NEW ARRIVAL 080417

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# by gravity97 | 2008-04-20 10:47 | NEW ARRIVAL | Comments(0)
このブログを立ち上げるにあたって、「ネームカード」なる設定を求められ、いくつか自己言及的な言葉を入力してみたがいずれも既に登録されていたため、ひとまず「クリティック」を名乗ることとした。「クリティック」とは四方田犬彦が1984年に著した論文集のタイトルでもある。
80年代初頭、『GS』という伝説的な雑誌の創刊に関わり、浅田彰、中沢新一らとともに「ニュー・アカデミズム」と総称された批評家たちの中にあって、四方田は今日にいたるまで精力的かつ多岐にわたる著作の発表を続けている。ヌードのピンナップから漫画、香水にいたる多様な主題を扱った本書はその後の四方田の活動を予示するかのようである。
『構造と力』、『チベットのモーツァルト』といった当時話題となった著作と比べても、私が本書に深く共感したのは、多様な話題を扱いながら多くの論文が記号論の磁場の中にあったからである。当時、私は丸山圭三郎のソシュール研究に導かれ、記号論が切り開く、驚くべき視界に魅惑されていた。
何人かの先達、とりわけロラン・バルトの影響があからさまであるとはいえ、日本において多様な文化的表象を記号論的な観点からかくも犀利に分析する、見知らぬ若手の批評家が登場したことに私は強い衝撃を受けた。四方田の批評については今後もこのブログの中で論じることとなろうが、本書は「ニュー・アカデミズム」の出発点として私の中で今なお新鮮な印象を与える。
それから20年以上が経過した昨年、四方田は師であった由良君美へ対する敬意と哀切に満ちた回想『先生とわたし』を発表した。この中で、私はこの著作が由良によって「全てデタラメ」と否定されたという事実を知る。四方田の出発点は師弟関係の終焉でもあった。
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# by gravity97 | 2008-04-17 09:29 | 批評理論 | Comments(0)
マキューアンから始めることにしよう。
『アムステルダム』はさほど感心しなかったが、2005年に発表された『土曜日』を読み、9・11以後の世界をこれほど優雅に描くことができる作家が存在することに衝撃を受けた。直ちに2001年に発表された本書を読み継ぐ。これは紛れもない傑作である。
大戦前の1935年、大戦下でのダンケルク撤退戦とロンドン、そして1999年という三つの時代を舞台に一つの愛と贖罪の行方が描かれる。
時に凄惨な情景が描かれながらも、マキューアンの文体は優美で繊細である。匂いたつほどに官能的でありながら精緻な文章は『土曜日』の主人公である脳神経外科医の手つきを連想させる。
説話論的な観点に立つ時、意外な「真実」が暴露される結末はミステリーに近く、実際に犯人探しの一面もあるから内容に深く立ち入ることは控えるが、冒頭より周到な伏線が張られ、全ての鍵は『贖罪』というタイトルが握っている。
私が何よりも感銘を受けたのは作者が文学という営みの可能性を深く信頼していることである。同様の信頼は『土曜日』の終盤のエピソードからもうかがうことができるが、『贖罪』にあってはこのような信頼そのものが小説を構成している。
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の中で暴力が支配する時代にあっても神は信じうるかという問いを提起した。9・11という圧倒的な暴力を経過した私たちは果たして神ならざる文学にそのような信頼を寄せることができるだろうか。

ところで原題の atonement とは文字通り「つぐない」の意味であるが、分節して、at onement と表記した場合、神と一つであること、神との和解を意味する。そして onement とはバーネット・ニューマンが1948年に発表した記念碑的な作品のタイトルでもある。ニューマンはこの作品によって画面を垂直な線条だけで構成する禁欲的なジップ絵画に到達した。ユダヤ人であるニューマンにとって絵画への絶対的な帰依を表明するこの絵画のタイトルと文学への信頼に裏づけられたマキューアンの小説のタイトルの一致はなんとも暗示的ではないか。
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# by gravity97 | 2008-04-14 16:40 | 海外文学 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック