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Living Well Is the Best Revenge

『ヒロシマ・ナガサキ』

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 集英社から全20巻で構成された「コレクション 戦争と文学」という重厚なアンソロジーの刊行が開始された。初回配本として同時に刊行された「アジア太平洋戦争」と「ヒロシマ・ナガサキ」のうちひとまず後者を求めた理由が先般の原子力発電所事故にあることはいうまでもない。巻末に関連年表が付されている。そこに記された最初の項目は1942年6月18日、アメリカにおけるマンハッタン計画の発足であり、最後の項目は2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所での事故である。アルファとオメガ、年表が物語るとおり、私たちは核/原子力という災いのただ中に生を受けているのだ。
 収録された作品のセレクションがよい。小説のみならず短歌や川柳までジャンルは多岐にわたり、ヒロシマ、ナガサキを扱ったよく知られた小説から未知の作家、さらに意外な作家の作品まで幅広い範囲から選ばれている。ここでは主に小説について論じる。本書は四つの章から成り立っており、第一章にはもはや古典と呼ぶべき作品が収められている。原民喜の「夏の花」、大田洋子の「屍の街」、林京子の「祭りの場」、そして栗原貞子と峠三吉の詩は原爆投下直後の地獄のような状況を中心に描写している。続く第二部に収められた三篇はかろうじて死を免れた人々を待ち受ける過酷な運命を描く。すなわち「原子爆弾症」による悶死への不安に駆られ、アメリカ軍の調査団に実験動物のように扱われ、秋の枕崎台風によって再び大きな被害を受ける被爆から数ヶ月の間の物語だ。これに対して第三部に収められた五編において原爆投下は既に過去の事件である。しかしこの非人間的な兵器がなおも人々の精神を冒し、差別を生み、後続する世代にも理不尽な苦しみを与え続ける。最後の第四部では南太平洋における核実験、被爆孤児の処遇といったヒロシマとナガサキからやや距離をおいた問題が扱われ、きわめて暗示的な手法で原子力発電所における被曝の問題を扱った水上勉の短編も収められている。つまり本書は章を追うに連れて、あたかも爆心地(あるいは事故を起こした原発)から次第に遠ざかるかのように原爆が炸裂した瞬間から離れていく。しかしその被害はいつまでも終わることがない。どの作品も重い読後感を残す。
 率直に言って炎暑の中、被爆という重いテーマを扱った800頁にも及ぶ分厚いアンソロジーを読み続けることはきつい体験であった。子供の頃より、広島や長崎と関連した書物はずいぶん読んだつもりであったが、題名こそ知っていたとはいえ、ほとんどの作品が初読であることにあらためて気づく。収録された作品の初出と底本の一覧が巻末に付されているが、大半の作品は今日では図書館に足を運ばない限り読むことが難しいだろう。この一事を考慮しても本書が刊行された意味は大きい。一方でフクシマを経過したことによって、今日これらの小説の内容をさらに明確に理解できるようになった思いも強い。例えば「原子爆弾症」あるいは「原爆病」と一括される症状、つまり被爆時にあってはほとんど目に見えるダメージを受けていないにもかかわらず数日から数週間の時間を隔てて突然発症し、激しい苦痛を伴って死に至る一連の事例は、高線量の放射能を浴びた結果としての急性障害であり、同じ症状を私たちは20世紀後半にもチェルノブイリで、そしてJCOの臨界事故で身近に体験したのだ。あらためて私は原子爆弾という兵器と原子力発電所が全く同根の営みであることを思い知る。私たちはヒロシマとナガサキの死者たちから何も学ぶことがなかったのだ。
 個々の作品の完成度に関しては疑問を感じない訳ではない。(記憶による引用であるが)かつて中上健次が三田誠広のごときくだらない作家でも戦争があれば小説を書くことができるという趣旨の発言をしたことを記憶している。私も同感であるが、戦争があれば優れた小説を書けるかといえばまた別の問題であろう。私の考えでは収録された小説の一部は被爆という重いテーマを担うだけの文体や形式を備えていないため、平板ないし図式的な印象から免れえない。私が感心したのは川上宗薫の『残存者』という短編である。本書を読んで私は川上が長崎の被爆で母と妹二人を失い、牧師であった父も平和活動家に転じたことを初めて知った。川上が被爆体験を主題として執筆したおそらく唯一の作品である『残存者』は被爆後、廃墟となった街で邂逅する男女の感情の機微をとらえて淡々とした文章の中に緊張を湛えた佳品であり、原子爆弾や被爆といった事件はむしろ後景に退いている。知られているとおり、川上は70年代にはいわゆる官能小説の第一人者として勇名を馳せる。私はこの哀切な小説の作者としての川上と流行作家としての川上とのギャップに興味を抱く。意外な作家ということであれば、美輪明宏の『戦』という短編も疎開から被爆、終戦そして進駐軍といった敗戦期のいくつも主題を連ねて印象に残る。収録作家や作品がどのように選ばれたかは不明であるが、思いがけない書き手を含めたことによって、このアンソロジー自体が深みを増したことは、意外な作家、作品を含めることによって展覧会のパースペクティヴが広がることと同様である。
 今述べたとおり、多くの小説が核爆発という惨事のあまりの巨大さ、おぞましさの前に言葉としてはむしろ萎縮し、それゆえ厳しい読後感を残すのに対して、言葉によって惨事に拮抗しようとする意志が認められるのは井上ひさしの「少年口伝隊一九四五」である。当時の国民学校の六年生であった三人の少年を主人公に据え、被爆のため新聞を発行できない中国新聞の記事を口で伝えて人々に報道するという任務を与えることによって、物語の中に口語が導入される。そしてさらに原爆を正当化するトルーマンやチャーチルの発言、進駐軍を迎える政府の発表などを挿入しながら、枕崎台風の襲来にいたる広島の暑く残酷な夏の情景が浮かび上がる。無数の声が交錯するこの短編は戯曲に長じた井上ならではの多声的な構造をとり、口伝隊の少年たちの私的な声と、為政者や政府が発表する権力の声はしばしば対立する。いうまでもないが、今私たちも福島第一原子力発電所の事故をめぐって、無数の声が交錯し、権力の声が私たちの声を押し潰そうとする状況の中にある。この短編は一つの出来事の評価をめぐる闘争が端的に言葉をめぐる争い、多くの場合、話し言葉と書き言葉の争いであったことを暗示している。おそらく今日、ここには第三の言葉とも呼ぶべきインターネット上の言葉を重ねることもできようし(果たしてインターネットに蓄積されるおびただしい言葉は話し言葉なのであろうか、書き言葉なのであろうか)、この意味で原爆投下から半世紀以上が経った後に発表されたこの小説は今日でも実に生々しく感じられるのだ。
 読み進むにつれて爆心地から遠のいていく印象について記した。実際に発表された時期を参照しても、1947年に発表された巻頭の「夏の花」から2006年に発表された巻末の田口ランディの「似島めぐり」まで、発表された時期もほぼ年代順といってよい。つまり原爆投下から半世紀以上が過ぎた今日でもなお、ヒロシマとナガサキをめぐるヴィヴィッドな小説は営々と執筆されているのだ。これは映画から漫画にいたる多くの領域でも検証できる事実であり、文化が非人間的な状況に対する抵抗の礎であることを物語っているだろう。しかし同時に私はヒロシマ、ナガサキを主題とした小説を書くことの困難も感じる。ここに収録された小説がアンソロジーのほかの巻に収められる多くのそれと決定的に異なるのは、ほかの戦争体験とは異なり、原子爆弾とは体験した者の全滅を前提とした兵器であることだ。ヒロシマ、ナガサキがナチスの絶滅収容所、あるいは9・11と結びつくのはこの点においてである。証言者のいない事件をいかに表象するか。このブログで何度か取り上げた表象の不可能性という問題は必然的に本書の隠された主題を構成している。
 証言者が存在しない光景を表象することは可能か。津波によって全てが押し流された被災地、人間の立入りが禁じられ、家畜の死骸が累々と横たわるフクシマの平原。これもまた全滅の後の光景だ。果たしていつの日かそれらが小説や美術として表象されることはあるだろうか。
by gravity97 | 2011-07-31 21:59 | 日本文学 | Comments(0)

b0138838_2033172.jpg 初めて読む作家の小説が抜群に面白い時ほど幸せなことはない。久しぶりにそんな体験をした。以前よりいつかは読みたいと考えていた作家であるが、出張先の書店で買い求めたカズオ・イシグロの『日の名残り』を帰りの車中でほんの10頁ほど読み進めるや、私はたちまち物語に魅了されてしまった。
 物語の設定、特に主人公の造形が素晴らしい。主人公は老境の執事、スティーヴンス。ロンドン近郊に位置するダーリントン・ホールで長く執事を務めるスティーヴンスは新しい主人のファラディがアメリカで夏のヴァカンスを過ごす間、主人の親切な提案に従って、フォードを借り受けてコーンウォール地方へ小旅行を試みる。もっともこの小旅行は単なる骨休めではなく、屋敷の人手不足を補うために、以前ダーリントン・ホールで女中頭を務め、結婚して退職したミス・ケントン、現在はミセス・ベンのもとを訪れ、再びダーリントン・ホールで女中たちの指揮をとることを依頼するという目的があった。このような事情をプロローグで簡潔に述べた後、スティーヴンスは足早に屋敷から出立し、表面上、物語はスティーヴンスの一週間足らずの道行きを追う。しかしこの小説は全編スティーヴンスのモノローグとして成立しているから、スティーヴンスの回想をとおして、物語は幾度となく往時のダーリントン・ホール、つまりかつてイギリス政界の名士であったダーリントン卿が住まい、数々の秘密の外交会議を主宰していた栄光の時代へと立ち戻る。物語の現在、つまりスティーヴンスがイギリスの美しい田園をドライブする時代は1956年と特定されている。一方、スティーヴンスの回想はダーリントン卿がヨーロッパ外交に隠然たる影響力をふるった第一次大戦からヒトラーが台頭する時期、つまり1920年代から30年代を中心としている。おおよそ30年の時間を隔てた二つの時間がない交ぜとなって物語は構成されているのである。
 注目すべきは、スティーヴンスにとって現在進行中のコーンウォールへの小旅行も常に過去形で語られる点である。スティーヴンスは語り始めるにあたって、自分が今どこにいるかを報告する。宿の部屋やホテルの食堂。スティーヴンスは自らの場所を確認したうえで、終えられた何ごとかについての反省をめぐらす。章のタイトルを参照する時、このような語りの特質は明らかである。目次には一日目から六日目まで順に並んでいるが、なぜか五日目が欠落している。しかしこの五日目こそ、この物語のクライマックスであるミス・ケントンとの再会が果たされた日なのである。つまりイシグロは意図的に「生起しつつある」事件ではなく、「終えられた」事件を描くことを選ぶ。なぜか。この点がこの小説の独特な点なのであるが、有能な執事であるスティーヴンスのモノローグは常になにかしらの省察を伴っている。召使たちの仕事ぶりはどうか、賓客たちへの接待に手落ちがなかったか、さらには偉大な執事の条件とは何かといった問いにいたるまでスティーヴンスは常に考える人である。そしてこれらの省察はほとんどが過去の記憶と関わっており、結果としてこの物語は現在進行中の出来事も含めて過去に終えられた印象を与える。出来事の意味を様々な角度から反芻するゆるやかなダイナミズムがこの物語の推力といえるだろう。
 この小説の絶妙さは、執事という主人公を創造した点に求められる。執事とはまことにイギリスを象徴する職業ではなかろうか。少なくともダーリントン・ホールが栄華を誇った第二次大戦以前、イギリスに階級社会が厳然として存在した時代には執事というプリズムを介してイギリスという社会を分光することができる。登場する人物が全て階級によって区別され、階級は固定され、世襲される。スティーヴンスもいくつもの屋敷で執事を務めた父の後任としてダーリントン・ホールで仕事に就いた。多くのイギリスの優れた小説の例に漏れず、一見、優雅で端正な物語の背後に読者は階級、社会、労働といった苛烈な現実をたやすく透かし見ることができる。しかし人も階級も永遠ではない。物語をとおして二つの交代が暗示される。一つはダーリントン・ホールにおける父からスティーヴンスへの執事職の委譲である。第二次世界大戦前夜、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアといったヨーロッパ諸国とアメリカの外交関係者がダーリントン・ホールに集った秘密会議の最後の夜はこの小説の一つのクライマックスをかたちづくり、その夜、スティーヴンスとダーリントン・ホールの関係は決定的となる。もう一つの交代は小説内には明示されない。すなわちダーリントン・ホールをダーリントン卿が手放し、アメリカの富豪ファラディ氏が使用人を含めて屋敷を引き継いた事件である。例によってこの交代も事後的に描かれ、なぜダーリントン卿が屋敷を手放し、ファラディ氏の手に渡ったかについて明確な説明はない。しかし読者にとってその経緯とこの交代が意味するところを想像することは困難ではない。後でも触れるが、スティーヴンスが私淑するダーリントン卿の晩年は決して幸福ではなかったことが暗示される。そしてイギリス貴族の屋敷をアメリカの新興の富豪が買い受けるという構図からは第二次大戦後のヨーロッパの没落とアメリカの勃興が浮かび上がる。休暇中にフォードをガソリン代込みで貸し与えるというエピソードが物語るとおり、ファラディ氏もまた寛大な主人である。スティーヴンスは新しい主人に献身的に仕える。しかしスティーヴンスにとって真の主人はダーリントン卿であり、ファラディ氏への異和感は行間から明らかである。それをイギリスとアメリカの階級意識の違いと説明することは容易であるが、スティーヴンスのダーリントン卿への思慕は読む者にいささか残酷な感慨を抱かせるだろう。最初に述べたとおり、この小説はモノローグとして成立しているので、ここから浮かび上がるダーリントン卿の姿はスティーヴンスの目をとおして美化されている。しかし登場人物が語る言葉、あるいはいくつかのエピソードからはヒトラーが政権を掌握しようとしていた時期、ダーリントン卿が対独協力者としてイギリスの外交政策に関わっていたことが暗示される。語りの中で暗示されるその不幸な晩年もこのような立場が招いたものに違いない。
 ダーリントン卿の凋落が大英帝国のそれと重ね合わせられていることはいうまでもない。それでは主人と執事はどうか。ダーリントン卿が専門の外交官でありながら、当時の国際状況を読み切ることができなかったように、熟練した執事であるはずのスティーヴンスもまた邸内を掌握しきれていなかった。なるほど秘密会議の手配、賓客たちの接待は完璧であったかもしれない。しかし彼が差配する召使たちの心情の機微、とりわけミス・ケントンが自分に向けるほのかな恋愛感情にスティーヴンスは愚かしいまでに鈍感である。旅行中に往時を回想する中で、スティーヴンスは次第に彼女の思いを自覚する。したがってスティーヴンスとミス・ケントンの再会はこの物語のクライマックスとなることが予想されるが、先に記したとおり、イシグロはあえてその場面を描かないことによって逆に物語に深い余韻を与える。
 「日の名残り」とはこの小説のタイトルであると同時に、「六日目―夜」と題された最後の章においてスティーヴンスが目にする光景でもある。海辺の町、ウェイマスの夕暮れに佇みながら、スティーヴンスは前日のミス・ケントンとの再会、そして自らの来し方に思いをめぐらす。「桟橋の色つき電球が点灯し、私の後ろの群衆がその瞬間に大きな歓声をあげました。今、海上の空がようやく薄い赤色に変わったばかりで、日の光はまだ十分に残っております」ほぼ終えられ、しかしまだ完全には終えられていない時間とは、この小説の象徴といえるかもしれない。黄昏、晩年、老境あるいは没落。一人の人間から一つの国家までそれぞれにある「日の名残り」のコノテーションは必ずしもポジティヴなそれではない。しかしスティーヴンスの落ち着いた語りが人生の「日の名残り」にあってもなお職業への矜持、愛する人への抑制を失わない主人公たちの姿に重ねられる時、いかにもイギリス小説らしい洗練と気品が行間から漂う。そして忘れてはならないのはイシグロのユーモアのセンスだ。執事の生真面目な語りは、その真面目さのゆえに語られる出来事との間にしばしばギャップを生む。とりわけ最後の場面でスティーヴンスは一つの決意をするのであるが、その内容に読者は微笑を禁じえないだろう。最後にかかるユーモアが配されることによって、読者は失意ではなく希望とともにこの小説の頁を閉じることができる。
 翻訳もすばらしい。内省する執事という物語の枠組は独特の文体にみごとに反映され、私はいつになく深くこのエレガントな物語の中に沈潜できたように感じた。
by gravity97 | 2011-07-14 20:35 | 海外文学 | Comments(1)

NEW ARRIVAL 110711

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by gravity97 | 2011-07-11 18:24 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

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 震災以来、このブログもシビアな記事が多い。今回取り上げるドキュメントの内容も今日の我々にとって決して楽しい話題ではない。私も必要を感じなければ、ここで取り上げる一連の記録を読むことはなかっただろう。しかしこれまで原発事故をめぐる一連の状況をフォローしてきた私にとって、これらの本を読むこと、あるいは政府や電力会社が開示しない情報を収集することは今の自分たちにとって死活的に重要であると感じる。
例えば数日前の読売新聞に「生活習慣と被曝 発がんリスクは」という意味不明の記事が掲載されている。「喫煙・大量飲酒、1000ミリシーベルトに匹敵?」という見出しの意図はあまりにも露骨だ。ここでは原発事故によって発生した「異常な」放射線の線量が喫煙や飲酒といった日常的な行為によって相殺されている。この記事の信憑性はひとまず措くにせよ、放射性物質の危険性を喫煙と飲酒のそれと併置して、あたかも日常の、それも相対的に小さな危険であるかのように扱う内容にはあいた口がふさがらない。喫煙や飲酒にリスクが伴うことは誰でも知っているが、私たちはそれを承知したうえ、自分の責任でそれらを楽しむ。これに対して原発事故に伴う放射線は電力会社の犯罪的な不作為がもたらした結果であって、私たちになんら責任はない。二つのリスクは本来全く無関係である。そもそも放射線のリスクが一番高いのは子供たちであって、喫煙や飲酒を日常としている私たちではない。大新聞の記者が「国立がん研究センター予防研究部長」といった肩書きの御用学者と一体になって繰り広げるかかるキャンペーンはこの数日来続く脅迫的な節電キャンペーンとともに、放射能の危険性を隠蔽し、原子力発電の延命を図っている。
『チェルノブイリの祈り』は1998年に単行本として刊行され、今回の原発事故を契機に先月、岩波現代文庫に収録された。無数の関係者からの聞き取りによって1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の大事故の輪郭を浮かび上がらせている。聞き取りの相手や内容、登場する順序は一見無作為に感じられるが、実はよく練られている。すなわちプロローグとエピローグの位置に「孤独な人間の声」と題された二つの章が配され、その間の主たる三つの章の間には「兵士たちの合唱」「人々の合唱」「子どもたちの合唱」という三つの断章が挿入されている。主たる三つの章に関して、証言者は名前と役職や身分が明記されているが、「合唱」と題された三つの断章に収められた短い証言は証言者の名前をもたない。
とりわけ深い感銘を与えるのは巻頭と巻末に置かれた「孤独な人間の声」という二つの証言である。リュドミーラとワレンチナという二人の女性はいずれも原子力発電所事故の収拾に従事した二人の作業員の妻である。前者は原子力発電所で事故直後に消火作業にあたった消防士、後者は事故によって住民が強制移住させられた村の電気を止める処置を続けた高所作業組立工である。消防士は作業中の大量被曝による急性の放射線障害によって、組立工は被曝による全身のがんによって共にこのうえなくむごい死を迎える。正視に耐えないという言葉があるが、まさに読むに耐えない二人の悲惨な死は最愛の妻の口をとおして語られることによってかろうじて救いをみる。解説の中で広河隆一も記すとおり、放射能はもっとも悲惨な形で人間を死に向かわせる。二人の病状はほとんど人間のかたちをとどめないほどの凄惨さであり、私もここで繰り返すことはしない。しかしそれにも関わらず、死にいたるまで二人の妻は彼らに深い愛情を注ぐ。この凄絶なノン・フィクションが一種の文学性を帯びて成立する理由は、肉親の証言というある意味で客観性を欠いた形式に多くを負っている。さらに付言するならば二つの死のうち、とりわけ消防士ワシーリー・イグナチェンコの死は日本人にとって無縁ではない。チェルノブイリの災厄から13年後、茨城県東海村で起きたJCO臨界事故で、彼と同様に大量の放射線を浴びた大内久さんは懸命の治療もむなしく、やはり長く、筆舌に尽くし難い苦しみの中で死んでいった。リュドミーラの証言は30頁足らずの短い内容であるが、大内さんの闘病に関しては下に示した『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』という詳細なドキュメントが公刊されている。この記録はもともとNHKスペシャルとして放映された番組に基づいており、高線量被曝という未知の恐怖に立ち向かう大内さんの人間としての尊厳、そして家族と医療スタッフの献身には胸をうたれる。私はこのブログで何度かNHKのディレクターによる安易なノン・フィクションを批判したが、このドキュメントは別だ。なぜならかくもいたましくも貴重な記録を文字に残すことはディレクターと遺族、医療者との間に深い信頼関係がなければありえないからだ。今回の原発事故に関してもNHKは早い時期に放射能で汚染された地域を独自に調査し、住民に警告を発するETV特集を放映し、公式発表を垂れ流す御用メディアとの対照を示したが、このような仕事は放射能問題に対する関心と現場主義が日頃より局内で共有されて初めて可能となったのではなかろうか。二人の女性の証言、そしてJCO事故の記録が明らかにするのは、被曝によってもたらされる死がいかに無残で、非人間的なものであるかということだ。この事実を知れば、飲酒と被曝を同一次元で扱う発想はありえない。もちろん先に触れた記事のテーマは急性障害ではなく、数年のレヴェルで発症する晩発性のがんである。しかしそこには原子力発電所に由来する放射性物質によってもたらされる障害がいかに異常なものであるかという認識が完全に欠落している。そして現在、福島で復旧作業にあたっている作業員たちが置かれる環境がチェルノブイリの作業員たちと異なるという証拠を政府も東京電力も今日にいたるまで開示していない。
それにしても恐るべきことに、25年前にチェルノブイリで発生した状況は今日の福島で正確に反復されている。事故直後、着のみ着のままで強制的に避難させられた人々はその後も自宅に戻ることができず、遺棄された地域に残された家畜やペットは次々に殺処分される。避難を試みる者は裏切り者として指弾され、被曝した人々は差別される。当局は一切事実を発表せず、故障したロボットの代わりに生身の作業員が復旧に投入される。したがって私たちは事故の数ヵ月後にチェルノブイリの近隣から運び込まれた牛肉や牛乳を検査した担当者がそれらはもはや食品ではなく放射性廃棄物であったと述懐し、さらにそれらが市場に流通していたと語るエピソードに自らを重ね合わせて慄然とせざるをえない。チェルノブイリにおいては国家がその威信を賭け、軍隊の力によって事故の収束作業、住民の避難や疎開、表土の除染にあたった。むろんそれは私権を制限することに躊躇ない強権的な国家において初めて可能であった対策であろうし、二つの原子力発電所の事故は性格が大きく異なる。しかし当時のロシアと現在の日本のいずれにおいて事故がより適切に処理されているのか、現時点で私は判断することができない。著者スペトラーナ・アレクシエービッチは「見落とされた歴史について」という章において、自らの言葉として次のように述べている。「最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい。チェルノブイリは、私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまったのです」いうまでもなくチェルノブイリをフクシマに置き換えることによって私たちが現在置かれた立場を再確認することができる。
書庫に下りて、タイトルにチェルノブイリの名が冠された関連書のいくつかをあらためて読み返す。歴史は繰り返す。現在、私たちが直面する事態はなんら意外なものではなく、既にこれらの中で報告、もしくは予想されている。これらの書はチェルノブイリ原発事故の直後に刊行されているが、先に述べたとおり、この後も日本ではJCO臨界事故によって放射線被曝の恐ろしさが広く知られ、さらに多くの原発トラブルによって電力会社の欺瞞的な体質も誰の目にも明らかとなったはずだ。私たちはそこから何も学ばなかったのだ。大量の放射線が人体から細胞の再生能力を奪うように、原発事故は共同体に回復不可能なダメージを与えるのではないか。たった一基の原子炉が壊滅的な事故を起こしたわずか三年後、その原子炉が所在していた国家は内部から瓦解した。果たしてフクシマの後も日本という国は存続しうるか。私は確言することができない。
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by gravity97 | 2011-07-04 20:36 | ノンフィクション | Comments(0)

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夜、風が吠え、それにこだまして音を立てる炉の傍ら、木の寝台のなかで子供が静かに眠り続けるとき、ぼくはランプを灯して歩きまわる。友だちのことを考えながら―ジュスティーヌとネッシムのことを、メリッサとバルタザールのことを。ぼくは記憶の鉄鎖をひとつひとつたぐって、ぼくたちがほんの僅かのあいだいっしょに住んでいたあの都会へと戻って行く。ぼくたちをおのれの植物群と見ていたあの都会、ぼくたちのなかに争いを巻き起こしたあの都会―その争いは彼女のものにほかならなかったのに、ぼくらは自分たちのものだと思い違えたのだ。愛するアレクサンドリア!
by gravity97 | 2011-07-02 22:09 | PASSAGE | Comments(0)