Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
カテゴリ
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2013年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧


Flat Ware by Arne Jacobsen

b0138838_22404981.jpg


by gravity97 | 2013-02-23 22:42 | MY FAVORITE | Comments(0)

「福岡現代美術クロニクル 1970-2000」

b0138838_2264168.jpg
 ごく最近終了した展覧会であるため、もう少し早くレヴューできなかったことが悔やまれる。福岡県立美術館と福岡市美術館という二つの会場で開催されていた「福岡現代美術クロニクル 1970-2000」について書き留めておきたい。
 タイトルのとおり、福岡を中心としたほぼ30年間の現代美術の動向を紹介する内容である。出品された作品は発表された時期によって機械的に二分され、前半、1970年から80年代初めまでが福岡県立美術館、それ以降が福岡市美術館で展示されている。といっても80年代前半の作品の展示区分はさほど厳密ではないし、スタイルを大きく変えた作家は両方の会場に作品が展示されている。作品のジャンルは絵画、彫刻から映像まで多岐にわたり、注目すべきは美術館や展覧会ばかりでなく、画廊や教育機関、都市開発やネットワークといった美術の周辺にも丹念に目を配っている点である。私はこの時代の福岡の美術状況について雑誌や展覧会カタログを通して漠然とした知識をもっていたが、今回の展覧会を通してこれらの知識が作品とともに整理され、多くの新しい発見もあった。
 1970年という展覧会の起点は別の言葉を用いれば、「九州派」以後ということであろうか。展覧会のカタログに寄せたテクストの中で企画者の山口洋三は「九州派の余韻の中で」という表現を用いている。もちろん九州派の作家たちはこの時期も活動を続けていたが、彼らの直接の影響を受けない新しい世代が登場したということであろう。この点を関西における具体美術協会と比較することは意味があるかもしれない。具体美術協会も1972年まで存続したが、後続する若手たち、具体的には80年代以降に活動を始めるいわゆる「関西ニューウエーヴ」とはほとんど関係をもっていない。いずれの運動も後期にいたるや当初の先鋭さを失って弛緩した(この点は昨年、国立新美術館で開催された具体美術協会の回顧展に関してしばしば指摘された点である)といったやや意地の悪い見方をとらずとも、これら二つの運動が少なくとも活動の核心においては容易に模倣することができない過激さを秘めていた点、いずれの作家たちも少数の例外を除いて、大学や美術学校で後進の指導にあたることがなかったことなどが理由ではなかろうか。福岡市美術館における「九州派展」において九州派が初めて運動として総括されたのは1988年のことであり、具体美術協会の活動が単なる回顧ではなく、より広い文脈で総括されるのは1985年、国立国際美術館における「絵画の嵐」展以降となる。
 展覧期の章立てに従って、おおよそ10年ごとに福岡の美術状況を確認するならば、まず1970年において私の目を引いたのは多くの集団が次々に簇生し、比較的短い期間に活動を終えるという状況である。いくつかを列挙するならば、TR同、グループ玄、WORK PARTY STUDIO、ゾディアックそしてIAFといった集団である。ほとんどが私にとって初めて聞く名前であった。会場にもカタログにもこれらのグループの構成や活動について簡単な紹介が付されており、理解の一助となる。ここで個々の集団について論じる余地はないが、私が興味を抱いたのは、彼らの仕事に比較的穏健な表現と過激なパフォーマンスが同居しているように感じられることだ。福岡県立美術館に展示されたこの時期の作品は平面も立体もそれなりに興味深いとはいえ、微温的で既視感がある。一方でこの時期に繰り広げられた彼らのパフォーマンスはしばしば街頭で挙行され、一般人を巻き込む内容が多い。TR同によるビラの配布や街頭への落書き、あるいは「レスポンス・デスマッチ」と呼ばれる街頭での公開ドローイングはかつて九州派が行った集団示威行為を連想させる。私は黒ダライ児の『肉体のアナーキズム』中で言及されていた集団蜘蛛による過激きわまりない街頭パフォーマンスもこの時期ではないかと考えていたので、展示中に集団蜘蛛についての言及がないことをやや不審に感じたのであるが、あらためて黒田の論文を参照するならば、問題の行為は1970年であり、彼らの活動は展覧会に先行している。市街地での作品発表はこの後も多くの作家によって手がけられているが、これを九州派以降連綿と続く前衛美術の特異な伝統とみなすかどうかは微妙な問題である。
 1980年代の福岡の美術状況も私には大変興味深く感じられた。章のタイトルともなっているとおり、キーワードは「交流」である。この時期、福岡市内に設立されたギャラリーやジャズ喫茶は作家たちの発表や交流の場となる。例えば閉店する際に店内を作家たちの表現の場として解放した「イヴの林檎」というジャズ喫茶のオーナー、高向一成はバリー・ル・ヴァや李禹煥を連想させるガラス割りのパフォーマンスでも知られた作家であった。また当時、久留米の石橋美術館や福岡市美術館で開催された現代美術展もこの地域の先鋭な作家たちが交流する場であり、出品作も多く展示されて当時の気風を伝える。もっともこのような交流はおそらく日本各地で行われていただろう。この時代の福岡において注目すべきは、東京から来た何人かの作家がこの地に大きな影響を与えたことにある。その一人が川俣正である。1983年に福岡市美術館で開催された「素材と空間」展に戸谷成雄、保科豊巳とともに参加した川俣は美術館のみならず近郊のアパートを舞台に作品を設置する。今でこそ既存の施設を使ったサイトスペシフィックな造形は珍しくないが、この仕事は山野真吾が開設したIAFに集う若手たちに強い影響を与えたという。山野もこの企画に深く関わっている。近年、アートプロジェクトのオルガナイザーとして辣腕をふるう山野自身が作家であったことを私はこの展覧会で初めて知った。学芸員と作家、オルガナイザーの幸運な協同が福岡という地域に一つの刺激を与えたといえよう。川俣はこの後も田川市の「コールマイン田川」で持続的に九州と関わりをもつ一方、各地で同様のプロジェクトを続ける中でいわば交流の接点として、地域間ネットワークを作り出し、福岡の作家たちは北海道、東京、関西といった地域とアーティスト・ネットワークという運動体をとおして交流を重ねていった。カタログ中でも触れられているとおり、このような状況は、制度に依拠しながら、フットワーク軽く巧妙にずれていく川俣という傑出した才能によるところも大きいだろうが、ここでは中央で活躍する作家が地方に赴いて教えを垂れるという上からの交流ではなく、地方同士の水平的な交流の可能性が示唆されている点に注目したい。このパートで紹介される作家たち、例えば柳幸典や藤浩志、そして早世した殿敷侃らは皆、このような水平的な運動性によって特徴づけられる。かかる可能性に拘泥する理由はいうまでもない、このような水平性は後述するアジアとの交流においても顕著な特質であるからだ。
 もう一人のキーパーソンは松本俊夫である。私はうかつにも今回の展示を見て初めて松本が80年代に九州芸術工科大学で教鞭を執り、実験映画のメッカとも呼ぶべき時代を築いたことを知った。この経緯についてはカタログ中に収められた松本の文章に詳しい。ここでも松本とかれに師事した学生たち、そして地元で活動を続けていた映像作家たちの協同が認められる。福岡の文化的ポテンシャリティーの高さといってしまえばそれまでだが、地方における文化という問題を考えるにあたって示唆的であろう。ただし映像作品についてはいつも感じることであるが、美術館という場所は必ずしも望ましい上映の場所ではない。短い滞在でそれらを全て見ることはできず、例えば福岡の実験映画の特性や影響関係といった踏み込んだ問題まで見極めることは難しいように感じた。
 1980年代後半より福岡の美術状況はさらに活発になる。1987年、北九州八幡における国際鉄鋼彫刻シンポジウム(これについても詳しいドキュメンテーションが展示されていた)に続いて、北九州に海外作家との交流の拠点が設立され、後のCCAへと展開される。私も当時よりその活動については聞き及んでいたが、中村信夫の幅広い人脈に基づいて海外作家や批評家を招聘し、サマースクールというかたちで国内作家との交流を深めたCASKそしてCCAの活動については今後なんらかのかたちで総括されるべきであろう。一方1990年にはミュージアム・シティ・天神がオープンし、意欲的な作家紹介が始まる。先にも述べた通り、街を美術によって刺激するという姿勢はここでも確認することができよう。この背景にいわゆるバブル景気を指摘することはたやすい。振り返ってみるに確かにこの時代、日本の現代美術はかつてない活況を呈しており、東京や関西のみならずその余波が福岡にも及んでいたことがわかる。森村泰昌の巨大なバナー作品や草間彌生の黄色い南瓜など、世界的に知られた作家の作品が巨大な商業施設に設置される傍らで、地元の作家の作品も積極的に取り入れられたようである。しかしサイトスペシフィックな作品の常として、これらは展覧会の中では紹介しにくい。ミュージアム・シティ・天神では1991年に中国前衛美術家展と銘打った画期的な展覧会「非常口」が開催された。今でこそ中国の現代美術に注目が集まっているが、この時期にかくもラディカルな展覧会を開くことができたのは、キューレーターの費大為の存在のみならず、福岡という土地が福岡アジア美術館の活動をはじめ、長年にわたってアジアの現代美術との親密な交流を続けてきた背景があるだろう。この展覧会を見た後、私は福岡アジア美術館にも足を運び、常設展示を一巡した。あらためてその蓄積に驚く。それは都市としての、美術館としての見識であろう。今回は展示の中にミャンマーの現代美術さえも組み込まれていた。アジアという広い地域を対象に、国によって濃淡をつけることなく、どの国とも平等な、つまり水平的な交流は福岡が「地方」であるがゆえに可能であったかもしれない。
 展覧会を通して30年間の福岡の美術状況を回顧する時、いくつかのトピックが浮かび上がる。一つは地域性と国際性の対立であり、この点は九州派と今回出品した作家たちとの関係として了解されよう。先に述べたとおり、両者はほとんど交差することがなかった。地域主義と国際主義という対立を私はアメリカの抽象表現主義から借用したが、ニューヨークの若手作家にとって国際主義がヨーロッパのモダニズムを意味したのに対して、福岡の作家たちにとっての「国際主義」とは明確なモデルをもつことのない、いわゆる「同時代の現代美術」であった。彼らの表現は明確な運動のかたちをとることがなくまとまりに欠ける。既に発表されていた文章ではあるが、カタログに収録された黒田雷児の辛口のコメントはこの点と関わっているだろう。第二に美術館やギャラリー以外の場所、商業施設や市街といった場で発表される、あるいは深く関わる作品が多いように感じられる。このような特質はどこからもたらされたのであろうか。オフ・ミュージアムの隆盛になにかしらの意味を見出すか、バブルの徒花とみなすかは判断が難しい。60年代のパフォーマンスの伝統を引き継ぐ系譜ととらえることは無理だろうか。このあたりも『肉体のアナーキズム』の著者に問うてみたい問題だ。三番目に福岡という「地方都市」とアジアの関係である。アジアの名を冠した美術館をもち、実際にアジアとの交流拠点として知られる都市の美術はかかる地政学的な位置を反映しているのだろうか。この問題は最初の地域主義と国際主義の対立へと立ち返り、さらに私たちは今やグローバリズムという新しい変数さえ手にしている。福岡の美術にアジア性を求めることは一種逆向きのオリエンタリズムかもしれない。そもそも美術の「アジア性」とは何か。優れた展覧会の常として、展覧会をめぐりつついくつもの新しい認識、そして多くの疑問が生まれた。
 アジアの現代美術の隆盛と反比例するかのように日本の美術界はバブル景気崩壊後、冬の時代に突入する。この展覧会は2000年を区切りとしているから、宴の後、今世紀の状況については触れていない。冬の時代に入ったのは美術館も同様だ。設置された地域の美術状況を展覧会として紹介することは公立美術館としてはごく当然の務めである。しかし今日、このような展覧会さえも決して容易ではないことを私たちは知っている。海外の有名美術館の三流コレクションを展示することは許されても、地元で真摯に制作に取り組む作家たちを紹介することは困難であるという逆説。このような状況の中、県立と市立という二つの美術館がタッグを組んで一つの地域の美術を回顧したことの意義は大きい。展覧会とは選択と排除のシステムであるから、作家や作品の選択は当然議論や反発を呼ぶだろう。しかしそれを恐れず、一つかみの歴史を提示すること、ローカル・アート・ヒストリーの構築は公立美術館の本来の使命であるはずだ

by gravity97 | 2013-02-14 22:08 | 展覧会 | Comments(0)

香川檀『想起のかたち』

b0138838_2081671.jpg ホロコーストと関連した研究のレヴューが続く。今回は音楽ではなく美術と関連した研究である。タイトルが示すとおり、ホロコーストそのものではなくその記憶という特殊なテーマのもとに主として1980年代以降のドイツの現代美術が俎上に上げられる。半世紀も前の出来事が未だに問い直される点にホロコーストがドイツの精神史に与えた深い傷跡が暗示されている。それにしてもなぜ80年代以降なのか。まずこの点に関して興味深い指摘がなされる。40年というインターバルを経て「想起の文化」と呼ぶべき社会現象が出来した理由について、精神分析学における「事後性」という概念を社会に適用するならば、幼少時のトラウマが再解釈を経て意味づけられるまでに、つまり社会によってホロコーストが再解釈されるまでにはこれほどの時間が必要とされるという。さらにヤン・アスマンによれば一つの出来事が「文化的記憶」として共有されるうえで、人の一生のほぼ半分となる40年という単位は重要な意味をもつ。成年に達してある出来事を体験した者が職業生活を引退し、その記憶を人に伝えたいと願うまでに40年の経過が必要とされるのだ。これらの指摘に加えて、私はヴァイツゼッカー演説にみられる過去への反省と、いわゆる歴史修正主義の台頭が同期したこの時代には、ホロコーストの問題について思考が深化される外的な要請もあったのではないかと考える。序章の最後で著者は本書の理路を次のように整理する。まず「痕跡」という概念、その意味作用を再検討する。続いてアート(著者は常にこの言葉を用いる)が記念碑やアーカイヴといった記憶装置ではなく、むしろそれらを批判する対抗的な「記憶の場」を構成する事例を具体的に検証する。最後に記憶の問題にジェンダーの視点を導入する。いずれもきわめて刺激的であるが相当に難解な主題である。議論の中心として具体的に論じられる作家は以下の四人。クリスチャン・ボルタンスキー、ヨッヘン・ゲルツ、レベッカ・ホルンそしてジークリット・ジグルドソン。いずれも1960年代以降、ドイツとフランスで活動を始めた作家であり、後の二人は女性。他の二人が比較的名を知られているのに対して、ゲルツとジグルドソンは日本ではほとんど無名といってよいだろう。
 「痕跡採取」と題された第一章は、1977年、ドクメンタ6の際に発表された美術批評家ギュンター・メトケンの同じタイトルの小冊子から説き起こされる。ほぼ20年後にメトケンはこの冊子の改訂版を発表する。その際に新たに書き加えられた内容がボルタンスキー論であり、ボルタンスキーこそこの章の主題である。確かにホロコーストと美術の関係を論じるにあたって、写真や古着、雑多な品物を集積させ、祭壇のように展示するパリ生まれのユダヤ人、ボルタンスキーの作品は誰もが思い浮かべる参照項であろう。香川はボルタンスキーの作品を仔細に分析して、そこにさまざまの矛盾した要素が織り込まれていることを確認する。固有性と匿名性、単一性と複数性、アウラとその不在、綿密な分析については直接本書を参照していただくのがよいが、具体的な作品に触れつつもリクールの隠喩論から援用された概念を使用して、きわめて抽象度の高い議論が繰り広げられる。最後に香川はボルタンスキーに代表される「痕跡保存アート」が最終的に目指すのは、痕跡をメタファーとして読むことであると述べる。この矛盾した結論はきわめて重要である。なぜなら痕跡とはこれまでインデックスとみなされ、メタファーではなくメトニミックな関係性の中で論じられてきたからだ。香川の指摘はきわめて説得的であるとともに、私はこの指摘によってこれまでボルタンスキーの作品に対して感じてきた違和感の理由を理解することができたように感じる。私はこれまでそれが作品の帯びた情念性に由来すると考えていたが、端的に作品の意味構造が異なるのである。それはまた2004年に京都国立近代美術館で開催された「痕跡」展で検証された一つの系譜、ポロックに始まり、ソル・ルウィットにいたる痕跡の美術、モダニズムからコンセプチュアル・アートへといたる作品の系譜が終焉し、異なった痕跡性に基づいた作品が「記憶」というテーマとともに80年代以降、顕著となったことを暗示しているだろう。
 第二章「標しづけ」では冒頭で1990年にボルタンスキーがベルリンで制作した《欠けた家》という作品が検討される。この作品はベルリン市内の破壊された住居跡に設置されたかつてそこに居住していた人々の銘板と別の場所に置かれたガラスケース内に展示された彼らについての資料群から成り立ち、それまでのボルタンスキーの手法と共通する一方、特定の集団ではなく場所と深く結びついていた。銘板に記された名前と居住した時期からは、例えばユダヤ系の住民が強制収容の時期にこの場所から退去したという事実が浮かび上がる。場との関係、サイトスペシフィシティーもまた80年代以降の美術の符牒であった。しかしここで論じられる作家の場合、作品は場所をとおして記憶と深く結びつき、ポスト・モダン美術と一線を画す。場所を記念する典型的な標は記念碑である。ここから香川は80年代以降のホロコーストに関連した記念碑とそれをめぐる論争を丹念に検証する。ホロコーストという出来事に対しては従来の記念碑、例えばケーテ・コルヴィッツの《死んだ息子を抱く母親》の拡大レプリカのような作品は失効している。先にも述べたとおり、80年代以降、作家たちは記憶装置ではなく、むしろそれらを批判する対抗的な「記憶の場」を構成することによってホロコーストの表象を試みたのだ。このような問題は単に美術のみならず「ホロコーストの表象」という表象文化全般に関わる問題系へと接続される。UCLAで「〈最終解決〉と表象の限界」というシンポジウムが開かれたのが1992年、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが『イメージ、それでもなお』を発表したのが2003年。本書の議論はいうまでもなくこれらの議論を前提としている。続いて1994年にコンペの募集が最初に告知された中央ホロコースト記念碑をめぐって議論が深められる。曲折を経て採用されたのは建築家ピーター・アイゼンマンと作家リチャード・セラの共同設計による無数のコンクリートの直方体を敷地全体に配置するプランであった。(ただしセラは主催者からの多くの変更要求を拒んで途中で下りている)この過程で排除されたのがコルヴィッツほどに再現的ではないにせよ、具象的な要素をはらんだアルフレート・フルドリチカのプラン、そして100メートル四方のコンクリート板の上に現在判明しているすべてのユダヤ人犠牲者の名を刻むというクリスティーネ・ヤコプ=マークスのプランであったという事実は示唆的であろう。ホロコーストの記憶とは具象性つまり個人の身体、そして固有名によっては表象されえないのである。最後に香川はヨッヘン・ゲルツが制作した特異な記念碑について言及する。ゲルツは「これを想起せよ」と一方的に命令する記念碑を否定する。彼がハンブルグで制作した《ハールブルク反ファシズム警告碑》は人々の署名を刻んだ高さ12メートルの金属の柱を8回にわたって地中に埋め込み、最終的には警告碑はすべて地中に埋設されて不可視となる。表面の亜鉛版に鉄筆で書き込まれた署名の内容は様々である。署名やイニシャル、そこには鉤十字さえ書き込まれているのだ。しかもそれは最終的には地下に埋設される。アイゼンマン/セラのモニュメントが抽象的であるとすれば、ゲルツのモニュメントは不可視であり、不在によってホロコーストの記憶を表象する。この章の最後にゲルツが論じられる理由は明らかであろう。それは全く新しいメモリアルであり、ホロコーストの記憶と拮抗する新しい手法を提示しているのだ。
 続く第三章「交感」においても場の記憶、マーキングの問題が論じられるが、この章ではレベッカ・ホルンという女性作家に焦点をあてることによって、ジェンダーという視点が導入される。今まで論じた作品やモニュメントを私は実見していない。しかしここで論じられるホルンの《逆向きのコンサート》に私は見覚えがある。数年前にミュンスター彫刻プロジェクトを訪れた際に、地図を片手にミュンスター市内をサイクリングしながら、私はこの作品が設置された円筒形の歴史的建造物「牢獄」にも足を運んだ。その際は作家の名前こそ知っていたが、どのような経緯で設置された作品であるか全くわからなかったが、本書を読んで得心した。かつて国家秘密警察(ゲシュタポ)が接収し、捕虜や政治犯を処刑していたという陰惨な歴史をもつこの建物の内部にホルンは彼女らしい間歇的な動きを伴った作品を配置した。すなわち内部の壁の随所にとりつけられた42個の鉄製ハンマーが電気仕掛けで壁を叩く。一方建物の最上階にはガラス製の漏斗が取り付けられ、そこから滴り落ちた水滴が12メートル下に置かれた水盤に20秒の間隔をおいて規則的に落下する。ノックと水音から成る「逆向きのコンサート」。香川はホルンの作品を概観したうえで液体の落下、体液の連想、使用される閉鎖空間が子宮を連想させる点などが多くの作品に共通すると述べる。そしてアガンベンを引用しつつ、ホルンの作品の特質である空間の女性化という主題が不在者との交感という主題に沿って「記憶アート」の一つの範例をかたちづくっている点が指摘される。さらに興味深いのはこの作品に即して提出されるジェンダーの別の軸、男性原理との関わりである。ホルンの《逆向きのコンサート》とデュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称「大ガラス」)に共通性を見出したのは著書の炯眼であろう。周知のごとく、「大ガラス」では画面下部の独身者たちから上部の花嫁に向けられた欲望のエネルギー、端的に精液の飛沫が届くことなく落下する。いうまでもない、間歇的に運動するハンマーは独身者の暗喩であり、上方から落下する水滴は体液を暗示する。両者の関係を確認したうえで香川はミッシェル・カルージュが提起した「独身者の機械」という概念を経由してこの系譜をダダイスムまで遡る一方で、ナチズムの表象という主題に連なる二人の男性作家、アンゼルム・キーファーとゲアハルト・リヒターに言及する。キーファーがアイロニカルな手法でナチズムに言及することはよく知られているが、香川はそこにナチズムへの批判と憧憬のきわどい合一を認め、リヒターについてもよく知られた連作「1977年10月18日」におけるドイツ赤軍の表象がファシズムとの自己同一化という危険をはらんでいることを田中純の援用によって論じる。現代のドイツを代表するといってよいこの二人の作家については本書の主題との関係でさらに論じられてよいとも感じるが、彼らに比してホルンを高く評価する著者の主張はジェンダーという視点を得て説得的である。キーファーやリヒターについても同じ著者によっていつか本格的なモノグラフが発表されることを私は期待している。
 「集蔵」と題された最後の章で論じられるジークリット・ジグルドソンは私にとっても未知の作家であった。1991年、ハンブルグで記憶とジェンダーをテーマにした美術史の国際会議が開かれた際に、関連展示として彼女は《静寂の前に》という巨大なインスタレーションを発表した。それは巨大な本棚に無数のオブジェを収納し、来場者の閲覧に任せるという作品である。棚の中には様々な資料を貼り付けたうえに一度泥水に浸したようなノートや写真、薬品の壜、血のついた子供服といった雑多な品々が収められ、いずれも強い喚起力を帯びていた。本という形式をとったオブジェや砂や泥の使用からはたやすくキーファーが連想される。キーファーの書棚や本へのフェティシズムは本書のような観点からも検証されるべきであろう。香川はジグルドソンのインスタレーションを一種のアーカイヴととらえ、アーカイヴと記憶の関係を論じる。主としてフーコーとアガンベンに依拠しつつ展開される議論は入り組み、難解である。ここでアーカイヴをめぐって繰り広げられる議論を私は直ちに展覧会という制度へ差し向けたい気がする。香川はアーカイヴの機能を「保管」「選別」「アクセス」に分け、いずれの局面にも権力が関わることを指摘する。これらの機能、そして権力性は展覧会という制度とも完全に符合するのであるが、この問題について今は措く。アーカイヴ自体が強い政治性を帯びていることに加えて、傷つけ、水に浸され、塗り潰され、焦がされた品々は一種の被虐性を身にまとう。香川は次のように述べる。「アーカイヴとして構築された《静寂の前に》の内部には、暴力的、攻撃的な破壊が充溢しているのである」続いて香川は具体的な作品に即しながら、ジグルドソンの作品において異質なオブジェが併置されることによって類似性が暗示されることをフーコーに即して論じる。そしてこのような類似性の探究こそが文化的記憶の更新なのだ。このあたりの議論は錯綜しており、実際に本書を読んでいただくのがよいが、ここでは作品をとおして「記憶の場」が主体の中にその都度構築されることが暗示されている。記念碑やアーカイヴではなく、記憶を生成する装置としての美術作品。この一点においてボルタンスキーからジグルドソンまでの作家は反記念碑、反アーカイヴの系譜に連なる「記憶アート」の革新者たちなのである。アーカイヴの問題に関してもジェンダーが介入する。関連してアネット・メサジェとアンナ・オッパーマンというフランスとドイツの女性作家の作品も紹介されるのが、私はむしろリヒターの「アトラス」との対比が興味深かった。知られているとおり、リヒターは60年代以降、「アトラス」と題された写真や新聞切り抜き、コラージュなどを組み合わせた膨大なイメージの集積を発表してきた。平面的なイメージのみであるとはいえ、雑多で無秩序なイメージ群はジグルドソンの作品を連想させないでもない。しかも「アトラス」の中には唐突に強制収容所のイメージが混入しているのである。香川も言及するとおり、これまでこのイメージについてはベンジャミン・ブクローがロラン・バルトの「プンクトゥム」概念を援用して説得的な議論を残している。これに対して香川/ヘムケンはこれらのイメージがいわば等距離に置かれている点に注目し、ここで図られているのがイメージの蒐集ではなく、それを介した作家のアイデンティティーの形成であると指摘する。イメージを通して主体が確立されるという発想の背景には明らかにポスト構造主義の影響がみてとれるが、しかし作家が確たるアイデンティティーをもち、主体が閉じられているリヒターに対して、彼女たちは集団的な記憶を介して、主体を押し広げることによって異を唱えるのである。ただし両者の差異が男性/女性というジェンダーによって規定されるか否かについて私は必ずしも同意できない。
 本書は記憶という概念を手がかりに、1980年代以降の現代美術の本質を鋭く抉る。約20年間のドイツというかなり限定された時間と場所を対象としているが、私は本書の射程は実はかなり広いのではないかと考える。ボルタンスキーからジグルドソンにいたる四人の作家はどちらかといえば周縁的な存在であるが、ここで提起された問題は先にも示唆したとおり、キーファーやリヒターさらにはボイスにいたる戦後のドイツ美術においてメインストリームを形成する作家においても、個々に深められる余地が大いにある。本書の主題はドイツの精神史や建築理論、表象理論といった美術に隣接する領域とも深く関わり、さらにいえば私は日本人の書き手によってジェンダー理論がこれほど適切に美術の領域に適用された例を知らない。ひるがえって日本において果たしてこのような「想起の文化」は成立しえたであろうか。アウシュビッツとヒロシマ、ともに大きなトラウマを経験しながら、日本においてはかかる「文化的記憶」が形成されなかったのはなにゆえであろうか。さらに私たちはごく最近、東日本大震災と原子力災害という世界大戦に匹敵する惨事を体験し、被災者と被曝者、難民や棄民となった人々は今なお呻吟している。果たして私たちは40年後にかくも過酷な現実に拮抗する「記憶アート」を生み出すことができるだろうか。

by gravity97 | 2013-02-05 20:11 | 現代美術 | Comments(0)