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小熊英二編著『原発を止める人々』

b0138838_20573426.jpg 昨年の衆議院選挙における自民党の大勝、そして第二次安倍内閣の下で一連の政策が着々と実現される過程を私は深い挫折感、いや絶望感とともに見守ってきた。今まさに特定秘密保護法案が国会の審議を経て成立しようとしている。オリンピックの開催が決まったにもかかわらず原子力災害の収束の目処が全く立っていない状況を機密保護の名目で糊塗するために設けられた法案が民意とは無関係に私たちに押しつけられるのだ。一方、あれほどの災厄を自国民にもたらしたにもかかわらず、私たちの首相は原子力発電のブラントを海外に輸出するための外遊を繰り返している。これはもはや政治や経済ではなく、人としての倫理の問題ではないだろうか。
 しかし本書において小熊は次のように力強く断言する。「日本において『脱原発』はすでに実現した。原発稼働ゼロを2012年5月に実現し、その後も原発依存度がもっとも高い関西電力の二基の稼働だけで、とりあえず日常生活は支障なく動いていた。(中略)『脱原発』はすでに既成事実である。『原発の止まった社会』は非現実的な夢どころか、すでに実現している。あとは、『再び原発に依存するか否か』の選択があるにすぎない」体制側のすさまじいバックラッシュの中にあって小熊はなぜかくも楽観的であるのか。それは小熊が反原発デモに参加する人々に、これまでの日本ではほとんど存在しなかった多くの「自立し、行動する個人」を認めたからである。私は東日本大震災以来、このたびの原子力災害に関して無数の本を読み継いできた。そのいくつかについてはこのブログでもレヴューしたが、ほとんどの記録において官僚や政治家、学者たちがいかに愚かで無責任か、自己保身と利権保全に汲々としているかが暴かれるばかりであり、暗澹とした思いにとらえられた。しかし本書は唯一、この状況の中に光明を見る。小熊は官邸前抗議デモをはじめとする、多くの反原発アクションに焦点をあて、社会学的な分析を加える。そこからうかがえるのは全く新しい人々の連帯の在り方、市民社会の成熟である。私は本書を読み通して思わず胸が熱くなることを覚えた。
 まず本書の構成について説明しておこう。小熊の序文に続いて、「官邸前からの証言」という座談会が収録されている。小熊を司会進行として、2012年夏に注目された官邸前抗議デモ主催者5名が自らの思いを述べる。今、主催者と述べたが、この言葉は必ずしも正しくない。もちろんここに登場する人たちは抗議デモで重要な役割を果たしたが、このデモの特性は後で分析されるとおり、参加者の自発性にある。ひとまずはこの抗議運動の輪郭をつかむ意味で収録されているとみるべきだろう。初出は『文藝春秋』2013年4月号。続いて各地で反原発の運動に関わる人50人に「あなたはどういう人か」「震災をどう迎えたか」「震災後にどう活動したか」といったテーマで自由に寄稿してもらった文章が掲載されている。小熊によれば、依頼した対象は面識がある人々、何かの縁で知り合った人々であるという。官邸前抗議デモに参加した人もいるが、そればかりではなく広い意味で反原発のアクションを起こした人々が含まれ、居住地も福島から東京、ニューヨークと多岐にわたる。単独で行動する人、運動を組織する人、放射能に関する専門家から全くのアマチュアまで文章を寄せた人の立場は様々だ。章の扉に小熊は次のように記している。「ここでは脱原発デモ、放射線計測、行政交渉、署名活動、避難など、様々な運動にとりくんだ50人の証言を集めた。どんな人が、どう震災を迎え、どんな運動をしたかが、取替えのきかない固有の肉声から浮かび上がる」。続いて同じ小熊による菅元首相へのインタビューが収録されている。『現代思想』2013年3月号に掲載され、小熊が菅に「歴史の法廷に立つ身」としての証言を迫ったこのインタビューを私は既に読んでいた。菅元首相が脱原発に積極的であり、それゆえに首相の座を追われたことを私たちはいくつかのドキュメントを通じて知っている。つまり本書は権力の内部と外部から原子力発電を批判した当事者たちの肉声とそれに基づいた分析から成立している。続く小熊の長い論考、「盲点をさぐりあてた試行」はこれらの証言をいわば原資料として一連の反原発のアクションを検証し、本書の中核をなす。巻末には本書の共編者である社会学者の木下ちがやの「反原発デモはどのように展開したか」という比較的短い論考、そして最後に付録として「2011年以降の反原発デモ・リスト」を収める。
 私は官邸前デモに参加したことはなく、これまでこのアクションについてよく知らなかった。それは必ずしも私ばかりに責任がある訳ではないだろう。なぜなら私がこの運動に関して得た情報はほとんどがツイッターやフェイスブック、ユーチューブといったソーシャルメディアを経由しており、(私はあまりTVを見ないにせよ)マス・メディアはこの話題をほとんど報じないからだ。私は本書を通じて反原発アクション、特に官邸前抗議デモの全貌を知った。小熊によれば震災後、最初の抗議活動は震災の翌日3月12日に経済産業省前で行われた抗議活動であり、独立系メディアによって記録されている。実は震災以前より反原発デモは各地で行われており、一連のアクションは突然にもたらされたものではないが、震災と原子力災害を機に急激な高まりを示した。中でも4月10日に高円寺で開かれた「原発やめろデモ」は注目に値するという。なぜならこのデモはいくつもの点で後の官邸前抗議デモの原型となったからである。すなわちサウンドカーを先頭にしたサウンドデモを取り入れ、音楽やサブカルチャーと連帯するスタイルである。このデモは高円寺でリサイクル店を営んでいた自営業者などによって以前より結成されていた「素人の乱」というネットワークの呼びかけで組織され、1万5千人もの人が参加した。これほどの人数が集まったことについては、これ以後、インターネットの呼びかけをもとに若者たちが集まったというステレオタイプの説明が広まるが、小熊によればこの時に集まった人々は地元のつながりや友人関係で参加する場合が多かったという。これ以後、脱原発デモは急速に拡大する。都内各地で開かれたこれらのデモはいくつかのグループに分けられる。従来から反原発に取り組んでいた市民団体によるデモ、「素人の乱」を中心とした「原発やめろデモ」、環境保護をうたう国際イベント、「アースデイ」を主催していたグループが呼びかける「エネルギーシフトパレード」である。6月11日のデモではこれらのグループが混じり合って解散地点の新宿駅東口駅前広場を3万人で占拠したという。これほどの大規模なデモを組織する中で主催者たちは誘導や警察対応、事故対応について工夫を重ねる。主催者たちの中にはかねてよりイラク反戦、反貧困などの運動に携わった者が多く、ノウハウを蓄積していったのである。しかしこれらの運動の高まりが直ちに官邸前行動に結びついた訳ではない。逆に9月、「原発やめろデモ」は12人の逮捕者を出した。しかしこの逮捕は意味があった。彼らを逮捕した警察当局は逮捕者に、誰に誘われたか誰に指示されたかといった質問を繰り返す。旧套な左翼運動の摘発の手法である。しかし参加者が自発的であり、一緒に歩いていた者の名前も知らないといった返答を繰り返すにつれて、当局も自分たちが対峙しているのが従来の組織化された「反体制運動」とは全く異なった、生活感に密着した運動であることを知ったのだ。このあたりの事情をチェルフィッチュの「三月の5日間」と関連させて分析したい気もするが、別の機会に論じることにしよう。この頃、デモ申請に行った関係者は警察から「ツイッターってなんだ」と問われたという。この時期、大江健三郎や瀬戸内寂聴らが呼びかけた反原発集会が6万人を集めて開かれたこともあり、当局側もこの運動の高まりを認識せざるをえなかった。この時期、反原発運動は裾野をさらに広げ、翌年の官邸前抗議デモの素地を形成した。同じ時期に経済産業省前に抗議の座り込みを行うテントが建てられ、撤去されずに抗議活動が続けられたことも反原発という主張が既に世論の多数を占めたことを暗示している。そして12年3月29日に始まり、最初は300名程度の結集にすぎなかった首都圏反原発連合による官邸前抗議は驚異的な広がりをみせる。小熊によればその一つの理由は官邸前というトポスであった。高円寺や渋谷ではなく、明確に抗議の対象が所在する官邸前は声を上げることによって自分たちの存在を為政者に伝えることができる。実際に当時の野田首相と面談した首都圏反原発連合の代表たちはデモの声が物理的に官邸に届いていることを官邸内で知り感銘を受けたと述べている。12年5月5日には北海道電力泊原発が定期点検のために停止し、遂に稼働している原発はゼロとなる。日本において『脱原発』が現実に実現した瞬間である。しかしながら野田政権は6月16日に福井県の大飯原発3号機と4号機の再稼働を決定し、これを契機に数千人単位の参加者であった官邸前抗議デモは数万人単位にふくれあがった。6月29日には主催者側発表で20万人もの人々が官邸前を埋め尽くした。これほど大規模な抗議運動でありながら警備側とのトラブルはなく、午後8時に首都圏反原発連合の代表者が抗議活動終了を宣言すると人々は「ゴミ一つ残さずに」帰っていったという。私はこの情景をツイッターやフェイスブックを介して参加者のスマートフォンで撮影された映像として見た記憶がある。このような抗議活動は官邸前だけでなく日本中で行われていたことも記憶されるべきであろう。抗議デモへの動員という点ではこの時期を頂点とするが、抗議活動は現在にいたるまで続けられている。小熊自身も官邸前抗議は12年の冬までは続かないと考えていたが、実際には今年の春にいたっても数千人単位の人々が金曜日の夕方になると地下鉄の「国会議事堂前」あたりに集まり、思い思いに抗議を繰り返しているという。
 以上の通時的概観に続いて、小熊はこの運動の共時的分析を行う。官邸前抗議デモの特質として小熊は自由参加の多さと固定的組織の不在、リーダーの不在を指摘する。この点は本書に収められた多くの証言からも明らかであろう。さらに小熊は過去の同様のアクション、例えば68年の学生叛乱などと比して今回の行動においては自分たちが多数派だという意識が認められる点を挙げている。それはそうであろう。各種の世論調査を確認するまでもなく、今や7割を越す人々が原子力発電に疑問を抱き、少なくともなければないにこしたことはないといった思いを抱いていることは明らかだ。自分たちが多数派であるにもかかわらず意志が反映されないことへの不全感がこれらの運動の背景にある。さらにデモが移動ではなく占拠というかたちをとることも2011年の運動の特質である。小熊はこれらの特質を「自由な参加者たちが中心地に集まって場を作る」と表現する。これらの特質が「アラブの春」やウォール街占拠といった近年の民衆運動と近似するという指摘は興味深い。次に小熊はアクションへの参加者を「中核的な担い手たち」と「一般参加者」に分けて分析する。詳細は本書を読んでいただくとして、前者、つまり本書に寄稿した人々の共通点としては次のような点が挙げられる。「職業的には、自営業・専門職・フリーランス・外資系・経営者・派遣社員・農民・大学講師・主婦など、時間と勤務形態に自由がきく形態が多い。外国との接触経験のある者、医学知識のある者が比較的多い。脱原発などの社会運動には縁がなかった者がむしろ多いが、何らかの自主的な企画を運営した経験のある者が多く、社会的経験はそれなりに経ている。学歴はおそらく平均的には高いが、自覚的に『やりたいこと』を優先して、進学を選ばなかったことを記している人も散見する」むろん本書の寄稿者、この分析の母集団はすでにその時点でそれなりのバイアスがかかっており、この点を小熊も理解している。しかしこのような分析と首都圏反原発連合についての「特に特定のリーダーがいる組織ということではなく、どんなことでも徹底的に話し合い、いざ纏まれば一斉に同じ方向を向いて走り出します。参加している人全員が、それぞれできることに最大限の貢献をしています。(自らの)企業の部門長という立場でも、これほど自律的に動くすばらしい人々は見たことがありません」というコメントを重ねるならば、中核となった人々のメンタリティーはおおよそ理解できよう。私は徒にこのアクションを美化するつもりはないが、日本でこれほどの規模の非暴力闘争が貫徹されている状況は私の記憶ではほかに例がない。デモにドラム隊として参加した文化人類学者は次のように述べている。「これまで世界中の運動が目指してはいたけれど、なかなか実現できなかったこと(非暴力直接行動の理想型)が、このアクテイヴィズム後進国の日本で起きていたわけだよ。いってみれば『周回遅れのトップランナー』みたいな感じだね。そもそも週一回、ほとんど通勤みたいに、金曜日なると六時ぴったりに集まって八時になるとさっと帰るというのは、ステレオタイプ的であるけれど、よくいわれる日本人の勤勉さとか我慢強さみたいなものにしっくり合ってたんじゃないかな」本書を読んで強く感じるのは参加者たちがきわめて抑制的にこのアクションに参加しているということだ。それは中心となる参加者たちによってこのデモがみごとにオーガナイズされているためであろうし、初めて可能となったこのような場を失ってはならないという参加者に共有された思いによるものでもあろう。小熊はこの事態を社会学者として次のように総括している。「官邸前で抗議を始めたのも一種の偶然なら、それが多くの人に受け入れられる受け皿だったというもの偶然だった。運動にかぎらず、成功する方法というものは、理論的に予測できるものではない。それは状況と歴史的文脈に沿って、その場その場で最善を尽くす試行錯誤の末に、手探りで獲得された『盲点』だったのである」
 さて、私たちはわずか二基の原子炉しか稼働していない状況で今年の異常に暑い夏を乗り切った。そして大飯原発4号機が定期検査のため停止した今年の9月15日以後、私たちは再び原発ゼロの日々を大きな支障なく送っている。誰にとっても明らかなこの事実をなぜマス・メディアは報道しないのだろう。一方で読売と産経をはじめとする大新聞はなおも死にものぐるいで原発再稼働のキャンペーンを張っているが、小熊が指摘するとおり、もはや勝敗は決しているようにも思われる。しかしその一方で一部の経済産業省の官僚や政治家たちがいかに姑息に再稼働を画策しているかについては大鹿靖明の『メルトダウン』の中で詳しく触れられている。この優れた調査報道については既に単行本版に関してこのブログでもレヴューしているが、今年の夏に刊行された講談社文庫版には単行本発行以後の状況、すなわち民主党政権でほぼ策定されるばかりとなっていた脱原発のシナリオが官僚たちの策謀によって握り潰される状況が克明に記録されている。小熊の楽観的な断定と悲観的な現実、私たちの未来はどちらの延長上にあるだろうか。私もまたどちらかといえば楽観的だ。本書の中には官邸前抗議デモを警備する警官たちが小声で「再稼働反対」とつぶやいたというエピソードが紹介されている。これは独裁国家において軍隊が銃口を民衆から独裁者へと向け直す瞬間を暗示している。今や誰にとっても原子力発電に未来はないことは明らかだ。ひととき史上最低の宰相を選んだとしても、私は自分たちがそこまで愚かではないと信じたい。本書は文藝春秋社から刊行されている。最初の座談会が『文藝春秋』に掲載されたといった事情はあったにせよ、イデオロギー的に必ずしも脱原発と親和的でないこの出版社がかくもラディカルな書物を刊行したこともまた一つの地殻変動を象徴しているのではないだろうか。

by gravity97 | 2013-10-30 21:07 | 思想・社会 | Comments(2)

「内と外ースペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」

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 以前、クーリエの仕事でマドリードのレイナ・ソフィア芸術センターに赴いたことがある。仕事を終えてもまだ十分な時間があり、特別展(確かドイツの現代美術に関する大がかりな展覧会であった)を見た後、私は常設展を巡った。この美術館のコレクションとしてはピカソの《ゲルニカ》が有名であり、ミロやダリといったシュルレアリスムの名品も多いのだが、戦後美術のセクションで思わず足を止めてしまった。1950年代の抽象絵画が素晴らしいのだ。タピエスとサウラは知っていた。しかし私が初めて見るほかの多くの画家の作品もレヴェルが高く、私はスペインでアンフォルメルがこれほどの充実を示していたことを初めて知った。そして数年前、フランクフルト近代美術館のブックショップを訪ねた際に私は「アンフォルメルの反乱」というサブタイトルをもつ『À REBOURS』という展覧会の分厚いカタログを見つけて買い求めたのであるが、ドリー・アシュトンによって企画され、当時においてはアンフォルメルを主題にした、私の知る限り唯一の展覧会も1999年に同じレイナ・ソフィアで開催されていた。
 現在、国立西洋美術館の常設展示の中で「内と外―スペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」という展覧会が開かれている。常設展に組み込まれていることもあり、併催されている「ミケランジェロ展」の喧噪に比して地味な展示であるが、なかなか見応えがある。レイナ・ソフィア所蔵の14点によって構成されているから、おそらくかつて私が見た作品も入っているはずだ。大賑わいの「ミケランジェロ展」の陰で忘れられそうなこの展示についてレヴューを残しておく。(ついでながらやはり同じ常設展示の中で開かれている「ル・コルビュジエと20世紀美術」も実に充実した展示だ。西洋美術館を訪れるならば特別展よりも常設展に時間をとることをお勧めする)
 「アンフォルメル」に関しては日本でも二年前にブリヂストン美術館で充実した内容の展覧会が開催され、このブログでも取り上げた。フランスの美術批評家ミシェル・タピエに唱導されたこの運動は世界的な広がりをもつ。フランスのマチウやスーラージュ、イタリアのフォンタナやカポグロッシから当時パリに留学していた堂本尚郞や今井俊満まで多くの国籍の作家を擁し、アメリカの抽象表現主義とも深い関係をもっていた。ブリヂストン美術館の展覧会では前アンフォルメルとも呼ぶべきヴォルス、フォートリエ、デュビュッフェの三人に加えて主にフランスの作家の作品が展示されていたが、今述べたとおり、アンフォルメルの本分はフランスを超えた国際的な広がりにある。これまで私はヨーロッパ各国の美術館で戦後美術に関する展示を見るたびにアンフォルメルが国際様式として想像以上に強い影響力をもっていたことにあらためて驚いたのであるが、今回、今まで紹介される機会がまれであったスペインの作家たちの作品をまとめて見たことによってアンフォルメルに関する様々の思考がさらに誘発された。
 この展覧会には日本でもこれまで紹介されたことがあるアントニ・タピエスとアントニオ・サウラに加えて、ホセ・ゲレーロとエステバン・ビセンテというほとんど未知の二人の作家が加えられている。展覧会のサブタイトルにある「二つの顔」とは多義的な概念であるが、直接にはバルセロナとマドリッド、スペイン国「内」で活動したタピエスとサウラ、アメリカという国「外」で活動したゲレーロとビセンテを対比させていると考えられる。(ただしゲレーロは1965年にスペインに帰国している)企画者はこの対立を国内亡命と国外亡命というかなり刺激的な言葉で表現している。さらに後の二人は経歴として抽象表現主義の画家ともみなしうるから、二つの顔とは端的にヨーロッパのアンフォルメルとアメリカの抽象表現主義という1950年代の表現主義的絵画に与えられた二つの名ととらえることもできるかもしれない。しかし画面からは両者の区別は困難だ。確かにゲレーロの色使いや浮遊するがごとき形態からはロバート・マザウェル、ビセンテの画面構成や色面の重なりからは初期のデ・クーニングとフィリップ・ガストンといった抽象表現主義の画家がたやすく連想される。しかしそれならばサウラの絵画もストロークとモノクロームによってフランツ・クライン、人の姿を彷彿とさせるオールオーバー絵画によってポロックを連想させるではないか。実際にカタログの表紙にも使われている大作《大群衆》は極端に横長のフォーマット、垂直性の強調、さらに人体の暗示といった点が直ちにポロックのグッゲンハイム邸壁画に近似している。四人の中ではタピエスのみ抽象表現主義には類例を求めることが困難な作家であり、画面の物質性からはむしろフォートリエやヴォルスらアンフォルメルに先駆けた作家たちが思い起こされる。
 国内亡命と国外亡命という対比は示唆的である。この対比から私は「スペインのアンフォルメル絵画」が置かれた微妙な立場に思いをめぐらす。例えばストロークだ。抽象表現主義にとって奔放なストローク、自由な身振りによって生成される絵画とは自由主義体制における個人の自由のメタファーであり、冷戦下においては共産主義の抑圧に対する批判として機能した。これに対してフランコの独裁体制下にある50年代のスペインにおいても自発的なストローク、自由な抽象表現は成立しうるか。自由主義社会の前衛にとっては共産主義同様にファシズムも打倒すべき対象であり、先に名を挙げたマザウェルはフランコ批判を含意した「スペイン共和国へのエレジー」という連作を発表している。タピエスとサウラという才能がスペインではなく、パリを中心にしたアンフォルメルという国際様式の中で初めて認められたことは必然であろう。果たして彼らの作品はスペインではどのように受け容れられたのか。このあたりの微妙な消息を企画者はカタログの冒頭で次のように述べている。少し長くなるが引用する。

ソフィア王妃芸術センターのコレクションの最も重要な分野の一つは、スペインのアンフォルメル芸術である。スペインのアンフォルメル芸術は、フランコ独裁政権下―内戦終結の1939年から75年のフランコの死まで続く―において認められていなかった前衛的精神の回復の象徴であり、その歴史的意義と生み出された作品の高い質から高く評価されている。/1950年代のヨーロッパにおいて、スペインは文化的、政治的に特異な位置にあった。それ故にアンフォルメルの画家たちは、スペインの長い戦後の孤立の後、現代の伝統を回復した功労者としての地位を確立することになる。

 国内亡命と国外亡命、両者の境遇の差異は作品にも反映されているように感じられる。ゲレーロやビセンテはベティ・パーソンズ・ギャラリーやクーツ・ギャラリーといった抽象表現主義の拠点となったギャラリーで作品を発表し、実際にニューヨーク・スクールの作家たちと交流している。出品作だけで判断することは難しいとはいえ、開放的で抒情的な作風は例えば今述べたとおりゴーキー、デ・クーニング、マザウェルらが抽象表現主義を確立していく時期に似た一種の遠心性を有している。これに対してサウラとタピエスの絵画を特徴づけるのは強い緊張感と物質性であり、画面はむしろ求心性を秘めている。色彩が抑制されている点も共通する。今回、サウラは《磔刑》と《フィリペ二世の想像上の肖像画》という作品を出品しているが、このような主題と激しく変形された人物の姿からは今年大規模な展覧会が開かれたフランシス・ベーコンも連想されよう。あるいはタピエスの《横向きの指の痕跡のある茶色、No.63》はタイトルから理解されるとおり、物質感の強い画面に指の痕が残されている。触覚的な画面からはジャスパー・ジョーンズの一連の作品も連想されるが、タピエスの画面にジョーンズのユーモアはなく、身体を強引に(横向きに)壁に押しつけるという一種の暴力的な行為が暗示されているように感じられる。スペインで「国内亡命」して活動を続けたサウラとタピエスの絵画が、ゲレーロやビセンテと比して鋭い緊迫感を秘めている理由は独裁政権下における彼らの社会的位置の不安定さを反映しているとみなすのは安易だろうか。ただし彼らは50年代にパリに滞在し、アンフォルメル運動に参加し、スペイン帰還後もアンフォルメルの牙城とも呼ぶべきスタドラー画廊で定期的に個展を開き、ヴェネツィア・ビエンナーレやサンパウロ・ビエンナーレ、あるいは1960年にニューヨーク近代美術館で開催された「新しいスペインの絵画と彫刻」といった重要な展覧会に、いわばスペインの戦後絵画を代表する作家として出品を重ねている。このあたりの事情はフランコ政権の文化政策とも関連して、今後検証が待たれる問題であるように感じられる。
 今回の展示を見てあらためて感じたのは「アンフォルメルとは何か」(奇しくもブリヂストン美術館の展覧会のタイトルである)という根源的な問題である。今回の展覧会には「スペイン・アンフォルメル絵画」というサブタイトルが付されているが、四人の作風はばらばらであり、共通点を見出すことは困難だ。このあたりの事情は「内と外」というタイトルにも反映されているだろう。例えば先のブリヂストン美術館での展示においてもアンフォルメルの先駆と呼ぶべきフォートリエ、ヴォルス、デュビュッフェはともかく、展示の核とされた作家は例えばアンリ・ミショーであり、ザオ・ウーキーであり、いずれもアンフォルメルの中心作家とみなすことには無理がある。あるいは最初に記したレイナ・ソフィアにおける1999年の展覧会にはジャコメッティやベーコンさえも含まれているのだ。かかる融通無碍こそがアンフォルメルの特質であり、それゆえタピエはアンフォルメル、あるいは「別の芸術」という概念によって日本の具体美術協会、さらにはアメリカの抽象表現主義までも包摂しようとしたのであった。逆にアンフォルメルを真に体現した作家は誰か。この問いに答えることは難しい。マチウの名を挙げることは可能であろう。しかしそのほかに誰がいるか。試みにタピエが組織した展覧会に複数回にわたって名を連ねた作家を列挙してみよう。ブリエン、リオペル、セルパンといった作家は今日ほとんど知られていない。デ・クーニングやポロックはいうまでもなく抽象表現主義、アペルはコブラの文脈で理解されることはあってもアンフォルメルの作家とはみなされないだろう。アンフォルメルとは一見すると全世界を巻き込んだ巨大な運動でありながら、実は巨大な空虚であり、空虚さゆえに抽象表現主義から具体美術協会にいたる同時代の多様な表現主義的絵画を呑み込むことができたのではなかろうか。早すぎる退潮のゆえに今日アンフォルメルは美術運動として軽視されがちであるが、例えば「タピエ、マチウ、サム・フランシスを迎えて開く国際アンフォルメルの祭典」と銘打って開かれた1957年、ブリヂストン美術館における「世界現代芸術展」においてはサウラ、タピエスと並んで、ポロック、デ・クーニング、マーク・トビー、フォートリエ、デュビュッフェ、フォンタナ、ブッリ、そして堂本尚郎、今井俊満といったおおよそ共通項のない雑多な、しかし今日から考えるならば夢のような作家のラインナップが出品リストに名を連ねている。具体美術協会が主催した1958年の「新しい絵画世界展」も同様である。私たちはこのような展覧会がヨーロッパやアメリカではなく日本で開かれたことの意味についても真剣に考えるべきであろう。
 最後にカタログを読んで気がついたトリヴィアルな疑問を二つほど書きつけておきたい。ベレン・ガランというレイナ・ソフィアのキューレーターのテクストによれば、1957年にバルセロナのガスパール画廊およびマドリッドの国立現代美術館において「別の芸術」という展覧会が開かれ、サウラ、タピエスを含むスペインの画家たちとともにフォートリエやヴォルス、ポロック、デ・クーニングといった作家の作品が展示されたという。展覧会のタイトルと作家の顔ぶれからはミシェル・タピエの介在が予想されるのであるが、ガランによればこの展覧会はスペインの国立現代美術館館長ホセ・ルイス・フェルナンデス・デル=アモによって企画されたという。この人物とタピエの関係、そしてアンフォルメル運動におけるこの展覧会の位置づけはいかなるものであったか。以前、私はフランシスコ・ビセンスという人物によってコンパイルされ、『別の美学のための序説』と題されたミシェル・タピエの長大な論文集を読んだことがある。その際にこの書物がパリではなくバルセロナで出版されたことに奇異の念を抱いたが、確認するならばこの論集はバルセロナの国際美学センターから出版されている。私の記憶ではタピエのコレクションが収められた国際美学センターはバルセロナではなくイタリアのトリノに開設されていたのではなかったか。両者は同じ機関なのであろうか。そもそもアンフォルメルの拠点とも呼ぶべきこの施設がパリではなく、スペインもしくはイタリアに設置されたのはなぜなのだろうか。タピエの批評の晦渋さのゆえでもあろう、アンフォルメルはなおも多くの謎を残した運動なのである。

by gravity97 | 2013-10-24 20:16 | 展覧会 | Comments(0)

スティーヴン・キング『11/22/63』

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 このブログでスティーヴン・キングの新作についてレヴューするのは『悪霊の島』『アンダー・ザ・ドーム』に続いて三冊目となる。原著が2011年に発表された本書は歴史改変ジャンルSFの直球勝負。私の印象としてはキングの長編としては標準的な出来であろう。もちろんキングにおける「標準的」であるからべらぼうに面白い。読み出したら止まらないことを約束しよう。内容にも立ち入りながら論じるため、先入観なしに楽しみたい方は直ちに本書を手に取られるのがよい。
 ストーリーは比較的単純で、100頁ほど読み進めると、物語のテーマは明らかになる。舞台は2011年、つまり本書の刊行時と同じ。主人公ジェイク・エピングはリスボン・ハイスクールの英語教師。アルコール依存症の妻クリスティーと別れ、一人で暮らしている。ある日、ジェイクは行きつけのダイナーの主人、アルからとんでもない秘密を打ち明けられる。アルの店の食品庫の中に1958年9月9日午前11時58分の世界に通じる抜け穴があるというのだ。肺がんのため死期の迫ったアルはジェイクに頼み事をする。向こうの世界に行って、タイトルが示す1963年11月22日に起きたケネディ大統領暗殺を未然に防げ。いきなり突拍子もない設定であるが、天才的なストリーテラーのキングの筆にかかれば、荒唐無稽な物語も綿密な書き込みによって揺るぎがない。歴史改変をテーマにしたSFはいくつかの先例がある。この小説の中でも言及されるレイ・ブラッドベリの「雷のような音」、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』、日本では小松左京の「地には平和を」といったところか。これらの多くが歴史の改変された世界を事後的に描いているのに対して、本書は歴史を改変することは可能かという、より能動的、現在進行形のテーマに関わっている。『11/22/63』におけるタイムトラベルは二つの大きな特徴をもっている。特定の時間に向かって旅立つ多くの時間旅行SFとは異なり、遡行する世界の日付が58年9月9日とあらかじめ定められていること、そしてタイムトラベルをするたびに世界はリセットされる、つまり一度歴史を改変したとしても、もう一度タイムトラベルを行うと歴史は元通りに復元されてしまうことだ。物語の早い段階で明かされるこの二つの原理から次のようなストーリーが予想される。まず第一にジェイクは過去の世界に戻ってから暗殺阻止というミッションを果たすまでに「向こう側」で5年もの歳月を過ごさなければならない。暗殺直前にワープしてオズワルドを阻めばおしまいといった単純な話とはならないということだ。第二にもし暗殺を阻止して現在に戻ったとしても、その結果が望ましくなければジェイクはもう一度タイムトラベルを試みて、歴史を現在私たちが見知ったそれにリセットすることができる。つまりどちらの歴史を選ぶかはジェイクに委ねられている訳だ。そして実際にこれらのトピックは物語の中でそれなりに大きな意味をもつ。
 最初にジェイクは半信半疑で食品庫のタイムトンネルをくぐる。1958年、半世紀前の世界は新鮮だ。当時は稼働していた紡織工場の織機の音、有害物質を含んだ煙の匂い、ルートビアの濃厚な味、五感全てをとおしてアメリカの古き良き時代が描出される。キングは少年を主人公とした物語を描くことが抜群に上手い。本書には少年こそ登場しないが、過去の世界に横溢するノスタルジーは共通し、その魅力を表出する巧さはキングの独壇場といってよいだろう。おそらくキングの少年時代の回想と思しき風景が広がり、「スタンド・バイ・ミー」や『アトランティスのこころ』の冒頭部、『IT』などに描かれた世界と時代を共有していることが理解される。私たちの同時代人であるジェイクが次第に過去の世界に魅されていくことも行間から伝わる。このあたりもキングの巧さである。超自然的な抜け穴の存在を確認したジェイクは歴史を改変するということが果たして可能か、最初に一つの実験を試みる。時間旅行した時点からさほど遠くない未来、1958年10月に発生したサイコパスの父親による一家惨殺事件を未然にくいとめる試みだ。アルによってあらかじめ用意されたジョージ・アンバースンという名前とID、そして使用可能な通貨を携えてジェイク、いやジョージはもう一度過去に旅立つ。この実験の首尾についてはここでは触れないが、このようにして「過去に住む」(本書の第三部のタイトルである)経験を積み、それぞれの時点で果たすべき務めを遂げつつ、ジョージはいよいよケネディ暗殺阻止に向けて行動を開始する。アルが調査した暗殺犯リー・オズワルドの詳細な生活歴のメモにしたがってオズワルドの周辺に潜み、その行動を監視する。知られているとおり、ケネディ暗殺に関してはオズワルド以外に暗殺犯がいるという謀略説が根強い。暗殺が謀略ではなく、オズワルドの単独犯であることの確証を得ることもジョージの任務である。ジョージをとおして浮かび上がるオズワルドの私生活はフィクションではなくノンフィクションだ。私はオズワルドが事件の数年前までロシア(当時は「ソ連」と呼ばれていた)に暮らしていたといった事実を本書で初めて知った。この長大な小説を肉づけするためには暗殺事件、特にオズワルドの周辺についての緻密な調査が必要となるだろう。また1960年前後のアメリカの地方都市の生活スタイルについての綿密な時代考証も必要なはずだ。キング自身、著者あとがきの中で、本書を構想したのが1973年というきわめて早い時期であったにもかかわらず、「いったん執筆を放棄したのは、ひとえに執筆に必要な調査があまりにも厖大で、フルタイムの教師をしていた身にはあまりにも荷が重そうに思えたからだ」と告白している。その後、暗殺事件に関連した多くの書籍が出版され、キング自身も何度か調査を重ねることによって、ようやく事件の全貌を作家なりに把握し、物語として提示することが可能となったのである。(ただし、キングは同じあとがきで本書には事件の真相についての解答は示されていないと注意深く記している)
 物語はクライマックスの1963年11月22日に向かってじりじりと進んでいく。ジョージは未来の自分と同様にハイスクールでパートタイムの教職を得て、PCも携帯電話もない生活に溶け込んでいく。ハイスクールの学生たちとの演劇をとおした交流や教育委員会との衝突、図書室司書のセイディーという娘との運命的な出会い。このあたりには明らかに「フルタイムの教師」としてのキングの体験が生かされているだろう。ジョージは時に生徒たちのダンス・パーティーを企画し、時に大番狂わせになることがわかっているフットボールや野球の試合に賭けを張って生活資金を稼ぐ。その一方でフォートワースやダラスに出かけてはオズワルド一家の到着の前に罠を仕掛け、オズワルドの交友関係を調査する。無数の挿話を折り込みながら、朴訥な英語教師と未来から来たエージェントという二つの顔を使い分けて半世紀前のアメリカの田舎町で生活を送るジョージの姿がていねいに描かれる。この小説にはキングとしては珍しく超自然的な恐怖はさほど登場しない。一家惨殺事件を防ぐためにジョージは最初、デリーという街に滞在する。なんとも不吉な気配をみなぎらせたこの街ではその頃、子供の殺害事件が相次いでいた。『IT』で語られたエピソードの再話であることはいうまでもない。この街でキッチナー鉄工所(私の記憶が正しければイースターに爆発事故の大惨事を引き起こした呪われた工場だったはずだ)の跡地を訪れたジョージはそこで忌まわしいものの存在を感得し、同じセンセーションをダラスでオズワルドが潜んだ教科書会社のビルを訪れた際にも感じる。物語が相互に融合しあうことはキングでは珍しくないが、本書で超自然的な恐怖が暗示されるのはこの箇所くらいであり、物語はむしろ本格ミステリーに近い緻密さとともに展開する。
 時間旅行の経験の中でジョージは時間がいくつかの特性を帯びていることを知る。まず時間は改変されることを好まず、歴史を改変しようとする行為を様々のかたちで妨害する。また様々な出来事が時間旅行の前後で微妙な差異をともなって繰り返される。(ジョージはこれを「共鳴」と呼ぶ)バタフライ効果として知られるとおり、歴史を改変する行為は未来に影響を与えるが、どのような影響を与えるかあらかじめ知ることはできない。中盤以降、ケネディ暗殺をいかに阻止するかというメイン・ストリートとジョージとセイディーのラブ・ストーリーが並行して語られる。ジョージは不幸な経歴をもつセイディーを深く愛することとなる。しかしもし現在へ帰還するならば、40歳以上年上の彼女と結ばれることはありえないだろう。セイディーとの愛を成就することはいかにして可能か。先に時間は改変されることを好まないと述べた。大統領の暗殺阻止という大がかりな歴史改変を試みるジョージの周囲では、それを阻むべく多くの事件が発生する。おそらくジョージ、そしてセイディーの身にも危険が及ぶはずだ。果たしてジョージはセイディーを守りつつ、自らのミッションを遂げることができるのか。中盤から終盤にかけてジョージの周囲でいくつもの物語が錯綜しつつ、雪崩のようにクライマックスへと向かって進んでいく。結末は予想できないこともないとはいえ、なかなか感動的でカタルシスがある。長い時を経た再会というモティーフは私に『アトランティスのこころ』の鮮烈なラストシーンを想起させる。現実は一つであるとしても、私たちの生には無数の可能性がありうるという作者のメッセージはまことにこの物語にふさわしい。

 前回、『アンダー・ザ・ドーム』について評した際、私は人々を閉じ込めるドームが原子力災害の暗喩でもありうること、ドームの中で吹き荒れる暴力がこの本を読んでいた際に伝えられたビンラディンの暗殺のごとく、私たちの世界にも渦巻いていると記した。本書を読みつつ、今回も私は物語と直接関係のない私たちが住む世界のことを思った。先に記したとおり、最初のタイムトラベルによって半世紀前の世界に戻った際、ジェイク/ジョージは世界の濃密な感覚を味わう。最初は大きな違和感を覚えながらも、彼は次第に過去の世界になじみ、一時はそこで生きることさえ決意する。むろん露骨な人種差別が横行し、女性が男性に従属することが当然とみなされている世界であり、インターネットもなければ音楽はレコードによってしか再生されえない。しかしそこには生の喜びが満ちあふれ、人と人が真に結びついていた。むろんそれをノスタルジーと呼ぶのはたやすい。けれども今私たちもきわめて切実に過去に戻りたい、もし過去に生きることができるならば半世紀前を生きたいという思いに駆られていないだろうか。11/22/63が世界を以前と以後に分けたように、私たちの生活も03/11/11によって分断された。私たちは今、放射能で汚染された「以後」の世界を生きることを余儀なくされており、決して「以前」の世界には戻れない。本書の中には歴史改変の結果として、壁一面に差別落書きが書き散らされ、工場や店、図書館は瓦礫と化し、不良少年たちが徘徊する廃墟の街が描かれる。私はこの箇所を読みながら、同じような荒涼とした風景について最近どこかで読んだように感じた。それは『世界』の今月号、「市場化される日本社会」という特集において堤未果がレポートする「株式会社化する国家」、現在のアメリカの地方都市の情景である。なんとキングが描く悪夢のような未来はジョージによる歴史改変が行われずとも、現実のアメリカ社会に実現されているではないか。それは国家が企業によって蝕まれるグローバリズムのなれの果てであることはいうまでもない。そして私たちに放射能で汚染された国に住むことを強いた者たちは恥知らずにも施政方針演説で「世界で一番、企業が活躍しやすい国を目指す」と公言し、アメリカの企業の論理を押しつけることによってこの国から「逝きし世の面影」を根絶やしにしようとしている。ジョージであれば一人の暗殺者を阻むことによって未来を変えることができたかもしれない。しかし間違いなく悪夢へと続く私たちの未来は、一人の人間ではなく、選挙をとおして私たち皆が選んだのだ。

by gravity97 | 2013-10-16 21:57 | エンターテインメント | Comments(0)

NEW ARRIVAL 131003

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by gravity97 | 2013-10-03 20:57 | NEW ARRIVAL | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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