Living Well Is the Best Revenge

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優雅な生活が最高の復讐である

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 これまでこのブログでは文学や美術、演劇といった表現を問わず、多くの作品についてレヴューを重ねてきたが、正直言って今回ほどレヴューの困難な対象を扱うのは初めてだ。それは対象自体がジャンルを横断し、虚実を横断し、言語を横断するからであろう。果たしてこのような作品にいかなる言葉で、いかなる方法で応接することが可能だろうか。
 今回取り上げるのはオーストリアのドイツ語作家エルフリーデ・イェリネクの作品集『光のない』である。収められた四つのテクストはいずれも戯曲であり、特に表題作は2012年の「フェスティバル/トーキョー」で劇団地点によって演じられて大きな話題を呼んだから、決して無名のテクストではない。「光のない。」は昨年も京都で再演されたが、残念なことに私は見逃してしまった。したがって本書はまず文学と演劇を横断する。しかし後で論じるとおり、この作品において両者の関係は決して親和的ではない。本書には「光のない。」「エピローグ?[光のないⅡ]」「雲。家。」「レヒニッツ(皆殺しの天使)」の四編の作品が収められている。タイトルが暗示するとおり、最初の作品の続編として二番目の作品が執筆され、これらはいずれも福島の原子力災害を主題としている。放射線、半減期、計画停電といった言葉が随所に散りばめられたこの戯曲から私たちは震災の直後に味わった未知の不安を否応なく連想する。また「レヒニッツ」とはオーストリアのハンガリー国境の村の名前であり、この地において第二次大戦末期、ナチスの将校と協力者が開いたパーティーの余興として衰弱したユダヤ人180人が参加者たちによって銃殺されたという事件が扱われている。今私は、「主題としている」「扱われている」といった言葉を用いたが、これらの言葉を用いることには躊躇がある。確かにこのような予備知識があれば現実と戯曲との関係をうかがうことは可能だ。しかし予備的な知識がなければこれらの作品が現実を参照していること、あるいは参照する現実を推測することは容易ではないからだ。この意味において虚実の間でこの作品の位置は定めがたい。そして最後は言語だ。いうまでもなくこれらの戯曲はドイツ語で執筆され、林立騎という翻訳者によって日本語に置き換えられている。私はドイツ語が読めないので、初めから原著にあたる努力を放棄してしまったが、おそらくイェリネクも、そして訳者の林も演劇の言語という問題にきわめて意識的であるはずだ。そうでなければかくも異様な文体が戯曲として採用されるはずはない。この異様さが原文に由来するのか、翻訳に由来するのか、それとも両者に由来するのか。私としては興味がある点だ。ジャンル、虚実、言語、三つの層にわたる屈折した横断性が、このテクストをきわめて難解なものとしている。実際私でさえ、しばらく新着の書棚に置いていた本書を何度か読み始めたもののそのたびに挫折し、先日、意を決して出張に携え、ようやく車中で通読することができた。
 試みに「光のない。」の冒頭を抜き出してみよう。長くなるが最初のひとまとまりの台詞である。

 ああ、わたしにはあなたの声がほとんど聞こえない、どうにかしてほしい。あなたの声を響かせてほしい。わたしはわたしを聞きたくない。あなたにわたしをかき消してほしい。ただ、少し前から思っている、わたしはわたしも聞こえない、耳を制御盤にあて、つかもうとしているのに、音を。あなたもそのくらいはできるはず! もっと強く弾いてほしい、難しいはずはない。ここは喚き声ばかり、わたしにはわからない、畜舎? 設備の停止? 設備が停止したらどうして叫ぶのだろう。力づくで押さえているのか。自動停止? だがそれはすべて静まることを意味しない。力は消えることができない、なにかが消えることなど決してない。まだ叫んでいる、怪物の腹の中で、蝉のように、喰われても猫の腹で叫びつづける蝉のように。

 これは一体どのようなテクストなのだろう。異様に切迫した呼びかけであることは直ちに理解できるが、誰が誰に呼びかけているのか、何を呼びかけているのか、理解することは難しい。そして驚くべきことにこの戯曲、そしてこの作品集を通じて、常にこのような緊張と不透明感が持続するのである。確かに「光のない。」においては先に引用した台詞を読み上げるAという話者、そしてもう一人、Bという話者の存在が暗示されている。しかしAとBの関係は判然としない。台詞の中でAは第一バイオリンを、Bは第二バイオリンを割り当てられているという言葉がある。しかし両者の関係は定かではないし、両者の間で交わされるのは対話ではない。そもそもここで語る「わたし」あるいは「わたしたち」とは誰のことであろうか。通常であれば、私たちは言葉を介して、演劇を理解しようとする。そしてここには多くの言葉がある。しかしそれにもかかわらず、これらの切迫した言葉にほとんど説明的/再現的な意味を見出すことができないのだ。上演される台詞にこのような特異な言葉を与えた理由について、訳者はあとがきで演劇の言葉が口語であるというのは日本語における誤解にすぎず、新しい時代の新しい演劇テクストには新しい翻訳が必要と考えたと指摘している。したがって本書における言葉の佶屈は翻訳者によって意図的に選びとられている。
 テクストは文学と演劇の間を往還する。私はフェスティバル/トーキョーに関連したいくつかの映像を検索し、この戯曲が上演される模様を確認してみた。いうまでもなく地点の公演の模様を記録した短い映像、このほか、いとうせいこうらがこのテクストを朗読する模様を記録した映像もあった。おそらくこの「戯曲」をそのままで上演することは不可能であろう。この戯曲は一人の俳優が台詞を記憶して上演するにはあまりに長大で抽象的であるからだ。今述べたとおり、映像の中には2012年のフェスティバル/トーキョーのオープニングの企画としていとうせいこうらがおそらくはこのテクストを朗読する模様が記録された内容があった。いとうを含む二人の話者、そして時に客席近くに置かれたマイクを用いて三人の話者が相互に無関係に緊迫したテクストを読み上げ、時に彼らの音声は機械的に変換される。かかる上演は確かにこの戯曲の本質を反映しているかもしれない。地点による上演は精緻な光の投影による演出と独特の音楽をともなった相当に形式的な内容であったが、短いこともあって、実際の上演の模様をうかがうことは困難であった。しかし舞台の上の張りつめた緊張は明らかで、二、三の劇評を読んだ限りにおいてもこの印象は間違っていないだろう。訳者はあとがきの中で、「ポストドラマ演劇」という潮流に触れている、ハンス=ティース・レーマンという批評家によって提起された「ポストドラマ演劇」においては、言葉は総合芸術である演劇の一要素に過ぎず、戯曲=物語から解放されることによって美術や照明、映像などが独自かつ自立した意味をもつという。私は演劇の専門家ではないので、これ以上議論を深めることはできないが、ロバート・ウィルソンやピナ・バウシュ、日本ではダムタイプやこのブログでも取り上げたやなぎみわの一連の舞台を連想すれば、その広がりを理解することはさほど困難ではない。イェリネクの戯曲は確かに福島の原子力災害やナチス・ドイツにおける虐殺を扱っているが、俳優が存在するのは例えば福島やレヒニッツではない。あえて言えば俳優は観衆とともにこの劇場にいるのだ。私はこのような作品の在り方を現代美術と比較してみたい気もするが、残念ながら今の私にはこの問題を扱う十分な能力と経験はない。「光のない。」におけるAとB、あるいは「レヒニッツ」における「使者」、いずれの俳優あるいは話者もきわめて匿名的な存在であり、そもそもこれらの戯曲に明確な場所や時代の設定はない。訳者も指摘するとおり、これゆえいずれの戯曲も自由に演出され、言葉以外の様々な要素を取り込んだ「ポストドラマ演劇」として存立することが可能なのであろう。極言するならば、これらの戯曲は上演されるたびに異なった舞台として演ずることが可能ではないだろうか。それゆえ私はいつの日か、例えば地点によって演じられたこの舞台を見てみたいと考える。
 とはいえ、この戯曲の内容について語ることは不可能ではない。かなり強引な読みかもしれないが、最後にこの苛烈な戯曲を読みながら私が考えたことを書き留めておきたい。イェリネクはそれぞれの戯曲の最後に関連する文献を挙げている。「光のない。」ではソフォクレスの「イクネウタイ」とルネ・ジラールの「リアルなものの埋もれた声」、そして「エピローグ?」ではソフォクレスの「アンティゴネー」である。「イクネウタイ」という作品については私も初めて聞いたが、訳者によればそれは「死んだ牛から弦楽器がつくられるギリシア神話を劇化したもの」であるという。また「アンティゴネー」に関しても訳者は「戦争が終わり非常事態が収束したとされる国家で、事態が終わっていないと異議を唱える女性をめぐる悲劇」と要約している。非常事態が収束していないことをを否定する国家とはまさに現在の日本を象徴しているといえようし、おそらくこの点に訳者はこの戯曲が日本で上演される意味を見出している。さらに私は「イクネウタイ」における「死んだ牛」というテーマに注目したい。私はこれらの戯曲と福島の原子力災害の関係を説くヒントは「死んだ牛」ではないかと考える。報道管制が敷かれた震災後の日本ではほとんど報道されることがなかったが、福島の原子力発電所の近郊には多くの畜舎があり、(「畜舎」という言葉がこの戯曲の冒頭に引かれていることは先の引用に示したとおりである)そこで飼育されていた家畜は人が立ち去った後、多く繋がれたまま餓死し、豚にいたっては共食いを繰り返したという。死肉を漁る無数の鴉がヒッチコックの「鳥」のように畜舎の屋根に蝟集する地獄のような光景、まことに「光のない」情景について、私は何人かのジャーナリストの記事を通して読んだことがある。イェリネクが「光のない。」を執筆するにあたって核となったイメージは牛の死体が埋葬もされず累々と広がる風景ではなかっただろうか。そしてあまりに残酷であるからほとんど指摘されたこともない事実であるが、死体が家畜である必要はない。震災で原子力発電所の近くに遺棄された人間の死体はそのまま放置されたはずである。ここでイェリネクが「アンティゴネー」を引用した意味が明らかとなる。オイディプスの娘、アンティゴネーはなぜ「非常事態の収束」を否定したか。それは兄の死体が埋葬されずに放置されていたからであり、それはフクシマ後の日本と二重写しとなったのではないだろうか。このように考えるならば、「光のない。」と「レヒニッツ」の共通点も明らかとなる。宴会の余興として銃を手渡された客たちによって虐殺された180人のユダヤ人たち、彼らの死体が埋められた地はいまだに不明であるという。もちろん何度も記す通り、これらの戯曲の中でフクシマの情景、レヒニッツの惨劇が明示的に語られる訳ではない。しかし緊張した文体の中にそれらはおぼろげに、実におぼろげに浮かび上がるのだ。ここに収められた四つの戯曲は本書に初めてまとめられたものであり、作家が意図的に編んだものではない。しかしフクシマとレヒニッツにはもう一つの共通点がある。それはかかる歴史的犯罪に手を染めた者が誰一人処罰されていないことだ。レヒニッツの虐殺の首謀者は海外に逃亡し、司法によって裁かれた者はいないという。フクシマについても東京電力の首脳陣(海外に逃亡した者もいると聞く)をはじめ、かかる政策を推し進めた政界や財界、学界の責任者たちが何ら責任を問われるどころか、原子力発電所の再稼働に向けて時計を逆転させ始めたという目のくらむような不正義の中に今の私たちの生がある。
 フクシマ、レヒニッツ、非常事態が収束していないことを叫ぶ営みこそ文学ではないか。訳者はイェリネクの仕事を次のように紹介している。「その創作活動の初期から現在に至るまで、作品の内外で社会の保守性や男性中心主義を糾弾し続ける姿勢のために政治家やマスコミから非難を浴び、読者の反発を受け、『オーストリアで最も憎まれる作家』として知られる一方、哲学的、歴史的な独自の問題意識から現代社会への問いかけを溢れさせる作品群は、多くの文学、戯曲賞で高く評価されてきた」アンティゴネーとイェリネクがともに女性であることは偶然の一致であろうか。最初に私は戯曲の中の「わたし」や「わたしたち」が誰のことかと問うた。以上の視点に立つ時、おそらくそれは死者であろう。以前レヴューした岡田利規の「地面と床」にも死者の語りが登場した。果たして私たちは死者をとおしてしか時代を表現できない時代を生きているのか。それともこれは何かの徴候なのであろうか。
 既に述べたとおり、このテクストの優れた点は具体的な事件を暗示しながらも、内容としてはきわめて抽象度が高く、演出の自由度が高いこと、そして「上演不可能な戯曲」という特異な存在として、様々のジャンルにおける新しい表現を誘発する点だ。遺棄された死者たちに代わって、この戯曲は新しい表現をまとってこれからも何度も再生することであろう。私はこれからもそのような機会に立ち会いたいと願っている。
by gravity97 | 2014-12-22 16:20 | 演劇 | Comments(0)
b0138838_1721814.jpg 「透明人間から抜け落ちた髪の透明さ」と題された久しぶりの石原友明の個展を東京で見る。きわめて画期的な内容であり、レヴューとして記録を残す必要を強く感じる。一見、抽象絵画を連想させるモノクロームの線描が描かれた平面は、最初こそこれまでの石原の作品からかけ離れた印象を与えるが、仔細に観察するならばそこには身体性やセルフ・ポートレート、アナログ/デジタルの対比といったこれまでの石原の作品の特徴がはっきりと刻まれ、何よりもいつもながらの明晰な知性の関与が明らかである。
 とはいえ、作品を正確に理解するためには少々の説明が必要であろう。展示された作品は大小とり混ぜて6点、すべて平面である。作品はサイズこそ違うが同じモティーフを表現していることは明らかだ。図版として掲げるとおりすべて画面全体にオールオーバーに広げられた曲線によって構成されている。このようなイメージからは誰もがたやすくポロックを連想するだろうし、ほかにも線的抽象を描く何人かの画家が連想されるかもしれない。しかしこの作品はいかなる意味においても抽象ではない。驚くべきことに、それは石原のまぎれもないセルフ・ポートレートなのだ。意味ありげなタイトルを参照するならば事情を理解することは困難ではない。「抜け落ちた髪の毛」とは石原のそれであり、線描と思われた無数の曲線は石原の身体から脱落した毛髪である。会場に置かれた解説はこのあたりの事情を次のように的確に説明している。「本展で石原友明は、Bathroom picture と題された一連のカンヴァス作品を展示する。主題は『自画像』である。これらの作品はカンヴァスにジェッソで下地を塗った後、特殊なインクで表面にプリントされている。 曲線によるモノクロームのドローイングに見える本シリーズは、作家自身の毛髪を集めてスキャニングしたものをベクタ形式のデータに変換(数値化)して、平面作品として構成したもの、つまりセルフ・ポートレートである」つまりこのイメージは浴室、おそらくはバスタブの中に残された自分の毛髪を一つの画面の中に配置し、スキャンして得られたものなのである。確かに画面に配置された線は連続することなく、多くが中断していている。さらによく見ると中断された端は微妙なふくらみを帯びており、それが毛根であることを暗示している。このような作品からは直ちにいくつもの美術史的記憶が喚起されるだろう。そもそもBathroom paintingというシリーズ名は先ほど亡くなった河原温の浴室シリーズを踏まえているだろうし、身体から廃棄された老廃物を作品化するという発想はアンディ・ウォーホルのピス・ペインティング(小便絵画)と同一だ。身体を一種のデータに変換して表象するという発想からはロバート・モリスの脳波絵画も連想されよう。
b0138838_173219.jpg 今回の発表には伏線がある。先の解説にも明記されていたが、ちょうど20年前の1994年、石原は「美術館で、盲人と、透明人間が出会ったと、せよ」というデュシャン風のタイトルをもつテクストを発表している。「見ることができるが見えない存在」と「見えないが見ることができる存在」のキアズム的な邂逅をつづった美しい文章であるが、そのテクストの中から今回の展示のために次のようなパッセージが引かれている。「透明になった自分から抜け落ちた髪が床に落ちる。からだから離れるとそれは徐々に透明でなくなっていった。そうして見えるものになり、死んで、もはや自分の一部ではなくなった髪を見つめるとなぜかそれこそが懐かしい自分自身の生きたからだを眼前するかのような反転した感覚にめまいするのだった」図版に掲げた私の手元にある同名のパンフレットの中にはこの一節が存在しないので、私はこの文章の出典を確認できずにいるが、このテクストにおいては見る/見えないという視覚的な問題ではなく、身体あるいは身体の残滓が問題とされている。写真を主たる媒体として用いながらも、しばしばオブジェとして作品を提示してきた石原にとって視覚と身体を往還することこそ作品の主題であり、かかる問題意識が現代美術の中核に位置していたことはあらためて指摘するまでもなかろう。
 さて、今日において遺棄された毛髪がなにかしらの意味を形作るとすれば、それは美術という領域ではない。それは犯罪捜査の場であり、犯行現場に残された証拠としての毛髪であるはずだ。何事かの結果、インデクス記号として毛髪は特異な位置を占める。私の毛髪とあなたの毛髪、肉眼つまり視覚によって両者を判別することは必ずしも容易ではない。しかし今やDNAの解析という手段を経て、かかる証拠物件はたやすく個人に同定される。美術史と犯罪捜査、実は両者は深い関係がある。ジョバンニ・モレッリとシャーロック・ホームズを引きながらロザリンド・クラウスは「もつれた髪の毛の塊」としてのポロックのポアリング絵画に言及していなかっただろうか。モレッリやホームズが視覚的に観察可能な手がかりから、多くアナログ的な手法によって(analogueには相似的という意味がある)証拠の背後の人物に迫るのに対して、石原が用いる毛髪とはDNA解析という非視覚的でデジタルな手法をとおして特定の個人と結びつく。ここにはきわめて興味深い逆説が存在する。すなわち先に述べたとおり、スキャンされた毛髪は現実の毛髪と毛根のふくらみまで一致する完璧なアイコン記号でありながら、そのアイコン性によっては意味を与えられず(例えば作品の中に石原以外の毛髪が混入していたとしても、イメージとして識別することは不可能である)、非視覚的な分析を経て初めてそれが表象する意味が明らかとされるのである。インデクスとしてのイメージ、聖骸布からウォーホルのピス・ペインティングにいたる、体液による一連の表現をこの作品の傍らに置く時、その批評的な位置は明らかといえよう。さらにサイズの問題についても石原の作品はきわめて興味深い問題を提起する。私はコンピュータ・グラフィクスには詳しくないため、解説の受け売りとなるが、この作品においてはベクタ形式のデータが用いられているらしい。ベクタとはjpegやtiff に類した画像処理のフォーマットであり、この形式を用いて画像を処理することによって「イメージを劣化させずにサイズを無限に拡大かつ縮小でき等身大という概念もなくなる」とのことである。ここで私たちは接触によって得られるインデクス記号の特質が実物大、等身大であったことを想起しよう。今挙げた聖骸布でもラウシェンバーグの自動車タイヤプリントでもよい。インデクス記号においてイメージは多く等身大、実物大として実現される。この意味において興味深い例は高松次郎が用いる「影」というインデクス記号であるが、ここでこれについて詳しく論じる余裕はない。石原の用いる毛髪というイメージは二つの意味を具備している。すなわちその起源(出所、犯人)との関係においてはインデクス記号であり、その形状(似姿、相似)においてはアイコン記号である。そしてベクタ形式で処理されたことによってサイズが非関与的な要素となっているのである。これに対して、石原のイメージの意味にとって関与的な要素はむしろイメージの形状ではないか。作品を注意深く眺めるならば一点だけ曲線の形状が異なる作品があることに気づく。ほかの作品が Bathroom picture というシリーズ名をもつのに対し、その作品は trim と題されている。いうまでもなくtrim とは刈り込むことであり、ほかの作品がバスタブに残された濡れた状態の毛髪をスキャンしているのに対して、trim は散髪直後の乾いた毛髪をスキャンしているのだ。trim の曲線が多く丸まった形状で表現されていることはこの点を暗示している。つまり両者のイメージの相違は、濡れた/乾燥した、あるいは脱落した/刈り込まれたという意味と対応しているのだ。
 毛髪のイメージは特殊なインクを用いてカンヴァスに定着されている。しばしば写真による表現を発表してきた石原がカンヴァスという支持体を用いた点は注目に値する。しかし過去を振り返るならば、この作品には先例が存在する。それは1989年頃に制作されたカンヴァスに感光乳剤を塗布して自身のヌードを転写した一連の作品である。複数のカンヴァスを螺旋状に積み上げた信濃橋画廊での発表は今も鮮明に脳裏に浮かぶ。この時、カンヴァスは皮膚のメタファーと考えられよう。この点は会場の解説も明確に論じている。「石原は、データとして変換された身体のパーツを改めて画布を張ったあるサイズのカンヴァスに定着させることで、『新しい皮膚と身体を与え再身体化』させるという」カンヴァスを皮膚と見立てる発想はさらに以前の皮革を用いた一連の立体作品に由来しているだろう。89年の仕事も身体を皮膚としての身体に定着させるという点において今回の作品と共通する。しかし前者において身体がきわめて視覚的に与えられ、接触を介した等身大のイメージであったのに対して、新作における身体は非視覚的であって、今述べたとおり最新の技術を用いることによってサイズは一定しない。アナログとデジタル、色彩とモノクローム、両者をめぐってはいくつかの対比を組織することが可能であろうし、毛髪が身体の一部であることを想起するならば、両者を隠喩と堤喩という記号論的な観点から分析することも可能であろうが、ひとまずここで留める。
 石原の新作は毛髪という身体の残滓を用いたセルフ・ポートレートであり、作家の身体はイメージからデータへ、アイコンからインデクスへ変換されている。それはテクノロジーを介在させた類像性批判とみなすこともできようし、今や身体性がデジタルなデータによって完全に管理されていることへの批判とみなすこともできよう。(モリスの脳波計ではないが、私たちは健康診断の際に渡されるデータの一覧として自身の身体を表象することさえできるのではないか)しかし最後に付け加えておかねばならないのは、石原の新作はかかる概念的、非視覚的な問題を提示しつつ、まず作品として強い強度を有しており、それゆえ圧倒的な印象を与える点である。しかもこの作品はこれまでの石原の探求の延長上にあり、抽象と具象、平面と立体、アナログとデジタルといった対立を巧妙にくぐりぬけながら、石原しか表現しえない新たな境地をみごとに示している。本稿では詳しく論じることができなかったが、この新作は先に言及した高松次郎の影と比較することによって、現代美術に対してさらに豊かな問題提起をなすことができるだろう。意図的に開催時期を合わせたか否かは定かでないが、石原の個展の会期中、高松のよくオーガナイズされた回顧展が竹橋で開かれている。私は石原の「毛髪」に高松の「影」がアップデイトされた姿を見る思いがした。せっかくの機会であるから両方を訪ねることをお勧めしたい。石原の個展は1月18日まで。会場は恵比寿のMEM。
by gravity97 | 2014-12-16 17:08 | 展覧会 | Comments(0)
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 私の場合、未知の作家の小説をいきなり読むことは比較的珍しい。今回取り上げるのはそのような珍しい例だ。今年の夏に岩波文庫に収録されるまで、「ラデツキー行進曲」という作品はもちろん、作者のヨーゼフ・ロートについても全く知らなかった。今年は第一次世界大戦勃発から100年という。かかるサントネールにあたって、「サラエヴォでの皇太子暗殺を一つのクライマックスとする小説」という言葉に引かれたことが一つ、ユダヤ系オーストリア人という出自をもち、ナチス・ドイツが台頭する時世に作家として活動したというロートの経歴に関心を抱いたことが一つ。読み終えてみるとトロッタ一族、三代にわたる端正な歴史小説であり、いろいろと思いをめぐらす契機となった。
 この小説に国籍を求めることは難しい。今述べたとおり、作者のロートはユダヤ系オーストリア人であるが、解説によればこの作品はベルリンの酒場でドイツ語によって書かれた。ロートはオーストリア=ハンガリー二重帝国の東端のユダヤ人の町に生まれ、帝都ウィーンで学び、ベルリンでジャーナリストとして活躍した後、ナチスに追われ、パリで没した。もしオーストリア国籍の取得が少しでも遅れていたら、彼は多くのユダヤ人とともに殺されていたかもしれない。実際にロートの最初の妻は強制収容所のガス室で殺害されている。日本人は国籍と民族、言語が一致することを自明と考えがちである。このような理解は鎖国を続けた島国という特殊な社会とトポスの結果にすぎないとはいえ、ユダヤ人としての出自をもち、オーストリアの国籍を「獲得」し、ドイツ語を用いるロートのごとき存在、「放浪のユダヤ人作家」の境遇を理解することは私たちにとって相当に難しい。オーストリア生まれの作家としてはヘルマン・ブロッホとロベルト・ムージルが思い浮かぶが、この二人は「ドイツの作家」というイメージが強く、実際このように記すにあたって、私はあらためて二人の出生地を確認する必要があった。国家が比較的強いアイデンティティーをもった西欧と比して、中欧と東欧の作家は「国民作家」というアイデンティティーを獲得しにくいように思われる。かつて私は仕事でウィーンを訪れ、郊外をドライブしたことがある。少し走ったたけで「ハンガリーまでXマイル」といった標識を見つけ、これほどの近距離に所在する国が冷戦下では別々の体制として成立していたという事実にあらためて驚いたことを覚えている。実際にこの物語はオーストリア=ハンガリー二重帝国の瓦解、ハプスブルグ朝の没落を潜在的な主題としており、巻頭に掲載された旧オーストリア=ハンガリー帝国の地図が示すチェコ、オーストリアからボスニア、ルーマニアそしてウクライナを含む広大な版図を見るならば、民族主義、国家主義の高揚が第一次世界大戦の引き金となったことはたやすく了解される。
 前口上が長くなった。小説の内容について述べることにしよう。最初に述べたとおり、この長編はトロッタ家の三代の物語である。祖父のジポーリエはソルフェリーノの戦いで皇帝を狙った銃撃を身代わりに受けて負傷し、マリア・テレージア勲章と貴族の称号を与えられ、トロッタ一族の礎をかたちづくった。しかし「ソルフェリーノの英雄」は物語の最初の章で早々に退場する。彼の息子、フォン・トロッタ=ジポーリエは父親から職業軍人となることを禁じられ、(現在はチェコに位置する)メーレンという土地の郡長を務める。フォン・トロッタは物語の中ではしばしば固有名詞ではなく、「郡長」と記述され、彼の息子、本編の主人公がカール・ヨーゼフ・フォン・トロッタがカール・ヨーゼフもしくはトロッタ少尉と記述されることと対比を示している。私はドイツ語における親称や尊称の表記については全く知識をもたないが、このあたりの書きぶり、つまり「テクスト的現実」は『ボヴァリー夫人論』の著者であれば興味を抱くかもしれない。騎兵幼年学校に入学して、軍人としての道を歩み始めたカール・ヨーゼフは祖父のごとき英雄の資質を欠いていた。帰省した折には父親の郡長を警護する警備隊員の若い妻に誘惑され、不倫関係の果てに妊娠した妻は難産で急死する。所属する部隊ではユダヤ人軍医と親密な関係を築いていたが、彼の妻を深夜に自宅までエスコートするという不注意なふるまいの結果、侮辱を受けた軍医は決闘に赴いて命を落とす。(解説によると、オーストリア文学には「若き将校と人妻の許されざる恋」という伝統があるとのことだが、本当だろうか)この事件の責任をとって、カール・ヨーゼフは帝国の辺境、ロシアとの国境地帯の狙撃部隊に転属となった。絢爛たるハプスブルグの首都ウィーン、そしてカール・ヨーゼフが勤務する辺境。この小説では両者の対比も重要な主題となっている。「君主国の北東部、オーストリアとロシアとの間の国境は、そのころ最も奇妙な地域の一つだった。(中略)というのも彼らは世界から遠く離れて、東と西のはざまに、夜と昼のはざまに挟まれて暮らしていたからであり、彼ら自身、夜が生み落とし、昼間に徘徊する一種の生きた幽霊だったからである」辺境という主題を得るならば、直ちにフォークナーから井上光晴にいたる一連の小説を連想することができようし、辺境と首都の対比はそのまま地方と東京、現在の日本を見る思いだ。
 辺境にも不吉な影が落ちる。将校たちが投宿するホテルの支配人プロートニッツァーはカジノを開設し、多くの将校たちが賭博に耽溺することとなる。カジノで多くの借金を作った親友のヴァーグナー大尉は国境の森で自殺し、この地で権勢を誇るホイツキニ伯爵の知人、フォン・タウスィヒ夫人と次第に深い仲となったカール・ヨーゼフもウィーンでの密会のたびに散財を繰り返し、多くの借金を負う。剛毛工場ではストライキが頻発し、ストライキを組織した労働者たちと対峙した軍隊の発砲で死者が出る。満たされぬ恋、多くの借金、そして事件の責任に懊悩するカール・ヨーゼフは軍隊を辞めることを決意し、父親である「郡長」に手紙を送る。長らく仕えていた召使のジャックが没した後、代わりとなるべき従僕を見つけることができないまま不遇の時を過ごす郡長は息子の変心にうちのめされる。いくつものエピソードが絡み合いながら進行する様子はドストエフスキーでもよい、バルザックでもよい、一昔前の大文字の「小説」でおなじみであり、それゆえこの小説にもクライマックスが存在する。それは竜騎兵連隊の創立百周年事業(ここでもサントネールだ)が華やかに挙行されている最中の出来事である。激しい雷雨が人々を襲い、時を同じくして一つの不吉な知らせがもたらせる。伝令から連隊長に渡された手紙には「帝位継承者、噂によれば、サラエヴォで殺害される」と記されていた。オーストリア=ハンガリー二重帝国の解体を告げる第一次世界大戦の幕開けであった。戦闘は直ちに拡大する。終盤において二人の登場人物の死が語られる。一度は軍隊を辞しながらも、開戦とともに再び軍服を着たカール・ヨーゼフは前線でバケツに水を満たしている時に銃撃され、英雄とはかけ離れた死を迎える。そして息子の死を知った郡長もまた、深い嘆きとともに「ソルフェリーノの英雄」の肖像画を前に事切れるのである。いくつもの挿話をとおして語られるトロッタ一族の歴史は没落、あるいは斜陽と呼ぶにふさわしく、それはまたハプスブルグの王朝、オーストリア=ハンガリー二重帝国の姿と重ねられている。
この小説にはいくつものダブルが存在する。そもそもオーストリア=ハンガリー二重帝国という名称の中にこのような二重性は暗示されているではないか。直ちに了解される二重性は、いずれも銃撃によって息子が父親より早く殺される二組の親子だ。いうまでもなく郡長とカール・「ヨーゼフ」という本書の二人の主人公に対して、皇帝フランツ・「ヨーゼフ」とサラエヴォで暗殺された皇太子が重ねられる。単に相似するばかりではない。実際に郡長は息子の名誉を回復するために皇帝に謁見し、皇帝の支持を得る。この箇所も本書の一つのクライマックスを形成している。サラエヴォ事件が帝国の没落、そして最初の世界大戦の契機となったことは知られているとおりであり、カール・ヨーゼフの死もトロッタ一族の没落を暗示している。さらにもう一つのダブルはこの小説で描かれている時代とこの小説が執筆された時代のそれだ。先にも述べたとおり、「ラデツキー行進曲」は第一次世界大戦の前夜を舞台としているが、実際にこの小説が執筆されたのは第二次世界大戦の前夜、1932年である。1929年の大恐慌を受けて、失業と破産が相次ぐドイツにあって、この年の総選挙でナチスは第一党となり、翌年の政権奪取に向けて時代が大きな転機を迎える。ユダヤ系オーストリア人であったロートにとって、このような情勢が何を意味したかは明らかだ。本書は第二次大戦の予兆の中で第一次大戦の勃発をめぐる状況を描いた小説といえるかもしれない。本書にはロート自身によって書かれたまえがきが収録されている。やや長くなるが冒頭と最後を引用する。「歴史の残酷な意志が私の古き祖国、オーストリア=ハンガリー君主国を打ち砕いたのです。私はこの祖国を愛していました。私は愛国者であると同時に世界市民であることを、オーストリアの全ての民族の中で、オーストリア人でありドイツ人であることを許してくれたこの祖国を愛していたのです。私はこの祖国の美徳と長所を愛していました。そして祖国が滅び、失われてしまった今もなお、この祖国の欠点や弱点を愛しています。この祖国はこうした欠点や弱点をたくさんもっておりました。この祖国は自らの死をもってそうしたものを償ったのです。(中略)諸民族は消え去り、諸帝国も吹き消されていきます。消え去り、吹き消されていくものから、記憶に値するものを、そして同時に人間的―特徴的なものをしっかり記録に留めることが、作家たる者の義務なのです。作家は盲目的かつ軽率に見える歴史が見捨てる個人的な諸々の運命を一つ一つ拾い上げるという、崇高にして謙虚な使命を担っているのです」1932年、ユダヤ系オーストリア人のロートによってしか到達しえなかった見事な認識ではなかろうか。中盤から帝国の辺境に舞台を転ずるこの小説には多くの民族が登場する。スロヴァキアからルーマニア、ウクライナにいたる土地に居住する民族が一つの帝国の中に受容されたという事実は記憶されるべきであろう。民族主義の高まりの中でかかる理想は否定され、皇位継承者の暗殺という悲劇を生んだ。そして先に述べたとおり、まさにこの小説が執筆されていた時代にはありえた「オーストリア人でありドイツ人であること」、つまり世界市民という理念はナチスの台頭によって無残にも消滅する。そしてユダヤ人であるロートにとって、民族主義と優生思想が結合したナチズムは端的に自らの生命をも脅かす恐怖としてその生涯に暗い影を投げかけることとなったのだ。本書は第一次大戦と第二次大戦の戦間期を生き、ファシズムと共産主義のはざまの土地に置かれた者によってしか描くことのできないテーマを扱っている。私たちはロートが「祖国」と読んだ世界帝国の瓦解からホロコーストの地獄まで、つまりこの小説が描いた時代とこの小説が執筆された時代がわずか四半世紀ほどしか離れていないことに思いをめぐらすべきではなかろうか。時代は私たちが考えるよりはるかに早く荒廃するのだ。今日の日本においても。多くの戦死者という代償を払ってようやく私たちが獲得したいくつかの原理を為政者たちは姑息な手段によっていともたやすく破壊した。その一方、戦争に向けての法整備は着々と進められている。私たちは2014年という年をいかなるメルクマールとして振り返ることになるだろうか。奇しくも衆議院選挙を一週間後に控えてこのレヴューをアップする今日はかつて日本が米英に開戦を宣告した日でもある。1914年、サラエヴォのカール・ヨーゼフ、1932年、ベルリンのヨーゼル・ロート、そして2014年の私たち、これらの場所はさほど離れていはいないのではなかろうか。
by gravity97 | 2014-12-08 21:33 | 海外文学 | Comments(0)

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私を強くひきつけるのは、例えば迷宮入り事件のように、未解決性、未決定性、可能性などの「空虚」を充満した事物であります。
漁師が海に釣り糸を垂れます。浮標が海面に浮かんだとき、膨大な海水の体積は、突如可能性の空洞に変貌します。事物の充満はスクラップの山であります。たとえそれが魅力的な女性であっても、傑作といわれる芸術作品であっても、あるいは爽快さを与えてくれる青空であっても同じことであります。「空虚」が充満しなければなりません。
魚が漁師の針にかかり、それを手元に引きあげるとき、その一匹の魚は、彼をとりまく全空間に充満します。魚は釣れてはいけないのです。ここに最も重要な問題があります。逃がした魚がいくら大きくとも、いまだ姿をあらわさない魚は、大きさについてばかりでなく、釣るべき魚として完璧です。不可解な事件を警察は解明してはいけないのです。どうして探偵作家は、せっかく築きあげたみごとな空虚に、結末でもってスクラップをぎっしりつめてしまうのでしょう。
by gravity97 | 2014-12-05 21:32 | PASSAGE | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック