Living Well Is the Best Revenge


優雅な生活が最高の復讐である
by クリティック
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『美術手帳』総力特集 村上隆

b0138838_21294947.jpg このブログでは基本的に時事的な話題は扱わない方針であるし、ネガティヴな議論は控えたいと考えているが、さすがに今回はこのタイミングで批判すべきだと感じる。
 『美術手帖』の今月号は「総力特集 村上隆」である。最初に断わっておくが、私は村上隆という作家に対して特に関心をもたない。2001年の東京都現代美術館における回顧展や同年、ロスアンジェルスのパシフィック・デザイン・センターで開催された『スーパーフラット』、あるいは2003年のヴェネツィア・ビエンナーレに際して「ラウシェンバーグからムラカミまで」というサブタイトルとともに開かれたフランチェスコ・ボナミの企画による絵画展などで作品を見た記憶はあるが、いずれもたまたま開催されていた時期にそれらの都市を訪れたからであり、特に作品に関心がある訳ではない。村上のような表現があってもよいとは思うが、それは村上が評価する平山郁夫という画家の作品があってもよいことと同様である。どちらの作家も10年単位では評価されても、100年単位の時の試練に耐えないことを私はここで確言しておく。
 私が批判するのは『美術手帖』という雑誌の美術ジャーナリズムとしての適性だ。端的に言ってこの雑誌はもはや存在しない方がよい。今回の特集では250頁の誌面中、その半分が特集の対象たる村上隆の礼賛に費やされている。ベルサイユ宮殿における個展を契機とした特集であろうが、批評的な視点は皆無で、村上へのインタビュー、関係者へのインタビュー、村上が主宰するカイカイキキのスタッフ紹介、村上の愛犬のグラビア記事まで掲載されていることには失笑を禁じえない。かかる雑誌から連想されるのは新興宗教の教祖を特集した広報誌であり、美術雑誌ではない。なぜこの雑誌はかくもなりふりかまわずこの作家を取り上げるのか。いくつかの理由が推測される。いずれも商業的な理由だ。以前から気になっていた点であるが、この雑誌はこのところ裏表紙に毎号カイカイキキ、もしくはそれと関連する展覧会や事業の広告が入っている。仮にも美術ジャーナリズムを標榜する雑誌が批評の対象の広告を毎号裏表紙に掲載して恬として恥じない態度は退廃以外のなにものでもない。さらに今号では広告か告知記事か判然としないが、村上が主宰するGEISAIの記事やら記事中でも取り上げられたアニメの記事が折り込みで収録されており、もはやこの雑誌は美術雑誌と村上の広報誌のいずれであるか判然としない。聞くところによると村上の特集をすると販売部数も増えるという。記事で煽った作家を偶像化して売り上げに結びつけるという手法は姑息ではないか。
 今から思えばこの雑誌の頽落の兆候はいたるところにあった。若手作家の特集のたびに作家ではなく取扱ギャラリーの連絡先をcontacts として表示して一部のギャラリーやディーラーに阿る姿勢。芸能人やら有名人に「アート」を体験させるというくだらない企画。新潟市美術館で大きな問題を起こした当事者(批判の当否についてはここではひとまず措く)に意味不明の連載を任す一方で美術ジャーナリズムであれば当然取り上げるべきこの事件を誌面では完全に黙殺している。中でも最悪なのは、かつては若手の批評家が地道にギャラリーを回ってそれぞれの立場から若手の発表を取り上げていた地区ごとの展評を、数名の名の知られた批評家がばらばらに勝手な対象を取り上げるREVIEWSという欄へ改めたことである。単に展評の数が減っただけではなく、若手の作家と批評家の目標が共になくなってしまったのである。貸画廊という制度の是非や近年、美術館が現代美術を敬遠するようになったことは今措くとして、かつては若い作家が真剣な発表をすれば、美術批評を志す若手によって展評欄に取り上げられ、作家は次のステップに向かい、批評家も責任を伴った批評の経験を積むことが可能であった。もはやそのようなシステムは存在せず、代わりにこの「総特集」が提案するのは、一人の独裁者によって経営される企業体の歯車としての「アーティスト」である。
 先に述べたとおり、私は村上の作品については批判する時間さえ無駄だと思う。しかしこの雑誌を斜め読みしただけでも、村上が作り上げたシステムが美術の対極にあることは理解できるし、それを周知したことに逆説的にもこの雑誌の意味があるかもしれない。分業化、合理化されたかかるシステムは明らかに営利企業をモデルとしており、利潤の追求には適当であろうが、どこに創造の自由があるというのか。近似したシステムとしてはウォーホルのファクトリーが挙げられるかもしれない。しかしヴェルヴェット・アンダーグラウンドの活動が示唆するとおり、ファクトリーにはなおも多様な創造性が共存しえた。これに対し、シフト表やマニュアル、工程表に囲まれて村上のスタジオで働く「アーティスト」たちの写真から私は機械的な作業が反復される工場の工員を連想した。
 金銭的収益を成功の指標とみなす態度、海外を視野に入れた組織整備やオークションへの展開といった「グローバリズム」、これらは以前から村上が主張していたことで特に新味はないし、それもまた一つの信念であろうから特に咎めるつもりもない。しかし美術ジャーナリズムの一端を担う雑誌が、そこに美術家の理想を投影し、かかる軽薄な美術を積極的にプロモートすること、そして美術を志す多くの若い作家たちが美術とはそのようなものだと思い込んでしまうことに私は暗然とした思いにとらえられる。作品を高値で売ること、ベルサイユで個展を開くこと、高級ブランドとコラボレーションすること、これらは美術とは全く関係ない。この雑誌の読者に対してはこんな当たり前のことをいちいち言挙げしなければならないのだ。
 この雑誌を美術ジャーナリズムとして理解するから気が滅入るのかもしれない。単なる数名の作家と関連ギャラリーのためのプロモーション誌と考えればよいのであろう。しかしこの雑誌がそれなりの歴史をもち、日本の戦後美術の文脈を形成することに一役買ったことは事実である。私自身過去に何度かこの雑誌に寄稿したことがあり、かつて発売日になると毎号それなりの興味と関心をもってこの雑誌を読んだこともある。あるいは70年前後のバックナンバー(この雑誌が一番輝いていた時代だ)を取り寄せてはそこに掲載あるいは訳出された重要な記事をコピーして何度も読み返したことも思い起こされる。それゆえこのような変質に対してなんとも無残、無念の思いが拭えないのだ。

by gravity97 | 2010-10-31 21:32 | 現代美術 | Comments(8)

0006

「頽廃? ぼうず、頽廃のことを話してやろうか!」
老人は暖炉の中の炎をにらみつけ全身を武者ぶるいさせながら、パイプの柄を思い切り噛みしめる。
すると一度、かちっと暖炉の薪のような音がした。
パイプの柄を口から離してながめている老人のようすからして。それがもう二度ともとに戻らないのがわかった。
家の中は仄暗い。
老人は電灯を使わない。貧困のせいであり、またけちな根性のせいでもあった。どんなに気前よくふるまおうとしても、生活が質素なのは、プロスペクト山のほかの住人―いやマサチューセッツの州ざかいからカナダにいたる地域にすべての人々と同じなのだ。
世の中に、金を払って買うにあたいするものなど、ほとんどない。
老人の背後の暗闇に置かれたテレビにまるで前歯が抜けたようにぽっかり黒い穴があいているのもそのせいだ。三週間ほど前のこと、老人はテレビに12口径のショットガンを向けたのだった。

by gravity97 | 2010-10-27 20:48 | PASSAGE | Comments(0)

黒ダライ児『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』

b0138838_847469.jpg
 驚くべき研究書が刊行された。まずその存在感と装丁に圧倒される。小口の部分まで黒く塗られた厚さ5センチはあろうかという大著だ。銀文字で記された『肉体のアナーキズム』という表題と「黒ダライ児」という奇怪な著者名。みるからに怪しげな書物である。
 しかし作者について多少の知識があれば、これは奇書どころか刊行が待ち望まれた研究である。筆者は黒田雷児という福岡アジア美術館に勤務する学芸員。黒田は1988年に福岡市美術館で「九州派」という画期的な展覧会を企画し、大きな注目を集めた。その後も1993年に「ネオ・ダダの写真」という注目すべき展覧会によって一貫する問題意識を示すとともに60年代の一連のアナーキーな美術活動に関していくつかの論考を発表してきた。いつかそれらが一つの書物にまとめられることは予想できたが、これほどの大著となろうとは。そもそも今日このような研究を刊行する出版社が存在すること自体,驚き以外のなにものでもない。壮挙と呼ぶべきであろう。
 一人の著者によって執筆された日本の戦後美術の通史として、私たちは針生一郎の『戦後美術盛衰史』、千葉成夫の『現代美術逸脱史』、そしてやや変則的な通史であるが椹木野衣の『日本・現代・美術』という三つの成果を手にしている。いずれも問題点はあるにせよ、日本の戦後美術を一つの文脈の中に編成しようとする試みであり、戦後美術を語る際の準拠枠となる労作である。本書の独自性は、これらの先行研究においてほとんど一顧だにされなかった作家たちを検証の対象として、年表を含めて700頁を超える大著に仕上げた点にあり、サブタイトルの「地下水脈」という言葉はこのような事情を暗示している。厳密にいえば、本書の内容は先行する三つの研究において全く触れられていなかった訳ではなく、特に椹木の著書における「裸のテロリストたち」と「芸術である、だけど犯罪である」という二章は本研究の内容とほぼ重複している。しかし本書において通史を論じるという目的は最初から放擲されている。冒頭で黒田は本書で扱う対象が、1957年から70年までの/日本で行われた/美術家による/「反芸術」の流れを汲む/身体表現 であることを明言する。少なくとも1970年前後までの日本の戦後美術史は、50年代中盤の具体美術協会、60年代の読売アンデパンダン展周辺の作家、そして70年前後のもの派という三つのメルクマールで語られることが通例であった。まずこれらのうち、黒田は具体美術協会ともの派を切り捨てる。今挙げた五つのキーワードに照らすならば、具体美術協会はなおも「芸術的」であり、もの派は身体性が希薄であるという理由によるのであろう。またサブタイトルに1960年代と冠せられているから、本書の一つのテーマがネオダダイズム・オルガナイザーズのごとき読売アンデパンダン展周辺に簇生したグループや作家であることはある程度推測される。しかしながら本書はなおも二つの点で通常の前衛美術研究と大きく異なる。一つは読売アンデパンダン展が開催された東京ではなく、地方における美術運動を中心に取り上げている点である。例えば本書には名古屋を中心に活動したゼロ次元と福岡を中心とした九州派についてのきわめて詳細な記述がある。先ほど述べたとおり、本書の起源の一つは福岡市美術館で開催された九州派展であったから、このような姿勢はたやすく理解されるが、それにしても丹念に各地の運動が掘り起こされている。例えば1965年に長良川河原で開催されたアンデパンダン・アート・フェスティバル、いわゆる岐阜アンデパンダンに関して、私はこれまで神戸で活動するグループ位による穴掘りのパフォーマンスと池水慶一が檻の中に自らを閉じ込めたパフォーマンスしか知らなかったが、本書を読むとそれが当時の地方的な前衛美術のネットワークの上に成立している点が了解される。本書で貫かれる立場はグローバリズムならぬ徹底的なローカリズムである。もう一つの特色は記述の軸を作品という物理的存在に置いていないことである。先に挙げた具体美術協会からもの派にいたる通常の通史においては作家が制作した作品を記述することによって歴史が語られてきた。いうまでもなくこのような姿勢を制度化したのが展覧会であり、これまで無数に企画された日本の戦後美術を概観する展覧会においては時に記録や再制作作品が添えられることはあっても、作品がその中心にあった。しかしこのような手法から抜け落ちる要素、それゆえたとえそのようなものがあったとせよ、「日本の戦後美術の正史」には決して記載されない活動が本書の主題とされている。本書の経糸を形成するのは例えば「英雄たちの大集会」、「狂気見本市」といったエフェメラルなイヴェントの数々である。中央ではなく地方に注目し、モノではなくコトを記述する。このような作業が実際にどれほど大変であるかは容易に想像されよう。私が本書の刊行を壮挙と呼ぶ理由である。この意味において本書は明らかにカルチュラル・スタディーズやオーラル・ヒストリーといった近年の人文学の新知見を背景としている。
 さて、現時点で私は本書を完全には読了していないが、なにぶん大著であり、読み終えてからレヴューするためには今しばらくの時間が必要となる。ひとまず黒田の意図は理解できたと考えるので、むしろ刊行直後に一種の切迫感とともに私の立場から若干の批評を加えることが望ましいのではないかと考える。この研究がきわめて貴重なものであることに疑問の余地はない。ゼロ次元でもクロハタでもよい、彼らの活動は本書が存在しなければこれほど詳細に記録として残されることはなかったであろう。この意味で私は本書を高く評価する。その点を書き留めたうえで、私はなおいくつかの疑問を呈しておきたい。一つはここで扱われている対象を一組の運動とみなすことができるかという点だ。果たしてここで詳述される集団や運動に一貫する意味、私の言葉を用いれば文脈を形成する力が認められるだろうか。例えば本書で一貫して批判的に言及される具体美術協会の場合、ハプニングの先駆、あるいはアンフォルメルの作家集団といった文脈によってひとまず理解することが可能であった。私の理解では文脈なくして意味はありえない。本書を通読するならば、60年代の反芸術的な身体表現に関してもいくつかの結節点と呼ぶべきイヴェントや展示があったことが理解されようし、これらの多様な表現の最終的な目的の一つが1970年の大阪万博という体制側による一大イヴェントの破壊であったことも明らかである。しかしそれらは相互にばらばらの印象を与え、研究として束ねてもあまり積極的な意味をもたないように感じられるのだ。欧米に比べて日本の戦後美術については常に一回きりの現象として生起し、連続性をもちえない点はこれまでも指摘されてきたが、この大著で概観される60年代のパフォーマンス、そして「反芸術パフォーマー列伝」を読む時、その印象はさらに強い。黒田自身は肉体や都市、儀式あるいは大衆といったいくつかのキーワードを手がかりに分析を加えているが、個々のパフォーマンスについては適応できる概念ではあるが、いずれも理論化になじまない。いや、むしろそのような理論化こそ、これらの集団が批判した点であったろうし、この点に黒田も意識的である。そしてこの結果、ここで取り上げられた数々のパフォーマンスはいずれもその場限りのお祭り騒ぎという印象を与えるのである。私が興味深く感じるのはその場限り、アド・ホックな特性は単にこれら60年代のパフォーマンスのみならず、実は戦後日本の現代美術に通底する特質ではないかと考えられる点である。つまり日本の現代美術には一つの表現を後続する世代が深めていくという発想がきわめて乏しいように感じられる。例えば今挙げた具体美術協会でもよい、一つの運動体としてそれなりに重要な働きを果たし、60年代には一種の権威として関西の美術界に影響力をもったはずであるが、彼らの表現がその後作品として深められた例を私たちはほとんど知らない。同様の断絶、一つの突出した表現が深められることなく、いわば死屍累々と美術史の中に置き去りにされる風景に私たちは見慣れてきた。例えば西欧の近代においてはモネ、セザンヌ、ピカソと連なる一つの理路が容易に指摘できるのに対して、日本においてそのような系譜をたどることは著しく困難である。モダニズムの不在といえばそれまでであるが、この意味において本書の内容は日本の戦後美術そのものの相似形と考えることはできないだろうか。この点は今後、より深く思考されてよい問題であろう。
 この点とも関わるのであるが、本書を読みながら強く感じたことは、私たちが果たして行為の美術(黒田は「美術」という言葉を嫌うだろうが)を批評するための言葉を持ち合わせているかということである。美術作品の場合、私たちはそれを記述するためのいくつかの方法や言語を編み出してきた。精神分析批評であれフォーマリズムであれ、そこでは言語が作品と拮抗している印象がある。しかし作品ではなく行為に関して、それに対立しうるような言語は彫琢しうるであろうか。映画や演劇であれば、なおも私は言語によって語るためのいくつかの方法論を知っている。それどころかロラン・バルトの記号論を想起すれば理解できるとおり、これらの新しい対象を分析することによって批評が新たな方法論を獲得することさえ可能であった。しかし本書で「行為の美術」を語る言葉は新聞で事件やお祭りについて記述する言葉に近く、いささか平板な印象があるのだ。この点は本書において論及されるパフォーマーたちが用いた言葉についての分析が少ないことと関係しているかもしれない。例えば篠原有司男がネオダダイズム・オルガナイザーズの旗揚げの際に著した異常な昂揚を伴った文章、あるいは加藤好弘が用いた異様に晦渋な文体などはそれ自体が一つの研究の対象足りうるであろう。これらの書字に対して黒田が重視するのは関係者からの聞き取りであり、両者の対立は先にも触れたオーラル・ヒストリーという問題圏へと接続可能である。私の考えでは批評とは言語の問題でもあり、この点に意識的な椹木がかつて『日本・現代・美術』において赤瀬川原平のパスティッシュとも呼ぶべき文体によって60年代美術を検討したことも想起されよう。困難な課題ではあろうが、「行為の美術」を批評するためには、新しい批評言語を創出する必要が感じられるのだ。
 それにしても驚くべき研究である。本書は黒田の長年の研究の集大成であるだけでなく、多くの新しい研究へと道を開く点で大きな意義をもつ。かくも困難な主題に正面から立ち向かった異形の研究の出現を喜びたい。

by gravity97 | 2010-10-23 08:50 | 現代美術 | Comments(0)

「バーネット・ニューマン」展

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 はるばる佐倉の川村記念美術館までバーネット・ニューマン展に出かけた。展示を見て唖然とする。この美術館が所蔵する《アンナの光》、この作品がニューマン屈指の傑作であることは間違いない。そして国立国際美術館が所蔵する《夜の女王》、この作品も縦長の珍しいフォーマットの傑作である。私の知る限り、国内の美術館に収蔵されたニューマンの油彩画はこの二点のみである。いずれもミュージアム・ピースであるから、ほぼ常時陳列されている。これにわずか5点の油彩画と1点の彫刻、そして若干の水彩と版画を加えた程度の内容を麗々しくも「ニューマンの国内における初個展」と呼ぶセンスはどうだろうか。
 私は展覧会とは作品に文脈を与える試みだと考えている。一点の作品は一つの文脈に置かれることによって初めて意味をもつ。もちろんこのような文脈は様々である。作家の制作順に並べる個展は最もわかりやすい文脈であるし、一つの美術館の収蔵品を借用して展示するコレクション展は最も安易な文脈の形成である。さらにこのような文脈が肯定的な場合ばかりではないことは、悪名高いナチスの「退廃芸術展」を想起すれば理解されよう。いずれにせよ、作品に文脈が与えられなければ展覧会の意味はない。しかしこの展覧会には文脈がない。相互にほとんど関係のない作品が年代的にも素材的にもばらばらに配置されている。この展覧会を訪れたとしても、ニューマンのジップ絵画がどのように成立したかについては一切理解できないし、ニューマンとユダヤ教との関係について思いをめぐらす機縁ともなりえない。作品数が少ないこともあって展示自体は悪くない。スポットライトを用いてドローイングに妙に劇的な効果を与えている点は個人的にはどうかとも思うが、広い壁面に一点の作品を展示する手法は効果をあげている。逆に展示効果を重視したからかくも意味不明の作品配置になったのかもしれない。典型的なジップ絵画の後に初期のドローイングが並び、版画と彫刻が唐突に併置されている。端的に言って、そこには展示についての思想が欠落している。かつて私は2002年にテート・モダンでニューマンの大回顧展を見たことがある。欧米の本格的な回顧展と比較することには無理があることはもちろん承知しているが、ロンドンの展覧会ではニューマンに関する数多くの発見があった。例えば意外にもニューマンのジップ絵画には作品によって質的なばらつきがあること、あるいは連作 Stations of the Cross が一つの時間的な構造として完結していること。優れた展覧会とは本来そのような発見の場であるはずだ。確かにニューマンの作品は日本ではあまり展示されたことがなく、川村記念美術館が所蔵している作品は屈指の名作かもしれない。しかし一点の名作を所持しているからといって、それに付け足しのように数点加えただけで「個展」を構成し、あたかも作家の全貌を紹介したような物言いをすることは作家に対して敬意を欠いた態度とはいえないか。私の理解によればこのレヴェルの展示に与えられるべき名は「特集展示」であり、間違っても「個展」ではない。誤解なきように付け加えるならば、私は作品数が少ないことのみを問題としているのではない。作品数が少なくても展示に文脈を与えることは十分に可能だ。例えば初期のドローイングとニューマンにとってブレークスルーとなった《Onement》もしくはそれに類した作例、そして《アンナの光》。この3点を展示して必要な説明を加えるならば最低限の文脈は保証される。あるいはニューマンにおける赤という問題に着目して《アンナの光》にいくつかの作品を加えてもそれなりに批評的な展示となるだろう。文脈の不在が問題なのだ。なんらかの文脈を整える試みを最初から放棄して、借用可能な美術館から選んだ行き当たりばったりの作品で展覧会を組織する安易さ(いかなる基準で作品を選んだかについて担当学芸員のテクストにも一切説明はなく、そこで論じられているのは《アンナの光》のみだ)と押しつけがましさに暗然とした思いにとらえられる。
 ニューマンの作品であれば欧米の大都市でいくつかの美術館を回れば結構な数を見ることができるから、展示の規模において本展はわざわざ見るには及ばない。しかし私はこの際、佐倉まで足を運ぶことを強く読者に勧めたい。皮肉ではない。ニューマンの作品に合わせてロスコ・ルームを見るためだ。私は近年、三回この美術館に足を運んだ。(全てこのブログにレヴューを書いている)一昨年の「モーリス・ルイス」、昨年の「マーク・ロスコ」そして今回である。ルイス展の際はロスコ・ルームの作品は全て貸し出されており、ロスコ展の時には特別展示室に展示されていた。このため私は今回初めてロスコ・ルームを訪れた。この空間と展示は素晴らしい。ロスコの遺志が過不足なく反映されているように感じた。展覧会としては問題があるにせよニューマンの名品を見た後に、この部屋に足を運ぶならば、色面抽象絵画の両雄、ニューマンとロスコの作品の相違がきわめて明白に知覚されるであろう。共通しているのは両者がともに展示される空間へと拡張し、空間との関係において成立している点である。当初から一つの部屋の壁面を巡る壁画として構想されたロスコ・ルームの場合は当然といえば当然であるが、明らかにニューマンの大画面も同様の特質を帯びている。今述べたとおり、脈絡のない展示でしかも出品点数が少ないにも関わらず、ニューマンの展覧会がそれなりの威厳を保っているのは、作品が展示空間との間に結ぶ緊張感のゆえであろう。カタログの中でイヴ=アラン・ボワ教授が指摘するとおり、作品の前に立つ時、見る者は、自分が、今、ここで、作品とともに在ることを否応なく意識する。この時、作家の問題意識がミニマル・アートの作家たちと接続することはたやすく理解できるし、ニューマンが抽象表現主義の作家たちの中でほとんど唯一、例えばドナルド・ジャッドやアンディ・ウォーホルのごとき作家たちと交流し、これらの後続する作家たちに敬意をもって遇されたことの理由も理解される。ニューマンの絵画と今、ここに共に在るという意識はきわめて身体的なセンセーションなのである。これに対しロスコ・ルームにおける「今、ここ」とは身体的というより精神的、瞑想的な体験である。いずれの作品の前においても私は絵画と直面しながら、絵画とは異なった異様な存在と対峙している感慨を受ける。しばしば崇高の名で呼ばれるこのような感情はニューマンとロスコで微妙に異なるように感じる。今のところ私は両者の相異をうまく言葉にすることができないが、今回それを感受しえたことは大きな成果であった。このような感慨は疑いなく二人の絵画の本質と関わり、おそらく彼ら以前には実現されえなかった絵画の位相を示している。私の言葉を用いるならばそれは絵画において近代と現代を分かつ。作品の形式や内容ではなく、場との関係とも呼ぶべき作品の外部への開かれが絵画の現代を画しているのだ。そしてこのような認識は図版や液晶を介しては決して得られることがない。この点を再確認するためにもはるばる佐倉まで足を運び、ニューマンの作品の前に実際に立つことが必要なのである。ボワ教授は同じ認識を「ここにわたしがいる」というカタログの論文タイトルとして確言する。ニューマンの場合、作品の前に作家や妻アナリーが立つ写真が多く残されているが、作品と観者の関係を示唆するこの種の写真が実は作品の本質と深く関わっていたことを私は今回の展示によってあらためて思い知った。
 先述した回顧展の際に発表された多くの論文と比べても、今回のカタログ中、今触れたボワ教授の論文は出色の内容といえよう。ニューマンのジップ絵画の成立とその意味が実に緻密かつ明快に論じられている。1988年に発表された「ニューマンを知覚する」という論文の問題意識がさらに深化され、通読して久々に知的な興奮を覚えた。おそらく翻訳も優れているだろう。おそらく、と書いたのはカタログに原文が収録されていないためだ。著者との契約によって原文の収録が禁止されたと推測するが、せめて末尾にタイトルのみでも示すことが出来なかっただろうか。副題の「バーネット・ニューマンの絵画における側向性」のうち、この論文のキータームである「側向性」の原語は何か、私としては大いに気になる。この論文では1949年の《アブラハム》という比較的地味な作品が綿密に分析されている。今回の展覧会の作品選定に寄稿者は関わっていなかったと考えるが、展示とテクストをもう少し有機的に関連させる努力ができなかったのだろうか。もしもこの作品が会場に展示されていたら、私はこの論文を読んだ後、その内容を確認するためにもう一度美術館を訪れたことと思う。
今回の展覧会を見て、私はあらためて展覧会という営みの奥深さに触れた気がする。個々の作品、展示の方法、ボワ教授の論文、どれも素晴らしい。しかし展覧会についての哲学が不在であるため、この展覧会は全体としてなんともちぐはぐな印象を与える。展覧会とは端的に企画者の哲学が試される場なのだ。

08/11/10 追記
最近、この展覧会の成立について、間接的にではあるが関係者から事情を聞く機会があった。それによると、作品の状態が悪い場合が多いため、ニューマンの作品の借用はきわめて困難であり、この点数が限界であろうとのことであった。したがって上に記した私の評は少々厳しすぎるかもしれない。いうまでもなく私は状態の悪い作品を日本まで運んで展覧会を開くよりは現地に見にいくべきだという立場である。
ニューマンに限らず色面抽象絵画の表面の不安定さの理由も今後検証されてよい問題であろう。

by gravity97 | 2010-10-12 20:57 | 展覧会 | Comments(8)