Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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0026

私は恥じている。なにを見ても―まったくのところ消えてなくなりたいほどだ。この虚脱、この羸弱は本来私に装飾されるものではなかった。人間が当今までなし得た否定は或るまとまった、完全な、そのものとしてはただそれだけの、謂わば非常に「自己的なもの」に過ぎなかった。人間が嘗て人間を捻り歪み得たとは、誰だって信じてやしない、その癖、それは奇妙な屈辱で…。

# by gravity97 | 2018-07-04 21:54 | PASSAGE | Comments(0)

『百年の《泉》 便器が芸術になるとき』

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 どのカテゴリーで紹介するか迷ったが、このレヴューは京都国立近代美術館における「キュレトリアル・スタディズ」の一環として2017年4月19日から18年3月11日にまで五期にわたって開催された「キュレトリアル・スタディズ12 泉 / Fountain 1917-2017」の記録として今年の4月に発行された「百年の《泉》…便器が芸術になるとき」という書籍を直接の対象としている。マルセル・デュシャンの《泉》が発表されてから一世紀、サントネールを寿ぎ、4階の常設展示室で連続開催されたこの展覧会を残念ながら私は最初の二回しか見ていない。それというのもこの美術館に足を運ぶ機会がめっきり減ってしまったからである。国立美術館が政治的力学の場であり、文化勲章を頂点とする日本の文化的位階性を保証するための施設であることは十分承知しているが、それにしても絹谷幸二の個展はありえないだろう。あるいはしばらく前になるが、ヴァンクリーフ&アーペルの展覧会も無残だった。会場設営に億を単位とする費用をかけたと聞いている。なぜ国立美術館が一私企業の販促戦略に加担しなければならないのか。美術館が富裕層のためのショーケースではなく、市民に開かれた場であるという健全な常識は革命を経験したことのないこの国には通用しないのであろうか。これまでいくつかの展覧会において権威や美術館という制度を批判するラディカルな姿勢を表明してきた同じ美術館に対して、近年大きな幻滅を感じることが多かった。しかしこの一方、傍らの常設展示室を用いて一年にわたってこのような企画を密かに続けた点に学芸員の矜持を感じたのは私だけではないだろう。
 巻頭の「はじめに」に企画の趣旨が簡潔に述べられている。「一年間を五期に分け、5人のゲスト・キュレーターが各展示を担当しました。キュレーターに課した条件は、《泉》を展示することと会期中に必ず《泉》についてのトークをすること、この二つだけです。それぞれのキュレーターが、《泉》を自由に解釈し、ほかのデュシャン作品、あるいはキュレーター自身の作品と組合せ、展示を構成しました」ゲスト・キュレーターは平芳幸浩、藤本由紀夫、河本信治、ベサン・ヒューズ、毛利悠子の5名。ヒューズと毛利の名を私はこの企画を通して初めて知ったが、かつて国立国際美術館の研究員として「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を企画した平芳、デュシャンを彷彿とさせる作品を次々に発表してきた藤本、そしてかつてこの美術館の学芸課長を務め、デュシャンのコレクションの購入に深く関与した河本、私の知る限りでも日本屈指のデュシャンピアンたる三人が関わる展覧会が刺激的でないはずはない。
 表紙から理解されるとおり、展覧会のサブタイトルがハラルド・ゼーマンの「態度がかたちになるとき」のパロディであることはさておき、 One Hundred Years of Fountain(s) が本書の英文タイトルである。ここでは Fountain が複数形であることが重要だ。後で論じる通り、それはこの展覧会によって提起される《泉》の秘密と深く関わっているが、リテラルなレヴェルでも《泉》は複数存在する。この事実を整理できただけでも私にとってはよい勉強になった。すなわち巻頭に図版として掲出されているとおり、《泉》はいわゆる「ヴァリーズ」の中に磁器製ミニチュアとして組み込まれた例を別にしても五つのヴァリエーションがある。最初はいうまでもなく1917年にニューヨークにおけるアンデパンダン展、本書では「アメリカ独立美術家協会第一回展」という表記がなされているため、以下これに準じるが、そこに送られた後、行方不明になった作品であり、アルフレッド・スティーグリッツが撮影した有名な写真が残されている。二つ目は33年後、1950年にシドニー・ジャニスがパリで購入した小便用便器にデュシャンが署名し、シドニー・ジャニス・ギャラリーでの展覧会に出品されたヴァージョンであり、現在はフィラデルフィア美術館に収蔵されている。三番目は1953年に「デュシャンの友人のためのオークション販売にあたり購入された」ヴァージョンであるが、写真を含めた記録が一切残されていないため、その形状やサイズも不明であるという。私はデュシャンや《泉》について書かれた文章をずいぶん読んできたが、このような《泉》が存在することを初めて知った。四番目は1963年ウルフ・リンデによって選ばれ、同年、ストックホルム市内の画廊での回顧展に出品され、翌年、デュシャンによって署名されたという記述からは、おそらく最初、画廊の回顧展には署名のない状態で出品されていた小便用便器に翌年、デュシャン本人が署名(といっても、デュシャンではなく、R.MUTTという「オリジナル」に記されたそれであるが)したうえで現在の所蔵者、ストックホルム近代美術館に収蔵されたことが予想される。そして最後が1964年にミラノのシュヴァルツ画廊がデュシャンの監修のもとに8点のエディション、2点のアーティスト・プルーフ、2点のエキシビション・コピーとして制作したヴァージョンである。京都国立近代美術館が所蔵するデュシャンのレディメイド群はこの折に制作されたものであり、同じヴァージョンはポンピドー・センターやテート・モダンといった世界中の名だたる美術館に収蔵されている。本書の巻頭に配されたわずか5枚の図版(もっとも三番目の《泉》は図版を欠いている)とキャプションを眺めるだけでも、いくつもの疑問が浮かび上がる。ここに列挙した複数の《泉》に果たして「オリジナル」は存在するのか。微妙な形状の差異は作品にとって関与的な要素であるのか。何が作品の真正性を保証するのか。このような疑問を呈することは直ちにデュシャンの罠に取り込まれることである。私はデュシャンの作品の本質は作品を介して、作品ではなく作品を迂回した作品についての語りが誘発されるという逆説ではないかと考える。レディメイドにせよ、大ガラスにせよ、デュシャンの作品は多くメタ・レヴェルにおいて論じられる。今私が列挙した問いも《泉》の視覚的な在り方ではなく、《泉》の観念的な在り方と関わっている。フォーマリストたる私は当然このような作品および作品の批評に対して批判的であるが、デュシャンはこの点に十分に自覚的であり、メタ・レヴェルで繰り出される無数の問いを「答えはない。なぜなら問いがないからだ」と軽々と受け流すはずだ。以前、藤枝晃雄の批評集成をレヴューした際にも論じたが、この意味においても日本を代表するフォーマリズムの批評家、藤枝が一貫してデュシャンに強い関心を抱いていた事実は興味深い。したがってここで《泉》について屋上屋を架す議論は慎むべきとは知りつつ、本書を通読して私もあえてデュシャンの罠に飛び込みたくなってしまった。今述べたとおり、デュシャンはエキシビション・コピーを除いて生涯に14点の《泉》を制作した。最初の《泉》は紛失し、三番目のそれは一切の記録が残されていないから、現存する《泉》は12点ということになる。いうまでもなく小便用便器は作家が制作したものではなく工業製品であるから、この場合、制作とはサインを、それも作家の名とは別のサインを書き加えることにほかならない。この行為を経て、12個の小便用便器が「作品」として聖別された訳である。この状況はミニマル・アートと比較する時、興味深い。カール・アンドレも同様に既製品の煉瓦を美術館に持ち込んで作品として提示した。しかしこの時、アンドレは煉瓦になんら手を加えることはない。煉瓦は美術館の中に置かれても外に置かれても等価であり、アンドレが自身の作品に「共産主義的」とういう特質を見出したことも理解できよう。これに対してデュシャンは世界にあまねく存在する男性用小便器の中から12個のみを聖別して作品化する。この行為によってすべての男性用小便器は「芸術作品としての小便器」とその他の小便器に区別されるのだ。これは一つの行為によって世界を芸術とそれ以外に二分する手法であり、私はそれがきわめてデュシャン的な手つきではないかと考える。デュシャンそして反芸術に対してはしばしば芸術と生活を等価として境界をあいまいにしたといったコメントが寄せられる。しかし逆なのだ。レディメイドは署名という行為によって世界を芸術とそれ以外に二分する。世界を芸術とそれ以外に切り分ける身振りがレディメイドの本質なのではないか。この時、今述べたミニマル・アートとデュシャンの関係にも新たな光を当てることができるのではないだろうか。あるいはこの発想から私は赤瀬川原平の《世界の缶詰》を連想した。知られているとおり、赤瀬川は蟹缶の中身を空けて外側のレッテルを内部に貼り付けたうえで再び缶を閉じて隙間をハンダ付けした。これによって私たちを含む全世界、全宇宙が蟹缶の内部となってしまうという発想はダダ的というか悪ふざけであるが、単純な行為によって世界を二分するという発想自体はきわめてデュシャン的といえないか。
 本書に戻ろう。本書には五つの展示の際に会場で配布されていた資料、会場写真、ゲスト・キュレーターによるトークの内容がいつもながら西岡勉のみごとなデザインワークによって収録されている。したがって実見せずともある程度展示の内容を理解することができるのは嬉しい。平芳による最初の展示は連続展示の初回にあたって、《泉》とその周辺についての情報を過不足なく与える手際のよい内容である。私もこの展示を訪れたから内容を覚えている。展示としては《泉》をはじめとする美術館に所蔵されたレディメイド群が無造作に配置され、《泉》の発表に付随する多くの資料群も展示されていた。「変身」や「箱男」といった配布され掲示された資料のタイトルがおそらくはすべて「レディメイド」であることも本展らしい遊びだろう。平芳によるトークも全文が採録され、展示同様に《泉》についての基本的な情報を伝えるとともにいくつかの興味深い論点を提起している。平芳はFountain の訳語として「噴水」でなく「泉」が適切であると説く。すなわち男性小便器とは「男性器から出される液体を受け止める場所」として女性器のメタファーであるからだ。なんとも身も蓋もない解釈であるが、私はこのような解釈を初めて知ったし、時に女装して性を横断するデュシャンのふるまいや、作品の中で繰り返される射精や精液といった生々しい主題系を考慮するならば説得的であるようにも感じた。あるいはあえて作品を吊るさず台の上に機械的に配置する展示方法がとられたことについても、一種の工業製品のカタログとしてレディメイドを提示しようとしたというキュレーターの意図が説明されている。《泉》をいかに展示するかという問題は重要だ。そして続く藤本と河本はこの点にきわめて意識的である。
 私は藤本の展示も見た。実に刺激的であった。それは《泉》を用いた《泉》に対する新しい解釈である。先に私はデュシャンの罠として、人が作品ではなく作品とは別のことを語ってしまう点を指摘した。しかし藤本の場合は別の何かを語るのではない。作品によって作品を語るという超絶的な試みがなされているのだ。藤本はトークの中で自分とデュシャンの関わりを説きつつ、今回の展示のヒントとなったのが、《泉》と関わるある展覧会のカタログに作品の背面の写真が掲出されていたことであったと明かしている。その写真は今回のカタログにも裏表紙に掲出されている。確かに男性用小便器は立体であるから側面も背面を存在する。しかし私たちはスティーグリッツの写真の印象が強烈であるために正面以外のアングルによる作品の在り方を考えることがない。藤本は一つの補助線を引く。それは《泉》が発表/撤去された同じ年に撮影されたデュシャンのポートレートであるが、通常のポートレートではなく、合わせ鏡を用いてパイプを咥えた5人のデュシャンが映し出されたマルチ・ポートレートである。当時、実際にこのような遊び心に富んだポートレートが流行していたという。私はこの写真を「マルセル・デュシャンと20世紀美術」のカタログ表紙で初めて確認し、そもそもこのような合わせ鏡をこの展覧会の英文タイトルに用いられた Mirrorical Returns と呼ぶらしい。藤本は展示においてなんとデュシャンに倣って《泉》のマルチ・ポートレートを実現する。デュシャン同様に複数化された《泉》の写真はショッキングだ。作家のポートレート同様に実像は後ろ向きに(背面として)撮影され、残りはすべて鏡に映った虚像である。この意味でも英文タイトルにおいて Fountain が複数として表記されることは暗示的だ。デュシャンの作品における鏡の重要性についてはここで論じる余裕がないが、この写真から実に興味深い暗合が浮かび上がる。藤本のトークの中には言及がないから、私はおそらく関連するインターネット上の記事で読んだと記憶するが、鏡像として浮かび上がる写真において映像は反転する。注目すべきはR.MUTTという署名だ。右側に置かれた《泉》においては署名が反転し、TTUM.Rという文字を認めることができる。私程度のデュシャンピアンであっても、ここからデュシャンの別の作品のタイトルを連想しない訳にはいかない。いうまでもなく《泉》の発表の翌年にキャサリン・ドライヤーのために制作された「最後の絵画」、《Tu m’》である。この作品を制作した後、デュシャンは絵画の制作を止める訳だが、《泉》の中にあらかじめその反映が認められるという発見は世のデュシャンピアンたちをおおいに喜ばせることであろう。続く河本による展示とトークもこれに劣らず刺激的である。「誰が《泉》を捨てたのか」と題された展示とトークの中で、河本は《泉》をめぐる時系列を詳細に整理し、さらにそれが実際にはどのように展示されたかを仔細に検証する。興味深いことに「アメリカ独立美術家協会第一回展」に出品された最初の《泉》がいかに展示/撤去されたかについてはいくつかの通説があるが、それらにおいて証言は矛盾し、確定することができない。河本がトークの途中で述べる次の言葉は実に示唆的だ。「20年ほど前に直感した結論、『これらの可能性すべてを一つの便器で担うのは不可能だ。しかし複数の便器があればそれは可能だ』というものでした。ともかく《泉》を一点だけ(ユニークピース)だと考えるから、話が神秘化されるのではないかと思います」ここでも《泉》は複数化される。続いて河本は《泉》がどのように展示されていたかを写真によって確認する。時に吊るされて、時にかなり低い位置に展示された作品の写真を私たちは本書の中に認めることができる。河本の展示においてはこれらの写真が参照され、台上に機械的に配置された平芳の場合とは対照的に、天井から吊るされたオブジェが壁面に影を投げかけている。これが三次元を二次元化するデュシャン的な方法であったことについては、平芳も論じていたが、実は吊るされた《泉》にも多くの謎がある。デュシャンのアトリエに《泉》が吊るされたとすれば「アメリカ独立美術家協会第一回展」の会場からそれが持ち帰られたことを意味する。展示において河本は「2番目の《泉》に酷似した市販品の小便器」をネット通販で購入して吊ってみた。しかし重さの関係で写真に記録されたように吊ることは不可能であり、この写真は合成の可能性があるという。そもそも詳細に検証するならば、吊られた状態で記録された《泉》とスティーグリッツが撮影したそれは細部において形状が異なる。したがって先に引いたように、「これらの可能性すべてを一つの便器で担うのは不可能だ。しかし複数の便器があればそれは可能だ」という結論が導かれるのである。MUTTという署名がモットという小便器のメーカーを一つの起源としていることはしばしば指摘されてきた。しかし河本によれば今なおモット社のどの製品がデュシャンによって「選ばれた」のか特定されていないという。そもそもスティーグリッツの有名な写真自体も合成写真ではないかと河本は妄想を広げる。これはきわめて重要な指摘である。私たちは《泉》が「オリジナル」であるからこそ価値を見出す。芸術として聖別する。しかしデュシャンによって聖別された14個の小便器にそもそもオリジナルという概念が適応できるのか。一方で工業製品は本質的に複数として存在するはずだ。このような混乱を経由する時、トークの末尾における河本の新しい結論はおおいに腑に落ちる。「何が言いたいかというと、《泉》の、常套的な意味でのオリジナルは『なかったのではないか』ということです。デュシャンは複数の《泉》を操ったのかもしれない。さまざまな人が語り、研究し、記述してきた総体が《泉》という作品を作り上げているわけで、オリジナルというかたちで《泉》の実体を探求するのは無意味な気がするのです」
 前半の三つの展示とトークが、本書を読む限りにおいてもいずれもきわめて興味深い内容であったのに対して、後半の二つは私にはあまり面白くなかった。もちろん最初に述べたとおり、それらの展示を実見していないことによるかもしれず、本書を読んでの理解であることを断っておくが、レディメイド群を取り囲むように周囲の壁に自身の研究成果らしいペーパーをむやみに貼り付けたヒューズの展示は、なによりも展示として美しくない。自分はこれだけ勉強しましたという成果をアピールするような印象だ。トークの内容もチェスやら三位一体やらトランスジェンダーやら、いかにもいかにもといった話題の羅列であり、ここで語られたようなことは既に誰かが論じている気がする。ヒューズは最初に触れた「デュシャンの罠」にまんまと取り込まれ、答えのない問いを延々と繰り返しているように感じられる。もちろん興味深い指摘がない訳ではないが、この程度の発見であれば、日本でも東野芳明以来のデュシャン研究の蓄積を顧みるならば、特記に値しないだろう。なにより実際のレディメイドの展示をとおして作品を検証する絶好の機会であるにもかかわらず、そのような工夫が認められないのだ。最後の毛利悠子による展示はどうか。毛利は自身の作品によってこの展示に応接しているから、展示を実見せずに写真だけで批判することはアンフェアかもしれない。しかし展示室を大ガラスに見立てたインスタレーションは会場写真を見る限り全く魅力が感じられない。そしておそらくこれは毛利のみならず、デュシャンにインスピレーションを得たと称する作家たちに共通する貧しさではないかと私は感じた。大樹の下に美草なしというが、私はデュシャンの影響を公言する作家たちの作品に感心した経験がほとんどない。例えば荒川修作と岡崎和郎。瀧口修造のオブジェもそうだ。いずれも明らかにデュシャンの作品を愚直に反映しているが、エピゴーネンの域を出ることがない。この点はかつて本展の企画者の一人である平芳が国立国際美術館で企画した「マルセル・デュシャンと20世紀美術」に足を運んだ折にも抱いた感想である。デュシャンに比べてそのカウンターパートとして名指しされる作家たちの作品が弱すぎるのだ。批評家たちがデュシャンの罠に陥って作品とは無関係のことばかり論じたように、作家たちにとってもデュシャンの顰に倣うことは抗しがたい誘惑であるだろう。しかしデュシャンを直接に引用する作品はその意図ばかりが目立っておしなべて質が低い。逆に例えば次の三人の作家はどうか。アンディ・ウォーホル、カール・アンドレ、ゲルハルト・リヒター。リヒターの《階段のヌード》を除いてデュシャンへの直接の言及はないが(しかも私がリヒターに関してここで想定しているのはこの作品ではなくいわゆるグレー・ペインティングだ)、実は彼らこそデュシャンの遺産を独特に発展させた作品を発表したと考えることができるではないだろうか。アンドレについては先に少し触れた。あとの二人についてここで論じることはしないが、私の考えではデュシャンの教えは20世紀美術において全く別のかたちに展開された時、革新的な意味をもったのであり、展示室内に大ガラスを再現したり、遺作を「モレモレ」などと評して喜んでいるうちは所詮デュシャンの掌の中に収まっている。毛利の作品を実見せずに判断することには批判もあろうが、ここでは今回の展示を契機として以前より考えていたことを書き留めておくこととする。
 本書の巻末には「キックオフ・イベント」についての簡単な説明があり、《泉》の発表/撤去から100年経ったことを祝して、フィラデルフィア美術館をはじめ、デュシャンに関する重要な作品を所蔵する世界中の美術館が祝賀イベントを企画し、♯Fountain100 のハッシュタグで関連画像の投稿を呼びかけたという記述がある。今さらながらこのあたりもチェックしておくべきであったと思う。最後に本書の出版元について触れておこう。どのような経緯があったのかは不明だが、本書はLIXIL出版から刊行されているが、LIXILとはかつてのINAXを含む住宅設備の大手であり、便器を含む衛生器具が商品のラインナップに加わっていることは誰でも知っている。会社名を冠したギャラリーも開設されていたと記憶するから、文化活動にも理解のある企業であろうが、小便器をメインに据えた展覧会の充実したカタログがよりにもよってこの会社から出版されたことに私は思わず微笑した。

# by gravity97 | 2018-06-29 21:46 | 近代美術 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 180627

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# by gravity97 | 2018-06-27 20:17 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

奥泉光『雪の階』

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 「シューマンの指」 「グランド・ミステリー」「東京自叙伝」に続いて奥泉光の小説について論じるのは四回目となる。「日本文学」といった大それたカテゴリーを開設しながら、作家選択の偏向は目を覆うばかりとはいえ、2016年から2017年にかけて『中央公論』に連載された後、加筆修正を加えて今年初めに上梓されたこの小説もまた傑作であり、読了するや私は直ちにレヴューすることを決めた。
 江戸時代から語り起こされた「東京自叙伝」を別にすれば、奥泉の長編は比較的近い過去、具体的には太平洋戦争期もしくは現在を舞台とした作品が多かったが、「雪の階」はそれより少し前、昭和11年の2・26事件前夜を背景としている。私が記憶する限り、物語の中に特定の年記はなく、また作中で具体的に言及される数々の事件が現実に出来したかについてはにわかには判断できないが、昭和初期の風情を濃厚に織り込みながら物語は次第に2月26日に向かって進み、最後の章においては事件の発生とその帰趨が語られる。ただし本書は2・26事件をクライマックスとした歴史小説ではない。強いていえばありえざる2・26、あるいはもう一つの2・26を語る一種の実験であり、私は奇しくも同じ事件を扱った恩田陸の『ねじの回転』というSFを読んだ記憶がある。しかし本書は恩田の小説とは比較にならない格調と重厚さを帯び、さらに奥泉の小説になじんだ読者であればおなじみの物語の形式をとっている。すなわち物語は「シューマンの指」や「グランド・ミステリー」同様に一つのミステリーとして提示されている。物語の冒頭に近い箇所に一つの謎が提示され、読み進むにつれ、曲折を経てその謎が解明される。しかしながらもちろん単純な犯人探しやトリックの種明かしではない。謎が解明されるにつれて登場人物はむしろの謎の中心へと引き込まれ、現実と幻想の境界がおぼろげとなっていく。これもまた奥泉の小説には特有の構造だ。そしてそれは個人的な幻視というより、一つの国家、一つの民族の命運に関する幻視なのである。今回もかなり内容に立ち入って論じるため、先入主なき状態でこの小説を楽しみたい読者には直ちに本書を手に取ることをお勧めする。
 今、幻視という言葉を挙げた。この小説は次のようなパッセージから始まる。

 夕暮れの、一面が濃紫に染まった空の下、焔に炙られ焼け焦げたものか、それとも何かの疾病なのか、どれも一様に黒変した、ひょろ長い灌木とも棒杭ともつかぬものの点在する荒野を一人彷徨い歩きながら、寒草疎らに散るこの冷たい地面の下には、獣や鳥や虫の死骸が折り重なり堆積して居るのだと考えた維佐子は、ふいに湧き起こって耳に溢れた音響に夢から現へと引き戻され、すると突然の驟雨のごとき響きは人々の拍手であり、高さのない舞台では演奏を終えたピアニストが椅子から立ち上がるところだった。

 なんとも不吉な幕開けであり、一体いかなる導入かと感じられもしようが、実はこの冒頭部からして周到な伏線であることは本書を読み終えた時、了解される。私はこの冒頭からかつて愛読した、やはり戦前期を舞台にした別の小説の劈頭を連想した。

 草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ雪嵐が荒涼として吹き過ぎる。はるか高い丘の辺りは雲にかくれた黒い日に焦げ、暗く輝く大地のところどころに黒い漏斗形の穴がぽつりぽつりと開いている。

 いうまでもない。野間宏の「暗い絵」の冒頭である。読み進めるならば、この描写は心象ではなく、ブリューゲルの絵画についての描写であることが理解される。そして「雪の階」の主人公である笹宮維佐子も小説の中で唐突にヒエロニムス・ボッシュの名を口にするから、ネーデルランドの画家という共通項を通じて二つの小説は通じ合わない訳でもない。引用した最後の一文が暗示するとおり、「雪の階」は侯爵邸におけるサロン演奏会の場面から始まる。これに対して、野間の大作「青年の環」の冒頭がやはりオーケストラの演奏後の会堂の描写で始まることはさすがに偶然の一致であろう。今述べたとおり、「雪の階」の主人公は笹宮維佐子という女子学習院高等科に通う20歳の女子学生である。維佐子の父、笹宮惟重侯爵は当時の日本を揺るがせていた天皇機関説を弾劾する論客として自らを売り出し、軍部の黒幕として政界で暗躍することを画策しているが、野望とは裏腹の愚かしい小物ぶりは物語が進行するにつれて明らかとなり、ついには自らが主筆を務める『皇道日本』なる怪しげな新聞をめぐるスキャンダルによって失脚する。しかしながら華族に名を連ねる名家である笹宮家の日常をめぐる記述は当時の上流社会の息吹を伝えて精彩に富む。
 冒頭に戻ろう。維佐子が訪れたサロンで演じられたのはカルトシュタインなる容貌魁偉なドイツ人ピアニストによる演奏会であり、カルトシュタインは人を介して維佐子に封蝋された手紙を渡す。カルトシュタインは維佐子の母方の叔父にあたり、発狂してベルリンに出奔したとされる白雉博允と親交があり、白雉から維佐子のことを聞かされていたという。丁寧に書き込まれた描写から当時の華族の生活、そして数学と碁を愛好し、エラリー・クイーンやヴァン・ダインを原書で読み、人とはあまり交わらぬ維佐子のやや奇矯な性状が浮かび上がる。維佐子の家族関係はやや複雑で母の瀧子は惟重の後妻にあたる。維佐子の実母である崇子は白雉の妹にあたり、維佐子の兄、惟秀も崇子の子、弟の惟浩は異母弟にあたる。このような血縁関係ももちろん内容と深く関わっている。冒頭に近い章に、邸内の温室の中で新たに取り寄せられた食虫植物、ハエトリソウの葉の間に、嬉々として昆虫を投げ入れる維佐子の描写がある。最初は楚々とした印象の維佐子が物語の中で一種怪物的な存在に変貌していく過程は本書の読みどころのひとつであり、自身の蜜で昆虫を呼び寄せては取り込んで消化してしまう食虫植物が端的に維佐子のメタファーであることも読み進めるうちにおのずから明らかとなる。演奏会には約束していた維佐子の親友、宇田川寿子が現れず、数日後、維佐子は欠席を詫びる寿子からの葉書を受け取る。葉書にはなぜか仙台の消印が押されていた。訝る維佐子のもとへ衝撃的な知らせが届く。寿子が旧知の陸軍士官とともに富士の樹海で絶命しているのが発見されたのだ。果たして寿子は陸軍士官と情死を遂げたのであろうか。かくして第一章の末尾においてまず一つの謎が提示される。
 謎があるところには探偵が登場する。第二章から登場する探偵ならぬ女探偵はかつて「おあいてさん」と呼ばれ、維佐子の子守役を務め、今は「東洋映像研究所」で写真家の助手として働く牧村千代子である。自分より三つ年上で数少ない友人である千代子に対して、維佐子は寿子から届いた葉書を示し、仙台と富士の樹海という場所の齟齬を語る。千代子は旧知の新聞記者、蔵原誠治とともに寿子の足取りを追って東北本線に乗り込み沿線で聞き込みを始める。二人の調査によって、寿子と久慈という陸軍中尉が最初に向かったのは仙台ではなく日光ではなかったかという疑いが浮かぶ。重い主題を扱っているにもかかわらず、全編に漂うユーモアもまた奥泉の小説の持ち味だ。千代子と蔵原の珍道中にも微笑を誘う多くのエピソードが書き込まれ、二人の間に次第に恋心が芽生えることもたやすく了解される。死体となって発見された寿子は妊娠していた。寿子が日光近辺を訪れたとするならば、それは病院を訪れて妊娠の判定およびその「処置」を仰ぐためではなかったか。このような推理に基づいて千代子と蔵原は沿線の病院をめぐり、この過程で紅玉院という謎めいた尼寺を知る。一方、維佐子も日光へと向かう。カルトシュタインの誘いを受けて、日独文化交流協会の関係者や新聞記者たちとともに日光への小旅行に同行することになったためである。日光の夜の中で様々な物語が交錯する。ナチズムと日本の国体をめぐる男たちの熱い議論、男女の一夜の逢い引き、そして翌朝、喘息と心不全のために絶命したカルトシュタインの遺骸が発見される。二番目の死である。そしてその夜半、維佐子の兄、宇都宮の陸軍聯隊に赴任しているはずの惟秀がカルトシュタインのいた離れ家を訪問したという真偽不明の証言が残される。
 第三章以降も様々な物語が繰り広げられる。素行の悪さゆえに学習院を放校寸前に追い込まれた維佐子の腹違いの弟、惟浩とその女友達が遭遇した事件、軽井沢での維佐子の見合い。見合いの当夜、見合いの相手そして維佐子と交渉をもった男たちがホテルのカフェに集う様子はさながら一つの小喜劇だ。分身(ダブル)や男色、オカルティズム。奥泉の小説やミステリーでおなじみの主題が次々に物語の中に投入される。何人かの登場人物が突如姿を消し、あるいは事故を装って殺される。ソビエトへ亡命する者やドイツの間諜組織への内通が疑われる者。正体不明の「組織」あるいはスパイの暗躍が噂され、第二次大戦前夜の騒然とした世情を背景に物語はゼロ時間、昭和11年2月26日の雪の朝へと向かって収斂していく。千代子と蔵原らの調査により、事件の核心に紅玉院とその周辺の人物が関与している疑いが強まり、維佐子は自らこの尼寺に向かい、意外な人物と出会うことになる。この小説はミステリーの体裁をとっているから、ここでそれらの詳細については述べない。確かに終盤で宇田川寿子の「情死」をめぐる真相は一応明かされる。一応と述べたのはその真実性については物語の中でも留保がつけられているからであるが、実はこの小説は終盤で一種の転調を遂げる。すなわち私たちが主人公の友人の死をめぐるミステリーとして読み進めていた物語はある時点よりもう一つの謎、主人公たる笹宮維佐子とは何者であるかという謎の探索へと転じるのである。日光で維佐子の写真を撮ろうとした千代子は、生身の維佐子には表情の魅力があふれているにもかかわらず、カメラのファインダー越しに覗いた維佐子が「どんな感情も表出することなく風景の中に突出し、意思なく海中を浮遊する水母のごとく空中に浮かんでいた」ことを発見し、「驚怪の極み」と感じる。あるいは同じ千代子の口を通して語られる幼時の神隠しのエピソード、物語の中に配されたこれらの奇妙なエピソードは奥泉らしい周到な伏線であり、次第にその意味が明らかとなる。読み終える時、本書には主人公をめぐる別の謎が秘められていたことを読者は知ることとなるはずだ。
 最後に例によってこの小説の形式に目を向けておきたい。この小説は三人称で語られ、語り手は全能の話者として安定している。しかし別のレヴェルの話者が登場する箇所が二つ存在する。一つは第五章の冒頭に掲げられた登場人物の一人から維佐子に宛てられた手紙であり、この手紙は寿子の死をめぐる謎に関する「最初の」謎解きという意味をもつ。もう一つは説話論的には必ずしも判然とはしないが、随所に挿入される維佐子の幻視に関わる部分である。最初に示した冒頭部もそれにあたる。確かにそこには幻視したのは維佐子であるという記述があるが、幻視とは当事者のみによってしか確認しえないから、かかるヴィジョンは維佐子によって占有されていると考えてよかろう。最初に述べたとおり、維佐子の幻視は個人的なそれではなく、国家や民族と深く関わっており、端的に日本人の滅亡と再生と関わるヴィジョンなのである。同様の幻視は「神器 軍艦『橿原』殺人事件」そして「東京自叙伝」の中でも語られていたと記憶するが、日本という国家と民族の存在が欧米列強との競争との中で危機に瀕し、しかもこのような危機感が人々に強く共有されていた昭和維新前夜という舞台を得ることによって、維佐子の幻視の必然性と切迫性はかつてなく高められている。しかし本書の中で笹宮侯爵が、青年将校たちが、憑かれたように叫ぶ日本国、あるいは日本民族とは果たして実定的に存在するのか。私は本書の文体こそがそれを批判していると考える。私は奥泉のよい読者ではないが、主な小説は通読している。それらと比べても本書は時代および当時の華族の生活の考証において実に入念であり、相当の準備とともに執筆されたことが理解される。それに見合うかのように文体も重厚で日本語の語彙については相当の自信をもつ私でさえ初めて出会う漢語がずいぶんあった。その一方で明らかに意図的に多用されているのは外国に起源をもつ言葉に対するルビである。もちろん昭和初期の上流階級の生活には多くの欧米由来の品が入ってきたはずであるから、このような表記には一定の必然性がある。しかし明らかに通常であれば片仮名で表記されるような言葉、例えばバッグ、ショール、シャンデリアといった外来語が手鞄、肩掛、装飾灯といった普通は用いない漢語のルビとして当てられている点は明らかに意図的であり、それはやはり例えば尊崇、素志、遭逢といった通常では用いられない特殊な漢語の読みにルビがふられていることに対応している。つまり日本語で執筆されたこの小説文体の形式において日本語が漢語と欧米の外来語のハイブリッドとして成立しているという事実を露わにしているのだ。純粋性と雑種性の対立は本書の隠された主題の一つである。登場人物の一人が主張する貴種の純粋性、それは直ちに神人思想につながるのであるが、その不可能性、すなわち日本という国家、民族、言語が本来的に雑種であるという認識が文字通り語りの形式を通して明らかにされる。小説という枠組の中で、語られる内容と語る形式を乖離させ、それによってメタレヴェルにおける語りの可能性を探求すること、このような一種の超絶技巧を堪能することが奥泉の小説を読む際のいつもながらの醍醐味なのである。

# by gravity97 | 2018-06-18 22:47 | 日本文学 | Comments(0)

「ヌードー英国テート・コレクションより」

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 横浜美術館で「ヌード―英国テート・コレクションより」を見る。3月24日にオープンし、まもなく閉幕するこの展示に対しては既に多くのレヴューが発表されているが、確かに問題提起的で興味深い展覧会であった。「ごあいさつ」には「テートにより国際巡回展として企画された本展は、シドニー、オークランド、ソウルへと巡回し、多くの話題を呼びました。この度、国内唯一の会場となる横浜美術館での開催にあたり、テートの作品に、重要な国内の作品を加え、より充実した内容でご紹介できる運びとなりました」という一節がある。なるほどカタログのさほど長くもないメインテクストはエマ・チェンバーズという「テート学芸員」によって執筆され、横浜における担当と思しき学芸員が展示ではなくて出品作、本展中の白眉というべきロダンの《接吻》について詳細かつ限定的でこれもさほど長くない論考を寄せている。展覧会の企画はチェンバーズによってなされているはずであるから、展示についての総論は避けてあえて各論を寄せた点に巡回館の配慮がうかがえる。このような展覧会を私は植民地主義展覧会と呼ぶ。宗主国の偉大な芸術を瞥見させていただく以上、展覧会の構成や作品解説は宗主国に任せ、植民地の学芸員は展示構成には影響のない範囲で私見を述べ、解説を翻訳することが許される。今や欧米の大美術館の名を冠して日本の大都市の美術館を巡回する展覧会の大半はこのような構造によって成り立っている。そこには展覧会を開催する美術館の創意や巡回館の学芸員の問題意識が介入する余地はない。往々にして展覧会に批判的な新しい切り口を提示する小賢しい学芸員よりも、唯々諾々と展示を受け容れつつ巡回館としてなにがしかのオリエンタリズムを加味する学芸員の方が展覧会の集客には資するから、このような構造は展覧会を主催する新聞社や放送局にとってむしろ好ましい。誤解を受けないように直ちに言い添えるが、私はこの展覧会や学芸員を批判しているのではない。これから述べるとおり、私もこの展覧会を見て多くの発見や思考の深まりがあったし、展示されている作品はさすがにクオリティーが高い。巡回展とはいえ、これほどの規模の展覧会を担当した学芸員の苦労が大変なものであったことを私はよく理解している。先の「ごあいさつ」にもあったとおり、特にこの展覧会では国内所蔵のフランシス・ベーコンを二点加えることによって「より充実した」内容が期せられている。(ベーコンは当初の展覧会では小さなドローイングが数点しか入っていなかったので、国内に所蔵されている油彩画を二点加えた訳であろうが、なぜベーコンなのかについてはどこかに説明があってもよかったのではなかろうか)学芸員たちの努力を評価したうえで、私はなぜかくのごとき植民地主義的展覧会ばかりがこの国に跋扈するかについて問いたいのだ。一つの理由は明らかだ。いうまでもなく商業主義であり、海外の有名美術館の名を冠するならば二流三流の作品を借り出してもある程度の集客は見込める。しかしこの展覧会はそのような粗製乱造のコレクション展とは異なるテマティックな展示であり、内容もよく練られている。それゆえに私はこの展覧会をレヴューしようと考えたのである。私が悔しく感じるのはこの種の展覧会が新聞社や放送局の事業部を経由したコレクション展としてしか実現できないという日本の美術館の惨状である。横浜美術館といえば、日本を代表する美術館の一つと言っても間違いなかろうし、今回の企画に携わった学芸員を含めて多くの優秀な学芸員を擁しているはずだ。そのような美術館が欧米の有名美術館によって企画された展覧会の下請け、いやおそらく、この展示を実現するにあたってテート側に対しては主催する新聞社から多額のギャランティーが支払われたはずだから、むしろこちらから「朝貢」してまでも展覧会の巡回を懇請するという現実こそまさに植民地的だ。美術館として一対一で作品の貸与を要求することを重ねて同じような展覧会が実現できなかったかと夢想する私はあまりにも理想主義的であろうか。日本においてそのような務めを果たす美術館こそが「リーディング・ミュージアム」であるはずだが、昨今、国立美術館を含めて安易なパッケージの「コレクション展」が横行する現実にあらためて暗澹たる思いにとらわれる。
 繰り返しとなるが、私は深い関心とともにこの展覧会をめぐり、作品に触れてさまざまな思考が触発された。たとえ植民地主義的であってもよい作品を見ることができればよかろうという発想もあるが、私が受けた感銘はこの展覧会が名品の蔵出しではなく、しっかりと構成されている点に由来することをあらためて確言しておきたい。実際、いくつかの作品は名品どころか相当にセンセーショナルであり、イギリスを代表する美術館がこのような作品を所蔵していることに驚く。例えばデイヴィッド・ヴォイナロビッチという作家については椹木野衣の『後美術論』の中でホームレス生活の果てに盗品のカメラを用いて制作を始めたというエピソードが紹介されていたと記憶するが、この作家の不穏な作品に私はこの展覧会で初めて接した。あるいは「エロティック・ヌード」と題された章で展示されたロダンとターナーの作品は巨匠の作品でありながら物議を醸したらしい。前者は「肉欲的」と批判され、後者のデッサンにはあいまいながら性交する男女が描かれているからだ。
 少し説き急いでしまった。この展覧会では19世紀中盤のターナーから今世紀のルイーズ・ブルジョワまで130点余の作品が展示されている。したがって展示のテーマは「ヌード」という主題を介して表現の変遷をクロノロジカルにたどることであろう。以下の議論の理解のためにまず8つのセクションのタイトルを掲げておく。「物語とヌード」「親密な眼差し」「モダン・ヌード」「エロティック・ヌード」「レアリスムとシュルレアリスム」「肉体を捉える筆触」「身体の政治性」「儚き身体」タイトルを一瞥するだけで、美術におけるヌードに対する関心の変遷がおぼろげにうかがえよう。ケネス・クラークが裸体をnudeとnaked に区別したことはよく知られているが、展示された作品の多く、すなわち20世紀美術における裸体表現は理想化された身体としてのnude ではなく、衣服をはぎ取られた裸体、naked として表現される場合が多い。私たちにとって衣服のない状態というのは異例であり、したがって美術家がnakedとしての裸体を表現する時、そこにはなんらかの理由が必要とされるだろう。近代以前であれば理想の身体、nude を提示するという意味がありえたが、この展覧会はタイトルにもかかわらず、理想の身体としてのnude にはあまり関心がないようだ。このように考える時、この展覧会を見る一つの視点が開けよう。すなわちいかなる理由によって彼、あるいは彼女は衣服のない状態で表象されるのかという問いである。今、「彼、あるいは彼女」と表記したが、まずこの点について触れておこう。なぜならジェンダーというバイアスに関して、裸体という主題には明確な非対称が認められるからだ。すなわち裸体として描かれるのは圧倒的に女性が多い。しかし20世紀以降、男性の裸体もしばしば表現されることとなった。これは美術史においても例外的な事態であり、いささか粗い議論であるが、裸体という主題に関して20世紀美術においては一方で理想化されたnude から現実としての naked へという変貌、もう一方で女性によって占められていた裸体表現が男性にも広げられる状況が認められる。繰り返しとなるが、人がnaked という状態で表現される理由の変遷を追うことは20世紀の美術史における私たちの関心の所在を確認することでもある。例えば先にも触れた「エロティック・ヌード」のセクションであれば、この問いに答えることは容易だ。そこで表現された人物たちが衣服を身につけない理由は端的にセックスするためである。今回展示されている《接吻》の制作がロダンに依頼された際の条件は「リュクサンブール美術館所蔵のオリジナルと完全に同じ」で「男性性器を完成させること」であったという。あるいはピカソのエッチングにはピカソの作品においておなじみの獰猛な女性性器が描き込まれている。このセクションに分類される作品がロダン、ターナー、ピカソといったビッグネームが多いことは象徴的であり、さらに現代の巨匠、デイヴィッド・ホックニーの同性愛をモティーフとした作品、女性優位を主題としたルイーズ・ブルジョワの作品も含められている点に性に関する当世風のポリティカル・コレクトネスを認めることができるかもしれない。実は私は昨年の夏、テート・ギャラリーを訪れ、ちょうど開催されていた「クイアー ブリティッシュ・アート 1861-1967」という展覧会を見ている。 queer とは変態、狭義ではホモセクシュアルを指す。この展覧会は時代的にも内容的にも今回のヌード展と重なり、ホックニーやシルヴィア・スレイなど出品作家の一部は重複していた。もはや欧米では異性愛以外の性交渉、あるいは複数的な性の表象が公然と認められているということであろうが、それにしてもイギリスを代表する大美術館がクイアーをタイトルに冠した展覧会をごく普通に開催するという点に美術館の公共性をめぐる彼我の意識の差を強く感じた。これから述べるとおり、この展覧会もかなり過激な内容をはらんでいるが、私は昨年の展覧会を見ていたから、抵抗なく各セクションをめぐることができたのかもしれない。
 最初の二つのセクションにおいて裸体が導入された理由はわかりやすい。「物語とヌード」においてはその名の通り、神話や伝説において裸体が主題とされる情景が描かれている。ウィリアム・エッティとジョン・エヴァレット・ミレイという二人のイギリス人画家は窃視(この主題からはレンブラントの有名なバテシバ像も連想されよう)や騎士伝説という主題の中で女性の裸体を導入した。しばしば男性の欲望の対象とされるこのタイプの裸婦の歴史は長く、私たちが見知ったヌードの原型ともいえるだろう。アダムとイヴ、あるいはイカロス伝説、このほかにも出品された絵画にはテクストが先行し、よく知られた物語が同伴する。これに対して「親密な眼差し」のセクションでは日常の中の裸体が描かれる。沐浴や入浴、あるいは寝室といった場面で私たちはしばしば裸体を目にする。物語から日常へという作家の関心の変化は印象派の画家たちの問題意識と軌を一にしている。実際にこのセクションにはドガやルノアールの作品も含まれ、そのほか大胆な構図や入り組んだ視線という点で、入浴をモティーフとしたボナールの二点の絵画も興味深い作例である。印象派の画家たちが比較的富裕な層をモデルとしたのに対して、ウォルター・リチャード・シッカートという画家は売春が暗示される情景を描き、ヌードという問題に社会性を導入している。裸体と暴力の関係は20世紀においても美術家にとって重要な主題となる。このセクションに登場する裸体が全て女性である点にも注意を促しておきたい。
 続く「モダン・ヌード」においてモダニズム美術の系列における裸体が検証される。モダニズム美術における裸体の重要性はピカソの《アヴィニョンの娘たち》を連想するならば明らかであるが、展覧会にはこの系譜に位置する多様な作品が出品されていた。例えばダンカン・グラントという未知の作家による入浴する女性の立像はピカソにも影響を与えたアフリカ彫刻を強く意識させる。ブルームズベリー・グループに属するヴァネッサ・ベルやヴォーティシズムを提唱したウィンダム・ルイス、ウィリアム・ロバーツ、さらにその影響を強く受けたであろうデイヴィッド・ボンバーグといった画家たちの抽象化された裸体は私にとって初めて見る表現であり、これらの作品はフランスの外部におけるモダニズム絵画の深化を検証する意味において興味深い。この展覧会に出品された彫刻は多くもこのセクションに属す。ヘンリー・ムーアとバーバラ・ヘップワースという戦後を代表する彫刻家がイギリス出身であることはこの展覧会の主題の設定と関わったかもしれないが、彫刻におけるモダニズムはさらに検証されるべき課題だ。このセクションにおいては絵画、彫刻いずれの領域においても裸体は抽象化され、分析的に扱われている。しかしそれがヌードである必要は必ずしも認められないように感じた。裸体という特殊なモティーフはモダニズムにとって必要な条件ではない。モダニズムの文脈に裸体が持ち込まれる場合、《アヴィニョンの娘たち》のように形式的な実験の素材として用いられ、ルイスのヴォーティシズムやムーアのバイオモルフィスム、裸体は常に造形的な実験とともにある。
 展覧会は先に触れた「エロティック・ヌード」のセクションをはさんで「レアリスムとシュルレアリスム」というテーマに移る。シュルレアリスムも身体の変形という実験と関わっており、マン・レイのソラリゼーションとハンス・ベルメールのオブジェはこの問題に連なる。一方でデ・キリコやポール・デルヴォーといったよく知られたシュルレアリストが描くのは夢の光景であるから裸婦が登場しても不思議はないが、セクシュアルな含意が希薄なこともあり、それらの裸体(デ・キリコの場合はトルソ)はさほど紊乱的な印象を与えることはない。むしろマン・レイやベルメールの触覚的でフェティッシュな作品こそが、展示の後半で紹介される不穏な作品とつながっていくように感じられる。このセクションにはレアリスムとしてスタンリー・スペンサーら数名の作家が含まれているが、彼らの表現は理想の肉体、肉体美の追求とは逆にあまりにも現実的、あえていえば醜悪だ。それはnude というより肉塊、fleshであり、この意味で「Paint As Flesh」という英語タイトルが付された題された次のセクションに分類された方がよかったのではないだろうか。イギリスにおける代表的なヌード作家として私がまず連想するのはルシアン・フロイドであるが、このセクションにはフロイドに加えてベーコン、ヴィレム・デ・クーニングといったまさに肉塊を提示する画家たちの作品が収められている。彼らほど知られていないがセシリー・ブラウンの大作は激しいタッチで抽象化された画面のここかしこに広げられた足や口らしきエロティックなイメージがちりばめられ、《布きれの側に佇む》と題されたフロイドの作品においては筆を拭ったとおぼしき無数の布切れを背景に立つ女性が描かれている。この時、拭うという言葉が暗示し、皮膚と布切れを結ぶのは触覚性である。ここではカンヴァスそして絵具が皮膚の提喩とされている。ほかのセクションにおいては神話や伝説の視覚化、造形的な実験、あるいは性愛の表現といった目的に応じて裸体がコノテーション(共示)として導入された。これに対してこのセクションのみ、絵画と一体化したいわばデノテーション(直示)としての裸体が表現されており、この点でこのセクションは展覧会の中でも異質かつ重要である。別の言い方をするならばほかのセクションにおいては絵画に裸体が描かれている。しかしこのセクションにおいて絵画はそのまま裸体なのである。皮膚としてのカンヴァス、器官としてのオブジェ、あるいは体液としての絵具、このセクションを経由することによって例えばフォンタナやエヴァ・ヘス、あるいはアナ・メンディエタらの表現が可能とされた。この展覧会において最も多産なセクションと考えることができよう。
 続く「身体の政治性」のセクションでは別の主題、裸体が召喚される別の理由が提起される。それは身体を介して確認される性差であり、当然フェミニズムの問題が介入する。実際にハンナ・ウィルケやジョー・スペンスの作品はしばしばフェミニズムとの関係で語られてきた。裸の女性はしばしば正面から私たちを見つめ返して、男性による性的な凝視、gazeに対抗する。ロバート・メイプルソープはリサ・ライオンのヌードを用いて性差の越境を試みるが、(本展には出品されていないが)同じ作家がほぼ同じポーズを男性にとらせてサドマゾ的、ホモセクシュアルなポートレートも発表していることは記憶されてよい。そしてフェミニズムの問題とは直接結びつくものではないが、シルヴィア・スレイとバークレー・ヘンドリックスという私にとって未知の作家によって描かれた二つの男性ヌードも衝撃的である。白人と黒人という違いはあるが、いずれも伝統的なオダリスクのポーズをとり、男性器が強調されている。女性のヌードであれば何気なく見過ごされるイメージが、男性によって演じられることによってショッキングな印象を与える。とりわけ後者は正面から描かれたパイプを持った全裸の黒人男性が観者と直接に視線を交わすことになる。そしてこの絵の中にはもう一つの視線の交差がある。モデルが座る長椅子にはシャツがかけられているが、そのシャツにプリントされた女性の顔は黒人男性のだらりとした性器に向けられている。ジェンダーに加え、ここには人種というバイアスが介入する。ヌードにおいて白人女性が占めてきた主役の位置にあえて黒人男性を配し、従来であれば白人男性が占有していたgazeの主体に白人女性を置く転倒は明らかに意図的である。白人女性のヌードであればたやすく受容された gazeはなぜ黒人男性のヌードの前でははねつけられるのか、私たちは作品を前に自問する。本来ならば安逸な主題であるはずのヌードをテーマとした展覧会でありながら、展示をめぐりながら私たちはしばしば当惑し、居心地の悪さを感じる。いや、そもそもヌードとは安逸な主題なのであろうか。この展覧会のメタ性が明らかになるのはこの点だ。この展覧会はヌードの展覧会ではなく、ヌードについての展覧会なのだ。
 最後の「儚き身体」は写真作品を中心に構成されているが、何を主題としているのか私はよくわからなかった。英文タイトルの「The Vulnerable Body」のvulnerability とはひと頃大江健三郎がよく用いた言葉ではなかったかと記憶するが、日本語に訳すならば「傷つきやすさ」という意味であり、「儚さ」とはややニュアンスが異なる。シンディ・シャーマンやトレイシー・エミンといった日本でも比較的知られた写真家の作品は確かに傷やトラウマ、一種のエフェメラと結びついており、出産直後の女性を撮影したリネ・ダイクストラの写真はこの意味において象徴的な図像といえるかもしれない。そしてこのセクションで表象される身体がほとんど女性のそれである点には注意が必要であろう。ここでもvulnerability は明らかに女性性と結びついており、この展覧会に一貫するフェミニズムの視点を反映している。このセクションの作家には女性が多い。すなわちここで紹介されるのは女性によって撮影された vulnerable な女性のヌードなのである。この時、私は作者の性別も重大な作品の函数であることを知る。かつて浅田彰はしばしば主題の類似性が取り沙汰されるナン・ゴールディンと荒木経惟の作品を比較して、前者を評価、後者を否定した。最近話題となったモデル女性による荒木への告発の当否はともかく、作者の属性が作品の本質と関わるというきわめて刺激的な事実もまたヌードという主題によってあぶり出されるのだ。
 ヌードを主題としているからではない、ヌードを口実として20世紀美術の核心と関わる問題が次々に提起されるがゆえに、この展覧会は充実しており、刺激的であった。私が接した限りレヴューも大半が好意的で、企画の意図をよくとらえていた。いくつもの過激な表現が展示されているにもかかわらず、少なくとも今のところ、大きな問題が発生していないのは、横浜という開明の地に立地する美術館であるからだろうか、いや、そうではあるまい。ヌードが問題とされた訳ではないが、この美術館でもかつて高嶺格の作品をめぐって検閲的な事案が発生したと私は記憶している。今回の展示が比較的平穏に受け容れられた一つの理由は「英国テート・コレクションより」というサブタイトルにあるのではないか。イギリスの大美術館のコレクションであるから醜悪でも猥褻でもない、「芸術」であると来場者が安堵するからではなかろうか。そして美術館側も自分たちではなく、宗主国たる「テート学芸員」の責任による企画であると弁解が可能かもしれない。優れた展覧会に対して、このような斜めから見たコメントを与えることは、私が意地悪なせいであろうか。しかしかかる教化を進んで受け容れる美術館と観衆のメンタリティはまさに植民地のそれではないか。

# by gravity97 | 2018-06-09 22:11 | 展覧会 | Comments(0)