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Living Well Is the Best Revenge

「アンフォルメルとは何か?」

 ブリヂストン美術館で開催されている「アンフォルメルとは何か?」を訪れた。「抽象絵画の萌芽と展開」と題された導入部と付け足しのようなザオ・ウーキーの作品群はコレクションを無理やり加えた印象を与えてやや苦しいが、全体としてはこれまで紹介されることの少なかったアンフォルメルという運動の全貌を伝える充実した内容である。
 1950年代にヨーロッパに勃興したアンフォルメルはその輪郭をつかむことが難しい。アンフォルメル、別の芸術、タシスム。入り乱れる批評家によって様々の呼称が時に肯定的、時に批判的に使用され、フォンタナやアペルが展示に加えられている点からも了解されるとおり、空間主義やコブラといった多様な運動やグループが時にその内部に配置される。本展ではアンフォルメルをその主要な唱導者ミシェル・タピエによって定義された狭義のそれに限定することなく、むしろその周縁を含めた広がりの中に捉えている。このような姿勢は妥当であろう。なぜなら時にダリまでも包摂するタピエのアンフォルメル(タピエ自身は「別の芸術」という呼称を用いる)についての認識自体がきわめて融通無碍であるからだ。ただしタピエがアンフォルメルをそれ以前の近代美術との決定的な断絶としてとらえていたことを想起するならば、マネやモネからクレー、カンディンスキーまでブリヂストン美術館のコレクションによって抽象絵画へいたる道程をいわば教育的観点から概観する第一部、「抽象絵画の萌芽と展開」のセクションは適切な導入とはいえないだろう。しかしさらにうがった見方をするならば、これら一連の作品が存在することによって、同じ抽象絵画であってもフォートリエやデュビュッフェら、「『不定形』な絵画の登場」と題された第二部の作品の異質さが明白となり、結果的に第一部と第二部との断絶が際立つこととなったとも考えられよう。
 第二部を構成するのはフォートリエとデュビュッフェ、ヴォルスという三人の画家の作品である。これら三人の作家はアンフォルメルではなく、アンフォルメルの先駆としてタピエによって高く評価された。正確には「アンフォルメル以前」と呼ぶべきこの部分がこの展覧会で最大の見所になっていることは皮肉である。後年、NRFより刊行された『アンフォルメルの芸術』の著者がジャン・ポーランであったことからも推測されるとおり、彼らは専門的な美術批評ではなく、文学者や哲学者による趣味的、さらに言うならば余技的な批評によって応接された。この点はアメリカにおける抽象表現主義の勃興とアンフォルメルの凋落を対比的にとらえる時、大きな意味をもつ。これまでアンフォルメルに焦点をあてた展覧会としては1985年、千里にあった国立国際美術館で開催された「絵画の嵐 1950年代 アンフォルメル/具体美術/コブラ」が知られている。私はこの展覧会も見たが、これと比しても今回出品された作品の質の高さは目を見張るものがある。この点は端的に国内の美術館のコレクションの充実を反映しており、特にフォートリエとデュビュッフェに関して、私は近年収集された国内のコレクションの質的な高まりに驚いた。例えばフォートリエに関して大阪市立近代美術館準備室、デュビュッフェに関して東京国立近代美術館に収蔵された作品は彼らの代表作と言って差し支えないだろう。特にフォートリエは点数こそさほど多くはないが、並べられた作品の質は作家に対する評価を一新するほどだろう。しかもそのほとんどが国内の美術館に所蔵されていることは特筆されてよい。そしてこれら三人の画家が必ずしもタピエを評価していない点も重要である。日本を訪れたタピエたちの行状をフォートリエが「フランスから行ったサーカス」と痛罵したことはよく知られている。先行するこれらの画家と「アンフォルメル」との錯綜した関係は重要な問題であるが、本展覧会においては両者が併置されるだけで、その関係について検証された形跡はない。
 「戦後フランス絵画の抽象的傾向と『アンフォルメルの芸術』」と題された第三部はいわゆるアンフォルメルの作家によって構成され、この展覧会の核心を形成する。アンリ・ミショーに始まり、ハンス・アルトゥングやピエール・スーラージュといったジェストの要素の強い作家、そしてアンフォルメルを代表するアクション・ペインターであるジョルジュ・マチウ、さらにセルジュ・ポリアコフ、ニコラ・ド・スタールといった日本の美術館でも比較的なじみ深い作家の作品が展示されている。日本人作家としては堂本尚郎と今井俊満そして菅井汲の作品がブリヂストン美術館のコレクションから出品されている。最初に述べたとおり、この展覧会ではアンフォルメルを定義することを慎重に避け、その多様な広がりの中にこの美術運動を概観している。ジャン=ポール・リオペルとド・スタールの優れた作品を見ることができたことは本展覧会の大きな収穫であった。これらの作家は特に日本においてはまだ十分に紹介されていないが、この展覧会によって再評価されることになるのではないか。しかしながら作家のラインナップを見る時、展覧会の大きな欠落もまた明らかである。本展には「20世紀フランス絵画の挑戦」というサブタイトルが付されている。確かにアンフォルメルはフランスを中心にした運動であった。しかし私はその本質的な革新性は単にフランス一国にとどまらない第二次大戦後最初の国際様式として成立した点にあると理解している。ないものねだりの感がないでもないが、この意味で(所蔵されているポロックとサム・フランシスは出品されているにせよ)アメリカ、さらに日本の具体グループの作家が含まれていない点に、アンフォルメルを冠したこの展覧会の限界を指摘することができる。結果的に成功しなかったにせよ、タピエは50年代の表現主義的絵画をアンフォルメルの名の下に一括することを試み、アメリカの抽象表現主義さえもその一分肢として回収しようとしたのである。このためにタピエはニューヨーク・スクールの画家たちを意欲的にヨーロッパに紹介するとともに世界を旅行して作家を発掘し、マチウは南アメリカを含む世界各地で珍妙なアクション・ペインティングのデモンストレーションを繰り広げたのである。アンフォルメルはその本質を戦後最初の美術におけるグローバリズムに求めることができるのではないか。この意味で四半世紀前に大阪で開かれたアンフォルメルの展覧会が北欧と日本という地政学的な含意をはらんでいたことは暗示的である。アンフォルメルは歴史との断絶を空間的な連帯によって補償しようとしたのだ。スペインでもよい、ドイツでもよい、今日、ヨーロッパの主要な美術館でそれらの国の50年代美術を通覧する時、アンフォルメルの濃厚な影響に驚く。タピエの戦略の政治性が災いして、今日否定的な語調で語られることの多いアンフォルメルであるが、本展を一覧する時、実に多くの可能性をはらむ運動であったことが了解される。そしてこれらの可能性は今日もなおほとんど未解明のまま残されている。
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 さて、私は本展が日本国内の美術館の優れたコレクションによって構成されていると述べた。とりわけ1957年、タピエが企画する「世界現代芸術展」でアンフォルメルを紹介したブリヂストン美術館、そして大原美術館という二つの私立美術館から出品された作品の質の高さは誰の目にも明らかであろう。一方、カタログを参照するならば、この展覧会にはニューヨーク近代美術館を含む海外のいくつかの美術館から借用される予定であった数点の作品が出品されていない。おそらく先般の大震災と原子力発電所の事故によって貸出がキャンセルされたと推測され、実際私たちは同じ理由でいくつかの海外展が中止になったことを知っている。しかしそれらの作品の不在は国内から借用された作品の充実によって十分に補われている。今回の震災と核災害は相変わらず量産される海外の有名美術館からの大量借用によるブロックバスターのコレクション展、あるいは客寄せパンダよろしく一点のフェルメールによって上げ底式に仕立てた無内容の名品展に冷水を浴びせかけただろう。そして核災害が一向に収束しない以上、今後、海外からの作品借用は困難となり、保険は高騰するはずだ。しかし私はかかる状況は日本の美術館にとって一つの好機ではないかと考える。札束で顔を叩くようにして海外の名品を借り出さずとも、国内の美術館のコレクションを仔細に調査し、ていねいに作品に文脈を与えれば、日本にいながらにして海外の美術の動向を検証することさえ可能なのだ。新聞社や放送局の事業部に言われるがままにいかがわしい借用料をかき集める必要はない。学芸員の日頃の研究とフットワークによって意義のある展覧会を組織することを可能にする程度に日本の美術館のコレクションが成熟していることを私は確信している。
by gravity97 | 2011-06-01 21:43 | 展覧会 | Comments(0)