Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
カテゴリ
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2013年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧


「フランシス・ベーコン展」

b0138838_9322989.jpg
 東京国立近代美術館で「フランシス・ベーコン」展を見る。ベーコンを専門とする二人の学芸員が担当しただけあって、力の入った展示である。私は前回、1983年のベーコン展も京都で見た記憶がある。あらためてカタログを取り出してみるとこの展覧会にはトリプティクを含めて45点の作品が出品されており、点数については今回より多く、重複する作品もある。しかしその際にさほど強い印象を受けなかったのはなぜであろうか。83年の展覧会が元々オーストラリアを巡回する展覧会として企画され(結局、オーストラリア巡回は実現しなかった)、マールボロ・ギャラリーとブリティッシュ・カウンシルの全面的な支援を受けて実現された、いわばあらかじめ誂えられた展覧会であったのに対して、今回の展示が学芸員のいささか偏向した熱意によって企画されたことがその大きな理由であろう。
 展覧会は四つのセクションから構成されている。すなわち「移りゆく身体」「捧げられた身体」「物語らない身体」そしてエピローグとしての「ベーコンに基づく身体」である。エピローグの部分のみ土方巽とペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイスというベーコン以外の作家の作品を紹介している。タイトルの後には年記が示され、それぞれのパートが扱う時期が50年代まで、60年代、70年代以降の三期に分けられていることが明示されている。したがって展覧会は基本的にクロノロジカルに配置されているが、かかる構成そして各パートのタイトルからしてすでに挑発的である。
 ベーコンの作品を理解するうえで身体というテーマはわかりやすい。ベーコンの多くの作品に共通するのは、捻れ、変形し、投げ出された身体であるからだ。しかしながら身体に関して、先に掲げたセクションのタイトルが意味するところは必ずしも明確ではない。「移りゆく身体」において確かにいずれのイメージもなんらかの移行の相を示しているという指摘はそう言われるならばそうであろうが、果たしてこの時期の作品のみに指摘しうる特質であろうか。むしろ肖像、教皇、そしてスフィンクスといった主題ごとに整理した方がわかりやすい気がする。あるいは「捧げられた身体」という言葉から誰しも想像するのは磔刑図であるが、このセクションには(カタログには参考図版が掲載されているものの)磔刑図の出品はなく、出品作をそのための「スタディ」とみなすことはやや苦しい。「物語らない身体」についてもそこで圧倒的な存在感を示す4組の巨大なトリプティクは作品の形式においては共通するが、描かれたイメージに企画者いうところの「物語の生贄」を認めるには相当高度の専門的知識が必要であろう。したがってここでは設定されたテーマに拘泥することなく、ベーコンの作品について若干の私見を述べておく。
b0138838_932591.jpg ベーコンの絵画を批評する者がしばしば陥る罠はイメージ・ソースの探求である。ベラスケス、ゴッホ、エイゼンシュタイン、イメージの原型をたどることはさほど困難ではないし、それは美術史の学徒にとってはほとんど反射的な態度といえるかもしれない。しかしベーコンがベラスケスの教皇像を連想させる絵画を描いたとしても、作家がベラスケスのイメージをアイコニックに模倣することに何の関心も持っていないことは明らかだ。私たちが問うべきは作家をしてそれらの主題を選ばせ、さらに異様な変形を加えたうえで私たちの前に提示する衝動の由来であろう。イメージ・ソースの探求が常に起源へと遡及するのに対して、私はむしろ同時代の表現と対照することがベーコンの絵画を理解するうえで有効ではないかと考える。具体的にはベーコンとほぼ同じ世代、正確には5歳年上のアメリカの画家、ヴィレム・デ・クーニングとの比較である。それというのも会場で出品作中の一点、フランクフルト近代美術館所蔵の《裸体》から直ちに私はデ・クーニングの「女」シリーズを連想したからである。直ちに言い添えなければならないが、1960年に制作されたこの作品がデ・クーニングと似ている、もしくは影響下にあるというのではない。逆に両者の相違こそが重要であると感じる。今、似ていないと述べたが、《裸体》の醜く歪められた表情、あるいは横向きに押しつぶされたような乳房の表現などは「女」シリーズの一部の作品を強く想起させる。しかし私は両者の間に決定的な隔たりを感じる。それは画家、あるいは観者と描かれた人物の距離である。デ・クーニングの場合、画家とイメージ、観者とイメージは直接につながっている。しかしベーコンにおいて両者は隔絶している。別の言葉を用いるならばデ・クーニングが描く人物は私たちとともにある。しかしベーコンの場合は別の世界にいるかのようだ。まずこのための様々な仕掛けを検分してみよう。今回あらためて感じた点であるが、図版からの印象に反してベーコンの作品は物質性が希薄である。絵具のストロークによって表情や身体が生々しく変形するのではなく、薄塗りの画面に残されたそれらのイメージはあらかじめ変形した身体の映像のように感じられる。この点においてもデ・クーニングとの比較が有効である。デ・クーニングの人物がストロークでずたずたにされるのに対して、ベーコンの人物は変形されつつも静的な印象を与える。出品作品のうち、《椅子から立ち上がる男》において男の足下に白い絵の具の塊が付着し、精液を連想させるというコメントが付されていたが、この点はベーコンにおいて絵具が明確に物質として認知される場合がむしろ稀であることを暗示しているだろう。デ・クーニングの物質的な絵画はイメージが絵具という現実の物質によって構成されていることを自覚させ、絵画が私たちとともに在ることを意識させる。これに対してベーコンのイメージは私たちと隔てられたあちら側に在る。額縁とガラスもまたこのような隔絶に寄与しているだろう。会場に掲出されたコメントによれば、ベーコンは作品をガラスで覆い、大仰な金色の額縁をつけることを好んだという。結果としてベーコンの作品はいかにも絵画然としている。さらに画面に目を向けるならば、ベーコンの描く人物は多くの場合、何らかの枠の中に囚われている。画面の中に描かれた奇妙な矩形、教皇が座るというより身を押し込められたかのような玉座、あるいは奇妙な台や窓枠、これらの形態は多くの場合、その内部に人物を閉じ込めている。これはデ・クーニングが背景をストロークで埋めて特定しえない場所に人物を置くことと対照的である。ニューヨーク近代美術館に収蔵された有名な《女Ⅰ》が最初窓のある室内に描かれながら、次第に塗り込められて背景と一体化された経緯を想起してもよかろう。ベーコンの人物はいずれも何かしらの枠の中に閉じ込められ、さらにガラスと額の中に密封される。彼らはしばしば絶叫するかのように口を開けるが、それはあたかも檻の中に閉じ込められる恐怖の悲鳴のようだ。私たちは彼らに檻の外から眼差しを向けるが、時にガラスの反射にあって不分明な人物たち、暴力的に歪められた肉体からほとばしる絶叫は視覚ではなく触覚や聴覚に痛みのような刺激を与える。この共感覚的なセンセーションはベーコン特有である。閉じ込められる恐怖、ベーコンの絵画は求心的であり、これに対しデ・クーニングの絵画は遠心的といってもよかろう。
 いうまでもなく遠心性とは抽象表現主義絵画に共有された特質であった。ポロックの、ニューマンの、ロスコの絵画は外に向かって開かれ、展示された空間と関係をもつ。先ほど額縁の問題に触れたが、彼らの絵画の多くは額縁をもたず、備えていたとしても存在感は抑制されている。私は絵画という物体が現実と接することによって絵画の現代が画されたと考える。この意味でベーコンは過激なイメージにも関わらずなおも絵画の近代に留まった。むろんこれは否定的な意味ではなく、あえて留まることによって逆に20世紀後半にあって可能ななんとも不穏なイメージを成立させたのである。考えてもみるがよい、ベラスケスの描いた教皇像、これほどまでに西欧絵画の典型と呼ぶべき作品がほかにあろうか。それは一方ではキリスト教という膨大なイメージ・ソースの中心に位置し、一方では肖像画という長い伝統をもつ形式と連なる。それを換骨奪胎してかくも独特のイメージとして結実させるという行為はいわば西欧絵画全体のネガを提示するかのようだ。絵画という形式を踏み越えることなく、近代絵画という枠組の中でこのような取り組みがなされたことはむしろ必然であっただろう。
 会場に不在のデ・クーニング(実際には同じ美術館の常設展示における関連企画の中にも一点が展示されていた)との対比が求心/遠心という対立を導き出すとするならば、最後のセクションに実際に並べられた二つの舞踏とベーコンの絵画との対比は別の対立を導き出す。会場の最後にあえて舞踏の映像を上映する点に展覧会の批評性が明確に示されている。ダンスの中で実際にベーコンが参照されるペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイスはいうまでもなく、土方巽のアーカイヴに遺された資料の中に見出されたベーコンへの言及がこの展覧会の一つの着想源であったことは明らかだ。企画者もセクション解説の中で記すとおり、ベーコンの影響は文学から映画、音楽にいたる広い領域に認められる。私も最近読んだバルガス=リョサの『継母礼賛』に掲出された6葉の名画の図版の中にベーコンの《頭部Ⅰ》を認めて驚いたばかりだ。それにしても舞踏/ダンスとはまことにベーコン的なジャンルではないか。展覧会を一巡するならば、多くの作品の画面上部にホリゾントのような空間が暗示され、画面が一種の舞台として実現されていることが理解されよう。あるいは画面に描かれた窓枠のような空間、それが「移りゆく身体」を保証していることはいうまでもないが、かかる空間はアルベルティ的な窓というより、舞台の書き割りとしての扉に見えないだろうか。マイケル・フリードではないがこのようなシアトリカルな空間に置かれた身体は既に俳優やダンサーを暗示している。ベーコンが描く空間はきわめてあいまいであるが、そこを上下に分割する線は高い位置に置かれているため、私たちはかなり高い位置から情景を俯瞰するような印象を受ける。対象に向けられた私たちの視覚は比較的安定しており、水平方向に向けられる。このような視覚を舞台上の演技やダンスに目を凝らす観客のそれに比すことは容易である。先に私はガラスの反射によって遮られ、絶叫や身体の変形を主題としたベーコンの絵画が共感覚的であると述べたが、今述べた点を考慮するならば、ベーコンの絵画における視覚性はかなり入り組んだ構造をとり、安定した視覚と不安定な視覚が葛藤している。絵画とは本来的に視覚的な営みであるから、西欧近代絵画の伝統の掉尾に連なるベーコンが一連のトリプティクに明らかな視覚的明瞭さを強調した構図を多用する意図は十分に理解される。しかしそれにもかかわらずそのような明瞭さを無効にしてしまうような不穏さを絵画は宿していないだろうか。土方とフォーサイスを参照する時、このような不穏さの由来が明らかになる。会場で上映されていた土方の「疱瘡譚」において土方は舞台の上に何度もくずおれる。この時、観者の視線が向かう画面に向かって奥方向のヴェクトルとは全く異なった軸性が露わとなる。それは重量をもった身体が倒れる際の下向きのヴェクトル、つまり重力の方向だ。土方の舞踏の異様さはその扮装もさることながら、立とうとして倒れる、身体が重力によって変形される過程にある。身体の変容もまた土方の一つの関心であり、ベーコンの絵画に認められる肉体の変形から触発され、土方が舞踏の中に重力という効果を導入したことは大いに考えられる。重力が視覚ではなく身体に関与する力であることはいうまでもない。絵画を一望しようとする水平の軸と重力にとらえられた身体の垂直の軸、ここでも二つの軸が対比される。このように考える時、ヴェルツ/フォーサイスの作品が展示に加えられた意味もまた明白である。フォーサイスは靴と手袋にグラファイトをまぶしてベーコンの絶筆をなぞる。フォーサイスの動きは白い床に残されたグラファイトの痕跡として記録される。ここに重力が関与していることはいうまでもないが、さらに注目すべきはこのような身振りをペーター・ヴェルツが上方、正面、横という三つの角度から撮影して三つのスクリーンに投影することである。ここで重要なのはうずくまるフォーサイスの姿態がベーコンの人物を連想させる点ではない。ベーコンのイメージに潜在的に関与した力、つまり肉体を歪ませる重力がスクリーンに可視化されたことである。そして重力とは身体に働く現実の力であるが、絵画においては表象されえない。(ここではポロックのポアリングまで議論を広げることは控えよう)つまりヴェルツ/フォーサイスはベーコンの絵画における身体という問題に全く新しい観点から光を当てているのだ。
 ベーコンに関して、ここでは絵画の求心性と遠心性、水平性と垂直性という二つの対立に即して私見を述べた。ひとまず議論を導入したにすぎず、まだ論じるべき多くの遺漏があろうし、なおも検討すべき点も多いことを認めたうえで、このうち後者の問題についてはおそらく本展を見ることなくして着想されなかったことを書き留めておきたい。以前にも記したとおり、優れた作家に関する真剣な展覧会は常に多くの新しい発見をもたらすのである。

by gravity97 | 2013-03-31 09:44 | 展覧会 | Comments(0)

0006

b0138838_2048179.jpg


by gravity97 | 2013-03-16 20:49 | SCENE | Comments(0)

岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』

b0138838_20492349.jpg 東日本大震災から二年が経過しようとしている。私は最近船橋洋一の『カウントダウン・メルトダウン』を読み終えて、今回の原子力災害に関わった東京電力の関係者や官僚たちのあまりの愚かさというか無責任、人間としての卑しさに暗澹たる思いを新たにしたところである。この優れたドキュメントにはこのブログで応接するかもしれないが、その作業が楽しいものとなるとは思えない。
 さて、震災と原子力災害という未曾有の事態に対して、作家たちはどのように応接したのだろうか。文学の領域では高橋源一郎の『恋する原発』や川上弘美の『神様2011』が思い浮かび、写真であれば東京都写真美術館における畠山直哉の個展やせんだいメディアテークにおける志賀理江子の「螺旋海岸」(私はこの展覧会は未見だが、先日、国立新美術館での「アーティスト・ファイル」でその片鱗に触れた)などが直ちに連想される。美術ではどうか。いくつか思い浮かぶ作品や展示がない訳ではないが、ほかの領域に比べてまだ明確な例は少ないように感じる。
 震災や原子力災害に対して早い時期に鮮烈な表現で応じたジャンルとして演劇がある。私は見ていないのだが、三浦基が演出したイェリネクの「光のない」がフェスティヴァル/トーキョーで話題になったことは記憶に新しい。そして私は演出家の岡田利規が最近発表したこの演劇論ほど、震災/原子力災害後の表現という主題に対して表現者が先鋭かつ明快に応答したテクストを読んだことがない。私自身は岡田が主宰するチェルフィッチュの公演としては「三月の5日間」と「ホット・ペーパー、クーラー、そして最後の挨拶」の二つしか見ておらず、岡田が直接にこのような主題と関わった「現在地」を知らない。しかし岡田が考えるところはこの演劇論を読めばきわめて明確である。私は何よりも演劇に関する自らの思考をこれほど的確に言語化する能力に圧倒された。
 岡田の名を世界的に高めた「三月の5日間」を初めて見た時の衝撃は忘れることができない。この戯曲は岡田の戯曲集のほかにこのブログでも論じた集英社の「戦争×文学」シリーズ中の一巻、『9・11 変容する戦争』にも収録されているから関心のある方はお読みいただきたい。冒頭、ほとんど何のセットもない舞台に普段着で登場した俳優は観客に向かって突然次のように語り始める。

それじゃ『三月の5日間』ってのをはじめようって思うですけど、第一日目は、まずこれは去年の三月の話っていう設定でこれからやってこうって思ってるんですど、朝起きたら、なんか、ミノベって男の話なんですけど、ホテルだったんですよ朝起きたら、なんでホテルにいるんだ俺とか思って、しかも隣にいる女が誰だよこいつ知らねえっていうのがいて、なんか寝てるよとか思って、っていう。でもすぐ思い出したんだけど「あ、昨日の夜そういえば」っていう、「あ、そうだ昨日の夜なんかすげえ酔っぱらって、ここ渋谷のラブホだ。思い出した」ってすぐ思い出してきたんですね。

 若者の話し言葉でこのように語りながら俳優たちは奇妙な演技を続ける。それは意味のないだらだらとした動きの反復であり、なぜそのような身振りが要請されるのか最初は理解できない。しかし日常の中で私たちは実はそのような動作を繰り返している。岡田は今引いた冗長で日常的な言葉に見合った動きとは何かを懸命に思考した結果、「ノイズ」のような動きと呼ぶ意味のない身振りにたどり着いたと述べる。私が見た二つの舞台はいずれもこのような意識に連なっていたから比較的よく似ており、両方を見ることによってようやく私も岡田の意図するところが了解できた。つまり岡田は演劇というフィクションの中で前提とされる言葉や身振りに全く信を置かず、逆に日常あるいは現実を演劇という場に持ち込もうとしているのだ。私も自分が加わった座談を何度か文字に起こしてもらった経験があるが、話し言葉をそのまま書き起こすならば、それはまさに今引いたような冗長で意味不明な言葉の羅列である。ラウンドテーブルを文字化する時、それは必ず言語の整理、抽象化の作業を介しているのだ。あるいは美術の領域でミニマル・アートが作品からイリュージョンを排して、現実としての作品を提示することが目的としていたことを想起するならば、岡田の試みは理解しやすい。現実の言葉と身振りを舞台に上げた時、果たして演劇として成立しうるかというきわめてラディカルな実験が行われていたのである。
 この演劇論はタイトルが示すとおり、岡田が演出した作品を現在から過去に遡行しながら検証するという斬新な構成をとっている。すべてが書き下ろしではなく、以前に発表したテクストも含まれているが、最初に論じられるのは本書が発表された時点における最新作の「現在地」であり、そこから2004年初演の「三月の5日間」にいたる作品をめぐる思考の深まりが現在から過去へ、逆向きに論じられる。先に述べたとおり私は「現在地」を未見であるが、岡田は本書の冒頭でその内容を次のように要約する。「村と呼ばれる共同体に、ある日不思議な青い雲が出現し、ほどなくしてその雲はこの村が滅びることを告げる不吉な兆しだという噂が流れる。その噂を信じる者もいるし信じない者もいる。見解の相違によって村は分断される。一方は村を見限って宇宙船で飛び立つ。もう一方は、それまでと変わらない村での日常を取り戻す」続けて岡田は、それが震災後の自分たちを問題としていると述べる。岡田の言葉を待たずとも「青い雲」が原子力発電所の事故の暗喩であることは明白だ。疑いなくこの戯曲には岡田の体験が反映されている。幼い子供をもつ岡田は事故後、2011年7月に横須賀から熊本に移住している。しかし岡田はこの演劇の稽古のために稽古場がある横浜を頻繁に訪れ、滞在した。岡田は当時を振り返り、九州に移住したにもかかわらず首都圏に住む人々と一緒に仕事をするということが非常な緊張を自らに強いたと述べている。私も移住こそしていないが、仕事で東京に行くたびに同様の緊張を味わうから岡田の言葉はよく理解できる。しかし問題はその点ではなく、演劇の内容だ。村という共同体、青い雲、宇宙船。これらはいずれもフィクションであり、現実ではない。現実を舞台に上げるという実験から演劇を始めた岡田にとってこれは一種の退行ではないか。実は岡田がこのような新作を構想するうえで、原子力災害は物語の主題のみならず、演劇という営みの本質に関わる問いを投げかけた。それによって岡田は芸術が社会に必要であること、演劇が社会に必要であることを明確に確信したと述べる。次のパッセージは岡田の認識の核心である。重要と思われるので少し長くなるが引用する。

現実社会に対置される強い何か。それはたぶん、フィクションと言い換えるのがふさわしい。僕はいつのまにか、フィクションという概念を通して演劇のことを考えるようになっていた。これまでは、そんなふうに演劇を考えてきたことなんてなかった。それはひとつには、僕がフィクションというものに価値を見出していなかったからである。現実が「本当のこと」でフィクションは「嘘」で「つくりごと」である、というふうに理解していた。そして僕はただの「嘘」や「つくりごと」になんて、興味がなかった。意味があるとは思えなかった。でもそれは誤解だったと考えるようになったのだ。現実とは「本当のこと」ではない。それは現時点においてはさしあたって最有力なフィクションである、というにすぎない。そしてフィクションとはただの「嘘」ではないし「つくりごと」ではない。それは、潜性的な現実なのだ。だから強いフィクションは、現実をおびやかす。現実に取って代わる可能性を、常に突きつけているからだ。この現実はフィクションによって励まされる必要もあるが、僕はそれと同じくらいに、こんな現実はフィクションによっておびやかされなければいけない、というふうにも言いたい。

 原子力災害の渦中にあって東京電力や原子力安全・保安院、そしてマスメディアが垂れ流した嘘やでたらめの数々。現実が「本当のこと」ではないことを知るために私たちはかくも高い代償を払わなければならなかった。しかしここからフィクションが現実に拮抗しうるという認識をつかみ取った岡田の転向は注目に値する。岡田にとって震災と原子力災害は作品の構造そのものの転機になったのみならず、フィクションによって野蛮な現実に拮抗するという決意、演劇のレゾン・ド・エートルに関わる発見の契機となったのである。私はいつの日か「現在地」を見てみたいと願っている。
 現在から「遡行」するという本書の構成上、冒頭に3・11をめぐる議論が置かれ、いきなり議論される演劇の本質に触れる問題の数々に圧倒されるが、本書はどの章を取り出しても示唆に富み、演劇のみならず多様な表現と関わる問題へと広がっていく。登場人物のベタな会話が延々と続く「クーラー」が振り付けやダンスという観点から評価されたというエピソード、安部公房の「友達」を演出した際の違和感と発見、これらはいずれも奥の深い問題を提起している。一方で本書はこの10年ほどの岡田およびチェルフィッチュの活動のドキュメントといった一面も備えており、横浜のSTスポットという小さなスペースから始まった彼らの活動が次第にその舞台を世界に広げていく過程を追うことも興味深い。演劇の場合、主にヨーロッパのいくつの主要な劇場や演劇祭がいわばハブの役割を果たし、そこに出演することによって新たなネットワークに取り込まれ、各地に招かれたり作品を委嘱されたりするようになることが理解された。チェルフィッチュの10年間は一種のサクセスストーリーであるが、その背景には常に演劇を原理的なレヴェルへと差し向ける岡田の強靱な思考が存在する。
 美術を専門としていることもあり、私がことに興味深く読んだのは演劇と美術の関係についての一連の文章である。実は本書が刊行される前に、私は自分の中に岡田の名前を強く焼き付ける一つのテクストに出会っていた。それは世田谷パブリックシアターが発行する『SPT』という演劇理論誌に収録されたテクストであり、先にも触れた安部公房の「友達」の演出について論じたレクチュアであった。その中で岡田は演劇における「具象」と「具体」を区別するにあたって、いきなり具体美術協会の白髪一雄の絵画を参照するのである。デペイズマンではないが、安部公房と具体美術協会の唐突の結合に唖然としたことを覚えている。しかし今回再読すると、岡田の論じるところは理解することが容易で、しかもジャンルを超えた一個の芸術論となっている。岡田の所論をかみ砕くならば、例えばゴッホが郵便配達夫を描く、それは郵便配達夫の具象である。しかしそれを表現しているのは絵具の盛り上がり、量感であり、それを岡田は具体性と呼ぶ。演劇において岡田が重視するのは具象性ではなく具体性である。「三月の5日間」に登場するふにゃふにゃした若者は具象的な存在である。しかしそこにはそれを演じる俳優の具体的な存在を前提としている。具体性とは身体、もしくは肉体と換言することができるかもしれない。岡田はチェルフィッチュの俳優には具体的な身体であることを常に要請するという。このような発想は直ちに美術にも反転できるだろう。
 演劇を説明するモデルとして美術を用いることはなんとも新鮮に感じられる。何度も触れた「三月の5日間」はヨーロッパではキュビスム的という評言をしばしば受けたらしい。これを受けて、2011年に「ゾウガメのソニックライフ」を演出するに際して、岡田はラウシェンバーグのコンバイン・ペインティングを参照したという。演劇とコンバイン・ペインティングである。私はこの演目も見ていないので、詳細をコメントすることはできないが、岡田はラウシェンバーグの手法を「各自がまるで唯我独尊とでもいったふうに、とにかくてんでんばらばらの仕方で強く存在しつづける」演劇へとパラフレイズする。これはなかなか鋭いコンバイン・ペインティングの解釈だ。今、手法という言葉を用いたが、美術と演劇ではメディウムが異なる。岡田は美術作品を方法論のレヴェルで摘出し演劇へと適用する。通常の演劇において俳優や台詞、舞台美術は演劇という全体に対する部分として存在し、全体との関係において意味をもった。これに対して「ゾウガメのソニックライフ」の場合はコンバイン・ペインティングという概念を介して全体に奉仕しない部分としての俳優、俳優についての新しいイメージが成立する。岡田の発想は一つの美術論として演劇を読み解く可能性をも示唆しているだろう。
 岡田の美術との関わりの中でも特筆すべきはドイツ在住の日本人作家、塩田千春とのコラボレーションである。2009年に新国立劇場で「タトゥー」というドイツの現代戯曲を演出した際に舞台美術を任せたことから岡田は塩田と知り合い、逆に塩田の依頼によって作品を執筆する。無数の窓枠を組み合わせた塩田の作品に触発され、閉館後の金沢21世紀美術館の展示室の中で執筆されたテクストは2009年の「架空の部屋について」というパフォーマンスとして結実した。この際に言語や翻訳、ジェンダーといった話題に関して二人の間で交わされた書簡を私は同じ美術館で開かれた「The Inner Voice 内なる声」という展覧会カタログで読んだ。(この書簡は本書にも収録されている。ただし「Inner Voice」では塩田の無数のチューブの中を赤い液体が循環する作品が展示されていた)さらに本書の中では観者の位置や自由度、あるいは眼差しが向けられる時間といった通常では意識されることのない問題がヴィジュアル・アートとパフォーミング・アートを比較する中で次々に浮かび上がる。これらは演劇と美術という別々の領域に自閉していては決して意識されない問題であろう。両者を媒介する作家としてはこのブログでも何度か取り上げたやなぎみわがいるが、演劇という視点を得ることによって、やなぎと塩田の作品の比較についても新しい角度から検証可能かもしれない。
 ひとまず本書の中から私の関心の向かう箇所について論じた。それにしても私は最近これほど知的刺激に満ちたテクストを読んだことがない。本書は演劇という営みに向けられた岡田の真摯な思考の軌跡であると同時にきわめて軽快な読み物だ。この軽快さが独特の文体からもたらされることも疑いない。岡田には『私たちに許された特別な時間の終わり』という「三月の5日間」の小説版と呼ぶべき作品もあるという。これについても近いうちに通読しなければなるまい。

by gravity97 | 2013-03-09 20:55 | 演劇 | Comments(0)

「Gutai : Splendid Playground」 「Tokyo 1955-1970 」

b0138838_17394270.jpg
 ニューヨークの二つの美術館で日本の戦後美術に関する二つの展覧会が開催された。グッゲンハイム美術館における「Gutai : Splendid Playground」とニューヨーク近代美術館における「TOKYO 1955-1970」である。後者は2月25日で終了したが、10日間ほど二つの展覧会の会期が重なる時期がある。ニューヨークの主要な美術館で日本の戦後美術がこれほどの規模で紹介される機会はおそらく二度となかろうから、この期間をめがけて駆け足でニューヨークを訪れた。
 グッゲンハイム美術館の展示から始めることにしよう。これまでにも1994年の「Japanese Art After 1945 : Scream Against the Sky」や2009年の「The Third Mind」といった日本およびアジアの現代美術に関連した展覧会でキャリアを築いてきたアレキサンドラ・モンローと日本に留学して具体美術協会(以下、具体)の調査を行い、2011年には『GUTAI : Decentering Modernism』という研究書を発表したミン・ティアンポという二人のキューレーターによる企画である。活動中の1958年にニューヨークで具体美術展を開催したことがあるから最初ではないにせよ、これまで主としてヨーロッパで紹介が続いた具体にとって初めてのアメリカでの本格的な回顧展となる。もっとも実はしばらく前から世界的にこのグループへの関心が高まっていた。昨年の国立新美術館での回顧展は一つの呼び水と考えられるし、ニューヨークでもマキャフリー・ファイン・アートで何人かの作家の個展が開かれ、ニューヨーク近代美術館は最近村上三郎の《投球絵画》を購入している。(この作品は「TOKYO 1955-1970」で展示されていた。この展覧会が終了後は引き続きグッゲンハイムで展示されると聞いている)先般のもの派に関する紹介もあって、今やニューヨークのマーケットでは日本人作家の作品がかつてなく高騰しているといった下世話な話も耳に入っていたから、本展覧会はある程度、機が熟すのを待って開かれたといえるかもしれない。
 展示は基本的にクロノロジカルに構成されている。来場者はまず山崎つる子の赤い蚊帳に迎えられ、訪れた子供たちが楽しそうに出入りしていた。国立新美術館での展示同様、最初の野外展の紹介にかなり力が入れられ、再制作されたオブジェも展示の随所に配置されている。具体誌も陳列され、このグループが早くから海外との交流を進めたことが容易に理解される。アクションについては写真による紹介が多い。白髪一雄の「泥に挑む」はともかく村上三郎の「紙破り」も恒例の再演がなされず、(ほぼ同じ時期にシカゴに巡回した「DESTROY THE PICTURE」展では、企画者の前LAMOCAチーフ・キューレーター、ポール・シンメルが再演したと聞いた)大きな写真図版で再現されていた。多くの場合、絵画の傍らには関連したアクションを記録した映像が流されていた。同じ作家の作品は固めて展示される場合が多いが、18年もの長きにわたって活動した集団であるから、同じ作家の異なった時期の作品や絵画とオブジェがそれぞれ別々に展示される場合も多く、個展形式によるグループの回顧という形はとらない。昨年の国立新美術館での回顧展がグループとしての輪郭を正確に示すために、会員が増えた60年代後半以降に加入した作家の作品も丹念に加えていた印象があるのに対し、今回の展示では必ずしもグループを総体として提示する意図が認められない。国立新美術館での回顧展がこの集団の網羅的、客観的な紹介をめざしたのに対し、グッゲンハイムの場合は展示に濃淡がつけられ、この集団に一つの解釈を与えることが意図されているように感じられる。螺旋形の壁面を上がっていく独特の建築に従って順路は時系列を追って一方向的であるが、展示の中に例えば「パフォーマンス・ペインティング」や「ネットワーク」といったいくつかのキーワードを設定することによって具体の作家たちに共有された問題系も浮かび上がるように配慮されている。このあたりの演出は巧みであり、例えば比較的散漫なイメージがある後期の具体についても「エンヴァイロメント」という概念を導入することによって一つのパースペクティヴを与えるとともに、この主題が初期以来、具体に一貫された問題意識に連なる点が暗示されている。具体についてほとんど知識をもたないアメリカの観衆に対してクロノロジーとテーマ展示を折衷した構成は、明確な具体のイメージを与える。ちなみにカタログも同様の構成がとられ、具体の活動を通時的に紹介しながら、多くの作家たちに共有されたいくつかのテーマも示されている。展覧会は手練のキューレーターによる過不足のない展示として実現され、私が訪れた日も多くの来場者で賑わっていた。新聞等の展評も好意的であると聞く。
 展示を見ながら、私は企画者のいくつかの意図に気がついた。まずこの展示においてはリーダーである吉原治良にさほど重きが置かれていない。むろん有名な円の絵画をはじめ、いくつかの主要な作品は展示されているが、扱いはほかの作家と同列である。この点は昨年の国立新美術館における回顧展で吉原が独立したコーナーを与えられ、具体結成以前の作品を含めて画業が通覧されていたのと好対照である。これまで国内で具体の作家を紹介する場合は師である吉原と会員たちを区別することが多かったが、このような構成は国外において、しかも吉原も含め第一世代の作家たちがほとんど鬼籍に入ったことによって初めて可能となったように感じる。この結果、この集団は水平的な構造として理解される。別の言葉でいえば、そこに存在した集団を律する規範、それは悪くいえば吉原の独裁であったかもしれないが、この集団が一人のリーダーの意志のもとに統率されていたという事実が見えにくくなっている。第二に展示において絵画の占める比率が比較的小さいように感じられる。この点は具体の評価そのものと深く関わる点であるが、野外展などに出品されたオブジェ、あるいはその写真がクローズアップされる反面、絵画はそれが描かれるアクションのヴィデオ、あるいは関連するオブジェやドローイングとともに配置されることによって、いわば分断されて展示される。むろんこのような展示によって絵画の背景はよく理解されるから、その意図は明確だ。しかし結果として来場者はここに並べられた絵画をアクションの結果、オブジェの反映としてばらばらに理解するのではないだろうか。第三にこの点とも関わるが、展示においてもカタログにおいても写真や映像の占める比率が比較的高いように感じられる。今回の展示では私にとっても未見の資料が展示されており、それはそれで興味深かったが、私はこれらの特質によって具体の活動の本質の一つがあいまいとなってしまうのではないかと考える。それはこの集団の活動の中心が絵画であったという事実だ。おそらく来場者はこの集団が絵画を量産した画家集団であるとは理解しないだろう。このような理解はこれまでも具体評価の一面を構成していた。特に初期に明確であった野外展や舞台展、アクションに注目し、作品発表の多様性を強調する立場。これはハプニングの先駆者としての具体を評価し、アンフォルメルの指導者、ミシェル・タピエとの接触によってグループの先鋭さが失われたという具体評価のクリシェと一致する。今回の展示の最後になぜか活動の中期、1960年のインターナショナル・スカイ・フェスティヴァルの写真が展示されていることはこの点を暗示しているだろう。それではこのような展示から何が浮かび上がるか。
 私の考えではこのような展示は、具体の活動を欧米のモダニズム美術とは別の位相に封じ込めることを目指している。今述べたとおり、展示を見る限り、この集団が絵画の制作を活動の中心に置いたことは理解しがたい。アクション、オブジェ、空間造形あるいは映像や概念芸術の先駆、それこそ何でもありの特異な前衛作家集団として受け取られるだろう。確かにそれが具体の一面であることは認める。しかしこのような側面がニューヨークの美術館で強調されたことの政治的意味について私たちは意識しなければならない。この展覧会のプランが伝えられた最初から、私は「playground 遊び場」というタイトルに強い違和を感じていた。実際に会場の印象も遊び場に近い。野外展に展示された参加型のオブジェが会場に配置され、写真も掲出される。巨大な吹き抜けには元永定正の着色した水を用いたオブジェが張り巡らされて、それはどこにいても目に入るから、無意識のうちに展示全体を象徴する。子供たちが遊ぶ野外展の写真、真剣な創作というより一見、子供の悪戯のようなアクション、出口には(実際に野外展でも展示されていた)落書きボードが設置され、来場者は思い思いの感想を書き付けていた。冒頭のセクションは「play : an inhibited act」と題され、彼らの活動をあたかも、やりたい放題の遊びとみなすかのようだ。野外展の作品にも吉原の厳しい審美眼が働いていたことを知る私としては、このような見解には同意できない。さらに注目すべきはこのセクションにおける児童誌『きりん』の扱いだ。この展示では作家たちが関わったこの雑誌がとりわけ大きく取り上げられていた。私の考えではこの扱いは強引すぎる。具体と児童美術が無縁という訳ではない。しかしそれは当時の関西の美術状況や前衛書との関係、あるいはミシェル・タピエと協同して開催された国際美術展に比して取るに足らない問題ではないか。同時代の美術との関係を等閑視し、代わってオブジェの遊戯性、児童画との親近性を強調する展示は、具体の独自性を認めながらも、所詮、それが欧米のモダニズム美術から見るならば、コップの中の嵐ならぬsplendid playground の中の児戯であったことを暗示するかのようだ。しかし果たしてそうか。本論は具体について本格的に論じることを目的としていないため、いくつかの可能性を指摘するに留めるが、まず指導者吉原治良が阪神間モダニズムを体現する作家であった点は留意されるべきだ。戦前より吉原は海外の美術雑誌を取り寄せて、ヨーロッパのモダニズム絵画に知悉していた。「誰も描いたことのない絵を描け」という吉原の指導はオリジナリティーに重きを置くものであるが、吉原は作品を評価するにあたって形式のみをその基準としており、具体的にはモンドリアン的な抽象絵画の克服という目標を掲げ、児戯どころかきわめて明確な歴史意識を反映させていた。しかし先に述べたとおり、この展覧会で吉原ではむしろ作家の一人として取り上げられ、このような思想が具体を律した点を理解することはできない。さらに具体の絵画について述べるならば、まずこれらの絵画が抽象表現主義やアンフォルメルの絵画とともに国内外で展示されたという事実は無視されるべきではない。確かに先にも触れたニューヨーク展の際に彼らの絵画は抽象表現主義の亜流に過ぎないと酷評を受けた。しかし実は彼らの初期絵画は同時代の絵画と比しても遜色はないのではないか。例えば作品のサイズだ。今回の映像からもうかがうことができるが白髪一雄や嶋本昭三のアクション・ペインティングは当時世界的にみても破格の大きさであり、ポロックやニューマンを凌ぐ。この問題はこれまで全く論じられたことがないが重大であると私は考える。あるいは機械的オートマティスムと身体的オートマティスムが一つの集団において同期したことをどのように考えるか。さらには「Destroy the Picture」ではないが、欧米では60年代以降に露わとなる絵画を破壊するという機制が50年代中盤の絵画、しかも新しい絵画の創造という難問と取り組む中で多くの作家に共有されたのはなぜか。思いつくままにいくつか挙げたが、これらの問題は当時の最前衛の絵画に共有されたラディカリズムと関わっている。つまり本人たちは自覚していなかったにせよ、具体の作家たちの実践は同時代の絵画の超克という意識に根ざした真摯な応答であったのだ。しかし面白主義のオブジェや「子供の遊びのような」アクションを強調することによってかかる革新性、同時代性は隠蔽されている。
b0138838_17403924.jpg

 次に私たちはニューヨーク近代美術館の展示を訪れることにしよう。全館を使用したグッゲンハイムとは対照的に「TOKYO 1955-70」は会場がなんとも手狭だ。同じ階で「INVENTING ABSTRACTION 1910-1925」という特別展が同時に開催されていたが、なんとか会期と会場の調整ができなかったのだろうかと思う。この展覧会のために近代美術館は何度か研究会を開き、調査チームを日本に送り込んだと聞く。その成果は後述する論文集にも反映されており、入念な準備がなされた展覧会であることは直ちに了解できるが、それだけにもう少しゆったりとした展示を望みたかった。ここでも絵画、彫刻は言うに及ばず、写真や建築、実験映画からポスターにいたる幅広いジャンルで日本の戦後美術が総花的に紹介されている。しかしここにも一つの意図が見え隠れしている。今述べたとおり、会場には多数の作品がぎっしりと押し込まれた印象で、展示の文脈を見渡すことが難しい。東松照明のケロイドの写真に始まり、具体美術協会についてもいくつかの代表作が展示され、フルクサスと関係の深いハイレッド・センター周辺の資料やオブジェに続いて、タイガー立石の和製ポップ、そしてもの派による一連の作品まで、展示は一応クロノロジカルに構成されているが、ジャンルが多岐に及ぶこともあり、主要作品の変遷や運動の隆替といったかたちで美術史を読み解くことは困難とされている。私はこのような困難さは日本の戦後美術の本質も深く関わっていると考えるが、ここでその詳細については立ち入らない。この展覧会に先行する1986年のポンピドー・センターでの展覧会、先にも触れた94年のアレキサンドラ・モンローによるグッゲンハイム美術館での展示と比しても、コンテクストの希薄さは逆に今回の展示を特徴づけている。この結果、会場が狭いこともあって作品は相互に関係を作るというより、ばらばらに自己を主張している印象を与える。この結果、一群の作品がひときわ強いインパクトを与える。それは読売アンデパンダン展周辺で発表されたグロテスクなオブジェである。特に菊畑茂久馬による表面にびっしりと五円玉を貼り付けた一対の丸太のオブジェ《奴隷系図》と、無数の男根状のオブジェを天井から吊り下げた工藤哲巳の《インポ分布図とその飽和部分における保護ドームの発生》(驚いたことにこの作品は現在、アメリカのウォーカー・アート・センターに「収蔵」されているのだ)はほぼ同じ場所に展示され、展示効果はともかく会場で異彩を放っていた。《奴隷系図》は道祖神を模しているから、それぞれの丸太の中心にペニスとヴァギナを連想させる造形が施されている。私はこの会場に性器や身体器官を連想させる作品、裸体と関連する作品があふれかえっていることにいささか辟易としてしまった。赤瀬川原平の《ヴァギナのシーツ》、ハイレッド・センターの原寸大のブループリント裸体像、三木富雄の耳のオブジェ、映像に目を移せば全裸の男女が奇怪なアクションを繰り広げるゼロ次元の「いなばの白うさぎ」や土方巽の暗黒舞踏。戦後美術に認められるこれらの系譜については既に椹木野衣が『日本・現代・美術』の中で黒田清輝まで遡って「裸のテロリストたち」という一章を費やして論じており、私たちはこのリストに白髪一雄の「泥に挑む」や篠原有司男の一連のアクションを加えることもできるだろう。
 しかしそれにしてもなぜ裸体と性器なのか。むろん並べられた無数の作品の中からこのような主題のみを取り出すことは恣意的という謗りを免れないかもしれない。しかしながら私はこれら二つのキーワードが示唆するとおり、日本の戦後美術においては身体が、時に描かれた身体として時に描く身体として常に同伴したように感じるし、それゆえこの展示に一種の必然性も感じる。ここで私たちはグッゲンハイムの展示にも立ち戻ることができる。小児性や遊戯、身体や裸体、これらの概念が強調されることによって、西欧における「成熟した大人が真剣に取り組む視覚と関わる営みとしての美術」、それをモダニズム美術と読み替えてもよかろうが、その対極にある営みとして日本の戦後美術が了解されるのではなかろうか。偶然であろうが、先にも触れたとおり、同じフロアで同時期に開催されていた「抽象の発明」と題された展示を訪れるならば、このような対比はさらに明確である。「抽象の発明」は1910年代に世界各地で同期した抽象表現の成立をキュビスムから未来派、ロシア構成主義からダダイスムにいたる多様な作家と作品をとおして回顧する、やや教科書的とはいえ興味深い展示であった。そこでは抽象表現の成立というモダニズム美術の里程標が、ヨーロッパの作家による真剣な探求の結果として、知的に洗練された視覚的営為として達成されたことが明らかにされている。ニューヨーク近代美術館で来場者は通常全館観覧可能なチケットを求めるから、大半の来場者は二つの展覧会を一緒に見ることになり、二つの展覧会は対比されるはずだ。「抽象の発明」では一つの興味深い映像が上映されていた。それはマリー・ウィグマンというドイツの舞踏家の振り付けによる「抽象ダンス」であり、舞踏の抽象化、身体の抽象化が図られているといった解説が付されていた。1910年代のヨーロッパを扱った展覧会で「抽象ダンス」が上映される一方、半世紀後の東京を扱った展覧会で上映されているのはゼロ次元と暗黒舞踏なのだ。抽象性と具体性、観念性と土俗性、二つの展覧会を続けて見るならば両者の異質性が際立つことはいうまでもない。今回のカタログの表紙にはハイレッド・センターの活動の中で顔中に洗濯バサミを付けたまま歩行する中西夏之の写真が用いられている。何も見えない状態で痛みを感じながら歩く作家の姿は視覚ではなく身体と深く結びついた日本の戦後美術、欧米のモダニズムとは全く異質の営みを象徴するかのようではないか。
 展覧会は常に一種の政治性を帯びる。作品の選択とはほかの作品を排除することでもあるから、私は例えば山口長男や斎藤義重の不在を理由にこの展覧会を批判しようとは思わない。いかなる作品の選択し、いかに配置するかは企画者の見識である。しかし同時にこのようにして表象された具体の活動、日本の戦後美術が誰の、いかなる無意識を反映しているかについては自覚的でなければならないと考える。今回の展覧会を機にニューヨーク近代美術館は『ポスト・ウォーからポスト・モダンへ』という日本の戦後美術に関する基礎的文献を網羅した論集を刊行した。日本側の協力者もあり、きわめて充実した内容であるが、私が驚いたことにはこのような論集はこれが初めてではなく、既に中東ヨーロッパやブラジル、中国といった地域の美術に関しても同様に基礎文献をコンパイルした論集が同じ美術館の手によって出版されているのだ。一つの機関をとおして世界の現代美術に関する基礎文献が英語へと翻訳紹介されていくことはある意味では画期的であるが、別の意味では極めて危うい。とりわけ日本の戦後美術に関してはここ数年の展覧会に関連して刊行されたカタログ、あるいはアメリカの大学に提出された多くの博士論文などによって英語での蓄積が進み、今後日本よりも英語圏において研究が活発となる事態も予想されるだろう。私たちが日本の美術を検証するにあたって欧米という鏡、英語という言語を介すという倒錯した状況も今後大いにありうる。そもそも今回の展覧会自体が鏡に映った自分たちの姿なのだ。もはや鏡に映ったことを喜んでいる場合ではないだろう。今や鏡の歪みを意識し、場合によっては鏡像を補正することが私たちに求められているのではないだろうか。

 例によって辛口のレヴューとなったが、二つの展覧会はわざわざニューヨークまで足を運んだことが報われる充実した内容であった。多くの困難を乗り越えて、これら二つの展覧会を実現した関係者に敬意を表したい。この過程で整理された日本の戦後美術に関する情報は今後英語圏で共有されることとなるだろう。そして戦後美術への関心が高まっているのはアメリカのみではない。このところ日本国内でも1970年代の文化、1950年代美術、最近では実験工房に焦点を絞った優れた展覧会が続いている。海外の有名美術館の三流コレクションを並べた展覧会ばかりが目を引く昨今、美術館にとって基本とも呼ぶべきこのような展覧会が連続して企画されていることは大いに喜ばしい。同時にかかる高まりを一過性の流行に終わらせることなく、日本の戦後美術という異例の営みに本質を解明することがまさに私たちに求められているように感じる。
 なお、今回の展覧会には膨大なテクストが付随する。早い時期にレヴューする必要を感じたため、これらについてはまだ読み込んでいない時点での所感であることを最後に付言しておく。

by gravity97 | 2013-03-04 17:43 | 展覧会 | Comments(0)