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Living Well Is the Best Revenge

『グーグル革命の衝撃』

 今日、コンピュータを用いる者であれば、誰でもグーグルと無関係ではない。グーグルとはもはや単なる検索エンジンではない。それは全ての情報を検索可能にしようとする非人称の意志であり、手段ではなく哲学である。この十年ほどの間に、グーグルが他の検索エンジンを圧倒して覇権を握る過程、そしてITの専門家が口々にグーグルを礼賛する状況を私たちはつぶさに見てきた。グーグルが今日これほどまでに強大な力をもった理由はまさにそれがコンピュータ知の世界を生きる私たちの無意識下の欲望を体現しているからではなかろうか。
 「グーグル革命の衝撃」と題された本書はNHKスペシャルの取材の過程で得られた知見と感想を何人かのディレクターがまとめたものである。民族浄化から藤田嗣治まで、NHKの記者が社費(つまり税金)で取材した内容を横流しする安易なドキュメントに私は心底うんざりしている。公私のけじめのなさ、批判精神の欠落は端的にジャーナリストとしてのモラルの問題であろう。本書も取材対象にべったり、たいした取材がなされている訳でもない。それにも関わらず内容は十分に衝撃的だ。
 『グーグル革命の衝撃』_b0138838_21462398.jpgコンピュータの発達を背景として、グーグルはかつてない利便性を私たちに提供してきた。書棚に行って参考文献を手に取る必要さえない。詳しく知りたい事項があれば、キーワードを打ち込むだけでほぼ正確な情報を入手することができる。世界中、どこであろうと地名を打ち込めは直ちに目的地周辺の地図や写真を確認することができる。そして今や私たちがなんらかの選択をするうえで「検索」という作業は不可欠になりつつある。もちろんこれまでも我々は商品を、サービスを無数の選択肢の中から選んできた。しかしグーグルの登場によってその手段はグーグルの検索エンジンに一元化されつつある。全てが検索数によってランキングされ、私たちは上位の項目としか関係を結ぶことがない。私たちが世界と出会う可能性は確実に狭められている。情報量の増大という点でグーグルの登場はしばしばグーテンベルクの活版印刷術に準えられてきた。しかし決定的に異なるのは、この技術が一私企業に独占されている点である。私たちは利便性と引き換えに何を失ったのか。この問題に対する詰めの甘さがいかにも三流ジャーナリズムだ。いずれの執筆者も取材対象に対して腰が引けている。本書ではグーグルの検索によって生じたビジネス面での利益と不利益をめぐるいくつかのエピソードが主として扱われている。確かにグーグルは検索というシステムを広告に結びつけることによって利益を得ているから、この問題は一つの主要な主題であろう。しかしグーグルという私企業が個人の情報を独占することの真の脅威はそれが管理社会の道具として使用されるであることに想到しない「ジャーナリスト」に一体存在意義などあるのだろうか。
 以前より不思議に思っていたのだが、ビル・ゲイツから梅田望夫までITの起業家は未来に関してなぜかくも楽天的なのであろうか。彼らによればコンピュータは人類の未来を照らす万能の利器であり、インターネットは善意に満ちている。本書の冒頭にグーグル本社を訪問した際のエピソードがある。社員は皆優秀で創造力に富み、会社は自由の気風に富み、会社内の食事やスポーツ・ジムは無料、福利厚生は万全で全てのサービスは社員が創造性を最大限に発揮できるようにアレンジされている。このあたりの記述は私にはなんともいかがわしく感じられる。NHKの記者によって無批判に礼賛される「エンジニアの楽園」から私が直ちに連想したのは独裁国家と新興宗教である。開放的で創造的、自由な社風を標榜する企業がなぜ検索アルゴリズムの詳細を秘匿するのか。もちろん表示される検索順位は広告というグーグルの基盤に密接に結びついていることは理解できる。しかし検索という行為がもはや生活の一部となっている現状を考慮する時、私たちの社会がこのようなブラックボックスに依存しているという事実はなんとも不気味ではないか。しかもこのアルゴリズムは一企業の秘密であり、詳細を知っているのは数名の幹部のみなのだ。それは機械的で非人間的なプロセスであるという。おそらくそうであろう。しかし私たちにそれを確認する術はないし、学知や科学技術が決して中立でないことを私たちは歴史の中から学んできた。
 検索以外にもグーグルの技術革新は様々の可能性をもたらす。例えばGPS機能と連動させて、携帯のキーボードを叩けばその場で必要とされるサービスを直ちに得ることが可能となるかもしれない。グーグル・アースで空港へのアクセスを確認したビジネスマンに空港までのリムジンバスの使用を勧める携帯電話がグーグルのコール・センターからかかってきたという奇怪な噂がネット上に出回ったという記述が本書の中にある。しかしグーグル本社が立地するマウンテンビュー市を無線インターネットで覆い、グーグルのアカウントをもつ者であれば市のどこにいようと端末をとおして個人履歴に基づいて有用とみなされる情報を無料でグーグルから受け取ることができるようなシステムが計画中であることを知るならば、この噂は決して荒唐無稽ではない。パーソナライズされ、その場に応じたサービスが無料で提供されるということは、裏を返せば個人の嗜好や趣味、所在が常にモニターされているということである。これはまさにオーウェルが描いたビッグブラザーではないか。あるいは自分が監視されているかどうか当人が判断できないという状況はフーコーが説いたパノプティコンである。
 本書を読みながら私は「地獄への道は善意で固められている」という言葉を頻りに思い起こした。確かにグーグルの技術は秀逸であり、それによって私たちの生活は豊かになるかもしれない。グーグルの優秀な技術者たちが純粋な善意から新技術を開発していることを私も疑わない。多くの読者は素晴らしい環境の中で新しい技術が次々に開発されるサクセス・ストーリーとして本書を読むことであろうし、記者たちもそのような物語へと収斂させようとしている。しかし私はそのような楽天的な立場をとることができない。ここで示された技術は諸刃の剣であり、コンピュータがかくも固く私たちを拘束する現在、グーグルが蓄積した検索や個人情報収集に関するノウ・ハウは歴史上かつてないほど効果的で残忍な支配の道具となりうるだろう。「グーグル主義者たち」が唱導する利便性や効率性は今や誰も表立って批判できない絶対的な価値である。私自身は多少不便があっても自らのプライヴァシーが尊重される社会の方を好む。しかし少数意見に対する不寛容が蔓延する今日の日本に果たして私の居場所はあるだろうか。
by gravity97 | 2009-11-12 21:47 | ノンフィクション | Comments(0)