Living Well Is the Best Revenge

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優雅な生活が最高の復讐である

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辻井喬『叙情と闘争』

 セゾン・グループの総帥であった堤清二が辻井喬という筆名で多くの詩集、小説を発表してきたことはよく知られている。本書は彼が読売新聞に一年間にわたって連載した回顧録である。カヴァーには二人の名が併記され、タイトルの「叙情と闘争」もこのような分裂を暗示している。帯の惹句にも「文学者と経営者、二つの顔を往来した半生」とある。連載時にも折に触れて読んでいたが、単行本として刊行された機会に改めて通読してみた。
 私は辻井喬という詩人/小説家の作品を読んだことがないし、特に読みたいとも思わない。この回顧録の中にはいくつかの詩が引用されているが、読んでみても特に感慨はない。マッカーサーから中曽根元首相まで、その交遊の幅は綺羅星のごとき華やかさであり、帯に記された言葉どおり、政治家や経営者だけでなく、安部公房から田中一光にいたる作家や美術家、文化人の知己も多い。ことに三島由紀夫との深い関係がうかがえる。文中に「精神性を大事にする人の世界と毎日を実利の世界に生きている人との、音信不通と言ってもいい断絶」という言葉があるが、堤/辻井はこの断絶の間で生きなければならなかったのだろう。元衆議院議長で西武グループの創業者である父堤康次郎へのアンヴィバレンツな思い(これは小説の主題となっている)や複雑な親族関係とその確執はよく知られた話であるが、回顧談でありながら、これらの点に関してはあまり生々しい言及がない。必ずしも幸せな生涯を送ったとはいえない母と妹についての言及はやや感傷的で、著者の屈折は行間からうかがえる。先にも述べたとおり、毎回錚々たる面々との交流の記憶が語られるが、名前こそ華々しいものの彼らとのつきあいに情熱や思い入れが感じられず、総じて他者に冷淡な印象を受けるのは、著者の性格と醒めた文体、いずれによるか判然としない。
 連載中より私は堤清二が80年代をいかに回顧するかという点に個人的な興味があった。西武百貨店とセゾン・グループは明らかに当時の先端的な文化を牽引していた。インターネットもアマゾンも存在しない時代、海外の美術に関する文献や外国の展覧会カタログを手に入れるためには池袋西武のアール・ヴィヴァンに足を運ぶことがほとんど唯一の方法であり、そこに集められたおびただしい美術洋書に私はいつも圧倒された。稀覯書や絶版書も充実し、私は数年間探し回っていたモーリス・ルイスの画集をここで見つけた日のことを今もよく覚えている。同じ池袋西武にあった西武ブックセンターの人文書の書棚の充実も今日にいたるまで語り草となっており、何という名であっただろうか、その一角には現代詩を専門とする小さな書店さえ存在していた。本書の中では特に言及がないが、このような充実の背景には実務を司る有能な担当者とともに、詩人であり経営者であった堤の意向が働いていたのではなかろうか。ウェブ上に無尽蔵の書籍を備えた仮想書店が存在する今日、逆に文化あるいは知といった営みを書籍の集積という具体的な現実を通して実感することはきわめて困難となっている。80年代から90年代にかけて、場所もあろうに百貨店の中にかかる異常な書店群が成立していたことは特記されてよかろう。
 b0138838_20535371.jpg本書を読むと小説家、詩人から画家、デザイナーにいたる「西武系文化人」と呼ぶべき一群の存在も明らかである。例えば田中一光、小池一子、糸井重里らの名前は無印良品、西武百貨店と関連しても記憶されている。評価は分かれようが、彼らの仕事はバブルに向かう消費社会の感性を的確に反映していた。さらに比較的知られることのない事実であるが、実は当時の西武の文化戦略の周辺には90年代以降、頭角を現す若い才能が多数存在した。例えば本書を読んで私はセゾン・グループのグループ史編纂委員会に作家の車谷長吉が在籍していたことを知った。保坂和志も西武百貨店に勤務していたはずであり、変わったところでは阿部和重が渋谷のシードホールで映写技師を務め、その体験は『アメリカの夜』に反映されている。そのほか今日、音楽や美術の批評の第一線で活躍する批評家の中にもセゾンと深い関係を持つものは多い。
 本書の中には「セゾン現代美術館」なる一章があり、1981年、軽井沢にこの美術館が「マルセル・デュシャン展」とともにオープンした際の興味深い回想がつづられている。この美術館は現在も存続しているが、セゾン・グループとの関連を論じる時にまず触れるべきは西武美術館、後のセゾン美術館であろう。1975年に西武美術館として開館し、89年にセゾン美術館と改称し、「ウィーン世紀末」という展覧会で幕開けしたセゾン美術館は日本の美術館の歴史を語る際に特筆すべき存在である。80年代から90年代にかけて西武/セゾン美術館は百貨店に併設された美術館としてはまとこに異例かつ画期的な展覧会を次々に企画した。つまり普通であれば収益と販売促進の目的で、それゆえほとんど「美術」とは無関係な企画が続く百貨店内の美術館でありながら、美術館に伍する、それどころか美術館でさえ企画できない斬新な展覧会が陸続と組織された。堤の回想を読むといくつかの事情が理解できた。例えば西武美術館では1982年に「芸術と革命」というロシア・アヴァンギャルドを扱った重要な展覧会が開かれたが、このような展覧会を可能にしたのは堤が70年代後半より培ったソビエト連邦の各機関との太いパイプであり、さらにその背後には学生時代に遡る日本共産党と堤との複雑な関係が垣間見える。むろん全ての展覧会が堤の肝煎りで企画された訳ではなく、優秀な美術館スタッフの存在も大きいだろう。今直ちに思いつくだけでも84年のヨーゼフ・ボイス展、87年の「もの派とポストもの派の展開」といった展覧会は本来ならば公立美術館が企画すべき画期的な展示であった。さらにこの美術館は西武美術館時代には「アール・ヴィヴァン」、後年のセゾン・アート・プログラム時代には「SAPジャーナル」といった歴史的な美術ジャーナリズムの出版元でもあった。これらの活動に関して堤の存在は企業のオーナーというよりパトロネージュと呼ぶべきものではなかっただろうか。経営者と美術館のこのような関係は、フジサンケイグループの鹿内一族と彫刻の森美術館の関係と対比する時、きわめて興味深いのであるが、別の機会に譲ろう。
 西武/セゾン美術館の活動がいわゆるバブル経済と同期していた点は興味深い。私も当時、いくつかの展覧会でこの美術館と一緒に仕事をしたことがある。エネルギッシュで公立美術館にありがちな制約のない学芸員たちとの協同は楽しい思い出である。バブルの破綻とともに、当然のようにセゾン美術館も閉鎖が決まった。1999年のことである。同じ時期に東武美術館も閉館となったこともあり、美術館が冬の時代に入ったことを象徴する事件とみなされた。しかしそもそもこの国の美術館に冬以外の時代があっただろうか。この本を読んであらためて感じるのは、美術館の要諦をなすのは建物でもコレクションでもなく、人であるという事実だ。西武/セゾン美術館の場合、キューレーターのみならずグループの総帥が「実利より精神性を重んずる」生き方に理解があった結果として、いくつもの重要な展覧会や出版物が可能となったのではないか。私は堤清二という個人になんら幻想を抱くことはないし、セゾン文化を礼賛するつもりもない。しかし本書を読んでこの異例の経営者なくしては採算を度外視した異例の文化事業はありえなかったという思いを強くした。この意味で西武/セゾン美術館をめぐる文化の高揚は単に一人のカリスマの存在に帰せられるかもしれない。それをバブルの徒花と呼ぶことはたやすい。しかしバブルに沸き立つ当時、この国にはなおもこのような冒険を許す社会的度量があった。ほとんどの美術館が成果主義、営利主義にがんじがらめにされた今日の日本といずれが「文化的」であるかはおのずから明らかであろう。
by gravity97 | 2009-06-27 20:55 | 評伝・自伝 | Comments(0)

村上春樹『1Q84』

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 誰の評論であったか、村上春樹が長編、中篇、短編を発表するペースを分析し、それぞれ「マラソンの時間配分」のごとき規則的なサイクルを形成していることから、次の長編が発表される時期は高い確度で予想できると論じた文章があった。果たして予想は的中しただろうか。『海辺のカフカ』以来、7年ぶり、待望の書き下ろし長編『1Q84』はこれまでの村上の集大成であるばかりか、作家の新しい境地も示して、今後、代表作の一つとみなされることとなろう。非常な売れ行きで書店でも手に入らない状態が続いていると聞く。これから頁を開く読者の感興を殺がないように内容そのものに深く立ち入ることは避けながら、所感を述べる。
 ひとまずこの小説の達成を三つの観点から指摘することができよう。まず形式について。この小説は全体で24の章から成り立っている。章のタイトルとしてはその章に書きつけられた文章の一部が引用されているが、タイトル自体にさほど意味はない。章の表示の傍らに奇数章には「青豆」、偶数章には「天吾」という文字が記されている。その意味は直ちに了解される。それらは二人の主人公の名前であり、章ごとに二人をめぐる物語が記される。両者は正確に交替し、量的にもほぼ均等である。二つのエピソードが交互に併置される構造はいくつかの先例をもつ。フォークナーがこの手法によっていくつかの傑作を残し、村上自身も『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』が同じ構造をもつ。さらに遡れば『1973年のピンボール』においても「ぼく」と「鼠」をめぐる二つの物語が並行し、『海辺のカフカ』にも僕とナカタさんという二人の主人公がいた。しかし『1Q84』がそれらと異なるのは形式的な完成度である。つまりこれまでの作品において二つの物語には不均衡がみられた。例えば『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」の二つの物語群によって構成されているが、量においても内容においても後者がメインプロットであり、前者がそれを補完して物語の深みが形成されていた。これに対して、この小説の中で奇数章と偶数章は完全に拮抗している。この均衡は奇跡のように美しい。そして二つの世界は合一しないまま次第に一つの物語へと糾われていく。このあたりの小説的技巧の巧みさは特筆に価する。一例を挙げよう。冒頭の場面、青豆は渋滞に巻き込まれたタクシーの中でヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を聞く。読了後、読者は「シンフォニエッタ」がこの長い小説の通奏低音のごとく常に響き渡っていたことに気づく。あるいはそれまで男の子、少女などと呼ばれていた「青豆」の章における天吾、「天吾」の章における青豆はある絶妙の瞬間からそれぞれ固有名を与えられる。小説の中にはこのような巧妙な仕掛けがいたるところに施されている。これまで村上の小説にさほど構築性を感じたことはなかったが、『1Q84』の章立てと物語の相称性、全体と部分の緊密な関係は私に精密な建築を連想させる。内容についてはどうか。これに関しても村上は新たな一歩を踏み出している。つまりこの小説において社会と個人の関係が正面から作品の主題とされたのである。『ノルウェイの森』でも「納屋を焼く」でもよい、これまでの村上の小説の魅力はきわめて個人的な状況の中から孤独や喪失といった普遍的な主題が浮かび上がってくることにあった。私は『ねじまき鳥クロニクル』中、ノモンハン事件に関するエピソードに作家の姿勢の変化を感じたが、まだ戦争や政治が物語の中に直接前景化されることはなかった。おそらく明らかな変化は2004年の『アフターダーク』に兆していたのではないか。風俗的なモティーフを導入した中篇は村上の小説にあって特異な印象を与えたが、この小説の前哨ととらえると理解できる。『アフターダーク』冒頭の特異な語りの視点、『1Q84』における三人称の使用はこの問題と関連している。村上が社会と対峙しようとした理由は何か。三番目の達成がこの問題と関わる。村上は1990年代後半に『アンダーグラウンド』『約束された場所で』という地下鉄サリン事件に取材した二つのノンフィクションを著している。『1Q84』がオウム真理教をめぐる一連の事件を濃厚に反映していることは明らかである。当時は唐突に思われたこれらの仕事がそれから10年以上経って執筆される新作長編の準備であったとは誰が想像しただろうか。あるいは比較的最近、レイモンド・チャンドラーを翻訳した経験がこの小説中のいくつかの描写に影響を与えているように思われる。最初に集大成と記したが、これらの意味においても『1Q84』は村上が自らの持つ経験と技巧を全て投入して執筆した小説といえよう。
 先に触れたとおり、この小説は二人の男女を主人公とする。ともにまもなく三十歳を迎えようとする青豆と天吾。鍛えられた肉体と孤独な魂をもつ青豆はフィットネス・クラブでインストラクターを務めるかたわら、謎めいた老婦人のもとである特殊な仕事に従事している。予備校で数学を教える作家志望の天吾はある文学賞の下読みで「ふかえり」という少女から送られてきた拙くも奇妙な魅力をもつ小説に出会う。天吾は編集者と共謀し、この小説に自ら手を入れて世に送り出そうとする。冒頭の数章で早くも明らかとなる魅力的な設定に沿って読み始めるや、もはや頁を繰る手を止める術はない。
 物語の舞台はタイトルが示すとおり、1984年という近過去の東京である。しかしそこに広がる世界は私たちの見知った世界とは微妙に異なる。警官の制式拳銃、月面開発、いくつかのディテイルをとおして世界は奇妙なほころびを露わにする。自分が別の現実の中に迷いこんだことを知った青豆はそれに「1Q84」という名を与える。青豆が1984年から「1Q84」へと移行する瞬間は具体的に暗示されている。一方、天吾は「空気さなぎ」という小説に手を入れる過程で少しずつ「1Q84」へと移行する。このような移行を介して、世界はその姿を変える。明らかにこの年記はジョージ・オーウェルのディストピア小説に由来する。オーウェルの描くありうべき未来、1984年はビッグブラザーによって全てが合理化され、監視される全体主義国家であった。これに対して村上が描くありうべき過去、「1Q84」は不合理で、不気味な世界である。そこでは空に浮かぶ二つの月の下、正体不明の「リトル・ピープル」が現実と物語を行き来する。確かにそこにはこれまでの小説でもおなじみのモティーフが登場する。ヤナーチェックに始まる音楽への頻繁な言及、様々な料理のレシピの開陳、放縦な性描写(なんと婦人警官を交えた乱交まで描かれるのだ)。そして多くの物語と同様、『1Q84』でも喪失が大きな主題となっている。「1Q84」に移行するまで彼らの生活は一つのルーティンに沿った規則性をもっていた。青豆が仕事としてマッサージを施す時の手順。天吾が毎週一回、年上の人妻と交わす情事。私はかねてより規則性という観点から村上の小説を分析してみたいと考えている。このような規則性が崩れる時、二人の世界から様々なものが失われ、あるいは損なわれていく。『1Q84』において喪失は多く暴力の暗示に富み、詳細は明らかでない。何人かの登場人物は物語の途中で姿を消し、彼らの帰趨が語られることはない。『ノルウェイの森』のごとき作品において喪失は登場人物の内面に起因した。しかし『1Q84』における喪失は突然に外部からもたらされる。その理由は明らかでなく、それに関与するとみなされる人物や存在は現実とは思えぬ不気味な印象を与える。そして登場人物たちの多くが自らの与り知らぬところからもたらされる禍々しい暴力と関わっている。小説の中には家庭内暴力や少女への性的虐待といったモティーフが何度も現われる。『ねじまき鳥クロニクル』のノモンハン、『海辺のカフカ』のおけるジョニー・ウォーカーの猫殺し、『アフターダーク』では風俗嬢への暴行。1995年以降、村上の長編において暴力という主題の比重が増えている点は注目に値する。
 今日、私たちは1995年という年記を二つの忌まわしい事件とともに記憶している。阪神大震災と地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教をめぐる事件。前者を主題とする作品を既に村上は発表している。「地震のあとで」というサブタイトルをもった『神の子どもたちはみな踊る』。興味深いことにはこの連作を構成する6篇の短編の中で阪神大震災は直接の主題とされることはない。村上が得意とする寓意という手法を用いることによって、私たちは物語の背後にかろうじて震災の残響を聴き取ることができる。直接的な描写はないが、私はこの一連の抽象的な物語を震災という災厄に対する鎮魂であるように感じる。しかしオウム真理教をめぐる物語を作品とするにあたって、村上はこのような洗練された手法を使うことはできなかった。それはおそらく二つのノンフィクションの取材の中で、村上がこの事件の内部にあまりにも深く入り込んでしまったためではないだろうか。1995年の災厄をめぐって、私は『神の子どもたちはみな踊る』と『1Q84』が青豆と天吾のごとく、一組の対をなしているような気がする。本書でカルト集団と個人の関係が主題とされたことは必然であった。私は村上のノンフィクションを読んでいないため、それらと本書の関係を具体的に指摘することはできないが、ここで語られる教義や指導者の主張は現実、つまり村上が取材を通して知ったオウム事件の核心をある程度反映しているのではなかろうか。青豆は老婦人の指令のもと、カルト集団の指導者と対決する。しかし老婦人が組織する謎の集団も明らかに一つのカルトである。そこにはもはや善悪、正邪の区別はない。事実を善悪や正邪といった観点を超えたものとして認めること、これが文学の出発点ではないだろうか。私たちは戦争の後に優れた文学が輩出することを知っている。80年代にあっては鼠や羊を相手にプライヴェイトな物語を紡いでいた村上が90年代以降、戦争や性暴力を主題の一角に据え、この小説にいたってはきわめて具体的な事件を連想させる社会性を物語に与えたことは作家の内的な必然、暴力が蔓延する社会、いずれの要請に基づいているのであろうか。
 最後に一言付言するならば、私はかなり熱心に村上の小説を読み継いで来たつもりだ。具体的に説明することは難しいが、『1Q84』は彼の小説の中でも言葉が最も念入りに彫琢されている印象がある。最初に私は精密な建築と評したが、おそらく村上の中でも最も長い小説でありながら、表現に関してもやや大げさにいえば一言一句ゆるがせにできないほどの完成度を感じるのである。この点もこの小説の大きな魅力をかたちづくっている。おそらく村上は楽しみながらこの小説を書いたことと思う。上下巻ではなく1巻、2巻と表記されているが、完結性が高いので『ねじまき鳥クロニクル』のようにさらに続編が執筆されるとは考えにくい。作家にとって大きな達成感のある仕事と感じられたことだろう。
by gravity97 | 2009-06-14 10:11 | 日本文学 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 090609

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by gravity97 | 2009-06-09 21:13 | NEW ARRIVAL | Comments(0)
 ヴィデオ、それはなんとも過渡期的なメディアだ。むろん絶えざる技術革新という観点に立つならばいかなるメディアも過渡期にあるといえるかもしれない。しかし21世紀初頭という時点において、それは一方で映画=フィルムという産業化されたメディアに後続しながらも、コンピュータ・グラフィクスに代表されるデジタル・イメージが覇権を握る今日、もはや絶滅危惧種とも呼ぶべき位置にある。レンタルヴィデオの隆盛が暗示するとおり、取り扱いの難しいフィルムの代用として、あるいはTV映像を録画、再生するうえでの簡便さゆえに、ヴィデオは多くの場合、既に存在する映像を記録するメディアとして用いられてきた。しかし開発当時、ヴィデオは表現の地平を広げる画期的なメディアとみなされ、多くの作家たちが様々な実験を繰り返した。次代の新技術が導入されるまでのつかのまの間、メディアの消長のはざまに花開いた豊かな成果はかつてのサイレント映画を連想させる。
 東京国立近代美術館で開かれている「ヴィデオを待ちながら」は1970年前後に制作された「ヴィデオ・アート」に焦点をあてた野心的な展覧会である。思うに当時のヴィデオ作品を実際に見ることはフェルメールやマサッチオの作品を実見すること以上に困難である。実体を伴う絵画や壁画であれば美術館や礼拝堂に行けば作品に接することはできる。しかしヴィデオ作品は現在いかなる機関に所蔵されているか必ずしも明確ではなく、型式や上映方式も作品や地域によって異なる。さらに展覧会として組織する場合は映示条件の確認や著作権の処理など、作品ではなくその周辺に煩雑な問題が発生するはずだ。多くの困難を乗り越えてこのような重要な展覧会が日本で実現されたことは喜ばしい。
 先ほど70年前後のヴィデオ・アートに関する展覧会と書いたが、厳密にはこの定義は正しくない。例えば下に示したリチャード・セラの《鉛をつかむ手》は当初ヴィデオではなくフィルムとして上映されており、あるいはフランシス・アリスの印象的な映像は2000-02年という年記を伴っている。しかしこのようなゆるやかな定義によって、70年前後のヴィデオ・アートが提起した問題の本質がより鮮明に浮かび上がるように感じられた。会場入口に置かれたジョン・バルデッサリの《I Am Making Arts》(この作品にフェミニズム的な解釈を与えたジル・ミラーのヴィデオが同じ展覧会に加えられている点は心憎い演出である)が展覧会の姿勢を暗黙のうちに語っている。この点を考えるにあたっては展覧会から除外されている作品を考えるのがよかろう。同時期にやはり映像を用いて発表されながらも今回出品されていない作品の一つは同じ時期に隆盛したハプニングやパフォーマンスを記録した映像作品であり、もう一つはエキスパンデッド・シネマと呼ばれたサイケデリック、感覚的な映像である。つまり、行為の記録としての映像と感覚的な体験としての映像は本展覧会から注意深く排除されている。この結果、この展覧会の主流を占めるのはきわめて思弁的、概念的な作品の系譜であり、バルデッサリの同語反復的な作品はその典型である。会場の劈頭にナム・ジュン・パイクではなくアンディ・ウォーホルの作品が置かれたこともこれと関係している。ヴィデオ・アートの代名詞と呼ぶべきパイクの場合はTVブラやTVガーデンが示すとおり、TVモニターへのフェティシズムが濃厚であり、映像の内容は比較的単純だ。これに対して、今回出品されたウォーホルの作品はきわめて早い時点でヴィデオ・アートの本質である自己言及性を主題としている。
 展示は五つのセクションから構成されている。「鏡と反映」「芸術の非物質化」「身体/物体/媒体」「フレームの拡張」「サイト」という五つのテーマはよく練られている。出品作はよく知られた作品が多く、私も研究書や展覧会カタログのスティル写真として既に見知っていたが、実見するのは初めてという場合が多かった。会場を一巡して多くの発見があった。まずヴィデオというメディアの草創期に、多くの作家が自らの姿を撮影した作品を制作していることにあらためて驚く。「鏡と反映」というセクションで紹介される作品の大半において作家自身がヴィデオの中に映り込み、現実とヴィデオの間の微妙なずれの反復、拡張が作品の主題とされている。この時、ヴィデオとは特殊な鏡の隠喩であり、カタログにも収録されたロザリンド・クラウスの規範的な文献が「ナルシシズムの美学」と題されていたことの意味があらためて了解された。特にヴィトー・アコンチの作品が興味深い。そこでは見ること/見られることという対立、あるいは見られながら見る/見ながら見られるという主体の分裂的な在り方がヴィデオという手段を用いて時に知的に、特に暴力的に分析されていた。続くセクションでは、今日、コンセプチュアル・アート、ボディ・アート、プロセス・アートあるいはアースワークとして分類される多様な作品が紹介される。これらの動向は現実の時間と関わり、作品が具体的な形式をもたない場合が多く、それゆえヴィデオのモニターを介して私たちの前に現前する。反復、循環、位置の転換といったモティーフが作家を横断して、幾度となく提示される。個人的にはアコンチに続いて、セラとブルース・ナウマン、ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》、さらにゴードン・マッタ=クラークらの伝説的なヴィデオを見ることができたのが収穫であり、70年代に美術の領域でかくも知的な探求が重ねられていたことにあらためて深い感動を覚えた。ヴィデオを実見したのは今回が初めてであるにせよ、かかる美術の磁場に慣れ親しんだ私にとって、知性を欠いた今日の美術に何ら共感がもてないのは仕方がないことである。先に述べたバルデッサリとジル・ミラー、あるいはスミッソンとフランシス・アリスやタシタ・ディーンの作品を比較する時、前者に対する批判あるいはオマージュとして後者の作品が構想されていることも明らかであり、形式をもたない作品の継承と発展という問題もまた興味深い。
 今回の展覧会は展示の方法もテーマに即していた。近年のいわゆる「ヴィデオ・インスタレーション」の流行とともに私たちは暗室の壁面全体にクリアな映像を投影する手法になじんできた。しかし今回、このような大規模なプロジェクションは例外的であり、多くの作品が比較的小さなTVモニターに淡々と上映されていた。モニターの下部に映像の解説が直接掲示されている点も無造作といえば無造作であるが、考えてみれば、それらの作品が発表された当時、壁面へヴィデオを投影する技術は存在しなかったから、モニターの使用は当たり前のことであるし、それ以前にこれらの作家が上映方法ではなく、上映する作品の内容を重視したことを考えるならば、展示効果に阿ることのない今回のインスタレーションはきわめて正当といえるだろう。VHSヴィデオの形態を模した特異な判型のカタログも充実した内容である。この分野に関する日本語の基礎的文献がほとんど存在しないという状況を考慮したのであろう。担当学芸員が当時の状況を概観した「序論」のほかにクラウスの「ヴィデオ:ナルシシズムの美学」(1976)、ベンジャミン・ブクローの「リチャード・セラの作品におけるプロセス彫刻とフィルムについて」(1978)、リズ・コッツの「ヴィデオ・プロジェクション:スクリーンの間の美学」(2004)という三つの論文が再録され、資料性が高い。ヴィデオ・アートをハードウェアとの関係で論じた最後の論文もそれなりに興味深いが、私であれば年代的にも展覧会の内容を深めるためにもこれに代えて、スミッソンの出品作について論じたクレッグ・オーエンスの「アースワーズ」(1979)を収録するだろう。いずれにせよ、高名な論文でありながら、『オクトーバー』の創刊号に掲載された後、ほかの論集に収録されず、参照することが比較的困難であったクラウスの論文が日本語で読めるようになったことはありがたい。ところで以前から気になっていた点であるが、クラウスが援用するラカンの理論は70年代以降、イギリスの映像理論誌『スクリーン』でもしばしば論及されていた。ノーマン・ブライソンのゲイズ/グランスといった概念にみられるとおり、ローラ・マルヴィ、カジャ・シルヴァーマンらの理論がいわゆるニュー・アート・ヒストリー系の研究を裨益したことはよく知られている。しかしなぜかこれらのイギリス系の映画理論は今日にいたるまでヴィデオ・アートの研究に応用された形跡がない。果たしてこの点は映画とヴィデオの差異、ナラティヴィティーの有無に起因するのであろうか。今後考えてみたい問題である。
 今回の展示を私は2時間ほどかけて巡った。映像を全て見ると15時間程度かかるという。本展覧会を機に東京国立近代美術館としても何点かの作品を収蔵する予定があるとも聞いたが、最初に述べたとおり、これらの作品は今後再び目にすることはきわめて困難である。国内で上映する機会を増やす意味でも、もう一箇所、京都国立近代美術館あたりに巡回させることはできなかったのだろうか。画期的な内容であるだけに、この点を少々残念に感じた。
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by gravity97 | 2009-06-04 21:48 | 展覧会 | Comments(0)

優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック