<   2016年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

b0138838_15445261.jpg 私はなぜ紀行文を愛好するのだろうか。このブログにおけるエントリーこそ少ないが、私は見知らぬ地を訪れた印象を記した文章が大好きなのだ。ロレンス・ダレルのコルフ島滞在記、中沢新一のバルセロナ紀行、チャトウィンのパタゴニア旅行記、これまで私は多くの紀行文に親しんできた。おそらくそれは何かに帰属することを好まないという私の気質によっているかもしれない。大学であろうと美術館であろうと私は一つの場所に留まることが好きではないし、所属する組織に帰属意識をもったことなど一度もない。私が四方田犬彦の一連の紀行文を好むのは四方田の生き方への憧憬があるのかもしれない。最近、河出文庫より増補されて再刊されたニューヨーク滞在記『ニューヨークより不思議』に次のような一節がある。

 いつ頃からだろう。旅と旅の境目がつかなくなり、一つの旅のなかにもう一つの新しい旅が、さらに次の旅が胚胎されるようになってしまったのは。日本への帰国はしだいに、この切れ目のない旅の途中にときおり刻みつけられた分節点の様相を呈するようになってきた。(中略)体力の自然の衰えを考えるとそういつまでも続けられるわけがないとは思いながらも、実のところ、無意識のうちに、自分の来たるべき亡命先を探しているのではないかという気がしてくる。

 さすがに私はこの境地まで達することは出来ないが、亡命先を求めて旅から旅を続ける姿勢にはおおいに共感する。本書は1979年から2014年まで、世界各地を訪れた33篇の比較的短い紀行文によって成立している。私は四方田がこれほど多くの土地を訪れていることにあらためて驚いた。というのは、同じ著者の著作を読み継いできた私は四方田がこれ以外にも多くの土地に長期にわたって滞在したことを知っているからだ。このあたりの事情を著者は次のように説明している。「わたしの書きものの中でも『モロッコ流謫』や『台湾の歓び』といった長編のトラヴェルエッセイがコンセプト・アルバムであるとするならば、33の短編からなるこの書物はさしずめ、シングル盤コレクションに似ているかもしれない」今回のレヴューでは四方田のほかの紀行や土地に関するエッセーにも触れながら若干のコメントを加えたいと思う。
 本書は編年体によって構成され、いずれの章も年記と土地の名のみが掲げられている。最初の章は「ソウル 1979」、そして最後の章が「ノーンカーイ 2014」である。ソウルはともかく、ノーンカーイとはどこか。そこがタイの国境の町であることは読み進めてようやく理解される。本書の特徴の一つは語られる土地が一見アト・ランダムに選ばれていることだ。ナポリ、テヘラン、ラサであれば私たちは漠然と土地についての知識をもっている。しかしカメドン、ウルル、テレジンであればどうか。それらの土地がイギリス、オーストラリア、チェコに帰属することを直ちに言い当てることができる者は多くないはずだ。土地も目的も、同行者や面会相手も全く異なったいくつもの紀行は旅行者としての著者を唯一の接点としてつなぎ合わされていく。
 最初の章の舞台がソウルであることは理解できる。四方田が最初に海外の大学で教えた経験はソウルの建国大学校であり、ソウルの経験を四方田は『われらが〈他者〉なる韓国』というエッセー集にまとめている。彼が滞在していた時期、独裁者であった朴正熙が暗殺されたことによって引き起こされた混乱についてはこのエッセー集の中で読んだ記憶があるが、本書の最初の章でも触れられている。ここでは暗殺事件の直後に教え子の女子大学生とフランス料理を共にするエピソードが語られるが、四方田の紀行の魅力は多く現地における食の記憶と関わっている。これに関しては同じ著者による『ひと皿の記憶』と関連させてこのブログでも論じた。そういえば『ひと皿の記憶』には北朝鮮、ピョンヤンにおける貧しい食事の記憶が語られていたのではなかったか。私も旅、あるいは外国での滞在の記憶はしばしばそこで食べた料理の記憶と結びつく。ベルリンでギャラリストに連れられて行ったイタリア料理の美味であったこと、真冬の街頭、ソウルの屋台で駆けつけに注がれた熱いスープ、今はなきワールド・トレード・センターの最上階のレストラン、ウインドウ・オブ・ザ・ワールドにおけるキューレーターたちとの会食、必ずしも豪勢な料理である必要はない。おそらくこれらの料理が記憶に残るのはそれらが旅と同様に一回的な経験であり人生の中で二度と反復されることがないからではなろうか。
 さて、本人が述懐するとおり、四方田はこれまでも何冊かの「コンセプト・アルバム」つまり一つの場所に拘泥した長編のエッセーを発表している。私が読んだものだけを列挙しても1987年のニューヨーク、コロンビア大学への留学を機に執筆された『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』(ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を引いていることはいうまでもない。先にも述べた通り、これに2015年のニューヨーク滞在の紀行を加えて近年『ニューヨークより不思議』として河出文庫から刊行された)、そして長い滞在というより数度にわたる渡航を背景に執筆され、1999年に刊行された『モロッコ流謫』、そして「パレスチナ・セルビア紀行」というサブタイトルとともに2005年に発表された『見ることの塩』、さらに紀行というより自らの住まう地に関する紀行的エッセーであるが1996年の『月島物語』といった系譜だ。台湾の滞在記である『台湾の歓び』については未読であるが、今タイトルを挙げた一連の著作を私は既に読んでいる。このうち『われらが〈他者〉なる韓国』は韓国を主題としているとはいえ雑多な機会に発表された文章がまとめられているからまとまりがない印象がある。逆に『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』はニューヨークで活動する東アジア人というかなり限られたテーマを設定しているため、エッセーに膨らみがない。四方田の紀行文のうち、私が深い感銘を受けたのは『モロッコ流謫』と『見ることの塩』であるが、両者は紀行文として対極に位置するように感じられる。二つの紀行の冒頭を書き写してみよう。
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 マドリッドを発った飛行機は、雲を突き抜けてしばらくすると、ゆっくりとした運行に入る。窓からは白い雲のあいだに、ちらちらと赤茶色の山並みが見える。握られた拳のようなイベリア半島の一番南、比喩を用いるならば小指の根元にあたるリバル山地のうえを、機は横切ろうとしている。

 イスラエルは既にドゴール空港を出発するときから始まっていた。ベン・グリオン空港へと向かうエール・フランス機に乗るため、二時間前に空港に到着すると、この便に乗る乗客たちだけが隔離され、他から離れた地下のチェッキング・カウンターのところに連れていかれた。ここですべての荷物がX線で調べられた。搭乗券を受け取って控え室に向かうと、もう一度荷物の検査があった。

 いずれも目的地に向かうフライトについての描写であるが、期待と緊張、その差異は明らかであり、この対比は二つの紀行を通底するモティーフと関わっている。『モロッコ流謫』はタイトルが示す通り、彼の地に流謫された人々をめぐる物語だ。ポール・ボウルズ、ジャン・ジュネ、ウィリアム・バロウズ、石川三四郎、そして表紙を飾るアンリ・マティス。あなたはこれら流刑の徒のうち、何人を知っているだろうか。モロッコを訪れるたび、四方田は焦点をあてる人物を違えて、いくつもの魅惑的なエピソードが語られる。中でも私が感銘を受けたのはモロッコ大使を務めていた折に四方田を歓待した三島由紀夫の兄、平岡千之という人物との交流である。貴族的な血統、スノビッシュな学識をもちながら、世界に対してシニカルで一種破滅的な達観を漂わせたこの人物は実に興味深く、モロッコという猥雑な土地との対比も鮮やかだ。両者は一種のエピキュリズムにおいて融合する。一方の『見ることの塩』はどうか。「私の見ることは、塩である/私の見ることには、癒しがない」という高橋睦郎のアフォリズムをタイトルとするこの紀行は2004年という同じ年にパレスチナ(正確には四方田が籍を置いたのはテルアヴィヴ大学であり、イスラエルである)とセルビア(同様に正確には四方田はベオグラード民族学博物館に籍を置いた)という二つの土地に文化庁の文化交流使として派遣された際の印象を記したものである。中東と東欧、地域こそ異なるがいずれもきわめて苛酷な土地、憎しみが人々を支配している地域である。あらゆる建物の前でガードマンが訪れる者を誰何し、巨大な壁が生活を分断する都市。名高いホテルが廃墟と化し、「民族浄化」の痕跡がここかしこに残る街。いずれの地においても四方田は現地の映画関係者を訪ね、宗教儀礼や歴史的遺物へ関心を向ける。興味深いことにはこの筆者の紀行としては珍しく、料理に関する言及がほとんどない。例外的に終章で二つの土地の共通点として、人々がブーレカと呼ばれる小麦粉を焼いた軽食を食べていたという記述があるが、マグレブ料理の異国趣味やボローニャの賑やかな田舎料理のとはかけ離れた質素な料理についての短いコメントは食もまたこれらの地では厳しいことを暗示しているかのようだ。通常の旅行記にみられるエキゾチシズムもオリエンタリズムも全く欠いた二つの土地の紀行は、それゆえ私に土地と生という問題についての反省を促した。本書にまとめられた多くの紀行は悦楽と禁欲、豪奢と索漠において二つの極をかたちづくるこれら二つの紀行の中間に位置する。ハバナやエクス・アン・プロヴァンスをめぐる旅は前者に近く、テヘランやチェジュドをめぐるそれは「癒しがない」。そして四方田の関心をプリズムとして様々な主題や人々が浮かび上がる。カルナック(エジプトではなくフランスの地名だ)やサルヴァドール、そしていうまでもなくルルドをめぐる紀行では宗教学者たる四方田は彼の地における宗教儀礼について思いをめぐらし、バーニョ・ヴィニョーニや鶴崗といったおそらく読者が初めて聞く土地に関して土地固有の映画的記憶が論じられる。ハバナでは国外脱出を望む女性に誘惑され、コロンボにおける美術史家若桑みどりとの邂逅をめぐる一章は爆笑を誘う。最初に土地がアト・ランダムに選ばれていると記したが、おそらく本書で言及される土地になんらかの共通点を求めるならば、大都市や観光地を避け、多くが地名を聞いてもどの国に位置するか判然としない小さな町への旅や逗留について記されている点であろう。交通や宿泊において決してアクセスが容易でない土地への偏愛はパレスチナやコソヴォといった苛烈な記憶が刻まれた土地をも旅したタフな旅行者たる四方田ならではのものであろう。さらにもう一点、私が注目するのは本書において今日のIT環境への言及がほとんど認められない点である。もちろん今日、四方田とてフライトや宿泊の手配においてはインターネットを活用しているに違いないし、まだインターネット環境が整備されていなかった90年代中盤まで、そしておそらく通信環境が整っていない辺境への旅は今なおITとは無関係であるかもしれない。しかし私は著者の姿勢に「グローバリズム」に対する静かな拒絶を感じるのだ。今日、世界のどこにいようと私たちは別の場所についての知識を得ることができる。いうまでもなくグーグルアースはこのような欲望を機械的に実現したものだ。グローバリズムとは世界を平準化し、最も安い賃金で生産した製品を最も高額で消費される地域へともたらすシステムの謂である。かかる世界観の下では、価値観を違えた複数の世界が存在してはならない。グローバリズムの進展とインターネットの整備が同期したことは必然的な理由を伴っている。しかしグ-グルアースを介して私たちはよりよく世界を知りうるだろうか。おそらく否である。私たちが別の土地を真に知るためにはそこに出かけて、身体をとおして「土地の精霊」を感受する以外に方法はない。本書がインターネット上にあふれかえる薄っぺらの「旅行記」と本質的に異なるはまさにこの点である。
 書名とされた「土地の精霊」とはラテン語でいうゲニウス・ロキのことだ。いかなる土地にもその土地固有の精霊が宿り、私たちは土地の歴史や風土を通じてこれらの精霊と見(まみ)える。私たちは旅をすることなしにゲニウス・ロキを知ることはない。大学で比較文学を専攻した四方田が論文のテーマとして選んだのがスウィフトの「ガリバー旅行記」であったことは本書の主題と深く関わっているだろう。あるいは四方田が偏愛するルイス・ブニュエルや中上健次といった表現者たちが生涯において何度か移動を繰り返したことも連想されよう。ブニュエルにおいてはメキシコ、中上においては韓国がいわば他者として彼らの表現の転回を促した。グローバリズムにおいて他者は収奪の対象でしかないが、これに対して彼らは他者に身を差し出し、身を預けることによって自らを刷新した。単なるツーリズムではなく、自らの内面を変える契機としての旅。「土地の精霊」と出会う旅の本分はおそらくはこの点にあるだろう。
by gravity97 | 2016-05-29 15:52 | 紀行 | Comments(0)
b0138838_1616488.jpg 遅ればせながら、賛否分かれる話題の展覧会、東京都現代美術館における「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」を訪れた。なるほどいくつもの問題をはらんだ展覧会である。MOTアニュアルは1999年以来、若手を中心に現代美術を紹介する目的で開催され、毎回、テーマを設定している。今回はタイトルが示すとおり、「キセイノセイキ」がテーマである。カタカナで表記されている点は規制/規正、世紀/性器といった多重的な意味を暗示しているだろう。(出品作品に性的な暗喩を含んだ作品はほとんどないが、会期中に「ろくでなし子」事件の判決が出たことを記録に留めておきたい)後でも触れるとおり、この展覧会はテクスチュアルな参照を欠いており、4月中旬の刊行が予告されていたにもかかわらず、私が訪れた時点でもカタログは発行されていなかった。展覧会の趣意をフライヤーから引く。

 今の社会を見渡すと、インターネットを通して誰もが自由に声を発することができる一方で、大勢の価値観と異なる意見に対しては不寛容さが増しているように思われます。表現の現場においても、このひずみが生み出す摩擦はしばしば見受けられます。そうした中で、既存の価値観や社会規範を揺るがし問題提起を試みるアーティストの表現行為は今、社会や人々に対してどのような力を持ちえるでしょう。

 表現の現場における摩擦といえば、昨年同じ美術館で開かれた「ここはだれの場所?」における会田家の作品に対する自己「規制」問題が直ちに連想されようし、それであればこの事件と展覧会の関係が興味を引くところであるが、この問題についてはいかなるレヴェルでも触れられることはない。さらにこの展覧会は東京都現代美術館と「アーティスツ・ギルド」という組織との「協働企画」として企画されたとの文言があり、フライヤーの裏面には「アーティスツ・ギルド」についての簡単な説明が記されている。「AGはアーティスト自らが立ち上げた芸術支援の新しい可能性を模索する社会実験の一形態です。2009年に制作や展示における個々の経済負担の軽減を図るために映像機器の共有システムを立ち上げ、2013年に合同会社AGプロダクションを設立し、展覧会や関連イベントの映像記録を請け負っています。アーティスト個々のアプローチとはまた違う、会社組織としても芸術に関わっていくことを実践しています」とのことだ。アーティスツ・ギルドに所属する作家の多くがこの展覧会に出品しているらしいから、「協働企画」というのもわからないではないが、例えば作家の選択といった展示の根幹に関わる部分がどのように決定されたかよくわからない。私の持論であるが、展覧会においてカタログは決定的に重要である。展覧会はエフェメラルであるが、残されたカタログによって私たちは展示の意味を検証できるからだ。フライヤーによれば「展覧会公式カタログ」はtorch press という版元から刊行とのことだ。私の記憶ではこれまでMOTアニュアルのカタログは東京都現代美館によって発行されていたから、なぜ変更されたのであろうか。昨年、美術館の自己検閲問題を引き起こした「ここはだれの場所?」においても展覧会が開かれていた時期にカタログは刊行されず、先般カタログではなく「記録集」が発行された。この「記録集」は送料を負担すれば無料で頒布されるとのことであったから、私も早速取り寄せて読んでみた。これについてはここでは触れないが、なぜ美術館が主催した事業のカタログを自館で発行することができないのか。これらの展覧会におけるカタログの迷走については美術館側からなんらかの説明があってもよいのではないだろうか。
b0138838_1617589.jpg 最初からいくつかの批判を加えた。実際にこの展覧会に関して、これまでに目を通したレヴューは多く批判的であったが、私はこの展覧会が開催されたことを評価したい。この展覧会がどの時点で企画されたかはわからないが、昨年の検閲事件の後にあえてこのようなテーマを選んだことに企画者の問題意識を認めるからだ。結果的には相当ぶざまな内容となったかもしれないが、MOTアニュアルは特にテーマに制限を有していないから、もっと穏当で非政治的な主題を選ぶことも可能であったはずだ。実際に私の記憶の及ぶ限り、これまでこのアニュアル展で今回に類した主題が扱われたことはなかった。おそらく現場の学芸員の強い問題意識、さらにいえば危機感がこのようなテーマを導き出したのだろう。しかし私の得ている情報によれば、館の上層部、それも学芸サイドからの圧力によってかかる可能性は再び無残にも摘み取られてしまった模様だ。したがってここでは実現されなかったプランも含めて、この展覧会をその可能性のうちに検証したいと考える。
 まずは会場に並べられた作品を確認することから始めよう。カタログが存在しないため、すべての作品について詳細に記述することはできないし、私の記憶の誤りがあるかもしれないことを最初に申し添えておく。入口ではスミノフというウォッカを酒瓶に直接口をつけて飲み下す制服姿の女子高生の姿がプリントされた齋藤はぢめの作品が私たちを迎える。私はこの作家についてはほとんど知らないが、幕開けにふさわしい挑発的なイメージである。続けて展示された古屋誠一の作品を私は懐かしく感じた。(実は私は順路を間違えており、古屋の作品は展示の最後に位置する。確かにその方が展示の起承転結が明確だ)古屋の作品については、かつて作家の評伝と作品論が一体化された小林紀晴の『メモワール 写真家・古屋誠一との20年』について、このブログの「評伝・自伝」のカテゴリーで論じたことがある。是非そちらも参照していただきたいが、被写体は自死した妻のクリスティーネであると記せば、この展覧会の主題との関連性は明らかであろう。しかも今回展示された三点のうち一点は、投身自殺を遂げた直後のクリスティーネのポートレートなのである。若手でもないこの作家をあえて展示に加えた点に企画者の批評性が感じられる。続く藤井光のインスタレーションもきわめて批評的、自己言及的な展示である。会場には空のショーケースと空のガラスケースが並び、キャプションのみが添付されている。インターネット等で収集した情報によれば、このインスタレーションは東京大空襲の追悼と戦争の記憶の継承を目的に設立が計画されながらも戦時の加害記録の扱いをめぐって議会で紛糾し、現在にいたるまで凍結されている平和祈念館に収められるべき映像や戦災資料を文字通り不在として表象するものであるらしい。ただし会場の展示と掲示からかかる意味を読み取ることはかなり難しい。この展覧会に致命的に欠落しているのはテクスチュアルな補助である。カタログもない、作品に関する説明的な掲示もない。会場で配られていたA3一枚のハンドアウトにしても、私は受付で要求してようやく入手した。不親切というより、むしろ意図的な欠落であるようにさえ感じられるのだ。《爆撃の記憶》と題された藤井の作品の場合、今述べたとおり、ケース内には無数のキャプションが配置され、それによって来場者はそこに展示されるはずであった内容を推測するのであるが、会場で上映されていたそれらのキャプションを配置するボランティアたちの映像はこの作品にとってどのような意味があるのか私には理解できなかった。単に私が見落とした可能性もあるが、誰が、誰の指示によって、いかにしてキャプションを配置したかはこの作品の根幹に関わると思うのだが、十分な説明がなされていない。さらにこの会場に不在であったのは展示されるべき資料、あるいは作品についての解説のみではなかった。なんと展示されるべき作品もまた美術館側の自己「規制」、端的に検閲の結果、館外へと追放されていたのだ。排除されたのは小泉明郎の《空気》という作品だ。小泉はこの展覧会に《空気》と《オーラルヒストリー》という二つの作品を出品する予定であった。20世紀前半に東アジアでどのような事件が起きたかを問われた人々が、口々に応答する様子(口元のみが撮影されているため話者を同定することはできない)を記録した後者は確かに会場で上映されていた。しかし前者は配布された「作品解説」の中にタイトルも示されているにもかかわらず会場には存在せず、確かキャプションのみにスポットライトが当てられていたように記憶する。しかし幸いにも私は当初展示が予定されていた《空気》を別の会場で見ることができた。この作品、そして美術館による検閲は本展の本質と深く関わるから、後で詳しく触れることとして、ひとまず会場めぐりを続けよう。続く小部屋には明治期から第二次大戦にいたるまで「内務省警保局」が編集した「禁止単行本目録」が置かれている。規制や検閲とかかわる内容であるとはいえ、私の見た限りではこれらの資料にも説明がなかったから、なぜこれらの資料がここに配置されているのか理解できない。これらの資料から私はかつて森村泰昌がディレクターを務めた横浜トリエンナーレにおいて展示されていた、戦時中の一連の翼賛的な書籍を連想した。横浜の場合、それは本来存在してはならない書物という意味で「華氏451度」という展示のテーマとみごとに呼応していたが、今回、これらの資料はあまりにも唐突に出現し、意味不明であった。橋本聡の展示は自らのパフォーマンスの記録と来場者にアクションを促す一連のインストラクションによって構成されている。例えば角材を倒す、光を反射させるといったインストラクションが時折来場者によって実行されていたが、何かに切りつけよというインストラクションとともに壁に設置された出刃包丁は、来場者の安全に配慮してという美術館側のコメントとともにアクリルの箱に密封され、室内を仕切る金網のフェンスの傍らにはそれを乗り越えるにように唆すインストラクションとやはり「安全のために」乗り越えることを禁止する美術館による警告がともに傍らに掲出されている。いずれもダブルバインド的な状況が生み出されているのであるが、私はこの状況は作家と美術館のなれ合いのようにしか感じられなかった。そもそもこれらのインストラクションは既視感が強く、ヨーコ・オノ、マリーナ・アブラモヴィッチ、エイドリアン・パイパーらの作品が直ちに連想される(ここで名前を挙げた作家がすべて女性である点は暗示的である)。作家は自らが示したインストラクションが美術館側に拒否された時点ですべての作品を撤去すべきではなかったか。インストラクションの必然性というか真剣味が感じられないのだ。このタイプの作品にとって作家の態度は死活的に重要なはずだ。一方で美術館側も「安全」という誰もが批判できない理由によって作家の提案を一方的に拒絶しつつ、わざとらしい警告を掲示して作家の意図を不十分ながら反映させたというポーズをとっている。美術館の側に作家の提案を真剣に検討した形跡はなく、アリバイの捏造に汲々としているが、作家の側もかかる中途半端な展示で満足している。いずれにもプロフェッショナリズムが欠落している。横田徹の作品は私たちが中立的とみなしている映像の恣意性を露呈させて興味深かった、すなわちパレスチナやアフガン戦争、リビア内戦といった、今日生々しい暴力が露呈する地域の映像を映示しながら、横田はそこにいくつかの検閲のレヴェルを設ける。すなわち中学生向けと高校生向けという二つのブースを設えて、教師たちのアドバイスに従って中学生でもアクセスできる映像と高校生であればアクセスしてよい映像を対比する。結果として、中学生向けのブースではそれらの地域で人々が日常的に触れる多くの情景、すなわち、武器の使用、爆発、戦闘や負傷者のイメージは検閲されて映示されない。高校生のブースではこの基準は緩和されている。いうまでもなくここにおけるスクリーニングはきわめて恣意的である。そして私たちは同様の映像のスクリーニングが現実においても遂行されているであろうことに気づく。映画におけるR18指定はわかりやすい例であるが、私たちが通常の報道において目にする事実も検閲を介して私たちに届けられる。この点においても先に言及した2014年の横浜トリエンナーレの主題はこの展覧会と密接に関連している。そして美術館における展示もまたこのようなスクリーニング、検閲の結果、許された範囲における展示でしかないことを先に触れた小泉や橋本の作品はまさに身をもって明らかにしている。中学生に死体を見せてはならない。それでは死者を撮影することは許されるかという問いは冒頭(実は展示の最後の)古屋の作品へと回帰する。
 すべての作品に触れることができなかったが、ひとまず私たちはこの展覧会に出品されている主な作品について論じた。しかし展示はこれで終わりではない。この展覧会が現実に「規制」した作品を確認するため、私たちは美術館から歩いて10分ほどの距離にある無人島プロダクションのギャラリーで開催されている「空気展」に向かおう。この展示が実現にいたった経緯はわからないが、会期は4月29日から5月15日までであるから「キセイノセイキ」と重なる日数はさほど多くない。私にとって二つの展示を訪れ、美術館が排除した作品を実見することができたのは幸運であった。思わせぶりな書き方は嫌いだから《空気》とはいかなる作品か端的に説明しよう。それは天皇の不在による天皇の表象だ。園遊会や被災地の訪問、明らかに天皇が臨在する場を再現しながらも天皇の姿のみがかき消された一連の集団ポートレートはきわめて興味深い問題を提起する。常に中心に存在しながら不可視化された存在は現実における天皇を暗示しているかのようだ。修辞に黙説法(レティサンス)という技法がある。あえて語らないことによって語られない対象を意識させ、強調する手法であり、ここでは当然画面の中心にいるはずの天皇が存在しないことによってかえって際立つというかなり高度な表現である。もし美術館による検閲がなかった場合、この作品は先に触れた《オーラルヒストリー》という映像作品の傍らに並べられていたはずだ。そして二つの作品の対比はこれらの作品の意味を理解するうえで重要であろう。《空気》が対象の不在によって特徴づけられるのに対して、20世紀前半のアジアについての具体的な言及を促す《オーラルヒストリー》は匿名の証言者の存在を前提としている。視覚的不在の前者と聴覚的存在の後者を対比してもよかろう。いうまでもなく20世紀前半のアジアにおいて昭和天皇裕仁は暴力の起源であった。現天皇明仁による園遊会における慰労、避難所における慰撫との対照は明らかであり、《オーラルヒストリー》の中でしばしば繰り返される国家主義的で攻撃的な言葉(このため同じ作品が韓国で発表された際には「検閲」があったと聞く)と不在の対象を取り囲む、時に和やかな、時に感謝に満ちた家族主義的な情景もまた対照的だ。二つの作品の間にかかる対立はいくつも組織することができようし、隠喩と換喩といった記号論的な観点からの分析も可能であろう。しかしいうまでもなくそれは私がたまたま二つの作品を異なった会場で見ることができる時期に美術館を訪ねたからであり、この作品を追放した「キセイノセイキ」の会場ではかかる思考が触発されることはない。美術館自らが作品の意味を破壊しているのだ。「空気展」の会場には作品の検閲をめぐる経緯についての小泉自身のコメントがテクストとして置かれていた。まさか現代美術館のスタッフを慮ってではなかろうが、会場閲覧用しか準備されておらず、持ち帰り可能なハンドアウトが配布されていなかった点は不審に思われた。私の見落としかもしれないが、今のところインターネット上でも作家のコメントを読むことはできないようだ。それを読めば、かかる検閲は行政的あるいは官僚的な判断ではなく、学芸課長によってなされ、おそらくは担当学芸員が作家と美術館の板挟みとなって苦労したことが理解できるからだ。そもそも無人島プロダクションに展示されていた作品は、美術館が検閲しなければならないほどの過激な政治性を有しているだろうか。この展覧会に出品するにあたって小泉が周到な戦略を立てたことは明らかであり、それゆえ視覚的黙説法と複数の語りという対比が意図的に採用されたのである。天皇は表象されず、暴力は視覚化されていない。私は学芸員たちが理論武装すれば、たとえ外部からの攻撃があったとしても展示室で《空気》の展示を続行することができたと考えるし、それだけの深みを備えた作品であるように感じた。それは美術館の義務であり、同様の事例に際して学芸員が職を辞したことは欧米ではいくらでもあったと記憶している。美術館の撤去要請に対して、作家が拒絶するというケース、例えば昨年の会田家のような事案であればまだ理解できる。今回のように美術館の側がなにものかの意志を忖度し(一体何を恐れたのだろう)、作品の展示を「自粛」するという事例はスキャンダル以外のなにものでもなく、戦争に向かうこの国にふさわしいエピソードである。私が訪ねた時、同じ美術館ではピクサーというアニメーション・スタジオの展覧会が同時に開催され、入場待ち2時間以上というとんでもない行列ができていた。大量動員をもくろんで外部から持ち込まれた企画が隆盛する一方で、学芸員が真摯に企画した展示からは要となる作品が学芸責任者の手によって撤去される。まことに今日の美術館の退廃を象徴する風景といえよう。

追記 28/5/16
ブログの中で私は橋本聡の作品にどちらかといえば批判的に言及したが、今回の展示をめぐっては展示されている作品とは別に以下のような葛藤があったことを知った。私が微温的とコメントした今回の橋本の作品は以下のような経緯を含めてその意味を問われるべきであると考えるので、あらためて追記しておきたい。
http://xxxmot.artists-guild.net/aida/
by gravity97 | 2016-05-22 16:32 | 展覧会 | Comments(0)

室井尚『文系学部解体』

b0138838_16523465.jpg 今や全てが暗転しつつあるこの国の一つの断面を鮮やかに浮かび上がらせるレポートを読んだ。本書は近年の日本の知的な環境の質的劣化を主題としている。しかしかかる状況は一般にはほとんど知られていない。それが大学という閉じられた世界の中で進行しているからだ。冒頭に著者は次のように書きつける。「世間の人たちはこのような大学の変化にまったく気づいていないといってもいいだろう。というよりも、今回の事件が起こるまでだれも大学のことなんか少しも気にかけていなかったのだ」私は私たちの日常と大学のかかる断絶もまた今日の知的状況の一端を暗示しているように感じる。「今回の事件」とは昨年の6月8日に、首相の盟友、文部科学大臣、下村博文によって全国の国立大学に対して行われた「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通達である。その中では「教員養成系や人文社会学系の学部、大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めること」が要請されていた。さらにこの通達の一週間ほど後、国立大学学長会議において下村は全国の国立大学の学長を前に、この要請を繰り返すとともに入学式、卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を各大学に「要請」した。したがって文系学部、学科の縮小、廃止と国旗国歌の大学への強制は連動したアクションととらえられるべきであろう。通達によって室井が課程長を務める横浜国立大学の人間文化課程は廃止が決定された。本書はかかる事態に対して、当事者である室井が徹底的な批判を加えるものであるが、そこからは単に愚かな大臣や首相の挙措を超えて、今日の日本を蝕む知的な退廃が浮かび上がるように感じられる。
 室井は私の少し上の世代に属している。しかし10歳も離れていないため、大学や大学院における室井の体験を私もほぼ共有していたように感じる。そして私の友人や後輩の多くは今も大学で教鞭を執っているから、彼らを通じて私は今日の大学が置かれた状況に関してある程度の知識を得てきた。このため私は「世間の人たち」よりは今日の大学をめぐる状況について明るいと思う。そして彼らから伝え聞いた大学の危機はまさに本書で語られているとおりである。本書ではまず2013年6月に閣議決定された「国立大学改革プラン」に基づいてわずか半年でなされた国立大学の「ミッションの再定義」について論じられる。「ミッションの再定義」とは端的に言うならば、国立大学を差別化し、不要な学科をスクラップするための方便である。この過程で本書のタイトルでもある「文系学部解体」が遂行され、具体的には教員養成系大学や学部の廃止が強行されたのである。かかる通達の欺瞞性と恣意性を指摘したうえで、室井はやや遡って「大学改革」の歴史を概観する。
 一連の「大学改革」の端緒を室井はひとまず1991年、中曽根政権時代に大学審議会によって答申された「大学設置基準の大綱化」に求める。室井によればこれは一種の規制緩和であり、大学の設置基準を簡略化する目的であったという。室井ならずとも直ちに疑問が生じるだろう。この時期、将来の少子化、大学生の減少は既に予想されていた。なぜこの時期に大学の増設という時代に逆行する施策がとられたのか。おそらくそれは競争原理を導入することによって大学を淘汰する狙いがあったのではないか。これには先例がある。イギリスにおいてサッチャー政権下で進められた大学の「エージェント」化である。そしてこの「改革」の中で「小講座制」から「大講座制」への移行、「学科制」の「課程制」による置換といった組織上の「改革」も進められたとのことであるが、組織「改革」の是非についてのニュアンスは大学から足を洗って久しい私にはよくわからないというのが正直なところだ。しかし少なくともこのような「改革」がサッチャーやレーガンが推し進めた新自由主義的な政策の一端であり、「グローバル市場経済社会」の端緒と同期している点は押さえておく必要があるだろう。このような動向が竹中平蔵をブレーンとした小泉政権においてさらに推進されたであろうことは誰でも予想することができよう。具体的には文部科学省初の女性キャリア出身の大臣、遠山敦子(確かこの人物は国立西洋美術館館長、文化庁長官も歴任したと記憶している)の名を取った「遠山プラン」の提案である。室井によれば遠山プランの柱は次の三点である。すなわち国立大学の再編統合を大胆に進めること、国立大学に民間的発想の経営手法を導入すること、国立大学に第三者評価による競争原理を導入することである。このプランに基づいて大学の学部が廃止され、大学が次々に統合されたことは私も記憶している。一方で遠山プランでは大学をランク付けしてトップ30校に重点的に予算を配分する構想が練られた。大学を差別化する発想、予算配分と規制、アメと鞭で大学を統制しようとする今日の「国立大学改革プラン」の本質は遠山プランに既に明らかである。そしてこのプランの結末が2004年の国立大学の独立行政法人化であることはいうまでもない。本書中に引かれている国会の参考人質疑における京都大学教授(当時)佐和隆光の次の発言はこの施策の本質を言い当てている。「国立大学法人化は、当初の意図に反して、科学・学術研究の中央集権的な『計画』と『統制』をその骨子としている。言い換えれば法人法案は国立大学の『ソビエト』化を目指している」五カ年計画だか六カ年計画だかの達成を大学に迫るこのような政策はまさしく全体主義、ソビエト化と呼ぶにふさわしい。
 しかしこのような政策は決して近年初めて策定された訳ではない。続いて室井は戦前までに立ち戻って国立大学、かつての帝国大学の成立の経緯を確認する。明治政府によって設置された帝国大学は終戦に伴い、新制大学へと姿を変える。しかしそこでも大学間のヒエラルキーは厳然と存在し、総合大学と地方大学、一期校と二期校といった序列が成立していた。したがって今回の「国立大学改革プラン」は乱暴で問答無用であったにせよ、従来の政府、文部科学省の方針を踏襲した内容にすぎない。しかし遠山プラン前後から国立大学には顕著な変化が生じていることも事実である。一つは先にも述べた教員養成系大学や学部が廃止され、多く地域や人間といった言葉を冠した文理融合的な新しい学部へと誘導されたことである。これはいうまでもなく本書のタイトルのとおり、文系学部を解体する手続きであり、あるいは必ずしも成功していないが、教職員ではなく学長選考会議によって学長を選出し、学長や執行部に文部科学省の意向を反映させようとする意図も透けて見える。さらに石原慎太郎の肝いりで創設された首都大学東京では教員への任期制、年棒制導入が策動された。この制度は結果的に2014年に廃止されたとのことであるが、現在、特任教授といった名で多くの任期制の教員が働いていることは私でも知っている。このような制度は教員の流動化を加速するとともに、大学教員の質的な変化をもたらした。かかる変化のもう一つの要因は博士号の大量生産である。大綱化以後、大学院が重点化される中で大量の博士号取得者が生まれた。その理由は単純だ。欧米と比べ特に人文科学系で博士号を取得している者が少ないため「国際競争力」を高めるうえで博士号が量産されねばならないのだ。室井は自分たちが大学で学んでいた頃は、少なくとも文学部において「文学博士号」は定年前の功成り名を遂げた教授たちが取得するならわしであったと述懐しているが、これは私の記憶とも一致する。しかし博士号取得者の数も大学院評価の指標となったことによって、大学院の評価を高めるために博士号を粗製乱造するという倒錯が生じた。以前、私は出版助成の審査の折に、ある大学に博士論文として提出されて受理された論文を査読したことがある。某美術館の成立と展開をまとめた長い論文であったが私はあまりのレヴェルの低さに呆れてしまった。先行研究を日本語に置き換えたにすぎず、なんら新たな知見が得られることはない。もちろん私は助成を否認したが、むしろ私はこのような拙劣な論文にそれなりに一流とみなされている大学から博士号が与えられたことにおおいに驚き、不審に感じた。(ちなみにこの論文は博士論文であるから、現在、ある出版社から公刊されている)かかる博士号の乱造は何をもたらすか。端的に「研究者」の増加である。大綱化によって研究者以外、つまり民間企業や官庁、政府機関から大学教師になる人が増え、「博士号」をもった研究者も増加することによって教員が飽和し、結果的に大学をめぐる環境が大きく変わった。大学教員としての優秀さが学生のアンケートや休講の数によって数値化され、教員の評価、さらには採任用の判定に用いられることを当然とする気風が醸成されたのだ。かかる数値化、効率化は少なくとも文系の学知にとってはむしろ批判されるべき姿勢ではないか。私が大学に入った頃、新年度の講義は多く連休を過ぎた頃から始まった。講義の開始時間から15分遅れて教室に現れ、15分前に終えることが学生に対するエチケットであると言って憚らぬ教師もおり、むろん学生たちもそれを歓迎していた。休講すると学生が抗議し、事務方から補講を命じられる昨今とは隔世の感がある。少なくとも「文系学部」において今日の状況は教師にとっても学生にとっても致命的に不幸であると私は感じる。室井が関わり、2005年の時点で開かれたシンポジウムにおいて大学教育の本質について二人の大学教員が興味深い見解を披歴している。吉岡洋はそれを〈隙間=空き地〉とみなし、大学を民間企業と同様の効率主義と成果主義に従わせることは、「知の自殺」であると述べ、内田樹は世間知や常識とは異なった「ノイズ」こそ大学教育にとって必要な知を生み出すと述べている。私も彼らの見解に全面的に同意する。私自身、自分にとって大学教育とは無限に思える自由な時間があり、読書や友人との語らいを通して徹底的に考える習慣を身につけたことこそがその意味であったからだ。それは個々の講義やゼミで得る知識とは全くレヴェルの異なる知であり、大学でしか得ることができない知であるはずだ。この点についても室井は的確な言葉を与えている。「大学の役割は基本的には『無知との戦い』あるいは『無思考との戦い』である。本当にこれでいいのかということを疑い、自分の頭で批判的に考え、行動する人々を育成して社会に送り出していくことである」現在の反知性的な政権がこのような自覚的な学生を嫌うことは直ちに理解できる。彼らは思考せず、指示に唯々諾々と従う学生を量産することこそが大学教育の本義と考えているだろう。この意味で今回の通達と国歌国旗の大学への強制の「要請」がセットでなされたことは大いに示唆的である。信じられないことに多くの大学がこの「要請」に従ったように、今や批判的な知の在り方は大学と学生の双方から否定されつつある。私が最初に現在の日本を蝕む知的退廃と呼んだのはかかる状況のことである。教員は大学当局、そして文部科学省の意向を忖度して学知に効率や成果を求め、嘆かわしきは学生たちもそれを是とする。そこには隙間もノイズも生じることがない。大学に世間知や常識がはびこるならば、もはや大学の存在意義などないに等しいではないか。世間知と常識の最たるものは大学とは就職にいたる一つの通過点にすぎないという認識であるが、「文系学部」に拠って立つ私にはこのような理解は大学に対する侮辱に等しいと感じる。室井は別の言葉を用いる。「我々が育てているのは『人間』であって国家やグローバル企業に奉仕する『人材』ではない」しかしかくも暗い時代にあって、自分は「人間」でなくても「人材」でよいと考える学生は多いはずだ。おそらく「文系学部」の存在意義は、人は「人材」ではなく「人間」であるという当たり前の事実を学生に示すことにあろうが、いまやこのような正論を説くことさえ難しくなっている。
 私が本書を興味深く読んだのは、ここで論じられている問題がもはや大学に留まらないことを強く意識したためである。いかに新自由主義が隆盛しようとも、効率や市場性を求めてはならない分野が存在する。いうまでもなく大学をその一端とする教育という分野であり、そしてまた文化もまたそのような領域ではないだろうか。今日、美術館も同じ攻撃にさらされている。先に掲げた遠山プランの大学を美術館に置き換えてみよう。美術館の再編統合を大胆に進めること、美術館に民間的発想の経営手法を導入すること、美術館に第三者評価による競争原理を導入すること。国立美術館の法人化に伴う再編成、学芸員にノルマを課して入場券を売り歩かせる美術館、第三者評価のためのくだらないベンチマークの考案に嬉々として取り組む美術館。自らのレゾン・ド・エートルとして効率主義や成果主義を自発的に取り入れようとする倒錯が美術館においても進行している。この意味で本書に記された大学の危機は正確に今日の美術館と重ね合わせることができる。
 本書の終章には「それでも大学は死なない」というタイトルが付されている。グローバリズムの進展とともにあらゆる分野で猖獗をきわめる効率主義や成果主義に抗しうる場は大学以外にはありえないというのが室井の結論である。室井は2001年のヨコハマ・トリエンナーレで巨大なバッタのバルーンを高層ビルに設置した経験、あるいは様々な学際的な取り組みなど、自らが深く関わった実践を例示して、今日においても大学で「自由な知」が可能であると論じる。私もこの言葉に深く同意するし、本書の読後感が悪くないのは、かかる学知への信頼に負っているだろう。ひるがえって考える。社会に「隙間」や「ノイズ」を作り出すという点においては、美術館もまた大学以上に重い使命を担っているはずだ。果たして今日、美術館はかかる社会の負託に十分に応じているだろうか。
by gravity97 | 2016-05-01 16:53 | 思想・社会 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


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