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ホセ・ドノソ『別荘』

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 待望久しいホセ・ドノソの「別荘」がついに翻訳された。一読して圧倒される。まぎれもない傑作であり、ラテンアメリカ文学の奥深さを思い知る。ただし本書のレヴューは決して容易ではない。
 ドノソといえば短編を中心に既に何冊か訳出されており、「隣りの庭」についてはこのブログでも論じた。主著と呼ぶべき「夜のみだらな鳥」は「集英社版世界の文学」の一冊として1976年に刊行されているが現在は絶版で、近いうちに水声社から復刊されるらしい。もちろん私は「夜のみだらな鳥」も読んでいる。相当に難解な小説であったが、オブセッシヴでグロテスクなイメージの横溢に陶然としたことを覚えている。ずいぶん前に読んだこともあって記憶が薄れ、今回本書とうまく比較できないことは残念だ。「夜のみだらな鳥」についてルイス・ブニュエルは次のように評しているという。「これは傑作である。…その凶暴な雰囲気、執拗きわまりない反復、作中人物の変身、純粋にシュルレアリスティックな物語の構造、不合理な観念連合、想像力の限りない自由、何が善であり悪であり、また何が美であり醜であるかについての原則の侮辱的な無視に私は度肝をぬかれた」この評はかなりの程度、「別荘」にもあてはまる。いずれの小説もチリのブルジョア階級の無残な頽落を主題としており、語られる物語はシュルレアリスムやゴシックロマンと共通性をもつ。この小説が一つの寓話であると断定することはたやすい。しかしその寓意について語ることは困難を伴う。巻末に本書が執筆された場所と時期が記されている。それによると執筆の開始は「カラセイテ、1973年9月18日」。カラセイテはドノソが愛したスペインの小村。問題は日付だ。1973年9月18日、その一週間前にチリではもう一つの9・11が発生した。この日、ピノチェットによる武力クーデターによってアジェンデ政権が倒された。この経緯を小説の中に織り込んだイザベル・アジェンデの傑作「精霊たちの家」については既にこのブログでレヴューした。ピノチェットのクーデターの一週間後に執筆が開始されたことは、本書がこの事件を反映していることを暗示している。しかし執筆に6年を擁したこの小説の寓意を読み解くことは決して容易ではない。ここでは内容にも立ち入りながら本書を論じるが、私が読み解いた内容が正しいという保証はない。というのも「夜のみだらな鳥」と同様に、この小説においても何が真実かを見極めることはきわめて困難であり、私が論じるのは読解の一つの可能性に過ぎないからだ。
 この小説の舞台と登場人物はきわめて限定されている。おおいにチリを連想させる国のマルランダという土地が舞台であり、登場するのは別荘の大きな屋敷に住むベントゥーラ一族、彼らに傅(かしず)く使用人たちの一団、そして土地の周辺に住む「原住民たち」、さらに物語の中に明確には登場しないが、その脅威が語られる「人食い人種たち」だ。ベントゥーラ一族は直系の7人の兄弟姉妹と一部に物故者も含む彼らの配偶者、そして彼らの35人の子供たち(ただし2人は既に死亡)から構成される。これらの眷族の一覧が冒頭に掲げられていることは本書を読むうえで大いに助けとなる。ベントゥーラ一族は「首都でダンスとオペラのシーズンが終わると」多くの馬車を仕立てておびただしい家財道具を運び込み、夏の間の三ヶ月、使用人たちともにマルランダの別荘に移り住む。別荘の近郊にはこの一族が所有する金の鉱山があり、「原住民たち」によって採掘、加工され、この別荘に運び込まれる金箔こそがベントゥーラ一族の莫大な富の源泉なのである。別荘の周辺はグラミネアという槍のような穂をもつ獰猛な植物によって覆い尽くされている。マルランダはもともと肥沃な美しい土地であったのだが、簡単に栽培できて食料も飼料にもなり、油も採れるという触れ込みで持ちこまれたグラミネアの種が異常な繁殖力とともにこの地の木々や植物を絶滅に追い込むまでに繁茂し、別荘の周囲を埋め尽くしたのだ。このあたりイヴ・タンギーの絵画を連想させないでもなく、別荘が孤絶していることを暗示している。ある夏、ベントゥーラ家の親たちが退屈しのぎに近くの景勝地へとピクニックに出発することを思い立った時点から物語が起動する。親たちは全ての使用人を引き連れて朝早くピクニックに出かけ、屋敷にはいとこの関係にある33人の子供たちが残される。しかし実は屋敷にはベントゥーラ一族の末娘バルビナの夫であるアドリアノ・ゴマラが狂人として幽閉されていた。伯父や伯母、そして使用人たちの不在を知るや、ゴマラの息子で9歳のウェンセスラオは父の救出を試みる。ただしこの小説は決して因果律に沿って単線的には展開しない。時間も相互の関係も不明の挿話が次々に重なり、しかもその多くが不気味で不吉な暗示を秘めている。例えば第二章ではゴマラの「発狂」とウェンセスラオの妹たちの死をめぐるエピソードが語られるが、それはこの物語全体の通奏低音の一つである人肉食と関わっている。第三章は別荘とグラミネアが繁茂する外界とを隔てる無数の槍をめぐる物語だ。従兄弟たちの一人、マウラは密かにそのうちの何本かを抜き去り、これによってグラミネアは屋敷の内部へと侵入し、この小説のカタストロフィーを予示することとなる。さらに続く章では屋敷の中でいとこ同士の同性間を含めた近親姦を暗示するエピソードが語られる。年長者たちの不在を契機として一つの集団が変容する場面から私はスウィフト/寺山修司の「奴婢訓」を連想した。この演劇は主人の不在を主題としており、グロテスクなイメージの横溢、異形の登場人物など通底する部分も多い。私は「百年の孤独」という作品を上演した寺山がもしドノソの小説を知っていたらどのような反応を示したか興味を抱く。
二部から成るこの小説の第一部「出発」では親と使用人たちが出発した後、ベントゥーラ一族の「別荘」が建築においても人倫においても次第に荒廃していく過程が語られる。いとこたちのある者たちは「侯爵夫人は午後5時に出発した」という奇怪な遊戯に熱中し、ある者たちは淫らな行為にふける。「侯爵夫人は午後5時に出発した」とはアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム第一宣言」において引用しているポール・ヴァレリーの言葉である。この言葉は小説における話者と作中人物の関係に関わっているが、後述するとおり、「別荘」においても実に特異な話者が小説の中に介入する点を考慮するならばなんとも暗示的な遊戯の名前である。第一部の終盤で金箔の管理を任されていた従姉妹の一人、カシルダは近親姦の相手であるファビオ、母エウラリオが一族以外の男との間にもうけた子であるために疎外されているマルビナそしてイヒニアという三人の従兄弟とたちと倉庫から金箔を盗み出して逃亡する。一方、もはや槍の壁で外界と隔てられることのない屋敷の中には原住民たちが入り込み、従兄弟の一人マウラを従えたゴマラによって支配された屋敷の中で狂騒を繰り広げ、一族と交接する。
 「帰還」と題された第二部はタイトルのとおり、ピクニックの後、夕方に家路についたベントゥーラ一族の情景から始まる。途中に小休止するために近くの礼拝堂に寄った親たちはそこでカシルダとファビオ、そしてカシルダが生んだ子を見つける。しかし彼らはそれを玩具の人形として井戸に捨てる。カシルダから別荘の混乱を聞いた親たちは使用人の頭目である執事、そしてフアン・ペレスという若者を別荘の制圧に向かわせる。執事とペレスは火器を携えた使用人たちとともに屋敷に突入し、ゴマラを銃殺するとともに屋敷の中にいた原住民たちを虐殺する。ゴマラが射殺される場面にドノソは大統領府でピノチェットのクーデターに抵抗し、自殺を遂げたアジェンデを重ねたとみる研究者もいるらしいが、確かに一族の中で唯一人間的な感性をもち、それゆえ狂人として幽閉されていたゴマラにアジェンデの影を認めることは不可能ではない。続いて屋敷を制圧した後、ベントゥーラ一族が帰還するまでの間、支配者となった執事の所業が語られるが、ここでも食人というモティーフがあいまいかつ執拗に繰り返される。一方、大虐殺の混乱の中からウェンセスラオ、アラベラ、アマデオ、そしてフアン・ペレスの弟アガピートは別荘の地下にめぐらされていた塩鉱を用いて脱出し、グラミネアが繁茂する荒野へと逃れる。逃避行の途上で死んだ最年少の従兄弟アマデオは死の間際、飢えたウェンセスラオらに自らのからだを食料として供することが自分の運命であると宣言する。荒野を彷徨するウェンセスラオらは帰還途中の親たちと邂逅し、九死に一生を得る。親たちと使用人たちは別荘に帰還するが、襲撃と虐殺、おぞましい習慣の痕跡を残した邸内はすでに廃墟同然となっていた。彼らの前に新たな来訪者が登場する。それはベントゥーラ一族から金鉱や金箔、屋敷を全て買い取ろうとする「外国人たち」であり、すでに一族の長老であるエルモヘネスやシルベストレの手によって首都で売買の交渉が進められていた。金鉱や屋敷の資産価値を実地検分するために訪れた「外国人たち」はベントゥーラ一族に対しても尊大な態度を崩さず、一族は不安に襲われる。さらに別荘に新たな馬車集団が到来する。来訪者が誰であったか、そしてベントゥーラ一族の命運についてここではあえて触れない。ただ、物語の中で幾度となく予告されたカタストロフ、夏の終わり、荒野を埋め尽くすグラミネアの熟し切った穂先から一つ残らず舞い上がった白い綿毛が呼吸さえできないほどに濃密に辺りの空間を埋め尽くすという情景はまことにこの黙示録的な小説の終末にふさわしい。
 ひとまず私はこの錯乱する小説を要約してみた。しかしこのような説明はあまり大きな意味をもたないだろうし、そもそもこの小説に合理的な意味を与えること自体、作品に対する一種の冒瀆であるように感じられる。最初にも述べたとおり、この小説は単線的な構成をとらず、時間も登場人物も物語の流れも幾重にも輻輳し、時に逆行する。かかる錯綜は内容のみならず形式にも及ぶ。それが端的に示されるのは話者の問題だ。この小説においてはベントゥーラ一族をめぐる物語が三人称で語られながら、話者が地の文の中に登場して読者を当惑させる。たとえば頻繁に繰り返される「この章の幕開けにあたって読者にお願いしたいのは」「ここで読者にはお伝えしておくが」「読者には隠しだてする必要はないだろうから、ここで言っておこう」といった表現である。話者はベントゥーラ一族の物語を三人称で語りながら、同時にそれが虚構であることを読者に告げるのだ。それどころではない。「外国人たち」と題された第12章の冒頭において、「別荘」を書き上げて、エージェントの事務所に向かう「私」は途中で登場人物であるシルベストレ・ベントゥーラに出会い、近くのバーへと誘い込まれる。一体これはどういうエピソードなのだろうか。ただし「私」は数ページ進むと次のように記してこの会見をキャンセルする。「もしかするとこのすべては、我々が慣習上『現実』と呼ぶ文学的題材―これに頼れば文学作品は書きやすい―に対し、それを何と呼ぶかはともかく、『現実』の対極に位置する眩惑を選んだ者が抱くノスタルジーの産物にすぎないかもしれない。いずれにせよ、ここで私はこのノスタルジーを振り払い、これまでの物語の基調を取り戻そうと思う」先に私は「隣りの庭」をレヴューした際に、物語の最後にめぐらされたメタ小説的な技巧に触れた。「別荘」でははるかに複雑な形式的技巧が凝らされている。きわめて土俗的、ドメスティックな物語と先端的な叙述法の結合がドノソの小説を特徴づけている。そうでなければかくもグロテスクな物語になぜヴァレリー/ブルトンが引用されるのか。モダニズムとアンチ・モダニズムの結合はラテンアメリカ文学に共通する特質といえようが、本書はその典型といってよかろう。
 主題についても論じるべき問題は多い。まず時間の問題を挙げよう。この小説には実に奇怪な時間が流れている。一族の親たちは朝早くピクニックに出かけ、「いつもと何一つ変わらぬ夕暮れ」に帰途を終えようとしている。したがってここで描かれるのは一日の物語である。しかしながらその間、子供たちが残された別荘でははるかに長い時間が流れているように感じられるのだ。先にも触れたとおり、帰路で寄った礼拝堂で親たちはカシルダとファビオの子を見つけ、人形として井戸に捨てる。二人はともに16歳という設定であるから、年齢的に子供をもうけることは不可能ではない。しかし一日のうちに受胎し出産することはありえない。子供が生まれるのに九ヶ月はかかると問うアデライダに対してフォビオは自分たちが礼拝堂で一年も飢えと恐怖をしのいできたと述べる。これに対してシルベストレの妻、ベレニセは「『侯爵夫人は5時に出発した』では一時間を一年と計算することがよくあるのよ。偽の楽しい時間のほうが、現実世界の退屈な時間より速く過ぎていくのよね」とこのようなずれが遊戯と現実の違いに兆していると説明する。しかしこれに対してカシルダは「あんたたちのハイキングの時間こそ偽の時間だったのよ」と叫ぶのである。真の時間と偽の時間。アレッホ・カルペンティエールの「時との戦い」やボルヘスの一連の著作を引くまでもなく、ラテンアメリカ文学においては時間が主題とされた一群の作品が存在するが、本書も明らかにその系譜に連なる。「執事」と題された第10章にも興味深いエピソードがある。自分のレシピの中に加える人肉食について、いつ頃手配が終わるのかと尋ねる料理長に対して、執事は次のように怒りをぶつける。「この愚か者め、現在にも過去にも未来にも、この別荘には時間の経過など存在しないのだ。ハイキングに出発して以来、時間は止まっている。ご主人様たちが帰還される前に時間が動き出すことなどありえない」そして執事はフアン・ペレスに命じて屋敷の中にある全ての時計やカレンダー、振り子、予定表などを没収させ、さらには昼と夜の違いを消すために鎧戸と窓ガラスに細工し、どの部屋もいつも同じ明るさを保つように命じるのである。ここでは操作可能な対象として時間が描かれている。登場人物によってその進行が一様ではなく、停止や加速が可能な時間、このようなテーマはもはやSF的といってもよかろう。
 反復というテーマも興味深い。ベントゥーラ一族の別荘滞在は毎年正確に反復される。毎年、「密かな羽音を立てて窓から蚊が入り、毛深い脚を見せてゴキブリが姿を見せ始める」時期になると一族は別荘へ移る準備を始め、「グラミネアが実り、プラチナ色の穂が持ち上がって乾いた鞘から綿毛が飛び始める」頃に一族は首都へと帰還する。あるいは使用人たち。彼らはその年ごとにエルモヘネスの妻、リディアによって採用されるのであるが、毎年新しい使用人が採用されるにもかかわらず、いずれも個性を欠いた単なる反復とみなされている。「ベントゥーラ家に仕えた執事は数多いが、皆まったく同じだった。誰もが長い使用人経験で鍛えられた完璧な執事であり、ほとんど機械的に職務をこなしていくだけだったから、その一人ひとりについて、名前や個人的特徴などを覚えている者など一家には誰もいなかった」ベントゥーラ一族には皆名前が与えられ、巻頭の系図表によって相互の関係さえも明示されているのに対して、使用人たちは名前が与えられていない。フアン・ペレスに関しても毎年、異なったフアン・ペレスがいるといった表現があるから、それが固有名ではないことは明らかだ。反復性、匿名性、交換可能性は本書の隠された主題だ。それは使用人たちのみに限らない。例えばカシルダは初潮を迎えたコロンバ(カシルダの双子。双子が交換可能性を暗示していることはいうまでもない)の身代わりとして屋根裏部屋のフォビアのもとに赴く。このエロティックな挿話にも同様の主題は隠されているし、本書のいたるところにちりばめられた対称性のモティーフもこれと関係している。
 それにしても本書において最大の謎は、その寓意性であろう。最初に述べたとおり、本書が寓話であり、クーデターによって民主政権を打倒したピノチェット体制への批判をはらんだ寓意を秘めていると考えることは自然だ。しかし一体何が何の寓意であるかを理解することはきわめて困難である。「赤いもみあげと水っぽい目」として表現される「外国人」たちがピノチェットを支援したアメリカであるとみなすことは不可能ではない。小説の最後に登場する尊大な外国人たちはベントゥーラ一族から金鉱や屋敷を奪い、機械化によって鉱山から原住民たちを「排除」し、さらにこの地からグラミネアを根絶やしにすることすら口にするのだ。ガルシア・マルケスが描いたユナイテッド・フルーツ社のエピソードを連想するまでもなく、ラテンアメリカの作家たちにとって、アメリカそして多国籍企業による収奪はしばしば作品の主題とされた。しかし「別荘」における寓意はあまりにも複雑で単純な読みを許さない。最初に述べたとおり、この小説で描かれた混乱は主人の不在によって引き起こされた。主人の不在とは何を指すのか。あるいは物語の中で執拗に繰り返されるカニバリズムの暗示は現実においては何に対応しているのか。小説で描かれた世界は階級と差別が絶対的に支配する社会である。女婿として一族に加わったゴマラは別荘の庭でアマラント色の制服を着た男が同じ場所にいつも佇んでいることを奇異に思い、理由を問う。それに対して一族はコローの風景画のようにあの色を配すことによって風景が引き立つのだと説明する。人を人と見ない非人間的な感性にゴマラは驚き、一族に金鉱をもたらす原住民たちが置かれた劣悪な衛生環境の改善も図るのであるが、それによって逆に人食いの習慣に触れて気が触れたとして、一族によって幽閉されることとなる。原住民たちを徹底的に忌避し、差別し、収奪するベントゥーラ一族、そしてかくもおぞましい差別体系によって成り立つ社会とは何の暗喩であろうか。成立の過程を勘案してもおそらく本書は多くの解釈を呼び込むだろう。あとがきによれば著者ドノソは本書について「純粋に物語として受け入れてくれればそれでいい」と述べているとのことであるが、私には本書は単なる物語として読むにはあまりにも不吉な暗示に富んでいるように感じられる。「夜のみだらな鳥」を読んだ際に感じた熱病の中で見る悪夢のごとき不安は本書においても生々しくよみがえる。いや、もはや現実は悪夢と等価なのだ。
by gravity97 | 2014-08-31 22:40 | 海外文学 | Comments(0)

「OTHER PRIMARY STRUCTURES」

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 先般、昨年ヴェネツィアで開催された1969年、ハロルド・ゼーマンの「態度がかたちになる時」の再現展示について論じた。こういった展覧会が流行っているのであろうか、今度はニューヨークのジューイッシュ美術館で1966年に開かれた「Primary Structures」が同じ会場で「Other Primary Structures」として「再現」された。展示は今月の初めに終了し、私は未見であるが、カタログを取り寄せ、インターネットで関連情報を検索したところ、なかなか興味深い展覧会であることが理解された。
 オリジナルの「Primary Structures」はジューイッシュ美術館のキューレーター、キーナストン・マクシャインによって企画された大展覧会で「若いアメリカとイギリスの彫刻家たち」というサブタイトルが付されていた。primary structure とは基本構造とでも訳すのであろうか、単純な形態の無機的な抽象彫刻を集めた展示であることを暗示している。今日、この展覧会はミニマル・アートの最初のデモンストレーションとみなされているが、事情はそれほど単純ではない。出品しながらもロバート・モリスやドナルド・ジャッドは当時においてこの展覧会への反発を語っているし、実際に出品作品を参照するならば、一見してミニマル・アートと了解される作品はさほど多くない。展示空間を作品の函数とするミニマル・アートは作品そのものより設置された状況を検証する必要があるが、近年発表された、例えばジェームス・マイヤーの「minimalism : art and polemics in the sixties」のごとき研究書には当時の展覧会風景が記録された写真が多数収録されており、このような作業は比較的容易になった。上に示したとおり、今回の展覧会カタログは二分冊というか、再発行された66年の展覧会カタログも付されている。このカタログを入手できずにいた私としては今回のリイシューは大いにありがたい。2冊のうち左側が「Primary Structures」のカタログであり、今回の展覧会カタログがこのフォーマットを踏襲していることも理解されよう。ないものねだりを承知のうえで言うならば、カラー図版であればなおよかった。しばしば指摘されるとおり、Primary Structuresの特質は形態とともに色彩にも認められ、多くの場合、派手な色によって表面が彩色されているからだ。東野芳明は「女が彫刻を叩くとき 色彩彫刻の新しい波」というテクストでこの展覧会をレヴューし、この展覧会に出品された作品の特質を台座の不在、工業用素材の使用、単純な形態の使用、そして鮮やかな色彩の四点にまとめている。東野らしい的確な要約である。一方、クレメント・グリーンバーグは早くも1949年に発表した「新しい彫刻」において来るべき彫刻の特性として「蜃気楼のごとく、形も重みもなく、ただ視覚的に存在する」ことを挙げているが、これらの彩色彫刻はこの言葉に対応するかのようだ。展覧会の入り口にはアンソニー・カロの《タイタン》が置かれている。カロはイギリスでヘンリー・ムーアの助手を務め、アメリカではデヴィッド・スミスと親交があったからこの展覧会の出発点として象徴的である。先に述べたとおり、この展覧会にはイギリスとアメリカの若い世代の作家たちが出品しているが、今回あらためてカタログに掲載された図版を参照するならば国籍によって作風の違いがかなり明確であるように感じられる。先ほど出品されている作品が単純で無機的と述べたが、実はかなりの数の作品が単純でも無機的でもないのだ。多くの金属彫刻が有機的なシルエットをもち、複雑な構造を呈している。それらはしばしば人体を喚起し、多くはイギリスの、今や名を知られることもない彫刻家の作品である。工業用素材を用いた単純な形態の立体がなお横たわる人やうずくまる人の暗示を伴っている点に彫刻における人体イメージの潜在力を感じるのは私だけではなかろう。これに対して、アメリカの作家たち、特に後にミニマル・アートと呼ばれる動向を推進した作家たちの作品は人体への連想を断ち切っている。おそらくここに非人間的な美術としてのミニマル・アートの独自性がある。ヨーロッパ美術のヒューマニズムを可能性ではなく限界と読み代えることによって戦後のアメリカ美術は現代美術の前線を広げたのである。(知られているとおり、マイケル・フリードは非擬人的とみなされたミニマル・アートに一種の演劇性を認めて批判を加えているが、ここではこれ以上議論を敷衍することは控える)絵画において抽象表現主義が同時代のフランス絵画に対して優越を示したように、彫刻においても同時代のイギリスの若い作家たちとの比較を通してアメリカ美術の特異さを誇示することがこの展覧会の意図であったとするならば、陳列された作品の寡黙とはうらはらにこの展覧会が秘めたしたたかな政治性も明らかである。
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 ただしここは「Primary Structure」について語る場ではない。もう一度、「Other Primary Structure」に目を転じよう。この展覧会を企画したのはジェンス・ホフマン、記憶にある名前だ。「態度がかたちになる時」に関しては先に述べたとおり、ジェルマーノ・チェラントによって2013年、ヴェネツィアで再現されているが、これに先んじて若手作家によってこの展覧会をアップデートする試みがなされた。サンフランシスコとデトロイトを巡回した「When Attitude Became Form Become Attitude」と題された展示については、先にチェラントの展覧会についてこのブログで論じた際にも触れた。この展覧会を企画したのがジェンス・ホフマンであり、確かにこの展示と「Other Primary Structures」は発想が似ている。カタログに寄せたテクストによれば、ホフマンが過去の展覧会を再構成するという手法の可能性に想到したのは、1991年にLAのカウンティーミュージアムで企画された「退廃芸術展」を見た際であったという。次いでホフマンは「態度がかたちになる時」をめぐる一連の再構成の試みについて触れた後、今回の試みについて説明している。3月から8月までの会期は、前半のOthers 1と後半のOthers 2という二つのパートに分けられ、いずれも15名前後の作家が出品している。作家の分類はほぼ機械的である。つまり出品作品は1960年から69年までの60年代をカヴァーしており、1966年に開催された「Primary Structures」によってこのディケイドはほぼ二分されている。Others 1 は60年代前半、Others 2は60年代後半に発表された作品によってそれぞれ構成されている。しかし展覧会は「Primary Structures」に影響を与えた作品群とそこから影響を受けた作品群といった文脈を形成することはない。それどころか、ここに集められた作品はいずれも「Primary Structures」で展示されていたとしても大きな違和感を与えないのだ。これは何を意味するか。「Primary Structures」に展示された作品はイギリスとアメリカという国籍の限定を受けている。つまり「Other Primary Structures」の出品作はほぼ同じ時代にあって、ほかの地域で制作された同様の傾向をもつ作品を紹介する展覧会なのである。ホフマン自身、次のように記している。「タイトルにあるotherは二つの意味をもっている。一つは文字通り、追加的とかさらに多くの作品を見せるという意味である。二番目はポストコロニアル的な意味における『他者』、すなわち西欧の優勢な美術史学的な正典(キャノン)において周縁化され、抑圧されてきた多くの文化的、民族的、あるいは政治的グループとしての『他者』を喚起する意味である」いうまでもなくここで重要なのは二番目の意味だ。美術の脱中心化という発想から私が連想するのは1999年にクイーンズ・ミュージアムで開かれた「グローバル・コンセプチュアリズム」である。points of origin というサブタイトルの複数形が暗示するとおり、この展覧会では日本を含む世界各地にコンセンプチュアル・アートの起源を求め、系統樹ではなく同時発生としての美術史を構築することが試みられていた。このような傾向は90年代以降顕著であり、私は同様に同時性、あるいはグローバリズムをテーマにした国際展をいくつも思い浮かべることができる。チェラントによる「態度がかたちになる時」の目的が69年の展覧会に実際に展示された作品を可能な限り集めて展示を再現することであったの対し、この展示の目的は文字通り「別のプライマリー・ストラクチュアズ」を提示することにある。b0138838_114620.jpg最初に述べたとおり、私は今回の展示を見ていないが、ジューイッシュ美術館のHPを確認するならば、実際の展示では精密に作られた当時の美術館の建築模型の中に66年に展示された作品がミニチュアで配されて展示の再現が図られる一方で、展示室内には今回の出品作の背後に前回の会場写真が大きく引き伸ばされて展示され、いわば展示が二重化されていたようである。このような展示の意図は明らかだ。今回の出品作と前回の出品作が互いに似ていることを示して、文字通りOther Primary Structuresの可能性を示唆しているのだ。
 あえてここで具体的な作品を挙げることはしない。代わりに作家の国籍を示そう。パキスタン、アルゼンチン、ブラジル、レバノン、イスラエル、ベネズエラ、日本、クロアチア、ポーランド、フィリピンそして韓国、みごとに第三世界を中心としたラインナップではないか。何人かの作家については私も知っていた。例えばブラジルのリジア・クラークとヘリオ・オイティシカ、フィリピンのデヴィッド・メデラ。ただ私はこれらの選択になんとも政治的というか、端的に商業的なセンスを感じてしまうのだ。出品作家が比較的少なく、知られていない作家が多いといった事情もあろうが、出品に際しては特定のギャラリーが介在している場合が多く、所蔵しているコレクターも限られている。日本についてはもの派と関連する作家、吉田克朗、小清水漸、関根伸夫、管木志雄、高松次郎、李禹煥が出品している。高松次郎の《ネットの弛み》がプライマリー・ストラクチュアと関係しているか否かについてはここでは論じない。しかし数年前からのニューヨークの「もの派」ブームに便乗して、現地でおなじみの作家をポストコロニアリズムの傍証として動員した印象が拭えないのだ。おそらく同じ時代に単純な形態、工業用素材の使用、表面への彩色といった特性を有する作家はヨーロッパにも多くいたはずだ。(ちなみにこれらの要件は多くもの派にはあてはまらない)しかしこの展覧会では彼らを排除し、ポストコロニアル体制下の「プライマリー・ストラクチュア」を捏造するためにあらためてこれらの作家が召喚されたのではないか。私はこのような恣意性には与することができない。さらに意地の悪い見方をするならば、私は今回の作家と作品の選定にマーケットの要請が関わっている気がするのだ。「態度がかたちになる時」に出品された作品の多くがその場限りの展示であって、保存や売買が困難であったのに対して、(再制作も数点含まれているとはいえ)「Primary Structures」周辺の作品、非欧米に由来する実体的な作品は新しい市場をかたちづくる。近年の具体美術協会の絵画の異常な高騰を想起してもよい。私にとって今回の展覧会はポストコロニアリズムが文化において一つの正義となることの危うさを物語っているように感じられた。

24/08/14追記
MOMAのカレンダーを確認したところ、リジア・クラークの展覧会が5月から本日まで開催されていたことを知った。具体やもの派もそうであったが、新奇な売れ筋を求めて、最近のニューヨークのアート・マーケットの「選択と集中」にうんざりするのは私だけであろうか。
by gravity97 | 2014-08-17 11:07 | 展覧会 | Comments(0)

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たとえば「批評」をめぐって書きつがれようとしながらいまだ言葉たることができず、ほの暗く湿った欲望としての自分を持てあましていただけのものが、その環境としてしてある湿原一体にみなぎる前言語的地熱の高揚を共有しつつようやくおのれを外気にさらす覚悟をきめ、すでに書かれてしまったおびただしい数の言葉たちが境を接しあって揺れている「文学」と呼ばれる圏域に自分をまぎれこまそうと決意する瞬間、あらかじめ捏造されてあるあてがいぶちの疑問符がいくつもわれがちに立ち騒いでその行く手をはばみ、そればかりか、いままさに言葉たろうとしているもののまだ乾ききってもいない表層に重くまつわりついて垂れさがってしまうので、だから声として響く以前に人目に触れる契機を奪われてしまうその生まれたての言葉たちは、つい先刻まで、自分が言葉とは無縁の領域に住まっていたという事態を途方もない虚構として忘却し、すでに醜く乾涸びたおのれの姿をもはや郷愁すら宿ってはいない視線で撫でてみるのがせいぜいなのだが、そんなできごとが何の驚きもなく反復されているいま、言葉たるためには耐えねばならぬ屈辱的な試練の嘆かわしい蔓延ぶりにもかかわらず、なお「批評」をめぐって書きつがれる言葉でありたいと願う湿った欲望を欲望たらしめているものが、言葉そのものの孕む不条理や夢の磁力といったものであり、しかも、その夢の目指すところのものが、言葉自身による「批評」の廃棄というか、「批評」からそれが批評たりうる条件をことごとく奪いつくすことで「批評」を抹殺し、無効とされた「批評」が自分自身を支えきれずに崩壊しようとするとき、かりに一瞬であるにせよ、どことも知れぬ暗闇の一劃に、人があっさり「文学」と呼んでしまいながら究めたこともないものの限界、つまりはその境界線を投影し、かくして「批評」の消滅と「文学」の瞬間的な自己顕示とが同時的に進行すべく言葉を鍛えておきたいという書くことの背理の確認であるとすれば、誰しも、おのれ自身の言葉の幾重にも奪われているさまに改めて目覚め、書き、そして読むことの不条理に意気阻喪するのもまた当然といわねばならぬ。
by gravity97 | 2014-08-12 15:59 | PASSAGE | Comments(0)
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 このところブログの更新が滞りがちであったが、上の書影を見ればその理由が理解していただけることと思う。一月近くこの大著を読み続け、知的な興奮に満ちた幸福な時間を過ごしていた。小説であれば数日でこの程度の分量を読むことは不可能ではない。しかし本書は精読を要求し、そもそも研究の対象であるギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』に関する十分な知識が前提とされる。本書の序章と第一章はすでに『新潮』の1月号に掲載され、その折に本書の刊行は時期も含めて予告されていたから、私は本書の発売に先んじて『ボヴァリー夫人』を再読することから始めた。およそ30年ぶりに再読して思うところもあったが、それについては措く。明らかであるのは『ボヴァリー夫人』研究である本書は、研究の対象よりはるかに量が多く内容も濃密であることだ。
 実は本書が執筆されていたことはずいぶん以前から知られていた。蓮實は「フローベールの才能を欠いた友人」として知られたマクシム・デュ・カンなる人物について論じ、本書の姉妹編とも呼ぶべき『凡庸な芸術家の肖像』なる大著を四半世紀前、1988年に上梓した。この書物の成立の理由について蓮實はあとがきのなかで次のように述べている。「すでに書き始められていた『ボヴァリー夫人論』からの逸脱、という解釈は一応は成立する。その間『ボヴァリー夫人論』は放置され、ときに同時進行することがあったとはえ、はかばかしく進展したとはいえないからである。だが、逸脱というからには、ある時期まで、『凡庸な芸術家の肖像』を書こうという意志が抑圧されながらも『ボヴァリー夫人論』執筆の背後に持続しており、それがあるとき唐突に本道から逸れていったことになるのだろうが、事態はそのように進行したのではない」b0138838_16102315.jpgあるいは本書のあとがきによれば、資料の中からみつかった筑摩書房の担当者が記したとおぼしき、蓮實の名と「ボヴァリー夫人論」という二つの書き込みがあるメモには1989年という年記が記されていたという。蓮實は同じあとがきの中で、この浩瀚な論文が成立した経緯について日付を明記しながら説明し、本書がいかなる意味においても「生涯の書物」ではなく「著者の老年期に書かれたテクスト」であることを強調している。しかし本書が少なくとも数十年のスパンで持続された一つの小説への関心によって執筆され、時間を費やして完成されたことに私は深い感銘を覚えた。最近の博士論文の粗製濫造の風潮によって読むに堪えない「博士論文」が活字となる中で、一人の学者が知的な能力のすべてを投入し、その「老年期」にかくも充実した成果として結実させたことに心を打たれるのである。それゆえ読者たる私も思わず襟を正して本書に向かった。
 それにしてもなぜ「ボヴァリー夫人」なのか。私が最初にこの小説を読んだのは中学か高校の頃であった。当時の私はヨーロッパの19世紀文学を濫読していたから、同じ時期にスタンダールやバルザック、ドストエフスキーやトルストイも読んでいたはずだ。といっても毎月の小遣いで買うことのできる本は限られていたから、小説を選択するにあたって唯一の基準は文庫本となっているか否かであり、フローベールの小説を本書しか読んでいない理由は、今回も再読した生島遼一訳の新潮文庫版以外にこの作家の小説を文庫で入手することが困難であったことに尽きる。しかし今挙げた作家のラインナップの中でフローベールは特に印象の強いものではなかった。「ボヴァリー夫人」しか読んでいないことも理由の一つかもしれない。しかし例えばドストエフスキーの長編の思想性、デュマの冒険小説の血湧き肉踊る興奮と比べ、田舎での結婚生活に倦怠した人妻が不倫と借財の果てに自殺するという物語はさほど面白いものではなく、それゆえ今回再読するまで細部についてはほとんど忘れていた。「カラマーゾフの兄弟」でもよい「赤と黒」でもよい、ある程度の小説読みであれば本書より小説として優れた長編を挙げることは困難ではないはずだ。一方、有名な「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉に象徴される一連のスキャンダル、作家が風紀紊乱の罪に問われたという背景が蓮實の関心を引いた訳でないことも明らかだ。それどころかこの長大な研究にテクストの外部、作家の個人的閲歴に関する記述はほとんど存在しない。それではなぜこの小説が選ばれたのか。一言で述べるならば、それは本書の「テクスト的な現実」の厚みに由来している。「テクスト的な現実」、それこそが本書の中心的な主題だ。かかる「テクスト的な現実」が例えばスタンダールの、ドストエフスキーの小説にも読み取れるか否かについて私は即断できない。私の考えではおそらく「ボヴァリー夫人」が選ばれた理由はそれが蓮實の専門とするフランス語で書かれていること、そしてそれが「レアリスム小説」の典型とみなされてきたことによる。いうまでもなく「レアリスム小説」と「テクスト的な現実」は無関係であるどころか、後述するとおりしばしば対立する。言葉を換えるならば、蓮實が関心をもつのは優れた小説ではなく、テクストが現実としていかに編成されているかであり、極端な物言いをするならば、ある程度の格を備えておれば、どのような小説を取り上げてもよかったのだ。私たちは本書を「ボヴァリー夫人」について論じた研究とみなしてはならない。本書はテクスト的な現実が小説の中でいかに露出するかについて、たまたま「ボヴァリー夫人」を通して分析した研究なのである。
 それでは次の問い。本書の核心とも呼ぶべき「テクスト的な現実」とは何か。Ⅶ章の末尾のあたりに、今述べた問題とも関連してヒントとなる一文が書きつけられている。少し長くなるが引用する。

 とはいえ『ボヴァリー夫人』という長編小説が、その刊行いらいこんにちにいたるまで、ほぼ百五十年にもわたって、ひたすら「テクスト的な現実」から人目をそらせ、それとは異なるテクスト外的な「現実」へと視線を誘い、それを言語的に表象するものとしての「フィクション」ととらえずにはいられない欲求を多くの人々にいだかせがちな作品とみなされているのも否定しがたい事実である。そのとき、人は「レアリスム」の典型的な作品としてこれをとらえ、多くの場合、「モデル」という「テクスト的な現実」にはおさまりのつかない外部の概念を想起しながら、「テクスト」を読もうとしがちなのだが、それは、ことによると散文のフィクションとして書かれた長編小説の宿命かもしれない。

 ここでも触れられるとおり、「ボヴァリー夫人」についてはしばしばモデル探しがなされた。しかし蓮實はモデルや作者といったテクストの外部を完全に捨象し、テクストに表明された事実のみに即して作品を分析することを試みる。それがどのような発見をもたらすかについては、例えば第Ⅰ章に即して次に論じるとして、ここではこのような読みは私たちが通常小説の読解とみなしている行為と全く異なっている点を指摘しておきたい。私たちは小説を通して作者の意図を読み取ることが読書という行為の本質であるという通念に拘束されてきた。しかし蓮實は作者の意図といった漠然とした概念に全く信を置かない。もしそのようなものがあったとしても、それは何よりも「テクスト的な現実」として作品の中に露呈されていなければならないのだ。構造主義を経過した私たちにとって、このような発想は決して意外ではない。美術の分野で形式的な批評になじんだ私にとって、むしろ当然であるようにさえ感じられるのだが、今でさえ幼稚な批評家たちの文章の中には小説の背後に作者の意図や考えを読み取ることを当然とする発想がしばしば認められる。蓮實の文学研究はこのような読解に徹底的に抗い、徹頭徹尾即物的だ。それでは私たちも本書を章に沿って読み込んでいくことにしよう。

 「読むことの始まりに向けて」と題された序章において、蓮實は本書がフローベールの「ボヴァリー夫人」を論じる内容であるといささか同語反復的な断定を加えたうえで、この小説が発表された19世紀中葉とはジャーナリズムの発達に伴い、「テクストをめぐるテクスト」が成立した時期であることを指摘する。このうえで蓮實はサント=ブーヴからボードレールにいたるこの小説をめぐる「批評的エッセー」の系譜を瞥見する。次に蓮實はそもそも論じられるテクストとしての「ボヴァリー夫人」が不確定、あるいはあいまいな対象であることを論証する。蓮實の論証はヴァリアントをめぐるテクスト・クリティークのレヴェルから乗合馬車の窓の位置をめぐる記述の矛盾といったレヴェルまで多岐にわたるが、このような不確定性の分析こそ本書の主題であることを、蓮實は次のように宣言する。「『「ボヴァリー夫人」論』の著者は、矛盾する『文』の共存がきわだたせる『不確かさ』、あるいは『曖昧さ』を、この作品ならではのフィクションの『テクスト的な現実』と呼ぶことを提案する」先にも述べたとおり、この長い論考の鍵となる概念が「テクスト的な現実」であるから、序章に掲げられたこの文章をしっかりと記憶に留めるならば、以後の蓮實の議論を追うことはさほど困難ではない。
 「ボヴァリー夫人」をめぐる「テクスト的な現実」は第Ⅰ章「散文と歴史」において実に鮮やかに私たちの目の前に提示される。冒頭に蓮實は「ボヴァリー夫人とは何か?」というきわめて単純な問いを提起する。「ボヴァリー夫人は私だ」という作家の有名な言葉なども連想されようが、蓮實の分析は徹底的にテクスチュアルなレヴェルでなされる。蓮實ならずともこの問いに答えることはさほど難しくない。小説の中でマダム・ボヴァリー、つまりボヴァリーというファミリーネームをもつ男性の妻の位置を占める女性は三人いる。シャルル・ボヴァリーの母親、シャルルの初婚の相手であり急死した年上の未亡人エロイーズ、そしてこの小説の主人公たるシャルルの二番目の妻、エンマ・ボヴァリーである。私たちは「ボヴァリー夫人」がエンマ・ボヴァリーの物語であることを疑うことはない。例えば新潮文庫版の裏表紙には次のような簡単な要約が付されている。「田舎医者ボヴァリーの美しい妻エマが、凡庸な夫との単調な生活に死ぬほど退屈し、生まれつきの恋を恋する空想癖から、情熱にかられて虚栄と不倫を重ね、ついに身を滅ぼすにいたる悲劇」しかし原著を精読した蓮實は驚くべき「テクスト的な現実」を発見する。三人の「ボヴァリー夫人」たちは、「ボヴァリー母」「ボヴァリー老夫人」「ボヴァリー若夫人」「彼の妻」といった様々な呼称で呼ばれることはあっても、なんと「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞は一度たりともこの小説の中に書きつけられていないのだ。蓮實の論証は様々なヴァリアントや証言を動員してきわめて実証的になされ、その詳細についてはここでは繰り返さない。蓮實は「ボヴァリー夫人」における「エンマ・ボヴァリー」という記号の物質的な不在こそが「テクスト的な現実」であり、それにもかかわらずこれまでこの点を誰も指摘しなかったと説く。蓮實によれば、それは人が「テクスト」を読むことをあまり好まないからであり、短い紹介や作家の評伝のみならず多くの理論的な研究もこの「テクスト的な現実」を見逃している。この長編の中にあえてフローベールが「エンマ・ボヴァリー」の名を記さなかったことは意図的である。私たちはこのような事実から始めなければならない。つまりエンマ・ボヴァリーの悲劇というフィクションが存在するのではない。私たちに与えられたのは「ボヴァリー夫人」と題され、印刷された活字というひとまとまりのテクストのみなのである。蓮実はこの章を次のように結ぶ。「印刷された活字のつらなりにほかならぬ『散文』のフィクションとして、『ボヴァリー夫人』を『読む』ことが、いま始まろうとしている」
 「懇願と報酬」と題された第Ⅱ章も私には実に刺激的に感じられた。蓮實はまずこの小説の中でさほど重要とも思われない二人の人物の共通性に止目する。一人は最初の「ボヴァリー夫人」、つまりシャルルの母であり、もう一人は舞台となる田舎町に住む薬剤師オメーである。「ボヴァリー母」は物語の最初に登場し、シャルルを都会の中学に通わせることをシャルルの父親に提案する。一方薬剤師のオメーは徹底的な俗物として描かれ、エンマが服毒する砒素とも関わるのであるが、奇妙なことにこの小説は「彼(オメー)は最近レジヨン・ドヌール勲章をもらった」というエンマともシャルルとも無関係な一文で終わる。この小説はシャルルが中学に現れた場面で始まるから、二人はともメイン・ストーリーの外部でありながら、物語の最初と最後、対照的な位置を占めているといってもよかろう。しかし蓮實はこの二人に興味深い共通点を見出す。例えばこの小説においてはごく端役であってもほとんど全ての登場人物にフルネームが与えられているのに対して、ボヴァリー夫人(いうまでもなくシャルルの母)とオメー氏のみは姓で呼ばれて洗礼名についての記述がないという「テクスト的な現実」が存在するのだ。二人はもう一つ、主題的な共通性も有している。「懇願と報酬」というタイトルが暗示するとおり、ボヴァリー母にあっては息子シャルルを都会の中学へ入れること、オメーにあっては端的に自分の叙勲を懇願する。その相手は前者にあってはシャルルの父であり、後者にあっては国王であり、両者の願いは最終的に叶えられるがその経緯は明かされていない。つまり彼らの懇願に対して報酬を与える存在は物語の外に存在するのである。このような分析自体は興味深いが、決して驚くべきものではない。私が圧倒されたのはこのような主題的枠組を作品の形式へと還元する蓮實の発想のしなやかさである。どういうことか。先に私はこの小説の末尾の一文を書き写した。今度は最初の一文に目を止めよう。「私たちは自習室にいた。すると校長が制服でない普通服をきた『新入生』と大きな教師机をかついだ小使いをしたがえてはいってきた。いねむりして連中は目をさました。みんな、勉強中のところを不意打ちくったように立ち上がった」少なくとも、今回「ボヴァリー夫人」を再読して、私は冒頭からこの小説が説話論的にかなり歪な構造をしていることをあらためて認識した。いうまでもない。冒頭の「私たち」である。nousとは一体誰か。新入生とはシャルルのことであるから、おそらく「私たち」とはクラスメイトであろう。引き続いて「新入生」がクラスにとけ込めない様子が記録されるから、おそらくこの判断は間違っていない。しかしこの語り手は名前も与えられることがないまま、いつのまにか「新入生」を彼もしくはシャルルと呼ぶ匿名の語り手へと引き継がれるのだ。「ボヴァリー夫人」において語りの位置はきわめて不自然で、読み手は居心地が悪い。少なくとも冒頭において話者が具体的に物語の中にいるかどうか不明確であり、読み進むに従ってそれが超越的な話者であることが次第に明らかになったとしても、話者の権能、すなわちそれが全能の話者であるか、特定の視野や権能を有した話者か判然としないのである。蓮實はこのような話者とボヴァリー母とオメーの懇願に対して、思いついたように報酬を与える物語の外の存在に同型性を認める。蓮實は次のように記す。

 「僕ら」に含まれる「僕」は、シャルルの母親に息子の中学入りを許したボヴァリー氏のように、あるいは薬剤師オメーに勲章を下賜した匿名の「国王」のように、物語の要請を無視する不可視の「超=説話論」的な力の無根拠な介入によってフィクションを開始せしめ、その役割を終えると物語から撤退するものだった。ただし、その撤退は無償の振る舞いではない。「超=説話論」的な要素の介入や撤退は、非時間的に形象化されうる物語に時間を導入するものだからである。

 作品の主題に関する分析を語りの形式の問題へと転じるアクロバティックな分析から私は例えばマイケル・フリードの60年代の美術批評を連想する。フォーマリズム批評の典型とも呼ぶべきこの時期のフリードの論文においても「テクスト的な現実」ならぬ作品の形式が問われる。それは誰もが読んでいたはずの/見ていたはずの事実である。しかしそこにわずかに兆した綻びによって作品の意味を一変させ、作品についての見方を根底から変える手法は、論じる対象こそ異なるものの蓮實の文学研究における跳躍と似ている。そしてまさにこのような認識論的飛躍こそ、私が優れた批評に期する特質なのである。
 さて、私はこの長大な論考10章中のまだ二つの章について論じたにすぎない。この調子では相変わらずブログの更新がおぼつかない。やや異例であるが、本書のレヴューは二回に分け、まず前半をアップすることにする。残りの章も同様の発見や示唆に満ちていることはいうまでもない。それらについては次回のブログでやや駆け足で論じたい。
 なお蓮實の読者であれば誰でも知っているとおり、蓮實は物語と小説という二つの言葉を意識的に使い分けている。しかしこのレヴューでは両者を蓮實に即して厳密に区別することはあまりにも煩瑣に感じられるため、特にそのような区別をせず、文脈に応じて用いていることをお断りしておく。

12/08/14 追記
上に記したとおり、本ブログについては続けて後編をアップすべく、実際に筆を進めてもみたのであるが、蓮實の大著を自分の関心に沿って要約することは予想以上の難作業であり、何より私の狭い関心によらず、直接本書を通読いただいた方が本ブログの読者にとっても有益であると判断したため、本書に関してはここで筆を擱く。諒とされたい。
代わりという訳ではないが、同じ著者がおよそ40年前に発表した有名な「宣言」の冒頭の一文をアップしておく。
by gravity97 | 2014-08-03 16:14 | 批評理論 | Comments(0)

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