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 東京で足早にいくつかの展覧会を見て回る。春にはまだ早いが展覧会は充実している。既に名古屋で見たジャクソン・ポロックの回顧展が東京近美に巡回し、東京都現代美術館の展示も素晴らしい。私は田中敦子の個展を見るために出かけ、実際にこの世界巡回展はよく組織されていて多くの発見があったが、同時に開催されている靉嘔の回顧展も東京都美術館時代から日本の戦後美術を丹念に検証してきたこの美術館らしい力作の展覧会である。さらに常設展示に驚く。実験工房と福島秀子に焦点をあてた特集展示は、なるほど大半がコレクションによって組み立てられているが、一つの独立した展覧会として十分に堪能できる質と量である。カタログが残らないこと、常設であるため広く周知されないことが残念である。この美術館では最近あまり感心する展覧会に出会ったことがなかったのだが、この常設展示は現代美術を展覧会として検証するという、美術館にとって当然であるにも関わらず最近実践されることのまれな仕事であり、それを可能とした学芸員の高い志を感じた。この三つの展覧会は一日かけて巡るに値しよう。同じ意識を共有し、評判の高かった府中市美術館の石子順造の展覧会が終了していたことは残念であった。上野ではVOCA展が開かれている上野の森美術館のギャラリーで「遮るものもないことについて」と題された東島毅の個展が開催されている。これも期待に違わぬ圧倒的な大作が出品され、今日の絵画の最高の水準を知るうえでよい機会となっている。VOCAとの落差も面白い。これらの展示はいずれを取り上げてもこのブログで相応の紙幅を費やして論じるに足る内容であるが、今回、私が選んだ展示は、これらに比べて実にささやかでありながら、作品の質としては今挙げた名作、大作に一歩も譲らぬ高い完成度を示す個展である。
 津上みゆきは現在、最もめざましい活動を続ける画家の一人である。数年前、国立新美術館の「アーティスト・ファイル」に出品された二十四節気を主題とした連作を見た際の感銘を忘れることはできない。のびやかでありながら、強度を秘めた色面の広がりは今日私が知る最上の絵画的達成である。これまでの作品には多く《View》というタイトルが付され、そこに一つの抽象的な風景が実現されていることを暗示していた。これに対して今回出品されていた作品は構造を違えているように感じられた。横長ではなく縦長の画面が用いられ、描かれたのは風景であるにせよ、風景の中には一つの共通するモティーフがうかがえるように感じられた。それは木というモティーフである。今回出品された作品は三つのフェイズとして実現されている。上に示したような、小さな手帳の上におそらくは水彩によって最初に描かれたイメージ、それに基づいた紙の上のドローイング、そしてカンヴァスに描かれた絵画である。三者の関係を厳密に確認する余裕はなかったが、小さな手帳に記録された即興的な心象から一転の油彩画へと、単純な反復ではないにせよイメージが次第に深められていく経緯は作品をとおして明確に了解された。これまでの作品と比べて今回の新作はフォーマットにおいて大きく異なる。これまでの絵画はView、つまり光景というタイトルが暗示するとおり、水平的な構図として実現される場合が多かったが、新作においては逆に垂直的な構図が採用されている。小品が中心とされていることもあり、水平から垂直へという変化は単に今回の出品作のみにとどまるかもしれず、津上の作品の上で転機が画されたと判断するにはやや早い。しかしかかる軸性の逆転は何を意味するか。このように問う時、私たちはこれらの新作の主題の核心へと向かう。その理由を推測することはさほど困難ではない。今述べたとおり、今回の作品はそのプロトタイプを小さな手帳に描かれたイメージにもつ。津上は毎日、天気のよい日は戸外で手帳にその日の印象を描き留めるという。会場で津上がこの作品を描く経緯を綴った美しい文章を読むことができる。その冒頭を抜き出してみよう。「快晴の空高く、伸びていた。/光は春の輝き。自然はすべて私に向かって両手を広げているかのようだった。/花の命は短い。今日の美しさとの出会いは、お互いの響き合い。/逃してはならないと、午前10時ごろ、庭に咲く木々より一本の早咲きの桜と対話を始めた。/アトリエでの制作と並行しながら、時折、庭に出た」このテクストを読むならば、垂直性の由来はあっけなく了解される。一本の早咲きの桜がこれらの絵画に共通するモティーフなのだ。日々無数に描かれるイメージはそれが完成された時間をいわば仮のタイトルとして整理される。日付を確認するならば、これらのイメージが2011年3月11日の午前中から夕方にかけて手帳の上に描き留められたことが理解される。もはや多言を要しないだろう。これらの作品は東日本大震災が発生した日の津上の心象を記録しているのである。今、心象という言葉を用いた。津上の言葉から了解されるとおり、これらの絵画の多くは実景を眼前にして描かれている。しかし識別可能な形象を伴わないこれらの作品は自然を前にした作家の内面、より正確には作家と自然の対話を反映していると考えるべきであろう。津上は鎌倉に住んでいるから、おそらくその日の午後、大きな揺れを感じたはずだ。しかし津上はアトリエに踏みとどまってその不安を小さな手帳に表現することを続けた。身近な桜の木との対話が、遠く離れた土地における不穏で圧倒的な自然の転変によって中断される、画面からうかがえるおののきにも似た感情に私は強く打たれた。津上の表現はあくまでも抑制されている。先ほどの文章の中にも震災の瞬間を暗示する短い文章があるが、作品同様、きわめて抑制された表現である。聞くところによれば津上の家にはTVがないというから、おそらく作家は私たちがTVの画面の中に繰り広げられる禍々しい光景に圧倒されている同じ時間に桜の木に触発されたこれらのイメージを手帳に描き留めていたのであろう。見渡す限りの水平の風景が秩序を失い、混沌へと転じていた同じ時間に早咲きの桜という揺らぐことのない垂直と対話し、それを絵画という表現へと置き換えようとする画家の姿に、私は最も根源的な美術の在り方を感じるのだ。
震災以降、私たちは美術が震災に対してどのような意味をもちうるかとしばしば自問した。私の考えではこの際に美術と震災を対置する発想は正しくない。震災のために発表を自粛する、あるいは逆に復興のためにチャリティーオークションを開く。震災を理由として発表することしないこと、参加することしないこと、有無を言わさぬ態度決定を迫るこれらのふるまいは美術の対極にある。震災が発生しようが原子力災害が引き起こされようが、超然として在るのが美術という営みの本質ではないだろうか。震災、そしてとりわけ原子力災害をめぐって私たちは責任をもつべき者たちが右顧左眄し、無責任なふるまいに終始する場面を数限りなく目撃した。表現することを生業とする者にとっても、自らの表現とかかる災厄の折り合いをいかにつけるかは困難な問題であっただろう。文学の領域ではいくつかの注目すべき試みが認められる。しかし美術においては一部の写真家の仕事を除いて、岡本太郎の壁画に落書きを張り付けるといった、論じるにも値しないくだらない反応しか見当たらない。津上の表現はきわめて洗練されており、注意深く観察しなければ震災との関係をうかがうことはできない。しかしそこでは自らの生と絵を描くという営みを重ね合わせ、自然と対話し、共鳴し、おののきながらイメージを探るという絵画の本源に触れる試みがなされている。美術によって震災に打ち克つのではない。美術とは震災によっても損なわれることのない奇跡であることを津上の絵画は雄弁に語っている。
by gravity97 | 2012-03-26 14:50 | 展覧会 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 120323

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by gravity97 | 2012-03-23 20:38 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

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 東日本大震災と原子力災害から一年が経過しようとしている。被災地の復興はまだ道遠く、福島第一原子力発電所の事故にいたっては収束の目途さえついていない状況である。それにしてもなんという国であろうか。原子力災害によってかくも多くの流亡の民が発生し、国中に内部被曝への不安が渦巻いているのに、誰一人責任をとった者はいないのだ。数日前の毎日新聞にアイリーン・美緒子・スミスへのインタビュー記事と彼女が作成した「水俣病と原発事故に共通する国、県、御用学者、企業の10の手口」という表が掲載されていた。さすがにユージン・スミスのパートナーである。あらためて書き留めておく価値のある指摘だ。列挙してみよう。「誰も責任をとらない・縦割り組織を利用する/被害者や世論を混乱させ、賛否両論にもちこむ/被害者同士を対立させる/データをとらない・証拠を残さない/ひたすら時間稼ぎをする/被害を過小評価するような調査をする/被害者を疲弊させ、あきらめさせる/認定制度を作り、被害者数を絞り込む/海外に情報を発信しない/御用学者を呼び、国際会議を開く」事故後そしておそらくこれからの政府や県、東京電力の対応がみごとに整理されている。
 一年が経過してようやく原子力発電所の事故の実相を検証したいくつかのドキュメントが発表され始めた。事故から一年ということもあり、このところそれらのドキュメントや今後の事故の帰趨に関連する本を読み継いでいる。読後感を一言で述べるならば怒りと暗澹たる思いがない交ぜとなった感情だ。この国はもう駄目ではないか。
 『メルトダウン』は福島第一原子力発電所の原子炉のメルトダウン以後、対応をめぐっていかなる迷走が繰り広げられたかを100人以上の関係者への聞き取りによって明らかにした記録である。大鹿靖明という著者の名には覚えがあった。堀江貴文とライブドアの虚飾にまみれた実態を解明した『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』というノンフィクションの著者であり、かつて読んだ際に未知の書き手の調査力と分析力に感心した記憶がある。朝日新聞に今も連載中の『プロメテウスの罠』も連載開始以来、興味深く読んできたが、このたび連載の最初の部分が単行本化された。いずれも何が起きたかを客観的に調査し、記録し、分析するというジャーナリズムの基本に徹した調査報道の力作である。原子力災害直後は政府と東京電力のでたらめな発表に振り回されてまともに機能しなかったジャーナリズムがようやく汚名挽回とばかりに真剣な検証作業を始めた印象がある。
『メルトダウン』は「悪夢の一週間」、「覇者の救済」、「電力闘争」の三部によって構成されており、「悪夢の一週間」では事故直後の関係者の混乱と迷走、無能と無責任が明らかにされる。とりわけ東京電力と原子力安全・保安院の他人事のような対応には呆れかえる。「覇者の救済」においては事故後の対応として東京電力の救済スキームをめぐり、大手銀行、経済産業省、財務省の暗闘が描かれる、いずれの当事者も被害者そっちのけで自らの権益と資金を守ることに汲々とする醜悪なふるまいが赤裸々に描かれる。「電力闘争」では事故を受けて原子力発電からの撤退に舵を切ろうとした管直人が電力会社、経済産業省、大手メディアによって首相の座から引きずり下ろされる経緯が関係者の証言を通して浮き彫りになる。このうち、「悪夢の一週間」で描かれる事件は新聞報道等で多少は知っていたが、大鹿は関係者の取材で当時の状況をさらに踏み込んで検証している。例えば原子炉内の圧力を減らすためのベントという作業が行われないことに業を煮やした官邸側が東京電力から派遣された武黒というフェローに発電所の所長と電話を替わるように命じたところ、武黒は発電所の電話番号を尋ねたという。つまり武黒は現場ではなく、本社と長々と電話を繰り返していたのだ。あるいは比較的知られた事実であるが、一号機が爆発した映像を見て、問い質された原子力安全委員会委員長の斑目は「アチャー」という顔をしてうずくまってしまったという。(『プロメテウスの罠』にも同じ記述がある)最近発表された民間事故調査委員会の報告で当時、管が事故の処理にあたってきわめて細かいことまで問い質したことに対して、一国の首相がこんなことまで口を出すのかと関係者が「ぞっとした」という証言があった。例によって読売新聞は管の指示が現場を萎縮させたといった意図的にミスリードした記事を書いていたが、実際は首相自らが問い質さねば東京電力も原子力安全・保安院もなんら対策を提示できないという状況に「ぞっとした」というのが真実である。これほどの事故を起こしながら、東京電力の厚顔さは目に余る。「覇者の救済」では子飼いの政治家や官僚を用いて、「異常に巨大な天災地変」という免責事項を盾に会社を守ろうと策動していたことが明らかにされる。そもそも震災が発生した時、社長の清水は夫人同伴で奈良観光、会長の勝俣は大手マスコミ関係者をアゴ足付きで引き連れて中国旅行の真最中だったのである(電力会社の日頃からのマスコミ懐柔とジャーナリズムの及び腰の原因はこの一事からも明らかだ)最終的には政府によって拒否されたとはいえ、勝俣は財務省と経済産業省の人脈を用いて免責による企業防衛を画策する。一方、社長の清水は早々と入院して姿を消すが、入院中の4月4日、つまり福島の人々が逃げまどっている最中に赤坂の高層マンションの居室購入ローン残債を一括繰り上げ返済している。大鹿によれば病室に担当者を呼ぶのではなくパソコンを介して手続きした理由は手数料がより安いためであったという。「電力闘争」では東京電力と経済産業省の官僚が陰湿な手段を用いて首相の管直人の追い落としを図る。明らかに初動において管の側にも問題はあったが、おそらくかかる策謀の最大の理由は管が浜岡原発の停止を命じたことにある。管のスタンドプレーによって経済産業省大臣の海江田との間にできた溝を巧妙に利用し、また管の意向で海水注入が停止されたという(結果的には誤報であった)情報を内部の何者かが読売新聞に流し、大きく書き立てることによって管下ろしのキャンペーンは一挙に高まった。読売新聞社主であった正力松太郎が日本の「原発の父」と呼ばれる存在であったことを知れば、驚くには値しないが、今思い起こしても産経新聞と結託したこの時期の読売新聞のヒステリックな反管直人キャンペーンは異常であり、この国のマスコミがいかに電気会社の、そして原子力の下僕であるかは明確である。政官財を巻き込み、魑魅魍魎と呼ぶにふさわしい官僚や政治家たちの暗躍の一端が多くの証言や資料をもとに明らかにされる。一人の政治家を直ちにその地位から引きずり下ろすことができるほどに原子力をめぐる利権はこの国を深く蝕んでいるのだ。
私は特に管を支持するつもりはない。しかしこれら二つのドキュメントを読んで、ほぼ確信できることが一つある。それは少なくとも東京電力の上層部は早い時点で福島第一原子力発電所を放棄し、撤退するつもりであったことだ。もし彼らが撤退していたら、全ての原子炉が壊滅的なメルトダウンを引き起こし、東日本はすさまじい核汚染に見舞われたであろう。3月15日の早朝、東京電力の本社に乗り込んだ管は撤退がありえないことを幹部たちに伝えた。本書で明らかとなる東京電力の幹部たちの行状、そして会社の体質をうかがう限り、発電所の所長など現場にいた何人かの人間を除いて、この会社に当事者としての自覚も被害者への想像力も全く認められない。この撤退をめぐっても、東京電力はいまだに撤退ではなく退避であったと述べ、政府の事故調査・検証委員会の中間報告も官邸側の勘違いと片付けている。しかしその場に臨席したほとんどの関係者が全面撤退として了解しているのであり、まさにこの国は破滅の瀬戸際にあった訳だ。不誠実にも東京電力は当時の検証に全く応じていない。病室に逃亡した清水という男は周囲に対して「おれは二度と過去のことを語ることはない」と言っているという。
『メルトダウン』が東京電力、官僚、マスコミといった当事者の「メルトダウン」を白日のもとにさらけ出したのに対して、『プロメテウスの罠』はこの事態をいくつもの角度から掘り下げている。最後の「官邸の五日間」は事故直後の官邸の緊迫した状況を伝えて『メルトダウン』と重なる部分もあり、最初の「防護服の男」は原子力発電所が爆発した直後、近隣の住民たちが全く情報を得る機会を与えられず右往左往していた様子を生々しく伝える。私が最も興味深く読んだのは「研究者の辞表」と「観測中止令」という二つの章である。「研究者の辞表」では労働総合安全衛生研究所という厚生労働省所管の研究所に勤める木村真三という研究者が事故の報を受けて直ちに旧知のNHKのディレクターとともに現地に放射線の測定に赴くエピソードである。この結果制作された番組が「ネットワークでつくる放射能汚染地図」として大きな反響を呼んだことは広く知られている。しかしタイトルにあるとおり、その代償として木村は職を辞している。現地に出かける直前に木村の携帯にメイルが入る。「放射線等の測定などできることもいくつかあるでしょうが、本省並びに研究所の指示に従ってください。くれぐれも勝手な行動はしないようお願いします」研究所で唯一の放射線の専門家である木村に宛てられた姑息な自粛要請を拒否して、木村は直ちに辞表を提出して現地に向かう。経済産業省であればまだ理解もできるが、原子力災害に対して対処すべき厚生労働省が情報の収集を放棄、そして秘匿しようとするのである。文部科学省も同罪である。文部科学省が所管するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)で得た情報が住民どころか官邸にも届いていなかったことは今や有名な事実であるが、現地では実際の放射線を測定する文部科学省の職員が多数目撃されている。彼らはマスクを装着し、車の中から計器を突き出して測定を重ねたが、その結果を横でマスクもしないで生活している住民には教えようとしなかった。異常な高線量が測定されることを知り、住民たちに避難を呼びかけたのは例えば木村であり、早い時期に現地に入ったフォト・ジャーナリストの広河隆一のような人たちであった。逆に福島第一原子力発電所近くに設置された現地対策本部には本来13省庁から45人が集まって対策を協議するはずであった。しかし実際に集まったのは5省庁の26人であった。住民たちには情報を隠し、自らは理屈をこねて現地に出向くことを恐がる官僚たちに一体どのような「対策」を立案することができるだろうか。「観測中止令」にも同じようなメンタリティが示されている。気象庁の気象研究所は1957年以来、大気と海洋の環境放射能の測定を続けてきた。半世紀以上測定を続けた機関は世界的にも例がない。ところが事故の影響で通常の方法では測れないほどの計測値が出る中で、突如、観測を中止せよとの指示が出る。予算を緊急の放射能モニタリングに回すためという理解しがたい理由である。青山道夫というこの計測に長年携わってきた研究官たちは指示を無視して計測を続ける。「データをとらない・証拠を残さない」最初に掲げたアイリーン・スミスの言葉が連想される。さらに青山らが『ネイチャー』誌に発表しようとした海洋の放射能汚染に関する論文も、研究所そして気象庁の上層部の意向で発表が止められる。記事の中では当時の上席の担当者に取材して、かかる隠蔽と検閲がいかにして引き起こされたかを検証している。しかし彼らは一様に上部からの指示、場合によっては財務省のごとき他の部署からの指示であると答え、責任を感じるどころか恬として恥じることがない。「誰も責任をとらない・縦割り組織を利用する」の見本のような対応である。観測中止令は政治家の介入によって一転して継続となる。中止が命じられていた期間、観測が持続できたことは、ほかの大学や研究機関の研究者が事情を知って消耗品などを分けてくれたからであり、そのことはこの記事が新聞連載された際にも書きつけてある。これに対して文部科学省の対応は次のようなものであった。(ちなみに気象庁は国土交通省の管轄である)原子力安全課の山口茜という係長は気象庁を通じて、青山らにどこの機関から何が提供されたかを報告するように求めた。山口によればそれは消耗品の予算を返却してもらうためだという。記者は次のように記している。「半世紀以上も続いてきた観測が途絶えることには興味を示さず、継続のために研究者が融通しあった消耗品の行方には過敏に反応する」財務省の意向を忖度してとのことであるが、このような質問の意図は文部科学省の暗黙の意志に反する研究者への恫喝ととらえることもできよう。
私は他人に倫理を説くほど自らに自信がある訳でもなく、仕事に対してさほど強い使命感を持ち合わせている訳でもない。しかしそれにしてもこの二つの報告で明らかにされる電力会社や官僚、政治家やマスコミ関係者の倫理感の欠落、他者とりわけ弱者への想像力の欠落は一体何であろうか。自分の身に置き換えた時、さすがの私もこれほどモラルを欠いた対応はできない。ここに登場する多くの人物は高学歴、高収入、いわゆる選良であり、私たちの生活に大きな影響を及ぼす仕事に就いている。今回の原子力発電所の事故ははしなくも現在の日本にあってこれらの選良たちの品性が福島第一原子力発電所並みにメルトダウンしているという現実を明らかにしている。その中にあって少数であっても木村や青山のように自分の力で考え、行動する人々がいたことは唯一の光明といえよう。彼らの行為は英雄的というほどの仕事ではなく、むしろ自分がその場にいたら当然取った行動であるように感じる。しかしそのために一人は職を辞し、一人は職務命令に背いた仕事を続けなければならなかったのだ。何かが本質的に狂っている。
最後に一言付言しておきたい。私は東京電力を一貫して批判したが、現在、現場で多くの下請け労働の方々とともに収束作業にあたっている当事者が東京電力の社員、それも多くが現地採用の社員であることも事実である。本社と出先、東京と地方、東京電力の差別的な位階構造については触れない。端的にこの人たちの努力によって私が今、このような記事を書くことができることを認識するとともに、今も事故現場で収束作業にあたっている人たちには深い感謝をささげたい。

一年後の3月11日に
by gravity97 | 2012-03-11 14:46 | ノンフィクション | Comments(0)

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 このブログのカテゴリの中に新着図書の書架を紹介するNEW ARRIVAL という項目がある。そこに長い間放置されていた、つまり未読のままであったチリの作家、イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』を先日ついに読了した。といっても長編であるとはいえ、なぜ読まなかったのか不思議だ。車中で過ごす時間の長い出張に携えたところ、あまりの面白さにたちどころに読み終えてしまった。
 著者のアジェンデは名前から推測できるとおり、チリに社会主義政権を樹立した後、右派勢力によるクーデターによって暗殺された(自殺説もある)サルバドール・アジェンデの姪にあたる。後述するとおり、この小説の後半では社会主義政権の成立とクーデター、引き続く恐怖政治が語られる。本書を読んだ後で当時の状況を調べてみたところ、事実をかなり忠実に再現した描写があることもわかった。しかし小説の中で大統領、詩人あるいは軍人と名指しされる人物にアジェンデ、パブロ・ネルーダ、ピノチェットといった固有名は与えられることなく、物語は事実の再現をはるかに超えた深みを帯びている。実際に後述するとおり、物語が現実と急速に接近するのは終盤の数章であり、全体としては神話と現実が地つながりとなったマジック・レアリズムの傑作といえよう。
 語られるのはクラーラ、ブランカ、アルバという三代にわたる母と娘、孫娘の物語である。物語の経糸をなす母系に対して、クラーラの姉ローサの許婚者であり、ローサの死後クラーラと結婚し、ブランカをもうけ、アルバの祖父となるエステーバン・トゥルエバが対置される。一介の農夫として登場し、鉱山で富を築き、農場を再興し、ついには保守党の国会議員となるエステーバンは物語に常に介入し、夫として父として祖父として三人の主人公に関わる。説話的にはこの物語はやや複雑な構造をとる。基本的に神の視点から語られるが、随所にエステーバンの一人称の語りが挿入される点は物語における重要性を暗示しているだろう。最後のエピローグはアルバによる語りとして成立しているが、エピローグの冒頭でエステーバンの死について語られているから、一人称としての語りの権能が祖父から孫娘に委譲されたと考えてもよいかもしれない。神の視点と一人称の語りに特に矛盾は認められない。b0138838_20514138.jpg
物語の冒頭から読者は一種の神話的、魔術的な世界に投げ込まれる。なにしろ屋敷の中を精霊や死者が闊歩し、予言や奇蹟が日常とされる世界である。主人公は手で触れることなく重い品物を自由に動かし、大発生した蟻の大群を老人が言葉で説得して街の外へと連れ出すといった奇怪なエピソードが次々に開陳される。このような世界から直ちに連想されるのはガルシア・マルケスの『百年の孤独』であり、実際、アジェンデ自身も二つの作品がいつも関連づけて論じられることへの当惑を語っている。もちろん亡命先のベネズエラで執筆され、1982年に発表された『精霊たちの家』の著者が1967年に発表されたマルケスの傑作を知らなかったはずはないし、アジェンデ自身もマルケスの小説への賛辞を述べている。したがって私たちは両者を比較することによってこの小説の意味を再確認することができるだろう。これについては本書が世界文学全集の一冊として刊行された際の月報に編者の池澤夏樹が委曲を尽くした分析を寄せており、屋上屋を重ねるという感もない訳ではないが、ひとまず私としても両者を比較してみたい。まず両者の共通点を確認しよう。いずれも一族の年代記という体裁をとりながら、マルケスであればラテン・アメリカという大陸、アジェンデであれば特定こそされないがチリという国家の歴史を象徴的に語っている。『精霊たちの家』の母娘三代という時間のスパンは「百年」とほぼ等しいと考えてもよかろう。手法としてはいずれもマジック・レアリズムが採用され、現実と幻想のあわいは定かではない。奇怪なエピソードが次々に増殖し、魔術や奇跡、独裁者や革命といったモティーフは両者に共通している。このようなモティーフの特異性をラテン・アメリカ文学全般まで拡大可能かという点については意見が分かれようが、私の印象としてはマルケス以外にも、バルガス・リョサやカルロス・フェンテス、ホセ・ドノソといった作家の作品と強い類縁性があるように感じる。また形式的な問題としては『精霊たちの家』の随所に散りばめられた先説法、物語を先取る修辞法が『百年の孤独』の冒頭の一文にも認められることを池澤は指摘している。
 一方で『精霊たちの家』と『百年の孤独』の相違は何であろうか。先に述べたが、『精霊たちの家』が母系を軸とした物語であるのに対して、『百年の孤独』は父系のそれである。ブランカにはニコラスとハイメという双子の兄弟がいる。エステーバンから双子の息子たちへという父系の軸も存在しない訳ではなく、ほかにも男性の登場人物は存在する。しかし圧倒的な躍動感をもった女たちに比べてこの小説の中で男たちの存在感は総じて希薄である。池澤もエステーバンの仕事が「その時だけという印象を与え、男の仕事は本質的に継承不能なのではないか」と記している。鉱山、農場そして政治、エステーバンは仕事の舞台を変えながら次第に富と地位を得る。しかし労働者から農場主、保守系の大物国会議員そして反革命の軍人たちに疎んじられる一人の老人へ、時に誇らしげな、時にみじめな変貌を遂げつつも結局のところ、彼は女たちの掌中でその一生を終える。フェミニズムという観点からも本書は注目に値するだろう。『百年の孤独』では一族の物語を見届ける存在としてウルスラという老婆が登場し、ウルスラの死とともに小説は最後の局面を迎える。いうまでもなく『精霊たちの家』でウルスラに対応するのはエステーバンである。冒頭から物語に登場したエステーバンは、エピローグの冒頭、「昨夜、祖父が亡くなった」というアルバのモノローグとともに退場する。この点で二つの小説はいわば鏡像のような関係にあるといえるだろう。『百年の孤独』においては神話的世界と現実は常に一定の距離を保っていた。労働者の弾圧や独裁者の愚行は常に神話的な彩りを備え、虚構とも現実ともつかない。(この主題がさらに展開されたのが『族長の秋』である)これに対して、『精霊たちの家』において、最初クラーラの周囲を満たしていた魔術的なアトマスフィア(なにしろ、事あるごとに彼女は念力で動く三脚テーブルや精霊たちと相談を交わすのだ)はアルバの時代にはほとんど払拭され、きわめて現実的な政治闘争、革命と反革命、暴力と拷問、軍政下の恐怖政治が語られる。最後の二章からは『百年の孤独』ではなく、このブログでも論じたリョサの『チボの狂宴』が連想された。『百年の孤独』では物語の中心となるブエンディーア一族の眷族に繰り返しアウレリャーノという名が与えられる。このため魔術的なエピソードの奥行きともあいまって、読者は一体どのアウレリャーノについて語られているのかわからなくなる。これに対して、『精霊たちの家』においてはクラーラがノートに出来事を記録していくうえで事件が混同することを避けるために、娘に同じ名前をつけることを禁止する。マルケスの物語では様々な登場人物が巨大な坩堝に呑みこまれるように神話的世界で次第にアイデンティティーを失っていくのに対して、アジェンデの物語では登場人物は名前によって区別され、現実の中に留め置かれる。池澤はこの点についても興味深い比較を記している。彼によれば『百年の孤独』は全体として先細り、特にウルスラが亡くなった後は物語の速度が一挙に速くなる。これに対して『精霊たちの家』では物語が進むについて記述が濃密になり、時間の流れが遅くなるというのである。マルケスの自伝『生きて、語り伝える』には1948年、コロンビアにおけるボゴタ暴動についての記述がある。この事件も右派による反革命という点でピノチェットのクーデターとよく似ているが、マルケスはこの事件も含むラテン・アメリカの歴史を神話化している。これに対してアジェンデにとってのチリ・クーデターは神話化するにはあまりにも生々しかったのであろうか。マルケスが祖母の語ったように書けばよいという啓示を受けて『百年の孤独』を書き始めるまでには数十年の時間が必要であったといわれる。81年に『精霊たちの家』を発表するうえで73年のクーデターは時間的に近過ぎたのかもしれない。
 もう一点、二つの小説には最後の部分にきわめて興味深い類似がある。いずれの小説も読むことと書くことと深く関わっているのだ。『百年の孤独』の何とも印象的な終幕を思い出すがよい。そこでは魔法使いメルキアデスの遺物であり〈この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる〉と題された羊皮紙をアウレリャーノが解読した瞬間に、街が蜃気楼のように消え去ってしまう。一方、『精霊たちの家』の最後の場面では一人残されたアルバが祖母クラーラによって生涯にわたって書き留められたノートに目を通す。クラーラがノートに書きつけた冒頭の一句がこの小説の書き出しであることにもはや私たちは驚かないだろう。このような円環からはジョイスの『フィネガンズ・ウエイク』が連想されるかもしれない。しかし私たちがここから読み取るべきは西欧のメタ物語的な技巧ではなく、新世界、ラテン・アメリカにおけるきわめて独特の時間の流れであろう。直線的で二度と繰り返されることがないクロノスの時間ではなく、循環し、繰り返されるカイロスの時間。反復と回帰というテーマはここで論じた二つの小説にとどまらず、ラテン・アメリカ文学において多くのヴァリエーションが存在する。ラテン・アメリカ文学における時間という問題についてはアレッホ・カルペンティエールなども視野に容れながら、次の機会に論じてみたい。
by gravity97 | 2012-03-07 20:54 | 海外文学 | Comments(1)