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Living Well Is the Best Revenge

「菊畑茂久馬 戦後/絵画」_b0138838_2014548.jpg
 アマゾンから届けられた『菊畑茂久馬 戦後/絵画』という分厚い作品集を手に取るならば、直ちに二つの思いが交錯する。後悔と羨望の念だ。前者はいうまでもなく、展示というかたちでここに収録された作品を実際に見る機会を逸したことに対する思いであり、後者はこのような時代にかくも充実した資料を刊行した関係者への率直な思いである。実際、同じ時期に福岡と長崎というさほど相互に行き来のたやすい場でもない二つの会場で開催された展覧会がおそらく今年のベストと呼ぶべき展覧会となるであろうことは事前から予想され、実際に始まってからの評判もそれを裏づけるものだったにもかかわらず、会場へと足を運ばなかったことは自らの怠惰が招いたとはいえ、大いに悔やまれる。そして一方でこのような時代にあって地方の公立美術館がかくも充実した展覧会を組織し、かくも浩瀚な作品集を世に問うた奇跡に対する感慨もまたひとしおである。
 作品はこれまでも多くの美術館で見てきたが、菊畑茂久馬はその全体像を把握することが難しい作家である。菊畑が戦後日本の現代美術を代表する作家であることは衆目の一致する点であるが、作家をなんらかの集団や運動に帰属させることは難しい。九州派の代表作家、読売アンデパンダン展の風雲児、南画廊の看板作家、これらのレッテルがいずれも一面の真実にすぎないことはこの作品集に目を走らせれば明らかである。作家同様その作品もなんらかの動向と結びつけることが難しい。初期の土俗的なオブジェ、カシューを塗った円形の平面からルーレット・シリーズ、デュシャンを連想させる小ぶりのオブジェ、そして〈天動説〉に始まる一連の絵画シリーズにいたる作品の展開は作風の深化、あるいは成熟といった概念とは無関係のぎくしゃくした印象を与える。さらに菊畑は作品制作と並行して炭鉱画家、山本作兵衛と交流し、彼の絵画を模写し、さらには返還されたばかりの戦争記録画について論文を執筆するといった一面もある。作品制作と直接に結びつかないこれらの活動が作家にとっていかなる意味をもったかを理解することは容易ではない。
 しかし今回、作品集を通読するならば、これらの疑問の多くは氷解するだろう。作家の半生と作品の関係を考えるにあたって多くの示唆を与えるのは福岡市美術館の山口洋三による長時間インタビューである。菊畑という一人の作家の回想でありながら、そこからは日本の戦後美術の高揚期をめぐるいくつものエピソードをうかがうことができる。まともな美術教育を受けたこともない福岡の青年が東京の一流画廊で個展を開き、ニューヨークでも作品が展示されるにいたる経緯は一種のシンデレラ・ストーリーであるが、インタビューをとおして単に一人の作家の活躍にとどまらず、当時の現代美術をめぐる熱気がうかがえる。それは東野芳明、中原佑介といった若手の批評家が登場し、南画廊や東京画廊といったやはり新興の画廊が意欲的な展覧会を次々に企画して新しい価値観を提示しようとした1960年代の東京の現代美術をめぐる高揚感である。しかし一方で菊畑は常に東京から距離をとり、生活者として福岡に根を張り、自身の必然性に基づいて作品の制作を続けた。九州派をはじめ集団蜘蛛との関係など当時の地元作家相互の交流については初めて知ることも多かった。60年代の「地方の前衛」の活動の充実については既にこのブログで触れた黒ダライ児の『肉体のアナーキズム』の中で詳しく論じられているが、この作品集は菊畑という稀有の作家のオーラル・ヒストリーを介してこの問題を検証している。そしてこのような土着性のゆえに菊畑は「時代の寵児」として軽薄に消費されることなく、今日にいたるまで現代美術の第一線に立つことができたのであろう。
 本書を通読して多くの発見があった。まず60年代後半に制作された大量のオブジェが発表を想定しておらず、破棄されたものも多いという事実には驚く。それらは偶然にその存在を知った学芸員によって88年の北九州市立美術館での回顧展で初めて発表されたという。菊畑が一種の鬱屈の中でこれらの作品を制作した背景としては、明らかに同時代の美術が万国博覧会という時代の滝壺の中にむざむざと飲み込まれていくことへの抵抗があっただろう。それまで前衛とみなされていた作家たちが一方は御用作家として万博総動員体制に加担し、一方は万博破壊共闘へと結集していく。このような二極化の中で菊畑の独特の位置は注目に値する。そしてかかる勢力の布置状況が近年、九州、福岡を拠点とする研究者や美術館によって究明されつつある点はきわめて興味深い。同時に万博を戦後美術の結節点とみなす椹木野衣の一連の著作の先駆性もまた明らかであるように感じる。
 長い沈黙を破って菊畑は1983年、東京画廊で発表した〈天動説〉連作によって新たな一報を踏み出した。そしてこの連作が菊畑の仕事の中でも一つの絶頂をかたちづくっていることは本作品集を通覧する時、直ちに明らかとなる。残念ながら私は一部の作品をそれらが収蔵された美術館で見たことしかないのであるが、作品の圧倒的な存在感は図版からさえ明らかであろう。多様な作品を渡り歩いた菊畑がこの時期、絵画という形式によって現代美術の第一線に復帰したことは暗示的である。作品集に寄せられたテクストの中で展覧会を担当した二人の学芸員は、それぞれオブジェ、「物性」といった概念を手掛かりこの経緯を説得的に解き明かし、当時、喧伝された絵画の復権、イメージの回帰といった表層的な現象とは異なった深い内発によって〈天動説〉が導かれていることを解明している。ここに再び集った〈天動説〉連作を一覧するためだけでも私は九州に足を運ぶべきであった。
 それにしても未曾有の災厄を経験した同じ年にこのような充実した展覧会が開催されたことは私たちにとって大きな励ましではないか。震災と原発災害の後で展覧会は可能か。いうまでもなくこの問いは、アウシュヴィッツの後で詩を書くことは可能か、飢えた子どもの前で文学は可能かという問いに連なる。芸術は非人間的な状況に拮抗しうるか。しかしこれは偽の問いであり、両者を対置する発想は正しくない。いかなる悲惨であろうともそれは芸術の不在によって購われることはないし、いかなる惨禍を体験したとしても、人は美術が、文学が、音楽が存在しない世界で生きるべきではないのだ。展示を実見していない私がこのように結語することは傲慢に聞こえるかもしれない。しかしこの重厚な作品集を通読した後、私は自身の体験に基づいてこの点を確言できる。美術館の冬の時代と呼ばれて久しいが、優れた作家と情熱のある学芸員が組めば、地方であっても、新聞社やTV局の事業部やらに主導されずとも、かくも質の高い展覧会を組織することができるのだ。
 カタログではなく一般書籍として刊行されたため、作品集をアマゾンから入手できたことは幸運であった。上に掲げたイメージから明らかなとおり、作品集も量、質ともにこの驚くべき展覧会の名に恥じぬ充実ぶりだ。出版社を確認して納得する。黒ダライ児の大著『肉体のアナーキズム』と同じグラムブックスが版元である。
# by gravity97 | 2011-10-18 20:04 | 展覧会 | Comments(0)

キャロル・ダンカン『美術館という幻想』_b0138838_2261153.jpg フェミニズムの論客として知られたキャロル・ダンカンが1995年に著した美術館論が翻訳された。「美術館という幻想」という邦訳のタイトルはいただけない。原題は Civilizing Rituals : Inside Public Art Museums であり、ここにおいて儀礼という本書の基本概念が既に提起されているにもかかわらず、「美術館という幻想」では美術館という制度自体が幻想であるような印象を与えてしまうからだ。逆に美術館が今日的、あるいは「教化された」儀礼の典型であり、その拠点である点を論証するのが本論の趣旨であるはずだ。
 第一章でダンカンは本書の基本的な主張である「儀礼の場である美術館」を分析するにあたり、まず理論的な枠組みを説く。しかし私の印象では儀礼やアーティファクト、リミナリティといった中心的な概念がさほどしっかりと吟味された印象はない。ここで提起される概念は第二章以降で行われる具体的な美術館やギャラリーに関する分析の中で十分に機能したようには感じられないのだ。別の言葉を用いるならば第一章における共時的な観点と第二章以降の通時的な観点がうまくかみあっていない。さらに言えば本書で提起される主張は今日ではさほど独自には感じられない。もっともこれは本書が刊行された時期から10年余りの時の経過によるかもしれない。儀礼の場であるかどうかはともかく、フーコーを経由した私たちにとって美術館が中立的で啓蒙的な施設であるといった素朴な理解はもはやありえないだろう。
 もちろん第二章以降のルーブル美術館とロンドンのナショナル・ギャラリー、そしてメトロポリタン美術館とシカゴ美術館などの歴史をたどりながら、王侯貴族のコレクションが「民主化」されていく過程の分析、あるいはワシントンのナショナル・ギャラリーをめぐる寄贈者と美術館の確執、そして最後の章で検証されるニューヨーク近代美術館に内在する男性原理など、具体的な論述はきわめて興味深く、本書の読みどころを形作っている。美術館の成立が国家や国民という概念の成立と同期するという主張や美術館にまつわる様々の「儀礼」の政治性に関する指摘は今日でも新鮮であり、ワシントンの「ナショナル」ギャラリーのコレクションが実は一人の富豪の嗜好によって形成されていることを私は本書を読んで初めて知った。あるいはフリック・コレクションやゲティ美術館、モルガン図書館といったアメリカでも有数の文化施設がいわば血塗られた歴史をもち、さらにゲティ美術館の敷地内にポール・ゲティの墓があり、美術館が文字通り霊廟としての役割を負わされているという指摘は美術館の本質を考えるうえで示唆に富む。
 多くを学んだことを認めつつも、私が本書に感じる異和感は、この研究のライトモティーフとも呼ぶべき儀礼への批判が常に攻撃的、糾弾的な論調を帯びている点に由来する。この点はフェミニズム系の美術史研究において往々に感じられる点であるが、例えば本書においては特にアメリカの美術館のコレクションが大富豪による労働者の搾取のうえに成り立っていることが何度も論じられる。フリック・コレクションをかたちづくったヘンリー・フリックが実際には無慈悲な資本主義者であったにも関わらず、その名前がストライキへの弾圧ではなく美術品と結びつけられて記憶されることへの批判が繰り返されるが、作品の質に対して作家の人格が責任を負わないのと同様に、コレクションの質とコレクターの人格は本来無関係のはずだ。本書を読む時、儀礼への批判が多くコレクターや社会制度への批判と転じていることが理解される。あるいはニューヨーク近代美術館における男性原理の優越を説く最終章の論述はあまりに教条的で硬直した印象を与えないだろうか。もちろんフェミニズム美術史の成果によって、今日の時点ではダンカンの記述が常識として共有されるにいたったという反論はありえるだろう。しかし近代美術館における作品の展示、特に裸婦像の配置が女性差別を無意識化したものであるという理解は今日では通俗的にさえ感じられる。さらにジョーン・ミッチェル、ルイーズ・ネヴェルソン、アグネス・マーティン、エヴァ・ヘスらの作品を「男性の特権性に奉仕するための造りもの」として批判し、これに対して、バーバラ・クルーガー、シンディ・シャーマン、キキ・スミスらの作品が「美術館を男性の手から解放し、その儀礼を書きなおし、新たな問題意識と新しい批判的な見方を提起する」と評価する姿勢には失笑を禁じえない。前者の作家たちに評価を与えたのが、モダニズム/男性原理主義の批評家であったにせよ、それは批評家の言説をとおしてなされたのであり、作品自体にそのような特質を認めることは本来フェミニズムが批判した本質主義の立場ではないか。私ならばむしろ前者の作家たちの作品が実はモダニズム/男性原理主義への根本的な批判を内在させているという発見、逆にクルーガーやシャーマンの作品に男性芸理への迎合を見出すような視点の方が(むろんここではこのような論証が可能かどうかではなく、一つの可能性として指摘している点を理解されたい)今日的な意識を反映しているように感じられるのだ。
 あるいは美術館を論じながらキューレーターに関する議論が全く欠落しているのはなぜであろうか。国王や貴族、あるいは大富豪といった階級が人民や労働者を搾取しながらコレクションを形成したとしても、なぜそれが美術館という制度と同一視されるのか。論文中にワシントンのナショナル・ギャラリーやゲッティ美術館のコレクションがその後、専門家によって補正されたという記述があるが、いうまでもなくこの専門家こそがキューレーターであり、美術館とコレクションの運営に関する実務的な決定権を握っている。むろん彼らも別の意味で儀礼としての美術館に一役買ったかもしれない。しかしダンカンの議論はこれらの職能集団の意味を軽視し、美術館における階級性や性差の告発に終始する。一つの反例を示そう。ダンカンがマッチョで男性主義的とみなすアメリカの抽象表現主義はやはりダンカンによれば男性原理が支配するニューヨーク近代美術館が中心になって組織したヨーロッパへの巡回展によって認知された。しかしこの展覧会を実質的に組織した中心人物が近代美術館の女性キューレーター、ドロシー・ミラーであったという事実、さらにミラーがやはり近代美術館で「X人のアメリカ人画家」という集団展を連続して企画し、戦後アメリカ美術の方向性に大きな影響を与えたという事実は本書の最終章とどのように折り合いをつけるのであろうか。
 訳者もあとがきに記すとおり、本書は1980年代以降、主として英語圏で隆盛したニュー・アート・ヒストリーの一翼を担う研究である。本書を通読して、私はそろそろニュー・アート・ヒストリーそのものも総括されてよい時期に達したのではないかと感じた。むろんノーマン・ブライソンにせよ、T.J.クラークにせよその主著がまともに翻訳されていない日本においてその射程を理解することは難しい。しかし制度批判や表象批判といった理論的、抽象的な議論においてはいくつかの注目すべき研究が残されたにせよ、具体的な作品研究、作家研究においてその成果は乏しいように感じられるのだ。日本において一時一世を風靡したフェミニズム美術史研究の消長もこの問題と関わっている。
 最後に一言付言するならば、ダンカン自身も弁明しているが、美術館という一種普遍的な施設について論じながら、フランス、イギリス、アメリカのみをそのフィールドとしている点も私には疑問に感じられる。それでは日本の場合はどうであろうか。個人コレクションもしくは私立の美術館が主流を占める欧米と比べて、日本においては公立美術館という特殊な運営形態が多い。もちろんそこにも歪んだ「儀礼と権力」が働いている。この点については今後日本人研究者によって解明が進められることを期待したい。
# by gravity97 | 2011-10-03 22:08 | 批評理論 | Comments(0)

 ずいぶん長い間、本棚に積んだままにしていたマルカム・ラウリーの『火山の下』をようやく通読する。世評の高い小説であり、私は以前より大江健三郎の著作をとおして存在を知っていた。しかし実際には昨年、新訳として本書が刊行されるまで書店はもとより図書館でも見かけたことがない稀覯書であった。インターネットで調べたところ、最初の訳書が『活火山の下で』のタイトルで刊行されたのはほぼ半世紀前であり、絶版となった今では古書でも入手は困難という。
 決して読みやすいとはいえないが、形式的に入り組んだ私好みの小説であった。全12章のうち、最初の章は1939年の「死者の日」、11月2日と時間が特定され、以後の章ではそのちょうど一年前、1938年11月2日の出来事が語られる。第1章では小説の舞台がメキシコであることがいくつかの固有名詞によって示された後、ジャック・ラリュエルというフランス人とアルトゥーロ・ディアス・ビヒスという医者がホテルの前で語り合う場面から始まる。二人は「領事」ジェフリーとその妻イヴォンヌ、そしてジェフリーの腹違いの弟であるヒューというこの小説の三人の主人公について回想し、三人が既にその土地にいないことが暗示される。この章の最後でラリュエルは本にはさんであった一通の手紙、ジェフリーからイヴォンヌにあてられた未投函の手紙を発見し、読み終えた後、火にくべる。なるほどガルシア・マルケスが本書を愛読したはずだ。相手に届けられない手紙、それは『コレラの時代の愛』の主題であり、マルケスの自伝中のエピソードに連なっている。
 いささか謎めいた導入を受けて第2章以降、一年前の「死者の日」のジェフリー、イヴォンヌ、ヒューの挙動が語られる。第2章は早朝、物語の舞台となるクワウナワクという街に戻ってきたイヴォンヌがホテルのバーで酒を飲んでいるジェフリーと出会う場面から始まる。この小説は時間に関してはほぼ直線的で単純な構造をとるが、語りの構造は複雑で、第1章はラリュエル、第2章以降はジェフリー、イヴォンヌ、ヒューの三人が交互に焦点化される。注意すべきは彼らが語り手となるのではなく、彼らに焦点化される点だ。全能の話者は別に存在し、登場人物は三人称で語られるが、それぞれの章は中心となる人物が明確に指定され、時にそれらの人物の回想が重ねられることによって時間的な遡行さえ認められる。登場人物の思考や行動の表現と情景の描写の文章が融合した文体は粘着的でメキシコの炎暑を連想させる。訳者のあとがきの中に章ごとの「視点人物」とあらすじの一覧があるが、なんのつもりであろうか。複雑な小説であるから読者の便宜をはかったと思われるが、読者を馬鹿にした態度であるし、私の考えでは豊かな混沌とも呼ぶべきテクストを数行の「あらすじ」に還元する作業は読書という営みにとってなんら益することはない。
 興味深いことにメキシコという地を舞台にしながらも、主要な登場人物は外国人である。いまやアルコール依存症の深みにはまったジェフリーはイギリスの領事であり、イヴォンヌはハワイやハリウッドを転々とした女優としての過去をもつ。コンラッドを愛読し、ロンドンで最初は音楽家を志したヒューも挫折の後、船乗りとして世界を転々として、この地にたどり着く。最初の章で彼らを回想し、翌日いずこかに立ち去るラリュエルもまたフランス人だ。さらに彼らの多くは一種の敗残者としてクワウナワクで生を送っている。ジェフリーがイギリス海軍を追われて、酒浸りの生活を送るようになった理由は鹵獲したドイツ軍の潜水艦に乗っていた将校の扱いをめぐって何か問題が発生したらしいと暗示されているが、小説の中で詳しく語られることはない。したがってこの小説の主題は流謫の地で汚辱とともに余生を送る人物たちの葛藤、そしてその破滅といってよいだろう。
 私は本書から四方田犬彦の『モロッコ流謫』に登場する一人の人物を連想した。それは四方田がラパトで出会った三島由紀夫の実弟、平岡千之である。モロッコ大使を務める平岡は四方田を歓待し、深い教養の持ち主であることをうかがわせるが、深い影のある人物である。もちろん後に迎賓館の館長を務めた平岡はジェフリーのごとき破滅的な人生を送った訳ではない。しかしメキシコとモロッコ、遠く離れた炎暑の地に赴き、深いニヒリズムを漂わせ、さらに言えば一種の故郷喪失者である二人の「外交官」の相似は興味深い。
 冒頭の挿話が暗示するとおり、「領事」ジェフリーはアルコールに依存し、日中よりテキーラを飲んでは酩酊し、正気を失って路傍に倒れる。したがってジェフリーに焦点化された章においては語りの中に酩酊による幻覚や譫妄が侵入し、現実と虚構が入り乱れる。私は本書の文体からフォークナーが強く連想されたのであるが、それはフォークナーの『響きと怒り』冒頭の白痴の語りのごとき、脈絡のない意識の流れが地の文とつながって記述されることに由来している。本書の読みにくさの一因はこの点に求めることができようし、このような語りは小説に重い負荷を与える。
 きわめて形式的な小説でありながら、小説中の中で繰り広げられる登場人物たちの生活は作者ラウリーのそれを追体験するかのようである。実際にラウリーもヒューのように船に乗り込んで長い航海を経験し、メキシコでアルコールに溺れて最初の妻との生活は破局にいたる。小説の中でジェフリーはカナダに渡る夢を語るが、ラウリー自身もメキシコからブリティッシュ・コロンビアに移った後にこの小説を完成させたという。この意味において本書はラウリーの自伝的小説とみなすこともできようし、この点にこの小説の限界が存している。ラウリーは現代の『神曲』を書くことを意図し、『火山の下』を地獄篇として構想したという。特定の一日を描いた小説としてはジョイスの『ユリシーズ』も連想され、今述べたとおり本書の中にフォークナーやコンラッドの影響を指摘することも可能だ。しかしながら『神曲』はともかく、これらのモダニズムに連なる小説に比して、斬新な形式の中に臆面もなく個人的な半生を投影した点において本書はきわめて特異である。小説の中で象徴的に扱われる二つの火山のごとく、本書もまた20世紀文学の中に孤絶して屹立する印象がある。マルカム・ラウリー『火山の下』_b0138838_10432325.jpg
# by gravity97 | 2011-09-19 10:48 | 海外文学 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 110914

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# by gravity97 | 2011-09-14 21:46 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

齊藤哲也『零度のシュルレアリスム』_b0138838_21364148.jpg 今年の初めに国立新美術館で開催されたポンピドー・センター所蔵の「シュルレアリスム」展を機縁としているのであろうか、今年に入ってシュルレアリスム関連書の出版が続き、『水声通信』で何度かシュルレアリスムに関する特集を組んだ水声社がこの状況の一つの焦点となっている感がある。この出版社から最近刊行された齊藤哲也という若い研究者のシュルレアリスム研究を読む。
 序章とそれに続く六つの章によって構成された本書のうち、序章はある研究会における口頭発表に基づいており、既に『水声通信』34号に掲載されている。ほかの六章はいずれも書き下ろしであるが、序章に倣ってあたかも講演の記録であるかのような口語体が用いられている。このため語り口は平易な印象を与え、難解な文章が多いシュルレアリスム研究のなかでは異色である。そしてシュルレアリスム研究に対する姿勢そのものが従来の関連書と大きく異なる。各章のタイトルとして「シュルレアリスムとはXか」という共通の問いが立てられている。Xには章ごとに前衛、オートマティスムといったいかにもそれらしき言葉が代入される。だが早まってはならない。著者自身が「はじめに」の中で記すとおり、これらはいずれも偽の命題であり、著者にとってシュルレアリスムは「シュルレアリスムとはXである」という定言を逸脱するとらえどころのなさの中にその本質を開示するのである。
 私はシュルレアリスムの専門家ではないが、齊藤が提起する問題は自分自身に引きつけてもきわめて興味深く感じられた。齊藤の立場を一言で言うならば、シュルレアリスムがはらむさまざまな矛盾、あいまいさを肯定し、むしろこのような非一貫性にその本質を見出す、つまり「シュルレアリスムとはXである」という本質主義、還元主義を排すことによってその核心に迫るというものである。確かにこれまでのシュルレアリスム研究が例えばオートマティスム、複数性、あるいは非人称といった概念によってシュルレアリスムの全幅を説明することに固執したために、難解さや矛盾を帯びざるをえなかったのに対して、このような観点の切り替えは多くの発見をもたらす。同時にこのような転換はいくつかのパラダイム・シフトと結びついている。その一つは齊藤も指摘するとおり、作品から作家への焦点の移行である。従来のシュルレアリスム研究が作品から出発したのに対し、齊藤は矛盾をはらんだ主体としての作家にこそ目を向けるべきだと主張する。いうまでもなくこのような発想は先に述べた還元主義への批判とともにいわゆるモダニズム/フォーマリズムへの批判的な対案を構成する。
 一連の議論を進める中できわめて斬新な比喩が提起される。例えば序章で齊藤は『シュルレアリスム宣言』中の有名な「一語として置き換えることができないほど明瞭に発音されながら、なおあらゆる音声から切り離された一つの奇妙な文句」「窓ガラスをノックするようにしつこくせがんでくる文句」とは我々にとって「電話の着信音」であると喝破する。一見唐突に感じられるが、読み進めるならばこれがきわめて適切な理解であることに納得する。『シュルレアリスム宣言』の構造がミュージックTVなどで音楽のヴィデオとミュージシャンのインタビューを交互に流す番組に似ているという指摘、あるいはブルトンらのロートレアモン解釈が好きなロックバンドをコピーするギター少年の軽率さに似ているという主張、このような発想はこれまでの世代、従来のシュルレアリスム研究ではありえなかったものであり、「《シュルレアリスム》をアップデート」という帯のコピーにふさわしい。以前にも記したことがあるが、近年のシュルレアリスム研究の深まりは研究者の世代が一新されつつあること、そして瀧口修造というあまりに巨大な先行者の影からようやく脱しつつあることを暗示している。
 先に私は齊藤の立場がモダニズム/フォーマリズムという今世紀美術の主流理念に対抗するものであると述べた。本書がシュルレアリスムを主題としている以上、当然にも感じられようが、実はこの研究は両者を止揚する立場をめざしているとはいえないだろうか。図式的な理解であるが、前者が作品の形式を、後者が作品の内容に比重を置くのに対して(このような図式が不安定であることは今や自明であるが、ここではひとまず措く)、本書では作品ではなく作家の態度が問題とされているのである。もう少しわかりやすく述べるならば、シュルレアリスムという問題圏に触れて例えばブルトンが、ルイ・アラゴンが、あるいはテルケル派がどのように自らの態度を選んだかという点が本書の分析の中心とされている。別の言葉を用いるならば、シュルレアリスムを一つの理念によって統御された矛盾なき運動体としてとらえるのではなく、錯綜した共同体として理解すると試みといってもよいだろう。作品の分析ではなく、作家や思想家の態度について論じることの困難さはたやすく予想されようし、加えて齊藤によればシュルレアリスム的な態度とはあいまいさ、矛盾、非一貫性を本質とする。例えば神秘主義、非合理性、革命といった、シュルレアリスムに関連づけられたいくつもの常套句の間をすり抜けるかのような作家たちの(必ずしも作品ではなく)態度は確かにこれまで研究者にとって頭痛の種であった。『シュルレアリスム革命』に「シュルレアリスム、それは生を刈り込むことだ」という有名な一節があるが、いうまでもなくこの断定もまた「シュルレアリスムとはXである」という不毛な定言のヴァリエーションである。美術から文学、多くの作家や批評家を横断しながらていねいにこのような断定の不可能性を証明し、非決定性にシュルレアリスムの本質を求めるという本書の姿勢は従来のシュルレアリスム研究を一挙に相対化するだけの批評性を備えているように感じた。
 シュルレアリスムに触れることによって、人は自らの生に対する態度を選ぶ。それならば本書も一人の研究者が自らの立場を表明した一種の信仰告白ととらえることはできないだろうか。比較的平易な言葉が用いられながらも行間に漂う一種の切実さはこの点に由来する。本書の最終章は「シュルレアリスムは『死んだ』のか」と題され、第二次大戦以後のシュルレアリスムの帰趨をめぐるきわめて興味深い議論が展開されている。本書を読み終える時、答えは明らかだ。モーリス・ブランショを引くまでもない。シュルレアリスムの本質が作品ではなく態度の中に存する限り、それは死ぬことはない。それは今も「光まばゆい強迫」として我々とともに在るのだ。
# by gravity97 | 2011-09-05 21:39 | 近代美術 | Comments(0)