「ほっ」と。キャンペーン

b0138838_20332550.jpg2007年にヴェネツィア・ビエンナーレを訪れた際、私は奇妙な作品を目にした。それはフォルトゥニー宮殿のファサードの全面を覆う巨大なタピストリーであるが、繊維ではなくなにやらメタリックな質感を帯びて鈍く光っている。この時、フォルトゥニー宮の内部では現代美術と博物館的な遺物を併置する「アルテンポ」という驚くべき展覧会が開催されており、展覧会への出品作であることは推測できたが、この不思議な作品の作者が誰であるかを知ることなくヴェネツィアを後にした。そして昨年、国立民族学博物館で開催された「エル・アナツイのアフリカ」展のポスターを目にして、私はそれがかつてヴェネツィアで見たタピストリーの作者であることを直ちに理解した。同時代の美術にある程度通じていたつもりの私にとっても、それが未知の作家、作品であったことは無理もない。この作家はこれまで私が足を踏み入れたことがないアフリカ大陸、ナイジェリアで活動する作家の作品であった。先日、この展覧会を二番目の巡回先である葉山の神奈川県立近代美術館で見た。
 アフリカの現代美術を論じることは難しい。グローバリズムが喧伝される今日にあってさえ、私たちは西欧と異なったクライテリアに立って現代美術について論じることの困難を感じる。作品の内容のことを言っているのではない。今日でも非西欧の作家たちが西欧で紹介されるためにはヴェネツィア・ビエンナーレなり「大地の魔術師たち」なり、欧米で組織された展覧会を経る必要がある。しかし「現代アフリカ美術」が西欧を経由したアフリカの現代美術に対する呼称であることを認めたうえでもなおエル・アナツイの作品、そして葉山の展覧会は圧倒的な強度を秘めていた。
 今、私は「アルテンポ」の場で受けた印象を記した。私はそれがアフリカの作家であるからことさらに強い印象を受けた訳ではない。さらにいえば、私はそれが「現代美術」であるかという点にさえ確信をもてなかった。無名の作り手による呪物と現代美術の優品を無造作に併置したこの展覧会は本質において「現代美術」という枠組さえ相対化するアナーキズムを秘めていた。私は機会があればこの展覧会についてもブログで触れてみたいが、ひとまずここではアナツイの作品が「アフリカ性」といった徴とは全く無縁であったことを指摘しておくに留める。そしてこのたびの展覧会を見て、私は必ずしも彼の全ての作品がこのような超越性を帯びている訳ではないことを知った。ことに初期の人体を連想させる木彫は表面に施された呪術的な線描、トーテム・ポールや神像を連想させる垂直性において未開、素朴、フェティシズムといった「アフリカ性」と強く親和している。出品作中、《あてどなき宿命の旅路》と題された木彫によるインスタレーションが展覧会の英文タイトル「A Fateful Journey」の由来となったことは明白であるが、私はこの作品とたきぎを運ぶ女性や子供たちの写真を併置する感覚が理解できない。確かに木彫のT字形の形状と頭にたきぎを負う人物は形態上の類比を許す。しかし西欧的な認識において、たきぎを負う人々とは貧困や重労働、未成年や女性に課せられた労働といったネガティヴな記号である。カタログには次のような記述がある。「どこの国でも都市部からちょっと郊外に出ると、早朝や夕暮れ時に、女、子ども頭にたきぎを数本載せながら、道ばたを縦一列になって歩いているのに出くわすことがある。夕暮れ時など、沈みゆく真っ赤な太陽を背に、長い影を落としながら歩いている彼女たちの姿は、もはや一幅の絵であり詩である」一読して明らかなとおり、これはオリエンタリズムの視点であり、このような感慨が素朴に作品に反映されることに私は疑問を抱かざるをえない。
 これに対して、アルミニウムの印刷原版を組み合わせた巨大な屑箱、そしてとりわけアルミのキャップやシールを銅線で縫い合わせた巨大なタピストリーはオリエンタリズムになじまない。第一に使用されるおびただしいキャップや缶のふたはアフリカというより、むしろ大量消費社会の表象であり、対比されるべきはウォーホルのキャンベル・スープであろう。第二に無数のパーツを銅線で結びつける作業は文化人類学でいうブリコラージュというより、アッサンブラージュもしくはアキュミレーションと呼ばれる現代美術の手法と考えられる。巨大な平面として壁に吊るされたタピストリーを絵画ととらえることはさほど困難ではない。アナツイのタピストリーを一種の絵画としてとらえるならば、私たちはそこで近代以降の西欧絵画の主題が独自にシャッフルされていることをたやすく理解することができるのだ。例えば近接視と遠望視という問題である、遠くから眺めるならばメタリックな質感を帯びた一枚のタピストリーは、近接すると無数のボトルキャップを銅線で繋ぎ合わせて制作されていることがわかる。遠望における視覚性と近接における触覚性のせめぎあいは筆触あるいはストロークの実験として印象派から新印象主義、さらには抽象表現主義にいたるモダニズム絵画の主題系を形成してきた。そして絢爛たるオールオーバーネスから私はポロックを連想しないではいられなかった。作品によっては地と像の関係がある程度認識できる場合もあるが、多くの作品においてイメージは文字通りディテイルの連なりの中に織り込まれ、色彩が明確な作品よりもモノトーンの作品の方が強い印象を与える点もポロックのポアリング絵画と似ている。これらのタピストリーはそれぞれの断片が多くのアナツイの助手によって制作され、それを組み合わせて巨大な作品が制作されるという。どのような構想のもとに組み合わされるのか、あるいは裏と表の決定はどのようになされるか、方向はいかにして決められるのか、会場を一巡すると様々な疑問が浮かんだ。展示を見ても必ずしも明確な答えを得ることはできなかったが、圧倒的な作品に出会った際にいつも感じる軽い昂揚を覚えながら会場を一巡した。
 アナツイにとって、木彫から廃物のタピストリーへと作品を転じたことは大きなブレイクスルーであったように感じる。女性や子供がたきぎを運ぶという現実を連想させる表現ではなく、現実そのものであり、現実に拮抗する表現へ。表現の質が大きく変化しているのである。アナツイが世界各地の現代美術をテーマとした展覧会に次々に招かれていることはこのよう作品の特質に裏づけられているであろうし、それゆえアナツイの作品は「近代美術館」のホワイト・キューブの中でも、古い宮殿のファサードに置かれても堂々たる存在感を示すのである。
 オリエンタリズムを批判しながらも、私の読みもまた西欧に起源をもつモダニズムという発想にあまりにも色濃く染まっているのではないか。直ちにこのような反問がなされるであろう。私はそれを否定しない。しかしあえてこのような批評を加えた理由は、それによって別の問題をあぶりだしたいと考えるからだ。そしてこの問題は展覧会が巡回した会場と深く関わっている。葉山の前にこの展覧会が巡回したのは大阪千里の国立民族学博物館であり、アナツイの作品は民族博物館と近代美術館、より適切な言葉を用いるならば現代美術館とのはざまに存在している。なぜ「現代美術」を「民族学博物館」で展示するのか。この点については企画者も自覚しており、巻頭に置かれた論文においてもこのような状況がアフリカ現代美術をめぐるダブル・スタンダードと関連して論じられていた。私は民族博物館的、文化人類学的な展示とはいかなるものかよくわからないが、おそらく展示の中にやや雑然と挿入されたナイジェリアやガーナの生活や社会についての解説、あるいは儀礼布や彫像についての説明がそれにあたるだろう。(カタログでは4章の部分に相当する)端的に言って、私はなぜこのようなアリバイ的な説明がこの展覧会に必要であるか全く理解できない。私はアナツイの作品を純粋に美術作品として見るし、現代に制作された作品である以上、現代美術の作品として見る。私の理解では作品とはたとえ固有名とともに発表されようとも、それ自体で意味をもつから、作者や社会的背景について知識がなくても十分に鑑賞に耐えるし、批評の対象となりうる。最初に言及した「アルテンポ」における展示とはまさにそのようなものであり、そこにはピカソ、フォンタナから日本の具体グループ、さらには骨格標本やイエメンの神像まで多種多様な表現が混在したまま展示されていたのだ。逆に言えば、作品を民族学博物館で展示するためには背景に関する解説が不可欠ということであろうか。この点に関して、巻頭論文では次のように記されている。「背景に関しての予備知識を持ちあわせていないであろう多くの観客は、アナツイの作品を見ても、単にリカーやビールの蓋やシールなどを再生させた見事な美術作品としてしか受け止めないということになる。もっともファイン・アートに対する反応だから、「見事だ」(ファイン)ということで十分なのかもしれないが。このとき、もし文化人類学や歴史学の視点から作品の背後にある歴史や文化に関する踏み込んだ解説が加えられたなら、アナツイの作品を見る側の理解は一挙に広く、深く、ゆたかになるはずであり、作品から受ける印象も変わってくるのではないか」最初の一文は作家と観衆に対してあまりにも傲慢な物言いであろう。私は優れた感性をもつ者であれば、何の予備知識がなくとも、例えばマティスの、例えばロスコの絵画が本質的に「見事」であることは直ちに了解できると信じている。アナツイの作品もそのような例である。それどころか私は「作品の背後にある歴史や文化」を知ったところで作品を享受するという営みにはほとんど資することがないのではないかとさえ考える。この点は作品を扱う美術館と資料を扱う民族学博物館との認識のずれであるかもしれない。この一文によって文化人類学者にとってはアナツイが制作したタピストリーは「作品」ではなく「資料」として認識されていることがはしなくも露呈されている。私は少なくとも構造主義を経た人文諸学にとって「作品」が「作家」や「社会」から自立して存在するという常識が通用すると思っていた。しかし未だに展覧会のカタログの中でこのようなナイーヴというか啓蒙主義的で作家主義的な発言がなされていることは大きな驚きであった。ここでいう「広く、深く、ゆたかな」理解が、木彫によるインスタレーションからたきぎ運びを連想する程度のものであるならば、私は作品のためにも「踏み込んだ」解説などない方がよいと考えるのだが、どうであろうか。
 ニューヨーク近代美術館における「20世紀美術におけるプリミィティヴィズム」の際のウィリアム・ルービンとジェームス・クリフォードの「類縁性」をめぐる議論を想起するまでもなく、「近代美術」と「プリミティヴィズム」の関係は微妙である。今回の展示を見て、私は同様の類似/差異が現代美術館と民族学博物館という二つの制度の間にも指摘できるのではないかと感じた。むろん私の立場は現代美術に偏っているから、民族学博物館あるいは文化人類学においては全く異なった原理が働いているかもしれない。この点は一度きちんと考えてみたい問題である。今回の展覧会は作品から制度、あるいは学へと思いをめぐらす機会となった。いつもながら優れた作品は見る者に様々b0138838_2035657.jpgな思考を誘発するのである。
by gravity97 | 2011-02-26 20:39 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_915444.jpg 待望久しい現代美術の理論書の翻訳が刊行された。いやむしろ反理論書と呼ぶべきであろうか。イヴ=アラン・ボワとロザリンド・クラウスによって執筆された『アンフォルム』である。難解であるが知的刺激に富み、現代美術に新たな射程を切り開く。
 本書は成立の事情と構成がきわめて独特であり、まずそれについて説明する必要があるだろう。『アンフォルム』は二つの底本をもつ。まず最初に本書はパリのポンピドー・センターで1996年5月21日から8月26日まで開催された展覧会「アンフォルム―使用法(l’informe mode d’emploi)」の際に展覧会カタログという形式で刊行された。ただし通常の展覧会カタログとは異なり、図版ではなく文章が中心の構成であり、後述するとおりアルファベット順に掲載された26のテーマについてボワとクラウスがテクストを執筆している。多数の図版が掲載されているが、大小はあるにせよ全て挿図というかたちをとり、カラーとモノクロが入り混じっており、初めから図版を見て楽しむという発想で編集されたカタログではない。しかも内容と関わる問題であるが、掲載された図版はピカソ、デュシャンからロバート・スミッソン、シンディ・シャーマンまで、時代、表現ともに雑然と混在する印象がある。巻末にチェックリストが付されているから、展覧会に出品された作品を同定することは可能であるが、チェックリストから図版を参照することは相当に困難である。(私はポンピドー・センターの出版物の多くに同じ欠点があるような気がするのだが、気のせいであろうか)展覧会を現地で見ることができなかったので、私は当時パリに留学していた友人にカタログを送るように依頼した。展覧会を見た友人は非常に面白かったという感想とともに会場で配布されていた〈Formless: A User’s guide〉というパンフレットも一緒に送ってくれた。
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なぜ会場で英語のパンフレットが配られていたのか、事情はよくわからないが、実はこの12頁のパンフレットこそ展覧会の内容を最もコンパクトにまとめており、企画の意図を知るうえで大きな助けとなった。それによればこの展覧会は前年に同じ会場で開かれたロバート・モリスの回顧展(この展覧会は私も見た)に連なり、展覧会カタログに寄せたクラウスのテクスト、そこで論じられたモリスによるポロック解釈を出発点としている。モリスのポロック解釈とは「水平性 horizontality」と深く関わっており、「水平性」とはクレメント・グリーンバーグによって確立され、一般にフォーマリズムという名で流布するドクトリンに対して根底的な批判を構成する。このパンフレットの中では具体的にグリーンバーグの名を引用しつつ展覧会の批評的意図を説明するとともに、クラウスとボワによってさらに三つの鍵概念が加えられたことが報告される。それらはパンフレットで紹介される順に「パルス pulse」「低級唯物論 base materialism」「エントロピー entropy」である。この英文パンフレットではそれらの概念が図版とともに簡単に説明され(なんとポロックと白髪一雄の作品が並列して紹介されている)、最後の頁にはフロア・プランまで付されている。それによれば展示もこの順に構成され、展示面積としては「水平性」と「エントロピー」のセクションが広かったようである。
 私の知る限り、開催された時点において、日本ではこの展覧会のレヴューはおろか、紹介された形跡さえない。私は95年にある展覧会の準備のためにロスアンジェルスに滞在していた折、アメリカの美術関係者からクラウスとボワが画期的な展覧会を準備中であると聞いてこの展覧会について知ったことを覚えている。実際にアメリカの美術批評界の反応は早く、批評誌『オクトーバー』が同じ年の秋号で特集を組み、ポンピドー・センターのカタログの巻頭と巻末に置かれたクラウスの「アンフォルムの使用価値」、ボワの「アンフォルムの運命」という二つの論文といくつかの項目を訳出している。もっともクラウスとボワはともにこの雑誌のエディターに名を連ねているから特に驚くには値しない。訳出という言葉を用いたが、二人とも英仏二ヶ国語に通じているから、最初の原稿がどちらの言語で執筆されたか確定することは難しい。ひとまず私は『オクトーバー』に収められた文章を読んでクラウスらの主張を理解しようと試みたことを覚えている。翌97年、『アンフォルム』の英語版となる『フォームレス FORMLESS A User’s Guide』がニューヨークのゾーンブックスから刊行された。今回の日本語訳の翻訳者あとがきによれば、今回の翻訳では仏語版も参照しつつ、「原著者たちが決定版とみなす」英語版を底本として用いたとのことである。両者の異同についてはあとがきと註記の中で詳細に説明されているので参照されたいが、基本的に異同は形式的な面にとどまり、内容的には同一である。
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 書誌的事項について縷述したが、理由があってのことである。アンフォルム/フォームレスが二つの言語を媒介しつつ成立していることは、その内容と深く関わっている。本書がグリーンバーグのモダニズム/フォーマリズムへの批判ないし対案を構成しているとするならば、当然ながらその内容は第二次大戦後の美術を主導したアメリカの現代美術を相対化するという問題と関わっているはずだ。端的に言ってそれはアメリカとフランスという二国間の文化的パワーゲームの最新ヴァージョンであり、このために召還された思想家はジョルジュ・バタイユであった。アンフォルムという概念はバタイユ自らが編集した雑誌『ドキュマン』に書きつけた短いフレーズに端を発している。そこでバタイユは蜘蛛やみみずのように貶められ、形をもたず、何にも類似しない言葉の働きとして「アンフォルム」を事挙げる。日本語に訳しにくい概念であるが、本書で訳者たちは「無形」という訳語を与えている。これまで「不定形」と訳されることが多かったが、あえて新しい言葉を採用した理由としては微妙なニュアンスの問題とともに、アンフォルムという言葉がクラウスとボワが一貫して否定し、「不定形」の訳語が与えられたアンフォルメルという美術運動と近似した語感を与えるという理由があるだろう。ミシェル・タピエ、あるいはジャン・ポーランらが唱導するアンフォルメルとアメリカの抽象表現主義の確執を想起するならば、先に述べたとおり、本書は大西洋を隔てた美術の覇権争いをいわば無意識のうちに反映しているようにも感じられる。
 内容について触れよう。本書を手に取った読者が何よりも異様に感じるのは、本書が通常の研究や論文の体裁を大きくはずれたABC順の事典という構成に基づいていることである。冒頭の「低級唯物論」のセクションに掲げられた項目は、Abattoir、Base materialism、Cadaver、Dialectic、Entropy、Figure、それぞれ日本語に直すならば、屠殺場、低級唯物論、死骸、弁証法、エントロピー、形象である。事典であるから当然とはいえ、相互に無関係な項目が羅列されている。また四つのセクションの最後を画するエントロピーという語がこのセクションで既に項目として与えられている点も奇妙である。このブログでも言及したことがある「シナの百科事典」のようではないか。しかし通読するならば、これら六つのばらばらな項目を通して次第に「低級唯物論」という全体のテーマが浮かび上がってくることがわかる。ちなみ先に述べたように展覧会の構成としては「水平性」が最初に置かれたが、テクストは英語版、仏語版ともに「低級唯物論」「水平性」「パルス」「エントロピー」の順に構成されている。項目の選択にも一貫性はなく、中には「カバの発汗」や「非常に遅い」といったそもそも事典の項目として存在することすら怪しい項目も設定されているが、読み進めるうちに四つのテーマに従って20世紀美術が新しい視野のもとに再編成されことが理解される。きわめて特異で挑発的な構成をとりながらも、二人の執筆者の目的意識は明確である。例えばラウシェンバーグの「ダート・ペインティング」、ポロックのドリップ絵画、ジャコメッティの《宙吊りの球》、ロバート・スミッソンの《螺旋形の突堤》。フォーマリズムの立場からは意味を見出すことさえ困難なこれらの作品はいずれもアンフォルムの四つのテーマと密接に結びついている。ごく簡単にこれらのテーマがいかにしてグリーンバーグ的フォーマリズムを相対化するかを説明しておこう。まず低級唯物論とは視覚的で概念的なフォーマリズムに対して、屠殺場の情景や糞便といった生々しくグロテスクなイメージを喚起し、観念論にフェティシズムで抵抗する。解体された動物の脚や毛皮を撮影したエリ・ロタールの写真がかつて『ドキュマン』にも掲載されたことからわかるとおり、かかる退行とイエラルシーの解体はバタイユが得意とした戦略である。水平性は主としてポロックのドリップ絵画に対するモリス、ウォーホルらによる再解釈の過程でもたらされた。視覚性が人の直立する身体に対して最も受け入れやすいのは垂直の位置に置かれた場合である。制作される過程では水平に置かれた画面を壁面に垂直に据えることによって物体は絵画へと昇華した。これに対して水平性を強調することでここでもイエラルシーの解体が図られる。パルスとエントロピーはいずれも時間と関わる。グリーンバーグはモダニズム絵画における平面化の進行を指摘する一方で、作品の享受に関しては瞬時に全体が把握されることを理想とした。これに対し、パルスとエントロピーにおいては時間性がフォルムを破壊する。いずれの場合もアンフォルムは存在から「数学的なフロックコート」を剥ぎ取り、それが蜘蛛や痰のように何にも類似していないことを明らかにするのである。
 ここで開陳される議論は私にとって全てが目新しいという訳ではなかった。特にクラウスが1993年に発表した『視覚的無意識』(この研究がいまだに部分訳しか存在しないことはきわめて遺憾に感じられる)とこれに遡って88年に発表されたハル・フォスター編集の『視覚と視覚性』に収められた論文においては平面性とパルスの問題が本書の議論をほぼ先取りするかたちで提起されている。また低級唯物論に関してもクラウスのラウシェンバーグ論、ボワのフォンタナ論の中に関連する議論があったように記憶する。これらの問題はおそらく1990年代前半に『オクトーバー』誌を接点とする彼らの活動の中で次第に共通する焦点を結び、ついにこのような形で結実したといえるだろう。実際にはクラウスとボワは20世紀美術の様々な領域から多くの作家、作品を召喚し、フロイトからブルトン、ラカン、デリダまで多様な思想家を援用しながら議論を進める。いくつかの項目はことに難解で、例えば「ゲシュタルト」「等方性」といった項目について、私は正直言ってほとんど理解できない。しかし全幅の理解からは遠くとも、本書からは一つのモデルを介して20世紀美術を読み替えようとする壮大な野心が伝わってくる。そしてさらに重要な点はクラウスとボワがこのような読み替えを展覧会というかたちを通して世に問うたことである。
 展覧会の内容については実見していないからコメントできない。またポンピドー・センターという強力な機関の全面的支援があったからこそこのような野心的な試みが可能であったことは間違いない。しかしひるがえって私は、「アンフォルム」は展覧会という営みに対しても大きな刺激を与えたのではないかと考える。つまりこの展覧会では通常では考えられない基準によって作品が選択され、ありえない作品の配置によって文脈が与えられているのだ。例えばフォンタナにおいてはスリット絵画ではなく、初期の糞便を連想させる彫刻、ヴォルスにおいては絵画ではなく写真、ウォーホルにおいてはシルクスクリーンではなく「ダンス・ダイヤグラム」。これまで周縁的もしくは例外的とみなされた作品によって作家と美術史に新たな関係が結ばれ、(何度も述べるとおり、展示を実見していないから実際に並べられていたという意味ではなく、同じセクションに置かれるという意味においてであるが)ポロックと白髪一雄、あるいはデュシャンの「ロト・レリーフ」とジャコメッティの彫刻が作家の国籍や作品のジャンルといった枠組から解放されて併置されるのである。展覧会とは端的に作品の選択と配置であるが、企画者の批評性が問われるかかるテマティックな展覧会ではまさにこの二つが展示の成否に関わる。「アンフォルム」はクラウスとボワという傑出した批評家とポンピドー・センターの圧倒的なコレクションによって初めて可能とされた異例の展覧会であった。そしてこの「展覧会カタログ」を通読する時、展覧会という制度が本質においてきわめて創造的、批評的な営みであることをあらためて理解することができるだろう。日本語訳の刊行が遅すぎた印象は否めないが、その分、翻訳は行き届いており、丁寧な訳注が理解を深める一助となる。何よりも本書の問題意識を十分に理解したうえで翻訳がなされている印象が強い。
最後に一点、今後考えてみたい問題について触れておく。実はバタイユの再評価はクラウスとボワだけではなく、1995年にジョルジュ・ディディ=ユベルマンが発表した『アンフォルムな類似』が先行している。しかし本書においてボワらはディディ=ユベルマンの立場を全面的に否定している。(特に「形象」の項目)実は「アンフォルム」はポンピドー・センターの「訴訟手続 Procédures」というシリーズの最初の企画にあたるが、この企画は翌97年にディディ=ユベルマンが企画した「刻印 L’empreinte」の後、中絶しているという。私は以前より、アナクロニスムという独特の手法を用いて現代美術に新しい光を当てるディディ=ユベルマンとクラウスやボワの仕事がどのような関係にあるか、関心を抱いていた。バタイユの評価に限らず、今後この問題について考えるうえでも彼らの著作が本書のような適切な翻訳者を介して次々に日本語として紹介されることを切に期待する。

 なお、本ブログではこれまでイヴ=アラン・ボアという表記を用いていたが、今回のみ翻訳に合わせてイヴ=アラン・ボワという表記を用いることとする
by gravity97 | 2011-02-13 09:09 | 批評理論 | Comments(0)

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 久しぶりにバルガス=リョサの作品を読んで、いつもながらの感銘を受ける。これもまた実にみごとな小説である。疑いなく今後、バルガス=リョサの代表作の一つに数えられることとなろう。
 物語の舞台はカリブ海に浮かぶ島国ドミニカ。20世紀中盤に実質的にこの国を支配し、「総統」、「大元帥」、「祖国の恩人」などと呼ばれた独裁者トゥルヒーリョが主人公である。1930年にクーデターを起こし、全権を掌握したトゥルヒーリョは個人崇拝を徹底し、秘密警察を駆使して中央アメリカにおいて最も堅固な独裁国家を樹立する。本書の中で明らかとされるようにこの過程でトゥルヒーリョは農園労働者のストライキに際して領内のハイチ人の大虐殺を行い、一族の経営する企業に富が集中するシステムを構築する。傀儡を大統領に据えて富と権勢をほしいままに残忍な統治を続けるトゥルヒーリョは次第に国民の反発を買い、1961年に暗殺される。今回、本書を読み進める中で関心が生じて、ドミニカ共和国の歴史を調べてみた。当然であるが、ここに描かれた事件は全て事実であり、この意味においてこの小説の内容には作家の創意を加える余地がない。この点はブラジルにおけるカヌードスの反乱を描いた傑作長編『世界終末戦争』(原著は1981年に発表。昨年のバルガス=リョサのノーベル賞受賞を受けて最近新潮社から翻訳が復刊された。是非併読されたい)と共通している。バルガス=リョサは実在の人物と架空の人物を巧妙に織り交ぜて、現実を超えた現実を創造する。今述べたとおり一種の歴史小説であるから、事実という枷から自由にはなりえないが、バルガス=リョサは得意とする多層的な語りによって事実に圧倒的な奥行きを与える。『チボの狂宴』の場合は次のような語りだ。24章から構成されるこの物語は途中まで章ごとに三つの視点が規則正しく交代する。このような手法は村上春樹の『1Q84』のBOOK 3を連想させないでもないが、バルガス=リョサの場合はもっと手が込んでいる。三つの視点とは、まずトゥルヒーリョに献身的に仕えながらもある時期より理由もなく疎んじられ、失意のうちに病に倒れ老残を晒す上院議員アウグスティン・カプラルの娘、ウラニアの視点。続いて独裁者トゥルヒーリョの視点。そしてトゥルヒーリョの暗殺を企て、車の中で待ち伏せする男たちの視点である。もっともこの小説の場合、話者に視点が限定されている訳ではない。彼らとは別に全能の話者も介入して物語を牽引する。いつもながらこの構成がきわめて巧みなのだ。冒頭のウラニアの章は物語の核となるトゥルヒーリョ暗殺から、話者においても時間においても最も離れているため、最初、読者は物語との距離を測りかねる。第2章においては老いたトゥルヒーリョの日常が描かれる。第3章に入るといきなり読者は狭い車の中で独裁者を待ち伏せする男たちの会話に加わる。この三つの章を通読しただけで物語が絶妙の濃淡、緩急のぶれによって律されていることが理解されよう。独裁者暗殺という物語の核心は早い段階で明らかにされながらも、物語は時にそこから離れ、時に事件の現場へと立ち戻り、時間的にも錯綜したままめまぐるしく推移する。この過程で物語の背景、トゥルヒーリョがアッベス・ガルシアという秘密警察の長官に命じて行った残酷な弾圧、あるいは敵に慈悲深い恩赦を与える一方で部下にいわれなき罰を与えるトゥルヒーリョの巧みな人心収攬のエピソードが語られる。そして物語を読み進める中で自然にいくつもの謎が浮かび上がる。なぜウラニアは父を見捨ててニューヨークに旅立ち、それ以来、一度もドミニカに戻らなかったのか。トゥルヒーリョによって翻弄される人物のうち、誰が彼を裏切り、誰が彼を継ぐことになるのか。物語の核心と深く関わるこれらの謎に対する回答は次第に明らかにされる。特に最初の章と最後の章の対照はみごとだ。最初はばらばらに提示される人名、意味ありげにほのめかされる事件が小説を読み進めるにつれて、次第に収まるべき位置に収まり、巨大な歴史壁画の完成に立ち会う興奮はバルガス=リョサの小説を読むいつもながらの醍醐味である。
 冒頭で既に暗示されているとおり、暗殺は成功し、独裁者は除かれる。しかし物語はハッピーエンドからは程遠い。それどころか独裁者の死によってさらなる暴虐と残虐な拷問の嵐が吹き荒れる。このあたりの描写が現実をどの程度反映しているかはわからないし、知りたくもない気がする。血を血で洗う無意味な暴力の連鎖から私は北野武の「アウトレイジ」を連想した。革命の後に凄惨な暴力が吹き荒れることを私たちは例えばフランス革命に学んだ。独裁者が除かれたにもかかわらず、いや除かれたことによって一つの国家がさらなる混沌の中に呑みこまれるという非劇は、冒頭の章に書きつけられたトゥルヒーリョ時代を懐古する言葉の中に暗示されているのだ。それは民主政治と無縁なラテン・アメリカの歴史という主題と密接に関わっている。周知のごとく、バルガス=リョサはかつてペルーの大統領選に出馬したことがある。この際に、決選投票でバルガス=リョサを破ったアルベルト・フジモリが後に日本大使公邸人質事件の際にとった強権的な解決を想起する時、この小説で描かれた事件は決して現在と無縁でない。この小説は権謀術数とマキアヴェリズムに彩られたラテン・アメリカの政治の本質を一種のカリカチュアとして提示したといえるかもしれない。
 それにしてもラテン・アメリカ文学には独裁者小説という他に類例のないジャンルが存在するのではないだろうか。アストゥリアスの『大統領閣下』からマルケスの『族長の秋』まで、独裁者、将軍、大統領といった主人公を扱った小説に事欠かない。禿鷹たちが大統領府の窓という窓の金網を食い破り、そこから漂う死体の腐臭で全市民が目覚めたという印象的な冒頭で始まる『族長の秋』、あるいはマルケスの一連の独裁者小説が語りの中で一種の神話性を帯び、魔術的レアリズムと呼ばれる独特の余韻を残すのに対して、バルガス=リョサの独裁者小説は一貫してレアリズムに貫かれている。しかしバルガス=リョサの小説を単なる歴史小説から隔てるのは語りの形式に関する深い自覚と実験精神である。思い起こせば最初に邦訳が刊行された『緑の家』においても複数の語りが混在する独自の手法が用いられていた。密林や石器時代そのままの集落、そして奥地の娼館といった多様な舞台が交錯する物語にとってかかる語りはきわめて効果的であった。あるいは初期の『ラ・カテドラルでの対話』においてもペルーの腐敗した政権下の社会がやはり複雑な語りの中に浮かび上がったことも想起される。今にして思えば、錯綜した時間構造、腐敗した政権をめぐる父娘ならぬ父と息子の葛藤など、『ラ・カテドラルでの対話』は『チボの狂宴』と多くの共通点を有している。しかし両者を比較するならば物語のダイナミズムと語りの形式的な完成度においてバルガス=リョサの作家としての成熟は明らかである。
『チボの狂宴』は原著が2000年に発表された。10年の時を経て、私たちはバルガス=リョサの新作を読むことができた訳である。(実際には2003年の『楽園への道』が先んじて翻訳されている)そしてカルロス・フェンテスやホセ・ドノソをはじめ、バルガス=リョサも含めてラテン・アメリカ文学に関してはまだ未訳の大作、問題作が数多く残されている。今世紀に入っても私たちはこの新大陸から届けられる文学の果実を楽しみ続けることができそうである。
by gravity97 | 2011-02-07 13:51 | 海外文学 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 110204

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by gravity97 | 2011-02-04 20:40 | NEW ARRIVAL | Comments(0)