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Living Well Is the Best Revenge

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 原題は The Shadow Worldであるから「影の世界」。「武器ビジネス」とはあまりに直截なタイトルであるような気もするが、Inside the Global Arms Tradeというサブタイトルが示すとおり、グローバルな武器売買の内側を描いて衝撃的な内容である。私は自分が生きている世界がこれほどの不正義に満ちていることを知り、あらためてうちのめされる思いであった。
 上下巻合わせて800頁に及ぶ大部の論考であり、決して読みやすくはない。無数の固有名詞が登場し、私は何度も頁を繰り戻してはそれぞれの意味を確認しつつ読み進めた。略称や法律用語、専門用語が多用され、後でも触れるとおり構成は入り組んでいる。しかし調査の積み重ねの中から明らかになる重い事実から目を逸らしてはならないという思いとともに最後まで読み通した。
 訳者あとがきによれば、著者のアンドルー・ファインスタインは「1964年、南アフリカのケープタウンで生まれ、ケープタウン大学、カリフォルニア大学バークレー校、ケンブリッジ大学などで学んだ後、ANC(アフリカ民族会議)所属の下院議員となるが、南アフリカ軍の武器購入をめぐる収賄事件の調査をANCの上層部によって止められたことに抗議して議員を辞職、現在はイギリスに移住」とのことだ。本書の中で仄めかされるとおり、おそらくはユダヤ系の出自をもち、著者の経歴や教育、人脈を通じた多国籍的なバックグラウンドが本書の成立を可能としたように感じる。全六部によって構成される本書の読みづらさの一因はそれぞれの章の主題が見定め難いことに依っているだろう。逆にこの点を整理すると本書の見通しはかなりくっきりとする。第一部では伝説的な武器商人、バジル・ザハロフの生涯を切り口に「武器ビジネス」の本質が明らかとされる、19世紀の中頃に生まれ(ザハロフは本名や生地同様、生年も秘密のヴェールに覆われている)、第一次世界大戦で荒稼ぎしたザハロフの手口は秘密主義、賄賂による誘導、交戦国のいずれにも武器を納入する非道徳的な手口など20世紀以降巨大化する一連の武器産業の不正と強欲をみごとに象徴している。続く第二部と第三部では近年の武器ビジネスの退廃が主に二つの問題を通して論じられる。一つは1960年にイギリスでいくつかの企業を合併させて成立した巨大な企業グループ、ブリティッシュ・エアロスペース(BAE)による数多くの不正工作の暴露である。その中心となるのはマーク・サッチャー、かつてのイギリス首相の息子が深く関わったサウジアラビアに対する大掛かりな武器ビジネス、1985年に調印された「アル・ヤママ」取引だ。攻撃戦闘機約100機をはじめとする莫大な武器の納入と支援業務によってBAEは430億ポンド以上の純益を得たという。武器ビジネスにおいては政治家や議会に対するロビー活動が死活的な重要性をもつ。この取引が成功した背景としてはイスラエルのロビイストが力をもつアメリカからの武器の買い付けが不可能であったこと、BAEがきわめて巧妙なロビー活動を繰り広げたことがある。しかしそれを「ロビー活動」などと呼べるだろうか。本書を読むと武器ビジネスとは結局のところ賄賂の遣り取りであることが理解される。サウジアラビア側のパートナーは王族の一員、バンダル王子であるが、既に本書の冒頭において彼が愛用する価格7500万ポンドの巨大なエアバスが「アル・ヤママ」契約を成立に導いた王子に対して、BAEから贈られた「ささやかな余禄」であったことが明かされている。以前、このブログでローレンス・ライトの『倒壊する巨塔』について論じた際に、私は中東において現在も、王族やその眷族が権勢と贅沢を恣にする一方で、多くの民衆は塗炭の苦しみにあえいでいる点に触れたが、この契約はまさにこのような構造が何によってもたらされているかを雄弁に語る。端的に言って、サウジアラビアの王族たちにとって武器などどうでもよいのだ。彼らにとっては契約と引き換えにBAEから渡される莫大で不正な賄賂こそが目的であり、非合法の賄賂を受け取るにあたって武器ビジネスとは格好の隠れ蓑であった。彼らは英領ヴァージン諸島の銀行を通じてこれらの不正な蓄財の証拠を消す。取引は高額であるが、非人道的な商品の特性ゆえに公的な記録は残されることがなく、しばしば契約自体が秘密のうちに結ばれる。私たちは武器ビジネス、死の商人といった言葉から、人を殺すために用いる道具が商品として扱われることの非人道性に思いをめぐらす。しかし本書を読んで、取引の具体的な内容以前に大金を不正に遣り取りする手段として武器ビジネスが用いられていることを私は知った。当事者にとってはどのような武器を商うかは二次的な意味しかもたないという退廃。第四部で詳しく論じられるジョージ・ブッシュ政権の関係者のみならず、今触れたマーガレット・サッチャーの息子、あるいはミッテラン大統領の息子、そしてサウジの王子たちといった政権の中枢と緊密な関係もつ者たちがこのビジネスに深く関わっていることは武器ビジネスをめぐる闇の深さを暗示している。今や世界最大の武器ビジネス企業の一つであるBAEは本書のいたるところに登場するが、第二部と第三部で扱われるもう一つの主題は武器ディーラーである。彼らも武器取引同様に闇の中の存在だ。私は本書を読みながらアンドリュー・ニコルのフィルム「ロード・オブ・ウォー」を思い出したが、当然の連想であった。本書に登場するロシア人武器ディーラー、ヴィクトー・バウトこそ「ロード・オブ・ウォー」の主人公のモデルなのだから。映画の中でニコラス・ケイジ演じる武器商人はモラルを欠いたビジネスを通して次第にその内面を崩壊させていったが、現実において武器ディーラーたちは世界を舞台にあくどい取引を繰り広げる。崩壊後のユーゴスラビア、リベリアとシエラレオネ、あるいはタンザニア、世界の紛争地を舞台に多くの武器ディーラーが暗躍した様子が膨大な資料を博捜して明らかにされる。一方でこれらの「死の商人」たちが、ナチ・ドイツの元工作員らによって設立された「メレックス」という会社にその起源をもつことも指摘される。「メレックス」の末裔たちが冷戦下の世界に広がっていく様子はスリラー映画を見るかのようだ。例えばチャールズ・テイラー、バウトとも関係の深いこのリベリアの大統領はシエラレオネに侵攻し、数万を単位とする人々を虐殺し、あるいは手足を切断した。テイラーはシエラレオネで採掘されたダイヤモンドと武器を交換することによって、中央アフリカにおびただしい武器を流入させる。このような武器が結果的に多くの虐殺を引き起こしたことは本書で語られるとおりであるが、それらの武器がこの地域に必要だったとは感じられない。武器はいわば賄賂を受け取るための通貨として持ちこまれたにすぎないが、通常の商品とは異なり、結果として多くの悲惨を引き起こした。先に私はオイル・マネーの帰属によって現在の中東に貧困と奢侈の絶望的な格差が存在する点を指摘したが、同様の状況は豊かな地下資源の分配をめぐって中央アフリカでも発生した。本書では虐殺と凌辱、少年兵と無数の武器に彩られた暗黒のアフリカ現代史が生々しくつづられる。読み通すにはそれなりの覚悟が必要だ。
 先に述べたとおり、第二部と第三部ではサウジアラビアとイギリスによる「アル・ヤママ」取引、著者によれば「貿易史上、おそらく最も腐敗した商取引」の帰趨と旧ユーゴや中央アフリカといった紛争地における武器ディーラーたちの暗躍という必ずしも関係のない二つの主題が交互に記述される。しかしこれらの不道徳な行いに対して、司法や捜査当局は決して座視していた訳ではない。プロローグではチャールズ・テイラーとともに虐殺に加担したウクライナ生まれのイスラエル人、レオニード・ミニンがミラノ近郊のホテルで逮捕された場面が描かれる。一方、「アル・ヤママ」取引についてはイギリスの重大不正捜査局(SFO)の捜査員たちがその不正を暴くべく熱心に活動する。しかしBEAのロビー活動、そしてサウジアラビア政府当局の抵抗にあって遂には捜査の中止が命じられる。このような指示にはおそらくトニー・ブレアが関与しており、ブレアの名を引かずとも、この取引が元々サッチャー政権の下で積極的に進められたことを想起するならば、国家的な隠蔽工作が存在したことは明白だ。この結果、本来ならば一つの政権にとって破滅的な収賄スキャンダルとなるべき事件は闇に葬られ、誰一人処罰されることはなかった。本書を読み進めることの困難は武器ビジネスをめぐって、いたるところで不正義が横行し、最終的に不正義が勝利することを確認することの不快さに由来しているかもしれない。誰も処罰されない巨大な犯罪。これについては最後にもう一度立ち戻ることにしよう。
 「兵器超大国」と題された第四部はタイトルが示す通り、最大の戦争国家アメリカをめぐる武器ビジネスに話題が移る。ここにおいてもありとあらゆる不正と欺瞞、虚偽と隠蔽が流通している。著者はまずジョン・マーサ、チャーリー・ウィルソン、ダーリーン・ドルーヤン、ランディ・カニンガムという四人の人物と彼らが引き起こしたスキャンダルに焦点を当てて、アメリカにおける武器ビジネスの歴史を粗描する。ヴェトナム帰還兵として初の連邦議員になったマーサは国防総省の支出を管理する委員会の委員長として莫大な予算を背景に利益誘導を行い、下院議員を務めたウィルソンはCIAを通じて無数の武器弾薬をアフガニスタンのムジャヒディンたちに供給した。ムジャヒディンたちはそれらを手にソビエトにゲリラ戦を仕掛けたが、ソビエトが撤退した後、軍閥政治が跋扈するアフガニスタンには好戦的なイスラム教徒と潤沢な武器が残された。自らが蒔いた種がアメリカ国内でどのような禍々しい花を咲かすこととなったか、2001年にブッシュ・ジュニアは知るところとなる。空軍の高官だったドルーヤンは兵器企業のボーイングと癒着して違法な契約を結び、「トップ・ガン」を詐称するいかがわしい経歴をもつカニンガムは兵器企業に公然と賄賂を要求し、見返りに彼らの便宜をはかった。本書を読むならば、アメリカの武器ビジネスが腐敗する理由は明らかだ。「回転ドア」と呼ばれ、政府と私企業の間を同じ人物が幾度となく行き来するシステムによって、兵器産業の意志はたやすく政策に反映される。ブッシュ・ジュニア政権の高官の多く、例えばディック・チェイニーが「ハリバートン」のCEOとなった一事はそのあからさまな例である。彼らは国家の政策を自らが深く関わる兵器産業に都合のよいものへと誘導することによって私腹を肥やしてきたのだ。さらにファインスタインが軍産議複合体と呼ぶシステム、軍と産業界、そして議会の三つ組みは武器ビジネスの拡張を構造的に保証してきた。本書で中心的に扱われる時代は比較的近年、1980年以後であるが、共和党であろうと民主党であろうと、大統領が誰であろうと、軍産議複合体に支配された体制は変わることがなかったことが明らかとなる。しかしこのためにアメリカが払った大きな代償もまた明らかだ。アフガニスタンに侵攻したソビエトへのゲリラ勢力への支援としてムジャヒディンたちに提供された大量の武器は皮肉にも同じ地へ侵攻したアメリカ軍を苦しめることになる。本書を読むならば武器ビジネスにおいてサウジアラビアが果たした大きな役割が理解できるが(このような意外な組み合わせはスウェーデンと武器ビジネスの間にも指摘できよう。ノーベル賞で知られるアルフレート・ノーベルは、ザハロフ、ドイツのアルフレッド・クルップと並ぶ「死の商人」の原型であった)その王朝に連なるビン・ラディンが同時多発テロの首謀者であったことはきわめて暗示的だ。そしていうまでもない。20世紀のアフガニスタンでの過ちはイランとイラクで繰り返されている。本書ではこれらの地域における武器ディーラーと政権との癒着についても詳細に論じている。「ロード・オブ・ウォー」において主人公が武器ビジネスをとおして自らの内面を荒廃させていく様子は暗示的であった。中東で武器ビジネスに深く手を染めたアメリカは今も自らの兵士たちの血によってその代償を払い続けており、愚かな首相が日本ではなくアメリカの議会で約束したことによって、日本人もまたこれから中東で一片の正義もない血を流すこととなるのだ。本書では軽く触れるに留まっているが、このような武器ビジネスの最新形態が民間の傭兵組織である。この問題についてはかつて『ブラックウォーター 世界最強の傭兵企業』のレヴューで論じた。
 第五部の「キリング・フィールド」において著者は再び現代のアフリカの暗黒に目を向ける。同じ主題が第二部と第三部でも扱われているから重複している印象もあるが、おそらくここには南アフリカに生まれたファインスタインの強い思いが反映されているだろう。ANCの議員を務めていたファインスタイン自身がBEAの絡んだ収賄事件の処理をめぐって議員を辞したという経歴については先に示した。ネルソン・マンデラに率いられ南アフリカの希望の星であったANCが武器ビジネスの中で腐敗したことについての無念さは本書の中にうかがえる。明らかにこの点は本書執筆の直接の動機であろう。武器は人を堕落させる。私たちは本書を読んでこの命題を知る。確かにここで論じられるアフリカのいくつかの国家にはまともな政治は存在していない。しかし悪徳の代償としての武器がこれほど大量に流入していなければ、ここで記述されたほど大きな悲惨は存在しなかっただろう。そもそもそれらの武器は主としてヨーロッパから輸入されたものではなかったか。直ちに思いつく作品を挙げても、「ロード・オブ・ウォー」のみならずフーベルト・ザウパーの「ダーウィンの悪夢」、伊藤計劃の「虐殺器官」そして高野和明の「ジェノサイド」、ジャンルを超えて表象されるアフリカの悲惨は常に武器ビジネスの影に同伴されていたことを私たちはもう一度想起すべきであろう。ルワンダ、コンゴ、アンゴラ、ソマリア、スーダンとダルフール、そしてエジプト、リビア、コートジボワール。第五部では「アンナ・カレーニナ」冒頭の「不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている」という言葉を連想させるかのように地域を違え、状況を違えながらもいずれも貧困と暴力のショーケースとも呼ぶべきアフリカ大陸の現実が武器ビジネスという観点から照射される。多くの資源に富んだ本来ならば豊かな大陸がかくも無残な状況を呈している一つの理由はそこに流れ込み飽和する武器に求められるだろう。そして今やアフリカ大陸にはアメリカとヨーロッパに代わって中国が大きな影響を与え始めていることが示唆される。「影の世界」のパワー・ポリティクスも次第に変わりつつあるのだ。
 「第六部 終局」においては本書に登場した人物の本書執筆時、2011年の時点における状況が記されている。明暗は大きく分かれる印象だ。本書に登場した武器ディーラーは多くが死亡するか収監され、さすがによい人生を送っているようには思えない。これに対して武器取引に関わった企業や政府関係者、政治家はほとんど罪を問われることなく現在も権勢を誇っている。武器ビジネスの特質を二つ挙げるならば、一つはあまりにも膨大な資金が流入しているため、もはや国家でも統制できない状態になっていることだ。それは国家の中枢に深く食い込み、国家と一体化している。ブッシュ・ジュニアからオバマに代わっても利権構造は盤石なのである。第二点として、武器ビジネスにおいてはいかなる不正があっても罪に問われない。先に述べたとおり、武器のディーラーあるいはブローカーは時に司直の手によって断罪されることがある。しかし本体ともいうべき多国籍企業や政府関係者は常にその手から逃れ、罪を問われない。ここには企業が国家に優越するというグローバリズムの悪夢が反映されているだろう。収益のみを求める企業が国家より優位に立つ時、もはや彼らの不正を裁く手立てはない。本書に先んじて私はフランスのジャンーナリスト、マリー・モニク=ロバンが著した「モンサント」という告発を読んだ。このノンフィクションも戦慄的な内容であり、農業分野において多国籍企業が世界を蚕食している様子を明らかにしている。私は企業とは基本的に倫理的な存在であると考えていたが、モンサント社、あるいは本書で言及される多くの企業、さらにブラックウォーターといった多国籍企業の活動はもはや非人道的、反社会的ともいってよい。そして私たちの首相はこれらの企業にとっても「世界で一番活動しやすい国」を作り出すことを誇らしげに語っているのだ。
 巨大な裏金によって国家、政権を裏側から支配し、罪に対して誰も責任をとらない「影の世界」、日本にもこのような企業が存在する。いうまでもなく東京電力であり、日本の電力会社は潜在的に同様の反社会性を秘めている。そして今やこれらの電力会社は反社会性をむき出しにしてやみくもに原子力発電所の再稼働に向けてひた走っている。これほど悲惨を引き起こした福島第一原子力発電所の事故に対して東京電力の関係者は誰一人責任を取っていないことに私たちは絶望したが、これは欧米の武器ビジネスで繰り返されてきた不正義の延長であったことにあらためて気づく。欧米の武器ビジネスが主題とされているため、本書でアジア、日本について言及される個所は少ない。わずかに「ロッキード・マーティン」による贈賄工作がいわゆる「ロッキード事件」として日本の政界に激震を与えたことが記述されているだけだ。しかし逆に言えば、この点は少なくとも戦後、日本の企業には武器ビジネスと直接に関係しないだけの良識があったことを暗示している。いや良識ではない、端的に憲法という拘束がかかる関与を許さなかったのだ。しかし安倍という戦後最悪の内閣のもとで憲法の実質的な無効化と軌を一にして武器輸出も合法化されようとしている点は周知のとおりだ。戦後70年が経過した現在、武器によって他国民を殺すことを是とするか否か、私たちはまさにその瀬戸際にいるのだ。明後日、8月30日に安保関係立法そして安倍政権に反対する大規模な抗議集会が全国で開かれる。私もこのような集会に初めて足を運ぶつもりだ。
by gravity97 | 2015-08-28 21:24 | ノンフィクション | Comments(0)

井上光晴『明日』

b0138838_2063242.jpg 数年前より、私は8月がめぐり来るたびに第二次世界大戦と関わる小説を読むようにしている。奇しくも戦後70周年を迎える今年、私が選んだのは1982年に発表された井上光晴の「明日」である。確か黒木和雄によって映画化されたのではなかっただろうか。この中編を私は初めて雑誌に発表された折に読んだ記憶がある。現在は集英社文庫に入っているが、私の記憶が正しければ「すばる」ではなく「使者」という文芸誌に掲載されていたと思う。初読して大きな感銘を受けたが、単行本としては所持しておらず、文庫も1986年に初版が出た後、しばらく絶版であった。先日買い求めた文庫は2012年の第7刷と奥付にある。久しぶりに再読してあらためてこの小説が文学史に残る名作であることを確認する。
 私はこの作品を70回目の長崎原爆忌の日に再読した。サブタイトルとして「1945年8月8日・長崎」とあるから前日に読むべきであったかもしれない。もっとも私は発表当時からこのサブタイトルに異和感があった。かかるサブタイトルとともに「明日」が特定される時、「明日」の意味はあまりにも限定されるからだ。後で論じるとおり、発表時ならばともかく、今日、ここでいう「明日」の意味はもはやフィクションの域を超えている。しかし逆に井上がこの小説を執筆した時点においてはこの小説がかくも切迫感をもつとは感じられなかったかもしれない。一億総中流と呼ばれ、放射能汚染や戦争参加などありえないと誰もが信じていた時代、戦後の日本において最良の時代、パクス・ジャポニカに発表された作品であるからだ。
 タイトルとサブタイトルを読むならば、この小説の内容はほぼ把握されるといってよい。ここに描かれているのは第二次大戦末期、1945年8月8日の長崎の情景であり、「明日」とは長崎に原爆が投下された8月9日のことだ。つまりカタストロフを「明日」に控えた大戦末期の長崎の一日が語られる。詳しくは述べられていないが、作者は本書の執筆にあたってかなりの調査を行った模様だ。あとがきで井上は次のように記している。「一章から零章に至るまで、ストーリイのための虚飾は用いなかった。1945年8月8日、長崎における結婚式は実際に行われており、『無学党』の市役所課長や主任等四人が、物価統制令違反、収賄容疑で逮捕され、浦上刑務支所に収監されていたことも、作り話ではない」ここに記された「長崎における結婚式」がこの物語の焦点だ。この日、三菱製鋼所の行員中川庄治と長崎医大の大学病院に勤める看護婦ヤエの祝言と披露宴が催され、媒酌人を含めて13人が列席する。いうまでもなく戦況は悪化しており、物資が不足する中で精一杯整えられた酒肴には華やかさではなく、弁明がつきまとう。続く章では列席者が次々に焦点化されて、必ずしも8月8日という一日に収斂することのないそれぞれのエピソードが明かされる。例えばヤエの同僚、福永亜矢は三菱長崎造船所の工員、高谷藤雄の子供を身籠っていたが、長崎から呉に派遣された高谷からは何の連絡もなく、懊悩を重ねていた。新婦の叔母、堂崎ハルの夫、彰男は市役所内での権力闘争の結果、冤罪によって収監され、公判を控えている。新郎の義父、銅内弥助は教会を通じて知り合った山口由信のもとに食糧の無心のために出かけるが、精神を冒されて療養所に入院した山口の娘に対しては直ちに家族が引き取ることが命じられていた。路面電車の運転手を務める水本広は彼が目をかけていた石井市松という後輩が逐電したという知らせを受ける。石井は戦死した海軍士官の未亡人と関係を持ち、それを理由に特高から尋問を受けていた。そしてヤエと庄治はぎこちない初夜を迎える。
 井上の作品になじんだ者であれば、読み慣れた長崎の方言を駆使していくつもの物語が重ねられる。それは市井の人物の日常の記録だ。もちろん戦争の末期という時代背景が彼らの上に重い影を落としているが、彼らの生活と私たちの生活に本質的な差異はない。一つの宴席に招かれた人々をとおしてオムニバス形式で時代を点綴する井上の叙述はみごとだ。以前、このブログで集英社版の「戦争×文学」中の一巻、『ヒロシマ、ナガサキ』について論じたことがあるが、例えば原民喜や林京子の作品が原爆投下直後の広島の惨状を描いて衝撃的であるのに対して、「明日」はいわばクライマックスを欠いている。先日、四方田犬彦の『テロルと映画』について論じた際に、テロリスムが映像を媒介としたスペクタクルの形式をとることについて触れた。原爆投下がテロリスムの極限であることは明らかだが、四方田はテロリスムの表象においてスペクタクルを用いなかった稀有の例としてハニ・アブ・アサドの「パラダイス・ナウ」を挙げる。このフィルムにおいてテルアヴィヴに自爆攻撃に向かった二人の青年の帰趨を描くことなく、画面はホワイトアウトする。今回再読して、私は原子爆弾の炸裂を描かずしてその非人間性を描いた小説、スペクタクルによらずテロリスムの表象に成功した例として、この小説も類例のない試みであることが理解できた。先日、私は広島市現代美術館を訪れ、被爆70周年を記念する三部作の展覧会の第一部、「ライフ=ワーク」を見た。この展覧会、さらに同時に開催されていた「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というコレクション展もきわめて充実しており、機会があればレヴューしたいと考えるが、やはりこれらの展示に加えられた作品からも(被爆をスペクタクルととらえることの問題性を理解したうえであえて言うが)、私は原子爆弾による被害をスペクタクルとして表象する方向と、スペクタクルの廃絶として表象する二つの方向が存在することを理解した。むろんいずれかが優れているという意味ではない。私は被爆という惨劇が表象されるにあたってスペクタクルの強化と無化という正反対のヴェクトルが作用していることに関心を抱いたのだ。おそらくこの問題には映画、美術、文学といったメディウムの差異も大きく関与しているだろう。果たして原爆投下は映像を通して表象できるのだろうか。なぜなら爆心地にカメラを置いたとするならば、カメラは原子爆弾が炸裂した瞬間に消滅してしまうからだ。この事実から私が思い浮かべるのは、ジャン・フランソワ・リオタールがホロコーストを評した際に用いた「あまりにも激烈であったため、すべての測定機械を破壊してしまった地震」という比喩だ。この問題は原子爆弾投下と絶滅収容所という二つの表象の臨界を比較する際にも有効な視点を提起するのではないだろうか。いずれも基本的に証人の絶滅をその本質とする蛮行であるからだ。このブログの読者であれば、私がこの問題について様々なジャンル、様々な表現を超えて繰り返し問うてきたことを理解いただけるだろう。奇しくもほぼ同時期に見た展覧会もまた表象の可能性と不可能性をめぐって様々な示唆を与えてくれたことを記しておきたい。
 「明日」に戻ろう。第1章から第9章まで、読者は様々な登場人物に焦点化しながら、そして時に断片的に挿入された当時の手記をとおして(この記録によって、私たちは登場人物たちが8月8日の夜に見た血のように赤い月は決して作者によるフィクションではないことを確認することができる)、その前日の長崎の日常をめぐる。しかし第0章として最後に付された章はやや叙述の手法が異なる。「朝のおだやかな光のみなぎる部屋で、母は縫い上げたばかりの産着を畳む」という一文で始まるこの章は、先に触れた水本広の妻が「ツルちゃんの赤ん坊、生まれたかもしれんね。もう」とただ一度言及した臨月の妊婦、ツル子の内的独白によって語られる。井上であるからプルーストではなくフォークナーに範を仰ぐであろうツル子の語りは冒頭で語られる情景が示す8月8日の早朝に始まり、回想と現実の会話、過去と現在を往還しながら、彼女が産気づき、無事男の子を出産する8月9日の早朝、4時17分までおよそ一日の意識の流れを追う。戦時中のぎすぎすとした人間関係がややもすれば前景化されるほかの章と違い、わが子の誕生を見つめるこの章の語りは柔らかく美しい。この章、そしてこの小説は次のような一文とともに終えられる。「8月9日、4時17分。私の子供がここにいる。ここに、私の横に、形あるものとしているということが信じられない。髪の毛、二つの耳、小さな目鼻とよく動く口を持ったこの子。私の子供は今日から生きる。産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている。/ ゆるやかな大気の動き。夜は終り、新しい夏の一日がいま幕を上げようとして、雀たちの囀りを促す」ツル子の疎開した地区に対して「原爆の爆風と熱線は、谷間を通路として、この地をまともに襲った」とのことであるから、新しい生命と産褥の床にある母を苛酷な運命が待ち受けていたことは想像に難くない。井上も本書の刊行後、多くの読者から手紙で問われた母子の安否について、「作者に答えられる言葉はない。(中略)私はただかすかな奇跡を祈るのみだ」とい答えている。通常であれば希望に満ちたコノテーションをもつ「明日」という言葉はこの小説においてはあまりにも重い。
 私たちはこの物語がもはや寓話ですらないことを知っている。井上光晴は1992年に没しているが、彼の没後に発生した二つの震災、95年の阪神大震災と2011年の東日本大震災をとおして、私たちは地震という自然災害によって一つの都市、一つの地域が一瞬にして壊滅する姿を目撃した。さらに福島の原子力災害によって私たちは一夜を境に故郷から人々が永遠に追われるというチェルノブイリ以外ほとんど類例のない惨事、しかも人為的な惨事がこの国では文字通り「明日」にでも起こりうることを思い知った。作家自身によるあとがきには、先に引用した母子の安否についてのコメントに続いて次の一文がある。「九州西域の原子力発電所を主題にした小説を書き進めている途中、チェルノブイリ原発の事件が伝えられて、私のペンは全く動かなくなった」ここで触れられている「九州西域の原子力発電所を主題にした小説」が先にこのブログでも論じた「西海原子力発電所」であることはいうまでもない。「地の群れ」における被爆者差別の問題とともに始まった井上の作品群が「明日」そして「西海原子力発電所」にいたるまで、被爆と原子力発電所、端的に核問題と関わっていたことは明らかだ。(さらに一連の炭鉱を主題とした作品を加えるならば、そこにエネルギーという井上の小説に一貫する主題性が認められることはすでに論じた)現在、戦後最悪の政権のもとで戦争の準備が着々と進められていることは周知のとおりだ。しかしさすがに今後、熱核兵器が戦争というかたちで使用されることはありえないだろうと思う。この一方で今日、鹿児島の川内原子力発電所が再稼働した。新しい規制基準の下で初めての再稼働であるから、今後同様の手続きを経てほかの原子力発電所が再稼働する可能性は高い。ほぼ二年にわたり、原子力発電が一基も稼働せずとも私たちが暑い夏を乗り切ったという事実にもかかわらず、かかる愚行がなされた訳だ。私は今後、原子爆弾ではなく、原子力発電所の事故、もしくはテロによって日本の広い地域が居住不可能となる可能性は高いと考える。その際、人はまさに今日こそがその前夜であったことを知るだろう。井上は核問題とテロに関連させて、本書のあとがきを次のように結ぶ。「うたがいもなく、“今”この現在、人間の立っている場所がそこには明示されている」およそ30年前に記された文章であるが、予言的といってよいリアリティーを秘めた一文だ。今、私たちが立っているのが、まさに「明日」の前夜であることを、二つの原爆忌と敗戦記念日にはさまれた2015年8月11日という日付とともにここに書き留めておきたい。
by gravity97 | 2015-08-11 20:14 | 日本文学 | Comments(0)

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 タイトルに「具体の画家―正延正俊」とある。作家名のみでなく、具体美術協会に所属していたことを示して、展覧会をアピールしようとする美術館のやや苦しい戦略が見え隠れするが、確かにこのタイトルは正延の位置を暗示している。正延は具体美術協会の創立会員であり、解散まで在籍したメンバーの一人であるから、具体の中核といってよいが、白髪一雄や元永定正、あるいは村上三郎や田中敦子といったメンバーに比べて知名度が低い。しかし今回あらためてその画業を振り返るならば、作品の完成度はきわめて高く、今回の展覧会は具体美術協会においてこれまで見過ごされていた可能性に思いをめぐらす得難い機会となったように感じる。
 正延がこれまで正当な評価を受けなかった理由を挙げることはたやすい。初期の具体美術協会は派手なアクション・ペインティングで知られているが、正延は一貫して緻密な手法で絵画を描いてきた。さらに正延は1911年生まれであるから1905年生まれの具体美術協会のリーダー。吉原治良と6歳しか違わない。具体美術協会の会員たちが多く吉原と親子ほどの年齢差があり、それゆえたやすく師弟関係が成立したのに対して、正延と吉原の関係が微妙であったことは想像に難くない。おそらくこの理由によって正延はこのグループにおいても異質の絵画を描き続けることが許されたといえるかもしれない。65年というから作家が54歳の時にグタイピナコテカで開いた個展の出品作を導入部、そしてハイライトとした今回の展示は大いに見応えがあり、おそらく今後、作家の評価はさらに高まることとなるだろう。
 今回の展示でまず興味深く感じられたのは、戦前期、つまり正延が具体の結成に参加する以前に制作した一連の具象的な絵画である。具体美術協会の作家たちの個展はこれまでにもたびたび開催されてきたが、いずれも習作期とも呼ぶべき、このグループに参加する以前、端的に具象的な作品はほとんど展示されていなかった。これにもいくつかの理由がある。まず作家たちは当時まだ若く、具体美術協会に加わる以前にはほとんど作品を発表していなかった。さらに白髪一雄と田中敦子を例外として、いわゆる正式の美術教育を受けた作家は少なく、この意味でも彼らに作品を残すという発想はなかった。さらに具体美術協会の初期の活動の中で彼らの多くは一気に表現上のブレークスルーを遂げたから、それ以前の作品を意図的に自己の画業から外した可能性がある。これに対して、正延は具体美術協会結成時に43歳であり、それまでに多くの作品を制作していた。カタログにはそのあたりの事情をていねいに検証する論文が掲載されている、今回の展示には多くの戦前期の作品が出品され、それらはきわめてアカデミックで手堅い仕事である。なるほど同時代にあって正延の作品はほかの作品に埋もれてしまったかもしれず、それは東京と神戸で教鞭を執りながら作家としては刻苦していた正延の姿と二重写しになるかのようであるが、岸田劉生を連想させるマティエールの強調された絵画から、構成主義的、キュビスム的な絵画にいたる一連の作品は決して悪いものではない。絵画に真摯に応答する作家の姿勢は明らかだ。正延は戦後まもなく神戸市民美術教室で吉原に師事し、54年の具体美術協会の結成に参加する。私にとってはそれまで抽象ではあっても比較的穏健な作品を制作していた正延が、具体美術協会初期のスタイルに一挙に転じた点こそが興味深く感じられた。今回の展示には具体美術協会の機関誌『具体』の創刊号に掲出された正延の作品が『具体』誌の当該頁とともに展示されていた。私は作風の激変に驚いた。板の上にほぼモノクロームで絵具が塗りつけられた物質的な絵画はアンフォルメル風であるが、それまでの堅実な抽象絵画とは印象を大きく違えるのだ。私は具体美術協会という集団が正延のごとき年長で、ある程度作風を確立しつつあった作家に対しても、かくも変貌を強いたという事実に驚くのだ。具体美術協会は吉原治良という絶対的指導者に統率された集団であったから、かかる変貌は吉原が求めたものかもしれない。いや、私は次のように考える。正延が感じたであろう一種の集団的圧力、それはリーダーたる吉原も感じていたのではないか。そして同様の強迫は吉原をもとらえていたのではないか。シュルレアリスムから構成主義まで西欧のモダニズム絵画を自己の画業の中で追体験するかのように作品の制作を続けていたモダニスト吉原は1950年代中盤に大きな転機を迎える。それはしばしばカリグラフィックな線描を伴う物質的な絵画であり、正延同様に唐突な転回であった。しかも50年代後半の吉原の絵画は質的に必ずしも高くない。アクションを導入して、物質と精神の結合のごとき作品を量産した白髪や嶋本昭三らに比して、指導者たる自分の作品の質が劣っていることを吉原は意識し、それゆえ苦悩した。この点に関しては多くの証言が残されている。具体美術協会が活動の初期に残した物質的な絵画は相互に差別化されにくい。とりわけモノクロームの図版で確認するならば、誰の作品であるかさえ画面から識別することは困難である。このような同質性は異様にも感じられるが、ひるがえって彼らの独自性を保証していたかもしれない。若い画家たちが独特のアクション・ペインティングを編み出してかかるアポリアを克服したのに対して、吉原は物質的な絵画の中にとらわれてしまったのだ。
 多くの画家がアクションに可能性を見出し、リーダーたる吉原が物質の中に埋没したのに対して、正延は異なった手法で難局から脱した。今回出品された作品のうち、物質性が強化された作品は今触れた『具体』誌に掲載された作品ほかごくわずかであり、早い時期に正延は独自の画面に到達した。しかもそれはアクションとも物質性とも異なった手法であった。早くも55年に正延は縦長の画面を、ドードリングと呼ぶのであろうか、ほぼ同じ大きさのいたずら書き風の単位で埋め尽くす独特の構成による絵画を発表している。いかなる発想あるいは意図から正延がかかる画面に想到したかは定かではない。65年の個展のパンフレットに寄せた吉原のテクストにはマーク・トビーの名が引かれているから、吉原の蔵書等を通して正延がトビーのホワイト・ライティングを知った可能性は否定できない。しかしおそらくは正延は独自にかかる構造に到達したのではないか。吉原の指導の下にいる限り、具象への後退は許されなかった。しかし正延は決してアクションの画家ではなく、それを証明するかのように画面にストロークの跡が認められることはまれである。正延はオールオーバーという独特な画面構造を選ぶことによって新たな境地に立った。興味深いことに抽象表現主義絵画に広く認められたオールオーバー構造は具体美術協会においてはむしろまれであった。アクションに基づくストローク、そして画面の物質性はともにオールオーバー構造の成立を阻害したのだ。正延とともに同様の構造を画面に与えたのは、おそらく上前智祐だけであり、いずれも具体美術協会の活動に一貫してペインターとして関与した。いたずら描きのような無数の線の戯れは大きさや粗密を変えて画面を覆い尽くす。50年代後半にスタイルを確立した正延はこの後、いわばテーマズ・アンド・ヴァリエーションズとして作品の幅を広げ、その成果を一望に示したのが最初に触れた65年のグタイピナコテカにおける個展であった。油彩に加えてエナメルを使用することによって独特の形態が時に面的、時に線的に画面を構成し、時に沈潜し、時に躍動感のある優れた抽象絵画が成立している。私はこの個展に出品された、多様でありながら一貫する、正延の絶頂との呼ぶべき作品群がほとんど国内の主要な美術館に収められていることに安堵した。とりわけ大阪新美術館建設準備室が所蔵する1964年の《作品》は素晴らしい。このセクションの白眉とも呼ぶべきこの作品は具体美術協会の作家が制作した作品の中でも屈指といってよいし、抽象表現主義の絵画と比べても遜色がない。決して主流ではない一人のメンバーがこれほどのクオリティーを備えた作品を軽々と発表した点に具体美術協会の凄みがある。そしてこの作品は今日までほとんど顧みられることさえなかったのだ、
 展覧会でいえば第四章以降、個展以降の作品の評価は難しい。比較的作品数は少ないが、それは作家が制作しなかったためか、今回の展覧会に選ばれなかったか、いずれの理由か判然としない。さらに最後の部屋に集められたサムホールの小品についてはもう少し展示の中で説明がほしかった。どのような経緯で続けられたかわからないが、半世紀にわたって制作された小品は単に正延の作品の変遷を示すのみならず、作品としても魅力に富んでいるからだ。
 展覧会を一巡した後、再び初期作品が展示された部屋に戻り、早い時期に描かれ、吉原に激賞されたという《黄の塑像》を見る。確かに素晴らしい作品だ。この作品とほぼ同時期に描かれた《黒の塑像》を比較するならば、そこに描かれたモティーフが同一であることはたやすく理解され、ごていねいにもカタログにはそこで描かれた塑像のシルエットの写真が掲出されている。これらの半具象的な作品と一連のオールオーバー絵画を比べる時、私は両者が実は類似した構造に基づいているのではないかと感じた。つまり一見するとオールオーバーに塗り込められながらも、そこにはモティーフを隠す/隠されるという画面構造が認められ、私の印象では隠されるモティーフとは多くトルソ、人体のように感じられるのだ。このような構造から直ちに連想されるのはポロックであり、実際に正延の線的な抽象からはポロック同様、その内部の人の姿をうかがうことができる。正延の絵画がほとんど縦長のフォーマットをとることはこの問題と深く関わっている。正延の描くドードリング、あるいは線は決して野放図に引かれているのではない。私があえて構図性と呼ぶイメージの背後の骨格と表面を埋め尽くすオールオーバー構造とのせめぎあいは美しい緊張を画面に与えている。それにしても正延はこのような画面をいかに描いたのであろうか。とりわけ先に触れた大阪新美術館建設準備室所蔵の大作において稠密な線は筆で描かれたのか、それとも特殊な技法によって描かれたのか、私は深い興味を感じた。正延は制作中、家族もアトリエに入ることを嫌ったという。技法の面からも正延の絵画は今後検証されるべき多くの余地を残している。そして漠然としたフィギュアを残しながら画面を一体化する手法、それは吉原が戦後のごく短い時期に試しながら、十分に成功しえなかった絵画の可能性であったのではなかろうか。
 具体美術協会に関しては、リーダーの吉原をはじめ、白髪、田中、元永あるいは村上といった数名の作家たちが注目され、多くの展覧会が組織されてきた。しかし今回の展覧会を一覧し、正延のごとくこれまで周縁的とみなされてきた画家が私の考えでは抽象表現主義の名品に匹敵する絵画を制作していたという事実はあらためてこの集団の奥深さをうかがわせる。私の知る限り、一人のリーダーに統率された集団がこれほど多様かつクオリティーの高い絵画を量産した例はかつてない。これまでは今名前を挙げたような中心的な作家たちのみにスポットライトが当たってきたが、今回の個展はその周囲にも多くの優れた作家が存在したことを明らかにするとともに、具体美術協会においてまだ十分に究明されていない絵画の可能性を暗示している。今回の展覧会は西宮と高知という作家にゆかりにある二つの都市で開催される。正延の存在を示すために首都圏を含めた大都市圏で開かれてもよかったと感じるが、このように地域と関わる作家を地道に検証する作業こそが公立美術館の使命であろう。志の感じられる展覧会であった、
by gravity97 | 2015-08-06 21:19 | 展覧会 | Comments(0)