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Living Well Is the Best Revenge

NEW ARRIVAL 121118

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by gravity97 | 2012-11-18 16:56 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

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 展覧会は既に終了しているが、「与えられた形象」と題され、国立新美術館で開催された辰野登恵子と柴田敏雄の二人展について触れておきたい。作品の質の高さはいうまでもなく、展覧会という営みについても深く再考を促す刺激的な内容であった。二人の作品についても論じたい点は多いが、それには個別の論考が必要であり、相当の準備が必要となるだろう。ここではあくまでも展覧会をとおして喚起された思考の断片を記録するに留めておく。
 国立新美術館における大型の二人展には先例がある。それは2009年に開かれた松本陽子と野口里佳の二人展であり、二つの展覧会にはいくつもの共通点がある。いずれも同じ学芸員によって企画され、絵画と写真というジャンルの異なった表現を取り上げている。さらにいずれの展覧会も統一的なタイトルが付され、広い会場を贅沢に使った展示がなされていた。しかし両者には差異も存在する。例えばカタログだ。松本と野口の二人展がそれぞれの作品を収録した二分冊として発行されたのに対して、片手では持ちきれないほどの重量の今回のカタログでは辰野と柴田の作品が同じ一冊の中に収められている。私は松本/野口展も見たが、私の記憶が正しければ、この展覧会では二人の作品が別々に、つまり連続する二つの個展という形式で展示されていたように思う。これに対して、今回はかなり特殊な展示がなされていた。すなわち二人の作品は交互に展示され、しかもその配列はクロノロジーに依らない。例えば辰野であればS字形や花模様といったイメージが導入された80年代のよく知られた作品からスタートした後、70年代の格子のミニマリズムへと遡行し、21世紀に制作された近作に続けて、東京芸術大学在学時に描かれた覚しき初期の具象絵画が展示される。そして辰野の通時的な脈絡を欠いた展示のいたるところに柴田の写真作品が挿入される。柴田の場合、展示は写真集などにまとめられたシリーズごとに編成されているが、辰野と同様に新作や初期作品を含めて時代的な振幅は大きく、クロノロジカルな構成はとられていない。時間的文脈を意図的に脱落させる展示の手法は今回の展覧会において個々の作品以上に前景化されている印象がある。
 辰野と柴田は東京芸術大学の油画科の同級生であり、さらに付け加えるならば二人とも現役で入学している。二人が入学したのは1968年という「政治の季節」であったが、二人ともそのような政治性から距離を置いていることは初期作品を見るならば、明らかであろう。彼らは同級生の鎌谷伸一とともに学生運動の余波で誰もいない教室を使って「コスモス・ファクトリー」というスタジオを開設する。村松画廊で開催された「コスモス・ファクトリー」の三人展ポスターが出品されているが、そこには明らかにアメリカのコミックが引用され、右端にはドナルドダックの姿さえ認められる。彼らとディズニーの取り合わせは意外であるが、そもそもこのスタジオの名前はアメリカのロック・バンド、クリーデンス・クリアーウォーター・リヴァイヴァルのアルバムからとられているという。彼らが自らの表現を育むにあたってアメリカの大衆文化が素地を形成したという事実は興味深い。さらに注目すべきは二人がともに版画という表現に関心を寄せた点である。アメリカの大衆文化と版画、両者の共通点は複数性と反復性であり、それらは同時代のポップ・アートの中にも色濃く反映されている。資質的にポップ・アートから最も遠くに感じられる辰野と柴田がかかる表現と親和したという事実は単に時代を共有したという以上の意味をもつように私は感じる。このカタログには二人の対談のほかに、多くの示唆に富んだ作家の言葉が収録されている。80年代に自らの絵画に導入したイメージについて辰野は次のように語る。「これらのモティーフをとり上げたと言っても、それ自体に関心があった訳ではありません。ですから、絵の主題というわけではありません。むしろ、一種の口実のようなものです。私が1970年代から一貫して関心のあったのは、連続性であり、また連続性の遮断や断絶です。それは連続的なパターンやモティーフを通じて表現されるのです」グリッドを用いた初期のシルクスクリーンを想定するならばこの言葉はたやすく理解される。そして今述べた複数性と反復性は同一の画面においては連続性として表出されると考えられないだろうか。一つの画面に連続して反復される単位とそれからの逸脱。このように考える時、私は柴田の初期の写真においても連続性とその遮断という構造が頻繁に現れていたことは重要な意味をもつように思う。柴田が取り上げるのは道端の法面(切取り、盛り土によって形成された人工の斜面)であり、石垣であり、風景の中の堰堤(砂防ダム)であった。罫紙のごとき格子模様とコンクリートで固められて分割された斜面、辰野と柴田がともにグリッドという単位から出発したことは示唆的ではなかろうか。
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 ところでロザリンド・クラウスはよく知られた論文の中でグリッドについて次のように論じている。「近代の全美学的生産の中で、これほど執拗に持ちこたえ、同時に変化を受け付けなかった携帯は、他にはなかったと言って差し支えないだろう。印象的なのは、グリッドの探求に捧げられた生涯の絶対数ばかりではなく、探求というものがこれ以上不毛な地を選択することはできなかっただろうという事実である。モンドリアンの経験が十分明らかにしているように、発展とはまさにグリッドが拒むところのものだ」グリッド構造はそれ自体で自足しており、展開しえない。そしてこのような構造は展覧会という制度にも拮抗するのではないか。展覧会、とりわけ一人の作家の個展において、作家は生涯をかけて作品を展開、発展させるという認識が共有されている。もちろん変化が「発展」とみなされない場合もありうる。しかしその評価はともかく、作品が変化を遂げることは自明であり、それを跡づけることが多くの場合、展覧会の意味であった。一人の作家が青年期の多くの習作を経て、壮年期に独自の表現を樹立し、老境に入るや円熟の域に達する。通常であればこのような理解に基づいて作家の個展は構成されている。そこで重視されるのは習熟、深化、円熟といった作品相互の通時的な文脈である。本展の企画者が二人展という形式を用い、先に述べたとおりあえて時間的な文脈を脱臼させて展示を構成する時、そこには辰野と柴田の作品の構造そのものが反映されているのではなかろうか。記号論的に述べるならば通常の展覧会が作家の時間的「成長」を前提とした連辞論的な構造を前提としているのに対して、「与えられた形象」は相互に交換可能な連合的な関係に基づいた展覧会として成立している。二人展という枠組自体が二人の作家の交換可能性を暗示しているだろう、さらにひるがえって辰野の70年代のシルクスクリーン、モティーフの連続によって特徴づけられる80年代の絵画、より明瞭で識別可能な対象が描かれた2000年代の絵画、これらをたまたまその時期に制作された交換可能なシリーズと考えることはできないか。影響や成熟といった「近代」絵画に密接に結びついた作業仮説に拘束されている限り決してありえない発想であるが、そもそも作家は「成長」、「成熟」しなければならないのであろうか。それに代わって「選択」することはできないか。柴田の作品を
b0138838_10344176.jpg通覧するならばこのような可能性が理解できる。法面、ダム、堰堤あるいは高速道路沿いの夜景、柴田のモティーフが法面から堰堤へと変化したとしてもそれは写真家の成熟を意味しないことは明らかだ。柴田の写真からベルント&ヒラ・ベッヒャーが給水塔を撮影した一連の作品を連想することはたやすい。彼らの作品が暗示するとおり、70年代のコンセプチュアル・アートには明らかに成熟とか完成といった概念を否定する契機が含まれていた。それは端的にモダニズムの否定であり、近代という枠組に束縛された展覧会という制度に対する批判でありえた。
 クリフォード・スティルの絵画に対する共感を語り、抽象表現主義を継承したいと述べる辰野が真正のモダニストであることは明らかだ。二人展という形式をとるにせよ、辰野の代表作をほぼ網羅し、国立新美術館という壮大なホワイトキューブの中で実現された本展は一面では日本のモダニズム絵画の最良の部分を紹介する試みである。その一方で辰野と個人的に親交があり、資質的に多くの共通点をもつ柴田の写真を辰野の絵画の傍らに確信犯的に挿入することによって、この展覧会は辰野の絵画を支えてきた体系そのもの、さらにいえば展覧会という制度そのものの中に軋みを生じさせる。この二人展が優れた作品に出会うことの喜びとともに強い緊張感を見る者に強いる理由はこの点にあるだろう。
 例によって主として展覧会の形式的な側面について論じた。二人の作品、特に辰野の絵画の「展開」について論じたい問題は多いが、展覧会レヴューという本論の枠組を超えてしまう。別の機会に譲りたい。 
by gravity97 | 2012-11-10 10:47 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_21491348.jpg 伊藤計劃と円城塔はほぼ同世代、日本のSFの新世代と嘱望された二人の若手である。ともに2007年に発表した世評の高い二つの作品『虐殺器官』と『Self-Reference ENGINE』を私はいずれも比較的早い時期に読んでいる。しかし9・11以後の泥沼のような世界的内戦状況を言語の問題と絡めてリアルなポリティカル・フィクションとして語る伊藤とSFというよりボルヘスやバーセルミを連想させる優雅なメタ・フィクションを得意とする円城からは作家の資質としてずいぶん異なった印象を受けた。無念なことに伊藤は数作を発表した後、34歳で早世したが、円城はその後も多くの作品を発表し、先般芥川賞を受賞したことは知られているとおりである。同じ世代に属し、ともにハヤカワSFシリーズでデビューした二人に交友があったことは予想されるが、よもや二人が一篇の新作長編を上梓するとは想像していなかった。しかも今記したとおり、伊藤は既に他界しているから、二人が語らいながら一つの作品を構想することはありえない。そもそも先に述べたとおり、二人の作風の間には大きな懸隔があるのではないか。
 いくつもの疑問とともに本書を読み始めた私の不安は直ちに解消された。この小説においては二人の作家の特異な個性がなめらかに融合し、稀代のスチームパンクとして成立しているのだ。正確にはこの小説は伊藤が書き遺したわずか30枚の原稿をプロローグとして、それ以降を円城が書き継いで成立した。完成までに3年以上かかったとのことであるが、さもありなん、伊藤の構想が見事に生かされた圧倒的なエンターテインメントに仕上がっている。
 最初に伊藤が遺したプロローグを簡単に要約しておく。この内容を知ったとしても読書の楽しみが減じることはない。舞台は18世紀のロンドン、ロンドン大学医学部の講義の中で主人公、ジョン・ワトソンは死者の復活実験に立ち会う。この実験が大学で公然と行われていることが暗示するとおり、ここに描かれるもう一つの世界では死者の復活とは科学の一環であり、復活した死者たちは軍隊や鉱山で使役されている。実験にあたって主任教授セワードは特別ゲストとしてアムステルダム大学から死者復活に関する第一人者、ヴァン・ヘルシング教授を学生たちに紹介する。実験をめぐる質疑の中でヘルシングに認められたワトソンはイギリスの諜報機関の一員として、アフガニスタン奥地に築かれているという「死者の王国」の真偽を確認するため中央アジアに派遣されることとなる。ルビを駆使した凝った文体で語られる物語の中にはいくつもの引用が認められる。ワトソンとはいうまでもなくコナン・ドイルが創造した名探偵シャーロック・ホームズの相棒であり、プロローグの内容はホームズが『緋色の研究』において初めてワトソンに会った際に、軍医として彼がアフガニスタンに派遣されていたことをみごとに推理して驚かせたというエピソードと合致している。ヴァン・ヘルシングがブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に登場し、ドラキュラと対決する人物であることはいうまでなかろう。『屍者の帝国』においてはヘルシングもワトソン同様にイギリスの諜報員という役割を与えられ、物語の中で重要な役割を果たす。
 伊藤の小説の円熟を暗示するなんとも魅力的な導入であるが、円城はかかる設定をさらに押し広げ、伊藤同様にペダンティックな文体でその後のワトソンの冒険を書き継いでいる。死者を復活させる技術はともかく、冒頭で歴史的事実を踏まえた現実的な設定の中に文学上の架空の人物を登場させる手法になじんだ読者はアフガニスタンで死者たちの復活を操る黒幕が『カラマーゾフの兄弟』に登場したカラマーゾフ家の三男、アリョーシャであっても、ワトソンとともに死者の王国の謎を解明する仲間の一人が『風と共に去りぬ』に登場する伊達男、レット・バトラーであったとしてももはや驚かないだろう。さらに深読みするならば、第一部においてワトソンがロシアのエージェント、クロソートキン(コーリャ・クロソートキンもまた『カラマーゾフの兄弟』に登場したアリョーシャに心酔する少年であった)らと川を遡ってヒンズークシ山脈の彼方に「神の王国」の探索に出かけるという物語はこのブログで論じたコンラッドの『闇の奥』、さらにはそれを脚色したコッポラの『地獄の黙示録』の再話にほかならない。
 蘇生した死者という主題を扱った小説や映画は数多いが、本書に登場する死者はゾンビではなくフランケンシュタインの物語と深く関わる。したがって本書ではメアリー・シェリーの手によるゴシック・ホラーがしばしば参照され、ヴィクター(フランケンシュタインを創造した科学者)の残した手記が重要な役割を果たす。「ザ・ワン」という名を与えられ、かつて北極に消えたクリーチャー、死体から作られた人造人間は陰の主役として物語の中で次第にその姿を現す。円城は様々の歴史的事実、神秘思想を博捜して、物語に具体的な輪郭を与える。アフガニスタンの奥地で「ザ・ワン」をめぐる秘密を知ったワトソンらは、続く第二部で流出したヴィクターの手記を追って明治期の日本へと向かい、入り乱れるいくつもの秘密結社と暗闘を繰り広げた後、かつてのアメリカ北軍の将軍、後の18代アメリカ大統領グラントとともにリッチモンド号でアメリカに向かう。このブログを書くにあたってグラントの経歴を調べてみたところ、グラントは実際に日本を訪れ、物語の中にあるとおり、浜離宮で明治天皇に謁見している。このあたりの虚実をないまぜにした筆運びはみごとである。第三部で舞台はアメリカに移り、「ザ・ワン」の驚くべき正体が明らかになる。最後に主人公は再びロンドンに戻り、東向きの世界一周の果てに物語は閉じられるのであるが、その詳細についてこれ以上詳しく触れることは控えよう。登場人物が歴史あるいは文学の中に刻まれた固有名をもち、具体的な場所や事件を参照するにもかかわらず、語られる内容は抽象度が高く、理解することは決して容易ではない。『屍者の帝国』は一方では実在あるいは空想上の人物、怪物や死者、神秘思想と秘密結社がロンドンからカイバル峠、東京の浜離宮からプロヴィデンス(このロード・アイランドの地名にラブクラフトの影をうかがってしまうのは私だけだろうか。ラブクラフトにも死体蘇生者をめぐる作品がある)といった様々な土地を舞台に派手な銃撃戦や大立ち回りを演じ、どんでん返しが続く荒唐無稽な物語であるが、その一方できわめて思弁的な問いをめぐる謎解きでもある。それは人の意識を構成するのは何かという問いであり、そもそも死者の蘇生という主題はこの問題と深く関わっている。物語の最終盤でこの問いに一つの答えが与えられる。ここでその詳細には触れないが、読み終えてみると、ここで開陳される思想はまことに伊藤計劃と円城塔のいずれにもふさわしく、あらためて私は二人の共作としてこの傑作が奇跡のように成立した理由を理解できた気がした。
 今述べたとおり、フランケンシュタインあるいは人造人間というモティーフをめぐっては、ゴーレム伝説からラブクラフト、本多猪四郎にいたる脈々たる系譜が存在する。本書は哲学的な難解さを秘め、ストーリー自身もかなり複雑である。私にとってこのような晦渋さは主題を反映し、むしろ好ましく感じられるが、最後に同じテーマを扱った純然たるエンターテインメントを紹介しておこう。比較的最近に翻訳が完結したディーン・クーンツの「フランケンシュタイン」三部作である。現代のニューオリンズを舞台とし、フランケンシュタイン伝説を換骨奪胎したこの三部作ではフランケンシュタインを創造したヴィクターが悪の権化として、人造人間による世界征服を企てる。対するはヴィクターによって創造されながらも正義に目覚めたフランケンシュタイン(作中ではデュカリオンという名を与えられている)とニューオリンズ市警の警察官たち。設定だけで苦笑してしまう安っぽさこそクーンツの身上だ。クーンツには同様にマッド・サイエンティストによる人間改変というテーマを扱った『ミッドナイト』というページターナーもあるが、サスペンスフルな導入、意表をつく展開と映画を連想させる場面の切り替え、玉石混淆の感が強いクーンツの作品の中でもこの三部作、特に開幕の一巻『フランケンシュタイン 野望』は出色といえよう。翻訳の順番の巡り合わせが悪かったためか、80年代に『ファントム』や『ストレンジャーズ』といった傑作が次々に紹介されたにもかかわらず、その後は凡作のオンパレードという印象を払拭する久々のクーンツ節であった。併読されたい。
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by gravity97 | 2012-11-01 21:53 | エンターテインメント | Comments(0)