「endless 山田正亮の絵画」

b0138838_20414299.jpg

 東京国立近代美術館に「endless 山田正亮の絵画」を訪ねる。素晴らしい展示であったが、それゆえ山田正亮という画家の不幸についてあらためて思いをめぐらす。山田については1990年に美術出版社から作品集が刊行され、生前の2005年には府中市美術館で展覧会が開催されているから、これまでもその画業を知ることは必ずしも困難ではなかった。しかし山田については経歴、そして作品についてかねてから疑問が呈され、これらが枷となって国立美術館レヴェルでの回顧的な作品の検証が困難であった。展覧会の挨拶にある「2010年の画家の逝去を経て6年、今私たちは、彼の社会へのある種独特な向き合い方に対して毀誉褒貶が重ねられてきた生前の状況から距離を取り、山田正亮の生と作品の総体を冷静にみわたすことができるようになったといえるでしょう」というもってまわった言い回しはこういった事情を暗示している。多くの困難を克服して開催された今回の展覧会については関係者の労を多とするとともに、そもそもかかる困難も作品の本質と深く関わっていたのではないかと思う。
 私の知る限り、山田については作家と作品に対して、二つの疑惑が指摘されていた。一つは当初、画家の経歴として記されていた「東京大学文学部中退」が詐称であるとされた事件であり、これによって同じ東京国立近代美術館でかつて予定されていた回顧展がキャンセルされたという。一方、作品についても制作年代を偽った、あるいは近作を過去作として発表したという疑惑がささやかれてきたという。今回の展覧会カタログでは巻末の「編集されざるもの―年譜にかえて」という企画者による長い注記によって両方の疑問について答えられている。すなわち前者については1990年頃までの出版物に記載されていた「1954年 東京大学文学部中退」という履歴の記載が1994年の『美術手帖』1月号において「東京府立工業高専卒」と修正されたが、いずれについても記録による裏付けはなされていないというものであり、後者については展覧会を準備するにあたって計1,100点以上の作品を実見し、そのうち4割以上については専門家による科学的調査を行った結果、「1.100点のうち数点、画面に損傷が生じた作品について、作者本人が経年後手を加え、その結果当初の画面をとどめていないと判断できるものが見出された。とはいえ、新作を意図的に旧作として発表するという『年代詐称』にあたるようなケースは見られなかった」と記されている。慎重な物言いではあるが、この展覧会を開くことの意義を強く確信した企画者の思いが伝わる内容である。しかしそもそもモダニズムの画家にとってこれらは問題となるような瑕疵であろうか。むろん学歴詐称は不正である。しかしながら私たちがモダニズムの絵画に求めるのは作品の質であって作家の意図や人格、ましてや学歴ではない。例えば藤枝晃雄のごとき日本におけるフォーマリズム批評の第一人者がこの点を理由に山田をことさらに批判することに私はかねてより不審を感じていた。これについては事実関係の確認の問題であるから今後の検証に任せるとして、私にとってより重要に感じられるのは作品の制作年の問題である。これについても例えば制作年を偽って作品を売買したような事実があれば、一種の犯罪であろうが、今引用した箇所からも明らかなとおりそのような事実はない。今回のカタログに作品の科学的分析についての論文が寄せられ、会場にも同じ問題に関する説明パネルが掲出されている点は、かかる批判への反証であろう。
 作品の本質と無関係なゴシップ的な話題に紙幅を費やすことは消耗的であるが、学歴の問題はともかく作品の制作年の問題は山田のみならずモダニズム絵画の在り方全般と関わる。私の理解ではモダニズムの絵画は多く次のような特質を秘めている。まず作家は多作であり、作品はシリーズによって深められ、シリーズによる作品の変化は劇的である。例えばピカソが好例だ。ピカソほど旺盛な作品制作で知られる作家はほかに例がなく、青の時代に始まり、キュビスムからシュルレアリスム、ばら色の時代へと同じ作家とは思えないほどの激しい変化をみせながらも常に時代の先端で活動を続けた。戦後においても多作とシリーズ制作で知られる作家としては例えばモーリス・ルイスとフランク・ステラを挙げることができよう。ルイスは早世したにもかかわらず600点に及ぶ作品を制作し、しかもほとんどがヴェイル、アンファールッド、ストライプという三つの類型のいずれかに分類される。ステラもことに初期から中期にかけてはブラック・ペインティングに始まるいくつものシリーズによって作品を深めてきた。このうちルイスについては初期に制作したアンフォルメル系の絵画については作品を処分したため、今日カタログ・レゾネを参照しても確認することが困難である。画家がある時点で意に沿わなくなった過去の作品を処分するこということは決して珍しいことではない。独特の静物画で知られるジョルジョ・モランディが自らのイメージを固定化するために一部の作品を破棄し、のみならず批評家による批評にまでも介入した点については岡田温司がモノグラフの中で詳細に論じている。もっとも作品の成立にどの程度まで作家が関与するかという問題は単純ではない。以前の作品に後年作家が手を加えることは比較的よくあることであり、美術館泣かせである。私も作家が修復という名目で手を入れたため、美術館が収集した当時と様相を違えてしまった作品をいくつか知っている。あるいはデ・クーニングの有名な《女Ⅰ》も個展で発表され、ニューヨーク近代美術館が購入を決めた後も収蔵されるまでに作家が手を入れたというエピソードが残っていたと記憶する。
 山田の画業は典型的なモダニストのそれだ。展覧会の挨拶においては「絵画との契約」と表現された圧倒的な専心の結果、油彩と紙作品をあわせて5,000点にのぼる作品が残された。山田の作品がいくつものシリーズに分類されることは明らかであるが、山田はシリーズを名付けることすらせず、Workという総称の後に、50年代であればB、60年代であればCといった機械的な分類番号を割り振っている。初期の静物画から抽象に移行した後は、同心矩形やストライプといった一目で識別可能ないくつかのパターンをそれこそ数限りなく試行し、しかも新しいパターンへの移行は劇的である。海外の作家を視野に入れたとしても、先に述べたモダニズム絵画の条件をこれほど過不足なく満たした作家を思いつくことは困難であろう。このような作家に対して作家の成長とか作品の成熟といったクロノロジカルなモデルを適応することに果たして積極的な意味が見出せるだろうか。例えばルイスが制作した無数のヴェイル絵画に時間的な展開を求めることは困難であり、作品はいずれも非時間的な類型のヴァリエーションとして成立している。山田正亮の絵画もまた時間的な契機を欠いているのではないか。後で述べる通り、Workがアラベスク、同心矩形、ストライプの順に制作されたことは間違いない。しかし個々のシリーズ内のクロノロジーはたとえ作品番号がそれを暗示しているとしても確証がないし、そもそもそれを問うことに意味がない。制作された年代の不確定性が山田の絵画の本質と関わるというのはこのような意味においてである。
b0138838_20425376.jpgモダニズム絵画の範例として、山田の作品はこれまで形式的な観点から論じられることが多かった。さいわいにも今回の展覧会を契機として企画者の中林和雄、あるいは松浦寿夫、早見堯といった批評家たちが力のこもった作品論を発表しており、その一部は今回の展覧会カタログ、そして『ART TRACE PRESS』の02号、今回の展覧会に合わせるかのように発行された04号に掲載されている。また私は未読であるが、この研究会の報告書とも呼ぶべき書籍としてこのたび水声社から刊行された『絵画との契約-山田正亮再考』もミュージアムショップで目にした。今回、あらためてこれらの論文や鼎談のいくつかを読んで感じるのは、山田の絵画とフォーマリスティックな分析の親和性である。実際、『ART TRACE PRESS』の04号に掲載された対談においては、府中市美術館での展示の際になされた松浦と林道郎の公開対談に際して、当時、府中市美術館の館長であり、山田についても興味深い論文を執筆している本江邦夫が、話題が形式に集中し過ぎている点を叱責したといったエピソードも披露されている。実際、私は今回、今述べたいくつかの論文を集中的に読んで、山田の絵画についてのフォーマリスティックな分析はこれらにほぼ尽きているという印象さえもった。これに対して、本江、そして本江の論文を評価する峯村敏明はやや異なった観点から山田に論及している。知られているとおり、山田は1978年の康画廊での連続個展まで日本の美術界からほとんど黙殺され、学歴詐称問題が浮かび上がった頃からは一種の禁忌のごとく扱われていたから、この機会にこれらの目利きたちによる多くの批評を得たことは作家にとって幸いであった。しかしむしろこのような機会は作家の生前にこそ準備されるべきではなかったかと感じる。
 これほど多くの山田の絵画が公開されたことは初めてであり、私も大きな感銘を覚えた。今触れた文章の中で多くの論者も指摘しているとおり、山田の絵画は大きく三つの時期に分けることができるように思われる。まずStill Life と名づけられて番号が振り当てられた初期の静物画を中心とした具象的な作例。これらもあらためて通覧するならば実に興味深く、今後多くの研究を生むであろう。続いてWork という総称が与えられ、山田の作品の大半を占める膨大な作品群。これらの一連の作品は50年代後半にアラベスクとかジグソーパズルと呼ばれる Work B と呼ばれる作品群に始まる。これらのオールオーバー絵画も実に豊饒だ。山田の色彩感覚はすでにこの時点で完成していることが理解されるし、アンフォルメル旋風が吹き荒れていた当時の日本の美術界の中でかかる作品をこつこつと制作していた点は驚くべきことと感じられる。同心矩形をモティーフに扱った一連の作品に続いて、1960年頃より Work C と呼ばれる代表作、ストライプ絵画の制作が始まる。ヴァリエーションを伴いつつ会場に並べられた無数のストライプは圧巻である。続いて山田は一連のグリッド絵画、そして均等に機械的なストライプが反復される絵画を制作する。Work C と Work D に分類されるこれらの絵画も山田の代表作であり、この時期の最後、先に述べた康画廊における発表で山田は広く注目を浴びることになった。この後、80年代の Work E のあたりから作風はやや変化する。筆触が強調され、それまで描かれることのなかった斜交する線が描かれることとなるのだ。おそらく康画廊の個展である程度体系的に作品を通覧したこと、そしてもしかするとニューペインティングの抬頭も影響を与えていたかもしれない。ただし Work E そして90年代に始まる Work F は時に大きなサイズの作品が制作されることはあっても、これまでの作品と比べてやや甘く感じられることを何人かの論者が指摘しており、今回作品を実見して私も同じ印象をもった。そして三番目の時期を画すのは1997年に始まる Color と呼ばれる作品群だ。いくつもの色彩が塗り込められたそれぞれに異なるほぼモノクロームの色面から成る最晩年の作品は、作家がタイトルを違えたことが示唆するとおり、Workとは別の構造によって成り立っている。ただし今回の展示では冒頭に Color の連作が置かれているから、山田の作品を何の予備知識もなくまとめて見る者にとっては画業の展開を理解することは容易でないかもしれない。あらためてこれらを通覧して私は先に述べた二番目の疑惑が全く根拠のないものであることを確信した。山田の絵画の展開は決してわかりやすいものではない。しかしそこにはぶれることのない歩みがある。これほど真摯に絵画に向かい合った画家が意図的に作品を改作したり、過去作を模した作品を制作することはありえないだろう。むしろ私が関心をもったのは、Color における作品の突然の転調である。作家はこの理由を明確に語っている。すなわち1995年の時点で Work シリーズは「その円環を形成した」として、作家自らによって完了を宣言され、続くColor シリーズが始められたのである。峯村は山田のこのような物言いに「うそ臭さ」を感じたと述懐しているが、それは直線的に展開し、「円環を閉じる」ことがないモダニズム美術との間の違和感ではないだろうか。山田の場合、何がかかる円環を保証したか。展覧会を見て私はこの点を理解することができた。それは1948年から1972年までの年記をもつ自筆の制作ノート56冊である。その詳細についてもカタログ中で説明されているが、なんとも中途半端な年代の幅、その存在が知られたのが今世紀に入ってからであること、ノートでありながら配列や構成については可変的な可能性が残されていることなど、なお多くのテクスト・クリティークの必要が残されている。展覧会場にはこれらのノートも陳列され、カタログにもその一部が収録されている。絵画のスケッチとそれについてのコメント、日記的時事的な記録が混在するこのノートが制作に関する一種の覚え書であることは明らかだ。確かにこのノートには個々の作品についてのかなり具体的な説明や図示があるから、両者の密接な関係は明らかである。おそらく今後も両者の関係の究明は関係者によって続けられようし、文献や書誌を好む「美術史家」にとってかかるノートが恰好の研究材料であることもまた明らかである。しかし同時にこのようなノートの存在はモダニズム絵画の本質に反する。なぜならモダニズム絵画とは直接性によって特徴づけられており、図表や写真、なかんずく言語の介在を許容しないからである。この展覧会は典型的なモダニズムの画家の中心的な画業の展開を、間接的、言語的な二次資料によって保証するという倒錯を示しているとはいえないだろうか。
 かかる保証が成立しえない Color を、山田が初期作品同様に自らの画業から意図的に切断したことはおおいにありうる。さらにいえば、モダニズム絵画という圏域の外にあってもColorは画業の上に屹立しているという自負もありえたかもしれない。私はひとまずこれらの絵画についての判断を保留する。今回、あまりにも多くの作品を一度に見たため、山田の絵画を見る体験がいわば飽和状態に達して、個別の作品についての判断を下しかねるためだ。このような経験は私にとってもまれであるが、きわめて幸福な体験であったことを言い添えておく必要があるだろう。Color が図表的、言語的な補助を必要としない作品であったことは書き留めておく意味がある。そもそも色彩とは図示できず、言語による説明が困難な絵画の要素である。山田が「絵画との契約」の果てにかかる絵画へと逢着したことは私にはなにかしら暗示的な出来事であったように感じられるのだ。
 本ブログにおける展覧会のレヴューとしてはきわめて異例なことに、具体的な作品について論じる以前にほぼ紙数が尽きてしまった。最初に述べたとおり、かかる迂回を経たうえでなければ作品へと向かえないことは作家にとって不幸であるかもしれないが、私は山田の作品は総体として一つの体系をかたちづくっており、作品と同様にかかる体系、あるいは体系の外部について語ることを不可避的に要求すると考える。先に言及した関連文献において何人かの論者が指摘するとおり、かかるシステムは直ちに言語のそれを連想させる。したがって私は記号論を援用することによって、このような体系そして個々の作品についてさらに深い分析を加えることができるのではないかと考える。実際に今回のカタログに収められたテクストにおいては沢山遼がロマン・ヤコブソンを援用しながら、山田の作品を分析している。私はもう一度会場に足を運び、子細に山田のノートを確認しつつ、作品とあらためて向き合う必要を感じる。さいわい東京での会期は長く、終了後、京都国立近代美術館への巡回も予定されている。私は今後何度かこの展覧会に足を運ぶつもりだ。そしておそらくはもう一度、作品のレヴェルにおいて山田の画業について論じることとなるだろう。

by gravity97 | 2016-12-23 20:44 | 展覧会 | Comments(1)

クレア・ビショップ『人工地獄 現代アートと観客の政治学』

b0138838_22383611.jpg

 ボードレールのLes paradis artificiels から引用されたのであろうか、楽園ならぬ「人工地獄」という奇妙なタイトルをもつ本書は20世紀の、そしてとりわけ1970年代以降、今日まで連なる、いわゆる「参加型」の美術の系譜を緻密に論じ、今日の美術の一つの趨勢を検証するきわめて興味深い研究である。ただしタイトル、そして構成は必ずしもわかりやすいものではない。「人工地獄」は本書の第二章のタイトルでもあるが、明確にその意味が提示されることがないため、一見したところ本書の内容はとらえがたいし、サブタイトルの「現代アートと観客の政治学」も抽象的でわかりにくい。本書を手に取り、レヴューすることが遅れた理由の一つはこの点に由来する。さらに序論と「社会的転回:コラボレーションとその居心地の悪さ」と題された第一章でいきなり本書の核心となる理論的枠組が語られるが、この箇所は全体の議論に慣れていない状態では相当に難度が高い。例えば第一章では本書の問題意識を反映した例として2001年、ジェレミー・デラーというイギリスの作家が発表した《オーグリーヴの戦い》と呼ばれる作品が参照される。おそらく日本の読者にとっては美術関係者であってもほとんど知ることのないこの作品は、確かに本書を通読するならば、議論の中で一つの参照点たりうることが理解されるが、最初に提示された際には本書の中でどのような位置づけを与えられているか判断することが困難である。逆にこの二つの章を通過するならば、論理の展開を追うことはさほど難しくない。第二章以降は「参加型」の美術の系譜が歴史的に概観される。ただしビショップがとる手法は網羅的な概観ではなく、いわばケース・スタディによって徴候をたどるそれだ。ケース・スタディとして選ばれた対象を列挙するだけでも本書の特色は明らかとなる。すなわち第二章においては20世紀の三つの前衛運動、未来派、ロシア・アヴァンギャルド、パリ・ダダが取り上げられ、続く第三章ではシチュアシオニスト・インターナショナル、視覚芸術探求グループ、そしてジャン=ジャック・ルベルによるハプニングについて論じられる。第二章の対象がよく知られているのに対して、第三章で論じられるグループや作家は相当にマニアックであるが、これらの連なりからは20世紀におけるパフォーマンス芸術の系譜が浮かびあがり、本書の類書として例えば翻訳も存在するローズリー・ゴールドバーグの『パフォーマンス』なども連想されよう。ただしゴールドバーグと比較するならば本書の特異性も明らかだ。すなわち本書においては、これまでパフォーマンスの歴史を語る際に必ず論及され、例えば同じテーマの展覧会としては過去最大級、日本にも巡回した「アウト・オブ・アクションズ」で中心的に取り上げられた北米におけるパフォーマンスが無視されているのである。このような姿勢がいかなる意味をもつかについては後で論じることにして、本書の概観を続けよう。続く第四章と第五章ではこれまで日本でほとんど紹介されることがなかった重要な動向について論じられる。すなわち1960年代から70年代にかけてのアルゼンチン、東欧、そしてソビエト連邦で繰り広げられたパフォーマンスの系譜である。先日、寺尾隆吉の「ラテンアメリカ文学入門」についてレヴューした際に、1960年代にアルゼンチンの文学がきわめて高い水準にあり、それを受容する知的に洗練された教養層が同伴したことについて論じたが、美術においても同様の深まりが認められる点は興味深い。例えばオスカル・ボニーという全く未知の作家が発表した、労働者の一家を「展示」するという試みは直ちにマリーナ・アブラモヴィッチやギルバート&ジョージを連想させよう。あるいはチェコスロヴァキアのミラン・クニージャークという作家については名前のみ知っていたが、本書を読んでパフォーマンスの詳細を確認することができた。以前よりラテンアメリカ、そして東欧がパフォーマンスにおいて多くの過激かつ重要な作品を生み出した地域であることを耳にしていたが、本書はパフォーマンスに関して、欧米中心の現代美術史とは別の美術史が脈々と存在することを説得的に論証している。ここで興味深いのは60年代のラテンアメリカ、70年代の東欧といった場がいずれも軍事政権や共産主義国家の圧政が支配する全体主義社会であったことだ。本書で紹介されるクニージャークの作品は圧政下での抵抗という文脈と複雑に絡み合っている。あるいはモスクワ・コンセプチュアリズムと深く関わる「集団行為」の一連のパフォーマンスは共産党の独裁という体制と深く結びついているだろう。これらの場における実践は実に興味深いが、詳細については本書を参照していただこう。第六章では再び西欧、イギリスにおける70年代の動向が論じられる。過激なパフォーマンスを繰り広げたジョン・レイサムの名は耳にしていたが、彼が芸術家斡旋グループ(APG)という活動に関わっていたことを初めて知った。作家と企業、産業をつなぐ興味深いプロジェクトは文字通りもはやパフォーマンスというよりプロジェクトと呼ぶべき内容である。著者の出身地であるイギリスにはこのような活動の長い歴史があることが、続くブラッキーやインターアクションといった運動との関係において検証される。第七章においても1990年以降、時にソーシャル・エンゲージド・アートと呼ばれる動向がドイツやフランスを舞台に様々な結実をもたらしたことが丹念に検証される。かかる傾向は単に作家のみならずドクメンタやミュンスター彫刻プロジェクトにおいてはキューレーションの問題とも深く関わっている。第八章で論じられる「委任されたパフォーマンス」の問題も私には実に新鮮に感じられた。「委任されたパフォーマンス」とは作家自身が行為するのではなく、「プロではない人々を雇い、一定の時間、一定の場所にアーティストの代理として存在し、アーティストの指示に従ってパフォーマンスを遂行する」試みである。この章を読んで私はとりわけ今世紀に入ってから世界の多くの場所で実見しながらも、その本質をつかめなかった一連の作品におおいに得心がいった思いがする。偶然ではあるが、私は先日、国立西洋美術館の「クラーナハ」展を訪れた。現代美術とクラーナハを交差させた興味深い展覧会についても機会があればレヴューしたいと考えるが、そこに出品されていたレイラ・バズーキというイランの作家の作品は、名画の模写によって生計を立てる中国の職人たちに制限時間内にクラーナハを模写させるというワークショップを課した結果の集積であった。アイ・ウェイウェイでもよい、田中功起でもよい。私は近年に発表された「他者によって代行されるパフォーマンス」の実例をいくつでも挙げることができる。本書の視点を得て、これらのなんとも名状しがたい試みに対して、目から鱗が落ちた思いがした。著者が「本書の執筆にあたって最大の難関となる」と述べる最後の章、第九章においては「教育におけるアート・プロジェクト」が論じられる。早くも60年代のヨーゼフ・ボイスによって創始されたペタゴジック(教育的)プロジェクトは今世紀に入って多くの作家、キューレーター、あるいは美術学校といった多様な関係者によって深められる。特にキューバ出身のタニア・ブルゲラ、アメリカのポール・チャン、ポーランドのパヴェウ・アルトハメル、そしてパリを拠点とするトーマス・ヒルシュホーンという四人の作家の実践が詳細に検証される。私はチャンのみ名前を聞いた覚えがある。ビショップが論じるチャンのプロジェクト、2007年の「ニューオリンズでゴドーを待ちながら」はハリケーン、カトリーナによって壊滅的な被害を受けたニューオリンズでベケットの演劇を上演するというものであり、単なる上演ではなく上演にいたる一連の教育プログラムがプロジェクトとみなされるという。このプロジェクト/作品は最近、そのアーカイヴがニューヨーク近代美術館に購入されたということであるが、この出来事はかかるプロジェクトと美術館の関係においても示唆的である。そういえば、おそらくは今も私たちも東京国立近代美術館のコレクション展を訪れるならば、ロビーで上映されている田中功起のプロジェクトを見ることができるはずだ。さらに私はここで今述べたチャンの作品を、1993年にスーザン・ソンタグが内戦下のサラエヴォでやはり「ゴドーを待ちながら」を上演した事例と比較したい誘惑に駆られる。終章においては本書の総括がなされるとともにアントニー・ゴームリーのトラファルガー広場を用いた「ワン・アンド・アザー」という公共的なプロジェクト、そしてドイツのクリストフ・シュリンゲンズィーフという映画監督/作家の「オーストリアを愛してくれ」という挑発的なプロジェクトに論及される。本書の最後で社会性の強い二つのプロジェクトが紹介されたことは暗示的である。
 以上、本書の内容を簡単に要約したが、このような概観からもこの研究が時間的にも空間的にも広い対象を扱い、リサーチに多くの時間を要する労作であることが理解されよう。本書全般について論じることは私の手に余るが、いくつかの所感を書き留めておきたい。本書は基本的にクロノロジカルに構成されているが、それは網羅的な通史を意味しない。先にも述べたとおり、ケース・スタディの連続によって一つの主題が深められている。第七章の冒頭でビショップは、かかる美術の系譜にいくつかの高まりがあることを指摘する。それは1917年、1968年、そして1989年という年記によって示される。これらの年代が革命や動乱とともに記憶に刻まれていることは偶然ではないだろう。すなわちロシア革命、五月革命、ソビエト連邦の崩壊であり、おそらくこの点は本書において北米についての言及が少ないことと関わっており、ここで論じられた試みが本質において「抵抗の美術」であることを暗示している。同じ箇所でビショップは1989年以降の美術の本質を次のようにまとめている。「私が1989年以後の芸術において重要だと考える意味での『プロジェクト』は、有限の物的対象としての芸術表現から離れ、可変=継続的(オープン・エンデッド)な特性、ポスト・スタジオ的なもの、リサーチ方式、社会的過程、長い期間をかけて拡張していくもの、そして柔軟性を形式とするものへの移行を希求する」プロジェクトという言葉からは直ちにヴィレム・フルッサーの「投企」といった概念なども連想されるが、議論をこれ以上拡張することは避けよう。可変=継続性という概念は本書の鍵概念の一つであり、参加型の美術の判定にあたっては一つの指標となるだろう。今述べたようないくつかの特性は具体的な作品のかたちをとらず、往々にして展覧会のかたちをとる。いわばモノからコトへの転換によって、作家以上にキューレーターが重要な役割を果たし、より正確には作家がキューレーターの役割を果たす場合が多かったことを本書は論証している。ユニテ・プロジェクト、中間の時間、インターポールといった私が初めて聞く展覧会/プロジェクトをとおしてかかる試みの成功や挫折が論じられる第七章は実に興味深く、個々に論じたい事例も多いが紙幅がない。
 「委任されたパフォーマンス」と題された第八章も問題提起的だ。私にとって本書はパフォーマンスとして一括りにされがちな20世紀中葉のそれと20世紀末から今世紀にかけてのそれとの間に明確な断絶を指摘し、理論化した点において画期的であるように感じる。例えば次の二つのパフォーマンスを比較してみよう。自らの下腹部を剃刀で星形に切り裂くマリーナ・アブラモヴィッチのマゾヒスティックなパフォーマンスと対価を支払うことを条件に応募者の背中にタトゥーの線を入れるサンチャゴ・シエラの作品。肉体を毀損するという点においては共通しているが、両者の相違もまた明らかだ。作家自身の身体を傷つける前者と金銭的契約を介して他者の身体に介入する後者。このうちシエラについては本書中にも言及がある。身体、契約、刻印、様々なコノテーションをはらんだシエラの作品をビショップは一つの言葉で要約する。「プロではない人々へ外部委託(アウトソース)されたアクション」アウトソースとはまさに今、私たちが日本の社会において目撃している不条理であり暴力ではないか。シエラの作品が可能であったのは、中南米においては低い対価を目当てに一生残る刻印を受け入れる、グローバリゼーションのしわ寄せを受けた低所得者層が存在しているためである。ここでは作家に帰属する身体ではなく、私たちが置かれた不均等な世界が作品の主題とされているのだ。そしてこの問題を作品の真正性と読み替える点にこそビショップの議論の鋭利さがある。彼は次のように説く。「アーティストはパフォーマーに権利を委任する。ただし委任は一方通行の上意下達というだけではない。ひるがえってパフォーマーもまたアーティストに一定のものを委任するのだ。それはもっぱら表象に取り組むアーティストには通常与えられていない、日々の社会的現実に接しているという真正性の保証である。支配的かつ自己規定的な真正性は、(裸であったり、自慰をしたり、腕に発砲したりする)単独のアーティストの存在から離れて、否定しようのない(ホームレス、人種、移民、障害といった)社会的、政治的な問題を換喩(メトニミー)として表す、そうしたパフォーマーの集団的存在に向けて再編される」作家自身が裸になったり、自慰をしたりする60年代のパフォーマンスに対して、半世紀後のそれはホームレスや移民といった代行者を得ることによって社会構造における真正性を獲得するという指摘は重要である。私はシエラの作品がはらむ反社会性あるいは反倫理性をいかに評価すべきか長い間考えあぐねていたが、本書を読んでようやく理解することができたように感じる。50年代において作家の肉体が素材とされたことは、よりリアルな感触を美術に持ち込むためであった。しかしもはや「作家の身体」はかかるリアリティーをもちえない。権力や暴力が不可視された世界において現実を取り込むためにはより巧妙な戦略が必要とされるのだ。この点をビショップは次のように指摘している。「この図式では倫理は重視されない。なぜなら芸術は既存の価値体系へとたえず疑問を投げかけるものとみなされ、そしてそこでは倫理観についても問われるためだ。より重要なのは、社会における矛盾を表象し、それを問題として取り上げるための、新しい語法を打ち立てることなのだ。社会的な視座の言説では、倫理観の欠如と実効性の無さをかどに、芸術的な視座の言説が批判される。なぜなら、世界を提示および複製すること、またはそれについて考察することだけでは、不十分だからだ。そこで重視されるのは、社会を変化させることなのだ」私はここで暗に示された、例えばアブラモヴィッチやヴィトー・アコンチ、クリス・バーデンらのアクションもまた既存の価値体系への批判であると考える。パフォーマンスが本質において「抵抗の美術」であったことを想起するならば、それは何の不思議もない。しかし本書が論証するのはもはやそのような戦略においては作品が社会と切り結ぶうえでの真正性が確保されないという認識である。それに代わる新しい戦略を導出し、新しい「抵抗の美術」を生み出すことが求められている。そして本書を読む限り、私たちは悲観的になる必要はない。今世紀に入って次々と発表された「参加型アート」は新しい抵抗の地平を広げつつあるからだ。本書においてアジアでの実践について全く触れられていないことはやや残念に感じる。先にアイ・ウェイウェイの名を挙げたが、かつてのアルゼンチンや東欧と同様に全体主義体制下にある現在の中国におけるアヴァンギャルドの沸騰は本書の問題意識と深く関わっているはずだ。そして例えば前回のブログで論じた小泉明郎をはじめ、美術館の検閲を受けつつも実施された「キセイノセイキ」における発表などを想起する時、今や戦時体制下にある日本においても美術家における抵抗が組織されていることを知る。本書は彼らにとって大きな励みとなるはずだ。まことに時宜を得た翻訳であり、私たちは抵抗しなければならない。

by gravity97 | 2016-12-16 22:43 | 現代美術 | Comments(0)

「小泉明郎 CONFESSIONS」

 京都芸術センターで開催されていた「小泉明郎 CONFESSIONS」を訪れた。会期の最終日に訪れたために事後の報告となること、私はヴィデオ・アートそして小泉について専門的に語る知識も作品の体験もないことを初めにお断りしたうえで、以下のレヴューを記録として留めておく。会場で上演されていた作品のうち、《最後の詩》と題されたヴィデオ・インスタレーションについては、せっかちで当日時間的な余裕のなかった私は全てを視聴したうえでの批評でないこともあらかじめ「告白」しておくことにしよう。それにもかかわらずそこで上映されていた二つの作品は私になにごとかを語るように強いる。
b0138838_652746.jpg
 私が小泉の作品を初めて見たのは、2010年、大阪のサントリーミュージアムで開かれた「レゾナンス」においてであったと記憶する。《若き侍の肖像》と題された映像作品では特攻として自爆攻撃に参加すると思しき扮装の若者が両親に対して自らの思いを絶叫する。しかし彼の語りに対しては画面の外から演技の指導が入ることによって、かかる「告白」が演出されていることが暗示される。結果として、スクリーンのこちら側にいる私たちにとってきわめて気まずい思いがもたらされたことを覚えている。今日振り返るに、この作品における当惑と混乱は小泉の作品の本質であった。この後、私は昨年の春、前橋で開かれた「捕われた声は静寂の夢を見る」と題された個展を訪れ、夏に銀座のメゾンエルメスフォーラムで開催された高山明との二人展への出品作からも強い衝撃を受けた。さらに今年の春、東京都現代美術館における「キセイノセイキ」においても、一部の作品が検閲され、撤去された状態ではあったが、小泉の作品に接したことは以前このブログで論じたとおりだ。今回出品されていた二つの作品のうち、《忘却の地にて》はメゾンエルメスにおける二人展にも出品されていた。もう一つの《最後の詩》は私にとって初見であった。
 おそらく作家の指示に基づく意図的な欠落であろうが、これまで私が見たいずれの映像作品も単に作品が上映されるのみで、言葉による説明が付されていなかった。映像の冒頭で簡単な説明が入る場合もあるが、最初から見ることができるとは限らないから、ほとんどの場合、映像の内容について知識のないまま作品に直面することとなる。今回、このレヴューを書くにあたって、この展覧会も含まれる京都国際舞台芸術祭のホームページを参照したところ、映像についてのかなり詳しい説明が記されていた。この記述を引用することによって、まず二つの映像がどのようなものであるかを簡単に紹介しておこう。すなわち《忘却の地にて》は「21歳の時に交通事故で脳に損傷を受け、それ以来、記憶障害を抱えて生活してきた、ある男性とともに制作された。小泉が彼に与えた指示は、一人の日本兵のトラウマに関する証言を記憶して、読み上げるということである」。そして《最後の詩》は「小泉のFacebook上での呼びかけに応じた、匿名の個人6名へのインタビューと都市の風景から構成されている。素性不明の彼らに覆面を被らせ、人前では絶対に言えないような心の奥底の思いを打ち明けるように小泉は促す。しかし、彼らの声は、東京の街頭のフィールドレコーディングの雑多な音によって吹き替えられ、ことばの意味や込められた感情から切り離された「音」として再生される」。
b0138838_663294.jpg
 まず《忘却の地にて》についてもう少し詳しく説明しておこう。語られる内容は今述べたとおりであるが、より具体的に述べるならば、おそらくは第二次大戦中に生物兵器か化学兵器の撒布作業に従事した日本兵の忌まわしい記憶、目撃者がいたら殺せという命令に従って、その場にいた子供を高い場所から突き落としたという体験が語られる。内容を反映するかのように語りそのものも屈折し、同じ言葉が何度も繰り返され、しばしば叫びともうなり声ともつかない音が挿入される。内容も語り口も聞いているだけで息苦しくなるようなナレーションである。しかしながら映示される情景はそれとは無関係の静謐さを漂わせている。一つは杉本博司のシースケイプのごとき、水平線が広がる海の情景、そしてもう一つは何かが燃える炎のゆらぎである。一方、《最後の詩》は一枚のスクリーンの表と裏に別々の映像が映示され、やはり語りが重ねられる。最初に述べたとおり、私はこの作品を全て見た訳ではないから一部分のみを視聴したうえでの説明となるが、《忘却の地にて》が独白として成立しているのに対し、《最後の詩》は小泉と思しきインタビュアーと複数のインタビューイとの対話として構成されている。匿名のインタビューイの語りも実に過激だ。私が見た範囲内でも雑踏や満員電車の中で他者に圧迫されることによって快感を覚える一種の変態性欲の告白と、東日本大震災の際にボランティアと称して現地に赴き、震災の犠牲者の死体を鑑賞するネクロフィリア(屍体愛好)に関する証言が引き出されていた。スクリーンの一方では彼らが口の部分のみを露出させた覆面を被って質問に答えている。この手法は「キセイノセイキ」における《オーラル・ヒストリー》の場合と似ている。《オーラル・ヒストリー》では口元のみをクローズアップすることによって発話者を特定しながらも匿名的な語りが重ねられ、そこでもしばしば韓国人や中国人への差別的、嘲弄的な言葉が繰り返されていた。今回の展示では映像の提示方法にも工夫がみられた。すなわちスクリーンの反対側に回り込むならば同じ言葉が都会の街頭でさまざまな人物が発する音の連鎖として提示される。先に引用したホームページの言葉を借りるならば「彼らの声は、東京の街頭のフィールドレコーディングの雑多な音によって吹き替えられ、ことばの意味や込められた感情から切り離された『音』として再生される。発話の主体を宙づりにすることで、都市に潜在する狂気が浮かび上がってくる」ということらしい。今回の展示ではこれら二つの映像作品が別々のギャラリーに設置され、展示全体のタイトルとしては CONFESSION、告白というまことに内容にふさわしい言葉が当てられている。
 いずれの映像においてもトラウマとなった記憶、隠された欲望、人前ではとても口に出せない個人的な告白がなされる。観者は作品の前でなんともいえない気まずさを覚える。聞くべきではない告白を聞かされた思いといってもよかろう。しかもそれは直接になされるのではない。《忘却の地にて》においては記憶障害のある男性が読み上げる語りとして、《最後の詩》においては本人の語りといわば都会の雑踏の中からザッピングされた「音」の連なりの同期として、おぞましい物語が開陳されるのだ。小泉の作品においては記憶や情動が他者に転移されたうえで言葉にされる。そこからは個人の体験を他者が語ることは可能かという重い主題が浮かび上がる。彼らの語りが戦争や震災といった災厄に関わるものであったことは偶然ではなかろう。私はこのブログでジャンルを横断しながら「表象の不可能性」という問題を検証してきたが、この作品も同じ主題に深く関わっている。小泉の場合、表象不可能な出来事が他者によって語られる。忌まわしい記憶は事故によって記憶に障害を受けた男性によって反復され、個人の秘められた欲望はいわば非人称の声の集積として私たちの前に提示される。ここで私がこれらの作品から反射的に連想した現代美術に関係する二つの記憶を書き留めておくこともなんらかの意味をもつだろう。まず《忘却の地にて》において、語り手は何度も言いよどむ。子供を突き落とした場面を述懐するにあたって、語り手は「飛行機が飛んできました」、「子供が上を見上げた瞬間」、「私はその子を突き落としました」といったフレーズを幾度となく繰り返す。吃音のごとく反復されるフレーズから私はミニマル・ミュージックを連想した。ことに突き落とされた子供の状態を表現する「血が出ていた」という言葉の反復から、スティーヴ・ライヒの初期の作品[Come Out]におけるblood come out to show themというフレーズの反復を連想することはたやすい。小泉の作品の場合、言葉の繰り返しはミニマル・ミュージックにみられた合理性や構築性の反映ではなく、精神分析によって検証されるべき錯誤行為と関わっている。あるいは《最後の詩》において室内を二分するかのように配置された巨大な液晶スクリーンから私が連想したのはビルバオで見たリチャード・セラの傑作《ストライク》であった。この作品については以前このブログで論じたことがある。両者に共通するのは作品が表裏をもち、それを一望する視点は存在しない点だ。今述べたとおり、《最後の詩》における語りは覆面をした特定の話者によってなされる一方、スクリーンの裏に回り込むならば同じ語りが不特定で無数の語り手による「音」の集積として成立している。両者は構造的に両立しえない。「声」と「音」は同期するが、発話者を同時に見ることができない、ここにおいては聴覚的統合と視覚的分離が構造化されたきわめて独特の形式として作品が成立しているのである。
 小泉において本来一人の人間に帰属するはずの記憶や感情、声や身振りは他者を媒介として表明される。小泉の作品が演劇的と呼ばれる理由はこの点に由来するだろう。しかしながらそこで表明されるトラウマや嗜好はしばしば他者が抱えるにはあまりにも重い。幼児に対する虐待や屍体愛好といった「告白」は私たちの良識や社会通念を大きく逸脱している。会場内にも「作品の中に刺激的な発言がある」という注意書きが掲示されていたと記憶する。かかる重い語りが可能となるのは、話者が匿名化されているためではないだろうか。《忘却の地にて》にほとんど人物は登場せず、同時に小泉の映像には覆面や口元のクローズアップ、街頭で録音された雑多な音声といった多くの匿名的なモティーフが登場する。この一方で「キセイノセイキ」展において美術館から撤去された作品において、匿名の対極の存在とも呼ぶべき皇族たちが、端的に不在として表象されていた点は暗示的に感じられる。《最後の詩》においてはフィールドレコーディングされた多くの匿名的な声が「告白」を形作っていた。聴覚的に成立する、かかる匿名の声を、今日、可視化することも可能であろう。それはインターネットの書き込みだ。本来的に匿名的なインターネット上の発言もおびただしく集積する時、一種の社会的無意識を形作る。そしてこのような匿名の無意識がしばしば悪意と攻撃性に満ちていることを私たちは知っている。かつてベンヤミンは映画という新しいメディウムの出現に際して「精神分析によって欲動的無意識について知ったように、私たちは映画によって初めて視覚的無意識について知る」と述べた。新しいメディウムの登場は新しい無意識の成立を伴うとはいえないか。おそらくインターネットもまた人類がこれまでに経験したことのない新しいメディウムであろう。そしてそれによって増幅された匿名の無意識はかつてなくネガティヴな性格を帯びている。小泉の作品を前にして私たちが味わう困惑は、新しい集団的無意識、いわば「映像的無意識」への反応とはいえないだろうか。

by gravity97 | 2016-12-01 06:09 | 展覧会 | Comments(0)