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 「未来のエリートとの対話」というサブタイトルが付された本書は佐藤優が灘高校の生徒たちを招いて三年にわたって続けた対話というよりも講話をまとめた内容である。原著は一昨年刊行されたらしいが、文庫化されたタイミングで読む。

 佐藤によるあとがきにもあるとおり、エリートという言葉は日本ではどちらかというと否定的なニュアンスで用いられる場合が多い。しかし何をもってエリートと定義するかは難しく、それはこの数年強く実感される。例えば高級官僚、クオリティペーパーの記者たち、有名大学の教授たち、これらは通常エリートに分類される階層のはずである。しかし現在の政権下ではもはや日常となった官僚たちの醜行、記者たちの阿諛、学者たちの忖度を目にするにつけて、私たちが理想とするエリートと日本の現実の「エリート」との落差に目がくらむ思いがする。本書を読むとその理由が理解できるし、おそらくそれこそが佐藤が「未来のエリート」である灘高校の高校生たちに三年にわたる時間と労力を費やして伝えようとした真実の核心であろう。ここで注意しなければならないのは、聞き手たる高校生たちが「未来のエリート」であるのは決して彼らが厳しい受験戦争の勝者として最難関の高校に入学したこと、佐藤の繰り返す言葉によれば「日本における偏差値上位0.1%」に属するからではない。まえがきで興味深いエピソードが語られる。通常であればこの種の仕事を引き受けることがない佐藤がこの対話に応じることになった理由とは、佐藤が高校時代に私淑した進学塾の講師が同じ灘高出身であったことであるというのだ。灘高から東大理Ⅰに進学し、修士号をもっていたこの講師は進学塾の授業のうち60分を通常のカリキュラムに費やした後、30分を使って数論や非ユークリッド幾何学といった受験とは直接関連しない高度な内容の授業を行った。しかしそこに通う一部の生徒の親から塾に苦情が届き、佐藤以外の生徒たちは受験に直接関わる授業を行うことを求めた。このため講師は入試対策だけを目的とした授業へと切り替えることを余儀なくされたが、佐藤と講師の親交は以後も続き、佐藤は講師の下宿に出入りしては数学や英語のみならず、経済学やドイツ語の手ほどきを受けた。大学教育には否定的であったこの講師が灘中と灘高時代については楽しそうに話していたことの記憶がこの講話の直接のきっかけとなったというのだ。短いエピソードであるが、ここには学歴とエリートの本質的な乖離が露呈しているように感じられた。灘高には先輩を訪ねて意見交換する行事があり、今回の講話も(佐藤は灘高出身者ではないから異例ではあるが)その一環として実施されたという。東京大学に入ることだけを目指すのであれば、わざわざ東京に出向いて初対面の相手から話を聞くような非効率的な作業は数論や経済学の手ほどき同様に必要ないはずだ。しかしこのような行事をカリキュラムに組み込むことに高校の懐の深さというか、エリートを育てようとする意識が認められる。もちろん灘高にも大学入試だけを目的に日々を過ごす生徒たちは多いだろうが、そのような狭い視野からはエリートとしての素地を得ることはできない。そもそも自ら語るとおり、きわめて破天荒な高校生活を送り、東大受験に失敗して同志社の神学部に入学したという経歴をもつ佐藤自身もいわゆる学歴エリートではない。

 初回の講話で佐藤はこれまでの半生を振り返る。私は佐藤の著書をかなり読んできたからここで語られるエピソードはたいてい知っていた。浦和高校という名門校に学び、高校時代に東欧を一人で旅行した冒険が佐藤の原体験となる。(この旅行についても最近、旅行記としてまとめられたが私は未読だ)同志社で神学を学び、フロマートカというチェコの神学者の研究を志し、チェコへ留学するために外務省にノン・キャリアとして就職する。その後様々な曲折を経て、ロシアを専門とする外交官としてソビエト崩壊に立ち会い、外務省の暗闘に巻き込まれ鈴木宗男事件に連座して背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、東京拘置所で512日を過ごし、以後、旺盛な執筆活動を続けていることは知られているとおりだ。私が佐藤の著作を愛読するのは、まさに真のエリートとしての矜持と恐るべき教養が言葉の端々にうかがえるからであり、その彼がエリートとは何かについてわかりやすく論じた本書をこれまで読み落としていたことはむしろ意外であった。

 最初に記したとおり、本書を読むと真のエリートとは何か、そしてそれを育成するシステムが現在の日本ではほとんど機能していないことがよく理解できる。ここに収められた講話は三年にわたって実施され、対象となる灘高生は毎年異なる訳であるが、佐藤が繰り返して強調するいくつかの点がある。まず佐藤が説くのは受験勉強の重要性だ。佐藤によれば日本の高校教科書はレヴェルが高く、例えばアメリカのそれと比べても優れているから、受験のために得た知識は意味がある。しかしそこには逆説がある。佐藤は早稲田大学や慶応大学で学生たちに対して歴史の教科書に大書される歴史的事象が発生した年代を尋ねた。恐るべきことにほとんどの学生がまともに答えることができなかった。なぜか。それは「(学生たちが)受験勉強には意味がないと思っており、人間は意味がなくて嫌いなことは長時間記憶することができない」からだ。逆の例を挙げよう。アメリカの大学入試問題のレヴェルは日本の高校入試と比しても低いほどの水準であることを高校生たちも認める。しかしそのレヴェルの学生たちが6年後には日本の大学を卒業した者が及ばないほどの知識と学力を備えるのである。ここからは日本の高等教育、大学教育の欠陥が透けて見える。この問題は現代の日本におけるエリートの不在と深く関わっている。佐藤によればエリートが備えるべき教養とは文系と理系を横断する。佐藤は文系でも偏微分と重積分の知識、理系であれば歴史についての理解は最低限必要であると説いたうえで、ヨーロッパの外交官や知識人はラテン語のみならずギリシャ語を解すが、アメリカでギリシャ語に堪能なエリートは少ないというディレッタンティズムを披歴する。近年の日本の大学における教養部解体という動向がかかる教養の蓄積に逆行することはいうまでもない。さらに悲惨なのは大学院である。佐藤によれば大学入試と大学院入試を比べた場合、圧倒的に大学入試の方が難しく、大学から大学院に進んで知識を積み重ねていくという当たり前の構造が現在の日本においては完全に壊れている。このため東大卒か京大卒の学歴が欲しいが、全然そのレヴェルに達していない者が東大や京大の大学院に入って最終学歴を塗り替えるという状況が発生し、佐藤はこれを「学歴ロンダリング」と呼ぶ。私もこの点は実感している。それが端的に示されるのは博士論文の質の低下である。博士論文は原則として公刊されるから、入手することは比較的容易で、実際にこのブログで応接したいくつかの研究は博士論文を原型としている。わざわざここで論じている以上、私はそれらの研究を評価している。しかし果たしてそれらは博士論文と呼ぶに耐えるだろうか。この点は欧米の大学に提出された博士論文を原型として日本語で発表された研究と比較するならば一目瞭然である。文部科学省の意向が強く働いていることは間違いないが、大学教育の厚みが全く異なるにもかかわらず、博士論文の数だけをむやみに競う風潮は真の学知からほど遠い。

 講話自体が2013年に始められたこともあり、本書において現在の政権についての分析は必ずしも十分ではない。高校生が相手であるから生々しい話題は意図的に回避されたかもしれない。しかしエリートや教養といった主題に照らすならば、現在の政権の愚劣さもまた明らかである。安倍政権の本質は反知性主義であり、佐藤によればそれは必ず「決断主義」として現れる。「決められる政治」というスローガンだ。安倍や麻生の知性の欠落、人格の卑しさについては今さら多言を要さないが、反知性主義に染まったこの政権は文部科学省と一体となって大学と大学院という学知の拠り所を解体しようとしているのではないだろうか。本書の中にはこの状況を象徴するピエロのような人物が何人か登場する。安倍政権のもとで当時、内閣官房副長官補を務めていた外務省の出世頭、兼原伸克なる人物が著した「戦略外交原論」という本には宗教改革がイタリアで始まり、名誉革命の結果、マグナ・カルタが成立したといった珍妙というか単なる事実関係の誤りが随所に認められるが、この書物は出版社の校閲を経て日本経済新聞出版社から刊行されているという。このような人物が日本の外交戦略を立案しているのだ。あるいは佐藤が「日本型エリート」の典型として語るのは山口真由という「東大主席弁護士」である。三回生時に司法試験に合格するほどの「才媛」である彼女は東大の卒業必要単位をあえて二単位多く取るというなんともせこい方法で「首席卒業」して財務省に入省するが、このキャリアでは片山さつきレヴェルにしかなれないと気づいて弁護士に転業したという痛いエピソードが紹介されている。本書から離れても今やこのような「エリート」を何人も挙げることが出来る。例えば財務省のセクハラ高官、官邸のスポークスマンを演ずる「公共放送」の女性記者、人材派遣会社のトップとして政府の諮問会議を仕切る大学教授。私たちは政権と癒着する醜悪な「エリート」ばかりが幅をきかせる社会を目にしている。そしてその一方、日本の学校教育のシステムの中では真の教養を身につけたエリートたちを育成することはますます困難となっている。かつてティモシー・スナイダーの『ブラッドランド』について触れた際、ソビエトがポーランドに侵攻するにあたって知識人層を絶滅する「斬首作戦」を断行し、人民を奴隷化した事実があったことを指摘した。クメール・ルージュも然り。独裁者や強権的な政権は知識人を嫌う。首相の盟友が大臣を務める現在の文部科学省は政権の走狗であり、彼らが政策として日本から教養をもった真のエリートを意図的に根絶しようとしていることはおおいにありうる。しかしエリートを失った国が早晩滅ぶということも忘れてはならない。本書においても述懐されるとおり、佐藤はモスクワの日本大使館に勤務時にソビエト連邦の崩壊を経験した。佐藤は生徒から仕事のモティベーションを問われ、「国家の崩壊を招いてはいけないと思ったこと」と述べている。おそらく佐藤が「未来のエリート」たちに向けてメッセージを残そうとした背景には同様の危機感があったのではないだろうか。

 それでは教養を身につけるにはどうすればよいか。佐藤はきわめて単純な指針を示す。まず自分の意志をもつこと、よい先生を見つけること、そして切磋琢磨できるよい友達を見つけることである。確かに佐藤は最初に触れた進学塾の講師をはじめ、生涯に多くのよき先生と出会っている。それについては他の著作に詳しいし、よい友達についても佐藤は著作の中で多くの頁を割いて語っている。佐藤は幸運であったが、幸いにもこの三つの指針に倣うことは私たちにとって東京大学に進学することよりはるかに容易だ。学歴ではない、真の教養、真のエリートはそこから始まるのだ。この講話は2013年から15年になされた。すでにこの時点で佐藤は安倍を典型とする世界的な反知性主義の高まりを背景に「世界のトレンドは戦争に向かう」と喝破している。しかし優秀な情報分析官であったはずの佐藤でさえ予想も出来なかった事態が出来してしまった。アメリカへ留学することへのアドバイスを求められた佐藤はヒラリー・クリントンのアメリカを体験することは意味があると答えている。佐藤の予想は外れ、今や私たちはドナルド・トランプのアメリカに翻弄されている。トランプと安倍、まことにお似合いというべき知性も品位も(佐藤がエリートの条件として説く)「ノブレス・オブリージュ」も徹底的に欠いた「指導者」たちと彼らを取り巻き、見苦しいふるまいを続ける「エリート」たちに対して「未来のエリート」たちは決然と抗することができるだろうか。もちろん同じ問いはエリートではないが、それなりに自らの仕事に責任を負う私たち全てに対しても問われている。


# by gravity97 | 2019-06-18 20:34 | 思想・社会 | Comments(0)

塚原史『ダダイズム』

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 シュルレアリスムに比べてダダイスム(このレヴューではフランス語の読みを採用する)についての概説書や研究書は少ない。後で述べるようないくつかの理由が関係しているだろうが、昨年、岩波現代全書の一冊として刊行された本書はこのような空隙を埋めるだけではなく、グローバリズムが喧伝されるこの時代にまさに時宜を得て刊行されたといってよいだろう。副題の「世界をつなぐ芸術運動」とは端的にグローバリズムの嚆矢をこの運動に求めていることを暗示しており、確かに旧大陸と新大陸、さらに東欧や南米といった周縁地域にまで派生して独自の深化を遂げた運動を私たちはほかに想像できない。おそらく唯一比肩しうるのはパフォーマンスであるが、パフォーマンスもまたダダイスムの中に一つの起源を有することを想起する時、この連想は意味をもつだろう。本書でも言及される2005年、ポンピドーセンターなどによって企画された「ダダイスム」展がチューリッヒ、ベルリン、ハノーバー、ケルン、ニューヨーク、パリとなんと六つもの都市をタイトルに冠していたことも思い起こされる。コンパクトではあるが問題意識と知見において最新の成果を反映させた本書はこの運動について知るための格好の導入といえるだろう。

 「はじめに」において塚原はダダイスムのいくつかの特性を列挙する。今述べたとおり、ダダイスムは発生するや驚くべき速度で世界中に広がり、ネットワークを形成する。運動の広がりとその速度という点においてダダイスムは美術史においても特記に値することを私は本書を通読してあらためて認識した。今述べた展覧会のカタログの冒頭に次のような言葉があるという。「ダダイストたちが大成功を収めたのは、遠距離をものともせずに多くのつながりを作り出し、あるいは維持するために、当時の新しいコミュニケーションの手段を活用して、さまざまな国籍の芸術家たちの真のネットワークを構築しようと思いついたからである」美術や思潮の伝播という主題が論じられる場合、伝播の内容が問われることはあっても、伝播の手段が問われることは稀であるが、後でも論じる通り、私は速度と媒体という主題は以後の美術を考えるにあたってもきわめて示唆的であるように感じた。

 1910年代から現代までのダダイスムの系譜を論じる本書においてはまず序章において、ダダイスムが成立する前後の状況、端的に第一次世界大戦で深く傷ついたヨーロッパにおいて、従来の価値観を全否定する発想が生まれ、やがてチューリッヒのキャバレー・ヴォルテールに集ったフーゴ・バルやトリスタン・ツァラといった若者たちによってダダイスムとして結晶していく過程が粗描される。諸説ある「ダダ」の語源についてもリヒャルト・ヒュルゼンベックとトリスタン・ツァラがそれぞれ命名者であるという説が簡単に紹介されるが、塚原はいずれかの説に与する訳ではない。私が重要と考えるのはこの言葉が明示された最初の例が雑誌「キャバレー・ヴォルテール」誌上のバルの序文とツァラとヒュルゼンベックによる「同時進行詩」においてであったという指摘である。雑誌というメディアとこの運動の親和性が暗示されているからだ。新しい運動が成立する際には誰がそれを命名したかという点がしばしば問題とされるが、マン・レイやマルセル・デュシャンが「ニューヨーク・ダダ」を創刊するにあたって、ツァラに「ダダ」という言葉の使用許可を求めたというエピソードが紹介されている。ツァラは「ダダはすべての人のものなのです」と応えたという。かかるダダイストたちの鷹揚さは分派と除名を繰り返したシュルレアリスムの党派性と大きく異なり、両者の関係を論じるうえでも興味深い。作品性や造形性が担保されたシュルレアリスムに比して、ダダイスムとは端的に一つの姿勢であり、外形的に判定することが難しかったということであろうか。

 続く第一章ではダダイスムの主要な作家、トリスタン・ツァラが焦点化され、彼の閲歴を追うかたちでダダイスムの展開が論じられる。ルーマニア生まれのツァラは日本ではまだ本格的な研究が進んでいないように思われるが、明らかに1920年代のヨーロッパの芸術家たちの結節点であり、彼の交遊の範囲にはダダイストのみならずピカソやアンドレ・ブルトン、あるいは「アブクトラクシオン・クレアシオン」の作家たち、さらにはレーニンまで含まれているという。そしてツァラはあくまでも詩人であった。音響詩や同時進行詩といった意味を欠いた、まさにダダ的な作品も多く発表しているとはいえ、ダダイスムの創始者の素養が文学に向けられていた点はダダイスムの可能性と限界をともに画定したように感じられる。ツァラとシュルレアリスム、ツァラとブルトンの関係は相当にデリケートであるから、本書の短い記述を鵜呑みにはできないとはいえ、少なくとも当初において両者の関係は悪くはない。本書では音響詩などと並んで「帽子の中の言葉」というダダ的な作詩法についての言及があるが、これがシュルレアリストたちの「美妙な死体」の原型であることは明らかだ。両者の関係については今後さらに研究が深化されることを期待したい。

 先に本書には最新の知見が反映されていると書いたが、第二章の「『ダダグローブ』と複数のダダイスム」においてはまさにこれまで論じられたことのない主題が扱われる。この章ではダダイスムの語法としてコラージュに遡る偶然性の導入の問題が論じられるが、この点はダダイスムと造形の関係と関わるので後で論じることにして、まず私たちが注目すべきはツァラによって1920年頃にパリで企画された「ダダグローブ」なるダダイスムのアンソロジーである。少なくとも私はこのような試みを本書で初めて知った。このアンソロジーについては先に少し触れたダダという言葉の使用許可と関連してニューヨークに送られたツァラの書簡の中に言及があるが、現実には発行されていない。ダダイスムの研究家として知られるミシェル・サヌイエの調査を通して、1964年にツァラの書斎からその原型と呼ぶべきフォルダーが発見されてその全貌が明らかになったとのことであるから、関係者や研究者の間では既知の事実であったかもしれないが、私は本書でその存在を初めて知り、2016年にチューリッヒのクンストハーレで展覧会が企画された際に再構成された資料集がようやく刊行されたとのことである。この問題の重要性はそこに想定されていた寄稿者たちの広がりに求められる。東欧とロシアを含むヨーロッパはもちろんアメリカ、インド、チリといった地域の作家が寄稿者として想定されていた。逆に言えば、既にこの時点でツァラはこのような人的ネットワークを確立していたのであり、私がここから連想するのはフルクサスの活動だ。私はダダイスムとフルクサスがかくも広く世界的なネットワークを構築できた理由は、本質的に造形を目的としていない言語的、詩的な運動であったことに求められるのではないかと考える。両者は言語を介して容易に世界に拡大する。その際に主要な手段となったのは雑誌であった。「391」あるいは「291」、美術館において雑誌が作品と参考資料の中間とも呼ぶべき独特の意味とともに展示に加えられるようになったのはダダイスム以降ではないか。日本でこの位置を占めるのが、村山知義らによる「MAVO」というやはりダダイスムの洗礼を受けた雑誌であったこともこれを傍証する。印刷技術の発達、写真製版の成立、あるいは郵便制度の発達といった技術的な問題と関連してこの主題はさらに深められるべきであろう。これらの雑誌がなければダダイスムはこれほどの広がりを示しえなかったのであり、新しい表現を伝達する媒体としてのリトルマガジンの可能性は例えば1950年代に日本の具体美術協会が自らの機関誌を世界中に発送して、その存在を告知しようとしたという事実へとつながっていく。

 続く「大陸を超えるダダ」の章は「大洋を超えるダダ」とした方がよかったのではなかろうか。予想されるとおり、主として論じられるのはマン・レイとデュシャンというニューヨーク・ダダ、さらに南米におけるダダイスムの展開である。ニューヨーク・ダダについてはヨーロッパのダダイスム以上に情報が多く、この章で語られるマン・レイとデュシャンのエピソードの多くについて、私は既に知っていた。塚原は美術の専門家ではないため、本書においてダダイスムの美術に関する言及はさほど多くないし、そもそもシュルレアリスムや構成主義、あるいは未来派といった運動に比して、ダダイスムは造形的な成果に乏しいように感じられる。塚原はダダイスムの原理として偶然性とレディメイドを挙げる。レディメイドが20世紀美術の決定的な手法としてデュシャンによって持ち込まれたことは広く認められている。コラージュとモンタージュを広義のレディメイドと考えるならば、確かにダダイスムの美術はその大半がこれらの手法と深く関わっていることが理解されよう。偶然性もレディメイドも20世紀美術において決定的な役割を果たすから、ダダイスムの重要性は結実としての作品よりも、これらの原理を提起した点に求められるのではなかろうか。とはいえ本書に触発されて2005年の展覧会カタログを参照するならば、さらに広い範囲の作家がこの運動との関連で取り上げられている。先般の豊田での「抽象の力」において初めて実見したソフィー・トイバー=アルプ、あるいはハンス・アルプとゲオルグ・グロッス。多様な作家たちがこの運動の広がりの中にとらえられるが、モダニズム美術の傍らに置く時、それらの作品としての質が必ずしも高くないこともまた自明であるように感じられる。なお本書ではダダイスム美術の政治的な意味についてはほとんど論じられていない点についても付言しておこう。

 「周縁からのダダ」と題された第4章では、二つの存在がクローズアップされる。すなわちニグロ芸術と女性である。まずダダイストたちが「黒人詩」の発見者であった点が検証される。ここで「黒人詩」が内容というよりも、その音響において注目された点については留意されるべきであろう。ただし彼らがニグロ芸術に対してどのような姿勢をとったかについてはプリミティヴィズムの問題とも絡めてさらに綿密な検討が必要であろうし、それは同じ章で論じられるゴーギャンやマティスといったモダニズムの正系を占める作家たちも同様である。モダニズム美術が周縁としてのアフリカをどのように受容したかについては多くの先行研究があるが、ダダイスムに関しては造形芸術ではなく言語芸術の分野において今後同様の検証が必要であり、残念ながら本書の限られた記述からはこの点は明確にうかがえることがない。もう一つの周縁、女性については個別に略伝的に記述されている。ダダイスムの女性作家といえばハンナ・ヘッヒが直ちに連想されるが、彼女以外にも多くの重要な作家がダダイスムと関連していることが理解される。トイバー=アルプについては先に触れたが、ダンサーであるメリー・ウィグマンについて以前ニューヨーク近代美術館における抽象美術の濫觴をテーマにした展覧会で私は初めて知り、強い関心をもったことを覚えている。もう一人注目すべきはエルザ・フォン=フライターク・ローリングホーフェンと呼ばれる女性だ。男爵夫人という通称をもつこの奇矯な女性はデュシャンと親交があり、伝説的な《泉》も実はデュシャンではなく、彼女が送りつけたという説がある。これらの女性作家たちについてはフェミニズムやコラージュの問題と絡めて既に香川檀や河本真理といった女性研究者の労作が発表されているが、本書は今後さらに研究を深めるにあたっての見取り図を与える。

 第5章で日本のダダイストたちが主に文学、詩の領域から取り上げられることはグローバリズムを前提とした本書においては当然の帰結であろう。高橋新吉、中原中也、瀧口修造といった詩人たちが次々に俎上に上げられ、横光利一がパリでツァラと邂逅したといった意外な逸話についても言及される。ないものねだりであることを承知したうえで述べるが、日本におけるダダイスムについて論じるにあたって、やはり大正新興芸術についての論究がないことはおおいに残念に感じられる。村山知義をはじめとする作家たちの作品についても近年研究が飛躍的に進み、いくつもの新しい知見が得られている。例えば以前このブログで応接した岡崎乾二郎の「抽象の力」においてもこれまでダダイスムとの関係で論じられることが多かった作家たちが思いがけない視野の中に現れることを経験したばかりであるし、本書で述べられるダダイスムの原理が文字通り「抽象の力」におおいに与っていることは明らかであるからだ。もっとも最初に述べたとおり、本書は主として言語芸術の領域におけるダダイスムの広がりを検証することを大きなテーマとしており、日本のみならず西欧や周縁地域においても言語芸術と造形芸術を統一的な視界にとらえることはダダイスムをめぐるまた別の主題となるだろう。「ダダイスムの現在性」と題された終章は、いささかとってつけた感じがある。デュシャンのレディメイドからボードリヤールやウィリアム・バロウズについて論及され、デイヴィッド・ボウイの「ダイアモンドの犬」が引かれるが、ことさら「現在性」などと呼ばなくとも、優れた芸術運動が後代の美術に決定的に関与することは自明であり、かつてシュルレアリスムに関してモーリス・ブランショはこの点を「ここやあそこにあるのではなく、いたるところにある。それは亡霊であり光まばゆい強迫となった」と論じた。偶然性とレディメイドをダダイスムの本質とみなす点には異論があるかもしれないが、しかし今や偶然性もレディメイドも現代美術の中核に深く位置づけられている。最後に一点指摘しておくならば、終章でネオダダイズム・オルガナイザーズ、特に荒川修作への言及がある。しかし私の考えではダダという名前を冠しているにせよ、60年代に東京で活動した作家たちをダダイスムの文脈で論じることは相当な無理がある。私は彼らの姿勢を否定するつもりはないが、彼らは破壊や反抗の身振りのもとでむしろ権威に迎合したのであり、そこに彼らの限界が存したのではないだろうか。さらに言えば、荒川修作のダイヤグラム絵画とダダイスムは何の関係もない。

 冒頭で塚原はダダイスムが第一次世界大戦直後の崩壊感覚の中に兆したことを論じる。そして今、とりわけ日本に生を受けた私たちは戦争とは異なった崩壊感覚の中にいるのではなかろうか。想像を絶する愚劣な政権のもとで私たちの社会が溶解し、無秩序の中に投げ込まれるのではないかという漠然とした予感が重苦しく私たちを覆っている。ダダイスムの成立からちょうど一世紀が経ったこのタイミングで本書が私たちの手に届いたことの意味を私たちは問い直すべきではなかろうか。


# by gravity97 | 2019-06-10 21:21 | 近代美術 | Comments(0)

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 若手による興味深い研究が刊行された。京都大学へ提出された博士学位論文であるとのこと。博士学位論文にしてはやや短く、出版助成を受けた研究書にしてはやや高額な気もするが、意地悪な突っ込みはやめておこう。論点を限定したことによって問題がクリアに浮かび上がり、価格も充実した内容に見合っているということだろう。

 著者の問題意識は「その作品における形象と装飾性」という副題に明らかである。ジャクソン・ポロックの絵画、とりわけポーリング絵画を形象と装飾という二つの主題に沿って分析することが最初に述べられ、分量的にもほぼ等しい続く二章においてそれぞれの問題が順番に論じられる。私はかなり専門的にポロックを研究したから、本書を研究史の中に位置づけることができる。二つの主題のうち、前者はポロック研究にとっておなじみのテーマであり、多くの先行研究がある。これに対して後者は比較的論及されることの少なかった主題といえよう。日本においてポロックの研究史は決して厚くはない。比較的早い時期に藤枝晃雄の画期的なモノグラフが発表され、いくつかの画集や展覧会が開かれているにもかかわらず、作家の生涯やら派手なアクションが重視されがちで、作品を対象とした形式的な分析はさほど多くない。近年の注目すべき論攷のうち、『ART TRACE PRESS』に発表された論考についてはこのブログでも論じたことがあり、著者は欧米も含めて先行研究に広く目を配っているから、それらについては本書巻末の参考文献を参照していただくのがよかろう。ポロックについて論じるにあたり、形象と装飾という二つのテーマに沿ってあくまでも形式的にポロックの絵画を分析する点にまずは本書の意義を認めることができよう。

 ポロックのポーリング絵画における形象性を検討するにあたって最初に筧が注目するのはその描画の過程を記録した写真とフィルムである。さいわいにも作家のアクションは多くの写真と映像によって今日に伝えられている。しかし今述べたとおり、筧は行為ではなく写真や映像の中に記録された画面に注目する。すなわちいずれも1950年に撮影されたハンス・ネイムスによる《One: Number31.1950》の制作過程、そしてポール・ファルケンベルクがガラス越しに撮影した《Number 29. 1950》における画面の生成であり、これらの過程を分析するにあたっては1998年のニューヨーク近代美術館における回顧展に際して、カタログ中でペペ・カーメルが論じたフォトショップによる解析が全面的に援用されている。筧/カーメルの結論は、ポロックが最初に多く人体を連想させる形象を描き、そのうえにポーリングを施すことによってそれらを消していったというものである。私はカーメルの論文を読んだ際にそこで論じられるフォトショップによる解析をおおいに怪しく感じた。それはきわめて恣意的であり、例えばマイケル・フリードの分析のごとき客観性からほど遠い。筧もこのような恣意性を批判しつつも、ポーリング絵画が秘めるこのような構造自体は認めている。私が違和感を覚えるのはこのような議論の妥当性ではない。それによってポロックの絵画に対していかなる積極的な認識の転換がもたらされるかという点だ。確かにポロックが最初に形象を描いたうえでポーリングによって、それらを隠したかもしれない。しかしそれによって何が結論されるというのか。1998年にニューヨークでポロックの回顧展を見た折、会場の一角にニューヨーク近代美術館所蔵の《五尋の深み》が展示された一角が設えられ、展覧会にあたってこの作品をX線解析した結果、やはりポーリングの下に男性像のイメージが発見され、性器の部分には象るかのように鍵が埋められていたという「発見」が華々しく紹介されていたことを思い出す。この時に刊行されたカタログにカーメルの論文が収録されていたから、この展覧会には展示とカタログを通してポロック絵画の形象性を強調しようとする意図が感じられるが、会場で思わず私は苦笑してしまった。かつてロバート・モリスはポロックのポーリング絵画の特質として最終的なイメージからそれがいかに描かれたかということが理解できることを挙げた。確かにポーリングの重層をたどってその生成の過程を想像することはポロックの絵画しかありえない楽しみかもしれない。しかしポーリングの網の目の下に形象が隠されていたとしても、それは最終的に隠された訳であり、私はそこに形象が存在したことよりも結果的にそれらが隠蔽されたことこそがポロックの絵画の本質と深く関わっていると思う。ただし私はこの論文を批判している訳ではない。問題の設定にはあまり新味がないが、続いて興味深い問題が提起されるからだ。第一部の第二章で検討されるのは1934年から46年というポーリング絵画の成立に深く関与する時期に残されたいわゆる精神分析ドローイングである。ポロックがユング派の精神分析医の求めに応じて治療という目的で制作した一連の素描についてはかつて日本でも展覧会が開催され、よく知られている。これまで人物像や線の密集、あるいは象徴的形態の出現といった点において注目されてきたこれら一連のドローイングに対して筧はそれが絵文字に似ているという興味深い指摘を行う。抽象表現主義とピクトグラムの関係自体は新しい論点ではない。抽象表現主義、とりわけその生成期に周縁視(peripheral vision)と呼ばれる特殊な視覚が共有されていた点、それが原始岩面画と関係し、当時ニューヨーク近代美術館ではヨーロッパに由来しない美術の可能性を探るためにしばしば原始美術、民族美術の展覧会が開かれていたという事実も今日よく知られている。しかし筧が注目するのは原始美術一般ではなく、そのピクトグラム的特質である。この点については既に沢山遼も指摘しているが、文字的な特質、すなわちサイズが比較的均等なイメージが全面を覆う構造は直ちにオールオーバー構造を想起させる。これまでこのような構造は1946年の《熱の中の目》といった油彩画においてポーリング技法に先んじて成立したとみなされてきたが、すでにこの時期のドローイングにおいてその萌芽が認められる訳である。筧はこの構造と先に論じたオールオーバー・ポーリング絵画の初層の構造との近似を指摘する。これまでミロやモンドリアンといったモダニズムと親近性のある作家と関連して論じられてきたオールオーバー構造に対して、本書においては精神分析、あるいは岩面画といった必ずしもモダニズムの問題群となじまない角度からの分析がなされる。そして続く第三章でさらに新しい主題が追加される。日本の書芸術である。これは興味深く、かつリスキーな主題である。戦後の前衛書と抽象表現主義の関係についてはこれまでいくつかの研究が残されているが、説得的な議論は乏しい。これにあたって筧は戦術的な迂回を行う。すなわち後年のブラックペインティングにおける形象性という問題を経由させるのである。この際に参照されるは1950年に制作された一連の絵画、例えば《レッド・ペインティング》である。タイトルのとおり赤が用いられているにせよ、文字を連想させる一連の作品は強く前衛書を連想させる。確か同じ作品はアレクサンドラ・モンローがグッゲンハイム美術館で企画し、モダニズム美術への東洋の影響を紹介した問題を含んだ展覧会「第三の目」においても展示されていたと記憶する。筧は書の絵画に対する影響についての検証がこれまで不十分であった理由をクレメント・グリーンバーグの批評などを引きながら当時の地政学的状況と関連させて論じ、ブラックペインティングと書の関係を暗示するが、私の考えではいささか強引な解釈であり、長谷川三郎を墨人会のメンバーとするなど事実関係での誤りもある。知られているとおり、ポロックにおける形象性という問題は直ちに線の自立という問題と関わる。すなわちフリードはポロック絵画の独自性を西欧絵画史上初めて、線が輪郭や境界づけという機能から解放された点に求めた。ポロック絵画になんらかの形象性を求める立場はこれと対立し、ことに後期のポーリング絵画をめぐって両者は拮抗した。私は次のように考える。筧が説くとおり、初層のポーリングにおいてなんらかの形象が出現することは大いにありうる。しかし先にも述べたとおり、ポロックの独自性はその上にポーリングを重ねることによってこのような形象性を意図的に否定したことに求められるべきであり、形象の有無は重要ではない。しかし本論文は興味深い論点を提示してもいる。つまりポロックの形象が文字性と関わるとするならば、それは文字という多く類像性を欠いた線描の連なりと関わっているはずだ。文字とは一つの単位であり、いくつも連ねられて初めて意味を成立させる。私がここで注目するのは単位の反復という問題だ。つまりポロックにおいて形象が存在するとすれば、それは何かに似ているというアイコニックなレヴェルにおいて検討されるべきではなく、それが反復的に使用されるという書字的な特質において注目すべきではないか。直ちにいくつかの問題が生まれるだろう。筧も論じるとおり、ポロックの早すぎた晩年においては極端に横長のフォーマットを用いた作品が多く残されている。筧は「こうした作品からは、ポロックがドリッピングの網の目から何らかの具象的な形象を見出そうとしていた様子が見て取れるだろう。すなわちポロックは、横長のキャンバスに線描を反復するという制作方法から、再び具象的な形象を露わにする端緒をつかんだと考えられるのである」と結語する。しかし私の考えではここで目を向けるべきは具体的な形象ではなく、それが横長の画面に反復される点ではないだろうか。そしてむしろ反復を可能にするフォーマットとして極端に横長の画面が導入されたと考えるべきではないか。これまで反復はポロック、そしてポロックの絵画の対極と考えられてきた。筧も引くロザリンド・クラウスの論文(これについては最近訳出され、このブログでも論じた)において、ポロックが自らの作風を反復しないという伝説に苦しめられたことが述べられている。あるいは一見同じ動作の反復とみなされがちなアクションの中にそのような弛緩とは対極にあるリズムを認めた作家自身の発言を想起してもよかろう。しかしその基底にあたかも文字を書くかのように単位の反復があったとすればどうか。おそらくポロックはこのような反復性を隠蔽するために制作を続けたはずだ。これゆえ、ポーリングの錯綜が形象のうえに導入されたと考えてはどうか。繰り返すが、私が重要と考えるのは形象の有無ではない。なぜ形象が上書きされて隠蔽されるかという点であり、反復という視点を得ることによってこの問いに対しても一つの解答が与えられる気がする。さらに私なりの推測を広げよう。ポーリングの線は最初形象の反復性を覆い隠すために導入された。しかし後期のポーリング絵画においてはポーリングの栓自体が反復を示すという矛盾が発生した。典型的な作品は1952年の《ブルー・ポールズ》だ。典型的なポーリング絵画の上に何かを押し付けて8本の青い柱を刻んだこの作品についてかつて藤枝は色彩の多用のゆえに失敗作と断じた。私はこの作品がポロックの凋落を示す理由はむしろ作家がそれまで抑圧してきた画面の反復構造を臆面もなく展開している点に求められるのではないかと考える。この意味で私はポロックのポーリング絵画を等し並みに扱うのではなく、ポーリングの反復性に注目して区別し、内部に隠された構造(形象)ではなく、モリスがいう最後の画面からもうかがえる構造(反復)によってその展開を検証することができるのではないかと考える。

 続く装飾の問題についても本書はいくつかの興味深い論点を提起する。筧はまずモダニズム美術全般にみられる装飾を忌避する傾向、逆にポロックが影響を受けたピカソやマティスにみられる装飾的傾向や師であったベントンの影響を丁寧に確認したうえで、ポロックのポーリング絵画がしばしば批判されたその装飾性の由来として、サイズとともに今指摘した線描の反復性を挙げている。今述べた議論に引きつけるならば、装飾とは壁紙にみられるパターンの反復によって特徴づけられる。ポロックが作品を壁紙と評されることを嫌ったことはよく知られているが、この時、装飾性の問題も反復という議論の射程に収めることができるのではないか。次いで筧は装飾という問題と関して、ポロックの絵画が建築の装飾として構想された可能性を検討する。その早い例はペギー・グッゲンハイムに依頼されて制作され、現在アイオワ美術館に所蔵されている《壁画》であろう。この作品は前ポーリング期の作品であるが、知られているとおり、そこには右から左へ向かって行進するいくつものトーテム状の人体が「反復」されている。さらに後年、ポロックはトニー・スミスとともに教会建築に関わったことがあり、実現されなかったこの計画についても装飾との関係が問われる。実際にポーリング絵画が「壁画的」に用いられた例は存在する。それはセシル・ビートンが撮影し、『ヴォーグ』誌のグラビアに使用されたモデルの写真である。この写真についてはかつてT,J.クラークが詳細に論じた前例もあるが、筧は写真が示す環境的な広がりからこの問題をハプニングの創始者アラン・カプロウへと接続させる。カプロウがその主著の中でポロックのアクションと自身の「ヤード」というハプニングの写真を見開きで紹介したことはよく知られている。ポーリング絵画の内部にいるポロックに対して、カプロウはハプニングの素材とされた無数のタイヤの中にいる。カプロウの写真においてもタイヤが反復されている点には筧も注意を促しているが、私たちはここにも反復という主題が繰り返されていることを知る。つまり形象と装飾という主題をめぐって書き継がれたこの論文はポロックの絵画における反復という問題を介して、いわば裏側から透かし見ることができるような気がするのだ。最後のステラに関する章はいささかとってつけた印象がある。確かにステラのエキゾチック・バード前後の作品は画面の錯綜という点においてポロックのポーリング絵画との類比を許すし、1986年に刊行された有名な講義録「ワーキング・スペース」を通してポロックの絵画の「装飾性」へと論及することは不可能ではないだろう。しかし唐突で強引や印象は免れえない。これまで論じられた文脈、特に晩年のブラックペインティングの重要性を強調する立場からして、もしここで比較されるべき作家があるとすれば、私はステラではなくモーリス・ルイスではないかと考える。第一にルイスやノーランドのステイニング絵画はポロックのブラックペインティングへの色彩による応答ととらえることができる。さらにいえば彼らのステイニング絵画はポロックが苦闘した形象性、より正確には具象性あるいは類像性の出現を回避する試みであったと考えることができるかもしれない。モノクロームのステイニングは画面に地と像の関係をたやすく形成するために形象を暗示しやすい。しかし色彩の重層といくつかのパターンに分類される独特の形状は具体的な事物を連想させることがない。第二に彼らの絵画の巨大さはまさに壁画的な装飾と紙一重である。作品のサイズという問題はこれまでに十分に論じられたことがないが、ポスト・ペインタリー・アブストラクションにおいて抽象表現主義をしのぐ巨大な画面が使用された意味は今後問われてよいだろう。第三に筧も論じるとおり、グリーンバーグが装飾性を厳しく批判したという事情を勘案するに、彼が高く評価したルイスの絵画がなぜ装飾ではないかということを問うことは積極的な意味をもつだろうからだ。さらにレヴェルの異なった問題であることを承知で記すが、ポロックが自らの絵画を反復することを厳しく戒めたのに対して、ルイスの画業は生涯にほぼ三つのパターンを繰り返し描くことに費やされた。ここでも反復という問題が露出するのである。

 以上、レヴューというよりも本書で提起される問題に触発された私なりの見解を粗描した。きわめて粗雑な議論であることは承知しているが、優れた研究の常として、そこから作品に対していくつもの補助線を引くことができる。私自身もポロックの絵画に対していくつかの新しい発見があり、久しぶりに知的な刺激に満ちた読書体験であった

# by gravity97 | 2019-05-28 07:35 | 現代美術 | Comments(0)

先日より投稿に際して「旧管理画面設定」が廃止され、昨日の投稿より再び新しい管理画面からしか投稿ができなくなった。以前にも記したとおり、この画面から投稿した場合、フォントが段落ごとに勝手に変換され、非常に見苦しい。「旧管理画面設定」の廃止予告に際して、この点をプロバイダ側に申し入れたにもかかわらず、なんの改善もなされていない。exblogに対して、再度抗議するとともに、今後、プロバイダの変更も検討したい。


# by gravity97 | 2019-05-17 20:41 | Miscs. | Comments(0)

朝松健『邪神帝国』

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  先日、スティーヴン・キングの新刊『心霊電流』を読んだ。前途ある牧師が痛ましい事故を契機として邪悪な存在に憑依されていく物語は、名作『ペット・セマタリー』もかすかに連想させて、それなりに楽しめた。この小説で興味深かったのはルートヴィヒ・プリンの『妖蛆の書』なる偽書への頻繁な言及があったことだ。『妖蛆の書』はロバート・ブロックによる一連のクトゥルー神話に登場する魔道書であり、実はキングの短編集『深夜勤務』中の「呪われた村〈ジェルサレムズ・ロット〉」中にもかなり立ち入った言及がある。キングとクトゥルー神話といえば、警官が異世界に呑み込まれるという「クラウチエンド」が連想されるし、いくつかの長編にも明らかにクトゥルー神話と関わる固有名詞が登場したことは彼の愛読者であれば誰でも知っている。H.P.ラブクラフトを鼻祖もしくは教祖とするクトゥルー神話の影響は時間的にも空間的にも広がり、近年はゲームの世界にも取り入れられているらしい。『ユリイカ』は昨年の2月号で「クトゥルー神話の世界」という特集を組んだが、特集中のかなりの部分を占めるゲームに関連した記事は私には全く理解できなかった。本書は日本におけるクトゥルー神話研究の第一人者、朝松健がナチスが統治するドイツを舞台にクトゥルー神話の歴史に新たな頁を加えた短編集である。ペンネームの朝松健は「パンの大神」の著者、アーサー・マッケンに由来し、そういえば『心霊電流』にも冒頭にマッケンへの謝辞が掲げられていたと記憶する。ちなみに私は本書の存在を最近知ったが、最初にハヤカワ文庫に収められた後、長く絶版であったため、2013年にこの叢書に組み入れられるまで入手困難であったという。

 収録された短編は7編。現代の東京を舞台とした「“伍長”の自画像」と19世紀のロンドンを舞台にした「1889420日」のみ時空を違えるが、両者はアドルフ・ヒトラーと深く関わっている点において共通する。すなわち前者においては画家志望の風采の上がらぬ青年が排外主義を唱えて時代の寵児になるという物語がヒトラーの生涯と重ね合わされ、切り裂きジャックを主題にした後者においては登場人物の一人の不吉な幻視の中にヒトラーが登場し、タイトルはヒトラーの生年月日にほかならない。そのほかの短編はナチスドイツを舞台として、現実の事件が巧妙に反映されている。例えば二度にわたって実施された極地探検、ルドルフ・ヘスのイギリス逃亡、あるいはヒトラー暗殺未遂事件。歴史上の事件や実在の人物を巧みに織り込みながらもう一つの歴史を仮構する手法は荒俣宏の『帝都物語』を連想させる。朝松はこれらの事件の背後に旧支配者たちの影を投げかけ、アドルフ・ヒトラーという存在自体がその邪悪な意思の体現ではなかったかとうい仮説を提示する、実在する多くの神秘学者、魔術師を登場させることによって物語はリアリティーを帯びる。それにしてもナチスドイツやヒトラーがオカルティズムと強い親和性を帯びている点にあらためて驚く。後述するとおり、内外を問わず今日にいたるまでオカルトとナチスの関係をテーマとした小説や研究には枚挙にいとまがない。

 それぞれの短編について簡単に紹介しておこう。冒頭の「“伍長”の自画像」は導入として申し分ない。語り手が池袋の酒場で出会った「平田」―いうまでもなくヒトラーのアナグラム―という画家を自称する小男が神秘術を通して自分がヒトラーの転生であることに覚醒するという内容であり、平田が叫ぶ人種的偏見、人種や弱者への差別思想はヒトラー/平田の主張であると同時に、現在私たちがこの国で、そして世界中で耳にする声である。この短編においてはクトゥルーの影は明確ではないが、続く「ヨス=トラゴンの仮面」なる一篇においてはすでにタイトルにラブクラフトがC.A.スミスに宛てた書簡中に記された謎の神性の名が用いられ、一人の魔術師の消息をめぐるハインリヒ・ヒムラーとヘスの暗闘がそこに巻き込まれた日本人の駐在武官を語り手として語られる。朝松によれば1934年に実施された「オカルト・パージ」の結果、ドイツ国内のオカルト関係者が一掃されたということであるが、この短編においてはその真の目的が優秀な魔術師を確保し、第三帝国を霊的に強化することであった点が暗示されている。このエピソードが史実とどの程度一致するかについて私は判断することができない。続く「狂気大陸」はタイトルから既にラブクラフトの傑作「狂気の山脈」へのオマージュである。ラブクラフトはこの中編においてミスカトニック大学の南極探検隊が彼の地で発見した旧支配者たちの遺跡とその残滓について描写した。ラブクラフトは物語を1931年に設定したが、実はナチスドイツに関してはこの短編と奇妙に暗合するエピソードがある。すなわち1938年にアルフレット・リッチャーなる大尉が同様に南極に赴き、南極内部に火山活動によって沃土と温暖な気候に恵まれた一帯を発見した旨の報告を残しているというのだ。この小説ではこの探検自体が隠秘学者フォン・ユンツトの著した「無名祭祀書」にインスピレーションを得たヒトラーの指示によるものであったというエピソードが重ねられている。ラブクラフトらもしばしば引用するこの魔道書の内容はともかく、ナチスドイツが南極に探検隊を派遣したという事実自体は記録に残されている。さらに本書の「魔術的註解」にもあるとおり、第二次大戦後、今度はアメリカのリチャード・バード少将が「ハイジャンプ計画」なる南極飛行を実施するが、これはナチスドイツが発見した「ノイシュヴァーベンラント」を捜索することが目的であったとみなされている。今でもインターネットを検索すれば、これらの極地探検をめぐって地級空洞説やUFOまで登場する数々の怪しげなコメントを読むことができる。朝松はこれらの史実を背景に、ベルリンオリンピックの傍らで、ナチスドイツの兵士たちが南極の「狂気の山脈」を探索し、遙か南極にまで運び込んだ戦車や航空機を用いて旧支配者たちの残したショゴスというアメーバ状の生命体と死闘を繰り広げるというとんでもないスペクタクルを語る。それにしてもクトゥルー神話に見られる南極や南洋への関心はどこからもたらされたのだろうか。ラブクラフトは「クトゥルーの呼び声」においては南太平洋、「時間からの影」においてはオーストラリアを旧支配者たちとの接触の場所として選び、あたかも本書中の一篇を先取りするかのように1917年、ドイツ海軍の潜水艦U29が場所の特定されない深海で超古代の神殿を発見する「神殿」という短編も残している。極地での怪異といえば、直接クトゥルー神話と関わる内容ではないが、J・マーティン・リューイの名作「アムンゼンの天幕」なども連想されよう。きわめて唐突な連想ではあるが、20世紀の初頭に美術の分野でも南太平洋やアフリカといった「未開」の地域への関心が高まったこととこのような傾向は同期しているように感じるがどうであろうか。さらに敷衍するならば、ナチスドイツは「未開」の民族美術と前衛美術を同一視して、「退廃芸術」として弾劾した。ゴーギャンやマティスが美術の理想を見出した同じ「未開」に彼らは狂気や野蛮を認めた。神像や遺物、クトゥルー神話を形成するいくつかの短編においてこれら地域から将来された文物が恐怖の起源となったことは留意されてよかろう。

 話が脱線した。「邪神帝国」に戻ろう。続く「1889420日」は先にも述べたとおり、時と場所を違えて本書に収められた一連の短編の前日譚をかたちづくる。舞台は19世紀のロンドン、この街を恐怖に叩き込んだ切り裂きジャックとナチスドイツの関係がフリーメーソン、ナチスドイツの象徴である逆卍(サンバスティカ)、そして邪神ナイアルラトホテップの暗躍などを媒介として浮かび上がる。「夜の子の宴」はドイツによって占領されたルーマニアが舞台であり、この設定からたやすく内容が予想される。吸血鬼伝説に「無名祭祀書」を絡ませるあたりはかなり強引な運びであるが、ナチスドイツとバンパイアを主題としたホラーとしてはすでにポール・ウィルソンの「ザ・キープ」が存在する。「ザ・キープ」においては吸血鬼と手を組んでドイツ軍の駆逐を試みる学者、吸血鬼を倒すことを使命とする謎の男らが登場して錯綜したストーリーが展開されていた。この長編に比べるならば単純であるとはいえ、ナチスと吸血鬼という主題との関わりにおいてこの短編はダン・シモンズの「戦慄のチェスゲーム」からギレルモ・デル・トロとチャック・ホーガンの「ザ・ストレイン」にいたる系譜の一端に属する。「ギガントマキア1945」はU1313と呼ばれる潜水艦によって敗戦色の濃いドイツから要人をアルゼンチンに運ぶ任務を与えられた潜水艦乗組員を語り手としている。任務の途上で彼らは海魔と呼ばれる海棲の巨人に襲われる。ギガントマキア、巨人との戦いというタイトルが示すとおり、この巨人もまた魔術によって召喚された怪物であり、「インスマスの影」などにも登場したダゴンと呼ばれる邪神であろう。この短編はこの潜水艦に乗り込んだ人物の正体をめぐるミステリ仕立ての内容となっているが、その背景にあるのはヒトラーがベルリンを脱出して南アメリカに渡ったという都市伝説である。掉尾を飾る「怒りの日」はよく知られたヒトラー暗殺計画を主題としている。トム・クルーズが主演した「ワルキューレ」によって知られるこの暗殺未遂の背後に、朝松はヒトラーが重用したというチベット人僧侶たちが実は異形の邪神であったという落ちを用意している。しかし実際にナチスドイツが南極同様にチベットにも深い関心を抱き、探検隊を送り出したことは歴史的な事実であり、インターネットを検索すれば両者の関係についていくつもの奇怪な風評を知ることができる。

 ひとまず私は本書を構成する短編を簡単に紹介した。本書においてさらに興味深いのは巻末に付された「魔術的註釈」という部分である。そこには各章の注釈のかたちをとりながら、それぞれの短編の中で言及された人物や文献、事項について説明されるのであるが、その内容たるやクトゥルー神話や西洋魔術に通暁した朝松らしいマニアックな内容であり、今まで述べたとおり、本書で語られる奇怪な物語が空想ではなく多く歴史的事実に根ざしていることを証明している。これはクトゥルー神話の本質と関わっているかもしれない。なぜならばラブクラフトやダーレスの多くの小説は現実が旧支配者たちによって侵犯される状況を描いているからだ。港町の住民が半魚人に転じ、一つの農場が宇宙から来た怪異によって変貌を遂げる。先にも触れたキングの「クラウチエンド」もロンドンを旅行中のアメリカ人夫婦が異界と縁を接するクラウチエンドという街区に迷い込んだ結果、夫が失踪し、妻から事情を聞いていた若い警官もまたいずことも知れぬ世界へと消えてしまうという不気味な物語であった。私たちの日常は超自然的な存在によって知らず知らずのうちに侵犯され、日常は非日常へと転ずる。おそらくこのような主題はホラーのみならず、村上春樹から中村文則まで現代文学においてもしばしば扱われている。そしてことに侵犯というイメージはナチスによって悪用されていたのではなかったか。「怒りの日」の冒頭で主人公は通りで叫び出す男に遭遇する。「やつらだ。やつらがいる、侵略されているんだ、もうすでに。俺たちの考えはやつらに全部盗聴されているし、何もかも仕組まれている」物語の中ではやがて「やつら」とは頭から触手を生やしたチベットの邪神であることが判明するが、おそらくナチス治下のドイツでこのような発言がなされた時、「やつら」とは「劣等人種」であるユダヤ人であり、優越人種であるアーリア人に対する侵犯が含意されていたはずだ。ラブクラフトが人種差別主義者であったことはよく知られている。ナチスはクトゥルー神話における超自然的、魔術的な恐怖を人種的、政治的なそれに置き換えてアジテーションを繰り返した。この結果、どのような悲惨がもたらされたかを私たちは知っている。ナチズムとクトゥルー神話とは本来的に深い親和性があり、このあたりに本書の奇妙な迫真性が由来しているのかもしれない。


# by gravity97 | 2019-05-17 08:08 | エンターテインメント | Comments(0)