Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』

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 久しぶりにバルガス=リョサの作品を読んで、いつもながらの感銘を受ける。これもまた実にみごとな小説である。疑いなく今後、バルガス=リョサの代表作の一つに数えられることとなろう。
 物語の舞台はカリブ海に浮かぶ島国ドミニカ。20世紀中盤に実質的にこの国を支配し、「総統」、「大元帥」、「祖国の恩人」などと呼ばれた独裁者トゥルヒーリョが主人公である。1930年にクーデターを起こし、全権を掌握したトゥルヒーリョは個人崇拝を徹底し、秘密警察を駆使して中央アメリカにおいて最も堅固な独裁国家を樹立する。本書の中で明らかとされるようにこの過程でトゥルヒーリョは農園労働者のストライキに際して領内のハイチ人の大虐殺を行い、一族の経営する企業に富が集中するシステムを構築する。傀儡を大統領に据えて富と権勢をほしいままに残忍な統治を続けるトゥルヒーリョは次第に国民の反発を買い、1961年に暗殺される。今回、本書を読み進める中で関心が生じて、ドミニカ共和国の歴史を調べてみた。当然であるが、ここに描かれた事件は全て事実であり、この意味においてこの小説の内容には作家の創意を加える余地がない。この点はブラジルにおけるカヌードスの反乱を描いた傑作長編『世界終末戦争』(原著は1981年に発表。昨年のバルガス=リョサのノーベル賞受賞を受けて最近新潮社から翻訳が復刊された。是非併読されたい)と共通している。バルガス=リョサは実在の人物と架空の人物を巧妙に織り交ぜて、現実を超えた現実を創造する。今述べたとおり一種の歴史小説であるから、事実という枷から自由にはなりえないが、バルガス=リョサは得意とする多層的な語りによって事実に圧倒的な奥行きを与える。『チボの狂宴』の場合は次のような語りだ。24章から構成されるこの物語は途中まで章ごとに三つの視点が規則正しく交代する。このような手法は村上春樹の『1Q84』のBOOK 3を連想させないでもないが、バルガス=リョサの場合はもっと手が込んでいる。三つの視点とは、まずトゥルヒーリョに献身的に仕えながらもある時期より理由もなく疎んじられ、失意のうちに病に倒れ老残を晒す上院議員アウグスティン・カプラルの娘、ウラニアの視点。続いて独裁者トゥルヒーリョの視点。そしてトゥルヒーリョの暗殺を企て、車の中で待ち伏せする男たちの視点である。もっともこの小説の場合、話者に視点が限定されている訳ではない。彼らとは別に全能の話者も介入して物語を牽引する。いつもながらこの構成がきわめて巧みなのだ。冒頭のウラニアの章は物語の核となるトゥルヒーリョ暗殺から、話者においても時間においても最も離れているため、最初、読者は物語との距離を測りかねる。第2章においては老いたトゥルヒーリョの日常が描かれる。第3章に入るといきなり読者は狭い車の中で独裁者を待ち伏せする男たちの会話に加わる。この三つの章を通読しただけで物語が絶妙の濃淡、緩急のぶれによって律されていることが理解されよう。独裁者暗殺という物語の核心は早い段階で明らかにされながらも、物語は時にそこから離れ、時に事件の現場へと立ち戻り、時間的にも錯綜したままめまぐるしく推移する。この過程で物語の背景、トゥルヒーリョがアッベス・ガルシアという秘密警察の長官に命じて行った残酷な弾圧、あるいは敵に慈悲深い恩赦を与える一方で部下にいわれなき罰を与えるトゥルヒーリョの巧みな人心収攬のエピソードが語られる。そして物語を読み進める中で自然にいくつもの謎が浮かび上がる。なぜウラニアは父を見捨ててニューヨークに旅立ち、それ以来、一度もドミニカに戻らなかったのか。トゥルヒーリョによって翻弄される人物のうち、誰が彼を裏切り、誰が彼を継ぐことになるのか。物語の核心と深く関わるこれらの謎に対する回答は次第に明らかにされる。特に最初の章と最後の章の対照はみごとだ。最初はばらばらに提示される人名、意味ありげにほのめかされる事件が小説を読み進めるにつれて、次第に収まるべき位置に収まり、巨大な歴史壁画の完成に立ち会う興奮はバルガス=リョサの小説を読むいつもながらの醍醐味である。
 冒頭で既に暗示されているとおり、暗殺は成功し、独裁者は除かれる。しかし物語はハッピーエンドからは程遠い。それどころか独裁者の死によってさらなる暴虐と残虐な拷問の嵐が吹き荒れる。このあたりの描写が現実をどの程度反映しているかはわからないし、知りたくもない気がする。血を血で洗う無意味な暴力の連鎖から私は北野武の「アウトレイジ」を連想した。革命の後に凄惨な暴力が吹き荒れることを私たちは例えばフランス革命に学んだ。独裁者が除かれたにもかかわらず、いや除かれたことによって一つの国家がさらなる混沌の中に呑みこまれるという非劇は、冒頭の章に書きつけられたトゥルヒーリョ時代を懐古する言葉の中に暗示されているのだ。それは民主政治と無縁なラテン・アメリカの歴史という主題と密接に関わっている。周知のごとく、バルガス=リョサはかつてペルーの大統領選に出馬したことがある。この際に、決選投票でバルガス=リョサを破ったアルベルト・フジモリが後に日本大使公邸人質事件の際にとった強権的な解決を想起する時、この小説で描かれた事件は決して現在と無縁でない。この小説は権謀術数とマキアヴェリズムに彩られたラテン・アメリカの政治の本質を一種のカリカチュアとして提示したといえるかもしれない。
 それにしてもラテン・アメリカ文学には独裁者小説という他に類例のないジャンルが存在するのではないだろうか。アストゥリアスの『大統領閣下』からマルケスの『族長の秋』まで、独裁者、将軍、大統領といった主人公を扱った小説に事欠かない。禿鷹たちが大統領府の窓という窓の金網を食い破り、そこから漂う死体の腐臭で全市民が目覚めたという印象的な冒頭で始まる『族長の秋』、あるいはマルケスの一連の独裁者小説が語りの中で一種の神話性を帯び、魔術的レアリズムと呼ばれる独特の余韻を残すのに対して、バルガス=リョサの独裁者小説は一貫してレアリズムに貫かれている。しかしバルガス=リョサの小説を単なる歴史小説から隔てるのは語りの形式に関する深い自覚と実験精神である。思い起こせば最初に邦訳が刊行された『緑の家』においても複数の語りが混在する独自の手法が用いられていた。密林や石器時代そのままの集落、そして奥地の娼館といった多様な舞台が交錯する物語にとってかかる語りはきわめて効果的であった。あるいは初期の『ラ・カテドラルでの対話』においてもペルーの腐敗した政権下の社会がやはり複雑な語りの中に浮かび上がったことも想起される。今にして思えば、錯綜した時間構造、腐敗した政権をめぐる父娘ならぬ父と息子の葛藤など、『ラ・カテドラルでの対話』は『チボの狂宴』と多くの共通点を有している。しかし両者を比較するならば物語のダイナミズムと語りの形式的な完成度においてバルガス=リョサの作家としての成熟は明らかである。
『チボの狂宴』は原著が2000年に発表された。10年の時を経て、私たちはバルガス=リョサの新作を読むことができた訳である。(実際には2003年の『楽園への道』が先んじて翻訳されている)そしてカルロス・フェンテスやホセ・ドノソをはじめ、バルガス=リョサも含めてラテン・アメリカ文学に関してはまだ未訳の大作、問題作が数多く残されている。今世紀に入っても私たちはこの新大陸から届けられる文学の果実を楽しみ続けることができそうである。

by gravity97 | 2011-02-07 13:51 | 海外文学 | Comments(0)
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