b0138838_21131780.jpg 飲酒をめぐるエッセーを読むことは楽しい。私は時折山口瞳から開高健にいたるお気に入りのエッセーを読み返し、ウイスキーから焼酎まで特集記事が掲載された雑誌のコラムを斜め読みする。もちろん一つには私自身が無類の酒好きだということがあるだろう。好みはあるにせよ、私は食卓に供されるどんな酒でも受け容れて、それなりに楽しむことができる。アルコールとは一種の過剰である。水がなければ私たちは命を失うが、ビールやワインを飲まなくても生きていくことはできる。それは絵画や小説がなくても私たちが生きていけることと同じだ。しかしモネやプルーストが存在しない世界を想像することができないように、私はワインなき食卓、グラッパ抜きの豪華なディナー、シャンパーニュのない記念日を想像することができない。
 私は日常ではビールを飲むことが多いが、楽しいディナーの最後はレストランであろうと自宅であろうとグラッパで締めくくる。さらに毎晩ナイトキャップとして炭酸とライムを加えたジンも欠かさない。しかしワインには特別の思い入れがある。私は自分をワイン通と思ったことは一度たりともないし、ワインの味がわかるとも思わない。しかしワインについては四半期に一度、数ダースの単位でまとめ買いをして、その日の料理や気分に合わせて選ぶようにしている。選択の幅が重要なのだ。ビールであろうとジンであろうと、同じ銘柄であれば味はほとんど変わらず、日常で手が届く範囲では銘柄にもさほど幅はない。確かにスピリッツについては専門のバーに行けば、ある程度のヴァリエーションに触れることはできようが、一度に大量に飲むことはないから自宅ではむしろ同じ味わいであることを優先する。ジンであればゴードンとボンベイ・サファイアを常備しておれば問題はない。これらの酒は日常の中で常に同じ陶酔を保証してくれる。これに対してワインは常に異なった悦び、非日常性を帯びている。一本一本が異なり、同じ味わいがないからだ。私はワインの注文に際しては、私の嗜好を知り抜いたバイヤーになるべくヴァリエーションをつけて選ぶように依頼する。もちろん私が求めるワインなどたかが知れており、レストランで普通に飲む程度のクオリティーにすぎない。しかしそれにせよ今日飲むワインには、昨日飲んだワインとも明日飲むワインとも異なる特別感があり、人生を区切る。以前の勤務先を離れる際にはなむけとして贈られ、贈り手たちとともにその場で空けたムートン・ロートシルト(これは高価であったはずだ。おそらく私がこれまでに飲んだ最も高価なワインであろう)、毎年クリスマス前に通うことを常としたレストランでソムリエから注がれた数々のイタリアンワイン、夏の午後、水平線を臨むレストランで開栓した甲州ワイン、肝心のワインの味についての記憶は失っても、ワインを飲んだ状況と幸福感はいつも明確に浮かび上がる。このような記憶はほかの種類の酒ではありえないだろう。ワインには常に物語があるのだ。
 自分のことばかり書いてしまった。本書は私など足下にも及ばぬコノシュアーによって記されたワインをめぐるエッセーである。ポートレートに添えられた履歴によれば「1961年、跡見学園短期大学卒業、78年よりパリ在住。カルチェ・ラタンでの暮らしは二十余年を数える。フランスワインと料理を愛するエッセイストとして活躍」とのことであるから、かなりの高齢であろうが、交友の広さとワインに対する造詣の深さは少しでも本書を読めば直ちに理解できる。この種のエッセーは自慢話に終始した、読むに耐えない内容であることが多いが、本書ではロマネ・コンティからドン・ペリニョンまでおそらく私が一生飲むことのない垂涎のワインが嫌味も気取りもなく次々に俎上に上がる。それもそのはずだ、著者がテーブルを囲む相手はドン・ペリニョンの醸造長やフランスの学士院の会員といった名士ばかりであり、ワインについてのポテンシャルが異なるのだ。あとがきによれば彼女の夫君も食文化を専門とする地理学者、ワインやフランス料理について多くの著作があるフランス人であるという。思うにワインに対する感覚というのはある程度の、いや相当の経験を積まない限り獲得できない一つの文化資本であり、今なおヨーロッパの特定の階級によって占有されているのではないだろうか。本書の中には夕食会に供された見事なワインについて(ブルゴーニュのピノ・ノワールであることは自分でもすぐわかったと書いてあるが、これさえ私にとっては神業としか思えない)、その場に居合わせた客たちが、ラ・ターシュやリシュブール、エシェゾーなどの名を挙げ、最後に一人がクロ・ド・ヴジョであることを当てたというエピソードが紹介されている。私にはなんのことやらわからないし、書き手を得なければ、単にスノッブの自慢話と受け取られかねないエピソードであるが、フランスには実際にこのようなコノシュアーの層が存在する訳である。そしてこのような感覚はワインについての想像を絶する経験に裏打ちされているはずだ。私はレストランやTVでワインについての蘊蓄を傾ける日本人を見かけた時には失笑を禁じ得ないし、ロバート・パーカーにみられるアメリカ人のワインに対する偏執性も一種の劣等感の裏返しのように感じられる。もちろん、本書で語られるようなワインを囲む豪奢な晩餐はあってよいし、ワイン通だけにわかる利き酒やらワインの楽しみもあってよい。しかし私がワインを好むのは、彼らのようなコノシュアーならずともワインは日常にアクセントをつけ、特別な一日を刻んでくれるからだ。ワインの記憶とは多くの場合、幸せな体験の記憶である。ヴィンテージ・ワインを飲む体験は貴重かもしれないが、ワインをめぐる愉しみは何を飲んだかというよりも、誰と飲んだか、どんな機会に飲んだかといった、付随的な状況に多くを負っているように感じる。かつて80年代のバブル期には有名なワインの銘柄を定めて年代ごとに飲み比べるという「垂直テイスティング」が流行したという。私は貴重なワインをそのようにして消費することの意味がわからない。少し口に入れては吐き出すといういわゆるテイスティングも同様だ。本書で次々に言及される高級ワインを私も飲んでみたいと思わない訳ではない。しかし特に羨ましいとも思わない。もっと手頃なワインでも、それを飲む状況さえ満たされれば同様に美味しく味わえるはずだ。三ツ星レストランを訪ねずとも、自分好みの店を美味しいレストランをいくつか知っておれば幸せであることと同じだ。本書の中で「パペットの晩餐会」という映画への言及がある。パペットという牧師館の家政婦が宝くじの賞金で晩餐会を開く。かつてのパリの名店で働いていたパペットは経験を生かして素晴らしい料理とワインで12人の客をもてなし、彼らの心を開かせるといったストーリーであり、晩餐会の場面でふるまわれたワインはクロ・ド・ヴジョ1846というワインであったらしい。戸塚はこの銘柄を愛好するらしく、いくつかの章でこのシャトーについての言及がある。しかしこのワインを飲んだから人々が打ち解けたのではなかろう。人々が打ち解ける晩餐の場にふさわしいワインとして選ばれたはずだ。先に掲げた私の体験においてもまず場があって、それにふさわしいワインが記憶されているのである。
 「ワイン色の海を眺める幸福感」と題された最初のエッセーはワイン色の海、地中海をめぐるワインの記憶から始められ、オデュセイア、そしてシュリーマンと語り継がれる。以前このブログで論じた鴻巣友季子のエッセーにもワインと文学の類似性を説く興味深い指摘があったが、ワインをめぐる関心は縦横に広がる。空間と時間という対比を持ち出すならば、場所に関して本書の中ではグルジアからイスラエル、ポンペイといった土地とワインとの関わりが論じられる一方で、シトー会の修道院の葡萄畑の区画ごとの微妙なテロワールについて語られる。歴史に関しては世界最古のワインの産地とみなされるグルジアで作りたてのワインを飲んだ体験が回想されたかと思えば、ブルゴーニュのワイン産業の交流に貢献したヴァロワ朝の諸公をめぐる物語が語られる。あるいは具体的なワインの飲み方についての提案としては「ロゼのオンザロックを南仏で」、「シャンパーニュをワイルドに飲んでみよう」といったタイトルにすでに著者らしい工夫は明らかだ。もっとも後者がパリの高級レストランでドン・ペリニョンのミレジムばかり5本を4人で飲み切るというとんでもない晩餐の経験に触発されたアイデアであると知ると、果たして私たちに真似のできる贅沢であろうかという思いはある。しかしおそらく著者の真意は高級なワインを崇めるのではなく、その可能性をいかに楽しむかということであろうから、もっとささやかなレヴェルで同様の実験は私にもできそうな気がするし、本書を読んで私はワインの飲み方のヴァリエーションの奥深さをあらためて知った。前にも記したが、私はワインを常に料理とともに嗜む。「いいワインとは何か」というエッセーの中で著者はワインの健康における効用、そして料理とのマリアージュについて論じているが、パリでは鮮魚を入手することが難しく、それゆえ肉食が増えたことを嘆く。しかし日本では新鮮な海産物を手に入れることはたやすく、一方で肉食についても家畜からジビエまでレストランならずとも家庭料理の中で味わうことができる。世界中のワインを店頭やネットで求めることが可能となった今日、日本はワインを楽しむことに関して相当のアドヴァンテイジがあるのではないだろうか。
 最初に私はワインのない食卓をモネのない美術館に喩えた。本書を通読して私はワインと名画の共通点をもう一つ思いついた。いずれも本来、純粋に官能的な陶酔のために存在し、私たちはそれらをそのように享受すべきなのだ。このような感覚はきわめて個人的であり、同時に金銭的な価値に置き換えることができない。これに対して、絵画やワインを投機、あるいは資産形成の対象とする卑しい発想が存在する。例えばバーネット・ニューマンの代表作の「譲渡手続き」によって「特別利益」を得る発想がそれだ。先にも触れたパーカーによるいわゆるパーカー・ポイントによって格付けされたワインもまたこのような目的に見合っている。正確に言えば、ワインそのものではなくワインを100点満点で格付けるという発想が機械的な尺度として「投機家」たちには理解しやすいからだ。作品を転売する、投機目的で特定の年、特定の銘柄のワインを買い占めることは、絵画やワインから陶酔を味わおうとする立場の対極にある。本書の中で言及され、賞味されるワインは多くが信じられないほど高額であろう。しかし著者はひたすらそれらの官能について論じ、その価格については触れない。(例外的にブリュージュで飲んだコント・ラフォンという銘柄が160ユーロと安かったが、その味はひどかったというエピソードがある)それはヨーロッパの一つの階級に保持された矜持ではないか。著者はフランス人の友人の次の言葉を書き留めている。「僕のロマネ・コンティの一本を1万5千ユーロ(約200万円)で売れという奴がいるんだ。そ奴はもう、3万ユーロで買うという客を見つけているらしい。それを買った奴は5万ユーロで売るのだとさ。僕は売る気は全くないよ」モネの絵画を見ることが視覚の快楽に関わっているように、ワインを嗜む体験も純粋に私たちの官能と関わっている。おそらく現在においてもヨーロッパにはかかる官能を享受するためだけにワインを開栓する階級が存在する。体験においても能力においても彼らに遠く及ばないことを自覚しつつも、私も引き続き純粋に自らのひとときの陶酔のためにワインを愛好したいと考える。昨今、絵画や彫刻を収益の源泉とみなす愚劣な思考が蔓延し、それは「先進美術館」といった醜悪な発想として結実した。しかし優れた絵画や立体は本書で言及されるワインと同様に本質において陶酔と官能の源泉であるはずだ。私はかかる真実をフェルメールやロスコの絵画、セラの立体を通して学んだ。
# by gravity97 | 2018-09-23 21:17 | エピキュリズム | Comments(0)
以前、このブログでも論じたとおり、かつて『週刊新潮』は桐山襲の「パルチザン伝説」に対して文学的にも看過できない愚劣な誹謗中傷を行い、右翼による河出書房新社および作家に対する攻撃を誘発し、単行本化は中止された。(陣野俊史『テロルの伝説 桐山襲烈伝』)この一事によっても、私はすでに新潮社が「文芸出版社」を名乗る資格はないと理解していたが、このたびの「新潮45」における唾棄すべき差別文書の掲載について、以下のコメントが発表された。

弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。
しかし、今回の「新潮45」の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分に関しては、それらを鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。
差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。
弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です。

 株式会社 新潮社
  代表取締役社長 佐藤隆信

議論の余地なきヘイト記事に対して、なお表現の自由や意見の多様性、さらに編集権の独立といった言辞を弄してその犯罪性を隠蔽し、一切の謝罪のない文面には唖然とするしかない。もはや文学に携わる者としての矜持も誇りもなく、戦後最低最悪の政権にすり寄る出版社の姿勢には嫌悪しか感じられない。

蟷螂の斧であることは承知している。
このブログでは今後一切、新潮社の刊行した出版物に対してレヴューすることはない。
# by gravity97 | 2018-09-21 20:47 | Miscs. | Comments(0)
b0138838_20551192.jpg

 横浜美術館に「モネ それからの100年」を訪ねる。英文タイトルはさらに直截に「Monet’s Legacy」。何をもって100年の起点としたかは定かでないが、印象派を代表するモネの画業が後代の画家たちにいかに継承されたかというテーマはタイトルから既に明らかだ。一人の画家や運動がその後の美術、ことに現代美術にどのような影響を与えたかという問題は批評家にとっても学芸員にとっても興味が尽きない。実は今回の展覧会には10年ほど前に先例がある。2007年に国立新美術館で開かれた「大回顧展 モネ」がそれであり、その際にはオルセーから借り出された作品を中心にモネの画業を紹介する一方で、奇しくも「モネの遺産 モネと20世紀」と題された最後のセクションにおいて今回と同様に日本も含めた20世紀以降の作家の作品が紹介されていた。展覧会を見た折には少々強引な印象を受けたが、ルイス、ロスコからリヒター、日本であれば松本陽子や堂本尚郎といった作家のラインナップは今回の展示と重複があり、私は一種の既視感とともに今回の展示をめぐった。
 10年の時を隔てて類似した展覧会が企画されたことはモネの絵画の多産性を物語っている。そして私がモネの絵画の現代性を強く印象づけられた記憶はさらに10年ほどさかのぼる。1999年に私はニューヨーク近代美術館からテート・ギャラリーへ巡回したジャクソン・ポロックの回顧展をロンドンでも見た。その際におそらくは意図的に時期を重ねて、ロイヤル・アカデミーで「20世紀のモネ」という展覧会が開かれていた。知られているとおり、20世紀に入るとモネは目を患って作品の制作に呻吟する。晩年に制作された作品は多くが横長の大作で時に描かれた対象が不分明になるほど強い絵具の物質感を宿していた。しかしながらそれらの作品はテートで見たポロックに完全に拮抗していた。モネとポロックの類似性といえば、ウィリアム・ルービンが「ジャクソン・ポロックと近代的伝統」の中で論じた極端に横長の巨大なフォーマットに言及されることが多い。しかし私は二人の画家の回顧展を見て、ともに画面の圧倒的な不透明さこそが共通している点を理解した。これはポロックについても意外な発見であったが、多く陽光のあふれる風景画で知られ、それゆえ澄明な印象のあったモネの晩年の変容、そして画面に持続する緊張と強度は大きな衝撃であり、この画家に対して漠然と抱いていた牧歌的な印象を一新させた。
b0138838_20555524.jpg 少し視点を変えることにしよう。同様の影響関係を主題とした展覧会として数年前に日本各地を巡回した「日本におけるキュビスム」がある。「ピカソ・インパクト」というサブタイトルが示唆するとおり、この展覧会のみどころは1950年代の日本においてピカソが日本人作家たちによってどのように受容されたかという問題をジャンル横断的に示した点にあった。この展覧会と比較する時、モネ受容とピカソ受容の差異は明らかだ。日本画から工芸に及ぶピカソの影響は直ちに理解される。なぜならそれらはピカソの絵画にあまりにも似ているからだ。ピカソの影響は顕在的で直示的である。形式的にあまりに独自であるがゆえに、ピカソのキュビスムは一種の拘束衣として機能した。拘束衣は比喩ではない。例えば今回の展覧会、そして「大回顧展 モネ」にも出品されたヴィレム・デ・クーニングは最初キュビスム風のモノクローム絵画を制作していたが、絵画表面の硬直を打破するためにアクションを導入した。キュビスムのファセット構造はその堅牢さのゆえにモダニズム絵画の表面を閉ざしていく。(この点はファセットの論理的帰結であるグリッド構造に関してロザリンド・クラウスが論じた点である)これに対してモネのインパクトは潜在的で共示的とはいえないか。例えば今も挙げたロスコ、ルイスとリヒター、世代も作風も異なる三人の「抽象絵画」は一見するならばモネと全く似ていない。しかしある程度モダニズム絵画に通じた者であれば、彼らの一見ばらばらな絵画にモネとの類縁性を見出すことは難しくない。このような関係線の発見こそがこの展覧会の醍醐味であることはいうまでもなかろう。
 二つの展覧会に戻る。2007年の「大回顧展 モネ」においてはオルセーを中心に国内外から集められた97点のモネの絵画を紹介した後に、その影響下にある26点のモネ以降の作品が展示されていた。私の記憶では展示も二部構成であったと思う。これに対して今回の展覧会では四つのセクションのいずれにもモネと後代の作家の作品が併置されていた。四つのセクションとは「新しい絵画へ―立ちあがる色彩と筆触」「形なきものへの眼差し―光、大気、水」「モネへのオマージュ―さまざまな『引用』のかたち」「フレームを超えて―拡張するイメージと空間」である。オルセーの全面的な協力のもとに「大回顧展」と銘打った2007年の展覧会に比べるならば、国内に所蔵されているモネの作品を丹念に集めて構成された今回の展示は華やかさには欠けるが、日本の美術館のコレクションの充実を確認する意味でも意義深く、安易な海外美術館のコレクション展を批判してきた私としては十分に評価できる内容である。いちいち確認はしていないが、おそらく国内に所蔵されながら、今回の展示で初めて目にしたモネの絵画も多かったことと思う。さて、今引用したセクションのタイトルはモネの絵画が秘めたいくつもの可能性を暗示している。例えば色彩や筆触、光や「アンフォルム」、あるいは空間的拡張。この点において私は「モネへのオマージュ」と題されたセクションはない方がよかったのではなかろうか。睡蓮、あるいは時にあからさまにモネの名をタイトルに掲げた作品はあまりにもモネに寄りかかっており、多くオマージュというより引用の域を出ていない。むしろ個々の作家がモネの絵画のいかなる可能性を自らの作品に取り込んだかという点が問われるべきと考えるからだ。
 最初のセクションの色彩と筆触という主題は理解しやすい。必ずしもモネに限定されないが、印象派の革新とは視覚混合という光学原理を取り入れることによって色彩を筆触へと分割した点に求められる。混色されない色彩は澄明であり、印象派以前の暗くマットな画面とは全く異なった視覚を可能にした。言い換えるならばモネにおいて色彩と筆触は分かちがたく、このセクションに分類された作家たちは両方の問題と深く関わっている。例えば中西夏之の一連の絵画も光、あるいは筆触といった観点から検証することが可能であり、多用される緑や紫という特殊な色彩も印象派を参照する時、決して不自然ではない。岡崎乾二郎のディプティクも筆触という点においてはモネと共通する。ただし岡崎の絵画を連作形式の可能性まで射程に入れた試みとみなすかは微妙だ。モネと岡崎の関係を必然とみるか牽強付会とみるか意見は分かれるかもしれないが、隣接によって強引に関係を作り出すことこそが展覧会の本質だと考える私としては、このような冒険に共感する。筆触が色彩を離れて自立する時、自発的なストロークが発生する。一見するならばモネの画面とは大きく異なるが、デ・クーニングとジョアン・ミッチェルはこのような問題意識に基づいて召喚されたのであろう。あるいは堂本尚郎のアンフォルメル期の作品もこのセクションに配されて場を得ている。堂本に関しては水平性という点において晩年の一連のステイニング絵画とモネの共通性が語られることが多かったが、本展においては「モネへのオマージュ」のセクションで展示された《連鎖反応―クロード・モネに捧げる》以上に本質的なモネとの照応を示しているように感じられた。今回の展覧会の展示の工夫の一つとして堂本をはじめとする何人かの作家については、異なったセクションに別々の作品が配置されていることを指摘できるだろう。これはそれぞれの作家の問題意識の広がりと、それらが同じモネという一人の先達によって触発されたものであることを暗示している。
 この展覧会の最初のセクションと二番目のセクションで紹介されたモネ以外の作品群はアクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティング、抽象表現主義の二つの趨勢にほぼ対応している。前者においては筆触の問題が、後者においては不定形な色彩の広がりが主題化されていることを考えるならば、かかる分類は妥当であり、別の言い方を用いるならば、モネの絵画は抽象表現主義の二つの類型のいずれにも大きな示唆を与えたといえよう。キュビスムとの比較はこの点でも意味をもつ。抽象表現主義にとってキュビスムが(シュルレアリスムと同様に)直面する克服すべき課題として、限定的、閉鎖的な意味を持ったのに対して、モネの絵画は離れた地点に見出される可能性であり、多様的、開放的な意味をもった。もっともモネにおいて両者が矛盾なく連続することは、稠密に描き込まれた断崖と海の風景と霧の中にかすむチャリング・クロス橋がさほど時を置かずして制作されていることからも明らかであろう。今回、モネの作品はほぼクロノロジカルに展示されているが、これはそれぞれのセクションの主題がこの順に深められたことを意味しない。生涯にわたって画家は繰り返しこれらのテーマを試行したと考えるべきであろう。
 「フレームを超えて」と題された最後のセクションにおいてはサブタイトルが示す通り、絵画を空間へと拡張させようとする画家の意図が確認される。このセクションに展示された作品の大半が睡蓮を主題としていることは興味深い。先にも触れたが、それまでの絵画のモティーフが立木や断崖、あるいは積藁や大聖堂と多く垂直的な構造を秘めていたのに対して、池に浮かぶ睡蓮は水平的な構造を宿している。ここにおいて画面は壁面よりも床面と親和し、実際に小野耕石は床に置かれたフロア・ピースを出品している。今回の展示を見て私は睡蓮を描く際の視点の位置、そして対象との距離についてあらためて考えてみたいと感じた。出品された作品だけを見ても、比較的高い位置から水面を見下ろした構図から近接して低い位置から睡蓮を描いた作例まで多くのヴァリエーションがある。縦構図と横構図の区別も水平性の問題と深く関わる。縦であれば視点は高くなり睡蓮との距離は広がるからだ。一方、先に述べたとおり、現在オランジュリーに収められている大作や晩年の抽象的な睡蓮を含めて明らかに最初から横向きの拡張を意図された一連の絵画が存在する。モネと画面のフォーマットの問題はさらに多くの作品を参照しながら検証する必要があるだろう。この問題に関しては出品作中、児玉靖枝の絵画がことに興味深く感じられた。児玉も一連のモティーフに基づいて具象と抽象の中間とも呼ぶべき絵画の制作を続けており、今年の春、ギャラリーMEMで見た「深韻」という個展の充実に私は感銘を受けた。今回発表された「深韻―水の系譜」は霧のかかった雑木林の視界、ホワイトアウトを主題としている。視覚の喪失、物質的な表面の中に垂直と水平が交錯する画面はとりわけ晩年のモネを強く連想させる。水平な水面が垂直化されるモネの絵画と本来垂直的な森林の風景が水平化される児玉の作品は双生児のようではないか。晩年のモネが睡蓮の大壁画によって展示室を満たす構想を抱いていたことはよく知られており、「フレームを超えて」というタイトルは明らかにそれを反映させている。しかしここで私たちが留意すべきは、モネはあくまでもこの課題を絵画において実現しようとしたことである。再び2007年の「モネ 大回顧展」と比較するならば、2007年の展覧会において「モネの遺産」のセクションはダン・フレイヴィンを例外として、基本的に絵画によって構成されていた。これに対して、今回の展覧会には多くの映像作品が含められていた。この点はモネの絵画の二つの主題と関わっているだろう。一つは反射や反映というモティーフであり、ことに水面の鏡像の表現と深く関わる。反射や反映は写真においても好まれた主題であるからから水面や蒸気を主題としたエドワード・スタイケンやアルフレッド・スティーグリッツらの写真が本展に含められる意味はたやすく理解できる。とりわけ水面の睡蓮を撮影した鈴木理策の作品は(実際には異なるが)本展のためのコミッションワークであるかのようだ。水野勝規と鈴木はヴィデオ作品も出品している。モネとの対比としてはわかりやすいが、私は今回の展覧会に映像作品を導入したことにいささか懐疑的だ。なぜなら既に写真術が成立していた時代にあえて絵画というメディウムを用いた点にこそ画家の問題意識が認められるからだ。この問題は端的にもう一つの主題、絵画の時間性という問題に連なる。モネが連作という形式を介して絵画に時間性を導入しようとしたことはよく知られている。絵画と時間という重大な問題についてここで詳しく立ち入る余裕はないが、もしモネがこの展覧会を見たならば写真やヴィデオによる時間性の導入をあまりに安易と感じるはずだ。ジャンルの横断という問題もこれに重ねることができよう。最初に述べたとおり、ピカソのキュビスムは、戦後の日本において日本画、彫刻から工芸に及ぶ広い領域にわたって受容された。ピカソ自身も彫刻やオブジェ、パピエ・コレといった様々なジャンルに分類される作品を残している。これに対して、モネは生涯を通して絵画へと集中した。しかしこの時、ピカソが様々のジャンルに多くのエピゴーネンしか生み出さなかったのに対して、モネの末裔として例えばロスコや中西、あるいは児玉のごとく一見それぞれに大きく異なりながらも、画家の教えをさらに徹底した優れた表現が成立ことには深い意味があるように感じられた。
b0138838_2057757.jpg 今回は展覧会に合わせて新作も制作されたらしいが、私が感心したのは福田美蘭の二枚の絵画である。《睡蓮の池》と題されつつも、描かれているのは水面の情景ではない。高層階にあるレストランの室内、輝くシャンパングラスが置かれたテーブル、窓の外の夜景、そして窓ガラスに映り込んだ室内の情景、乱反射する光によって実像と虚像のあわいはあいまいとなり、画面は何重もの光に満たされている。ここではモネが追求した主題の一つ、反射や反映が戸外の自然ではなく、豪奢なレストランの室内へと場を移して表現されている。モネを含む印象派の絵画が富裕層に必須のアイテム、アイコン美術品の一つとして消費されている現実を鑑みるに、高層ビルの最上階に位置する高級レストランの幻惑的なイメージもまた特権的な階級によってのみ享受される視覚であり、実はこの作品は内容においても一種の批評性を宿している。さらに写真撮影が間に合わなかったのだろうか、カタログには図版が掲載されていないが、同じ情景を明け方に描いたと思しきもう一点の作品も出品されていた。宴の前と宴の後、両者の対照が積藁連作にみられた異時同図のヴァリエーションであることはいうまでもない。もう一点の作品を加えることによって、福田はあえて自然光ではなく人工の光のもとで、モネが追求した時間性という主題にも応答している。福田の技倆の洗練についてはあらためて論じる必要もなかろう。
 「日本におけるキュビスム」においてピカソの影響は顕在的かつ直示的であるから、「ピカソの遺産」をたどることは、それが時に不毛に思えたとしても困難ではない。これに対して潜在的かつ共示的な「モネの遺産」はその輪郭を見定めることが難しく、画家の衣鉢を継ぐ作家の選択は時に恣意的に感じられるかもしれない。しかしあえてかかる選択を行うことがキューレーションであり、何より選ばれた作家たちにとって励ましとなるだろう。日本で現存の、それも若い世代の作家たちが多く展覧会に含まれたことは大きな意味があり、それは美術館に求められる当然の役割であるはずだ。
# by gravity97 | 2018-09-11 20:59 | 展覧会 | Comments(1)
b0138838_9393240.jpg
 ロザリンド・クラウスが1999年に発表した「独身者たち」が訳出された。いくつかの折りに発表された論文と書き下ろしのイントロダクションをコンパイルした内容であり、共通点としてはいずれも一人ないし二人の女性作家を論じている。このような構成から本書がフェミニズムと関わっていることは容易に想像されるが、これから述べるとおり議論はかなり屈折している。ムーヴメントとしてはシュルレアリスムからシミュレーショニズムにいたる多様な表現が扱われ、モダニズムからポスト・モダンへという文脈で理解されるべき作家たちである。ルイーズ・ブルジョワ、アグネス・マーティン、エヴァ・ヘスについて私はかなりの関心をもって知っていた。シェリー・レヴィーンとルイーズ・ローラーは名前ならば知っており、作品も見たことはある。シュルレアリスムの二人の写真家クロード・カーアンとドラ・マール、そしてフランチェスカ・ウッドマンの名を私は本書で初めて知った。私は原著も所持しているのでそちらも確認してみたのだが、本書のための書き下ろされたイントロダクションはともかく、いずれの論文も初出についての情報がないのはやや問題であろう。それぞれの章は長短があり、最も長いシンディ・シャーマンの章が全体の三分の一ほどを占めている。各章の末尾に発表年が記されているが、最も早いものはエヴァ・ヘスの1979年、最も新しいものはルイーズ・ローラーの1996年、1990年前後に執筆された文章が多いとはいえ、20年ほどの時の経過の中で書かれた文章であるから、問題意識や方法はゆるやかに変化しており、全体としての統一性、あるいは学術論文としての厳密性を欠いている。しかしそれを補って余りある刺激的な研究であるように感じられた。それというのもクラウスについてはその著述が今なお日本で十分に紹介されていないからだ。(それを言うならば、グリーンバーグはどうか、フリードはどうかといった声も当然あろうが)原著が1985年に発表され94年に訳出された「オリジナリティと反復」は現在入手困難な状況であり、続いて1993年に発表された「視覚的無意識」もいくつかの章が雑誌や展覧会カタログにばらばらに翻訳されたものの、いまだその全貌は日本語になっていない。博士論文として公刊されたデイヴィッド・スミス論はともかく、ロダンからスミッソンまで、現代彫刻の展開の過程を軽やかに論じた「近代彫刻のパッサージュ」も未訳であり、逆に近年、クラウスはポスト・メディウム論という別の文脈において注目を浴びつつあるが、関連する著書が翻訳されることもなく、日本の批評家たちからいささか我田引水的な参照をされることが多いのではないかというのが私の見立てだ。b0138838_9404894.jpgこの問題については巻末の解説の中で林道郎も触れている。クラウスは本書の刊行と同じ年、1999年に脳出血で倒れ、以後は執筆のペースが落ちている。私の印象では彼女がアメリカの美術批評界に圧倒的な影響力を与えた時期は70年代後半から90年代にかけて、「オクトーバー」誌を舞台に次々に刺激的な論文を発表した頃であった。ここに収められた論文も大半がその時期に執筆されており、いずれも興味深い論点を提供している。
 この時期の前半に執筆された論文を収録した「オリジナリティと反復」の序においてクラウスはクレメント・グリーンバーグへの批判を含意させて次のように述べている。

 ニューヨークを中心とする美術界が「芸術と文化」の衝撃に見舞われていた時に、アメリカにおける他の分野の文化的・知的生活においては、国外からやって来て、この国のほぼすべての批評思想が基づいていた歴史主義的諸前提に異議を唱えたある言説の影響を被っていたのである。その言説とは言うまでもなく、構造主義とそれを後に修正するポスト構造主義だったのであり、その分析的諸方法は「芸術と文化」が依存していた立場の根本的な転倒をもたらしたのである。構造主義は、歴史主義的モデルを意味の生成を理解する手段とするのを拒み、一方、ポスト構造主義の諸著作においては、先に述べたような永遠の超歴史的諸形式―それらは不朽の範疇と見なされ、そこにおいて美学が発達してきた―そのものが、今度は歴史的分析と布置へと開かれたのである。

 「オリジナリティと反復」を読むならば、この主張はよく理解できる。例えば有名な「展開された場における彫刻」はもはや名状しがたい形状を呈すにいたったアースワークを含む現代彫刻を歴史主義(例えば太古の巨石建造物への先祖返り)ではなく、クライン群と呼ばれる構造主義に由来する水平的な図式の中に配置するきわめて斬新な論考であった。このような姿勢は本書においても顕著であり、ユベール・ダミッシュやドゥルーズ/ガタリなど多くフランスに起源をもつ思考モデルを利用して、作品に対して新たな角度から分析が試みられている。しかし各論文が執筆された時期を考慮するならば、本書の中心的な主題はかつて彼女がイヴ=アラン・ボアとともにポンピドーセンターで企画した「アンフォルム」に連なっているだろう。「アンフォルム」についてはABC順に構成されたこの展覧会の異例のカタログが邦訳された際にこのブログで論じているので参照されたい。「アンフォルム」との関連を知るうえで、私にとって未知であった二人の女性写真家を論じた最初の章は適切な導入であろう。ここでクラウスは自分が美術批評を始めるにあたっての認識論的転回の手がかりの一つがシュルレアリスムの彫刻であったことを率直に語っている。シュルレアリスムの彫刻はしばしば女性に対する暴力的な侵犯のメタファーとしてフェミニズムの問題圏に接した。しかしクラウスは時にシュルレアリスムに分類されるジャコメッティの一連の彫刻に触れることによって、シュルレアリスムが美術史に対して示しうるはるかに豊かなパラダイムに想到する。その際に彼女が援用した作業仮説こそ、法皇ブルトンによってシュルレアリスムから追放された異教者、ジョルジュ・バタイユが提起する「アンフォルム」という概念であった。ジャコメッティの彫刻においてはクラウスが「アンフォルム」の本質とみなす意味でなく機能、すなわち「格下げ=脱分類化」が発動する。このような機能は女性性を男性優位への批判として「分類」するフェミニズムの思想とは必ずしも一致しない。クラウスの議論の屈折、つまりフェミニズムと深く関わりながら、原理主義的、本質主義的なフェミニズムを批判し、しばしばフェミニズムの陣営から反論された一連の批評はこのような前提に基づいている。続いてクラウスはシュルレアリスムの写真を引用しながら、主体の揺れや擬態といったアンフォルムと連なる特性を指摘する。これは「オリジナリティと反復」中の「シュルレアリスムの写真的条件」という論文をさらに敷衍した内容であるが、バタイユという参照項を得て議論はさらに深められる。詳しい議論は本書を参照いただくことにして、ここで引用される写真家のうち、知られることの少ないクロード・カーアンは(「シュルレアリスムの写真的条件」の中には言及がない)、女性写真家でありながら男性を暗示するクロードという偽名を用いている。これもまたバタイユ的な脱分類化、主体の揺らぎを暗示する事態であるが、このような性差の横断をさらに大胆に押し進めた作家こそ、ローズ・セラヴィという偽名をもつマルセル・デュシャンであり、この時、誰しも本書のタイトルの意味を理解するだろう。すなわち「独身者たち」とはデュシャンの代表作《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》、通称「大ガラス」から引用されており、実際に章の最後でこの作品についての言及がある。すすなわちMarcel という名の前半のMar はMariėe、つまり花嫁であり、後半のCel のCėlibataires 独身者であるというのだ。この対比によって「大ガラス」の構成が決定されたという指摘は通説なのであろうか、私は本書を読んで初めて知った。
 第二章ではルイーズ・ブルジョワが論じられる。ペニスやヴァギナあるいは乳房といったエロティックな含意を帯びたブルジョワの作品を概観しつつ、クラウスはそれを身体の一部としての「部分像」ではなく本能や衝動の目的とされる「部分対象」であるとみなし、心理学の領域へと導き入れる。そしてメラニー・クラインが記述する症例などを引きつつ、伝統的な精神分析では想像の領域にあるとみなされた幻想や欲望を現実的、物質的な場へと持ち込む「欲望機械」という概念を導入する。これがドゥルーズ/ガタリから引用されている点はいうまでもない。ここで注目すべきは幻想と現実という対比は20世紀の彫刻をめぐる重大な対立とも深く関わっていることである。少し長くなるが重要なパッセージなのでそのまま引用する。

 20世紀の彫刻家たちの多くは、彫刻を幻想や表象や理想の世界に封じ込めるガラスの球を粉砕しようとしてきたのである。彼らが彫刻に求めたのは現実の領域に存在し、機能し、作用することだったのだ。しかし彼らはあらゆる勢力―美術館、美術市場、作品を理想化していく美の言説―とも闘っていた。(中略)これらの勢力は20世紀を通じて彫刻を理想化し続けてきた。その一方でこの理想化と闘い続けてきた彫刻家たちもいる。彼らの多くが欲望機械、独身装置、部分対象といった論理に基づいて理想化に抵抗し続けたのである。

 クラウスにとって現代彫刻の展開とは、彫刻が表象から現実へと転じる過程であった。本書においては二人の女性「彫刻家」が論じられるが、もう一人のエヴァ・ヘスにおいて現実はおそらく物質と言い換えられて同様の問題意識に沿って分析される。かかる問題はむしろモダニズムに対するアンチ・テーゼであって、フェミニズムの問題とは重ならない。次にみるとおり、本書はフェミニズムを一つの前提としているが、クラウスの問題の射程は遙かに広い。最初に述べた「屈折」という言葉で私が意味したのはこのような事情である。言い換えるならば彼女ら二人が取り上げられた理由は女性であるからではなく、モダニズムに強烈な異和を唱える作品を発表したからである。したがってしばしばなされるようにブルジョワをシュルレアリスムと、ヘスをミニマリズムと関連させて論じることは二重三重の倒錯といえよう。ところで「機械」という言葉に私たちはまたしてもデュシャンの連想を禁じ得ない。大ガラスの下部に描かれた「独身者の機械」である。「独身者」と「機械」という二つの言葉の結合からも、私たちは本書の背後に隠されたテーマがデュシャンによる「格下げ=脱分類化」の解明であることを知るが、興味深いことにデュシャンとバタイユの関係が論じられることはない。
 アグネス・マーティンというやや意外な女性画家が召喚された章においてクラウスはカーシャ・リンヴィルという私にとって未知の批評家が『アートフォーラム』に発表した論文を手掛かりに現象学的な読解を試みる。リンヴィルはマーティンの絵画を見る三つの契機、つまり作品との距離の取り方によって発生する三つの視覚を区別し、それなりに説得的な議論を展開するが、クラウスはこのような三つの距離をユベール・ダミッシュの「雲の論理」を援用しながら検討する。ダミッシュの議論に詳しくない私にはこの章は難解であったが、ここに掲出されたブルネレスキの遠近法の実験の図解の挿図は本書にとっても重要であるように感じた。つまりここには遠近法という合理的な知覚に対して、雲あるいは鏡として名指しされた分析不可能な要素が介入することが暗示されており、それは別の箇所でアンフォルムあるいは表象不可能なものといった名を既に与えられているから、ミニマリズムの代表的な画家とみなされるマーティンに対しても作家の問題意識にぶれはない。そして同じ認識は本書の中で質量ともに最も充実したシンディ・シャーマン論の中でも繰り返される。例えば「閃光と反射」と題された章においてラカンを援用しながら論じられる眼差しの統合性を妨げる「擬態モデル」とはおそらく同様の知覚を解体する契機を示しているのではないだろうか。つまりバタイユを経由し、1996年に「アンフォルム」という展覧会として結実した諸概念は1993年に発表されたこの論文の中にすでに明確に論じられているのである、クラウスはシャーマンの「アンタイトルド・フィルムスティル」を手掛かりにまずこれらの写真のシニフィアンとシニフィエを分析する。このような研究には先例がある。いうまでもなくロラン・バルトの「イメージの修辞学」であり、クラウスはシャーマンの作品における「神話作用」を検証する。知られているとおり、このシリーズは1950年代の映画の一シーンを連想させる情景の中にシャーマン自身が女優のように写り込んでいる連作である。いずれの作品も具体的に想定された映画は存在せず、いわばオリジナルなきコピーであることが明かされる。ところで映画の中に一人で登場する女性はそれだけで一種のシニフィエを負っていないか。そもそも暗闇の中で相手に意識されず俳優の挙動を凝視する私たちの視線は一種の窃視と考えられないか。このような発想を理論化したのがローラ・マルヴィの「視覚的快楽と物語映画」という1976年の論文だ。フェミニズムの立場からの記念碑的映像論とも呼ぶべきマルヴィの論文は私も以前読んだことがあり、映画ではないにせよ「フィルムスティル」を名乗るシャーマンの作品にはある程度応用可能かと感じられる。しかしクラウスはやや異なる立場をとる。具体的な作品論が比較的少ない中で、作品の図版を傍らに掲出して続けられるシャーマンの作品の分析は本書の白眉であるから、まずは直接本書をお読みいただきたいが、クラウスは一見よく似た「フィルムスティル」連作の微細な差異に注目し、独特の分析を展開する。ここにおいて「アンフォルム」で鍵となった一つの対立概念が導入される。それは垂直と水平という対立である。クラウスは「アンタイトルド」において女性たちを眼差す視線が横向きから上方、つまり垂直から水平へと推移する点に注目する。マルヴィがポルノフィルムと関連させるこのような構図をクラウスはラカンやフロイトを援用しつつ、モダニズムが依拠した垂直性と昇華効果を批判する戦略とみなす。モリスやウォーホル、トゥオンブリーたちがポロックのポード絵画を「格下げ」するために編み出した戦略を私たちは「視覚的無意識」に収録されたテクストで学んだ。シャーマンをめぐる議論は相当に入り組んでおり、私もその一端を理解したにすぎないことをあらかじめ告白したうえでのコメントとなるが、ここでもいわゆるフェミニズム理論、ここではマルヴィの解釈はむしろ批判的に参照される。私の考えでは彼女の映像理論はシャーマンの作品を分析するうえにはあまりにもナイーヴである。優れた作家はむしろそのようなステレオタイプ化した発想をすり抜けていくのではないか。クラウスが批判するフェミニズム批評は、性差を抑圧の根源とするイデー・フィクスに囚われており、一種のルサンチマンから自由ではない。この点は日本において一時期流行した「フェミニズムの美術史学」がほとんど成果を上げることがなかったという問題とも関係しているだろう。私もジョナサン・カラーやノーマン・ブライソンの著作を通じてフェミニズム批評理論の鋭利さを知ったが、この鋭利さは教条性や原理主義と紙一重でもある。女性の批評家が女性の作家について論じた本書は具体的な作品の分析をとおして俗流フェミニズムを解体していく点こそがきわめてスリリングであり、ポスト構造主義を自家薬籠中のものとしたクラウスならではの手さばきといえよう。
 第6章以降も斬新な視点から女性作家の作品が論じられる。すなわち「課題群」という主題に沿って美術教育の問題とも関連させてフランチェスカ・ウッドマンという写真家の作品が論じられ、シェリー・レヴィーンに関しては、再びデュシャンとドゥルーズ/ガタリを接続する独身機械という概念が導入される。最後のルイーズ・ローラーに関する論文ではベンヤミンと蒐集という問題が論じられる。しかしながらこれらの文章は問題を十分に深めるには短すぎる。最初にも論じたとおり、本書は収録された論文の長短と濃淡にむらがあり、「視覚的無意識」や「ピカソ論」といった重厚な研究と比較するならば、ややまとまりに欠ける印象がある。その理由を知るうえでも私はそれぞれの論文の初出に関する情報がほしかったように感じる。しかしながら、これらの論文はいずれもクラウスの一貫した問題意識に連なっている。すなわち「オリジナリティと反復」の冒頭の一文、「批評のテクストの持つ意義は、ほとんどその方法(メソッド)にある、と主張することができるだろうか?」という一文であり、本書は対象を違えながら、批評の方法によって作家と作品に肉迫する試みであるといえよう。相当に難解な研究であることは間違いない。しかし内容を十全に理解できずとも、批評家の真摯な姿勢に自らの襟を正す思いに駆られるのだ。
# by gravity97 | 2018-08-25 09:48 | 批評理論 | Comments(0)
b0138838_2124352.jpg

 「投壜通信」という言葉からどのようなイメージが連想されるだろうか。壜の中に手紙を詰め、異国に向けて投擲するロマンティックなイメージであろうか。しかし細見は本書の劈頭でいきなりこのような牧歌的な思いを否定する。「何よりもそれは、難破船の船乗りが、船が沈没してゆくぎりぎりの瞬間に家族や恋人や知人たちに宛てて行なってきたかもしれない、伝説的な振る舞いである。もちろん、その壜がどこかの岸にたどり着き、誰かがそれを拾いあげ、宛先にきちんと届けてくれる…などという可能性は万にひとつもないだろう、しかし、やがて自分が海の藻屑と化してゆくことが明らかなとき、私たちにほかにいったい何ができるだろう?」本書は「投壜通信」のイメージを核としてポーからツェランへと一筋の道をつなぐ、知的な刺激と発見に満ちた詩論である。詩人でもある細見にとって詩作とは難破を目前とした船の中で言葉を紡ぐ行為と捉えられていたはずだ。「〈詩の危機〉からホロコーストへ」という刺激的な副題もこの点を示唆している。
 取り上げられる詩人は五人。エドガー・ポー、ステファヌ・マラルメ、ポール・ヴァレリー、T・S・エリオット、イツハク・カツェネルソンそしてパウル・ツェランである。ベラルーシで生まれ、ワルシャワ・ゲットーを生き延び、アウシュヴィッツで虐殺されたカツェネルソンは本書を読むまで未知の詩人であったが、多少でも文学を志した者であれば残り四人を知らないはずはない。詩に疎い私でさえも、例えば本書でも言及されるポーの「大鴉」、エリオットの「荒地」あるいはツェランの「死のフーガ」といった詩篇についてはその一部を暗誦できるし、すでにこのブログでも「大鴉」についてはアラン・パーソンズ・プロジェクト、「死のフーガ」についてはアンゼルム・キーファーといったおおよそ関連のないカテゴリーで論じたことがある。アメリカ、フランス、イギリスそして東ヨーロッパ、ドイツとめまぐるしく交替する作家の国籍は本書の主題が国家や民族を超えていることを暗示しているだろう。詩とは国家や民族ではなく文学に属しているからだ。本書で論じられる主題は文学そのものの本質と深く関わっており、それゆえに私は深い感動とともに本書を読み終えた。
 しかし国籍も作風もばらばらに感じられるこの五人はいかなる意味において「投壜通信」という主題と関わるのであろうか。「はじめに」と題された序章において細見は二つの点を確認する。まず自分にとって、この五人の選択は「ある種の必然性をもった詩人の流れ」であること、そして本書において自分は「詩をあくまでも現実との関わりにおいて考察すること」である。前者についてはこれから詳しく論じるとして、後者はかつてこのブログで論じた同じ著者による石原吉郎論を想起するならばさほど驚くべき主張ではない。詩とは別の世界、別の理想を美辞によって飾ることではなく、あくまでも苛酷な現実に根を下ろした営みであるのだ。私はこの立場に深く同意し、本書を通読してあらためて確信した。
 今述べたとおり、本書はエドガー・ポーの詩と詩論から説き始められる。私はポーの作品についてもある程度親しんできたつもりであるが、それは「黒猫」や「アッシャー家の崩壊」といったミステリアスな小説の書き手としての理解であり、詩人としてのポーについてはさほど知るところがなかった。むろんnevermore という言葉を介して、アラン・パーソンズへ、ゴーギャンへとつながる詩篇の作者であることは認識していた。しかしポーが同時代のフランスの詩人たちへ圧倒的な影響を与えていたことを私は本書を読んで初めて知った。すなわち次の章で論じられるマラルメ、あるいはボードレールといった詩人たちは自らの手によってポーの詩と詩論をフランス語圏へ積極的に紹介したのである。これに対して同じ英語圏の詩人であるエリオットはかなり手厳しい評価を下す。フランス語圏と英語圏における評価の違いは私たちを意外な、しかし本書にとって本質的な問題へと連れ出す。すなわち翻訳という主題だ。私はかつて大学時代に友人たちと詩を翻訳することは可能かという問題について議論を重ねたことを思い出した。一つの言語の体系の中で成立した詩をほかの体系へと移すことに積極的な意味を見出せるか。細見はベンヤミンの翻訳論を参照することによって、この問題に解決を与える。「翻訳者の使命」の中でベンヤミンは次のように記す「端的に言うと、原作をその原語という牢獄から解き放つこと、『悪の華』ならばそれをフランス語という牢獄から解き放つこと、である。(中略)どのような『美的仮象』も現存の社会形態、その言語形態から完全に逃れることはできない。翻訳という作業はまさしくそのような手垢に塗れたこの世の言語という牢獄から、原作を解き放つ。そして、そのような『解放的』な仕事こそが翻訳者の『使命』なのだ」かかる省察の鋭さを知る時、私はベンヤミンの精読という課題に早く取り掛からなければならないという思いを強くするが、ここでは「言語の牢獄」という主題が構造主義との関係においてかつてフレデリック・ジェイムソンからも提起されていた点を指摘したうえで、まずは細見の議論を追うことにしよう。仮に「天上の言語」と称される詩的言語が存在するならば、それを一つの言語の枷から解き放ち、一種の普遍性をもった言葉へと昇華させることこそが、詩人の仕事であり、この時、それは翻訳という作業と深い類縁性をもつ。このような指摘によって私は得心したことがある。マラルメやボードレールによるポーの訳業については初めて知ったが、なるほど多くの詩人が母語以外の言語あるいは翻訳という作業と深い親和性を抱いている。日本でも多くの詩人が優れた翻訳者としても知られており、私はエラリー・クイーンを鮎川信夫の翻訳で読んだことがあるし、スヌーピーで知られるコミック、ピーナツを訳していたのは谷川俊太郎だったと記憶する。先に触れた石原吉郎も語学に長け、エスペランティストであったことを私は細見による評伝で知った。本書があえて異なった言語によって詩作した詩人たちを横断するかたちで議論を進めている点もこの問題と関わっている。著者自身、英語、ドイツ語、フランス語に加えてイディッシュ語、ヘブライ語を学習していると前書きの中で論じ、本書で引用される詩に関してはそのほとんどを自らが原語から日本語へと翻訳している。
 「壜の中の手記」という短編を発表したポーは「壜投通信」をめぐる論攷の幕開けにふさわしいが、よく知られているとおり、ポーは「詩作の哲学」という詩論において自作の「大鴉 Nevermore」を例として、詩とは天才の発露ではなくその長さから語の選定といった様々のレヴェルにおいて綿密に構築されるべきであると論じた。ポー自身がこのような主張をどの程度確信していたかについては明確ではないが、ポーの詩を高く評価しながらもボードレールがやや揶揄的にその詩論にコメントしたのに対して、マラルメは細見の言葉を使えばいささか「早とちり」気味にポーの所論を受容し、一連の詩を発表する。細見は「青空 L’Azur」という詩を例示するが、いうまでもなく「大鴉」と「青空」は原語の語感の暗鬱と明澄において対照的である。音感と意味のギャップについて細見は「音感による天上への上昇がいわば意味の重力によってたえず地上へと引き戻される」という印象的な表現で説明する。細見は再びベンヤミンの言語論、具体的には「言語一般および人間の言語について」という短く難解なテクストを援用しながら詩的言語について論じる。ベンヤミンは個々の言語を超えた「純粋原語」を夢想するが、興味深いことにはこのような概念を発想するうえでベンヤミンは逆にマラルメに多くを負っていたという。マラルメが「詩の危機」の中で論じた言語の不完全性という問題をベンヤミンは「非感性的類似」に基づく模倣能力によって超えようとする。詩人と思想家をめぐるスリリングな議論は本書の読みどころでもあるので詳細については直接参照していただくのがよかろう。ここから浮かび上がるのは詩人と言語の緊張した関係である。かつて石原吉郎も「詩がおれを書きすてる日が/必ずある/おぼえておけ」という苛烈な一句を詩の中に残したが、私はここで論じられる詩人たちにも同じ問題意識が通底していることを理解した。さて、マラルメはその晩年に「賽のひと振り」という謎めいた作品を残している。大きさの違う活字を頁にちりばめた一種のカリグラムであり、ここで論じられる可視性と可読性の関係はかつて前衛書に関して私も論じたことのある問題だ。細見は清水徹や柏倉康夫の先行研究を踏まえながら、この視覚詩において表現されているのは難破船の情景であると断定する。賽のひと振りとは壜を投げる行為と重ねられる。マラルメはその晩年に、世界は一つの書となるべきだと説き、「来るべき書物」に関する大量の遺稿が残された。詩人は遺言の中でそれらを焼却するように求め、遺族はその一部を実際に処分したらしい。この出来事について論じた際に清水徹は「遺稿の焼却」という言葉にホロコーストというルビをふっている。「本を燃やす者は人を燃やす」というハイネの言葉なども連想される清水の感覚は本書の核心に連なる慧眼といえよう。
 ヴァレリーとエリオットを主題とした次の二つの章においては主として反ユダヤ主義という問題が扱われる。ドレフュス事件についてヴァレリーとマラルメは正反対の立場をとる。マラルメは公的な署名こそしなかったものの「我、弾劾する」というゾラの名高いドレフュス擁護の公開状に熱烈な支持の電報を送ったことが知られている。これに対してヴァレリーは事件に関して文書を捏造した関係者が獄中自殺した後、その未亡人のための寄付に応じたという。ヴァレリーといえば朴訥とした文学者といった印象があったが、単にドレフュス事件で反ドレフュスの姿勢を示しただけではなく、ヴィシー政権を擁護する立場にもあったという指摘には驚いた。ただし本書においてはフランスの知識人に深く染みついた反ユダヤ主義を示す一つの例として引かれており、このような立場を考慮した場合、作品がより陰影に富むことを細見は『月下の一群』に収められた「失われた葡萄酒」という詩を例示しながら説明している、同様の反ユダヤ主義は「荒地」のエリオットにも認められる。エリオットはユダヤ人の基本的人権を制限するニュルンベルク法の導入には反対している。しかし彼の思想と詩を通底する反ユダヤ主義は実は「荒地」にさえ残響していること、「荒地」の主題であった第一次世界大戦後のヨーロッパの荒廃の象徴としてユダヤ人が扱われている点を細見はエリオットの詩を引用しつつ論じている。ヴァレリーとエリオットに関しては実際の詩の分析、あるいは「投壜」というメタファーへの言及は比較的少ない。むしろこれら二人の優れた詩人さえも反ユダヤという思想から自由ではなかったことは、1920年代から30年代にかけてのヨーロッパにおいて、ユダヤ人に対する差別感情が深く醸成されていたことを暗示している。彼らはフランスとイギリスの詩人であった。それでは実際にユダヤ人が多く居住し、ホロコーストの舞台となった東ヨーロッパそしてドイツにおいて詩は可能であったか。この点が続くカツェネルソンとツェランをめぐる考察の中心的な主題となる。
 カツェネルソンという詩人については初めて知ったが、なるほど詩人として彼ほど苛酷な人生を送った者は多くないはずだ。ベラルーシにユダヤ人として生まれたカツェネルソンはワルシャワ・ゲットーでの「移住作戦」、つまりトレブリンカ収容所へのユダヤ人移送と絶滅作戦の中で妻と三人の子のうち二人を殺される。その後、詩人は収容所を転々として最終的にアウシュヴィッツで虐殺されるのであるが、収容所で執筆した「滅ぼされたユダヤの民の歌」の手書き原稿は壜に詰めて土の中に埋められ、後にそれを知る人々によって掘り出されて私たちに伝えられている。「難破船の船乗りが、船が沈没してゆくぎりぎりの瞬間に家族や恋人や知人たちに宛てて行なった伝説的な振る舞い」としての「投壜通信」はカツェネルソンの場合、比喩ではなく現実の行為だったのである。ワルシャワ蜂起と絶滅収容所、連続する災厄の中で詩を書くことは可能か。このきわめて重い主題をめぐって、具体的な詩を引きながら深められる細見の思索もまた本書の一つの核心を形作っているからこれについても是非実際に本書を参照していただきたい。最初に細見は「詩をあくまでも現実との関わりにおいて考察すること」を本書の目的として挙げていたが、かくも苛酷な現実に対して、詩は、言葉は対峙しえるのかという問いに著者がきわめて具体的かつ誠実に向き合っている点に私は大きな感動を覚えたのである。最後の二章はツェランに当てられている。カツェネルソンがホロコーストという現実に直面した詩人であったとするならば、ツェランはホロコースト後に詩は可能かを問うた詩人だ。ただしツェラン自身もユダヤ人であり、強制収容所で両親を亡くしているからホロコーストと無関係ではありえない。この時、直ちに想起されるべきはアドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉である。実際にアドルノは「美の理論」の中でツェランについても言及しているという。ツェランの詩は相当に難解であり、それが執筆された当時の事情を理解することによって詩句の意味が理解される場合もあるという。今日、無数に存在するツェラン研究はこのような作業に終始している一面もあるが、その前にツェランを最終的に自死に追い込んだいくつかの事件について触れておく必要があるだろう。まずは「死のフーガ」の成立過程をめぐる問題だ。「夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩に飲む/ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ」(飯吉光夫訳)という喚起的な一文から始まるこの詩は20世紀の詩壇に屹立する名作といってよいが、実はツェランと親交のあった詩人、ヴァイスグラースの「彼」という詩といくつかの共通点が認められる。詩人がほかの詩人の発表した作品や使用した語句にインスパイアされる事例について細見は日本に類例を求める。すなわち田村隆一の名高い「立棺」という詩は成立の過程において鮎川信夫や中桐雅夫の詩篇の一部に着想を負っている。しかしそれは剽窃や盗作ではなく、詩人同士の交感であったはずだ。自らも詩人である細見がこのように述べる時、それはきわめて説得的であるが、ツェランとヴァイスグラースの関係は極東の詩人たちほど良好なものではなく、ヴァイスグラースはツェランが自死する直前にあえてこの詩を発表する。そしてツェランに関してはもう一人、フランス人詩人イヴァン・ゴルの妻クレール・ゴルより、ツェランがゴルの詩を剽窃したといういわれなき非難を執拗に浴びせられる、いわゆるゴル事件が存在した。ヴァイスグラースの作品発表やクレール・ゴルの弾劾がツェランの詩業をわずかなりとも貶めるものでないことを細見はバルバラ・ヴィーデマンらの先行研究を引きながら丁寧に説明するが、この事件はユダヤ人としての出自をもち、ホロコースト後を生きる詩人に対して、第二次大戦後においても反ユダヤ主義が影を落としているという状況を暗示しているのではないだろうか。(ただし詳しくは本書に譲るが、ゴル夫妻もまたユダヤ人であったという事実がこの問題をさらに複雑にしている)ツェランはこれらの迫害によって精神を患い、パリで入水自殺を遂げた。ここにおいて本書の中でヴァレリーやエリオットに章が割かれた意味も理解できようし、本書の隠された主題は反ユダヤ主義である。この問題はこのブログで論じたエーコの「プラハの墓地」とも関係している。ツェランがホロコースト以後の世界を自らの詩においていかに構想したかについては、「エウグフュールング」という難解な詩が私訳とともに分析される最後の章に詳しい。この長詩をめぐる細見の分析は本書中の白眉といってもよく、絶滅収容所と関わるいくつものモティーフが浮かび上がるともに、原爆の問題さえ扱われているという。そして最終的に「対話」という主題が前景化される。ツェランは1958年のブレーメン文学賞の受賞講演で次のような名高い演説をする。いうまでもない、本書のタイトルの由来である。

 詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日にかはどこかの岸辺に―おそらくは心の岸辺に―流れ着くという(必ずしもいつも期待に満ちてはいない)信念の下に投げ込まれる投壜通信のようなものなのかもしれません。詩はこのような意味でも途上にあるものです―何かをめざすものです。

 私たちは五人の詩人に即して、およそ一世紀半にわたる近現代詩を「投壜通信」という主題に沿って概観した。五人の詩人のうち最後の二人が、一人はアウシュヴィッツで殺され、一人は自死したことからもうかがえるとおり、彼らと時代、細見の言葉を用いれば現実との関係は決して幸せなものではなかった。しかし彼らは難破した船から投壜を続け、その結果、私たちは彼らからの通信を受け取ることができた。あらためて振り返るに、本書で取り上げられた詩篇は多く暗鬱で死や恐怖のコノテーションに満ちている。しかしそれにもかかわらず、私たちはそれらの詩篇によって鼓舞され、新たな希望を与えられないだろうか。いかなる死が、虐殺が、ホロコーストが再来しようと、詩人はその中にあって未来へと投壜を投じ続けるはずだ。詩と同様に私たちの生も常に途上にある。マイノリティーを議員が公然とバッシングし、国民を恫喝するためにメディアと一体となった公開処刑を嬉々として実施する政権の下ではホロコーストさえ決してありえない選択肢ではない。しかしこの最悪の時代にあってさえ、詩を書くことは希望であり、それゆえこの峻烈な詩論の読後感は決して悪くない。
# by gravity97 | 2018-08-13 21:31 | 詩 その他 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック