Living Well Is the Best Revenge

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優雅な生活が最高の復讐である

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先にも記したが、投稿する際のフォーマットの強制的な変更に伴って、記事のフォントが段落によって異なる非常に見苦しい表示がなされている。今のところ改善の方策がないためやむをえずアップしているが、exblogは有料化やフォーマットの改悪が続き、私としてはこのプロバイダを使用することに積極的な意味を一切感じていないことを表明しておく。



by gravity97 | 2017-03-25 23:02 | Miscs. | Comments(0)

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 「イラクとシャームのイスラーム国」、通常はイスラミック・ステート、ISIS呼ばれる「国家」について私たちは多くを知らない。もちろん後でも触れるとおり、この「国家」によって二人の無辜の日本人が惨殺されたことを私たちは記憶しているし、この「国家」の壊滅に向けて今も多くの戦力が投入されていることを私たちは日々の新聞やインターネットのニュースを介して漠然とは知っている。しかしこのような異形の「国家」がいかにして誕生し、なにゆえ今も大きな影響力を行使しているかについて多くの日本人は無知であり、興味をもつこともない。それはおそらく中東地域に対する知識と関心の希薄さに由来するだろう。石油を介した経済的に死活的な関係は存在するにせよ、日本とイスラームとは直接に国境を接することがない。おそらくはロッド国際空港における日本赤軍によるイスラエルへの公然たる攻撃がアラブ諸国の日本に対する漠然とした好感の根底にある点は記憶されるべきであろう。それゆえ私たちは同胞がイスラームの手によってかくも無残に殺された情景をインターネット経由で目撃し、戦慄したのであった。

 本書はオスマン帝国時代に遡ってこの異形の「国家」の出自を確認し、ムスリム同胞団からアル・カイーダにいたるジハードの系譜の末端に位置づけるとともに、その成立と存立基盤、苛酷きわまりない統治、現在にいたるその不気味な拡張を検証する内容である。きわめて興味深い内容だが、決して読みやすいとはいえない。翻訳の問題もあろうが、それ以上に私たちのイスラームに関する無知によるところが大きい。例えば固有名詞一つをとっても私たちにはなじみが薄く、覚えるのに苦労する。アブーとかイブンといった名前が繰り返され、私たちはあたかも「百年の孤独」を読むかのように、次第にどれがどの人物かわからなくなる。イスラーム特有の特殊な概念が特に説明なく使用されるので意味をつかみかねる場合も多い。主要登場人物については巻末に一覧が掲出されているが、キーワードについても簡単な説明がほしかった。例えばサラフィー主義という言葉が頻出する。私は何度も頁をめくって、それがムスリムの初期の世代を意味する「サラフ」に由来し、「正統カリフが示した初期ムスリムのあり方から歪んだ現在のイスラーム世界を倫理、敬虔さ、実践の面で元に戻そうとする」一種の原理主義のことであると知った。この一方、本書は最近私が関心をもち、このブログでも論じたいくつかの話題、最近ではウェルベックの「服従」の内容と直結している。著者はシリア生まれの歴史家。したがって冒頭の謝辞に掲げられた次の言葉は重い。「本書は最も困難な時期を通して書かれた。私の祖国シリアは戦争状態にあり、社会構造は破壊され、経済は荒れた。死亡した25万人以上の国民の多くは、不幸にも現在続いている暴力の犠牲となり、戦場からの脱出を試みて地中海で溺死した人もいる。1990年代に文通を始めて以来、私に安らぎを与え、寄り添ってくれた友人たちはみな祖国を離れてしまった。純粋にシリアでの大虐殺から逃れて人もいれば、ヨーロッパやアラブ世界で仕事を見つけた人もいる」

 先に述べたとおり、本書においてはまず最初にオスマン帝国時代まで遡ってISISの起源が確認される。それはカリフという制度だ。カリフとは代理人の意、その言葉どおりイスラームの預言者ムハンマドの代理を務める後継者であり、王朝ごとに何人かのカリフが存在したが、1924年にトルコのアタテュルク大統領によってカリフ制度は廃止された。それからほぼ一世紀後にカリフを僭称したのがISISの指導者、アブー・バクル・バクダーディーであり、ISISとカリフ制は深い関係がある。カリフをめぐる逸話からこの制度と暴力との親和性は明らかだ。筆者によれば初代のカリフはほとんど全てが暗殺されている。そしてモンゴルによるイラク侵攻という激動の時代を生きた学者イブン・タイミーヤの過激な主張は後にワッハーブ主義と呼ばれる原理主義的で苛烈な思想として膾炙する。サラフィー主義そしてワッハーブ主義が浸透する社会は厳格な宗教的規律が支配し、破戒者に対しては残酷な刑罰が課せられる。後半で語られるとおり、ISISの支配地においては現実にこのような統治がなされている訳であるが、同様の圧政は今もなおたとえばサウジアラビアでも続いていることは記憶されてよかろう。今日にあっても多くの反体制の活動家が斬首といった残忍な手法で処刑されていることに関しては本書中に言及がある。先日、この国の王族一行が来日し東京で贅沢の限りを尽くしたことが報道されていたが、富の偏在は権力の腐敗と秘密警察の跋扈を招く。本書においても繰り返し言及されるウサーマ・ビン・ラディンがサウジアラビアの出身であったことは必然性がある。本書を通読してあらためて痛感するのは、イスラーム世界が私たちの想像を絶する血に塗れた歴史を抱えていることだ。第二章の「ジハード主義に穏健な人々」から第五章の「イラクのジハード主義者たち」まではISISの前史とも呼ぶべきイラクとシリアを中心としたイスラームの歴史が語られるが、それは虐殺と報復のいつ果てるともなき連鎖だ。例えば1982年にシリア中部のハマーという町で戦闘前線と呼ばれる組織による政府軍への攻撃に対してハーフィズ・アサド(現シリア大統領、バッシャール・アサドの父親)は仮借ない弾圧を加え、政府側の発表でさえ3000人が虐殺され、そのほとんどが一般市民であったという。驚くべきことにこのような事実を私たちはほとんど知らされていない。例えばこの二年前、韓国の光州で起きた蜂起に対しても軍事政権が徹底的な弾圧を加え、多くの市民が殺された。いわゆる光州事件について私たちはそれなりの知識をもっている。しかし私たちは中東の地で繰り返された虐殺と弾圧、拷問と残虐な刑罰についてほとんど何も知らない。これらの章を通読して、私はサラフィー主義に基づいて彼の地で続けられたジハードの歴史をあらためてたどった。ISISの登場にいたる血塗られた歴史は、今挙げた戦闘前線によって幕を開け、ムスリム同胞団へと続き、よく知られたアル・カイーダがそれを襲う。アル・カイーダからさらに二つの集団が分岐する。アブー・ムハンマド・ジャウラーニーが設立したヌスラ戦線とバクダーティーのISISだ。ヌスラ戦線とISISは最初こそ良好な関係を保つが、やがて反目しあい、後者が次第に優勢になる。近年の報道を通じて名前だけ知っていたいくつもの運動や組織に対して本書は歴史的なパースペクティヴを与える。

しかし私たちはこのような歴史を当然として受け入れるべきではない。シリアはかつて平和で穏やかな国であった、著者が謝辞の中で父母についいて触れ、「シリアが最も栄えていた時代を知る世代」と表現するのはこの意味であり、私の記憶によれば聖書の中で「乳と蜜の流れる土地」と表現されたカナンの地とレヴァント諸国は決して遠くないはずだ。以前このブログで論じた「ブラッドランド」のごとく、本来は豊かで平和な土地が歴史的、地政学的な偶然から殺戮の場と変わることを歴史は教える。かかるキリング・フィールドから万を単位とする人々が国を捨てて地中海を渡り、ヨーロッパに向かっている状況を我々は今目撃している。しかし原子力発電所の事故がいつまでも収束せず、新しい戦争へ向かうこの国においては同様のエクソダスがいつ自分たちの身に降りかかるかもしれないという危機感を私たちは抱くべきではないだろうか。

第六章ではいよいよISISの誕生が描かれる。本書を読むならばおそらくアメリカによるイラク侵攻がその淵源であったことが理解できる。同時多発テロへの正義なき報復としてのイラク侵攻は確かにサッダーム・フセインの残酷な統治を破壊した。しかし宗教を拠り所として民衆を苛烈に弾圧したフセインの統治はその残党であるバアス党のメンバーを通じてISISに引き継がれた。その勢力の伸長は一人、指導者のバクダーディーの力に帰せられるべきではなかろう。サラフィー主義に基づいてカリフを待望する宗教的感情、残忍さとアメリカに対する敵意を叩き込まれた旧バアス党の将校たち、特使としてイラクを支配するポール・ブレマーの腐敗した権力(この問題についてはかつて傭兵企業ブラックウォーターについての告発と関連してこのブログでも論じた)、そしてフセイン政権の崩壊に伴い大量に残された武器、これらの条件がISISという鬼子を生んだのである。そしてこの「国家」は決して狂信者の集団ではなく、それなりに統制された組織として成り立っている。本書の中にはバクダーディーがアラビアの学者の本をベイルートで複写させ、ISISの首都であるラッカに届けさせる逸話がある。その際には宛名として「カリフ・イブラーヒム、ラッカ」と書けばよいと指示されたというエピソードはバクダーディーの支配地域に郵便制度が確立していることを暗示している。さらにISISは(アル・カイーダとは異なり)支持者からの寄付のみでなく、制圧した油田地域からの石油を独自の財源としており、経済的な基盤も安定している。さらに彼らはインターネットをきわめて効果的に使い、情報の発信については高度の技術を有している。後述するとおり、この技術を駆使してISISはヨーロッパから多くの若者をリクルートする。彼らの情報操作の巧妙さは世界中を震え上がらせた人質の処刑映像の発信のタイミングにも認められる。筆者によればそのような映像は有志連合による空爆の前後に意図的に流される。空爆前であれば、有志連合の兵士たちに恐怖を与え(捕虜にされたパイロットは火あぶりにされた)、空爆後であれば統治下にある住民を沈黙させる意図があるという。本書には殺害された日本人、湯川遥菜と後藤健二についても言及されている。安倍がイスラエルを訪問して支持を表明した直後に二人が惨殺されたことは明らかなメッセージであろう。愚かな宰相の「外遊」スタンドプレーの犠牲として彼らは貴い命を落としたのである。

「血の家」と題された第七章ではISISが統治する地域での市民の生活が報告される。イスラームの教義に従うことが強制され、女性は全身を黒衣で覆うことを義務付けられ、一人で出歩くことはできない。巡回する警察官による身体検査で香水や煙草、コンドームなどを所持していることがわかれば処罰の対象となる。音楽は否定されているために携帯に着信音やゲームを設定してはならない。公共の場における刑罰と斬首は日常的であり、切断された頭部は見せしめとして腐るまで街路に放置される。恐怖による統制はかつて80年代にイラクでフセインが用いた手法であるという。人身売買も公然化されており、異端とされた女性は性奴隷として売買される。まことに悪夢のような情景であり、そこを逃れる多くの難民が発生する理由も理解できよう。しかし類似した蛮行は西欧の中世にも横行していたから、かかる事態はヨーロッパとイスラームの空間的相違というよりも中世への歴史的逆行ととらえるべきではないか。私は先に「服従」をレヴューした際に、小説の中でイスラーム化されたフランスを中世的と評した。中世の暗黒が地続きに存在する時、西欧が恐怖する理由も理解できる。そして「外国人ジハード主義者」と題された第八章はさらに衝撃的である。タイトルが示すとおり、ここではアラブの他の地域、そして欧米からISISに加わるサラフィー主義者の問題に焦点が当てられている。このような苛酷な土地がなぜ多くの者を惹きつけるのか。むろんインターネットを介した宣伝の巧妙さが一つの理由であろう。私たちは指一本を動かすだけで、宗教社会として理想化されたISISの映像に接することができる。しかし誰しもが想像できるとおり、それは偽の映像だ。使い走りとして車で品物を届けるように命じられ、目的地で仕掛けられた爆弾によって車ごと爆殺される者たち(死後は殉教者として称えられる)、戦闘員として経験が浅いにもかかわらず前線に送られ、後続するプロフェッショナルの兵士たちの盾となって最初に死ぬ者たち。外国人ジハード主義者は大半が使い捨てだ。それにもかかわらずなぜ多くの若者がシリアを、ISISを目指すのか。以前このブログでローレンス・ライトの「倒壊する巨塔」をレヴューした際に、私は次の文章を引いた。「華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的損失に人々が打ちひしがれている場所では、そうした誘惑はとりわけ甘美に響いた。イラクからモロッコまでアラブ人が統治する各国政府はどこも自由を圧殺していた」9・11の「テロ」に走った若者たちの心情を想定したこのパッセージは今や欧米の報われぬ若者たちにもあてはまる。閉塞に絶望した彼らが「意味のある死」を求めてISISを目指したことはおおいにありうるだろう。しかし彼らが迎える絶望的な状況は「ISISの女たち」と題された第九章において、ヨーロッパからシリアに向かった女性たちのエピソードを通じて明らかにされる。イスラームにとって女性とは抑圧されるべき存在であり、子を産むための道具であった。啓蒙を経過しながらもそれを嬉々として受け入れる女性たちのエピソードはまさにウェルベックの「服従」の主題ではなかっただろうか。

最後の章「ISISの新たな前線」にはISISをめぐる最新の状況が記述されている。シドニーとパリにおけるテロ、後者は風刺雑誌「シャルリー・エブド」をめぐる有名なテロであり、ISISによるテロが今後欧米のいかなる場所で発生しても何の不思議もないという恐るべき可能性が論じられる。そして今さらに不気味な状況が醸成されつつある。「(ISISへの)入国志願者に武器を持ってシリアに来るように呼びかける代わりに、ISISは今や彼らをヨーロッパ内部に留めるように戦略を変更したという。彼らは不信仰の敵の隊列の後方にいて、ISISとの戦争に参加した諸国に攻撃を加えるのだ」2015年、地中海の対岸、リビアのシルトにおいてISIS21名のコプト教徒のエジプト人を誘拐して残虐に処刑する。その際にはわざわざ地中海の海岸が斬首の場と選ばれた。「我々はローマを征服する」というメッセージに対して著者は次のようなコメントを加えている。「現代のジハード主義者はウマイヤ朝のカリフがスペインを征服し、ヨーロッパ大陸にムスリムの支配を樹立した日々に思い焦がれている。レヴァントから進軍したムスリムの軍勢による700年に及ぶヨーロッパ支配への回顧趣味がISISのヨーロッパへの野心を燃え上がらせている」

果たして私たちはどこに向かっているのだろうか。今や世界は憎悪に満ち、ISISから逃れた多くの難民がシリアからヨーロッパを目指しながらも国境を閉ざされて命を落とす。(ISISも難民を偽装してヨーロッパへの侵入を図っているという記述がある)ISISの掃討を叫ぶサイコパスの大統領は自分たちの傲慢な政策こそが20世紀にあってはアル・カイーダを、21世紀においてはISISを生み出したと認識しているはずもなかろう。そして国家主義者に乗っ取られた日本では周囲の国への侮蔑に満ちた言葉と自身についての増長した言葉ばかりが増幅され、戦争への準備が着々と進められている。本書の謝辞は次のように締めくくられている。「政治家は過ちを犯し、体制は計算を誤るが、歴史は常に正しく決着する」私はこのように楽観的にはなれない。不寛容と狂信、イスラーム国は私たちの中にある。


by gravity97 | 2017-03-25 22:51 | ノンフィクション | Comments(0)

「POSTWAR」

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 優れた展覧会は、たとえ展示を見なくともカタログだけでも十分に楽しむことができる。今月の26日までミュンヘンのハウス・デア・クンストで開かれている「ポスト・ウォー」展のカタログを入手した。60ヶ国から218人の作家の作品を集めた展覧会自体も超弩級であるが、カタログがすごい。私はこれほど重量のある展覧会カタログを知らない。その威容は写真に掲げたとおりだ。オクウィ・エンヴェゾー、カティー・シーゲル、ウルリッヒ・ヴィルムスの三人による企画であり、本来ならばエンヴェゾーらのテクストを通読して企画の意図を確認したうえでレヴューすべきであろうが、図版に示された質量ともに圧倒的な作品群はそれだけで豊かな問題を提起する。テクストを参照していないことをあらかじめお断りしたうえで、この大展覧会によって触発された思考を書き留めておきたい。

 展覧会のサブタイトルは「太平洋と大西洋の間の美術」という。モダニズム美術が基本的に大西洋の両岸の美術であったことを想起すれば、サブタイトルの含意は明らかだ。太平洋と大西洋の間とは、端的に全球、地球全体を示しており、アジアとアフリカを含むいわゆる世界美術史と関わる展覧会であることを暗示している。実際にカタログを通覧するならば、名前の読み方もよくわからない中国やアフリカ、あるいは東欧の作家、そして後述するとおり、多くの日本の作家も含まれており、出品作品が世界中から選ばれていることが理解される。戦後というテーマを全世界に拡大することによって展示に一種の普遍性を与えようとする意図が確認できる。それにしてもこのような「普遍性」が当然のものとして受容されるようになったのはごく最近である点についてはあらためて指摘しておく必要があるだろう。それは1989年にポンピドーセンターで開催された「大地の魔術師たち」を嚆矢としており、たかだかこの四半世紀の常識なのだ。そしてかかる同時性、共時性の認識がなければこのブログで扱った池上裕子やミン・ティアンポの研究は成立しえなかったはずだ。この意味において会場となったハウス・デア・クンストが悪名高い「退廃芸術展」と対をなす「大ドイツ芸術展」の会場であったことはなんとも象徴的だ。「大ドイツ芸術展」はゲルマン民族の優位性を誇示する目的で開催され、ナショナリズムと深く結びついた展覧会であったからだ。これに対して今回の展示においては国家や体制、人種を横断するかたちで「戦後」に関する表現が紹介されている。

 まずはカタログに沿って展示の構成を確認しておこう。展覧会とカタログは八つのセクションによって構成され、冒頭にそれぞれ簡潔な説明が付されている。展覧会の劈頭を飾る第一部は「Aftermath : Zero Hour and theAtomic Age」と題されている。アフターマスには直後という意味もあるから、このパートは第二次大戦直後と原子爆弾投下直後の二重の意味をもつ。冒頭に山端庸介の被爆直後の長崎を撮影した写真、そして東松照明と磯崎新の被爆と関連した作品が掲出され、この展覧会は日本の爆心地からスタートする。被爆直後の映像と丸木俊と位里による「原爆の図」、日本のアフターマスが直示的であるのに対して、ヨーロッパの戦争のアフターマス、端的に絶滅収容所の解放は展示の中では暗示的に示されている。一見、テーマとの関連が不明に思われるフランク・ステラのブラックペインティングは「働けば自由になる」というタイトルがユダヤ人強制収容所の入口に掲げられた標語であったことを想起するならば、展示に含まれた理由が理解されよう。しかしさらに深読みするならば、絶滅収容所に関する表象がほとんど含まれていない点は表象の不可能性というランズマン/ディディ=ユベルマン的な問題を浮かび上がらせるかのようである。

 第二部は「Form Matters」と題され、物質との関係が主題化されている。戦後において物質という問題が最初に浮上したのはいわゆる「アンフォルメル」においてであり、その広がりを誇示するかのようにポロックから白髪一雄にいたる多様な作家が取り上げられている。しかし「戦後」においてなぜ物質が作品の主題とされたかという問いはいまだに十分に答えられていない。それは戦災の廃墟に由来するかもしれず、爆心地や絶滅収容所で炭や肉塊と化した人体に由来するかもしれない。かかる物体は再現的なイメージを欠いている。「具体美術は物質を変貌しない。具体美術は物質を偽らない」という「具体美術宣言」の先見性が問われるのはこの点である。私はアクション以上にかかる特異な物質観こそが初期の具体美術協会の特質を形作ったと考えるが、この点はいまだにほとんど論じられたことがない。白髪からフォートリエにいたる一連の物質的な絵画と並んでアルベルト・ブッリの毀損された表面やニキ・ド・サンファールの射撃絵画といった作品は傷ついた身体の換喩/提喩として成立しており、「戦後」というテーマにふさわしい。一方でエヴァ・ヘスや草間彌生の立体も確かに身体の提喩であるが、「戦後」というテーマとの関係が不明確に感じられる。この展覧会では1945年から65年までの美術が扱われているが、50年代までに対象を限定した方がテーマをより明確に示すことができたのではなかろうか。この展覧会を読み解くうえでは第二部と続く第三部「New Images of Man」を対比的にとらえるのがよかろう。今述べたとおり、第二部においても身体は潜在的なモティーフであったが、表現としては換喩的もしくは提喩的であった。これに対して第三部においては身体がアイコニックに表象されるという意味において、作品は隠喩的な構造をとる。そしてここに表現された「人の新しいイメージ」は大きく二つに分類できるだろう。まずピカソやシケイロスにみられる現実の戦争や事件に触発され、対象にデフォルメを加えながらも直接的に表象する作品である。これに対して、フランシス・ベーコンやヴィレム・デ・クーニングらは具体的な出来事ではなく人体の変形や歪曲を主題としている。今日、重要なのはいうまでもなく後者であり、20世紀の前半にあって身体の表現を次々に革新したピカソもついにこの時点で時代に遅れたことが暗示されている。このような限界は、人類が原子爆弾と絶滅収容所という未曾有の地獄を体験したことと関わっているのだろうか。「戦後」ならぬ「戦前」の表現の頂点を画したあの《ゲルニカ》と出品作品との比較はこの問題を考えるにあたって意味をもつかもしれない。きわめて興味深い作例は河原温である。今回の展覧会には千葉市美術館所蔵の《考える男》が出品されている。これまで河原の初期作品は海外の同時代の動向と対比されることがなかったが、この作品はフランシス・ベーコンやゲオルグ・バゼリッツの傍らに置かれても全く遜色がない。「死仮面」や「浴室」シリーズといった同じ時期の作品も同様のはずだ。断片化された身体、客体(オブジェ)としての身体、そしてフリークスへの関心、彼らの作品は多くの共通点をもつ。河原の問は50年代のいわゆる「密室の絵画」の代表的な作家として知られている。冷戦構造が強化される50年代にあって線描性や色彩の抑制、印刷物との親和といった特性によって論じられてきた「密室の絵画」の世界的な同時性を私は今回のカタログを通じてあらためて感得したように思う。これまで「密室の絵画」は当時の社会状況との関係で論じられることが多かったが、より広い普遍性あるいは必然性を有していたのではないだろうか。

続く第四部、「Realisms」(複数形である点に注意)のセクションも興味深い。レナート・グットゥーゾからアンドリュー・ワイエスまで多様な作品が紹介されているが、このセクションを通覧するならば、戦後美術においてリアリズムとは端的に社会主義リアリズムであり、社会主義の美化と深く関わっていたことが理解される。スターリンや毛沢東といった個人崇拝のイメージのみならず、リアリズムは蜂起や社会闘争、労働争議といったモティーフを好んだ。ひるがえって今挙げた「密室の絵画」もこのような特性をはらんでいたのではなかろうか。つまり河原や池田龍雄らの絵画はこの展覧会でいえば第三部と第四部、新しい人間の表現とリアリズムという二つの主題を総合する営みであったとはいえないか。先日、埼玉県立近代美術館等を巡回した「日本におけるキュビスム」において別の角度から検証されていた問題であるが、私は日本の1950年代の美術はなお十分に解明されていないように感じる。

 ここまで扱われた作品が具体的、物質的であったのに対して「Concrete Visions」と題された第五部では抽象的な動向が扱われる。冒頭にコンクリート・ポエトリーについての論文が掲載され、北園克衛の図版が掲載されているのには驚く。カール・アンドレやロバート・モリスと並んでこのセクションで詳しく紹介されているのはリジア・クラークやヘリオ・オイティシカら、ブラジルの戦後美術の動向である。これまでにこのブログで扱ったいくつかの展覧会や研究を通して、私は欧米圏において近年、中南米の美術への関心が高まっているように感じる。例えばクレア・ビショップの研究では60年代のアルゼンチン美術に紙幅が費やされていたが、パフォーマンスを中心としたきわめて「具体的」な美術の一方で、ここで取り上げられた多くの抽象的な造形が軍政下にあった中南米諸国で制作されていた点は興味深い。前のセクション、「レアリズム」と対比するならば、ここにかつてのソビエトの共産党政権下における社会主義レアリズムとロシア構成主義の対立関係の反復を見出すのは私だけだろうか。さらにミニマル・アートへと補助線を引き、一見非政治的な作品とベトナム戦争との関係を問うならば、なるほど「戦後」に新しい視界が開けるかもしれない。このパートにはなぜか具体美術協会の二人の作家、田中敦子の布の作品と元永定正の色水による構成も収められていることを付言しておこう。

 続く第六部「Cosmopolitan Modernism」と第七部「NationsSeeking Form」においては対比的な問題が扱われている。前者がアラブやアフリカの未知の作家によってモダニズムという西欧に特有のパラダイムの相対化を試みるのに対して、後者は国旗や神話、伝説といった象徴的なイメージによって国家ないし民族を統合しようとする試みを紹介している。最初に触れたとおり、この展覧会は西欧を特権化することなく全球的な「戦後」の表象を確認することを目的としているから、モダニズムの相対化と、とりわけ第三世界をめぐる統合の象徴の探求という意図はわからないでもない。例えばマーク・トビーのホワイトライティングとイブラヒム・エル・サラヒというスーダン生まれの画家の作品が対置される時、複数のモダニズムの可能性が示唆されるかもしれない。しかしほかのパートに比べてこの二つのパートは作品数が少なく、なによりもポスト・ウォー、戦後という問題といかに切り結ぶか、作品を見る限り必ずしも判明ではない。おそらくこの二つのパートは戦後における植民地の独立、そして第三世界の伸長と深く関わっているが、主題性としての凝縮力にやや欠ける。最後の第八部は「Networks, Media &Communication」と題されている。冒頭の解説によれば、「戦後」の最終局面として、マス・カルチャーや消費社会に関わる記号の提示に代わり、テクノロジーを介した記号の循環と分配の時代の到来を意味しているらしい。ラウシェンバーグ、ウォーホルからボイスまで、そしてほかのパートと同様に多くの名も知らぬ作家まで多様な作品が紹介されているが、その選択の基準はこれまでにも増して恣意的に感じられる。経度と緯度を示した河原温の作品はともかく、高松次郎の紐の作品や田中敦子の「電気服」がこのセクションに分類された理由が私には理解できない。

カタログを通覧するだけでも様々な発見がある。いくつかの所感を記すならば、まずこの展覧会においては戦後美術にあってドグマティズムとして機能したグリーンバーグ流のフォーマリズムは完全に相対化されている。相対化されているどころか、この展覧会には抽象的な作品自体が少なく、抽象的であっても多くは人の姿や手の跡を感じさせる。むろんそれはこの展覧会が「ポスト・ウォー」をキーワードとしたテマティックな内容であるためだ。平面性や視覚性に代わってこの展覧会を貫通するモティーフを挙げるならば、人体のイメージと物質性ではないだろうか。この意味においても展覧会のハイライトは前半、とりわけ第二部と第三部に求められるだろう。やや強引な読みをするならば、第二次世界大戦によって人間が物質と化すことを経験した私たちはまさにこの現実から出発しなければならなかったのであり、原子爆弾と絶滅収容所がこの展覧会の出発点となったことは必然性を有している。別の言葉を用いるならば、「戦後」の表現は本質において表象不可能なこの二つの出来事―いずれもその場に居合わせた者の絶滅をその本質としている―をいかにして表現するかというアポリアから始められた、被爆した人々の幽霊のような姿とカンヴァスの上に盛り上げられた絵具がその手掛かりなったことはおおいにありうる。この展覧会で私たちは歪められ変形した身体、そして毀損され破壊された物質に出会う。会場がかつて「大ドイツ芸術展」が開催された建築であったことを再び想起しよう。「大ドイツ芸術展」のカウンターパートであった「退廃芸術展」においても、醜く描かれた人体やコラージュやモンタージュといった破壊的手法のゆえに一群のモダンアートが弾劾され、排斥されたのではなかったか。モダンアートにおいても人体は美化して表現されることがなかったことを想起するならば、この展覧会に出品された作品はその末裔と位置づけられるかもしれない。一方でこの展覧会には、美化された人のイメージが集められたセクションが存在する。いうまでもなく「リアリズム」のセクションであり、そこではスターリンや毛沢東といった個人崇拝の対象および革命や社会闘争の情景が一種の理想化を経て表出されていた。戦後にあって社会主義リアリズム以外にリアリズムは存在しえなかったのであるが、そこで描かれる英雄や正義のための闘争は「大ドイツ芸術展」に出品され、今日忘れ去られた画家たちの作品を連想させないだろうか。この意味においても対象を美化することなく社会的闘争を描いた50年代の日本の「リアリズム」の実践は独特であり、この点からいわゆる「レアリズム論争」が再検討されてもよいかもしれない。

 先にも述べたとおり、ここに並べられた作品はモダニズム美術の正系からは逸脱している。かかる逸脱を検討するうえで興味深い作品が本書の冒頭に掲げられている。グリーンバーグのフォーマリズム絵画理論によればモダニズム絵画の一つの帰結とみなされる画家、モーリス・ルイスが画業の初期、1951年に描いた二つの作品《無題(ユダヤの星)》と《黒焦げの雑誌》である。カンヴァスにアクリル絵具を用いて制作された二つの作品のうち前者は初見であったが(大書された六芒星にタイトルの意味は明白だ)、ユダヤ人虐殺と焚書というナチスドイツの蛮行との関係はタイトルから明らかである。あるいは先に述べたとおり、ルイスと並べて展示されたステラのブラックペインティングも強制収容所の暗示を秘めていた。グリーンバーグやマイケル・フリードによってモダニズム絵画の最終形態とみなされた作家たちが第二次大戦の記憶と深く関連した作品を制作したという事実を私たちはいかにとらえるべきであろうか。彼らがモダニズム/フォーマリズムの文脈に組み込まれるうえでは、戦争の記憶の喪失が代償とされたということであろうか、それともフォーマリズムという原理自体が「戦後性」の解消ともいうべき一種の政治性に奉仕したのであろうか。さらにポロックやマーク・ロスコといった抽象表現主義の作家がいわゆるブレークスルーを遂げる中で、それまでの絵画に濃厚であった人体のイメージと画面の物質性、まさに私たちが論じた特質がいずれも解消されている点は興味深い。抽象表現主義絵画の成立は文字通り「戦後」の超克によって可能とされたといえるかもしれない。

 最後にこの展覧会に出品された日本人作家について触れておきたい。この展覧会には多くの日本人作家も含まれている。しかし私は一種の既視感とともに彼らの作品を確認した。「原爆の図」に始まり、具体美術協会の作家たち、河原温、工藤哲巳、草間彌生から小野洋子にいたるまで、私の知る限りほとんどすべての作品が過去に海外で展示されている。つまり今世紀に入ってほぼ十数年のうちに日本の戦後美術を世界に紹介するにあたってのクリシェが形成されたのである。むろんこれほどの大展覧会であれば対象地域を精査する十分な余裕はなかろうから、以前に欧米で紹介され、カタログに掲載された作品が再度紹介される可能性が高くなることは仕方がない。私が危惧するのはこのような安易な反復を介して、欧米の美術館、ことに商業ベースのギャラリーによって、彼らにとって都合よく日本の戦後美術の独自性が再文脈化されることである。私はこの点についてこのブログにおいてもグッゲンハイム美術館での具体美術展やミン・ティアンポの研究と関連して何度も警告した。先ほど論じたとおり、この展覧会に出品された河原温の初期作品はこれまで海外でほとんど紹介されることがなく、それゆえきわめて興味深い視点を展示全体に与えているし、私はその傍らに池田龍雄や石井茂雄らの「密室の絵画」が展示されていたなら、さらに展示に奥行きが与えられたと感じる。逆に田中敦子の《電気服》や元永定正の吊り下げられた色水の作品は日本の作家も加えることのアリバイ以上の意味をもたないように感じられた。私たちはかかる画期的な展覧会に日本の作家の作品が出品されたことに一喜一憂するのではなく、不在の作品も含めて展覧会の文脈を相対化し、逆に日本の戦後美術の可能性について思いをめぐらせる時期に来ているのではないだろうか。

なお、先日よりexcite blog の投稿の際のフォーマットが強制的に変更され、結果としてフォントやポイントが統一されずおおいに見苦しくなっている。改善を要求する。


by gravity97 | 2017-03-14 22:13 | 展覧会 | Comments(0)

 

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 翻訳が刊行された後、タイミングを合わせたかのようにフランス国内で大規模なテロ事件が発生し、「予見的」として大きな話題になったミシェル・ウエルベックの「服従」を読む。それから二年が経過し、イギリスのEU離脱、そして社会病質者のアメリカ大統領就任という異常事態を経て、私たちはますます本書の警告が切実な意味をもつ世界に生きることとなった。ウエルベックに関して私はこれまで「地図と領土」しか読んだことがない。冒頭にジェフ・クーンズとデミアン・ハーストが登場する「地図と領土」もとんでもない小説であったが、本書も問題作と呼ぶにふさわしい。最初にお断りしておくが、内容に立ち入らず本書を論じることは困難であり、結末も含めてこのレヴューでは物語の内容に言及する。可能であれば、一度通読してから以下をお読みいただいた方がよいかもしれない。

 帯の惹句に次のような記述がある。「フランス大統領選同時多発テロ/賛否渦巻く予言的ベストセラー」「シャルリー・エブドのテロ当日に発売された近未来思考実験小説」実際に翻訳が刊行された当時はフランスにおけるテロとの関係でセンセーショナルに宣伝されたことを覚えているし、私が刊行直後に本書を求めなかったのは予断をもって小説を読むことを好まないためだ。しかし今回本書を読み始めるとやや印象が異なる。冒頭にJ.K.ユイスマンスの一節がエピグラフとして引かれ、「ぼく」を語り手とした一人称の物語が始まるが、そこで記述されるのはユイスマンスを専攻し、ソルボンヌ=パリ第四大学で博士号の学位を取得した主人公の大学の研究者としての比較的単調な生活である。短い章が重ねられて構成されている本書において、一人称の語りは安定しており、大学の文学研究科で教鞭を執る主人公の生活もテロや戦争とはほど遠い。パリ第四大学で博士号を取得し、パリ第三大学で教授職を得るということは典型的なインテリのキャリアであり、ある意味ではフランスで最も安定した状況にある知識人の肖像ということもできるだろう。実際にフランソワが専門とするユイスマンスについては、学者らしいディレッタンティズムが随所で開陳される。その一方で主人公フランソワの個人的な趣味も随所に書き込まれる。まず明らかになるのは主人公の性的な放縦である。彼は大学時代にも大体年に一人くらいのガールフレンドを作り、性的な関係を結ぶ。教職に就いてからも「毎年のように、女子学生たちと寝た。彼女たちに対して教師という立場であることは、何かを変えるものではなかった。ぼくと彼女たち学生の年齢の違いは始めの頃は大きくはなかったし、それがタブーの様相を呈してきたのは、どちらかといえば大学での昇進のせいであって、自分が年を取ったからでも、老いが外見に現れたからでもなかった」日本であれば眉をひそめる者もいるかもしれないが、おそらくフランスであれば主人公のコメントはさほど抵抗なく受け容れられることは予想できる。本書の冒頭でフランソワは長く安定したガールフレンドというよりセックスパートナーであったミリアムとの別れを経験する。しかし物語の中ではさほど大きな意味をもつ事件ではない。インテリの一人称小説らしく、随所にレストランや料理、あるいはワインに関するスノビッシュな固有名詞が散らされているが(このようなディテイルから私はブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」をかすかに連想した)、それらと同様にミリアムも交換可能な固有名詞の一つに過ぎない。実際に主人公はまもなくミリアムの不在の代償であるかのように「エスコートガール」たちとのセックスを楽しむ。物語の序盤において主人公の生活に大きな変化はないが、一方でフランスの社会を覆う変貌の予兆がいくつかの挿話を通して暗示される。私たちはフランソワを前景に、彼をめぐる世界を後景にした一枚の絵画のように物語に接するのであるが、私たちの視点は両者を往還し、やがて前者が後者の中に絡み取られていく様子を目撃する。変化を暗示する挿話とは以下のようなものだ。フランソワの講義に中国人の学生、そして黒いブルカを身につけたマグレブ出身の女子学生、つまり非ヨーロッパ圏の学生たちが出席するようになる、大学予算が大幅に減額される一方でサウジアラビアからオイルマネーを背景とした多額の寄付金が寄せられ、学長人事にも影響を与えるという噂が流れる。新しい同僚はかつてアイデンティティー運動(白人やキリスト教といったなんらかのアイデンティティーに基盤を置く極右の政治運動)に参加していたことを告白する、反ユダヤ主義の台頭が暗示され、ショッピングモールの店構えも微妙な変化をみせる。この小説は2022年、フランスの大統領選挙の年を舞台としており(この情報は本書の帯に記されているのだが、私が読んだ限り、物語の中に具体的な日付は書き込まれていない。大統領選の年であることから逆算されてこの年が特定されたのではなかろうか)、主人公はワインを片手にTVで選挙の帰趨を眺める。既成政党のUMPは退潮し、マリーヌ・ル・ペンの国民戦線が大勝する。そしてイスラーム同胞団が社会党を破ったことによって、右翼の国民戦線とイスラーム政党が大統領選挙を争うこととなった。私はフランスの政治には疎いから、このようなフィクションの現実性については判断できない。しかしマリーヌ・ル・ペンが国民戦線の創始者、ジャン=マリー・ル・ペンの娘であることくらいは知っている。イスラーム同胞団、そしてその党首のモアメド・ベン・アッベスは架空の存在であろうが、多くの実在の人物が散りばめられたこの小説は、フランス人の読者にとって、まさに今年大統領選挙を迎える自分たちと地続きに感じられたとしても不思議はない。

 選挙の結果についてはこの小説の最初の四分の一あたりで記述され、これ以後、物語は不穏な空気を帯びる。大学の同僚マリー=フランソワーズは夫が公安警察に勤務しており、彼は国民戦線が政権を取ることを阻むために社会党がイスラーム同胞団と手を結ぶことを予想する。彼によればイスラーム政権が関心をもつのはもっぱら人口と教育である。政権が樹立された場合、出生率を高めるため一夫多妻が公認され、教育制度が分割される。イスラーム的な教育において男女共学はありえず、女性はできるだけ早く結婚して家政を修めることが求められる。教師はすべてイスラーム教徒であり、食事から礼拝にいたる厳格な規律が求められる。イスラームはすでに周到な根回しをしており、ソルボンヌのごとき有力大学への潤沢な資金援助もその一環であるという。一方、フランソワの同僚は選挙の結果いかんでは内乱が発生すると警告し、銀行預金をおろして地方へ一時避難することを勧める。別れたはずのミリアムが突然フランソワの前に現れ、イスラーム政権から逃れるためにユダヤ系の両親とともにイスラエルに移住することを知らせる。決戦投票の結果、進歩的で穏健な主張を掲げるアッベスが勝利し、ついにフランスにイスラーム政権が成立する。この過程では暴動や銃撃もみられたが、比較的短い時間のうちに事態は収束する。混乱を避けてユイスマンスゆかりの地方を遍歴していたフランソワもパリに戻る。

しかしイスラーム政権の成立に伴い、フランソワの身辺は大きな変化を遂げる。勤務する大学はパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学へと改組され、イスラーム教徒ではない彼は高額の年金を条件に解雇される。フランソワはかつての同僚がイスラームに改宗して大学に残り、自分以上の高額の給料を与えられていることを知る。同僚は「彼ら」によって女子学生を妻としてあてがわれ、さらに来月、「二番目の妻」をめとるという。社会も大きな変化を遂げる。政権の樹立とともに治安は回復し、家事に対して十分な手当てがなされた結果、女性は労働市場から撤退し、失業率は低下する。義務教育は小学校で終わり、それ以上の教育は私立学校に委ねられた。イスラーム化されるフランスの状況はきわめて具体的であり、本書が与えた衝撃もこの点に由来するだろう。私たちは同時多発テロ以来、イスラームと西欧の対立をいたるところで見てきた。先日のアメリカの入国禁止令がその最新ヴァージョンであることはいうまでもない。しかしここに描かれるのは選挙によって民主的にイスラームの属領とされる「西欧」の中心、フランスの姿である。そしてそれは社会と家庭の根底的な変革を伴う。

物語の終盤でフランソワはプレイヤード叢書のユイスマンスの巻の編集を打診される。ガリマール社から刊行されるこの有名な叢書の編集を任されるということは、その文学者についての権威であることを暗黙に示す。実際にこの叢書にユイスマンスが含まれているか否か私は知らないが、これが文学研究者にとって最大級の名誉であることは誰でも理解できよう。さらに編集者はフランソワをアラブ世界研究所の最上階で開催される新ソルボンヌ大学の開校式へと誘う。そこにはサウジアラビアの王子を含む多くのアラブ人とフランス人が出席していた。まもなく彼はニーチェを専門とするパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学の学長ロベール・ルディジェ(もちろん改宗し、複数の妻をもつ)から大学へ復職する厚遇の条件を提示される。おそらくはプレイヤードの編集の誘いもフランソワを大学へ戻すための工作の一つであった。しかし彼がそれを受け入れるためには一つの条件が課されている。いうまでもなくイスラームへの改宗である。この小説の最後は改宗の儀式を終えて、新しい境遇、大学での地位やプレイヤード叢書の編集者という名誉、そしてあてがわれるべき複数の女子大生をフランソワが夢見る場面で終わる。「それは第二の人生で、それまでの人生とはほとんど関係のないものだ。ぼくは何も後悔しないだろう」ただし注意深く読むならば最後の章は、おそらくフランス語の条件法によって書かれているだろう。つまり実際に主人公がそのような選択をなしたかどうかについては読み取ることができない。ウェルベックらしいかなりあざとい語りによって締めくくられているのである。

最後まで読み通すならば「服従」というタイトルの意味は明らかである。この小説においてフランスのインテリたちは嬉々としてイスラームに服従する。彼らに与えられるのは地位や名誉、高い給料、さらに複数の若い妻だ。(ルディジェは15歳の少女を妻として紹介する)あまりにも通俗的な欲望のために大学の教師たちが「転んで」ゆく姿は滑稽を通り越して悲惨でさえある。おそらくこの点こそ西欧の知や良識の拠点である大学が物語の舞台に選ばれた理由であろうし、ここには知識人の退廃あるいは堕落という普遍的なテーマを認めることもできるだろう。女性を隷属状態に置くこと、教育の否定、宗教の厳格な支配、これらが暗示するのは中世の世界だ。本書をとおして私たちは近代西欧社会を成立させた啓蒙や教化が無効化された社会が、大統領選挙という民主制をとおして到来し、大学人という最高の知性たちがあっけなく隷従する過程を目撃する。今日、本書が予言的な意味をもつのはこの点であろう。国家を超えた共同体を形成すること、難民や流民を自分たちの社会の中に受け入れること、融和や平和への希求すること、私たちは自分たちがこれまで理想として掲げてきた価値観が急速に崩壊する現場に立ち会っている。しかもイギリスとアメリカの例から明らかなとおり、それは大多数の市民が望んだ結果なのである。嬉々とした服従。それを解く鍵が物語の中にある。ルディジェの住まいはかつてジャン・ポーランが住み、そしてポーリーヌ・レアージュが「O嬢の物語」を執筆した屋敷であった。ルディジェは次のように語る。「『O嬢の物語』にあるのは服従です。人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力をもって表明されたことがなかった。それがすべてを反転させる思想なのです。(中略)女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように人間が神に服従することとの間には関係があるのです。イスラームは世界を受け入れた。そして世界をその全体において、ニーチェが語るように『あるがままに』受け入れるのです」服従によって世界を受け容れること、おそろしくニヒリスティックな発想がニーチェの研究者であるルジェディを介して語られる時、私たちはそのような思想が啓蒙という「光の世紀」を経過した西欧近代と果たして無縁であったのか、問わずにはいられない。あるいはユイスマンス。社会がイスラーム化する中で、フランソワはユイスマンスが滞在した修道院を訪れて数日の間、聖務に勤しむ。私はユイスマンスについてはデカダンスの作家であることくらいしか知識がないが、この作家の研究者を主人公に据えたことにはなんらかの意味があるのだろうか。本書においては西欧の「輝かしい」近代がイスラームの中世によって相対化されている。イスラームと西欧の対立という図式はおなじみのものであるが、これまで私たちはテロリズムやアラブ・ゲリラといったステレオタイプによってしか、イスラームを表象することができなかった。(いうまでもなくエドワード・サイードが論じた点だ)しかしここには暴力ではなく善意と誘惑によってイスラームがヨーロッパを併合する可能性、啓蒙の終焉と中世への退行が示唆されている。もちろんそれは一種の思考実験かもしれない。しかし民主主義と代議制の劣化が致命的なまでに進行した今日にあっては、かかる悪夢が現実化することはありえないと誰が言えようか。民主主義は疲弊している。先日も私たちは自分たちが選んだはずの宰相がアメリカの社会病質者にへつらい、文字通り「服従」する姿を目撃したばかりではないか。


by gravity97 | 2017-03-01 22:13 | 海外文学 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック