b0138838_10594582.jpg 現在、兵庫県立美術館で開催されている「躍動する魂のきらめき 日本の表現主義」はきわめて問題提起的な展覧会である。この展示の画期的な点は、対象を絵画や彫刻に限定することなく、演劇や建築といった美術館では比較的に扱いにくい対象をも視野に入れ、それぞれにかなりマニアックな作品が選ばれている点であろう。この展覧会は巡回館の学芸員たちが組織した「表現主義研究会」での議論を踏まえて企画されたということであるが、カタログの論文を執筆した学芸員たちの名を見れば、展覧会のそれぞれのパートが誰によって構成されたかおおよそ想像がつく。この意味で本展は近年珍しい「学芸員の顔が見える展覧会」といえよう。
 表現主義という言葉から直ちに連想されるのはドイツ表現主義である。しかし「日本の表現主義」はそれよりはるかに広い射程をもち、大正期の前衛美術のほぼ全幅と関連している。展覧会ではさらにその「予兆」として黒田清輝や藤島武二までを含み、さらに今述べたとおり、建築や工芸といった応用芸術も視野に収めている。この展覧会においては表現主義を限定的にとらえるのではなく、大正期の造形芸術をむしろそのあいまいな輪郭の中に浮かび上がらせようとしている。分離派やユーゲント・シュティールの影響をうかがわせる一連の「新建築」や、異なったジャンルでありながらきわめて近接したテイストを感じさせる村山知義の舞台装置と衣笠貞之助の一連の映画などからいくつもの興味深い論点を摘出することもできようが、私の手に余る。ここでは私が専門とする絵画の領域を中心に若干の私見を示しておきたい。
 比較的近い主題を扱った展覧会を私は二つほど想起することができる。一つは20年ほど前、東京都美術館などを巡回した「1920年代・日本」展であり、もう一つは1999年に京都国立近代美術館で開催された「日本の前衛 1910-1940」である。いずれの展示もいわゆる純粋美術だけでなく文化全般が視野に収められ、今回の展示と共通点が多い。しかしどちらの展覧会もテーマを広げすぎて消化不良の印象があった。これに対して、今回は「表現主義」という切り口によって展示全体がみごとに律された思いがした。日本画の場合がわかりやすいだろう。これまで大正期の日本画は、例えば国画創作協会といった集団との関係、あるいは「大正デカダンス」といったあいまいな概念で括られることが多かった。しかし「表現主義」という概念を適用することで、秦テルヲから甲斐庄楠音が一つの地平に浮かび上がり、さらに近年再評価された玉村方久斗の一連の絵画とやはり玉村の手による『エポック』という雑誌の斬新な装丁まで、作家やジャンルを超えて広がる一つの時代の気風を見通すことが可能となり、加えて何人かの南画家さえもこの延長に捉えることができるのだ。展覧会とは異質の作品を並置することによってそこになんらかのコンテクストを設定する試みであるが、この展覧会からは幾つもの思いがけないコンテクストが垣間見えた。
 それにしてもなぜ表現主義なのか。洋画に目を移せば、例えば萬鉄五郎、村山槐多、神原泰あるいは柳瀬正夢といった作家の重要な作品が出品されている。私としてもこれまで目にした事のある作品が多く、作品自体にさほど新味はないが、これらの多様な表現を表現主義と一括する時、また新たな発見があった。彼らの表現に共通する姿勢は反アカデミズムであろう。アカデミーやサロンに依拠する官製の美術史に対抗する系譜が西欧の近代絵画を形成したことは20世紀の絵画史を想起する時,今や明らかである。しかし日本においてはどうか。西欧においては未来派やキュビスム、オルフィスムといった多用な動向として認められるこれらの系譜が日本においては「表現主義」という一語に収斂する状況を私たちはどのように考えるべきであろうか。先に「日本の前衛」という展覧会を引いたが、ここで提起される「表現主義」という概念の欧米におけるカウンターパートを求めるならば、おそらく「前衛」であろう。展覧会からシュルレアリスムが排除され、日本においてキュビスムが未成熟であったといった条件を勘案するにせよ、モダニズム美術を牽引した「前衛」が、日本においては必ずしもモダニズムの範疇に収まらない「表現主義」という一つの運動に回収されるという逆説は日本におけるモダニズム美術の展開を考えるにあたって留意されてよい。私の考えでは「表現主義」という言葉は必ずしも適切ではない。実際にカタログの中では「生命主義」を初めとするいくつかの言葉がタイトルの候補として挙げられたことが言及されている。この意味で冒頭の論文において森仁史が展覧会の目的を「本展は日本において表現主義が生起し、展開した流れを西欧概念の移植としてではなく、固有の必然に基づく開花だと把握し、提示しようとしている」と述べていることは適切である。しかしそれならば、展覧会中、「影響と呼応」と題されたセクションは必要であっただろうか。私たちは先の引用とは逆に日本の美術を欧米の動向の影響として理解することに慣れてきた。しかしここに集められ、ひとまず「表現主義」の名を与えるしかない奇妙かつコヘレントな一群の作品は日本というきわめて特殊な磁場において初めて可能な表現であったような気がするのだ。これを単純な影響関係に置き換えて、例えばカンディンスキーと恩地孝四郎を併置する手法は、日本の「表現主義」の特殊性をむしろ覆い隠すような気がする。
 最近私は本展の企画者の一人である速水豊の近著『シュルレアリスム絵画と日本』を通読した。古賀春江や福沢一郎の一連の絵画におけるイメージがどのような出自(多くは同時代の欧米の絵画や科学雑誌)をもつかを実証的に論じた研究はきわめて興味深いものであり、労作であることは間違いない。しかし私にはこのような研究は今日では時代錯誤的に感じられる。確かにシュルレアリスムに用いられるショッキングな図像は転用されやすいし、このような関係をたどることは比較的たやすい。しかし図像の引用や借用はイメージに関わる芸術においては普遍的に観察される事態であり、それが作品の本質といかなる関係を取り結ぶかを検証して初めて意味をもつ。そもそもフーコーを経由した私たちにとって、作品やイメージが起源をもつという発想自体があまりにもナイーブに感じられはしないか。もしそのような転用や借用に意味があるとすれば、それは内容においてではなく、例えば印刷技術やイメージの流通媒体といった作品の形式あるいは表象というシステムとの関係において画定されるべきであり、例えばジョナサン・クレーリーの一連の研究はそのような意味をもつ。これに対して、表象システムまで遡及することなく、単に特定の図像の来歴を検証する速水の著作は読み物としては抜群に面白いが、発想は蒼然としている。
 展覧会に戻ろう。この展覧会がその輪郭を粗描する、1910年代から20年代の日本の造形美術における「表現主義的」なるものが一体何に由来するのか、あるいはいかなる意味をもつのかについては、カタログに収録された論文が示唆的である。絵画を専門とするためであろうか、私には特に北沢憲昭と速水の論文が興味深く感じられた。日本固有の「表現主義」の系譜を高橋由一から説き起こす前者と、海外の動向と関連づけて論じる後者には微妙な姿勢の違いがある。先に述べたとおり、私はどちらかというと北沢の立場に共感するのであるが、これらの問題はいずれもなおも深められる余地がある。展覧会を通覧して私は二つの点に興味をもった。展覧会のテーマとしても既に設定してある問題であるが、一つはスピリチュアリズムとの関係である。同じ時代に欧米における精神主義が様々な神秘思想と手を結んで抽象絵画の発生に深く与った点に関しては例えば1986年にロサンジェルスのカウンティー美術館で開かれた「芸術における霊的なもの」という大展覧会などで検証されたところである。今回の展覧会でも日本の抽象絵画の濫觴とも呼ぶべき西村伊作の興味深い作例を見ることができたが、霊的な存在への関心は例えば神原泰や尾竹竹城の作品にもうかがうことができる。日本の「表現主義」と抽象表現の複雑な関係を考えるにあたって、スピリチュアリズムは一つの鍵となるであろう。もう一点、やはり展覧会を通覧する時明らかであるが、日本において「表現主義」がきわめて多くの領域、特に工芸や本の装丁といった生活に密着した領域においても重大な足跡を残した点は注目に値する。この点からも日本の「表現主義」が例えばドイツ表現主義のごとく、美術の一流派をはるかに超えた意味をもちえたことは明らかであろう。
 少々批判的なコメントも加えたが、この展覧会が近年まれな学芸員の意志と思考を感じさせる展覧会であることは間違いない。一つのテーマのもとに集められたこれほど多くの作品を見る機会は実に得難く、意識的な観客は多くの発見と思索へと誘われる。ルーブルやらオルセやら、新聞社が主導する名前だけ華々しいブロックバスターの企画展、そしてそれを唯々諾々と受け容れる美術館の在り方に私は心底うんざりしている。このレヴェルの批評性をもった展覧会が日常的に開かれるようになって初めて、この国は文化的に成熟したといえるだろう。
by gravity97 | 2009-07-28 11:01 | 展覧会 | Comments(0)

b0138838_0451854.jpg 発端はブロントザウルスの毛皮だ。祖母の家の食堂、飾り棚の中に収められたごわごわで、赤茶色の固い毛が付着した一片の皮。読者を世界の果てへと誘うにあたってまことにふさわしい道具立てではないか。ブロントザウルスの毛皮は祖母のいとこ、船乗りのチャールズ・ミルワードがパタゴニアの氷河から持ち帰った。南米の最南端、パタゴニア。そこはおそらく地球上で日本から距離的にも心理的にも最も遠い土地の一つであろう。未踏の地、荒涼とした土地に関する物語を好む私はたちまちこの紀行文に魅せられてしまった。
 ブルース・チャトウィンの『パタゴニア』は異例の旅行記である。チャトウィンはブエノスアイレスを皮切りに毛皮の正体であるブロントザウルスならざるミロドン、氷漬けの巨大なナマケモノが発見されたマゼラン海峡近くのラストホープという町近くの洞窟まで、パタゴニア一帯を旅する。最初と最後にナマケモノの毛皮をめぐるエピソードがあるから、紀行はそれなりに一つの結構を有しているようにも思えるが、このエピソードも結局のところ、無数の物語の一つにすぎず、チャトウィンは土地から土地へ、人から人へ、行き当たりばったりのような旅を続ける。そもそも彼の道行きには明確な動機や目的地がない。強いて挙げるならば、冒頭に言及されるブロントザウルスの毛皮の発見者、チャールズ・ミルワードの足跡を追うことであり、確かにチャトウィンは各所でミルワードのことを尋ね、この紀行の終盤でミルワードが船長を務めた数奇な航海について語る。しかし著者は彼に対してもさほど思い入れがある訳ではない。ブロントザウルスの挿話が暗示するとおり、この紀行を通して私たちが接するパタゴニアとは奇怪な生物や奇妙な習俗、独裁者と革命家、強盗と先住民が跳梁跋扈する驚くべき新世界、なんとも魅惑的な土地である。本書を読みながら、不思議な既視感ならぬ既読感を覚えた私は半分あたりまで読み進めてようやくその理由を了解した。神話と現実、辺境と文明が入り乱れ、奇怪な物語が際限なく増殖していく様はガルシア・マルケスが描いたマコンドの年代記と同じではないか。マルケスが書いたのは小説であるから、説話的な自由が許される。しかし本書は曲がりなりにも事実に基づいた紀行であるはずだ。巻末の註を読んでさらに驚く。文中のフォークランド紛争を暗示する発言に触れた註によれば、チャトウィンが実際にこの地を訪れたのは紛争が勃発する数年前というから1970年代のことであり、原著を確認すると確かにこの紀行は1977年に発行されている。『百年の孤独』が発表されたのは1960年代であったと記憶する。つまりこの紀行はマルケスが小説に仮託した初源的、神話的な風土がなおも現存し、あまつさえそこを旅することすら出来たという驚くべき事実を暗示している。ラテン・アメリカの文学に親しんだ私にとってこのような発見はなんとも胸の躍る出来事であった。
 ブルース・チャトウィンの名を私は本書を通じて初めて知ったのであるが、作家の経歴もチャールズ・ミルワード並みの華麗さと奇矯さに彩られている。解説によると、チャトウィンはイギリス中部ダービシャーに生まれ、美術品のオークションで知られるサザビーズに最初作業員として勤めるが、次第にその鑑識眼を買われ、印象派絵画の鑑定の専門家として知られることとなる。しかしわずか24歳でサザビーズを退くと、世界各地を旅行し、雑誌記者として数多くの有名人のインタビューを手がける。社交界での交友も華やかで、きわめて魅力的な人物であったらしい。彼は1989年、エイズのため、49歳の若さで没したが、ニューヨークのゲイ・シーンにも親しみ、ロバート・メイプルソープとも旧知の仲であったという。荒涼と未開が混交するパタゴニアと私もよく知っている都市の雑踏、神話と現実はここでも交差する。放浪と社交、病気による早世はバイロン卿を連想させる。
 『パタゴニア』の主題は土地であるが、チャトウィンは人を介して土地について語る。旅の途上で出会った人物、歴史上の人物、空想上の人物、彼らはこの紀行の中に等価に散りばめられている。例えば西部開拓時代の伝説的なアウトローであり、ボリビアで銃撃戦によって死んだとされるサンダンス・キッドとブッチ・キャシディがパタゴニアまで流れついたという物語やダーウィンによってフエゴ島からロンドンへと拉致された先住民の人生が語られると一方で、リオピコという町に住み、パステルナークやソルジェニーツィンを愛読するウクライナ人女医との間で交わされた会話がつづられる。最果ての土地を主題とすることによって、紀行は必然的に移動という問題と深く関わる。スコットランド、プロシア、カナリア諸島。様々な国や地域から、人々はこの地にたどり着く。あたかも現代の流謫の地であるかのようだ。彼らの口から語られる物語、チャトウィンが様々な資料を用いて浮かび上がらせる奇譚の数々はこの地が20世紀後半にあっても、なおも多くの驚異と奇跡、冒険と神話に満ち満ちていることを示唆している。マルケスやバルガス・リョサ、フリオ・コルタサルを愛読してきた私にとって、世界中を遍歴したチャトウィンがラテン・アメリカという土地に触発されて、かくも物語的魅力に富んだ一遍の紀行を書き上げたことは大変痛快に感じられた。
 
by gravity97 | 2009-07-17 00:46 | 紀行 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 090715

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by gravity97 | 2009-07-15 22:02 | NEW ARRIVAL | Comments(0)

高木正勝[Tai Rei Tei Rio]

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 傑作[Private / Public]から2年ぶり、高木正勝の新譜が届いた。正確に言えば、昨年10月と12月、目黒と盛岡で行われたコンサートの音源を高木が自宅スタジオで半年にわたってリミックスしたアルバムである。パッケージを開梱するとCDとともに『タイ・レイ・タイ・リオ紬記』と題された文庫本大の冊子が収められている。CDのライナーノーツにはライヴの日時や演奏者といった最低限の情報しか収められていないため、高木のホームページを含むいくつかのサイトを閲覧して新作の輪郭を確認する。
 タイトルの「Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)」とはポリネシア語で「大きく振れ、小さく振れ」の意。このタイトルあるいは「Nihiti」「Omo Haha」といった曲名の語感から連想されるのは、ポール・ゴーギャンがタヒチで制作した一連の絵画である。ゴーギャンの絵画が神話的な含意を備えていることはよく知られているが、このアルバムも世界各地の神話と深いつながりがある。同梱された冊子はCDに収められた曲と同名のタイトルをもつ16の章から構成されているが、いずれも神話や伝説を採録したものである。このアルバムとテクストが成立した経緯は興味深い。高木によるとまずコンサートが設定され、そのための新作として楽曲が構想された。このような手法は[Private / Public]と同一であり、最近の高木の作品におけるライヴの重要性、そして二つのアルバムの親近性を暗示している。当初は日本人の音楽というきわめて限定された主題を扱う予定であったが、沖縄やサハラ、バリといった場でその土地と深く結びついた音楽を聞いているうちに次第にゲニウス・ロキとしての音楽、土地とそこにまつわる音楽が主題として浮かび上がったという。高木はこのコンサートについて述べたコラムの中で「地と血を紡ぐ」という言葉を用いている。この言葉が神話のアナロジーであることは容易に理解できよう。
 CDに同梱されていた冊子、『タイ・レイ・タイ・リオ紬記』は人類学者の石倉敏明がこのアルバムに収められた楽曲から連想される世界中の神話や伝説をコンパイルしたものである。例えば最初の「ホミチェヴァロ」の章には「遠野物語」と中国の馬娘婚姻譚が収められ、物語が採取される地域は(部族名しか記されていないので地域を同定することは必ずしも容易ではないが)チベット、アフリカからギリシャ、南太平洋に及ぶ。「紬記」とはわかりにくい概念であるが、英訳としてはextraction 、多くの神話から抽出したといった意味であろうが、摘出、血統といったこれまた神話的な含意をもつ。紬が「地と血を紡ぐ」に結びつき、アルバムのジャケットが示すとおり織物としての紬のイメージと関係を結ぶこともたやすく了解される。楽曲とテクストは緊密な関係をもち、コンセプト・アルバムと呼ぶにふさわしいが、通常であれば音楽に対してなんらかの言語的テクストが先行するのに対して(例えばエドガー・アラン・ポーの一連の小説とアラン・パーソンズ・プロジェクトの[怪奇と幻想の物語])、このアルバムは逆の構造をもつ。つまり楽曲の印象に基づいてテクストが「抽出」され、しかもそのテクストたるや、あらゆる物語のアーキタイプとも呼ぶべき神話や伝説なのである。テクストに加えて、コンサートの会場では映像作家でもある高木が制作、編集した映像が同時に上映される。さらにライヴの模様や高木が世界各地で撮影した映像などを編集した「或る音楽」というフィルムの上映も予告されている。つまりコンサートを中心に言語、映像などが有機的に結びついた一連のプロジェクトに「タイ・レイ・タイ・リオ」の名が冠せられているのだ。私はライヴに立ち会っていないのでこのプロジェクトの中心たる公演については感想を述べることができないが、テーマにふさわしい壮大な試みであることは間違いない。
 [Tai Rei Tei Rio]に収録された曲のうち、「WAVE」や「Elegance of Wild Nature」は既に前作[Private / Public]に収められており、このプロジェクトがかなり以前より準備されていたことをうかがわせる。またこれら二つのアルバムはスタジオ録音やライヴ、それらの音源のリミックスから成るハイブリッドな産物である点も一致しており、両者を比較するならば、このアルバムの特性が理解しやすいように感じる。弦楽器が多用され、メロディアスな楽曲が多かった前作に比べて、[Tai Rei Tei Rio]ではヴォーカルと打楽器が前面に押し出されている。その理由は明らかであろう。人の声と打楽器は人間にとって最も根源的なインストルメンツ、楽器であって、たやすく発声/演奏できるとともに、演じるにあたって必ずしも習熟する必要がない。この点において、多くの曲において人の声が意味をもつ単位としてではなく、音声として使用されている点にも留意する必要がある。人声を楽器の一つとして用いる手法はスティーヴ・ライヒにも認められる。ライヒの場合、アフリカ音楽の影響が強かった点もこの点と関係しているのであろうか。声を上げること、叩くこと、このアルバムは人が始原において音楽をどのように得たかという問いをめぐる実験といえるかもしれない。光あれという言葉が暗示するとおり、しばしば見ることと関連づけられる世界の起源を、聴くことにおいて確認する作業と考えることもできよう。明確な歌詞のあるヴォーカルは少ない。聞くことが言葉に置き換えられないこと、つまり声が意味に収斂することがない点は重要に思える。見ること、そして言葉が、あらかじめ成立する枠組に対して主体を事後的に馴致させる制度であるのに対して(私たちは遠近法に従って対象を知覚し、言語の網の目をとおして対象を分節するのであって、その逆ではない)、言語以前の声、リズムを主体とした音楽は制度とは無関係のいわば「聴くことの始原」へと私たちを誘うように感じられるのだ。そして聴くことの中から言語としての神話や伝説が逆に手繰り寄せられ、一つのプロジェクトの中に配置されていく様は興味深い。この意味においてもライヴにおける音こそが、「タイ・レイ・テイ・リオ」の中心を占めるといってよいだろう。
 参加するミュージシャンは[Private / Public]ライヴとは微妙に異なるものの、高木をはじめ、ヤドランカ、田口晴香という二人のヴォーカル、パーカッションのOLAibiといった中心となる音楽家たちが、引き続き圧倒的なパフォーマンスを繰り広げている。前回同様、アルバムからは強い緊張感がうかがえるが、実際の公演はどうだったのであろうか。私は[Journal for the People]以来、ほぼリアルタイムで高木の新作を聴いてきた。スタジオでミキシングを重ねる印象の強かった高木がこの数年ライヴに深く関わるようになったことに当初は軽い驚きを感じていたが、多くのミュージシャンに参加を呼びかけ、様々のメディアを横断して音の始原に迫る[Tai Rei Tei Rio]を聴いて、高木の意図するところがようやく明確に理解できたような気がする。
by gravity97 | 2009-07-09 20:36 | 現代音楽 | Comments(0)