ケン・オーレッタ『グーグル秘録 完全なる破壊』

b0138838_21215837.jpg 1998年。まだわずか10年ほど前の事だ。スダンフォード大学の大学院に在籍していたラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンという二人の若者が一つの会社を設立する。10年余りの時を経て、この会社は世界的な巨大企業へと成長し、単に莫大な収益を上げるだけではなく、人類の社会や文化を根底から覆す可能性をもったいくつものプロジェクトに手を染める。ほとんどSFのようなエピソードであるが、会社名を聞けば誰でもその事実を認めざるをえない。いうまでもない、あなたも私も毎日利用しているグーグルだ。なぜこのようなことが可能であったのか。そしてグーグルは私たちをどこに連れて行こうとしているのか。『ニューヨーカー』の敏腕記者がこの二つの問いに正面から取り組み、丹念な取材をもとに著したのが本書である。鍵を握る人物や企業がめまぐるしく交替し、ITに詳しくない者にとっては意味不明の言葉が次々に登場する。この種の訳書によくあることとはいえ、原語を片仮名に置き換えただけの生硬な翻訳はお世辞にも読みやすいとはいえないが、グーグル内部、そしてグーグルに批判的な関係者からの綿密な聞き取りに基づいた内容は、以前このブログで取り上げた、NHK記者が番組制作の片手間に書いたグーグル礼賛のつまらないルポとは訳が違う。
 大学での起業から経営をめぐる試行錯誤、ヘッドハンティングと企業買収の応酬。無数のインタビューをとおして浮かび上がるグーグルの歴史はインターネット黎明期の年代記としても興味深い。読めば読むほど、グーグルが特異な企業であることが理解できる。創業者のペイジとプリンは経歴が示すとおり、純粋なエンジニアである。彼らは世界中の全ての情報を検索可能にするという壮大な野心のもとに、次々に画期的なプロジェクトに着手する。彼ら二人がきわめて優秀なエンジニアであったことは間違いないにせよ、IT技術の急速な革新とインターネット環境の整備、さらには彼らのような起業家を支援する投資家の存在といったいくつもの時代的な背景が重なり、グーグルの奇跡は可能となったのであろう。創業時のグーグルの社風が徹底的なエンジニア重視であったことは本書を読むと直ちに理解される。エンジニアにとって働きやすい環境を整備することが最大の目標であり、社員が無料で利用できるカフェレストランをはじめとするさまざまの福利施設やサーヴィス、エンジニアのために効率化された社内組織、さらに就業時間の20パーセントを仕事とは無関係の各自の研究に充ててよいとする有名なルールなど、「エンジニアの楽園」と呼ぶにふさわしい環境が整備される。しかし研究機関ならばともかく、ひとつの企業としてグーグルが生き延びるためには収益を得ることと、マネージメントを専門とするスタッフが必要とされる。オーレッタは多くの関係者にインタビューを重ねて、意地悪くいうならば「理系の専門馬鹿」によって設立されたグーグルがいかにして巨大な企業へと成長したかをあとづける。結論を単純化して述べるならば、収益に関してはアドセンスとアドワーズという検索連動型広告の導入によって、従来のシステムとは全く異なった画期的な広告の手法を開発する。スタッフに関しては、ペイジとプリン自らが面接官を務める面接試験を経て、紆余曲折の結果、現在のCEOであるエリック・シュミットという有能な経営者を得て、企業としての地歩を固める。しかしながら本書を読む限り、この経緯も決して単純ではない。今では考えられないが、草創期において、グーグルは検索エンジンとしての優秀さは広く認知されながらも全く収益を上げることができない時期がしばらく続いたという。またシュミットを獲得するまでの複雑な経緯、さらにシュミットが加わった後、ペイジ、プリンとシュミットの微妙な関係などもきわめて興味深く、本書の読みどころであろう。先にも述べたとおり、グーグルの特異さはこれほどの大企業でありながら、エンジニアが完全にイニシアティヴを握っている点に求められる。全ての情報を検索可能にするという理想は確かに人類にとって一つの夢かもしれない。そしてグーグルの技術力はもしかしてそのようなことが可能となるかもしれないという幻想を抱かせる。いかなる高い理想のもとに開発されようとも科学技術自体は没価値であり、善でも悪でもない。しかしグーグルは「邪悪になってはいけない」という有名な社是を導入することによって、開発する技術が善であることを自らのレゾン・ド・エートルとして提唱する。今日、企業が利益を社会に還元することはなかば常識とされている。しかしここまで無邪気に自らの善性が事挙げされる時、私たちは当惑を覚えざるをえない。このような無邪気さは本当にその技術力によって裏打ちされているのであろうか。検索によって有用な情報と有害な情報をともにピックアップすることができるが、その内容を技術的に区別することは不可能なはずだ。私はグーグルを牽引するエリートエンジニアたちが抱く技術と人間性に対する奇妙な自信と楽天主義をなんとも不可解に感じる。とりわけ本書で縷述されるとおり、巨大企業に成長したグーグルが組織の宿痾とも呼ぶべきさまざまの弊害を露呈させつつある現在、このような理想を掲げ続けることは果たして可能であろうか。
 いうまでもなくグーグルの全ての活動は情報の流通という問題と関わっている。翻って広告も一つの情報と考えることができよう。必要な情報を得る過程で、それと関連した商品に関する情報(広告)に触れる機会をつくること。新聞やTV、あるいは雑誌といった媒体もこのような枠組に関しては基本的にグーグルと変わるところがない。しかしグーグルの場合、決定的に異なるのは情報を無料で得ることができることだ。音楽や映画といった娯楽も一つの情報と考えるならば、有料か無料かという差異が一つの業界にとって死活的な意味をもつことは容易に理解される。オーレッタは特に新聞社と音楽業界に集中的に取材して、グーグルが推進する一連の試みが著作権や報道のモラルといった問題とどのように抵触するかを検証する。オーレッタの取材は「邪悪でない」はずの企業が秘める攻撃性や傲慢さ、秘密主義に肉迫している。今日、グーグルがもたらす変化は劇的であり、それがどのような帰結をみるかについて誰も確信をもって論じることができない。『GOOGLED : The End of the World As We Know It』という原著のメインタイトルは直訳するならば「グーグル化された」といった意味であるが、日本語タイトルの『グーグル秘録 完全なる破壊』とは今述べたような状況を暗示している。
 本書を読んで私はあらためて二つの懸念を抱いた。まず一つの私企業がかくも膨大で詳細な個人情報を掌握することの恐怖である。むろんもしこれらの情報が漏洩することがあれば、それはグーグルという企業にとって致命的なダメージを与えるから、本書の中でも関係者がそのような危惧を一笑に付す記述がみられた。しかし私たちの行動、思想、嗜好から性癖までを一元的に管理するシステムが成立しうるという悪夢ではなく現実、それは私にとっていかなるディストピア小説より恐ろしい。本書の中に2008年のグーグル・ツァイトガイストという大集会において登壇した創業者の一人、サーゲイ・プリンが最近自らの母がパーキンソン病であると診断されたこと、遺伝子分析の結果、自らも同じ病気を発症する確率が判明し、それに基づいて自分の人生を設計できることは「ツイている」と述べたというエピソードがある。この挿話が意味するところは明らかだ。私は直ちに遺伝子的に管理された未来社会を描いたSF映画「ガタカ」を連想した。グーグルの技術は今や究極の個人情報とも呼ぶべき遺伝情報の管理へと道を開こうとしている。つまり人が生まれながらにしてその遺伝子的形質によって検索され、選別され、管理される社会。むろんこれは今のところは悪夢にすぎない。しかし一企業が開発した「中立的な」技術が国家によって、独裁者によって統治のための道具として使用された例は歴史に事欠かない。(本書に記載された記事ではないが)各国の諜報機関はグーグルに強い関心をもち、そのような機関との関係について問われたグーグルは例によって木で鼻をくくったような返答をしたという。中国からの撤退問題でも明らかなとおり、グーグルは今や国家に対しても脅威を与える存在であるが、両者の関係は今も必ずしも明確ではない。
 グーグルという検索エンジンを介す時、情報は質ではなく検索頻度によって評価される。「群衆の叡知」といえば聞こえはよいが、クリックされやすい情報が集中的に消費されるシステムによって世界が一元的に覆われることにも私はなんとも不気味な印象を受ける。かかる検索アルゴリズムこそグーグルの秘密の核心であり、それは恣意の介入する余地がない機械的なプロセスであるという。それは真実であろう。しかしそれならば人間もまたかかる検索アルゴリズムの一部、機械の一部と化しているのではなかろうか。人は検索をすることによって、グーグルにデータを与える。そしてそれらのデータは世界を多様にするのではなく、均質化する。世界を一つの機械とみなす発想は古来より存在したが、グーグルの検索エンジンはこのようなモデルの最新かつ完璧な実現形態ではないか。そこでは人のために検索エンジンが存在するのではなく、検索することによってのみ人は世界に対して意味をもつ。かかる倒錯からは例えば映画「マトリックス」における現実と仮想現実の反転するイメージなども連想されよう。
 私はいささか飛躍しすぎただろうか。繰り返しとなるが、本書を通読して私はグーグルがきわめて異例の企業であることをあらためて認識した。今日、携帯電話やPCなしに社会生活を送ることができないように、今や私たちは検索という営みなしの生活を想像することはできない。携帯電話やPCはハードウエアであるから、代替可能である。これに対して検索とは人間の精神のあり方と関わっているように思われる。それに関わる技術が今やただ一つの私企業に独占されているという事実はさらに深く思考されてよいのではないだろうか。

by gravity97 | 2010-07-28 21:22 | ノンフィクション | Comments(0)

村上春樹 ロングインタビュー

b0138838_9365833.jpg このブログの「日本文学」のジャンルにはこれまで6本ほどの記事を書いた。『1Q84』の刊行という事情や個人的な嗜好を別にしても、そのうちの半分が村上春樹関係とは、我ながら少々情けない。
『考える人』の最新号に村上春樹のロング・インタビューが掲載されている。村上のインタビューは比較的珍しいとはいえ、過去にもいくつかの雑誌に掲載されたことがあり、村上には海外での生活、マラソンやジャズについて語ったいくつものエッセーもある。しかし今回は箱根、おそらくは冨士屋ホテルで三日間にわたって行われた文字通りのロング・インタビューで情報量も格段に多い。インタビュアーは同誌編集長の松家仁之。松家は新潮社のいくつかの雑誌の編集長を務め、本号をもって『考える人』誌から退くということであり、インタビューにも気合が入っている。松家はおそらく過去に文芸関係の仕事も経験したのであろう。村上の作品や過去の発言にも詳しく、ジャズについても村上と対等に話せるほどの素養をもっていることがわかる。
当然ながら初日は『1Q84』の話題が中心となる。村上の中でもこの小説が一つのメルクマールを画すことが語られ、まだ完結していないとも語られる。これまで執筆した作品についても簡単なコメントが加えられるが、『ノルウェイの森』がきわめて異質の物語であった点については私も同感である。二日目はこれまで比較的触れられることの少なかった村上の学生時代や「ピーター・キャット」という店を経営していた頃の回想、そして読書体験が回顧され、最後に村上の典型的な日常が語られる。村上自身は「一番退屈な部分」と言っているが、作家の日常生活は私にとって大変興味深かった。三日目は村上が手がけた翻訳の話に始まり、村上の小説をいかなる方法で海外に売り込んだかというかなりプラクティカルな内容のインタビューが続く。この部分も初めて聞く話が多く楽しめる。
通読していくつかの感慨を抱いた。まず当然予想していた点であるが、村上が小説の方法という点にきわめて意識的な作家であることが言葉の端々から明らかになる。最初に『風の歌を聴け』から『1Q84』にいたる作品の展開が、本質において一人称から三人称への移行であったことが語られる。この変化の契機としては間違いなく地下鉄サリン事件に取材した一連のノンフィクションが存在し、個人と社会の関係を考えるうえでも示唆的な論点を提起している。あるいは村上は小説家にとって重要な三つの資質として文体と内容とストラクチャーを挙げる。初めの二つは誰でも思いつくが、ストラクチャーという発想はこの作家ならではのものではないか。そして村上はサリンジャーの小説の欠点はストラクチャーの不在であると鋭い指摘を行っている。
このインタビューを通読するならば、村上の小説が二つの異なったバックグラウンドの中に形成されていることがあらためて理解される。一つは外国語との関わりである。村上は高校時代から英語のペーパーバックを耽読し、ヨーロッパやアメリカに長期滞在した経験をもつ。知られているとおり、村上はサリンジャーからカーヴァー、チャンドラーにいたる20世紀のアメリカ小説に関して多くの翻訳も続けてきた。村上によると小説を書くことと翻訳することは全く異なった営みで、小説の執筆に苦しんでいる時、翻訳はよい息抜きになるという。インタビューの中で村上は自らの翻訳作法についてかなり具体的に述べている。一つの表現を別の言語に移すという営みが自らの言葉を陶冶するうえで小説家にとって大きなヒントになることは想像に難くない。村上は(柴田元幸に倣って)翻訳の際の正確さを重視する。したがって村上にとって翻訳とは表現ではなく技術である。一つの観念を正確に別の言語に置き換えること。私は村上の独自の文体はこのような作業と深い関係にあるように感じる。以前から気になっていた点であるが、それにしてもなぜ村上が好む小説家は一人の例外もなく、私にとって著しく魅力を欠いた作家ばかりなのであろうか。私自身もこれまでにフィッツジェラルド、カポーティー、サリンジャーあるいはジョン・アーヴィングやカーヴァーといった作家の作品をさまざまな訳者、時に村上訳で読んできた。村上の翻訳は多少読みやすくも感じられるが、一部の作品を除いて(といってもサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとゾーイー』くらいだ)彼らの小説は端的に面白くない。世代的な差もあるだろうし、村上が最初、原書で読んだという事情が大きく関わっているだろうが、逆に例えば村上の発言の中に、ヘミングウェイやケルアック、最近ではオースターからエリクソンといった私好みの作家についての言及がみごとなまでにない点は逆に興味深く思われた。
もう一つのバックグラウンドはランニングのトレーニングである。このインタビューの中で村上は自分がどんなに気分が乗らない日であっても一日に10キロ走ることを自らに課していることを述べる。実は私はこのインタビューと前後して文春文庫から刊行された村上のメモワール『走ることについて語る時にぼくの語ること』を読んだ。この中でも集団競技や勝ち負けを争う競技を嫌う村上にとって、走ることが最も手頃なスポーツであり、生活のペースメイカーであることが率直に語られていた。それにしても毎年フルマラソンを走る作家はさすがにほかに例がないだろう。このような日常、毎日のルーティンが小説の執筆のアナロジーであることはたやすく理解できる。実際、インタビューの中で村上は毎朝起床すると10キロならぬ原稿用紙10枚分の原稿を書くことを自らに課していることを語っている。ランニング同様にどんなに気が乗らない日でも10枚書くという習慣の重要性を村上はチャンドラーの言葉を引きながら力説する。ここから直ちに連想されるのは村上の小説の登場人物の生活にみられる規則性である。『ねじまき鳥クロニクル』の主人公が作るパスタの手順、『1Q84』では青豆のストレッチ・トレーニングの手順(青豆の造形には村上が個人的に利用している女性のストレッチ・トレーナーがいくぶん寄与しているかもしれない)。規則性あるいは手順を遵守することへのやや神経症的な拘りは作家の私生活と小説の登場人物の日常に共通している。さらに『1Q84』の中には天吾がふかえりの小説を推敲する手順についての長い記述があるが、この手順も村上がフィッツジェラルドやカーヴァーを翻訳する方法を彷彿とさせる。
プロの翻訳家並みに英語に堪能でありながら、大学や英文学といったアカデミズムの世界とは無縁の小説家。毎日定められた量の執筆とトレーニングを繰り返し、規則正しい生活を送る小説家。このような作家像はいずれも私たちが日頃抱きがちな小説家、あるいは「文士」のイメージからほど遠い。しかし長いインタビューを読みとおして、私は村上が真の小説家であることをあらためて痛感した。村上も語るとおり、もはや19世紀的な小説は成立しない。今日、小説を書くことは、絵画を描くことや思想を彫琢することと同様に困難である。しかしこのインタビューからは意志さえあれば、今日でも小説は可能であること、そしてそれが言語能力と自らの身体という、小説家にとって当たり前といえば当たり前の前提を鍛えることによって可能となることを教えられた。

by gravity97 | 2010-07-19 09:37 | 日本文学 | Comments(0)

原武史『滝山コミューン一九七四』

 3年前に刊行され、書店で手に取りながら読む時機を逸した本書が思いのほか早く文庫に入った。若干の加筆訂正があるとのことでもあり、文庫化されたタイミングで通読する。
 1974年、東京郊外の滝山団地。筆者である原が通う東久留米市立第七小学校で、一部の教師によって児童を主体とした自主的な学習や生活に取り組む指導が進められた。原は次のように記す。「私はここで、国家権力からの自立と、児童を主権者とする民主的な学園の確立を目指したその地域共同体を、いささかの思い入れを込めて『滝山コミューン』と呼ぶこととする」一見、理想の共同体のごとく感じられる「滝山コミューン」での日常は、しかし原にとってきわめて抑圧的な体験であった。およそ30年後、社会学者となった原が当時の記憶と記録を掘り起こし、この異和感の由来を探った記録が本書である。したがって本書は小学校時代、とりわけ小学校6年生の夏というきわめて限られた期間、自分が感じた居心地の悪さを広く社会的、歴史的な背景を視野に容れながら分析した記録ということができるだろう。普通なら忘却してしまう幼時の記憶に拘泥し、30年後に検証するという屈折はそれなりに切実であるし、それゆえか本書は講談社ノンフィクション賞を受賞したとカバーに記されている。しかし本書を読み終えた感想は一言で言って生ぬるい。ノンフィクションと呼ぶにしては調査やインタビューが場当たり的で、参照される資料も限定されているうえに書誌的な言及がほとんどない。佐野眞一や鎌田慧のノンフィクションやルポルタージュに馴染んだ私にとって、本書は感傷に基づいた学者の回想でしかない。
 実は私は原と同世代である。したがって本書の中で言及される事件や風潮について、私も原とほぼ同じ年齢で経験している。例えば本書の中で原が通った第七小学校の事例が先進的な例として朝日新聞の連載コラムで取り上げられたという記述があるが、このコラムとは当時朝日新聞に長期連載され、大きな反響を呼んだ「いま、学校で」という記事であろう。この連載を当時小学校高学年であった私も毎朝読んだ記憶がある。ただし地方で育った私には大都市圏の学校における教師と児童、親と児童、そして児童相互の葛藤のニュアンスがよくわからない。おそらく原は気づいていないだろうが、同じ時代に地方都市で育った者が読むならば、本書の記述には無自覚の特権意識が見え隠れしている。このような無意識はこれに先立つ60年代末、高校時代の回想であるが、自己美化に満ち満ちた四方田犬彦の『ハイスクール1968』、あるいは東京ではなく阪神間を舞台とした中島らもの青春記『僕に踏まれた街と僕が踏まれた街』などを読んだ際にも感じられた。人は少年期あるいは青年期を与えられた場で一度しか生きられないとはいえ、たまたま都市部に生まれたという偶然によって自分たちが恵まれた環境で成長したという事実にこれらの書き手たちが全く無自覚な点にかねてより私は不審を感じている。
 本書に戻ろう。東京郊外、新興のマンモス団地の中にある東久留米市立第七小学校はきわめて特殊な環境下にあったと原は指摘する。児童のほとんどが団地に住んでいたため、きわめて同質的な社会集団が形成されていたからだ。高度成長時代の末期、労働問題はいたるところでストライキとして噴出する。国鉄のストライキ、あるいは日教組に指導された教職員のストライキが頻発し、しかも革新系の政党の支持者が多い団地において、ストライキは漠然とした支持を得ていたという。反安保闘争、ベトナム反戦運動と続いた「政治の季節」が72年の連合赤軍事件で終焉し、代わって個人主義、私生活主義が台頭するという教科書的な戦後史観を原は拒絶する。つまり「政治の季節」が終わったはずの70年代中盤においてもなお社会主義の理想は持続し、民主主義や自主性といった理念が息づいていた。このような理念はことに1970年代、郊外の団地(この問題は島田雅彦がいくつかの小説で主題化したサバーヴィアニズムの問題とも関連づけられてよいだろう。ちなみに島田と原は同年代のはずだ)をバックグラウンドとする教育現場においてなおも信奉されており、自主的なPTA活動の確立、文部省検定を通らない算数の教科書の使用といったかたちで第七小学校においても実践されていた。そして何よりも重要なのは日教組から生まれた全国生活指導研究協議会という民間教育団体が主導する「学級集団づくり」という手法が、片山という若い意欲的な教師を通じてもたらされたことである。私はこのような手法が当時どの程度普及していたかわからない。私が通っていた小学校にも本書の一つの章のタイトルとなっている「代表児童委員会」のようなものは存在していたと記憶する。あるいはこのような手法が今日の教育現場ではどのように総括されているかについても知りたいところである。いずれにせよ、「学級集団づくり」とは学級をより小さな班という構成単位に分割し、学級活動に対して各人に一定の役割や責任を分担させ、優秀な班と劣った班(ボロ班)を決めるために班対抗の競争をさせるという手法である。これが果たして「教育的」な指導であろうか。片山に指導された5組の児童たちは次第に「代表児童委員会」の主要なポストを占め、ロボットのように学校を支配する。このように内面化された恐怖政治の一つの頂点が児童たちによって「自主的に」計画された林間学校であった。きもだめしや登山、食事作りといった一見楽しげな催しが「学級集団つくり」を介して統制されることについての強い異和が語られる。私も集団生活とか団体行動が大嫌いだから、原の感慨はわからないでもない。高い理念と熱い情熱をもった教育が現実にはきわめて独善的なふるまいに終始することは十分にありうる。あるいはティーンエイジャーを利用して、しかも彼らの内発によって残酷な統治や支配を実行する手法は原も言及するヒトラー・ユーゲントから紅衛兵、最近ではポル・ポト治下のクメール・ルージュの少年兵まで歴史的にたどることができるかもしれない。
 b0138838_2193335.jpgしかし所詮は「滝山コミューン」、コップの中の嵐ではないか。
 私が本書を批判的に読む理由は、原が「滝山コミューン」に対置し、小学校では得られない安らぎを得たと回想する場が「四谷大塚」という悪名高い受験予備校であるからだ。原は日曜日ごとにこの予備校の試験に通い、強制も指導もない休日を過ごす。鉄道好きの父親の影響、そして毎週、四谷や代々木に通う通学の途上、多くの鉄道を乗り継いだ体験が後年の原の鉄道趣味を培ったこと、あるいはこの移動と関連して語られる御用列車や天皇をめぐるいくつかのコメントも本書の読みどころであり、最近の原の仕事の片鱗もうかがえる。原は「四谷大塚」について語り始める際に「私はいまでも、この時点で中学受験の権化というべき四谷大塚と関わりをもったことを恥ずかしく思っている」とその印象を率直に記している。そして現実においても自主的な学習を是とする「滝山コミューン」にあっては、週末ごとに学習塾へ通うことは指弾されても仕方のない行為であった。この本の随所で塾通いについて感じた居心地の悪さが記される一方で、当時交流した数少ない友人の多くが「四谷大塚」に通っていたことも記されている。「滝山コミューン」から疎外された原にとって、「四谷大塚」が一種のアジールとなったことは十分に推測されよう。しかし私立中学受験希望者を集めては試験を課し、選別するシステムは「滝山コミューン」以上にくだらない。「四谷大塚」に関する記述が機械的で淡々としているのは原がこの点を自覚していたことを暗示しているだろう。本書の中で第七小学校の同級生の母が著し、講談社から刊行されたという『有名中学合格―母親が書いた初めての中学受験モーレツ日記』(それにしてもなんというタイトルだろう)という本から引用がなされるが、当時の「教育ママ」のなんとも救いようのないメンタリティがうかがえる内容である。原も説くとおり、「滝山コミューン」はきわめて特殊な例かもしれないが、学校では疎外され、受験塾とその行き帰りにかろうじて安らぎを得る小学生の姿には同情を禁じえない。当時の日本の教育システムに根本的な病根があったのか。あるいは同様の苛酷な状況は今日も都市部では続いているのであろうか。
同じ時代に学校生活を送りながら、私はそのような息苦しさを感じたことがない。それは単に私が「学級集団づくり」とも私立中学受験と無縁な、のどかな地方都市で日々を過ごしていたためであろうか。先に私は本書の類書として四方田犬彦と中島らもの回想を挙げた。原、四方田、中島の三人に共通する点はいずれも都市部の教育熱心な家庭に育ち、名門と呼ばれる学校に通ったことであるが、彼らはいずれも学校生活の中で深刻なアイデンティティー・クライシスに直面する。彼らの回想を読むならば、今見たとおり原が小学校時代に、四方田が高校時代に、そして中島が大学時代に経験した挫折は三人にとって深いトラウマとなったことがうかがえる。最初に私は都市に生きる者の「恵まれた環境への無自覚」について語った。彼らの体験をどの程度普遍化できるかはわからないが、かかる精神的危機は彼らが育った「恵まれた環境」の代償なのだろうか。

by gravity97 | 2010-07-08 21:11 | ノンフィクション | Comments(0)

記事内への広告の挿入について

 7月1日より、エキサイトブログの最新記事内にテキスト広告が二本挿入されることになった。
 私にとってデザインがシンプルであること、無料であることと並んで、広告が掲載されないことがエキサイトブログを使用する大きな理由であったから、この決定はきわめて遺憾である。
 記事とある程度関連した広告が挿入される模様であるが、記事によっては好ましくない内容の広告が掲出されることも予想される。
 今後、ブログの移転、デザインの大幅な更新を含むいくつかの対応策を検討する。諒とされたい。

by gravity97 | 2010-07-02 17:24 | Miscs. | Comments(0)

写真のシアトリカリティ2 マイケル・フリードに聞く

 b0138838_922293.jpg昨今の美術ジャーナリズムの凋落、美術批評の低迷は目を覆うばかりであるが、気骨のある批評誌が皆無という訳ではない。今回紹介する『photographers’ gallery press』という雑誌がそれだ。誌名から推測されるとおり、新宿にあるphotographers’ gallery というギャラリーから一年に一回程度発行される定期刊行物であり、先日、第9号が発行された。私はこのギャラリーを訪ねたことがなく、運営主体、あるいはギャラリーの展示と雑誌がどのような関係にあるのかわからないが、毎号、レヴェルの高い論文が収録され、読み応えがある。いくつかの書店にはバックナンバーが常備されているらしいが、私は書店や美術館のブックストアで本書を見たことがない。内容のみならずデザインやレイアウトも隅々まで配慮が行き届いたこのような批評誌が一体いかなる編集者、編集体制のもとに発行され、いかなる層に支持されているか、興味のあるところだ。
 さて最新号は帯にあるとおり、特集として「写真のシアトリカリティ2」、メインの記事として、マイケル・フリードへのロング・インタビューが収録されている。現代美術の批評に通じた者であれば、これらのキーワードを一瞥するだけでただちにこの特集の高度の批評性が理解されよう。フリードとシアトリカリティ、それにしてもなぜ「写真の」シアトリカリティなのか。実はこの雑誌でこれらの問題について特集が組まれたのは最初ではない。2006年に発行された第5号で「写真のシアトリカリティ」と題された最初の特集が組まれ、翌年に発行された第6号においてはマイケル・フリードが2005年に発表した「ロラン・バルトのプンクトゥム」と題されたテクストが訳出されるとともに、今回の特集でフリードにインタビューを行った甲斐義明氏の「写真とカラーフィールド・ペインティング―マイケル・フリードのジェフ・ウォール論」という論考が掲載されていた。フリードがバルトを論じたことにはさほどの感慨もなかった私であるが、ジェフ・ウォール論を発表したと知り、驚愕してしまった。さらに追い討ちをかけるように2008年にフリードはジェフ・ウォール論を含む浩瀚な写真論集『なぜ、写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』をイェール大学出版局から刊行した。フリードの美術批評と美術史研究になじんだ者であれば私ならずとも、その挑発的なタイトル、そしてよりによって彼が写真をテーマとした大著を江湖に問うたことに衝撃を受けるだろう。しかしそれ以上に驚くのはフリードの問題意識の一貫性である。特集のタイトルにあるとおり、彼の写真論において一つのキーワードとなるのはシアトリカリティ(演劇性)なる概念であるが、周知のとおり、この概念は1967年に発表された有名な論文「芸術と客体性」において、ミニマル・アートを芸術の敵として排撃する際にミニマル・アートの本質として提起された。フリードは60年代後半にフォーマリズム批評の規範とも呼ぶべき一連の論文を発表した後、突然現代美術の批評から撤退し、『没入と演劇性』に始まるいわゆる美術史三部作を発表する。フランス近代絵画を没入(absorption)と演劇性(theatricality)という対立概念でとらえるという発想はディドロに触発されたものであるにせよ、演劇性というミニマル・アート批判、つまりモダニズム美術擁護の中で陶冶された概念がフランス近代絵画という全く別の文脈に持ち込まれて鋭利な切れ味を示したことは当時きわめて刺激的に感じられた。ただしフリードは慎重に現代美術批評と美術史研究を区別しているため、これらの議論は表面上交差することはなかった。そしてこの概念が最初に提起されてからおよそ半世紀近くが経過した今日、こともあろうにポスト・モダニズム、現代写真の分析に同じ概念が導入されるとは、私でなくても知的な興奮を覚える事態であろう。
 フリードは私の知る限りでも1991年に来日していくつかの大学と美術館で講演を行った。その折に氏と語らう機会があったので、私はなぜ現代美術に関心を失ったか、率直に訪ねた覚えがある。興味を引くような作家も作品もなくなったというこれまた率直な答えがあり、実際にフリードはいくつかの文章の中で同様の感想を述べていたと思う。その後、98年にシカゴ大学出版局から『芸術と客体性』と題された60年代後半の現代美術批評をまとめた論集が刊行されるという事件はあったが、90年代以降の美術の中に議論に値するものはあまりないという点に関しては私も同意見であったから、私の中ではフリードが現代美術の批評に手を染めることはおそらくもうないと考えていた。ところが彼は2005年頃より矢継ぎ早に現代写真に関する批評を始めた。先にも触れたとおり、私はこの雑誌の第6号に掲載されたフリードのバルト論の訳者解題、そして甲斐氏の論文を通じてそのことを知ったが、原著を入手することができなかったので詳細を確認することができなかった。しかし昨年、先に述べた写真論集が刊行されたため、早速入手し、図版を参照しながらフリードの議論を追っていたところ、絶好のタイミングでこの特集が発行された訳である。
 私は写真を専門に研究している訳ではないし、フリードの新しい大著を精読した訳でもない。ここでは今後検討されるべきいくつかの論点を指摘するに留めたい。実際にフリードの写真論について論じることはかなり難しいとみえて、フリードのインタビューの後に収録された林道郎氏の解説もいつになく難解な印象を受けた。おそらくそれはバルトからソンタグにいたる一連の写真論の文脈に、主として20世紀アメリカ美術とフランス近代絵画研究の中で陶冶されたフリードの作業仮説を挿入することの困難に起因しているだろう。実際にインタビューの中で言及される「被視性(to-be-seenness)」、あるいは「隔離世界性(world-apartness)」といった重要な概念はフリードのこれまでの研究と微妙な距離をとるように感じられるが、言及される写真家について十分な知識がないため、インタビューの中で説かれるところは必ずしも判然としない。しかしこれらの概念はひるがえって絵画の研究に際しても有効かもしれない。
 ジェフ・ウォールのごとき写真家であれば、フリードが論じる意味はわからないでもない。人物を中心に据えたいわゆるコンストラクテッド・フォトであり、多くの場合、なんらかの物語性が暗示されている。それらはフリードが時に批判的、時に好意的にとらえたフランス近代絵画の演劇的/没入的伝統との親近性を感じさせる。例えば『なぜ、写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』中、ジェフ・ウォールに関する論考の冒頭に掲げられた作品は実在の画家、エイドリアン・ウォーカーが解剖学の実験室で切断された腕をデッサンしている模様を撮影したものであるが、デッサンに没入している画家の姿は、甲斐も指摘するとおり、例えば机の上にトランプの札を立てる遊びに集中しているシャルダンの絵画を連想させる。さらにいえば解剖というモティーフ、メスを連想させる尖ったペンを手にした画家の姿から私やはりフリードが犀利な分析を与えたトマス・イーキンスの《グロス・クリニック》も連想された。あるいは上に掲げた表紙に掲載されている図版はやはりジェフ・ウォールが三島由紀夫の『春の雪』に触発されて制作した作品なのであるが、この作品を介してフリードが「豊饒の海」について語るのを聞くのはなんとも嬉しい驚きではないか。(実際にフリードの写真論にはヴィトゲンシュタインと並んで、三島から川端康成へ宛てた手紙が引用され、三島の『春の雪』に関する長い脚注で終わっている)没入というテーマ、あるいはオリエンタリズムとの関連でいえば、私は同様に周到なコンストラクテッド・フォトを制作するやなぎみわについてフリードがどのように判断するか、再会する機会があれば是非尋ねてみたいと考える。今みたとおり、ウォールとシャルダンの対比は理解しやすい。しかしさらに驚くべきというか、フリード的な思考のアクロバットに幻惑されるのはウォールの《モーニング・クリーニング》という作品、ミース・ファン・デル・ローエ設計のバルセロナ・パヴィリオンの室内を洗浄する掃除婦の情景をなんとモーリス・ルイスのアンファールッド・シリーズと結びつける議論である。作品のサイズ、構成要素を画面の両端にまとめる構図、窓の洗浄とルイスにおける絵具の流れの一致といった共通性が指摘されるが、抽象絵画と迫真的な写真。強引といえば強引、刺激的といえば刺激的な論点だ。さすがに私もここまでの飛躍にはついていけない気がするが、かなり強引な議論でも読むと納得というのが、フリードの美術批評/美術史研究を読む醍醐味であったから、フリードの大著についてはいずれ腰を据えて精読しなければなるまい。
 私の考えでは絵画と写真を論じるにあたって、最大の差異は表面に求められる。物質として成立する絵画の表面と、なめらかなイメージの広がりとしての写真の表面。インタビューの中でもこの点は中心的な論点の一つであったが、果たしてこの点を考慮することなく、両者を統一的なパースペクティヴの中に論じることができるか。私は大いに疑問に感じるし、この点に関してはインタビューの中でフリードの口が重いように感じられたもう一つの話題、メディウムの限定性の問題とも深く関わっているだろう。
 それにしてもこれほどレヴェルの高いインタビュー記事は最近読んだことがない。写真という領域ではあるが、この国で批評という営みが継続され、それを伝えるメディアが存在することに安堵の思いがある。フリードの大著に取り組むためには覚悟がいるが、このようなイントロダクションが存在することはまことに心強く感じられる。

by gravity97 | 2010-07-02 09:24 | 現代美術 | Comments(0)