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坂本龍一『音楽は自由にする』

b0138838_2049433.jpg 坂本龍一の自伝が刊行された。自伝といっても『エンジン』誌に二年以上にわたって掲載された連載をまとめたもので、同誌のカリスマ編集長、鈴木正文に語った内容を書き起こした内容である。無数の註が付されているとはいえ、本人の口述であるから、正確さは必ずしも担保されず、美化されている点も多々あるだろう。私生活に関する記述が少ないのも残念である。幼時よりピアノや作曲を学び、新宿高校ではバリケード封鎖された構内でヘルメットをかぶってドビュッシーを弾き(よく知られた逸話であるが、韜晦と呼ぶべきか、これについて本人は否定も肯定もしない)、東京芸大の入学試験を「チャッチャッと解いた」といった「芸術家伝説」には少々うんざりするものの、語りかけるような口調は読みやすく、思わず引き込まれる。
 多くの人がそうであろうが、私もYMOを通して坂本を知り、YMO散開以降も華々しい活躍に注目してきた。もう30年も前になるが、イエロー・マジック・オーケストラなる未知の日本人グループがいきなり海外公演を行って大きな話題を博したことを聞き、日本のポップスの文脈とは全く断絶した(ように当時は思われた)、テクノとも民族音楽とも異なる独特のサウンド、人民服を模した奇抜なコスチュームなど、次々にもたらされる情報に興奮と当惑を覚えたことは未だに鮮烈な記憶である。
 しかし本書を通読すると、私たちが抱いている印象とは逆に、大学以降の坂本の経歴がむしろ多くの偶然に委ねられ、順風満帆といった風情から遠いものであったことが理解される。YMO結成にいたる事情も屈折しているし、YMOという独特の個性と才能をもった三人の協同は強いストレスを伴っていたようである。この点はビートルズからキング・クリムゾンまで歴史的なグループに例外なく出来する事態といえよう。YMOは海外公演の成功と巧妙なパブリシティ戦略によって国内でも一挙にメジャー・デビューを果たすが、異様な反響への当惑と、それを文字通り「パブリック・プレッシャー」というアルバムとして発表する彼らの批評性にはあらためて感心するとともに、結果的にそれ以後も坂本の活動は絶えずYMOという大きな影から自由ではないように感じた。もちろんソロ活動を始めてからも坂本は話題に事欠かない。特にベルトルッチの「ラスト・エンペラー」への出演と映画音楽をめぐる様々の内幕は興味深い。映画が巨大な文化産業であり、そこでは享楽と危険が隣り合わせであることに強い印象を受けた。ここにも多くの偶然が作用しており、坂本が強運の持ち主であることがよくわかる。
 ところで知る人ぞ知る関係であるが、坂本の父君は坂本一亀といい、河出書房の純文学担当の伝説的な編集者であった。ワンカメと呼ばれた坂本の父は、野間宏、椎名麟三、高橋和己といった私好みの作家と深く関わり、多くの名作の産婆役を果たした。先年、新装改訳版が刊行された『アレキサンドリア・カルテット』の訳者によるあとがきを読んでいたら、この四部作が最初に河出海外小説選の一冊として刊行された際、担当であった一亀は近くに住んでいた訳者の高松雄一のもとをしばしば訪れ、翻訳の進捗について相談に乗ったというエピソードが披瀝されていた。その際に自転車の後ろに乗せられていた少年が後年の坂本龍一であろうと高松は回顧している。なかなかよい話ではないか。ただし龍一自身はむしろ父に反発を感じていたことがこのインタビューの行間からうかがえ、実際にピアノや作曲への興味を引き出し、前衛的な傾向への関心を培ったのは母であったらしい。とはいえ坂本が学生時代から難解な哲学書に親しみ、後年、哲学者と対談し、作家や思想家との交流を深める背景には明らかに父の後姿の薫陶があったことは容易に想像される。
 近年、坂本は社会的な発言や運動にも参画し、反戦、環境問題あるいは核廃棄物問題などに深く関わっており、その理由も本書の中で説明されている。9・11を世界貿易センターに隣接する自宅で体験し、アフリカやグリーンランドに実際に赴いた坂本にとってかかるコミットメントは必然かもしれない。しかし私にはこのような発言はあまりにもナイーヴに感じられて、腑に落ちない。これらの主張は誰によってもなしうるし、正面から反駁しえない。しかし逆に反駁しえない主張のいかがわしさを批判し、モラルを相対化することが文学という営みの本質ではないだろうか。果たして息子のふるまいを亡き父はどのようにみるのであろうか。いや、さほど深刻に考える必要もない。戦争と環境破壊を批判することは坂本龍一のごとき世界的な「アーティスト」にとっては単なるノーブレス・オブリージにすぎないかもしれない。
 ところで本書の中でも言及されているが、YMOは2008年に約30年ぶりのヨーロッパ公演を行い、ロンドンとスペインのヒホンにおけるライヴが発売されている。この二つのライヴは同じツアーを音源として、収録された曲目も順序こそ違え同一である。私は特に熱心なYMOの聞き手ではないので聞き違えているのかもしれないが、両者に特に積極的な差異はないように感じる。あのクラフトワークでさえ、ライヴ「ミニマム・マキシマム」を発表するにあたって、ワールド・ツアーから各曲の音源を慎重に選んでいるのに対して、あまりに安易ではないか。加えてライヴ自体も初期のような緊張感がなく、いわばぬるい。このようなライヴは権利関係が複雑であろうから、どの程度、坂本の意思が反映されているかわからないとはいえ、4日を隔てた同じツアーのライヴを別々のアルバムとして発表する。このような姿勢を商業主義と呼ばずして、何と呼ぼう。
 ちなみにタイトルの「音楽は自由にする Musik macht frei 」は何に由来するのか判然としないが、わざわざドイツ語で表記されたこの言葉はアウシュビッツ強制収容所の入口に掲げられていた「労働は自由にする」というスローガンを直ちに想起させて私には居心地が悪い。何か反語的な意味があるのであろうか。

by gravity97 | 2009-04-22 20:52 | 評伝・自伝 | Comments(0)

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by gravity97 | 2009-04-21 21:00 | BOOKSHELF | Comments(0)

谷川渥『シュルレアリスムのアメリカ』

b0138838_21595689.jpg 書き手とタイトルを聞いただけで思わず手に取ってみたくなる本が存在する。谷川渥の『シュルレアリスムのアメリカ』はまさしくそのような本である。なんといってもタイトルがよい。シュルレアリスムとアメリカ、この二つの言葉を重ねただけで、直ちにいくつものテーマが連想される。早速求めて通読してみると、期待に違わず、示唆に富んだ刺激的な論考であった。
 周知のごとく、シュルレアリスムは1924年にアンドレ・ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言」とともに活動の端緒に就く。この宣言が最初、散文詩「溶ける魚」の序文として発表されたといった事情についてここでは触れない。ピエール・ナヴィルの「シュルレアリスム絵画というものは存在しない」といった言明にも関わらず、視覚芸術の領域で豊かな成果をあげたシュルレアリスムは、成熟するにつれて大西洋の対岸でも重要な結実をみる。もちろんこの背景には第二次世界大戦下、ブルトンをはじめとする多くのシュルレアリストたちがアメリカに亡命したという事情があり、実際の交流はほとんどなかったにせよ、ニューヨークの若い世代の画家たちは、いきなり国際様式たるシュルレアリスムの大家たちを同じ街に迎え、好むと好まざるに関わらず、その影の下で新しい表現を模索することになった。シュルレアリスムの受容をめぐる興味深い、しかしきわめて錯綜した問題を論じるにあたって、谷川は一つの補助線を引く。それは序に示されたブルトン対グリーンバーグという図式であり、この見取り図に沿って多様な主題が整理されていく。
 序を除いて、本書は八つの章によって構成されている。簡単に各章について触れておく。「ブルトンとピカソ 接近遭遇」と題された最初の章においてはプリミティヴィズムの問題が扱われている。ただし当初論集の中の一編として構想されたためであろうか、やや抽象的で必ずしもシュルレアリスムという問題圏に収まる内容ではない。続く第二章ではグラデーヴァという女性的かつ神話的形象を軸にフロイト、エルンスト、ダリそしてブルトンらの論文や作品が横断され、第三章ではグリーンバーグという意外な参照項を介してマグリットにおけるオートマティスムや自己言及の問題が論じられる。ここまでの論文がどちらかといえば作家を横断する印象を与えるのに対して、第四章以下、マルセル・デュシャン、サルバドール・ダリ、アンドレ・マッソンという三人の作家について、短いながら興味深い作家論が展開される。特にダリについては、アメリカそしてグリーンバーグという参照項を得たことによってフェルメールとの関係、スヴェトラナ・アルパースが説くいわゆる「描写の芸術」としての絵画、さらにはロザリンド・クラウスのグリッド論といった通常のダリ論では決して結びつかないような問題圏に次々に接続されていく。このあたりのめくるめくような思考の展開は本書中の白眉といってよかろう。さらに本書の圧巻は「ニューヨーク、1942年」「シュルレアリスムと抽象表現主義」と題された最後の二つの章である。分量的にも多く、内容的にもタイトルと最も深く関わるこれらの章において、谷川は亡命シュルレアリストたちのニューヨークでの活動、そしてシュルレアリスムを独自に継承する抽象表現主義の画家たちの活動をきわめて実証的に検証する。前者ではニューヨークで発行された名高い『VVV』誌の詳細、あるいは同誌にブルトンが寄せた「シュルレアリスム第三宣言」の末尾に書きつけられた「透明な巨人」という謎めいた言葉、さらにはデュシャンが会場に糸を張り巡らす有名なインスタレーションを行った「ファースト・ペイパーズ・オブ・シュルレアリスム」展をめぐるエピソード、後者では今述べた展覧会に出品されたエルンストの《シュルレアリスムと絵画》という奇怪な作品やこれまで日本では論じられることがまれであったロベルタ・マッタがニューヨークのシュルレアリストたちの中で果たした役割など、シュルレアリスムとアメリカの関係の核心となる多様な問題が論及される。これらはシュルレアリスムや抽象表現主義について論じる際には頻繁に言及されながら、これまで例えばカルヴァン・トムキンスによるデュシャンの評伝、ウィリアム・ルービンのジャクソン・ポロック研究などを介して、断片的にしか情報を得ることができなかった問題である。気鋭の美学者である谷川の論文は今までどちらかといえば抽象度が高い印象を受けていたが、本書において谷川は関連する一次文献を渉猟し、具体的な作品に即しながら実証的で説得的な議論を展開している。典拠や注釈も丁寧であり、今後、これらの問題を考えるうえでの資料的な価値も高い。
 本書をとおして多くの発見があった。以前、飯島耕一の著作をとおして、シュルレアリスムとジャック・ラカンが深い関係にあったことを知ったが、本書によって私はレヴィ・ストロースもブルトンと深い交流があり、のみならず二人はマルセイユから同じ船に乗り、カリブ海に浮かぶマルティニクを経由してニューヨークに到着したということを知った。マッソンも一時期滞在していたマルティニクとは世界に四つ存在するフランスの海外県の一つである。シュルレアリスム、構造主義、クレオールの三つ組はなんとも蠱惑的である。そもそも本書のタイトルが暗示するとおり、シュルレアリスムとは本質において移動や文化変容と深い関係をもっていたように感じる。この点はキュビスムと比較する時、明らかであろう。絵画の形式に深く関わるキュビスムは逸脱や変化を許容せず、正統と異端を峻別した。デュシャンをして網膜的絵画との絶縁を決心させた《階段を降りる裸体》をめぐるキュビスム内部の内訌(この経緯についてもデュシャンの章に詳しい記述がある)はこの点と深く関わっている。これに対してシュルレアリスムは変容を拒まない。最後の章でシュルレアリスムと抽象表現主義の関係が論じられるが、エルンストが創出したオシレーションという手法がポロックによって大胆な変奏を加えられて、美術の新たな方向を切り開いたことはこのような可能性を暗示している。私はこのような関係を名指すためには影響というよりもむしろ変容という語が適切ではないかと考える。そしてこの時、おそらく今日、グローバリゼーションあるいはポスト・コロニアリズムと称される問題群が既にモダニズム美術の異数とも呼ぶべきシュルレアリスムに胚胎していたことが理解される。それはシュルレアリスムが本質的にモダニズムを内破する運動であったためであろうか。近年開催された「アジアのキュビスム」といった画期的な展覧会なども参照する時、モダニズム美術を移動、あるいは文化的越境という観点から再検証する必要を強く感じる。そしてこのような観点に立つ時、既にいくつかの先行研究、あるいは関連展覧会があるにせよ「シュルレアリスムの日本」も、今後検証されるべき、魅力的な課題であることはおのずから明らかに思える。

by gravity97 | 2009-04-11 22:02 | 近代美術 | Comments(0)

NEW ARRIVAL 090406

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by gravity97 | 2009-04-06 20:34 | NEW ARRIVAL | Comments(0)
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優雅な生活が最高の復讐である


by クリティック
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