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『9・11 変容する戦争』

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 集英社の「コレクション 戦争と文学」についてレヴューするのは「ヒロシマ・ナガサキ」に続いて二度目となる。今回のテーマは「9・11 変容する戦争」。同時多発テロの日付がタイトルに掲げられているが、収録されている作品のテーマはもう少し広く、具体的には湾岸戦争、自衛隊のイラク派兵、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争から同時多発テロとそれへの報復としてのアフガニスタン空爆、イラク戦争、さらには地下鉄サリン事件や具体的に時期を特定しにくいシエラレオネでの内戦なども含まれている。巻末の年表は「1989年、ソ連、アフガニスタンからの撤退完了」という項目で始まり、「2011年、オバマ大統領がウサマ・ビン・ラディンの殺害を発表」という項目で終わる。年表を一覧してこの20年の歴史もまた「戦争」に血塗られたそれであったことにあらためて暗澹とした思いを抱く。そしてタイトルにあるとおり、この時期、私たちにとって「戦争」の内実は著しく変容した。収録された作品中、私にとって既知の作品は平野啓一郎の短編と、チェルフィッチュの公演として見た「三月の5日間」のみであった。しかし私は本書を通読して、日本が直接の当事者でないこれらの現代史の暗部、無数の暴力、虐待や虐殺に対しても多くの文学者が誠実に応接し、日本語による表現として多くの注目すべき作品を生み出していたことに勇気づけられる思いがした。
 収録されている作品は多いため、小説の中から特に印象に残った作品について記すこととする。冒頭のリービ英雄の「千々にくだけて」は作家の分身とも呼ぶべき日本に定住するアメリカ人青年がバンクーバー乗り継ぎでニューヨークの母のもとに向かう機内で同時多発テロの知らせを受ける場面で始まる。アメリカ人青年エドワードはバンクーバーのモーテルで長い待機を強いられる。モーテルのTVを介して映し出されるWTCの倒壊の模様、虚脱する人々、「悪を行う者は必ず罰せられる」と叫ぶ大統領、テロに直接に立ち会っていないがゆえにいわば傍観者として体験する9・11以後の寒々とした光景が、日本に住むアメリカ人青年という屈折した存在をとおして描かれる。小説の中に「見て、百十階の窓からOLが飛び下りている」という言葉がある。「見て」という言葉が暗示するとおり、惨事は目撃されるが、自らの身体を通して体験されることがない。戦争がTVの画面を介した別世界の事件のように感じられ始めたのは私の記憶では91年の湾岸戦争以来であり、WTCへの攻撃はそのスペクタクル性においてまさに映画の中の出来事のようであった。このような距離感、非現実感は本書に収められた多くの作品の通奏低音をかたちづくっている。「千々にくだけて」において何も声高に叫ばれることはない。しかしそれゆえさらに深く人々の無力感が行間ににじむ。タイトルは芭蕉の句からの引用である。「島々や、千々にくだけて、夏の海」、broken into thousands of pieces という一句は強い喚起力を備えている。砕けたのはWTCや航空機だけではないはずだ。
同時多発テロの「被害者」であるアメリカが中近東で引き起こした戦争と関わる一連の作品もそれぞれ味わいが深い。米原万里の「バグダットの靴磨き」はアメリカによって占領されたイラクにおける民間人の受難を描く。私はこの小説をガッサーン・カナファーニーの「ラムレの証言」と重ね合わさずにはいられない。テヘランに生まれたシリン・ネザマフィが日本語で書いた「サラム」は入国管理局に難民申請を行いながらも受理されないアフガニスタン難民の女性の通訳として弁護士たちとともに救援活動に携わる学生の視点で語られる。最初は割のよいアルバイトといった意識で始めた通訳の仕事を介して、語り手はレイラという難民女性をめぐる悲劇、明らかにアメリカの爆撃に起因する内戦によって強いられた彼の地の人々の流亡について思いをめぐらすこととなる。弁護士たちの活動も空しく強制送還されることとなったレイラの前で、語り手は自らの位置がどこにあるのかを自問する。同じ主題は岡田利規の「三月の5日間」にも認められる。私はチェルフィッチュの演劇をとおしてこの戯曲を知った。岡田もここで当事者でないことをどのように生きるかという問いを突きつける。知られているとおり、この戯曲は2003年3月、アメリカによるイラクへの空爆が始まった日に知り合った男女が渋谷のラブホテルで5日間にわたって連泊するという物語である。実際の上演に立ち会った際には俳優たちの独特の身振りや語り口に圧倒されてしまったが、この戯曲は当事者でないことの居心地の悪さを主題としている。空爆によってイラクで罪のない人々が殺されている同じ時間に自分たちは渋谷で無為の時間を送っている。登場人物たちは、まもなくイラクではアメリカによる空爆が始まることを自覚し、おそらくは自分たちがホテルを出る時には戦争が終わっているのではないかと予想さえする。遠い地で戦争が続く間、自分たちはライヴハウスで知り合った相手と行きずりのセックスを重ねる。登場人物の会話の端々、劇中のいたるところに突出する異和感や不全感はチェルフィッチュの公演の中でぎくしゃくとした身振りや唐突な場面転換によってさらに増幅された。しかしこのような感情はTV越しに戦争を体験していた私たちにとって決して覚えのないものではないだろう。
本書に収録された作品の中で私が最も鮮烈な印象を受けたのは楠見朋彦という私にとって未知の若い書き手の「零歳の詩人」という小説であった。この中編はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争という、日本人にとって湾岸戦争やイラク戦争以上に知ることの少ない内戦を主題としている。この内戦がいかに凄惨なものであったかは情報としていったが、楠見は全く仮借のない筆致でこの地獄を描写する。主人公がアキラと呼ばれる日本人であることは読み始めるとまもなくわかる。アキラは〈トラヴィ〉、〈眼鏡〉、〈お喋り〉といったニックネームで呼び合う仲間たちと銃撃戦の続く戦闘地帯の防空壕に潜んでいる。アキラたちは時に戦争孤児を街から救い出し、共同生活を送っている。しかし戦争は次第に彼らのうえに残酷な影を落とす。楠見はアキラとは別に随所に非人称の視点を持ち込んで、この内戦が人間性を全く欠いた悪夢のような殺し合いであることを報告する。残忍きわまりない殺害方法、生きている人間、死体の区別なく身体を損壊する行為が繰り返される。捕虜や民間人に対する無意味な拷問や強姦、幼児や妊婦、老人に対する目をそむけたくなるような蛮行。これでもかとばかりに記述される身体の毀損についての言及は、ほかの小説にみられた傍観者然とした表現の対極にあり、読むうちに痛みさえ覚える。この作品は近年私が読んだ小説の中でも最も凄惨な内容である。しかし塚本邦雄に師事し、歌集も著しているという楠見の文体は独特の透明感と対象との距離感があり、残酷な内容にもかかわらず、最後まで一気に読ませる。この「戦争」の特性はもはや誰が敵なのか、なぜ殺しあうのかが全く理解できない点にある。蛮行を加える者たちは「兵士」と名指しされるだけで、それがセルビア人であるか、ボスニア人であるかは問われることがない。この内戦は現実でありながら現実感がない。読者は直ちに一つの疑問を抱くであろう。なぜこのような凄絶な戦場に日本人である主人公がいるのか。この問い自体は明確に答えられることはない。しかし回想の中でアキラはごく短く自分の過去について触れる。日本においてアキラの家庭は破綻していた。「あいつらは家族なんかではない。僕は家族である仲間であるみんなと、いつまでもここに居て戦争が終わるのを待ち、もう日本に帰ることはないだろう。なぜってこの地下壕には僕がいままで知らず、知らないながら求めていた本来の家族があるように感じるからだ」このような殺し合いの状況さえも、現代の日本より幸福であると述べるアキラ。このパッセージを読んで私は唐突に理解した。なぜ私たちは現在の日本が平和であると考えるのか。現在の日本、それは90年代の旧ユーゴスラビアと同様に苛烈な戦場ではないか。確かに私たちは武器を手に取って互いに殺し合うことはない。しかし生きることの息苦しさは近年ますます強まり、毎年多くの者が自殺し、一度失敗すると人は社会から自動的に排除されてしまう。このような生き辛さはいつの時代にも存在し、それゆえ多くの文学の主題となってきたのではないかという反問がなされるかもしれない。しかし私の経験に即すならば、弱者を切り捨て、強者の論理によって支配される傾向が強まったこの20年ほどの(いうまでもなくこの作品集が対象とする時代である)日本はそれまでの日本とは全く異質であり、戦争状態といっても差し支えはない。駅の構内で地下鉄サリン事件の犠牲者たちの傍らを脇目もふらず会社に向かう会社員たち、弱者を執拗にいじめ、誰も見ぬふりをする学校社会、辺見庸が、重松清がここに収録された作品の中で描写する戦地ではなく日本の情景は例えば遠藤周作や野間宏が戦争や軍隊を描いた小説と本質的に異なることはない。そして3-11以後、私たちは現実においても一つ間違えば殺されてしまうかもしれない戦場の中にいるかのような切実さとともに生きていないだろうか。実際に再び大きな震災が起きれば、「修理中」の原子炉が致命的なダメージを受け、東日本が壊滅し、全国に戒厳令が敷かれるというシナリオは決してありえないことではない。
本書の解説で高橋敏夫はアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『マルチチュード』を引きながら、今日の戦争の特質を次の四点に要約している。すなわち第一に戦争は国家の間で争われるのではなく、〈帝国〉内の内戦または警察的行動として実現される。第二にドマス・ホッブスが『リヴァイアサン』の中で描写した「戦争状態」として実現され、始まりも終わりもない。第三に場所に関しても限定されることはない。第四に戦争はもはや社会の例外状態ではなく、永続的かつ全般的、日常的な戦争状態として実現される。この指摘は本書で扱われている小説の主題をうまく説明しているが、警察的行動をとおして掣肘される、終わりなき戦争状態とはまさに3・11以後の私たちの日常を指し示すかのようである。本書の帯には「画面のすぐ向こうの戦火 文学はどう対峙したか?」という惹句がある。しかし原子力災害以後を生きる私たちにとって、戦火は画面の向こうではない。私たちとともにあるのだ。

by gravity97 | 2012-04-24 21:32 | 日本文学 | Comments(0)

やなぎみわ「1924 人間機械」

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 やなぎみわの演劇プロジェクト三部作の掉尾を飾る「1924 人間機械」が京都国立近代美術館で上演された。幕開けとなる「1924 Tokyo-Berlin」を同じ会場で見たのが去年の夏であったと記憶しているから、一年も経たないうちにきわめて密度の濃い三つの公演が連続して開かれたこととなる。このような切迫感を関東大震災後に綺羅星のごとく活躍した土方与志や村山知義の上に重ねたとしても決して的外れではないだろう。今回も前二作と同様にレヴューしておきたい。今後、ほかの都市での公演も予定されているが、ここでは内容にもかなり立ち入って論じる。
 最初に上演の前提について触れておこう。「1924 人間機械」は今年初めに葉山の神奈川県立近代美術館で立ち上がり、現在、京都国立近代美術館に巡回中の「村山知義の宇宙」展と深い関係がある。。b0138838_2142224.jpg前にも記したとおり、この三部作はこの展覧会と昨年、各地を巡回した「モホイ=ナジ/イン・モーション」展がともに京都国立近代美術館を会場としたことから構想され、神奈川芸術劇場で上演された「1924 海戦」を中にはさむ形で、ともに京都国立近代美術館という演劇にとってはイレギュラーな施設で演じられている。いうまでもなく演劇の内容が同じ時期に開催中の展覧会と密接に関わっているためであり、「1924 Tokyo-Berlin」ではベルリンのモホイ=ナジが電話を介して、築地小劇場の設立に向かって奮闘する土方与志に語りかけ、「1924 人間機械」ではおかっぱ頭の村山知義自身が主人公として登場する。三部作を時間的に整理するならば、築地小劇場の開設直後、「海戦」を見て興奮した村山が土方のもとを訪れる場面で始まる「1924 Tokyo-Berlin」は1924年の後半の物語であり、「海戦」の舞台稽古のシーンで幕を開ける「1924 海戦」は同じ年の前半、(築地小劇場が「海戦」でこけら落としするのは24年6月13日のことだ)そして「1924 人間機械」も演じられる内容からおそらくは1925年前後を想定した内容と考えられる。ちなみに「人間機械」とは村山が春陽堂から1926年に刊行した著作の名でもある。したがって時間的には若干の錯綜も認められるとはいえ、三つの劇の内容が一年ほどの比較的短い期間を扱っており、さらに演劇自体も一年にも満たない短い期間に実際に上演されていること、いわば物語られる時間と、物語る時間がほぼ一致している点をまず指摘しておこう。やなぎの演劇と村山の展覧会は独立しており、展覧会を見ずとも楽しむことはできるが、この意味でも事前に展示を一巡し、時代背景を頭に入れておけば内容に関する理解は一段と深まる。
 会場とされた美術館一階のロビー部分はこれまでも展示や上映会に使用されたことがあるが、細長く、使いにくい空間である。長方形の長辺の部分に壁に面して客席を設え、ガラス窓越しに疎水を見通す、あまり引きのない空間が上演会場とされた。「1924 Tokyo-Berlin」が「モホイ=ナジ/イン・モーション」展開催中の、来場者でにぎわう美術館内で上演されたのに対して、展示終了後に開始される今回の公演では一般来場者への配慮は必要とされないが、今回も観客は入場の際にワイヤレスのイヤホンを渡され、装着することを求められる。閉鎖的な空間の中で上演された前二作に対して、今回は開放的であるがゆえに空間的な細工が難しい。舞台装置もきわめてシンプルで、二脚の椅子と村山がベルリンから帰朝する際に蔵書や作品を入れて運んだと説明される大きさの異なるいくつもの木箱、そして時折文字や映像が投影されるスクリーンが疏水の風景を遮るかたちで設置されているのみである。舞台に向かって右端にピアノが一台置かれ、ピアニストがベートーヴェンの[ト調のメヌエット]を奏でる情景より演劇は始まる。むろんこの選曲には意味がある。1925年5月、村山は「劇場の三科」でこの曲の伴奏によってダンスを踊るパフォーマンスを繰り広げた。前二作同様、やなぎ、そして脚本のあごうさとしはこの作品の上演にあたって当時の資料や村山の著作を徹底的に読み込んで、作品のディテイルを決定している。左端から登場した村山は独特の扮装でダンスを繰り返す。二脚の椅子にはこの公演でもはやおなじみになった水色の制服姿の案内嬢が座り、時に肉声で時にイヤホンを介して観客に語りかける。これまでの二作が歴史的事実を踏まえ、それを劇化したという点でリアリズムを基調としていたのに対して、「人間機械」は概念的で物語性に乏しい。案内嬢のナレーションや字幕として表示される映像を介して、「意識的構成主義」をはじめとする村山の思想や言葉、ダダイスムの精神などが次々に開陳される。「Tokyo-Berlin」では村山と土方与志の二人、「海戦」では土方と小山内薫が主たる登場人物であったが、「人間機械」は村山一人が狂言回しの案内嬢たちと掛け合いを行う。前二作では築地小劇場の開設前後の物語が語られた。「人間機械」もほぼ同じ時期、1925年の銀座松坂屋と築地小劇場で開かれた「三科」および「劇場の三科」の公演を歴史的背景としている。実際に劇中では松坂屋の紙袋が小道具として用いられ、[ト調のメヌエット]が何度も演奏される。知られているとおり、村山は舞台美術や舞踏にも深く関わり、おかっぱ頭でダンスを踊った。展覧会の会場でこのような事情に親しんだ私たちにとって、村山を主人公にした演劇で、かくも生々しく俳優の身体が現前する意味を理解することはたやすい。(もっとも展覧会をめぐるならば、私たちは村山の仕事の驚くべき広がりに圧倒されるのであるが)
物語性やスペクタクルを排した舞台の上では俳優の身体が強調される一方で、村山以外は匿名化されている。青い制服に身を包んだ案内嬢たちはこれまで同様に個性をもたず交換可能だ。様々な媒体を介して再生される声は錯綜し、台詞自体も発話者を特定することが難しい。発話を多声化するイヤホンは明らかにこの目的のために導入されている。前二作において匿名性は案内嬢や水兵といった職能と関わっていたが、「人間機械」では性別さえも交換可能となる。村山の特徴的なおかっぱ頭は案内嬢たちにも共有されており、さらに劇の中盤で案内嬢の一人がマスクを外すと、女性ではなく男性が演じていたことが判明する。展覧会に展示されていた記録写真の中で村山がまとっていたチュニック風の衣装、長髪に裸足という風体は女性性を暗示しており、時にタイツやハイヒールを着用したというエピソードからは作家自身も性を越境しようとしていたことが暗示されている。トランスジェンダー、あるいはトランスヴェスティズム(服装倒錯)への村山の関心を考慮するならば、このような演出は奇を衒ったのではなく、作家の創造の本質と深く関わっていることが理解されよう。
さて、「人間機械」という言葉、そして1920年代、ドイツといったキーワードから直ちに連想されるのはフリッツ・ラングが1927年に制作した映画「メトロポリス」だ。私は1984年のジョルジョ・モロダー版で見た。劇中でも案内嬢たちが人造人間を制作する映像が映写される。「Tokyo-Berlin」における「電話絵画」の大量生産に従事する案内嬢たちの姿も連想されようし、増殖した無数の案内嬢が展覧会場を闊歩する映像はラングのフィルムからの直接的な引用が認められる。これらのイメージから連想される単純労働、大量生産、階級闘争といった主題が「メトロポリス」と共通することは偶然ではない。そして同様の主題は「1924 海戦」の物語の背景をかたちづくっていた。劇中に登場する「人間機械」とは人体の様々の部位が接合されたグロテスクなイメージであり、実際には案内嬢たちが穴からばらばらに手足を突き出した木箱の集積として提示される。展覧会を参照する時、このイメージの原型を推定することはたやすい。おそらくは『マヴォ』の3号に掲載された住谷磐根、高見澤路直らの半裸で逆立ちしたダンスの有名な写真から着想されたのではなかろうか。b0138838_2145018.jpg「Tokyo-Berlin」同様に展覧会と演劇は相互に反射を繰り返し、展示されていた作品に演劇をとおして新しい解釈が与えられる。
劇の終盤、自らが故障したことを告げながら「人間機械=案内嬢」は、窓ガラスを遮っていたロールカーテンを次々に跳ね上げていく。このカーテンはそれまでスクリーンとして映像が投じられていたから、カーテンの消滅は虚構/演劇から現実へと場が転換したことを暗示しているだろう。ロールカーテンの向こう、ガラスの外にはちょうど満開を迎えた桜が咲き誇っている。この趣向から私は京都芸術センターにおけるやなぎの茶会を連想した。虚構と現実との境界の確定もしくは移行は寺山修司によって徹底的に探求された主題であり、「Tokyo-Berlin」においても観客たちは現実(展覧会場)から虚構(劇場)へ、案内嬢の見世物小屋風の口上とともに呼び込まれた。今回は逆に虚構から現実へと情景が反転する。この反転を受けて最後にやなぎらしい企みが用意されている。案内嬢の指示に従って、観客はロビーの横から美術館のバックヤード、搬入口へと誘導される。観客は移動することによって自分たちが美術館という現実の空間に位置することをあらためて意識する。最初、搬入口のシャッターの方向へと観客の注意を逸らした後、案内嬢はおもむろに反対側の作品搬送用の巨大なエレベーターを指し示す。いうまでもなかろう。エレベーターガールはやなぎの初期作品のモティーフであり、「1924 海戦」においても日本で最初にエレベーターが設置された浅草凌雲閣からはるか宇宙まで上昇していくエレベーターのエピソードが語られた。巨大なエレベーターの扉が開くと、中にはエレベーターガールたちと木枠の中に梱包された村山の姿がある。エレベーターガールは村山を作品として収蔵し、これから地下の収蔵庫へ向かうことを宣言し、扉が閉じられて演劇は終わる。なんとも意表をつく仕掛けであるが、やなぎの作品、「1924」三部作、そして村山の展覧会を見た私たちは快い驚きとともにこの場面に立ち会う。村山のアクションを作品として収蔵するという結末は演劇と美術の奇跡的な結合とも呼ぶべきこの三部作の幕切れにまことにふさわしい。あるいはそこに身体的、行為的な表現さえも作品として収蔵しようとするポスト・メディウム時代の美術館の欲望をうかがうこともできるかもしれない。やなぎの三部作はこれまで演劇の側から言及されることが多かったが、美術館や展覧会という制度に対しても画期的な意味をもつだろう。つまり映像が残されていないため再現困難な村山のパフォーマンスに関して、「1924 人間機械」は演劇をとおした再現の試みとして展覧会を補完する役割を果たしうるのである。今回の展覧会に失われた作品が当時の図録等をもとに原寸に拡大した写真図版として多数出品されていたことはこの意味においても暗示的である。かかる試みの先例として私が連想するのはかつてこのブログでも取り上げたマリーナ・アブラモヴィッチが2005年にグッゲンハイム美術館で開いた一連の歴史的パフォーマンスの再演である。ここでは過去のパフォーマンスを映像や写真で再現するのではなく、作家の身体をとおして新たな解釈とともに再演することが試みられていた。これに関連して、先ほどやなぎの公演と同時期にニューヨークの近代美術館で開催され、演目に[The Man Machine]と[Metropolis]を含むクラフトワークのライヴについても触れたいところであるが、別の機会に論じよう。
限定された人数とはいえ、通常は外部の人間を入れないバックヤードに観客を受け入れる判断は、国立の施設でありながらもリベラルな気風の強い京都国立近代美術館でなければありえないだろうし、作家と美術館の信頼関係が反映されている。もっともこのようなエンディングは建築の構造と密接に関わっており、今後の公演でどのように展開されるか楽しみなところである。
これで三部作が完結した。繰り返しとなるが、これほど短期間に形式も内容も全く異なる三つの舞台を高い完成度とともに実現したやなぎの力量にあらためて感服するとともに、二つの震災が時を隔てて優れた才能の開花を触発したのではないかと感じる。先に私は津上みゆきの作品に触れて、美術という営みが震災に拮抗しうる力をもちうることを確認した。やなぎの作品もまた、かくも苛酷な時代にあって美術/演劇が私たちにとって一つの救いであり、導き手であることを雄弁に語っている。この一年、私たちを取り巻く状況にかくも真摯に対峙した表現がほかにあっただろうか。「勝者」によるくだらないチャリティーや砂漠の国でのサクセス・ストーリーに私は心底うんざりしている。美大生を動員した「人間機械」による製品ではない。確固とした個としての作家が、俳優と、演出家と、多くの関係者と協同した奇跡のような作品の発表に三度にわたって立ち会えたことを私もまた誇りに思う。

by gravity97 | 2012-04-19 21:12 | 演劇 | Comments(0)

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』

b0138838_2118126.jpg 今回の原子力災害をめぐる出版物は数多く、私も書架の一つが埋め尽くされるほどの本を読んだ。本書もまたコンパクトながらいくつもの思考を誘発する刺激的な内容である。著書の高橋哲哉自身が福島出身であり、高橋が震災後直ちに本書を構想した理由は容易に推察される。タイトルとされている「犠牲」という概念は高橋の研究の中心的な課題であるらしい。高橋哲哉に関して、私は歴史修正主義に対する批判をいくつか読んだ程度であるため、この概念がいかにしてもたらされたか詳しくは知らないが、今回の原発事故を考えるにあたって説得的な出発点である。
 最初に高橋はこの事故に対する自分の位置を定めようとする。福島、それも浜通りの出身である高橋は原子力災害によって故郷を奪われた被害者であるかもしれず、(東京も放射能汚染の被害を受けつつある点においては措くとして)福島で生産された電力を東京で消費する者として一面では加害者かもしれず、さらに大学入学とともに故郷を離れた人間としての罪責感も負っている。いくつもの立場を兼ねているのは高橋だけではない。原発によって作られた電力によって受益しながら原発事故によって受苦する(「受苦」という概念を私はこのブログでも取り上げた開沼の研究で知った)のは私たちすべてであろう。しかしそれにもかかわらず、いやそれゆえに高橋は事故の責任の所在を問題としているように感じられる。むろんそれは単に刑事責任の追求や処罰を求めてのそれとは異なる。日本を呪縛する犠牲というシステムが不可避的に宿す無責任の体系を根底的に批判するためである。それでは犠牲というシステムとは何か。高橋自身が約言している。「犠牲のシステムでは或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望など)を犠牲にして生みだされ、犠牲にするもの利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生みだされないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」原子力災害を経験した私たちにとってこのようなシステムを理解することは比較的たやすい。「犠牲のシステム」において犠牲とされる集団を階級や民族ではなく、地域として限定した点に本書の独自性があるだろう。すなわち福島と沖縄であり、たまたま事故を起こした原子力発電所が立地していたため、本書では福島の名が与えられたが、前者が潜在的に東北地方を含意していることは下北半島、六ヶ所村に使用済み核燃料の再処理工場が存在することを想起する時、明らかであろう。震災から一カ月後、現地のルポとして発表された本書のレジュメとも呼ぶべき一文を巻頭に置いた後、第二章において高橋は原子力発電所における「犠牲のシステム」を四つの「犠牲にされるもの」に分類して分析する。最初はいうまでもなく今回の原発事故の当時者としての福島であり、高橋は被曝という具体的な被害、風評による被害、差別される人としての、そして土地としての被害といったいくつものレヴェルにおける「犠牲」について論じる。続いて今回の事故とは無関係に日常的な被曝を受けてきた原発労働者たちである。この点についても以前から幾度となく指摘されてきた点であるが、福島以後、状況はさらに複雑化している。つまり実際に高線量下で事故処理にあたる東京電力の社員と作業員は多くが福島出身であり、今後、事故によって失職した福島の人々がやむなく事故処理に従事することは大いにありうる。つまり第一の「犠牲」と第二の「犠牲」は重複する可能性が高い。第三の「犠牲」とは核燃料の原料となるウラン鉱の採掘にあたる人々であり、多く海外の先住民がこれにあたっているという事実はこれまで高橋が検証した「犠牲のシステム」とも符合している。ただしこの問題は本書では深く論じられることがない。第四の「犠牲」は原発が存在する限り、恒常的に存在する問題としての放射性廃棄物の処分地である。先日、私はマイケル・マドセン「100000年後の安全」というドキュメンタリーを見て、あらためて原子力発電と人類は共存できないという思いを強くした。先に六ヶ所村について触れたが、事故が発生すれば日本はおろか世界が壊滅するような施設は本質的に原子力発電所と変わるところがないことは明らかだ。高橋も述べるとおり、これらの「犠牲のシステム」は単に誰かが誰かを虐げているといった単純な問題ではなく、それなくしてはシステム自体が立ち行かない点に特徴がある。つまり原子力発電は「犠牲のシステム」を構造化しているのだ。
 高橋が挙げる四つの「犠牲」に私はさらに二つの「犠牲」を加えたいと考える。一つは後続する世代の「犠牲」である。処分地をめぐる「犠牲」が空間的な問題であるのに対し、原子力発電所は時間的にも私たちより若い世代に深刻な負担を強いる。時間的な遅延を伴うため、このような「犠牲」は認識されにくい。しかし私たちが電力を享受するために(或る者たちの利益)、放射能廃棄物の処理を後続する世代に押しつけるとするならば、それは他の者たちの安全を犠牲としてかろうじて成り立つシステムであることは明白である。世代間における「犠牲のシステム」は環境汚染や地球温暖化といった問題をとおして先例がない訳ではない。しかしかくも苛酷な「犠牲」を強いるシステムはほかに存在しないであろうし、おそらく数年のうちに私たちはその予兆を知るだろう。それがもう一つの「犠牲」、つまり胎児や年少者が犠牲となる後発性の放射能障害である。これも先日、私は「チェルノブイリ・ハート」というドキュメンタリーを見た。原発事故後、ベラルーシ共和国で発生した多くの放射能障害、先天性障害を記録したこのドキュメンタリーについては機会があればあらためて論じたいが、特徴的なのは障害が幼児から高校生くらいの世代に集中的に発現する点である。放射能による障害が年若い世代を直撃することを私は既に小出裕章らの著書から知っていたが、このドキュメンタリーはその事実を冷酷なまでに明らかにしていた。これら二つの「犠牲」を加えることによって私たちは原子力発電所という「犠牲のシステム」の特性を認めることができる。まずそれは端的に、弱者を選択的に標的とする。東京に対する東北、日本に対するアジア(モンゴルに原発の廃棄物の最終処理地を建設しようとした計画を想起するがよい)そして成人に対する乳児や幼児。さらにそれは私たちから離れた、不可視の存在を標的とする。六ヶ所村やモンゴルといった遠隔地、あるいは私たちがその顔を見ることもない未来の世代。犠牲とされる対象を不可視化することによって私たちはこのシステムの非人間性から目を逸らされる。厚生労働省でも文部科学省でもよい。国の責任として当然開始すべきき福島の子供たちの放射能障害に関する網羅的な疫学的調査が全くなされないことも同じ理由によっている。犠牲のシステムは統計として可視化されてはならないのだ。
 高橋によれば「犠牲のシステム」は通常、隠蔽されるか、美化、正当化される。次に高橋はこのような機制を災害に対してしばしば用いられる天罰論ないしその裏返しとしての天恵論に即して分析する。東日本大震災に際しても石原某が「この津波は日本人の我欲を洗い落とすための天罰」と述べたことはよく知られている。かかる発想が関東大震災以来、様々な論者に寄って繰り返されてきたことを高橋は丹念に検証して、天罰論、天恵論のいずれもが「犠牲のシステム」の隠蔽に寄与したことを論じる。このような言説は原子力災害の責任をあいまいにして、ゆえなき受苦を正当化、美化する。高橋の分析を読み進めて私はこのような発想が関東大震災以来、様々の思想家や宗教家に通底して認められること、それなりに尊敬に値する仕事や著述を残した人たちも同様の発言をしていることにあらためて驚いた。「犠牲のシステム」はかくも固く私たちを拘束し、内面化されているのである。そしてこの問題を考えるうえで重要な先例を高橋は沖縄にみる。第二次大戦中は苛酷な戦場であり、戦後はアメリカ軍の基地という厄介な施設を抱え込むことを強いられた沖縄もまた「犠牲のシステム」が不可視化された場であった。高橋は沖縄戦とアメリカによる占領に関して昭和天皇の責任を史料に基づいて指摘し、現在もなお沖縄の受苦によって日本の同盟体制が維持されている点を検証する。責任を明確にして、不可視化されている構造を明るみに出すことが「犠牲のシステム」を批判する第一歩であるからだ。そして高橋のごとき研究者さえも沖縄が「犠牲のシステム」であることに原発事故を介して想到したという事実は、私たちが沖縄に対していかに鈍感であるかを暗示しているだろう。
 4年前にこのブログを書き始めた時、私は文学や美術、映像や音楽といった話題をめぐる基本的に快い体験に言葉を与えていくつもりであった。しかし3・11以後、このような体験を純粋に味わうことが難しくなったような気がする。今や私たちは何を読んでも、何を見ても放射能汚染という現実と無関係にそれらを享受することができない。ずいぶん昔に読んだ原子力発電を批判する論集に『われら、チェルノブイリの虜囚』というタイトルが掲げられていたことを想起する。今や私たちはフクシマの虜囚となってしまった。しかしいかに苛酷であっても、私たちはフクシマについて考え続けなければならない。なぜならそれは端的に私たちの生存に関わっているからだ。

by gravity97 | 2012-04-10 21:19 | 思想・社会 | Comments(0)

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空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白い花が咲、昼でも夜でもその周辺にくると白の色とにおいに人を染めた。その木の横にとめたダンプカーに、秋幸は一人、倉庫の中から、人夫たちが来ても手をわずらわせることのないよう道具を積み込んだ。

by gravity97 | 2012-04-07 23:14 | PASSAGE | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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