FORTWORTH, 2004.1.23
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 2004年の初め、しばらくニューヨークに滞在しながらアメリカ各地で仕事をする機会があった。その冬、ニューヨークは寒いというより、痛ささえ感じる厳寒であったから、一時的でも離れることはありがたかった。その一つにオースティンへの出張があった。テキサス大学のオースティン校を訪ねて、ある教授にカタログへの原稿の執筆を依頼するためである。用務自体は半日ほどで終わる。前にも記したが私は海外出張の折には目的地の近くへのエクスカーションを好む。オースティンにはほかに訪ねるべき場所もなかったので、近くに美術館もしくは類した施設がないかを調べてみたところ、フォートワースに安藤忠雄によって設計された美術館が比較的最近開館したことを知る。同じ州内といえども、飛行機で移動する距離であり現地に宿泊しなければならないが、おそらくフォートワースを訪れることはこの先二度となかろうから、事前に情報を収集したうえで出かけることにした。
 オースティンの仕事を終えた翌日、ホテルを引き払って、スターバックスでベーグルの朝食。テキサスにはやたらとスターバックスが店を構えている印象がある。タクシーで空港に向かい、オースティンから一時間ほどのフライトでフォートワースに着く。フォートワースはオースティンより街としては大きく、上着が要らないほどの暖かさであった。すでに午後であったから美術館を訪ねることはあきらめ、午後のひとときを街の散策に費やした。サンダンススクエアという賑やかな一画で早い夕食をとることにして、いつものように地元の人でごった返しているレストランを選んで入ったが、テキサスのことであるから、料理についてはあえてコメントしない。バッファローウイングというテキサス的な、しかしアメリカではごくありふれたサイドディッシュを注文していつものようにビール、この州に接するメキシコに敬意を表してマルガリータを何杯も飲んだことを覚えている。私は特に煙草を好む訳ではないが、一人で海外を旅行している際に喫煙は無聊を慰めるうってつけの方法だ。少なくとも当時、フォートワースでは飲食店の店内で普通に煙草が吸えた。喫煙は社会的寛容度をはかる有効な尺度であるから、私はこの街が嫌いではない。銘柄は忘れたが煙草を半箱ほど吸ってほどよく酩酊してホテルに戻る。
 なんという鳥であろうか、フォートワースの朝は初めて聞く、つんざくような鳥の鳴き声で目覚める。ホテルの近くで朝食をとった後、タクシーに乗って美術館に向かう。日本にいる間にフォートワース現代美術館を既に訪ねたことのある学芸員に連絡をとり、アドバイスを仰いだ。彼によれば市の中心部から美術館が立地する地区まではさほど遠くないが、タクシーしか交通手段がなく、美術館の近くには流しのタクシーはないため、行きがけのタクシーのドライバーに迎えに来てもらうように頼むことが肝要とのこと、私が乗ったタクシーのマーシャという親切な黒人のドライバーは、待ち合わせの時間を決めると、万が一、雨が降っても濡れない場所ということでアーケードのある一角を待ち合わせ場所に選んでくれた。現代美術館が所在する一角はカルチュラル・ディストリクトと呼ばれ、三つの美術館が近接している。キンベル美術館は知っていたが、もう一つエーモン・カーター美術館という美術館も立地していた。この美術館はフィリップ・ジョンソンの設計であるから、ルイス・カーンの代表的な建築の一つであるキンベル美術館と安藤のフォートワース現代美術館と合わせて、期せずして世界的な建築家が設計した美術館が一つの地域に集中し、まさにカルチュラル・ディストリクトを形成している訳だ。10時頃に着いて、最初にキンベル美術館に入ろうとしたが、12時開館とのことなので、まずエーモン・カーター美術館を訪ねる。さほど大きな美術館ではなく、展示してある作品もアメリカの画家による近現代のそれらしい作品であった。アメリカの風景を描いた具象的な絵画が多いのはリージョナリズムの浸透を暗示しているだろうか。それほどの質の高い作品はないように感じたが、ジョージア・オキーフやマースデン・ハートレー、さらにはスチュワート・デイヴィスといったアメリカ美術について学んだ者であればそれなりに懐かしく、日本では見ることが難しい画家たちの作品が展示されていて、アメリカ土着のモダニズムに触れるよい機会であった。
 続いてフォートワース現代美術館を訪ねた。通称はザ・モダーン。エントランス付近に巨大なリチャード・セラの立体が屹立している。コンクリートとガラスを多用した典型的な安藤風の建築で直方体の展示室を並列する手法は日本で言えば兵庫県立美術館に近い。張り出した庇を支えるY字型の柱とそれらを水面に映し出す前面の浅い池が建築のアクセントとなっている。前にも述べたとおり、私は安藤の美術館建築があまり好きではない。直立するコンクリートは威圧的な印象を与えるし、建築の内部と外部を劇的に仕切る手法はあざとく、建物の密閉感は息苦しく感じられる。しかしこの美術館は例外的に風通しがよい。なぜだろうかと考えながら館内に入る。広い階段を二階へと上がるとキーファーの翼の生えた鉛の書物の大作が設置してあったと記憶する。私が訪ねた時、特別展は開かれておらず、常設展のみであったが、アメリカを中心に現代美術の優品が多数展示されていた。誰もが知っているような作品こそなかったが、ポロックから近年の作品まで質の高いコレクションであり、私は十分に楽しむことができた。日本人作家としては森村泰昌と宮島達男が展示されていたはずだ。今もはっきりと覚えているのはブルース・ナウマンのヴィデオである。タイトルの中に「コーナーストーン」という言葉が含まれていたと思う。このヴィデオにはナウマンが大型の掘削機械を使って草地に杭を一本ずつ立てていく過程が記録されていた。単純な作業を繰り返すナウマンの姿からは、彼が60年代に制作した一連のナンセンスな行為を記録したヴィデオも連想される一方で、アクションというよりもタスクと呼ぶべき機械的、反復的な作業が延々と記録されていた。コーナーストーンとは礎石のことであるから、杭を打つ行為は社会に礎石を設置する行為にも準えられており、一種の寓意性を宿している。おそらくナウマンが住むアメリカ中西部においては日常的な業務である杭打ちに精神性を与える手法に私は感心した。展示を見終わると昼を過ぎていた。私は美術館に面した広々とした池の横に設置された瀟洒なカフェに向かった。水面に映し出される美術館の建築が美しい。さほど空腹でもなかったから私は日本風の春巻を注文してビールを飲んだ。春巻といえどもテキサスで食べた料理の中では最も洗練されていた気がする。
 ランチを手早く終えて、最後はルイス・カーンのキンベル美術館を訪れる。これは本当に美しい美術館であった。ザ・モダーンに比べるとささやかな規模であるが、かまぼこ型の展示室が並行して配置され、いたるところに自然光が降り注ぐ。以前から感じていたが、光による褪色の恐れのない作品は自然光の中で見るのが一番美しい。自然光とは光として空間的にほぼ等質でありながら、時間によってその相貌を違える。作品を通してこのような特質が感受できるのはヒューストンのロスコ・チャペルである。機会があればこのチャペルを訪れた体験についてもこのブログに記してみたいと考えるが、私はキンベルでも室内にあふれる光を感じた。ただしこの時、館内ではブーシェの展覧会が開かれており、実際に自然光が導入されていたはずはない。おそらくそれは美術館全体、とりわけエントランスの印象であっただろう。私が撮影した写真を下に示すが、キンベル美術館にも建築の周囲に浅い池が設えられており、私が訪ねた折には天気がよかったこともあり池の波紋が反射によって室内、天井に映りこんでいた。したがって自然光は単にガラスを通して入って来るだけではなく水面の反映としても室内に導かれるのである。施設自体はさほど大きくないこともあり、ブーシェの展覧会については特に記憶がない。私にとって一番印象に残ったのは美術館とは思えない光に満ちた室内の心地よさであった。
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 キンベル美術館を見終えて待ち合わせ場所に行くと、既にマーシャのタクシーが待っていた。私はお礼を言ってホテルに向かった。ザ・モダーン、キンベルの順に見たことは偶然であったが、今にして思えば逆の順番で見るべきであったのだ。なぜならルイス・カーンを見た後に安藤を見れば、先の問いに自ずから解答が与えられていたはずであるから。私が安藤の美術館建築としては珍しくフォートワース現代美術館に好感を抱いた理由は、それがキンベルへのオマージュとして成立しているからなのだ。二つの建築に共通するのは建築の傍らの浅い池の存在である。「水の教会」や京都三条のタイムズビルなど安藤にも水面を用いた建築は前例があるが、フォートワースでは明らかにキンベルに倣って池が配置され、劇的な効果を上げていた。ルイス・カーンを参照することによってザ・モダーンはこれまでの安藤の建築にはなかった二つの可能性を切り開いた。第一に水面が建築に水平の軸を持ち込む。コンクリートの壁面を多用する安藤の建築においては垂直の軸が強調される場合が多い。建築の内部においてもしばしば垂直的な移動が主要な導線をかたちづくってきた。教会建築を想起すれば理解されるとおり、このような軸性はしばしば権威や威圧性を帯びている。これに対して美術館の全面に広がる水面は広い敷地とも相俟って水平的な構造と移動を暗示している。ルイス・カーンが展示室を平行方向に反復したように、安藤も展示室を横方向に反復しているが、これもまた水平的な展開を予感させる仕組といえよう。第二に水面は反射光をとおして室内へと侵入し、建築の内部と外部を連続させる。これもまた従来の安藤の建築にはみられない特質である。私はキンベルで初めて水面の光の効果に気づいた。ザ・モダーンの水面にも同様の効果があったかどうかは覚えていないし、時間や天候の影響によって知覚されなかったかもしれない。そもそも美術館で時間的な変化、ましてや天候の移ろいなどが感知されることは本来望ましくないはずだ。しかしこの二つの美術館はかかる常識に異を唱えている。ここでは詳述しないが、自分の作品は自然光の中で見られるべきだと説いたドナルド・ジャッドの発想もこの点と関わっているかもしれない。安藤の堅牢な壁は美術館の内部と外部を遮断する。その端的な例は地中美術館であり、壁どころか美術館は地中に埋め込まれている。やや話が脱線するが、地中美術館もまた自然光を取り入れた美術館であり、安藤は美術館における自然光の可能性にフォートワースで想到した可能性があると思う。安藤の場合、特異なZ型の構造によって内部と外部を開閉する手法が独特の空間を成立させる場合が多いが、これは内部が閉じられていることを前提としている。構造が近似した兵庫県立美術館の場合も建築の内部と外部は水平のコンクリート壁とガラスによって遮断されている。しかしザ・モダーンの場合は外部の水面がガラスに映り込み、さらに水面の反映が室内に入り込むことによって内部と外部が異和感なくつながる。これも優れた美術館建築の特性とはいえないだろうか。ここから連想されるのは例えばこのブログで論じた今はなき神奈川県立近代美術館鎌倉館であり、谷口吉郎の鈴木大拙記念館である。ザ・モダーンの場合、私はそれがあらかじめ計画されていたとは思わない。キンベルの横に立地する美術館を構想するにあたって、安藤は偉大な建築家に対峙しようとはせず、オマージュを捧げた。安藤の選択は正しかった。確かに安藤の建築の語法が随所に生かされた美術館ではある。しかしルイス・カーンを参照することによって、それまでの安藤の建築には感じられることがなかったいくつもの魅力が新たに加えられたのだ。キンベルとザ・モダーンのいずれが優れているかを問うことは意味がないだろう。むしろ優れた建築家同士の対話、敬意を込めた理解と解釈が結果として二つの優れた美術館として実現された。それが一つの都市、一つの街区で確認できることはもはや奇跡といってもよかろう。厳寒のニューヨークから温暖なテキサスへ、軽い気持ちで思い立ったエクスカーションは思いがけない発見を与えてくれた。
# by gravity97 | 2019-03-15 21:07 | SENSATION | Comments(0)
イアン・マキューアン『憂鬱な10か月』
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 11年前にこのブログを開設した際に、最初にレヴューした作品はイアン・マキューアンの『贖罪』であった。この超絶的な傑作を読んだ際の衝撃と感銘を書き留めるために始めたのがこのブログであったといえるかもしれない。その後も私はマキューアンを読み継いでいる。いずれの作品もレヴューに値する佳作であったが、しばらくの時をおいて、このほど『憂鬱な10か月』を読む。2016年に発表され、現在のところ最新刊である本書もまたマキューアンという手練れの才能が遺憾なく発揮された興趣に富む佳作である。
 原題を「Nutshell」という。ナッツシェルとは胡桃の殻のことであり、その典拠はエピグラフに引かれた次のテクストに拠っている。「なあに、たとえ胡桃の殻に閉じこめられていても、わたしは自分を無限の空間の王者だとみなすことができるだろう。悪い夢を見ているのでないとすればだが」典拠はシェイクスピアの「ハムレット」であり、すでにこの時点でこの小説の骨格は明らかとなる。最初に結論を述べるならば、本書は「ハムレット」の卓抜なパスティーシュであり、現代風の本歌取りである。パスティーシュという問題とも絡んで今回は物語の内容にかなり深く立ち入りながら論じる点をあらかじめお断りしておく。それにしてもタイトルを「胡桃の殻」から「憂鬱な10か月」に改める必要はあったのだろうか。それというのも次のような冒頭の一文を読めば、胡桃の殻が何を意味しているかについては直ちに明らかであるからだ。

というわけで、わたしはここにいる、逆さまになって、ある女のなかにいる。じっと腕組みをして、待っている。待っている。自分がいるのはどんな女のなかなのだろう。何のためにこんなところにいるのだろうと思いながら。

 帯やカバーに記された紹介を読まずとも、「わたし」が誰でどのような状態にあるのかを想像することはさほど難しくない。「逆さまになって、女のなかにいる」状態とは端的に胎内を指し示しており、逆に「憂鬱な10か月」とは懐妊の期間であることが理解される。したがって語り手の「わたし」とはまだこの世に誕生する前の胎児である。『贖罪』においては超絶的な技巧を通して作品の終盤に明らかになる語り手と小説の関係が私たちを驚愕させたが、この作品においては既に冒頭において、生まれる前の胎児という異例の語り手の存在が明示されている。あまり知られていない作品であろうが、胎児を語り手とした小説をこれまでにも私は読んだことがある。アルゼンチン生まれのチリ人、アリエル・ドルフマンの『マヌエル・センデロの最後の歌』だ。この小説については機会があればこのブログで論じてみたいが、ドルフマンの小説が1973年のピノチェットによる軍事クーデタを批判する寓意性の高い内容であったのに対して(正確にはこの小説が発表された時点では寓話というかたちでしかこのクーデタを批判できなったのではなかろうか)、マキューアンは私たちと同時代を生きる夫婦をめぐるスリリングなエピソードを妻の胎内に宿った胎児を通して語る。それにしてもなんと「老獪」な胎児であろうか。彼/彼女(「わたし」という人称が用いられているから性別は不明だ)は母親が聞くポッドキャストを通じて世界情勢に通じ、母の口を経て血中に与えられるワインに関して辛辣なコメントを加える。少し読み進めると語り手たる胎児を取り巻く状況が明らかになる。「わたし」の母はトゥルーディという名の既婚女性。父親はジョン・ケアンクロスなるあまり才能の感じられない詩人であるが、二人は今別居している。父ジョンは親から譲り受けた相当の価値がある邸宅を母に与えて自分はみすぼらしいアパートに移っている。父のいない母のもとを頻繁に訪れるのがクロードという俗物であり、母とクロードは不倫関係にある。実際に妊娠中の母とクロードの間で交わされるかなり生々しいセックスの描写も作中には散りばめられている。冒頭の第二章のあたりで早くもクロードと母が父に対しておぼろげな殺意を抱いていることが暗示され、父ジョンがまもなくアパートを引き払って母の元に戻ろうとしていることを知るに及んで母は一つの決意を固める。

やがてようやく彼女が決心したとき、彼女がつぶやいた台詞は、たった一言の裏切りの言葉は、まだ使ったことのないわたしの口から出たかのようだった。ふたたびキスを交わしながら、彼女は愛人の口のなかにそれをささやきかけた。赤ん坊にとって初めての言葉。
「毒殺ね」

 思わず引用してしまったが、このあたりの筆運びの流麗さはマキューアンの面目躍如たるものがある。実に練られた文章であることは翻訳をとおしても明らかだ。それにしてもクロードとは何者であろうか。母の決意に先立つ第三章の最後でクロードと父ジョンの関係が明らかになる。「おれが兄貴に金を貸してやれば、いい隠れ蓑になるだろう」驚くべきことにクロードとは父の弟であり、この時、クロードという名前がクローディアスから引かれていることを私は直ちに了解した。父を弑して王座についた叔父クローディアスへの復讐譚が「ハムレット」であったとするならば、果たして父は殺されるのか、それに対する復讐はなされるのか。読者はパスティーシュならではの既視感とともに物語を読み進める。物語の中に母とクロードがデンマーク料理のデリヴァリーを依頼する場面がある。現代のロンドンにそのようなジャンルのデリヴァリー・サービスが本当に存在するか私にはわからないが、デンマーク料理もまた「ハムレット」からもたらされた記号であろう。ハムレットにおいても父王は毒殺された。母とクロードが選んだ殺害方法も毒殺、それもペットボトル入りの不凍液というなんとも当世風の毒薬による毒殺であった。ディケンズからアガサ・クリスティまで毒殺とはまことにイギリス的な主題ではないか。
 母の胎内で外界をうかがう胎児とはユニークな語り手である。母を通して、彼/彼女は母と叔父の悪事の進行を知るが、時々子宮を蹴って、母を不眠に追い込むこと以外には現実に対してなんら力を行使しえない。語り手は子宮の中の胎児であるから、感覚も限定されている。外界を見ることはできず、おそらくは匂いについての感覚もない。一方で声やラジオの音といった聴覚刺激、そして母を介して与えられる栄養についての味覚に近い感覚は成立しているだろう。語り手が母の飲むワインの銘柄について執拗にコメントするのは、単なるディレッタンティズムではなく、それが語り手が感知しうる数少ない感覚だからであるかもしれない。あるいは妊娠しているにもかかわらず交わされる母とクロードのセックスは語り手にとってはなによりも触覚的に感知される。しかし作品を読み込むと感覚の限定はさほど厳密でもない。視覚的な印象もしばしば記されており、この物語は胎児である語り手と神の視点に近い語り手の融通無碍な融合によって成立していることがわかる。
 詩人である父の遺伝子を受け継いでいるためであろうか、語り手は胎児にしてすでに文学についての素養が深い。モノローグの中では古今東西の文学が引用され、丁寧な註をとおして私たちはその含蓄を知るが、かかる思弁が現実の前に無力であることも一つの暗喩であろうか。父ジョンを殺した後、母とクロードは語り手たる「わたし」を里子として放逐することさえ語り合うから、父の毒殺の帰趨は語り手の運命と深く関わっている。物語はいくつもの曲折を経て、時に予想通りの結果、時に思いがけない展開を繰り替えしてカタストロフとしてのクライマックスへ向かって進んでいく。未読の読者のためにここでは毒殺の成否、あるいはそれ以後の物語の展開については触れないこととするが、ストーリーの展開はいつもどおりの巧みさであり、読者はこの胎児版ハムレットを十分に楽しむことができるはずだ。
 「ハムレット」という本歌に基づいて、不倫、毒殺、復讐といった不吉な主題が満載の小説であるにもかかわらず(ただし「ハムレット」においては父王殺しに妻が加担するというエピソードはなかったように記憶する)、本書の印象はむしろ喜劇的であり、シェイクスピアの悲劇とはおおいに異なる。その最大の理由は胎児という独特の語り手を設定したことにあろうが、人はよいが才能のない詩人である父、現世にしか興味のない俗物の叔父、父の愛人とも弟子ともしれぬ女性詩人といった奇矯な人物たちが織り成す騒動は全体として現実感のないスラプスティック・コメディとして完結する。シリアスな主題が扱われることが多いマキューアンの小説の中で本書はむしろ例外的といえよう。あとがきの中で訳者は本書を作家の「休暇」とさえ評している。私もこの見解に同意しない訳ではないが、「休暇」とみなされる小説においてさえかかる完成度を示している点に小説家としてのマキューアンの円熟をうかがうことができよう。
# by gravity97 | 2019-03-09 21:13 | 海外文学 | Comments(0)
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# by gravity97 | 2019-02-10 19:58 | SCENE | Comments(0)
阿部静子『「テル・ケル』は何をしたか』
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 「テル・ケル」と聞いて、何のことかわかる人がこのブログの読者にどのくらいいるだろう。ウィキペディアによれば次のとおりだ。

『テル・ケル』(Tel Quel)は、1960年にフランスで創刊され、その後の10年間にポスト構造主義思想の普及に貢献したアヴァンギャルド文学雑誌である。『テル・ケル』と密接な関係にある思想家には、ロラン・バルト、ジャック・デリダ、ジュリア・クリステヴァ、フィリップ・ソレルスがいる。

 私はこの雑誌を直接購読するほどのフランス通ではないが、もちろんこの雑誌については知っている。おそらく私を含めて多くの者がこの雑誌に対しては難解、高踏的、前衛的といった印象を抱いていることと思う。この雑誌についての漠然とした印象はいわゆるヌーヴォー・ロマンの拠点としてのそれであり、一貫してソレルスによって主導された雑誌の理解として大きく的を外してはいない。しかし私が仄聞あるいは推測するだけでもこの雑誌にはほかにもいくつかの異なった顔がある。例えばある時期、この雑誌は毛沢東主義に深く接近したはずだ。村上龍の「愛と幻想のファシズム」には「川崎労働者委員会テル・ケル派」なる新左翼組織が登場して初読した際には思わず苦笑したが、前衛性はともかく、ヌーヴォー・ロマンと政治性の唐突な結合には誰しも違和感を覚えるだろう。あるいはある時期、この雑誌の編集長をマルスラン・プレネーが務めたことを私は知っている。プレネーとは日本でも『絵画の教え』が翻訳され、60年のフランスにおいて最も先鋭な美術運動、シュポール/シュルファスの理論家であったはずだ。本書においてはかくも多様な論者たちを包摂し、1960年から82年まで、四半世紀の長きにわたって発行されたこの雑誌が概観され、フランスの知的な潮流の中で果たした役割が検証される。最初に言っておく。本書に対してはこの雑誌の変遷を概観すること以上の内容の深まりを求めない方がよい。しかしこれまでその全貌が必ずしも明らかでなかったこの雑誌について多くの知見を与える点において一読の価値はあるだろう。別の言葉を用いるならば本書は一つの雑誌によって戦後のフランスの思想界を縦覧する試みである。冒頭の章でレジス・ドゥブレの言葉が引用される。ドゥブレによれば現代フランスの知的勢力の推移は三つのサイクルとして説明することが可能であり、それぞれ「大学の時代」、「出版の時代」。「メディアの時代」であり、「出版の時代」とは1920年から1960年までをいうという。今述べたとおり、「テル・ケル」は60年に創刊されているから、必ずしもこの分類に沿ってはいないが、確かに今日のようにインターネットが発達する以前には一つの雑誌が文化に決定的な影響を与える時代が存在した。本書から離れるが、私はこの点で、1950年代に世界各地で発行されたリトル・マガジンが当時の美術に与えた影響については今後より深く検証されるべきであろうと考えている。抽象表現主義、アンフォルメル、あるいは日本の50年代美術には機関誌や会誌、批評誌といった多くの雑誌が深く関与しており、しばしば国際的な交流に寄与した。このような時代はほかにない。「テル・ケル」はまさにこの時代に連なっている。「出版の時代」を象徴するかのように、私はこの雑誌以外にもフランスの知識人層に支持された雑誌の名前を直ちに二つ挙げることができる。ジャン・ポーランの「NRF(新フランス評論)」とサルトルの「レ・タン・モデルヌ(現代)」だ。これらの雑誌の背後にはスイユ、あるいはミニュイといった有名出版社が存在するから、フランスの出版文化の厚みも自ずと明らかであろう。
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 本書においては、まず文芸出版社としてガリマールに次ぐ大手であったスイユ社が1069年に「テル・ケル」という新しい雑誌を発行するに至る複雑な経緯が検証される。この雑誌はフィリップ・ソレルスという一つの才能とともに永く記憶される。1957年に「挑戦」、翌年に「奇妙な孤独」を刊行して華々しくデヴューしたソレルスの著作を私はいくつか所有している。しかし正直に告白するが、実は私はそれらを通読したことがない。私が愛読した集英社版の「世界の文学」においてソレルスはル・クレジオと一緒に収録されている。私はル・クレジオの「愛する大地」を読んだ記憶はあるが、同じ巻に収録された比較的短い「挑戦」「奇妙な孤独」「プッサンを読む」を読んでいないと思う。あるいは写真に示したとおり、私は新潮社から岩崎力によって訳出された「ノンブル」「ドラマ」といった、おそらく現在では稀覯書に類するソレルスの著作を買い求めている。しかし当時高校生であった私にこれらの書物はハードルが高過ぎた。私は大学の教養時にロブ=グリエやクロード・シモンといったそれなりに難解なヌーヴォー・ロマンについては(「理解」したか否かは問わないが)それなりに読み継いでいるから、今となってはむしろソレルス一人に対する拒絶反応の理由が興味深い。さらに本書を読むならば。創刊時の「テル・ケル」にはソレルス以外にも多くの興味深い人士が関わっている。例えばフランシス・ポンジュだ。「物の詩人」として知られるポンジュを私はむしろ前アンフォルメル、例えばフォートリエの擁護者として認識していた。ジャン・ポーラン然りアンドレ・マルロー然り、当時のフランスの知識人は美術に対しても一家言をもっていたから不思議ではないかもしれないが、ポンジェはこれ以降も一貫して「テル・ケル」を擁護する数少ない識者であった。
 創刊号においてはニーチェからのエピグラフに続いて、宣言が掲載されたという。「宣言」という主題も興味深い。おそらくこの時代は「宣言」が何かしらの有効性をもちえた最後の時代といえよう。一方、本書で論じられるとおり、今世紀前半は「未来派宣言」に始まり、シュルレアリスムやダダイスム、多くの「宣言」に彩れた時代であったから、前衛という言葉がなおも意味をもちえた時代に創刊されたこの雑誌と「宣言」の親和性は高い。毀誉褒貶の激しい創刊号の中にはシモンの「フランドルへの道」の冒頭部分が「追跡」というタイトルとともに掲載されている。この点はその後のヌーヴォー・ロマンとの関係を暗示するかのようだ。しかし本書を読んで驚いたことには、両者の蜜月はまもなく解消される。最初こそヌーヴォー・ロマンに関連する記事も多く、61年に発行された5号にはロブ=グリエの「去年、マリエンバードで」のシネコンテが掲載されている。しかし65年の時点でソレルスとロブ=グリエは決別し、彼らに代わって誌面で積極的に紹介された作家がアルトナン・アルトーとジョルジュ・バタイユであったという記述にも驚く。ヌーヴォー・ロマンがミニュイのジェローム・ランドンという辣腕編集者によって世に出たことに対して、出版社としてのなんらかの力学が働いたのかもしれない。確かにアルトーの「残酷演劇」やバタイユの「アンフォルム」が20世紀末の美術批評の重要な解釈格子として再導入されたことを私たちは知っている。しかし60年代にあって前衛を標榜する雑誌にアルトーとバタイユはないだろうというのが私の率直な感想であった。アルトーやバタイユとともに初期の「テル・ケル」に大きな影を落としているのはアルジェリア戦争である。雑誌の創刊前夜にソレルスがピエール・プロヴァンシェルという親友の戦死を知って衝撃を受けたという逸話が紹介されている。将来を嘱望される若者が「戦死」によって命を落とすという状況は同時代の日本ではさすがに考えられない。かかる切迫感もこの雑誌の背景にあるかもしれない。
 長く続いた「テル・ケル」であるが、その内幕は決して平坦ではない。まもなくソレルスとジャン=エデルン・アリエの対立をめぐって編集部の内訌が激化し、1963年には編集長はプレネーと交代する。この時期に迎え入れられたメンバーは重要だ。ジェラール・ジュネット、ジュリア・クリステヴァ、そしてロラン・バルトといった記号論の泰斗たちが次々に「テル・ケル」に参加し、そしてまもなくミシェル・フーコーが加わる。注目すべきは彼らの参入にあたってはソレルスがしばしば関与していた点である。この意味でもこの雑誌の性格はソレルスが定めたといえよう。1971年に「テル・ケル」はバルトの特集を組み、テル・ケル叢書からは何冊かのバルトの著書が刊行されている。私は学生時代にジュネットとバルトは愛読していたから、記号論をめぐる知的風土がこのような集団によって培われたことを今回あらためて思い知った。この時期はいうまでもなく1968年、学生叛乱の時代でもある。フーコーとサルトルが街頭で抗議行動をする象徴的な写真も収められている。当時の知識人たちが五月革命にどのように対処したかという点も本書の読みどころの一つといえるだろう。アルジェリア戦争と五月革命、自らが死地に赴くかもしれないというきわめて具体的な状況の中から高度に抽象的な思考が胚胎したことが理解される。そしてこの雑誌はさらに意外な固有名をめぐって特集を重ねることとなる。セリーヌとサドだ。対独協力、あるいは反ユダヤ主義といった経歴や主張のゆえに隠棲を余儀なくされた「呪われた作家」とサディズムの語源であり忌むべきポルノ作家とみなされていた侯爵、彼らを「テル・ケル」が積極的に取り上げていたことも私を驚かせた。今思い起こせばバルトにはサド論があり、フーコーはセリーヌについて論じていなかっただろうか。意外な対象に接近する反面、編集部の内部では暗闘が繰り広げられる。ことにフランス共産党との関係をめぐって編集部は分裂する。そしてこの時期にさらに二人の知的巨人とこの雑誌が邂逅する。デリダとラカンである。難解をもって知られるこの二人がいずれも「テル・ケル」と不即不離の関係をとっていたという歴史的事実は興味深い。今まで私はこの雑誌との関連において多くのフランスの思想家の名を引いたが、これらの名前から連想されるのは次のロザリンド・クラウスの言葉である。

 ニューヨークを中心とする美術界が「芸術と文化」の衝撃に見舞われていたときに、アメリカにおける他の分野の文化的・知的生活においては、国外からやって来て、この国のほぼすべての批評思想が基づいていた歴史主義的前提に異議を唱えたある言説の影響を被っていたのである。その言説とは言うまでもなく、構造主義とそれを後に修正するポスト構造主義だったのである。

 ここで言及される言説、とりわけポスト構造主義こそ、「テル・ケル」が様々の論者を通して紡いだ言説であり、私はあらためてここで触れられた思想家たち、例えばバルト、フーコー、ラカンそしてバタイユらが意欲的に紹介された英語圏の雑誌を思い浮かべた。言うまでもない、クラウスがアネット・マイケルソンとともに1976年に立ち上げた「オクトーバー」である。興味深いことには今述べたフランスの思想家たちが必ずしも明確に論じることのなかった領域、すなわち現代美術に対して換骨奪胎された彼らの理論が導入されているのだ。ドゥブレは「出版の時代」を1960年で区切ったが、実は70年代においても「テル・ケル」は別の言語、別の領域において、別の雑誌を通して豊かな成果を育んだのである。ここで『オクトーバー』について詳しく論じることは控えるが、60年代から70年代にかけて批評理論の分野において、雑誌を介したフランスとアメリカの豊かな交流はきわめて興味深く感じられた。
 「テル・ケル」は最後の局面でも意外な対象に接近する。中国の毛沢東思想である。フランスにおける中国への関心の高まりはたとえば1967年のゴダールの「中国女」といったフィルムにその片鱗をうかがうことができるが、フランス共産党と袂を分かった後、1974年にソレルス、クリステヴァ、プレネー、バルトらは訪中し、文化革命末期の中国に滞在する。中国文化の影響は、例えばテクストへの漢字の導入といったかたちで以後のソレルスにも認められるが、雑誌になんらかの本質的な変化をもたらしたかといえば、おそらく深い影響はないだろう。なぜなら数年もしないうちに今度は「アメリカ」が特集され、ウィリアム・バロウズやギンズバーグが論じられるからだ。巻末の総目次を参照するならば「テル・ケル」は71年以降、しばしば特集を組んで、読者の関心を誘導した形跡がある。そこには雑誌経営に関する配慮も介在していただろうが、それらの特集は70年代後半に入るといささか恣意的な印象がある。80年代に入るとこの雑誌を側面から支えてバルトとラカンが次々に他界した。「テル・ケル」は82年に94号をもって終刊したが、私はこのタイミングはきわめて適切な判断であったと考える。いずれにせよ一つの時代はすでに終焉していたのだ。
 対象とする期間が長く、関係者が多いことを差し引いても、本書は冗長で読みやすいとはいえない。一見クロノロジカルに論じられているが、時間的な揺れが多いことも本書の理解を妨げている。関係者へのインタビューがソレルスに対して一度しかなされていない点も(本書はおそらく博士学位請求論文であろうから)論文のクオリティという点では随分甘く感じられる。特に私が残念に感じたのは美術に関する言及がしばしばなされるが、いつも唐突で全く深められることがない点だ。本書にはイヴ・クライン、ジャクソン・ポロック、ブラック・マウンテン・カレッジ、あるいはピカソについての言及があるが、いずれも「テル・ケル」との関係がはっきりしない。先に書いたとおりプレネーは美術評論家としても知られているから、緻密に検証された場合、さらに踏み込んだ議論、すなわち1960年代にアメリカの同時代の美術がフランス側にどのように認識されていたかという重要な問題へと接続される可能性があったが、この点も深められることはない。研究論文として不体裁は否めないが、「日本において『テル・ケル』に関するまとまった著作が皆無であるという事実」を鑑みるに、ひとまずは参照されるべき文献であろうし、「テル・ケル」を通して、アメリカの戦後美術と美術批評を問い直す作業はまだ私たちに残されている。
# by gravity97 | 2019-01-27 21:15 | 批評理論 | Comments(0)
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# by gravity97 | 2019-01-17 19:54 | MY FAVORITE | Comments(0)
  

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