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劉 慈欣『三体』

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 遅ればせながら話題の中国SF『三体』を読む。なるほど近年まれにみる直球勝負、本格SFの傑作である。私は中国語で書かれたSFを読むのは初めての経験であったが、その内容は普遍的であり、同じ小説が英語や日本語で発表されたとしてもなんら違和感を覚えることはないように感じる。

 以前より私はSF小説の黄金期はその国の躍進期と重なるのではないかという仮説を立てていた。アメリカSFの黄金期は50年代後半から60年代というパクス・アメリカーナと重なっているし、日本においてSFの興隆期はやや遅れて70年代から80年代の初め、バブル直前の日本経済の安定期にあたる。このような充実は例えばアメリカであれば最近ハヤカワ文庫に収められたハーラン・エリスン編「危険なヴィジョン」、日本であれば筒井康隆の編集によってトクマノベルズに収められていた「日本SFベスト集成」がいずれもそれぞれの時期に発表された短編のアンソロジーとして構成されていたことによっても理解されようし、同じ時代に短編のみならず長編に関しても多くの傑作が残されていることはいうまでもない。したがって今世紀に入って隆盛著しい中国から優れたSFが輩出することは予想できる事態であったし、実際に近年中国人作家によるSFが次々に翻訳され、中国SFのアンソロジーさえも出版されていることは周知のとおりである。「三体」の翻訳はおそらくこのような状況の象徴的な出来事といえよう。なにしろ本書は本国で2100万部、英訳が100万部以上を売り上げるベストセラーであり、ひるがえって中国の人々がこのようなSF(科幻小説というらしい)を愛読するという状況はこの国の文化的成熟を暗示している。本書はひとまず完結した物語であるが、実は三部作の劈頭であり、2008年に出版された本書に続いて第二部「黒暗森林」(2008年)、第三部「死神永生」(2010年)へと展開されるという。量的にも第二部が本書の五割増し、第三部にいたっては本書の二倍というボリュームということであるから、私たちはまだ「三体」世界の入口に立ったに過ぎないのだ。そして本書を読み終えるならば、この刺激的な小説が実は物語本編の前哨にすぎないことがあらためて理解される。第二部は来年刊行されるとのことだが、続刊が待ちきれない思いも強く、それゆえ本書を直ちに読むか、三部作の完訳を待って読み始めるか私としても迷いがあった訳である。例によって未読の読者の興趣を殺がぬ程度とはいえ、内容にもかなり立ち入って論じる。

 本書の主題を分類することはたやすい。アメリカの黄金期のSF以来、よく知られたテーマの一つ、「ファースト・コンタクト」である。人類と未知の生命体が最初に出会う時、どのような状況が発生するか。最近伊藤典夫の翻訳によってこの主題の作品を集めたアンソロジーがハヤカワ文庫から刊行されたとも記憶する。まさに「ファースト・コンタクト」と題されたマレー・ラインスターの佳作をはじめ、いくつも作品が連想されよう。本書では地球外生命体との直接の接触というより、接触にいたる経緯が記されていると記した方が正確であるが、この経緯はかなり複雑な語りの中で明らかになる。タイトルでもある「三体」が本書のキーワードだ。この言葉については15章の註というかたちで簡単な説明が与えられている。

三体問題 質量が同じ、もしくはほぼ同程度の三つの物体が互いの引力を受けながらどのように運動するかという、古典物理学の代表的な問題。天体運動を研究する過程で自然とクローズアップされ、16世紀以降、おおぜいの科学者たちがこの問題に注目してきた。オイラー、ラグランジュ、およびもっと近年の(コンピュータの助けを借りて研究してきた)科学者は、それぞれ、三体問題のある特定のケースについて、特殊解を見出してきた。後年、フィンランドのカール・F・スンドマンが、収束する無限級数のかたちで三体問題の一般解が存在することを証明したが、この無限級数は収束がきわめて遅いため、実用上は役に立たない。

 この説明も相当に難解で、ほかにもコンピュータ技師であった著者ならではの数学や物理学、情報理論についての言及が本書の随所にみられるが、実はこの「三体」という概念こそ本書の要諦である。「三体」とは、読者の前にはまず登場人物たちがVスーツを着込んで体験する仮想ゲームの名前として登場する。ゲームに没入した人物は周の文王からアインシュタインにいたる歴史上の人物とともに繰り返される文明の崩壊を体験する。なぜ文明は崩壊するのか。「三体」の世界においては恒紀と呼ばれる安定した時期と乱紀と呼ばれる不安定な時期が不定期に繰り返されている。恒紀において文明は着実な進歩を遂げるが、乱紀において世界は太陽の灼熱によって焼き払われるか、終わりなき夜の中で凍り付いて破滅する。乱紀が到来するや「三体」の世界の住人たちは自らを「脱水」して、次の恒紀まで一種の冬眠状態で生き延びようとする。バリントン・ベイリーばりの奇想の世界であるが、そもそもこの世界が「三体」と呼ばれるのは理由がある。この世界には三つの太陽が存在するため、今引用した三体問題から理解されるとおり、相互に複雑に干渉しあって安定と破滅、恒紀と乱紀が予測不可能な周期で発生するのだ。三つの太陽、文明の破滅といった主題から、古典的なSFに親しんだ者であれば、誰でもアイザック・アシモフの名作「夜来たる」を連想するだろう。六つの太陽に照らされて闇のない世界に数千年に一度到来する日食の日を描いたアシモフの短編は確実にこの長編に影響している。しかしアシモフの作品においては長い時間を経て到来し、予測が可能であった太陽の不調は劉においては三体問題を介すことによって、間断のない、予測不可能な文明の変調へと転じている。

 いきなり本書の核心に触れてしまったが、実はこの物語はかかる仮想的で抽象的な世界観とは真逆の具体的な事件から説き起こされる。すなわち「1967年、中国」と時代と場所まで指定された第一章は紅衛兵による文化大革命の中で理論物理学を講じる大学教授が自己批判を強いられ、ついには惨殺される場面で幕を開ける。続いて殺された教授、葉哲泰の娘、葉文潔に焦点化され、父と同様に反動の汚名を着せられて下放された彼女がたどる数奇な運命を描いて「第一部 沈黙の春」(もちろんレイチェル・カーソンの著書からとられている)は終わる。大森望のあとがきによれば、本書が中国で最初に刊行された折には、この事件の40年後の物語である第二部「三体」から始められ、途中で登場人物の回想として第一部が挿入されるかたちの構成であったという。本書が英訳された際に著者と訳者のケン・リュウ(彼も中国人のSF作家であったはずだ)が相談して、文化大革命の部分を冒頭に置き替え、日本語訳もこれに倣っているとのこと。なおも文化大革命を批判的に総括することが困難であった時代背景が指摘されているが、現在では日本にも同じ程度の「表現の自由」しか存在しないことを私たちはこの暑い夏に思い知ったばかりである。

 小説に戻ろう。第一部の最後で葉文潔は紅岸基地と呼ばれる秘密施設に連行される。読み進めるにしたがって、この基地で極秘裏に進められていたプロジェクトが地球外生命体への信号の発信であったことが明らかになるが、この小説の語りはかなり入り組んでおり、第二部では、第一部の40年後、汪淼というナノテクノロジーを専門とする科学者が巻き込まれる奇妙な事件が語られる。汪淼は中国軍や国外の軍事関係者も交えた会議に連行され、自らも参加を求められていた「科学フロンティア」なる組織の関与が疑われる第一級の科学者たちの連続自殺事件を知る。科学者の連続怪死というエピソードから連想されるのはエリック・ラッセルの「超生命ヴァイトン」だ。しばしば「人類家畜テーマ」という身も蓋もない言葉で括られる一連のSFが存在する。このブログでもレヴューしたアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」もその一つであるが、おそらく「三体」もこのテーマに連なるはずだ。ただし人類と「三体世界」の直接的な接触は続く「黒暗森林」以降に持ち越されるため、その帰趨を知るためにはなおしばらくの時間が必要とされる。

 「三体」においては小説内においても仮想と現実が絶妙の距離をとる。すなわちVスーツを着用して汪淼が興じる仮想の世界は直ちに人類がまもなく直面する「三体文明」のシミュラクルなのである。人類からのメッセージを受けて「三体文明」が周到にしかける戦略は物語の終盤で明らかになるが、これらは直ちに物語の中で今世紀の中国において葉文潔や汪淼の体験する事件と関連している。読者は登場人物をとおして「三体」という仮想ゲームを繰り返し確認することによって、終盤でようやく明らかになる「三体世界」と彼らの思考の抽象性にもなんとかついていくことができる。これはかなり巧妙な説話の仕掛けである。

 物語の中で葉文潔、そして「三体世界」の監視員は一つの決断を行う。人類、あるいは「三体世界」の命運が一人の個人の決断にかかっているという状況はきわめて特異であるが、ファースト・コンタクトという主題と深く関わっている。実は葉文潔が暮らす現代の中国と「三体世界」は一つの共通点をもっている。それは国家による統制が徹底していることであり、文化大革命に端的に示されるとおり、そこでは理不尽な暴力が無実の上の人々にも吹き荒れることがある。1963年生まれの劉慈欣が直接に文化大革命を体験したとは考えられないが、かかる暴力の痕跡は残っていたはずであり、おそらくこの経験なくして本書は執筆されることはなかった。きわめて抽象化、抑制された語りであるとはいえ「元首閣下」が君臨する「三体世界」を描くことによって、作者が現実の中国を風刺もしくは批判したと考えるのは深読みにすぎるだろうか。「三体」はSFにおけるいくつものサブカテゴリーを横断するが、私は明らかにその一つとして徹底した管理社会、ディストピアという主題が存在するように感じた。果たしてこのような予感は続く物語の中でかたちを与えられるだろうか。いずれにせよこの巨大な小説世界はようやくその片鱗を見せたにすぎない。来年以降、第二部と第三部の刊行を鶴首して待ちたい。

 なお本書の翻訳はかなり複雑な経緯を経たらしく、早川書房が翻訳権を取得した時点ですでに訳者二人による日本語訳が存在していたという。英語圏のSFの翻訳者として知られる大森が、彼らの翻訳と英語訳を比べながら「中国語から日本語に訳されたテキストをSFに翻訳した」のが本書である。専門とする言語が異なる翻訳者がクレジットされている点は奇妙にも感じられるが、SFに通じた大森が最終的な監訳を務めたためであろうか、訳文は読みやすく、こなれている。


# by gravity97 | 2019-09-11 20:18 | エンターテインメント | Comments(0)

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 全くの偶然であるが、本ブログのエンターテインメントのカテゴリーで「任務の終わり」「邪神帝国」「黒い仏」とゆるやかに関連する小説が続いたタイミングで、いよいよ真打ちの登場である。新潮文庫ではこの数年「名作新訳コレクション」として「二都物語」から「ドリトル先生航海記」までよく知られた名作を新訳で紹介しているが、今月、新たに「クトゥルー神話傑作選」というサブタイトルを伴ったH.P.ラヴクラフトの中短編のアンソロジー「インスマスの影」が加わった。ラヴクラフトについてはすでに創元推理文庫に全7巻の全集が収められており、本書に収められた作品もすべて既訳がある。(「ダンウィッチの怪」のみこの全集ではなく、同じ創元推理文庫に収められた「怪奇小説傑作集」に収録されている)ラヴクラフトは私の愛読書でもあるから、本書に収められた中短編はすべて読んでいた。それゆえ相当のラヴクラフト通であろう編訳者のセレクションの意図するところもよくわかる。帯の惹句によれば「読めば必ずあなたの脳に棲みつく」悪夢のごときラヴクラフトの世界にいきなり全集によって踏み込むことを躊躇する初読者にとって本書は格好の入門となっている。

 ラヴクラフトおよびクトゥルー神話になじみのない読者のために簡単に説明しておくならば、ラヴクラフトは1890年、アメリカの東海岸、プロヴィデンスに生まれた。若くしてエドガー・アラン・ポーやアーサー・マッケンらの強い影響のもとにパルプ・マガジンに多くの作品を発表するが、作家としては不遇で、生前に刊行した著作は一冊だけであった。しかし稀代の文通魔であった彼は同世代の多くの作家と親交があり、ラヴクラフトが数々の小説の中で描いた一つの世界観はやがて彼らにも共有されて、一群の神話体系として結実することになる。この体系こそがクトゥルー神話と呼ばれる。クトゥルーとは原語ではCthulhu であり、わざと発音しにくい綴りが用いられている。このため、日本語ではクトゥルーのほか、ク・リトル・リトルという呼び名も膾炙しており、国書刊行会から刊行された全集は「ク・リトル・リトル神話大系」と総称されている。いかなる神話であるか。ラヴクラフトによればかつて地球を支配していた「旧支配者」あるいは「大いなる古きものら」などと呼ばれる邪神たちは、ひとたび地球から追放されたが、今も海底の神殿や極地に潜みながら、復活して再び地球を支配せんとひそかに時をうかがっている。これらの忌まわしい神々については狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードが著した「ネクロノミコン」をはじめとする多くの禁書が言及しており、私たちの中にも彼らの協力者としてその復活をもくろむ者たちが潜んでいる。概ねこのような枠組の中に収められる一連の作品はラヴクラフトのみならず、盟友であるオーガスト・ダーレスのほかロバート・ブロックやヘンリー・カットナーをはじめとする多くの怪奇小説、幻想小説の作家たちによって書き継がれてきた。最初に述べたとおりその系譜はスティーヴン・キングから殊能将之にいたる作家たちにも及び、今日にいたるまで直接間接にこの神話体系を参照した物語が連綿と発表されている。このような神話は一種のカルト性を帯び、近年ではゲームの中にも取り入れられているらしいが、残念ながら私はその手のゲームとは無縁であるため、どのように反映されているか想像もつかない。

 本書に戻ろう。「クトゥルー神話傑作選」というサブタイトルのとおり、このアンソロジーではラヴクラフトの一連の怪奇小説の中でもクトゥルー神話が強く反映された傑作が選りすぐられている。ラヴクラフトの小説の魅力を紹介するうえではやや一面的な気がしないでもないが、逆にクトゥルー神話の体系を知るうえではコンパクトかつ十分だ。冒頭の二つの短編「異次元の色彩」と「ダンウィッチの怪」は説話論的によく似た構造をとる。いずれも既に終えられた事件についての報告という形式をとり、ともにニューイングランドの荒れ果てた土地の印象から語り始められる。アーカムとダンウィッチに残された二つの荒れ地は単に荒廃したというのではなく、この世のものとは思えぬ忌まわしい雰囲気を醸し出しており、かかる荒廃の過程が、前者においては宇宙から飛来した隕石のもたらした災厄として、後者においてはその土地に居住する狷介で不吉な一族と邪神との交渉の結果として語られる。一種の科学趣味も両者に共通している。前者においては不気味に変貌していく農場の周囲の生物や地質の様相が科学的、客観的な用語を用いて記述される一方、しばしば非論理的、感覚的な語りが重ねられるため、物語に奇妙な歪みがもたらされる。一方、全能の話者の視点から語られる「ダンウィッチの怪」においても後半にいたるやミスカトニック大学の教授たちが目に見えない怪物と死闘を繰り広げ、言語学や古文書学への言及が繰り返される。科学趣味の問題は後で立ち返るとして、続く「クトゥルーの呼び声」ではクトゥルー神話の輪郭が明確に提示される。この短編では三つのエピソードが連ねられる。東海岸で狂気や幻視の発作に襲われ、奇怪な彫刻を制作する青年、ニューオリンズの奥地で秘儀を行う邪悪な教団、南太平洋でノルウェー人の船員が遭遇した恐怖の体験、グローバルな広がりをもつばらばらの事件の背後に語り手は共通点を見出す。まずそれらの体験は時間的に同期する。狂気の発作、秘儀の行われた時間、南洋での怪物との遭遇、それらは同じ時間に発生しており、そこで用いられた言葉や象られた彫像、幻視する情景にもいくつかの共通点が認められる。後でも論じる通り、このような発想はユングの集合的無意識を反映しているだろう。いにしえの邪神のうち、現在も人と接触可能な特異な神格をタイトルとした掌編「ニャルラトホテプ」(ナイアルラトホテップという名前とともに「邪神帝国」や「黒い仏」に登場した)に続いて、サスペンスフルな佳作「闇にささやくもの」が配されている。洪水の後、川に浮かんでいた巨大な甲殻類のような生物の死体の目撃談に始まり、ミスカトニック大学で文学を講じる語り手とヘンリー・エイクリーというニューイングランドの山間に隠棲する人物との文通を介して、外宇宙から飛来するこのような生物が旧支配者の眷族であることが明らかとなる。物語の終盤、意を決した語り手は次第に追いつめられるエイクリーのもとを訪れるが、そこで見たものは何か。「暗闇の出没者」では盟友の一人、ロバート・ブロックをもじったロバート・ブレイクなる語り手が遺した日記を通して、星の智慧派なるいにしえの邪教が廃墟となった教会を舞台にうごめき、一つの町に憑依する恐怖が描かれる。巻末に置かれた傑作「インスマスの影」もダゴンと呼ばれる海棲の邪神と交雑を繰り返した結果、多くの住民が異形と化したインスマスという港町を訪れた旅人の恐怖の体験を描き、驚くべき結末へと読者を導く。

 私がこれらの小説を初読したのは20年以上前のことであり、その後、国書刊行会や青心社から刊行されたラヴクラフト以外のいわゆるクトゥルー神話系の長短編もかなり読んだ。しかしそれらは巧拙に大きな差があり、風格においてラヴクラフトの作品は群を抜いている。本書はその中でも完成度の高い作品ばかりが選ばれているから読み応え十分であるが、久しぶりに読み返して得たいくつかの所感を書き留めておきたい。

 本書に収録された作品は1920年代後半から30年代初めにかけて発表されている。おそらくラヴクラフトが不遇であった理由の一つは物語の気宇壮大さに求められるだろう。幽霊屋敷や死者の呪いといった伝統的な恐怖譚ではなく、しばしばコズミック・ホラーと呼ばれる宇宙や神話を準拠枠とした怪奇小説は当時受け容れられるものではなかったはずだ。しかしそこで提起される問題のいくつかは同時代の文化と深く関係をもっているように感じられる。先にいくつかの短編における科学趣味について触れたが、まず連想されるのはフロイトとユングの心理学の影響であろう。クトゥルー神話に頻出する夢のエピソード、本書においては「クトゥルーの呼び声」と「インスマスの影」に顕著であり、それは人の統御を超えた無意識の領域へと読み手を導くが、そこに待ち受けるのは超古代の邪神たちの記憶の残滓なのである。夢への関心がフロイトに由来するとすれば、共有された無意識が神話や伝説に反映されるというユングの発想はクトゥルー神話の枠組と一致する。「夢判断」や元型論が当時のアメリカでどの程度の影響力を有していたのか私にはわからないが、最終的には不仲となる二人の精神分析学者の所論は屈折を伴いながら、ラヴクラフトとクトゥルー神話の中核に採用されている。あるいは南洋趣味はどうだろうか。「クトゥルーの呼び声」において船員ヨハンセンは南太平洋で恐怖の体験を味わうが、同様に南洋で、さらには南極といった極地を舞台とした小説もいくつか存在し、その中には朝松健がパスティーシュを書いた「狂気の山脈にて」のような傑作も残されている。20世紀の初頭に多くの芸術家が南方への興味を掻き立てられ、ゴーギャンのように移住してついには客死を遂げる画家もいた。あるいはマティスからドラン、ピカソといった作家たちにアフリカも含めた南方への関心が認められる点も共通している。ただし彼らがそこに文明に毒されない理想を見出したのに対して、ラヴクラフトの小説は未開に対する偏見と悪意に満ちている。さらにこのような偏見は人種や地域に対しても向けられており、小説の中に頻出する言語学への関心や優性主義的な発想とともにナチスドイツのアーリア主義に通じるものである。「インスマスの影」に記された「インスマス面」といった言葉も今日の人権意識に照らすならば端的に差別思想であり、巻末に「本作品には今日の観点からは明らかに差別的な」云々といったお決まりのエクスキューズが付されていることもこれによる。

 美術の問題に触れたが、同じ時代に無意識に関心をもったのはシュルレアリストたちであり、実際に小説の中で描写される邪神たちの姿はシュルレアリスムを想起させないでもない。今触れた「狂気の山脈にて」に登場するショゴスなる原形質のごとき化け物はイヴ・タンギーの一連の作品を連想させ、「クトゥルーの呼び声」の中には「アルワド・ボノという幻想画家は、パリで1926年の春のサロンに《夢の風景》という冒瀆的な絵を出品する」という記述がある。もちろん事実ではないが、事実であれば「シュルレアリスム宣言」が発表された2年後のことである。幻視される太古の神殿、おぞましい邪神の姿が幻想的なシュルレアリスムと共通する視覚的な表象であるとするならば、忌まわしき存在が登場する場面に残されるものすごい臭気や農場の果実が変貌を遂げて帯びた苦みやえぐみへの言及は嗅覚や味覚への訴求である。聴覚はどうか。「ル・リエーなる館にて、死せるクトゥルーは夢見て待つ」というしばしば言及されるフレーズは次のように発語される。

フングルイ ムグルウ・ナフ クトゥルー ル・リエー ウガー・ナグル フタグン

 

 このような佶屈たる発音によって表記される呪文や警句は枚挙にいとまがない。むろんそれらは人間の発音機能では不可能なグロテスクな音声を暗示しているが、そこにダダイスムの音響詩の影響はないだろうか。知られているとおり、ダダイストたちは集会や舞台で意味のない言葉を発音して聴衆を挑発した。いささか強引な解釈かもしれないが、以上述べたとおり、いにしえの邪神を表現するにあたって、ラヴクラフトはまさに同時代の先端的な人文知を活用しているのだ・

先に論じたとおり、このような怪異が全世界的な広がりをもつことを強調しつつも、ラヴクラフトは一つの限定された場所が邪悪な存在に憑依されるという主題に連なる一連の作品も発表している。「異次元の色彩」においてはネイハム・ガードナーの農場、「インスマスの影」においてはインスマスという港町全体がいわば汚染される。農場から町全体にいたるまで広がりの差こそあれ、個人というより一つの共同体が体験する恐怖が主題とされている。このような発想から直ちに私が連想したのはスティーヴン・キングの一連の作品だ。「呪われた町」におけるジェルサレムズ・ロット、「ニードフル・シング」におけるキャッスルロック、さらには「アンダー・ザ・ドーム」におけるチェスターズミル、いずれも一つの街が邪悪な存在に憑依され、時に崩壊していく様子が描かれる。さらにそこにはしばしば忌まわしき存在が再帰するという発想が認められる。「暗闇の出没者」では星の智慧派の暗躍が半世紀前にも繰り広げられていたことが暗示され、本書には収録されていないが長編「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」においても同様の主題が扱われている。そもそもクトゥルー神話自体がいにしえの邪神の復活という点において再帰の物語である。このように考えるならば、キングの作品、とりわけ「IT」がラヴクラフトの強い影響下にあることが理解される。さらに視野を広げるならば例えばシャーウッド・アンダソンの「ワインズバーグ・オハイオ」あるいはフォークナーのヨクナパトーファ・サーガのごとく、アメリカ文学には一つの町を単位とした物語が数多く存在する。一つの共同体といってもよいだろう。おそらくそこには町を一つ一つ開拓して発展したこの国の歴史、共同体への強い帰属意識が関係していようし、「インスマスの影」においてはかかる共同体の変質が恐怖の根源とされている。
 最後に語りの問題について触れておこう。本書に収録されたほとんどの小説において、語るべき事件はすでに終えられたものとして私たちに提示されている。それらを語るのは誰か。例えば「異次元の色彩」においては貯水池の測量のために土地を訪れた技師、「クトゥルーの呼び声」においては叔父の遺品を調査する青年、「闇にささやく者」においてはミスカトニック大学で民間伝承を研究する教授であるが、注目すべきは「闇にささやく者」を別として、彼らが直接恐怖を体験することはない。彼らは土地の古老の昔話、遺品の中に残された手記、あるいは隠棲する人物との文通を通して、すなわち他者の言葉を介して恐るべき事件を知る。内容と関わるためにこれ以上は触れないが、いくつかの物語において語り手は一種の報告として語りを閉じ、いくつかにおいてはさらに直接に物語の核心に近づく。いずれにせよ、語り手が直接に事件を体験するのではなく一定の距離をおいて事件に接し、しかも多くの場合、語り手と事件を媒介するのは手記や手紙といった書字=記録、あるいは粘土板や彫像、写真やレコードといった実体を伴った品なのである。一人称による語りは、その語りの信憑性を何によっても担保されないのに対して、語りの中の語りという屈折した手法をとることによって物語が複数の者によって共有されていることが暗示される。クトゥルーの物語は神話と呼ばれるが、神話とは共有された物語にほかならない。同じ時代に語りを個人の意識に集中させるモダニズム文学が豊かな成果をみせたのに対して、ラヴクラフトは別の方法で孤独な探求を続けていたのだ。


# by gravity97 | 2019-08-16 20:11 | エンターテインメント | Comments(0)

殊能将之『黒い仏』

  b0138838_20581140.jpgクエンティン・タランティーノの「フロム・ダスク・ティル・ドーン」はなんとも人を食ったようなフィルムである。タランティーノらしい安っぽいギャング映画かと思って見ているうちに、登場人物たちはメキシコ国境の下品なトップレス・バーに迷い込む。しかしそこは実はバンパイアたちの巣窟であって、夜ともなるとトップレスダンサーたちはバンパイアに変身してそこにたむろしていた男たちを襲い始める。私たちはギャング映画という入り口から入り、バンパイア映画という出口から退場するのだ。

「黒い仏」を読んで、私は自然にこの映画を連想した。宝探しを依頼された探偵、福岡のアパートで見つかった身元不明の死体という二つのエピソードで始まる本書はひとまずミステリーという体裁をとって幕を開ける。しかし最後に読者はとんでもないところに連れ出されるのであり、それはタランティーノのようなジャンルの変更に留まらない。あらかじめ記しておこう。このブログでは本書の完全な種明かしをする。というか種明かしをしないとこの小説を論じることはできないが、おそらくそれを知っても読書の楽しみは減じることはないはずだ。それというのも本書は良くも悪くも単純なフーダニットやハウダニットといったミステリーの関心の範疇に収まらず、犯人が誰か、いかに殺害したかといった興味によっては作品が完結しないからである。

 私はこの作家の小説を初めて読んだため、ほかの作品と比較することはできないが、主人公たる探偵役に石動戯作、ワトソン役にアントニオという通称をもつ中国人の助手が配される。小説中に「岐阜県の洞窟で隠れキリシタンの集団墓地を探し出した」といった記述があるから、おそらくそれは同じ作家による『美濃牛』という長編で語られる物語であろうと推測されるが、確証はない。この小説におけるホームズとワトソンがどのように知り合ったかということは実は本書を読み解くうえで重要な問題なのであるが、残念ながらそれについての知識は私にはない。

 冒頭にジェイムズ・ブリッシュへの献辞が掲げられ、続いて子規の「寒椿黒き仏に手向けばや」という句が引かれる。ブリッシュはアメリカのSF作家であり、「宇宙大作戦」のノヴェラゼーションで知られる。ブリッシュと本書との関係については後で述べる。子規の句は「黒い仏」というタイトルから引用されていることは明らかであるが、本書の内容とさらに深い関係があるかについては私の調べた範囲ではわからなかった。序章においてまず一千年以上前の出来事が記される。それは唐に留学していた円載という留学僧がある経典を日本へ持ち帰るために乗船するエピソードであり、おそらくこの経典が物語の中で何らかの役割を果たすであろうことは想像がつく。続いて先に述べた二つのエピソードが重ねられる。石動はバイオテクノロジー関係のベンチャー企業の社長から福岡の安蘭寺に隠された「円載の秘宝」を探し出すように依頼され、上京していた安蘭寺の星慧という住職に面会する。一方、福岡では安アパートの一室で絞殺された男の死体が発見され、中村と今田という二人の刑事が捜査を始める。その部屋には殺された男も含めて指紋が一つも残されていなかった。寺の所在地と殺人の現場が福岡であったことから推測されるとおり、これ以後、物語は巨人対ダイエーの日本シリーズに沸く福岡を舞台に展開される。ご丁寧にも野球好きな同僚の刑事たちの一喜一憂を通して、一戦ごとの勝敗も書き込まれているから、もしかするとこの小説は現実の勝敗、具体的な年を想定して執筆されているかもしれない。依頼を受けて安蘭寺のある阿久浜という土地を訪れた石動とアントニオは近隣の豪邸に住む上鳥という酒浸りの父親と頼りなげな娘の父娘に出会う。寺には円載が唐から持ち帰ろうとしたと思しき仏像が祀られていたが、その顔は削り取られていた。いうまでもなく本書のタイトルである「黒い仏」、黒智爾観世音菩薩である。一方、殺された男の身元を調べる中村と今田は被害者が阿久浜で石動たちが出会った上鳥瑠美子と関係があったことを探り出す。瑠美子は中州の「イエローサイン」という風俗店、ファッションヘルスで働いていたという。このようなメインプロットの傍らにいくつかの思わせぶりなエピソードが挿入されている。例えば殺害された男も僧であり、彼の属する宗派は対立する宗派と激しい闘争を繰り広げていることが暗示される。あるいは石動の助手の中国人、アントニオは初対面であるはずの星慧に対して激しい敵意を抱いていることが行間から明らかになる。

 ひとまずストーリーを追うのはこのくらいにして、種明かしに入ろう。実は今記したあらすじの中にすでに本書のもう一つの主題が明らかなのだ。すなわち、星慧という僧侶の名、上鳥という父娘の名、イエローサインという店の名前、それらを星の智慧派、ウエトリ、黄の印と読み替えるならば、一つの体系が浮かび上がるではないか。もちろんおそらくこれ以外にも私が気づかない多くの手がかりが散りばめられていることと思うし、私は読む前に本書が「それ」と結びついていることを聞いていたから、これらの名前に思い当たった訳であるが、「それ」とはH.P.ラヴクラフトによって創始されたクトゥルー神話の体系である。奇しくも今月の新潮文庫の新刊としてラヴクラフトのアンソロジーを店頭で見かけたが、星の智慧派とは「闇をさまよう者」に登場する邪教の一派であり、上鳥とは「ダンウィッチの怪」において邪神の子を身ごもるウェイトリーという一族の名前(これまで最も入手しやすかった創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』においてはウェイトリー、今触れた新潮文庫の新訳ではホウェイトリーと表記されている)から引かれ、イエローサインとはこの神話に連なるロバート・チェンバースの短編「黄の印」からとられているはずだ。実際に最後の場面で「黒い仏」の正体もクトゥルー神話との関係で明らかとなり、ジェイムズ・ブリッシュへの献辞も理解できる。ブリッシュはラヴクラフトと文通しており、本書同様にラヴクラフトが言及する偽書への関心で知られている。実際に本書中にはブリッシュの「黄衣の王」が作者の手によって翻訳さえされている。したがってこのミステリーにおいては途中から超自然的な存在が介入し、現実と非現実が混交する。さて、ミステリー通なら誰でも知っている有名な法則に「ノックスの十戒」がある。イギリスの作家ロナルド・ノックスが1928年に発表した探偵小説のルール集である。 (1)犯人は小説の冒頭から登場しなければいけない に始まる10の原則の中には有名な (5)中国人は登場させてはいけない という項目があり、本書におけるアントニオという中国人の存在を考えるならば、殊能がこれを意識していたか否かも興味深いが、その中に (2)超自然現象の類いを用いてはならない という項目がある。本書はこの戒めを破るものであり、それゆえ一種のメタ・ミステリーの風格がある。もちろん十戒の中には (7)探偵が犯人であってはならない という項目があり、逆にこのようなトリックを用いた探偵小説も頭に浮かぶから、ミステリー作家がこれらの規則を守らなければならない義務はない。しかし超自然的な存在を前提とする時、ミステリーの原理である合理性や因果律は成立しない。ただし本書は逆に超自然の側から現実を合理的な内容へと改変するという倒錯をはらんでおり、それゆえカバーにあるとおり、「賛否両論、前代未聞、超絶技巧の問題作」なのであろう。末尾に近い部分に記されたアントニオの「ねえ。大将(石動のこと)こんな風に考えてみたらどうですか。実は事件の真相は、大将の推理とはまったく違ったものだった。それがなぜ、大将の推理どおりに決着したかというと、犯人の側が大将の推理に沿って、証言や証拠をでっちあげたからである。いかがです?」という言葉は本書の本質を言い当てている。

 しかし一方で本書は中途半端な印象も与えないでもない。主要なテーマであるはずの円載の秘宝は隠し場所こそ推定されるものの最後まで発見されないし、「ダンウィッチの怪」を連想するならば上鳥瑠美子の懐妊は別の物語の始まりのはずだ。そもそも本書とクトゥルー神話との関係は必ずしも明確ではない。ある程度ラヴクラフトとクトゥルー神話を読み慣れた者であれば、私が気づいた程度のことは理解できようが、本書の中で両者の関係が明示されるのは「黒い仏」の正体としてアントニオが触れる一つの名前だけである。本書の中にはいくつもの偽書が登場するが、それらはすべて漢籍として表記されているため「ネクロノミコン」も「ナコト写本」も登場しない。私は本書とラヴクラフトの関係については巻末の解説あたりで、クトゥルー神話に詳しい専門家によって詳細に語られるべきではないかと思う。私が読んだ文庫本の解説では豊崎由美がジョルジュ・ペレックなどを引いて高踏な議論を繰り返すだけで、ラヴクラフトのラの字も出ないから、読者は解説を読んでもなんのことかわからないだろう。かつて読んだ東野圭吾のミステリーに犯人が最後まで特定されずに終わるという内容があったが、さすがに解説の中では作者に代わってトリックや犯人についての説明がなされていた。このような手当がないため、本書の超絶技巧はわかる者にしかわからない、いささかひとりよがりな出来上がりとなっている気がする。なお文中で言及した「ノックスの十戒」に関しては法月綸太郞に「ノックス・マシン」という怪作が存在する。文庫化されていたはずだ。合わせてお読みいただきたい。


# by gravity97 | 2019-07-31 22:30 | エンターテインメント | Comments(0)

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 パレスチナについてはこのブログでも何度か論じた。確認してみると、初めてこの主題に触れたのはブログを書き始めてまもない2008728日、後でも触れるガッサーン・カナファーニーの『太陽の男たち/ハイファに戻って』のレヴューであった。それから10年ほどの時間が経ったが、彼の地の状況はさらに悪化している。岡によれば、それはよく言われる「パレスチナは訪れるたびに最悪を更新している」という言葉では足らず、「訪れるたびに幾何級数的に最悪を更新している」。実際にここで語られる出来事の多くは、ここ10年ほどの間の岡の体験であり、ことに2008年と2014年にイスラエルによる徹底的な破壊と殺戮の嵐がガザの地を吹き荒れた。その模様は本書の中でも詳しく語られる。

 岡真理の著作についてこのブログでレヴューするのは『アラブ、祈りとしての文学』に次いで二冊目となる。文学論である前著に対して、本書はさらに直接に現在のパレスチナをめぐる状況を論じている。最初に岡は個人的な体験を記述する。はるか昔の学生時代、トルコからシリアのアレッポに向かった際、岡はトルコ側で出国手続きをしてシリアに入国しようとした。普通は出国と入国手続きは連続している。島国である日本に生まれた私たちは常に航空機に乗る前に出国手続きを行い、降りたらすぐさま入国手続きをする。しかしトルコから出国した岡の前には漆黒の闇が広がり、彼女はたまたま通りがかったタクシーに乗せてもらって、はるか彼方のシリアに入国できたというのだ。この経験から岡は国境と国境の間に場合によっては数キロに及ぶ緩衝地帯が存在することを初めて知る。緩衝地帯とは英語では no man’s-land という。ノーマンズランドとは人が住むことができない不毛地帯のことでもある。ここから岡は no man という本書の鍵概念を導き出す。

 この世界のすべてが、あたかも隙間なく国民国家の網の目に覆い尽くされてしまったかのように見える今日、しかしその一方で、国民国家と国民国家を分かつ国境と国境のあいだには「空隙」が存在するということ。国境と国境のはざま、国民国家と国民国家のはざまの空隙―ノーマンズランド、何者のものでもない土地。国民国家の外部、いや、もしかしたらそれは、「この世界」そのものの外部なのかもしれない。

 

 岡に導かれて私も思い出した。先にカナファーニーの「太陽の男たち」について触れた。炎暑下、給水車のタンクに潜んでイラクからクウェートに密入国を企てた男たちは太陽に灼かれてタンクの中で絶命する。初読の際には特に不審に感じなかったのだが、正確に読み込むならば、給水車は二つの検問所を通過している。運転手はイラク側の国境検問所は無事突破したことがわかる。二番目のチェックポイント、クウェートの検問所で運転手が係員の無駄話に付きあわされたために男たちは絶命したのである。ノーマンズランドがなければ、彼らは無事クウェートに入国できていたはずだ。ちなみに先にこの小説をレヴューした際、私は物語の最後で運転手が発する「なぜタンクの壁を叩かなかったのだ」という叫びの寓意がわかならいと記したが、岡はそこに難民/ノーマンが窒息死していくにもかかわらず、それを見て見ぬふりをする1970年前後の国際社会の暗喩を見てとる。

no man 、それは非=人間であり、世界の外部としてのパレスチナの暗喩だ。なぜパレスチナ難民が発生したか。次いで岡はパレスチナ問題の起源とも呼ぶべきイスラエルによる侵攻、ナクバについて触れる。1948年に発生したナクバについてはかつても触れた。私はパレスチナ人の難民化がデイル・ヤーシーン村の虐殺に端を発すると理解していたが、岡によればほかにもデイル・ヤーシーンに匹敵する虐殺が各地で発生していたという。デイル・ヤーシーンが記憶された理由はなんとこの事件がイスラエルによってむしろ積極的に宣伝され、パレスチナに留まろうとする者たちに恐怖を与え、父祖の地からの逃亡を助長するためであったという。これらの虐殺がナチス・ドイツのホロコーストを連想させることに不思議はない。そもそも岡が提起する「ノーマン」という概念からは、アガンベンが言う強制収容所で人間と非人間の間に落ち込んだ者、「回教徒」が連想されないだろうか。続いて岡は1982年に2000人以上の難民がキリスト教マロン派の民兵たちによって虐殺されたレバノンのシャティーラ・キャンプに目を向ける。この事件の直後に現地を訪れたジャン・ジュネによるルポ「シャティーラの4時間」についてはすでにこのブログで詳しく論じたので、参照していただきたい。この事件を語り始めるにあたって岡は、現在、テートに収蔵されているディア・アッザーウィーという作家の「サブラー・シャティーラ」という壁画に言及し、そこにピカソの「ゲルニカ」からの引用があると指摘する。ゲルニカとシャティーラという二つの土地が重ねられていることはいうまでもない。美術作品に関しては冒頭でもクリスチャン・ボルタンスキーについて言及がある。本書から少し離れるが、パレスチナとピカソという言葉の結合から、私は最近見た印象的な作品を連想した。それは昨年から今年にかけて森美術館で開かれた「カタストロフと美術のちから」に出品されていたパレスチナの作家、ハレオ・ホウラニによる《パレスチナのピカソ》という作品である。それはオランダのファン・アッベ美術館が所蔵するピカソの絵画をヨルダン川西岸地区のラマッラーで展示するプロジェクトの記録であり、具体的似は出品交渉や保険の交渉といった手続きを経て、厳重な警備のもと、パレスチナでピカソが展示されるまでが示されていた。私も海外で出品交渉をしたことがあるから、このプロジェクトがいかに大変であったかがよくわかる。例えば岡はパレスチナが絶えず停電の脅威にさらされていることを記している。停電は直ちに空調のシステム・ダウンを意味するから、通常このような場所には作品は貸し出せないはずだ。おそらく所蔵先の美術館を含めて多くの人の懸命な努力によって可能となったこのプロジェクトを知り私は深い感銘を受けたが、これはパレスチナというノーマンズランドにおいて美術という文化を実現させる試みとみなすこともできるだろう。この問題については後にも触れる。シャティーラではパレスチナ人であれば見境なく虐殺された。しかしレバノン人とパレスチナ人は外見上区別がつかない。このため虐殺者たちはトマトを見せて、発音の違いによって二つの民族を区別したという。敵を区別するための指標をシボレートと呼ぶらしい。同じことが関東大震災直後に朝鮮人たちに対してなされたことも想起される。一見区別のない集団をあえて分断し、互いの憎悪をかき立てる手法を私たちは今、トランプのアメリカで、安部の日本でまさに目撃している。スペインのゲルニカは一度だけの出来事であった。しかしパレスチナにおいてはゲルニカが連続していると岡は記す。1948年のゲルニカ、1956年のゲルニカ、1982年のゲルニカ、2002年のゲルニカ。しかも時を経るにつけ、破壊と殺戮の規模は拡大していくというのだ。そして岡は同じ状況が世界中で認められることも付け加える。クルド人たち、内戦下のシリア、ロヒンギャもそうだ。主権国家をもたない人々、国家に帰属しない人々、独裁国家における自立した市民、いたるところにノーマンが、ノーマンズランドが存在する。しかし熾烈さにおいてパレスチナは例がない。イスラエル占領下のパレスチナを訪れた南アフリカの活動家たちが、イスラエルの占領の苛酷さと比べるならばアパルトヘイトさえも「日曜日のピクニック」のようだと評したという。イスラエルによって設けられた検問所のために病院にたどり着くことができず、生み落とした子をその場で亡くす母親、あるいは突然電話が鳴り、10分後に住居を爆撃するから住み慣れた家から直ちに立ち去れと警告される人々、いくつものエピソードを通して私たちにとって想像もつかないノーマンズランドにおける苛酷な生がつづられる。それにしてもホロコーストという地獄をくぐり抜けて成立したイスラエルという国家がまるで自らの受けた苦痛を反復させるかのように、なぜかくも他者を苛酷に扱うことが可能なのであろうか。以前私は同じ問いを記したことを覚えている。しかし岡はアガンベンの言葉を引きながら、実はこのようなナイーヴな問いこそが偽善的であると説く。アガンベンを引く。

収容所で犯された残虐行為を前にして立てるべき正しい問いとは、人間に対してこれほど残酷な罪を遂行することがいったいどのようにして可能であったかという偽善的な問いではない。それより真摯で、とりわけさらに有用なのは、人間がこれほど全面的に、何かをされようとそれが犯罪として現れることがないほどに(中略)自らの権利と特権を奪われることが可能だったのは、どのような法的手続きおよび政治的装置を手段としてのことだったのか、これを注意深く探求することであろう。


2004年のヨルダン訪問で始められた本書は後半で2008年と2014年にガザに加えられた徹底的な破壊と殺戮の攻撃を実況する悲痛なSNSのメッセージを記録する。わずか15年ほどの間、かくも苛烈な民族浄化(イラン・パペはそれを漸進的ジェノサイドと呼んだ)が続けられた場所がほかにあるだろうか。本書の中には笑いをめぐる二つの印象的なエピソードがある。2002年に岡がベツレヘムを訪れた際、イスラエル軍に占拠されたホテルのロビーで岡を案内してくれたパレスチナ人の青年たちは引きも切らずに冗談を言って笑い転げていた。それはパレスチナ人の人間性を否定する暴力の中で、自分たちが生を享受していることを、ロビーの奥にたむろしている同年代のイスラエル兵士に対して抵抗のメッセージとして伝えるものであったと岡は考える。その場で一人のイスラエル兵士が岡にIDの提示を求めながら、話しかけた。今となれば、おそらくパレスチナの青年たちと楽しそうに会話をしていた岡と何かを話したかったのであろう。当時、彼らを占領者であり敵とみなしていたから、兵士に答えることはなかったが、そのことを今は後悔していると岡は記す。もう一つのエピソード。先にも触れた検問所で10時間にわたって足止めされたため生まれた直後に子を失った妊婦についてイスラエルのユダヤ人映像作家がそのポートレートを撮影した。イスラエルの作家が撮影したという事情がどの程度働いているのかはわからない。ヘイラと呼ばれる妊婦は常に笑みによってカメラに対した。それはゆえなき暴力によって子を失って悲しむ女性というステレオタイプによって「彼女を理解し共感しようとする試みに対して、そうさせまいと自らが設けたバリケード」であると映像作家は説く。前者のエピソードは同じ人間でありながら立場の違いによって理解しあうことのない二者の出会いとして、カナファーニーの「ハイファに戻って」を連想させる。そして後者からは他者の共感さえも否認するほどに残酷な体験がこの世には存在することを暗示している。本書の中で幾度となく語られる、ガザを訪問した岡に対する人々の温かいもてなしの傍らにこのような断絶と拒絶を置く時、私は人と人が憎しみあうべく固定された状況に由来する絶望を感じる。本書の中でノルウェーの平和学者が説く暴力のタイポロジーが示される。戦争や虐殺といった物理的暴力が行使される「直接的暴力」に対して貧困や差別といった社会的構造から間接的に生み出される「構造的暴力」が存在するという。ドローンや白燐弾といった非人間的兵器による直接的暴力はまさに人を直接に殺傷するが、封鎖や計画的貧困といった構造的暴力は人を内面から腐敗させる。オレンジや苺が豊かに実り、美しい浜辺のあるガザという都市はヨーロッパのリゾートとして高いポテンシャルを秘めている。しかしイスラエルによってオリーブ畑はブルドーザーで踏み散らされ、工事が許されないために生活排水が直接排水される河口には悪臭が漂う。占領と封鎖によって、十分な食料や水、医薬品や電気を絶たれた社会、ガザはそれ自体が巨大な強制収容所と化している。岡の学生の一人はそれを「ガザ、世界最大の野外監獄、無期懲役ときどき死刑、罪はパレスチナ人であること」と評したという。ここに決定的に欠落しているものは希望であり、そこに住む人々は世界から見捨てられたという思いを抱く。

パレスチナで岡は1976年に発生したタルザータル難民キャンプでの虐殺事件を主題にした小説を書いた作家と出会う。その小説の続編を書かないのかと問う岡に対して、作家は続編を書く責任は感じるが、パレスチナにいると現在進行形で起きている占領の暴力があまりに重く、過去の出来事に向かい合うことができないと答えた。私たちはたとえばヒロシマや済州島の悲劇が文学的に昇華された例を知っている。むろんパレスチナについてもカナファーニーをはじめとするパレスチナ文学と呼ぶべき系譜は存在し、岡は前著においてこれらを詳しく論じている。しかしオスロ合意崩壊後、加速化する占領の暴力はもはや小説家に筆を握る余裕さえ与えないかのようだ。ノーマンズランドにおいて文学や美術は成立しえない。イスラエルが何の戦略的な意味もないパレスチナの文化施設や芸術の拠点を執拗に破壊するのは人をノーマンにするためだ。逆にかかる逆境においても、ピカソの絵画を展示しようと試みることは構造的暴力、そして内面からの腐敗に抗して、人が人であることを宣言するためである。本書の奇妙なタイトルは岡がガザのフランス文化センターで出会った作品に由来している。ムハンマド・アブーサルという若い作家の手によるこの作品はガザに重ねられた地下鉄路線図である。東京やロンドンで見慣れた路線図であるが、もちろんガザに地下鉄は存在しない。しかし実際には封鎖されたガザとエジプトの間には無数の地下トンネルが掘られ、食糧や医薬品を得るための文字通りのライフラインとなっている。したがって「ガザの地下鉄」にはいくつもの意味が重ねられているのだ。岡はこの痛みに満ちた書を次のような文章で締めくくる。

ガザの地下鉄」は私たちがまだ見ぬ、美しいパレスチナの明日,美しい世界の明日を想像させてくれる。「絶望の山」から「希望の石」を切り出す鑿だ。この世界がいまだに目にしたことのない、私たちのもっとも美しい子どもたち、私たちのもっとも美しい日々を想像すること。すべては想像することから始まる。「人間に想像できることはすべて、実現することができる」(ジュール・ヴェルヌ)

本書の中に占領下で生まれ、育ち、封鎖下のガザから日本に留学した学生たちが京都駅の雑踏で絶句したというエピソードがある。どこにでも行くことができる自由が存在することを、その自由を享受しうる世界が存在することを知って、彼らは自分たちがいかなる世界に生きてきたかを初めて理解したというのだ。「ノーマンを不断に算出し続ける巨大な暴力装置」―それはギュンター・アンダースが世界機械と呼んだものかもしれない―は現在も稼働を続けている。自分たちがノーマンとならないために、私たちはまずここに描かれたノーマンズランドの生を想像することから始めなければならない。


# by gravity97 | 2019-07-26 07:45 | 思想・社会 | Comments(0)

原口剛『叫びの都市』

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 20086月に日本で大規模な暴動が発生したことをどのくらいの数の人が知っているだろうか。むろん私も知らなかった。場所は大阪、釜ヶ崎。奇しくもそこから5キロしか離れていない大阪国際会議場でG8サミット財務大臣会合が開催された初日に始まった暴動は5日間にわたって続き、労働者たちと機動隊との衝突が続いた。暴動の発生件数は警察の資料に記載され、本書の中にリスト化されている。それによれは196181日に発生した第一次暴動以来、この地では23回の暴動が発生したが、前回は1992年のことであるから、実に16年ぶりの出来事であったという。(ただしこれを24次の暴動とみなすのは著者らの参与観察の結果であり、警察側資料には「暴動」として認知された形跡はない)なぜ私たちはこの事実を知らないか。理由は単純だ。情報が徹底的に管制されたため、暴動は完全に不可視化されたのである。そしてもしこの暴動が発生しなかったとしても、寄せ場と呼ばれ、使い捨ての労働力として数万人の単身労働者が居住するこの地域について、かつて、そして今も私たちは情報を遮断されている。本書は長くこの地域でフィールドワークを重ねた社会学者による濃密な研究であるが。その意義は今日においてことに切実に感じられよう。
 確かに私たちは釜ヶ崎という地名を知っている。後で説明する言葉を用いるならば「流動的下層労働者」たちの日本最大の拠点として、労働争議が渦巻き、治安が悪く、しばしば犯罪者や非合法の活動家が潜伏する場所といった漠然としたネガティヴな印象とともに私たちは釜ヶ崎を認識している。本書を通読するならばこのような認識はきわめて浅薄であることも了解されるが、その点はひとまず措く。冒頭で原口は本書で論じるべき対象を次のように設定する。

 私たちが足を踏み入れ、向き合おうとするのは、釜ヶ崎と呼ばれる土地である。「地図にない町」と表現されるように、釜ヶ崎という地名は口伝えで受け継がれてきた通称だ。このほかに、「あいりん」と呼ばれることも、「ニシナリ」と呼ばれることもある。広さ一平方キロメートルにも満たない土地にこれだけの呼び名があるという事実は、その土地の形成過程がいかに複雑なものであったかをうかがわせる。

 地図が添えられているから、釜ヶ崎の地理的な広がりを知ることはたやすい。本書はある程度通史的な構成をとるが、著者の意識は徹底的にジオグラフィカルである。最初の章において著者は空間を「生きられた空間」として次のように再定義する。

 地図を描くとき、ひとは天空から地上を見下ろす視点に立つ。このときひとは身体の拘束から解き放たれ、ただ視覚だけを特権化させる。だがそれと引き換えに、眼に映るものしか見えなくなる。これに対し本書では、アスファルトを引き剥がし、嗅覚と土地勘とを頼りに地下を掘り進めていくような記述を試みたい。(中略)私たちにとって、空間とは過程でなければならない。本書の試みは、空間を〈動かす〉ことでもあるのだ。

 原口は空間とは固定されず、複数的であると断じる。この言明こそが本書の中心的な作業仮説であり、本書においては複数の空間の間に引かれる線に目が向けられる。例えば私たちは釜ヶ崎の労働者たちが労働力の「寄せ場」、「人間のセリ市」において手配師たちによってその日の仕事量によって切り分けられることを知っている。しかし彼らはどこに送られるのか。このような当然の問いさえこれまで私たちの視野に入ることはなかった。少なくとも1950年代から60年代にかけて、寄せ場が形成される過程で労働者たちが送られたのは大阪港、当時の呼び名によれば築港であった。築港は現在では天保山と呼ばれるお洒落なウォーターフロントとして賑わっている。釜ヶ崎が「あいりん」と呼び替えられたように、築港も天保山と呼び替えられる。プルーストではないが、土地の名は決定的に重要だ。釜ヶ崎が時に「ニシナリ」、時に「あいりん」と呼ばれる時、そこには命名の政治が働いている。釜ヶ崎があいりん、築港が天保山と呼び替えられる時、流動的下層労働者たちは不可視化されたのだ。さて、港湾労働にはいくつかの特色がある。まずそれはきわめて過酷な肉体労働である。港湾労働は停泊する船舶内での船内荷役と岸壁から倉庫へ荷を運ぶ沿岸労働に大別され、前者は沖仲仕(おきなかし)、後者は陸仲仕(おかなかし)と呼ばれた。特に前者は最も過酷で危険な労働であった。原口が引用する資料によれば冷凍された肉や魚が貯蔵された船内温度はマイナス25度、真夏であれば外気は35度であり、労働者たちはなんと60度の温度差のもと、アスベストを含む毒性物質が充満した環境の下、足元の定まらぬ船舶内での重量貨物の運搬に従事した。作業の後で風呂屋に向かった労働者は、入浴を拒否され、職安の水道で粉塵や汚物を洗い流してから来ることを求められたという生々しい証言がある。港湾労働の第二の特性は波動性と呼ばれる役務の多寡の不安定さである。つまり船の出入りによって荷役の量が大幅に変動し、必要とされる労働力も大きく上下した。「船混み」と呼ばれる停滞が生じれば、待ち時間はそのまま莫大な損失として海運・港湾資本を直撃した。結果としてその日の作業量に応じて必要な労働力を調達できるシステムが求められ、かかる安定性を担保するために複雑で分断された労務システム、つまり重層的な下請け制度が成立した。その日ごとに労働力を調整できる「寄せ場」は資本にとって理想的な労働力の供給源であった。しかし原口が指摘するとおり、「寄せ場」は「寄り場」でもあった。労働者が蝟集する「寄せ場」は労働者の自覚的な意識の高まりが寄り集まる場へと転じつる可能性も秘めていた。原口は二つの線を引く。一つは築港から釜ヶ崎へ、もう一つは釜ヶ崎から築港へ、海と陸を往復する二つの線。「陸の暴動、海のストライキ」という鮮烈なタイトルが付された第三章で両者の関係が詳述される。1958年に全日本港湾労働組合に国際沖仲士倉庫労働組合から連帯を求める書簡が届けられる。国際的な港湾労働者団結の背景にはアメリカの原水爆実験が太平洋岸の港湾労働者の健康にとって脅威とみなされたことがあったという。この3年後、19623月、日本全域において全日本港湾労働組合による最初の統一ストライキが組織され、各港湾では荷役不可能な状況が発生した。このストライキは産業界に大きな衝撃を与え、後に港湾労働法を成立させる力となった。そしてほぼ同じ時期、釜ヶ崎の路上でタクシーに轢かれて死亡した日雇労働者への無情な処置を引き金として大規模な蜂起が発生し、警察に対峙した群衆は以後5日間にわたって抵抗を続けた。この時期にストライキと暴動が同期したことは偶然ではない。高度成長時代のただ中にあって、港湾機能は限界に近づき、日雇労働者たちの労働力の供給なくしては維持することが不可能となっていた。暴動とストライキは陸と海を結ぶ線を切断し、資本に対して決定的な打撃を与えた。そして港湾労働者たちが労働争議に勝利した経験は、今度は海から陸へ、すなわち彼らが生活する釜ヶ崎周辺の飲み屋やドヤの中で共有され、釜ヶ崎においても全港湾関西地方建設支部西成分会が結成される。寄せ場を寄り場へと読み替え、日雇労働者たちは自覚的に集うことによって次々に労働争議に勝利し、モチ代ソーメン代と呼ばれる夏冬一時金といった経済的な対価、そして夏祭りや越冬闘争といった現在まで続く釜ヶ崎の文化を成立させていった。

 しかし70年代以降、海上コンテナ輸送の発達によって状況は大きく変わる。1967年に品川埠頭と麻耶埠頭に就航したフル・コンテナ船とコンテナ専用埠頭の建設は荷役作業を一挙に規格化し、荷役の厳密な時間管理と役務の体系化が可能となった。原口はこの状況をマルクスの言葉を借りて「時間による空間の絶滅」という資本の要請とみなす。さらに70年代半ばのオイルショックによる不況を受けて、釜ヶ崎には失業の嵐が吹き荒れる。日雇労働者たちは港湾労働に代わって建設業へと吸収される。本書の中には日雇求人数の業種別の増減を示したグラフが掲載されているが、70年代から80年代にかけて彼らの就業先は港湾から建設業に劇的に転換され、求人数自体も戦後最大までに激増する。皮肉なことに彼らが従事した建設とは都市開発に伴うそれであり、その中でも最大級の現場は築港に代わって港湾機能の中心となった大阪南港のコンテナ埠頭を含むウォーターフロント開発であった。そこには海遊館や天保山マーケットプレース、サントリーミュージアムといった新しい遊興施設が建設された。それが記憶の上書きであることはいうまでもない。築港に新設されたアミューズメント施設はそこから労働と闘争の記憶を完全に払拭し、釜ヶ崎と築港は完全に分断されたのである。

 釜ヶ崎と築港という二つの場をめぐって寄せ場の形成を歴史的に概観した後、「寄せ場の生成」と題された二つの章において、釜ヶ崎のみならず日本各地に存在する「寄せ場」との水平的な関係が主題化される。まず原口は釜ヶ崎で頻発した暴動の意味を多角的に分析し、それが議会内闘争といった合法的闘争から、広く階級闘争の一端にいたる幅広い可能性をはらんでいた点を検証する。注目すべきは後者の視点だ。60年代後半に全盛期を迎えた学生運動を経験した活動家たちが釜ヶ崎に流入し、暴力手配師に対する抗議活動の中で先鋭化し、釜ヶ崎共闘会議が結成された。全港湾西成分会が日雇労働者も労働者階級の一員とみなしたのに対して、釜ヶ崎共闘会議は日雇労働者の労働者一般に包摂されない特殊性を強調し、自らを「労務者」と定義し、「やられたらやりかえせ」という激烈なスローガンのもとに労働争議が階級闘争であることを明確化した。イデオローグである船本洲治は次のように説く。少し長くなるが重要な一節なのでそのまま引用する。

 旧社会からの汚物ではなく、帝国主義の必然的帰結にして、帝国主義が不断につくりださしている(ママ)ところの汚物―釜ヶ崎・山谷に代表される流動的下層労働者の「低賃金労働力商品生産工場」は、解体された農・漁村であり、合理化された炭鉱であり、未解放部落であり、朝鮮半島であり、(日帝本国内)鮮人部落であり、アイヌ部落であり、そして沖縄なのだ。土地、財産、生産手段から自由な労働力商品は基本的に流動的である。さて官許マルクス主義者諸君。そもそも、流動的ではない労働力商品とは一体なにものであるのか。

 このパッセージでは二つの重要な問題が提起されている。一つは在日コリアンやアイヌ、沖縄といった言葉が暗示するとおり、かかる闘争が植民地解放闘争と連動していることが明言されている点、そして日雇労働者や労務者に代わる「流動的下層労働者」という概念である。このような視点を得ることによって「寄せ場」は世界に開かれていく。ここで船本は「流動的」という言葉を掲げた。本書のサブタイトルともされていることからその重要性は認識できようが、続いて原口は一人の「下層労働者」からの聞き取りを通じてこの点を確認する。I氏とよばれるインタビューイは岡山の山間部の農村の四男として生まれ、大阪と岡山で職を転々とした後、北海道で自衛隊に入隊するが上官に反抗し、除隊して釜ヶ崎に流れ着く。彼を典型とする釜ヶ崎の日雇労働者の本質を原口/船本はその流動性に見出す。釜ヶ崎だけではない、北は札幌、仙台から東京の山谷、高田馬場、池袋、芝浦、川崎、横浜寿町、名古屋笹島、京都七条、神戸新開地、広島、呉、北九州、博多、熊本、那覇、コザへと日本各地の寄せ場に吹き寄せられる労働者は常に流動し、留まることがない。今触れたI氏も釜ヶ崎のみならず山谷、寿町でも生活をしていたことがある。流動的下層労働者は国勢調査をはじめとする権力の監視から自由である。船本は逆にこの点にこそ彼らのアドバンテイジを見出す。船本によれば流動的下層労働者は定着しないために警察権力によって実態を把握されることなく、家族や財産といった守るべきものをもたず、寄せ場を渡り歩くことによって全国的な規模の闘争を組織することができるというのだ。船本の主張の当否はともかく、私は「流動的下層労働者」という言葉から別の一群の労働者を連想した。いうまでもない、「原発ジプシー」と呼ばれ、各地の原発の定期点検を渡り歩く労働者たちだ。1985年に船本が定義したこの概念はまさに原子力発電所における下請け労働者たちを予言したかのようではないか。いずれも苛酷な労働条件の下で作業にあたり、多重下請けによって構造的な搾取を受けている。かつて無数の原子力発電所が稼働していた時期、定期点検に入った発電所を追うように日本中を流浪する彼らもまた「流動的下層労働者」の名にふさわしい。しかし港湾労働者に由来する釜ヶ崎の労働者たちが寄せ場を通じてある程度の団結を可能としたのに対して、原子力発電所の労働者たちは完全に分断されている。まことに原子力発電所が帯びる暴力性と不正義が剥き出しにされる局面ではないか。それにしても流動性という概念は私にとって大きな発見であった。私は日雇労働者にとって例えば釜ヶ崎が唯一の場所であり、抵抗はその内部から発生すると考えていた。しかし本書が明らかにするのは寄せ場が複数化されており、その間の流動というダイナミズムこそが抵抗を組織したという歴史的事実である。流動というキーワードからは難民や移民といった問題に向かっても線が引かれる。移民を厳しく制限する日本では今のところ移民や難民といった問題は前景化されない。しかし彼ら同様のデラシネが流動的下層労働者としてすでに万を単位として存在していたことを私たちは知る。

 たまたま先日、私は天王寺公園を訪れる機会があった。久しぶりの訪問であったにせよ、私は天王寺駅周辺の風景が一新されていることに驚愕した。本書中にも言及があるが、公園を閉ざすフェンスが取り払われた代償であろうか、そこからはかつての猥雑な風景、白昼のカラオケに群れる男女や人いきれのする立ち飲み屋は一掃され、「てんしば」なる白々とした空間が広がっていた。ジェントリフィケーションの進展に伴い、都市における貧民の姿は徹底的に不可視化されているのだ。終章において原口は「社会の総寄せ場化」という状況について論じる。そこで引かれる「日雇労働者がリハーサルをし、フリーターが本番を演じる」という言葉はなんとも陰惨で暗示的だ。当初は主体性を感じさせたフリーターという存在は現在の峻烈な労働状況の中で流動的下層労働者の別名、プレカリアートの最新版を意味している。原口はネットカフェやビデオ試写室といった都市の消費施設が釜ヶ崎におけるドヤの役割を担いつつあることを指摘した上で、両者の決定的な差異について論じる。かつてのドヤは狭く暑いため、夏になると労働者たちは通りに出て呑み、食べ、語った。そこで交わされた情報が資本に対抗する際の有力な手立てになったことについては先に述べた。これに対して(かつてのドヤと同様に)しばしば火災で多くの死者を出すネットカフェやビデオ試写室は完全に個室化され、そこで生活する者同士が交わる場所はない。彼らはそれぞれが所有する携帯電話を通して「デジタル寄せ場」の情報に触れ、集合場所に集まる。

 かくして、「寄せ場」は素通りされる。労働者の伝統的な拠点であったその場所は、力を奪い取られ、解体の危機にさらされる。他方でサイバー空間へとつなぎ留められた次世代の労働者たちにとっては、かつてのドヤ街のような拠点は、あらかじめ奪われている。似たような境遇に置かれた者同士が群れと化すための物的条件をもたぬまま、かれらは「スムーズに」流動させられる。

かつては寄せ場に集う労働者たちを私たちは視認できた。暴動やストライキとして出来する抵抗は街を巻き込み、労働者と手配師のやりとりは否応なく耳に入った。しかし今や私たちの前から労働者の姿も、街区の炎も、都市の叫びもかき消えてしまった。しかし今も流動的下層労働者はいたるところに存在するはずだ。少し想像力を働かすだけでよい。メルトダウンした原子力発電所の解体作業にあたる「作業員」たち、技能実習制度の美名の下で過酷な奴隷労働に従事させられているアジアの「実習生」たち(いずれも「労働者」とは呼ばれない。命名の政治だ)、彼らがかつての釜ヶ崎の労働者たちと同じ立場、場合によってはさらに苛酷な状況に置かれていることは容易に想像がつく。しかし私たちは彼らの姿を見ることができない。「叫びの都市」とは可視と不可視の相剋であるかもしれない。釜ヶ崎の寄せ場が60年代後半に成長を遂げた大きな理由は1970年に千里丘陵で開催された万国博覧会のための労働力を集約する場であったからだ。今や私たちは国家が没落しつつあるにもかかわらず、恥知らずの宰相の虚言、そして端的に贈賄という犯罪によって初めて可能となったオリンピック、さらには誰も望んでいない万国博覧会という無意味で莫大な負債を抱え込んでいる。これらのくだらない事業のために一体どれほどの流動的下層労働者が犠牲になるというのか。しかしもはや彼らの姿は不可視であって、彼らの叫びは聞こえない。


# by gravity97 | 2019-07-15 10:00 | 思想・社会 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック