Living Well Is the Best Revenge

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優雅な生活が最高の復讐である

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維新派「透視図」

b0138838_2221529.jpg 本拠地大阪では10年ぶりとなるらしい。維新派の野外公演、「透視図」に足を運ぶ。会場は中之島GATEサウスピアと記されているが、何かの施設ではなく川沿いの空き地であるため地図があってもわかりにくい。同じように公演会場を探しているらしい人たちとしばらく彷徨したが、目的地を見つけるのにさほど苦労はなかった。倉庫街の一角に無数の屋台が蝟集した路地が突如出現したのだ。私にとって維新派の野外公演を見るのは2010年、瀬戸内芸術祭に際して上演された、犬島の「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」以来二回目であり、その際も炎暑の中、屋台で冷えたビールを飲んだ体験が今も鮮やかによみがえる。開場まで時間があったので、今回も屋台に向かう。週末ということもあって屋台村はごった返しており、中央では大道芸が演じられている。なんと犬島で味わったモンゴル風タコスの屋台が今回も出店しているではないか。泡盛を売っていた幼い兄弟は見つからなかったので、今回はしそ入りジンを求めて腹ごしらえをした
 公演の会場について少し詳しく説明しておこう。今回の演目にとって会場の構造が重要であるからだ。客席は階段状で、演劇が演じられる区画に対して平行に設置されている。舞台装置はきわめて単純だ。場内の撮影は禁じられていたため、維新派のホームページにアップされたイメージを示す。縦横3メートル、高さ50センチほどの同寸同型の舞台が客席に向かって4×4、合計16台設えられている。整然と配置されたグリッド状の空間はタイトルの「透視図」を暗示しているかもしれない。客席をはさんで音響設備と照明装置が壁状に設置され、向かって左側のブースの中では上演中、内橋和久が演奏している様子をうかがうことができた。b0138838_22221824.jpgミニマル・アートのごとき幾何学的な形態の反復は以前見た「ろじ式」を連想させ、背後の安治川の川面と大阪の高層ビルを借景とする手法からは犬島の舞台が連想される。開幕するや、左右のスピーカーから流れる内橋の土俗的な音楽とともに顔を白塗りにした白装束の役者たちが舞台の間の通路を規則的に駆けめぐる。個性のない交換可能な俳優たちが、星の名前や動物の名前、いくつもの交換可能な名詞を掛け声のように連呼しながら演じる維新派の演劇の特性を私はかつて範列的(パラディグマティック)と名づけたが、今回の作品でもかかる特性は遺憾なく発揮されていた。劇の前半では登場する役者の数もいつにも増して多く、匿名的な役者たちが走り続ける印象を受けた。特に前半は抽象度が高い。役者は舞台の間をひたすら走り、曲がり、また走る。以前何かのインタビューで北野武が俳優の演技から意味を剥奪するために、俳優たちにとにかく全力疾走するように命じたと言っていたが、この舞台にも具体的な意味のある言葉、意味のある所作はほとんど認めることができない。以前にも記したとおり、維新派の演劇はきわめて絵画的、視覚的であり、観客は夕闇の中、ライトに照らし出され、反復的な音楽とともに繰り広げられる光景、意味を欠いたスペクタクルの前で一種の戦慄さえ覚えたに違いない。劇中で横向きに並んだ俳優たちが足を踏み鳴らしながら左右に移動する場面があるが、これは昨年大阪で見て、このブログでもレヴューした松本雄吉演出の「レミング」の冒頭場面を直ちに連想させた。役者たちは走り回るだけでなく、途中から様々なオブジェを携えて舞台ならぬ、舞台の間の通路を行き来する。鍋や煙突、シャベルや椅子を抱えて機械的な動作を繰り返す白塗りの人物たちの姿は夢の中の情景のようだ。アルファベットや交通標識、先端に様々な記号をとりつけた棒状のオブジェを抱えて役者たちが行き来する情景は内橋がダクソフォーンを爪弾いて重ねる反復的な音楽を得て、倒錯的なまでに美しい。オブジェの先の記号が一瞬、WORLDという単語をかたちづくったように思えたのは私の錯覚であろうか。
 この一方で、この作品の主題も次第に浮かび上がる。白塗りの役者たちとは異なり、特定可能な二人の俳優が言葉を交わす。それは「羊が一匹、羊が二匹」という就眠の呪文が暗示する「羊」であり、もう一つはGATARO、つまり「河童」である。この作品が水で囲まれた島をめぐる物語なのである以上、この舞台に河童が召喚される理由は明らかであろう。二人の俳優は自分たちが居住した地名を言挙げる。それは大阪で「島」を冠したいくつもの地名であり、八百八橋と詠われた大阪というトポスにあって川=水との親近性はこの演劇の前提を構成している。例えば劇中で語られる浚渫船の物語が宮本輝の「泥の河」を参照していることは明らかであり、私はかつて小栗康平によって映画化されたこの名作を直ちに思い起こした。それは当然であろう。舞台の向こうに広がるのは宮本/小栗の小説/映画の舞台となった安治川河口なのであるから。劇中ではこのような川の中の「島」が例えば「羊」の親の出自である沖縄であり、「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」で主題化された南洋諸島である点が暗示されている。この舞台は南洋諸島、大日本帝国の版図と深い関係を有しているのだ。劇中では東南アジアの都市の名が連呼されるが、このシーンは維新派のこれまでの舞台を再現するかのようではないか。この一方、「透視図」は、この公演が大阪という現実の街で上演されていることを絶えず意識させる。幻想的な舞台の背景にかすむ高層ビルはデペイズマンの効果を示す。大阪の方言が強調されるとともにかつての大阪の風景が叙述される。随所に挿入される「ただいまよりX時X分X秒をお知らせします」という機械的なアナウンスも同様の効果をあげている。時報は演劇が進行している時間をリアルタイムで私たちに告げる。つまりこの演劇は川/海を介して沖縄や南洋といった別の場所を指向すると同時に、観客が2014年の安治川河口、現実の時間と空間の中につなぎ止められていることも意識させるというアンヴィバレンツな構造を有しているのだ。
 劇の終盤に驚くべきスペクタルが繰り広げられる。最初に書いたとおり、観客は一段高い階段状の観客席に座り、碁盤目状に配された舞台とその間の通路で繰り広げられる演劇を目にしていた訳であるが、通路の部分に急に影が差しこむ、私はたまたま一番通路に近い観客席に座っていたので直ちにこの異変に気づいた。過去の芝居に身長4メートルの巨人が出現したことを思い出した私は、思わず観客席の背後を振り向いたが誰もいない。その代わりに通路に落ちた影は濃さを増し、怒濤のような音を立て始めたではないか。通路の部分に大量の濁流が浸入してきたのである。以前にも同様の手法が用いられたかもしれず、維新派の芝居と水の親和性については私も知っている。しかし今回を含めて維新派の野外劇を二回しか見たことのない私にとって、これは実にショッキングな演出であった。明らかに安治川と源を同一とする水流はたちまち舞台を洗い、ひざの高さくらいまで場内を浸した。役者たちは水しぶきを立てて通路を駆けめぐる。16の舞台は水に隔てられて16の島となる。観客席も川の中の島と化す。それまで劇中で暗喩として語られていた「島」はいきなり劇場そのものの換喩として現実化されるのだ。
 この舞台において水は背後から水平に導入される。この点をスペクタクルという観点から考察してみよう。水平的なスペクタクルとはまことに維新派らしいヴィジョンではなかろうか。スペクタクルとは人を圧倒する情景であり、多く垂直的な構造を有しているように思われる。なぜなら圧倒的な存在に直面する体験こそがその本質であり、この問題は抽象表現主義絵画と崇高の問題へと敷衍できる。垂直的なスペクタクルという言葉から私はヒトラーの建築家、アルベルト・シュペーアがナチスの党大会で無数のサーチライトを垂直に照射して演出した「光の大聖堂」を想起する。垂直のスペクタクルが権力や権威と結びつくのに対して、維新派のスペクタクルは一望性、端的に「透視図」としての特性を有しているのではなかろうか。そもそもこの演劇自体が通常の舞台と比べて極端に奥行きのある空間で演じられている。水の流入、役者の動き、この作品においては移動というモティーフが明らかであるが、かかるモティーフは沖縄から大阪、そして大阪においても三度、「島」という文字のついた土地に引っ越したという役者の台詞へと反映されるが、「台湾の灰色の牛」においても移民や流民といった主題が扱われていたことを考えるならば、実は水平性と移動こそ維新派の演劇の本質とはいえないだろうか。今、私は垂直のスペクタクルが権力や権威と結びつくと述べた。これに対して水平性はヒエラルキーを解体する。この点も維新派の演劇の本質と関わっているだろう。何度も記したとおり、多くが白塗りで白装束をまとった維新派の役者たちは個性をもたず、一斉に同じ言葉を発語することによって台詞さえも喪失している。台詞として発せられる言葉が交換可能であるように俳優たちも交換可能なのだ。維新派に看板役者やスターは存在しない。このような水平的なシステムは演劇においてきわめて特異であろう。維新派の役者たちに必要なのはカリスマ性や演技力ではなく体力だ。劇の終盤で濁流に洗われる16の舞台/島の間を役者たちは軽やかに跳躍してめぐりながら退場していった。2010年、瀬戸内海の犬島。2014年、大阪の安治川。島から島へ。次は、いつ、どこで私は彼らと再会することができるだろうか。
by gravity97 | 2014-10-30 22:36 | 演劇 | Comments(0)
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 大江健三郎の自選短編集が岩波文庫から刊行された。短編集といえども800頁を超える大冊で1957年の処女作「奇妙な仕事」から1992年の「マルゴ公妃のかくしつきスカート」まで23編の短編が収められ、半世紀以上にわたる活動の全貌をほぼ通覧することができる。収録にあたっては全ての作品に加筆修正が施されており、帯に記された「大江短編の最終定本」という言葉に誇張はない。これらの短編は「初期短編」「中期短編」「後期短編」の三部に分類されている。後でも述べるとおり、大江の短編は時期的に偏りがあり、三部構成も分量としてそれぞれおよそ300頁、400頁、100頁とばらつきがある。以前、「晩年様式集」をレヴューした際にも記したが、私は大学以来、時に若干のタイムラグを置きながらも大江の小説を比較的熱心に読み継いできた。なぜか今世紀初めに発表されたスウード・カップル三部作「取り替え子」「憂い顔の童子」「さよなら私の本よ!」を三冊揃って読み落としたことを除けば、大半の小説に目をとおしている。したがってここに収録された短編についてもその多くをすでに新潮文庫、もしくは初出の単行本ですでに読んでいる。正確を期すならば、この短編集に収録されている作品のうち、私が未読であったのは「中期短編」中の連作短編集『静かな生活』に収められた二編、そして「後期短編」としてまとめられた四編のみであった。これまで時を隔てて読み継いできた大江の小説を、短編を連ねて読み返す作業は自分の読書体験を一度巻き戻して早送りするかのようで楽しかった。
 例によってテクスト・クリティークから始めよう。表紙の写真からもうかがえるとおり、今回、本書を刊行するにあたって大江は当初のテクストにかなり徹底的に手を加えている。大江の言葉を借りるならば、「私にとって読み直すことは部分的にであれ書き直すこと」なのだ。実際、大江はあとがきのなかで事実上の処女作「奇妙な仕事」を東京大学新聞に発表した直後、初めて活字になったテクストを繰り返し読んで、直ちに書き直すことを願ったと記している。表紙に掲げられた写真は「空の怪物アグイー」の一部であり、この写真と新潮文庫版を対照するならば写真に示された訂正を経て、本書に収録された最終定本の「空の怪物アグイー」が完成されたことが理解される。写真からうかがえる限りでもかなり徹底的な推敲がなされている。ただしその多くは文彩もしくは時間の経過を理由とした修正であるようだ。先日、『現代思想』の「大学崩壊」という特集を読んでいると、この短編集の冒頭の「奇妙な仕事」において、初出時には東大生である「僕」に対置されていた「女子学生」と「私大生」のうち、「私大生」が「院生」と修正されていることにやや批判的な記述を目にしたが、これは今日的な視点を得て初めて可能な批判であろう。これらの小説の大半を読んだ20年以上前の記憶がもはやおぼろげであることを勘案したとしても、井伏鱒二の「山椒魚」の場合のような内容に関わる修正は加えられていないはずだ。
 収録された23編の短編がいずれも大江の代表作であることに疑いの余地はないが、大江自身は選択の基準を明らかにしていない。あとがきの中に「残すものより除外するものが思っていたより多くなりました」という一文が残されているのみである。先に触れた初期、中期、後期の比率はおそらくはそれぞれの時期に大江が執筆した短編の量に比例しているであろう。小説的完成度とは別に大江は基本的に長編作家であり、代表作が例えば「個人的な経験」、「同時代ゲーム」、「燃えあがる緑の木」のいずれであるかについては議論があろうが、長編であることに疑いの余地はない。そしてあらためて本書を通読して、私は大江が短編を執筆した時期にかなりむらがあることを知った。収録された短編の初出一覧を確認するならば「初期短編」の最後の「空の怪物アグイー」が発表されたのは1964年1月、「中期短編」の最初の「頭のいい『雨の木』」が1980年1月であるから、初期と中期の間に16年もの間隔があるのだ。大江の作品を確認するならばこの間に「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「同時代ゲーム」といった傑作長編が次々に発表されているから、かかる不在は理解できないこともない。しかしこの間にも本書には収録されていないが、私にとっては大江の短編集として強い印象のある「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(私にとってもっとも鮮烈なイーヨーのイメージが刻まれた作品だ)と「見るまえに跳べ」も上梓されており、大江がどのような意識に基づいてここに収録された作品を選んだのか、もう少し説明がほしい気がする。「中期短編」に収められた短編はいずれも独立した短編ではなく、短編連作集から数編が選ばれている。具体的に述べるならば「『雨の木』(レイン・ツリー)を聴く女たち」から3編、「新しい人よ眼ざめよ」から4編、「静かな生活」から2編、そして「河馬に噛まれる」から2編である。同じ時期に発表された「いかに木を殺すか」から本書に収録された短編がない理由は、それが純然たる短編集で連作短編の形式をとっていないためであろうか。「後期短編」としてはややまとまりのない4編が選ばれている。存命中であるにもかかわらず、「後期」と名指すあたりはいかにも「晩年様式集」の著者らしい。ただし「中期」と「後期」の間にはさほど積極的な区別はないだろう。発表順としては先であっても「後期」の範疇に収められている作品もある。
 久しぶりに読み返して、まず初期の短編のみずみずしさに感銘を受けた。初期の作品がサルトルと実存主義の強い影響を受けていることは明らかだ。多くの作品が一種の不条理な状況に追い込まれた人物を描き、出口なしの閉塞が語られる。冒頭の「奇妙な仕事」と「死者の奢り」は犬の屠殺と死体が保存された水槽の保守といういずれもなんとも陰惨なアルバイトに応募した「僕」を主人公としている。平野謙によって同工異曲と評されたらしいこれら二つの短編は吠え続ける実験用の野犬と水槽に浮かぶ死体といういずれも鮮烈なイメージを核としている。肛門に胡瓜を挿入した縊死体、妹の恥毛が写ったカラースライド、あるいは降雨を葉むらに貯める樹木、大江のいくつかの作品はきわめて明確で限定的なイメージから出発しているが、かかる特質は最初期の二編にすでに明らかといえよう。「他人の足」と「人間の羊」は実存的状況への他者の介入を主題としている。実存に他者が介入することは可能か。かかる問題に性的な主題を絡めるのが初期の大江の短編の特質であり、粘液的な文体もこれらの主題に対して効果的に使用されている。この意味においても「セブンティーン」は初期の大江の一つの頂点を画しているだろう。性と政治、鬱屈した青年の内部の葛藤が発表当時の社会的緊張感の中に浮かび上がる。この短編集に、発表直後に右翼の攻撃を受け、今日にいたるまで大江のどの作品集にも収められていない「セブンティーン第二部 政治少年死す」が収録されていない点は残念である。浅沼委員長刺殺事件を扱って当時においてはスキャンダルであっただろうが、もはや当時ほどの衝撃があるとは思えず、何より「セブンティーン」の末尾における主人公の昂ぶりは続編を読むことによって、より明瞭に理解できると考えるからだ。芥川賞受賞作の「飼育」、そして「不意の唖」は初期の傑作中編「芽むしり仔撃ち」と通底する。地名こそ特定されていないが、おそらくは四国の山間部、これ以後の大江の小説で決定的な意味をもつトポスを舞台としている。私はこの二作、そして「人間の羊」がアメリカによる日本の占領という一つの時代を舞台としている点に関心をもった。第一次戦後派の作家たちが大戦を顕在的/潜在的な主題とした多くの作品を発表したのに対して、占領下の日本を扱った文学は比較的少ない。他国による占領というかつて日本が経験したことのない時代は、「遅れてきた青年」である大江によって服従と反抗、閉塞や性的倒錯といった主題へと転換された。この時期は大江が自分たちの「時代の精神」と呼ぶ「不戦と民主主義の憲法」が与えられた時代でもあるが、この一方、江藤淳が明らかにしたとおり、占領政策としての検閲が進められたことも記憶されるべきであろう。そして「初期短編」の最後に収められた「空の怪物アグイー」は大江自身も自らの作品の主題としてきた一種の実存的な危機に直面したことを暗示している。頭に障害をもつ長男、光の誕生である。この個人的なエピソードは直接には「個人的な体験」という傑作に反映されるのみならず、これ以後の大江の小説にほぼ一貫する主題系列をかたちづくる。
 初期の中編が一人称で語られながらも、必ずしも主人公は作家自身に同定されなかったのに対し、中期以降、大江は(光の妹を語り手とした「静かな生活」といった例外は存在するにせよ)自らの実体験を濃厚に反映し、作家自身を語り手とした擬似的な私小説を書き継いでいった。先にも述べたとおり、ここでしばしば連作短編という形式が用いられたことは興味深い。注目すべきはそれらの連作を統一するモティーフだ。例えば最初に収録された「『雨の木』を聴く女たち」連作においては、タイトルに示された「雨の木」、夜中の驟雨を茂みに溜めて翌日の昼頃まで水を滴らせる樹木のイメージが一種の通奏低音として短編集を束ねている。そして多くの場合、先行する文学作品がその傍らに置かれる。「『雨の木』を聴く女たち」ではマルカム・ラウリー、「新しい人よ眼ざめよ」においてはタイトルどおり、ウィリアム・ブレイク。この後、ダンテやサイードがこのリストに加わることを私たちは知っている。障害をもった息子の成長に先人の言葉を重ね、自らの生活を文学的に総括するという大江の基本的な執筆姿勢はこの時期以降、形成されていく。短編の連作という形式は日常の断片を異化して作品化するにあたって有効であったかもしれない。大江の長編に時に浅間山荘事件やオウム真理教事件といった社会的事件の反映をうかがうことができるのに対して、ここに収録された中期の短編では「河馬に噛まれる」に連合赤軍事件の残響が認められることを例外として、大江の日常、とりわけ光との交流の描写が中心となっている。国際会議や取材旅行を理由としてしばしば外国が舞台とされている点も当時の大江の生活を反映しているだろう。さらに大江をめぐる知的なサークルの存在もこれらの短編に大きな影を投げかけている。多く頭文字、時に名前を変えて言及される芸術家や学者たちが、例えば作曲家の武満徹であり、文化人類学者の山口昌男であり、哲学者の中村雄二郎であることは大江の読者であれば誰でも了解されよう。岩波系、あるいは「へるめす」系とでも呼ぶべきこれらの「文化人」たちが今や多く鬼籍に入り、世界樹やトリックスター、中心と周縁、あるいは文化記号論といった80年代文化のキーワードもいささか古びた印象がある。しかし明らかに大江は彼らとの交流から多くを学び、自らの作品の中に生かした。私は例えば山口や中村の80年代の仕事が今日どの程度の普遍性をもちうるかという点には少々懐疑的であるし、実際、近年彼らの仕事について言及される機会は著しく減っているように感じもするが、彼らの仕事に触発されて執筆された大江のこれらの作品の重要性は今後も決して減じることはないであろう。
 ダンテ、アウグスティヌス、ラヴレーから渡辺一夫まで大江が古今東西の師匠(パトロン)たちを自らの作品に招き入れ、傑出した小説群として結実させたことは明らかであり、この自選短編集を読むならば、その経緯がていねいに説明されるかのようだ。先に「晩年様式集」についてレヴューした際、この小説の巻末に記された一つの詩句に、私は大江が小説に託した希望をうかがった。それは次のようなものであった。「私のなかで/ 母親の言葉が、/ はじめて 謎でなくなる。/ 小さなものらに、老人は答えたい、/ 私は生き直すことができない。しかし/ 私らは生き直すことができる。」この短編集の最後に収められた「火をめぐらす鳥」という短編の最後には伊東静雄の次の詩が何度か引かれる。「〈私の魂〉といふことは言へない/その証拠を私は君に語ろう」私は大江が「最後の小説」として執筆した「晩年様式集」の最後に引かれた詩句と「最終定本」として加筆修正したこの短編集の「最後の短編」に引用された詩句の共通性に関心を抱く。果たしてこれらが大江の「最後の長編小説」と「短編小説の最終形」となるのであろうか。おそらく大江自身もよもや80歳を過ぎてから「不戦と民主主義の憲法」が否定され、震災と原子力災害以後の「侮辱の中に生きる」ことになるとは思わなかっただろう。今や私たちはかかる異常事態の中にいる。賞の是非はともかく、「ノーベル賞作家」として国際的にも大きな発言力をもつ大江がかかる不条理、出口なしの実存的状況に対して新作によって応えることを望むのは私だけではないはずだ。
by gravity97 | 2014-10-20 10:06 | 日本文学 | Comments(0)

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by gravity97 | 2014-10-16 19:52 | BOOKSHELF | Comments(0)
b0138838_2047782.jpg 『ユリイカ』連載時より話題となっていた飯島洋一の「『らしい』建築批判」が大幅な加筆修正のうえ、刊行された。きわめて刺激的で挑発的な論考であり、美術に関わる者としても看過できない多くの重大な問題を扱っている。私はこれまでも飯島の建築論をずいぶん読んできた。とりわけ同時多発テロと東日本大震災を顕在的/潜在的な主題とした『建築と破壊』と『破局論』は印象に残っている。しかし今世紀の二つの「破局」を主題としながらも、飯島の論考はどちらかといえば抽象的、韜晦的であった。これに対して本論はきわめて具体的かつ攻撃的であり、私はまず飯島の書きぶりの変化に驚いた。そして飯島が徹底的な批判を加えるのは安藤忠雄と伊東豊雄という日本の建築界、いや世界の建築界のトップランナーなのだ。飯島は次のように記す。「それならば、安藤忠雄や伊東豊雄には、1970年代以降の建築家の、いわばその代表者の立場にあると、そのように演繹的に考えてもいいはずである。だから彼らには、それなりの社会的責任というものがある。そのため私は、この本で、あえて彼ら二人を集中的に俎上に載せた。それは決して間違った判断ではないと確信している」私には飯島の批判が二人の建築家のみならず、文化の体制と深く関わっているように感じられる。それは飯島の言葉を用いるならば「革命の終焉」であり、それ以後、表現を生業とする者がいかに生きるべきかという問題だ。飯島の問題提起が論理的というより倫理的であるのはこのゆえであり、これから述べるとおり同じ問題は建築のみならず、現代美術にも深く関与している。
 本書を執筆した動機が新国立競技場の設計競技のコンペティションに対する強い異議であったことを飯島は冒頭で明らかにしている。周知のとおり、安藤忠雄を審査委員長として進められたこのコンペではイラク出身の花形女性建築家ザハ・ハディドのプランが最優秀賞を得た。しかしハディドのプランに対しては槇文彦が異論を提起し、さらに(飯島によれば当初から明らかであったとおり)予算の大幅超過が明らかになるなど、いまだにその帰趨は定かではない。飯島はこのコンペ自体が公的な「公開コンペ」であるにもかかわらず、応募資格が著しく制限されている点を批判する。すなわちこれまでに15000人以上を収容するスタジアムを設計した経験のあること、もしくは世界的に権威のある五つの建築賞のいずれかの受賞者であることが応募の条件であり、初めから実質的に若手の才能のある建築家たちを排除しているのだ。ちなみに二番目の条件とされている五つの建築賞の全てを受賞しているのはおそらく安藤忠雄だけであろうとのことだ。このような制限を設けてまでもなぜ主催者そして審査員たちは大物建築家のみを選抜の対象として、そしてハディドの奇抜な案を選んだのか。飯島は次のように推理する。「端的に言えば、東京五輪招致のプレゼンのために、この派手なハディドの案と、さらに言えば、世界的建築家ザハ・ハディドの名前とがとにかく必要だったのである。(中略)コンペの審査のプロセスで、何よりもはっきりと求められていたのは、最初からそのような五輪の祭典に適うスター建築家、そしてブランド建築家の存在だったのである」私はこの見立ては正しいと思う。今やハディド案は予算オーバーのために大幅に縮小されて実施される可能性が高い。(この予算はいうまでもなく私たちの税金によって賄われている)飯島は「(招致委員の一人である)水野が自慢げに掲げたものよりも、東京五輪のメイン・アリーナは、確実に劣るものができることになったのだ。それならばIOCとしても、これでは当初と話がまるで違うではないかと、今からそう主張しても全くおかしくない」かかる欺瞞と完全な相似形をなすのは私たちの首相が五輪招致のプレゼンテーションで述べた「汚染水が完全にコントロールされている」という虚言である。私は2020年の東京オリンピックとは日本にとって将来の汚点となる不正義以外のなにものでもないと確信しているが、招致のプレゼンテーションを取り繕うために嘘で固めたアリーナのプランと首相の演説、いずれもこの事業の本質を暗示している。そして飯島はかかる強引さが建築をめぐる現在の状況の裏返しであると指摘する。「こうしたことは、ただ建築家ザハ・ハディド一人だけの問題でなく、実は現在の先進諸国の世界的な建築家の多くに、かたちを変えて感じ取れる事柄なのである。こういう傾向はすでに20世紀末から少しずつ見えはじめていたが、それが今や止まることを知らないところにまで暴走している。そしてこの暴走へのかなり強い危機感が、いまあえて本書を執筆した私の最大の動機である」
 飯島が指摘するとおり、同様の強引さは安藤や伊東、ハディドのみならずフランク・ゲーリーあるいはレム・コールハス、SANAAの建築にも指摘できるだろう。以前私はこのブログでビルバオのグッゲンハイム美術館を訪れた際の印象について論じたが、「アイコン建築」の典型とも呼ぶべきこの美術館においてはフランク・ゲーリーの意匠が全面展開し、展示される作品はどうでもよいといった印象を受けた。この美術館にリチャード・セラは《スネーク》という蛇行する曲面の大作を設置したが、その際にセラとゲーリーの間で確執があったと何かで読んだ記憶がある。あるいはニューヨークのニューミュージアム、金沢21世紀美術館、兵庫県立美術館、有名建築家によって設計されたこれらの美術館のいずれも私は展示効果、あるいは美術館としての機能という点で感心したことがない。それぞれの建築家のブランドを美術館という場で誇示したに過ぎないからだ。
 このような傾向を飯島は歴史的に概観する。飯島によればこのような傾向が顕著となるのは1970年代以降であり、断絶は1968年に画された。いうまでなくパリ、五月革命の年である。飯島はル・コルビュジエから説き起こし、この建築家が推進したモダニズムが革命の精神と深く結びついていた点を論証する。飯島は革命とモダニズムが車の両輪のように稼働して、アカデミズムと激しい戦いを繰り広げた様子をウィリアム・モリス、ドイツ工作社連盟などの活動を丹念に追いながら検証する。革命を是としたモダニズムはアメリカにおいてフィリップ・ジョンソンのインターナショナル・スタイルの中で換骨奪胎される。本書の中で飯島は磯崎新の言葉を引きながら、この点を明快に説明する。「問題は、モダニズムがスタイルなのかイデオロギーなのかということだと思うんです。イズムである限りイデオロギーであるはずですが、我々が建築のモダニズムを見ていると大体スタイルなんですよね。(中略)だから彼(フィリップ・ジョンソン)にとってモダニズムはスタイルなんです。イデオロギーはなくなっている。インターナショナル・スタイルの成立に伴うイデオロギーなきスタイルの台頭、そして1968年における革命の終焉。この二つの事件を経て1970年代以降、資本主義が一人勝ちする社会の中で建築は大きく変わる。飯島は次のように的確に評している。「1968年の革命終焉以後の資本の論理に大きく準じる建築が、つまりスノビズムに準じることが、ここで言う趣味的という概念である。つまり、よりわかりやすく言えば、それからの建築家はお金だけがものを言う建築を、嫌でもつくるようになったのだ」冒頭の新国立競技場のコンペと関連して飯島は次のようにも述べている。「当時、まだ東京都知事だった猪瀬直樹はIOCへのプレゼンテーションの中で、東京都には銀行に行けば明日にでも下せる多額のキャッシュがあると主張していた。猪瀬はまるでそのお金は自分が全て稼いだものであるかのように胸を張っていた。その姿は、お金さえあれば、この世界では何でもできるのだと、傲慢になっている人間の姿に見えた」この意味においてもハディドのプランはまことに「東京五輪」にふさわしいといえよう。
 ハディドのプランへの批判は本書全体を通底し、これから私が美術に引きつけて論じるような問題へと応用可能な射程を有している。問題はきわめて単純だ。建築は設置される場所とどのような関係をもつべきか。飯島は安藤に即しながら、その変節を検証する。少なくとも初期において安藤はこの問題を思考している。安藤の初期作品はケネス・フランプトンによって「批判的地域主義」と呼ばれ、地域に対する意識を持った建築とみなされている。やや屈折した議論となるが、例えばよく知られた「住吉の長屋」を飯島は場所性と歴史性を無視してコンクリートの箱を挿入し、住吉区の長屋の連続性を切断していると批判する。しかしこのような建築に安藤は「都市ゲリラ」の名を与えて、ネガティヴな意味づけであるにせよ、少なくとも建設された時点においては場との関係を意識し、一種の緊張感を建築に与えていると私は考える。問題はこれらの一連の作品によって自らのブランドを確立した後の建築家のふるまいだ。例えば彼のブランドであるコンクリート打ち放しの建築が海外に応用された2008年の「スリランカの住宅」と2011年、メキシコの「モンテレイの住宅」をみるがよい。「安藤の二作品からは、二つの異なる場所の相違がまるで感じ取れないのである。(中略)そもそも、スリランカやモンテレイという風土や当地の施工技術に、安藤忠雄の打ち放しコンクリートが無理なく合うものだろうか」飯島は施工にかかる条件や安藤の著述を詳細に検討したうえで次のように結論づける。「(安藤がこの二つの建築で用いた)たとえばそのZ型の幾何学が、あるいはその研磨されたコンクリート打ち放しが、さらには『安藤忠雄がつくった』という事実が、安藤忠雄のブランドであり、商標であり、ロゴだからである。すなわち、スリランカやモンテレイの資産家たちが心底欲しがっているのは、彼の建築ではなく、その建築の出来栄えですらなく、この安藤忠雄のロゴである」ここで指摘された施主の意図は当然安藤も了解しているだろう。もちろん建築とは施主がいて初めて成立するから、私は単純に安藤を批判しようとは思わない。しかし、かつてル・コルビュジエ、革命の建築家に心酔して建築を志したはずの安藤にとってこのような妥協は自らの建築家としての生き方の根幹に関わるのではないだろうか。安藤によれば「スリランカの住宅」は次のような人物によって求められたらしい。「クライアントは、現地で製造業を興し、グローバルな企業へと発展させた会社社長である夫、スリランカの風土にインスパイアされた作品をつくり続けている画家である妻の、ベルギー人夫妻である。一年の多くをスリランカで過ごし、その風土と文化、人々をこよなく愛している」なんのことはない、第三世界を収奪している「グローバル」企業のオーナーがオリエンタリズムとモダニズムのアマルガムとして世界的な日本人建築家のロゴを現地に求めただけではないか。もちろん私はそれを批判できる立場にはいない。しかし安藤忠雄という才能が結局のところ、革命ではなく資本主義のアイコンへと堕してしまったことは否定しがたい。飯島はこの状況を次のように評している。「こうした事情は世界の建築界においても、まるで同じことである。いわば世界の建築の動向は、安藤忠雄『らしい』建築が、つまり定番商品が欲しいというマーケットの欲望の中で、常にくるくると回り続けているのである」
 「マーケットの欲望」というキーワードを得て、話題を変えよう。先般、東京国立近代美術館で「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」という長いタイトルの展覧会が開かれた。台湾のヤゲオ財団が収集した現代美術の名品を紹介する展覧会であり、現在も国内を巡回しているはずだ。リヒターやデ・クーニング、杉本博司からグルスキーまで私好みの作品も多く、展示された作品のクオリティーはかなり高い。しかし私はここに展示された作品が形式においても内容においてもいかにもばらばらであることを不審に感じた。その理由は本書を読んで腑に落ちた。飯島は安藤のロゴを求めるようなクライアントがしばしば現代美術のコレクションを有することを指摘し、辛美沙の文章を引用してこのようなクライアントの人物像を描写している。それによれば「情報技術の革新と金融のグローバル化に伴い、プライベートジェットで好きな場所に行き来し、超高級デザイナーズコンドミニアムを世界中にいくつも所有し、マンションに住まうヘッジファンド長者たちにとって、安ものの作品で自宅の壁を飾ることなどありえない。高額のアートを買うことは、豪華なクルーザーを所有し、秘境の高級リゾートに出かけ、子供をスイスのボーディングスクールに通わせ、プラダやグッチを身にまとうことと同様に、ライフスタイルの一部であり、あるソーシャルキットに属するための必須アイテムなのだ」この描写にヤゲオ財団があてはまるかどうかは今は措く。しかし私にはそこに展示されていた作品のラインナップが安藤の建築同様に、富裕層にとって共通のアイコン、チャールズ・ジェンクスのいうアイコン建築ならぬアイコン美術作品で占められていたように感じられたのだ。それであれば作品の統一感のなさも了解される。確かにヘッジファンド長者たちは一昔前のバブル長者のように、作品を投機の対象とみなしてはいないかもしれない。それは彼らの生活、正確には帰属する階級のシンボルなのだ。むろん美術品とは常にそのようなものであったかもしれず、それが動産である以上、対価を払って所有することは可能だ。しかし私はこのような意識に基づいて作品を収集することが正しいとは考えない。少なくとも私が作品に求める価値とは異なる。このようなアイコン美術作品を麗々しく並べて、コレクションを顕揚することが果たして美術館が果たすべき役割であろうか。私はこの展覧会を東京で見たが、その際には作品の横に作品価格にかんするインフォメーションが掲示されていたと記憶する。それはアイコン美術作品に対するアイロニーというより、端的に美術館が「マーケットの欲望」に跪拝した敗北宣言のように感じられた。
 美術館や展覧会という制度と関連させながら、飯島は建築と芸術を峻別する。「何よりも重要なのは、建築はそれを使う人たちのためのものだという当たり前の事実である。だからお金を出す人よりもそれを実際に使う人の意見を素直に聞くのが、本来の建築家の正しい在り方である。この当たり前の仕事が、本質的に全ての建築家に使命として求められている。その意味で建築家とは芸術家ではなく、あくまでも設計技術者であるべきである」この意味において飯島は美術館における「建築展」に対しても批判的である。「こうした事態に並行するのが、一部の美術館の学芸員の、建築に対する最近の際立ったスタンスである。一部の学芸員は、若手建築家の、『建築』としては構造的にとても実現できないプロジェクトを面白がって、それを『建築作品』として自分たちの美術館で堂々と展示している」石上純也らを例証としてなされるこの批判は重要である。建築に関わる展覧会は現在も流行しているが、それは特定の場所にしか存在しえない建築を、美術館という特権的な場所に導入するという本来的に不可能な試みである。しかしアースワークの作品が様々な手法でギャラリーや美術館に持ち込まれて売買されたように、今や建築に付随する様々の表現が美術館で展示されている。本書で手厳しく批判される二人の建築家が自分の名を冠し、自分自身の「建築」を展示する美術館を設計していることは偶然ではないだろう。本来であれば施主に属すべき情報が「マーケットの欲望」に応じて、「作品」化されて麗々しく美術館に展示される。ここでも美術館は「マーケットの欲望」に奉仕している。私は美術館がこのような欲望から超然としてあれ、といった理想論を打ち上げるつもりはない。そもそも「近代美術館」にホワイトキューブの空間が成立したことによって、私たちはあらゆる時代、あらゆる地域から「美術作品」を拉致して、「展覧会」という制度に接続させることが可能となったのであり、美術館がかかる建築、かかる制度と密接に結びついている以上、革命に代わって資本に殉じる建築や美術を私たちはたやすく否定することはできない。
 本書はきわめてペシミスティックな言葉で結ばれている。「結局、いくら資本主義を激しく批判しても、最終的な結末は資本主義の勝利に終わるのである。(中略)したがって建築家は、これからも、イデオロギー抜きの趣味的な社会で、ただ資本主義体制に倣っていくだけである。少なくとも、いま、はっきりとわかっていることは―これは絶望的な事実であるが―ただ、それだけなのである」今後建設され、神宮外苑の歴史的景観を完膚なきまでに破壊するザハ・ハディドの新国立競技場はこのようなペシミズムを絶えず想起させるまことにネガティヴなアイコンとなるだろう。金だけがものをいう建築、美や完成度ではなく市場価値のみを価値基準とする美術。革命の終焉から半世紀、私たちが生きているのはなんとも寒々しい世界だ。
by gravity97 | 2014-10-07 20:50 | 建築 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


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