサの死後クラーラと結婚し、ブランカをもうけ、アルバの祖父となるエステーバン・トゥルエバが対置される。一介の農夫として登場し、鉱山で富を築き、農場を再興し、ついには保守党の国会議員となるエステーバンは物語に常に介入し、夫として父として祖父として三人の主人公に関わる。説話的にはこの物語はやや複雑な構造をとる。基本的に神の視点から語られるが、随所にエステーバンの一人称の語りが挿入される点は物語における重要性を暗示しているだろう。最後のエピローグはアルバによる語りとして成立しているが、エピローグの冒頭でエステーバンの死について語られているから、一人称としての語りの権能が祖父から孫娘に委譲されたと考えてもよいかもしれない。神の視点と一人称の語りに特に矛盾は認められない。イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』_b0138838_20514138.jpg
物語の冒頭から読者は一種の神話的、魔術的な世界に投げ込まれる。なにしろ屋敷の中を精霊や死者が闊歩し、予言や奇蹟が日常とされる世界である。主人公は手で触れることなく重い品物を自由に動かし、大発生した蟻の大群を老人が言葉で説得して街の外へと連れ出すといった奇怪なエピソードが次々に開陳される。このような世界から直ちに連想されるのはガルシア・マルケスの『百年の孤独』であり、実際、アジェンデ自身も二つの作品がいつも関連づけて論じられることへの当惑を語っている。もちろん亡命先のベネズエラで執筆され、1982年に発表された『精霊たちの家』の著者が1967年に発表されたマルケスの傑作を知らなかったはずはないし、アジェンデ自身もマルケスの小説への賛辞を述べている。したがって私たちは両者を比較することによってこの小説の意味を再確認することができるだろう。これについては本書が世界文学全集の一冊として刊行された際の月報に編者の池澤夏樹が委曲を尽くした分析を寄せており、屋上屋を重ねるという感もない訳ではないが、ひとまず私としても両者を比較してみたい。まず両者の共通点を確認しよう。いずれも一族の年代記という体裁をとりながら、マルケスであればラテン・アメリカという大陸、アジェンデであれば特定こそされないがチリという国家の歴史を象徴的に語っている。『精霊たちの家』の母娘三代という時間のスパンは「百年」とほぼ等しいと考えてもよかろう。手法としてはいずれもマジック・レアリズムが採用され、現実と幻想のあわいは定かではない。奇怪なエピソードが次々に増殖し、魔術や奇跡、独裁者や革命といったモティーフは両者に共通している。このようなモティーフの特異性をラテン・アメリカ文学全般まで拡大可能かという点については意見が分かれようが、私の印象としてはマルケス以外にも、バルガス・リョサやカルロス・フェンテス、ホセ・ドノソといった作家の作品と強い類縁性があるように感じる。また形式的な問題としては『精霊たちの家』の随所に散りばめられた先説法、物語を先取る修辞法が『百年の孤独』の冒頭の一文にも認められることを池澤は指摘している。
 一方で『精霊たちの家』と『百年の孤独』の相違は何であろうか。先に述べたが、『精霊たちの家』が母系を軸とした物語であるのに対して、『百年の孤独』は父系のそれである。ブランカにはニコラスとハイメという双子の兄弟がいる。エステーバンから双子の息子たちへという父系の軸も存在しない訳ではなく、ほかにも男性の登場人物は存在する。しかし圧倒的な躍動感をもった女たちに比べてこの小説の中で男たちの存在感は総じて希薄である。池澤もエステーバンの仕事が「その時だけという印象を与え、男の仕事は本質的に継承不能なのではないか」と記している。鉱山、農場そして政治、エステーバンは仕事の舞台を変えながら次第に富と地位を得る。しかし労働者から農場主、保守系の大物国会議員そして反革命の軍人たちに疎んじられる一人の老人へ、時に誇らしげな、時にみじめな変貌を遂げつつも結局のところ、彼は女たちの掌中でその一生を終える。フェミニズムという観点からも本書は注目に値するだろう。『百年の孤独』では一族の物語を見届ける存在としてウルスラという老婆が登場し、ウルスラの死とともに小説は最後の局面を迎える。いうまでもなく『精霊たちの家』でウルスラに対応するのはエステーバンである。冒頭から物語に登場したエステーバンは、エピローグの冒頭、「昨夜、祖父が亡くなった」というアルバのモノローグとともに退場する。この点で二つの小説はいわば鏡像のような関係にあるといえるだろう。『百年の孤独』においては神話的世界と現実は常に一定の距離を保っていた。労働者の弾圧や独裁者の愚行は常に神話的な彩りを備え、虚構とも現実ともつかない。(この主題がさらに展開されたのが『族長の秋』である)これに対して、『精霊たちの家』において、最初クラーラの周囲を満たしていた魔術的なアトマスフィア(なにしろ、事あるごとに彼女は念力で動く三脚テーブルや精霊たちと相談を交わすのだ)はアルバの時代にはほとんど払拭され、きわめて現実的な政治闘争、革命と反革命、暴力と拷問、軍政下の恐怖政治が語られる。最後の二章からは『百年の孤独』ではなく、このブログでも論じたリョサの『チボの狂宴』が連想された。『百年の孤独』では物語の中心となるブエンディーア一族の眷族に繰り返しアウレリャーノという名が与えられる。このため魔術的なエピソードの奥行きともあいまって、読者は一体どのアウレリャーノについて語られているのかわからなくなる。これに対して、『精霊たちの家』においてはクラーラがノートに出来事を記録していくうえで事件が混同することを避けるために、娘に同じ名前をつけることを禁止する。マルケスの物語では様々な登場人物が巨大な坩堝に呑みこまれるように神話的世界で次第にアイデンティティーを失っていくのに対して、アジェンデの物語では登場人物は名前によって区別され、現実の中に留め置かれる。池澤はこの点についても興味深い比較を記している。彼によれば『百年の孤独』は全体として先細り、特にウルスラが亡くなった後は物語の速度が一挙に速くなる。これに対して『精霊たちの家』では物語が進むについて記述が濃密になり、時間の流れが遅くなるというのである。マルケスの自伝『生きて、語り伝える』には1948年、コロンビアにおけるボゴタ暴動についての記述がある。この事件も右派による反革命という点でピノチェットのクーデターとよく似ているが、マルケスはこの事件も含むラテン・アメリカの歴史を神話化している。これに対してアジェンデにとってのチリ・クーデターは神話化するにはあまりにも生々しかったのであろうか。マルケスが祖母の語ったように書けばよいという啓示を受けて『百年の孤独』を書き始めるまでには数十年の時間が必要であったといわれる。81年に『精霊たちの家』を発表するうえで73年のクーデターは時間的に近過ぎたのかもしれない。
 もう一点、二つの小説には最後の部分にきわめて興味深い類似がある。いずれの小説も読むことと書くことと深く関わっているのだ。『百年の孤独』の何とも印象的な終幕を思い出すがよい。そこでは魔法使いメルキアデスの遺物であり〈この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる〉と題された羊皮紙をアウレリャーノが解読した瞬間に、街が蜃気楼のように消え去ってしまう。一方、『精霊たちの家』の最後の場面では一人残されたアルバが祖母クラーラによって生涯にわたって書き留められたノートに目を通す。クラーラがノートに書きつけた冒頭の一句がこの小説の書き出しであることにもはや私たちは驚かないだろう。このような円環からはジョイスの『フィネガンズ・ウエイク』が連想されるかもしれない。しかし私たちがここから読み取るべきは西欧のメタ物語的な技巧ではなく、新世界、ラテン・アメリカにおけるきわめて独特の時間の流れであろう。直線的で二度と繰り返されることがないクロノスの時間ではなく、循環し、繰り返されるカイロスの時間。反復と回帰というテーマはここで論じた二つの小説にとどまらず、ラテン・アメリカ文学において多くのヴァリエーションが存在する。ラテン・アメリカ文学における時間という問題についてはアレッホ・カルペンティエールなども視野に容れながら、次の機会に論じてみたい。
by gravity97 | 2012-03-07 20:54 | 海外文学 | Comments(1)
Commented by かどり ふづき at 2012-03-07 22:03 x
初コメントさせていただきます。時々拝見させていただいておりますが、スゴイの一言です!読了するだけでも大変そうな書についていつも精細な解説を加えておられますね(gravity97さんにとっては朝飯前なのかもしれませんが)。新聞等の書評も顔負けだと思います。もともと、「プルースト 読書の喜び」を検索していて、たまたまこちらへ立ち寄らせていただきました(私もこの本は読んで、拙い感想をブログに書いております)。美術史の専門家でいらっしゃるようですが、私もアートが大好きで、ブログに書くことはアート関連の記事が多くなっています。お暇な時にでもお立ち寄りください。今後も時々拝見させていただきたく思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。


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