ガルシア・マルケス『生きて、語り伝える』

b0138838_20365054.jpg 新潮社から刊行された「ガルシア・マルケス全作品」の別巻という位置づけであろうか、2002年に発表されたマルケスの自伝が最近翻訳された。600頁を超す分量のため読了するまでやや時間がかかったが、予想通り抜群の面白さである。例えば読み始めると直ちに出会う次のような一句。
 
その村に関する私の思い出もまだ、ノスタルジアによる理想化を受けていなかった。あるがままに記憶していたのだ。―そこは暮らすのにいい場所で、誰もが知り合いで、澄みきった水のほとばしる川のほとりにあって、その川床にはすべすべになった岩が、白くて大きくてまるで先史時代の卵のような岩がごろごろしているのだった。

 このパッセージから『百年の孤独』の冒頭、マコンドの風景を連想しないでいることは難しい。そして数頁後に「マコンド」は実在したバナナ農園の名前として登場する。既にこのあたりで読者は自分がマルケスの描く神話的な物語の中にいるのか、作家の自伝に描かれた現実を読んでいるのかわからなくなる。本書の劈頭で22歳のマルケスは自分が生まれた家を売却するために母とともにアラカタカという町へ向かうが、この道行きは直ちに『コレラの時代の愛』に描かれた船による移動というモティーフとつながる。さらにマルケスの一族に連なる(ウルスラのごとき)高齢の老女が煙草を反対向きにくわえて、つまり火のついている端を口の中に入れて吸うというエピソードを読んで思わず私は手を打ってしまった。煙草を逆向きにくわえるという喚起的なイメージは既に脳裏に強く焼きついていた。私の記憶が正しければ、それはやはり『コレラの時代の愛』の中で山中を行軍する革命軍か自由党の兵士たちが夜間、敵に見つからないように煙草を吸うために編み出した手法であったはずだ。さらに本書の第一章、つまりマルケスが生まれるまでの物語、マルケスの父母の恋愛の顛末たるや『コレラの時代の愛』のヒーローとヒロインのそれと同じではないか。熱烈な恋愛の駆け引き、家族の反対、電報を用いた秘密の通信。どこまでが物語でどこまでが事実かもはやその境界は判然としない。進学のため、あるいはジャーナリストの仕事のため、マルケスは引越しを繰り返す。最初にコロンビアと舞台となる都市の地図が掲載されている。アラカタカ、バランキーヤ、カルタヘーナあるいはシパキラー。土地の名、名。コンブレやバルベックに比して、なんとエキゾチックな街の名であることか。おそらく本書を読むことがなければ一生知ることもなかったカリブ海沿いの町の名。
 私は大学に入学した直後に友人に勧められて『百年の孤独』を読んだ。既に高校で私は海外の現代文学に随分親しんでいたつもりであったが、この傑作については不覚にもその存在すら知らなかった。確か安部公房もドナルド・キーンにこの小説を推奨され、英訳で読むことの面倒を語ったところ、既に邦訳があると言われて驚いたとどこかに書いていたと思う。一読し、私は驚嘆した。そこに文学の未知の沃野が広がっていることを理解したからである。私の直感は直ちに証明された。ちょうど当時ラテンアメリカ文学のブームが巻き起こったこともあり、幸運にも主要な作家の代表作が次々に翻訳されたのである。リョサの『緑の家』、ドノソの『夜のみだらな鳥』、フェンテスの『脱皮』あるいはプイグの『蜘蛛女のキス』。さすがに『百年の孤独』ほどの衝撃を受けることはなかったにせよ、いずれも傑作の名に恥じない。それらを次々に読み継ぎながら、私は自分にとって全く未知の土地、日本と対蹠の土地でこれほどの豊かな文学の果実が次々に生み出されていたことに深い衝撃を受けた。
 『生きて、語り伝える』は無数のエピソードに彩られている。マルケスの親族を描いて『百年の孤独』を連想させる奇怪な物語が横溢する幼年時代。パランキーヤでの厳格な学生生活。ボゴタでの文学仲間との交流、1948年4月9日、ボゴタで汎アメリカ会議が開催されている最中に突発した自由党党首のホルヘ・ガイタンの暗殺と引き続く首都の暴動の模様が生々しく描かれ、カルタヘーナにおける文学修行が語られる。物語作家とジャーナリストという二つの顔をもつマルケスらしく、エピソードは時に幻想的に、時にリアルに語られて私たちは飽くことがない。マルケスの最初期の小説が新聞に発表されていたという事実も興味深かった。日本でも明治期に多くの名作が新聞小説というかたちをとったことも連想されるし、以前から不思議に思っていたそれらの作品のばらばらな印象も説明がつく。マルケスの現実の体験はしばしば小説へと昇華される。例えばユナイテッド・フルーツというアメリカ企業の進出に伴う一つの町の変貌は(さらに変奏されて後年『百年の孤独』の中でも語られることは周知のとおりであるが)初期の中篇『落葉』のモティーフとなり、自宅の扉の前で殺された知人の物語は後年『予告された殺人の記録』として結実する。いくつかの初期の小説について言及されるものの、本書はマルケスの位置を不動のものとした『百年の孤独』まで達することはない。本書の最後でマルケスは新聞社の特派員として半ば亡命するかのようにジュネーブへ旅立つ。そして取材のために出かけたはずのヨーロッパにマルケスはこの後数年逗留することを余儀なくされる。作家の「遍歴の物語」はなおも続くのである。巻末の解説によれば、マルケスは現在『百年の孤独』を書き上げるまでを描いた自伝の第二巻を執筆しているという。
 ヨーロッパに旅立つ直前、空港へ向かう道すがらタクシーの車窓ごしに垣間見た恋人にあてた手紙をマルケスは空港で投函する。本書の最後に記されたその顛末は『コレラの時代の愛』を連想させるロマンティックなエピソードである。『コレラの時代の愛』自体が手紙とその遅配をめぐる一つのエピソードから出発したことをどこかで作家は語っていた。それは駆落ちのために水曜日の指定された時間に指定された場所で会うことを約束した手紙がポストの中に置き去りにされたため、それから何十年も毎週同じ時間、同じ場所で恋人を待ち続けた男のエピソードであったが、本書を読んで私は郵便というテーマがマルケスの多くの作品に通底していることに思い当った。おそらくそれは様々の土地を転々としたマルケスにとって、家族や恋人へあてた手紙を書くという行為と小説を書く行為を切り離すことが困難であったためだろう。文章を書くにあたって当時、手紙というメディアが保持していた切迫感はもはや今日の私たちは想像することすらできない。偶然にも私が大学入学直後、ほぼ同じ時期に読み、おそらくは『百年の孤独』の強い影響の下に構想された大江健三郎の『同時代ゲーム』がメキシコ・シティ(いうまでもない、『百年の孤独』が執筆された都市だ)に滞在する兄から妹への書簡という形式をとっていたことはこの点と無関係ではないはずだ。
 本書を読むといたるところで作家の文学に対する信頼、書くことへの喜びを感じることができる。冒頭のアラカタカへの船旅にマルケスはフォークナーの『八月の光』を携える。あるいはカフカの『変身』やジョイスの『ユリシーズ』を読んだ際のみずみずしい感動が随所で語られる。私の聞いたことのないラテンアメリカの作家からギリシャ悲劇まで無数の文学作品が言及される。先ほど、マルケスの小説と郵便との類縁性に触れた。そもそも文学という営みが一つの郵便と考えられないだろうか。ソフォクレスからフォークナーにいたる無数の手紙を読み、マルケスもまた一つの手紙を書く。最初に述べたとおり、私が『百年の孤独』を読んだ際に受けた感銘は、自分の全く知らない世界、敢えて言うならば西欧という「文学」の主流から遠く離れた土地でかくも魅力的な小説が書かれたことについての驚きであった。しかし本書を読んで私はそのような感想がきわめて傲慢であったことを恥じる。マルケスが加わった文学サークルの知的な充実を知る時、文学という営みが国家や言語といった小さな枠組を超えた普遍性をもち、優れた作品つまり手紙は国や時代を超えて、必ずそれを読むべき誰かに届けられることが確信される。このブログでも触れた水村美苗の『日本語が亡びるとき』の中で世界中からオハイオに集まった様々な国籍の作家たちが、夜、それぞれの部屋でパソコンに向かい、それぞれの言語で文章を書いていた印象的な情景も連想されよう。そしてなんとも興味深いことには例えば『八月の光』や『変身』への返書として書かれた『百年の孤独』はそれらのいずれとも全く似ていないのである。
 ダッカでもよい、ブタペストでもよい。私は今日様々な場所で例えばイアン・マキューアンから、例えばハルキ・ムラカミから受け取った郵便を読む若者たちを想う。フォークナーの言葉がカリブ海沿いの小さな町に届いたように、優れた文学は必ず誰かのもとに届けられるはずだ。文学とは宛先のない郵便である。しかしそれは必ず届くべき相手に届き、新たな読者に向けられた新しい手紙を誘う。文学という営みへの信頼。普段であれば口にすることがいささか気恥かしい私の信念も、本書を読み終えた後であればごく自然に書きつけることができる気がする。

by gravity97 | 2010-02-20 20:41 | 評伝・自伝 | Comments(0)

エリカ・フィッシャー=リヒテ『パフォーマンスの美学』

b0138838_1424461.jpg
 表紙に衝撃的な写真が使用されている。マリーナ・アブラモヴィッチの1976年のパフォーマンス「トーマス・リップス」のイメージだ。作家の下腹部、臍の周りを囲むように皮膚を切り裂いて描かれたペンタグラム。右手には剃刀。傷口から滴り落ちる血が痛々しい。
 ドイツの研究者によって2004年に発表されたパフォーマンス研究が翻訳された。パフォーマンスという言葉は1980年代に流行し、当時、アメリカでHIGH PERFORMANCEという専門誌さえ創刊されたことを覚えている。今、検索してみるとこの季刊誌は1978年から97年まで発行されている。日本でも多くの美術雑誌がパフォーマンスに関する特集を組んでいた。しかしパフォーマンスとは何かという定義は簡単ではない。演劇とどのように異なるか、あるいはハプニングとの関係は。本書は60年代以降のパフォーマンスを原理的なレヴェルから考察し、示唆に富む。
 この研究でも最初に「トーマス・リップス」が分析される。このパフォーマンスでアブラモヴィッチはギャラリーに集まった観衆の前で全裸になり、まず1キロの蜂蜜と一本のワインを摂取した。続いて彼女は剃刀で写真のごとき血の五芒星を腹部に刻む。そして背中を鞭打って血の滲んだミミズ腫れを作り、さらに氷でできたベッドの上に仰向けに横たわる。この時、上方には腹部の傷に向けて熱線を発するヒーターが吊るされていた。二時間近いマゾヒスティックなパフォーマンスはついに耐えられなくなった観衆が彼女を氷のベッドから引き離すことによって終了した。リヒテはいくつかの問いを発する。アブラモヴィッチのパフォーマンスは上演されている演目なのか、それとも現実の流血であるのか。観衆が彼女を救い出した行為は演劇を中断させたのか、それともそれ自体がパフォーマンスの一部なのか。興味深い問いである。リヒテは傍らに中世の宗教的苦行や大道芸の見世物を置くことによってアブラモヴィッチの「芸術的」パフォーマンスを相対化する。造形美術に引きつけながら、リヒテの議論を少し敷衍してみよう。従来の絵画や彫刻において額縁の中、台座の上は現実とは異なった世界であった。描かれた情景、象られた人体はそれ自体が自立し、現実からは切断されていた。この認識に変化がもたらされた時期は、額縁と台座の消失と正確に同期している。抽象表現主義の大画面、ミニマル・アートの台座なき立体は私たちが位置する現実の中に存在する。作品は額縁の中の、あるいは台座の上の別の世界を再現/表象 representするのではなく、現実の中で自らを提示 presentすることとなった。演劇にあって額縁や台座に相当するのは舞台であろう。演技は舞台の上で上演される限りにおいて別の世界を表現していた。舞台の上で人が殺されても、殺人者が罪に問われないのはこの理由による。ギャラリーの中、いわば観客と地続きの空間で挙行されたアブラモヴィッチのパフォーマンスの場合、このような枠組は保持されているのだろうか。もし保持されているとすれば流血は演技であり、観衆の行為は上演の妨害である。保持されていないならばそこで繰り広げられたのは自傷行為と救急処置である。リヒテが論じるとおり、これはきわめて微妙な問題であり、単純に答えることはできない。いずれにせよきわめて近似した意識のもとに60年代、美術と演劇という異なった領域で一つの意味論的な転換が進行した点が暗示されている。本書では明確に語られていないが、このような枠組の有無、別の言葉で言えば演技がなにごとかの再現/表象であるか、それ自体の提示であるかという点は演劇とパフォーマンスの区別と深く関わっているように思われる。
 リヒテは60年代初頭に「パフォーマンス的転回」と呼ぶ認識論的切断を指摘する。今述べたとおり、造形芸術においても再現/表象から提示へという転回が同じ時期に発生していることを考えるならば、この指摘は暗示的である。「パフォーマンス的転回」とは諸芸術におけるパフォーマンス的なものへの移行であり、アクション、ハプニングといった表現の隆盛はこれを裏づける。同じ時期に造形芸術の分野でもプロセス・アートやアースワークといった作品の時間的側面に関心を寄せた表現が成立したこと、あるいはミニマル・アートに対してマイケル・フリードが「演劇的」であるとして批判を加えたことなどを想起する時、60年代における「パフォーマンス的転回」という概念の重層的な意味は明らかであろう。そしてそれは単に現象として認められるだけでなく表現そのものの変質を意味する。ここでリヒテはジョン・オースティンの言語遂行的 performativeという概念を援用する。私の理解によれば、オースティンは一つの言表の意味が即自的、唯一的に確定されるのではなく、発話行為をめぐる一連の状況の中で確定されると説く。つまり作品がそれ自体として意味をもつのではなく、制作や鑑賞という行為の中で意味を獲得するという発見である。リヒテはパフォーマンスにおいてこのような意味があらかじめ計算されたプログラムに従って獲得されるのではなく、たえずそれ自体にフィードバックされる循環の中で偶然的に生成される点を指摘する。この問題は本文中でも指摘されるとおりエージェンシーという概念を介して、ジュディス・バトラーのジェンダー論に接続することも可能であろう。リヒテの議論は要約しただけでは難解に感じられるかもしれないが、実際にはアブラモヴィッチやヘルマン・ニッチの供犠的アクション、ボイスの一連の伝説的アクションなどの具体的な事例をとおしてこのような分析がなされるため、なかなか説得的である。
 続いてリヒテはパフォーマンスの上演に関与する要件を個別に検証する。まず俳優と観客の関係について、俳優と観客という役割が逆転する状況(そういえばアブラモヴィッチにも「役割交換」と題された過激なパフォーマンスがある)、俳優が観客に直接接触する場合などを具体的な上演に即して検討し、両者の反応によってパフォーマンスに意味が賦与される状況を確認する。次にリヒテは体や空間、あるいは音響といったパフォーマンスの物理的基盤をやはり個別に検証する。パフォーマンスにおける動物の使用(もちろんその最もラディカルな例はヨゼフ・ボイスにおけるコヨーテだ)や匂いの問題(ニッチが用いる動物の血や臓物)、あるいはジョン・ケージの無音の音楽「4分33秒」といった、一見ばらばらな問題がこれらの主題に沿って整然と整理されていく場面は本書の最大の読みどころであろう。私は美術が専門であるため、主に今述べたような例に関心を抱いた訳であるが、ロバート・ウィルソンやリチャード・シェクナーといった演出家の仕事をとおして演劇についても詳細な言及がなされ、私自身も多くの知見を得るとともに、考えるところも多かった。
 本書を読んで私はあらためて現代美術と演劇の関係に思いをめぐらした。ローズリー・ゴールドバーグはパフォーマンスの歴史を未来派から説き起こし、リヒテも例えばマリネッティに言及している。しかし今述べたとおり、それを演劇と呼ぶかどうかばともかく、第二次大戦以後、パフォーマンスという自己言及的な上演形態の成立を待って現代美術と現代演劇は互いを命綱で結びあうかのようにして、前人未踏の領域を探求することになったのではなかろうか。パフォーマンスの成立にラウシェンバーグをはじめとする、当時最前衛の作家たちが深く関与し、またミニマル・アートからポップ・アートにいたる多くの作家たちがなんらかのかたちでパフォーマンスを上演したことはこのような探求の必然性と重要性を暗示している。本書を一読し、美術と演劇の蜜月についてはなおも検証されるべき多くの問題が残されていることをあらためて実感した。
 一点だけ不審に感じられた点があった。つまりこれほど周到な演劇論であるにも関わらず、寺山修司の天井桟敷に関する言及が全くみられないのである。例えば俳優と観客の役割の交代であれば「観客席」、俳優が観客に直接接触する試みとしては「邪宗門」といった演目が直ちに想起されるし、実際に1973年、途中で客席から退出しようとした演劇評論家が俳優たちによって暴力的に出口をふさがれたことに激昂し、激越な非難の文章を『シュピーゲル』誌上に発表したのは「邪宗門」のベルリン公演の折であった。あるいは劇中における実際の飲食について論じられている個所があるが(私は反射的にハイレッド・センターが結成直前に行った「敗戦記念晩餐会」を連想した)寺山は「阿片戦争」において、観客に睡眠薬入りのスープを飲ませて昏睡させるという手法さえも導入している。43年にハンブルグに生まれ、ベルリン自由大学で教鞭を執るリヒテが寺山について知らなかったとは思えないが、寺山の過激な実験についての言及があれば本書の内容はさらに深められたはずであり、少々残念だ。
 何名かの訳者による共訳であるためか、訳文はやや生硬である。例えば文中で「オートポイエーシス的なフィードバック循環」という言葉が幾度となく使用される。本研究の鍵概念の一つで自己言及的、自己生産的なシステムのことである。原著の中でも唐突に引かれた印象があるが、訳語としてなんともわかりにくい。本書の理解の成否に関わる以上、訳註を加えるなど、もう少し読者に親切であってもよかったのではなかろうか。

by gravity97 | 2010-02-07 14:29 | 演劇 | Comments(0)

0003

イルゼビルは塩を加えた。妊娠する前は、羊の肩肉にいんげん豆と梨を添えたのが出た。10月の初めだったからだ。まだ食事が終わらないうちから、口いっぱいに頬張ったまま、彼女は言った。「直ぐベッドへ行きましょうか、それともその前にお話して下さる、私たちの物語が、いつどこで始まったか?」

by gravity97 | 2010-02-04 21:44 | PASSAGE | Comments(0)