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「アンドレアス・グルスキー展」

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 国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー」展を見る。グルスキーの作品は日本でも既にいくつかの展覧会で紹介されており、私も初見ではない。しかしいずれもグループ展の中での紹介であったのに対して今回は日本で初の大規模な個展であり、巨大な作品の数々に圧倒された。私は写真の専門家ではないが、展示の中でもしばしば触れられていたとおり、グルスキーの作品は写真という文脈よりも、現代絵画あるいは現代美術との関係において検討した方が理解しやすい。彼の作品はデュッセルドルフ芸術アカデミーでベルント&ヒラ・ベッヒャーに学んだことに多くを負っており、私は一種のコンセプチュアル・アートとしてとらえることさえ可能ではないかと考える。
 ひとまず上に掲げたイメージ、カタログの表紙とされた2007年の《カミオカンデ》から始めてみよう。ポスター等にも使用され、おそらく今後グルスキーの代表作の一つとみなされるであろうなんとも壮麗なイメージだ。タイトルからわかるとおり、これは岐阜県飛騨市の神岡鉱山の地下深くに建設されたニュートリノ検出装置スーパーカミオカンデの情景だ。それは5万トンの超純水を湛えた直径39.3メートル、深さ41.4メートルの円筒形のタンクであり、その内部には光電子増倍管と呼ばれる円形のセンサーが無数に設置されている。上部から差し込む光によって内部は黄金色に満たされ、戦慄的な光景が広がっている。もっともタイトルもしくは説明がなければここに繰り広げられているのが一体いかなる風景なのか、そもそもそれが風景であるかさえ理解することは困難だ。しかしこの作品は内部に一点、そのヒントを含んでいる。画面右下を注意深く見るならば、そこにはゴムボートに乗り帽子をかぶった二人の人物を認めることできる。今述べたとおり、このタンクは超純水で満たされているから、ゴムボートが存在することは不思議ではない。しかし実際にこの写真が撮影された際には破損した光電子倍増管の修理のために水は抜かれており、二人の人物や周囲が映り込んだ水面はグルスキーが撮影した写真をデジタル的に処理する過程で付加されたという。直ちに一つの疑問が浮かぶだろう。なぜ作家はことさらに人物の姿を情景の中に加えたのか。予想される解答の一つは、作家が作品を抽象的なイメージとして捉えられることを嫌ったというものであろう。実際、この展覧会に出品された作品はほとんどが具体的な対象に依拠しており、タイのチャオプラヤー川の水面を撮影して一見抽象的な「バンコク」連作においても、よく観察すると川面に浮かぶ油やゴミが見てとれる。あるいは《カミオカンデ》と近似した黄金のイメージ《カタール》もいかなる施設を撮影したものか判然としないが、同様に床にうずくまる小さな人影を確認するならば、具体的な建築の内景であることが了解される。
 しかしここに付加された人物はさらに興味深い問題へと私たちを導く。美術史学を学んだ者であれば、《カミオカンデ》からカスパー・ダーヴィト・フリードリッヒが描いた一連の風景画を連想しないでいることは難しい。フリードリッヒの絵画においても壮大なスケールの自然、あるいは自然現象を前に手前に多く後ろ向きの人物が小さく描き込まれる場合が多い。この場合、人は一つにはスケールの指標であり、人の大きさと比べることによって描かれた光景の壮大さが理解される。そしてさらに重要な点は後ろ向きの人物という、観者が自らを最も投影しやすいイメージによって、私たちも絵画の中に招き入れられるのである。ジェラール・ジュネットが焦点化と呼ぶ作品と享受者の特殊な関係を敷衍して、ロバート・ローゼンブラムがさら問題を深化させたことはよく知られている。ローゼンブラムはフリードリッヒの絵画にみられる圧倒的な存在を前にした人間が抱く感情を崇高と呼び、同様の感情が抽象表現主義絵画、特に色面抽象絵画を前にした観者にも共有されていると説く。典型的な例を挙げるならば、断崖の上に立って茫漠とした空間に対する人物を描いたフリードリッヒの《海辺の僧侶》に対して、同様に茫漠としたイメージを描いたロスコの巨大な絵画。そこでは絵画内から現実へと審級を転じたうえで、人を圧倒し、理解を絶した存在を前にした超越的な体験が繰り返されるのであり、ローゼンブラムはそれを抽象的崇高と呼ぶ。既に指摘されている点であろうが、崇高という概念はグルスキーの作品を分析する際にも有効である。私たちはそれが入り組んだかたちで実現されていることに注意しなければならない。今述べたとおり、フリードリッヒとロスコを比較するならば、フリードリッヒにおいて画中の人物は自らの前に繰り広げられる風景に圧倒され、私たちはそれらの人物と同一化することによって崇高を追体験する。これに対してロスコの場合、私たちは現実の中で絵画という異様な存在に直面し、直接に特殊なセンセーションを感じる。つまり崇高の感覚はフリードリッヒにおいては間接的、ロスコにおいては直接的なのである。グルスキーの場合、崇高の感覚は両方に関わる。《カミオカンデ》において私たちは二人の人物に目を止めることによって、ここに展開する風景の壮大さを理解する。しかし仮に二人に気がつかなかったとしても、黄金色の円盤がオールオーバーに配置された巨大で異様なイメージを前にして感受されるセンセーションはロスコと共通するだろう。ここできわめて興味深い問題が発生する。それは写真のサイズという問題だ。写真がアイコン記号、インデックス記号のいずれであるかは軽々に断ずることができない問題であるが、通常、写真においてサイズはその本質に非関与的な要素と考えられている。パスポートの写真がビルボード大に拡大されたとしても私たちは同じ人物だと認識することができる。しかしグルスキーの場合、実際の作品とカタログに小さく掲載された《カミオカンデ》は全く印象が異なるのだ。つまり小さな図版であれば、二人の人物は見過ごされる可能性が高く、ここに広がる情景の意味が認識されない。(「カミオカンデ」が実験施設の名称であることは日本人でも知らない場合が多いだろう)この作品を十全に享受するためには画面内に人の姿を認知することが可能な大きさ、つまり会場芸術として通用しうる作品のサイズが必要とされるのだ。私の印象ではこれまでグループ展でグルスキーが紹介された機会において作品は比較的小さく、この意味でも作品の本質は今回の展示で初めて明らかとなったのではなかろうか。現実に作品に直面する体験が作品の本質そのものに深く関与するという点において確かにグルスキーと抽象表現主義絵画は共通する。
 今、私はグルスキーの作品を崇高という概念と関連させて論じた。彼の写真において崇高はどのように実現されているのか。もう少し詳しく分析してみよう。まず明らかなのは被写体の想像を絶するスケールである。多くの作品は内部に人を写し込んでいるため、情景のスケールを想定することが可能であり、多くの場合、とてつもない広がりや高さを有している。被写体のスケールは人間の身体をはるかに超え、インド洋および南極大陸を撮影したイメージにいたってはもはや地図的な想像力なくしてその広がりを理解できない。おそらく航空写真ないし衛星写真が用いられたのであろうが、私はこれほどの広がりを純粋に視覚に還元できる技術が存在すること自体に大きな驚きを抱いた。かかるヴィジョンに対してもはや人間的な視覚は対応しえず、グルスキーの作品が内包する一種の非人間性はこの点に由来しているだろう。第二にグルスキーの構図は対象が画面に対して強い正面性ないし垂直性を宿している場合が多い。初期の代表作である《モンパルナス》はパリのアパルトマンを正面から撮影し、巨大なグリッドの連なりとして提示したものである。これほどの広がりを単視点でとらえること、そして画面全体に焦点を合わすことは不可能であるから、おそらく数台のカメラで撮影された映像をデジタル技術によって繋ぎ合わせたのであろうが、この意味でもここに実現された視覚は非人間的といえよう。グルスキーのイメージはスケールにおいても知覚においても人間のそれを絶しており、それゆえ崇高という感情へと接続されるのである。
 正面性ないし垂直性の問題は別の角度から美術史に介入する。フリードリッヒの絵画が茫漠とした広がりを示していたのに対して、グルスキーの画面は意図的に奥行が消去され、私たちの視線を遮断する。アパルトマンの正面、ショーケース、空港の電光掲示板、グルスキーの作品には視線を正対して遮断する多くのモティーフが用いられている。奥行の拒絶といってもよいだろう。アスバラガス畑の遮光用の黒いビニールのストライプを無数に反復させた《ベーリッツ》は本来であれば水平的な広がりの情景であるはずなのに、航空写真に基づいているのであろうか、一切の奥行を欠いた平面的なイメージとして成立している。グルスキーは広がりをもった対象に対しては水平な、高さをもった対象に対しては垂直な視覚を設定することによって、画面から奥行の暗示を排除する。消失点に向かう奥行は透視図法と呼ばれ、絵画史に決定的な役割を果たした。別の観点に立つならば、奥行の排除とは画面から時間を排除する試みでもある。遠近法が消失点に向かって物語を起動させたのに対して、グルスキーの写真には時間がない。1990年の《東京証券取引所》と99年の《シカゴ商品取引所》を比較するならば(いずれも広い空間を撮影しているにもかかわらず、鳥瞰的な構図によって平面的な印象を与えている点に留意されたい)ともに無数の人々が働いている情景であるが、前者ではぶれやずれによって人物の動きと時間が暗示されているのに対し、後者はほとんどそのような要素がないために時間が静止している印象がある。さらに北朝鮮のマスゲームを撮影した《ピョンヤン》においてこのような印象は強められるが、マスゲームとは元来観客や独裁者に対して一つの壮大な情景を細切れに与える試みであるから、このような非時間性に適したモティーフと考えることができるだろう。崇高と時間の関係についてはすでにバーネット・ニューマンの絵画との関係において、作家本人による「崇高は今」、そしてJ.F.リオタールによる「崇高と前衛」という二つのテクストの中で論じられている。私はこの問題をさらに敷衍して、マイケル・フリードがモダニズム絵画の理念として掲げた現在性、presentness という概念とも対比してみたいと考えるが、本論の中で分析することはさすがに私の手に余る。このブログでも触れたとおり、フリードは2008年に『なぜ、写真は今、かつてないほど美術として重要なのか』という写真論を上梓しており、当然ながらグルスキーも取り上げられている。私は不勉強でこの研究書を通読していないが、今、手元で調べたところでは、特にグルスキーの作品が現在性という問題との関係で検証された形跡はないようである。
 出品作中に一点、美術館に展示された作品を撮影した写真がある。ニューヨーク近代美術館が所蔵するポロックの《ワン:ナンバー31》を正面から撮影した《無題Ⅵ》である。この作品もきわめて興味深い。美術館に展示された作品を撮影する写真家としては直ちにトーマス・シュトルートが連想されるが、グルスキーの問題意識は全く異なり、視覚の軸性と関わっているのではないか。周知のごとくポロックの絵画は床に敷いたカンヴァスに上方から絵具を撒布して制作された。つまりグルスキーの構図はポロックのアトリエの天井から制作中の作品を見下ろした視覚に一致し、それは実際にカンヴァスの上でアクションを繰り広げるポロックの視覚とも共通している。上方からの視覚、先に私はそれを航空写真と関連させたが、かつてロザリンド・クラウスがポロックのアクション・ペインティングを航空写真との類比によって論じたことも想起されてよかろう。航空写真とグルスキーの視覚の一致は暗示的である。モダニズム絵画との関連に関してはカタログのテクストの中でグルスキーの作品が平面性という観点からクレメント・グリーンバーグのモダニズム理論と関連づけられていたが、見当外れに感じられる。グルスキーの作品の特性を挙げるならば平面性ではなく、立面性もしくは正面性を指摘すべきであろう。確かに奥行の欠落はグルスキーの作品の特質であるが、それはメディウムの自己言及とは関係なく、カメラと被写体の位置関係によって結果的に生じた特質ではなかろうか。この時、ポロックの絵画を撮影した作品は抽象表現主義とグルスキー、平面性と立面性の差異を象徴的に示しているように感じられる。
 展示にはもう一点、ポロックを連想させる作品が出品されている。ゴミの集積が地面を覆う風景を撮影した《無題Ⅷ》である。廃物が水平に撒き散らされた風景はロバート・モリスのスキャター・ピースのようだ。先にも述べたとおり、水平的な風景を直立させる手法はグルスキー特有であるが、この作品をポロックに結びつけるのは(画面の上方、地平線より上には何も写っていないにせよ)画面が中心を欠いたオールオーバー構造をとっている点だ。多くの作品を通じてオールオーバー構造もグルスキーの作品の特徴である。これまで私はグルスキーにおいて作品に崇高性を賦与する要素として被写体のスケール、正面性、非時間性、さらに作品が物理的にはらむ巨大さ、あるいは垂直性などを指摘した。オールオーバーネスもまたかかる特質と関わっている。今挙げたランダムなオールオーバーネスはグルスキーにおいてはむしろ例外的であり、この作家を特徴づけるのは単位が無限に反復して構成される規則的なオールオーバーネスだ。上に掲げた《カミオカンデ》もその例であるが、牛舎や書棚、オフィスやアパルトマンの窓枠が気の遠くなるほど繰り返される情景はグルスキーのイメージの典型であろう。反復がミニマリズムの基本的な語法であったことはいうまでもない。しかしこれほどまで執拗に繰り返されることによって、そして画面の巨大さを介して、画面はミニマリズムの凡庸の美学を超えた崇高の美学へと達しているのではないか。(この点に関してはごく初期の《ガスレンジ》と後年の《タイムズ・スクエア》の比較が有効かもしれない)あるいはロスアンジェルスのディカウントショップの内部を撮影した《99セント》。食品や日常用品、スーパーに山積みにされた商品はポップ・アートにとっても格好の主題であり、写真家は明らかに美術史を参照している。ここでも商品の棚が水平に反復され、安物の(なにせ「どれでも99セント」なのだから)商品がぎっしりと詰め込まれた情景は奥行に向かうことなく見る者に向かって立ち上がるかのようだ。壮大な風景、異様な建築から崇高という概念が喚起されることは不思議ではない。しかしここではビスケットやジュース飲料がところ狭しと並べられた何の変哲もないスーパーマーケットの光景が異化され、一種の衝撃とともに見る者に迫る。それを崇高と呼ぶことはためらわれもするが、劇的な内容を一切欠いた、全てが均等化された画面が与えるセンセーション、日常の光景さえも反復と巨大化という形式的な操作を介していわば「即物的崇高」の感覚を宿すという発見はミニマリズムと崇高という問題を考える際にも多くの示唆を与えるだろう。
 最後に展示の手法について述べておく。作家は来日したということであるから、作品の配置は作家に帰せられるはずだ。興味深い試みがなされていた。カタログはクロノロジカルな配列となっているが、実際の展示においては制作年やテーマがシャッフルされ、「バンコク」や「オーシャン」などのシリーズ、建築の内景を撮影した作品、群衆を撮影した作品といった共通性をもつ作品も集められることなくばらばらに配置されていた。時間軸や主題に沿って作品を見る経験に慣れた私たちにとってやや困惑する経験であったが、これも一種のオールオーバーネスの経験かもしれない。このような配置は作家の成熟と作品の類型というモダニズム美術の前提に異を唱える。この点においても現在にいたるグルスキーの仕事を形式的にしばしば比較されるバーネット・ニューマンやケネス・ノーランドの「画業」と比較することは意味があるかもしれない。さらにこのような姿勢はグルスキーの師であったベルント&ヒラ・ベッヒャーがまさに類型という概念によって作品を制作したことへの批判としてとらえることはできないだろうか。まことにグルスキーの作品から誘発される思考は際限がない。
 なお、下に示した図版は今回の出品作であるが、今回の展示風景ではない。作品のスケールを示すために掲げた。
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by gravity97 | 2013-07-23 20:12 | 展覧会 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 130720

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by gravity97 | 2013-07-20 16:07 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

『棺一基 大道寺将司全句集』

b0138838_17304091.jpg 大道寺将司という名前を聞いてもどのような人物であるか、直ちに理解する人は多くはないだろう。大道寺は1970年代に連続企業爆破事件を実行した東アジア反日武装戦線狼部隊のリーダーであり、その後、バーダー・マインホフ・グループを連想させる激烈な法廷闘争を経て1987年に死刑が確定し、現在も東京拘置所に収監されている死刑囚である。裁判は複雑な経緯をたどり、1975年と77年に日本赤軍によるクアラルンプール事件、そしてダッカ日航機ハイジャック事件によって大道寺の妻、あや子を含む数名のメンバーが「奪還」され、彼らは現在も国外逃亡中である。逮捕されたのが1975年、27歳の時であるから、大道寺はその後38年間、逮捕以前より長い時間を獄中で過ごしていることになる。2009年には骨髄腫を発症し、現在闘病中であるという。連続企業爆破、特に8名の死者を出した三菱重工爆破事件については私もよく覚えている。当時は実行犯たちに対して爆弾魔かテロリストといった印象を抱いていたが、実は必ずしも同意できないにせよ、彼らが明確な理念に基づいて行動し、一連の闘争に自らの命を賭けていた(実際にメンバーの一人は逮捕直後に服毒自殺した)ことを私は松下竜一が1986年に『文藝』に発表した「狼煙を見よ―東アジア反日武装戦線狼部隊」で知った。この優れたノンフィクションは今でも読むことができるはずだ。これを読んで、彼らの活動に関心をもった私は、当事者や関係者によって残された記録をずいぶん読んだ覚えがある。大道寺自身もいくつかの著書があり、私は大道寺が俳句を詠んでいることも知っていた。しかしこのたび一巻にまとめられた全句集を読み、私はその研ぎ澄まされた抒情性にあらためて深い感銘を受けた。
 
 棺一基 四顧茫々と 霞みけり

 この句集に序文と跋文を寄せる辺見庸は句集のタイトルの候補を尋ねた際、大道寺からの返事の冒頭に「棺一基」の語を見て息を呑んだという。なぜなら確定死刑囚である大道寺にとってこの言葉はあまりに身近であり、不吉であったからだ。実際に獄中にあって大道寺は墨を塗られた新聞によって同じ拘置所で死刑が執行されたことを知り、処刑される死刑囚の絶叫を聞いたという。私は俳句を全く解することのできない散文的な人間であるが、ここに収められた句の鋭さは感じ取ることできる。鋭さ、それは第一に余情を削ぎとった抒情性であり、第二に句の背後に看取される深い知性であり、そして第三に獄中にあってもなおなにものにもまつろわぬという決意である。例えばアト・ランダムに開いた頁から次の三つの句を挙げる。

 ふりむけば 白虹今し 立ち上がる
 ムルソーを 包みしごとき 熱波かな
 軍隊は 逃げ残るなり 沖縄忌

 これらの句がいずれも極限的な状況で書かれたことは直ちに理解できよう。いずれの句、さらにいえばこの全句集に収められたどの句も大道寺にとって辞世の句となる可能性を秘めている。「棺一基」の句はそのようなイメージをみごとに結晶させている。そしてこれらの句を詠むにあたって大道寺の前に広がるのは狭い独居房の空間のみなのである。大道寺も次のように記している。「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直截的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、寒暖の差によってしか季節の変化を感じられないからかもしれません。あるいはまた、獄外で過ごした時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが、季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか」死刑を宣告された者が、狭い独房の中で俳句を詠むことは可能か。先般、死刑囚によって描かれた絵画の展覧会が話題となったが、大道寺の句集もこのような問いに対する回答であろう。さらに言えば、句作は大道寺にとって一つの救いであったのではなかろうか、いや、この言葉は正しくない。明日命を絶たれるかもしれない者に対して救いといった傲慢な言葉は向けられるべきではないだろう。
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 独房とおそらくは歩くことを許されたごく限られた戸外から得た感覚に基づいているにもかかわらず、収められた句からは四季の移ろいや自然の営みさえ感じ取ることができる。先の言葉とはうらはらに、大道寺は私たちであれば見過ごしてしまうわずかなセンセーションを手がかりに句を彫琢する。膨大に溢れるセンス・データに無感覚になってしまった私たちは、「炎は地下深く埋葬され、首都の街区に、もう幾度目かわからなくなった冬」のめぐる1970年代中盤、体制にまつろうことにもはや無感覚であった私たちと似ていないだろうか。大道寺にとって俳句と爆弾はともに失われた感覚の回復を図る手段ではなかっただろうか。直ちに言い添えなければならないが、大道寺は爆弾闘争で死者や負傷者が出たことを深く悔い、自らが「被害者(つまり死者)との関係性において存在している」と言明する。「棺一基」の句もこの文脈に置くならば理解しやすいだろう。罪は罪として問われなければならないが、大道寺そして狼部隊のメンバーが思想なき爆弾魔ではなく、きわめて真摯な意識と純粋な心情に根ざして闘争を繰り広げたことを私は確信している。
 
 夏深し 魂消る声の 残りけり
 竜天に 夏草の根を 引つ掴み
 かぎろひて 命の消ゆる またひとつ

 この句集には多くの死者が登場する。最初の句は同じ拘置所に収監されていた「連続射殺魔」永山則夫の処刑を、二番目の句は先に触れた松下竜一が物故したことを詠んだ句であり、最後は2002年、イスラエルによるパレスチナ自治区への侵攻を詠んだものである。戦死者や難民、あるいはホームレスといった弱者への想いを読んだ句も多い。「狼は 檻の中にて 飼はれけり」という自嘲とは逆に私はこれらの句に獄中に死刑囚として在っても、自らの意志を貫く狼の凛とした気概を感じる。
 この句集には1996年から2012年までに詠まれた1200句にも及ぶ作品が収められているが、そこに通奏低音のように響くのは死者への想いである。このせいであろうか、私も本書を読み進めるうちに、この間に逝った多くの死者のことが脳裏に浮かんだ。この清冽な句集の主題は疑いなく死であろう。それは作者が国家によって死を宣告されているためであろうか、それとも作者が自らを死者との関係性において存在していると考えているためであろうか。制作年に従って本書を読み進める中で、私は2001と2011という二つの年記に出会う。この二つの年、私たちは多くの死者を伴い、世界を変えた二つの惨事を経験した。同時多発テロについて直接言及された句はない。しかし例えば次の句は明らかにこれと関連している。

 冬ざれの 空アフガンに 続きをり
 寒星や 難民の子の ひと見詰め
 山狭(やまかい)に 寧日来たれ 明の春

 マンハッタンの死者ではなく、報復として殺され、流民となったアフガニスタンの人々に視線が向けられている点が大道寺らしい。そして震災と原子力災害については次のような句が詠まれている。

 数知れぬ 人呑み込みし 春の海
 水底の 屍照らすや 夏の月
 日盛りの 地に突き刺さる 放射線
 無主物を 凍てし山河に 撒き散らす
 
 かくも深く死者に共感し、それを言葉として表現できる人物が死刑を宣告されて獄中にあること、私はそれを不条理と呼ぶしかない。そしてこの不条理は加罰感情に支えられた死刑制度という非人間的なシステムがこの国に存在することに由来する。そして先の見えない閉塞感の下、放射能に汚染されたこの国では、公務員や生活保護世帯、在日外国人への常軌を逸したバッシングが暗示するとおり、根拠のない加罰感情と同調圧力がかつてなく高まり、寛容さが失われている。近く予定されている選挙の結果、かかる趨勢がさらに力を得ることが危惧される。それは政治に民意が反映されず、なし崩しに戦争に突き進んだ時代の再現であり、このような時代にあっては国家に叛逆したがゆえに囚われた者の命はかつてない危機に瀕することになるだろう。

 序文と跋文として寄せられた辺見庸の文章が素晴らしい。この全句集の刊行を強く慫慂したのも辺見であったらしい。跋文に辺見は「虹を見てから」という題名を与えた。今私は国家への叛逆と記した。大道寺らが死刑を宣告された理由は連続企業爆破のみならず、未遂に終わった大逆、虹作戦によってまさしく日本という国家の中枢の転覆をはかったからである。長くなるため辺見の文章についてはここでは触れない。そして虹作戦の顛末についてはもう一人の死者、桐山襲の小説『パルチザン伝説』と関連させて別の機会に論じたい。
by gravity97 | 2013-07-15 17:42 | 詩 その他 | Comments(0)

THE ALAN PARSONS PROJECT / ERIC WOOLFSON [TALES OF MYSTERY AND IMAGINATION]

Nevermore
Thus quoth the raven, Nevermore

 アラン・パーソンズ・プロジェクト(以下、APP)は1975年にアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンの二人によって結成された。アラン・パーソンズはピンク・フロイドの[狂気]のエンジニアとして知られる。私が彼らのアルバムを最初に聴いたのは1977年の[アイ・ロボット]であるが、デビュー作は前年の[怪奇と幻想の物語 エドガー・アラン・ポーの世界]である。二つのアルバムのタイトルからすでに彼らの文学性とコンセプト・アルバムへの志向は明らかであろう。いうまでもなく[アイ・ロボット]とはアイザック・アシモフの名作「私はロボット」の原題であり、[怪奇と幻想の物語]にいたっては副題が示すとおり、「大鴉 The Raven」や「アッシャー家の崩壊」といったポーの名作をモティーフにした楽曲が収められている。二人によって結成されたユニットでありながら、そのうちの一人のみの名前を用いているため、エリック・ウルフソンはいささか影が薄い。ウルフソン自身、プロジェクト名に自身の名前が用いなかったことによって自分の私生活に注目されることなく、APPの成功を楽しむことができたことがベスト、友人や家族以外は自分が何をしているのか誰も知らないということがワーストとライナーノーツで語っている。APPは彼ら二人を中心にその都度、セッション・アーティストとともにアルバムをスタジオ録音し、ライヴ活動を一切行わない特殊なユニットとして知られていた。(後年、この原則が崩れることについては後述する)プロジェクトとしては1987年の[ガウディ]を最後に解散し、その後はアラン・パーソンズという名義でパーソンズが単独で活動を続けたような印象があったこともあり、ウルフソンについてはあまり情報がなかった。先年、珍しくウルフソンの名前のみがクレジットされた[Eric Woolfson sings Alan Parsons Project : That Never Was]というアルバムの存在を知り、早速求めた。ウルフソンらしい伸びやかなヴォーカルが楽しめる佳作であったが、関連して検索してみたところ、驚いたことにウルフソンは2009年12月、つまりこのアルバムが発売された直後に64歳という若さで没していたことがわかった。ウルフソン追悼の意味をこめて、今回はアラン・パーソンズとエリック・ウルフソンについて若干書き留めておきたい。
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 アビーロード・スタジオで録音されたという[怪奇と幻想の物語]は80年代以降のAPPに顕著となるポップス路線とは一線を画したブリティッシュ・テイストの名作である。アメリカの作家、ポーへのオマージュとして構想されたという点が面白い。実はこのアルバムのアイディアはウルフソンから提出されたらしい。つまり、エンジニア仲間であったパーソンズに、ポーの作品をモティーフとしたアルバムを制作しないかとウルフソンが持ちかけ、APPのデビュー作が誕生した訳だ。オーソン・ウェルズが朗読する「夢の中の夢」に始まり、「大鴉」へと続く冒頭、不吉ななにものかが次第に形をとっていくような進行は大いに衝撃的であった。自身が「構成の原理」の中で説明しているとおり、ポーは詩を純粋に科学的に構築することが可能であると考え、例えば「大鴉」の中で繰り返される Nevermore の語をその音韻論的な不吉さゆえに選んだのであるが、APPの緻密に構成された楽曲は確かにこのようなポーの厳密さにみごとに対応しているように感じられたのだ。70年代中盤といえば、いわゆるプログレッシヴ・ロックが最後の光芒を放った時期であった。ロジャー・ウォーターズの鮮烈なリリックが突き刺さるようなピンク・フロイド、ライヴで超絶技巧を繰り返すキング・クリムゾンやイエスらに比しても、スタジオ録音に徹し、壮大でありながら緊密で完成度の高いアルバムを次々に発表するAPPは特異な存在であった。第三作[ピラミッド]も特定のテクストにこそ依拠していないが、オカルト的なテーマに基づいて細部まで作り込まれた印象であった。私はこのアルバムから発表されるタイミングでAPPを聴き続けることとなったが、79年の[イヴの肖像]、80年の[運命の切り札]あたりから次第にポップなテイストの曲が加わるようになり、「タイム」、後年の「アイ・イン・ザ・スカイ」といったスマッシュヒットも発表された。私の印象として、APPはパーソンズとウルフソンという資質の異なる二人の絶妙の距離によって曲調が決定されていた。ソリッドでタイトな前者に対してメロディアスな後者、実際に曲がどのようにアレンジされたかについては不明であるが、80年代中盤に発表された[アイ・イン・ザ・スカイ]、[アンモニア・アヴェニュー]、[ヴァルチャー・カルチャー]そして[ステレオトミー]はいずれもプログレッシヴ・ロックにありがちな深刻さとも俗受けを狙ったポップス路線とも一線を画した名盤である。80年代に入ると、初期の文学性、そしてコンセプト・アルバムへの志向は次第に失われ、先述のとおり、87年の[ガウディ]を最後に二人組ユニットとしてのAPPは解散した。
パーソンズはこれ以後もアラン・パーソンズ名義でアルバムの発表を続け、私の知る限り[Try Anything Once](1993)、[On Air](1996)、[The Time Machine](1999)、[A Valid Path](2004)という4枚のアルバムを発表している。日本版は発売されているのであろうか。インターネットで検索したところいずれも比較的入手が難しいようである。興味深いことにこのうちの二枚、すなわち[On Air]と[The Time Machine]はそれぞれ人類の空や宇宙への挑戦、そしてH・G・ウエルズの「タイムマシン」を主題としたコンセプト・アルバムである。ウルフソンが離れたことによってもアルバムの印象はさほど変わらない。この頃からアラン・パーソンズはライヴ・ツアーを始め、94年のヨーロッパ・ツアーと2004年、マドリッドにおけるライヴがアルバムとして残されている。[On Air]のツアーは日本にも巡回した。私は96年に大阪でこのツアーに立ち会った記憶がある。ライヴの印象が薄いのは、元々アラン・パーソンズにとってはライヴにおけるパフォーマンスよりもスタジオにおける緻密なセッションが本領だったからであろう。比較的淡々としたライヴであったことを覚えている。現在のところ、最新作、といっても10年ほど前に発表された[A Valid Path]は「ツングースへの帰還」「チュモランマ」といったタイトルとともに打楽器を主体としたインストロメンタルが多いが、全体を統一するテーマが設定されている訳ではない。最初の「ツングースへの帰還」の独特のギターには聞き覚えがあり、クレジットにデヴィッド・ギルモアの名を見て納得した。パーソンズが[狂気]のエンジニアであったことを想起すれば意外な組み合わせではない。このアルバムはやや雑然とした印象があり、以前のアルバムに収められた曲のリミックス・ヴァージョンが二曲収録されている。そのうちの一つ、「繰り返される夢の中の夢」は[怪奇と幻想の物語]の劈頭を飾る二曲「夢の中の夢」と「大鴉」を合体させていささかチープにアレンジした内容である。驚いたのはこの曲にはアランの息子、ジェレミー・パーソンズが加わっていることだ。私がAPPやピンク・フロイドに耽溺していた頃からもうすぐ40年が経過する。もはやプログレッシヴ・ロックという言葉自体に一種の哀愁を感じるのは私だけではないはずだ。
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最初に述べたとおり、APPは二人組のユニットであったにも関わらず、パーソンズ一人の名前が用いられていたこともあり、私もウルフソンのその後の活動については全くフォローしていなかった。このため、APPの[怪奇と幻想の物語]の続編とも呼ぶべき[More Tales of Mystery and Imagination]というアルバムが2003年にエリック・ウルフソン単独の名義で発表されていたことをごく最近知って大いに驚き、早速聴いてみた。最初に述べたとおり、APPのデビュー作と[怪奇と幻想の物語]もパーソンズではなくウルフソンの呼びかけによって制作されているから、ウルフソンにとってポーへの思い入れが強いことは容易に理解できる。ウルフソンによれば続編の構想は[怪奇と幻想の物語]を発表した直後から生まれていたが、契約していたレコード会社の変更によって不可能になったらしい。このアルバムには10曲が収められており、「落とし穴と振り子」や「モルグ街の殺人」といったよく知られたタイトルの曲もある。[怪奇と幻想の物語]に収録されていた曲が全てポーの作品からタイトルをとられていたのに対して、こちらのアルバムには最後に収められた「IMMORTAL」に端的にみられるとおり、ウルフソンのポーに対するオマージュを暗示する曲目が多い。四半世紀の間隔を隔てて発表されたにも関わらず、二つのアルバムは続けて聞いても全く違和感がない。前者に収められた5部構成の大作「アッシャー家の崩壊」には3部構成の「落とし穴と振り子」が対応し、ジャケットのイメージとして不気味な「大鴉」が用いられていることは御覧のとおりである。後者の特徴はインストロメンタル曲がなく、全ての曲にヴォーカルが入っていることであろう。ウルフソン自身がAPPのヴォーカルを担ったこと、さらにスティーヴ・バルサモという才能のあるヴォーカリストを知ったことがこのアルバム成立の一つの契機であったことがその理由であろうか。
先ほど触れたとおり、APPの歴史は最初のアルバム[怪奇と幻想の物語]の冒頭に収められ,オーソン・ウェルズが朗読するポーの詩、「夢の中の夢」、A Dream within a Dreamに始まる。[More Tales of Mystery and Imagination]の最後に収められた美しいバラード、「IMMORTAL」においてもスティーヴ・バルサモがポーの詩篇の中の一節を、All that we see/ All that we seem/ Is but a shadow of a shadow/ Of a dream within a dream と朗々と歌い上げる。アルファとオメガ、私はこの詩句によってウルフソン/パーソンズの「怪奇と幻想の物語」がひとつのサイクルを閉じ、同時にAPPの活動も壮大な幕を閉じたように思えてならない。もしそうであれば、まことにAPPらしい様式美を漂わせた終幕ではないだろうか。
by gravity97 | 2013-07-06 15:27 | ロック | Comments(0)