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神林長平『ぼくらは都市を愛していた』

b0138838_19564482.jpg 神林長平は今や日本を代表するSF作家といってよかろう。私は初期作品の抽象性が好きで80年代中盤にはよく読んだが、しばらく遠ざかっていた。もっとも特に理由があった訳ではなく、SFをあまり読まなかった時期があったこと、その間に神林が一度に固めて読むには多すぎる作品を世に送り出していたことが原因であろう。私はいわゆる火星三部作のうち、『あなたの魂に安らぎあれ』(この小説も間違いなく傑作だ)と『帝王の殻』は読んでいるが、三作目の『膚の下』は読んでいない。タイトルからも推測されるとおり、神林の作品は硬軟二つの系統があるらしいが、私はこのうちハード系の小説しか読んでいない。したがって私は神林のよい読者とは言えず、神林の作品の中で本書の位置づけについて語るべき立場にない。
 最初から弁解めいた言葉を羅列したが、それというのも、今回取り上げる新作はこのようなブランクや無知を顧みずレヴューに値する傑作であるからだ。私の印象では神林の作品では設定の抽象性と物語の具体性が拮抗しており、両者のバランスによってリーダビリティーが左右される。本書はこのバランスが絶妙なのだ。
 未読の読者の興を殺がない程度に物語の背景を説明しておこう。この小説は二人の語り手が交互に語るという手法によって構成される。一方の語り手は日本情報軍機動観測隊中尉の綾田ミウ、もう一人は公安警察官の綾田カイムである。このような構成自体が小説の主題と深く関わっている。名前から明らかなとおり二人は姉弟、正確には二卵性双生児である。このうち綾田ミウの手記には途中まで日付が記されている。20年8月という日付を特定することは難しいが、言及される装備や機器からおそらくは近未来、2020年ではないかと考えられる。そしてこの日付に対する語り手の確信が次第に揺らいでいく過程が物語の主要なプロットをかたちづくっている。通勤電車の描写から始まる綾田カイムの語りが私たちの現実とつながっている印象を与えるのに対して、東京、正しくはトウキョウシェルターと呼ばれる廃墟で索敵活動を続ける綾田ミウの手記は荒廃した異様な世界についての記述が続く。世界が廃墟と化した理由は冒頭で説明される。デジタルデータだけを消去する「情報震」と呼ばれる原因不明の現象が頻発し、情報が失われた世界で人々は相互の不信感を増幅させ、宣戦布告なき戦争を繰り返して文明を破壊したのである。この現象を究明するために、ミウは無人の廃墟と化した東京で部下とともに偵察活動に従事する。「情報震」という発想が秀逸だ。このようなテーマが3・11を契機に着想されたことは想像に難くない。IT社会を生きる私たちは大量のデータの喪失や漏洩といった恐怖に脅えながら暮らしており、実際に災害によってデータが失われる場合もある。私たちの多くにとって今や携帯やPCはデータとのインターフェイスとしてもはやライフラインといってよい。「情報震」と現実の震災はライフラインの壊滅的な破壊という点で共通している。一方、公安警察に勤務するカイムは柾谷綺羅という女性刑事とともに公園で少女が刺殺された事件の捜査に携わる。通常であれば公安警察と無関係であるはずのこの事件は物語全体の蝶番のような役割を果たしている。カイムの世界は私たちが暮らす世界と大きな相違はないから、もし二つの物語が時系列を構成するのであれば、カイムの物語の後に「情報震」が発生し、それ以後を生きるのがミウであることが予想されるが、両者が時間的な先後関係に収斂するかはしばらく判然としない。隔てられた世界からカイムとミウはお互いの存在を意識し、呼びかけ合う。このあたりは村上春樹の『1Q84』を連想させないでもないが、二つの世界がいかに関わっているかはこの小説の根幹であるから、両者の関係についてこれ以上詳しく述べることは控える。
 カイムの語る世界は私たちが暮らす現在と変わりがない。しかし最初に一つだけ異様なギミックが導入される。それは内視鏡カプセルの服用によってカイムの腹部に成長した通信用の人工神経網であり、この処置を施された者は相互に「体感通信」という一種のテレパシー、相互に意識を感受する能力を獲得する。しかし「体感通信」においては伝えたい意味だけを伝えるのではなく、抑圧している無意識や欲望、記憶までも他者に感知されてしまう。しかもこの機能は着脱不可能であるから、自分の意識の中に他者の意識も自由に混入し、しかもそれが誰の意識かわからないという異様な感覚を享受することとなるのだ。このような感覚の比喩として私はタイムライン上に無数のツイートが抗い難く流れ込むツイッターの画面を連想した。ミウの語る世界において「情報震」の後、デジタル通信が途絶している状況を考慮する時、情報の過剰と消失、二つの世界は情報に関して対照的であるといえよう。二つの世界ではいずれも不可思議な事件が続発する。ミウの世界では兵士たちが次々に失踪し、その一人は殺害されたらしい。ミウは自分が書いたはずの戦闘日誌の日付がいつのまにか改変されていることに気づく。いや、何者かによって改変されたのは世界そのものであるかもしれない。銀座のビジネスホテル、フロント係、援助交際をする少女といったいくつかの鍵概念を介して別々であった二つの世界は次第に交錯していく。公安警察に属するカイムが通常の殺人事件を担当した理由はすぐさま明らかになる。「体感通信」は公安部の秘密プロジェクトであり、殺害された少女にもこの機能が備わっていたのだ。「体感通信」を介して流れ込む無数の意識は重層し、カイムは自身が捜査中の殺人事件の加害者であり、柾谷は自分が被害者ではないかという疑念を抱く。
 内容にこれ以上立ち入ることは控えるが、私はこの小説を読んでフィリップ・K・ディックを幾度となく連想した。神林はディックの強い影響の下に出発した。最初に触れた『あなたの魂に安らぎあれ』が人間とアンドロイドの闘争、地下都市と汚染された地表といったモティーフの対比において発表当時未訳であったディックの『最後から二番目の真実』とよく似ていたことはしばしば指摘されてきた。さらに今述べた捜査官と被疑者、捜査官と被害者の一体化の感覚は『暗闇のスキャナー』を再話するかのようではないか。この小説でも様々のガジェット、記憶の改変や現実と夢の混淆といったディック的な主題が頻繁に用いられ、予想が次々に裏切られるサスペンスフルな物語が展開する。ボビィと呼ばれる体内埋込型汎用通信機、「四次元ドア」によってその場所の情報を共有できるSNSサービス、神林はディックのガジェットを今日風に更新し、虚実見定め難い悪夢のような世界を物語る。最後に示される、いや実は最初から暗示されていたテーマが、ディックの長短編に共通する「私とは何か」という思弁的な問いかけであったとしても私たちはもはや驚かないだろう。物語の終盤、この問いにひとつの答えが与えられる局面で私たちの世界観は一新される。50年代のディックのSFが冷戦下での熱核戦争への恐怖と宇宙開発の進展を色濃く反映しているのに対し、神林の小説は「3・11」以後の現実の破局(人のいない都会とは原発事故のメタファーとしても了解可能であろう)とIT技術の高度の進展を背景としているかのようだ。結末もディックの読者にとっては既視感がない訳ではない。意味ありげなタイトルがヒントであるとだけ記しておこう。
by gravity97 | 2012-08-27 19:57 | エンターテインメント | Comments(0)

石牟礼道子 藤原新也『なみだふるはな』

 8月という月のせいであろうか、それとも原子力発電所が再稼働されたことへの無力感のゆえか、このブログも比較的厳しい内容の記事が続く。今回取り上げる石牟礼道子と藤原新也の対談集『なみだふるはな』も何かの片手間に読めるような内容ではない。
 帯に「今語られる水俣と福島」と記された二人の対話には日付がある。すなわち2011年6月13日から15日にかけての三日間、藤原が熊本の石牟礼の自宅を訪れて交わされた会話の記録である。震災の三ヶ月後に、常に社会の弱者を見据えてきた二人が語らうならば、かなり厳しい内容となっても不思議はないが、予想に反して二人の語りはきわめて抑制されている。それは冒頭に収録された藤原新也による写真が水俣と福島に取材しながらも、多く群生する花を写した静謐な内容であることと共振しているかのようだ。猫の話題に始まり、日々の暮らしについて語りながら、時折、水俣や東日本大震災の被災地について生々しい体験が挿入される。例えば被災地で藤原が見たという「鳥山」について語られる。「鳥山」とは通常、小魚が集まった海域の上にカモメなどの海鳥が群れる現象であるが、被災地ではそれが陸上で見られた。藤原によると海鳥は瓦礫の下に埋もれた無数の死体の上に「鳥山」を作っているのだという。しかしおそらく二人にとって死とは忌避されるべきものではない。「印度放浪」における水葬された死体を犬が食べている衝撃的な写真で知られた藤原にとって、死もまた一つの自然の摂理であり、従容と迎え入れるべき出来事にすぎない。一方、水俣の豊かな自然の中で生活してきた石牟礼にとっても死そのものは自然の一部である。藤原は自分が例外的に死体をカメラに収めた状況について「それを撮るのは、人生の流れというか生々流転という世界の生理の中にその死体が置かれているからです。それは死体ではありますが自然の一部なんですね」と説く。藤原は震災直後に被災地に入った時、空気に恐怖感が残っていたと語り、道端に座り込んで東北の頑丈な親父が泣く「むごい状況」について語る。しかし不思議にも藤原の口調は落ち着いており、それは震災を自然の一部と達観しているからであろう。実際の惨状を知る時、いささか冷酷にも感じられようが、本書を通読するならば、このような感慨も理解できる。そのヒントとなるのは、三日目の対談の冒頭で石牟礼が藤原にその日のささやかな饗応について説明する箇所だ。イワシのすり身を入れた豆腐の揚げ物、タマネギとクキワカメの酢味噌和え、椿の油で桜エビとチリメンジャコを炒め、ニンニクとタマネギのみじん切りを加えた混ぜご飯、そして大根に柚子酢をかけた蜜漬けである。書き写すだけで涎の出そうなメニューであり、それぞれの食材に関する石牟礼の語りは、私たちが自然の恵みの中で生きていることをみごとに謳い上げる。このメニューには植物由来の素材が多いが、同じ恵みを動物からも得ている、つまり私たちが動物の死によって生かされていることへの感謝は、続いてきびなごをどのように「おびく」(骨をはずす)かについて石牟礼が懐かしく説明する箇所から理解することができる。自然は与え、そして奪う。震災と津波について語りながらも、二人は死者を哀悼することはあっても、自然を恨むことはない。
 しかし今回の震災にただ諦念によって臨むことは難しい。いうまでもなく原子力発電所の事故が付随したからだ。それゆえ石牟礼と藤原の対談が成立し、ミナマタとフクシマが結びつけられるのだ。以前、このブログでアイリーン・スミスが掲げる「水俣病と原発事故に共通する国、県、御用学者、企業の10の手口」を紹介したが、事故から一年半が経過しようとする現在、両者の相似性は日を追って明らかとなっている。この点を予測して震災から3ヶ月後に対談をセットした編集者の卓見は賞賛に値する。そして石牟礼と藤原はみごとにこれから起きるべき状況を予見している。私の考えではフクシマと比較されるべきはチェルノブイリやハリスバーグではない。チェルノブイリでさえ、政府は子供たちをバスに乗せて強制的に避難させたではないか。無為と隠蔽、差別と犠牲という共通点においてフクシマと結びつけられるのはミナマタであるはずだ。藤原が巻頭に掲げた一文がこの点を明確に伝えている。やや長くなるがほぼ全文を抜き出す。「1950年代を発端とするミナマタ。/そして2011年のフクシマ。/このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。/非人道的な企業管理と運営のはての破局。/その結果、長年に渡って危機にさらされる普通の人々の生活と命。/まるで互いが申し合わせるかのように情報を隠蔽し、さらに国民を危機に陥れようとする政府と企業。/そして、罪なき動物たちの犠牲。/やがて、母なる海の汚染。/歴史は繰り返す、という言葉を鮮明に再現した例は稀有だろう」水俣との関係を論じる時、「罪なき動物たちの犠牲」という言葉は重い。水俣病の場合、まず猫が「猫踊り病」にかかり、次々に狂死した。炭鉱のカナリアならぬ水俣の猫は水俣病の予兆として犠牲になった訳である。これに対して福島はさらに悲惨だ。住民が強制退去させられた地域には多くの畜舎や鶏舎が存在した。飼い主が戻って飼料を与えた例がない訳ではないようであるが、多くの牛や豚、鶏は放置されたまま餓死した。あまりにも状況が悲惨なためであろう、取り残されたペットを引き取るお涙頂戴的なエピソードが時折報道されることを除いて、この問題に関してマスコミは完全に沈黙を守り、私たちに知らせようとしない。私は佐野眞一の一連のルポルタージュの中で、豚舎の中の豚がついには共食いを始めるという地獄について知った。全く何の罪もない動物、さらに言うならば、人間に頼ることなしに生存できない家畜がむごく死んでいく状況は、胎児性水俣病の患者を連想させないだろうか。動物や植物と強く共感し、人の足音を聞いて逃げる貝のざわめきや、日の出に向かって一斉に合掌するタチウオ(本書の中で最も美しいイメージの一つだ)について語る二人にとって、かかる悲惨は母なる自然の所産ではない。飯館村の地面で狂ったように踊る二匹のアリ、あるいは原発近くに自生するフキの異常な大きさや桜の血のような鮮やかさへの言及は、物言わぬ動物や植物をとおして災厄の大きさを推し量ろうとする二人の感覚の鋭敏さを示している。
 二人の会話はこの災厄にどのような意味があるのか、誰が責任を負うべきかという問題にも向かう。石牟礼は杉本栄子という水俣病の患者の言葉を引く。彼女は石牟礼に次のように述べる。「私は全部許すことにしました。チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばっかりおれば苦しゅうしてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのあっとばい。痙攣もくるとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも、人を恨むなといわれて、全部許すことにした。親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽うなった。病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく」。「苦海浄土」のエッセンスのごとき美しい言葉であるが、藤原は原発問題の解決に当たってはこのような奥ゆかしさは無力だと説き、内橋克人からの引用として敦賀市長であった高木孝一という男の演説を引く。私が絶対に使用しない言葉が含まれるが、あえてそのまま引用する。「まあそんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわねえ。(中略)そりゃあもうまったくタナボタ式の町づくりができるんじゃなかろうか、と。そういうことで私はみなさんに(原発を)おすすめしたい。これは信念をもっとる、信念。えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階ではおやりになったほうがよいのではなかろうか。こういうふうに思っております。どうもありがとうございました。(大拍手)」杉本の言葉と並べること自体が許しがたいような暴言であるが、すべての病を背負うという言葉の横に置く時、子孫がどうなろうと今の自分さえよければよいという高木の言葉は原発推進論者のメンタリティーをあからさまに象徴している。
 今、対照的な二つの言葉を引いた。病苦を自ら背負うことを決意した弱者、そして誰が犠牲になろうとも自分さえ金銭的利益を得ればよいという強者。私が気になるのは、この20年ほどの間に後者の声が前者をかき消し、弱者が苦しみを背負うこと、強者が弱者の犠牲の上に利を貪ることを当然とする風潮が強くなってきているように感じられる点である。上に掲げた二つの言葉を対照するならば、いずれが「正しい」かは明らかであろう。しかし実際には私たちの社会では強者や声の大きな者、富める者を是とする価値観が支配的になり、例えば生活保護世帯を批判する政治家とマスコミのキャンペーン、在日朝鮮人への右翼の攻撃、あるいは公務員への異常なバッシングなど、通常であれば大声で語ることをはばかられるような主張が近年公然と唱えられ、このような正義の名を借りた弱者へのいじめを率先するポピュリストが首長として支持を得ているのである。私はこのような強者の論理の横行は政治や社会のみならず文化においても顕著に認められると感じる。今や収益によって展覧会を評価するシステムが時に美術館側から提案され、指定管理度や任期制学芸員といった美術館になじまない制度がほとんど批判されることなく導入されている。社会的優越や収益性、知名度は美術の本質とは全く関係がない。私がこのブログで村上隆や商業主義的な展覧会、雑誌を一貫して批判するのはこの理由による。
 話が飛躍してしまった。本書に戻ろう。長い間、水俣病という業苦とともに生きてきた石牟礼の言葉の端々には一種の現世への達観が見え隠れする。やはり時折発せられる貧しさと紙一重であった前近代へのやみくもの憧憬とともに、私はこの点には違和感を禁じえない。石牟礼は巻頭に「花を奉る」という詩を寄せている。この詩は次のように結ばれる。「現世はいよいよ 地獄とやいわん/虚無とやいわん/ただ滅亡の世せまるを待つのみか/ここにおいて われらなお/地上にひらく一輪の花の力を念じて 合掌す」一輪の花が現世の地獄に拮抗するという思想は美しいが、ここには一種のペシミズム、いやニヒリズムがうかがえないだろうか。同様のニヒリズムは自分たちは滅んでもよい、いや滅ぶべきだと語る藤原にも共通している。しかし水俣には希望も残されていた。二人は水俣病になった漁師(杉本栄子の夫)が語る日の出に向かって合掌するタチウオのエピソードに深い意味を見出す。水俣の海でタチウオは何を祈るのであろうか。藤原は二日目の対話を「この福島の大きな災禍がいかなる年月を経てそのような神話を産むのか、あるいは産まないのか、僕は目の黒いうちはそれを見届けようと思います」と結語する。私は福島の事故について書かれた多くの本を読んできた。それらはほとんど愚行と無能、傲慢と隠蔽の記録であり、怒りと虚脱感しか残らなかった。事故は未だに収束しておらず、あまりにも愚かな政治を前に私たちは絶望を感じる。しかしなおもそこには希望があるのではないか。きわめて文学的な感慨であるが、水俣の経験に鼓舞されるように、被災地に咲いた花に励まされるように、本書を読んで私は初めて一抹の光明を見る思いがした。
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by gravity97 | 2012-08-16 22:18 | 思想・社会 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 120815

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by gravity97 | 2012-08-15 13:23 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

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 私らは侮辱のなかに生きています。いま、まさにその思いを抱いて私らはここに集まっています。私ら十数万人は、このまま侮辱の中に生きていゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかに殺されるのか?
 そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らなければならない。私らは政府のもくろみを打ち倒さねばなりません。それは確実に打ち倒しうるし、私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きていくことができるはずです。そのことを私はいま、みなさんを前にして心から信じます。しっかり、やりつづけましょう。
by gravity97 | 2012-08-09 21:24 | PASSAGE | Comments(0)

『オキナワ 終わらぬ戦争』

 「コレクション 戦争×文学」について評するのは三回目となる。このコレクションに収められたアンソロジーを読むこと自体が三回目であるから、読むたびに書評として応接していることになるが、無理もない。いずれの巻もなおざりに読み飛ばすことができない重い内容だ。この暑い夏に私が手に取ったのは5月に刊行された「オキナワ 終わらぬ戦争」。沖縄を舞台にした小説に関しては国書刊行会による「沖縄文学全集」というアンソロジーが先行しているらしいので、作品の選定自体は比較的容易であったかもしれないが、ほぼ半世紀にわたり、小説や詩、川柳、戯曲にいたる幅広い表現を通じて戦争、差別、暴力といった主題を扱った作品が丹念に集められている。
 全20巻から成るこの叢書はそれぞれ5巻ずつ、「現代編」「近代編」「テーマ編」「地域編」という四つのテーマに分けられている。このうち「地域編」は満州、帝国日本と朝鮮・樺太、帝国日本と台湾・南方、ヒロシマ・ナガサキ、そしてオキナワによって構成されている。前の三者は中国、北方、南方という日本のかつての版図と関わり、後の二つは第二次世界大戦によって日本国内で最も熾烈な被害を受けた土地と関わっている。このうちかつての日本の植民地については今日も検証されるべき多くの問題が残されており、例えば近年、満州や南方諸島が美術作品としていかに表象されてきたかを主題とした興味深い展覧会が次々に開催されたことは記憶に新しい。これらの地域のうち、オキナワの受難の特殊性は「終わらぬ戦争」というサブタイトルが雄弁に語っている。広島、長崎に今日も残存する被爆の問題を別にするならば、満州や朝鮮、南方諸島において第二次世界大戦はひとまず終結した問題だ。しかし沖縄のみ、大戦の爪痕は今も生々しく残されているのだ。すなわち大戦後もアメリカに統治され、日本に返還された後も広大なアメリカ軍の基地が残留し、基地に由来する事故や兵士たちによる市民への暴行が続く。国土のごく一部にすぎない沖縄県に米軍基地の大半が存在し、政権が交代してもその一部を移転すらできないという苦い体験を私たちは味わったばかりである。「ヒロシマ・ナガサキ」の巻末年表は福島第一原子力発電所事故で終わっていたが、琉球処分と関わるいくつかの事件で始まる本書の巻末年表も2011年に集団自決をめぐる裁判で大江健三郎・岩波書店が勝訴したという記事で終わる。私たちはなお戦争の中にいるという思いが強い。
 内容について触れよう。高橋敏夫の解説によると本書は琉球処分をめぐる沖縄の近代を背景とした作品による第一部、沖縄戦とアメリカの軍事支配を描いた作品による第二部、そしてヤマトの作家による沖縄を主題とした小説を集めた第三部から構成されているといえよう。書き手がウチナンチュであるかヤマトンチュであるかによって私は作品の内容が区別できるとは考えないので、このような構成には疑問を感じない訳でもないが、今は措く。興味深い点は、私たちが沖縄と戦争との関係を考える時、すぐに思い浮かべる第二次大戦末期の沖縄戦を直接の主題とした作品は11編の小説中、霜多正次の「虜囚の哭」と田宮虎彦の「夜」というわずか2編であることだ。逆に言うならば沖縄戦に触れずとも沖縄という地域が琉球処分以降、常に戦争と暴力の下にあったことが暗示されている。日本にこれほど長きにわたってかかる苦痛を経験した地域がほかにあるだろうか。実際にいくつかの小説においては戦争と暴力がこの島の歴史を貫通していることが暗示されている。形式的にもこの点をみごとに作品化した桐山襲の『聖なる夜 聖なる穴』については後で詳しく触れる。知念正真の戯曲「人類館」では調教師と沖縄出身の男女一組を主人公として、交錯する支配/被支配の関係が役割のめまぐるしい交代、多様な言語を用いて暗示され、沖縄の人々が生きた長い苦難の時代が示されている。「人類館」は1903年に大阪天王寺で開かれた内国勧業博覧会で「学術人類館」なるパヴィリオンが設置され、「アイヌ」「朝鮮」「琉球」などといった看板の下に現地の人々が「展示」されたという差別事件に想を得たものであろうが、沖縄において戦争と差別が分かちがたく結びついている点も本書は明らかにしている。琉球処分以前は中国と関係が深く、東アジア一円と密接に結びついた沖縄はさらに戦後、大量のアメリカ兵が駐留したことによって、ウチナンチュ、ヤマトンチュ、朝鮮人、ニグロを含むアメリカ人といった多様な人種が時に自らの意図に反して生を営むこととなった。このような社会は重層的な差別構造を生む。本書に収録された作品の大半においてはウチナンチュとヤマトンチュ、つまり沖縄と日本の関係が問われるのに対して、大城立裕の「カクテル・パーティー」と又吉栄喜の「ギンネム屋敷」はともに沖縄に生まれ、芥川賞を受賞した作家の佳作であるが、前者では日本人とアメリカ人、後者では日本人と朝鮮人の間の差別的な葛藤が仮借ない筆致で描かれる。戦争と差別はいわばコインの両面であり、これらの作品において戦争は少なくとも前景化されることはないが、物語の暗い背景を形作っている。
 戦争が暴力機械であるならばその中心に位置するのは誰か。本書は日本において長くタブーとされてきたこの問題に鋭く切り込むだけでなく、同じ暴力機械が戦後も駆動していることを白日のもとにさらす。戦争の中心、それはいうまでもなく天皇制だ。長堂英吉の「海鳴り」、「人類館」、「夜」、あるいは岡部伊都子の「ふたたび『沖縄の道』」、そして灰谷健次郎の「手」といった主題も時代も異なった多くの作品、いや収録されたほとんど全ての作品の中にあたかも不吉な記号であるかのように「テンノウヘイカ」あるいは「天皇陛下」という言葉が刻まれていることを私たちは知る。20巻から構成されたこのコレクションの中でも、天皇裕仁に対する呼びかけは本書が一番多いはずだ。そこには沖縄という美しい島が天皇の名のもとに蹂躙されたことに対する作家たちの激しい怒りがうかがえようし、天皇が敗戦後、アメリカによる琉球諸島の軍事占領を希望したという史実も反映されているだろう。この暴力機械は戦後も軍隊に代わって警察や機動隊を身にまとって、沖縄の地を苛んできた。さすがに裕仁は沖縄の地を踏むことはできなかった。しかしその名代としての皇太子の沖縄訪問が直ちに本書に収録された二つの小説の主題へと転じている点はなんとも暗示的であり、天皇一族に対するこの島の拒否反応の激しさを示している。一つは沖縄出身の目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」であり、もう一つは東京に生まれた桐山襲の「聖なる夜 聖なる穴」である。前者は1983年7月に皇太子夫妻が日本赤十字社の名誉副総裁として那覇で開かれた献血運動推進全国大会出席のため来沖した際に行啓の順路となった街路から物売りが暴力的に排除された事件、そして警察によって厳重な警戒が敷かれる中、少年と老婆によるささやかな反抗を扱っている。ここで描かれる出来事はかつてコペンハーゲンで起きた天皇襲撃を連想させないでもないが、おそらくは作者の創作であろう。これに対して「聖なる夜 聖なる穴」は現実の事件、すなわち1975年7月17日に沖縄海洋博開会式に出席するために来沖した皇太子夫妻が戦跡のひめゆりの塔を訪ねた際に火炎瓶を投げられた事件に向かって収斂していく。しかしほぼ時系列に沿って語られる目取真の短編とは異なり、この中編は説話論的にかなり複雑な構造をとる。この優れた小説は現在、おそらく本書によってしか読むことができないであろうから、ここでは内容にも立ち入りながら若干の分析を加えておきたい。
 この小説では時代を違えたいくつかのストーリーが並行する。しかもそれらは1872年の沖縄処分から1972年の沖縄返還まで一世紀の振幅を伴っているのだ。冒頭と末尾に語られる二つの史実、70年のコザ暴動、そして75年の皇太子へのテロ未遂をはさんで沖縄と日本の歪んだ交渉史が入子構造の複雑な語りの中に語られる。開発の調査に沖縄を訪れたヤマトンチュの技師とコザの娼婦の間の一夜の物語、そして二人のかみあわない睦言の中に登場する一人のテロリストの独白、そして琉球処分直前に沖縄に生まれ、県費留学生として日本に渡り、明治天皇の拝謁の栄に浴しながらも、沖縄に戻るや日本国家の走狗として沖縄の山林を収奪し、最後には狂死するジャハナと呼ばれる男の生涯の物語、さらにテロリストが皇太子を待ち伏せする洞穴の中で幻視する沖縄戦で惨死した娼婦たちの物語。これらの物語を媒介するのは性的な暗喩に富んだ穴としての洞窟、そしてなによりも天皇制であろう。従来の物語は唯一の話者によって私有されてきた。このような語りはあからさまに天皇制の隠喩であったが、この作品においては複数の話者、しかも多く死者の独白が幾重にも重ねられることによって、小説の形式の面でも唯一的なイデオロギーによる束縛を解体し、歴史の私有を拒否するのである。桐山はこの小説の中で詩的言語を自在に駆使しながら、この重い内容をはらんだ小説の主題と形式をみごとに一致させている。
 桐山は連合赤軍や東アジア反日武装戦線といった70年代にあって体制にまつろわぬ者たちを一貫して作品の主題に据えてきた。初期の代表作である「パルチザン伝説」を発表した後、「週刊新潮」の悪質な宣伝によって右翼からの攻撃が始まり、桐山は一時沖縄に避難し、その印象を「亡命地にて」という旅行記風の短編にまとめている。桐山の沖縄への共感はこの際に生じたかもしれない。しかし早世したこともあり、「首都の街路に炎の絶えていく」時期に闘争を続けた者たちへの哀切に満ちた共感をたたえた一連の作品を今日読むことは難しい。桐山の作品はいずれも完成度が高いが、その中でも白眉とも呼ぶべき「聖なる夜 聖なる穴」が今回、このコレクションの一冊に収録されたことは、その内容から考えてもきわめて適切であり、この機会に多くの読者の手に渡ることを望みたい。 
 最後に一言付け加えておきたい。このブログで以前、高橋哲哉の『犠牲のシステム 福島・沖縄』を取り上げた。先ほど私は、これほど長きにわたって苦痛を経験した地域が沖縄のほかにあるだろうかと述べた。この言葉は今日大きな留保が必要だろう。これから福島県に住む人々も沖縄とはまた異なった耐え難い苦痛を経験する可能性が高いからだ。そしてこのような苦痛は原子力発電所が立地する地域であればどこの住民が味わってもなんら不思議はない。しかし政府は次々に原子力発電所を再稼働して、国家のための棄民政策を改めようとはしない。オキナワからヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマ。これらの地域は完全につながっている。琉球処分から一世紀半が経過しようとしている。そこから垣間見えるのは国土が(砲火による/放射能による)焦土と化しても、多くの「国民」が(戦争による/被曝による)犠牲となったとしても天皇や電力利権を死守しようとする日本という国家の本質である。
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by gravity97 | 2012-08-06 20:54 | 日本文学 | Comments(0)