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Living Well Is the Best Revenge

報道に胸が痛む。無意味な殺戮が終息し、彼の地に平和が訪れることを心から祈念して、二度目の再掲とする。この問題については主に「思想・社会」のカテゴリで継続的に論じている。そちらも参照されたい。

 『現代思想』5月号 特集 パレスチナ-イスラエル問題(再々掲)_b0138838_21043827.jpg今年は明治維新150周年ということで、最低の政権に見合ったくだらないキャンペーンをいたるところで目にする。隣国を侵略することに明け暮れた明治以降のこの国の在り方に一体何を寿ぐべき点があるのか不審に感じるのは私だけであろうか。一方で今年はイスラエル「建国」すなわち「ナクバ」という悲劇から70年という周年でもある。『現代思想』が5月号で「パレスチナ-イスラエル問題」を特集したことはまことに時宜にかなっているといえよう。
 1948年5月15日、パレスチナのデイルヤシーンという村でイスラエル軍と民兵による住民の大量虐殺事件が発生する。恐慌に陥った多くのパレスチナ人はシリアやレバノンに一時避難する。彼らはこの退避は一時にすぎず、まもなく帰還できると考え、家も家財道具もそのままに脱出したが、彼らの土地はそのままイスラエルに占領され、彼らが居住していた土地には世界各地から帰還したユダヤ人が入植することとなった。多くのパレスチナ人たちは以後、難民としてガザとヨルダン川西岸地区でイスラエルの圧制のもとで困難な生活を余儀なくされている。イスラエル建国の本質であるこの事件はナクバ(大災厄)という名とともに今日に伝えられている。ここで私たちはイスラエル建国が暴力とともに記憶されるという歴史的事実を認識する必要がある。これこそがパレスチナ-イスラエル問題の原点であるからだ。
 特集号は「教師としてのパレスチナ」と題された広河隆一へのインタビューで始まる。広河は若い時期にイスラエルに渡り、キブツで労働する中でパレスチナ問題の矛盾を認識し、以後一貫して批判的な立場からこの問題に取り組んで来た。このブログで取り上げたジャン・ジュネの『シャティーラの四時間』で知られるシャティーラ・キャンプでの虐殺事件の現場に最初に入ったジャーナリストの一人でもある。広河のインタビューは本書の劈頭にふさわしい。ランズマンが「ショアー」で表象した絶滅収容所と同様にナクバという事件も目撃者をもたない。以前、このブログに記したとおり、私はガッサーン・カナファーニーの小説を通してナクバについて学んだ。そして私は今にいたるまでこの事件をイメージとして連想することができない。これは私の責任というよりも、写真であろうと絵画であろうと、ナクバを視覚的に表象した例がほとんど存在しないことに起因するだろう。この点でショアーとナクバは双生児のようではないか。記録の不在、ジャーナリズムの遅延という問題は今日にいたるパレスチナ問題の背景をかたちづくっている。続く鵜飼哲と臼杵陽の対話も多くの示唆に富む。二人の対話から理解されるのは、私たちが彼の地についていかに無知であるかということだ。そして近年、状況はさらに錯綜、いや混迷を深めている。オスロ合意が破綻した後、パレスチナをめぐっては世代の交代、地政学的な変化といったあまりにも多くの関数が関わっている。私たちは圧倒的な暴力装置であるイスラエル軍に対してインティファーダと呼ばれる民衆的闘争が繰り返されていることを漠然と知っている。しかし1987年に始まる第一次インティファーダと1993年のオスロ合意以後のそれとの本質的な差異について、どのくらいの日本人が知識をもっているだろうか。あるいは「アラブの春」や今も続くシリア内戦が彼の地にどのような影響を与えたか私たちはほとんど何も知らない。そして今や中東をめぐる最大の危険因子が常識も理性も欠いたアメリカの大統領のふるまいであることは先日の大使館移転問題で明らかになったとおりだ。二人の対話からはこれまで私たちが発想できなかったいくつもの視点が提起される。例えば今述べたとおり、イスラエルの建国に対するパレスチナ側からの呼称であるナクバという事件に対してはあらためて民族浄化という概念が適用される。これは対話の中でも言及されるイラン・パペの『パレスチナの民族浄化』という研究によって提起された視点であるが(本特集にもパペの「バルフォアからナクバへ」という論文が訳出されている)、民族浄化とは1980年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中で明確となった特定民族に対する人種的な犯罪であり、ここにもホロコーストの記憶が残響していることを私たちは記憶にとどめるべきであろう。あるいは先に触れたデイルヤシーン村での虐殺に関して、指導者層のレヴェルではイスラエルのみならずパレスチナ側も事態を黙認していたという発言がある。この発言がどの程度事実に裏づけられているか、にわかに私には判断できないが、70年の時を隔てて、これまで文字通り神話化されていたイスラエル建国の神話が解体されつつあることをうかがわせる記述である。
 ついで掲載されたサラ・ロイと小田切拓という二人の書き手によるガザ地区についての論評も実に暗澹たる内容だ。ロイは2017年にガザを訪ねた際の体験を回想している。ロイが宿泊するホテルで身なりのよい女性が物乞いをし、退去するようにという従業員の求めに応じるどころか物乞いさせることを要求したという。あるいは身だしなみのよい女性たちが公然と売春するといったエピソード。これらは端的に人倫の退廃を暗示しているが。このような状況は経済封鎖によって人為的にもたらされているのだ。パレスチナの人々は若者を中心に職を失い、結果として一定の給料を得るためにISを含む武装組織への参加を余儀なくされている。ロイの論考は「もしイスラエルが利口なら」と題されている。このタイトルはロイが出会った一人のムスリムの発言であり、彼によれば、もしイスラエルがパレスチナにいくつかの工業地帯を設置し、パレスチナ人たちに仕事を与えれば武装組織の影響力は弱まり、人々は世俗化するはずであるという。しかし明らかにイスラエルはこのような手法をとらず、あえて人々から仕事を奪い、相互の憎悪を掻き立てようとしているのだ。「土地なき民に民なき土地を」はイスラエル建国にあたっての悪名高きスローガンであるが、同じ土地にあって職なきパレスチナ人にイスラエルが職を与えるならば、事態は容易に改善され、人為的にもたらされた荒廃は人為によって回復されるはずだ。しかしそれがなされない点にこの地をめぐる絶望が起因している。小田切は自らが体験した個人的エピソードを介してこの荒廃を粗描する。小田切はガザ地区の知人へ送金を試みるが、いかなる方法を用いてもきわめて困難であることが明らかになる。ガザは経済的に陸の孤島であり、そこには外貨が入る余地と手段がないのだ。小田切も近年のガザの変貌を憂慮している。彼によればかつては土地に強い帰属意識をもっていたガザの住民たちも、今やこのままでは自分たちがそこで野垂れ死にするという危惧を抱いているという。ナクバによって故郷を追われた人々は中東各地に難民として散種され、ただ故郷への帰還を望んでいる。この特集を読んで強く感じるのは、近年、状況が急速に悪化しつつあるということであるが、その原因について特集を読んでもはっきりわからなかったことは、先に述べたとおり、この問題に関する関数の多さ、状況の錯綜を暗示しているかもしれない。
 『オリエンタリズム』の翻訳監修者である坂垣雄三の「日本問題としてのパレスチナ問題」というエッセイも興味深い。坂垣はこれまえ日本人がパレスチナ問題とどのように関わってきたかを論じ、内村鑑三、徳富蘆花、出口王仁三郎、さらには柳田国男といった意外な名前を引きながら歴史的に検証する。坂垣は現在多くの日本人がこの問題について「(パレスチナとイスラエルの)どっちもどっちであって、良いも悪いもない、お互い話し合い譲り合って平和になってほしい」といった立場をとることに対して、端的に植民地主義と人種主義への無知の反映であると述べる。実際にかつて日本では、ナクバ以前より今挙げたような人々がこの問題に対して傾聴すべき見解を残している。バルフォア宣言などによって当事者としての位置に立たざるをえないヨーロッパ諸国に比し、日本はこの問題に積極的に関与しうる立場にいたはずだ。このエッセイの中では坂垣が京都大学で集中講義を行った際に数名の青年たちが密かに彼を訪ねてレバノンへ渡航の可能性を問うたが、後に彼らはロッド空港乱射事件に関与することになったというシリアスなエピソードが開陳されている。日本への漠然とした好感を基盤としてこれまで日本とパレスチナの関係は良好であったから、オスロ合意が破綻した後、日本はイスラエルとパレスチナの間の調停者の役割を積極的に果たし、この地に平和をもたらすことも決して不可能ではなかったはずだ。しかし安倍は経済人を引き連れてはイスラエルを訪問する愚かなパフォーマンスを繰り返し、かかる国家的アドバンテイジを台無しにしてしまった。かつてこの男はISに無辜の日本人が人質として囚われていることを知りながら、イスラエルの首相と国旗の前でくだらないスタンドプレーを演じ、二人の日本人の虐殺の口実を与えた。この事実を私たちは決して忘れてはならない。この男の愚行によって日本がかつて中東地域に対して及ぼしえた隠然たる影響力、国家としてのプレゼンスは無残にも壊滅したのである。
 アラブ世界に通じた岡真理に関しては、かつてその著作をこのブログで論じたことがある。彼女も「風と石と女たちの記憶」という興味深い文章を寄せている。ここで岡は1982年のパレスチナの難民キャンプ、サブラーとシャティーラにおける虐殺事件と、1949年、済州島の4・3武装蜂起の際の虐殺を重ねる。二つの虐殺事件には共通点がある。それは犠牲者の死体が多く隠匿もしくは毀損されて残されていないことである。別の論考で田浪亜央江はやはりナクバを広島に重ね合わせることによって証言を記録する可能性について論じている。記憶の担保としての「記念碑」あるいは「オーラル・ヒストリー」は可能か。かかる切実な問題意識を介して、パレスチナ問題も表象の不可能性というアポリアに接することとなる。岡は昨年、東京でイスラエルのユダヤ人女優によって演じられた、パレスチナの家屋破壊という事件を主題とした演劇につい言及している。イスラエルによって禁忌とされる事件がイスラエルの女優によって表象される点は一つの救いであるが、当然ながらこの演劇はイスラエルでは上演が禁じられているという。家屋の破壊が何を意味するか、松野明久はやはりパペの「パレスチナの民族浄化」に依りながら、それがメモリサイドであると説く。ジェノサイドという言葉を想起すれば直ちに理解されよう。メモリサイドとは記憶の抹殺であり、それが具体化された風景として、パペは各地に建設された森林公園を挙げる。これらの公園はパレスチナ人が住んでいた場所を破壊し、そこに聖書に記された古代のパレスチナを具現化したものである。これによってその場所に現実に生きていたパレスチナ人の空間と記憶は破壊され、上書きされる。記憶の上書きの非人間性について知りたければ、カナファーニーの「ハイファに戻って」を一読することを勧める。この小説ではパレスチナ人のキャンプをブルドーザーで破壊すること、すなわち記憶の抹消ではなく、同じ場所に別の記憶を上書きすることによって記憶を根絶する手法が残酷な物語として語られている。
 収録されたすべての論文に触れることはできなかったが、今回の特集は充実しており、関心をもった読者には本書を手に取ることを強く勧める。そして私は最後に一点、本書で全く論じられていない一つのアフィニティ、類似性について所感を記しておきたい。大災厄によって、ある日突然に生まれた土地を追われる不条理、1948年にパレスチナの人々を襲った不幸は私たちにとって決して馴染みのないものではない。東日本大震災の後、福島第一原子力発電所の近隣に住む人々もまた強制的な「避難」を命じられたではないか。今もあの日のままに学校の教室が残されているというレポート、あるいは私は当時、すぐに帰宅できると考えて家から離れた少女が二度と家には戻ることができないことを知って絶望する悲鳴のようなツイッターを読んだ覚えがある。突然に故郷を追われ、二度とそこへ帰還することができない不条理、ナクバと原子力災害は相似形の悲劇であり、後者は端的に国家と企業による土地の収奪、記憶の根絶である。しかしこのような犯罪に対して、東京電力も政策を推進した政権の政治家も誰一人として罪を問われず、あまつさえ彼らは再び原子力発電所を稼働させ、海外に輸出することさえもくろんでいる。彼らの無責任と横行する不正義に私は今も目のくらむような怒りを覚える。国境に位置する離島の帰属についてことのほか敏感な右翼勢力と右翼メディアが、かつてこの国の一部であった豊かな土地が永遠にこの国から失われたことに対して声を上げないのはなぜだろう。今やフクシマには汚染土を詰めたフレコンバックに覆われた民なき土地が広がり、今も万を単位とする土地なき民が日本各地を流浪する。私たちが関心を向けるべきは維新ではなく現代のナクバではないか。






# by gravity97 | 2023-10-11 21:05 | 思想・社会 | Comments(0)

福田和也『放蕩の果て』

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 本書を読むにいたるには若干の経緯があった。きっかけは書店の店頭で見かけた同じ著者の『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』という薄い書物だ。驚いたのは表紙に掲げられていた著者の近影。げっそりと痩せた相貌からは、かつての押しの強そうなエピキュリアン、福田和也の面影がうかがえない。手に取って立ち読みしてみると、委細は記されていないが最初の方に体重が30キロ以上落ちたという記述があるから、おそらく何かの大病を患ったのであろう。この本は図書館で借りて読んだが、コロナ禍によってあえぐ銀座や京都の名店を再訪するというテーマは福田らしくないし、内容も同じような話題の繰り返しであまり面白くない。一体何があったのか、ほかにも近年の文章がないだろうかと検索してみたところ、ごく最近この批評集が刊行されたことを知ったという次第である。

 福田と私は同じ世代に属するから、自叙伝的批評集というサブタイトルが付された本書の時代的な背景は理解しやすい。もっとも私はさほど熱心な読者ではなく、とりわけ一連の評伝的な文章は読んだことがないし、当然ながら思想的なスタンスは全く異なる。しかし私は福田のあくの強い文章が嫌いではない。文化全般を一刀両断するように論じるテクストはほかにあまり類例がないし、特に美食や骨董についてのエッセーを楽しんできた。それゆえに表紙の近影に驚いた訳だ。主に『新潮』と『新潮45』に掲載されたエッセーから成る本書は福田和也という批評家のわかりやすい見取り図となっている。別々の主題で別々の時期に発表されたとはいえ、内容はしばしば反復され、逆にこの反復によって福田の関心の中心が浮かび上がるのだ。

 例えば冒頭の「私の独学ことはじめ」では自分の生い立ちから、育った環境、若い時に興味を持った文学や音楽、演劇といった雑多なテーマが論じられるが、最初に江藤淳への墓参が語られる。江藤は福田の処女作「奇妙な廃墟」を唯一評価した批評家であったが、このエピソードは本書の中で繰り返し語られるし、これに続く二つの文章はいずれも江藤の追悼文である。以前、四方田犬彦の『先生とわたし』を読んだ際に四方田の「先生」である由良君美が慶應義塾出身であったため東京大学で疎んじられ、西脇順三郎への敬慕の念を繰り返し述べていたことが記されていたと記憶するが、本書によれば逆に江藤に大学院を辞めるように勧告したのが西脇であったから、由良と四方田、江藤と福田は西脇をはさんで対照的な位置にあるといえるかもしれない。教師との関係で言えば、福田がフランス語を「アンチ・オイディプス」の訳者である市倉宏祐に学んだこと、そして市倉が特攻隊の生き残りであるというエピソードも私は初めて知った。先に挙げた福田の処女作は1989年に刊行されているから、時代としてはいわゆるニューアカデミズムが台頭していた時期に執筆されたていたはずだ。ドゥルーズやフーコーが神のごとく論じられていた時代に、しかもその訳者のもとで学びながらコラボラトゥールと呼ばれるヴィシー政権下での対独協力文学者の系譜というまことに屈折したテーマを大著に仕上げた点に福田のオリジナリティーが認められるだろう。「私の独学ことはじめ」は自分の半生を振り返る内容であるが、ムーミンに始まり、司馬遼太郎と海音寺潮五郎、やくざ映画からセックス・ピストルズへと次々に話題が転じる点も福田らしい書きぶりといえよう。

 本書のタイトルに放蕩という言葉があるが、福田は製麺機製造を営む裕福な家に生まれ、高校や大学では父親から与えられた限度額のないクレジットカードを使って放蕩の限りを尽くしたという。私は今言及した福田の専門的な研究論文を読んだことはないが、例えば本書中の「絵画と言葉」という文章を読むならば、福田の絵画に関する批評がかなり凡庸であることを美術史の専門家として断言できる。しかし放蕩を事挙げするだけに、すべてのジャンルにおいて本物を志向し、可能であればそれを手に入れようという姿勢には深く共感するし、それゆえ例えば美術であれば長谷川利行や大竹伸朗といったかなり癖のある作家へ肩入れすることとなったのだろう。そして何よりもエピキュリアンである。「食うことと書くこと」と題された文章にもそれはよく表れている。この文章の中で福田は澤口知之というイタリアンの料理人との出会いを回想する。バブル期の日本、「奇妙な廃墟」の執筆を続けながら家業の製麺機会社の営業を続けていた福田は五反田のイタリアンレストランで昼間からワインを一本空ける。相手をしてくれたソムリエこそ澤口であり、彼はイタリアで修行をしたのち、「ラ・ゴーラ」というレストランを開く。福田はこの店に通いつめ、料理と酒を楽しみ、その一方で仕事への猛烈な集中を示す。


この頃の私の肉も血もエネルギーも、全ては澤口の料理によってつくられていたといっても過言ではない。食って飲んで酔っ払い、翌朝起きて原稿を書く。夜になれば、また食って飲む。朝が来れば、起きて原稿を書く。そうしたことを続けているうちに私は、月に300枚もの原稿を書くまでなっていた。食って飲むことと書くことが一体となっていたのだ。


この文章を読んだ後で、福田の近影を見ることは寂しい。この文章は上野のガード下のモツ焼屋で、澤口と対した福田が食欲の衰えを嘆くことから始まり、ほとんど同い年の澤口が2017年に早世したことが「Let It Bleed 料理人・澤口知之」という章で語られる。私は福田の食をめぐるエッセーを興味深くよみ、それらはすでに「悪女の美食術」としてまとめられているが、エピキュリズムが創造性を生むという主張については私も深く共感する。このエッセーではこれらのエピソードに魯山人とカラヴァッジオを繋げる。

 「三浦朱門と箱庭」というエッセーではやはり江藤の批評を土台として「第三の新人」とを論じながら、作家である三浦の晩年に言及し、さらに自分と父親との関係を回顧する。そして三浦が家長としての務めを全うしたのに対し、自分は家長という自覚が全くないと結語する。対象と自分の私生活を往還する、このような揺れをもったエッセーというのはあまり読んだことがないし、書くこともなかなか難しい。ここに収められたエッセーはそのほとんどが、対象を福田という個人が濾過することによって成立する文章であり、私の批評の方法と全く異なる。それゆえ逆に肩肘を張らずに読めるのかもしれない。福田和也『放蕩の果て』_b0138838_20220119.jpeg「声―フランスと日本と」と題された文章はおそらくコロナ禍直前に久しぶりにパリを訪れた印象を記した内容であり、大学での研究の回想に始まり、パリの観光、美術館めぐり、古書店めぐりなどがつづられているが、ここにも一種の落魄の感慨がある。福田は先に触れた『悪女の美食術』の巻末に「パリ、三泊十七つ星の旅」というパリ滞在記を寄せているが、タイトルからわかるとおり、ミシュランで星のついた名店をいくつも訪れては豪遊するという下品で悪趣味な内容である。この連載が掲載された雑誌の出版社の丸抱えによって可能となった豪遊であるにせよ、かつては豪奢なホテルやレストランについての蘊蓄を垂れていた福田が「57歳であまり金の使えない状況でパリに来て」一人カフェでシャンパンを飲む姿はわびしい。かつては「部屋の雰囲気を慰撫し、かきたて、優雅さをにじませるような、繊細さを感じさせるルーム・メイク」を賞賛したオテル・ド・クリヨンも「いちばん安い部屋でも一泊十万円」するために滞在を見合わせたという。しかしそれは日本という国の暗喩でもあるかもしれない。福田も記すとおり、かつては三ツ星レストランをいくつもはしごする余裕のあった日本という社会は今や三流国家に落ちぶれ、ヨーロッパに行くと物価の高さに目がくらむ。福田はシャンパンと赤ワイン、クラブハウスサンドイッチとエビアンの勘定として日本円にして一万円ほどを請求されて驚く。今年の初め、久しぶりにヨーロッパを訪れた私も同じような体験を味わった。それにしてもしばしばヘミングウェイの「移動祝祭日」に触れつつパリという街の祝祭性を論じ、かつては出版社の負担とはいえ「お友達」を引き連れてパリのレストランで豪遊した福田が一万円程度の軽食のレシートをいちいち書き写すとはなんともみじめな印象が否めない。

 続くいくつかの章では何人かの人物が主題化される。順番に小林旭、クリムトとツヴァイク、獅子文六である。この並びに福田の批評の特異性があることは言うまでもないが、これらのバラバラな人物をめぐりながら、やくざ映画、象牙細工あるいは戦争体験といったこれまたばらばらな話題が重ねられるところが福田の批評の真骨頂である。やくざ映画といえば、私は本書を読んで、このブログでも触れた『映画の奈落』というドキュメントの傑作を書いた伊藤彰彦が福田の高校のクラスメイトであることを知った。獅子文六という今日ではほとんど顧みられることのない流行作家を取り上げるにあたって、福田が注目するのは彼が本名で発表した「海軍」という小説である。軍部に反対していた獅子が開戦に及んで一種の愛国主義に目覚める機制を分析する手つきから直ちに連想されるのは先に触れた大著のフランス文学研究『奇妙な廃墟』であり、この研究で福田は対独協力者としてフランスの文学史から抹殺された作家たちを取り上げている。福田は亡命した土地からフランス国民に対してひたすらドイツへの抵抗を要求したド・ゴールよりも占領という現実を直視したコラボラトゥールと呼ばれる作家たちに共感する。確かこの研究は現在ちくま学芸文庫に入っていたと思うから、読んでみることにしよう。

 比較的短い文章が続く本書の後半で取り上げられる人物を列挙する。宇能鴻一郎、白洲正子、坪内祐三、石原慎太郎、和辻哲郎、丸山眞男、清水幾太郎、福田恆存、三島由紀夫、山本七平、中野重治。さもありなんという名も散見されるが、むしろ統一感のなさの方が印象に残るだろう。もちろんここに挙げられたのは福田が評価する作家や批評家であるが、その理由はさまざまである。本書は二部構成であり、第一部の「放蕩の果て」に続く、第二部の「思惟の畔にて」は今列挙したうち、和辻から中野まで比較的短い文章が収められているが、第一部から特に違和感なく通読できる。福田は自分の批評の対象が広い意味で「日本とは何か」であるという点を何度となく繰り返す。私はよい読者とはいえないが、同じ点におそらく批評家としてのデビュー作に近い『日本の家郷』以来、彼の批評に一貫する通奏低音を聞き分けてきた。それは強い日本、よき時代の日本への憧憬ではなかっただろうか。私が福田の批評に同調できない理由はもちろんここにある訳だが、福田が論壇に登場した頃、(福田は当時『諸君!』が論壇誌の中で一番元気がよかったと断ずる)日本は確かに強く、政治も経済も文化も今に比べてはるかに健全であった。今世紀に入って新自由主義の進展と愚劣な政権の連続が日本という国の土台を壊滅的なまでに蝕んだことは今や明らかであるとはいえ、福田の批評的胆力の低下と合わせ鏡のように、享楽から衰残へ、増長から軽侮の対象への転落した日本という国家と国民の姿を思う時、本書の読後感はそれなりに重い。


# by gravity97 | 2023-09-20 20:25 | エッセイ | Comments(0)

カズオ・イシグロ『クララとお日さま』_b0138838_20504541.jpeg 洗練の極みと呼ぶべきカズオイシグロの小説についてレヴューするのはこれで四回目となる。私はイシグロを文庫化されるタイミングで読んできたから、この小説も発表からしばらく経過した後に通読したが、圧倒される。これもまた傑作と呼ぶにふさわしい。

 イシグロは毎回異なった設定の物語を提示するが、今回も驚くべき語り手が登場する。人工知能を搭載したフィギュア、AFである。実はこの点にもテクスト的なたくらみがある。原文の表記も確認したいが、語り手は自らをAFと呼ぶ。AFとはArtificialFriend の略称であるが、確認したところこの言葉が省略されず、人工親友として初めて記述されるのは本書の74頁であるから、それまで読み手は「はじめてお店に並んだ時、わたしに与えられた場所は店央の雑誌台側でした」という一文で始まるこの小説を語り手の素性を憶測しながら読み進めるしかない。もっとも実際にはこの小説の語り手の正体はカバーに記されたあらすじや帯の惹句によって先立って知られる訳であり、このブログでも明かしてしまったが、本来はかかる予備知識なしに読み進めることが望ましいのではなかろうか。

 今異なった設定と記したが、本書の冒頭から張り詰める緊張感は直ちに別の小説を連想させる。「わたしを離さないで」だ。未読の読者のためにこの小説にも深く立ち入ることはしないが、AFの目を通して語られる一見日常の風景の中に潜む不穏さ、そして物語の中で次第に驚くべき真実が明かされていくスリリングさは二つの小説に共通する。AFは主に子どもたちの相手をするために製造された人間そっくりの人工知能であり、ほかの電子機器同様に世代がある。語り手のクララはB2型であり、さらに新しいモデル、B3型もリリースされていることが登場人物たちの会話の中で明らかになる。タイトルの「クララとお日さま」も少々謎めいているが、まずはクララが太陽のエネルギーを動力としていることを示している。お日さまが力を与えるのはAFだけではない。外の景色を眺めるのが好きなクララは道端の物乞いと彼が連れている犬が路上に倒れているのに気づき、彼らの安否を気にかける。しかし翌日になると彼らは太陽の光を浴びて「生き返る」のだ。一方で時折街角には大気を汚染し、クララを太陽から遠ざけるクーティング・マシーンなる作業機械も出現する。クララは時にショーウインドーに立ち、時に店の中央に展示されて、買い手を待ち、店内に陳列されたローザやレックスという名前のAFとも言葉を交わすが、彼らのいずれもが買い手がつけば直ちに店から運び出される運命にある。このような交換可能性も「わたしを離さないで」を連想させる。クララの目を通して語られるAFショップ、あるいは街の日常の風景の中には先の物乞いの復活のごとく、時に謎めいたエピソードが挿入されるが、そこに物語の伏線が周到に張り巡らされていることはイシグロを読み慣れた者であれば、誰でも予想がつくだろう。クララが店を訪れたジョジーという少女に気に入られて彼女の家に引き取られるまでこの小説の第一部だ。

 第二部から舞台はジョジーの家に移る。ジョジーは母とメラニアという家政婦と三人で暮らしているが、やはりそこにも謎めいた緊張が存在する。それについて語る前に、例によって興味深い「テクスト的現実」を二点指摘しておこう。一つ目はジョジーの母の呼称だ。ジョジーの母にはクリシーという名がある。しかしクララの語りの中では常に彼女は「母親」と呼ばれるのだ。ほかの登場人物については親称の有無こそあれ、すべてファーストネームで呼ばれるのに対して、ジョジーの母親のみ常に「母親」という三人称で呼ばれるのはかなり異様に感じられる。この小説はクララの語りとして成り立っているから、この呼び名はクララとジョジーの母親の関係を暗示しているはずだ。つまりクララは彼女に対しては心を開くことがない。第一部にAFを求めて店を訪れたジョジー以外の買い手に対して、クララがそっけない態度をとるエピソードがあるが、「お客様がAFを選ぶのであって逆ではない」という店長の言葉に恭順の意志を示すクララが実は無意識的な好悪という自意識を有しているとするならば、本書の根底的なテーマである人とAFとは異なるのかという問いに対して、テクスチュアルなレヴェルで一つの示唆が与えられていることが理解されよう。二つ目は家政婦のメラニアの言葉遣いである。メラニアに限らないが、本書の登場人物に関しては身体的特徴や内面についての描写がほとんどない。私たちはクララの目を通してしか彼らを知ることができない訳であるが、メラニアについては一つの手がかりがある。「ついてくるな、AF、どっか行け」「わたしとAF、ジョジーさん、助けます」家政婦の地位を奪われるのではないかと恐れるメラニアはクララを冷たく扱うが、その際に発せられる言葉は悪意というより、かたことの語りであるように感じられる。つまりメラニアというややエキゾチックな名前も含めて、彼女はネイティヴではなくおそらく移民もしくはジョジーや母親とは人種を違えていることが暗示されている。人間とAFとの間の絶対的な格差はこの小説の主題であるが、同じ人間であるクリシーとメラニアの関係も明らかに非対称である。奉仕される者と仕える者、ジョジーの家庭にはかかるイギリス的主題がきわめて入り組んだ形で投影されているといえよう。ジョジーと外に遊びに出たクララは病気がちの母と二人で暮らす隣家の少年リックと知り合う。第二部のクライマックスは「交流会」と呼ばれるジョジーのためのパーティーである。母親とともにジョジーと年齢の近い少年少女たちがジョジーの家に集い、リックも招かれる。AFを道具とみなして、手荒に扱おうとする少年たちからリックはクララを救う。クララを励ますために催されたはずのこのパーティーも決して和やかではない。ここに集まった母親たちの言葉の端々から、ジョジーの家庭がなんらかの秘密を抱えており、クララ以外はそれを知っていることが暗示されるからだ。イシグロはこのあたりの緊張を絶妙の手さばきで制御する。ジョジーの父親はどこにいるか。亡くなったジョジーの姉、サリーについて語ることはなぜタブーとされるのか。これらの謎がおそらく物語の進行とともに解明されるであろうことを読者は予感する。

交流会の後も、もともと病気がちのジョジーの体調は一進一退を繰り返す。ジョジーとクララは「モーガンの滝」に遊びに行くことを楽しみにしていたが、ジョジーの体調が悪化したため、クララは母親と二人で出かけることになる。そこはサリーにとってもお気に入りの場所であり、母親はクララにジョジーの身振りをまねてみるように頼む。体調のすぐれないジョジーのもとをリックが時々見舞いに訪れる。二人は吹き出しゲームという絵を介した遊びに興じるが、些細なことで口論となり、リックの訪問は途絶える。仲直りのためにジョジーから彼女の絵を託されてリックの家を訪れたクララはリックの母親ヘレンと出会い、ジョジーと母親が抱える秘密の一端、そして彼女が息子をアトラス・ブルッキングズ大学へと入学させたいと望んでいることを知る。ヘレンは大学への伝手をもつ昔の恋人と会うためにリックを連れて街に出かけることになり、ジョジーもまた自分の肖像画を描いてもらうために母親、そして久しぶりに再会する父親とともにリック親子と同じ車で街へ向かうことになった。

ここまでで物語の約半分であるが、あらすじを追うのはこのくらいにしておこう。街への小旅行以降、物語は加速し、大きな秘密が明かされることとなるが、それについては読者の楽しみとして残しておくこととする。本書の語りからはたやすくもう一つの傑作が連想されるだろう。「日の名残り」である。クララは優秀なAFであり、常に周囲を観察し、ジョジーにとって何が最善かを考える。このような立場は「日の名残り」の語り手である老執事、スティーブンスとよく似ている。スティーブンスもまた大戦期の名士ダーリントン卿に仕え、時に執事の理想像について思いをはせるが、クララもまた「よいAFであるために忘れてはならないあれこれ」をおさらいしようとする。かかる反省的、抑制的な態度は敬体で過去の物語として綴られるのがふさわしく、「日の名残り」と同じ訳者、土屋政雄の文体と見事に調和している。スティーブンスとクララはいずれも特定の他者のために奉仕することをその職務としている。しかし一方でクララの語りは自分が人間ではなくAFであることを強く意識させるものでもある。頻繁に挿入される「分割されたボックス」として成立する自らの視覚への言及、あるいは断片化された記憶を総合するプロセスの説明は、話者が人間とは異なった知覚や認識を備えている点を強く意識させるからだ。

「日の名残り」に認められたユーモアや郷愁はこの小説には全く認められない。これは一種のディストピア小説であり、読み進めるうちに登場人物たちをいくつもの分断が引き裂いていることが理解される。かかる分断は社会の中に優位と劣位を作り出し、ジョジーの父やリックは後者に属する。しかし彼らはそれに甘んじる。なぜなら彼らはそちらの方が人間的であると信じるからだ。実際のところ、このような分断と優劣の根拠は小説の中ではあいまいにしか示されず、この点に関して母親の立ち位置も微妙である。ヘレンの語りを通しておぼろげに浮かび上がる一つの謎、つまり彼女がサリーに対して何をしたか、もしくはしなかったかについては必ずしも明確に説明されることがない。このようなあいまいさこそが重要なのだ。今、私は「人間的」という言葉を用いた。私たちが生きる現実の中で、「人間的」であるとは何を意味するのか。私はこの問いこそが本書が投げかける重い主題であり、AFという特殊な語り手を導入した理由であると考える。クララは人間ではない。「あなたみたいお客さん、どうもてなしたらいいのかしら。そもそもお客さんなのかしら。それとも掃除機みたいに扱えばいいの?」「今日のお席は皆さまがほしがっておられます。そこへ機械がすわるのは好ましくありません」しかしこの小説において、常にジョジーを思いやり、彼女に献身するのは母親やメラニアではなくB3型のAFであるクララなのだ。クララ自身がひとつのあいまいさとは言えないか。言い換えれば機械こそが最も人間的であるという逆説が描かれる訳であり、この主題はここではあえて触れない本書におけるもう一つの秘密と直結している。

 本書の読後感は重い。読者は人間的であること、いや、それを超えて人間であることとは何かというという問いの前に立たされるからだ。「わたしを離さないで」の場合と同様にこのような問いは今日の科学技術の進歩と密接に関わっている。本書に関していえば、人工知能を搭載した少女型フィギュアを通して、クララと登場人物たちのいずれが「人」と呼ばれるにふさわしいかが問われる。しかしジョジーに尽くしたクララは最後にどのような場所に置かれるか。科学や記憶、献身が私たちを必ずしも幸せにしないというシニカルな認識はイシグロの小説に通底している。深く分断された現在の社会で私たちは他者と共感しあうことができるのか、最後の場面でクララは懐かしい人物と再会する。その人物のおぼつかない足取りの描写は人が老いることを残酷に示しており、彼女を見送るクララとの対比は哀切さに満ちている。本書の解説の最後で、鴻巣友季子がこの場面をイシグロの寡黙な筆致の白眉と思わず書きつけたことを私は直ちに肯う。無数の小説を読んできた私にとってもいつまでも心に残る実に印象的なラストシーンだ。


# by gravity97 | 2023-09-11 21:00 | 海外文学 | Comments(0)

柳田邦男『空白の天気図』_b0138838_20590415.jpeg毎年。敗戦記念日の前後には第二次大戦と関係のある小説やノンフィクションを読むようにしているが、今年は以前から読みたかった柳田邦男のノンフィクション『空白の天気図』を815日に読み始めた。なんというタイミングであろうか。原爆と枕崎台風という二重の災害の中で奮闘する広島地方気象台の職員たちの姿を描いたこのノンフィクションを私は台風7号が日本列島を縦断する最中、生命の危険を金切り声で警告する携帯の警報や地域のサイレン音とともに読み進むことになったからだ。確かにこのノンフィクションは一種のアノーマリーな状況を描いているが、かつて経験したことのない酷暑や大型台風が続く今日、異常気象はもはや私たちにとって日常的な現象となっている。

「死者二千人の謎」と題された序章の最後に著者の問題意識が書きつけられている。中央気象台の調査報告書によれば、917日から18日にかけて西日本を縦断した台風は「其の齎した被害亦広島県の死傷行方不明三〇六六名を初とし実に甚大なものであった」台風は上陸時に最大の勢力を保ち、陸地を進むにつれて勢力を衰退させるのは私でも知っている常識である。鹿児島県枕崎に上陸したがゆえに枕崎台風と名づけられた台風の被害の筆頭に遠く離れた広島県が挙げられているのはなぜか。柳田ならずとも疑問に思うであろうが、広島という地名と昭和20917日という日付を聞けば、その理由を想定することはさほど困難ではない。86日の原爆投下から一月余しか経過していない時点で、この地に大型台風に備える余力はなかったはずだ。しかしこの事実はさほど知られていない。私は以前、井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」という短編を読んだ際に、原爆の被災の直後に山津波が同じ地を襲ったことを知った。原爆被災については多くの小説や詩が書かれているのに対して、枕崎台風について触れた作品を私はほかに知らない。この事実から私はごく最近、このブログでレヴューした研究を連想した。「ホロコーストとナクバ」である。ユダヤ人の絶滅政策という圧倒的な惨事の前にパレスチナに居住していた人々がイスラエル建国に際して土地から追放されたという悲劇が論じられることはなかった。同様に核兵器による市民の無差別虐殺という人類史上例のない蛮行の後では自然災害などなかったように扱われてきたのだ。柳田自身、あとがきでこの点を次のように説明している。


原子爆弾による広島の死者及び行方不明は二十数万に上ったと言われる。これに対し枕崎台風による広島県下の死者及び行方不明は計二千十二人である。前者が想像を絶する非日常的な数であるのに対して、後者は現実的で日常的な数字であるように見える。枕崎台風の悲劇が原爆被害の巨大な影の中に隠されて見えなくなっているのは、ひとえにこの数字の圧倒的な落差によるためかも知れない。だが冷静に数字を見つめるならば、一夜にして二千人を超える人名が失われたということは尋常なことではない。


 台風が枕崎に上陸した際の現地の惨状と、同時刻、東京の中央気象台での会見の様子を短く伝えた冒頭に続いて柳田は一度昭和16年の時点に戻り、戦時における気象台と軍の微妙な関係を確認する。気象条件は作戦を遂行する上で死活的に重要な情報であるから平時のように公表することは困難であり、さらにこの時期日本は朝鮮、台湾、南洋諸島も実質的に支配していた。したがって気象台が対象とする地域は空前の広がりを見せていた訳である。当時の中央気象台長の岡田武松は自由主義的な気風をもち、開戦に批判的であったが、自分がこれ以上台長に留まると軍による気象台への直接介入を招くことを危惧して、この年の7月、予報主任藤原咲平に台長を譲った。藤原もまた気象事業への熱意と知識においては岡田に劣らず、軍国主義者ではなかったが愛国心が強かったという。日本の気象観測の先達とも呼ぶべきこの二人については本書の中でしばしば言及される。中でも私の印象に残ったのは、気象観測にあたって岡田が信念とした「観測精神」という言葉である。やや長くなるが引用する。


観測精神は軍人精神とは違う。観測精神とはあくまでも科学者の精神である。自然現象は二度と繰り返されない。観測とは自然現象を正確に記録することである。同じことが二度と起こらない自然現象を欠測してはいけない。それではデータの価値が激減するからである。ましてや記録をごまかしたり、いいかげんな記録を取ったりすることは科学者として失格である。気象人とは単なる技術屋ではない。地球物理学者としての自負心と責任をもたなければならない。観測とは、強制されてやるものではなく、自分の全人格と全知識をこめて当たるものなのである。


 本書を読むと日本の気象事業の中心にまさにこのような観測精神が脈々と受け継がれていたことを知る。序章において柳田はまず敗戦直後の気象台の混乱と通信事情が悪い中で再開した8月22日の最初の天気予報が豆台風の通過を予想することができず、誤報となってしまったという苦い体験について先んじて触れた後、いよいよ本書の核心である広島気象台の原爆被災に筆を進める。

 このノンフィクションは一種の群像劇として描かれており、中心となって活躍する人物は存在しない。まず柳田は当番日誌や関係者の記憶から当時の広島地方気象台の職員について台長から定夫(小使い)にいたるまで役職と氏名を書き記す。台長の平野、技師の尾崎の下に10名程度の技手とやはり10名足らずの雇(技術員)、見習い、事務員、定夫、雑役夫、さらに実習のために派遣された実習生6名を加えて40人ほどの職員が気象台に関わっており、それぞれが原爆という地獄絵図に向かい合うことになる。この日、平野台長は米子に出張のため不在であったが、職員たちは気象台の中、出勤途中の市内、あるいは自宅で原爆の閃光を浴びる。重傷を負う者、ほとんど被害を受けぬ者、そして最後まで行方の知れぬ者、まずは職員をとおして原爆の惨禍が描かれる。今述べたとおり、この記録に中心となる人物はいないが、例外的に技手の一人、北勲が焦点化され、姫路出身の青年が気象観測への熱意を岡田武松に直接訴えて異例のかたちで気象台に職を得るエピソードが披露される。台長不在の気象台で北は傷ついた職員たちを庇いながら任務を遂行するが、そこには後年、北自身が「終戦年の広島地方気象台」という報告を執筆し、柳田のインタビューを受けたという事情があっただろう。広島地方気象台は爆心地から近かったため爆風の被害を受けたが、焼失は免れた。測器類も無事であり、百葉箱も建物の影になったため爆風を受けることはなかった。驚くべきことに職員たちはこの惨劇の中でも毎正時に気象の観測を続け、記録を残したのである。第二章は「欠測ナシ」と題されているが、街が炎上し、多くの人が死傷する中で記録を取り続けるというのはまさに「観測精神」の発露である。観測した記録は被害状況とともに中央気象台に送らねばならない。しかしこれらのデータは地方気象台から直接送ることができず、郵便局を経由しなければならなかった。職員たちは被災直後の地獄のような状況の中で燃えていない郵便局を探して彷徨する。町中にあふれる死者や重傷者、この辺りの描写は核兵器の残酷さを伝えるに十分である。一方で被爆した職員たちの描写も生々しい。火傷で皮膚がめくれリンパ液が滲出する者、顔が膨れて口を開けることができぬ者、ほとんど治療薬もない状況で怪我の軽い職員たちは懸命に看護を続ける。さらに時間が経過すると下痢と発熱を繰り返し、突然死する者が発生する。今となれば放射能障害であることがわかるが、当時は原因不明の病気として恐れられた。しばしば語られる点であるが、核兵器と放射能障害の恐ろしさの一つは、重傷者が時間をかけて快癒する例がある一方で、ほとんど被害を受けたと感じない者が突然死するという一種の不均衡に求めることができる。そして直接に原爆の被害を受けなかった者も仕事のために被爆直後の市内で作業を強いられて残留放射能の影響を受けたのであった。柳田は放射能障害を含めて、職員それぞれの原爆との関わりを具体的に記述していく。このような限界状況の中で広島は敗戦を迎える。この間も気象観測は続けられた。当たり前と言えば当たり前であるが、後述する通り東日本大震災時にみられたやはり放射能と関わるエピソードを想起するならば、かかる現場の使命感こそが柳田にとって本書を執筆する動機であった点は意義深い。

 9月に入り、新しい台長、菅原芳生が広島に赴任する。菅原が藤原咲平と面会する情景が冒頭に描かれるが、実はこの面会の日こそ、枕崎台風が広島を襲った日であり、原爆被災と台風来襲という二つの事件の当日を広島地方気象台は台長不在の状態で迎えることとなったのだ。そして敗戦直後のこの時期、気象台は台風接近の知らせを住民に知らせる方法をもっていなかった。昼過ぎに枕崎に上陸した台風は勢力を落とすことなく北西方向に日本を縦断し、夜になって広島を直撃したのである。原爆が火責めであるとするならば枕崎台風は水責めであった。叩きつける雨と強風によって直立歩行できないような状況の中でも職員たちは毎時、観測を続ける。原爆と違って台風は気象台にとって既知の脅威であったから、職員たちは進行の速度や方向を推定しながら観測にあたるが、彼らが得た情報を外に伝える術はなかった。ここで柳田は気象台を一旦離れて、当時の広島市民の被災状況を何人かの人々に焦点を当てることによって概観する。原爆と違って、台風の影響はさらに広域にわたる。山津波と土砂崩れ、川の氾濫。この夜、広島県下で二千人を超える犠牲者が発生したことは最初に述べたとおりである。

 台風からほぼ一週間後、台長の菅原は東京から丸二日をかけ、鉄道不通区間を歩いてようやく広島にたどり着く。被害状況の収集に追われながらも菅原は藤原の指示によって新しいミッションを地方気象台に伝える。それは原爆による被災の科学的な調査研究を実施することであり、爆発の実際、爆心の特定、爆発後の風雨の状況、爆風の強さと破壊現象、そして多くの被災者が記憶する「黒い雨」の実態の確認などが求められた。広島地方気象台の職員たちは激務の傍ら、これらに関する情報を聞き取りするために二重の被災直後の広島市内に出かけていく。もちろん全員がこの任務に携わったわけではない。負傷や原爆症のために仕事を放棄して郷里に帰る職員もいれば、消息のわからなくなった職員もいる。とりわけ「あまりにも悲惨な運命を考慮した時、実名を書くのが忍びなかった」と記述された実習生は原爆によって半死半生の境をさまよいながらも一時は回復して職場に復帰するものの、最終的には精神を病み消息を絶つ。本書を読み進めば理解されるとおり、気象台とは転勤の多い職場である。彼らが二重の災害を広島地方気象台で体験したことは偶然に過ぎない。しかし多くの職員がかかる運命を甘受して困難な任務に当たったことは読む者の胸をうつ。しかもアメリカの占領下にあってとりわけ原爆の被害の報告はセンシティヴな問題であったから公開されることはなかった。第四章では二つの災厄にともに関わり悲劇的な死を遂げたもう一群の科学者たちが取り上げられる。京都大学の研究者たちである。京都大学は学内でも原子爆弾の開発が進められていたこともあり、早くから広島の惨状に関心を抱いた。被爆直後より医療と原子爆弾の実態調査のために医学部と理学部合同の京都大学原爆災害綜合研究調査班が結成され、関係者が広島に向かう。彼らが大野陸軍病院に投宿したまさにその夜、枕崎台風が広島を襲い、大野浦一体は山津波によって壊滅、調査班からも10名以上の死亡者、行方不明者が生じた。病棟全体が流されたために150名以上の死者が出たと聞けば山津波の破壊力は明らかであるが、台風の被害調査のために現地を訪れた気象台の技師さえもそこで初めてこのような惨事の発生を知ったという記述からは、当時の混乱と衝撃がうかがえよう。終戦前後の混乱の中で気象台と大学の多くの科学者たちが職務を遂行する中で命を落としたという事実は本書によって初めて明らかになったのではないだろうか。「黒い雨」と題された第五章においては先に触れた原爆被災の科学的状況が気象台の職員たちによって明らかにされていく過程が描かれる。彼らの聞き取りがなければ、原爆の被災状況を気象学的に解明することはできなかっただろうが、そのうえで台風の来週が一つの障害になったであろうこともたやすく想像できる。柳田はこの記録をまとめる作業が職員たちを再び団結させたと説くが、アメリカの占領下でこのような記録を発表することは困難であり、職員たちも次々に別の土地へと転属させられていく。日本学術会議によって『原子爆弾災害調査報告集』全文が刊行されたのは8年後、日本が独立した昭和283月のことであったという。

 本書はノンフィクションとしてはやや異例の文体で執筆されている。記録や証言のみによらず、登場人物たちに自分たちの声と言葉を与えて、あたかも小説を読むがごとき臨場感とともに当時の状況を伝えることに成功している点である。原爆と台風の二重災害という重い主題にもかかわらず、読み進むことは容易で読後感はさほど悪くない。おそらくそこには登場する気象台の職員や大学関係者、そして彼らをめぐる人々、科学者ではあっても市井の人々が限界状況の中で務めるべき仕事を粛々と果たしたことへの深い感動が関わっているだろう。決められた時間に観測機器の数値を記録すること、誰でもできるごく簡単な作業を続けることさえも困難となる時、あえてそれを続ける「観測精神」とは、岡田のいうとおり科学者の全人格と全知識と関わっているからだ。ここには英雄的な人物や絶対的な指導者はいない。偶然ではあるが、被爆の朝も台風が来襲した夜も広島地方気象台の台長は不在であった。残された者たちはそれぞれの持ち場で仕事を果たしたに過ぎないが、その結果として一度も欠測なしに「二度と繰り返されない自然現象」が今日に伝えられているのだ。ハンナ・アレントがアイヒマン裁判に際して「悪の凡庸さ」について論じたことはよく知られているが、ここに記録されたのはそれとは正反対のいわば「日常的であるがゆえの崇高さ」ではないだろうか。中心的な人物を設定せずに群像劇として二つの悲劇を描いた記述はこの点できわめて適切に感じられるし、この点についてはあとがきの中で柳田自身が次のように総括している。


とりわけ私の心をひきつけたのは、死傷者や病人が続出し、食うや食わずやという状況に置かれながらも、職業的な任務をしっかりと守り抜いた人々が実に多かったという事実であった。そういう人々は官公庁の職員であったり、大学の研究者であったり、医師であったり、軍人であったり、実に様々であったが、その中で私が広島中央気象台の台員たちに焦点を合わせ、本編の主人公としたのは、彼ら自身が原爆炸裂の真只中に身をさらした被爆者でありがら、同時に原爆と台風という二重の災厄を科学の目で、しっかりと見つめていた観察者であったというその一点においてであった。


 本書は1975年に発表されたが、私が読んだ文春文庫版には2011年に刊行されるにあたって「66年後の大震災・原発事故に直面して」という著者による新しいあとがき、さらに鎌田實による解説が付された。いうまでもなくこれは天災と核災害が繰り返された2011年の東日本大震災を前提としている。以前のブログで詳しく論じたので、関心をもたれた方は参照していただきたいが、かつて朝日新聞に連載され、単行本化された『プロメテウスの罠』の中に、まさに本書の陰画のごとき「観測中止令」という章がある。舞台はやはり気象庁の気象研究所、原子力災害が発生した直後の331日に本庁より次年度以降、半世紀以上続けてきた放射能観測の予算を停止するという連絡が入る。もちろん原子力災害の被害を隠蔽するためである。気象庁に籍を置く青山という職員はこの指示を無視して観測を続け、「職業的な任務をしっかりと守り抜いた」。青山はその結果を『ネイチャー』に発表しようとするが、研究所の上層部によって発表を禁じられる。結果的に国会議員の介入によって予算は復活し、欠測なしにデータは蓄積されたが、予算が付いていなかった時期に青山に必要な消耗品を融通してくれた大学関係者を文部科学省が誰何したというエピソードをかつての岡田武松が聞いたら何というであろうか。原子力災害の直後にあって同じ気象観測に関わる部局に所属する官僚が、観測精神を全否定する「観測中止令」を恥ずかしげもなく下達した訳だ。安倍、菅、岸田と連綿と続く最低最悪の政権のもとでこの国の政治家、官僚、大学からマスコミまでことごとく劣化してしまったことは今や明らかであるが、まさにこの恥の中心に「原子力ムラ」に属する多くの科学者たちがいる。彼らは「観測精神」の対極ともいうべき虚偽と捏造に手を貸し、ついには先日、放射能に汚染された水を太平洋に放出する暴挙へといたった訳だ。世界に対してこれからほぼ永遠に続けられる海洋汚染に対して国内ではまともな科学的批判がなされることなく、当然の非難を続ける周辺国に対して逆にヒステリックな攻撃がなされるという倒錯を私たちは目撃している。そしてかつて「プロメテウスの罠」のごとき優れた調査報道で意地をみせた朝日新聞が今や大本営発表を垂れ流すという頽廃は端的に戦時下を連想させるではないか。

 さて、かかる決定を行った我らの宰相閣下が夏休みを過ごすにあたって先日書店で買い求めた本の書名が公表されて、嘲笑の的となっていた。漢字もろくに読めない先々代の前任者以来、彼らに知性を求めるつもりもないが、せめて本書一冊だけを夏休みに熟読しておれば、世界中から抗議を浴び、物笑いの種になるようなこのたびの愚かな決定はなかったのではなかろうか。


# by gravity97 | 2023-08-30 21:03 | ノンフィクション | Comments(0)

ミシェル・ウェルベック『滅ぼす』_b0138838_21475422.jpeg
 現代フランス文学の鬼才ウェルベックの小説について論じるのは『服従』以来、二冊目となる。本書は先日、書店の店頭で見かけてそのまま買い求めたのであるが、フランスでも昨年発表されるや30万部を超えるベストセラーとなり、日本でも早速翻訳刊行の運びとなったらしい。

 それにしても「滅ぼす」という禍々しいタイトルは何を意味するか。原著には表紙に小文字で anéantir と表記されているという。文字通り滅ぼすとか絶滅させるといった意味であり、不定詞であるから「滅ぼせ」という命令形とも考えられる。確かに物語の中でいくつかの破滅や破局が語られてはいる。しかし一体何を滅ぼす、あるいは滅ぼせというのか、読み終わっても必ずしも判然としない。この問題に関して私は次のように考える。本書においてウェルベックはフランスが人類全体の普遍的価値として事挙げてきた自由や博愛といった啓蒙主義的な理念が今日の世界において絶滅しつつある状況を暗示しているのではないか。それは明らかにウェルベックの一連の小説の主題であり、独特の読みにくさと読後感の不快感もほかの作品と共通している。そして彼にとって最長の長編である本書においては、かかる不吉な主題が社会、家庭、個人といった様々なレヴェルにおいて入り組みながら反響しあっているように感じられる。

 『服従』においても大統領選挙というきわめて現実的な事件が物語の重要な背景を占めていたが、本書においても2027年のフランス大統領選挙が物語の一つの焦点を結ぶ。『服従』は小説の発表とイスラム原理主義者による新聞社襲撃が同期したことによって一種の予言の書として論じられたが、この作品においてもあえて舞台を未来に設定することによって近未来SFとしての緊迫感が与えられている。今回のレヴューではある程度内容に踏み込んで論じざるをえないことを最初にお断りしておく。

 物語は不吉なエピソードとともに幕を開ける。最初は焦点化される人物が次々に代わるため、誰がこの小説の主人公であるか戸惑うが、次第に中心的な人物とその背景が明らかになる。本書の主役は財務省で大臣執務室に勤務するポール・レゾンという高級官僚、彼を取り巻く状況を知ることはさほど困難ではない。ポール(後述するとおり、この小説の主要な登場人物はポールの一族であるため、本書では一定してファーストネームが用いられる)はプリュダンスという妻と二人暮らしであるが、二人の関係は必ずしもうまくいっていない。ポールは有能な経済・財務大臣ブリュノ・ジュージュに仕え、両者の関係は良好である。この時期、ブリュノは微妙な立場にいた。彼は能吏として大統領の信任も厚いが、ポール同様に家庭内では妻との関係が冷え切っていた。二期連続して任期を務めたため、次の大統領選挙に出馬できない現大統領は政治的野心のない技術官僚ブリュノを一旦次期大統領に据え、5年後にブリュノが任期を終えた時点で再び大統領に返り咲くことを画策する。ただしこの小説を通して、大統領の存在は希薄である。大統領選挙まで半年を切った2026年の秋、インターネットに意味不明の記号と文字らしきメッセージで始まる不気味な映像が出回る。最初の映像は草の広がる平原、二番目はブリュノがギロチンで断頭される映像、三番目はトンネル内を撮影した移動カメラのロングショットである。情報機関が解析したところ、これらの映像はいずれも現在の技術では不可能な特殊効果のデジタル処理によって編集されていることが判明する。ブリュノの断頭はもちろんフェイク映像であるが、撮影者もその動機も全く不明のままインターネット内を拡散していた。この知らせはブリュノの腹心として大統領選挙に臨むポールにも伝えられるが、同じ時期、ポールの家庭内にも大きな問題が発生した。ポールの父でDGSI(国内保安総局、 内務省直轄の情報機関)の優秀な職員であったエドゥアールが脳梗塞で倒れ、ポールは彼が運ばれたリヨンの医療センターに駆けつけ、父のパートナーのマドレーヌ、妹のセシルらと再会する。

これ以後、この小説はポールをめぐる個人的な状況と、政治とテロをめぐる社会的な状況の間を目まぐるしく行き来する。新しいメッセージ、巨大なコンテナ船が撃沈される情景がインターネット上で拡散される。それが現実の映像であることはまもなく確認され、乗員たちの無事も判明するが、このような攻撃を可能とし、しかもそれをインターネットで実況するような技術をもったテロ集団の正体は謎に包まれている。一方、大統領選挙にはバンジャマン・サルファティなる人気タレントが名乗りを上げる。サルファティもまた5年後に現大統領へ政権を返還する傀儡にすぎないが、ソレーム・シニャルというコンサルタント会社の女社長をブレーンとして着々と有力候補としての位置を固めていく。大統領選に消極的だったブリュノはむしろサルファティ陣営に協力することによって現大統領への忠誠を示す。ポールは病床の父のもとで兄弟たちと再会する。ポールの母ではないが父に献身的に尽くすパートナーのマドレーヌ、信心深い妹のセシルとその伴侶であり、公証人を失業中のエルヴェ、彼らと和やかに過ごしつつも、彼らは一様にもう一人の弟オーレリアン一家との再会に緊張する。オーレリアンは画家であった彼らの実の母の血を受け継ぎ、文化財修復を生業としているが、その妻で「社会問題ジャーナリスト」を自称するインディーはポールの一族の中で一種の異物として扱われている。社会や家庭に対するインディーの攻撃性とエキセントリックさは物語の中で、彼らの息子、ゴドフロワの肌の色をめぐるエピソードを通して明らかになる。ここまでの記述から一つの対立が明らかとなる。ポールとプリュダンス、ブリュノとその妻、そしてオーレリアンとインディーという三組のカップルは不和で離婚を決意している。これに対してエドゥアールとマドレーヌ、セシルとエルヴェは病気や失業といった不遇になってもなお互いに愛し合っている。クリスマスの夜、病院から一時帰宅を許されたエドゥアールを囲んでマドレーヌと息子たちと娘、それぞれの配偶者たちが集う懐かしさと緊張に満ちた晩餐の描写は本書の読みどころの一つであろう。

エドゥアールは意識を回復し、まばたきを介して他者に意志を伝えることが可能となる。さらなる幸運としてエドゥアールは献身的なルルー医師と看護師マリーズが勤務するEVC-EPRなる施設への転院が可能となり、理想的な環境の中で治療を続けることとなった。なんとこの小説はフランスの現下の医療政策さえ一つの主題としているのだ。下巻に進むと先に挙げた三組の不和のカップルにそれぞれ変化が生じる。まずポールは父の病気を契機としてプリュダンスと和解し、二人は愛を交わすこととなる。もちろんウェルベックのことであるから、露骨というか即物的な性愛描写によってかかる回復の過程がたどられる訳だ。逆にかかる性愛の描写によってしか関係の回復が保証されない点にウェルベックの一種のペシミズムを読み取ることができるかもしれない。一方、ブリュノとオーレリアンにはそれぞれに新しい愛人が出現する。ブリュノには大統領選挙のアシスタントとしてソレーム・シニャルからあてがわれたイラン人女性ラクサネー、オーレリアンには父を看護するマリーズである。正体不明のテロリストたちの活動も活発化する。三番目のテロ、デンマークの精子バンクの放火までは現実の死者や怪我人は発生しなかった。しかし四番目のテロ、アフリカからの難民を乗せた船が魚雷攻撃された事件では500人の死者が発生する。この惨事は大きな反響を呼び、選挙戦は中断され、多くの国から首脳を集めた追悼式が挙行される。新たに映像が発表されるが、テロリストたちの意図や目的は判然としない。捜査を進める当局は残されたメッセージに悪魔崇拝との関連を見出す。

未読の読者のために、私は今、本書をかなり恣意的に要約した。以上のような物語が語られることは間違いないが、ほかにもいくつものサブストーリーがめぐらされ、それを錯綜とみなすか分裂とみなすかは判断が難しいところである。あるいは最後の章、第6部はポールについてのそれまでとは全く異なったエピソードであり、そこでも一つの滅びについて語られる。本書では大統領選挙、テロリズム、医療政策、新興宗教や悪魔崇拝まで多岐にわたるテーマが取り上げられ ウェルベックの小説はしばしば一種の文明論と受け取れる場合もあるが、本書においてはそのような高踏さと一つの家族の生と死をめぐるドラマが絶妙のバランスで描き分けられておいる。それらを媒介するのはセックスと死、エロスとタナトスであるように感じられる。ウェルベックの小説においては執拗に性愛に関する描写が繰り返される。このあたりも日本の読者にとってはなかなかなじめないところかもしれない。一方でフェイク映像とはいえ現役の大臣が断頭台で処刑されるというショッキングな映像で始まるこの小説はいたるところに死と病気のイメージが満ちている。最初に述べたとおり、私はこの物語が少なくとも西欧の文明社会に共有されてきた価値観が暴力的に解除されようとしている状況を暗示しているのではないだろうかと感じる。この意味でギロチンは象徴的である。革命に始まる啓蒙の世紀を断頭台のエピソードで始めた点において私はアレッホ・カルペンティエールの「光の世紀」を連想した。本書においては啓蒙によって駆逐されたはずの魔術や原理主義、神秘思想がインターネットや最新のテクノロジーを介して近未来の現実を内破していくかのようである。「服従」においてはイスラムという外部が啓蒙の理念を内部から蚕食したのに対し、本書においては啓蒙の世紀の最終段階にいるはずの私たちがあかたも暗黒の世紀に迷い込んだような印象があるが、これは「服従」の読後感とみごとに呼応する。実際に私たちは独裁者が支配する国家が民主主義国家と拮抗する状況の中にいるし、「民主主義国家」とてトランプや安倍のごとき、国家を私して国民を蹂躙する政権が支持されるありさまだ。あるいは私たちは本書とも深く関わるインターネットやドローン、AIや生殖医療といった最新の科学技術が本来の目的とは逆に私たちを暗黒へと導きつつある状況を予感している。私はこのレヴューの中で本書の第6部についてあえて一言も触れなかったが、そこで語られる事件は本書全体のトーン、まさにタイトルが示す滅亡や凋落、頽廃や破壊と二重化されて救いがない。本書の結末をどのようにとらえるかについては意見が分かれるだろうが、私はそこに希望を見出すことはできない。「わたしたちは生きることにあまり向いていなかったね」というプリュダンスの感慨は、架空の大統領選挙を待つフランスの人々よりも四半世紀近く無能な為政者しか戴くことができなかった結果、国家としても人倫においても奈落に転げ落ちていく現在の日本人にこそふさわしいと感じるからだ。


# by gravity97 | 2023-08-20 21:51 | 海外文学 | Comments(0)