栗本高行『墨痕』

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 前衛書というきわめて難度の高い主題に対して、若手による画期的な論考が発表された。あとがきによれば本書は多摩美術大学に提出された博士論文を原型とするらしい。学術論文らしい生硬さは感じられもするが、多くの資料が渉猟され、示唆に富む内容である。なぜ前衛書というテーマの難度が高いか。その理由は明白だ。今日、一方で書は多くの結社や組織を抱えて、絵画や彫刻といったジャンルと比しても圧倒的な隆盛を誇っている。しかしその一方、一部の団体展を除いて、美術館で書作品が展示されることは稀であり、多くの美術館は書に対して堅く門を閉ざしている。一方に大衆による受容、一方に「美術」からの徹底的な疎外。今日、書と展示をめぐる奇妙な捩れは明らかであり、書を理論的に研究する場所をアカデミズムの中に見出すことはさらに困難である。そして本書の「書芸術におけるモダニズムの胎動」というサブタイトルも本書が直面する困難を暗示しているだろう。なぜならばモダニズムはメディウムの限定を前提としているにもかかわらず、前衛書とは文字とイメージという二つの可能性の間に開かれた場、本書の表現を借りるならば可視性と可読性のはざまに成立する奇跡のような表現なのであるから。
 いきなり本書の核心に触れてしまった。もう少しゆっくり本書の議論を追うことにしよう。本書の核心は帯に記された「書は文字か形象か」という惹句にも既に明らかであり、中心的な主題がいわゆる前衛書をめぐることも予示されている。1950年代に勃興した前衛書についてはこれまでにも若干の研究史は存在するし、その中核とも呼ぶべき墨人会、あるいは森田子龍の「墨美」に関しては展覧会として検証もされてきた。しかし私の見るところ、本書の第一の意義は前衛書の問題をさらに遡って金子鷗亭や手島右卿からていねいに説き起こし、比田井南谷らによる前衛書の発生と消長を歴史化していく点に求められる。私も前衛書と抽象絵画の関係については以前より関心をもっていたが、その前史についての研究は石川九揚の一連の著作くらいしか知らない。本書において筆者は小山正太郎の「書ハ美術ナラス」論争から始めて、比田井天来、上田桑鳩、大澤雅休といった書家の書論と作品を詳細に検証し、前衛書の発生にいたる経緯を明らかにしている。この過程では二つの作品の陳列拒否事件が重要な意味をもつ。すなわち二曲一隻屏風に描かれた上田の《愛》(1951)とやはり二曲一隻に描かれた大澤の《黒岳黒谿》(1953)である。はいはいをする孫の姿から着想され一見すると「品」という文字と読める前者、ミロの絵画を強く連想させる後者がいずれも展示を拒否されたという事件は書字の意味性、書字とイメージといったこれ以後の前衛書が主題化する問題を早くも予示するかのようだ。続いて栗本は比田井天来の門下の俊英たちがそれぞれ挑戦した三つのジャンルについて分析する。すなわち金子鷗亭の近代詩文書、手島右卿の少字数書、そして比田井南谷の前衛書である。具体的な作品の分析に基づく議論は説得的である。これらはいずれも従来の書概念を覆す可能性を秘めていたが、前二者がなおも文字性と深く結びつていたのに対して、比田井南谷は1945年の記念碑的な作品《心線作品第1・電のヴァリエーション》において前衛書の誕生を画した。この作品の誕生について栗本は次のように説く。「画家が大作の構想を練り上げる過程で下図を作るように『奇怪な線や点』を書く秀作を積み重ねた果てに、突如、それらの草稿にしまいこまれていた線の展開可能性が、書として新しい概念を持つ作品に昇華、結実する瞬間が訪れる。そして、その劇的な変化の触媒となったのは古文、すなわち漢字のきわめて古い書体を示す書の古典であった」このようなブレークスルーからほぼ同じ時代になされた抽象表現主義の画家たちによるそれを連想することは強引であろうか。
 次いで比田井門下の書道芸術社に連なる二人の書家が論じられる。上田桑鳩と宇野雪村である。字座や構図といった独特の概念を駆使して自らの書を語る上田と視覚性を重視してほとんど抽象絵画の域に達した宇野、彼らの書論の核心についてはこの短いレヴューで論じることは不可能であるから直接本書を参照していただきたいが、私があらためて驚いたのはすでにこの時点で書に関して極めて深い思考と実践が重ねられていた点である。あるいは掲載された小さな図版からの判断であるにせよ、1956年に制作された宇野の《直進》という作品は栗本も指摘するとおり60年代のミニマル・アートを連想させる一種凄絶な美意識を感じさせる。私はあらためて50年代の前衛書については造形性という観点から再検証されるべきであると強く感じた。しかし同時に造形性こそが前衛書にとって決定的な隘路となった点にも留意されるべきであろう。私はこれらの作品の造形性に感銘を受ける。しかしながら例えば宇野の作品に対して、本書では次のような評価が紹介されている。「(知・情・意のうち)意は抽象的な知覚能力であり、稀に見る確かな技術に支えられて昇華した作品群の根底に存在するものである」私が書についての批評を読む際の異和感は常にこのような言葉に関わっている。私は前衛書に関して、その形式において圧倒される。しかしその評価はしばしば書家の精神と関わり、さらに古筆との関連、つまり「その起源となったはずの数多の古典の存在」によって保証されるのだ。次に述べるとおりこのような発想は森田子龍ら、まさに前衛書の核心においても認められるのであるが、私は古筆を臨書することによって書家が新たな境地を得るという指摘が理解できないし、そもそもこのような発想はモダニズムの対極に位置するのではないだろうか。
 上田桑鳩のもとには多くの優れた才能が結集していた。宇野雪村もその一人であったが、前衛書という観点に立つならば、墨人会を結成した森田子龍、井上有一が本書にとって中心的な書家となることは容易に理解できよう。まず書論の極北とも呼ぶべき森田子龍の思想が俎上に上げられ、これらの発想が具体的な作品にどのように反映されているかが検証される。続いて井上有一については具体的にサンパウロ・ビエンナーレに出品された《愚徹》が制作された過程を検討し、さらに名高い「貧」の書のヴァリエーションを分析しつつ井上の書の特性が論じられる。後で論じるとおり、この二人の対比は前衛書の本質を考えるにあたって大いに示唆的である。「書壇からの脱出とその帰結」と題されたこの章は前衛書というテーマからして本書の中心的な位置を占める。そしてこれに続いて筆者はもともとの博士論文には存在しなかった章を補説として加えている。「書と美術の接点とは」と題された章は50年代における書と抽象絵画の関係をさらに広い視野から論じている。具体美術協会の作家たちと墨人会の書家たちの交流、あるいは『墨美』誌に拠る前衛書と欧米の抽象画家たちとの交流を想起するならば、かかる章が加えられたことの必然性は容易に理解されようし、筆者は書家と画家に限らずクレメント・グリーンバーグから東野芳明にいたる批評家たちの言説も視野に収めながら、書と抽象絵画の交流の可能性と限界について議論を展開している。
 最後の章ではやや意外な主題が扱われる。タイトルが示すとおり「漢字かな交じり書の可能性」である。栗本も指摘するとおり、現在、書とは漢字書、かな書、前衛書、漢字かな交じり書の四つに分類される。現在団体展等における書の分類もこのような前提に立つ場合が多い。筆者が指摘するとおり、このうち前衛書を志向する書家たちは「いずれも作家としての自己形成期に、漢字書の学習で線を鍛えた人物ばかりである」50年代の墨人会の書、そしてこれまで本書において言及されたほとんどの「前衛的」な作品は漢字に出自をもっていた。これに対して、かなを用いた前衛書は存在しないのかという問題が最終章で論じられる主題だ。表題のとおり、漢字かな交じり書こそがこの問いへの回答である。この章で論じられる書家にはこれまでほとんど論じられたことのない人物が多い。まず千代倉桜舟、そして大澤雅休と大澤竹胎という兄弟、青木香流、森田安次である。このうち比田井天来門下の大澤雅休については既に触れた。しかしほかの書家はおそらく相当書に詳しい専門家でなければ初めて聞く名前であろう。少なくとも書と抽象絵画という文脈で論じられることのなかった書家である。しかしこの章は私にとってきわめて興味深かった。漢字かな交じり書において宮沢賢治や草野心平の詩が好まれる理由、あるいはオノマトペとの関係など、より深く検討してみたい問題は多いが、詳細な議論は本書に譲るとして、ここでは書とは無縁と思われていた主題が一つの切実さ、あるいは重要性とともに浮かび上がる点に注目したい。それは戦争という主題だ。かかる主題が召喚される時、本書の中心的な書家の一人が再び取り上げられることは何の不思議もない。《東京大空襲》そして《噫横川國民学校》を発表した井上有一である。井上は50年代には漢字による少字数書によって、1978年には漢字かな交じり書を用いたこれらの作品によって圧倒的な存在感を示す。このような作風の広がりをもつ書家を私はほかに知らない。そして最後に結として筆者は本書における問題意識と議論を手短に要約するとともに、コンピュータがかくも発達した時代において書は全く新しい課題を与えられていると述べる。
 ひとまず本書の構成を示したが、きわめて多産的なテスクトである本書については、様々な主題から多くの可能性が開かれるだろう。ここでは私も本書に触発されて導かれたいくつかの思考を書き留めておきたい。本書の最後に漢字かな交じり書が一つの主題として提示されていることに私は最初やや異和感を覚えた。筆者も論じるとおり、前衛書が会場芸術としての存在感を帯びるためにはストロークの骨格が明瞭な漢字による一字書もしくは少字数書が最も効果的であるからだ。墨人会の初期の代表作がほとんどこのような書であったことには理由がある。さて、最初にも記したとおり「書は文字か形象か」という問いかけは本書を通底する主題であるが、漢字書とかな書の違いは実は字数にあるのではないだろうか。漢字書は一字ないし数字でも成立するが、かな書においては(千代倉桜舟の超大字かなという例外を除いて)数字書ないし大字書は成立しない。かな書はひとまとまりのテクストを書き写す場合が多く、宮沢賢治のテクストなどが好まれたことは先に記した通りである。前衛書の本質を検討するうえで文字の数は決定的に重要ではないか。一字書であれば私たちは書かれた文字/形象を瞬時に知覚する。このような知覚に対してマイケル・フリードがミニマル・アート批判の論文の末尾に書きつけた現在性 presentness という概念を差し向けるのは悪乗りにすぎようか。一方、二字以上で構成された書については必然的にそれらの文字を読む順番が成立する。そして私たちが文字を一定の順序に沿って読む時、そこには時間性が成立する。例えば森田子龍のほとんど判別することが困難な《灼熱》を前にする時、私たちは提示されたイメージを二つに分節し、右から左へ読む。この時、書は一瞬に把握されることはない。右から左への視線の運動を介して意味が成立する。つまりイメージが時間化されるのだ。これに対して一字書は瞬時に全体が知覚され、イメージが空間化されている。書は文字か形象かという問いはまさにこの問題に関わる。両者の対比が可読性と可視性へとパラフレイズされうることはいうまでもないが、この時、それぞれを時間性と空間性として区別することはできないか。このようなディコトミーを導入する時、森田子龍と井上有一という前衛書の二人の巨人の作品に対して明確な断絶を見出すことができよう。私の考えでは森田は文字、可読性、時間を重視する。これに対して井上は形象、可視性、空間に重きを置く。いうまでもなくもはや文字数は問題ではない。森田は多くの一字書を制作しているし、井上も少字数書を発表している。おそらく森田にとっては一字書であっても明確な時間性が内包されている。理由は単純だ。それが文字である以上、そこには正しい書き順があり、制作の時間が存在するからだ。このような事実を森田は制作者すなわち書家の生、森田の言葉を用いるならば、境涯の美しさの問題へと展開していく。森田は人間もまた時間的な存在とみなし、書にやり直しが効かないように、生もまた一回的であると説く。森田の書論の苛烈さはかかる認識に由来する。これに対して井上の書は空間性に拠っているのではないか。《愚徹》や《不思議》といった代表作を前に私たちはそれを文字として読み下す前に、イメージの強度に圧倒されないだろうか。この問題をさらに深めるのが漢字かな交じり書の達成である。
 森田ほどの境地に達さない限り、時間性を見出すことが困難な一字書に比べて、漢字かな交じり書は容易に時間を内包するはずだ。なぜならそこにはテクストが存在し、それを読む時間が存在するのであるから。確かに通常のかな書であればこのような理解は可能だ。しかし「漢字かな交じり書の可能性」の章で紹介される作品の多くはこのような理解を逸脱する契機をはらんでいる。先に触れたオノマトペの問題は深くこれに関わっている。たとえば草野心平の詩からとられた二つの作品において千代倉桜舟は「る」という仮名を、大澤雅休は「ぎやわろっ」というフレーズを繰り返すのであるが、時に重複し時に密集する仮名はもはや意味をもった文字としては読めず、一種の形象性を獲得している。さらに重大な問題を提起するのは東京大空襲に取材した井上有一の一連の作品である。子細にながめるとそこには確かに漢字と仮名をみとめることができる。次のような文言であるという。「一千難民逃げるに所なく/金庫の中の如し/親は愛児を庇い/子は親に縋る」そこには空襲の中の地獄のような情景が記されている。しかしそのような印象は文字ではなく形象によっても感得されるのではないか。栗本は次のように述べている。「多字数の書といえば、ひたすら文字を書く行為に徹したものだという先入主とはうらはらに、この書を眺める鑑賞者の視線は、あたかも阿鼻叫喚の地獄絵図を繙いてしまったかのように、その場に茫然と凝り固まる。つまり全体が一場の悲劇を描いた絵画のように見えるという効果を発するものとなっているのだ」そして栗本は作品における墨の線の塊が端的に死体のかたまりを連想させると説く。私もこの見解には同意する。そしておそらくこのような印象は書かれた言葉とは直接には関係をもたない。私が《噫横川國民学校》から直ちに連想したのは藤田嗣治の一連の戦争記録画、それも《アッツ島玉砕》や《サイパン島同胞臣節を全うす》といった死屍累々の情景を描いた絵画である。可読性の書であるはずの漢字かな交じり書の中にイメージが立ち上がるという逆説こそが、井上の漢字かな交じり書を比類ないものとしている。本書には奇しくも類似した情景を描いた書として青木香流の《春光五百羅漢》という作品の図版が掲載されている。フィリピンで散華した戦友たちを思って制作されたという作品には無数の「佛」という字が散らされている。おそらく山野に打ち棄てられた無数の骸を念頭において書かれたこの作品は静謐な印象を与え、一連の視覚詩を連想させる。これに対して井上において画面を満たす墨痕の鮮烈さは作品に圧倒的な存在感を与える。
 今、思わず墨痕という言葉に触れたが、本書のタイトルはまことに暗示的である。通常であれば墨象作品が名詞化された場合、用いられる言葉は墨蹟であろう。墨蹟がすでに生成された書のかたちであり静的であるのに対して、痕跡としてのイメージ、墨痕という言葉にはすでに一種の力動性が内包されている。おそらくはかかる力動性にこそ前衛書の本質が存しているのではないだろうか。先に述べたとおり、前衛書はいくつもの対立の中で引き裂かれている。そしてそれらの対立を止揚することによって優れた書作品は成立しているのではなかろうか。私は書における時間を重視する森田子龍の書論は前衛書のうえに屹立する存在であると信じるし、漢字による一字書から漢字かな交じり書における圧倒的な達成まで壮絶な作品の発表を続けた井上有一の一連の作品の圧倒的な存在感も思い知った。前者が還元的、内省的であるのに対し、後者は横断的、直情的であるが、それはいずれかが優れていることを意味しない。火と水のような二つの個性が少なくとも一つの時代を共有し、一つの集団を形成したのだ。形象にして文字、時間にして空間、このような表現は西欧のモダニズムには存在しないだろう。そして「墨痕」とはかかる奇跡的な事件の謂ではなかろうか。
by gravity97 | 2016-04-24 20:47 | 現代美術 | Comments(0)

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 新版として文庫で再刊されたことを契機にラリー・コリンズとドミニク・ラピエールの『パリは燃えているか?』を通読する。第二次世界大戦末期、連合軍によるパリ解放をめぐる経緯を描いたノンフィクションである。決して読みにくい訳ではないが、あまりにも多くの人物が登場し、抑揚を欠くためであろうか、読み終えるまでに思いがけず時間がかかり、レヴューが遅れた。
 「脅威」「闘争」「解放」の三部から成る本書の主題は第二次大戦末期、パリをめぐる攻防である。タイトルの「パリは燃えているか?」とは連合国がパリに進攻したと聞いたヒトラーが当時ドイツ国防軍最高司令部の置かれていたラステンブルグの掩蔽壕の中で参謀総長に発した問いだ。ヒトラーはパリの占領を司る司令官に、もしパリが敵の手に渡るようなことがあればパリの市街をことごとく破壊して廃墟にせよと命じていた。ヒトラーの厳命は果たして実行されたのか。私たちは答えを知っている。凱旋門もエッフェル塔もルーブルも、パリは大戦以前の風景を今日に伝えているから、ヒトラーの命令は実行されなかった。しかしパリが一時は戦場となりながら、どのような経緯を経て、あるいはいかなる関係者の努力によってその姿を今日まで長らえることとなったか、私は本書を読んで初めて知った。ヒロシマや東京、あるいはドレスデンやスターリングラード、第二次大戦中に爆撃や市街戦によって廃墟となった都市はいくつも存在し、現在でも中東ではISや多国籍軍の手によっていくつもの都市が廃墟へと転じている。ヒトラーの命令の有無を問わず、戦時とりわけ戦争の末期にあってはいかなる都市も焦土戦術によって破壊される可能性があった。パリはいかにしてそのような運命を逃れたのか。
 本書を通読すると1944年8月後半、パリ解放にいたるおおよその流れが理解できる。パリも決して無傷ではなかった。それどころか1944年8月19日、パリ各地で共産主義者レジスタンスを中心とした大規模な暴動が発生する。第二部の「戦闘」とはこの暴動を指す。これに対してヒトラーは「暴動の兆候を初期のうちにつみとるためには、一区域家屋の破壊、暴徒の公開処刑、反乱の怖れある市区の住民の強制疎開など、もっとも精力的な戦術によって対処せよ」と命じる。しかしこの直後、ほとんど奇跡のようなタイミングで連合軍がパリに進軍したことによって、かろうじてパリは虐殺と破壊から免れたのである。暴動の発生から連合軍の入市までわずか一週間足らずの間の出来事であり、何かの手順が狂っていたら、私たちはパリの歴史的史跡や由緒ある建築、そして美術館に収められていた名画の数々を永遠に失っていたかもしれない。
 第一部「脅威」では蜂起の前夜、パリが置かれていた状況が描かれる。既に連合軍はノルマンディーに上陸し、パリへの進撃が予想されていた。しかしドイツ軍の長期の占領によって市民生活には多くの支障が生じ、市民の間ではレジスタンス運動が組織されていた。当時アルジェに亡命政府を樹立していたドゴールはヴィシー傀儡政権を打倒し自らが再びフランスの大統領に復帰するために、迅速なパリへの進攻、そしてパリ解放を連合軍に要請する。しかしアイゼンハワー将軍は連合軍がパリに入った場合、膨大な食料やガソリンを市民たちに供給する必要が生じ、以後の戦略に影響を与えるとして、パリを迂回する戦略を採った。パリにおける抵抗勢力も決して一枚岩ではない。それどころかドゴール派と共産主義者たちは、戦争が終結した後の主導権を握るべく占領下で暗闘を繰り返していた。共産主義者たちの暴動がドイツ軍にパリを破壊する口実を与えることを危惧するドゴールはアルジェから市内のドゴール派レジスタンスに秘密指令を送る。一方、パリ市内の三つの刑務所に収容された政治犯たちの運命はドイツ国防軍の手に委ねられていた。鉄道を利用して彼らをドイツへと移送し、政治犯の収容所へ入れる計画を進められ、パリで銃殺されるか、ドイツの収容所に送られるか、政治犯たちは不安の中で懊悩する。この時期、ドイツ国防軍においてパリ大司令官に抜擢されたのはディートリッヒ・フォン・コルティッツ将軍であった。軍人の名門の家庭に育ったコルティッツは国防軍の信任も厚かった。しかも彼にとって退却戦は最初の経験ではなく、かつて黒海沿岸のセヴァストポリを攻略した際には撤退後、都市を焦土化する作戦に従事したことがあったのだ。コルティッツはラステンブルグでヒトラーから直接に命令を受けるが、度重なる暗殺未遂で人間不信に陥った総統に狂気の徴候を認め(このあたりの事情を私は最近、「ワルキューレ」という映画でつぶさに知った)、あるいは帝国指導員という地位にある党員から近く施行される「親族連座法」という法律について説明され、ドイツという国家自体も狂気に冒されていることを知る。
 通常、戦争を主題としたノンフィクションであれば、戦争に関する意思決定に関わった人物を中心に語られる。しかし本書において二人の著者は膨大な数の人々にインタビューを行い、多くのエピソードを連ねていく。本書の最大の特色は無名の兵士や市民の無数の声を取り込むことによって、パリ解放という歴史的事件を一つの巨大なタピストリーとして紡いでいくことにあるだろう。もちろんコルティッツのごとき重要な人物に関しては繰り返しその動静が語られる。しかし赤痢のために収容所で死ぬ女囚、列車で移送される夫を自転車で追いかける妻、自由フランス軍に合流すると言い残して何年もの間行方知れずとなる夫といった市井の市民のエピソード、無数の悲喜劇が重ねられることによって一つの時代の姿がくっきりと浮かび上がる。その中にはドイツ軍によって撃墜され、フランスのレジスタンスによって匿われたアメリカ人のパイロットや、まもなくパリが解放されるだろうと予言した謎の美女、さらには従軍記者としてパリ一番乗りを目指す若き日のヘミングウェイといった魅力的なエピソードも随所に挿入される。
 第一部に印象的な場面がある。コルティッツはヒトラーの命を受けて、必要があればパリを破壊すべく、大量の爆薬を市内各所に仕掛ける指示を与える。これに対してヴィシー政権下でのパリ市長シャルル・テタンジェはコルティッツを美しいチュイルリー公園を見晴らすバルコニーに誘い出し、アンヴァリッド、ルーブルそしてコンコルド広場に到るパリの絶景を前に、コルティッツが破壊しようとすればできたのに、人類のためにこれらの景観を保存したとすれば、それは征服者にとって無上の光栄ではないかと説く。これに対してコルティッツはテタンジェが市長としてパリを守ろうとしたように、自分も必要があればドイツ将軍としての義務を果たさねばならないと返した。本書のテーマが凝縮されたがごとき箇所であるが、この場面については最後でもう一度立ち戻ることとしよう。
 めまぐるしく視点を変えながら占領下に置かれたパリの状況を概観する第一部に続き、第二部では7月19日、共産主義者の蜂起によって、レジスタンスとドイツ軍の市街戦の舞台となったパリが描かれる。レジスタンスの抵抗は激しいが、パリは占領下にある。最終的にはドイツ軍が勝利し、市民が虐殺されるおそれがあった。実際にこの半月ほど前に同様の蜂起が発生したワルシャワでは赤軍が市民たちを見殺しにしたため、ヒトラーの指示によってレジスタンスたちは虐殺され、市街は徹底的に破壊されていた。私は初めて知ったがパリを救う上で大きな役割を果たしたのは中立国であるスウェーデンの総領事ラウール・ノルドリンクという人物であった。彼は中立国という立場を利用してコルティッツとレジスタンスの双方に働きかけて、一時的な休戦をもたらした。休戦には重要な意味があった。なぜならレジスタンスの抵抗の拠点であったパリ警視庁に対して、コルティッツはその翌朝、空軍による爆撃を考えていたが、パリ警視庁たるやノートルダム寺院やサント・シャペル寺院からわずか数百メートルしか離れていなかった。パリの中心が空爆されるという最悪の事態はかろうじて回避され、籠城するレジスタンスたちの命も救われた。
 蜂起の勃発に伴い、状況は加速する。ドゴールはイギリスを経由した命がけの飛行の末、フランスに帰還する。120秒分の燃料を残してノルマンディーに着陸したドゴールが身繕いするために一枚の剃刀の替刃を同行者たちと共有したというエピソードは著者たちの綿密な調査を裏付けている。ドゴール派と共産主義者は蜂起の是非をめぐって意見を違えるが、蜂起が発生した以上、ドイツ軍による弾圧と虐殺を防ぐためには連合軍の迅速なパリ入城を促すしかない。複雑な任務を担った情報員がドイツ軍の警戒をかいくぐって連合軍と接触をとるために密かに出発する。コルティッツは暴動に関する情報をヒトラーにあえて小出しにするが、ヒトラーからは8月23日に第772989命令が伝達される。そこにはパリをなんとしても死守せよという命令とともに「セーヌ川にかかっているパリ地区の架橋の破壊を準備せよ。もし、敵の手中に渡すときには、パリは廃墟となっていなければならぬ」という指示が書き込まれていた。このノンフィクションを執筆するために著者たちはコルティッツに対して10日間にわたるインタビューを試みたとのことであるが、なぜか本書にはコルティッツの内面に踏み込んだ描写が少なく、彼の思いを追うことは難しい。おそらくある時点でコルティッツはパリを破壊しないことを決意したのであろう。軍人としての義務とこの決意は折り合わない。コルティッツにとっても唯一の解決策は自らが破壊命令を下す以前に連合軍がパリに入ることであった。コルティッツはノルドリンクに対してパリへの進軍を促すべく、連合軍やドゴールのもとに密使を送ることを提案する。ドイツの警戒網を突破できるようにコルティッツの名による通行許可書を与えられた各国の情報部員たちが、お互いか何者か知らぬまま目的地へと向かう情景は映画の一シーンのようだ。
 情報員や密使たちの働きによって連合軍は最初の方針を変えてパリへ進軍し、ぎりぎりのタイミングでパリを解放する。もちろんなお圧倒的なドイツ国防軍が駐留しているから、部分的な戦闘は引き続き、「解放」と題された第三部においても戦闘の記述が絶えることはない。本格的な市街戦が繰り広げられ、戦車同士が交戦する。しかし戦闘の傍ら、街のあちこちで「ラ・マルセイエーズ」が歌われ、解放を告げる教会の鐘が街中に鳴り響く情景は感動的だ。コルティッツはフランスの正規軍に降伏し、ドイツ国防軍に戦闘の終結を宣言する。次々にパリに入って来るアメリカ兵たちをパリジャンとパリジャンヌは熱狂的に受け入れる一方で投降した占領者たちに対しては容赦ない。そして市民たちの怒りは対独協力者にも向けられた。ドイツの兵士たちが捕虜としてフランスの正規軍によって保護されたのに対し、ドイツ兵と親密な関係にあった娘たちが上半身を裸にされ、頭を剃られ、首にプラカードを吊されてさらし者にされ、ドイツ軍と無関係な多くの市民が誤解や密告の結果、無残にも殺された。パリ解放の裏面史と呼ぶべきこのような情景を、私は例えばクロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」あるいは先日レヴューしたロレンス・ダレルの『コンスタンス』によって知っている。連合軍の到来によってパリが解放された後、政敵たちを圧したドゴールが再び民衆の前に姿を現した場面で本書はひとまず幕を閉じる。
 パリが破壊を免れたことによって多くの人命が救われたことはいうまでもない。しかしそれだけではない。パリの建築が残されたのだ。建築とは単なる景観ではない。それは端的に都市の記憶ではないか。テタンジェがチェイルリー宮からパリの美しい景観を一望しつつ、コルティッツに都市の破壊を思いとどまるように説得する場面は象徴的である。最近私は五十嵐太郎の『忘却しない建築』という著作を読んだ。奇しくもこの小説(正確には本書が映画化された「パリよ、永遠に」)に触れて五十嵐は次のように語る。「街は誰のものか。歴史の層を積み重ねてきた街は、おそらく今生きている我々だけのものではない。目に見えるものだけでなく、過去に存在してきた人々の歴史的なエピソードを含め、都市は膨大な記憶の容器である。これを破壊することは、物理的な『モノ』の消去を超え、もっと大きな禍根を将来に残すだろう」五十嵐のテクストは直接には東日本大震災を主題としているが、都市が記憶の容器であるという発想には深く同意する。ナチス、そしてヒトラーの政策は広く記憶の絶滅と関わっていたのではなかろうか。一つの民族を根絶するという発想と一つの都市を破壊するという発想は記憶の根絶という点で共通している。そしておそらくパリがかかる暴虐から免れた理由は、結果的にパリが大規模な空襲を経験しなかったことと深く関わっているだろう。実際にコルティッツのもとには共産主義者たちの蜂起の拠点であった警視庁を空爆せよという要請、さらには夜間、パリの北東地区全域に波状爆撃を行って一挙に壊滅させ、「夜が明けた時には犬一匹、猫一匹、パリの北東地区は生きていない」状況を作り出すという提案もなされたのである。結果的にコルティッツはこれらの要求を認めなかった。戦略爆撃とは攻撃を加える側と受ける側の著しい非対称性に特徴をもつ。加害者は反撃を受ける可能性のない場所から一方的に他者を蹂躙する。そこに被害者への想像力が働く余地はない。本書には戦車による市街戦、つまり地上戦についての言及はしばしば認められる。兵士が固有名をもつ地上戦は個人へのインタビューによって記録することができる。しかし匿名化された空爆という体験は個人のレヴェルでは検証できないのではなかろうか。先に私は第二次大戦中に破壊された都市の名を列挙した。このうちヒロシマ、東京、ドレスデンはいずれも空爆によって壊滅した。被爆、空襲、空爆については被害を受けた側の記録―文学、ノンフィクションを問わず―は存在しても、加害者側の記録は存在しない。そしてこのような非対称的な戦闘の最新版がドローンによる無差別攻撃であることはいうまでもない。
 本書のタイトルは暗示的である。このノンフィクションは一つの都市がヒトラーという稀代の記憶破壊者から解放された記録と考えることができるかもしれない。アドルノを引くまでもなく、同じナチスによる絶滅収容所においてはバッハを聴き、ゲーテを読むインテリたちがユダヤ人を虐殺することになんら痛痒を感じなかった。これに対して、パリという都市の文化的蓄積、建築という記憶が少なくともコルティッツという司令官の琴線に触れて、焦土戦術も辞さないと述べた軍人に人間的な反省の機会を与えたのではなかっただろうか。コルティッツが戦後どのような処遇を受けたかについて本書には記されていないが、回顧録を出したという記述からはおそらく戦争犯罪を厳しく問われることはなかったと予想されるし、そもそも本書の巻末には8月28日付で西部軍総司令官からヒトラーに送られたコルティッツの訴追書が掲げられているが、その中ではコルティッツがパリ防衛司令官としての責任を果たさなかったとして弾劾されていた。
 私がコリンズとラピエールの共著を読んだのは実は二冊目だ。ずいぶん以前に『第五の騎手』というフィクションを読んだ覚えがある。この小説はリビアのカダフィ大佐がニューヨークに核爆弾を仕掛けてアメリカを脅迫するというスリリングなサスペンスであったが、いずれの著作も都市の破壊という問題と関わっていることに今気づいた。最初にも触れたとおり、今日でもISと多国籍軍は空爆そして地上からの攻撃によって都市と建築、すなわち記憶の破壊を継続し、近未来において核兵器によるテロが発生する懸念さえ表明されている。兵器による都市の破壊という主題は決して過去に属していない。それは現在であり、おそらくは未来においても繰り返されるだろう。
by gravity97 | 2016-04-07 10:08 | ノンフィクション | Comments(0)