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b0138838_14444224.jpg 先日、ガルシア・マルケスの訃報が届いた。87歳というから天寿を全うしたといえなくもないが、20世紀文学の巨人がもはや筆を執ることがないことは惜しまれる。さいわいマルケスに関しては数年前に新潮社から全集が刊行され、このブログでもレヴューした自伝『生きて、語り伝える』も日本語で読むことができる。(ただしこの自伝で扱われる時期はヨーロッパ滞在の直前、「百年の孤独」が出版されるはるか以前である。果たして続編は執筆されていたのであろうか)また先日、書店で新刊としてマルケスの講演録が刊行されているのを見かけたから、日本でもこの作家の全体像に触れることは比較的容易である。ガルシア・マルケスとラテンアメリカ文学のもう一人の巨人、マリオ・バルガス=リョサ(本書ではジョサと表記されているが、邦訳の多くでリョサと表記され、このブログでもリョサと表記してきたため、これを踏襲する)の間で交わされた1967年の二つの対話をメインに、リョサによるマルケス論、リョサへのインタヴューといったやや雑多な四編のテクストを寄せ集めて、偶然にもマルケスが没する直前に刊行された本書は短いものであるが、それなりに興味深い内容だ。
 本書の中心をなすマルケスとリョサの対談が実現した経緯については冒頭に説明がある。それによれば1967年9月、ペルーの国立工科大学が傑作『百年の孤独』を刊行した直後のコロンビアの作家ガルシア・マルケスをリマに招待した。ちょうど同じ時期にやはりラテンアメリカ文学屈指の名作『緑の家』を刊行してまもない(『緑の家』は1966年発行)ペルーの作家、リョサも休暇のためにリマに滞在していた。この機を逃さず国立工科大学は二人の対話を計画した。対話は9月5日、マルケスをゲスト、リョサを聞き手とする公開質問のかたちで行われたが、二人は時に攻守を替えて楽しそうに対談を続けた。満員の聴衆を前に実現したこの公開対談は一度では終わらず、二日後に第二部が開かれた。本書に収められた対話が二部に分かれていることはこの理由による。対話の記録は翌年、リマのミジャ・パトレス社から「書籍というよりはパンフレットのようなかたち」で出版されたが、それ以降再版、あるいは他書に収録されたことがなく、現在では完全に幻の書となっていると訳者があとがきに記している。内容に鑑みてもこのような第一級の資料が日本語で読めることはありがたい。
b0138838_1449810.jpg なんといっても1967年という時間が特権的だ。『百年の孤独』が発行されたのがこの年の5月であるから、おそらく大きな反響を読んでいる渦中で催された対話であったはずだ。片や、リョサも「ロムロ・ガジェゴス賞」を受けた『緑の家』を前年に発表していたから二人の作家が今日代表作とみなされる傑作を発表した直後に行われた訳である。この二つの小説は私も個人的に思い入れがある。大学に入って初めてラテンアメリカ文学に触れて大きな衝撃を受けたのであるが、その際、まず続けざまに読んだのがこの二つの小説だったのだ。懐かしい早川良雄デザインの新潮社版を図版として掲げる。マルケスは1927年生まれ、リョサは1936年生まれであるから、マルケスが一回り年長であり、リョサがホスト役を務めたのは当然であろう。二人が会うのはこれが二回目であったが、二人はずいぶん打ち解けた親密さで語り合い、短いテクストながらいくつもの興味深い発言が認められる。先ほど二人の出身国について触れた。二人はラテンアメリカ文学の巨人として認識されているが、必ずしもコロンビアとペルーという地域と結びつけられないだろう。二人の特殊な閲歴がこれと関わっている。すなわちともに国外での生活が長いのだ。マルケスは1955年に新聞社の特派員としてローマに派遣され、その後、パリでも生活した。1961年にはメキシコに渡り、『百年の孤独』はメキシコシティーで執筆された。リョサも1958年よりスペインの大学で学び、卒業後はパリのAFPなどで働き、最終的にペルーに帰国したのは1974年のことであった。パリでマルケスとリョサが同じホテルに滞在していたという有名なエピソードがあるが、あとがきによればこれは事実ではないらしい。しかし二人はこの対話が行われた数年後、バルセロナに滞在して家族を含めて親交があった。この点については後で触れるとして、ここでは二人がそれぞれの代表作をいわば流謫の地で執筆したことに注意を喚起しておきたい。『百年の孤独』といい『緑の家』といい、私たちはラテンアメリカの世界を濃厚に反映した作品として理解しているが、いずれも主要な部分はメキシコとフランスという異国の地で書き継がれた。この点は対話の中で否定的に論じられるボルヘスと比較する時、興味深い。英語の教育を受け、ジュネーブで学んだアルゼンチン生まれのボルヘスもまた外国の滞在が長く、コスモポリタンとして知られる。しかしボルヘスの作品は徹底的に無国籍的、抽象的、人工的だ。マルケスは次のように述べる。「私にとってボルヘスは逃避の文学です。私はかつても今もボルヘスをよく読みますが、まったく好きな作家ではありません。ボルヘスを読むのは、彼が傑出した言語能力を備えているからです」ボルヘスが多用する迷宮、円環、鏡といったモティーフはむしろ古典文学以来のヨーロッパ文学と通底し、高踏的で理知的に過ぎる。ほかのラテンアメリカ文学の傍らに置くとき、ボルヘスの特異性は容易に理解されよう。しかし例えばマルケス、リョサ、フェンテス、カルペンティエール、あるいはコルタサル、これらのラテンアメリカ文学の共通点は何か。リョサの問いに対してマルケスは、多様性こそが共通点であると答える。はぐらかしたような答えであるが、ずいぶんたくさんのラテンアメリカの小説を読んだ者として、私もマルケスに同意する。しかしこのような多様性はラテンアメリカにおいて初めて可能であったのではなかろうか。四番目に収められたリョサへのインタヴューはエレナ・ポニアトウスカというメキシコの女性作家の手により、インティメイトな雰囲気にあふれた魅力的な内容であるが、この中でリョサはペルーアマゾンの民族学調査に随行し、原住民の生活に触れた際の衝撃が『緑の家』を執筆した動機であったと述べている。「ペルー国内の文化的、人種的、歴史的、社会的格差には恐ろしいものがある」密林の中の修道院、砂漠の町、娼館といった全く異なった場所が交錯する『緑の家』の手法はリョサの多くの小説でも取り入れられているが、かかる併置の手法は密林と都会、古代と現代、蒙昧と科学が切れ目なく存在するラテンアメリカというトポスにおいてはきわめてリアルに感じられたであろう。私はこのような発想から、ロバート・ラウシェンバーグの次の言葉を連想した。「私はある区画に40階建のビルがあるかと思えば、その隣に小さな掘っ立て小屋があるといった都会にいることにエキサイトメントを感じたのである。そこには田舎では見出せないような事物の非合理な併存がある。私はちょうどヨーロッパを旅行してきたばかりだが、そこではこのようなものは見出せなかった」ラウシェンバーグの言葉が後にコンバイン絵画として結実することはいうまでもないが、このような異質の併置はラウシェンバーグも指摘するとおり、ヨーロッパではありえない。自然あるいは未開の中に文明が切り貼りされたアメリカ大陸においてのみ可能な発想であったかもしれない。そしてラテンアメリカ文学におけるアングロアメリカ性を考えるにあたって、もう一つの参照項はフォークナーであろう。実際に二人の対談の中でもフォークナーがしばしば言及される。二人は現在のラテンアメリカの作家たちに影響を与えたのは先行するラテンアメリカの作家ではなくフォークナーである点で一致し、フォークナーのおかげで世代が入れ替わったとさえ述べる。マルケスは次のように語る。「フォークナーの作法はラテンアメリカの現実を語るには非常に有効です。(中略)つまり、ラテンアメリカの現実を前にして、これを小説として語ろうとすると、ヨーロッパ作家の手法やスペイン古典文学の手法では歯が立たない訳です。そこにフォークナーが現れて、その現実を語るのにうってつけの手法を見せてくれる。ヨクナパトーファ郡の河岸がカリブ海と繋がっていることを考えれば、実はこれもさほど不思議な話ではないのでしょう。ある意味フォークナーはカリブの作家であり、ラテンアメリカの作家なのかもしれませんね」フォークナーと魔術的リアリズムとは不思議な取り合わせであるが、マルケスとリョサの小説を連想するならば、両者が矛盾なく溶け合っていることはたやすく理解できる。
 先に記したとおり、この対話は1967年に交わされた。この二年後にリョサが執筆したマルケス論が三番目に収録された「アラカタカからマコンドへ」である。67年の対話の中に認められるマルケスへの敬意はこのテクストの中にも明らかであり、初期の作品についても触れながら「百年の孤独」の圧倒的な達成について語られる。最後に収められたリョサのインタヴューも発表の時期は69年であるが、主として63年に発表されたリョサの出世作「都会と犬ども」が話題とされ、会話の中に「『緑の家』はもう完成したの」という問いかけがあることからもわかるとおり、実際のインタヴューは65年に行われている。これらのテクストは60年代後半、ラテンアメリカ文学が世界的に注目を浴び、「ブーム」を引き起こす直前、いわばラテンアメリカ文学の青春の記録として今読んでもみずみずしい。ラテンアメリカは彼ら二人以外にも多くの重要な作家を輩出したが、いわゆるブームの作家たちの中でノーベル文学賞を受賞したのはこの二人だけであり、この点も影響しているのであろうが、とりわけ日本語における紹介という点でマルケスとリョサは双璧といってよい。私もこの二人についてはマルケスについては2004年の「わが悲しき娼婦たちの思い出」、リョサに関しては2006年の「悪い娘の悪戯」にいたるまで邦訳された代表作をこれまでにほぼ読み通している。しかし両者の関係はこの後、不穏な変調をたどる。このあたりの事情を私は「失われた友情」と題された本書のあとがきで初めて知った。
 76年2月というから、この対談からほぼ10年後、メキシコシティーにおけるある映画の試写会の会場で二人は再会する。時期としてはマルケスが独裁者を主題とした傑作『族長の秋』を発表した翌年にあたる。久しぶりの再会に両手を広げて近寄って来たマルケスに対して、リョサはなんと顔面にパンチを浴びせ、倒れたマルケスを残して妻と共に立ち去ったという。彼らの小説の一場面のようなマッチョなエピソードであるが、彼らの仲違いの原因については二人とも口を閉ざしている。あとがきによれば、キューバのカストロに対して常に寛容なマルケスと、批判的なリョサの立場の違い、あるいはマルケスがことさらに装う偽悪的、嘲笑的な態度への反発に起因するのではないかとのことであるが、今日にいたるまで真相は定かではない。以前私はこのブログでホセ・ドノソの『隣りの庭』を取り上げ、ドノソがマルケスとリョサを含む実在の作家たちへの羨望の念を表明していることに触れた。実はある時期、ドノソを含むラテンアメリカの作家たちの多くは『隣りの庭』の舞台となったバルセロナに居住し、マルケスとリョサにいたっては「角を曲がったところ」に住む隣組だったという。1970年の年末、バルセロナのルイス・ゴイティソロ邸で催されたパーティーにはマルケス夫妻、リョサ夫妻、ドノソ夫妻、コルタサルとその恋人が集ったという。まもなくカルロス・フェンテス夫妻もバルセロナに到着しているから、70年代前半のバルセロナにはラテンアメリカ文学の立役者が揃っていたこととなる。当時、マルケスとリョサの関係が良好であったことは多くの証言が残されているから、76年の決裂の原因はいまだに謎といってよかろう。これ以後、両者の関係は修復されることなく、マルケスが没した今となっては、この二人の巨人の晩年の不和はなんとも残念に思われる。なぜならばリョサはまさに1971年という時点で『ガルシア・マルケス 神殺しの物語』というマルケス論を上梓しているのである。本書に収められた「アラカタカからマコンドへ」はこれに先立つ論文であるが、量質ともに「神殺しの物語」はこれをはるかに凌ぐ。しかし76年の決裂の後、この決定的なマルケス論はリョサの全集にこそ収められたが単行本として再刊されることはなく、当然ながら今後、翻訳が認められる可能性もないという。本書によって短いながらも的確なリョサによるマルケス論に親しんだ者であれば、かかる不在はなんとも残念に感じられる。いつの日かこの封印が解かれることを願って、さらにいえばドノソの『別荘』やフェンテスの『われらの大地』といった傑作の呼び声が高い未訳の長編を日本語で読むことができる日が遠からず来ることを願いつつ、ラテンアメリカ文学の一愛読者として筆を擱くこととする。
by gravity97 | 2014-05-25 14:52 | 海外文学 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 140520

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by gravity97 | 2014-05-20 21:17 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

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 特に予定のないゴールデンウイークは長編を読んで過ごすことが多い。今年は偶然にも休日に入る直前、格好のエンターテインメントが翻訳され、十分に堪能することができた。1999年に原著がイタリアで刊行されたルーサー・ブリセットの『Q』という歴史小説だ。なぜイタリアで発表された小説の著者が英語表記なのか。著者名に不審を覚えるのは当然だ。種明かしをするならば、この小説は4人の匿名の執筆者の手による合作であり、商業性の否定と匿名性を主張するルーサー・ブリセット・プロジェクトの産物である。アンチ・コピーライトを唱える彼らは本書の全編をウェブサイト上にアップし、誰でも無料で読むことができるという。ちなみにルーサー・ブリセットとは1980年代にイギリスに現存した無名のサッカー選手らしい。このあたりイタリアのオートノミズムとの関係なども気になるところであるが、これ以上はよくわからない。もっとも匿名性は翻訳においても貫徹されており、あとがきを読んでも具体的な作者については「ボローニャ在住の四人のイタリア人」と記されるのみで、名前さえ示されていない。このあたりの事情も興味深いが、深入りする必要はない。読者は無用な詮索の前にまず頁を開くべきだろう。誰が書いたにせよ、この小説は抜群に面白い。たちまち物語に引き込まれることは間違いない。
 舞台は宗教改革と農民戦争の騒乱が続く16世紀のヨーロッパ。異端審問と傭兵による略奪が猖獗し、世界は荒廃の極にある。この世界で数十年の間隔を置いて、死闘を繰り広げる二人の男の物語が本書だ。一人は名前のない、いや、時代によっていくつもの名前をもつ主人公であり、本書の多くはこの主人公の一人称によって語られる。もう一人はローマ教会の枢機卿、ジャンピエトロ・カラファの密偵Q。Qの行動はカラファへの報告、あるいは日記をとおして私たちに明らかとなる。したがって本書は説話論的には比較的単純な構図をとるが、読み始めると途端に混乱してしまう。一つには巻頭に地図とともに登場人物一覧が掲載されているとはいえ、実に多くの人物が登場することによる。私も何度も一覧を参照し、以前の頁を繰りながら読み進めた。特に冒頭部において主人公が名前をもたないこともこのような混乱と深く関わっているだろう。本書は三部構成でそれぞれ物語の舞台を違えている。このうち第二部以降、主人公はいくつかの名前をもち、焦点化しやすい。しかし第一部において「私」の行動は描写されるが、固有名を伴って名指しされることがないため、「私」と他の登場人物の関係が読み取れないのである。(実は第1部でも主人公は名を与えられている。しかし注意深く読まないと読み過ごすだろう)さらにとりわけ冒頭部において時間構造、テクスト構造はともに複雑である。本書は短い無数の章の集積として成立している。それぞれの章の最初に時代と場所が書きつけてあるため、舞台を特定することは容易であるが、第2部以降では比較的単線化された時間が流れるのに対して、第1部では時間がシャッフルされている。つまり「1555年 欧州ではないどこかの町」を舞台とした序章に続き、読者はいきなり第1部の「1525年、テューリンゲン地方、フランケンハウゼン」において猛烈な戦闘のただ中に叩き込まれ、続いてこの戦闘の後日譚と前日譚を交互に読むこととなる。そしてこのような錯綜をさらに増幅するかのように、物語にはレヴェルの異なるテクスト、つまりQがカラファに当てた書状、登場人物に宛てられた手紙などが次々に挿入されている。つまりかなり集中して読まないと、物語の枠組が把握できないのである。読み手の緊張の中に次第に物語の輪郭が浮かび上がる様子はスリリングだ。以下、私はこの物語の梗概を記すが、おそらくこの程度の基礎知識があった方が本書は理解しやすい。さらに宗教改革、ドイツ農民戦争といった事項に関しては事前に最低限の予備知識を得ておくことをお勧めする。
 序章の最後で一つの歴史的事件が語られる。1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィテンベルクの教会の扉に95条の論題を貼り出し、ローマ・カトリックによる贖宥状売買を断罪した。宗教改革の幕開けである。続いてカラファに宛てたQの二通の書簡が示される。いずれもルターの行為の重大性を警告し、脅威を早くに摘み取ることを慫慂する内容だ。教会と諸侯の利害が複雑に絡み合う宗教改革と反宗教改革、それはドイツ農民戦争という血で血を洗う地獄の幕開けであった。今述べたとおり、続く第1部第1章で早くもこの戦争の帰結が明らかとされる。1525年、フランケンハウゼンの戦闘において諸侯や王に刃向かった農民たちはことごとく虐殺され、首謀者とみなされたトマス・ミュンツァーも捕縛される。名前のない主人公はこの混乱の中で、彼が先生と呼ぶミュンツァーと最後まで行動をともにし、ミュンツァーが携えていた彼宛の書信を収めた袋を引き継ぐ。辛くも生き延びた主人公はエルタースドルフという街に逃れ、宗教改革からフランケンハウゼンの戦闘にいたる自らの闘争を回想する。したがって1925年以前(ヴィッテンベルク)と以後(エルタースドルフ)の二つの年記をもつものの、実際には第1部の記述は大半が宗教改革の発端からフランケンハウゼンの戦闘にいたる時代を記録し回想する内容であり、結末が最初に提示される先説法の語りである。ルターの同僚、メランヒトンをも論破する学識をもつミュンツァーは現世の秩序を肯定するルターと袂を分かち、ミュールハウゼンという自由都市を拠点に勢力を拡大する。ミュンツァーは農民と鉱山労働者、市民らの支持を受けて、諸侯や領主といった勢力を排除した共同社会を形成しようと試みるが、ルターはこれを激しく批判し、ルターに督促された諸侯たちは彼らの弾圧を図る。このあたりはほぼ史実を反映しており、重層的な語りの中に多くの陰謀や策略が浮かび上がる様子は圧巻だ。宗教弾圧をテーマにした傑作として私は直ちに二つの大長編を連想した。高橋和巳の「邪宗門」とバルガス=リョサの「世界終末戦争」だ。前者は日本における大本教(小説中では「ひのもと救霊会」)の弾圧、後者はブラジルのカヌードス戦争といういずれも国家による徹底的な宗教弾圧を描き、圧倒的な読後感を残す。本書もこのようなテーマに連なる小説といえようが、これらと比してもローマ・カトリックの強権を背景になされる弾圧はなんとも凄惨で無慈悲だ。神の王国を地上に再現することを望んだミュンターは逮捕され、拷問の果てに殺され、ミュンツァーの同志たちもそのほとんどが悲惨な末路をたどる。そもそもミュールハウゼンに糾合した農民や労働者たちはいかに意気軒昂であったにせよ、教会と結託した諸侯に雇われたプロの傭兵たちの軍隊に敵うはずがなかった。主人公はミュンツァーから預かった袋の中に不審な手紙を発見する。それはミュンツァーの信頼厚いと思われる匿名の人物から寄せられた誤った情報であり、結果的にこの偽の情報に基づいて自らを過信した改革派が圧倒的な敵に野戦を仕掛けた時点でフランケンハウゼンの戦闘の帰趨とミュンツァーの命運は決まっていた。手紙の署名はQ。カラファの密偵は単に農民戦争を内部から崩壊させるのみならず、農民や労働者とルターを離反させ、宗教改革の内部に亀裂を開ける使命を帯びていたことが次第に明らかになる。短い章の積み重ねの中に錯綜した裏切りと謀略がおぼろげに浮かび上がる過程はぞくぞくするほど刺激的だ。
 第1部の最後、カラファに宛てた手紙の中でQはミュンツァーの勢力に代わる新しい異端の一派にカラファの注意を喚起する。それは再洗礼派と呼ばれる異端だ。そしてフランケンハウゼンにおける敗走の13年後、主人公は「井戸から来たゲルト」という名前とともにアントウェルペン(アントワープのことだ)に姿を現す。すでにフランケンハウゼンの同志たちは多くが捕らえられて殺されていた。敗走に次ぐ敗走。この過程で主人公は何人かの預言者と知り合いになる。例えばヤン・マティス、メルヒオル・ホフマン、いずれも異端であり、ローマ・カトリックの敵だ。第2部においても先説法が用いられている点は注目に値する。すなわちアントウェルペンに敗走した主人公はこの地でエロイなる異端者に庇護され、つかの間の休息を過ごすのであるが、ここでも語られるべき事件は既に終えられている。エロイが主人公から聞き出そうとする過去とは再洗礼派の壊滅という事件であり、それは1534年、ミュンスターでの出来事だ。当時ミュンスターはローマ・カトリック、ルター派、そして再洗礼派が拮抗し異常な緊張下にあった。主人公と再洗礼派の仲間たちは激烈な戦闘の果てに前二者をミュンスターの城壁の外に放逐することに成功し、ついに理想的な自治都市を樹立するかにみえた。しかし異端の台頭を認めないカトリック教会と諸侯はルター派と手を組み、ミュンスターを包囲して籠城戦が始まる。敵は城壁の外だけではなかった。再洗礼派の預言者ヤン・マティスは戦闘が終了した後にミュンスターに入城して熱狂的に迎えられるが、オランダから連れてきた部下たちとともに強圧的な神権政治を開始し、多くの市民が殺され、離反していった。主人公も自分たちが奪い取った自由都市が狂信者たちによって蹂躙されることに耐えられず、ミュンスターから逃れるが、その後、町を包囲していた諸侯軍は何者かの手引きによって城内に侵攻し、市民の大虐殺を繰り広げる。「あらゆる路地に死体が転がり、町中に耐え難い悪臭が立ちこめています。中央広場には、服を剥がれて積み上げられた白い骸の山がそびえています」Qはミュンスターでも暗躍していたのだ。町の指導部に深く入り込みながら、城外の敵と通じ、守り手の手薄な城門から軍隊を招き入れ、市民の虐殺に手を貸したことをQはカラファに報告する。b0138838_10234014.jpg本書のとりわけ前半部は失敗した蜂起と革命、裏切りと拷問、虐殺と処刑のオン・パレードだ。ミュンスターが落城した後、ミュンスターに君臨していた再洗礼派の狂える指導者たち、ヤン・ボッケルソン、ベルント・クニッパードルリンク、ベルント・クレヒティングの三人は「真っ赤に焼けた鋏」で拷問を受けた後、処刑され、死体は檻に入れられて教会の鐘楼から吊して晒された。巻末に掲載された多くの図版のうちの一葉は宗教戦争の残虐さを今に伝えている。前半は凄惨な描写も多いが、次々に繰り出される謎と意外な展開に目を奪われるため、残酷さはさほど感じられない。
 アントウェルペンで主人公、「井戸から来たゲルト」はエロイに紹介された謎の男から奇妙な話を聞く。ヨーロッパを陰で支配する銀行家フッガー一族と深いつながりをもつこの男はケルンでフッガーからQと名乗る男に無条件で金を渡すように命じられたことを語る。Qは信用状を多額の現金に替えてミュンスターへ赴いた。現金はミュンスターの再洗礼派に取り入るための寄付金として用いられたのだ。かくしてQは異端派の内部に入り込み、ここでも裏切りによって彼らの共同体を崩壊させた。ミュールハウゼンとミュンスター。教会と結託した王や諸侯に反旗を翻した民衆の理想の共同体は、顔をもたない男、ローマ・カトリックの密偵Qの暗躍によって崩壊した。Qはこれらの共同体の中心にいたはずだ。主人公は自らの理想を二度にわたって葬った密偵Qの存在を知る。ここで物語はようやく現在に追いつき、舞台もドイツからイタリア、水の都ヴェネツィアへ移る。
 主人公とQの立場が逆転する。Qを狩り出すために、ルートヴィヒ・スカーリエデッケル(この名前も物語の中で重要な意味をもつ)と名を変えた主人公は一つの罠を準備する。それはルターと並ぶ宗教改革の立役者、ジャン・カルヴァンが関与した「キリストの恵み」という書物である。ルター派とカトリックの和解の可能性を論じたこの小冊子の危険性についても早くからQがカラファに警告している。ルートヴィヒは当時、出版の自由度が高かったヴェネツィアで新しい仲間たちを得てこの禁書を印刷し、ヨーロッパに流通させる。いくつかの歴史的主題が浮かび上がる。一つは印刷術である。グーテンベルグ聖書が印刷されたのが1455年であるから、この物語は印刷術が成立してまもない時期を舞台としている。印刷術と宗教改革の関係について縷述する余裕はないが、早くもこの時点で主人公はこの技術が教義の普及に決定的な意味をもつことを理解している。もう一つはヴェネツィアとユダヤ人の関係だ。私は以前、徳永恂の「ヴェニスからアウシュビッツヘ」という論考の中でユダヤ人ゲットーがヨーロッパで最初にヴェネツィアの地に建設されたことを知って驚いたことを覚えている。ルートヴィヒはこの地でセファルディム(小説ではセファルディーと表記)と呼ばれる亡命ユダヤ人たちと知り合うことによってQを捜索する大きな足掛かりを得る。ローマ教会、ヴェネツィア共和国、ユダヤ人資産家、宗教と権力と富の関係は複雑に入り乱れる。そしてQもまた禁書を配布する主人公(既にティツィアーノと名を変えている)の存在を察知し、捕縛を試みる。顔見知りでありながら未知の宿敵、いくつもの名を持つ主人公と名前のない密偵Qが互いを探索するクライマックスは映画「インファナル・アフェア」を連想させないでもない。そして第3部ではかかる暗闘に、ローマ教皇の死去を受けて、次の教皇の座をめぐるカラファとレジナルド・ポール(「キリストの恵み」の成立に深く関わるイギリス人枢機卿)のコンクラーヴェが重ねられ、物語は大団円に向かって直進する。
 結末については触れない。しかしこれだけ長大で、しかも前半では二つの理想郷の壊滅という暗澹たる物語が語られると聞いて、読む前から恐れをなしてしまう読者のために一言だけ付け加えておく。読後感は悪くない。そして読み終えたら直ちに再読したいという思いに駆られるだろう。実際にこのレヴューのために部分的に再読して、実によく練られていることをあらためて痛感した。この一文はこのきわめて入り組んだ小説を評した早いものの一つであろうから、未読の読者の一助として本ブログとしては異例にも内容を中心に論じた。しかしこの小説の魅力が形式にも由来していることは明らかである。たとえば時制だ。フランケンハウゼンとミュンスターにおける壊滅は既に事件が終えられた時点から語りが始まり、謀略の全貌が見えてきたあたりで時制は過去から現在へと変わる。30年以上にも及ぶ長い物語は中盤で時制が転換することによって緊張を持続する。そしてこの転換は主人公とQが互いの存在を認識する瞬間とほぼ一致するのだ。あるいは『フィネガンズ・ウエイク』のごとく序章と終章が円環を形成する構造、手紙や布告といったレヴェルの異なったテクストを交える手法。あらためて論ずべき問題は多いが機会を改めたい。
 本書は長大であるだけでなく、キリスト教や様々の言語についての知識を必要とする内容である。翻訳は大変な作業であっただろうと推測されるが訳文はこなれており、読みやすい。翻訳者の労を多としたい。
by gravity97 | 2014-05-17 10:39 | エンターテインメント | Comments(0)

中村一美展

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 国立新美術館で「中村一美展」を見る。久しぶりに絵画を見て圧倒される体験を味わった。150点に及ぶ巨大で難解、異様な緊張感を帯びた作品の数々が並ぶ。美術館における中村の個展はこれが初めてではないが、いずれの会場も訪れるにはやや遠く、これほどの規模で中村の作品に接する、私にとっては初めての体験となった。もっとも私は比較的早くから中村の絵画に注目し、90年代中盤あたりまでコンスタントに中村の個展に通ったため、見覚えのある作品も多い。しかしそれ以降は数年の間隔をあけて開かれる南天子画廊での新作発表くらいしか作品を見る機会がなく、作品の展開をたどることはかなり困難に感じられた。したがって今回の展覧会はあらためて中村の作品の展開、その連続と断絶に触れる得がたい機会であったが、それを言葉にすることはかなり難しい。そしてとりわけ「鳥としての絵画」以降の作品はおそらくは言語化の困難と深く関係する晦渋さ、一種の異様さを秘めているように感じられる。
 現代の画家に関して、新美術館ではこれまでも松本陽子や辰野登恵子の作品を写真家との二人展という形式で紹介してきた。この際にもクロノロジカルな構成は意図的に放棄されていたが、今回も会場の途中に初期作品が挿入されるというややイレギュラーな構成がとられていた。しかし基本的には1980年以降の作品が年代を追ってシリーズごとに配置され、ゆるやかな時系列を構成している。ごく初期の作品を除いて、今回の展覧会では中村の画業がほぼクロノロジカルに「空間としての絵画」「社会意味論(ソーシャル・セマンティックス)としての絵画」「鳥としての絵画」の三つに大別され、それぞれのセクションがさらに三つないし四つのシリーズに分類されている。中村がデビューした直後の作品、すなわち「空間としての絵画」の最初の二つ、「Y型」と「斜行グリッド」の二つの連作は比較的わかりやすい。それらはともに東京芸術大学の芸術学科で中村が研究した抽象表現主義の影響を反映している。濃厚なストロークが残された「Y型」はデ・クーニング風のアクション・ペインティングを連想させるし、「斜行グリッド」においては中村が論文の主題としたバーネット・ニューマンのジップ絵画が参照されている。しかしこの二つの連作において既に抽象表現主義を批判的に克服しようとする中村の意図は明らかだ。前者においては画面に連作名が示すY字型の構造がこれみよがしに挿入され、アクションと構築性の両立が図られている。一方後者においてもタイトルが暗示するとおり、斜行線というモダニズム絵画のタブーによって画面を構築することが図られている。知られているとおり、ニューマンはモンドリアンを批判することによって近代絵画の克服を試みたが、両者はともにディアゴナルな構造を忌避した。なぜならそれは奥行きというイリュージョンを喚起するからだ。しかしY字型も斜行グリッドも本来的に斜線を内包している。マスキングテープで形成されたシャープな線条からはミニマリズムも連想されるが、中村があくまでも絵画の問題として初期作品を制作していることも明らかだ。なぜならハードエッジによる斜行グリッドとほぼ同じ時期にストロークによっても同じ構造が描かれており、作家の関心が画面の仕上げではなく構造に向けられていることを暗示している。これらの構造の由来についても中村は明言している。それは山間の樹木であり、桑の木であり、紫式部日記絵巻に描かれた蔀戸である。一見抽象的でありながら、中村の絵画が具体的な参照源を有している点は注目に値する。中村は明確な歴史意識をもった画家であり、端的に抽象表現主義の超克をめざしている。中村は絵画のみならず多くの文章も残しており、幸いにも著作選集としてまとめられている。b0138838_10195467.jpg初期の重要なテクスト「示差的イメージ」においては絵画を二種に分け、そのうち「非具象であれ、具象であれ、描かれたものがその描かれたものをストレートに表出しているもの。イメージ即イメージの絵画」として抽象表現主義を挙げる。そしてこれに対して自らが求める方向は別種、すなわち「非具象であれ、具象であれ、描かれたものがその描かれたものを提示しはするが、それだけでは解決のつかないあるものを、指向あるいは示唆しているもの。そこでは描かれたものと、その指向との間に一種のズレ(示差)が生じ、その結果意味が生み出される」と述べている。中村の文章は絵画同様に難解であるが、この言明は比較的わかりやすい。つまり中村は絵画が形式的強度として成立したポロックやニューマンの絵画を批判的に乗り越えようとしている。モダニズムを絵画において批判することと言い換えてもよいだろう。このような探求にあたって中村は絵画の主題性、あるいは日本という極東に位置することを繰り返し揚言している。ニューマンが絵画の主題に拘泥したことはよく知られている。しかしクレメント・グリーンバーグ流の教条的フォーマリズムにおいて主題の問題は往々にして軽視され、グリーンバーグ自身「全ての優れた絵画はニューヨークを経由する」という文化帝国主義的なコメントを臆面もなく表明していたことを考慮する時、中村が示すフォーマリズムへの対案は注目に値する。さらに付言するならば中村はかつて「絵画の消滅」という小論で宮川淳の文人的、文学的美術批評に対して徹底的な批判を加えた。ここでこれ以上論及する余地はないが、同様にフォーマリズムから出発した者として私は中村の宮川批判が今日もある種の「美術批評家」たちに対して有効であるように感じる。
 作品に戻ろう。批判的であるにせよ、抽象表現主義、フォーマリズムを参照項としているから「Y字」と「斜行グリッド」は比較的わかりやすい。私が中村の絵画に最初に関心を抱いたのはこの理由による。しかし続く「開かれたC型」そして「社会意味論としての絵画」以降の中村の歩みはあえてわかりにくさ、言語化の困難さを自らに課すかのようである。中村は「ダイアゴナルから開かれたCへ」という短い文章を残している。「部分的な奥行きとヴォリュームのための『開かれたC型』。それは水平方向へ畳み込むように配置される。『開かれたC型』と連動する車線の還元化された形体は、依然として斜めにズレこむ空間を形成する。この『開かれたC型』と斜線による形体は、超越的形体でもなく、いわゆる構成的形体でもない。それらは、空間に潜む精神の触発作用と深く関わるものだ」作品を参照することなしに理解することが困難なコメントであるが、「精神の触発作用」という言葉がやや唐突に記されている点に留意しておきたい。この時期、中村は洋の東西を問わず先行する表現に触発されて独特の構成を確立したように思われる。中村が参照するのは「西園寺縁起」という参詣図やマティスの《会話》という作品であり、いずれもきわめて特殊な作品である。これらの作品から中村が抽出したのはいわば絵画の骨格のようなものではなかっただろうか。つまり「開かれたC型」、「連差―破房」、「破庵」といった連作は、それぞれに異なった骨格としか呼びようのない抽象的な、絵画のあり方のタイポロジーを示しているように感じられるのだ。このように考えるならば、90年代の中村の絵画の意味に新しい角度から光を与えることができるかもしれない。中村の絵画とは、絵画が強度を帯びる骨格の探求であった。確かに抽象表現主義にもそのような姿勢は認められ、例えばニューマンのジップ絵画はこのような骨格をぎりぎりまで切り詰めたものと考えることができよう。しかし中村は絵画をその形式の内部で完結させることを拒む。抽象表現主義の探求は絵画という形式を単線的に進める中での取り組みであったから、作品の強度の由来はわかりやすく、言語化が比較的容易である。これに対して先に引いた「示差的イメージ」の中で説くとおり、中村は絵画を形式ではなく一種の指向性としてとらえる。同じ連作という手法を用いても、モダニズム絵画におけるそれが一つの主題を順列組み合わせ的に試す手段であったのに対し、中村は連作をとおして作品の間にずれを生起し、そこに意味を求めようとしているのだ。モダニズム絵画が本質主義的であるのに対して、中村の絵画は間テクスト的といえるかもしれない。一つの作品について語ることはまだたやすい。しかし作品相互の差異について語り、それを作品の本質として提起することは容易ではない。中村の絵画の難解さ、それについて語ることの難解さはこの点に由来する。そしてこれらの絵画において中村が主題の必要性を繰り返す点にもう一度私たちは注目しなければならない。例えば《潅木と虐殺》あるいは《ネガティヴ・フォレスト》、これらのタイトルはベトナム戦争におけるアメリカの非人道的行為、枯葉剤作戦などを暗示しており、中村は作品を解説する文章の中で9・11テロや溶鉱炉に落ちて死んだ友人の父親といった生々しく、多く暴力や死と関連するテーマに触れている。
 先ほど私は絵画の骨格という言葉を使った。「開かれたC型」に始まるいくつかの連作をあらためて一望するならば、画家は絵画の骨格を手探りしながら楽しんで実験している様子がうかがえて、この時期の作品、特に横長の絵画は中村としては珍しく多くのびやかな印象を与える。会場には多くのドローイングも展示されている。作家はまずドローイングをとおして連作の骨格を見定め、ペインティングで骨格に肉付けしているのではないだろうか。連作の中では時に激しいストロークが、時に斜行グリッドを連想させる直線が用いられ、Y字やストライプといったかつての/新たな骨格も自由に導入される。中村は自らの絵画が抽象でも具象でもなく、Social Semantic(社会意味論)を扱うと述べている。確かにこれらの絵画が何かを参照しているか否か、表現主義的かミニマリズムかといった問いは意味をなさない。絵画はそれ自体で自足せず、かといって何かを参照することもない。このような絵画を支えるのは苛烈な主題への絶えざる回帰であった点は留意されるべきであろう。さて、「社会意味論としての絵画」の多くが死や暴力といった重い主題と関連していたことについては先に触れた。今回の展覧会を見て、今世紀に入って中村の絵画に大きな転機が訪れたことが理解される。すなわち「採桑老」を一つの転機として、一種の再生、死から生への転換が図られているように感じられるのだ。この転機に当たって桑の木が大きな役割を果たした点は興味深い。中村が何度も述懐するとおり、桑とは養蚕を営んでいた母方の実家をとおして中村の原風景とも呼ぶべきイメージであり、出発点の「Y字」にも投影されていたことが想起されよう。「採桑老」とは死を招くという不吉な伝承を伴った雅楽でもあるが、桑という言葉から次のシリーズ「織桑鳥」が触発され、中村はそれに「フェ―ニッ―クス」、不死鳥というルビをふる。「私にとって『不―死―鳥』とは同一のものが甦ることを意味するのではなく、似ても似つかない姿、全く異形の姿を以て出現すべきものを意味するのだ」中村によれば鳥とは現代における災厄であり、例えば紛争地帯に介入する軍産複合体とまで具体的に名指しされている。「我々はそれを、死滅させ、全く異質な姿形へと再生させねばならないだろう」死滅したもの、それは養蚕業であり、桑畑であろうか、しかし私はここで暗示されているのは何よりも「絵画の死」ではないかと考える。むろん20世紀以降、絵画は常に死を宣告され、現実に映像表現の圧倒的な隆盛の前で、今日絵画は衰退している。私は「採桑老」と「織桑鳥」を経て、つまり「絵画の死」の後にあって中村が「鳥としての絵画」という圧倒的な連作を開始したことに感動を覚える。
 この連作はまさに「全く異形の姿」をとる。私は何度かこれらの絵画を南天子画廊の個展で見たことがある。しかし正直よくわからなかった。それまでの絵画と比べてもきわめて異質に感じられたのだ。中村は「存在の鳥」について次のように記している。「《存在の鳥》とは、あらゆる存在の飛翔についての絵画である。存在は飛翔しなければならず、飛翔しうるもののみが存在である」いうまでもなく「存在」とは「絵画」と読み替えられるべきである。カタログによれば、「存在の鳥」とはこれまでで最大の連作であり、すでに300点を超えるという。「存在の鳥」の骨格は比較的わかりやすい。上に掲げたカタログの表紙に掲出された作品からも明らかなとおり、それは羽を広げた鳥を模しており、画面左上に左向きの頭部とくちばしを暗示する形態が描き込まれ、多く画面中央下に足を連想させる二本の線が表出されている。今までと同様に中村はこのような骨格を定めたうえで「空間の鳥」を自由に変奏する。色面がモノクロームへと転じ、あるいはストロークの強調によって、鳥の形象が定かでない作品もあるが、その場合でも作品の骨格は残されている。作品は垂直的な印象を与え、大画面が多い。私は事後的に図版に縮小されたイメージをもとに羽を広げた鳥と記したが、会場でこのような判断はなされえない。実際に直面する時、作品はなんとも名状しがたい。私が今まで見た絵画の中で近似した印象を受けた例はクリフォード・スティルの巨大な色面抽象である。両者は異様さにおいて一致する。したがってこの絵画はタイトルと骨格においてこそ鳥を連想させるが、もはや鳥の似姿として実現されていると考えるべきではない。中村が言うとおり、これは存在の飛翔についての絵画であり、飛翔という力動性、現実からの跳躍、一つの指向性こそが主題とされているのだ。これと関連して、この連作において画面の物質性がかつてなく強調されている点も注目に値する。チューブから捻り出されたような物質感のある絵具、それもピンクやエメラルドグリーンのメタリックな色彩が用いられる場合が多い。私はこの一種凶暴にさえ感じられる物質性の強調に興味を抱いた。なぜならこれほど強調されているにもかかわらず、それらは物質というよりイメージとして機能しているように感じられたからである。おそらくその理由の一端は最後の部屋の特殊な設えに起因しているだろう。なんと「存在の鳥」連作18点が展示された部屋は壁面がオレンジに塗られ、過去の作品から引用された斜行グリッドのパターンがウォール・ペインティングとして描かれているのである。ホワイトキューブを否定するこのような壁面を背景とした時、「空間の鳥」の異様さは相対化される。そもそも蔀戸を連想するまでもなく、斜行グリッドは建築と深く関わっていた。かかるインスタレーションにおいて絵画はその飛翔の場を建築ではなく絵画の内部に準備する。必然的にそこには新しい示差が発生する。
 そもそも中村が説くように作品の差異によって意味が発生するのであれば、一つの連作がある程度まとまって展示され、相互に参照しえて初めてその意味を確認することができるはずだ。したがっていくつもの連作がまとまって紹介されたこのような展覧会によって作家の探求は明瞭となる。画廊で見た際にはよくわからなかった「存在の鳥」の意味が私なりにつかめたのは多くの作品を比較することができたからであろう。ソシュールに倣うならば、この大展覧会においては作品がその場に不在の作品との間に紡ぐパラディグマティックな意味と、斜行グリッドの上に配置された「空間の鳥」が紡ぐサンタグマティックな意味の両方を見て取ることができる。常に記号論的な意識に基づいて作品を制作してきた中村にとって本展はその集大成といってよいだろう。絵画という営みの本質に触れる作品の数々に圧倒されるとともに、今日なおこのような展覧会が可能であることに日本の美術館への一抹の希望を感じた。
by gravity97 | 2014-05-07 10:25 | 展覧会 | Comments(0)