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by gravity97 | 2011-11-30 20:56 | BOOKSHELF | Comments(0)

『ART TRACE PRESS』特集 ジャクソン・ポロック

b0138838_22211812.jpg あまりにも遅かったか、それともかろうじて間に合ったか。日本で最初の本格的なジャクソン・ポロック展が開催される直前に刊行された新しい批評誌『ART TRACE PRESS』を手にした読者の胸にはどちらの思いが去来するだろうか
 対談と論文、三本の翻訳、合わせて五篇から成立するポロックの特集は松浦寿夫と林道郎という適任の編集者を得て、スタンダードかつ最新というなかなかぜいたくな内容となっている。すなわちマイケル・フリードとウィリアム・ルービンによるもはや古典と呼ぶべき二つの論文が収録されるとともに、松浦と林による対談、そして沢山遼とマンクーシ=ウンガロの論文は1998年にニューヨーク近代美術館が組織した大規模な回顧展以降の成果を十分に反映して読みごたえがある。
 まず古典的な論文に目を向けよう。マイケル・フリードの「ジャクソン・ポロック」とウィリアム・ルービンの「ジャクソン・ポロックと近代の伝統」はいずれもクレメント・グリーンバーグに由来するフォーマリズムの文脈でポロックのポーリング/ドリッピング絵画の達成を画定した歴史的な論文である。解題の中でも少し触れられているが、前者はケネス・ノーランド、ジュールズ・オリツキー、フランク・ステラという後続する画家たちの存在を前提に、後者は逆に印象派、キュビスム、シュルレアリスムといったフランス絵画の「近代主義的伝統」との関係において、いわば正反対のベクトルの中でポロックの絵画の意味が検証されているが、いずれの場合もモダニズム絵画の結節点としてポロックがとらえられている。言い換えるならば、フランス近代絵画の多様な伝統はその大半がポロックのポーリング/ドリッピング絵画の中に流れ込み、そしてその豊かな混沌の中にルイスからポロックにいたるモダニズム絵画の最後の大輪の花が芽生えたのである。モダニズム絵画史観の核心とも呼ぶべきかかる枠組は1960年代に発表されたこれら二つの論文によって明確に設定されたのである。ポロックというまことに異例の絵画に対してかかる豊かな言説が応接したことは20世紀美術史において特筆されるべき出来事であろう。
 これらの研究がこれまで日本語に翻訳されなかったことが私には不思議である。いずれの論文も単行本に収録されず(訳者の解題にあるとおりフリードの論文は、ほぼ同じ内容が同年にフリードの企画によってフォッグ美術館で開かれた展覧会のカタログにも収録されている。このカタログの入手は困難であるが、現在では98年にシカゴ大学出版局から刊行されたフリードの著作集によって容易に原文を参照できる。一方ルービンの連載は終了後に単行本として上梓されるというきわめて妥当な予告がなされながらも、今日にいたるまで書物としてまとめられていない)、読み通すためには『アートフォーラム』のバックナンバーを繰らなければならないといった不自由はあったかもしれないが、その重要性を鑑みるにかくも長く放置されてきたことは果たして偶然であろうか。大岡信や東野芳明のポロックに関する「文学的」解釈のみが先行し、結果として日本では絵画について形式的に考えることが長い間なおざりにされてきたように感じられる。このような不在は直ちに絵画制作という実践に反映されるだろう。しかしこれはあまりにも大きな問題であり、機会があれば稿を改めて論じることにしたい。いずれにせよ、これら二つの論文に初めて接する多くの読者はフォーマリズム批評の真髄に接することができるだろう。ただしフリードの論文についてはやはり最初に発表された文脈、つまり「スリー・アメリカン・ペインターズ」の一部として読んだ方が、線の自立や物質の視覚化、あるいは盲点としての形象といったポロックの革新の歴史的意義がより明確に理解できるだろう。また「ジャクソン・ポロックと近代の伝統」は可能であれば一挙に全訳を掲出してほしかった。ルービン独特のアクロバティックな分析が冴えるのは今回訳出された部分以降、具体的な作品分析をとおしてポロックをフランス近代絵画と接続させる議論なのであるから。
 しかしひるがえって考えるに、このような批評の鎖国状態は現在も改善されたとはいえないだろう。グリーンバーグについてはごく一部の主要な論文を紹介する選集が刊行されたとはいえ、フリードに関してはクールベに関する論考が論集の一部としてひどい翻訳で訳出されたくらいで、現代美術に関する重要な論文もいわゆる美術史研究と呼ばれるマネやクールベ、あるいは『没入と演劇性』といった画期的な論文も研究者以外にはほとんど知られていない。さらに言えば私たちは一冊のノーマン・ブライソンの訳書もT.J.クラークの訳書も手にしていないし、イヴ=アラン・ボアやロザリンド・クラウスに関してもごく一部の著作しか日本語で読むことができない。くだらぬ美術雑誌はあふれ返っているが、かかる状況は端的に日本の美術批評とジャーナリズムの後進性を示している。
 『ART TRACE PRESS』に戻ろう。日本人の書き手によって執筆された論文のレヴェルは高い。松浦と林による対談はポロックをめぐり、実に多くの問題を提起して示唆的である。自身も絵画を制作し、フランス現代思想にも造詣の深い松浦と、セザンヌを研究し、トゥオンブリーから中西夏之にいたる一連の現代の画家についてきわめて鋭利な講義録を発表している林。最新の知見を踏まえて繰り広げられる二人の議論はポロックの絵画から遠心的に広がり、私自身も多くを学び、同時にポロックについて考える新しい糸口を与えられた思いがある。ドゥルーズのベーコン論との関連などについて私は初めて知った。沢山遼という若い書き手の論文も興味深い。沢山はニューヨーク近代美術館の回顧展のカタログに寄せられたペペ・カーメルの論文(かなり問題のあるというか、そもそも一体何が問題なのかよくわからない論文であった)などを参照しながら、ポロックの絵画の構造の中に、本来異質と感じられる反復性を読み取り、さらに一連のドローイングを介して「隣接性」というメトニミックな原理を指摘したうえでハロルド・ローゼンバーグが提起したアクションという概念に新しい解釈を与えようとする。ミニマリズムとポロックの関係を考えるうえでも斬新な議論であるように感じた。素材と技法に着目したマンクーシ=ウンガロの論文も興味深く読んだ。98年の回顧展に関連して出版されたシンポジウムの記録集に発表された内容であるから最新とは言い難いが、きわめて具体的で説得力がある。私は今回の展覧会を見て、ポロックが一貫して用いたマスキングという技法にあらためて強い関心をもった。ポロックの絵画はその全幅において、つまり具象と抽象を問わず、隠す/隠されるというイメージの両義的な在り方をいかに調停するかという課題と関わっていたように感じたのであるが、マンクーシ=ウンガロの論文はこの問題にいくつかのヒントを与えると同時にポロックという画家の奥深さを改めて印象づける内容であった。
 最初の問いに戻ろう。私はこの批評誌を東京国立近代美術館のブックショップで買い求め、名古屋に向かう新幹線の車中で読み終えた。本書は長らく原書を片手にポロックを研究してきた私にとってはあまりにも遅く、最初の本格的なポロックの展覧会に向かう車中の私にとってはかろうじて間にあったというタイミングで刊行された。2011年秋号と記されているから、今後は季刊のペースで発行されるのであろうか。『批評空間』や『水声通信』が終刊し、美術批評に関してまともな雑誌がほぼ壊滅した状況の中、今後の本誌に大いに期待したいと思う。b0138838_2222339.jpg

28/11/11 追記
文中で触れたルービンとフリードの二つの論文はいずれも98年のニューヨーク近代美術館でのポロックの回顧展に際して刊行された『Jackson Pollock Interviews, Articles, and Reviews』に再録されている。おそらく今回の翻訳もこれを底本としたのではなかろうか。今回、ウンガロの論文に関して同時に刊行された『Jackson Pollock New Approaches』は参照したのであるが、こちらの論集の内容を見過ごしていた。追記して訂正する。
by gravity97 | 2011-11-24 22:27 | 現代美術 | Comments(1)

やなぎみわ「1924 海戦」

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 8月に京都国立近代美術館で見た「1924 Tokyo-Berlin」に続いて、やなぎみわの演劇プロジェクト三部作の二作目となる「1924 海戦」を見るために横浜に出かけた。やなぎにとって本格的な劇場公演は今回が最初となるのではないだろうか。原案・演出・美術をやなぎが務め、前回は演出助手としてクレジットされていたあごうさとしが脚本を担当している。前回のブログと重複するが、最初に少し整理しておくならば、この三部作は京都国立近代美術館で偶然にもモホイ=ナジと村山知義の個展が近接して開催されることから着想され、1924年、関東大震災からわずか10カ月後に旗揚げ公演をした築地小劇場の活動をテーマとしている。主人公は築地小劇場を創設した「赤い伯爵」こと演出家、土方与志。今回のタイトルとなった「海戦」とは築地小劇場のこけら落とし公演の演目の一つとなったドイツの戯曲家ラインハルト・ゲーリングの表現主義戯曲である。以上の前提からこの作品が本質において芝居についての芝居という入れ子状の構造をもち、自己言及的な特質を帯びることは容易に推察される。そして実際に上演された物語は史実と創作、1924年と2011年という二つの震災後の世界が入り乱れる、予想通りに刺激的で知的な内容であった。演劇や大正期の新興美術についての知識に乏しい私にとって手強い対象であるが、記憶が薄れないうちにレヴューしておきたい。
 案内嬢たちに先導されて、観衆は狭い通路を通り、舞台装置の脇を迂回するかたちで客席に導き入れられる。舞台には見覚えがあった。吉田謙吉によって制作された舞台装置は、このブログでも触れた「日本の表現主義」展において紹介されていた。公演に先んじてワークショップの中で制作された舞台装置は一世紀近く以前に制作されたそれを模している。すでにこの時点で私たちが立ち会うのは芝居の中の芝居、一種のデジャ・ヴであることが暗示されている。開演までの間、例によって案内嬢が登場し、会場である神奈川芸術劇場の設備について解説する。ただし前作を見た観客であればともかく、初めてやなぎの演劇に接する観客にとってなぜここで案内嬢が口上を述べるかは必ずしも明確ではなかった気がする。
 冒頭に近い場面に登場するのは案内嬢ならぬエレベーターガールである。やなぎの作品に見慣れた者にとってこれもまたデジャ・ヴの情景である。舞台に映写される映像の中で土方はエレベーターガールとともに日本で最初に電動式のエレベーターが設置された浅草凌雲閣をリアリズム演劇の階から表現主義演劇の階へと上昇していく。エレベーターというやなぎらしい小道具を介した垂直方向の移動とともに、物語は時間的な経過という水平方向のベクトルも兼ね備えている。震災によって灰燼と化した帝都東京に新しい劇場を建設するまでの時の流れが、震災後初めての冬を迎える現在の私たちの現在と同期していることに不思議な感慨を覚える。エレベーターガールに導かれて廃墟と化した東京を目撃した土方は直ちに小山内薫とともに演劇の革新を期して築地小劇場を創設し、「海戦」を含む三つの翻訳劇によって出発する。土方を理論的に指導しながらも何かにつけて金策を依頼する小山内との掛け合いは笑いを誘う。両者の関係は史実に基づいているだろう。この舞台では震災から1924年6月14日の築地小劇場開場にいたる濃密な日々がさまざまな出来事のコラージュとして綴られていく。
 水兵の扮装をした俳優たちの舞台稽古に始まる「海戦」は前作と同様、一つの制約の中に成立している。「Tokyo-Berlin」では美術館の中で演劇を上演するという試みが必然的にもたらす空間的な制約が存在した。多数の一般来場者でにぎわう現実の美術館の空間の中に演劇という虚構の空間をいかにしして挿入するか。これに対して今回は歴史的事実という、あえて言えば時間的な制約が演劇の内容を規定する。物語が進行する中でいくつもの事実が開陳される。例えば陸軍大尉であった土方の父はロシア皇太子が来日した際に平服で儀式に出席したことを指弾されて自殺し、土方に強い影響を与えたプロレタリア作家平沢計七は関東大震災の混乱の中で官憲によって虐殺されたらしい。「Tokyo-Berlin」における空間的制約が観衆にとって明示的、換喩的に内容を規定したのに対して、「海戦」における時間的制約は共示的、暗喩的に演劇の内容に介入する。一方でやなぎは登場人物たちの会話の中にツイッターを折り込み、i Padを通して土方と小山内が対話するといった遊び心も忘れない。
 前回のモホイ=ナジに代わり、この舞台ではメイエルホリドが土方たちに語りかけ、彼が提唱したビオメハニカなる俳優の肉体訓練が舞台の上で繰り返される。土方はベルリンからの帰路、モスクワで実見したメイエルホリドの舞台に刺激されて築地小劇場を構想した。しかし築地小劇場の精神的支柱ともいうべきメイエルホリドは革命の中であっけなく銃殺されたことが劇中で暗示される。幾度となく映示されるタトリンの《第三インターナショナル記念塔》のシルエット(このシルエットと東京スカイツリーのシルエットが重ね合わせられることからも劇中で1924年と2011年がいわば折り返されていることは理解できよう)が示すとおり、ロシア・アヴァンギャルドへの関心は政治と芸術、革命と芸術の関係などと並んでこの三部作を通底するテーマである。ロシアにおいて革命が芸術を圧殺したように、築地小劇場に集う自由な精神の上にも時代が暗い影を落とす。舞台の上で練習に勤しむ俳優たちに対して、客席から練習を中止するように憲兵の声が飛ぶ。舞台ではなく客席で時に土方が俳優たちを指導し、時に憲兵が上演中止を命ずるという演出は劇中劇という本公演の本質をみごとに視覚化している。劇中、土方と小山内の二人は固有の名前をもつが、白い水兵服を身にまとった俳優たちは個性をもたず、時に小山内らが批判するレアリスム演劇の指導者、時に大臣を歴任した土方の祖父、時に憲兵を演じる。このような匿名性を大衆の暗喩とみなすことはやや強引であろうか。
 ゲーリングの「海戦」は第一次世界大戦におけるユトランド沖海戦をテーマとしているという。やなぎはこれを日露戦争における日本海海戦と読み替えて、新しい解釈を与える。この場面は1924年と2011年、現実と虚構が入り乱れる本公演の核心といえるかもしれない。土方の「海戦」は絶叫と轟音が支配し、早口ゆえに「台詞が聞き取れない」と批判されたという。今回の公演でも圧巻と呼ぶべき終盤の場面を念頭に置くならば、やなぎはこのような批判をあえて踏襲する演出を試みているように感じられる。実際に築地小劇場で演じられた「海戦」の伊藤武雄訳によるオリジナルの脚本も残っているであろうから、おそらく初演の模様は今回の「1924 海戦」にも部分的に再現されているだろう。どの部分がいかなる意図のもとに抽出されたかも気になるところである。劇中劇という演出のみならずこの劇は全体として錯綜するコラージュとして成立し、数多くの引用がなされている。一例を挙げるならば、水兵たちが甲板のうえで繰り広げる群像のシルエットはジェリコーの名高い《メデューサ号の筏》をほぼ正確に反復している。最初、私は偶然の一致かと考えていたが、当日渡されたミニガイドを読み返してみると、人名と事項の一覧の末尾に確かにジェリコーの名も掲げられている。さらにこのミニガイドを通読するならば、はるか成層圏の彼方まで上昇するエレベーター、あるいは「革命は北方に吹く風か」といった劇中で何度となく繰り返されるフレーズなどがいずれもロシア、あるいは大正文化と深く結びつていることが了解される。作者のこのような企みに気づくならば、「海戦」の奥行きはさらに広がるだろう。しかし余分な知識がなくともこの舞台は俳優と映像、そして魅力的な様々の舞台装置が一体となった一つのスペクタクルとして十分に楽しむことができる。劇作家、演出家そして舞台美術家の三つの役割を兼ねつつ初めて本格的な舞台に挑んだやなぎの驚くべき才能にあらためて感服した。
 大正新興芸術のきらめきは震災を機に統制を強める国家主義の中に呑みこまれていった。社会主義者への弾圧や治安維持法、劇中のいたるところに私たちは暗い時代の予兆を読み取ることができる。果たしてそれは私たちの生と無関係なのだろうか。まだ軍靴の音こそ聞こえないが、震災に金融不安が追い打ちをかけ、独裁を称揚する愚劣なポピュリストが跋扈する現在と「1924」との間に不気味な暗合を感じるのは私だけではないはずだ。
by gravity97 | 2011-11-12 10:58 | 演劇 | Comments(0)

「モダン・アート、アメリカン 珠玉のフィリップス・コレクション」

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 国立新美術館で「モダン・アート、アメリカン」と題されたフィリップス・コレクション展を見る。広報チラシや出品作家の顔ぶれからはさほど期待していなかったのだが、予想に反して多くの発見を誘う、なかなか興味深い内容であった。
 これまでワシントンを訪れたことがなかったためであろうか。富裕な家庭に育ち、イェール大学在学当時から芸術に関する論考を発表し、日本を含む世界中を旅行したダンカン・フィリップスなるコレクターを私は本展によって初めて知った。このコレクションが全体としてどの程度の広がりをもつかについてはカタログを読んでも判然としないが、少なくとも展示された作品を今日の観点から評価するならばやや時代遅れの印象は否めない。しかし奇妙に聞こえるかもしれないが、この点は決して展覧会の興趣を殺ぐものではない。ここに展示された作品は抽象表現主義が勃興する以前のアメリカにおいては最も高く評価された作品であり、このような時代遅れ、ずれの感覚ゆえにいくつもの問題を提起するのだ。カタログに寄せられたテクストの冒頭に1948年、ある雑誌が最も優れたアメリカの作家について、当時の識者に尋ねたアンケートについての言及がある。それによれば当時アメリカ最高の画家とみなされていたのはジョン・マリンであり、マックス・ウェーバーであり、スチュアート・デイヴィス、エドワード・ホッパーであった。ホッパーは今日でもよく知られているが、ほかの画家はどうであろうか。しかしこの展覧会には今述べた作家たちが名を連ねている。つまりこのコレクションは抽象表現主義が登場する以前の「アメリカ美術」の正系をかたちづくっているのである。
 展覧会は「ロマン主義とレアリズム」から「抽象表現主義」にいたるよく練られた10のテーマで構成されている。もっともかかる構成は展覧会キューレーターとしてカタログにも明記されたフィリップス・コレクションの学芸員によって提起されたものであろうし、日本で開催される展覧会であるにも関わらず、テーマの設定、作品の選定が全て所蔵者に委ねられていることはなんとも無残だ。近年の、特にアメリカの美術館からの借用によって実現された展覧会における植民地的な状況について批判したい点は多いがここでは措く。いずれにせよ、この展覧会をとおして主題と形式の両方に側面から19世紀中盤以降およそ100年にわたるアメリカ美術の通史を概観することが可能であり、そこからは「アメリカ美術」の様々な特質が浮かび上がる。「自然の力」「自然と抽象」「記憶とアイデンティティ」といったテーマはアメリカという風土と深く結びついており、「都市」「近代生活」といったテーマに分類された作品は逆にヨーロッパの絵画との主題的な差異をくっきりと浮かび上がらせている。一方で「印象派」とうテーマと関連づけられた絵画の中にはフランスで制作されたといっても何の疑問もないような作品も含まれている。
 コレクションの中心を形成する作家たちは世代的には抽象表現主義より一世代先行し、それゆえ新世代の若手たちにとって反例と範例、両義的な存在であったと考えられるだろう。アメリカの大自然や風俗を描くリージョニズム(地域主義)の画家たちや社会問題や都市における疎外を主題としたアシュカン・スクールの画家たちはともに批判すべき対象であり、抽象表現主義の画家たちはリージョニズムに対してはモダニズム、社会性に対しては普遍性を揚言して新しい表現の可能性を切り開いたのである。この一方でジョージア・オキーフに潜在する抽象的崇高への志向はクリフォード・スティルやバーネット・ニューマンを予示しているし、私はユング心理学やプリミティヴ・アートへの導き手として抽象表現主義の作家たちに大きな影響を与えたロシアからの亡命作家、ジョン・グレアムの作品をこの展覧会で初めて見た。マースデン・ハートレーやミルトン・エイヴリー、アーサー・G・ダヴといった作家の作品をまとめて見る機会も日本ではあまりない。これらの作家たちを前に抽象表現主義の作家たちがどのように感じ、いかに彼らを乗り越えようとしたのか、本展を通覧するならばきわめて具体的に了解できるのだ。あるいは国吉康雄と岡田謙三という二人の日本人作家、彼らは作風も異なり、本展でも当然異なったテーマと関連して展示されているが、いずれの作品もそれぞれの文脈の中にきわめて自然に位置づけられ、もはや日本人作家であることは意識されない。このようなコスモポリタニズムは多くの作家が移民という出自をもつアメリカ美術にとって本来的な特質であることに今さらながら理解する。
 それにしても多くの作品を通覧する時、抽象表現主義絵画がそれらと全く異なった印象を与えることがわかる。ただしこの展覧会では抽象表現主義に関してもさほどの名品が展示された印象はない。アドルフ・ゴットリーブ、フィリップ・ガストンそしてスティルに関しては比較的大きな佳作が展示されているが、コレクションが展示される空間との関係であろうか、主要な作家についても小品が多く、時期的にもベストの時期ではない。逆にこのような不在こそが、この展覧会の隠された主題ではないかとさえ思う。もちろんそれは私がこれまで抽象表現主義の傑作を多く見てきたせいかもしれないが、この展覧会の印象を一言で言うならば、抽象表現主義絵画という絶頂めがけて、アメリカ美術全体がいわば弓をぎりぎりと引き絞っていくさまであり、一種の緊張感とともに抽象表現主義という偉大な絵画が出現した歴史的背景がみごとに整理されるような気がした。つまりポロックでもよい、ニューマンでもよい、彼らの代表的な作品はここに出品しているいずれの作品とも全く似ていないのだ。(ポロックとも交流があったオッソリオの絵画についてはここで詳しく論じる余裕がない)それはヨーロッパ絵画との断絶をも意味する。出品作に抽象絵画が比較的少なかったという理由もあろうが、私はあらためて抽象表現主義絵画が西欧近代絵画との決定的な断絶であるということを強く意識した。
 この一方で例えば「近代生活」や「都市」のセクションにもしもラウシェンバーグやジョーンズ、あるいはポップ・アートの作品が展示されていたとしてもさほどの異和は感じられないだろう。例えば上に掲げたカタログの表紙にも用いられたホッパーの絵画とジョージ・シーガルの作品を比べてみるがよかろう。ラウシェンバーグの作品がヴェネツィア・ビエンナーレのグランプリを受賞したことがアメリカ美術の勃興のメルクマールとなった点はよく知られているが、このような文脈に置くならば、コンバイン絵画はアメリカ美術の枠内にあり、近代美術の外にあるものではない。つまり絵画という制度の中にあった抽象表現主義が、後続し絵画という形式さえも解いてしまったネオ・ダダよりも実は過激であったという逆説が明らかとされるのである。そしてもしこれ以後のアメリカ美術の中に抽象表現主義同様の断絶を指摘するならば、それはミニマル・アートにおいて画される。この意味で私は抽象表現主義、とりわけバーネット・ニューマンとミニマル・アートの関係はさらに深く思考されるべきと考えるが、この問題は本展の展評の域を超えている。
 先にも述べたとおり、本展において抽象表現主義の名品が少ないのは残念であるが、この不在を来るべき表現への期待と読み替えることは不可能ではない。奇しくも来週、名古屋で日本初と銘打ったジャクソン・ポロックの回顧展が始まる。テヘランからの作品は無事日本に届いただろうか。おそらく本展を見ることによってポロックの絵画への理解もさらに深まるはずだ。
by gravity97 | 2011-11-06 09:08 | 展覧会 | Comments(0)