Living Well Is the Best Revenge

tomkins.exblog.jp

優雅な生活が最高の復讐である

<   2016年 11月 ( 2 )   > この月の画像一覧

b0138838_23172877.jpg

 本書がしばらく前に刊行されていたことは知っていたが、読むまでに時間がかかった理由は、それぞれの章の原型となる論文について、既に『美術史』や大学の紀要で目を通した記憶があったためである。あらためて通読して、巧みに配置されたそれらの論文から個々の論文のみでは読み取ることの困難な、著者の意図をうかがうことができたように感じた。それは戦後アメリカ美術に新しい見取り図を与えるという発想であり、確かにこれまで見過ごされていた運動や美術家を取り上げ、作品を中心とした美術史観に立たない本書は戦後美術に対する新しい視野を提供する。しかしながら今述べた著者の野心的な企みが十分に実現されたかと問うならば、必ずしも成功していないというのが私の率直な感想だ。
 一読して明らかなとおり、そして著者もあとがきで述べているとおり、本書の特徴はマルセル・デュシャンという作家を主題としながら、デュシャンの作品についての記述がほとんど見受けられない点である。デュシャン研究の先例としては東野芳明の『マルセル・デュシャン』という大著が存在し、東野の研究が徹底して作品研究であったから、あえてこのようなスタンスをとったことは十分にありうるだろう。本書の原型となった博士論文が大学に提出された同じ年に平芳は勤務していた美術館で「マルセル・デュシャンと20世紀美術」という展覧会を企画している。カタログに収められたテクストはいずれも物足りないものであったから、著者としては本書と展覧会によって自身のデュシャン研究に一つの完結を与えようとしていたのかもしれない。
 序章と終章を除いて六つの章によって成立する本書においてデュシャンと対比される美術の動向は明確に名指しされている。第二章ではキュビスム、シュルレアリスムというフランスに由来する美術運動、第三章ではネオ・ダダ、第四章ではフルクサスとハプニング、第五章ではポップ・アート、第六章ではコンセプチュアル・アート、そして第七章では作家の死後に公開された《与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス》を中心に、本書では例外的に作品をめぐる議論が展開される。デュシャンと対比して論じられるこれらの動向の系譜は暗示的だ。いうまでもなくそれは一面ではパリからニューヨークへ、近代美術の王座の移譲を示唆しており、フランスに生まれ、1915年にニューヨークに渡ったデュシャンがかかる移動を体現しているとみなすことはあながち的外れではないだろう。しかしながら第三章以降で論じられる対象は近現代美術の正系と私たちが信じている作家や運動をみごとなまでに外している。すなわち本書においてクレメント・グリーンバーグが説いたモダニズム/フォーマリズムの系譜は一顧だにされない。したがって本書はデュシャンという補助線を引くことによって、戦後アメリカ美術の系譜をいわば裏側からたどる試みといえるかもしれない。フォーマリズムという正系に対する、かかる異端の系譜は果たして積極的な意味をもつのであろうか。
 個々の章について手短にコメントを加える。「記述するデュシャン/記述されるデュシャン」と題された第二章ではアメリカへのデュシャンの導入がキュビスムとシュルレアリスムという二つの運動との関係で論じられる。いうまでもなくデュシャンの名を広くアメリカの大衆に知らしめたのは1913年のアーモリーショーに出品された《階段を降りる裸婦》をめぐるスキャンダルであった。この作品自体、キュビスムというより未来派的な印象を与えるが、デュシャンをアメリカへ導入するうえでキュビスムと言う参照項は有効であった。私は本書を読んでデュシャンが1936年にニューヨーク近代美術館で開かれた二つの重要な展覧会「キュビスムと抽象美術」、「幻想美術、ダダ、シュルレアリスム」のいずれにも出品していることを初めて知った。しかしキュビスム、シュルレアリスムのいずれの側面を強調するかによってデュシャンの位置は微妙に異なる。さらに彼はいずれとも相容れない異物をすでにアメリカの美術界に投下していた。いうまでもなく1917年、ニューヨークのアンデパンダン展で発表(というか撤去)されたレディメイドの小便器《泉》である。この章においてはキュビスムとシュルレアリスム、そしてレディメイド-ダダイスムを暗示していることはいうまでもない-という三つ組みをめぐる美術界と作家のスリリングな駆け引きが分析され、さらにタイトルが示すとおり、デュシャン自身によるテクストも検討され、以後のデュシャンの活動を想起する時、重要な意味をもつ匿名性や科学性への志向が指摘される。
 ヨーロッパに起源をもつ「イズムとしての芸術」と関連してデュシャンの作品が論じられた第二章に続いて、第三章以降ではアメリカに由来する新しい美術とデュシャンの関係が分析される。まず俎上に上げられるのはジャスパー・ジョーンズとロバート・ラウシェンバーグというネオ・ダダの二人である。ネオ・ダダという呼称から明らかなとおり、この章で問題とされるのはダダイストとしてのデュシャンの位置である。平芳はデュシャン評価の軸が絵画のみならず、レディメイドをはじめとする一連のオブジェへと推移した状況を確認しつつ、デュシャンとダダイスムの関係を確認する。著者も述べるとおり、この変化にはアメリカにおけるダダイスムの再評価という歴史的背景があり、かかる状況にはヨーロッパ美術に通じた抽象表現主義の画家、ロバート・マザウエルとデュシャンが深く関与していた。デュシャンをダダと結びつけるのは単にオブジェのみならず、作品の制作を放棄してチェスに没頭したという一種の芸術家伝説であっただろう。ここでダダイスムの作家としてのデュシャンと対比されるのは、章のタイトルが示すとおり、画家としてのデュシャンである。50年代のデュシャンが画家とダダイスムの間で分裂していたとみなす時、両者を再び統合することがネオ・ダダの作家たちの役割であったという仮説が提起される。その傍証として示されたネオ・ダダの作品における「絵画性」の問題について私としてはなお論じたい点もあるが、ひとまず本書の議論を追うことにしよう。続く第四章で比較されるのはフルクサスの芸術家、そしてマルチプルの問題である。先に本書の各章には原型となった論文が存在すると述べたが、第四章は書き下ろしである。フルクサスとは60年代にドイツのヴィスバーデン、ニューヨーク、そして東京などで同時多発的に発生した、行為を作品として発表する文字通り「流動的な」グループであり、その起源としてジョン・ケージが位置づけられる時、デュシャンとの親近性も自ずから明らかであろう。両者の関係はヴォルフ・フォステルの「デュシャンはオブジェに芸術への資格を与えた。私は生活に芸術の資格を与えた」という言葉に端的に示されている。デュシャンとの関係はいわゆるフルクサス・キットとヴァリーズ(トランクの箱)の関係にも認められよう。(私はこの問題を先日物故した東京フルクサス、中西夏之が構想していた一つのプランと結びつけたい誘惑に駆られるが、匿名を前提としたこのブログではこれ以上その詳細を記すことはできない)ここで提起されたハプニングとフルクサスのイヴェントの区別も興味深い指摘である。しかしながらこの章の最後で、不確定性という概念をアリバイに論じられるフルクサスと抽象表現主義、ことにポロックのアクションとの接続は強引に感じられる。具体的な作品論を欠いているため、議論は抽象的で飛躍がある。作品論の欠落に由来する同様の飛躍、議論の抽象性はポップ・アートとレディメイドと関係を論じる第五章にも認められる。平芳はデュシャンが生活していた60年代のアメリカで「ポップ・アート」がすでに「アメリカ性」のアイコンとなっていたことを確認したうえで、通俗性と芸術の対比、さらに匿名性と芸術性の関係がレディメイドを参照しつつ論じられる。しかし当初単独の論文として発表されたためか、この章では平芳がデュシャンとポップ・アートのいずれを念頭に置いて論じているのか判然としない。ポップ・アートを介して新しいデュシャン像が浮かび上がる訳でもなく、デュシャンを口実としたいささか平板なポップ・アートの解説に終始した印象は否めない。もっとも本書がデュシャンと戦後アメリカ美術という二つの主題を二つの中心、いわば楕円として取り込んでいる以上、このような二重性は避けられないかもしれない。続く第六章ではコンセプチュアル・アートの作家、ジョセフ・コスースとフォーマリズムの批評家クレメント・グリーンバーグの関係が論じられている。大学の紀要として読んだ際には特に違和感はなかったが、本書の中に組み込まれるならば、ほかの章といささか乖離した印象がある。この章ではコスースが提唱するコンセプチュアル・アートが戦後アメリカ美術のドグマ、グリーンバーグのフォーマリズムをいかに相対化するかという問題が論じられる。形式に対して機能という概念を提案することによってフォーマリズムの限界が明らかにされ、モダニズムの自己批判や視覚性といった主題を介して、実はコスースの説くコンセプチュアル・アートとフォーマリズムのフレームが相似性を有していたと説く平芳の主張自体はおおいに興味深い。しかしなぜコスース、なぜコンセプチュアル・アートなのか。ネオ・ダダ、フルクサス、ポップ・アートと論じられてきた「フォーマリズム美術の裏側」を論じるにあたって、続いて参照されるべきはミニマル・アートではないか。レディメイドが本書の主要な論点となっている点から考えても、次に対比されるべきはカール・アンドレの煉瓦やダン・フレイヴィンの蛍光灯であり、ロバート・モリスが初期に明らかにデュシャンを意識した多くの作品を制作していた点も論究されてよいはずだ。実体的な作品を伴うミニマル・アートではなく、美術作品をメタレヴェルで問題とするコンセプチュアル・アートを対照項としたために、個々の作品ではなくデュシャンとフォーマリズム美術という審級の異なった問題が比較されることになってしまったように私は感じた。もちろん本書が全体としてグリーンバーグ流のフォーマリズムへの対案を提示することを一つの目的としていることは理解できる。しかし「コスースの位置、グリンバーグの位置」という章のタイトルが示すとおり、この章でデュシャンは後景に退き、実際にデュシャンについての言及はほとんど見当たらない。これを補正するかのように続く第七章では逆にデュシャンの作品と作家性が主題とされ、特にデュシャンが秘密裡に制作し、死後公開された「遺作」をめぐる伝記的事実、そして本書としては珍しい作品についての具体的な記述を通して興味深い議論が展開される。ここでは作品の帰属や美術館という制度、あるいは(レディメイドの作家による)視覚的複製の禁止といった、これまでのデュシャン論では十分に取り上げられることがなかった問題に論及され、ヴァリーズや大ガラスにも新しい観点からの分析がなされる。ことにレディメイドという手法によって生涯にわたって芸術の遍在性、作品の複数性を主張したかにみえたデュシャンが、晩年にたった一点の作品、フィラデルフィアに赴くことによってしか体験できない作品を密かに制作していたこと、網膜的絵画を批判した作家が意識的に眼差しを向けること(意識的にならざるをえない、なぜならば覗き穴を介した窃視の視覚であるから)によってしか知覚できない作品を制作したことの逆説はなんとも皮肉に感じられた。作品論から制度論までを包摂するこの章の射程は深く、本書において最も興味深く感じられた。
b0138838_23185663.jpg 著者は国立国際美術館で企画した展覧会のカタログにおいて、デュシャンの影響を受けた作家たちに対して Mirrorical Returns、鏡の送り返しという奇妙な言葉を使っている。逃走線やら係争点、本書において繰り返される独特の言葉遣いやチェスに関するアナロジーが少々鼻につくとはいえ(そもそもmirrorical なる言葉は語義的に存在するのか?)、この言葉は戦後アメリカにおけるデュシャンの影響が、鏡が鏡を映すような一種の無際限の自己言及に陥ったことを端的に示しているだろう。デュシャンとアメリカの戦後美術がお互いを無限の鏡像とする「鏡の送り返し」の状況にあるという平芳の見立てはおそらく正しい。問題はこのような連鎖が果たして生産的な意味をもちえたかという点である。端的に述べるならば、ここで一つの歴史として提示されるデュシャンの「衣鉢を継いだ」作家たちの作品は、グリーンバーグが提起したフォーマリズムに連なる作品に比べておおいに見劣りがするように感じられる。おそらくこの点は本書において作品論が巧みに回避されていることと無関係ではない。戦後アメリカ美術においてデュシャンとは作品を通してではなく作家として、より正確にいえば作家としての無為を通して神格化されてきたのではないだろうか。キュビスムがポロックのポード絵画を生み、ポロックの晩年の絵画がステイニング絵画へと昇華されるような「創造的な過程」はデュシャンの周辺には発生しなかった。デュシャンを「一人だけの運動」と読んだのは確かデ・クーニングではなかったか。ロバート・モリス、森村泰昌、ゲルハルト・リヒターといった重要な例外は存在するにせよ、私はかつて「マルセル・デュシャンと20世紀美術」で見た「デュシャン以降の芸術」の出品作品の大半が凡庸であったことを、本書を通読してあらためて思い出した。デュシャンとは作家たちにとって甘美な罠ではなかっただろうか。作品を作らずとも作家になれるという囁きは偉大な抽象表現主義の達成に圧倒された作家たちにとっては一つの救済に感じられたかもしれない。しかし偶然性とレディメイドを導入したネオ・ダダ、生活を芸術と読み替えたフルクサス、大量消費社会のアイコンとしてのポップ・アート、いずれの場合も作家たちをめぐるささやかなエピソードには事欠かないとはいえ、真に優れた作品を欠いていると考えるのは私だけであろうか。作家研究は必ずしも価値判断を伴わないかもしれない。とはいえ、平芳の言葉を借りるならば、「与えられたとせよ 1. 戦後アメリカ美術 2. デュシャン」という錯綜した場の可能性は、もう一度作品に立ち返って検証されてよいだろう。平芳は冒頭で本書の問題意識を次のように要約する。「戦後アメリカ美術という言説空間において、デュシャンはどのように受容され、回収され、消費されていくことになるのであろうか」デュシャンであればこう答えて私たちを煙に巻くはずだ。「答えはない。なぜなら問いが存在しないからだ」
by gravity97 | 2016-11-26 23:21 | 現代美術 | Comments(0)
b0138838_20583926.jpg

 ラテンアメリカ文学についてはこのブログでも何度もレヴューした。とりわけ今年は邦訳の刊行を鶴首して待っていたカルロス・フェンテスの大作「テラ・ノストラ」がついに訳出され、大きな興奮を味わったばかりだ。思うに日本におけるラテンアメリカ文学の紹介はこれまで三つほどのピークがあった。最初はピークというほどでもないが、「百年の孤独」に始まる名作群が新潮社の「新潮・現代世界の文学」シリーズと集英社の文学全集「世界の文学」をとおして堅調に翻訳された1970年代後半から80年前後の時期だ。早川良雄による前者の装丁と深緑色の後者の造本は強く印象に残り、実際にそれらは今も私の書斎の一角を占めている。何度も記すとおり、私が初めてラテンアメリカ文学に出会い、強い衝撃を受けたのは1980年、大学一年の夏にガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読んだ体験であった。それからまもなく日本にもラテンアメリカ文学のブームが到来する。1980年代中盤から90年代初めにかけてラテンアメリカ文学に関する二つの叢書、集英社版の「ラテンアメリカの文学」全18巻と現代企画室の「ラテンアメリカ文学選集」全15巻の刊行はまさに日本におけるラテンアメリカ文学受容の一つのピークをかたちづくるものであった。そしてこの数年、私はラテンアメリカ文学をめぐる三回目の関心の高まりが到来しているように感じる。具体的には水声社の「フィクションのエル・ドラード」、現代企画室の「ロス・クラシコス」といった個性的な叢書を介してスペイン語圏におけるこれまで比較的知られることのなかった作品、翻訳が待たれていた作品が次々に翻訳されている。先日も私は書店でかつて集英社版の「世界の文学」に収録されていたフリオ・コルタサルの「石蹴り遊び」が水声社から復刊されたことを知ったばかりだ。「ロス・クラシコス」の劈頭を飾るホセ・ドノソの傑作「別荘」については既にこのブログでも論じた。本書の著者である寺尾隆吉は「別荘」の翻訳者であり、そのほかにも多くのラテンアメリカ文学の翻訳を精力的に進めている。かつてラテンアメリカの文学といえば、鼓直、木村榮一といった翻訳者で知られていたが、翻訳者も世代が変わったということであろうか。
 日本でもラテンアメリカ文学に一定の受容があったとはいえ、これまでその全体を俯瞰する概説書はほとんど存在しない。唯一の類書は木村榮一の「ラテンアメリカ十大小説」(岩波新書)であろうが、タイトルが示す通り、それぞれの小説についての解説が中心となり、概観というには個別的であり、選ばれている作品のラインナップも今日ではやや古い。マルケスに関しては全集が刊行されているし、バルガス=リョサやルイス・ボルヘス、カルロス・フェンテスといった比較的紹介が進んでいる作家については作品の解説をとおして断片的ながらかなり多くの知識を得ることができるとはいえ、ラテンアメリカ文学を総体として理解するうえで、本書の刊行は画期的といえよう。私も多くの刺激的な知見を得ることができた。本書の意義をひとまず三つの点から論じておこう。
 まず一つはラテンアメリカ文学に歴史的な見取り図が与えられたことだ。本書ではラテンアメリカ文学の前史とも呼ぶべき20世紀以前のラテンアメリカの文学状況から説き起こし、いわゆるラテンアメリカ文学のブームの到来と消長を論じたうえで、未来を展望する時間軸が設定されている。私たちはこれらの小説を刊行された時系列とは無関係に、邦訳された順に読んできたが、本書によって初めてそれらがどのような時間的布置をかたちづくってきたかを知った。私はカルロス・フェンテスが1960年前後にラテンアメリカ文学そのものを牽引する重要な役割を果たしたこと、このブログでも取り上げ、寺尾がどちらかといえば批判的に論及するイザベル・アジェンデの「精霊たちの家」が「百年の孤独」のはるか後、1980年代に入って発表されたことにあらためて思い至った。寺尾に倣ってラテンアメリカ文学の通史を略述するならば、50年代から60年代にかけてアルゼンチンとメキシコの作家たちによって準備されたラテンアメリカ文学のブームは67年の「百年の孤独」の出版を一つの契機として一挙に爆発する。70年代にいたるやフェンテス、バルガス=リョサ、マルケス、コルタサルそしてドノソという五人組は次々に傑作を上梓して黄金時代を迎える。しかし70年代後半よりブームにも陰りがみえ、寺尾が「ベストセラー時代」と呼ぶブームの陰で一種の退廃と衰退が進行する。そして今世紀に入って新しい作家を得てラテンアメリカ文学は新たな展開の途につきつつある。このようなパースペクティヴが与えられるだけでも個々の作家たちについての認識はずいぶん深まる。
 同様の見取り図は空間に対しても与えられるだろう。後でも論じるとおり、ラテンアメリカ文学とは主にスペイン語によって執筆された多国籍文学であり、私たちは作家について確認することはあっても、国籍の違いをさほど気にしない。しかし本書によれば少なくとも初期においてラテンアメリカ文学の成熟を準備した土地はマルケスのコロンビアでも、バルガス=リョサのペルーでもなく、アルゼンチンとメキシコであったという。19世紀後半以降、アルゼンチンがとりわけエリート層の知的教養において世界屈指の国であったという指摘は興味深い。私たちは何の根拠もなく日本が文化や教育の分野でも先進国であると思いこんでいるが、以前より私は海外に行くたびに、少なくとも出版の分野で日本は相当な後進国であるという思いを強くしていた。本書の中に1958年にマドリードを訪れたバルガス=リョサがリマよりはるかに劣る文化的後進性に驚いたという記述がある。フランコ独裁下のマドリードはともかく、今日、日本が文化的なアドヴァンテイジを有していると考えることはナンセンスだ。書店の店頭に積まれたごみのような嫌韓本を見るだけでこの国の文化的劣等性は誰の目にも明らかではないか。アルゼンチンを代表する作家としてはまずボルヘスが挙げられよう。いわゆるラテンアメリカ文学のテイストとは異なる抽象的な小説で知られるモダニズムの極北のような作家が「第三世界」に出現したことは意外に感じられるが、この国の文化的風土の成熟を前提とするならば、何の不思議もない。ボルヘスがアルゼンチン幻想文学の系譜に連なるという指摘は示唆的である。モダニズムと幻想文学、通常であれば一致することがない系譜がボルヘスにおいては確かに結合しており、かかる伝統は(私は未読であるが)ビオイ・カサーレス、そしてコルタサルへとつながるという。それにしてもラテンアメリカ文学とは奇妙な呼称である。「国民文学」という概念が成立するかという問題はひとまず措くにせよ、ヨーロッパであればフランス文学やイギリス文学といった区別は存在するだろう。これに対して、彼の地では主にスペイン語が使用されているという理由によって、国を超えた壮大な広がりに対してラテンアメリカ文学という総称が与えられているのだ。本書を読むとこの理由もいくぶんかは推察することができる。つまり作家たちはそれぞれが属する国を超えた「ラテンアメリカ文学」というブランドを立ち上げることによって自らの小説に付加価値を与えようとした形跡がある。しかしひるがえって何がラテンアメリカ的であるのか。この問いに答えることは難しい。もちろん多くの者にとってそれは「百年の孤独」や「精霊たちの家」にみられる魔術的レアリズムであろうが、この一方でそこには「石蹴り遊び」の実験性や「遠い家族」にみられるゴシック・ロマンも共存している。果たしてそれをひとくくりにすることは可能なのか。後で触れるとおり、ラテンアメリカ文学はヨーロッパを鏡とすることなくしてはありえなかった。(この主題を小説として実現した作品が「テラ・ノストラ」である)アングロアメリカではなく、ヨーロッパとの強い紐帯は作家の多くがヨーロッパに長期滞在した経験をもち、それどころかラテンアメリカで小説家となるうえでは外交官となって時間的な余裕、あるいは身分的な保証を得ることが必要であったという現実も関わっているだろう。この結果、彼らは自分たちの他者性こそを自らの小説の主題とした。西欧に対する他者性という発想から浮かび上がるのはオリエンタリズムの問題であるが、私の考えではラテンアメリカ文学の豊饒さはオリエンタリズムの圏域をはるかに超えている。本書では十分に論じられていないし、新書の紙幅で扱うには大きすぎる問題であるが、ここで暗示されるモダニズム文学とラテンアメリカ文学の関係は今後も様々な角度から検証されるべきであろう。
 以上の問題とも関わっているが、本書を読んであらためて認識された三番目の問題は出版社やエージェントとの関わりである。今日でこそ、作家と出版社、エージェントの関係がしばしば話題となるが、本書で縷述されるとおり、ラテンアメリカ文学のブームは辣腕の出版関係者、エージェントの手によるところが大きい。文学賞や宣伝戦略といった作品の本質とはあまり関係をもたないとみなされている制度や手法をめぐって、きわめて巧妙な戦略がめぐらされ、本国ではなく旧大陸のスペイン、とりわけバルセロナの出版社やエージェントが深く関わっていた点が分析されている。驚くべきことに1970年前後、リョサとマルケス、ドノソは共にバルセロナに移り住んでおり、リョサとマルケスにいたっては1ブロック半の距離に居住して家族ぐるみの交友を続けていたという。1970年にアヴィニョン近郊で開かれたパーティーで今挙げた「ブームの五人組」は顔を揃えた。彼らが全員同じ場に集まったのはこの時だけであるという。かかる蜜月がヨーロッパを舞台としていたことは暗示的だ。腕利きのエージェントの売り込みがあったとはいえ、ラテンアメリカ文学が勃興するうえでは旧大陸の支持、具体的にはヨーロッパにおける出版社との関係が決定的に重要であった訳である。今触れたモダニズム文学との関係でいえば、フランスのヌーヴォーロマンに象徴される現代文学の貧血状態が明らかとなった1960年代にラテンアメリカ文学が注目された地政学的な意味も今後さらに検討されてよかろう。
 ひとまず歴史、空間、制度という面から本書について論じたが、本書はラテンアメリカ文学をめぐるエピソードの集積としても十分に楽しめる。あとがきによれば、本書は著者が大学のサバティカルでマドリードに滞在中、ラテンアメリカ文学のブームの当事者たちと親しく交わる経験をもとに構想されたものであり、確かに当事者でなければ知りえないエピソード、あるいはそれぞれの作家についてのかなり辛辣な月旦が随所に見受けられる。ラテンアメリカの作家たちの関係は常に良好であった訳ではない。ラテンアメリカ特有の軍事政権、独裁政権と作家たちとの関係は微妙な影をそれぞれの作家たちに落としている。ラテンアメリカでは多くの革命と反革命が発生した。チリの9・11、ピノチェットの軍事クーデターがドノソに、あるいはイザベル・アジェンデに与えた影響についてはそれぞれこのブログで論じた。CIAに後押しされたピノチェットの反革命に対しては等しく批判を加えた作家たちも、キューバにおけるカストロの革命の評価においては態度を違える。キューバ革命政府による詩人エベルト・パディージャの逮捕と弾圧に対して正面から批判を加えるバルガス=リョサ、なおも革命へのシンパシーを隠さぬマルケスの間には断絶が生じた。以前、やはり寺尾が翻訳し、このブログでも論じた「疎外と叛逆」の中でも触れられていたが、1976年にメキシコシティで開かれた映画の試写会の場において、リョサは笑顔で駆け寄ってきたマルケスを殴り倒す。ブームの終焉を画する事件であり、現在にいたるまでその原因は明らかにされていないが、キューバ革命についての評価が一因であることは間違いない。それにしても中上健次ならばともかく、ノーベル賞作家同士が殴り合うというマッチョな風景はラテンアメリカ文学ならではといえよう。
 この事件を境としてラテンアメリカ文学は次第に退潮する。マルケスをはじめ何人かの作家たちは政治化して、文学から離れてジャーナリズムや政治的発言へと接近し、多くの作家がこれ以後、回想録を執筆したこともかかる衰微の兆候と寺尾はみなしている。80年代以降も旺盛な執筆力を示すバルガス=リョサとフェンテスを除いて、ブームをかたちづくった作家にかつての勢いはない。そして21世紀に入ってラテンアメリカ文学を象徴する二人の巨人、マルケスとフェンテスが鬼籍に入ったことは知られているとおりだ。結果的に本書はラテンアメリカ文学をめぐる一種の盛衰史として読めなくもない。果たしてラテンアメリカ文学は20世紀文学の特異なエピソードして終わるのであろうか。「新世紀のラテンアメリカ小説」と題された最後の章で、寺尾は新しい才能としてチリのロベルト・ボラーニョについて論じる。2003年に50歳で早世したボラーニョについて寺尾はやや厳しい評価を下しており、まだポラーニョを読んだことのない私はこの判断の当否について論じる立場にない。ボラーニョを含めてこの章で論じられた作家について、私は近いうちに読んでみるつもりであるが、本書ではこのほかにも実に多くの作家、魅力的な作品についての言及がなされている。嬉しいことにはその多くは未訳である。ラテンアメリカ文学の豊かな鉱脈はまだしばらく尽きることはないことを確信しつつ本書を読み終えた。
by gravity97 | 2016-11-01 21:04 | 海外文学 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック